家電メーカーの創業と盛衰を語る企業博物館Part 2(博物館紹介)

    ―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみる(続編)ー

  本節では、前回の博物紹介に続いて、日立オリジンパーク、OKI「Style Square」、オムロン・コミュニケーションプラザ、立石一真創業記念館(オムロン)、エプソンミュージアム諏訪、TDK歴史みらい館、などを紹介することとする。

♣ 日立オリジンパーク(日立製作所)

所在地:茨城県日立市大みか町6-19-22
HP: https://origin.hitachi.co.jp

日立オリジンパーク全景

 →「日立オリジンパーク」は2021年に創業の地に開設された日立製作所の企業ミュージアム。敷地内は、「小平記念館」「創業小屋」「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」といった4つの施設で構成されている公開テーマパークとなっている。以前には、日立製作所日立工場の敷地内に「小平記念館」「創業小屋」は設けられていたが、今回、新たに移転して日立市内大みか町により広い公園施設として今回オープンしている。

小平記念館入口

  このうち中心施設「小平記念館」は、1から4までゾーン分けがなされており、Zone 1の「プロローグ」は創業者小平浪平、その志の展示、Zone 2は「日立製作所の社会課題解決への挑戦」、Zone 3は「ヒタチヒューチャーゾーンー・これからの社会課題とともに」、Zone 4は「ギャラリー・日立の挑戦への歴史」となっている。また、別棟の「創業小屋」は、日立の創業の基となった「日立鉱山工作課修理工場」の復元展示であり、小平が苦心して5馬力誘導電動機を制作した現場が再現されている。
 そのほか、パークの敷地内には「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」があり、一般に開放・利用ができる形になっており、地域貢献を促す施設としての側面をもっているのが特色。

プロローグ展示
日立の歩みを展示
日立の歴史的製品展示

<創業小屋と小平記念館に示された小平浪平と日立製作所の系譜>

 これら記念館の展示を参照しつつ、技術者小平がたどった技術者・事業家としての生き方、そして、日立製作所の発展の足跡を探ってみた。

小平浪平
復元された創業小屋

  小波浪平は、東京帝国大学の電気工学科を卒業、藤田組小阪鉱山に電気主任として入社、発電所づくりに関わる仕事に関わる。しかし、当時、日本の電機機械がほとんど外国技術に頼っていることに失望、なんとか国産技術による開発を果たしたいとの志を強く持つよになる。 これを後押ししたのが、学生時代の友人渋沢元治(渋沢栄一の甥)であったという。その後、彼は東京電灯の送電課に移ったが、電機機械開発に取り組む夢を持ち、1906年(明治39年)明治の実業家久原房之助の経営する日立鉱山に移る。この日立鉱山では、中里・町屋・石岡の発電所建設、電動機・変圧器、電気機械の修理を行いつつ、久原の後押しも得て国産電動機の開発に取り組む。この丸太仕立ての掘立小屋で完成させたのが、国産初の5馬力モーターであった。この作業場が、「日立製作所」発展の基となった「日立鉱山工作課修理工場」(後に創業小屋として復元)である。

修理工場の復元内部
復元作業場
初の5馬力発電機

<日立製作所事業の進展と独立>

  発足したばかりの小平の製作所は、当初、多くのトラブルに見回れる危機も経験するが、小平は、これらを一つ一つ克服しつつ国産機械の開発と改良を進めていく。そして、1911年、この製作所が「久原鉱業所日立製作所」となり独立を果たす。当時に進められた技術の試行錯誤、旺盛な技術挑戦、実技指向が、今日、「技術の日立」の企業文化に生かされた評価されるにいたっている。この初期の開発成果としてあげられているのが、「製造番号1」の275馬力誘導電動機、250kVA水車発電機の回転子、10000馬力フランシス水車ランナーなどである。これらは、日立の初期の技術的挑戦を裏付ける製品群として設計図と共に、「記念館」に展示されている。

日立製作所創業初期の製作品の展示

  そして、この製作所は、1922年、久原鉱業から独立して「株式会社日立製作所」と発展していく。そこで、小平は、大型電気機関車(1926)、150馬力電車モートル(1928)、水電解槽設備(1931)、エレベーターの製作(1933)、電気冷蔵庫第一号機(1934)などの製作を果たし、先進的な電機総合メーカーとしての地歩を築いていった。記念館では、これらの軌跡を日立製作所の年譜として、パネルで図面、写真、映像、実物などでわかりやすく解説している。

<戦後の日立製作所復活と発展>

  しかし、日立は太平洋戦争の末期、米軍による爆撃で設備人材と共に甚大な被害を受けた。日立市の工場は全壊、数百人の死者も出している。この痛ましい状況は記念館の展示でも、鎮魂の記録として丁寧に記録されている。 また、戦後、日立の経営幹部は公職追放を受け、浪平も社長の座を追われることとなる。 しかし、1948年には、早くも主要工場も復活、戦後の復興の過程で民間需要の高まり、高度成長下のインフラ整備ブームで、持ち前の技術力を発揮して、戦前にもました大きな企業発展を遂げる。 この過程は、日立の発展年譜としてダイナミックに内容を伝えている。

日立の発展を伝える企業年譜と作品展示                          

<グローバル企業として発展する日立製作所>

日立製作所発展の軌跡

  この軌跡を見ると、1954年  国産第1号の大型ストリップミル完成、1959年 トランジスタ電子計算機「HITAC 301」を開発、1964年 東京モノレール羽田線向け車輌を製造、1970年 世界初の列車運行管理システム、1996年 次世代型列車運行管理システムATOSなど、日本の電機産業の一翼を担ってきたことがわかる。 また、企業経営の面でも、日立電線、日立金属、日立化成、日立建機の分社化など、日立グループの形成に向かうと同時に、海外メーカーとの連携を深め海外展開も積極的に進めている。 これら経過を見ると、日立製作所自身の発展だけでなく、厳しい国際競争の下での電子電気産業における日本メーカーの苦闘の姿をかいまみることができるだろう。
 この日立製作所の創業と発展の系譜は、2022年に新たに開設された「日立オリジンパーク」に見事に示されている。

・参照:日立オリジンパーク(日立市シティプロモーションサイト)https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachi_donnamachi/1007477/1011149/1010610/1004704/1004705.html
・参照:日立市の「小平記念館」を訪ねる(アジア日本産業技術博物館フォーラム)https://igsforum.com/hitachi-odaira-m-museum-j/
・参照:『日立オリジンパーク』で日立グループの創業の精神や歴史に触れる(茨城キリスト教学園) https://www.icc.ac.jp/edu/news/2022/detail/220627.html
・参照:日立オリジンパークがオープン(KAJIMAダイジェスト・鹿島建設 Jan.2022)・参照:https://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2022/hashtag/index.html

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♣  OKI「Style Square」(沖電気虎ノ門本社ショールーム)

所在地:東京都港区虎ノ門1-7-12 虎ノ門ファーストガーデン2F
HP: https://www.oki.com/jp/showroom/virtual/oss/

  → 沖電気(OKI)は、1881年(明治14年)に創業した日本で最初の通信機器メーカー。電話機の国産化から始まり、日本の近代通信インフラや情報処理、プリンター事業などを支えながら140年以上の歴史を歩んできている。同社には、「沖電気歴史史料館」といった単独の一般公開施設はないが、本庄工場(埼玉県本庄市)のH1棟内にある展示室や虎ノ門本社にあるショールーム「Style Square」が、歴史的史料や技術の歩みを展示している。また、その歴史的製品はNTT技術史料館 などの外部施設にも貴重な遺産として分散して寄託・展示されているという。

 このうち、OKI「Style Square」は、沖電気が最近取り組んでいる先端的な電子通信機器、情報システムの全容をみることができるようになっており、展示会場にはノンリザーブドエリア、コミュニケーション、プリンター、金融・流通の各コーナーを設けてOKIの最新活動を紹介している。ここでは「技術の先端に触れる、課題解決を体験する、モノづくりのノハウを知る」をテーマに、物流支援、半導体システム、オフィスコミュニケーション、ATM、小型ATMなどのキャッシュマネジメント、最新のネットワークプリンターなどの製品やシステム内容を詳しく展示し、コンサルタント活動も行っている。(展示場の画像参照)

 では、この明治初期に誕生した沖電気の創業の姿と通信機器メーカーとして発展して今日に至った経過をみてみよう。

<沖電気の創業と発展の系譜>

沖牙太郎
明工舎のポスター

  沖電気工業は、1881年(明治14年)、創業者沖牙太郎が東京・京橋に「明工舎」を設立したことにはじまる。牙太郎は、実家の農業に飽き足らず、1874年、27歳で職を求めて東京に移り、工部省電信寮(1877年電信局)の技術となって電信事業に関わるようになる。当時、西南戦争の影響もあり電信事業の必要性が増大すると、電信用の電気針や電極器などの製作に参加、電話機の国産製造実験にも参加。1879年には電信局に所属のまま、現在の東京港区虎ノ門の長屋で電信局の下請け工場を始める。そして、この工場ではじめたのが、電話機などの製造、販売を目的として設立したのが「明工舎」であった。そして、1889年に明工舎を沖電機工場と改称して、現在の沖電気工業と基となっていく。  

共電式交換機
沖電機工場(1889年頃)

 この間、1896年、国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社納入、軍用携帯印字機や軍用電池が陸軍省に納品し高い評価を受けている。また、東京~横須賀間の海軍専用の電話線の架設も受注するなど通信事業の基盤を固めている。また、1904年日露戦争では前線の連絡に沖の携帯電話機が多く使われたという。  創業者沖自身は1906年(明治39年)に58歳で亡くなってが、妻のダケが後を継ぎ、浅野総一郎(浅野財閥創始者)が相談役となって事業は、電話事業を中心に継続的に事業発展していく。そして、1910年、本店、営業所を芝区田町に移し、1912年には「沖電気株式会社」となった。 この間、1896年、国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社納入、軍用携帯印字機や軍用電池が陸軍省に納品し高い評価を受けている。また、東京~横須賀間の海軍専用の電話線の架設も受注するなど通信事業の基盤を固めている。また、1904年日露戦争では前線の連絡に沖の携帯電話機が多く使われたという。  創業者沖自身は1906年(明治39年)に58歳で亡くなってが、妻のダケが後を継ぎ、浅野総一郎(浅野財閥創始者)が相談役となって事業は、電話事業を中心に継続的に事業発展していく。そして、1910年、本店、営業所を芝区田町に移し、1912年には「沖電気株式会社」となった。

沖電気3号自動式卓上電話機(1933年

 戦後、1949年、沖電気は企業再建整備法により解散し沖電気工業株式会社を設立、クロスバー交換機を日本電信電話公社(現・NTT)に納入するなど活動を活発化。1958年に群馬県高崎市に情報処理機器の高崎工場、1961年には東京都八王子市に半導体工場開設してトランジスタの生産開始。この頃、トランジスタ式コンピュータOKITAC 5090を発売している。そして、1963年、スペリーランド社と技術提携契約を結んで沖ユニバックを設立、1971年、富士銀行にオンライン現金自動支払機(CD)、電電公社にD10デジタル局用交換機を電電公社に納入している。
  1980年代になると世界初の紙幣環流機能付きATM「AT-100シリーズ」(1982年)を発売。1990年には主力事業の一つとなるページプリンター発売、1999年、東芝より国内民間向け金融自動化機器事業を譲受するなど、オフィス事務、金融関係の情報通信分野での活動を強化して今日に至っている。2007年には社名にOKIを用いて国際的な知名度も高めている。

・参照:OKIのあゆみhttps://www.oki.com/global/ja/profile/history/
・参照:社史「進取の精神—沖電気120年のあゆみ」https://www.oki.com/global/ja/profile/history/120th/
・参照:OKI:概略史-コンピュータ博物館 https://museum.ipsj.or.jp/computer/os/oki/index.html
・参照:創業140年、沖牙太郎が育んだアイディアと情熱が溢れるOKIの歴史(事務機ネット)https://jimukiki.net/column/okikibataro/
・参照:カーボンゼロを目指す本庄工場H1棟https://www.oki.com/global/ja/technologies/otr/2023/n241/r04/
・参照:沖電気工業 – Wikipedia

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♣ オムロン・コミュニケーションプラザ(オムロン)

所在地:京都市下京区塩小路通堀川東入 オムロン京都センタービル Tel. 075-344-6092
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/plaza/

オムロン京都センタービル

 → オムロンは、電子制御機器・ファクトリーオートメーション(FA)社会システム事業、電子部品事業などを広く展開する電子機器サービスメーカー。一般消費者には血圧計などの健康医療機器でも知られるが、このオムロンの事業を紹介するため開設されたのがオムロン・コミュニケーションプラザである。このプラザでは、オムロンの活動を歴史フロアと技術のフロアの二つに分けて展示、同社が歩んできた足跡がビジュアルに紹介されている。
  このうち、歴史フロアは、創業から受け継がれてきた理念と現在に至る社会ニーズ創造の追求や未来に繋がるビジョンを「理念」「歴史」のセクションで詳しく展示。また、技術フロアでは、オムロンの技術、サービスの事業を「カーボンニュートラルの実現」、「デジタル化社会の実現」、「健康寿命の延伸」の3つの社会的課題に沿って詳しく解説がなされている。

歴史のフロア展示
技術フロアの展示
Factory Automation展示

<オムロンの創業と発展の歴史>

立石電機時代の立石氏

  ここで歴史フロアなどの展示を参照しつつ、オムロンの創業と事業展開を記してみよう。
オムロンは、1930年、創業者の立石一真が京都に家庭用品製作販売の「彩光社」を設立したことにはじまる。立石は、1922年、友人の紹介で井上電機製作所に入社した後、1930年に独立して「彩光社」、そして、1933年に「立石電機製作所」を創業、レントゲン撮影用タイマの製造する事業をはじめた。戦後の1948年に式会社に改組し「立石電機株式会社」を設立している。1955年に販売部門・研究部門を分離・独立して「立石電機販売株式会社」「株式会社立石電機研究所」を設立した。1959年には商標を「OMRON」と制定、1960年には世界初の無接点近接スイッチを開発している。1964年に電子式自動感応式信号機、1967年には電子式自動感応式信号機などを開発して、この分野の先進企業として業績を上している。この時期、1968年、英文社名もOMRON TATEISI ELECTRONICS CO.として海外市場もめざしている。

レントゲンスイッチ
無接点近接スイッチ
東京九段の交通管理システム

 1969年 世界最小の卓上電子計算機「CALCULET-1200」を発表、1971年には世界初のオンライン現金自動支払機の開発に成功した。1972年、オムロンの社会課題取り組みの一環として、日本初の福祉工場である「オムロン太陽株式会社」を設立したのも、社会課題解決への姿勢を強化しているのがわかる。そして、1990年に社名を「オムロン株式会社」に変更、同社の下で1991年にはインライン検査機器「画匠」、1995年には車間距離警報装置、1998年にはグローバル紙幣真贋判別装置を開発している。近年では、2004年に携帯電話搭載の顔認証技術を開発している。  かくして、現在のオムロンは、産業用オートメーション機器ではトップ企業となる一方、一般消費者には健康医療で広く知られる存在となっている。ちなみに、家庭用電子血圧計は世界トップシェアを誇っている。

CALCULET-1200
大丸京都店の食券自動販売機
オムロン太陽工場

・参照:オムロンの歴史 | オムロンhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/
・参照:オムロングループの歩み | 会社情報 | オムロンhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/
・参照:オムロンコミュニケーションプラザ リニューアル(トータルメディア開発研究所) https://www.totalmedia.co.jp/task/works2015-omroncommunicationplaza-renewal/
・参照:「オムロンの歴史と技術を学ぶ」(経済広報センタ)ーhttps://www.kkc.or.jp/society/conference.php?mode=show&id=2539

❖ 立石一真創業記念館(オムロン)

所在地:京都府京都市右京区鳴滝春木町5-20 
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/founder/

立石一真
立石一真創業記念館

  → この記念館は上記オムロン社の創業者立石一真の一生をオムロンの発展や企業理念と重ね併せて紹介する施設である。 ここには立石のオムロンでの功績、“創業者精神/ベンチャースピリット”を直に体感できる資料が数多く展示されている。記念館は、敷地の周辺環境、住宅、庭園も展示として組み込み、展示の中を回遊することで創業者立石の人となりと事業への姿勢を追体験できる工夫もなされている。
 展示の中では、「創業者物語(立石一真)創業者物語 ~立石一真、挑戦の90年~」として、 第一話から第六話に分け、次のようなエピソードと共に、オムロンの歴史と、立石との関わりをわかりやすく紹介している。

館内の展示


  第一話「生い立ちから下積み、独立まで」第二話 「創業、オートメーション企業へ」、第三話 「無接点スイッチにおける世界初の挑戦」、第四話 「中央研究所の設立とサイバーネーション革命」、第五話 「健康工学から企業の公器性の実現へ」第六話 「大企業病の克服、第三の創業へ」  また、記念館では展示棟の様子をWebで360°視点のバーチャル空間でみるようにできるようになっているのも特色の一つとなっている。

・参照:第一話 生い立ちから下積み、独立まで | オムロンなどhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/founder/01/
・参照:オムロン 立石一真 創業記念館」プロジェクト | DENTSU LIVEhttps://www.dentsulive.co.jp/work/201501
・参照:フィードバックする文明、応答する企業──オムロン創業者・立石一真の思想|小山龍介 https://note.com/ryu2net/n/n04f89087ef61

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♣ エプソンミュージアム諏訪

所在地:長野県諏訪市大和3-3-5
HP: https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/

   → エプソンミュージアム諏訪は、機械式時計の製造から始まった企業の歴史やプリンターなどの歴代製品を紹介する企業博物館。セイコーエプソン創業80周年を記念して2022年に開設され、「創業記念館」と「ものづくり歴史館」の2つのエリアをもつ。 このうち、創業記念館は、1942年の創業時から1970年代までの社屋を利用して当時の時計部品や工具、貴重な資料を展示。ものづくり歴史館は時計事業からプリンターをはじめとする情報関連機器事業へと発展していった技術や製品の変遷を紹介している。

・「創業記念館」の展示

山崎久夫
創業記念館

  創業記念館は、エプソンの前身である「有限会社大和工業」の事務所として使われていたもの改修して博物館とした建物で、国の登録有形文化財に登録されている歴史的建造物となっている。館内では、「誠実努力」、「創造と挑戦」、「技術は人びとのために」の三つの展示室が設けられており、創業者山崎久夫の思い、機械式時計の技術・技能の進化、世界初のクオーツウオッチ、そして、小型軽量デジタルプリンターの開発に至るまでのエプソンの歩みを製品の展示とともに詳しく紹介されている。

・「ものづくり歴史館」の展示

  歴史館には南館、北館があり、前者では、社会や人々の暮らしに影響を与えた歴史的な製品を分野ごとに展示、後者ではエプソンの技術から生み出された製品やサービスを紹介している。共通する展示コンセプトは、「省・小・精の技術を原点とし、エプソンを成長・発展させた「ものづくり」の技術の伝承、技術が生み出した歴史的な商品、それらが形作ってきた豊かな社会の紹介」としている。
 ・参照:エプソンミュージアム諏訪の開設や展示内容を紹介する動画https://www.youtube.com/watch?v=X_Wdill8_xo&t=25s

<記念館にみるエプソンの創業と発展の系譜>

エプソンの歴代製品群

  周知のように、セイコーエプソンは、長野県諏訪市に本社を置く情報関連機器、精密機器を手掛ける電機メーカー。インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクター、パソコン、スキャナーといった情報関連機器、水晶振動子、半導体などの電子デバイス部品の製造、産業用ロボットや小型射出成形機などの産業用機器の製造を行っていることで知られる。

創業記念の銘板

  このエプソンの創業は、1942年、服部時計店の元従業員の山崎久夫が、諏訪市内に「有限会社大和工業」の設立がはじまりである。そして、服部家からの出資を受け、第二精工舎(現在のセイコーインスツル)の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行うようになる。その後、1943年に第二精工舎が工場を諏訪市に疎開すると大和工業との協力関係が強まり、戦後の1959年、大和工業が第二精工舎の諏訪工場を営業譲受する形で株式会社諏訪精工舎となっている。

創立当時の大和工業

 1961年には信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立、 1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなっている。 当時、諏訪経済圏は精密機器製造業(時計、カメラなどの部品製造・組立)が集積、同地域は「東洋のスイス」と称されるまでになったことが発展の背景にある。 この諏訪精工舎は、最初、時計の製造・開発を行っていたが、それから派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展する基となっている。 1961年には信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立、 1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなっている。 当時、諏訪経済圏は精密機器製造業(時計、カメラなどの部品製造・組立)が集積、同地域は「東洋のスイス」と称されるまでになったことが発展の背景にある。 この諏訪精工舎は、最初、時計の製造・開発を行っていたが、それから派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展する基となっている。

デジタルプリンター
プリンター「IP-130K」

  この経過を見ると、1968年、世界初の小型軽量デジタルプリンター開発、これが現在のプリンター事業の基となっている。1969年、世界初のクォーツ腕時計(アストロン35SQ[11])を開発すると共に、1968年翌年には半導体事業を開始、1975 年には非時計分野のカンパニーブランドとして「EPSON」ブランドを制定している。1976年、水晶デバイス事業、1978年、コンピュータ用プリンター事業を開始する。一方、1975年には、アメリカに販売会社Epson America, Inc.設立して海外市場に進出した。そして、1984年、マイクロピエゾ方式のインクジェットプリンター「IP-130K」を発売、この頃、エプソン株式会社を吸収合併、セイコーエプソン株式会社に商号を変更(1985年11月)している。1987年にはPC-9800互換のパーソナルコンピュータのEPSON PCシリーズも発売(1995年に撤退)、1989年には液晶プロジェクター事業を開始した。 

壁掛け対応プロジェクター

 1994年には、カラー印刷画質を向上させた「MJ-700V2C」を発売、1995年、マッハジェットカラープリンタ「カラリオ」発表している。 2000年代に入っては、多種類の産業用、家庭用プリンター、プロジェクターを開発、発売するとともに、エプソン独自の「省・小・精の技術」を活かし、ロボットや高精度センサー、サステナブルなオフィス・産業向けデジタル印刷機器などへ進化を続けているという。 この中には、インクジェットデジタル捺染機「モナリザ160B」(2003年)、高画質大判インクジェットプリンター(2008年)、Tシャツに直接プリント可能なガーメントプリンター「SC-F2000」(2013年)、電子黒板機能内蔵の超短焦点壁掛け対応プロジェクター「EB-595WT」(2014年)、「自律型双腕ロボット」(2013年)、「Nシリーズ」、新小型6軸ロボット「Nシリーズ」(2016年)などがある。

カラーインクジェットプリンター
インクジェットデジタル捺染機
垂直多関節型)ロボット

 ・参照:セイコーエプソンの歴史|The社史 https://the-shashi.com/tse/6724
・参照:セイコーエプソン【6724】のストーリー・沿革 – キタイシホン https://kitaishihon.com/company/6724/story
・参照:セイコーエプソンの歴史|時計・EP-101・半導体・プリンター・ロボット | ゆる歴史散歩会【公式】東京の歴史を巡る散歩サークル https://yuru-rekishi-sanpo.com/seiko-epson-history/
・参照: 40年目を迎えた「EPSON」ブランドの歴史を紐解く ~(大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/722251.html

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♣ TDK歴史みらい館

所在地;秋田県にかほ市平沢字画書面15    Tel. 0184-35-6580
HP: https://www.tdk.com/museum/

TDK歴史みらい館

  → TDKは磁性材料フェライトの工業化を目的として1935年に創立された大手電子部品メーカー(当初の社名は東京電気化学工業)。フェライトやコンデンサを始めとし電子材料・電子部品・磁気ヘッド・二次電池などを製造販売している。このTDKが、ゆかりの地である秋田県にかほ市にTDKのあゆみを紹介するため設立したのが「TDK歴史館」。その後、創立90周年にあたる2026年に全面リニューアルし、現在の「TDK歴史みらい館」となった。ここでは、TDKの製品・技術がどのように社会の進化に役立ってきたのか、これから訪れる未来社会に対してどのように関わりを進化していくのかを、フェライトから始まるTDKの強みである「磁性」を主軸にわかりやすく紹介している。ちなみに、TDKは東京工業大学の加藤与五郎、武井武の両博士が発明したソフトフェライトの工業化を目的として、1935年、齋藤憲三がベンチャー企業として設立した企業で、創業期より秋田県内に多くの生産拠点を構え、現在ではグローバルに事業展開を行い世界30以上の国や地域に250以上の生産拠点、グループ会社を有する国際企業に成長している。

館内展示コーナー
デジタル年表
展示されたTDK製品

  このTDKの「歴史みらい館」では、展示を歴史ゾーン、みらいゾーンの二つの見学コースを設けて、「発見する・創造する・つながる」をテーマに映像や体感デモを通してTDKの魅力がよくわかる構成になっている。
 このうち、「歴史ゾーン」では、磁性の歴史、創業コーナー、4大イノベーション、成長戦略3分野、デジタル年表、昔の家電とTDK製品のあゆみ、記録メディア、モノづくり、社会との関わり、テーマ展示となっており、フェライト磁石の発明から、テレビ、ラジオ、ゲーム、家電製品など、磁石によって進化したさまざまな製品の歴史まで学ぶことができる。

みらいゾーン

 「みらいゾーン」では、電気をつくる、電池のしくみ、多様化する電池、回路の可能性、スポーツとTDK、スピンの可能性、これからのAI、スマートグラスとTDK、フェライトツリー、やり投げスタジアムといった体験型の展示がなされ、これからの社会を支える電気の不思議や最先端の技術を学ぶことができる。また、特別に「つながりゾーン」を設け、TDKと秋田地域、そして世界との関わりをテーマにした展示を行っているのも特色の一つである

ここでは、展示のうち、デジタル年表と創業コーナーを中心に、TDKの誕生と発展の歴史をしょうかいしてみよう。

<TDKの創業と展開><TDKの創業と展開>

齋藤憲三
フェライト磁石
加藤、武井の両博士

 企業としてのTDKの誕生のきっかけは、1930年、東京工業大学の加藤与五郎と武井武が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明したことにはじまる。「独創性のある工業こそが工業だ」という加藤の信念に共鳴した実業家齋藤憲三は、1935年に資本金2万円を得て東京市芝区に「東京電気化学工業」を設立したことがはじまりである。そして、1937年に蒲田工場を設立してフェライトコアの製品化に世界で初めて成功、「オキサイドコア」の商品名で売り出したことで基礎を築かれた。

設立当時の蒲田工場
フェライトコアを使用したコイル

  1940年には平沢工場も稼働させ、終戦までに同社はフェライトコアを延べ500万個ほど軍民向けに出荷するまでになる。このフェライトコアは、酸化鉄を主な材料としたセラミック磁性体(フェライト)で、電子信号や電力(低周波電力)の誤動作を防ぐノイズフィルターの役割を果たす電子機器には欠かせない部品であった。戦後は連合国軍総司令部のスーパーヘテロダイン令で、フェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠となり、TDKはラジオ部品メーカーとして大きく伸びている。1951年には目黒研究所を開設して基礎研究体制を整え、チタン酸バリウムコンデンサ「アルコン」を商品化し、1952年に東京・清水工場で磁気録音テープ「シンクロテープ」の生産を開始した。1961年に東京証券取引所へ上場、1965年にニューヨークに現地法人TDKエレクトロニクス・コーポレーションを設立して早くも海外展開の礎を築いている。  1968年に世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表、1969年、千曲川工場で磁気テープを量産体制、1977年にVHS用ビデオテープの大増産、1982年には磁気テープで世界シェア31%を獲得している。

TDKの主要な製品群

  さらに、1983年には社名を「TDK」に変更し、1986年にSAE Magneticsを買収、HDD用ヘッド事業に参入しデバイス分野に進出している。そして、1987年に薄膜磁気ヘッドの開発、1994年に高密度記録AMRヘッドを発売、2000年には米国の磁気ヘッドメーカー Headway Technologiesの買収、2005年のリチウムイオン電池Amperex Technology買収、2008年電子デバイスメーカー EPCOS AGの買収など、電子デバイス事業を強力に推し進めている。こうして現在では、TDKはフェライトやコンデンサをはじめ、電子材料・電子部品・磁気ヘッド・二次電池などを主力商品に育て上げた国際企業となっている。

・参照:TDKの歴史 | TDKについて | TDK株式会社https://www.tdk.com/ja/about_tdk/our_history/index.html
・参照:TDKの歴史|The社史 https://the-shashi.com/tse/6762/
・参照:TDK歴史みらい館の3つの注目ポイント | なんも大学 https://nanmoda.jp/2018/09/3816/
・参照:TDK歴史みらい館 | にかほ市観光協会 https://nikaho-kanko.jp/tdkmuseum/
・参照:TDK – Wikipedia

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(了)

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