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ノリタケ・ミュージアムにみる近代製陶業の系譜

     ―伝統の陶器産業から近代技術の製陶・セラミックス産業へー   高級陶磁器メーカーノリタケは、2001年、創業の地である名古屋に産業文化施設「ノリタケの森を開設した。全体が広い緑地公園のようになっていて、施設内には、製造過程を見学できる「クラフトセンター」、ノリタケの歴史と事業分野を紹介する「ウェルカム・センター」、オールドノリタケの展示ミュージアムなどが設けられていて人気の高いテーマパークとなっている。また、明治期に作られた赤煉瓦の工場建屋と陶磁器を焼成に使った煙突がそのままの残っており国の近代化産業遺跡にも指定されている。 ミュージアムでは、洋食陶磁器の技法、ノリタケの美術陶磁品制作の仕組みや特色、古くからのノリタケ・ブランドの作品が幅広く展示されており、魅力ある見学施設となっている。また、洋食器制作をベースにノリタケが広げてきた近代的製陶産業の形成とセラミックス事業への発展経過も紹介されていて興味深い施設である。  この節では、ミュージアムを参照しつつ、どのように伝統的な陶器づくりが近代製陶産業に転化し、先端的なセラミックス産業に発展していったかを検証してみることとする。 ❖ ノリタケ・ミュージアムと近代製陶業の形成   日本の陶磁器は江戸時代以前から欧米へ広く輸出されてきた貴重な美術工芸品であった。しかし、これらは熟練職人による個別生産が中心で、量産を前提をとし均一な品質をもつ陶磁器製作はあまりみられなかった。この近代工業による陶磁器造りの産業が形成されたのは明治時代になってからである。この新産業を推進した先進企業一つがノリタケ(日本陶器)である。 <ノリタケの起業と展開>  ノリタケ・ミュージアムの歴史展示によれば、ノリタケの源流は明治初期にさかのぼるという。貿易業者だった森村市左衛門が、1876年(明治9年)に「森村組」を設立し、欧米向けに日本の美術骨董品、雑貨を輸出する事業を開始したことがはじまりである。創業者森村は、1889年、パリ万博訪問で洋式装飾食器の素晴らしさと高い商品価値に感動し、日本での洋式磁器の製作を決意したと伝えられている。この決意を受け、古くから森村組に参加していた大倉孫兵衛、大倉和親が、1904年に「日本陶器合名会社」を設立して洋食磁器の製作を開始した。この時からノリタケの歴史がはじまる。ちなみに、後に社名となった「ノリタケ」は創業の地である現在の愛知県則武村に根ざしたものという。   しかし、この洋式磁器の製作は容易ではなかったようだ。まず、日本式陶器は日本の伝統工芸品ではあったが、均一な商品を多数且つ工業的に作ることがきわめて難しかった。また、一般的に洋食器は白い生地に絵付けすることが必要で、生地が純白で平らでなめらかでなければならない。この新しい技術開発には、職人が個別工芸品を制作するのとは違った新たな方式や技術が必要だったのである。日本陶器では、ドイツなどに職人技術者を派遣して、1904年にようやく白生地陶器の製作にこぎつける。そして、1904年に25センチ皿の平盤化に成功、1914年、日本発のディナーセット「セダン」を発表した。これにより洋食器メーカーとしてのノリタケの基礎が築かれることとなった。 その後、日本陶器ノリタケは「ボーンチャイナ」の技術にも取り組み、1933年に成功裏に完成させた。これをきっかけに、ノリタケは北米を中心に高級洋食器の販路を広げ、ノリタケの「オールド・チャイナ」の名は世界的にも名を知られるようになる。このノリタケの事業と技術展開は、ノリタケ・ミュージアム展示でわかりやすい年譜と写真、陶磁器の実物などで詳しく解説がなされているので参考になる。  また、母体となった森村組ノリタケ全体を見ると、陶磁器の成功を軸に、新たな事業分野へ発展させていく。その一つが衛生陶器部門で、1917年に設立した東洋陶器(TOTO)である。また、セラミックス技術を活用して1919年に日本碍子(現NGK)も独立創業させている。太平洋戦争後は、ノリタケ・グループは更に拡大、日本レジン工業、伊勢電子工業を設立、伊万里陶業、広島研磨工業、共立マテリアルなども傘下企業となり成長してきている。 ❖ TOTOミュージアムと衛生陶器への挑戦   前述のようにTOTOは森村組ノリタケ・グループから独立する形で、1917年に衛生陶器の製作をめざして創業した企業である。この起業と発展過程は、九州・小倉にある「TOTO博物館」で詳しく紹介されている。ちなみに、この博物館は、TOTOの概要や歴史だけでなく、日本の社会課題である水まわりを中心とした文化や歴史の全体を広く紹介しており、ノリタケの社会課題へのこだわりと取り組みの強い姿勢を示している。 (参照:TOTOミュージアム:所在地:福岡県北九州市小倉北区中島2丁目1−1HP: https://jp.toto.com/knowledge/visit/museum/) <TOTOの衛生陶器への挑戦>   この博物館展示などより、TOTOの衛生陶器への挑戦と展開をみてみる。東洋陶器(TOTO)は、1912年、森村組ノリタケ「日本陶器」の製陶研究所として発足した。 創立者は貿易会社「森村組」の大倉和親である。大倉は欧米留学中にみた便器や浴槽の素晴らしさに感動し、日本でもこの製造を始めようと衛生陶器の開発・研究を開始したのがはじまりである。その後、1919年、大倉は「東洋陶器」と名付けた会社を設立、九州・小倉に工場を設けて洋式便器の製造を始めた。当時、浴槽や便器はすべて木製であったが、明治期後には、日本の都市化と生活スタイルの西欧化に伴って日本でも将来、陶器製の衛生便器は必ず普及すると考え、開発に取り組んだのであった。  しかし、当初、その開発は困難を極め、衛生陶器の普及はなかなか進まなかった。同社では、あきらめずに食器の販売を伸ばしつつ開発と製造を続けた。転機は大正年間の社会変化である。下水道整備と都市化が進んだこともあって、徐々に衛生陶器の売り上げが伸びはじめた。戦後になると、住宅需要の拡大と生活スタイルの変化に伴って急速に需要が拡大する。特に、住宅団地の建設は「洋式便器」の採用を促し、本格的な衛生陶器の普及につながっていく。こういった社会情勢を追い風にTOTOは水回り装備の取り組みをさらに強化、ユニットバス、温水洗浄便器ウオッシュレット(1970s)、節水洗浄便器(1980s)などヒット商品を次々に生み出して世界的グローバル企業へと成長していく。  ちなみに、古来、日本では「便所」は生活の重要部分ではあったが、長く「裏方」「家の外」に位置すべきものとして意識されてきた。しかし、今日、明るく衛生的で快適な空間を形作る「部屋」と意識するようになってきているのがTOTOの成長にも役立っている。TOTO博物館の展示をみても、この社会意識の変化がどのように進んできたのかがよくわかる。現在、TOTOは衛生陶器のほか「水まわり」を中心とした室内インテリアの総合メーカーとして、浴室や台所、洗面台、シャワーや水栓などの開発を行っており、今日の社会ニーズに積極的に応えようとしている。 ❖ 日本碍子の博物館とセラミック先端技術への挑戦>   日本碍子(現NGK)は、1974年、創立100周年を記念し、日本ガイシ電力技術研究所に碍子の歴史を紹介する専門の「碍子博物館」を開設した。ここでは、歴史的な通信用ピン碍子をはじめ世界の碍子・工具類、碍子に関する古文書・文献など5000点以上を所蔵・展示してガイシや送電のしくみの詳しい解説紹介を行っている。展示には、現存最古とされる「通信用ピン碍子、ボール・ソケット型懸垂ガイシ(1910年)などが含まれるほか、各国の懸垂ガイシの展示コーナを設けて各種各様の現物を紹介している。   この博物館展示を踏まえ、ガイシの歴史と日本碍子の創設・発展、現在のNGKによるセラミックス先端技術への挑戦をみてみることにする。伝統的な陶磁器を応用した絶縁体造りからはじまり、日本碍子が、セラミックスによる先端技術製品開発への広く展開している姿をつぶさにみることができるだろう。 ・参照:碍子博物館(NGK電力技術研究所)所在地:愛知県小牧市大字下末字池田32電力技術研究所内HP: https://www.ngk.co.jp/product/labo/museum.html <日本碍子の創業と発展>   江戸から明治となり時代が進むにつれ殖産興業による工業振興と社会近代化が顕著となり、日本でも電気供給が増大、送電に必要な碍子の需要が高まってくる。しかし、当時、国内には生産能力がないため全て輸入に頼るしかなかった。こういった中で、電機機械メーカー芝浦製作所の技術者が米国で碍子の破片を入手、日本陶器に持ち込んで陶磁器による碍子国産化を打診した。この時期より、日本での碍子生産の挑戦が始まることになる。当初、日本陶器は否定的であったが、創業者の大倉和親は碍子生産の社会性と将来性を見込み開発を決意。そして、当時の東京工業学校(現東京工業大学)の江副孫右衛門を技術主任に据えて陶磁器セラミック技術を応用した碍子の製作に取り組みはじめる。これは決してやさしい道ではなかったが、苦心の末、やがて碍子の品質確保と量産の目途を付け、その生産に本格化に取り組むことができるようになる。一方、明治末から大正年間の1910年代になると、軽工業、重化学工業の発展が顕著になったことから電力需要は日増しに急増して碍子の需要も増大、日本陶器にも注文が殺到するようになった。これを受け、日本陶器は碍子部門を独立させ碍子生産を増強する体制をとった。こうして、1919年、新生「日本碍子」」が誕生、初代社長は大倉和親であった。 当初、主力商品は特別高圧碍子と碍管類で顧客は主に電力会社だった。日本碍子は、1920年代、アメリカ製のハロップ式トンネル窯と1000kV級高圧試験装置を導入、東京・大阪のほか各地に出張所を開設、欧米にも社員を派遣して海外に販路を開拓するまでになっていく驚異的な進展であった。 1930年代なると、自動車、航空機などの点火プラグ分野にも進出、1936年には別会社「日本特殊陶業」を設立している。その後、太平洋戦争下では軍需会社の指定を受け軍需用通信碍子・耐酸機器メーカーにもなった。戦後は、朝鮮戦争、そして高度成長により電源開発、インフラ投資の増大を受け、碍子需要が急増、日本碍子は工場を新設して増産体制をとり、海外へも輸出を増加させている。 <碍子事業の多角化と周辺分野への進出>  1960年代になると、日本碍子は、碍子事業の拡大と成功を受け、碍子技術に依拠しつつも周辺分野の進出と事業多角化に舵を切るようになる。セラミックスを利用した散気板製作から始まった上下水処理装置、耐酸機器から広がる化学工業機器、1958年に工業生産に成功していたベリリウム銅などの金属部門、1962年には米レオポルド社から急速濾過用集水装置の技術導入を受け、上下水処理・汚泥処理装置のプラントメーカーへ参入している。1963年には環境装置類の販売も開始した。一方、本業である碍子では、1965年、500kV変電所用碍子一体製管を開発、翌年、500kV大容量送電線用の高強度懸垂碍子をシリーズ化、日本の超々高圧送電時代に対応する基幹製品となっている。この時期、海外進出の進展も顕著で、後に同社の社名となるNGKブランドを欧米アジアに定着させている。  <自動車向けセラミックス事業の拡大> 次の事業の核は自動車向けセラミックス事業の拡大であった。自動車向けセラミックス事業の拡大は、1964年以降、非碍子製品の中心的な戦略へと進化していくことになる。 1970年、米国で大気浄化法(マスキー法)が成立、自動車の排ガス規制が強まる中、日本碍子は「セラミックス製ハニカム」の開発に着手、1976年にフォード社への納入を成功させている。そして、同年から自動車用セラミックス製品の製造販売を正式に事業化し、以後この分野は収益の柱へと発展していく。 また、1958年に工業生産に成功していたベリリウム銅事業を、1986年に米国にNGK METALSを設立して現地生産を開始した。2002年には世界に先駆けて電力貯蔵用NAS電池(ナトリウム/硫黄電池)を事業化、再生可能エネルギー時代の長時間蓄電用途を狙うようになっている。 このように、日本碍子は、創業以来、碍子を中心とした陶磁器技術の開発からはじまり、高度セラミック事業へ進化、今や、自動車、蓄電器、半導体、環境事業へとビジネスを伸展して総合セラミックス企業に」成長してきている。これらの動き代表するように、2026年、日本碍子は社名をNGKと改め、自動車のほか、半導体製造装置用セラミックス部材をなど柱とするデジタル社会領域への事業転換を図りつつある。 ・参照:日本ガイシ|半導体製造装置用セラミックス部材を柱とするデジタル社会領域への事業構成転換(2021年) | The社史 https://the-shashi.com/tse/5333/decisions/semiconductor-ceramics-pivot-2021/ ❖ 最後に   これまでみてきたように、明治初年の美術商森村組から高級洋食器を製作するノリタケが誕生し、伝統的な職人技の陶器作りから日本でも近代的な製陶業が生まれ、やがて衛生陶器や室内インテリアの東洋陶器(TOTO)、碍子・セラミック事業を進化させ自動車、半導体製作と進んだ日本碍子(NGK)が創成される。また、ノリタケは、その後、日本レジン工業、伊勢電子工業なども次々に分化し発展させていった。こういったノリタケ・グループの展開は、陶磁器造りを軸として伝統産業を近代的なものづくり産業に育て上げ、さらに先端的な総合技術企業に進化させていった企業発展の一つの姿をみせたものといえるだろう。。ここでは触れないが、同じような発展の形を見せた伊奈陶器(INAX)の展開も参考となる事例として挙げられる。  現在、デジタル、AIが社会現象となり、日本でも産業や企業変革の必要が叫ばれる中、これら発展の歴史を振り返るのも有効かもしれない。 この意味でも、上に挙げた「ノリタケ・ミュージアム」「TOTOミュージアム」、NGKの「碍子博物館」、また、別会社である「INAXミュージアム」などの歴史展示や解説は貴重な参考になると思える。 +++++++++++++++ ・参照:ノリタケの森 HP:https://www.noritake.co.jp/mori/look/・参照:クラフトセンター・ノリタケミュージアム: ・参照: https://www.noritake.co.jp/mori/look/museum/・参照:ノリタケ Noritakeの歴史とオールドノリタケ: http://www.noritakeshop.jp/history.html・参照:ノリタケの歩み:https://www.noritake.co.jp/company/about/history/・参照: TOTOミュージアム Web site: http://www.toto.co.jp/museum/・参照:沿革 … Continue 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