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Monthly Archives: August 2026
家電メーカーの創業と盛衰を語る企業博物館Part 2(博物館紹介)
―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみる(続編)ー 本節では、前回の博物紹介に続いて、日立オリジンパーク、OKI「Style Square」、オムロン・コミュニケーションプラザ、立石一真創業記念館(オムロン)、エプソンミュージアム諏訪、TDK歴史みらい館、などを紹介することとする。 ♣ 日立オリジンパーク(日立製作所) 所在地:茨城県日立市大みか町6-19-22HP: https://origin.hitachi.co.jp →「日立オリジンパーク」は2021年に創業の地に開設された日立製作所の企業ミュージアム。敷地内は、「小平記念館」「創業小屋」「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」といった4つの施設で構成されている公開テーマパークとなっている。以前には、日立製作所日立工場の敷地内に「小平記念館」「創業小屋」は設けられていたが、今回、新たに移転して日立市内大みか町により広い公園施設として今回オープンしている。 このうち中心施設「小平記念館」は、1から4までゾーン分けがなされており、Zone 1の「プロローグ」は創業者小平浪平、その志の展示、Zone 2は「日立製作所の社会課題解決への挑戦」、Zone 3は「ヒタチヒューチャーゾーンー・これからの社会課題とともに」、Zone 4は「ギャラリー・日立の挑戦への歴史」となっている。また、別棟の「創業小屋」は、日立の創業の基となった「日立鉱山工作課修理工場」の復元展示であり、小平が苦心して5馬力誘導電動機を制作した現場が再現されている。 そのほか、パークの敷地内には「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」があり、一般に開放・利用ができる形になっており、地域貢献を促す施設としての側面をもっているのが特色。 <創業小屋と小平記念館に示された小平浪平と日立製作所の系譜> これら記念館の展示を参照しつつ、技術者小平がたどった技術者・事業家としての生き方、そして、日立製作所の発展の足跡を探ってみた。 小波浪平は、東京帝国大学の電気工学科を卒業、藤田組小阪鉱山に電気主任として入社、発電所づくりに関わる仕事に関わる。しかし、当時、日本の電機機械がほとんど外国技術に頼っていることに失望、なんとか国産技術による開発を果たしたいとの志を強く持つよになる。 これを後押ししたのが、学生時代の友人渋沢元治(渋沢栄一の甥)であったという。その後、彼は東京電灯の送電課に移ったが、電機機械開発に取り組む夢を持ち、1906年(明治39年)明治の実業家久原房之助の経営する日立鉱山に移る。この日立鉱山では、中里・町屋・石岡の発電所建設、電動機・変圧器、電気機械の修理を行いつつ、久原の後押しも得て国産電動機の開発に取り組む。この丸太仕立ての掘立小屋で完成させたのが、国産初の5馬力モーターであった。この作業場が、「日立製作所」発展の基となった「日立鉱山工作課修理工場」(後に創業小屋として復元)である。 <日立製作所事業の進展と独立> 発足したばかりの小平の製作所は、当初、多くのトラブルに見回れる危機も経験するが、小平は、これらを一つ一つ克服しつつ国産機械の開発と改良を進めていく。そして、1911年、この製作所が「久原鉱業所日立製作所」となり独立を果たす。当時に進められた技術の試行錯誤、旺盛な技術挑戦、実技指向が、今日、「技術の日立」の企業文化に生かされた評価されるにいたっている。この初期の開発成果としてあげられているのが、「製造番号1」の275馬力誘導電動機、250kVA水車発電機の回転子、10000馬力フランシス水車ランナーなどである。これらは、日立の初期の技術的挑戦を裏付ける製品群として設計図と共に、「記念館」に展示されている。 そして、この製作所は、1922年、久原鉱業から独立して「株式会社日立製作所」と発展していく。そこで、小平は、大型電気機関車(1926)、150馬力電車モートル(1928)、水電解槽設備(1931)、エレベーターの製作(1933)、電気冷蔵庫第一号機(1934)などの製作を果たし、先進的な電機総合メーカーとしての地歩を築いていった。記念館では、これらの軌跡を日立製作所の年譜として、パネルで図面、写真、映像、実物などでわかりやすく解説している。 <戦後の日立製作所復活と発展> しかし、日立は太平洋戦争の末期、米軍による爆撃で設備人材と共に甚大な被害を受けた。日立市の工場は全壊、数百人の死者も出している。この痛ましい状況は記念館の展示でも、鎮魂の記録として丁寧に記録されている。 また、戦後、日立の経営幹部は公職追放を受け、浪平も社長の座を追われることとなる。 しかし、1948年には、早くも主要工場も復活、戦後の復興の過程で民間需要の高まり、高度成長下のインフラ整備ブームで、持ち前の技術力を発揮して、戦前にもました大きな企業発展を遂げる。 この過程は、日立の発展年譜としてダイナミックに内容を伝えている。 <グローバル企業として発展する日立製作所> この軌跡を見ると、1954年 国産第1号の大型ストリップミル完成、1959年 トランジスタ電子計算機「HITAC 301」を開発、1964年 東京モノレール羽田線向け車輌を製造、1970年 世界初の列車運行管理システム、1996年 次世代型列車運行管理システムATOSなど、日本の電機産業の一翼を担ってきたことがわかる。 また、企業経営の面でも、日立電線、日立金属、日立化成、日立建機の分社化など、日立グループの形成に向かうと同時に、海外メーカーとの連携を深め海外展開も積極的に進めている。 これら経過を見ると、日立製作所自身の発展だけでなく、厳しい国際競争の下での電子電気産業における日本メーカーの苦闘の姿をかいまみることができるだろう。 この日立製作所の創業と発展の系譜は、2022年に新たに開設された「日立オリジンパーク」に見事に示されている。 ・参照:日立オリジンパーク(日立市シティプロモーションサイト)https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachi_donnamachi/1007477/1011149/1010610/1004704/1004705.html・参照:日立市の「小平記念館」を訪ねる(アジア日本産業技術博物館フォーラム)https://igsforum.com/hitachi-odaira-m-museum-j/・参照:『日立オリジンパーク』で日立グループの創業の精神や歴史に触れる(茨城キリスト教学園) https://www.icc.ac.jp/edu/news/2022/detail/220627.html・参照:日立オリジンパークがオープン(KAJIMAダイジェスト・鹿島建設 Jan.2022)・参照:https://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2022/hashtag/index.html ++++++++++++++++++++++++ ♣ OKI「Style Square」(沖電気虎ノ門本社ショールーム) 所在地:東京都港区虎ノ門1-7-12 虎ノ門ファーストガーデン2FHP: https://www.oki.com/jp/showroom/virtual/oss/ → 沖電気(OKI)は、1881年(明治14年)に創業した日本で最初の通信機器メーカー。電話機の国産化から始まり、日本の近代通信インフラや情報処理、プリンター事業などを支えながら140年以上の歴史を歩んできている。同社には、「沖電気歴史史料館」といった単独の一般公開施設はないが、本庄工場(埼玉県本庄市)のH1棟内にある展示室や虎ノ門本社にあるショールーム「Style Square」が、歴史的史料や技術の歩みを展示している。また、その歴史的製品はNTT技術史料館 などの外部施設にも貴重な遺産として分散して寄託・展示されているという。 … Continue reading
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