Monthly Archives: July 2026

家電メーカーの創業と盛衰を語る企業博物館(博物館紹介)

     ―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみるー はじめに   戦後日本の高度経済成長と生活革命を牽引したのはテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電気製品の普及と興隆であった。この家電で大きなシェアを占めたのは、戦前から技術を磨き消費需要に敏感であった有力な電気電子メーカーであった。これら企業を生み出していったのは、旺盛な企業家精神と先駆的な技術を持った一連の起業者群である。かれらは市場の動向をみつつ事業を発展させ企業を成長させていった。ここでは、これら創業者の姿と事業の取り組みに着目して紹介してみることとにする。 しかし、日本のエレクトロニクス産業は、ビジネスの上では、80年代にピークを迎えた後、途上国の追い上げとグローバル化と情報技術における急速な展開の洗礼を受け、現在、やや困難な状況にあると思われる。ここでは、これら背景や現況についても触れているが、今日、忘れかけている往事の企業家精神を振り返ってみるのも有益かもしれない。 本サイトで取り上げたのは、パナソニック、旧三洋電機、シャープ、日立、富士通、東芝などの博物館である。なお、ソニーの「ソニー歴史館」は閉館となり、東芝未来館についても閉館となっているが、参考のため、開館当時の展示内容も掲示しておいた。 +++++++++++++++ ♣ パナソニック・ミュージアム(「松下幸之助歴史館」) 所在地:大阪府門真市大字門真1006番地HP: https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/panasonic-museum.html  → このミュージアムは、2018年、パナソニック社100周年を記念した博物館。創業者松下幸之助の経営哲学とパナソニックの「ものづくり精神」に触れることができる博物館として誕生した。ミュージアムは、当初、「松下幸之助歴史館」「ものづくりイズム館」「さくら広場」から構成されていた。このうち「ものづくりイズム館」は2025年に建物の老朽化に伴い閉館、2026年からは、「松下幸之助歴史館」のみの単独運営となっている。 歴史館の展示室では、「学びの杜」として松下電気器具製作所から始まったパナソニックの創業者松下幸之助の経営観や人生観を「礎、創業、命知、苦境、飛躍、打開、経世」の7章に分け、また、創業の家」ライブラリーで詳しく紹介している。以前にあったパナソニックの「ものづくりイズム館」は、、創業以来、製作してきた550点余の歴代製品を展示してきたが、現在、残念ながら閉館となっているが、展示されてきた製品についての扱いは。今後検討とのことである。See: https://www.shoai.jp/panasonic-museum-202510/) <パナソニックの創業と松下幸之助>  創業者松下幸之助は和歌山で1894年(明治27年)に生まれ、少年時代は貧しい中で育った。9歳で大阪の商家に丁稚奉公に出て苦労するが、その時、商売人としての心得を身につけたといわれる。大阪市電を見た幸之助は、電気事業の将来を予感し1913年に商家を飛び出し「大阪電燈」に入って内線係見習工になった。そこで、4年後には技術を認められ工事担当者を経て検査員に昇進、一方、「改良ソケット」を自作して会社に示すが、認められず苦杯を飲む。これをみた幸之助は独立を決心、わずかな手元資金で生活していた借家に工場スペースを作り、ソケットの製作販売をはじめる。  しかし、何とか完成した改良ソケットだった売れ行きは散々であった。進退きわまった時、1917年12月、扇風機メーカー川北電気が、扇風機碍盤の試作品を幸之助の工場に注文、これが納品に成功、年間1000枚の注文を受けた。これを好機とし、幸之助は、1918年、「松下電気器具製作所」を設立して念願の電気器具製造・販売に本格的に着手する。これが松下電気・ナショナル・パナソニックの基となる創業となった。2階建ての借家の階下3室を改造した作業場に小型のプレス機2台、人手は自分を含めて家族3人という家族零細企業であった。そこで、「アタッチメントプラグ」「二灯用差し込みプラグ」をはじめとして、便利で安い配線器具を次々と生み出し、会社の基礎を築いていく。そして、創業からわずか4年余り、50名の従業員を擁し、十数種類もの製品を全国に販売先を持つ中堅企業に育っていった。 そして、1923年には自転車「砲弾型ランプ」を生みだし、1927年、「角型ランプ」(ナショナルランプ)を発売して大成功を収める。そして、この時期から新商品のブランド名を「ナショナル」とした。1927年、電熱器分野へ進出し「スーパーアイロン」を発売、続いて、電気コタツの開発に取り組みサーモスタットを使用した電気コタツを開発、1930年にはラジオの1号機を発売している。  一方、「歩一会々誌」を創刊するなど社内の参加意識の昂揚と相互理解を図をめざす松下幸之助流の社内経営改革も進めている。事業を製品群別に「事業部」に分け、その一つひとつを独立した事業体として経営する方式をはじめたのもこの時期であった。 その後、一時戦時体制に組み込まれた松下電気であったが、終戦を迎えるといち早く民需生産に転換し生産を再開している。また、戦後の特需に後押しされた松下は急速に業績を拡大している。こういった中、幸之助は世界的規模で事業を見直そうと米欧を視察、オランダのフィリップス社を選んで提携を図る。この結果誕生したのが「松下電子工業株式会社」(1952年)で、その後、松下商品の品質を支える電子管や半導体を生み出す母体となっていった。  また、神武景気の好況を一つの契機に、爆発的な家庭電化ブームが起こり、新しい電化製品が次々と登場。1956年ごろには白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫は、「三種の神器」と呼ばれて人々のあこがれの的となった。この家庭電化時代の到来をいち早く予測したパナソニックは、ラジオ、蛍光灯に続く本格的な電化製品として、1951年、洗濯機の生産販売を開始。発売当初は価格も高く、台数も出なかったが、量産によって価格を下げ、1955年には月産5000台を越えた。こうして、いち早く”世界” をめざした幸之助の志の高さは高度成長の波に乗って「家電の松下」の世評を揺るぎないものになっていった。こうした中、1961年、会長に退いた幸之助は、活動拠点を京都の別邸「真々庵」に移し、会社運営の日常業務から離れることになる。幾度もの困難を克服し、経営者としてまれに見る成功を収めてきた松下幸之助は、いつしか世間は「経営の神様」とも呼ぶようになっていたという。   その後の松下は、高度成長駆け抜け、石油ショック後の不況を乗り越え、日本の世界的な電気メーカーとして位置づけられるに至っている。その象徴が、2008年に社名を「パナソニック」改め、あわせてブランドを全世界でPanasonicに統一したことにも現れている。また、創業100周年となる3月には、大阪・門真市に「パナソニックミュージアム」をオープンしている。 ・参照:松下幸之助物語 – パナソニックグループの歴史 – パナソニック ホールディングス https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/founders-story.html・参照:松下幸之助「使命があればこそ」――パナソニックの歴史ものがたり Episode 08 | ブランド | 企業・経営 | Panasonic Stories | Panasonic Newsroom Japan : パナソニック ニュースルーム ジャパンhttps://news.panasonic.com/jp/stories/18521・参照パナソニックミュージアム … Continue reading

Posted in Uncategorized | Leave a comment