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蒔絵と漆工芸の博物館(博物館紹介)

   ― 千年の歴史を持つ日本の伝統工芸品の美と匠をみるー (現在作業中) はじめに   漆工芸は、ウルシの木の樹液を塗料や接着剤として用い、木や竹などの器物に塗り重ねて装飾を施す伝統工芸の一つで、高品質な工芸品は“Japan”とも呼ばれ、代表的な日本の工芸品となっている。漆は古い時代より堅牢性、耐久性や加飾のしやすさにから日常使われる食器や重箱などの漆器から、建物や仏像、芸術品に至るまで広く用いられてきた歴史がある。また、漆器は、素地、塗り、加飾といった工程で作られる長い時間をかけて漆工芸で、特に美しい蒔絵、螺鈿、沈金などは非常に価値の高い美術品として取り扱いされている。漆工芸は地場の伝統産業として各地で発達してきており、北の津軽塗から、漆液産地で作られる浄法寺塗、輪島塗、鎌倉時代に起源を持つ鎌倉彫、華やかな加賀蒔絵が有名な金沢漆器、木目の美しい飛騨春慶塗、伝統的な美術蒔絵が風格ある京漆器、良質な漆の越前漆器などが特に有名である。 ここでは、これら各地の漆工芸を前提にしつつ、日本の代表的な漆工芸に関する博物館・美術館などを紹介してみようと思う。 ++++++++ ♣ 蒔絵博物館(インターネットミュージアム) ・高尾曜のホームページHP: https://makie-museum.com/index.html  → インターネットで作品を紹介するバーチャル博物館。 漆工芸の研究者高尾曜が開設したミュージアムである。ウェッブ上に蒔絵概説史、蒔絵師の伝記、蒔絵作品の展示、用語集などを載せていて漆工芸・蒔絵の総合解説集となっている。展示では、漆工芸が最も盛んだった江戸時代を中心に、蒔絵の名工達の事歴と作品群が産地を含めて詳しく紹介している。  このうち蒔絵概略史は、時代別の作者と作品解説がなされており、蒔絵発達の歴史をみるには役立つ資料となっている。これによれば、安土・桃山時代に秀吉など天下人の好みでより派手な蒔絵が好まれ寺社などの建築に豪壮華麗な蒔絵が施されたこと、江戸時代初期には江戸城本丸に「御細工所」も創設され、金沢でも加賀前田家で加賀蒔絵の礎が築かれたこと、江戸中期には尾形光琳や山本春正が活躍したこと、後期には 将軍や家族の道具類、子女の婚礼調度に蒔絵が多く用いられて古満寛哉や 原羊遊斎など名工が生まれたこと、幕末には中山胡民や 柴田是真、 京都では山本利兵衛や 佐野長寛などが活躍したこと、明治になると工芸品は外貨獲得の有効な手段と位置づけられて蒔絵は重要な輸出品目と位置づけられ、また、 蒔絵師も万国博覧会や 内国勧業博覧会向けの作品を作るようになり輸出商社もできてくる。明治23年には「日本漆工会」も設立され展覧会も開催されるようになる。この期には、東京では池田泰真、川之邊一朝、植松抱民、京都では山本光利、富田幸七などが名工として知られるようになったという。また、当インターネット博物館で歴史的な蒔絵作品も数多く「作品展示」で紹介されている。  これら漆工芸と蒔絵の歴史と作者の紹介がなされているのは、この蒔絵博物館ならではの特色といえるだろう。 See: 蒔絵博物館/蒔絵概略史https://makie-museum.com/history.htmlSee: 蒔絵博物館/蒔絵師伝記https://makie-museum.com/makieshi.htmlSee: 蒔絵博物館/作品展示室https://makie-museum.com/sakuhin.html ++++++++++++++++++ ♣ 石川県輪島漆芸美術館 所在地:石川県輪島市水守町四十苅11番地 Tel.0768-22-9788HP: https://www.art.city.wajima.ishikawa.jp/about  → 輪島漆芸美術館は日本を代表する伝統工芸「輪島塗」漆芸専門の美術館。輪島市と輪島漆器商工業協同組合が運営主体となり1991年に開設された。漆芸品及び漆文化に関する調査研究、資料収集、保管展示を行って総合的な漆文化の発信を目指している。館内の常設展では「輪島塗の技と歴史」をテーマに、近世から現代にいたる歴史的な輪島塗作品が展示しており、輪島塗の技と歴史が製作道具や映像でわかりやすく紹介されている。また、人間国宝など著名な漆芸作家の漆工芸品、日本と世界の各種漆器なども身近にみることができる。  ちなみに、輪島塗は能登半島の輪島地域で生産される伝統工芸漆器を指し、特色としては、木地に生漆と米糊を混ぜた布を貼って補強(布着せ)、焼成珪藻土を混ぜた下地を何層にも施した「丈夫さ」に重きをおいた漆器とされる。起源については、室町時代に根来寺の僧が伝えたという説、戦国時代に豊臣秀吉の兵火より逃れた根来寺の僧が伝えたという説など様々な説がある。しかし、それ以前にも、能登半島の「三引遺跡」(七尾市)から6800年前の漆製品が発見されており、輪島では平安時代の遺構である「屋谷B遺跡」でも漆製品が発掘された記録がある。また、輪島市河井町の重蔵神社旧本殿の朱塗扉(室町時代の1524年作)が現存する最古の輪島塗のものとされている。 現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代前期の寛文年間(1630年頃)と伝えられている。さらに、江戸時代の中期にかけて、現在の工程とほとんど同様の工程となり、広く普及して日常用品として使われるようになった。  明治になると、輪島塗は国内勧業博覧会などで地産品として広く紹介され、輸出品としても珍重された。また、国内市場では、堅牢な実用品として椀や箸、装飾箱など用いられていることが多くなる。そして、輪島塗は、1975年に国の伝統工芸品指定を受けると芸術的な意味合いも付加されるようになり、現在では、優美で少し高級志向のある漆工芸品として市場価値を高める傾向にある。しかし、2024年1月に発生した能登半島地震により、工房や店舗が大きな被害を受け、生産の再開が困難となっている。また、輪島朝市周辺の火災により、12の事業所が焼失し材料や道具を失った事業者が多くなっている。当漆芸美術館も大きな被害を受けた。 ・参照:石川県輪島漆芸美術館 – Wikipedia・参照:日本の漆器 – Wikipedia・参照:輪島塗の特徴 や歴史(KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/wajimanuri/ ++++++++++++++++ ♣ 輪島塗会館 所在地:石川県輪島市河井町24-55  Tel. 0768-22-2155HP: … Continue reading

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家庭用清浄用品と化粧品の資料館(博物館紹介)

ー 快適な家庭生活を支える清浄文化と美容技術の歴史をみるー はじめに   石鹸や洗剤、美容用品などの家庭用衛生・清浄用品は、最も身近な生活産業として、明治以降、大きく発展してきたもので、この過程で多くの企業が生まれ成長してきた。ここでは、これら企業の運営する博物館を紹介すると共に、その中で示された歴史的な「洗浄文化」や、人々の衛生観念・美容の移り変わり、化学の発展による新しい製品の開発過程をみていくことにした。紹介するのは、洗剤などの花王、ライオン、清掃のダスキン、資生堂、ポーラなどの企業博物館となっている。 ++++++ (家庭用清浄用品の博物館) ♣ 花王ミュージアム 所在地:東京都墨田区文花2-1-3 TEL:03-5630-9004HP: https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/kao-museum/  → 花王ミュージアムは、洗剤や化粧品など化学品を製造する有力メーカーの花王が提供する企業博物館。創業以来、花王は「清浄」の実現をモットーに製品作りに励んできているが、この目標追求のため、生活の衛生と清潔をテーマとする各種歴史資料を収集してきた。花王ミュージアムこれらの収集結果を一般に公開、展示するため2007年に設立された博物館である。当初、花王のすみだ事業場内に『花王「清潔と生活」小博物館』(1990年)であったが、これをリニューアルする形で開館している。開館の趣旨は「人と暮らしを支える“清浄文化”と花王の“よきモノづくり”の精神をひもとくミュージアム」であった。  展示では、花王創業者たちによる「清浄文化」の普及を目指したメッセージや今日までの事業活動の歴史、これまでの歴代製品などを幅広く紹介している。ただ、現在、リニューアル工事のため休館となっており、2027年にリニューアルオープンの予定という。 この花王ミュージアムには3つのゾーンがあり、一つ目は「清浄文化史ゾーン」、二番目は「花王の歴史」、三番目は、花王の今と未来を紹介する「コミュニケーションプラザ」である。 なお、同じ花王のミュージアムとして、花王和歌山事業所内には、製品紹介とエコ・環境をテーマにした「花王エコラボミュージアム」がある。 +++++    第一の「清浄文化史ゾーン」では、人類の歴史の中で清浄文化がどのように誕生したか、日本史の中で清浄文化がどんな発展をとげたかを紹介するコーナー。例えば、古代メソポタミア文明の記録や収蔵品から、当時の人類がすでに石鹸(せっけん)を有していたこと、ローマでカラカラ浴場など浴場施設が建設され、市民が体を清潔に保ち入浴を楽しむ文化があったこと、日本では江戸時代に銭湯があり庶民の間で利用されていたこと、また、中世以前から洗たくや洗顔に天然の洗浄料「ムクロジ」や「サイカチ」という植物が使われ、台所で出る灰に水を通して自家製の洗濯液が作られていたことなどを展示で紹介している。  二番目の「花王の歴史ゾーン」は花王の創業から現在に至るまでの企業歴史を紹介するコーナー。歴史のトピックスを通じて花王の企業理念や商品開発の考え方を伝えている。(これについては次に紹介)第三は、コミュニケーションプラザ・「花王の今と未来」というテーマで、花王の最新の活動、よりよい未来のための活動について紹介するゾーン。これまでの花王が作り上げてきた過去の製品からはじめて、現在、そして未来の社会につなげる花王の研究・商品開発のありよう展示を通じて紹介している。例えば、環境問題への対応として、“廃PET”を有効活用、アスファルト舗装を高耐久化する改質剤「ニュートラック」などの開発を紹介している。これはアスファルトに約1%添加するだけで、従来のアスファルトの何倍も耐久性が上がるという開発であり、わだち(轍)になりやいアスファルトの補修役立ち使用頻度も低減することができるとされる。また、漂白アクチベート技術、サニタリー製品用「立体凹凸表面シート」なども「花王技術図鑑」で紹介されている。 <ミュージアム展示に見る花王の創業と発展>   花王の源流は、1887(明治20)年、長瀬富郎が上京して日本橋馬喰町で、せっけんや歯磨き粉など日用品を扱う「長瀬商店」を創業したことにはじまるとされる。当時の“せっけん”といえば、高価で高品質な舶来品か、安価で粗悪な国産品しかなかったが、長瀬は手の届きやすい価格で良質な国産せっけんを作ることを目指し、1890年に試行錯誤を重ねながら「花王石鹸」を完成して発売に成功する。これが基礎となり、健康・清涼衛生用品メーカー花王の姿をつくっていくことになった。売り出した「花王石鹸」は、説明書きと品質保証書で包み、桐の箱に収めるなど高品質なせっけんだということを印象付けたという。また、長瀬は「花王石鹸」のほかに、より安価な日用品として化粧水「二八水(にはちすい)」、歯みがき粉「寿考散」も発売して成功している。   しかし、創業者長瀬富郎は事業半ばの48歳若さで亡くなってしまう。これを引き継いだのが息子の二代目の長瀬富郎。1927年、社長になった富郎は、社会的使命を果たしながら社業を拡大することを目指し、「花王石鹸」ブランドを大きく刷新する変革者となっていく。富郎は、社長就任後すぐに欧米を視察してせっけんの製造方法の近代化を図ると同時に、最新設備を導入するなどして改良を重ね、1931年、新装「花王石鹸」を発売。より高品質で低価格、斬新なデザインを採用することで一般家庭にも一気に広げていくことに成功する。   また、発売前に新聞の1面に広告を掲載するなど広告宣伝手法にも工夫を加えることで、「新装花王石鹸」は大ヒット商品となり、花王の石鹸事業は大きく前進することになる。      さらに、花王は、1934年に「家事科学研究所」を設立、家事全般を科学的に見直すべく生活者の視点に立ったモノづくりの姿勢を目指す。 研究所は、一般消費者向けに講習会などを開催、家事に関する情報や知識を提供するとともに、一般家庭を訪問して家事の実態を分析して商品開発に活かしている。 <石けんを超えて>  花王は、「花王石鹸」の登場から90年後の1980年には、ペースト状の洗顔料「ビオレ」を発売して新領域を開く。石けんから始まった花王であるが、自ら脱石けんを目指し多様化を進める画期的なものでもあった。1985年には社名も「花王石鹸」から「花王」に変更している。これを契機に、花王は技術革新によって、新しい生活習慣を提案する商品を多数誕生させている。例えば、1970年にはヘアシャンプーの「メリット」、1978年の生理用品「ロリエ」、1982年の化粧品「ソフィーナ」、1983年のおむつ「メリーズ」、1987年には洗剤をコンパクト化した「アタック」、1994年の床掃除の新スタイル「クイックルワイパー 」など、生活にニーズにあった製品を次々に生み出している。  そして更に進んで、現在は、化粧品、スキンケア、ヒューマンヘルスケア、エコ技術を生かした水性インクジェット用インク、特殊増粘剤などの先進的なケミカル製品を製作する企業へと幅を広げている。 これら躍進の系譜は、花王ミュージアムの展示で詳細に確認できる。 ・参照:花王 | 会社の歴史https://www.kao.com/jp/corporate/history/company-history/・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 花王石鹸の歩み 石鹸のきた道https://www.kao.co.jp/white/history/01/・参照:始まりはたった一個の石けんー花王のよきモノづくりの系譜― https://www.kao.com/jp/kaonokao/openthekao/vol1/2/・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 「クリームみたいな泡」の違いと秘密 https://www.kao.co.jp/white/feature/01/花王ミュージアムが伝える“清浄”の文化史と“正道”の志(電通報)https://dentsu-ho.com/articles/8784花王の顔|花王技術図鑑 https://www.kao.com/jp/kaonokao/zukan/ +++++++++ <参考> ❖ ナプキンミュージアム「ロリエ」   → 花王ロリエの「ナプキンミュージアム」は常設施設ではなく、2024年9月に開催された1日限りの限定イベント。そのため、現在物理的に訪問できる場所は存在しない。過去の歴史展示は、ロリエ公式サイトの歴史ページで見ることができる。 See: https://www.kao.co.jp/laurier/history/Continue reading

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家具・インテリアの博物資料館(博物館紹介)

(現在作業中)   ー家と社会を豊かにする生活文化材インテリアの歴史と技術をさぐるー ❖ はじめに  家具は家の内外で生活を支える日用財であり使い勝手と見栄え重視され、その製作は日本の伝統的な木材加工産業の一つとして発展してきた。また、インテリアは室内の環境を整える装飾財であり、近年特に注目される産業分野となっている。これら家具やインテリア製作ではデザインや機能が重視され、工芸的な要素と工業的な側面を併せ持つ複合的な産業として発展が図られてきた。 これらを踏まえ、今回は家具とインテリア関連産業の博物館を、産業の歴史、技術、伝統、製作過程などに注目して紹介してみることにした。これらは日本の伝統工芸、地場産業の近代化を見る上でも貴重であるように思える。 ++++++++++ ♣ 東リインテリア歴史館 所在地:兵庫県伊丹市東有岡5丁目125番地 Tel. 06-6494-6622HP: https://www.toli.co.jp/museum/  → 1919年に創業した住宅建材メーカー東リ((TOLI Corporation)旧東洋リノリユーム)の企業歴史館。1920年に本館事務所として建設した木造2階建ての建物を転用して2019年に開館している。この東洋リノリユームは日本で初めてリノリウム床材を製造した会社で、内装材のトップメーカー。ビニール床材やカーペット、カーテン、壁紙などを手掛けている。この歴史館では、創業当時から現在に至るまでの企業発展の歴史、製造商品や建築材の技術展開、インテリア産業の歩みなどを時代背景と共に紹介している。展示品では、国内初のリノリウム現物や創業時の製品、貴重なカタログ、ビニール系床材、カーペット、床材・壁紙の技術や歴史的な資料が見られる。なお、歴史館の建物は大正モダニズム期から現存する貴重な建築として国の登録有形文化財に指定されている。  歴史館では、館内のサイト東リ百年の歩み(創業百年記念サイト)に同社の創業やその後の発展、開発した商品群などを詳しく紹介している。 <東リの創業と発展>  これをみると、創業者は寺西福吉という事業家で、1887年(明治20年)、稲わらを応用して床敷物「平織織物」(由多加織)を完成させたのが起業のはじまりである。そして、1891年に寺西由多加織合名会社を設立、兵庫県伊丹で「由多加織」製造工場を建設して事業の基礎を固めた。その後、床材の需要が増す中、1919年に寺西の企業活動を引継ぎ、寺西福吉を含む山口財閥の関係者が発起人となって日本初の国産リノリウム(床材)を製造販売する新会社「東洋リノリユーム」が設立された。これが東リの創業につながっている。ちなみに、リノリウム (linoleum) は、亜麻仁油(あまにゆ)などの乾性油を加熱酸化させたものに、コルク粉や顔料ほかを混入し麻布に圧着して作る床仕上材で、当時、この製品は外国産に限られていた。  このリノリユーム事業は市場の拡大を受け、創業から4年半の1923年には黒字に転換し、先進国並みの製品を生産できるようになる。1923年には常務取締役の山口半兵衛が海軍省や海軍工場での売り込みに成功している。   <東リ事業の躍進>    昭和期に入ると海軍の買い上げ量は拡大、事業は順調に発展していく。その後は、軍関係だけでなく家庭・住宅用、列車や船舶などの業務用にも幅広く利用されル用になる。戦後、リノリュームがビニルタイルなどに取って代わられるのに伴い、東洋リノリユームは、カーペット、壁紙、カーテンなどの家庭用インテリア製品の製造に転換し、1970年代にはリノリユーム生産から撤退している。そして、1991年には社名を「東リ」に変更している。2006年、三菱レイヨンからカーペット製造事業を譲り受け、タイルカーペット市場のシェア過半数を取得する。2011年には、アメリカのカーペット団体CRIが推進する環境ラベル「グリーンラベルプラス」を日本企業としては初めて取得した。 これらを受け、2019年には、成長の証として東リインテリア歴史館を本社敷地内に開設している。現在、東リは『創業百年』(2019年)という大きな節目を迎え、長期ビジョン〈TOLI VISION 2030〉“ライフスタイルをデザインする企業へ”を掲げて、「カーペット」「壁紙」「カーテン」の4分野を中心に、様々な機能やデザインを追求するインテリア事業の一大総合メーカーとなっている。 ・参照:東リ会社概要 https://www.toli.co.jp/company/company_outline.html・参照:百年の歩み | 東リ創業百年記念サイト)https://www.toli.co.jp/100th/history/・参照:東リ会社紹介:https://pdf.irpocket.com/C7971/xivA/JJNj/MaZm.pdf・参照:東リ – Wikipedia ++++++++++++++++++ ♣ INAXライブミュージアム 所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130 Tel. 0569-34-8282HP: https://livingculture.lixil.com/ilm/   → 住宅設備機器・建材などの総合メーカーINAXが運営するインテリアの文化施設。同ミュージアムはINAX発祥の地で日本六古窯の一つに数えられる“やきものの街”愛知県常滑市に開設されている。施設内は、「窯のある広場・資料館」「世界のタイル博物館」「トイレの文化館」「建築陶器のはじまり館」「土・どろんこ館」「陶楽工房」「やきもの工房」の7館から成り、土とやきものの歴史や文化、美しさや楽しさを伝える活動を展開している。  このうち、「窯のある広場・資料館」では、大正時代に建造された土管工場の大きな窯と建屋、煙突を保存・公開、大正から昭和40年代にかけて隆盛した常滑の土管産業の様子を今に伝えている。「トイレの文化館」では、日本のトイレ発展を昔の木製や陶磁器製の非水洗便器から水洗化を経て発展して空間としても充実してきた様子を紹介。「世界のタイル博物館」は紀元前から近代までの世界の装飾タイル7000点以上を収蔵、タイルの魅力を伝えるタイルの専門博物館。「建築陶器のはじまり館」は、大正から昭和初期に次々と建てられた近代住宅の外壁を飾った「建築陶器」と呼ばれる芸術性の高いやきもの製のタイルとテラコッタ展示。「土・どろんこ館」では、やきものの原料である土の展示や体験教室を開催、「陶楽工房」では陶を使った豊富なメニューで“ものづくり”を楽しむ体験教室を開催している。これら各々が、土とやきものの歴史や文化、ものづくりと人々の生活をつなぐ展示と体験の場を提供する建築、インテリアの総合情報博物館となっている。 ・参照:https://dailyblogigs.com/2024/10/04/semento-to-renga-m-jj/・参照:INAXライブミュージアム: コレクションデータベースhttps://jmapps.ne.jp/ilm/・参照:知識・研究・学ぶ(INAXライブミュージアム) https://livingculture.lixil.com/ilm/learn/knowledge/#knowledge・参照:常滑焼ポータルサイトhttps://www.tokoname-kankou.net/tokonameyaki/ <インテリアの総合メーカーINAXの創業と展開>   INAXの前身である伊奈製陶の起源は、1887年(明治20年)、陶工であった伊奈初之丞が陶管の製造を開始したことがはじまりといわれる。そして、1921年に初之丞は大倉陶園創業者である大倉和親の支援を受けて匿名組合「伊奈製陶所」を創業、陶管(土管)やタイル等の建設用陶器を作り始める。1924年には長男である伊奈長三郎が、森村グループ傘下のタイルメーカーとして伊奈製陶株式会社が成立される。この伊奈製陶は、その後、セントルイスで開催された世界大博覧会に「陶管」を出展して銅賞を受賞、帝国ホテル二代目本館(ライト館)の建築陶器を製作するなどの活躍をとげている。   1985年、伊奈製陶は株式会社イナックス(INAX)に商号変更。2001年には、アルミサッシなどを手掛ける建材メーカー大手のトステムとの経営統合により「INAXトステム・ホールディングス」となり、2011年4月、トステム、新日軽、東洋エクステリア(TOEX)、LIXILと合併し、サンウエーブ工業などを統合して、新会社株式会社LIXILが誕生、現在に至っている。   そして、INAXは同社における製品ブランド名の一つとなった。そして、常滑市のINAX本社は「LIXIL常滑本社」となっている。 … Continue reading

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自動楽器とオルゴールの歴史博物館(博物館紹介)

 ―オルゴールにみるオーディオ楽器の歴史と音楽文化― はじめに   前回は世界の楽器に関する博物館をみたが、今回は自動演奏楽機とオルゴールの博物館について紹介することにする。18世紀にオルゴールが発明される前は奏者が楽器を演奏するのを直接聞くしか音楽を楽しむことが出来なかった。しかし、このオルゴールと蓄音機の普及によってどこでも音楽演奏を聞くことができるようになった。オルゴール機は、元々、寺院の時計台における時報機能を応用する形を進化させたもので、金属片をピンで弾いて演奏音を楽しむ自動音楽機器として発達した。19世紀後半のヨーロッパでは、レストランや酒場で演じるポピュラーなオーディオ機器として重宝され、手軽に音楽を楽しむ文化として広く普及したという。また、オルゴールは、その精緻な構造と共に、美麗な細工や装飾により美術品としても珍重された。しかし、その後、エジソンが発明した蓄音機が実際の演奏を録音するようになると、オルゴールに替わって進歩した自動音楽機器として発展する形となった。一方、オルゴールは、その持つ独自の音色と手軽な小型形状、魅力的な装飾がに直され見直され、人気のあるアイテムとして今でも人々に愛される愛玩品となっている。 さらに、機器としてのオルゴール生産をみると、当初はスイスの時計工業の伝統から始まったものであるが、日本では、諏訪の時計づくりの土壌の中で、その技術を導入する形で高度に発展した。そして、戦後の70年代には世界市場で8割まで占めるまでに成長している。日本における精密工業の受容と発展の系譜がオルゴール製作の中にも生きたといえるだろう。また、日本人のコンパクトな音楽機好みにも促され、各地には、店舗兼ねるものも含めると驚くほどの数のオルゴール・ミュージアムが作られており、観光客などの人気の的になっている。これらオルゴール博物館には、歴史的なオルゴールから現在に至る機能的で美しい音色を放つオルゴールまで数多く収蔵・展示されている。 今回の博物館紹介では、こういった背景を踏まえ、全国にある有力なオルゴール博物館の収蔵・展示の内容を解説すると共に、音楽演奏機器オルゴールの発展の歴史、日本におけるオルゴール産業の展開と企業活動について概観してみる。 <日本にある主要なオルゴール・自動音楽機の博物館> ♣ ミタカ・オルゴール館 所在地;東京都三鷹市上連雀2-2-5 ポリフォニー三鷹3F  Tel. 0422-26-8121HP: https://mitakaorgel.jp/  → 東京三鷹にあるこのミタカ・オルゴール館は、19世紀の各種オルゴールを所蔵・公開し、その音色を解説つきで楽しめる音楽博物館である。展示されているのは。収蔵・展示されているのは古典的なシリンダーオルゴール、ディスクオルゴール、オートマタ(からくり人形楽器)、手回しオルガン、自動演奏楽器、蓄音機しているなど約50台で、そのほとんどが演奏できる状態になっている。そのオルゴールの実際音色や仕組みを体験できる。古典オルゴールは櫛歯を弾いて音を出すという仕組みで、現代のオルゴールと同じだが、デザインも大きさも大きく異なっているのがよくわかる。その仕組みを目と耳で理解し、19世紀の音色を直に味わうことができるのが魅力の一つという。 ・参照:ミタカ・オルゴール館 (| アイエム[インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/17649・参照:ミタカ・オルゴール館 | みたか都市観光協会https://kanko.mitaka.ne.jp/docs/2014102200303/・参照: ミタカ・オルゴール館 (銭湯 & せんべろ 探訪)https://ameblo.jp/legelege1215/entry-12862595956.html +++++++++++++++ ♣ 民音音楽博物館 自動演奏楽器室(オルゴール楽器室) 所在地:東京都新宿区信濃町8番地HP: https://museum.min-on.or.jp/  → 民音音楽博物館は東京・新宿区にある民音文化センターに併設された音楽博物館。この中には貴重な古典ピアノをはじめオルゴール、民族楽器などが展示されていて、実際に演奏も行われており、それぞれ音色を鑑賞できる。この中でも、アンティークなオルゴールの展示と実演もみどころのひとつである。1897年製のディスク型オルゴールのキング・オブ・レジナは大判のディスク(鋼鉄製の円盤)を使った重厚感と迫力の自動演奏が楽しめる。また、コテージ・オーケストリオン(1900年頃)、スストリート・オルゴール「フェアリーテール・オルガン」なども魅力の収蔵品である。 ・参照:生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2026/03/23/ongaku-to-gakki/・参照:歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2015/wm-8320・参照:ストリート・オルガンコレクション(民音音楽博物館) https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_D00006.html・参照:生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2026/03/23/ongaku-to-gakki/ ++++++++++++ ♣ 堀江オルゴール博物館  所在地:兵庫県西宮市苦楽園四番町7-1 Tel. 0798-70-0656HP: http://www.orgel-horie.or.jp/main/  → 堀江オルゴール博物館は、堀江光男氏(又永化工(株)創業者)が世界を周り収集した19世紀から20世紀初頭にかけて製作されたシリンダーオルゴールやディスク型オルゴール、自動演奏楽器を360台余りを収蔵し公開している。展示品のなかには、ロシアのロマノフ王朝の最後の皇帝であったニコライ2世愛用のシリンダーオルゴール、アレクサンドラ皇后のディスクオルゴール、ドイツの城で使用されていたという自動演奏楽器「3台バイオリン」など貴重なものが含まれている。なお、博物館の建物はクラブ化粧品の中山太一氏が建てた太閤閣の跡地を購入し建てられた住宅で、1987年に兵庫住宅100選にも選ばれている貴重な歴史建造物。 ・参照: 蔵出しの逸品 堀江オルゴール博物館 ロシア皇帝夫妻のオルゴール –( YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=TkBKm1FkijQ・参照:堀江オルゴール博物館 – [西宮ペディア]・西宮流) … Continue reading

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生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)

 ―世界と日本の多様な音楽と楽器の姿と歴史を検証するー はじめに  先日東京・信濃町にある民音音楽館を訪ねてきた。ここでは15世紀のチェンバロから現代のピアノまでを展示・演奏してくれるほか世界の多様な民族楽器が展示されており、楽器の豊かさと歴史を感じさせる。今回は、これを機に日本にある音楽と楽器の多様な博物館を紹介してみることにした。日本に非常には沢山の音楽・楽器の博物館があり、音楽文化が深く生活の中に浸透していることがわかる。また、ものづくりの面でも楽器製作は盛んで、浜松を中心とした中部地区にはヤマハやカワイ、ローランドように世界的にも楽器製作と技術が集積している。近年では文化財保存運動の一つとして伝統的な和楽器の制作が職人によって継承され、三味線、尺八、琴制作などが各地で作られるようになっている。 今回、ここでは日本の代表的な楽器博物館、ヤマハ、カワイなどの楽器資料館、大学などの音楽・楽器施設、民族楽器の展示館、音楽家の記念館などを取り上げてみた。 ++++++++++++++++++++++++++++++ ♣ 浜松市楽器博物館 所在地:静岡県浜松市中央区中央3-9-1 Tel. 053-451-1128HP: https://www.gakkihaku.jp/   → 浜松市楽器博物館(楽器博)は、世界中から多様な楽器を収集し体系的に整理して展示している大規模な公立総合楽器博物館。内容的には「世界楽器歴史博物館」ともいえる施設で、ヨーロッパをはじめ、アジア、中東、アフリカ、オセアニアなどに存在する特徴的な楽器類を1500点以上収集・展示し、それぞれの由来、特徴、歴史を詳しく伝えている。視覚的にも華麗なアジアの楽器、歴史のあるヨーロッパの楽器、伝統的な形のアフリカ、オセアニアの楽器などが一堂に集められており、その文化的な多様性を感じさせてくれる。日本の伝統民俗楽器のコレクションも見応えがある。中でも、浜松がピアノ生産で世界一ということもありピアノ展示は豊富で、ヨーロッパの有名な歴史的なピアノ名品のほか、日本で歴代生産されてきた特徴あるピアノが並んでいて、日本のものづくり文化の背景を感じさせてくれる。  展示コーナーは幾つかの地域ゾーンに分かれており、それぞれの特徴的な楽器をそろえて展示している。まず、アジアではインドネシアのガムランはじめ伝統楽器420点、ヨーロッパでは歴史的なピアノ、フルート、ヴァイオリンなど360点、アフリカ、オセアニアでは伝統的な打楽器や弦楽器190点、アメリカでは南米のマリンバなど150点余が展示されている。また、日本ゾーンでは、古来の篳篥、羯鼓、江戸時代の琴、箏、民衆民俗楽器の尺八、三味線、太鼓など200点が解説付きで見られる。また、国産洋楽器ゾーンでは、明治以降、浜松のメーカーが製作してきたオルガン、ピアノ、そして、2010年からは電子楽器セクションが設けられ、シンセサイザー、電子オルガンなど80点が展示に加えられている。  これだけの世界中の楽器が一カ所に集められ、それぞれ比較して観察できるのは非常に珍しいと思われる。 ❖ 浜松の楽器産業の発展と展示―国産洋楽器ゾーンー  最後に、浜松にこれだけ大規模な「世界楽器博物館」が設立されてきたかについても触れる必要があるように思える。浜松は、前に触れたように「音楽のまち」を標榜しているが、ヤマハ、カワイ、ローランドといった楽器メーカーが集中し、かれらが市の文化活動と産業を振興しようとしていることによる。「楽器博物館」その一環で設立されたと考えられる。  この楽器製造の源流は、明治初期にさかのぼる。 ヤマハの創業者山葉寅楠がオルガン造りを志し、苦労の末、国産のオルガンを浜松で製作するようになったことがはじまりとされる。山葉は、1890年、第3回内国勧業博覧会(上野)に出品したオルガンで賞をとった後、「山葉楽器製造所」を設立してオルガン製作開始。そして、1897年、日本楽器製造株式会社となり国産のピアノを製造する。これが現在のヤマハの楽器作りの始まりであった。一方、日本楽器製造所で働いていた河合小市は、1926年、同社を退職、独立して河合楽器研究所を設立、ピアノの製造・販売に乗り出した。現在では、このヤマハとカワイはピアノ部門では世界一の生産を誇っている。この歴史の一端示す製品が、楽器博物館の国産洋楽器ゾーンに示されている。  展示では、足踏み式リードオルガン(日本楽器製造株式会社、明治40年頃製作)、アップライト・ピアノ(日本楽器製造株式会社、明治30年頃製作)、グランド・ピアノ(河合楽器製作、昭和2年頃製作)などが見られる。ここでは足踏み式リードオルガンの製作から始まり、ピアノへ、そして多様な西洋楽器が生産された歴史が確認できる。 ・参照:浜松の「楽器博物館」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-the-hamamatsu-museum-of-musical-instruments-jj/・参照:浜松におけるピアノと楽器産業の発展について(京都造形芸⼤)http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1131/・参照:⾳の起源:https://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/oto/naiyou/kigen.html・参照:Japan Highlights Travel: https://japan-highlightstravel.com/jp/spot/322/・参照:浜松市楽器博物館についてhttp://miki329.ecnet.jp/keitai/gakkihakubutsukan.html +++++++++++++++++ ♣ 民音音楽博物館  所在地:東京都新宿区信濃町8番地HP: https://museum.min-on.or.jp/   → 民音音楽博物館は東京・新宿区にある民音文化センターに併設された音楽博物館。一般財団法人民主音楽協会によって運営されており、貴重な古典ピアノをはじめオルゴール、民族楽器などが展示されている。実際に演奏も行われていて音色を鑑賞できる。この博物館は1974年に設立された「民音音楽資料館」が前身で2003年に民音音楽博物館となった。2022年にはリニューアル、展示室が大幅拡張され現在の姿となった。館内には、古典ピアノ室、自動演奏楽器室、(民族楽器)展示室、音楽ライブラリーがあり、それぞれ特色ある展示を誇っている。ちなみに神戸市にも同じ内容の西日本館がある。  このうち、民音音楽博物館の古典ピアノ室常設展示では、16~19世紀につくられたチェンバロ、フォルテ(古典)ピアノ、モダンピアノのコレクションが豊富。このうちウィーンの名工だったアントン・ワルターによる1795年製のフォルテピアノは、日本で見られるのはこの1台のみという。  また、民族楽器には多様な世界の民族楽器約900点を収蔵。南米のキハーダというロバの下あごの骨か出来た打楽器など多数の珍しい楽器が並んでいる。壺のようなインドの打楽器のガタムやタイの木琴のラナー・エーなどもあり実際に音を鳴らすことができる。  アンティークなオルゴールの展示と実演もみどころのひとつ。なかでも、1897年製のディスク型オルゴールのキング・オブ・レジナが出色で、大判のディスク(鋼鉄製の円盤)を使った重厚感と迫力の自動演奏が楽しめる。また、コテージ・オーケストリオン(1900年頃)、スストリート・オルゴール「フェアリーテール・オルガン」なども魅力の展示である。また、博物館にはライブラリー部門・展示部門を合わせて30万点を超える貴重な音楽資料が所蔵されていて見ることができる。 ・参照:歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2015/wm-8320・参照:ストリート・オルガンコレクション(民音音楽博物館) https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_D00006.html・参照:民音音楽博物館」の歴史~「民音音楽資料館」の発足から~ スペシャルてい談|History of MIN-ON|おすすめコンテンツ(民主音楽協会) https://www.min-on.or.jp/history/history03-03.html・参照: 民音音楽博物館紹介ユーチューブ・See: 民音音楽博物館リニューアルオープンhttps://www.youtube.com/watch?v=JjF6cxJibQg・See:ピサ・チェンバロ | 1580年~1600年頃 イタリア製 | 民音音楽博物館コレクション Vol.1 https://www.youtube.com/watch?v=TC7N_6bYX2w・See:民音音楽博物館コレクション Vol.2 ヨハン・フリッツttps://www.youtube.com/watch?v=b7DieG6_bx4・See:民音音楽博物館コレクション Vol.3 クラシック・オーケストラ ++++++++++++++ ♣ ヤマハ・イノベーションロード 所在地:静岡県浜松市中央区中沢町10番1号 ヤマハ株式会社本社事業所21号館内HP: https://www.yamaha.com/ja/about/experience/innovation-road/  → ヤマハ … Continue reading

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社会のインフラ・水道の博物館(博物館紹介)

  ―近代の社会生活を支える水道建設の意義と歴史を考えるー はじめに    2026年の冬期をみると、東北・北海道、北陸は豪雪、西日本、関東の太平洋側は記録的な少雨となり、30年ぶりの渇水で様々な社会的影響も出ているようだ。「水」のありがたさを改めて感じる昨今である。フォーラムでは、これを機に日本の水道の歴史と社会インフラとしての水道の役割を考えてみた。日本の近代水道の建設は約100年前の明治初期に始まったとされるが、時代が進むにつれて全国各地で水道網が次々に敷かれるようになった。それ以前にも、家康の「江戸上水」など様々な都市配水の試みもなされてきた歴史がある。これらを踏まえ、改めて各地の水道関係の博物館を取り上げ水道の意義と歴史を考えてみることにした。  ひるがえって水道の敷設状況とその記録を確認してみると、各地の自治体・水道事業体で水道の役割と意義を広げるため資料館や記念館を数多く設置してきているのがわかる。また、公益社団法人日本水道協会は「全国の水道記念館:安全でおいしい水道水供給の推進」WEBサイト」を設けてその存在を広報している。ここでは、これらを参照しつつ各地の水道記念館・博物館の様子を紹介してみた。 See: 全国の水道記念館 http://www.jwwa.or.jp/anzen/kinen.html ++++++++++++++++ (首都圏の水道博物館・記念館) ♣ 東京都水道歴史館    ―江戸の上水から明治の近代水道建設までの歴史を伝える博物館― 所在地:東京都文京区本郷二丁目7番地1号HP: https://www.suidorekishi.jp/・参考:「東京都⽔道歴史館」を訪問 https://igsforum.com/visit-tokyo-waterworks-historical-museum-j/  → 東京都水道歴史館は、江戸・東京の水道400年の歴史を紹介する目的で開設した水道歴史館。この施設は、旧淀橋浄水場の「水道参考館」(1898)、「水道記念館」(1884-)を経て、現在の本郷に移され、「歴史館」となったもの。館内には様々な水道に関する歴史資料が展示されており、17世紀の江戸・神田上水、玉川上水の整備の様子、江戸市中の「上水」供給のシステム、明治以降の「近代水道」への進化などが、実物大の模型や歴史資料、発掘された遺構、年表、映像などを通じて詳しく見ることができる。特に、発掘した江戸期の木樋、石樋、井戸桶の展示、明治期の初期水道栓資料や浄化装置の現物展示が見事である。研究者のための図書館も充実している。  以下に「東京都水道歴史館」の展示資料などからみた江戸・東京の水道建設の歴史を紹介してみる。 ❖ 江戸期の水道開発の歴史と技術  世界史の上では紀元前後のローマの水道が有名であるが、日本の本格的な水道の建設は、北条氏康の「小田原早川水道」(1540年代)が初めてといわれる。その後、1590年、江戸に入府した徳川家康は、江戸城下を整えるため、沿岸の埋め立て(日比谷入江)、堀の開削、河川改修に加えて、市中の生活用水を確保するため「上水」開発を積極的に行っている。 当初、小石川に上水路を作り城下に水を供給していたが、これが神田上水に拡張され、江戸初期の浄水供給システムとなった。水の供給は井の頭池を水源とし、これを関口村で堰き止め、水戸藩邸に導入、神田川に架水橋(懸樋)で渡して江戸市中に配水するというものであった。  この神田上水は江戸期を通じて使用されることとなる。この様子は江戸期の浮世絵にも描かれ、現在のお茶の水付近にあった「懸樋」が「歴史館」で模型が展示されている。この「上水」は、地形の高低差をサイフォンの原理で通水するシステムなっていて当時の技術力の高さをよく示しているという。 神田川上水建設の後、江戸の人口増大による需要の増加で新たな水路の確保が求められ、この水源として多摩川が選ばれた。そして、1653年、民間町人・玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が工事の請負を願い出て、「玉川上水」が建設の建設が開始される。これは、江戸から遠く離れた羽村に多摩川の取水口を作り、江戸市中の「四谷木戸」まで、長い43キロを高低差の少ない地形条件の中で遙か開削するというものであった。当時は、工事機材が少なく技術的にも非常に困難な開削工事であったとおもわれる。(この工事記録が歴史館の中には「重要文化財」として展示されている」)  この玉川上水は、神田上水と同じように四谷から、地下水道となり市内のあらゆる場所にも配水された。このネットワークは世界にまれに見る精密さを誇っており、主として地下に埋め込んだ木樋が縦横に張り巡らされていた。また、水路には各所に配水や水質管理所ももうけられていて効率的に運用されていた。市中に地下配水された水は各町内の井戸で汲み上げ共同で使用する形をとっていたようで水道料金も細かく定められていたという。 この多摩川用水は、また、江戸近郊で灌漑用水としても使われ幕府の新田開発にも利用されている。  資料館では、これら江戸時代に実際に使われた「上水」の木樋と配水図、そして、実際の井戸の模型が展示されており、当時の水路建設技術と管理システムの高さを実感できる。こうして生活用水が確保されていたが故に、江戸は百万都市としての機能を維持できていたと考えられる。ロンドンやパリの水道システムはよく知られるが、同時期のヨーロッパにおいても、これだけの水道施設を持っていたのは珍しいといわれている。  ❖ 江戸の上水から近代水道の移行   しかし、江戸時代が終わり、江戸が東京に変わるに従って水道施設も新しい対応を迫られる。「江戸上水」は江戸末期になると木樋の腐朽化が進み、さらに幕府の崩壊で水路管理が不十分となったことから、たびたびコレラの大流行などが発生し、衛生上問題が深刻となってきていた。このため、明治政府は、浄化水準の高く大量に水を供給できる近代水道の建設を急いだ。政府は明治7年水道改正委員会を作り、明治10年(1877)「東京府水道改正設計書」を作成して近代水道システムを建設することを決定する。これは、原水を沈殿、ろ過して鉄管で圧送するというもので、東京近代水道の原形がここにようやく示された。また、東京府は、近代水道創設の検討を進める一方、既存の木樋、上水路の補修を行い、水源汚染の取締りを強化するなどして、飲料水の安全確保に腐心した様子がうかがえる。  この西洋技術を導入した明治期の近代水道建設においては、英国技師のパーマーとハルトンの貢献が大きかったという。設計案は、玉川上水路により多摩川の水を千駄ヶ谷村の浄水工場に導き、沈殿・ろ過した後、麻布及び小石川の給水工場へ送水し、浄水工場に併設された給水工場を含めて3箇所の給水工場からポンプ圧送あるいは自然流下で市内に配水するものであった。 また実施に当たっては、東京市水道改良事務所の技師・中島鋭治によって技術検証がなされ、浄水工場設置場所を淀橋町に、給水工場設置場所を本郷及び芝へとすることで着工された。このような経過から、両外国技師、および中島は、東京の近代水道の最大の貢献者とも称され、資料館には、彼らの肖像とともに、当時の水道地図、使用された鉄製の水道管、水道栓などが、近代水道建設のモニュメント・水道歴史遺産として実物展示してある。施設の給水能力は日量17 万立方メートルでしたが、建設の途中で増強され、完成時には日量24 万立方メートルであったという。 ❖ 首都東京の発展と水道網の整備   しかし、首都となった東京は急速な人口増加が続き、自然流水の利用ではすぐに追いつかなくなる。これらの対策として、「村山貯水池」ダムの建設、境浄水場の施設能力を増強、水道路の拡張が企図される(1911)。拡張に当たっては多くの障害と技術的挑戦があったとされ、資料館の展示では、これらが年代ごとの土木技術進展の詳細な説明と使用した機械器具の実物資料とともに展示されている。 近代水道の整備は、長い目で見ると、1920年代の関東大震災による甚大な被害、続く洪水、また、40年代の太平洋戦争による災害などにより、東京の水道路は時に毀滅的な被害を受けた歴史がある。しかし、これら困難を克服する過程で水利土木技術も進展し、小河内ダムの建設、東村山浄水所の建設、金町浄水場、砧下浄水場の増強など水道網整備が逐次はかられていった。また戦後には、利根川からの取水開始、これにともなう朝霞、三郷など浄水場事業開始、金町浄水場の増強などの後継事業が今も続いている。そして、現在では、現在では日量696 万立方メートルで世界有数の水道に発展している。   この発展の起点となった淀橋浄水場(明治31年(1898)設立)は、1965年に東村山に移転、その跡地は再開発され高層ビルの建ち並ぶ「新宿新都心」に変貌した。東京の都市発展の姿そのものをこの淀橋浄水場跡は象徴している。この記念碑となった淀橋浄水所の建屋の一部が、資料館に現物展示され近代水道建設の歩みを伝えている。 ・参照:東京水道の歴史( 東京水道歴史館)  http://www.suidorekishi.jp/images/about/s_history/s_history.pdf・参照:⽇本国内の⽔道事業の歴史と現状の課題 | ジャパンウォーター https://www.japanwater.co.jp/concession/basic/basic2・参照:伊藤好一「江戸水道の歴史」吉川弘文堂・参照:絵で見る江戸の暮らしー江戸の上下水道 http://bn.shinko-web.jp/recall/000871.html・参照:東京都水道局「水道事業紹介」https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/suidojigyo/gaiyou/rekishi.html・参照:世界と日本の水道・下水道の起源 http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/818/kinensi06.pdf・参照:江戸の六上水 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=江戸の六上水&oldid=54550533 +++++++++++++++++ ♣ 東京都水の科学館 所在地:東京都江東区有明3-1-8HP: https://www.mizunokagaku.jp/   → 「水の科学館」は東京都水道局が運営する水に関する科学館。有明給水所も併設されている。一般の人に水の大切さを知ってもらうために開設されたもの。水道のシステムや役割をわかりやすく学ぶことができる。館では、有明給水所へ案内する「アクア・ツアー」、水の姿を知る「アクア・シアター」、水の秘密を探る「アクア・ラボラトリー」などが用意されている。・参照:東京都水の科学館 – Wikipedia +++++++++++ ♣ 東京都虹の下水道館 … Continue reading

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コンピューターと計算具の博物資料館

    ー資料館にみる計算機器の進化とコンピューターの歴史ー はじめに  人類は文明が成立して以来、社会的営みの一つとしてモノを数え計算するという行為を発展させてきた。当初は、手が“数え”の基準であったが、次第に石や木片などの道具を使うようになり、算木、アパガス、計算尺など数学を応用した器具も作られるようになった。そして、数字を書き記す技法が発展すると手動で操作をおこなう計算器具が生まれている。こうしたことを背景に、機械式計算機は17世紀頃、歯車式計算機の開発がはじまり、19世紀には数学理論化と物理学の発展により真空管による電子式計算機(ENIAC)が発明され、次にトランジスタ・ICによるコンピューター開発と急速に進化している。一方、日本では、長くそろばんが計算用具として使われてきた。機械式計算用具の発展をみると手動式、電動式のものから卓上電子計算機(電卓)、そしてPCへと進化し日常的に広く使われるようになっている。  今回は、これら計算機と計算用具、コンピュータの歴史と技術を扱った博物館を紹介してみた。 ❖ 資料館にみる計算機器・コンピューターの歴史は・・  この計算機器コレクションと展示品の意義・内容について、見学した東京理科大学近代科学資料館展示を参照しつつ解説してみる。 ・参考:https://igsforum.com/visit-rikadai-kagaku-haku/ ・参考:キース・ヒューストン「計算用具の歴史―石、そろばんから電卓までー」(原書房) ・参考:ハーマン・H・ゴールドスタイン「計算機の歴史」(共立出版) <古代からの計算道具・機器>   資料館には、先史時代からの「数える」道具類が数多く陳列されている。この中には、石や木、わらを使って数を数える道具類、古代の「算木」呼ばれる計算道具などがみられる。また、古くから使われた「そろばん」の展示があり、原初期から近代まで広く使われた上下段付きの「そろばん」まで、古今東西のそろばんが数多くそろえてある。中でも、中国のそろばんの歴史を示すものや日本の近代以降広く使われた各種そろばんの展示は見応えがある。これらを見ていると、人類にとって「計算」という作業が文明の形成にとって如何に大切であり、工夫を凝らして道具づくりをしてきたかがよくわかる。 <近世・近代以降の計算機器>   近世以降、開発された計算道具は多種多様であるが、資料館には機械式の計算機と計算尺、アリスモメーターなどが展示されている。この中には、パスカルの計算機パスカリーヌ、17世紀に発明された「ライプニッツ計算機」のレプリカ、ドール・フェルトのコンプとメーター (1887)もみられる。日本では、「和算」に使われた「算木」のほか、そろばんなど近代の計算機器の開発が盛んに行われていたことも展示で示されている。明治以降をみると、西欧の計算機技術が導入されるようになり、日本独自の計算機も生み出されていった。明治36年(1903)、矢部良一が製作した「自働算盤」(「パテント・ヤズ・アリスモメートル」がその第一号となっている。   一方、日本では長い間「そろばん」が最もポプラーな計算器具として使われていたが、1950年代以降になると機械式の計算機も広く使われるようになる。このうち最も広く使われたのが「タイガー式計算機」。資料館の機械式計算機のコーナーには、このタイガー式計算機の歴代モデルが展示してある。そのほか、東芝の20-TC卓上計算機も見える。 また外国モデルの機械式計算機も数多く展示されていて、国ごとの特色がよくわかる構成になっている。このころ電動式の機械計算機も出現しているが、このうち「モンロー式計算機」が有名であった。その頃の値段で数十万円もしたというから非常に高価なものであったとされる。また、日本では、1950年代、カシオがリレースイッチを使った電気式計算機を開発しており、この貴重な初期モデル「 Casio 14-A」も展示してあった。これが日本における電気子式計算機開発の先駆となっている。一方、世界では1940年ごろから、リレー式計算機や真空管方式/トランジスタ方式の電子計算機、つまりコンピュータが開発され始める。  <「計算」に革命を与えた電卓の普及>   1960年代になると、真空管に替わった半導体の技術により電子式の「計算機」、いわゆる「電卓」が普及してくる。このうちでは、国内初の電卓であるシャープの「Compet CS-10」がよく知られる。また、ソニーがソバック(Sobax)を発売している。この頃、東芝やパナソニックなど電気メーカーがオフィス用の卓上型電子計算機も数多く開発してブームになっており、オフィスでの計算業務が急速に機械化されていった。特に、LSIを利用した電卓の発明は小型計算機のコスト削減と軽量化を果たし普及に拍車をかけた。 この先鞭を付けたのはカシオの「カシオミニ」であった。カシオやシャープなどの電気メーカーは計算器具を急速に小型化して価格を引き下げ、「電卓」を「そろばん」に変えて数計算の主役に引き上げていった。このことは展示でもよく示されている。この間、多様な「電卓」が開発されたが、初期の比較的重量のあるものからカードサイズの「電卓」まで、時代の流れにそって、どのように電卓が進化してきたかがよくわかる。 ・参照:電卓(電子式卓上計算機)の歴史(東京理科大学生涯学習センター「コンピュータの歴史」講演資料)dentaku-museum.com/1-exb/special/rikadai/rikadai.html#1・参照:電卓博物館(シャープ) http://www.dentaku-museum.com/calc/calc/1-sharp/1-sharpd/sharpd.html <大型電子計算機コンピュータの展開とPC>  一方、これに並行して急速に発展していったのが大型電子計算機コンピュータ(メインフレーム)である。複雑な科学計算、工学計算には大型のメインフレーム・コンピュータが必須であった。世界で初めてプログラム言語によって計算を行うコンピュータが開発されたのは、1940年代で、1946年にペンシルバニア大学で開発された最初のコンピュータが“ENIAC”である。続いて1949年にプログラム内蔵式コンピュータEDSACが生まれている。 1950年代に入ると商用コンピュータも出現している。  日本においても黎明期のコンピュータはEDSACに倣って作られたもので、1950年代末から1960年代にかけて,日本の大学,国立研究所,コンピュータメーカなどでも研究用に開発も進んでいる。理科大科学資料館では、これら初期のコンピュータの展示はスペースの制約で少ないが、1950年代に真空管を使った富士通のFACOMコンピュータが展示されている。この時代のコンピューターには真空管が使われており、現在に比べると形状も大型で能力も格段に低かった。また、資料館には大阪大学で使っていたという機械式では珍しい航空機開発のための積分計算機の復元モデルも展示されていた。一方、国立科学博物館では、日本で最初に稼働した真空管式計数電子計算機FUJIC(富士フィルム1956年)が展示されている。   一方、1960年代から1970年代にかけての大きな変化は、半導体・トランジスタを使用したオフィス・コンピュータの出現と発展である。このはしりはETL Mark III トランジスタ式計算機(電気試験所1956年)である。海外メーカーであるIBMも勿論、1964年には富士通,沖電気,日本電気が共同で大型コンピュータFONTACを開発、日立製作所では科学技術計算用の大型汎用コンピュータHITAC 5020を1964年開発している。これらの成果や米国との技術提携により,日本のコンピュータメーカーは小型超能力の第3世代のコンピュータ開発に移り、新シリーズを発表している。NECはハネウェルと提携してNEACシリーズ2200を,日立はRCAと提携してHITAC 8000シリーズなどが、その例である。 ・参照:誕生と発展の歴史-コンピュータ博物館(IPDJコンピュータ博物館) https://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/history.html・参照:ETL Mark III トランジスタ式計算機(IPSJコンピュータ博物館)https://museum.ipsj.or.jp/computer/dawn/0011.html <大型コンピュータからパソコンへ>  しかし、コンピュータでは、ムーアの法則にもあるとおり大型からパーソナルコンピュータ(PC)への推移は早かった。資料館には、こういったPC関係の展示は豊富であった。IBMの初期PCからアップルのPCモデル、東芝のダイナブックなどが各種陳列されていて、その普及と発展を見ることができる。(展示写真参照) (注)上記記述は筆者が2019年に訪問した時の展示品レビューであるが、これら展示品の殆どは現在東京理科大学野田キャンパスに移されている。 +++++++++++++++ ♣ 東京理科大学近代科学資料館 所在地:東京都新宿区神楽坂1-3 Tel. … Continue reading

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電気の博物館  Part2 原子力発電施設 (博物館紹介)

  第二部 原子力発電所のもつ社会課題と現状を伝える博物資料館の紹介 はじめに  今年2026年1月、東京電力の柏崎原子力発電所6号機が15年ぶりに再稼働を果たした。また、各地の原発も稼働を求める動きが加速している。現在のように電力需要が急増する中で、やむを得ない選択と受け取られてはいるが、依然として原発安全への懸念と住民の反対も強い上、再稼働に関わる技術上の課題も多い。今回は、こういった原子力発電所問題の現状と課題伝える博物資料館を取り上げてみた。 ちなみに、2011年3月以前には日本には54基の原発があり、日本で使う電力の30%前後を原子力で賄っていたという。しかし。東日本大震災で、東京電力の福島第1原子力発電所が重大事故を起こしたことで、日本における原子力発電の在り方は大きく変わっている。 2013年、政府は原発に対する新規制基準を施行、地震や津波に備え、従来よりも厳しい安全基準をクリアすることを求めた。また、原発が立地する自治体では、再稼働か否かが首長選挙の争点となったり、住民から運転差し止めの訴訟が相次いで提起されたりしている。巨額のコストを掛けて安全対策をしても、再稼働にはいくつものハードルが待ち受けている。  2018年7月時点で新基準にパスして再稼働にこぎ着けているのは、大飯(関西電力)、高浜(関西電力)、玄海(九州電力)、川内(九州電力)、伊方(四国電力)の5発電所の9基。西日本エリアに集中しており、事故を起こした福島第1原発とはタイプが異なる「加圧水型」である。また、福島第1と同じ「沸騰水型」では、柏崎刈羽(東京電力)の6・7号機、東海第2発電所(日本原子力発電)、女川(東北電力)が新基準に合格している。ただ、福島第1と同型であることや、特に東日本では震災の記憶が強く残っていることから、地元住民・自治体の合意を得ることは容易ではなく、再稼働の目途は立っていない。 こういった状況を踏まえ、今回の博物館紹介では現在の原発の稼働状況、課題を示すと共に、各電力会社による原子力発電所の運営する資料館、広報・展示施設を紹介することとする。 ・参照と引用:日本の原子力発電所マップ https://www.nippon.com/ja/features/h00238/     ++++++++++       +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ❖ 現在の原子力発電所の稼働状況 +++++++++++++++++ ♣ 原子力PRセンター「とまりん館」(北海道電力)  所在地:北海道古宇郡泊村大字堀株村古川45番地1 TEL 0135-75-3001 HP: https://www.hepco.co.jp/corporate/nextgeneration/tomarin/index.html   → 北海道電力が1991年に原子力発電への理解と親しみを持ってもらおうと設立した原子力PRセンター(原子力科学博物施設)。センターには「原子力展示」、西積丹の自然や歴史などを紹介する「地域展示」、科学の不思議を体験できる「科学展示」の3コーナーが設けられている。このうち、原子力展示コーナーには、原子力発電への理解を深めるために泊発電所3号機をモデルとした原子炉や蒸気発生器の模型を使って原子炉発電の仕組みが体験コーナー、タッチ式モニターを使った「発電の仕組み」や「安全管理」に関するクイズもある。また、泊発電所に関するバーチャルサイトも設けられていて、リアルに原発の仕組みがわかる構成になっている。(See: https://www.hepco.co.jp/tomari-virtual/index.html) ちなみに、泊原子力発電所は、現在、1号機(1989年6月営業運転開始)、2号機(1991年4月営業運転開始)、3号機(2009年12月営業運転開始)が運転を続けており、その発電設備容量(出力)は207万KWで、北海道の電気の約40%を賄う重要な電源となっている。 ・参照:泊発電所の概要(北海道電力)https://www.hepco.co.jp/energy/atomic/about/index.html・参照:泊発電所バーチャルサイトhttps://www.hepco.co.jp/tomari-virtual/index.html)・参照:泊発電所 – Wikipedia・参照:泊原子力発電所 (泊村公式ホームページ)https://www.vill.tomari.hokkaido.jp/sangyoshigoto/energy/furusato/ene3.html?cat=/sangyoshigoto/energy/furusato/ +++++++++++++++++++ ♣ 女川原子力PRセンターと女川原子力発電所(東北電力)  所在地:宮城県牡鹿郡女川町塚浜字前田123  Tel. 0225-53-3410 HP: https://www.tohoku-epco.co.jp/pr/miyagi/onagawa.html   → 女川原子力PRセンターは、原子力発電のしくみ、発電所安全性の取り組み、放射線やエネルギーなどについて体験的に学ぶ施設として設立された。原子炉1/2模型、バーチャル映像、パネル展示等により原子力発電の様子や女川原子力発電所の役割などを詳しく学ぶことが出来る。 女川原子力発電所は、太平洋に面する三陸海岸の南部、女川湾の南側湾口部の三陸リアス式海岸を見下ろす高台に位置しており、東北電力の保有する原子力発電所としては、最も早い時期に建設された発電所である。東京電力とは電力融通を行い(特に夏)、関東地方の電力需要のバックアップ機能も併せ持っている。原子炉1号機は既に廃炉工程に入っており、3号機を対象にプルサーマル計画の実施も検討されている。 2011年3月の東日本大震災では、震源から最も近く、1号機と3号機が通常運転中、2号機も原子炉起動中であったが、3基とも幸い設計通り自動冷温停止して無事であった。 ・参照:女川原子力発電所(東北電力ホームページ)https://www.tohoku-epco.co.jp/electr/genshi/safety/onagawa/introduction.html・参照:女川原子力発電所 – Wikipedia ++++++++++++++++++++++ ♣ 東通原子力発電所PR館 「トントゥビレッジ」(東北電力)  所在地:青森県下北郡東通村大字小田野沢字見知川山1-809  Tel. 0175-48-2777 HP: https://www.tonttu-village.jp/  →「トントゥビレッジ」は、青森県下北半島にある東通原子力発電所のPR館。原子力発電の仕組みやエネルギーについて学べる施設であるが、観光を兼ねたテーマパークとなっている。館内は展示だけでなく身体が動かせるすべり台や遊べるスペースも設けられている。また、植物の観察や昆虫なども楽しむことが出来、展望室からは発電所や太平洋までもが一望できる。 なお、東通原子力発電所は、東北電力と東京電力ホールディングスの2社が敷地を保有しているが、1号機は2011年の地震以降停止中で安全対策工事中、東京電力の1・2号機は着工後、福島第一原発事故の影響で本格工事を見合わせており現在は稼働していない。 ・参照:東通原子力発電所PR施設“トントゥビレッジ (子供とお出かけ情報「いこーよ」)https://iko-yo.net/facilities/29629・参照:東通原子力発電所 – … Continue reading

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社会のインフラ・電気の博物館 Part1(博物館紹介)

    第一部 電気一般と水力、火力など発電・電力開発の歴史を示す博物館の紹介  ♥ はじめに   電気は産業発展や人々の生活に欠かせない基本的な社会インフラで、動力、照明、家電、情報通信などあらゆる面で現代社会の基盤をなしている。この電気利用の歴史は、明治初期にアーク灯を点灯したことから始まり、東京電灯社の設立で本格的な電力事業が展開され、大正・昭和初期に電灯や電車が普及、戦後の高度経済成長期にテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家電が一般家庭に普及、現代は情報通信技術(IT)と家電の進化で生活に不可欠な存在となっている。今回は、この電気の技術発展と利用形態、電力開発・発電の歴史を示す電気・電力施設の博物館を紹介してみることとした。現在の電力事情、エネルギー問題の将来などを考える上でも参考になるだろう。なお、原子力発電施設(多くはPR施設)については Part2 で扱う。ここでは主要な火力、水力、地熱発電などの博物館施設を紹介している。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (電気一般の博物資料館) ♣ 電気の史料館(東京電力)  (一般見学休止中)  所在地:神奈川県横浜市鶴見区江ヶ崎町4-1HP: https://www.tepco.co.jp/shiryokan/floor/index-j.html・参照:電気の史料館バーチャルツアー|東京電力 https://www.tepco.co.jp/shiryokan/virtualtour/index.html  → 電気の史料館は東京電力の電力関係資料の展示を行う科学館。2011年3月東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故を受けて、東京電力における広報自粛に伴い2011年3月以降、休館中(再開未定)となっている。しかし、2023年からは展示物のYouTube動画の公開、2024年から館内バーチャルツアーを公開しており展示の内容は知ることが出来る。  バーチャルの展示コーナーでは、プロローグに続いて、電気の科学、電力供給の誕生と発展、水力発電と長距離送電、広域供給網の形成、電気と社会、電力ネットワーク、発電所の大容量化、電源の多様化、原子力発電の歩みといった構成になっている。 主な展示物としては、エジソン式直流発電機、皇居正門石橋飾電灯、信濃川発電所立軸フランシス水車発電機、鬼怒川線送電鉄塔(バンザイ鉄塔)、千葉火力発電所1号タービン発電機、20世紀初頭の電気自動車など、庶民の生活用具から、送電線鉄塔や、発電所設備など約700点があり、電気の歴史、社会と電気、電気の科学と技術の発展が実感できる。 庶民の生活用具から、送電線の鉄塔や、発電所のタービンまで様々な電気に関するものが展示されている。 ・参照:電気の史料館 https://ogino.c.ooco.jp/gijutu/eshiryo.htm・参照:電気の史料館 – Wikipedia +++++++++++++++ ♣ 科学技術館(デンキファクトリー) 所在地:東京都千代田区北の丸公園2番1号 HP: https://www.jsf.or.jp/exhibit/floor/3rd/c/  → 科学技術館は現代の科学技術や産業技術について体験しながら学べる参加型の施設として1964年に産業界と連携して設立された博物館。一般市民、特に子どもたちの科学への興味関心を深めることを目的としている。このうち、電気については「デンキファクトリー」コーナーがあり、電気の性質やモーター、発電機の仕組みなどを実際に体験できる。発電・送電・利用の各段階を見える形で体験できる装置、電気の性質や電磁石、スピーカー、アーク放電の様子、エネルギーの大きさを体感できるアトラクションなどを通じて日常生活であたりまえのように使っている電気への理解を深めることが出来る。 ・参照:科学技術館 – Wikipedia・参照:遊びながら学べる「科学技術館」(Concent) https://www.concent-f.jp/energy/column_53 ++++++++ ♣ でんきの科学館(中部電力) 所在地:愛知県名古屋市中区栄二丁目HP: https://www.chuden.co.jp/e-museum/   → 中部電力が運営する電気に関する科学館。 館内には、6つの展示室とシアターがあり、展示室のほか、電気を使った実験も行われている。1986年に完成した「電気文化会館」の1 – 4Fに開館、2006年に開館20周年を迎えリニューアルオープンした。館内には、6つの展示室とシアターがあり、「電気の発見」、サイエンスプラザ、「電気の旅」、地球とエネルギーなどの展示コーナーがある。また、「おもしろ実験」や「サイエンスショー」、「オームシアター」、季節ごとのイベントやサイエンスツアー、「学習ひろば」、「でんき資料室」などが整備されている。 ・参照:でんきの科学館について(中部電力)https://www.chuden.co.jp/e-museum/about/・参照:でんきの科学館―写真と動画(公式(@denkimuseum_official)Instagram https://www.instagram.com/denkimuseum_official/)・参照:でんきの科学館 – Wikipedia ++++++++++++++++++ ♣ 電気通信大学のUECコミュニケーションミュージアム 所在地:東京都調布市調布ケ丘一丁目5番地1HP: https://www.uec.ac.jp/about/facilities/museum.htmlContinue reading

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生活エネルギー・ガスの博物館(博物館紹介)

   ―市民生活のスタイルを変えたガス事業の歴史を語るー  ガス利用の歴史は、18世紀末ヨーロッパでの石炭ガス照明から始まり、日本では1872年(明治5年)横浜でのガス灯点灯が近代化の象徴としてスタートした。その後、ガス熱による調理器具やストーブに利用が拡大(ガスレンジなど)して生活インフラとして定着。そして、ガスそのものも天然ガスやLPガスへの転換を経て、現代の生活に欠かせないエネルギー源へと進化している。家庭用として普及は大正時代で、最初、富裕層の間で利用が進み、岩谷産業が1953年に家庭用LPガスの全国販売を開始したことで、一般家庭にも広く普及するようになった。 今やガスは、調理・給湯・暖房など日常生活に不可欠なエネルギー供給網(インフラ)の一つで、都市ガスとLPガス(プロパンガス)の2種類があり、都市ガスはガス管で、LPガスはボンベで供給され、どこでも誰でも使える利点があり、災害時にも強いという特徴を持っている。近年は環境負荷低減や新エネルギーへの転換も進み注目される燃料源である。  ここでは、このような生活エネルギーの展開を示す、ガス供給の仕組みと歴史を示す博物館を紹介してみる。 +++++++++++++++++ ♣ ガスミュージアム(東京ガス)   所在地:東京都小平市大沼町4-31-25  Tel.042-342-1715HP: https://www.gasmuseum.jp/ ・参考:東京・小平の東京ガス「ガスミュージアム」を訪ねる   https://igsforum.com/visit-gas-museum-in-kodaira-tokyo-j/  → 明治初期、東京に出現した「ガスの街灯」は社会に驚きをもって迎えられた。江戸時代、夜間の灯火といえば暗い行灯か提灯しか知らなかった人々にとって、西欧化・文明開化の「光」と感じたに相違ない。それから150年、ガスは燃料、エネルギー源として、今や日常生活に欠かせないものになっている。  このガスミュージアムは歴史的な赤煉瓦の建物二棟の中に設置されている。一つがガス灯の展示「ガス灯館」、他が多様な家庭用ガス器具、各種ガス設備の展示「くらし館」である。また、屋外の広場には明治期に使われたガス街灯が並べられている。前者には、記念物として明治時代使われた多彩なガス灯が展示され、後者には明治から大正、昭和に使われた様々なガスストーブ、ガス調理器具、そして工業用タービンの見本などの実物が多く展示してある。時代が進むにつれて灯火、家庭暖房・調理の形がどのように変化してきたかを知ることが出来る。産業遺産に指定されているものも多くあり、非常に貴重な産業博物館といえるだろう。 ❖「ガス灯館」の主な展示物   「ガス灯館」展示では、明治の初期に日本で初めて輸入され使用された珍しい「ガス灯照明具」が多数陳列されている。鹿鳴館で飾られた「上向腕ガスランプ」、「英国製分銅伸縮ガスランプ」、花火のようにみえる「花ガス灯」、明治中期の洋館で使われた「壁掛式ガラス製腕ガスランプ」など多数が点灯した姿でみられる。また、19世紀にフランスでつくられた天使像が掲げる大型のガス・シャンデリアも珍しい展示物となっている。明治期に多く描かれたガス灯に関わる「錦絵」もガス灯のもたらした社会的インパクトをよく表している。 ❖「くらし館」の主な展示   明治期に隆盛を極めたガス灯であるが、時代が移ると、次第にエジソン発明になる電灯照明に主役が移っていく。こういった中で、ガス事業は次第に灯火から熱源利用へと変化して行く。この変化を体現させてくれるのが「くらし館」である。ここでは、ガス燃焼器具が日本でどのよう形で受容され、器具の多様化と普及、技術の発展が家庭生活をどのように変化させてきたかが実感できる。  古い時代の器具展示からみると、1902年に登場した日本式の「ガスかまど」、「ガスアイロン」、英国から輸入された「コルンビア二口七輪」(1904)などが貴重な展示。暖房器具では「裸火ガスストーブ」(英国製・1900s)、日本独自の珍しい「ガス火鉢」などある。 時代が進むと、ガス器具はより広く使われるようになり、次第に便利な日用器具へと変化していく。例えば、昭和初期の風呂用の「はやわきガス釜」、家庭用「かに型ストーブ」、「卓上コンロ」など、また、高度成長時代以降になると、各種ガス冷蔵庫、ガス自動炊飯器、ガスストーブ、ガス風呂釜など今日つながる形に変化している様子が展示からわかる。しかし、後から生まれた電気家庭用製品との競合も生じていることも指摘されてていて興味深い。 ❖ 東京ガスの歴史背景とガス事業の発展 <事業体としての東京ガス会社成立と発展>   日本で初めてガス灯設置事業がはじまったのは1872年、横浜で高島嘉右衛門という実業家が手がけたものであるという。(余談だが、この高島は、「高島易断」の創始者でも知られる) その後、1874年銀座にガス街灯が点灯、1876年に東京府瓦斯局が生まれ、これを払い下げることで1885年「東京瓦斯会社」が設立された。明治の社会近代化、産業近代化にとって重要な社会インフラの一つとして認識した渋沢栄一、浅野総一郎らによって創立されたものであった。設立当時の中心はガス灯事業で、英国人アンリ・ブレランという英国技師が設計して東京・金杉橋に工場を作り瓦斯を配送して、京橋、銀座にガス灯をともしたと伝えられる。 <ガスの生産工場の拡大と縮小へ>  ともあれ、東京瓦斯会社は、当時盛んに作られていた瓦斯関連企業、例えば千代田ガスなどを合併しつつ大きく業績を伸ばしていった。しかし、当初、同会社の本業はガス器具の開発ではなく供給網の整備と資源開発であった。東京瓦斯は、都市ガス用にガス源供給のため千住、深川、川崎、豊洲、鶴見など各地にガス工場を作るが、いずれも石炭燃焼によるガス生産方式にとどまっていた。戦後になるとガス精製の原料は石油に替わり、また液化天然ガス(LNG)と変わる時代に直面、これらガス生産工場は次々に閉鎖され新たな対応を迫られる。(「ガスミュージアム」は往事閉鎖された工場ないしは事務所を移設したもので、明治大正時期に建てられた歴史的な建築物である。ちなみに「ガス灯館」は本郷にあった東京ガス本郷出張所(1909年建設)、「くらし館」は千住工場(1912年建設)の赤煉瓦の歴史的建築物であった。)  一方、東京ガス(東京瓦斯会社)のガス器具生産は、明治時代に初のガス器具特許品「ガスかまど」を開発したことからはじまっている。そして、1910年代からガスストーブ、ガス炊飯器、七輪など多様な製品を生み出していった。特に、お米を主食とする日本人に合わせたガス器具開発は画期的であったと伝えられる。(くらし館」参照) しかし、戦後、調理器具、台所用品の主力は次第に電気に代わっていく中、給湯器、ガスコンロ、食洗機は好調であったが、調理器具、台所器具は次第に電気製品にかわっていった。 <生鮮市場となった東京ガス工場跡地>  こういった中、ガス生産には、都市ガス普及以来、80年以上にわたって石炭を燃焼して精製していたが、燃料は石油に変わり、またLPGとして直接海外から輸入されるようになった1990年代、次々とガス生産工場は閉鎖されていく。東京ガスでも、主力ガス工場の一つであった豊洲工場は1997年に閉鎖され、工場を含む広いエリアは東京湾ウオーターフロント・臨海副都心として東京都へ売却され移管されていった。そして、2000年代になると、狭隘となった東京築地市場の移転先に決まり、2019年には都の手で新たな豊洲市場としてオープンしている。 現在は、この広大な跡地は、市場のほか緑の公園、商業施設などが整備されて新都市景観をなしている。また、地域内に「ガスってなーに」という子供向けの科学博物館が建てられ、僅かに東京ガスの跡地であったことを示している。 ・参照:Gas Museum (Tokyo Gas) HP:  https://www.gasmuseum.jp/・参照:東京ガスの歴史:https://www.gasmuseum.jp/about/history/・参照:「⽇本のエネルギー、150年の歴史」資源エネルギー庁    https://www.enecho.meti.go.jp/about/special/johoteikyo/history1meiji.html・参照:「ガスとくらしのモノがたり」GAS MUSEUM がす資料館・参照:「東京ガスの歴史とガスのあるくらし」(高橋豊)<講演録>(2006 Oct.19)・参照:ガス業界の歴史 https://denryoku-gas.jp/info/gas/history-of-industry・参照:ガス事業の歴史を振り返る https://pps-net.org/column/32143 ・参照:日本ガス協会 HP: https://www.gas.or.jp/ ❖ 家庭用燃料のプロパンと岩谷産業(参考)   プロパンガス(LPガス)は、可燃性ガスを液化させてガスボンベで供給し、ガスコンロや給湯器などに使う家庭用エネルギーげである。都市ガスより料金が高めな傾向があるものの配管などの工事も必要なく手軽に利用できることから広く普及している。  日本では、ドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」が、1929年、寄港し燃料として使われたのが初めての使用例といわれる。戦後、1950年代、家庭用燃料としての利用がはじまる。1953年、岩谷直治が「マルヰプロパン」として家庭用プロパンガスの全国販売を開始したのが普及のはじまりで、これ以降、一般家庭にもプロパンガス利用が進み、日常生活に溶け込むようになった。1964年、東京でオリンピックが開催された際、開会式の聖火台の燃料にマルヰプロパンが使われている。いまでは、プロパンガス」は生活になくてはならない燃料インフラの一つであることは間違いない。 ・参照:プロパンガスの歴史|会社情報|岩谷産業https://www.iwatani.co.jp/jpn/company/history/lpg/・参照:プロパンガスとは(プロパンガス料金消費者協会) https://www.propane-npo.com/useful/whatispropanegas.html ++++++++++ ♣ がすてなーに・ガスの科学館(東京ガス)  所在地:東京都江東区豊洲6-1-1 … Continue reading

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