家庭用清浄用品と化粧品の資料館(博物館紹介)

ー 快適な家庭生活を支える清浄と美容技術の歴史をみるー

(現在作成作業中)

(家庭用清浄用品の博物館)

♣ 花王ミュージアム

所在地:東京都墨田区文花2-1-3 TEL:03-5630-9004
HP: https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/kao-museum/

花王ミュージアム

 → 花王ミュージアムは、洗剤や化粧品など化学品を製造する有力メーカーの花王が提供する企業博物館。創業以来、花王は「清浄」の実現をモットーに製品作りに励んできているが、この目標追求のため、生活の衛生と清潔をテーマとする各種歴史資料を収集してきた。花王ミュージアムこれらの収集結果を一般に公開、展示するため2007年に設立された博物館である。当初、花王のすみだ事業場内に『花王「清潔と生活」小博物館』(1990年)であったが、これをリニューアルする形で開館している。開館の趣旨は「人と暮らしを支える“清浄文化”と花王の“よきモノづくり”の精神をひもとくミュージアム」であった。

館内内観
ミュージアム展示コーナー

 展示では、花王創業者たちによる「清浄文化」の普及を目指したメッセージや今日までの事業活動の歴史、これまでの歴代製品などを幅広く紹介している。ただ、現在、リニューアル工事のため休館となっており、2027年にリニューアルオープンの予定という。
 この花王ミュージアムには3つのゾーンがあり、一つ目は「清浄文化史ゾーン」、二番目は「花王の歴史」、三番目は、花王の今と未来を紹介する「コミュニケーションプラザ」である。 なお、同じ花王のミュージアムとして、花王和歌山事業所内には、製品紹介とエコ・環境をテーマにした「花王エコラボミュージアム」がある。

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ポンペイ遺跡の洗濯情景
展示にある石鹸の記録

   第一の「清浄文化史ゾーン」では、人類の歴史の中で清浄文化がどのように誕生したか、日本史の中で清浄文化がどんな発展をとげたかを紹介するコーナー。例えば、古代メソポタミア文明の記録や収蔵品から、当時の人類がすでに石鹸(せっけん)を有していたこと、ローマでカラカラ浴場など浴場施設が建設され、市民が体を清潔に保ち入浴を楽しむ文化があったこと、日本では江戸時代に銭湯があり庶民の間で利用されていたこと、また、中世以前から洗たくや洗顔に天然の洗浄料「ムクロジ」や「サイカチ」という植物が使われ、台所で出る灰に水を通して自家製の洗濯液が作られていたことなどを展示で紹介している。

カラカラ浴場
江戸時代の銭湯
天然素材や灰を使った洗濯
立体凹凸表面シート
石鹸からビオレヘ

 二番目の「花王の歴史ゾーン」は花王の創業から現在に至るまでの企業歴史を紹介するコーナー。歴史のトピックスを通じて花王の企業理念や商品開発の考え方を伝えている。(これについては次に紹介)第三は、コミュニケーションプラザ・「花王の今と未来」というテーマで、花王の最新の活動、よりよい未来のための活動について紹介するゾーン。これまでの花王が作り上げてきた過去の製品からはじめて、現在、そして未来の社会につなげる花王の研究・商品開発のありよう展示を通じて紹介している。例えば、環境問題への対応として、“廃PET”を有効活用、アスファルト舗装を高耐久化する改質剤「ニュートラック」などの開発を紹介している。これはアスファルトに約1%添加するだけで、従来のアスファルトの何倍も耐久性が上がるという開発であり、わだち(轍)になりやいアスファルトの補修役立ち使用頻度も低減することができるとされる。また、漂白アクチベート技術、サニタリー製品用「立体凹凸表面シート」なども「花王技術図鑑」で紹介されている。

<ミュージアム展示に見る花王の創業と発展>

長瀬富郎
化粧水「二八水)」
花王石鹸

  花王の源流は、1887(明治20)年、長瀬富郎が上京して日本橋馬喰町で、せっけんや歯磨き粉など日用品を扱う「長瀬商店」を創業したことにはじまるとされる。当時の“せっけん”といえば、高価で高品質な舶来品か、安価で粗悪な国産品しかなかったが、長瀬は手の届きやすい価格で良質な国産せっけんを作ることを目指し、1890年に試行錯誤を重ねながら「花王石鹸」を完成して発売に成功する。これが基礎となり、健康・清涼衛生用品メーカー花王の姿をつくっていくことになった。売り出した「花王石鹸」は、説明書きと品質保証書で包み、桐の箱に収めるなど高品質なせっけんだということを印象付けたという。また、長瀬は「花王石鹸」のほかに、より安価な日用品として化粧水「二八水(にはちすい)」、歯みがき粉「寿考散」も発売して成功している。

二代目の長瀬と会社役員
花王の野立て広告(1920s)

  しかし、創業者長瀬富郎は事業半ばの48歳若さで亡くなってしまう。これを引き継いだのが息子の二代目の長瀬富郎。1927年、社長になった富郎は、社会的使命を果たしながら社業を拡大することを目指し、「花王石鹸」ブランドを大きく刷新する変革者となっていく。富郎は、社長就任後すぐに欧米を視察してせっけんの製造方法の近代化を図ると同時に、最新設備を導入するなどして改良を重ね、1931年、新装「花王石鹸」を発売。より高品質で低価格、斬新なデザインを採用することで一般家庭にも一気に広げていくことに成功する。

新設された家事科学研究所

  また、発売前に新聞の1面に広告を掲載するなど広告宣伝手法にも工夫を加えることで、「新装花王石鹸」は大ヒット商品となり、花王の石鹸事業は大きく前進することになる。     
 さらに、花王は、1934年に「家事科学研究所」を設立、家事全般を科学的に見直すべく生活者の視点に立ったモノづくりの姿勢を目指す。 研究所は、一般消費者向けに講習会などを開催、家事に関する情報や知識を提供するとともに、一般家庭を訪問して家事の実態を分析して商品開発に活かしている。

<石けんを超えて>

アタックとクイックルワイパー

 花王は、「花王石鹸」の登場から90年後の1980年には、ペースト状の洗顔料「ビオレ」を発売して新領域を開く。石けんから始まった花王であるが、自ら脱石けんを目指し多様化を進める画期的なものでもあった。1985年には社名も「花王石鹸」から「花王」に変更している。これを契機に、花王は技術革新によって、新しい生活習慣を提案する商品を多数誕生させている。例えば、1970年にはヘアシャンプーの「メリット」、1978年の生理用品「ロリエ」、1982年の化粧品「ソフィーナ」、1983年のおむつ「メリーズ」、1987年には洗剤をコンパクト化した「アタック」、1994年の床掃除の新スタイル「クイックルワイパー 」など、生活にニーズにあった製品を次々に生み出している。  そして更に進んで、現在は、化粧品、スキンケア、ヒューマンヘルスケア、エコ技術を生かした水性インクジェット用インク、特殊増粘剤などの先進的なケミカル製品を製作する企業へと幅を広げている。 これら躍進の系譜は、花王ミュージアムの展示で詳細に確認できる。

・参照:花王 | 会社の歴史https://www.kao.com/jp/corporate/history/company-history/
・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 花王石鹸の歩み 石鹸のきた道https://www.kao.co.jp/white/history/01/
・参照:始まりはたった一個の石けんー花王のよきモノづくりの系譜― https://www.kao.com/jp/kaonokao/openthekao/vol1/2/
・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 「クリームみたいな泡」の違いと秘密 https://www.kao.co.jp/white/feature/01/
花王ミュージアムが伝える“清浄”の文化史と“正道”の志(電通報)https://dentsu-ho.com/articles/8784
花王の顔|花王技術図鑑 https://www.kao.com/jp/kaonokao/zukan/

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<参考>

❖ ナプキンミュージアム「ロリエ」

  → 花王ロリエの「ナプキンミュージアム」は常設施設ではなく、2024年9月に開催された1日限りの限定イベント。そのため、現在物理的に訪問できる場所は存在しない。過去の歴史展示は、ロリエ公式サイトの歴史ページで見ることができる。
 See: https://www.kao.co.jp/laurier/history/

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♣ 花王エコラボミュージアム

所在地:和歌山県和歌山市湊1334 花王株式会社 和歌山事業場内 073-426-1285
HP: https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/eco-museum/

花王エコラボミュージアム概観

 → 花王エコラボミュージアムは、家庭衛生品メーカーが運営する環境問題・エコに注目して設立された企業博物館。花王の和歌山事業所に併設して2011年にオープンしている。ここでは、花王が取り組んできたエコ技術に根ざしたモノづくりの試みと成果を紹介すると共に地球環境課題の展示を行っている。館内の展示コーナーでは、「エコデザイン」「原料のエコ」「製品づくりのエコ」「はこぶときのエコ」「製品をつかうときのエコ」「ゴミ処理のエコ」と製造から消費までのフローに合わせた花王のエコ対応の取り組みが映像、体験プログラムなどによって紹介され、「コンシューマープロダクツ」コーナーで花王の先端エコ製品技術が展示解説されている。 また、地球環境を考えようコーナーも設けられ、「温暖化する地球」「いのちとくらしを支える水」「生物多様性のもとに」の3つのテーマが取り上げられ、地球環境の現在を解説している。
  このように、花王エコラボミュージアムでは、見学を通して我々が気づいていなかった生産者側の思いや工夫を知ることができると共に、使う側としての責任も考える機会になると思われる。

花王の「エコデザイン」
「製品づくりのエコ」
「コンシューマープロダクツ」

・参照:花王エコラボミュージアム(近畿地方ESD活動支援センター)  https://kinki.esdcenter.jp/hot_topics/kaou_1/ &https://kinki.esdcenter.jp/hot_topics/kaou_1/
・参照:クリーンエイジ花王エコラボミュージアム(日本石鹸洗剤工業会 ) https://jsda.org/w/06_clage/4clean_kaiin_02.html
・参照:大人の社会見学・第0回花王和歌山工場編|美崎栄一郎 https://note.com/a16misaki/n/nfb0a727cd36d

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♣ ライオンミュージアム           

所在地:東京都台東区蔵前1-3-28 (ライオン本社)  Tel.03-6739-3711
HP: https://www.lion.co.jp/ja/company/history/museum/

ライオン本社(蔵前)

  → 歯磨きと家庭用洗剤のメーカー・ライオンの歴代製品とその歴史資料をバーチャルで紹介する博物館。ライオン創業期の資料、ライオンの「慈善券」事業、ライオン児童歯科院、学童歯みがき大会資料、プロ野球とライオン、変わった印刷物、口腔衛生映画の制作、洗濯の習慣づくりと資源の有効活用、ライオンと乗り物、人々を驚かせた宣伝・広告、ライオンゆかりの人物、といった構成になっている。これら紹介記事は、そのまま企業としてのライオンの事業展開を記す歴史資料となっている。
  ちなみに、ライオンは、花王などと並んで洗剤、歯磨剤、健康衛生用品などのトップメーカー。展示では、ライオン社が手がけた各種製品開発の歴史を時代に沿って紹介する形をとっている。こ例えば、日本の日常生活において、石鹸、洗剤用品の洗練化と進歩、種類の多様化が洗濯、台所、浴室のあり方を変え、歯磨き用品は口腔衛生改善に大きく貢献し、近代日本の生活様式や衛生習慣を大きく変えてきたのを示している。

ライオンの歯磨き、洗剤など
ライオンの歯磨き、洗剤など

<ライオン社の創業と発展>

❖ ライオンの源流と創業

小林富次郎商店
小林富次郎
高評石鹸広告

  ライオン社の基となる企業「小林商店」は明治初期に誕生している。創業者は若い明治期の起業家小林富次郎である。彼は、16歳まで家業である酒造業従事していたが、一家が経営不振に陥り破産、発意して1877年(明治10年)に上京。そして、墨田にあった石鹸工場「鳴春舎」に職工として働き始める。富次郎はこの工場での精励の結果、工場支配人にまで昇進して活躍する。しかし、後には鳴春舎自身が倒産して富次郎は苦汁を飲むことになる。この間、彼は眼病を煩いキリスト教にも入信している。 そして、10年余の労苦の末、1891年10月30日、東京神田に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次ぎ「小林富次郎商店」を立ち上げる。この日が、現在、ライオン社創業の日となっている。商店の事業は、明治期の生活スタイル変化に対応して順調に拡大していった。富次郎は、これで満足せず、将来を見込んで石鹸の商取引だけでなく、その製造にも着手する。このとき売り出されたのが化粧石鹸『高評石鹸』である。品質もよく好評であったという。
また、洗濯用石鹸『軟石鹸』も同時期に販売をはじめた。

❖ ライオンの初期の商品開発―石鹸から歯磨きへ

獅子印歯磨
ライオン歯磨き音楽宣伝隊

  小林商店は、これら石鹸製造の成功を受け、新たな商品市場「歯磨剤」にも参入する。当時、口腔衛生の関心が高まる中、歯磨き剤の市場は広がりをみせていたが、品質、価格の点で問題を抱えていた。富次郎は、材料に工夫して品質を高め、1896年に第一号粉ハミガキ『獅子印ライオン歯磨』の発売にこぎ着ける。結果は大成功で、売れ行きは大きく伸びた。この好成績は、富次郎の正直な販売姿勢と品質へのこだわりにあったといわれる。同時に、斬新な宣伝・広告活動への取り組みが功を奏した点も指摘されている。音楽隊にのせての商品宣伝活動、大相撲イベントといった取り組みは、当時としては非常に斬新な取り組みであった。このため「ライオン歯磨」の名は一気に広まった。

歯磨き「慈善券」

 また、富次郎は、事業の成功を受け、社会への還元を志し、慈善事業に熱心に取り組むようになる。彼は、自己の病気や宗教意識も手伝って孤児院への多額の寄付を行ったほか、1905年には「慈善券付きライオン歯磨袋入り」を発売して、ビジネスと慈善活動の合一にも取り組むようになる。
 「慈善券」を慈善団体に持ち込むと、小林商店がその額を団体に寄付するという仕組みであった。また、岡山孤児院「ライオン館」設置、小林夜学校の開設なども行っている。これら取り組みは、小林商店の社会的評価を高め、商品の知名度と事業の発展にも大きく貢献したことは間違いない。

❖ ライオン社の商品開発の多様化>

ライオン社の事業展開
すみだ郷土文化資料館の特別展示(2022年)

  これら石鹸と歯磨き剤事業の発展を受け、小林商店は、新たな商品の開発と製品の多様化を開始する。この展開は、郷土資料館に展示されている数々の製品群によく反映されている。また、国内の市場拡大に次いで海外進出も図っていることも見逃せない。具体的に見ると、1907年に新製品開発のための「小林研究所」設置、1913年には学童向けの「ライオンコドモハミガキ」を発売、1914年には「萬歳歯刷子」。1920年には日本で初めての家庭用の植物性洗濯石鹸「植物性ライオンせんたく石鹸」を発売している。この間、組織的には、1919年石鹸部門を分離し「ライオン石鹸株式会社」を設立している。しかし、これらを主導してきた創業者の小林富次郎は、1910年、惜しまれながら亡くなり後身が事業を引き継ぐ形となった。 そして、歯磨き部門では、1921年「ライオン児童歯科院」を設立、1933年、「家庭洗濯相談所」を開設して、商品知識の普及と社会衛生意識の向上を図っている。

❖ 戦後の事業展開と近年の取り組み

  第二次世界大戦が終わり、戦後の新しい社会変化を受けてライオン社も新しい展開を見せる。まず、ライオン石鹸株式会社をライオン油脂株式会社に改称(1940年)、小林商店をライオン歯磨き株式会社に改称(1949年)、そして、最終的には、1980年に「ライオン株式会社」となって今日に至っている。
   商品面では、新たな生活文化の変容を取り込み、次々と新しい生活家庭用品を市場に投入する。この製品群出現は郷土館の展示によく表されている。 
 1948年には日本で初めてのフッ素入ハミガキ『ライオンFクリーム』を発売、1956年には食器洗い専用の台所用合成洗剤『ライポンF』、1961年、『ホワイトライオン』ハミガキ、ローションタイプの食器・野菜用洗剤『ママレモン』(1966年)、生分解性に優れた洗濯用洗剤『ダッシュ』(1967年)、無リン洗剤『せせらぎ』(1973年)、酵素パワーを生かした洗濯用洗剤『トップ』(1979年)、歯垢を酵素で分解するハミガキ『クリニカライオン』(1981年)、界面活性剤を使用した洗濯用洗剤『スパーク』(1991年)、化粧石鹸『エメロン植物物語』(1992年)、殺菌成分配合の『キレイキレイ薬用ハンドソープ』(1997年)。

戦後のライオン歯磨き商品
戦後のライオン洗剤商品


❖ 現在のライオン

 こうして、ライオンは、現在、花王などと並んで洗剤、歯磨剤、健康衛生用品などのトップメーカーとなっている。 博物館は、これらライオン社が手がけた各種製品開発の歴史を時代に沿って紹介するものであるが、同時に、これら用品が、どのように近代日本の生活様式や衛生習慣を大きく変えてきたのかを実感させてくれる。また、日本の日常生活において、石鹸、洗剤用品の洗練化と進歩、種類の多様化が洗濯、台所、浴室のあり方を変えたし、歯磨き用品は口腔衛生改善に大きく貢献していることがよく分かる。ライオン社はじめ生活衛生品メーカーの社会的貢献は大きいであろう。

・参照:すみだ郷土文化資料館の特集展示「すみだの石鹸 ・ライオン」― この地で130年―ライオン社の創業と商品開発― https://igsforum.com/2022/08/13/visit-lion-history-museum-jj/
・参照:ライオンの歴史(ライオン企業情報) https://www.lion.co.jp/ja/company/history/
・参照:ライオン年表(ライオン企業情報)https://www.lion.co.jp/ja/company/history/list/

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♣ ダスキンミュージアム(ダスキン)        

所在地:大阪府 吹田市 芳野町5-32  Tel.06-6821-5000
HP: https://www.duskin-museum.jp/ 

ダスキンミュージアム入口

  → 清掃業務や外食産業などを展開するダスキン社が運営する企業博物館。創業50周年記念の一環として2015年に開館されたもので、施設はダスキン社の二大事業を「おそうじ館」と「ミスドミュージアム」を軸にして展示を行っている。社名となっているダスキンは、英語の「ダスト」と日本語の「ぞうきん」の合成語といわれる。
 このうち、「おそうじ館」は化学雑巾ダスキンや掃除の歴史を学べるコーナー。ダスキン社の創業期からの沿革、掃除の道具と歴史を紹介すると共に、ゲーム方式によるダスキン体験、掃除法をわかりやすく解説している。例えば、ハウスダストを退治するシアターアトラクション「ダスキンダストバスターズ」では、戦闘機に乗りミクロの世界へワープ。ホコリのすみかになっている部屋を冒険し、迫り来るハウスダストをシューティングで撃退するといった、ワクワク感楽しみながら掃除について学ぶことができると言った工夫もある。また、ミュージアムは社のフランチャイズ事業ミスタードーナツの成り立ちも紹介、「ドーナツの森」を設けてドーナツ作りを体験できるコーナーも用意されている。

「ホコリの見える化」体験
ダスキンの歴代製品と歴史
ダスキンのおそうじ体験

<ミュージアムに見るダスキンの創業理念と事業展開>

鈴木清一
化学雑巾「ホームダスキン」(1964年)

    ダスキンは1961年に鈴木清一を創業者として誕生した新進企業。鈴木清一は、もともとは、ビルメンテナンスや清掃用品の販売を行う会社の経営者だったが、1959年、キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA(Democracy in Action)運動の創始者メルヴィン・J・エヴァンズ博士に出逢うことで新しい理念による新事業の創始をめざしたという。氏との会合の2年後、清一は、1961年、DIA研修に出席のため渡米。そして、博士からセントラル・オヴァオール社の社長ルー・メンデルソン氏への紹介を受け、「ダストコントロールシステム」の技術を取得する。このシステムは、粉じんやホコリなどのダストを水を使わずに清掃用具に特別な吸着剤を含浸させて除去する方法であった。当時、日本の掃除といえば、ハタキ、ホウキ、雑巾が一般的な掃除道具であった。雑巾がけは水を使うので、特に冬場は家事を担う者には大きな負担となっていたものを改善する役割があった。清一は帰国後直ちにダストコントロール事業に着手。1963年に株式会社「サニクリーン」を設立。翌年、1964年に株式会社ダスキンと社名変更して、「ホームダスキン」という名前の化学雑巾を誕生させる。

<フランチャイズ制の導入>

  鈴木清一は、ダスキンに加盟店に商品や運営ノウハウを提供するフランチャイズシステムを導入したことでも知られる。当時は、フランチャイズは日本人にはなじみのない概念であったが、カナダのオヴァオール社が採用していたものを導入する形となった。ダスキンは、この経営システムをいち早く日本に導入したパイオニア的企業と目されている。
 また、契約家庭を訪問してレンタル品を届ける係に女性を積極的に登用。当時はまだ女性が職業を持つこともままならなかった時代、女性の社会進出にも貢献するなど画期的な取り組みとなったといわれる。

 <ドーナツ事業への参入>

日本の「ミスタードーナツ」(1970年)

  ホームダスキンの事業もようやく軌道に乗り始めた1968年、鈴木はフランチャイズシステムをさらに学ぶため渡米。訪問した先が、1955年にアメリカで開業した「ミスタードーナツ・オブ・アメリカ 」であった。当初はフードビジネスを始めるつもりはなかったようだが、店舗でドーナツを味わった鈴木は、そのおいしさに感動し、1970年に日本での事業展開を決断する。その後、ダスキンの二大事業の一つとなる新規ドーナツ事業への参入であった。
  「ダスキンの仕事は喜びのタネまきをすることです。喜びのタネをまくとは、徳を積んで徳者になるということ。そして結果として『利益と共に発展する』がもたらされる」が創業者の鈴木が残した言葉だという。ミュージアムは、冷たい水を使った雑巾掃除から人々を解放し、ドーナツでおいしい想い出 を提供。女性の社会進出を後押しし、環境問題にもいち早く取り組んできたダスキンの社会的役割を発信していく場となっているようだ。

・参照:ダスキン – Wikipedia
・参照:創業者の思い“喜びのタネをまく”ダスキンミュージアム(電通報) https://dentsu-ho.com/articles/8870
・参照:これまでの歩み | 株主・投資家情報 | 株式会社ダスキン https://www.duskin.co.jp/ir/investor/progress/
・参照:オープン10周年を迎えるダスキンミュージアムに新コンテンツ2種が登場! | 株式会社ダスキンのプレスリリースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001055.000005720.html
・参照:ダスキンミュージアムの魅力を体験!ミスドと掃除の博物館|大阪観光ダスキンミュージアム』来館者60万人達成https://www.duskin.co.jp/news/2025/pdf/251017_01.pdf

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♣ HAMIGAKI MUSEUM | -歯みがきミュージアム

所在地:山口県防府市新田1丁目8-3 Tel. 0835-28-1310
HP: https://hamigaki-museum.jp/

歯みがきミュージアム

  → 医療法人恵生会グループが開設した日本初となる歯みがき博物館。世界の歯ブラシの展示、イベント、動画配信などを通じて、世界の優れた「歯みがき」を紹介している。ミュージアムでは、日本のオーラルケアの現状と問題点、世界的に赤信号レベルの日本人の口腔衛生状態、日本のオーラルケアの現状と問題点をテーマに日本の歯みがき改革を目指す展示を行っている。ここでは、予防先進国ヨーロッパの歯みがき事情、最新の歯みがき用品のデンタルフロス、電動歯ブラシ、ペンタゴン歯ブラシなどが紹介され、子どもの歯みがき習慣などについても解説がなされている。日本人成人の歯周病率8割と先進国中では赤信号レベル、日本は口臭 世界一??、予防先進国スウェーデン(ムシバ1/3、 歯周病1/4)といった興味ある事実も紹介されている。

館内展示
各種歯みがき具の展示

・参照:2000点のグッズが語る「世界の歯みがき事情」 全国でも珍しい歯みがきミュージアムが防府市に・・(山口放送ニュース動画)・https://news.ntv.co.jp/n/kry/category/society/kr2cedcca670ae4b21874d38b17d3927f5
・参照:歯みがきの「動き」に着目した 5角形の歯ブラシ https://newscast.jp/smart/news/0034453
・参照:歯の博物館|公益社団法人神奈川県歯科医師会 https://www.dent-kng.or.jp/museum/ja/

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<参考資料>

❖ 歯の博物館

所在地:神奈川県横浜市中区住吉町6-68 神奈川県歯科医師会館内 Tel. 045-681-2172
HP: https://www.dent-kng.or.jp/museum/ja/

歯の博物館のある会館ビル

  → 横浜にある「歯の博物館」は、江戸時代以前から現代までの歯ブラシや治療器具を紹介する資料館である。日本の近代的歯科医学は、開国後に来日した西洋人歯科医(米国人W.C.イーストレーキなど)が横浜の外国人居留地で歯科を開業したのがはじまりとされているが、これ強く意識した神奈川県歯科医師会の会長加藤益夫会長の発案により、1987年、神奈川県歯科医師会館内に開設したのが現在の歯の博物館。
  主な展示品としては、お歯黒、日本と外国の口腔清掃道具(楊枝、歯ブラシ、歯磨き)、日本の民間療法、歯の塚、日本と外国の入れ歯(木、金属、陶磁、象牙、ゴムなど)、江戸時代の歯科、日本と外国の治療器具、近代西洋医学の伝来、明治・大正・昭和の診療ユニット、歯の衛生週間ポスター、歯磨きの看板、広告、頭蓋骨などがある。中でも一式をそろえたお歯黒道具は博物館自慢の展示であるという。

館内の展示
明治大正期の診察台や器具

参照:木製入れ歯や診察台も 歯の博物館が開館30年 (カナロコ by 神奈川新聞) https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-24992.html
・参照:西洋歯科医学発祥の地・西洋歯科医学勉学の地~横浜~ https://www.yoritomo-japan.com/yokohama/sikaigaku-hassho.html

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❖  歯の博物館〜歯と口の健康ミュージアム〜(愛知県歯科医師会)

所在地:名古屋市中区丸の内3丁目5-18 愛知県歯科医師会館1階
HP: https://aichi8020.net/museum/

歯の博物館のある愛知歯科医師会

 → 愛知県名古屋にある「歯の博物館」は、歯や口の健康に関する歴史的資料や治療器具、口腔衛生用品を展示する専門博物館。江戸時代の入れ歯や昭和初期の診療室、歯の構造模型など、4つのゾーンで歯科医療の歴史や知識を展示している。特色ある展示としては、江戸時代の「お歯黒道具」や木製の入れ歯、昭和初期の治療椅子などがあり、歴史的な資料が豊富にみられる。

昭和初期の治療椅子
歯虫の復元模型

・参照:「歯の博物館」で見るディープな歯科の世界(1回/全4回) |underZero https://note.com/underzero/n/nb15bb13118f4

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❖ 東京医科歯科大学 歯学博物館

所在地:東京都文京区湯島1-5-45 東京科学大学 湯島キャンパス内 Tel. 052-962-8020 
HP: https://www.dent.tmd.ac.jp/museum.html

東京医科歯科大学

 → 東京科学大学(旧 東京医科歯科大学)歯学部では、1983年から各方面のご協力のもとで、歯科に関わる歴史的に貴重な資料の収集を行っていたが、1989年に同大学歯学部に資料室を開設。この開設15周年の2003年に資料室をさらに発展させるべく誰もが勉強できる博物館にすることが計画され、約1年をかけて陳列ケースの増設、収蔵品の整備を行い、2005年にようやく整備が整い歯の博物館となった。2020年には、これが15年ぶりに全面改修され「歯学博物館」としてリニューアル・オープンしている。収蔵品には、世界で唯一現存する江戸時代後期の木製のポストクラウンのほか、江戸時代後期の木製の総義歯、喜多川歌麿、勝川春英などの口に関係した錦絵、お歯黒の人工歯、江戸時代の解剖学の教科書、お茶の水風景の錦絵、旧東京医科歯科大学の創立当時の資料などがある。歴史的にも貴重な物も多く、歯科医学の歴史的な変遷を垣間見ることができる内容となっている。

資料館内の展示コーナー
お歯黒の錦絵
「保歯新論」

・参照:お知らせ – 東京科学大学病院 医科(医系診療部門)https://www.tmd.ac.jp/medhospital/topics/250331/index.html
・参照:東京医科歯科大学歯学部 展示資料室 展示・収蔵品目録https://www.dent.tmd.ac.jp/files/museum_inventiry.pdf

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(化粧品の博物館)

♣ 資生堂企業資料館

所在地:静岡県掛川市下俣751-1
HP: https://corp.shiseido.com/corporate-museum/jp/

資生堂企業資料館

  → 資生堂の化粧品事業の歴史と日本の化粧文化の関わりなどについて展示する企業博物館。創業120周年を迎えた1992年に静岡県掛川市にて開設された。資料館では、資生堂と日本の化粧文化の関わりをテーマに、現在までの資生堂の歩み、商品パッケージ、企業ポスター、新聞・雑誌広告、テレビCMなどの広告関連資料、コスチュームの変遷などを展示するほか、江戸時代の化粧道具、銀座や女性に関する貴重な資料を収蔵・展示している。
  展示品では、1897年(明治30年)資生堂創業者福原有信が日本で初めてつくった化粧品「オイデルミン」、1915年、後継者信三が欧米留学の知識と経験を生かして開発した化粧品「フローリン」、「着色福原粉白粉七種(七色粉白粉)」(1917年)。資生堂初の香水「花椿」(1917年)、「コールドクリーム」(1918年)などが目立つ製品がならんでいる。

館内の商品展示など
デザインパッケージ展示
歴代のポスター展示

❖ 展示に見る資生堂の創業と化粧品

福原有信
銀座「資生堂薬局」

 海軍病院薬局長だった福原有信が矢野義徹と前田清則とともに「三精社」を興し、1982年(明治5年)、日本初の洋風調剤薬局として東京・銀座に「資生堂薬局」創業したのが現在の資生堂のはじまりとされる。当初、育毛剤(1880年)、練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」(1880年)を製作販売していたが、1897年に高等化粧水「オイデルミン」発売して化粧品業界へ進出した。1915年には商標「花椿」制定して、1917年に「七色粉白粉」発売、また、日本で最初の本格的香水「花椿」発売して化粧品業の基礎を固め、翌年には「資生堂コールドクリーム」製作販売している。1921年になると経営指針「資生堂五大主義」制定し、1922年、「美容科」「美髪科」「子供服科」開設、1919年には大阪・心斎橋に支店開設、画廊資生堂ギャラリーなども設立するなど業域を広げていった。1921年には天然菊をモデルに調香した、純日本調の香水「菊」も発表している。一方、資生堂本拠である東京銀座の薬品部と化粧品部の建物が倒壊して大きな打撃も受けている。この頃から災害の経験も生かし、各地にチェインストア制度を採用してビジネスの広域化も図る一方、化粧品開発では「モダンカラー粉白粉」(1932年)を発表している。

衛生歯磨石鹸
オイデルミン
「七色粉白粉」
香水「花椿」
資生堂コールドクリーム
戦後、資生堂の広告ポスター
ドルックス

  戦後になると「潤性歯磨」(1947年)、「ドルックス」(1951年)、天然の白バラをイメージした香水「ホワイトローズナチュラル」(1954年)などを発売、1953年には資生堂美容研究所、1959年、「資生堂美容技術専門学校を開設、また、1956年、東京・渋谷に総合美容サロン1号店オープンして戦後発展の基礎を築く。1980年代になると、フランス・パリに合弁会社「シセイドウ フランス」(1980年)を設立、中国でも北京にシャンプー、リンスの生産を開始するなど海外進出も図っている。
  一方、資生堂は、1987年、資生堂薬品株式会社を設立一般用医薬品事業にも参入、1991年には資生堂として初めてのエステティックブランド「Qi」を開発、エステティック事業へも進出している。これらの発展を受け、2001年に東京銀座資生堂ビル完成、2003年本社機能の大部分を同年竣工した汐留タワーに移転させている。
  現在は、業界全体の厳しい現状の中で2030年に向けた「2030 中期経営戦略」を策定、注力ブランドへの選択と集中、グローバルな視点での構造改革を行い、ブランド価値を最大化するため様々な取り組みを図っているという。

資生堂エスパークミュージアム
資生堂銀座本店

・参照:Shiseido Beauty Park | 資生堂  https://shiseidobeautypark.shiseido.com/・参照:The Shiseido Philosophy | 企業情報 | 資生堂 企業情報https://corp.shiseido.com/jp/company/philosophy/
・参照:中長期経営戦略 | 投資家情報 | 資生堂  https://corp.shiseido.com/jp/ir/strategy/
・参照:資生堂企業資料館 – Wikipedia

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♣ ホーユーヘアカラーミュージアム

所在地:名古屋市東区徳川町903 Tel. 052‐559-4931
HP: https://www.museum.hoyu.co.jp/

 

ホーユーヘアカラーミュージアム

 → 頭髪化粧品メーカーのホーユーが創立100周年記念事業として建設したヘアカラーに特化した企業博物館。当初、社員用施設として利用されたが、2023年、一般向けにオープンした。館は1階が企画展示室、2階が常設展示室、3階がホーユー展示室となっており、常設展示室では、ヘアカラーの歴史に関する展示やヘアカラーの魅力を体感できるアトラクションを設置、展示室では、社史や製品開発、安全性への取り組みに関する展示が行われている。この博物館では髪色を通じて多様な文化や価値観が表現されている珍しいミュージアムとして知られている。
    このうち、常設展示室の「日本のヘアカラー史エリア」では、自然な黒の時代、化学の黒の時代、カラーの時代、多様性の時代と分けられており、それぞれの時代の髪の文化や技術を解説している。「ヘアカラーの魅力体感エリア」には、シミュレーターによる”なりたい自分を探す”(フォトウォール)で、普段できない髪色や髪形を疑似体験ができるコーナー、カラーリングの種類によりr染まる仕組みがわかるミクロラボ・コーナー、色の仕組みが分かるなどが用意され、ヘアカラーの魅力を体験することができる。

ヘヤーカラー体験室
ホーユーの令嗣展示
ホーユーの歴代製品


 ホーユー展示室は100年以上の歴史を持つ同社「会社史」「製品開発」「安全性への取り組み」の3つの視点から紹介、研究資料や製品に関する看板などの宣伝広告資料なども展示されている。ちなみに、ホーユーは、ヘアカラー業界の国内最大手として、「Bigen(ビゲン)」、「Cielo(シエロ)」、「Beauteen(ビューティーン)」、「Beautylabo(ビューティラボ)」など、数多くのブランドを展開している。

・参照:hoyuの歴史 | 会社情報 | ホーユー株式会社https://www.hoyu.co.jp/about/history/
・参照:ヘアカラーの歴史や文化を発信 日本初ヘアカラー特化のミュージアムがグランドオープン – SHINBIYO PLUS Web NEWS  https://www.shinbiyo.com/spwnews/?p=13261

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♣ 紅ミュージアム(伊勢半)

所在地:東京都港区南青山6-6-20 K’s南青山ビル1F
HP: https://www.isehan-beni.co.jp/museum/

紅ミュージアム入口

  → 化粧品メーカー伊勢半の運営する伝統的な顔料「紅」(べに)を紹介する博物館。「紅を見て、紅に触れ、紅を知る」をコンセプトに、“紅”の歴史と文化、江戸時代から続く紅作りの技を伝える施設として設立された。博物館では、「紅」の歴史的背景や諸相を紹介する資料室と「紅」の色彩的な魅力を体験できるサロンとによる2つのゾーンから構成されている。 資料室では紅花の歴史、紅屋の製造風景・マーケティング、江戸の化粧文化等を紹介。関連資料として、江戸時代から明治・大正期に使用された化粧道具、紅作りの道具、絵画、文書を展示。サロンでは伝統製法で作られた口紅「小町紅」の体験ができるコーナーも設けられている。

ミュージアムの展示コーナー
「紅」の歴史と製品展示
「紅」の商品見本
(べに)
明治期の伊勢半店『東京商工博覧絵』 

   ちなみに、紅(べに・くれない)」とは、キク科の植物である「紅花」から抽出される希少な赤色色素、および鮮やかな赤色のことを指すが、日本では、江戸時代より紅花から作られた伝統的な口紅を「小町紅」と呼び化粧品として広く使われてきている。また、ミュージアムを運営する「伊勢半」は、江戸時代1825年に、澤田半右衛門が同店を創業したのがはじまりで、玉虫色に輝く小町紅を開発して人気を博しかつて「江戸一の紅屋」といわれたという。その後、戦後1945年、澤田半右衛門商店として再建、素材も替えてた物性油脂やラノリンを配合したヒット商品「キスミー特殊口紅」を発売する。そして、1947年に社名が現在の伊勢半になっている。

・参照:伊勢半についてhttps://www.isehan-beni.co.jp/company/
・参照:世界にたった2人の職人がつくる伝統コスメ。伊勢半本店の「紅」https://story.nakagawa-masashichi.jp/10210
・参照:紅とは | 文政8年創業 最後の紅屋 | 伊勢半 紅 https://www.isehan-beni.co.jp/beni/
・参照:明治期の伊勢半店『東京商工博覧絵』 明治18年 https://www.isehan-beni.co.jp/company/

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♣ クラブコスメチックス文化資料室

大阪市西区西本町2-6-11 タイヨービル1階 06-6531-2997
https://clubcosmetics.net/museum/1772

クラブコスメチックス本社

  → クラブコスメチックス社の前身は中山太陽堂であるが同社のポスターや広告物、発売製品など中心に展示している資料館。同社の創業時の明治末から現在までの昭和初期・昭和期・現在と3つのコーナーに分けられ展示されている。製品展示では、1911年の「クラブ白粉(おしろい)」、1935年「薬用 クラブ美身クリーム」などのヒット商品、大正期の「クラブ白粉」などのカラー広告、配達と宣伝を兼ね備えた荷車広告、当時話題となった芸者をモデルにした美人写真ポスター、同社傘下の「プラトン社」出版した雑誌「女性」「苦楽」なども見ることができる。

展示コーナー入口
館内展示
中山太一
「クラブ洗粉」の広告(1906)

  ちなみに中山太陽堂は1903年(明治36年)中山太一が神戸で洋品雑貨・化粧品の卸売業「中山太陽堂」を創業、商標を「クラブ」とし1906年に「クラブ洗粉」を発売したのがはじまりであった。その後、「クラブ白粉」や「クラブ歯磨」などを発売してヒット。1918年には、大阪市南区水崎町に本店と工場を建設。1922年には、自社化粧品宣伝のため広告社・出版社「プラトン社」を併設、女性文芸誌『女性』(1923年)、文芸雑誌『苦楽』などを生みだし、PR誌の域を超えた総合文芸誌となって社会的インパクトを与えている。1924年には創業20周年を記念し「中山文化研究所」を設立、1939年には太陽製薬株式会社を東京に設立している。

クラブ白粉と薬用 クリーム

  戦後になると、1951年にクラブ化粧品などの売り上げが「月で一億円突破」するなど好調であったが、注力していた広告・出版でつまずき業績が悪化、1970年「クラブ商事」を設立して製造・販売の両部門を分離する。また同年11月には「マリークヮント・コスメチックス・ジャパン」を設立、1971年、中山太陽堂から現社名の「クラブコスメチックス」に商号変更している。2000年以降の現在は、洗顔不要のロングセラー「すっぴんパウダー」などのスキンケア・メイクアップ商品の展開や、マリークヮントのコスメラインの展開を主力として事業を行っている。また、2010年には「文化資料室」をリニューアルオープン、「文化に深く関わる」という創業以来の伝統を守り続けている。

・参照:会社概要|株式会社クラブコスメチックスhttps://clubcosmetics.net/company/profile/
・参照:沿革|株式会社クラブコスメチックスhttps://clubcosmetics.net/company/history/
・参照:クラブコスメチックス – Wikipedia

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♣ 化粧文化ギャラリー (ポーラ文化研究所)

所在地:東京都港区南青山2-5-17 ポーラ青山ビルディング1F
HP: https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/gallery/

ポーラ文化研究所のあるポーラ青山ビル

 → 資生堂などに次ぐ有力化粧品メーカー・ポーラにより化粧文化の普及と探求のため設立されたのが「ポーラ文化研究所」。1976年の開設以来、デジタルミュージアム、化粧文化ギャラリーを設け、化粧と生活の調査などの活動も行っている。このうち、デジタルミュージアムではポーラ文化研究所設立以来の展覧会内容をデジタルで再構築して提供。「化粧文化ギャラリー」では、“美容・化粧・よそおい”の観点から蓄積してきたコレクションを「Art」と「Books」の2エリアで紹介。Artコーナーでは、美のあり様を映し出す化粧道具や装身具、化粧シーンを描いた絵画、ファッションプレートなどを展示し、Booksコーナーではテーマから得た知見を書籍紹介の形で掲示している。
 また、上記とは別に日本の化粧文化の歴史を「日本の化粧文化史」をテーマに、インターネットで発信する形で連載している。2024年には「近代化粧の幕開けー明治時代6―『美意識の変革<髪型:日本髪から束髪へ>』(2024.11.28)、2026年には「ポーラ文化研究所 50 周年記念展『モダンビューティー 近代の化粧文化』(2026.03.26)などが掲載されている。

ポーラ・デジタルミュージアム
文化ギャラリーの展示
結髪雛型の展示

・参照:ポーラ文化研究所デジタルミュージアム(https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/digitalmuseum/
・参照:近代化粧の幕開けー明治時代6 美意識の変革( ポーラ文化研究所)https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/34.html
・参照:ポーラ文化研究所 50 周年記念展「モダンビューティー 近代の化粧文化」https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/focus/information/260326_70.html
・参照:南青山にオープン!「化粧文化ギャラリー」で知る化粧の歴史と面白さ | 港区観光協会 | VISIT MINATO CITY – 東京都港区の観光情報公式サイトhttps://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/articles/582

<ポーラ化粧品の創業と文化研究所>

  株式会社ポーラは東京・品川区に本社を置く化粧品の製造販売を行う企業。創業は1929年で、鈴木忍が静岡市で化粧品の訪問販売を主とする個人事業として発足した。妻の手荒れのために作ったハンドクリーム販売がきっかけで始まったとされる。1940年には鈴木によりポーラ化成工業として法人化している。1954年に静岡工場を新設したが、創業者の鈴木忍が急死、長男の鈴木常司が2代目社長に就任し、1996年まで42年にわたって事業を主導している。この間、1964年に横浜研究所設立、1976年袋井工場を新設、1984年、オルビスを設立して化粧品通販に本格参入、1985年実験店舗を開設するなど業績を伸ばしている。1976年には、上記の「ポーラ文化研究所」も設立。1993年には、コンビニエンスストアやスーパーで販売される基礎化粧品・トイレタリー商品部門を扱う子会社「ポーラデイリーコスメ」を設立している。

乳液「銀の流れ」(1946)
初のフォーム状パック(1958)
スキンケア「ポリシマ」(1972)

 現在のポーラは、スキンケアやエステなど「美」を多角的にサポートする事業、販売チャネルの多様化とブランド強化を両立させル一方、創業以来受け継がれる「美と文化」を重視する理念に基づき、美術館の運営や化粧文化の研究など多彩な文化活動を積極的に推進しています。この方向性は箱根のポーラ美術館(2002年)や銀座にポーラ ミュージアム アネックス(2002年)を開設のほか、ポーラ文化研究所の積極的な活動にもよくみてとれる。
・参照:ポーラ (企業) – Wikipedia
・参照:ポーラ文化研究所の活動と今後の展望について(京都芸術大学芸術教養学科WEB卒業研究展)https://g.kyoto-art.ac.jp/reports/11912/

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♣ ファンケル ヒストリーミュージアム

所在地:神奈川県横浜市栄区飯島町109-1 045-890-1598
HP: https://www.fancl.jp/factory/history/index.html

  → 化粧品・健康食品メーカー・ファンケルの創業や社歴、生み出してきた製品など展示・体験できる企業博物館。元々は社員用の研修施設として設立されたが、2023年から一般公開を開始している。ファンケルの無添加化粧品は敏感肌やアトピー性皮膚炎などの皮膚障害に悩む人々に支持されている。この無添加化粧品を開発した創業者の人物伝、美と健康の事業やサービスの変遷と理念、ものづくりの姿勢などを詳しく紹介している。見学では、見るだけでなく体験できる仕掛けも用意され、ミュージアムのナビゲーターがご案内してくれる。
  ちなみに、ファンケルは、1980年、池森賢二が無添加化粧品の製造・販売を個人事業として創業したもので、老舗企業の多い化粧品業界では後発の企業にあたる。1981年8月には法人化し「ジャパンファインケミカル」となり、翌年に「ファンケル」へ商号変更している。ファンケルは、創業以来、無添加にこだわりつづけている化粧品メーカーで、マイルドクレンジングオイル、洗顔パウダー、スキンコンディショニング洗顔などの商品を生み出し、既存の大企業に対抗するべく新商品の研究開発に注力している。また、1990年代には健康食品事業に進出し、1994年にはサプリメント28品目の通信販売を開始している。健康食品がまだ高価だった1990年代、ファンケルは高品質・低価格なサプリメントを販売し、健康食品を一気に身近なものにした功績は大きいとされる。2000年代になると、ダイエット用サプリメント「カロリミット」、「ファンケル青汁」(各2000年)などを幅広く発売している。

館内展示コーナー
ファンクル商品群展示
無添加化粧品見本

・参照:ファンケル – Wikipedia
参照:FANCL ファンケルhttps://www.fancl.jp/

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(化粧品 了)

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