―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみるー
はじめに
戦後日本の高度経済成長と生活革命を牽引したのはテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電気製品の普及と興隆であった。この家電で大きなシェアを占めたのは、戦前から技術を磨き消費需要に敏感であった有力な電気電子メーカーであった。これら企業を生み出していったのは、旺盛な企業家精神と先駆的な技術を持った一連の起業者群である。かれらは市場の動向をみつつ事業を発展させ企業を成長させていった。ここでは、これら創業者の姿と事業の取り組みに着目して紹介してみることとにする。
しかし、日本のエレクトロニクス産業は、ビジネスの上では、80年代にピークを迎えた後、途上国の追い上げとグローバル化と情報技術における急速な展開の洗礼を受け、現在、やや困難な状況にあると思われる。ここでは、これら背景や現況についても触れているが、今日、忘れかけている往事の企業家精神を振り返ってみるのも有益かもしれない。
本サイトで取り上げたのは、パナソニック、旧三洋電機、シャープ、日立、富士通、東芝などの博物館である。なお、ソニーの「ソニー歴史館」は閉館となり、東芝未来館についても閉館となっているが、参考のため、開館当時の展示内容も掲示しておいた。
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♣ パナソニック・ミュージアム(「松下幸之助歴史館」)
所在地:大阪府門真市大字門真1006番地
HP: https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/panasonic-museum.html
→ このミュージアムは、2018年、パナソニック社100周年を記念した博物館。創業者松下幸之助の経営哲学とパナソニックの「ものづくり精神」に触れることができる博物館として誕生した。ミュージアムは、当初、「松下幸之助歴史館」「ものづくりイズム館」「さくら広場」から構成されていた。このうち「ものづくりイズム館」は2025年に建物の老朽化に伴い閉館、2026年からは、「松下幸之助歴史館」のみの単独運営となっている。 歴史館の展示室では、「学びの杜」として松下電気器具製作所から始まったパナソニックの創業者松下幸之助の経営観や人生観を「礎、創業、命知、苦境、飛躍、打開、経世」の7章に分け、また、創業の家」ライブラリーで詳しく紹介している。
閉館した「ものづくりイズム館」は、1968年の「松下電器歴史館」を前身とし、創業以来のパナソニック技術者のスピリッツを伝える550点余の歴代製品を展示してきたものであった。今回、残念ながら閉館となったが、展示製品についての扱いは検討中とのことである。See: https://www.shoai.jp/panasonic-museum-202510/)
<パナソニックの創業と松下幸之助>
創業者松下幸之助は和歌山で1894年(明治27年)に生まれ、少年時代は貧しい中で育った。9歳で大阪の商家に丁稚奉公に出て苦労するが、その時、商売人としての心得を身につけたといわれる。大阪市電を見た幸之助は、電気事業の将来を予感し1913年に商家を飛び出し「大阪電燈」に入って内線係見習工になった。そこで、4年後には技術を認められ工事担当者を経て検査員に昇進、一方、「改良ソケット」を自作して会社に示すが、認められず苦杯を飲む。これをみた幸之助は独立を決心、わずかな手元資金で生活していた借家に工場スペースを作り、ケットの製作販売をはじめる。しかし、何とか完成した改良ソケットだった売れ行きは散々であった。進退きわまった時、1917年12月、扇風機メーカー川北電気が、扇風機碍盤の試作品を幸之助の工場に注文、これが納品に成功、年間1000枚の注文を受けた。これを好機とし、幸之助は、1918年、「松下電気器具製作所」を設立して念願の電気器具製造・販売に本格的に着手する。これが松下電気・ナショナル・パナソニックの基となる創業となった。2階建ての借家の階下3室を改造した作業場に小型のプレス機2台、人手は自分を含めて家族3人という家族零細企業であった。そこで、「アタッチメントプラグ」「二灯用差し込みプラグ」をはじめとして、便利で安い配線器具を次々と生み出し、会社の基礎を築いていく。そして、創業からわずか4年余り、50名の従業員を擁し、十数種類もの製品を全国に販売先を持つ中堅企業に育っていった。
1923年には自転車「砲弾型ランプ」を生みだし、1927年、「角型ランプ」(ナショナルランプ)を発売して大成功を収める。そして、この時期から新商品のブランド名を「ナショナル」とした。1927年、電熱器分野へ進出し「スーパーアイロン」を発売、続いて、電気コタツの開発に取り組みサーモスタットを使用した電気コタツを開発、1930年にはラジオの1号機を発売している。
一方、「歩一会々誌」を創刊するなど社内の参加意識の昂揚と相互理解を図をめざす松下幸之助流の社内経営改革も進めている。事業を製品群別に「事業部」に分け、その一つひとつを独立した事業体として経営する方式をはじめたのもこの時期であった。
その後、一時戦時体制に組み込まれた松下電気であったが、終戦を迎えるといち早く民需生産に転換し生産を再開している。また、戦後の特需に後押しされた松下は急速に業績を拡大している。こういった中、幸之助は世界的規模で事業を見直そうと米欧を視察、オランダのフィリップス社を選んで提携を図る。この結果誕生したのが「松下電子工業株式会社」(1952年)で、その後、松下商品の品質を支える電子管や半導体を生み出す母体となっていった。
また、神武景気の好況を一つの契機に、爆発的な家庭電化ブームが起こり、新しい電化製品が次々と登場。1956年ごろには白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫は、「三種の神器」と呼ばれて人々のあこがれの的となった。この家庭電化時代の到来をいち早く予測したパナソニックは、ラジオ、蛍光灯に続く本格的な電化製品として、1951年、洗濯機の生産販売を開始。発売当初は価格も高く、台数も出なかったが、量産によって価格を下げ、1955年には月産5000台を越えた。こうして、いち早く”世界” をめざした幸之助の志の高さは高度成長の波に乗って「家電の松下」の世評を揺るぎないものになっていった。
こうした中、1961年、会長に退いた幸之助は、活動拠点を京都の別邸「真々庵」に移し、会社運営の日常業務から離れることになる。幾度もの困難を克服し、経営者としてまれに見る成功を収めてきた松下幸之助は、いつしか世間は「経営の神様」とも呼ぶようになっていたという。
その後の松下は、高度成長駆け抜け、石油ショック後の不況を乗り越え、日本の世界的な電気メーカーとして位置づけられるに至っている。その象徴が、2008年に社名を「パナソニック」改め、あわせてブランドを全世界でPanasonicに統一したことにも現れている。また、創業100周年となる3月には、大阪・門真市に「パナソニックミュージアム」をオープンしている。
・参照:松下幸之助物語 – パナソニックグループの歴史 – パナソニック ホールディングス https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/founders-story.html
・参照:松下幸之助「使命があればこそ」――パナソニックの歴史ものがたり Episode 08 | ブランド | 企業・経営 | Panasonic Stories | Panasonic Newsroom Japan : パナソニック ニュースルーム ジャパンhttps://news.panasonic.com/jp/stories/18521
・参照:パナソニックミュージアム – パナソニック ホールディングス https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/panasonic-museum.html
・参照:パナソニックホールディングス – Wikipedia
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♣ 井植歳男記念室(旧三洋電機・井植記念会)
所在地:兵庫県神戸市垂水区青山台1-21-1 Tel. 078-751-5216
HP: http://www.iuekinenkai.or.jp/sisetu/kinenkan.html
→ サンヨー電機は、現在、パナソニックの完全子会社となっており、事業やブランドは他社の手に移っているが、かつて松下電器(パナソニック)、東芝、シャープなどと並び白物家電を中心に発展した総合電器メーカーであった。このサンヨーを創業し発展させたのが井植歳男で、氏の功績を記念して設立された井植記念会の展示館が「井植歳男記念室」である。記念室には、創業時から生涯を閉じるまでの業績や数々のエピソードの展示パネル、系譜をはじめ書籍、記念品などが展示されている。サンヨー電機自身も2001から「サンヨーミュージアム」を開設していたが、2014年に閉館になっている。このミュージアムでは、三洋電機の半世紀の歩みを記す資料が展示されていた。なかでも日本初の噴流式洗濯機など懐かしい家電製品の実物が数多くみられた。これら歴代の歴史的商品は、現在、パナソニック関連施設に引き継がれているという。 したがって、井植歳男記念室はサンヨーの創業と系譜を伝える唯一の施設となっている。
<井植歳男の足跡とサンヨーの系譜>
井植歳男は1902年兵庫県に農家の長男として誕生。一時、父の影響で船乗りとなったが、難破の災難で止めることとなり、当時、松下幸之助に嫁いでいた姉の縁で、創業したばかりの松下電器製作所(現・パナソニック)で働くこととなる。1917年であった。その後、歳男は職工として働き、事業拡大へも参画して1933年には役員待遇ともなっている。
戦後となり、1946年、松下電器がGHQからの公職追放令を受け松下電器を退くが、翌1947年、独立して、守口市に個人で三洋電機製作所を創立した。これがサンヨーの創業となる。創業すると、且つ下KR亜自らも関わった自転車用発電ランプ「ナショナル発電ランプ」の製造権が譲られ、1949年には発電ランプの国内シェア6割達成に成功している。また、同年カラーテレビ第1号機「21-CT5」を開発している。1966年、 鳥取三洋電機を設立して、モジュラーステレオ、システムコンポーネントステレオOTTO(オットー)なども発売している。1970年の日本万国博覧会にはサンヨー館を出展して未来の家庭生活を展示。なかでも人間洗濯機(ウルトラソニックバス)は注目を集めた。1971年- 日本初のワイヤレスリモコン操作方式テレビ発売型を発売。
このように、次々と注目すべき製品を市場に出していたサンヨーであったが、80年代後半から90年代になると相次ぐ事故の影響などを受けて業績が悪化してくる。2001年には白物家電を主に生産していた大日工場を閉鎖。この中にあって、1995年、世界初の3Dテレビの発売、2000年、ニッケル水素電池事業を取得し、子会社三洋エナジー高崎も設立などの業績回復の動きもあった。しかし、復活はならず2009年- パナソニックのTOB救済でパナソニックの子会社となり、2011年、 中国の家電大手「ハイアール」に三洋の冷蔵庫と子会社「三洋アクア」製洗濯機の白物家電事業を売却することになってしまう。そして、2015年4月には 三洋電機社員をパナソニックおよびパナソニックグループ会社へ転籍することで、サンヨーは市場から姿を消すことになる。
一時期、家電を中心にサンヨーブランドは一世を風靡したがあっけない幕切れであった。 井植記念館は、かつて存在した「サンヨーミュージアム」とともに、サンヨー電機の創業と発展を余に伝える唯一の施設となっている。
・参照:三洋電機 – パナソニック 公式サイト
・参照:SANYO MUSEUM | 展覧会スケジュール・アクセス・料金 | アイエム[インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/museum/11684
・参照:三洋電機の創業経緯|The社史 https://the-shashi.com/tse/6764/founding/
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♣ シャープミュージアム
所在地:奈良県天理市櫟本町2613-1(シャープ総合開発センター内)
HP: https://corporate.jp.sharp/showroom/
→ このミュージアムは電子電気メーカーシャープの技術と歴史を示す優れた博物館として知られる。このミュージアムの成り立ちは、1980年、創業者早川徳次の逝去を悼み、功績を後世に伝えるため、1981年10月「シャープ歴史ホール」を開設したのがはじまり。翌年、最先端技術の成果を一部のステークホルダーに向けて紹介する目的で「技術ホール」をオープンした。その後、両ホールを併せて一般公開し、2012年に「シャープミュージアム」となっている。
施設は歴史館、技術館の2つのユニットから構成されている。歴史館では、社名の由来となったシャープペンシルはじめ、重要科学技術史資料に登録されている日本初のテレビ、トランジスタラジオ、液晶電卓などシャープが開発した画期的な史料が展示。技術館では、太陽電池などのエネルギー、環境保全、AIやIoT技術、光技術、液晶ディスプレイ、ネイチャーテクノロジーなどのシャープが取り組んできた技術開発の内容を詳しく紹介している。
このうち歴史館展示をみると、事業の基礎となった早川式繰り出し鉛筆「シャープペン」、日本初の真空管ラジオ、国産初のテレビ、国内初の電子レンジ、電子式卓上計算機(電卓)、電子手帳(ザウルス)など時代を切り開いた画期的なシャープ製品が時代別に陳列されている。技術館展示では、液晶ディスプレー開発の歩み、LEDや太陽電池パネル、生物模倣学の家電製品への応用例などシャープのこれまでの技術開発の流れが解説・紹介されているのが特色である。
このように、ミュージアムでは独創性の高い当社の製品、創業者が掲げた誠意と創意から産まれた製品、そして、これから注目される最先端技術一端を見ることのでき、社会性のある技術博物館となっている。
このミュージアムを開設したシャープ社の創業と技術開発の歴史を歴史館の記述からみてみよう。
<歴史館に見るシャープの創業と技術挑戦>
シャープの歴史は1912年、創業者 早川徳次が金属加工業を開業したことによって始まる。幼い8歳で金属加工業者「錺屋」に奉公にでるが、そこで腕を磨いた徳次は19歳で独立を決意し、1912年にバックル「「徳尾錠」を考案して東京に工場を開設、1915年には、社名の基となる早川式繰出鉛筆「シャープペン」を生みだし「早川兄弟商会金属文具製作所」を開設、これがシャープ社の事実上の創業となった。このペンは、当初、国内では評判が悪かったが、海外から注文が入り売り上げは順調に伸びていく。徳次はこれに満足せず、新しい製品に取り組み、1925年に時代を先取りした国産第1号鉱石ラジオ受信機を製造し、海外への輸出に成功している。1929年には真空管ラジオを発売するなど、早川は早くも電気メーカーとしての地歩を築いていく。1936年には個人企業を法人化し早川金属工業株式会社となっている。戦時中の1942年、早川電機工業に社名変更、軍需工場の一つとなっている。
戦後の事業再建はラジオの修理サービスからはじめている。そして、1948年にはシャープ商事を設立、1951年にはテレビの製作に取り組んでいる。米国RCA社とテレビで技術提携、1953年には国産初のテレビ「TV3-14T」を発売している。常に時代を先取りしていくシャープの姿が、ここにも反映している。1956年に営業部門を独立させ、シャープ電機株式会社を設立、電機事業に本格的に取り組んでいく。次の飛躍は、1957年、大阪に第2工場を建設してトランジスタラジオを発売、1959年に太陽電池の研究開発を開始したことであった。高度経済成長期の1964年には、世界初のオールトランジスタ電卓“コンペット「CS-10A」を発売、1966年ターンテーブル式家庭用電子レンジ「R-600」を発売している。こうして、総合エレクトロニクスメーカーの基礎を築いたシャープは、新たな商品開発技術に取り組む。このうちの一つが1970年代シャープによる液晶技術である。1973年、C-MOS LSIの生産開始、COS化した液晶表示ポケッタブル電卓「EL-805」を開発した。
1975年には、オーストラリア・SCAでカラーテレビの生産を開始、1981年にはELディスプレイ量産工場を建設、1985年、3型液晶カラーテレビの試作にも成功。1986年、液晶事業部を発足、1988年には14型TFTカラー液晶、1994年、業界初の反射型TFTカラー液晶ディスプレイを開発している。当時、「国内で販売するテレビを2005年までに液晶に置き換える」と宣言したという。こうして、2000年代はじめには「世界の亀山」ブランドの液晶テレビの生産で知られるようになる。これがシャープの全盛期であった。
その後は、半導体技術の急速な発展、韓国、台湾の躍進などで競争力を奪われ失速。従来の液晶パネル事業から白物家電やAI・EV(電気自動車)分野への事業転換を急ピッチで進め、現在は、台湾・鴻海精密工業と合併して事業の再活性化を図る道を探っているようだ。
シャープの「技術館」では、現在のシャープ技術的挑戦を紹介しているが、「歴史館」は、残ながら、この時期までの動向は扱っていない。
・参照:シャープミュージアム|シャープ公式|note https://note.com/sharp/m/me5b4ecca4a94
・参照:シャープミュージアムに見る、“Be Original.”の歴史と未来 | SHARP Blog
・参照:「他社にマネされる商品をつくれ」シャープが数々の“世界初”を生み出した歴史をひもとく|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 https://newswitch.jp/p/21915
・参照:【藤山哲人の実践! 家電ラボ】実物に触れる! 理系やエンジニアが狂喜乱舞するシャープミュージアムを君は知ってるか!? – 家電 Watch https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/fujilabo/1168517.html
・参照:「スキ!」をカタチに熱い想いを伝えたくて -シャープ公式noteがコンテンツマーケティング・グランプリを受賞- | SHARP Blog https://blog.jp.sharp/2023/04/27/38729/
・参照:産業技術史資料データベース シャープ 漢字電子手帳 PA-7000
・参照:シャープミュージアム | SHARP Blog カテゴリー: シャープミュージアムhttps://blog.jp.sharp/category/event-2/sharpmuseum/
・参照:シャープ百年史 100年史 | 100周年記念サイト:シャープ
・参照:シャープ百年史(1893-1901) https://corporate.jp.sharp/100th/hayakawa/1893-1901/
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♣ 日立ITミュージアム
所在地1:神奈川県秦野市堀山下1番地(株式会社日立製作所 神奈川事業所
所在地2:神奈川県横浜市戸塚区吉田町292番地(株式会社日立製作所 横浜事業所
HP: https://www.hitachi.co.jp/products/it/portal/museum/index.htm
HP: https://www.hitachi.co.jp/products/it/portal/museum/index.html
・参照:Hitachi IT Museum:デジタル:日立
→ 日立ITミュージアムは、日立創業の精神を礎とした情報通信事業の始まりから現代に至る、イノベーティブなプロダクトや取り組みを展示したミュージアム。時代の要請に応えながら、技術の進化とともに、顧客との協創を通じて豊かな社会の実現をめざした社会イノベーションに挑み続けてきた日立の歩み、そして未来に向けた挑戦をご紹介している。現在、 一般公開は行ってはいない。
「Hitachi IT Museum」は一般公開されている単一の施設ではなく、日立製作所の事業所内に複数設けられている。主な展示拠点は以下の2箇所。
(1) Hitachi IT Museum KANAGAWA
住所:神奈川県秦野市堀山下1番地(株式会社日立製作所 神奈川事業所
→ 世界一のコンピュータをめざし、成長期をけん引したプラットフォーム事業(大型電子計算機やスーパーコンピュータなど)の進化を展示。
(2) Hitachi IT Museum YOKOHAMA
住所:神奈川県横浜市戸塚区吉田町292番地(株式会社日立製作所 横浜事業所
→ 情報通信事業発祥の地であり、時代の変化を捉えて進化してきたプラットフォーム事業の変遷(初期のラジオ、テレビ、パーソナルコンピュータなど)を展示。
いずれのミュージアムも事業所内に併設されているため、一般公開は行われていない。
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♣ 富士通ミュージアム
所在地:神奈川県川崎市中原区上小田中4-1-1 富士通本社
HP: https://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum
→ 富士通は、その黎明期から通信網という社会インフラを支える会社として生まれ発展してきた会社。この富士通の歴史がわかるバーチャル博物館である。富士通の歴史を主要な転換点を中心に事業の発展を紹介。構成は、時代別に、1. はじめに通信ありき(1923~1949)、2. 電話から生まれたコンピュータ(1950~1958)、3. 「通信と電子の富士通」へ(1959~1969)、 4. 国際標準化の波(1970~1979)、5. 個人にもコンピュータを(1980~1991)、 6.ソリューションビジネスへ(1992~2001)、7. 人にやさしい豊かな社会を(2002~)となっている。
この富士通は、富士電機製造(現・富士電機)の通信機部門を分離・独立して設立された企業で、創業者は古河財閥の古河市兵衛の大甥吉村萬治郎。1931年に古河財閥とシーメンス社の合弁により「富士電機製造」(現在の富士電機ホールディングス)が設立され、後に(1935年)通信機部門を分離して、富士通信機製造株式会社(現在の富士通)となってとなって現在に至っている。
博物館では、この富士通の事業展開を、次のような展示品を「製品展示室」でインターネットにより時代ごとに区切って紹介掲示がなされている。主なものをみると、初期の物では「富士型3号電話機」(1945年)、電子計算機「Facom100」(1954年)、クロスバー電話交換機「C30A」(1958年)、データ通信システム「FacomM323」(1964年)、光伝送装置32M (1974年)、身近なものではワープロの「OASIS100」(1980年)やPCのFMV(1993年)など。最近ではスーパーコンピュータFujtsu Supercomputer PRIMEHPCFx10 (2011年)なども紹介展示されている。(See:展示画像)
なお、富士通は、同社のコンピュータ事業の推進を担った池田敏雄氏の功績を伝えるため、富士通沼津工場(現・沼津事業所)内に「池田記念室」1976年に開設している。池田敏雄は、コンピュータの国産化を強力に推し進め、富士通のコンピュータ事業と日本のコンピュータ業界の発展に大きく貢献したことで知られる。また、池田は、富士通の初期の電子計算機FACOMの開発者でもでもある。
・参照:池田敏雄ものがたりhttps://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum/ikeda/biography
それでは、これらを開発してきた富士通の沿革をみてみよう。
❖ 富士通の創業と歴史
→ この富士通は、富士電機製造(現・富士電機)の通信機部門を分離・独立して設立された企業。創業者は古河財閥の古河市兵衛の大甥吉村萬治郎。1931年に古河財閥とシーメンス社の合弁により「富士電機製造」(現在の富士電機ホールディングス)が設立され、後に(1935年)通信機部門を分離して、富士通信機製造株式会社(現在の富士通)となっている。このように、1935年の富士通信機製造株式会社であるが、当初、シーメンス製の交換機・通信機器の輸入販売を行っていたが、後にステップバイステップ自動交換機の国産化に成功し、1935年、分離独立して「富士通信機製造株式会社」となった、ものである。富士通信は、戦時中、軍に通信機を納入するなど軍需生産工場となったが、戦後、直ぐ戦災で大きな被害に遭った電話網の復旧に貢献、「富士形3号電話機」(1945年)を量産し郵政省に供給して通信事業を大きく伸ばした。
こうした中で、社内開発部門で電話通信技術を活用して「新ビジネスに進出したい」という気運も高まり、当時黎明期を迎えつつあったコンピュータ時代を見据えて、この分野の先駆者池田敏雄を中心として「電算機」の開発がスタートする。池田たちは富士通の電話交換機で長年活用してきた電話回線の切り替えスイッチ「リレー」を使い、1954年に富士通初のコンピュータ「FACOM100」(Fuji Automatic Computer)の開発に成功する。コンピュータの開発は巨額の先行投資を必要とする「冒険」であったが、1959年に社長に就任した岡田完二郎は「コンピュータに社運を賭ける」と明言し、1962年、「通信と電子の富士通(Communications & Electronics)」という新しい経営方針を打ち出して新しい一歩を踏み出した。
一方、通信部門は海底同軸ケーブル方式の開発、デジタル技術を取り入れた伝送方式の研究・実用化などで収益を伸ばしている。電算部門でも、1968年「FACOM230-60」を発表、ICの全面採用、新方式によるOSなど画期的な工夫がなされ、高い評価も受けている。
しかし、1970年代になると、電算技術の標準化が進んで米国のIBMが世界をリード、独自路線のメーカーは姿を消していった。日本でも同様であったが、富士通はIBM互換のアーキテクチャを共有する方向で日立製作所と提携、共同でIBM互換機の開発を進めた。その結果、IBM参加のアムダール社ブランドの商用1号機「Amdahal 470V/6」を富士通の川崎工場で製造、1975年、NASA(アメリカ国立航空宇宙局)でも採用された。こうして生まれたのが「FACOM Mシリーズ」。
また、コンピューター分野では、パソコン用OS「Windows」の登場とともに、状況は大きく変化。富士通では「コンピュータ」といえば従来通りの汎用機、企業や公共団体向けの大型マシンを指し、「パソコン」という個人向けのコンピュータはホビーユース製品としかとらえられず開発に出遅れたのは否めない。しかし、日本では日本語使用のワープロが普及、富士通もシャープや東芝など共に、オアシス(OASYS)ブランドで売り出し市場を広げている。さらにノートPCではFMVシリーズなども普及させた。
この時代、富士通は通信部門でも新たな発展を遂げる。1985年、日本でも通信が自由化され企業が自前で通信ネットワーク網を作れるようになったことを受け、富士通は1984年、「COINS」という企業情報通信ネットワークシステムを構築、また、1992年、「PROPOSE」という情報・通信システムの総合サービス体系を発表している。
1990年代半ばからは、Windows OSの普及やパソコンの高性能化がさらに進み、2000年代に入ると、加えて、高速インターネット回線の普及により、私たちの生活にICTが急速に浸透していき、もはやICTなしには私たちの社会は成立し得なくなっている。富士通では、大量のデータを高速に処理するデータセンター、それを構成するサーバー、スマートフォンの通信を支えるモバイルネットワークなどを構築して、通信サービスを行う企業に変化していっている。一方、汎用コンピュータ部門では、理化学研究所と富士通が共同開発し、2021年、世界最速のスーパーコンピュータ「富岳」を生み出しているのが特記できる。
・参照:早わかり富士通の歴史 https://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum/history
・参照:スーパーコンピュータ「富岳」(富士通) https://global.fujitsu/ja-jp/technology/research/fugaku
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♣ 東芝未来科学館 (2024年閉館)
― 日本のエレクトロニクス産業の歴史を語る「未来館」
所在地:神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34
HP: http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/
→ 「未来科学館」は、東芝の技術開発の成果と日本の電子電気産業技術の歴史を伝える企業博物館。 設立の基本コンセプトは、エレクトロニクスの最先端技術・科学の展示と情報発信、産業遺産の保存・歴史の伝承である。 館内では、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できるほか、日本の近代産業遺産に連なる展示もあり、数多くの訪問者を集める人気の博物館であった。 しかし、現在は、残念ながら東芝における事業環境変化により閉館となっている。ここでは、この科学館の重要性に鑑み、開館当時の展示内容を、私の訪問記録を基に再現してみた。
See: 「東芝未来科学館」の機能見直しhttps://www.global.toshiba/jp/news/corporate/2024/05/news-20240523-01.html
❖ 開館当時の東芝未来科学館展示の内容


博物館施設の構成は、主題別に「未来ゾーン」「サイアンス・ゾーン」「ヒストリーゾーン」の三つに大きく分かれている。このうち、「未来ゾーン」は、エレクトロニクス技術により、建築物、医療、情報の姿を予測したビジュアル展示、次の「サイアンス・ゾーン」は科学現象を体験できる展示、「ヒストリーゾーン」は、企業としての東芝の発展を伝えるコーナーである。ここでは、以上のうち「ヒストリーゾーン「」を中心に紹介することにする。
・参照:「東芝未来科学館」を訪ねる https://igsforum.com/visit-toshiba-science-museum-rjj/
館内の展示は、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できる数々の工夫がこらされていて、最近の科学技術の発展や歴史を生で体験できる。また、日本の近代産業遺産に連なる歴史展示も魅力の一つである。

この施設は、1961年当初、川崎市郊外にあったが、2014年、JR川崎駅近くに移設・開館、大幅改装して新しい東芝の科学技術博物館として登場している。旧施設にも一度訪ねたことあるが、随分と展示内容が充実したように思えた。この博物館の中で、特に、私の関心を引いたのは、東芝の技術開発の歴史と企業の発展を示す展示であった。なかでも、東芝創業の前駆をなす発明品類展示(田中久重の万年時計や精巧なカラクリ人形など)、明治勃興期の電信機、電灯、発電機などの展示は、日本の電気電信技術の初期の発展の姿を示しており貴重なものと思えた。以下に施設の概要とその博物館の魅力について紹介してみた。
❖ 創業と発展の歴史を伝える「創業者のコーナー」
「ヒストリーコーナ」のうちで貴重と思われるのは、「創業者のコーナー」及び「東芝の電気製品一号ものがたり」の展示である 前者は、東芝の創業者田中久重、東芝の今日をもたらした藤岡市助の事績を伝える逸話と解説、後者は、東芝の技術開発の先進性を伝える展示コーナーである。 これらを以下に紹介してみる。
<田中久重と東芝>


東芝の創業者として知られる田中は、日本の江戸時代から活躍した発明家で、「カラクリ儀右衛門」ともよばれ、数々の複雑な機構を持った機械人形や灯火製品、時計などを発明、後に、田中製作所、芝浦電気製作所を設立し、東芝(東京芝浦電気)の基礎を築いた人物である。 日本の機械加工技術がいかにその基礎を築いてきたかをみる上で貴重な歴史遺産であることが展示で分かる。19世紀の江戸で、これら精巧な製品が発明されていたことに驚きを覚えるが、これらの技術が、その後の近代機械・電気機械産業を早い時期に発展させる契機となったことが示されている。 例をあげると、日本で最初に作られた蒸気機関車模型、複雑な構造を持つ「和時計」、精巧な「からくり人形」、「懐中燭台」、「無尽灯」などはよく知られている。日本の産業界は、このうち、田中の発明品の粋である「万年時計」に注目し、1970年代、その復元品の製作を行ったが、その技術の高さに驚嘆したという。また、その他の「発明品」も世界的に貴重なものも多く、今日のロボット技術などに反映されているといわれる。
See: URL: http://www.tofugu.com/2013/07/29/tanaka-hisashige-father-of-toshiba-edison-of-japan/) “Tanaka Hisashige: Father of Toshiba, Edison of Japan”
・参照:万年時計復活プロジェクトhttps://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/project/index_j.htm
<藤岡市助と東芝発展>
一方の第二の東芝創業者藤岡は、日本の電気工学の基礎を築いた人で、日本で初めての電灯や発電機、モーターなどの技術を開発、「東京電灯」という電力会社を設立した実業家。この東京電灯は、後に芝浦電気と合併し、現在の東芝になっている。市岡は、明治期の日本で白熱電灯の開発と普及、路面電車の設計製作、国産エレベーター製作など、日本の電気産業発展の源流をなす技術発展に大きく貢献。 これら成果は、館内展示、パネル解説などで詳しく紹介され、日本の電子電気産業の勃興期の様子を伝える内容となっている。
<「東芝一号ものがたり」の展示>
次の「東芝一号ものがたり」コーナーは、東芝創立100周年を記念して収集・展示したのもので、電化製品としては日本で初めて開発に成功した電気製品群が年代別に実物展示されている。日本において、電気製品がどのように普及していたか、日本の技術が電気製品にいかに生かされてきたかを伝えている貴重なコレクションである。このうち多くは日本の産業遺産に指定されている。
このうち、貴重なものを順次みていくと次のようである。
明治期のものでは、日本初の白熱電球(1890年)、水車発電機(1894年)、誘導電動機(1895年)、
大正期の国産X線管(1915年)、三極真空管(1917年)、二重コイル電球(1921年)、国産電気機関車(1923年)、日本初のラジオ受信機(1924年)、
昭和に入って、電気洗濯機(1930年)、冷蔵庫(1930年)、蛍光ランプ(1940年)、万能真空管(1943年)、テレビ放送機(1952年)、計数計電子計算機(1954年)、自動式電気釜(1955年)、郵便物自動処理装置(1967年)、日本語ワードプロセッサー(1978年)、MRI装置(1982年)、ラップトップPC(1985年)、NAND型フラッシュメモリー(1991年)などが製作され、明治以降、昭和に至る日本のエレクトロニクス産業の一角が東芝の技術によって大きく牽引されていたことが展示で示されている
<最後に>
この博物館をみることで、日本が明治以降の産業近代化の過程で、西洋の技術を積極的に吸収しつつ、日本の持てる技術伝統を活用して、いかに独自の技術体系と築いていったかがわかる。 しかし、日本のエレクトロ産業は、ビジネスの上では、80年代にピークを迎えた後、途上国の追い上げとグローバル化と情報技術における急速な展開の洗礼で、現在、やや困難な状況にあると思われる。特に、かつて世界をリードした半導体産業の凋落は顕著な一例かもしれない。
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♣ 旧ソニー歴史資料館(2018年閉館)
旧所在地: 東京都品川区北品川6丁目6-39
→ 東京都品川区にあった「ソニー歴史資料館(ソニー歴史資料館)」は、2018年12月に閉館している。当時展示してあった貴重な製品や資料の数々は、現在はソニーグループの本社ビル(東京都港区港南)の1階ロビーにて、一部の歴史的な製品やアーカイブ資料が展示されている。また、ソニーグループポータルサイト内の「製品のあゆみ・タイムカプセル」で設立趣意書、会社沿革、製品のあゆみ、創業者のストーリーをデジタルアーカイブとして閲覧することができる。
・・See: 歴史沿革 | ソニーグループポータル https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/
なお、本サイトでは、筆者が当時の東京品川のソニー歴史史料館を訪問した際、作成した記録を以下に載録しておいたので参考にして欲しい。
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♣ 東京・品川にあるソニーの「歴史資料館」を訪問
所在地 東京都品川区北品川6丁目6-39 (ソニー歴史資料館)
HP: https://igsforum.com/visit-shinagawa-sony-m-jj/
♣ 歴史資料館にみるソニーのルーツ



ソニーは戦後の日本を代表する電気電子産業のパイオニア企業である。終戦直後、すべての産業基盤が失われた中で、二人のエンジニアが小さな町工場「東京通信工業」を立ち上げ、その技術の革新性によって世界的な電気産業企業に育てあげた事跡は広く知られている。この足跡をたどる資料館がソニー揺籃の地、東京・品川に建てられている。名称は「ソニー歴史資料館」である。今年春、この資料館を友人と二人で訪ねてみた。施設はそれほど大きいものではなかったが、ソニーの開発した歴代の記念製品250点が創業時のエピソード共に展示されている。ソニーの技術開発の挑戦と歴史を確認できるだけでなく、戦後日本の電気電子産業の盛衰と発展をみる上でも貴重な施設であることを感じた。以下は、この見学時の印象を記した記録である。(注:館内の写真撮影は禁止されていたので、掲載写真は、同社のWeb画像、パンフレットなどを利用している。
♣ 歴史資料館の概要



ソニー歴史資料館は、これまで戦後製作してきた代表的な製品群を、その技術開発の歴史とエピソードを交えてわかりやすく展示している貴重な資料館である。それほど広くはないスペースの中ではあるが、ソニーが創業者の理念が息づくモノづくりの技術と精神が展示品の中にあふれているといえよう。この展示コーナーは、ソニーの創業時の映像「源流」、製品の「発想通史」、技術開発の「発想庫」、ライブラリーなどのブロックに分かれていて、訪問者が、それぞれの興味に基づいて見学できるようになっている。
♣ 創業の精神と源流



ソニーは、戦後間もない1946年、従業員数20名弱の小さな企業「東京通信工業」として設立された。このときの創業者は技術者井深大、盛田昭夫である。その時の設立趣意書には「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ。自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」と唱われていたという。戦後の混乱の中で生活を豊かにするための「技術」をベースにした先進的革新的な製品の開発に意欲を燃やしていた企業であったことがわかる。この「源流」コーナーには、このことをよく伝える映像、資料、ビデオコーナーが準備されている。筆者も、拝見させてもらったが、当時の時代精神とソニーの革新性に改めて感じ入った。
♣ 通史にみられる技術と製品の数々



「発想通史」では、時代経過にしたがって展示の内容をソニーの企業としての発展の様子が系統的に展示されていた。ソニーがはじめて開発に成功した製品は、1950年のテープレコーダーであった。続いて、トランジスターを使った日本発の「TR-55」の製作に成功し、社名もソニーと改め、企業としての基礎を築いている。この製品は、コーナーの最初に展示されている。

また、1959年にはポータブル・トランジスタ・テレビ、61年には世界初のVTR“SV-201”の商品化に成功している。テレビの技術開発は他社に比べてやや遅かったが、高品質をめざしトリニトロン方式のカラーテレビを市場に投入する。また、60年代後半、トランジスターを利用した電卓も普及しはじめたことから、この分野にも参入する。

70年代は家庭の電化製品が広く普及した時代で、ソニーもテレビ、ビデオなど技術開発が盛んに進められた。そのうちの一つがVTRカセットで、ソニーは「ベータマックス」を投入したが、ビクターのVTRと激しく争い撤退したということも起こっている(ビデオ戦争)。しかし、業界に先駆けたCCD利用の8ミリビデオも開発している。

なんといっても、ソニーの名を世界にとどろかしたのは、カセット利用の携帯用音楽プレーヤー「ウオークマン」の登場である。90年後半までに1億5000万台を売るヒット商品となっている。このプレーヤーの初期から次世代型まで時代を追って展示されていたのは興味深い。これによって音楽文化の楽しみ方にも革命的な変化がもたらされたという評価もなされている。

1980年代はデジタル時代となる。音響CDの開発に成功したのもソニーである。84年には携帯型CD、88年にはMO、92年にはMDを立ち上げてソニーの先進性を示した。PC開発に取り組んだのも同時期である。

また、エンターテイメント事業にも力を入れ、プレステやアイボの
開発を行ったのは90年代のことであった。また、PC市場でも「VAIO」シリーズを市場に投入している。2000年以降は目立った新製品の開発はなされていないが、デジカメ、ゲーム機、液晶テレビ「ブラビア」などで存在感を示している。

これら、ソニーの投入電気電子製品をみていると日本の電気電子産業技術全体の動向が、どのような方向で進んでいたかがわかる気がする。その意味でも、ソニー資料館の「歴史コーナー」は貴重な史料を提供している。
♣ ソニーの「発想庫」にみられるソニーブランドの方向性
このコーナーでは、ソニーがこれまで生み出してきた商品技術の特色と方向性を示す展示となっている。コンセプトでは、サイズ(小型軽量化)、デザイン(扱いやすさとスマートさ)、オリジナル(商品の独自性)の追求となっている。それぞれ、技術的にはTVやビデオでの軽量化とCCDの活用、デザインや機能ではラジオ、カメラ、オリジナル性ではウオークマンやエンターテイメント・ロボット、ゲーム機などが特色とあげられていて、納得させられる。ソニーの創業期から発展期までの精神がよく示されている展示コーナーといえようか。

♣ 展示にみるソニーの将来像と日本の電子電気産業


2000年代以降になると、技術大企業ソニーも後発メーカーの追い上げでかっての輝きにもやや陰りがみられるようになったのは、日本の電子電気産業全体にとっても残念な事態である。しかし、これは産業のグローバル化と情報通信技術の革命的な変化の結果ともいわれ、この難しい中でソニーの創業時のモノづくり精神が今後どのように生かされていくのか興味が湧く課題である。このソニーの技術開発と企業としての発展がどのように進んでいくのか考えさせられた。その意味でも含蓄の深い貴重な歴史資料館であると感じた。日本の人々だけでなく、アジアの技術発展途上にある国の技術者、若者にも是非たずねてほしい産業資料館である。
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(家電メーカーの博物館 了)