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東京・麻布にある新外交史料館展示室を訪問

― 生きた原文の外交書類から日本外交の史実を学ぶー  麻布台ヒルズの中に新しく設置された「外務省外交史料館展示室」を訪ねてきた。元々は麻布の飯倉公館敷地内にあったのだが、日本の外交史をより広く知ってもらおうと展示室を麻布台ヒルズに移設させたという。展示室には幕末にアメリカとの間で結ばれた「日米修好通商条約」をはじめ、第2次世界大戦後に日本が主権を回復した「サンフランシスコ平和条約」の複製など、日本近代の歴史を刻む貴重な外交資料が66点展示されている。今年4月に開館し、展示はリニューアルされて非常に見やすくなったようだ。一方、今回の移設は展示室のみで本館建物は旧住所のまま文書の閲覧と保管を行っている。  展示は時代ごとに区分されていて、それぞれパネルで説明書きがなされている。内容は、列強の来航と開国、開港とその影響、明治初期の外交、条約改正、日清・日露戦争、満州事変から太平洋戦争、終戦と占領、講和条約と主権確立、沖縄返還、プロローグ・日本外交の過去と未来となっている。また、企画展示には、元総理吉田茂の外交記録、パスポートの歴史、ユダヤ系民の命を救った杉原千畝の記録などを説明付きで展示している。  今回、改めて展示された“生(なま)”の実物条約文書、写真記録、記念品を見ることができ教科書や歴史書にない生きた歴史を感じることができた。開国以来の日本外交と波乱に満ちた政治の流れを実感できた気がする。日本の近代史を学ぶには必見の外交史料館展示室であろう。 この訪問を機会に史料館の展示の紹介を行うと共に、展示資料を参照しつつ近代日本の外交の流れを簡単に振り返ってみた。(なお、展示品の写真転載は制限されているため、他のメディアを活用しているものも多い) ・外務省外交史料館(本館) 東京都港区麻布台1-5-3 Tel.(03)3585-4511・同 外交史料館展示室 東京都港区麻布台1丁目 麻布台ヒルズ5F (https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archive.html ♣ 外務省外交史料館の設立背景と概要  外交史料館は、日本の外交に関する歴史的な記録文書を保存・管理・利用する機関で、幕末から昭和終結までの記録と歴史的な戦後外交記録文書を合わせ、現在まで約12万点の重要外交資料を所蔵している。外務省では、明治初年以来、外交記録を網羅的に収集・保存を行っており、1936(昭和11)年には主要な文書を整理・編さんした『日本外交文書』も公刊している。しかし、戦時中に多くの資料が消失散逸する事態となり、戦後、有識者や学者・研究者などの間からこれを惜しむ声が広まり、散逸文書の収集・復元、重要文書の残存文書を整理して「史料館」を設立すべきとの声が高まってきた。外務省としても、これに応えて外交資料を改めて整備するべく、幕末から現在までの記録を収める新しい「外交史料館」を1971年4月に誕生させることになった。先人の多くの活動が刻まれた外交史料は、外交における苦心と決断の歴史を後世に証明するものとの考えが生かされることとなったわけである。そして、1988(昭和63)には展示室、収蔵庫等を備えた別館が増設(吉田茂記念事業財団より寄贈)され、施設はより充実される形となった。  外交記録は、明治・大正期(旧記録)、第二次世界大戦を挟んで昭和戦前期(新記録)、昭和戦後期(戦後記録)に大別され、明治・大正期の記録は1門(政治)、2門(条約)、3門(通商)など全8門、昭和戦前期の記録はA門(政治・外交)、B門(条約)、E門(経済)など全16門に分類され、4万冊を超えるファイル(いわゆる「青ファイル」)に収められている。そして、2001(平成13)年には、「情報公開法」」の施行に伴い歴史的な資料を保存管理する施設に指定される現在に至っている。さらに、2021年には開館50周年を迎え、2024年4月、展示室が外交史料館本館に隣接する麻布台ヒルズ森JPタワー5階に移転している。移転により親しみやすい展示室に生まれ変わったとしている。  なお、本館閲覧室では、戦前・戦後期の外務省記録(外交記録)を所定の手続きの後、閲覧可能であり、また、新たに設けた「検索システム」で外交文書を画像と解説で閲覧できるサービスも開始している。 日本外交文書デジタルコレクション|外務省 (mofa.go.jp)https://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/honsho/shiryo/archives/index.html 以上の踏まえ、史料館展示室の展示内容に沿って日本外交の足跡を追ってみた。 ♣ 展示に見る日本外交の流れー幕末開国から明治初期の外交文書 この期の主な外交文書として展示されているものをあげると、次のようなものが見られる。日米和親条約批准書(1855安政2年)、日米修好条約(1858安政5年)、日露通好条約(1855安政元年) など。 よく知られるように、1853年、米国のペリー提督が突然浦賀に来航して幕府に開港を促し交渉を迫った。これを幕府は一度拒否したが、米国は翌年7隻軍艦をつれて江戸湾深くまで侵入、強く開国を迫るという事態が発生。幕府はアヘン戦争の再来を恐れ交渉受託、1874年に横浜村で「日米和親条約」締結し、1855年(安政2年)正式に批准することで200年以上続いた「鎖国」は終わりをとげることとなる。史料館で展示されているのは、この記念すべき「和親条約」批准書の写し(副書)である。 展示品には幕府老中首座・阿部伊勢守正弘の花押が記されている。この条約には、通商条項は記されていないが、米国の強い要求から交渉が続けられ、後の1858年(安政5年)、「日米通商修好条約」が結ばれることとなる。これには開港場での外国人の居住と領事裁判権、自由貿易の許可、関税協議の義務(関税自主権の喪失)などが含まれていた。展示された「日米通商修好条約」には、阿部正弘の側近である井上信濃守、岩瀬肥後守の名がある。 この両条約は、国内に大きな反響と混乱をもたらし、条約勅許をめぐる政争、攘夷運動の激化、外国人の襲撃、経済の混乱と倒幕運動、やがては幕府の崩壊と内戦、明治維新へとつながる基となった。また、条約は日本側に非常に不利な「不平等条約」の形とされ、この条約の改正が明治外交の大きな課題となったことは事実である。このため明治政府は、近代国家としての体裁を整えると共に、各国との長い交渉を継続せねばならなかった。 以上は、歴史の教科書などにもよく述べられている史実であるが、実際に条約文書展示をみると実感として幕末の政治と外交のドラマが浮かんでくるのが否めない。また、同時期、ロシアのプチャーチンとの間で「日露通好条約(1855安政元年)」が結ばれ、幕僚の筒井政憲、川治聖謨が調印しているのも忘れられない。なお、展示室に展示されている「日米通商修好条約」文書は、原文が幕末の江戸城火災で焼失し、米国の国立公文書館に残った原文を副書として提供されたものとの注意書きがある。 ♣ 明治初期の外交をたどる文書と史実―アジア外交の開始と不平等条約改正交渉  明治初期の対外関係を示す展示資料としては、次のようなものがある。日清修好条規(1871明治4年)、樺太千島交換条約批准書(1875明治8年)、(各国と結ばれた通商修好条約)改正までの道のりを示すパネル解説、日英通商航海条約調印書(1894明治27年)、日米通商航海条約批准書(1911明治44年)など。 近代国家として出発した明治政府は、まず、近隣諸国との間での外交関係の構築に乗りだしたが、最大の外交課題は欧米との通商関係をはじめとする「不平等条約」の改正交渉であった。このプロセスが関係者の努力が展示室のパネル解説と展示品によく示されている。  まず、この期の対外関係の進展を見ると。ロシアとの関係では旧幕府時代に締結された「日露通好条約(1855安政元年)」の確認と批准書の交換が行われている。これにより千島・樺太の領土問題が確定した。掲載資料は、1875年(明治8年)の「樺太千島交換条約」批准書である。これに先立っては日清修好条規(明治4年)、日朝修好条規(明治9年)が調印されている。 「日清修好条規」は、天津で明治4年に、日本と清の間で初めて結ばれた近代的な条約である。相互に開港することなどを定めていて、同時に、通商と海関税則も調印されている。「樺太千島交換条約批准書」はロシアとの樺太・千島の領有を両国政府が正式に宣言するものであった。  幕末に結ばれた欧米との通商条約、いわゆる「不平等条約」の改正は、明治政府発足時からの悲願であった。明治4年(1871年)には早くも「岩倉使節団」の欧米派遣からはじまっている。新政府の主要閣僚がこぞって参加したこの訪欧は、欧米の進んだ科学技術、産業、社会制度を直に学ぶことに主目的があったが、同時に、条約改正を打診するものでもあった。しかし、その目的の遠いことを自覚させられるものであったようだ。明治初期の日本の近代化を誇示しようとした「鹿鳴館」時代の施策も、この努力の一環であったという。(明治17年天長節晩餐会、明治26年天長節晩餐会の記念品などの史料館展示が当時の「欧化政策」のありようを示している)  その後、1882年(明治15年)、外務卿井上馨が主導して条約改正会議が開催するが成果はなく延期を余儀なくされた。 次の交渉は、黒田清隆内閣の下で外務大臣となった大隈重信を中心に続けられ、1889年(明治22年)にようやく、アメリカ・ドイツ・ロシアの3国との改正条約の調印に成功する。しかし、外国人判事の任用をめぐって政府内外の反発が強まり、大隈は反対派による襲撃で負傷、改正交渉は再び中止となってしまった。領事裁判制度問題を棚上げして条約改正に成功したのは、1894年(明治27年)、陸奥宗光の時代で、英国との「日英通商航海条約」の調印に漕ぎ着けた時のことであった。しかし、このときは関税自主権の確立はなされず全面的な条約改正は、1911年、小村寿太郎外相の時まで待たねばならなかった。この間、約40年にわたる長く忍耐強い交渉努力によるものだった。 この長い交渉過程は史料館の展示品の中によく示されている。   展示品には、この交渉過程で生まれた日墨修好通商条約調印書(1888年)、日英通商航海条約調印書(1894年)、、日米通商航海条約批准書(1911年)などが展示の中にみえる。また、この間、日清戦争、日露戦争など対外関係の紛争があったことも忘れられない。   → 参照:「明治150年記念デジタルアーカイブ 国書・親書にみる明治の日本外交」などhttps://www.mofa.go.jp/mofaj/ms/da/page25_001746.html ♣ 展示文書に現れた対アジア外交の展開―日清・日露の対外政策と明治外交  明治政府は、発足当初から開国に伴い隣国との外交関係の再開を計っている。しかし、日本人の海外活動が始まるにしたがい中国(清)、朝鮮との間の摩擦も生じる。また、国内の政治混乱などから、対外干渉、進出への道を早くも開始している。いわく征韓論の浮上、台湾出兵、江華島事件、そして、日清戦争、日露戦争への展開などである。この間の外交事案として、史料館は「清国とロシアー二つの大国との戦争―」と展示解説を行っている。 まず、展示品にある「日清講和条約書」(下関条約)は明治27年から始まった日本・清国との「日清戦争」の終結を約したもので、日本は事実上勝利し清国から台湾、澎湖諸島、遼東半島を割譲され、巨額の賠償金を受け取ることになった。 もう一方の「日露講和条約」(ポーツマス条約とも呼ばれる)は、大国ロシア帝国と戦って、多大な犠牲を伴いつつも勝利して“講和”に至ったものである。戦争は、満洲(中国東北部)と朝鮮半島の支配権を巡る争いで引き起こされたとされ、陸戦では遼東半島や奉天が主な戦場となり、海戦では日本近海にてバルチック艦隊を破り、最終的にアメリカ政府斡旋の下で講和が成立している。この日露戦争は、日本がはじめて欧州の大国に勝利し日本の存在を示すことになったが、中国などアジアへの権益拡大、軍事進出、やがては世界で孤立する道へと進むきっかけでもあった。その意味でも、両条約は明治の外交事案で最も重要なものとなっている。  史料館展示では、この外交事案を巡ってその経過、背景についての文書は扱っていないが、国立文書館では、次のような外交関連文書を公開しており参考になる。 「清国に対する「宣戦ノ詔勅」(明治27年)(宣戦の詔勅を発する際の閣議書)、「遼東半島の返還に関する詔勅」(明治28年)(占領壌地ヲ還付シ東洋ノ平和ヲ鞏固ニス)、「日露戦争の「宣戦詔勅」」(明治37年)、「統監府及理事庁官制」(明治38年(第2次日韓協約会議筆記)、「韓国併合ニ関スル条約」(明治43年)(条約を公布する際の閣議書) ♣ 展示が示す国際協調から日中戦争への道―大正から昭和初期の外交姿勢  長く懸案であった「不平等条約」の改正を果たし、日清・日露の戦争終結を終えて大正年に入った日本外交は、欧米との間では比較的落ち着いた動きの時期であった。この期の史料館の展示テーマは「国際協調の時代」となっている。しかし、第一次世界大戦への参戦、アジアでは韓国併合に続いて中国北部への侵攻、シベリア出兵など決して「協調」とはいえない時期であったようだ。それでも第一世界大戦の終結に伴う国際政治の安定に向けてワシントン会議が開かれ、外相幣原喜重郎を中心に日本も欧米との協力を強めた時期で、「幣原外交ともいわれた。史料館では、展示をテーマに沿って「ヴェルサイユ講和条約・認証謄本」(1919年)、「ワシントン海軍軍縮協定」(1922年)、「戦争放棄に関する条約・認証謄本」(1928年)を展示、。→ 外務省: ワシントン会議全権時代 新時代の外交機軸の探求 (mofa.go.jp)  また、関連資料としては、第一次世界大戦参戦の契機となった「日英同盟協約」(1901年)、ワシントン会議に伴う「四国条約」(認証謄本、1921年)、「山東懸案解決条約」(認証謄本、1922年)「海軍軍備制限に関する条約」、「中国に関する九国条約」などがみられる … Continue reading

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東京・日本橋の「くすりミュージアム」を訪ねる

―「くすり」の働きを見える化するデジタル博物館の魅力と江戸日本橋ー   先日、日本橋に行く機会があり、かねてから訪問したかった大手製薬会社第一三共の「くすりのミュージアム」を訪ねてみた。江戸の昔から日本橋本町周辺は「くすりの街」として知られており、現在でも多数の大手製薬会社ビルが軒を並べている。その中の第一三共本社にミュージアムはある。2012年に開設されたもので、くすりと製薬技術の大切さを広く社会に発信しようと設立したという。この博物館では “デジタル技術”を使い、形には見えにくい「くすり」の中身や効用、新薬開発プロセスなどをCGや映像、模型でビジュアルに紹介している。  館の内部は、「くすりとからだ」「くすりの種」「くすりのはたらき」などと分野別に展示がなされており、それぞれをICチップで操作して展示物を閲覧するようになっている。例えば、「くすりとからだ」では、人体がどのように構成され、病気のときに体内で何が起きるのかをバーチャル映像で確認することができるすぐれものである。医療と医薬の現在を知る上で先進的なミュージアムといえよう。 この訪問を機会に「くすり」とは何かをミュージアを通じて考えると共に、「くすり」日本橋本町の今昔、博物館を開設した第一三共製薬の創業と歴史を追ってみた。 ☆    第一三共「くすりのミュージアム」所在地:東京都中央区日本橋本町3-5-1 Tel. 03-6225-1133HP: https://kusuri-museum.com/ ♣ くすりミュージアムの位置づけと館内展示  第一三共は、三共と第一製薬とが2005年に経営統合して誕生した大手製薬会社で、がんを中心とした医療用医薬品から、OTC医薬品、ワクチンの製造販売まで、幅広いくすりを開発・製造・販売している。この第一三共が広く「くすり」の役割や効用、薬の開発プロセスなどを知ってもらおうと開設したのがこの博物館。一般的な「資料館」や「博物館」とは大きく異なり、歴史的な資料や収集物の展示は誇示されず、“デジタル技術”を使い、“参加・体験”を通じて「くすり」の大切さを社会に訴えようするミュージアムとなっている。企業の社会的役割を強調する未来型の博物科学館といえよう。 では、どのような展示がなされているかを見てみよう。 (ミュージアムある展示の様子)  ミュージアムに入るとすぐに受付カウンターがあり、そこでICチップのメダルを受け取って展示室に入るシステムになっている。展示室は2階にあり、最初に眼にするのは「くすりとからだ」コーナーで、壁面に大きな映像の人体モデルのある部屋である。そこはメダルをかざし正面に立つと“人体がどのような臓器で構成”され、病気のときに体内で何が起きるのかがバーチャル映像で表示される展示となっている。人間が健康を害するようになると身体にどのような変化が起き病気になるか、健康バランスを回復するため医薬がどのように手助けするかを言葉と映像で解説してくれる。  次に、展示室の奥に入っていくと三面が壁に囲まれた「くすりの歩み」コーナーがあり、ビジュアルな医学・薬学の大きな発展年表が用意されている。そこでは有史以来の医療から最近医学薬学の歴史が時代ごとの事象で表現されており、医学知識のない時代、医療のあけぼの、薬草医療、細菌の発見と近代医学の進展、伝染業への対応、ワクチンの開発などの歴史が医薬との関連で丁寧に紹介されている。改めて医療とくすりの長い歴史を感じることができる展示である。  次の広い空間スペースのメインの展示室では、各種の医薬に関する機能や役割を様々な機器と装置を配置して展示がなされている。このうち最も目を引くのは、正面にある大きな透明の人体模型。ここは体内に入った「くすり」がどのような経路を辿って目標の部位に達するかをシュミレーションし、視覚的にわかる優れた展示装置となっている。  また、周辺には薬種別に効用を識別できるゲーム感覚のテーブル装置、創薬がどのような試行錯誤で作られていくかの解説コーナーなどが並んでおり、くすりの開発がどのように進みつつあるかを参加者自身が体験的に理解することができる。  たとえば、透明な人体モデルでは、見学者がメダルで経口薬コースを選ぶと、口に入った薬が胃を通り腸で吸収されて血中に入り、心臓を通して全身に運ばれで目標(患部)に届き、その後、働きが終わると腎臓を経て体外に排出される動く過程がビジュアルモデルとして観察できる。また、これを注射・点滴による薬剤投与、座薬による投薬と種類別に異なる経路で薬が運ばれる様子が識別できるといった風である。            さらに、「くすりの長い旅」のコーナーでは、テーマが「くすりの種を探す」「組み立てる」「かたちづくる」「育てる」とあり、自然の動植物あるいは科学物資中から薬効可能性を見いだし、何十万もの「種」を選別ストック、ライブラリー化して、これを病因別に対応するよう組み立て、加工する過程が映像化されている。また、何年もかけ「安全性」と「薬効」を試験して製薬に仕上げる創薬プロセスも再現されている。これらを見学者はゲーム感覚で、「くすり」つくりに実際に参加するような展示となっている。筆者が訪問したときも、何人もの見学者が嬉々として創薬展示プロセスに参加していた。 ♣「くすりと日本橋」にみる日本橋本町の今昔  各種展示の中で興味深いものの一つは歴史展示「くすりと日本橋」である。すでに触れたように日本橋周辺には多くの製薬会社があつまり、薬品・医療メーカーの集積地になっている。この起源は江戸時代にあり、この地に多くの薬問屋が店を開いたことによるという。これの展示を参考にしつつ「くすりの街」日本橋本町周辺の今昔をみてみた。    日本橋にくすり問屋が集まるようになったのは、江戸初期の頃、家康が江戸の町づくりを行う過程で、日本橋周辺を江戸の商業地に割り当てたことによる。このうち日本橋本町3丁目付近を薬種商の地として指定、これ以来、多くの薬問屋が集まるようになった。中でも商人益田友嘉の「五霊膏」という薬は大評判になって日本橋本町の名望を高めたという。元禄期になると、多数の「問屋」や「小売」などが集積されたため薬種問屋組合も結成された。また、幕府は日本橋薬種商の品質管理と保護を計るため「和薬改会所」の設置も行っている。この頃からの薬種問屋としては、伊勢屋(伊勢屋吉兵衛)、いわしや本店(松本市左右衛門)、小西屋利右衛門出店などの名がみえる。当時の薬種問屋街の賑わいは川柳にも「三丁目、匂わぬ店は三、四軒」と謳われ、街にくすりの”かおり”が満ちている様子が伝えられている。こうして、江戸日本橋本庁付近は大阪の道修町と並ぶ全国のくすり問屋の中心地の一つとなってくのである。    明治に入ると、西洋の薬「洋薬」や医薬分業制の導入など薬を取りまく環境は大きく変わっていくが、日本橋本町の薬種問屋は結束して「東京薬種問屋睦商」を組織して対応したほか、新しく参入する製薬会社も加わり更なる発展を遂げていく。  このうちには、田辺製薬の基となった田辺元三郎商店、後の藤沢薬品工業となる藤澤友吉東京支店、武田薬品と合併する小西薬品などの名も見える。 こうして、本町通りの両側の町は、今も小野薬品、武田薬品、第一三共、日本新薬、中外製薬、ゼリア新薬、東京田辺製薬、藤沢薬品(現アステラス製薬)などが並ぶ製薬の町となっている。  第一三共製薬が「ミュージアム」を日本橋本社内に開設したのも、自社の業績をだけでなく、この街の発展を伝えるよう展示を構成しているのもわかるような気がする。 ♣ 第一三共製薬の創業と歴史をたどる  このミュージアムを訪問するに当たって、明治年間に創設され、後に第一製薬と合併し「第一三共製薬」となった「三共製薬」の発展をたどってみることにしたが、この背景に明治の大化学者高峰譲吉があったことは忘れられない・ (三共の創業と高峰譲吉)  三共の起源となったのは、横浜で絹物会社の支配人だった塩原又策が、1899年(明治32年)に、高峰譲吉との間に消化薬「タカジアスターゼ」の独占輸入権を獲得し、「三共」として薬種業に参入したことにはじまる。三共という名は、友人であった西村庄太郎、塩原の義弟である福井源次郎の三人が共同出資したことにちなむという。三共と高峰との出会いは西村が米国出張中のことと伝えられる。高峰は当時自身の発明した「ジアスターゼ」の販売権を既に米国の大手製薬メーカーのパーク・デービス社(現:ファイザー社)に譲渡していたが、日本市場は日本人に担って欲しいとかねてから考えていた。これを知った西村は高峰に塩原又策を紹介し、又策も繊維のほか事業の拡大を考えていたことから話は前向きに進められることになる。  又策は西村から送られたタカジアスターゼの見本で効果を確認した後、これを輸入販売することを決断、1998年(明治31年)、高峰と塩原の間で委託販売契約が結ばれた。 翌年、このタカジアスターゼの売れ行きが極めて好調であったことから、塩原は西村、福井とともに匿名合資会社「三共商店」を設立して本格的な事業展開がはじまる。ここに三共製薬成長の基礎が築かれたことになる。  さらに、又策は、タカジアスターゼに続き結晶化に成功して製品化されたアドレナリンの販売権も高峰に依頼し、3年後の1902年、高峰とデービス社の了解を得て三共商店は日本総代理店ともなっている。米国で科学者として成功した高峰の日本への期待と塩原の誠実さと熱意が結びつき、新しい製薬業の種が広がったことになる。この時代、人と信頼の輪が国を超えて事業が広がったよい事例といえるだろう。 この頃から又策の「三共商店」は単なる新薬の輸入販売だけではなく製薬業にも着手し、さらには事業の多角化に乗り出していく。そして、1913年、三共商店は「三共株式会社」となり、初代の社長には高峰譲吉が推薦され、又策は専務となり日本での事業の中心を担っていく体制となって製薬事業を中心に事業の発展を計っていく。 三共は、大正、昭和と東京に拠点を移しつつ紆余曲折を経て大手の製薬会社として事業を続けていくが、戦後には新たな展開をみせる。  1951年には抗生物質製剤クロロマイセチン®の国産化に成功、1957年には「三共胃腸薬」を発売、ヒットさせる。1965年にはビタミンB1・B6・B12製剤ビタメジン®を発売、1980年代には抗生物質製剤セフメタゾン、世界初のレニン・アンジオテンシン系降圧剤カプトリル、消化性潰瘍治療剤ザンタック、鎮痛・抗炎症剤ロキソニンを発売するなど新規軸を築いている。  次なる転機は、2005年の「第一製薬」との合併による「第一三共製薬」の誕生である。合併先の「第一製薬」は、1915年に衛生試験所技師・慶松勝左衛門が「アーセミン商会」を前身とした企業で、駆梅剤アーセミンを発売して成功している。また、消化性潰瘍剤ノイエル、口抗菌製剤タリビッドなどで業績を伸ばしていた。この両者の合併は、競争の激化する新時代の薬事事業のグローバル化をめざして第一、三共の強みを生かすことであったという。  この結果、2005年9月、三共と持株会社方式で経営統合し、アステラス製薬(山之内製薬と藤沢薬品工業が合併)を抜き、武田薬品工業に次ぐ業界2位となっている。  東京日本橋に本社を置くこの「第一三共」の事業展開は周知のように、グループ企業は30社、12ヶ国に研究拠点、生産拠点は13のグローバル企業となっている。2023年には連結売上収益は1兆6000億円に達したという。 塩原、高峰が明治年間に国境を越え夢を持って創業した「三共」と慶松が大正期に野心的に設立した「第一」が、90年の長い歴史をへて現在のグローバルな製薬企業に成長していく姿は、明治以降の日本の産業発展、企業近代化を示す一つの姿であったと想像できる。 ♥ 訪問の跡で感じたこと   今回は大変勉強になる博物館訪問であった。感想としては、第一に、この博物館が他の企業ミュージアムとは大きく異なり、自社の特色や製品をことさら取り上げて展示することなく、「くすり」という概念全体の効用や製法を解説し展示していることだった。これにより企業の目に見えない努力や独自性が自ずから示される形となっている。第二は「くすり」という把握しにくい製品をデジタルと映像化技術で「見える化」する試みが効果的になされていることだった。国立の日本科学未来館などでも行われているが、企業単独でこれだけの工夫がなされているのは珍しいと思えた。第三点は、日本橋、特に日本橋本町周辺が、江戸時代のから「くすりの街」として発展してきたこと、現在でも大手の薬品会社が集積してグローバルな医療、薬品の中心地となっていることを周辺を歩くことで実感できたことである。また、第一三共創業の歴史を調べる中で、この創設に明治の科学者高峰譲吉が深く関係しているのを知ることができたのも収穫であった。 これまで医療、薬品関係の博物館訪問はなかったが、これを手始めに幾つか訪ねてみようと考えている。 (了) ◎ 参考とした資料など 中

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産業機械の発展を示す博物館 (B) 詳細

♣ 安川電機の歴史館とみらい館(安川電機)  ー 産業ロボット製作のパイオニア安川の歴史と挑戦ー (https://www.yaskawa.co.jp/robot-vil/rekishi/index.html) 歴史館HP(https://www.yaskawa.co.jp/robot-vil/miraikan/index.html)未来館HP(https://www.yaskawa.co.jp/company/robotvillage)ロボット村HP 福岡県北九州市八幡西区黒崎城石2番1  Tel.093-645-7705 → 安川電機は、産業用ロボット分野では世界で4位を占める国内有数の産業工作機械メーカーである。この安川が創立100年(1915年)を迎えて設立したのが「安川電機歴史館」と「安川電機みらい館」。北九州黒崎に「ロボット村」として本社・工場機能を統合して見学・訪問施設としてオープンしている。前者の歴史館では、安川電機の創業と発展の足跡をたどると共に、同社発展の原点となったモータの受注一号機「三相誘導電動機」(1917年)、国内初の全電気式産業用ロボット一号機などが展示されている。  また、後者のみらい館は、現在の安川電機が取り組むロボット先端技術と未来への展望を示す展示館で、最新のロボット技術の紹介、人とロボットの共存を考える空間を提供している。両者とも日本の産業工作機械の歴史と今後の発展を示唆する貴重な展示施設である。  ちなみに安川電機は、九州で炭鉱事業(明治鉱業)を興した安川敬一郎が、電気用品の開発と製造を行うことを目的に設立した会社が基となっており、1928年には「ボールベアリング付き三相誘導電動機」、戦後1953年にはVSモータ1号機を製品化とモータ製作部門で成果を上げ、この技術を応用して産業ロボット部門に進出、1974年にマイクロNC「YASNAC(ヤスナック)」を開発、1977年には国内初の全電気式産業用ロボット「MOTOMAN-L10」を発表している。現在では、半導体・電子部品、植物工場含む農業・食品分野、社会インフラの分野でも存在感を示し、2020年には半導体製造装置などに使うACサーボモーターの累計販売台数が2000万台に到達し世界シェア第1位となっている。 これら安川電機事業の全容と発展を社会的に広く知ってもらおうと開設したのが安川「ロボット村」で、体験型の観光テーマパークとして見学に訪れる人も多いという。 ++++++++++++ ♣ ヤマザキ・マザック工作機械博物館 ー産業ロボットの可能性を探るヤマザキの挑戦を紹介ー   (https://machine-tools-museum.mazak.com/)    岐阜県美濃加茂市前平町3-1-2  Tel.0574-28-2727  → ヤマザキマザックは、自動車部品や医療機器など多様な製品の部品を加工する産業機器・産業ロボットの革新的なメーカーとして広く知られるが、同社の創業100周年記念として2019年開館したのが、この工作機械に特化した博物館。ここには18世紀から現代までの工作機械の展示がされており、一部の機械は稼働状態の展示となっている。施設内には、現代の工作機械で構成された生産ラインもあり、実際に部品の生産が見学できる施設となっている。  この館内の「工作機械ギャラリー」では、工作機械の歴史の、加工部品、最新の工作機械を展示、実物を通して生活に工作機械がどのように関わっているかを詳しく紹介している。工作機械は、自動車や航空機など、私たちの身の回りにあるあらゆる製品の製造に関わることからマザーマシン呼ばれ、「世界のモノづくり」を支える大変重要な役割を担っている。 しかしその存在や用途は、一般的にはあまり知られていない。博物館では、普段見ることのできない歴史的に貴重な工作機械を時代ごとに展示、工作機械の歴史や役割、仕組みなどをわかりやすく学ぶことができると博物館は説明している。                                ーーーーーーーーーーーーー     しかし、その存在や用途は一般的にはあまり知られていない。博物館では、普段見ることのできない歴史的に貴重な工作機械を時代ごとに展示、工作機械の歴史や役割、仕組みなどをわかりやすく学ぶことができると博物館は説明している。  +++++++++++++ ♣ KTCものづくり技術館(京都機械工具)(京都)    (https://ktc.co.jp/museum-west/)    京都府久世郡久御山町佐山新開地128  → 汎用、専用工具など約3000アイテムの工具や収納ケースの展示している資料館である。ミュージアムに入るとすぐ1,000t級の大型熱間鍛造機械の実物が展示されている。また、周囲をぐるりと覆う壁面には同社自慢の機械工具を種別ごとに見やすく陳列してあり、さすがに工具専門メーカーの資料技術館と感じられる内容である。普段はあまり気に留めることもないレンチやソケットの加工部分、細部まで洗練されたデザイン性など、じっくりと確かめることができる。 ++++++++++++ ++++++++++++ ♣ ヤンマー・ミュージアム(滋賀県) ーヤンマーのエンジン、船舶などの製作技術を示す体験型博物館ー (https://www.yanmar.com/jp/museum/)    滋賀県長浜市三和町6-50  Tel. 0749-62-8887              → ヤンマーの100周年記念事業の一環として滋賀研究所の跡地に2013年開館したミュージアム。内部には創業者山岡孫吉の功績を偲ぶ展示やヤンマーの事業内容の紹介があるほか、これまでのヤンマーの製作した各種機械製品、エンジン、ショベルカーや建設機械、トラクター、エンジン、ボート・船舶などが所狭しと陳列展示されている。また、ショベルカーや開発試験用の建設機械の操縦、ボートの操船などをシミュレーターで体験できる体験型の博物施設ともなっている。 +++++++++++++++++ ♣ 長岡歯車資料館 (新潟県) ー機械の性能を支える歯車の秘密を明かす資料館ー  (http://nagaha.net/?page_id=1653) 新潟県長岡市南陽2丁目949-4  Tel. 0258-22-069 → 長岡歯車製作所が1990年に設立した歯車に特化した珍しい機械工作博物館である。ここには歯車を使った機械、時計、茶運び人形、各種歯車モデル、非円形・円錐・球形歯車など、古今東西の歯車に関するいろいろな製品を展示している。主な展示品としては。木製歯車と木製機械、計算機、ミシン、オルゴール、機械式時計、シンギングバード、指南車、記里鼓車、ゼンマイ付玩具、各種歯車のメカニズムのモデル、球形歯車、その他各種歯車加工機械などがある。中でも珍しいのは水車用の木製歯車、同社の開発した非円形歯車、円錐型歯車などである。 (参考)博物館だより・長岡歯車資料館(砥粒加工光学誌 2006 Jan. pp23-24)https://www.jsat.or.jp/sites/default/files/2017-11/2008622162036.pdf … Continue reading

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電気機械の歴史を示す博物館 (B) 詳細

 ♣ 日立オリジンパーク・小平記念館 ー日立製作所のルーツと技術開発の歴史を追うー   (https://origin.hitachi.co.jp/)  茨城県日立市大みか町6-19-22  Tel.0294-87-7575  → 小平記念館は日立製作所の製品開発の歴史を検証すると共に、創業者小平浪平の足跡を紹介。これまで日立工場内にあったが、2021年に同社の企業パーク「日立オリジンパーク」の中にリニューアルオープンした。このパーク内には「小平記念館」「創業小屋」「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」が設けられ、日立が1910年の創業以来伝承してきた企業理念や創業の精神を伝えるべく開設した。  まず、「小平記念館」では、操業者小平浪平のの人となりを示す資料、年譜、写真などがビジュアルに展示されており、氏の製作した製作機械の実物も数多くみられる。中でも、目を引くのは、1910年代、小平が独力で開発に成功した「電気モーター」(5馬力誘導電動機)の実物展示である。これは電機機械製品を殆ど輸入か外国人技術者に頼らざるを得なかった時代、国産電機技術の確立を目指し完成させたもので、日本が国産の電機産業を構築する基点ともなった製品である。 まず、「小平記念館」では、創業者小平浪平のの人となりを示す資料、年譜、写真などがビジュアルに展示されており、氏の製作した製作機械の実物も数多くみられる。中でも、目を引くのは、1910年代、小平が独力で開発に成功した「電気モーター」(5馬力誘導電動機)の実物展示である。これは電機機械製品を殆ど輸入か外国人技術者に頼らざるを得なかった時代、国産電機技術の確立を目指し完成させたもので、日本が国産の電機産業を構築する基点ともなった製品である。  また、「創業小屋」は、日立の原点である旧日立鉱山工作課修理工場を復元したもの。内部には、当時使用された簡素な製作道具類が展示されており、どんな苦労を重ねて製品を作り上げていったかを彷彿させられる。  ちなみに日立製作所の歴史をたどると、日立の原点は日立鉱山で、小平が「久原鉱業所日立製作所」として独立し創立したもの。当初は、制作中の電動機の故障など、数々のトラブルに見回れ危機を何度も経験している。しかし、日立の技術者は、これらを一つ一つ克服しつつ国産機械の開発を進め、現在の日立の技術的基礎を築いていったと伝えられる。この初期の開発成果としてあげられているのが、275馬力誘導電動機、250kVA水車発電機の回転子、10000馬力フランシス水車ランナーなどである。これらは、日立の初期の技術的挑戦を裏付ける製品群として記念館に展示されている。 (参考)「小平記念館」を訪ねる (igsforum.com) https://igsforum.com/hitachi-odaira-m-museum-j/ 参照 +++++++++++ ♣ 東芝未来科学館 ー東芝のものづくりの歴史と製品を一覧展示ー    (https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/)   神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34  Tel.044-549-2200   → 「未来科学館」は、東芝の技術開発の成果を伝える目的で設立されたが、日本の電子電気産業技術の歴史を示す貴重な博物館ともなっている。設立の基本コンセプトは、エレクトロニクスを中心とした最先端技術・科学の展示と情報発信、科学技術教育への貢献、産業遺産の保存・歴史の伝承となっている。館内の展示は、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できる数々の工夫がこらされていて、最近の科学技術の発展や歴史を生で体験できる。また、日本の近代産業遺産に連なる製品の歴史展示も魅力の一つである。  展示では、東芝の歴史、東芝製品の一号機や環境・エネルギー、社会インフラ、半導体など近未来の社会・生活シーンを見据えた先端技術を紹介する形となっている。また、日本の電気産業の発展、ものづくりに関連した産業遺産の保存・展示は貴重といえる。   なかでも、東芝の技術開発の歴史と企業発展を示す展示は魅力である。東芝創業の前駆をなす発明品類展示(万年時計や精巧なカラクリ人形など)、明治勃興期の電信機、電灯、発電機などの展示は、日本の電気電信技術の初期の発展の姿を示しており貴重な展示となっている。東芝では、これを「東芝1号ものがたり」として、創業者田中久重、藤岡市助の事績を伝える様々な逸話を紹介し、発明品の実物展示と解説を行っている。 (参考)「東芝未来科学館」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-toshiba-science-museum-rjj/) ++++++++++++++ ♣ 電気の史料館(現在臨時休館) ー日本の電気事業の歴史と技術開発をみる資料館ー  (https://www.tepco.co.jp/shiryokan/) 参照:(https://www.tepco.co.jp/shiryokan/virtualtour/index.html)バーチャルツアー 神奈川県横浜市鶴見区江ケ崎町4−1 Tel. 045-394-5900 → 東京電力の史料館は、電力一般に関わる歴史史料、施設などの展示を行う史料館。ここでは多様な電気用具から、送電線鉄塔、発電タービンなど貴重なものが展示されている。東日本大震災による福島第一原子力発電所事故により一般見学休止中となったが関係者には公開されている。主な展示品としては、エジソン式直流発電機、信濃川発電所立軸フランシス水車発電機、千葉火力発電所1号タービン発電機、鬼怒川線送電鉄塔(バンザイ鉄塔)、皇居正門石橋飾電灯など約700点があり実物展示されている。現在、一般見学はできないが館内の展示物はバーチャルツアーで展示物を見ることができる。 参照:(https://www.tepco.co.jp/shiryokan/virtualtour/index.html) +++++++++++ ♣ 電機事業連合会の電力資料館 電力資料館・PR館情報 (https://www.fepc.or.jp/library/shisetsu/pavilion/index.html) → 電気事業連合会は、日本の電気事業を円滑に運営していくことを目的として、1952年(昭和27年)に全国9つの電力会社によって設立。以来、地域を代表する電力会社間の緊密な対話と交流を諮る一方、新しい時代の電気事業をつくり出していくための創造的な意見交換の場としている。現在。沖縄電力を加えて10電力体制で運営している。連合会参加の電力資料館は以下の通り。 ・エネルギー館 あしたをおもう森 (http://ashitawo-omou-mori.jp/ 青森県青森市安方1-1-40 青森県観光物産館アスパム2F、Tel. 017-773-2515 … Continue reading

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産業機械の歴史を示す史料館(B) 詳細

♣ 旧集成館機械工場(尚古集成館)―史跡・世界遺産) ー幕末に西欧技術の導入を試みた薩摩藩の足跡をみるー (https://www.welcomekyushu.jp/world_heritage/spots/detail/3 鹿児島市吉野町9698-1  Tel.099-247-1511 → 幕末に薩摩藩が西欧の工業技術習得のため作られた施設「集成館」の機械工場を復元したもの、内部には金属加工、船舶の修理・部品加工に使われたオランダの工作機械などを動体展示している。 日本が長く鎖国政策をとっていた江戸時代の末期、鹿児島の薩摩藩は、西日本の諸藩と同様、押し寄せる西欧の軍事・植民地化圧力を強く受けていた。このため薩摩君主島津斉彬は、これら脅威に対抗するため「集成館」という軍事・産業の近代化を図る事業を1850年代に開始する。これは、砲身を作るための製鉄鋳造、西洋様式の大型造船、綿紡績事業などの近代工場を作り上げることであった。 この施設群の遺跡が現在でも鹿児島に残っており、2015年、日本の近代産業開発ルーツの一つとして「世界産業遺跡」に指定された。これら集成館関連遺跡は、鹿児島磯地区の「仙巌園」周辺に点在しており、反射炉跡、溶鉱炉跡、造船所跡、紡績所跡、尚古集成館、紡績所技師館などがこの対象となっている。特に、「尚古集成館」は、江戸末期の薩摩藩の産業近代化を目指した集成館事業の全体像を伝える貴重な資料館となっている。 (参考)⿅児島の世界産業遺産と薩摩藩「尚古集成館」を訪ねる https://igsforum.com/visit-kagoshima-shoko-m-jj/+++++++++++++++++++++ ♣ 博物館明治村「旧鉄道寮新橋工場」(機械館)  ―明治村の機械館では歴史的工作機械の展示がみられるー(https://www.meijimura.com) 愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314  → この明治村内の「機械館」は「旧鉄道寮新橋工場」建屋を復元して設置されたもの。鉄道寮新橋工場は日本ではじめて鉄道が走った明治5年、機関車修復所として作られもので、日本の鉄道の発展を見る上で貴重な建造物として明治村に移設された。鉄道技術が全くなかった日本は、当初、すべての建設材料と工作機器をイギリスから輸入して施設を作ったといわれる。明治村では、この施設を近代建設技術の手本として位置づけると共に、内部に、日本の産業近代化の過程で使われていた動力機械、工作機械、繊維機械など多数の機械類を全国から集めて展示している。  例をあげれば、明治期の鉄道機関車、貨車の重量部品などを加工した「蒸気ハンマー」(1881年導入)、富岡製糸工場で原動機として使われていた「横形単気筒蒸気機関」(1873年輸入設置)、北海道小樽市の日和山燈台で使われた「霧信号用蒸気機関」(逓信省横浜製作所製1897年製)、日本人製作の最古の工作機械「“菊花御紋章付”平削り盤」(1879年製)、流体力学を利用したといわれる最初の国産揚水ポンプ「“ゐのくち式”両吸込渦巻ポンプ」(1912年製造)、初期の日本紡績業を支えた「紡毛ミュール精紡機」(英国製)や「リング精紡機」(米国製)、水車を使って紡績を行う「ガラ紡」紡績機(臥雲辰致の発明、明治初期)、金沢の上辰巳発電所で使われた「フランシス水車」(米国製1913年製)などが展示してある。  当初、産業用金属加工の技術のなかった日本が工作機械や発電機、蒸気機関などを西欧から輸入して各種産業発展の基礎を作ると共に、その製作技術を学んでいく中で、徐々に独自の工夫を加えた機械を日本の国内で作りこれを普及させていった様子が浮かび上がってくる。 (参考)名古屋郊外の「明治村・機械館」を訪ねる | Asia Japan Techno-Museum Forum Blog Info (igsforum.com) https://igsforum.com/meijimura-j/ +++++++++++++++++++++++ ♣ 日本工業大学工業技術博物館―歴史史料― ー日本の機械産業の発展基盤を展示物から確認できる博物館―  (https://museum.nit.ac.jp/about/outline/)     埼玉県南埼玉郡宮代町学園台4-1  Tel.0480- 33-7545     → 明治時代以降現在までの日本の産業技術の発展に貢献した代表的な400点以上の工業機械類を展示。機械を中心とした日本のものづくりの展開がみられる。特に、工作機械の展示は豊富で工具の変遷や加工技術の進歩が確認できる。 博物館には、明治以降、昭和50年代頃までに輸入または国内製造された歴史的工作機が多数年代別種類別に展示されている。工作機械は、大きく分けて旋盤、ボール盤、フライス盤、研削・仕上盤、特殊加工機、そして複合工作機械としてのマシニングセンターなどに分類できる。 展示では、明治中期に使われた「手回し式旋盤」(池貝製作所作成の復元)、昭和初期のプラット&ホイットニー社『普通旋盤131NCHB』、フリードデッケル(ドイツ)の万能フライス盤(大正10年頃使用)、吉田鉄工所の『直立ポール盤』(1950年代)、シップ社(スイス)の『ジグ中くり盤3R形』、多機能工作機械類では、ケルニー社(米)「マシニングセンターEb形」(1970年代)、日立精工株式会社『マシニングセンターMBN-330形』(1970年代)など、歴史的な工作機械が数多く展示されている。  また、館内には、明治年代の機械加工町工場の復元もなされて博物館の呼び物の一つとなっている。工作機械のほかには、明治大正期に使われた各種織機、近年の発電用高性能ガスタービンの実証プラント(1987年、民間の技術研究協会が設計)、ガラス製水銀整流器(1961年日本電池)、そして、明治年間(1891)に使われた実際に動かしてみせる英国製蒸気機関車”Dub 2100型”など、機械産業の過去・現在を振り返ってみられる貴重な展示が並んでいる。日本の産業発展の姿を機械産業の視点から見るには最適の博物館となっている。なお、同博物館の所蔵する270点余は日本機械学会の「機械遺産」(2018)に指定されている。 (参考)日本工業大学の「工業技術博物館」を訪ねる | Asia Japan Techno-Museum Forum Blog Info (igsforum.com)  https://igsforum.com/visit-the-industrial-technology-museum-of-n-i-of-tech-j/ +++++++++++++++ … Continue reading

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金属加工の“ものづくり”を伝える博物館(B) 詳細

ー日本伝統の鉄の“ものづくり”の歴史、産地形成などを示す資料館紹介ー <金属加工の技術を伝える資料館> ♣ 燕市産業史料館   (http://tsubame-shiryoukan.jp/index.html) 新潟県燕市大曲4330番地1  Tel.0256-63-7666  → 地場産業の金属加工、特に金属洋食器の生産で知られ燕市で培われた“ものづくり”の技術と歴史を紹介する貴重な資料館。江戸時代のキセルや矢立て、和釘から現在の洋食器の燕ブランドとして確立するまでの金属加工産業の発展を、職人の技と技術の発展の観点から紹介している。江戸時代から現代まで連綿と続く燕の産業の歴史を紹介しています。体験工房館では鎚目入れやぐい吞みの製作、スプーンの酸化発色などモノづくり体験ができまる。 史料館の概要  史料館は、「本館」と洋食器の発展を紹介する「新館」の二カ所からなっている。 本館では、金属産業の歴史と技術、産業風土、技術と伝統がテーマで、作業現場の復元展示、金属工芸製品のギャラリー、煙管・彫金作品のコレクション、鎚起銅器、人間国宝玉川宣夫氏のコレクションが展示されており、新館では、「日本の洋食器食器室」「一般展示室」があり、前者では明治から始まる燕の金属洋食器の歴史を文明開化以降の日本の食文化の変遷と照らし合わせながら紹介、後者では和釘から始まり、金属洋食器・金属ハウスウェアを経て、新素材、新技術を活かした金属加工地へと変わり行く地場産業の歩みを紹介する構成となっている。そのほか、矢立煙管館があり、そこでは丸山清次郎氏が生涯をかけて収集した江戸から明治にかけての“煙管”と“矢立”の一大コレクションがみられる。 +++++++++++++ ♣ 鯖江めがね博物館(めがねミュージアム)   (https://www.megane.gr.jp/museum/) 福井県鯖江市新横江2-3-4 めがね会館  Tel. 0778-42-8311 → 福井県の鯖江は、国内生産フレームの9割以上のシェアを持つ「めがねの産地」として知られるが、この鯖江メガネの100余年の歴史を伝える産業博物館がこの“めがねミュージアム”。 博物館では、めがね作りのルーツとスピリットを示す生産現場風景の展示コーナーや 江戸時代~昭和にかけてのめがねの形の変遷などをご紹介するコーナーなどを設けている。鯖江のメガネは当初、地域農家の副業としてはじめられたものだが、次第に専門の製造者がパーツごとに分業するようになり、まち全体がひとつの大きな工場になるまでに成長し特徴のある地場産業として定着していった。このめがねは、伝統の技を持つ職人の手による日本モノづくり優れた技術のひとつであり、現在は、軽くて丈夫なチタン製めがねを開発・生産をおこなうことで、国際的なめがねの産地としての地位を築き上げていっている。この意味でも、資料館は日本における金属加工の産地形成の歴史を示す貴重な資料館である。参考:(https://www.megane.gr.jp/museum/about/fukuisabae) +++++++++++++++++ ♣ 東京メガネミュージアム    (https://www.tokyomegane.co.jp/museum/)東京都世田谷区若林 1-20-11 東京メガネ本部ビル 3階 Tel. 03-3411-6351  → 「東京メガネ」社が長年かけて収集した数百点のアンティーク眼鏡、ケース、補聴器、光学器類の中から厳選したコレクションなどを展示している。15代将軍徳川慶喜が使用した「天眼鏡」やベートーベンが使用したといわれるものと同型の「ロンドンドーム型集音補聴器」などの珍品もあり、古人のアイディアやチャレンジなど、眼鏡や補聴器の歴史を通し技術の変遷を感じさせる展示が豊富という。 +++++++++++++++++ ♣ 奥州市伝統産業会館 (https://www.andtrip.jp/article/000631.html) 岩手県奥州市水沢羽田町 駅前1丁目109  → 奥州市伝統産業会館は南部鉄器の製造プロセス、鋳造の時実際に使われていた道具や昔の鋳造名品など数多い南部鉄器の貴重な作品を展示する博物館。水沢地方の南部鉄器の歴史は古く、930年前(平安時代の末期)ごろ、藤原清衡が近江の国から鋳物師を、江刺(今の奥州市江刺地域)招いて鋳造を始めたのが鋳物業の起こりと伝えられる。また、江戸時代には、伊達藩の保護政策により「なべ」や「かま」などの日用品を中心とした鋳物の生産地として大きく発展した。昭和時代初期には、日用品の生産が本格化し鋳物産地として有名になっている。第二次世界大戦後、生活様式の大きな変化により鋳物製品の需要が減ったが、現在では、優れた鋳物製品を作るため技術の開発や生産設備の近代化を図っているという。会館では、この歴史を踏まえ南部鉄器の歴史と作品を紹介している。なお、伝統産業会館は南部鉄器館も併設しているので必見。 ・奥州市伝統産業会館 南部鉄器館  (https://iwatetabi.jp/spots/5354/) 岩手県奥州市水沢大手町1丁目1番地  Tel.0197-23-3333  → 地場産業「南部鉄器」に関する資料を多数展示。館内には古今の秀作鋳物の展示や明治初期の工場を忠実に再現したコーナーの他、大型スクリーンによる現在の鋳物制作の工程などが紹介されている。 ++++++++++++ ♣ フェザーミュージアム (https://www.feather-museum.com/) 大阪府大阪市北区大淀南三丁目3番70号  Tel. 0575-22-1923  → 「切る」をコンセプトにカミソリと精密刃物を展示するフェザー社の博物館。ここには、カミソリと精密刃物の展示があり、「切る」ってなんだろうからはじめ、石器時代から未来まで、たくさんの「切る」をテーマにして紹介している。また、フェザー・ヒストリー:フェザー社の過去の製品から最新製品までエピソードも交えて見られる展示スペースも設けている。 … Continue reading

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造船と重工業部門のものづくり博物館 (B)

  かつての造船王国日本を支えた有力産業である造船、重機械工業主要メーカーの起源をなす歴史的施設の紹介、また、現在の重工業メーカーの現在の取り組み、発展の歴史を示す史料館などを紹介する。  (黎明期の造船と工業機械の歴史史跡) ♣ 三菱重工業長崎造船所史料館(世界遺産)   (https://www.at-nagasaki.jp/spot/151) 長崎県長崎市飽の浦町1-1  Tel.095-828-4134 →  日本の産業近代化に造船が果たした役割を伝える貴重な史料館である。内部には、幕府が購入した日本最古の竪削盤、日本初の国産蒸気タービン、船舶用ガスエンジンなどを展示。長崎造船所の歴史と日本の重工業発展のあゆみを伝えている。史料館の基となっているのは「旧木型場」、長崎造船内の現存する最古の建物で船舶鋳物を作るための「木型」を製作していた工場。現在では工場としてではなく長崎造船で使われていた工作機械、船舶資材、建造船の歴史写真などを展示する博物館となっている。  館内をみると、1834年に長崎鎔鉄所建設時の岸壁工事に使用された潜水用具「泳気鐘」, 日本最古の工作機械といわれる「竪削盤」(1857)、日本最初の国産陸用蒸気タービン(1908)、長崎造船所工場の支柱に使用した「鋳鉄柱」などが展示されている。また、長崎造船所の歴史を語る写真も豊富で、1870年頃の長崎製鉄所の写真1885年頃の飽ノ浦造機工場、立神第一ドックの模様、最初の鉄製汽船(1887)、1920年代からの「常陸丸」、船艦「日向」、戦艦「武蔵」など往時の姿が偲ばれる。  長崎造船所の歴史をみると、1896年には第一ドック完成、1898年木型場建設、1903年には第二、第三船台完成、1907年、船型試験水槽竣工、1909年には大型クレーン設置、と近代造船所としての陣容を整えていっている。そして、1887年「夕霧丸」(最初の鉄製汽船)、1898年「常陸丸」(大型貨客船)、1908年「天洋丸」(本格的タービン船)、1915年には巡洋戦艦「霧島」の建造に成功している。このように、長崎造船所などを通して、日本の造船技術は飛躍的向上し、僅か50年の間に世界の造船大国の一つまでに成長していったことがわかる。 (参考)(https://igsforum.com/visit-nagasaki-zosen-m-jj/)長崎造船所史料館訪問記 ++++++++++++++ ♣ 三菱重工業下関造船所史料館   (https://www.mhi.com/jp/company/aboutmhi/museum/shimonoseki)山口県下関市彦島江の浦町六丁目16番1号  Tel.083-266-2111 → この史料館は下関造船所の創業80年を記念して設立されたもの。下関造船所のルーツ、船の変遷、船の製造過程など時代とともに変遷する建造船の歴史ついて紹介している。 3つのコーナーがあり、「下関造船所のルーツ」、「下関造船所 船の変遷」、「船ができるまで」など、時代とともに変遷する建造船の歴史や、船の特長などについて展示している。 +++++++++++++++ ♣ ヴェルニー記念館(史跡)(横須賀)  (https://www.cocoyoko.net/spot/verny.html 横須賀市東逸見町1-1 Tel. 046-824-1800 → 記念館は、日本産業近代化の起点ともいえる横須賀製鉄所をつくりあげたフランス人技師ヴェルニーの功績と横須賀製鉄所の意義を後世に伝えるために建てられた施設。現在は米海軍横須賀基地となっている横須賀製鉄所の跡地を対岸に望むヴェルニー公園の一角に位置している。建物の外観は、ヴェルニーの故郷ブルターニュ地方の住宅の特徴を取り入れている。横浜製鉄所の記念品と共に、当時使われた造船大型ハンマーなども展示。 (参考)https://igsforum.com/visit-yokosuka-ironworks-j/ 横須賀造船所跡訪問記 ++++++++++++++++ ♣ 戸田造船郷土資料博物館(史跡)  (https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/zosen/)静岡県沼津市戸田2710-1  Tel.0558-94-2384 → 幕末、ロシア船ディアナ号が座礁した際に、代船として日本初の西洋型帆船ヘダ号を建造した歴史を記念する史料館。その後、これに関わった船大工が各地でその技術を伝え、日本の近代造船の建造に大きく貢献したとされる。このヘダ号は「君沢型」と呼ばれ、江戸石川島で4隻の君沢型船が建造され、戸田から船大工が派遣されている。また、長州藩(山口県)や田原藩(愛知県)、江戸や大阪へ招かれた船大工たちが、西洋式造船技術を広めていったと伝えられる。現在、駿河湾深海生物館ともなっている。 ************ (造船、重工業の発展を示す博物館) ♣ 三菱みなとみらい技術館 (三菱重工) (https://www.mhi.com/jp/company/aboutmhi/museum/minatomirai)   横浜市西区みなとみらい三丁目3番1号  Tel.045-200-7351  → 三菱重工が、横浜のみなとみらい地区に技術センターを作ったことから、この一部として設立したのが「三菱みなとみらい技術館」。三菱の造船、自動車、鉄道、海洋、航空宇宙などの事業全体を紹介する博物館である。技術館では、三菱重工が現在技術開発を進めている事業、環境エネルギー、深海開発、航空機、宇宙装置・ロケット、交通システムなどを実物、模型、シミュレーションなどで総合的体系的に展示している。三菱重⼯の足跡と現代の技術挑戦をみることができる。なかでも、開発中の国産ジェット旅客機MRJの機体模型、H2ロケットエンジン、有人潜水船「しんかい6500」実物分解展示などは圧巻である。 (参考)https://igsforum.com/mitsubishi-minato-m-jj/ 三菱みなとみらい技術館訪問記 ++++++++++++++ … Continue reading

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♣ 製鉄技術と金属鉱山開発の博物館・詳細(B1) 「たたら製鉄と反射炉」

♣ 製鉄技術と金属加工の博物館(鉄と金属のものづくり)                            日本の製造業の根幹となった製鉄のあゆみ、近代産業形成期に大きな役割を果たした鉱山開発、現代の“ものづくり”の基礎となった鍛冶技術、金属加工の歴史発展を示す博物館を紹介。特に、伝来の鍛冶、鋳物産業、金属加工の技術展開を取り上げる。  また、日本の製造業の根幹となる製鉄業の成り立ちと現代のものづくりの基本となる鉄加工技術を示す博物館を紹介する。 (たたら製鉄と鍛冶技術の博物館) ・和鋼博物館  (http://www.wakou-museum.gr.jp/)    島根県安来市安来町1058  Tel. 0854-23-2500                        和鋼博物館は、日本の伝統的製鉄法「たたら」に関する日本唯一の総合博物館。1993年、「鉄の道文化圏」(安来市・雲南市・奥出雲町)内の文化館のひとつとして誕生している。元々は、日立製作所安来工場(現 日立金属)付属の展示施設であったが、「たたら製鉄」関連の文化遺産保持のため、新たな構想のもと安来市の博物館として開館したもの。館内は、種々の和鋼の製鉄用具の展示や映像、体験コーナーを通して、たたら製鉄とその歴史・流通、さらに各種匠技を紹介するとともに、企画展や講演会、様々なイベントを開催して“たたら”の知識普及に努めている。また、従来からの和鋼・たたらの調査・研究に関する事業を引継ぎ、発展させることも目指しているという。 +++++++++++++++++ ・菅谷たたら山内-鉄の歴史博物館・伝承館(鉄の歴史村)  (http://www.tetsunorekishimura.or.jp/sdk)  島根県雲南市吉田町吉田892番地1  Tel.0854-74-0311 → 「鉄の歴史博物館」は、日本古来のたたら製鉄の歴史や技術を解説している博物館である。ここでは「たたら」とその技法、そして鉄山経営と鍛冶集団の様子が詳しく紹介されている。博物館のある吉田地域で古くから原始的な「野だたら」による鉄づくりが行われていたが、江戸時代、新しい「永代だたら」がはじまり「高殿」という溶解炉が築かれており、「村下」(むらげ)と呼ばれる職人がこの作業を指揮したことが展示では記されている。また、鍛冶集団というテーマの展示では、鉄山師による「たたら製鉄」の記録や生活、鍛冶集団の活躍が紹介されていて、当時の製鉄のありようが示されている。 また、「菅谷たたら山内‐生活伝承館」では、吉田地区の繁栄を象徴する産業遺産「高殿」を軸に、たたら職人の技術と生活が紹介されている。(島根県雲南市吉田町吉田892番地1 http://www.tetsunorekishimura.or.jp/sdk) +++++++++++++ ・大板山たたら製鉄遺跡)  (https://www.hagishi.com/search/detail.php?d=1100190)                                     萩市大字紫福10257-11  Tel.0838-25-3380 江戸時代末期、萩藩の洋式造船を支援したたたら製鉄の遺跡。発掘調査によって製鉄炉である高殿と呼ばれる施設などの生産遺構が残っていることが確認されている。元小屋・高殿・砂鉄掛取場・鉄池・鍛冶屋などの遺構がよく保存されており、建物跡などの遺構が露出した形で整備されている。(国指定史跡) ++++++++++ ・国友鉄砲ミュージアム(史跡)  (https://kunitomo-teppo.jp/)                        滋賀長浜市国友町職0749-62-1250  Tel.0749-62-1250     この博物館では、戦国から江戸時代にかけて鉄砲の生産地として栄えた国友の歴史に関する資料を数多く展示する。館内には、国友鍛冶の仕事場の様子や国友鉄砲の製作工程が映像や実物があり、江戸時代、鉄砲鍛冶として活躍し「反射望遠鏡」も製作した「国友一貫齋」の展示もみえる。日本に鉄砲が伝来し普及した歴史や開発された火縄銃の構造や製作技術を知る上で貴重な施設といってよいだろう。ちなみに、外国からの来訪者も多く、国友の歴史への関心と共に、手になじみやすく細工が良い、デザインが優れ、命中率が高いなど、国友火縄銃への評価も高いようだ。(参考)国友鉄砲ミュージアムと国友一貫斎 (https://igsforum.com/2024/04/08/kunitomo-teppo-m-jj/) ・種子島鉄砲博物館(史跡)(鹿児島県)  (https://www.kagobura.net/shop/shop.shtml?s=3519)                                   鹿児児島島県県西之表市市西之表  Tel.0997-23-3215   この博物館では、種子島の歴史・文化・自然などを広く紹介している。外観では、南蛮船を イメージした外観が目を引くが、1543年種子島に伝わったポルトガル銃や国産第1号の火縄銃、さらに国内外の旧式銃約100挺が展示されており、火縄銃の歴史や世界の鉄砲の様子が見学できまる ++++++++ ・刀剣博物館(刀剣保存協会)  (https://www.touken.or.jp/museum/ 東京都墨田区横網1-12-9  Tel.03-6284-1000 → 日本の刀鍛冶の技術を伝える貴重な刀剣類、刀装を所蔵公開。「たたら」と玉鋼の製作、作刀工程についても解説。日本刀は日本人の豊かな感性により武器が美術工芸品にまで昇華されたといわれる文化財で、千年を越えて大切に保存され、歴史的・文化的にもその果たした役割が大きい。博物館では、刀剣類、刀装、刀装具、甲胃、 金工賞料、古伝書等を多数所蔵し、その中には国の指定・認定物件も数多く含まれている。 … Continue reading

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まえがき

  各地を旅行していると “ものづくり”に関係する「産業博物館」が非常に多くあることを実感する。企業が設立したもの、公共機関、大学研究機関によるものなど形は様々であるが、いずれもが産業技術の成り立ちや歴史、ものづくりや製品開発の背景、技術者や職人の智惠や工夫などを実態に即して詳しく解説展示して姿がみられる。日本経済の根幹をなす製造業の流れをみると、一つは、江戸時代以来の伝統技術・技能を基盤として発展したもの、もう一つは、明治以降の西洋科学技術を吸収するなかで発展してきたものが見いだせる。しかし、両者とも日本独自の“ものづくりの”伝統を生かしつつ、時代に合わせた工夫と応用を繰り返す中で形成されてきているものだ。前者は、陶磁器や織物、発酵食品、金属加工などをあげることが出来るし、後者では機械、電気機器、造船、化学製品などがある。そして、各々には発展の基礎となる前史があり、産業史跡として現在も残っていることをあげねばならない。  ここでは、上記を意識しつつ各地の「ものづくりの産業博物館」を分野別に取り上げ、内容を紹介してみたものである。この案内を参照しつつ各種博物館、資料館、産業遺産群を訪問されることを希望する。

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♣ 衛生用品、化粧品、医薬品、各種化学品の博物館(A)

♣ 各種化学品、化粧品、医薬などに関する“ものづくり”博物館   現代社会の生活になくてはならない衛生用品、化粧品、医薬などの博物館を紹介。日本独自の技術開発と工夫の積み重ねによって、日本の生活様式にあった商品として開発されたものも多い。ものづくりの知恵が生きていると思われる。 (化粧品などの博物館) ・資生堂企業資料館  (https://corp.shiseido.com/corporate-museum/jp/)             静岡県掛川市下俣751-1  Tel.0537-23-6122 → 明治に洋風調剤薬局として創業した資生堂の発展の歩みと商品を展示すると共に、日本の化粧文化について紹介。 ・S/PARK ミュージアム(資生堂)  (https://spark.shiseido.co.jp/museum/)    神奈川県横浜市西区高島一丁目2番11号  Tel.045-222-1604 → 横浜みなとみらいにオープンした複合体験施設、肌を測定・解析して利用者にアドバイスも行うという。 ・ホーユーヘアカラーミュージアム·         (https://www.museum.hoyu.co.jp/)  愛知県名古屋市東区徳川町903  Tel.052-559-4931 → ホーユー社の企業史、製品開発を紹介すると共に、日本のヘアカラーの歴史と文化を記す展示も行っている。 ・紅ミュージアム(伊勢屋本店)  (https://www.isehanhonten.co.jp/museum/)     東京都港区南青山6-6-20 K’s南青山ビル1F  Tel.03-5467-3735 → 江戸時代の創業から今日まで受け継いできた「紅」つくりの技と、化粧の歴史・文化を数々の資料と共に公開 ・クラブコスメチックス文化資料室  (https://www.museum.or.jp/museum/17638) 大阪府西区西本町2-6-11 タイヨービル1階  Tel.06-6531-2997 (台所用品などの博物館) ・ライオンミュージアム  (https://www.lion.co.jp/ja/company/history/museum/)               東京都台東区蔵前1-3-28 (ライオン本社)  Tel.03-6739-3711 → 歯磨きと家庭用洗剤のメーカー・ライオンの歴代製品と起業の歴史資料を展示 ・花王ミュージアム  (https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/kao-museum/)        東京都墨田区文花2-1-3  Tel.03-5630-9004 … Continue reading

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