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印刷文化の魅力を伝える博物館(博物館紹介)
―日本の社会文化発展を担ってきた活版印刷の歴史をたずねるー はじめに 明治初期の鉄道開設や電信の整備が社会に与えた変革と同様に、活版印刷の普及が、教育文化、社会の近代化、教育政治思想の形成に与えた影響は非常に大きなものであった。大量に供給される印刷物は庶民の教育普及に役立ったし、活字新聞の普及は政治思想や社会運動の原動力となり、文学や美術に対する関心を大いに深める結果となった。 この項では、印刷技術の長い歴史と共に、「活字」印刷技術がどのように日本にもたらされのか、その技術の背景は何かなどを、関連する博物館の紹介と共に取り上げてみることとした。 ♣ トッパンの「印刷博物館」 ・所在地:東京都文京区水道1-3-3 TOPPAN小石川本社ビル Tel.03-5840-2300・HP: https://www.printing-museum.org/・参考:トッパンの「印刷博物館」を訪ねて(https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/) → 東京・文京区小石川にある印刷大手トッパン本社内に設けられた印刷文化資料館。世界と日本の出版文化の歴史と印刷をテーマとして、古今東西の書物や活字、印刷が築いた歴史や文化、技術を体系的に文明史的なスケールで解説展示している。 博物館では、印刷文字や図像などを通じた表現技術の発展、印刷と社会文化とのつながりなどを幅広い視点で展示、たとえば、古代オリエントや中国古代の印刷、日本の木版印刷、グーテンベルグに始まる西洋の活版印刷、日本の近代的印刷技術の発展、現在の多様な印刷技術・文化の変遷がよく示されている。特に、総合展示室に至る回廊の壁面飾られた印刷物のレプリカは圧巻の迫力である。(参照:prologue.pdf (printing-museum.org) 常設展示では、印刷をテーマとしたさまざまな展示、例えば書物や活字、機械を中心とした所蔵資料を広く公開。このうち、“世界の印刷コーナー”では、最初期の印刷から現代の情報技術に至るまでの歩み、“日本の印刷”では、様々な印刷の形成と発展の歴史を所蔵資料で解説し紹介している。また、“印刷×技術”では、「版」の存在を書体と併せて「凸、凹、平、孔」の四つの形式にわけ、それぞれの特色と発展形態を説明展示している。来館者に印刷の魅力を伝える参加型展示スペースも印刷博物館の魅力の一つという。 ○ 珍しい展示物では次のようなものが見られる。 日本最古の印刷物「百万塔陀羅尼」(764-770)、伏見版『貞観政要』(1600)、「グーテンベルク 42行聖書 原葉」(1455)、「和蘭天説」(1796)、「駿河版銅活字」)1606-1616)、「築地活字木活字」(収蔵、1869)など。 ♠ 印刷博物館にみる日本の印刷技術の歴史 ―独自の道をとった日本の印刷技術の歴史― → 印刷博物館では、活字による印刷技術の発展が大きなテーマとなっているが、日本はやや異なった印刷技術の道をたどったことに触れている。日本では、近世初期に一度活字による印刷も試みられたとされるが、やがて木版による製版印刷が中心となり独自の領域で印刷文化が発展してきている。 <活字技術の導入> 日本においては、仏教の法典または文書のほとんどが写本、木版によって印刷されていた。しかし、中国、朝鮮からの活字技術の受け入れを受け、徳川家康の時代、銅活字による印刷を試みて幾つかの印刷物を残している。このとき作成した金属活字が現在も残っており、重要文化財として印刷博物館に実物が展示されている(“駿河版銅活字”1607-1616)。これが日本における活字印刷の最初の応用例とされている。一方、同時代、ポルトガルのイエスズ会宣教師の手によってキリスト教伝道書が活字印刷され頒布されていたことも知られている「“きりしたん版”印刷物 1590s-)。しかし、前者は、漢字文字数が多数に及び作業も繁雑だったこと、また、後者はキリスト教禁教措置のため中止となったことなどが影響し、やがて忘れ去られることになった。 そして、日本では、以来、独自の木版による印刷が興隆することになる。こうい った中で作られたのが「嵯峨本」といわれる木活字による印刷物。これはひらがな交じりの木活字印刷による彩色を施した印刷本で「伊勢物語」や「徒然草」など優れた国文学書も含まれている。これらの本は後の国文学の興隆にもつながっていると評価され博物館ではこのうち幾つかを展示している。 <木版製版、版画美術文化の隆盛> 一方、活字を使わない木版印刷も江戸時代には隆盛を極める。当時、精緻に作られた浮世絵版画や錦絵などが庶民の人気を集め、専門の出版社も出現して大量に印刷刊行されている。博物館では、展示室内に「錦絵工房」を設けて木版の「彫り」や「摺り」の実演を行っているほか、浮世絵制作における多色刷り木版の実物も展示している。 また、江戸時代には、人情本や世俗本なども多数発刊され庶民の読み物として普及していったほか、話題を呼ぶニュースを伝える「かわら版」といったものも庶民向けメディアとして人気を呼んだ。これらはすべて木版による印刷によって作成されたもので、江戸期の高度な木版印刷技術として定着していった。 <活字印刷への復帰> しかし、明治期になり急速に近代化する社会変化の中で、従来の木版印刷では、拡大する社会情報需要や教育の普及には追いつかず、新たな活字印刷技術が必要となってきた。そして、この機をもって大量印刷の可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。かれは、江戸時代末期から明治にかけて、数の多い日本漢字を独自の方法で鉛の活字を作り、「活字摺立所」をつくり活版印刷を日本で創始した。これ以降、日本では、従来の木版による印刷方法から大きく転換し、様々な学問書、新聞、教科書、証券類が西洋活版印刷技術をベースに作られるようになる。この間の印刷革命に至る経過は、博物館展示で発刊された本、書類などによって数多く展示されている。 <日本的印刷技術のもう一つの姿>―日本の謄写印刷の普及とその社会性― 印刷博物館は大手活版印刷メーカー・トッパンの博物館であるため、日本で戦後盛んに行われるようになった軽印刷、謄写印刷についてはあまり触れられていない。しかし、この印刷方式は、印刷原紙とインクがあればどこでも印刷が可能な便利なもので、学校の教材やチラシなど少部数の印刷には最も適していた。これはパラフィン、ワセリンなどを塗った蝋紙に鉄筆で文字を書き、透過した部分にインクを乗せて印刷する「ガリ版」(謄写版印刷)とよばれた印刷方式であった。この原型は、エジソンが1890年代開発した「ミメオグラフ」であったが、これを明治年代1894年に発明家堀井新治郎が改良して作ったのが「謄写版印刷機」と呼ばれるものであった。これは原理が簡単で安価な上に、漢字数の多い日本語文書が自由に作成するため急速に普及したものとされている。 (参照:https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/ 日本の印刷技術の変遷)印刷博物館 – 現代に息づく活版印刷の話と貴重な展⽰品の数々: https://news.mynavi.jp/article/ +++++++++++++++ ♣ 大日本印刷(DNP)の博物館「市谷の杜・本と活字館」 所在地:東京都新宿区市谷加賀町1-1-1 Tel.03-6386-0555HP: https://ichigaya-letterpress.jp・参考:大日本印刷の博物館「市谷の杜 本と活字館」を訪ねる(https://igsforum.com/dpns-print-museum-j/) →「本と活字館」は、活版印刷の老舗大日本印刷(DNP)における印刷事業の歴史資産を公 開展示すると共に、日本で活版印刷がどのような形で発展してきたかを示す歴史博物館である。館内では、文字(秀英体)のデザイン、活字の鋳造から、印刷、製本まで一連のプロセスを展示しており、印刷機が稼働する様子や活版職人が作業する姿も動態展示の形で公開している。また、参加型ワークショップやイベントなどを通じて、印刷・製本・紙加工も体験できる。 … Continue reading
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紙文化の歴史を語る博物館(博物館紹介)
はじめに ―情報と知識、社会文化の担い手としての紙文化をみる博物館紹介ー 有史以来、紙は情報と知識の伝達手段として、また、便利な生活材料として社会文化の発展に重要な役割を果たしてきた。歴史における紙技術の伝播や発展も興味深い。こういったことを実感させてくれる博物館は日本に数多い。特に、日本の伝統工芸の一つとなっている和紙は、各地の地場産業として歴史的にも多様な形で発展してきている。このセクションでは、明治以降急速に発展した印刷の受け皿となった西洋紙と共に、日本独自の和紙に関する博物資料館を中心に紹介することとする。 +++++++++++++ ♣ 東京・王子の「紙の博物館」 所在地:東京都北区王子 1-1-3 Tel. 03-3916-2320 HP: (https://papermuseum.jp/ja/) →「紙の博物館」は、日本の洋紙発祥の地、東京・王子に開設された「紙」に関する世界有数の紙専門の博物館である。紙の製造工程、種類や用途、紙の歴史、紙の工芸品、歴史的資料や生活用品などを総合的に展示している。博物館では、世界史的な視点での「紙」の歴史とその社会文化的なインパクト、日本で独自の発展を遂げた「和紙」の歴史や製法、近年の製紙産業の成立と発展の歴史、現代の紙の多様な形態や役割などを詳しく紹介している。当初、明治初期の製紙会社「抄紙会社」(後の王子製紙)の歴史史料を展示する「製紙記念館」であったが、1998年、施設の大幅な拡張整備を行い、現在の「紙の博物館」となったもの。紙の文化的な役割、近代文明発展の担い手となっている紙の存在について、改めて知ることのできる貴重な博物館であろう。 館内は、多様な美術品や記念資料を展示するエントランスホール、現代日本の製紙産業の現状や機械・原料・製品などを紹介する「現代の製紙産業コーナー」、紙の性質や製造過程を紹介する「紙の教室」、内外の紙の歴史、特に、和紙の技術発展について展示する「紙の歴史」コーナーとなっている。また、日本の製紙産業の成立を象徴する歴史記念物を集めた展示コーナーも設けられている。 このうち最も印象的なのは、和紙の歴史を含めた「歴史展示」である。「現代の製紙産業」で見られた産業機械や紙パルプの加工工程、古紙のリサイクル、用紙以外の紙製品の多様さにも驚かされる。また、館内には、研修室や図書館なども併設されていて、紙づくりの実習もできるなど学習の場としても使用されることも多いという。 ・参照:東京・王子の「紙の博物館」訪問 https://igsforum.com/visit-paper-museum-in-oji-tokyo-j/・参考:紙の博物館 – 見どころ、アクセス & 周辺情報 | GOOD LUCK TRIP (gltjp.com) https://www.gltjp.com/ja/directory/item/14088/ ♣ 小津史料館) 所在地:東京都中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル Tel.03-3662-1184HP: (https://www.ozuwashi.net/archives.html → 江戸時代から続く和紙の老舗・小津の様々な和紙製品の展示を行うと共に、日本の紙業に関わる文書類を展示している。和紙は1000年以上の歴史を持つ日本の誇る伝統産業工芸品の一つである。そのしなやかさと美しさ、強靱性、長期保存性から,広く文書、絵画、障子襖などの建具、工芸作品の素材として長く愛用されてきた。現在、紙需要の多くは大規模製紙業による用紙・印刷用紙に移っているが、和紙も様々なスタイルの工芸素材として好まれ、その種類と利用範囲は驚くほど広い。このことを強く印象づけてくれる資料館が小津和紙の「小津史料館」である。 この施設は和紙メーカー「小津商店」のショウルームを兼ねるほか、和紙の魅力、多様さ、地域産業としての重要性、和紙製法の紹介などを幅広い展示活動を行っている。また、江戸時代から続く老舗企業「小津」の成長を跡づける歴史資料も数多く見られ、魅力ある資料館となっている。展示資料の中に示された松坂商人のルーツや紙のエピソードなども魅力の一つである。 参照:東京・日本橋の「小津史料館」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-ozu-washi-history-museum/)・参考:小津330年のあゆみ https://www.ozuwashi.net/330/・参考:小津和紙 – Wikipedia ♣ 越前和紙の里 (紙の文化博物館) 所在地:福井県越前市新在家町8-44 Tel. 0778-42-1363HP: http://www.echizenwashi.jp/ → 「越前和紙の里」は、『紙の文化博物館』『卯立の工芸館』『パピルス館』を結ぶエリア全体からなる。この三つの施設はそれぞれ和紙をテーマにしており、和紙に関する知識を紹介しているほか越前和紙を作る工程や職人技の見学、紙漉きの体験もできる。「紙の文化博物館」では、越前和紙の歴史や技法、産地ならではの和紙作品を多数展示している。また、特別展では越前和紙の長い歴史を物語る古紙、道具などを展示、常設展で越前和紙の発祥や歴史について学ぶことができる。「パピルス館」では和紙づくり、「卯立の工芸館」では伝統工芸士が昔ながらの道具を使って紙を漉く様子を観察できる。 越前和紙は、福井県越前地方の岡太川流域で作られている和紙で日本三大和紙の一つ。この越前和紙は、種類、量ともに全国一位の和紙産地として知られる。主な原料は、植物の表皮の内皮である靭皮繊維で、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)である。特徴は、生成(きなり)色の優雅な美しさと高い品質といわれる。“越前奉書”と“越前鳥の子紙”は国の重要無形文化財にも指定されている。 ・参照:越前和紙(えちぜんわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPANhttps://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenwashi/・参照:越前和紙 – Wikipedia ♣ 美濃和紙の里会館 … Continue reading
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セメント、煉瓦、石材の史跡と博物館(博物館紹介)
はじめに 幕末から明治維新を経て、産業と社会の近代化に乗りだした日本は、早急なインフラ整備と近代的な建造物の建設を迫られた。従来の木材を主体とした構造物以外に、耐火性と堅牢性をもった建築材料が大量に必要となったのである。そして、西欧で発達したセメント、煉瓦、石材、タイルなどを政府をあげて追求することになる。インフラの分野では、灯台、鉄道、トンネル、工場建設には大量のセメント、煉瓦が必要としたし、官庁や銀行、倉庫などの建物には耐火性の優れた煉瓦が求められた。当初、これらは輸入に頼らざるを得なかったが、徐々に国産化も進められた。明治初期の官営のセメント工場、煉瓦工場の建設などはこの努力の跡であろう。これらは後に民営化され民間産業として育っていくことにつながる。太平洋セメントや小野田セメント、そして深谷の日本煉瓦製造などの設立と発展は、その経過を示すものといえるだろう。また、日本の陶芸技術も応用した伊奈陶器などタイル製造技術の発展、古くから建築物の基礎や石壁建設として用いられた石材採掘も見逃せない。 このセクションでは、これら企業の発展を跡づける史跡・博物施設を紹介し、日本の産業基盤整備の過程を追ってみることにした。 ♣ セメント資料館(太平洋セメント) 所在地:千葉県佐倉市大作2-4-2 Tel. 043-498-3811HP: https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/index.html) → 太平洋セメント中央研究所が、セメント製品の国産化に向けた努力の歴史をネット上で紹介している資料館。「セメントの基礎知識」、「セメントはじめて物語」、「セメント・コンクリート用語辞典」が掲載されている。 このうち「はじめて物語」では、明治初期、東京深川にあった「官営(セメント)深川工場」から始まったセメント生産からはじめ、発展する過程、そして現太平洋セメントに至る企業の展開が紹介されている。 (セメントとは) 石灰を主成分とする土木建築用の無機質接合剤。石灰石・粘土などを粉砕し、煆焼か焼成して作る粉末をセメントとする。水で練ったあと、疑結・硬化する現象が空気中だけで進む気硬性セメントと、水中でも硬化が進む水硬性セメントとに大別される。普通には後者のポルトランドセメントをさしコンクリートなどの原料にする。日本では、明治8年頃、工部省深川製作寮出張所(のちに深川官営工場)で、はじめて国産セメントの生産に成功している。 ・参照:セメント協会資料https://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jd1.html・参照:https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/story/pdf/story2.pdf・参考:会社沿革|会社情報:太平洋セメント (taiheiyo-cement.co.jp)・参考:セメントが出来るまで 太平洋エンジニアリング (taiheiyo-eng.co.jp) https://www.taiheiyo-eng.co.jp/cement-process.html・参考:太平洋セメント – Wikipedia ♣ 史跡・セメント生産発祥の碑 所在地:東京都江東区清澄1丁目2番 太平洋セメント㈱内HP: https://www.ko-syouren.jp/furuihp/art/08siseki-bunkazai/4-12.htm → 江東区の清洲橋のたもとに江東区史跡「セメント工業発祥の地」がある。ここは日本で初めてのセメント工場があった場所、明治8年、工部省が本格的なセメント製造に成功したことを顕彰している。隅田川、仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の上、外国品と遜色のない国産のセメントを作りあげたといわれる。明治16年、創業者の一人である浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間初のセメント工場として発展している。 ・参照:本邦セメント工業発祥の地と116年前のコンクリート – ROOF-NET ON LINE MAGAZINE ・参照:セメントの歴史をたずねる https://www.jcassoc.or.jp/cement/4pdf/meiji150.pdf ・参照:我が国セメント産業の発祥とその遺産https://www.chemistry.or.jp/know/doc/isan017_article.pdf ♣ 旧秩父セメント資料展示室(秩父太平洋セメント) 所在地:埼玉県秩父市大野原1800 Tel. 0494-22-1300HP: https://www.ct-cement.co.jp/info/2024/02/643/ → 旧秩父セメント資料展示室の一般公開が行われた(2024年2月)。資料展示室には、秩父セメントの歴史、創業を築いた方たちの紹介、今は手に入らないであろう、当時の道具や作業服などの品々が展示され、秩父の産業を支えた「セメント」の歴史を知り勉強になる内容となっている。・参照引用:https://www.instagram.com/satoru_oha/p/C3uanPwRy6l/?img_index=1 ♣ 旧小野田セメント・(セメント焼成)竪窯(史跡) 所在地:山口県山陽小野田市大字小野田6276番地 Tel. 0836-82-1111(市役所)HP: https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40545.html → 明治16年に建造した日本最初のセメント焼成用の竪窯で、近代窯業史上最も重要とされる。これは旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18mである。日本に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要とされた。竪窯は、国重要文化財。(平成16年12月10日指定) ・参考:旧小野田セメント製造株式会社竪窯 … Continue reading
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ガラスの製作技術と工芸品の博物館 (博物館紹介)
ここでは日本のガラス製作の現状と発展の歴史を検証すると共に、各地で特色あるガラス高原品が作られた過程、独自の美術品として展示している博物館を紹介している。 ♣ AGC横浜テクニカルセンター ) 所在地:神奈川県横浜市鶴見区末広町1-1 Tel.045-503-7100 HP:https://www.agc.com/innovation/yokohama/index.html → テクニカルセンターでは、AGC(旭硝子)の素材や技術開発の現状を紹介展示している施設。2021年に横浜市神奈川区のAGC中央研究所と統合し、名実ともにAGC株式会社の技術開発の中心拠点となっている。建材用板ガラス、車載ディスプレイ用カバーガラスの製造も行っており、研究段階から生産・出荷までが揃ったユニークな拠点でもある。 施設内には「AO/AGC OPEN SQUARE」が設けられており、4階のAO Studio では、最先端の素材が集められていて技術や機能に触れることができる。そこではアイデアを発見してプロトタイピングして想いを形にする場であると説明されている。また、ガラスの溶ける熱量を感じられるデモの他、各種3Dプリンターを導入したAMラボ、VR/AR/MRといったデジタル機器でプロトタイピングするXRラボといった最新設備も備えている。あくまで顧客用の施設ではあるが、機会があれば訪問してみたい施設である。参照:AGCの協創空間「AO」に、素材の可能性と出会う場( Communication Design)https://www.hakuten.co.jp/story/agc_private_exhibition ♣ 工部省品川硝子製造所(明治村)(史跡) → 明治政府による板ガラスやガラス瓶の製造工場建屋。西欧の技術導入によるガラス国産化努力が示されている。 ちなみに、明治政府は、明治初期、洋館建設促進などのため日本初の板ガラス製造工場「興業社」を設立。その後、工部省は、輸入に頼っていた板ガラスの国産化を積極的に進める必要から官営の「品川硝子製造所」を創設。これは硝子産業の育成と技術者の養成を目的とした模範工場であった。それまで日本では切子ガラスやジャッパン吹きとよばれるガラス製の吹竿等を使った小振りで華者な和製吹きガラスが主流で、板ガラス、食器などを大量に生産することはできなかった。 この「製造所」を軸に、多くの試行錯誤を経ながら新技術の導入や優れた技術者の育成が図られ、後の日本の近代的硝子産業が育つことになった。この品川ガラス製作所で初の日本人技師となり洋式ガラスの技術を指導し、近代ガラス工芸の基礎を築いた人物として佐賀の藤山種廣が知られる。この記念すべき工業ガラス製作発祥の史跡が明治村に移設された「工部省品川硝子製造所」である。・参照:近代ガラス工業の発祥と品川(品川歴史館解説シート)https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/pdf/pub/kaisetsu/cs16l.pd・参照 藤山種廣 – Wikipedia +++++++++ ♣ 道後ぎやまんガラスミュージアム 所在地:愛媛県松山市道後鷺谷町459-1 Tel.089-933-365HP: https://www.dogo-yamanote.com/garden/museum/ → 道後温泉本館から徒歩3分の水と緑あふれる庭園に囲まれた美術館。 館内は赤と黒を基調にしたモダンな造りの美術館である。 道後温泉本館の象徴、振鷺閣の赤い板ガラスをはじめ、希少な江戸時代の「ぎやまん・びいどろ」や 明治・大正時代の和ガラス作品を約300点展示している。ちなみに、「びいどろ」はポルトガル語でガラスを意味する「vidro(ヴィドロ)」、ギヤマンはポルトガル語でダイヤモンドを意味する「diamante(ジアマント)」が語源とされる。種子島に漂着したポルトガル船を皮切りに、16世紀にこれらガラス製造技術が日本にも伝わり、江戸時代、長崎でガラスの製作が始まった。その後、“宙吹き”、“型吹き”、“切子”などの技法導入によりガラス工芸品(和ガラス)製作技術が発達している。明治近代化の明治6年(1873)には本格的な西洋式のガラス工場「興業社」(後の品川硝子製作所)が東京・品川に設立され、工業品としてガラスの日用器がごく普通に作られるようになり現在に至っている。この美術館では江戸の和ガラスを中心に、江戸以来の時代を通じたガラス工芸品製品が見られるという。 ・参考:日本工芸堂;日本のガラス工芸の歴史「びーどろ」と「ぎやまん」の違いhttps://japanesecrafts.com/blogs/news/vidro-giyaman?srsltid=AfmBOoqiUYzXiHhHX-pIfzn1uadNroIXHydU5VujdAKGmzEkhZTvDrPp#1・参考:「ぎやまんの歴史|道後ぎやまんガラスミュージアムhttps://www.dogo-yamanote.com/garden/museum/history.html ♣ ガラスミュージアム (黄金崎クリスタルパーク) 所在地:静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須2204-3 Tel.0558-55-1515HP: https://ikoyo-nishiizu.jp/crystal/museum/ → このガラスミュージアムは現代ガラスをテーマの美術館、自然光を一部取り入れた、天井の高い常設展示室には国内外の優れた現代ガラス作品、約40点を展示している。 ガラスと光が織りなす幻想的な空間が魅力となっている。企画展示室では、現代ガラスに焦点を当てた独自の企画展も開催している。「現代ガラス」とは、主に1960年代以降に広まった自由で独創的なガラス芸術のことを指し、アーティストが小型の熔解炉を使って、みずからの意志で自由にガラス作品をつくる「スタジオ・グラス運動」と呼ばれる活動である。 参考:スタジオグラスとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書参考:日本近現代ガラスの源流 – 富山市ガラス美術館 (toyama-glass-art-museum.jp) … Continue reading
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日本の陶芸文化「やきもの」博物館(その2)(博物館紹介)
―地場の有力な伝統工芸陶器の展示資料館と窯元などー 日本のものつくり文化を伝える伝統工芸陶器「焼きもの」の博物館・美術館は非常に数が多いため、ここでは二つにわけ紹介することした。これは、その2である。とする。その1では、全国的にも知られる有力な伝統工芸陶器の博物館・美術館、その2では、地場の「やきもの」資料館をリストと共に掲げることとしている。また、参考資料として、主な「やきもの」の産地、陶磁器の生産地の特色と背景、窯元の地域分布を取り上げている。 +++++++++++++++++++ (各地の地場焼物の展示資料館) ♣ 壺屋焼物博物館 所在地:沖縄県那覇市壺屋1丁目9番32号 Tel. 098-862-3761HP: http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/ →古くから沖縄の陶業の中心地として栄えた壺屋の地に建設されたヤチムン(焼物)の博物館。沖縄・壺屋の焼物に関する資料を収集保管するほか、技術的に関連の深いアジア諸国の焼物なども併せて展示している。焼物の調査研究拠点としての機能も果たしているようだ。壺屋焼の製法や技法を紹介しながら作品を展示しているのが特徴。また、博物館の建設地から発掘され、切り取ったニシヌ窯をほぼ原位置で保存・展示している。 ・参考:展示の概要 – 那覇市立壺屋焼物博物館 (city.naha.okinawa.jp)http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/gaiyou2.html ♣ 薩摩伝承館 所在地:鹿児島県指宿市東方12131-4(指宿白水館敷地内)Tel. 0993-23-0211HP: http://www.satsuma-denshokan.com/ → 薩摩伝承館は、薩摩焼をはじめ薩摩由来の工芸品、美術品、薩摩と関係の深かった中国陶磁器などを一堂に展示する民間公開美術館。幕末から明治にかけての鹿児島・薩摩の歴史と文化を広く伝えるべく2008年に開館している。館内は、金襴、維新、薩摩、民窯の四つの展示室からなっており、それぞれ貴重な作品が豪華な室内外装飾と共に展示されている。中心となるのは老舗旅館「白水館」が創業以来60年かけて収集した美術品3000点、現在約400点が展示されているという。 (薩摩焼とは) →薩摩焼は、鹿児島県で生産される陶磁器、白薩摩、黒薩摩、磁器の3種類といわれる。から形成されます。白薩摩は“白もん”と呼ばれ、淡い黄色い焼き物に透明の釉薬を使い表面にひびをあしらったもので、主に装飾品や置物に使われる。黒薩摩は“黒もん”と呼ばれ鉄分の多い陶土を利用して作陶、釉薬も色味のついたものを利用している。主に焼酎を飲むときに使われる陶器となっている。薩摩焼には主原料を陶石とする磁器も存在するが、現在は流派が途絶え作られていないという。薩摩焼の産地は、主に鹿児島市、指宿市、日置市等になり、現在残っている窯場は苗代川系、龍門司系、竪野系の3つの窯場とされる。苗代川系は当初は主に“黒もん”を中心に作成していたが、現在では“白もん”を中心に制作している窯場が多い。龍門司系は“黒もん”中心で酒器を作成している窯場で、竪野系は“白もん”中心で主に贈答用の茶器等を制作しているとされる。 ・参照:KOGEI JAPAN:薩摩焼の特徴 や歴史-https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/satsumayaki/より・参照:日本のやきもの/薩摩焼 https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/satsuma/sanchi_satsuma.html ♣ 鹿児島県歴史・美術センター黎明館(薩摩焼) 所在地:鹿児島県鹿児島市城山町7-2 Tel. 099-286-2111HP: http://tougeizanmai.com/tabitetyou/028/00reimeikan.htm →「黎明館」は、鹿児島の歴史、考古、民俗、美術・工芸を紹介する総合博物館として1983年に設立された博物館。江戸時代の島津家鶴丸城本丸跡地に建設され、西南戦争の銃痕が残る濠、石垣、石橋など由緒あるものが残っており鹿児島県指定史跡になっている歴史的なもの。館内3階の工芸の展示室では、苗代川系、竪野系、龍門司系に分類された薩摩焼が展示されている。中には、竪野系で焼かれた「火計り手」も展示されている。 ・参考:鹿児島県歴史・美術センター黎明館(公式)https://www.instagram.com/official_reimei/p/C0vCxj9JPUE/・参考:鹿児島県/鹿児島県歴史・美術センター黎明館 https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/・参考:日本の代表的やきもの産地を紹介(薩摩焼/鹿児島県歴史資料センター 黎明館)http://tougeizanmai.com/tabitetyou/028/00reimeikan.htm ♣ 波佐見町陶芸の館 所在地:長崎県波佐見町東彼杵郡井石郷2255-2 Tel. 0956-26-7162HP: https://www.town.hasami.lg.jp/machi/soshiki/shoukou/2/4/707.html → 波佐見町「陶芸の館」では、400年の波佐見焼の歴史と伝統を紹介する陶芸博物館。波佐見焼400年の歴史を解説するほか、伝統工芸士の作品、やきものの制作過程、歴史資料の展示している。特別展示室では、国内有数の「くらわんか茶碗」(*江戸時代の磁器製の普段使いの庶民の食器雑器)のコレクションを展示している(くらわんか藤田コレクション)も展示。・参考:くらわんか碗 – Wikipedia ♣ 波佐見町 歴史文化交流館 … Continue reading
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日本の陶芸「やきもの」博物資料館(その1)(博物館紹介)
ー 「やきもの」の歴史と作品を通じて日本の陶芸文化に触れるー ここでは、日本各地に数多く存在する「やきもの」に関する博物館、資料館を取り上げ、各地の特色ある陶磁器、歴史ある有力産地と作品、伝統窯元などの紹介することとする。そこには作品作りにかけた長い歴史と陶芸家達の技術の集積がみられ、“ものづくり”のこだわりと伝承をみることができるだろう。 日本のものつくり文化を伝える伝統工芸陶器「焼きもの」の博物館・美術館は非常に数が多いため、ここでは二つにわけ紹介することとする。その1では、全国的にも知られる有力な伝統工芸陶器の博物館・美術館、その2では、地場の「やきもの」資料館をリストと共に掲げることとした。また、参考資料として、主な「やきもの」の産地、陶磁器の生産地の特色と背景、窯元の地域分布を取り上げている。 その1:全国的に知られる伝統工芸陶器の展示資料館 (このセクションで取り上げた陶磁資料館)佐賀県立九州陶磁文化館、有田町歴史民俗資料館(有田焼参考館)、有田陶磁美術館伊万里市陶器商家資料館、石川県九谷焼美術館、能美市九谷焼資料館、福井県陶芸館 越前古窯博物館、滋賀県立陶芸の森・陶芸館、信楽焼伝統産業会館、兵庫陶磁美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、愛知県陶磁美術館(旧愛知県陶磁資料館)、とこなめ陶の森資料館、多治見市美濃焼ミュージアム、岐阜県現代陶芸美術館、益子陶芸美術館 益子参考館(濱田庄司記念益子参考館) +++++++++++++++++++++++++++ ♣ 佐賀県立九州陶磁文化館 所在地:佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1 Tel.0955-43-3681HP:(https://saga-museum.jp/ceramic/facility/) → 九州各地の陶器文化遺産の保存と陶芸文化発展のための施設。地域の陶磁器を収集・保存・展示すると共に調査研究や教育活動を行っている。常設としては5つの展示室が用意されており、有田焼の歴史 (第1展示室)、柴田夫妻コレクション (第2展示室)、九州の古陶磁 (第3展示室)、一般展示室と茶室 (第5展示室)となっている。 詳しく見ると、第1展示室では、有田焼の名品の展示と共に有田焼の歴史や文化などのテーマごとに有田焼の特色と背景を解説、有田町名誉町民の故蒲原権氏の「蒲原コレクショ」も展示されている。第2展示室の「柴田夫妻コレクション」は、江戸時代に作られた有田磁器(古伊万里)であり、代表的な作品と様式変遷を知ることができる。第3展示室の「九州の古陶磁」は、佐賀県の古唐津をはじめ、初期伊万里・古伊万里・柿右衛門・鍋島などの製品のほか、九州各地の多彩な窯窯元の古いやきものを展示、第4展示室の「現代の九州陶芸」では、地域ごとの伝統的な作品や前衛的な作品を一堂に展示されている。第5展示室には「一般展示室と茶室」があり、個展やグループ展などに使われているようだ。また、屋外にはマイセン磁器でできた鐘が美しい音色を奏でているのも魅力という。 ♣ 有田町歴史民俗資料館(有田焼参考館) 所在地:佐賀県西松浦郡有田町立部乙2202番地 Tel.0955-46-2111HP: (https://www.town.arita.lg.jp/main/169.html) → 有田焼参考館は、窯跡などから出土した陶片を展示する専用施設として1983年に開館。本物の有田焼に触れる機会を提供すること、歴史研究や作陶などをはじめとした有田焼を理解することを目的とした。開館当初は、発掘調査例も少なく有田焼の全体像を示すことはできなかったというが、今日では出土文化財管理センターを中心に膨大な数の陶片を収蔵できるようになっている。現在、常設展ではこの有田町が保管する発掘調査資料の中から、約40遺跡、1000点ほどの陶片を厳選し展示、誕生から近代に至る有田焼の変遷を最新の研究成果の解説パネルとともにみることができる。 ・参照:有田焼参考館<Arita Excavated Ceramic Museum> https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031925/index.html・参考:有田町出土文化財管理センター https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031928/index.html ♣ 有田陶磁美術館 所在地: 佐賀県西松浦郡有田町大樽1-4-2HP: https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031926/index.html → 有田陶磁美術館は、1954年に開館した焼きもの物専門の美術館。明治7年の焼き物倉庫を利用して設立、建物自体も有田内山重要伝統的建造物群の一つに指定されている。窯元やそれぞれの豪商が手掛けた製品を展示し、有田の明治時代から昭和初期の焼き物を紹介している。入口の佐賀県重要文化財の「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」と「陶彫赤絵の狛犬」がよく知られているようだ。 ・参考:日本の「やきもの」解説(産地):有田焼と伊万里焼:https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/imari/sanchi_imari.html ♣ 伊万里市陶器商家資料館 所在地:佐賀県伊万里市伊万里町甲555番地1 Tel.0955-22-7934 .HP:https://www.city.imari.saga.jp/21160.htm) → 江戸時代の当時そのままの姿で保存されてきた陶器商家(旧犬塚家)を伊万里市が資料館として公開。焼きもの関連では江戸時代後期から明治初期の古伊万里を展示。資料館の建物は重厚な商家としての格式をみせ、当時の町割りに見られる典型的な様式といわれる。 ♣ 石川県九谷焼美術館 所在地:〒922-0861 加賀市大聖寺地方町1-10-13HP: http://www.kutani-mus.jp/ja/ → 九谷焼は石川県の代表的な美術工芸品であり、石川県加賀市は九谷焼の発祥の地となっている。日本で唯一の九谷焼の専門美術館(登録博物館)で、古九谷をはじめ、再興九谷など九谷焼を網羅的、専門的に展示紹介している。特別展の開催、図録や研究紀要の発行などを通して九谷焼研究を推進している。 九谷焼は、江戸時代の前期、少なくとも明暦年間(1655年頃)には存在していた焼物で、現在まで長い歴史を数える。大胆な構図とあざやかな色彩で絵付けされた色絵磁器であり、日本国内のみならず、世界でも高い美術的評価を得ている伝統工芸品である。下図は九谷焼の名品。 参考: 九谷焼とは http://www.kutani-mus.jp/ja/kutani参考: 九谷焼デジタル収蔵庫 http://www.kutani-mus.jp/ja/archives参考: 石川県九谷焼美術館 … Continue reading
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産業陶器とセラミックスの博物館 (B) (博物館紹介)
―近代産業としての陶磁器とセラミックスの発展をみるー この項では、食器、花瓶、インテリア、衛生陶器などの窯業物陶磁器、工業原料となるセラミック製品の製造過程、近代工業製品を展示する博物館、資料館を取り上げている。特に、主要メーカーの創業と発展の記録、 “ものづくり”へのこだわりと技術を紹介。 ♣ ノリタケの森 ・ノリタケミュージアム 所在地:愛知県名古屋市西区則武新町3-1-36 Tel.052-561-7114HP: (https://www.noritake.co.jp/mori/)参考:名古屋の「ノリタケ・ミュージアム」を訪ねて https://igsforum.com/noritake-museum-j/ → ノリタケ創業の地名古屋市西区則武にある「ノリタケの森」は、前身日本陶器の工場跡を利用した広い緑地公園からなり全体がノリタケの企業活動を紹介するテーマパークとなっている。敷地内には、「ノリタケ・ミュージアム」、製造過程を見学できる「クラフトセンター」、ノリタケの歴史と事業分野を示す「ウェルカム・センター」などがあり、ノリタケのこれまでの事業全体として紹介されている。また、工場跡地には明治期に作られた赤煉瓦の工場建屋と陶磁器を焼成に使った煙突がそのままの残っており国の近代化産業遺跡にも指定されている歴史的史跡でもある。 このうち、「ミュージアム」では、創立以降ノリタケで作られた多彩な素材やデザインの食器やディナー皿、「オールドノリタケ」を豪華に展示。「クラフトセンター」では、生地から絵付けまでの製作過程、陶磁器づくりの技を現場で再現、特に、洋食陶磁器、ボーンチャイナとその技法、美術陶磁品制作の仕組みと特色などが詳しく紹介されている。 ノリタケの歴史を振り返る「ウェルカム・センター」では、明治9年の商社「森村組」の創業に始まったノリタケ120年の発展を振り返るコーナー、洋食器制作をベースに近年セラミック事業にも進出ことも紹介されている。世界的高級洋食器メーカーとなったノリタケの沿革、世界の陶磁器産業を見る上でも貴重な博物館であろう。あった。日本の陶磁器事業の歴史と成果を見るには最適の博物施設の一つであろう。 <ノリタケの魅力とものづくりの伝統> 展示の中から、ノリタケの創業からの発展を確認して見ると、明治初年に森村市左衛門が森村組を設立し、米国に日本の美術骨董品、雑貨を輸出する事業を開始したときから始まる。1889年には、パリ万博で洋式装飾食器の素晴らしさと商品価値と高さをみて日本での洋式磁器の製作を決意、1917年には衛生陶器部門を分離し東京陶器(TOTO)を設立、その後、碍子部門を1919年に独立(日本碍子)させ、戦後では、1967年、日本レジン工業、伊勢電子工業、広島研磨工業、共立マテリアルなどを設立して工業セラミック事業に参入している。ここでは食器製造で打ち勝った磁器、研削、研磨、セラミック材料開発などの技術を生かして事業を拡大している姿がみえる。現在では、さらにハイテック分野の電子回路や歯科医療、太陽光発電膜、セラミックコンデンサーなどに進出し存在感を示している。これらを見ると日本の伝統産業陶器を新たな形で展開し工業品と美術工芸を融合させていった事業展開、先進的なセラミック事業にも進出しているノリタケの姿は印象深い。これらは、園内施設ウェルカム・センター(テクノロジー・コーナー)の展示でもよく示されている。 ノリタケの歩み:https://www.noritake.co.jp/company/about/history/ノリタケの森 HP:https://www.noritake.co.jp/mori/look/ノリタケミュージム https://www.noritake.co.jp/mori/look/museum/ ♣ TOTOミュージアム 所在地:北九州市小倉北区中島2-1-1 Tel.093-951-2534HP: (https://jp.toto.com/knowledge/visit/museum/)参考:九州・小倉のTOTOミュージアムを訪ねる/ https://igsforum.com/visit-kokura-toto-m-jj/ → この博物館は、100周年の記念事業として衛生陶器の”TOTO”がその歴史と技術開発の成果を伝えるべく”ミュージアム“として設立したもの。同社の沿革や製品を展示するだけでなく、社会環境や生活スタイルの変化を反映した「水まわり」全体の文化や歴史を豊富な事例と共に伝える貴重な施設となっている。 ミュージアムの展示構成は、創業のルーツと歴史を記す第一展示、日本の水回りの文化と歴史をあらわす第二ゾーン、世界に向けたTOTO各種製品の展示ゾーン、ライブラリーなどとなっている。また、TOTOの水回り陶器がどのように作られるのかを体験できる「工場見学」も行っているようだ。 トイレ機器の歴史や浴室・洗面所などの水回りの施設の機能が現在どのようになっているのか、時代とこれがどのように変化してきたのかを知るのに最適の博物館施設といえるだろう。 展にの中なかで最も印象に残ったのは、生活スタイルの変化を反映した「水まわり」の文化や歴史を紹介するコーナー。壁面には大きな展示パネルがあり、昔からの「トイレ」の形や排泄物処理の社会システムが丁寧に説明されている。 展示では、厠」、「雪隠」などのいわれた昔の「排泄」のリサイクル、「和式」から「洋式」便器への変化、「排貯蔵式」から「水洗」に移っていった経過、そして現在のウオッシュレットに移る過程は興味深いものがある。 また、製品だけでなく、その製作過程も映像などでみられるのもこの博物館の特色。展示ホールの一角には映像コーナーが準備されていて、衛生陶器や浴槽などの焼成、機能部品の取付け、組み立て過程などがビデオで確認できる。 多様なかたちで存在する世界中の珍しい浴槽、トイレの紹介も興味の湧く展示であろう。 参考となる資料:・TOTOミュージアム Web site: http://www.toto.co.jp/museum/・「水と暮らしの物語」http://www.toto.co.jp/museum/history/・衛生陶器の基礎知識 http://kk-daiwa.co.jp/blog/log/eid17.html・「トイレ年表」財団法人 日本レストルーム工業界:http://www.sanitarynet.com/history/ ♣ 碍子博物館(日本ガイシ) 所在地:名古屋市瑞穂区須田町2番56号 Tel.052-872-7181HP: https://www.ngk.co.jp/rd/labo/museum.html) → 日本ガイシは高性能碍子はじめ世界有数のセラミック材料の製造メーカーであるが、この日本ガイシが自社の発展の基礎となったガイシの科学研究にし資するため設立したのが、この「ガイシ博物館」。この博物館では、国産最古のピン・ガイシはじめ世界21ヵ国のガイシを収蔵・展示。材料開発と形状変化の歴史を確認できる資料館となっている。日本ガイシの電力技術研究所に併設されているもので、国産ガイシの現有品では最古の物とされる通信用ピンがいし(1875年製)から、世界21ヵ国、57メーカーのガイシ、保守工具類も含め約5,000点余を収蔵、300点ほどを常時展示している。これらガイシの形状の変化と進化、セラミック材料開発の足跡を見ることができる。また、ガイシに関わる古文書、文献、ガイシの歴史などが総合的に展示されているので参考になると思われる。しかし、残念ながら(研究用の施設のためか)一般には公開されていないのがくやまれる。 (日本ガイシの沿革とセラミック事業) 日本ガイシ(日本碍子株式会社、NGK)、電力用ガイシ・セラミックス製造を主力とする世界最大級のセラミックスメーカーのひとつである。1910年代、日本陶器(現・ノリタケ)からガイシ製造部門を分割し設立された。ガイシ製造と会社設立は、1905年、芝浦製作所(現・東芝)の技師が日本陶器に米国製の「がいし片」(碍子博物館蔵)を見せ、高圧碍子の製造を打診し開発に取り組んだことがきっかけであったといわれている。そして、1936年には スパークプラグ部門を分社化し日本特殊陶業を設立、1986年、社名を日本ガイシに変更して今日に至っている。 この間、1929年には「100万ボルト級の高電圧電気試験設備」が完成、1930年には「NGスパークプラグ」の生産を開始している。また、1940年代には「短波ガイシ」、1950年代には「中実SPガイシ」の生産へと進んでいる。1970年年代には世界最大強度の「懸垂がいし」も開発している。 一方、技術開発を進めていたセラミック材料の取り組みから、1950年代には碍子以外の「ベリリウム」の研究を進め、1958年には「ベリリウム銅母合金」の生産、1976年には自動車排ガス浄化用触媒担体「ハニセラム」の生産を開始している。 さらにエンジニアリング事業にも進出していて、1970年代には「汚泥焼却炉」の完成、「低レベル放射性廃棄物焼却装置」(1978)とセラミックを基盤とした事業の多様化を進めている。近年では、「GaNウエハー」の開発、「サブナノセラミック膜」の生産、「半導体製造装置用セラミックス」の量産など、ナノテクノロジーを活用したセラミックス先端企業として知られる存在となっている。博物館では、碍子から始まったこれら技術発展の跡を訪ねることができるであろう。 ・参考:https://www.ngk.co.jp/ 日本ガイシ株式会社 … Continue reading
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地場の技術と伝統を支える織物工芸博物館 (B2) (博物館紹介)
日本では、古くから地場産業として織物、染め物、工芸品を発展させてきた。これらは様々な形で民衆の間で伝承され、時代ごとの流行や生活様式に生かされてきた。また、技術的にも様々な織り方、生地染料の開発により多様な織物が生まれている。ここでは、これら地方の織物文化のありようを示す博物館、資料館を紹介する。特に、地場産品として現在でも人気のある「紬」、「絣」、「銘仙」、「縮緬」、「藍染め」などの工芸品の姿を紹介する資料館を取り上げる。 ♣ 結城紬ミュージアム “つむぎの館”(茨城県) 所在地:茨城県結城市大字結城12-2 Tel.0296-33-5633HP: https://www.yukitumugi.co.jp/ → 施設内には結城紬の資料館、長年繊維問屋であった「奥順(株)」が、創業100周年を記念して設立である。反物の展示館、結城紬製品のショップや染織体験工房がある。結城紬とは、茨城県結城市を中心として、主に茨城県、栃木県の鬼怒川流域で作られている絹織物。精緻な亀甲模様や複雑な絣柄で構成された柄が美しい。真綿から手で紡ぎ出した「紬糸 (つむぎいと) 」と呼ばれる糸を使って織られる。 参考:結城紬とは(中川政七商店の読みもの)(https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997)https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/silkmuseum/IYuki/yuki-etc.htm・紬とは:紬 – Wikipedia ♣ 大島紬美術館(鹿児島) 所在地:鹿児島県奄美市笠利町平1260番地 Tel.0977-63-0067HP: https://www.oshima-tsumugi.com/ → 館内には、奄美文化の代名詞となった本場大島紬を展示した紬パビリオンがあり、紡ぎの製作に用いられる締機、加工、手織りなど大島紬の製造工程も実際にみることができる。参考:https://www.museum.or.jp/museum/7668https://www.oshima-tsumugi.com/・紬とは:紬 – Wikipedia ♣ 塩沢つむぎ記念館 所在地:新潟県南魚沼市塩沢1227番地14 Tel. 025-782-4888HP: https://www.tsumugi-kan.jp/ → 塩沢つむぎ記念館は塩沢の織物の伝統技術と文化の魅力を一堂に公開した博物誌資料館。塩沢の織物の布を使用して製作された生地工芸品を展示・販売しており、織物ができるまでの工程を見ることもできる。 ♣ 秩父銘仙館 所在地:埼玉県秩父市熊木町28-1 Tel: 0494-21-2112HP: https://www.meisenkan.com/ → ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示している。伝統的技術を継承することを目的として設置された施設となっている。本館やノコギリ屋根の工場棟などは、昭和5年建造の旧埼玉県秩父工業試験場を利用しており、平成13年には昭和初期の特徴的な建物として国の登録有形文化財に登録されている。 ・銘仙とは?―産地ごとの特徴や歴史―(京都きもの市場)https://www.kimonoichiba.com/media/column/440/・秩父銘仙とは:https://www.meisenkan.com/chichibumeisen/・染め織りの郷ちちぶ銘仙館https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/silkmuseum/SCMeisen/meisenkan.htm ♣ 民芸伊予かすり会館 (愛媛県) 所在地:愛媛県松山市大街道3丁目8−1HP: https://e-hime.jp/kasuri/ → 伊予絣は、愛媛県松山市で製造されている木綿の紺絣、松山絣とも呼ばれる。久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つである。約200年余年前温泉郡今出の「鍵谷カナ」が独力で苦心のすえ、“今出かすり”を製織せられたのが始まりといわれる。松島市内にある伊予かすり会館では機織の展示、実演を行っている。・参照:伊予絣とは? 伊予絣 – Wikipedia・参照:絣とは(絣 – Wikipedia) ♣ 久留米絣資料館 (久留米地域地場産業振興センター) 所在地:福岡県久留米市東合川5-8-5 … Continue reading
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日本の技術と伝統を伝える織物工芸博物館 (B1) (博物館紹介)
日本の織物文化の長い歴史をみると、多様な生地、素材を使い独自の染織技法を発達させてきたことがわかる。これらは様々な形で民衆の間で伝承され、時代ごとの流行や生活様式に生かされてきた。また、技術的にも手織りから機械の導入、様々な織り方、生地染料の開発により多様な織物が生まれてきている。日本各地には、これら染織技術の歴史と伝統、現代の織物文化のありようを示す博物館、資料館が数多く存在している。今回、これら施設の歴史、特色、展示などを取り上げてみることとした。特に、この項では各地の有力な織物工芸館、西陣、友禅など歴史ある織物工芸施設を紹介している。 ♣ 川島織物文化館 ―西陣・綴錦の芸術性を今日につなぐ貴重な博物館―― 所在地:京都市左京区静市市原町265 川島織物セルコン内 Tel.075-741-4120HP: https://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/○参照:西陣の伝統を紡ぐ川島織物文化館 (博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2024/09/04/kawashima-orimono-m-jj/ → 川島織物(現・川島織物セルコン)は京都の伝統産業、西陣織物門企業の一つ。この川島織物が日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えよう設立したのが「川島織物文化館」である。この文化館には、日本の古代からの歴史的織物作品をはじめ、世界各国から収集した多様な染織品が展示されている。特に、川島の絵画を越えるほどの美術織物の展示が見事である。 また、文化館は、川島の研究開発機関の役割も担っており、伝統技術の手織り工場、教育・研修の場としてカワシマ・マイスター・スクールも併設されており、技術と文化を融合する機関となっている。 中でも、織物文化の歴史を知ることの出来る数万点のコレクションを蒐集し展示しているのが目立つ。日本の古代からの織物、世界の染織品など8万点、日本の織物に関するコレクション2万点、綴織り絵画作品や織下絵など約6万点が収納されている。日本の織物研究の拠点の一つでもある。このうち常時展示しているのは一部であるが、このどれを見ても文化的に見ても貴重で且つ芸術性にあふれた作品群となっている。 ○参考:京都の芸術性のあふれた「川島織物文化館」を訪ねてhttps://igsforum.com/%20visit-kawashima-textile-museum-j/ ♣ 織物技術の伝統を伝える京都の西陣織会館 所在地:京都市上京区堀川通今出川南入ル 西側 Tel. 075-451-9231HP: https://nishijin.or.jp/nishijin_textile_center/ →「西陣織会館」は西陣織工業組合が運営する京都西陣織の資料館。西陣織は、京都の先染め織物をまとめた呼び名で、綴、 錦(金襴)、緞子、朱珍、絣、紬などの多彩な糸を用いた先染めによる高級絹織物、昭和51年には国の伝統的工芸品の登録商標に指定されている。西陣」の織物は、江戸時代、京都を中心に支配者層や富裕な町人の圧倒的な支持を受け普及し最盛期を迎えたが、幕末には戦乱の中でやや衰退する。しかし、明治になって近代織機(特に、ジャカード織機)を導入、新しい西陣織物の量産が可能になり、伝統職人の技術向上も受けて復活、現在では西陣織が日本を代表する高級京都着物として高い評価を受けている。 会館では、常設展を設けて京都市指定文化財である明治期における木製ジャカード機(国産第1号機)をはじめ、西陣近代化の経緯を伝える貴重な展示品を紹介している。また、企画展では、年に3~4回、テーマを設けて織物展示を行っており、帯、きもの、几帳、裂地、貼交屏風、美術的工芸品など、西陣織の伝統美の数々を披露している。2024年春には、江戸時代以降から近代の所蔵品を展示。宮中女性の正装である十二単をはじめ、平安期から身に着けていた男性の狩衣など、古代裂を含めて品格を備えた優美な装束を紹介している。また、会館の資料には西陣織の歴史と技術の成り立ち、現在の姿も紹介しており参考になる。(参照:西陣織とは( 西陣織工業組合) https://nishijin.or.jp/whats-nishijin/) ♣ 手織ミュージアム・織成舘 (https://orinasukan.com/) 所在地: 京都市上京区浄福寺通上立売上る大黒町693 Tel.075-431-0020HP: https://orinasukan.com/ → 「織成舘」は、西陣を中心として日本各地の手織物や時代衣装、を収集・展示している手織技術の博物資料館。西陣の帯地製造業「渡文」の初代当主・渡邉文七氏の自宅兼店舗であったという西陣織屋建の町屋を活かした手織ミュージアムである。手織文化の代表格とも言われる能装束(復元)が展示されており、その他全国の手織物、能装束、時代衣装の鑑賞ができ、工房見学、手織の体験もできる。 建物自体も貴重で、吹き抜けの天井、天窓、大黒柱など、織屋ならではの独特の風情をもっている。また、座敷や奥の坪庭などが当時のまま残されており建物全体が西陣織の伝統を伝える場となっている。○ 参考:【手織ミュージアム 織成舘】https://recotripp.com/spot/25291 ♣ 加賀友禅伝統産業会館 所在地:石川県金沢市小将町8-8 Tel.076-224-5511HP:http://www.kagayuzen.or.jp参考:https://travel.navitime.com/ja/area/jp/spot/02301-14402020/ → 金沢に数ある伝統工芸である加賀友禅の魅力と歴史、制作工程を幅広く展示し、加賀の武家文化のなかで育った加賀友禅の個性と技を体験できる博物施設。館内では、加賀友禅の実物が並んだ展示コーナーを中心に、加賀友禅の質感や色合い、精緻な絵柄を間近で見ることができる。また、正面左側の壁には加賀友禅の歴史や制作工程もわかりやすくパネル解説している。加賀友禅を身近に感じられる彩色を体験できるコーナーもある。 <加賀友禅の特徴と歴史>加賀友禅のルーツは今からおよそ500年前、加賀国独特の染め技法だった無地染めの「梅染」にさかのぼるという。京都で友禅染めの始祖となった扇絵師・宮崎友禅斎が、金沢に招かれ、北陸の気候風土や武家文化の土壌に合った加賀友禅を発展さ勢多と伝えられる。加賀友禅は、臙脂(えんじ)、藍(あい)、黄土、草、古代紫の「加賀五彩」を基調に、花鳥風月を写実的に描く絵柄が特徴といわれる。加賀友禅の代表的な技法は「外ぼかし」などで自然描写を重んじる加賀のものづくりの気風を示すとされる。 参照1:https://travel.navitime.com/ja/area/jp/spot/02301-14402020/参照2:加賀友禅の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kagayuzen/ <参考> なお、加賀友禅の作品展示、彩色体験や着装体験ができる施設として「加賀友禅工房・長町友禅館」などがある。「加賀友禅工房・長町友禅館」 →石川県金沢市長町2-6-16 Tel.076-264-2811 (https://kagayuzen-club.co.jp/) ♣ 博多織会館(博多織ギャラリー) 所在地:福岡県福岡市博多区博多駅南1-14-12 Tel. … Continue reading
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西陣の伝統を紡ぐ川島織物文化館 (博物館紹介)
―西陣綴錦の芸術性を今日につなぐ貴重な博物館―― 所在地:〒601-1123 京都府京都市左京区 静市市原町265 HP: http://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/index.html IGS-forum 「川島織物文化館を訪ねて」を参照して作成https://igsforum.com/%20visit-kawashima-textile-museum-j/ → 川島織物(現川島織物セルコン)は京都の伝統産業、西陣織物門企業の一つ。この川島織物が日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えようとして設立したのが「川島織物文化館」である。この文化館には、日本の伝統技術を生かした芸術的な歴史的織物を数多く展示しているほか、世界各国から収集した多様な染織品も展示してある。日本で有数の織物芸術館のひとつ。 特に、川島の絵画を越えるほどの美術織物の展示が見事である。この秋、京都に旅行する機会があったので、ここに立ち寄り見学させてもらった。そこでは、伝統的産業技術と芸術の融合が溶け合う日本独自の技・芸の結晶が感じられるコレクションが多数。 ♣ 川島織物社(現・川島ゼルコン)の歴史と伝統 川島織物社は、初代川島甚平衛が京都西陣で呉服悉皆業を開業していた1843年までさかのぼる。その後、二代目の甚平衛が、1887年、「川島織場」を設立、伝統的な羽織地などから染織品を用いた新しい室内装飾、特に、芸術性の高い洋式の壁面装飾の世界に挑戦する。 この中にあって、明治期のドイツ帝室に献上する織物、明治天皇の新宮殿の室内装飾などで成果を上げ、1904年には、セントルイス万博で日本式の室内装飾「若冲の間」制作などで注目された。これらは、室内装飾という西欧概念に日本的感性を投影させた作品群として高い評価を受けている。現在では、和装呉服部門のほか、祭礼幕、舞台の緞帳、装飾カーテン、自動車シートなども制作する総合企業となっている。しかし、なんといっても川島織物の名をなさしめたのは、芸術性の高い美術的織物の世界である。この基礎は明治の西陣織物の進化に見いだせる。 <西陣織りの浮沈と川島の挑戦> 江戸時代から明治にかけての京都の伝統的西陣産業は、幕末の戦禍と京都貴族の没落で失速していた。こういった中、幾人かの織物業者は、新しい近代的織物産業の芽を見いだそうとフランスの織物工業の中心地リヨンを視察。かれらは、ここで学んだジャッガード織機での文様織り技術に注目、その導入を図る。特に、二代目川島甚平衛は、タパストリーに用いられるゴラン織りに注目、日本の西陣培われた「綴織り」技術を応用し、手先の器用な日本人が絹糸を使って織物を作れば本場のゴラン織りに劣らぬ作品が制作可能であると確信したという。 この考え方を基に、1889年、京都三条に「川島織物参考館」を開設、本格的な「綴織り」の研究を開始した。これが後の「川島織物文化館」の基礎となっている。 ここで、川島は日本の織物の技術「割杢」(立体的に織りをぼかしで表現する)などを開発して新境地を開くことになる。この成果として生まれたのが狩野芳崖絵画「悲母観音」の忠実な模写織物である。また、当時開催されたパリ万博では「群犬」などの作品も発表して世界的な評価を受けることになる。 <技術の伝承と次世代への期待> このように川島織物は、明治初期から、日本的美術の世界と織物という伝統産業を融合し、且つ、日本には数少なかった西洋式の室内装飾織物(タパスリーなど)を社会に定着させていったのであるが、これをさらに文化的芸術的価値の高い美術品として世に出していった珍しい織物企業の一つといえるだろう。この意味でも、「川島織物文化館」は、この芸術的成果と制作の歴史的展開を確認できる貴重な施設といえる。 また、この織物文化館は、「中央技術・文化センター」の一角に設けられており、川島織物の中央研究開発機構、伝統技術の手織りの工場、近代的な機械織りの工場、という技術の場に加え、教育・文化の場としての川島テキスタイルスクール、カワシマ・マイスタースクールも併設され、技術と文化。教育を融合させようという珍しい施設とも位置づけられている。 ♣ 川島織物文化館の展示 <展示の概要> 川島織物文化館は、織物の研究のために、創業以来、上代裂、名物裂、中国裂、コプト裂、各種装束、衣裳など、織物文化の歴史を知ることの出来る数万点のコレクションを蒐集してきている。 ここでは、日本の古代からの織物、世界の染織品など8万点、日本の織物に関するコレクション2万点、綴織り絵画作品や織下絵など約6万点が収納しており、日本の織物研究の拠点の一つともなっている。このうち常時展示しているのは一部であるが、これらが、川島が世に出してきた作品と共に、時代と作品のカテゴリー毎に分けられてわかりやすく展示してある。このどれを見ても文化的に見ても貴重で且つ芸術性にあふれた作品群となっている。 展示は逐次変化しているようで全部が見られるわけではないが、川島関係の展示は、今回訪問時には、次のような構成になっていた。(1) 舞のシリーズ作品、(2)川島織物明治期作品、(3)装飾タペストリー作品、(4)和装・帯の作品などであった。 <芸術性にあふれた作品群> (1)の「舞」は、古来から祭祀や饗宴で舞われてきた「舞楽」を題材として作品群で、細かい図柄を絵画的に織り上げたもの。川島の最も得意とする分野であった。非常にあでやかで見た目には織物とは信じられない織りがなされている。 (2)の「明治作品」は、川島が本格的に製織をはじめた明治期に好んで用いたデザイン花鳥画の作品。ロシア・ ニコライ皇太子(ニコライ二世)が注文して作らせた作品も含まれている。 (3)は室内装飾用のためのタペストリー壁掛けの作品展示で、昭和後期の比較的新しいモダンなデザインのもの。綴織壁掛「吹けよ風」(1973)、「宇宙誕生」(1986)といった抽象画の世界が描かれた壁掛け織物である。 (4)の「和装・帯」は、江戸時代からの「丸帯」を対象にした衣装で、紋丸帯・綴丸帯・絽丸帯など織技法を駆使して作られた豪華な作品が並んでいる。 これらのどれをとっても芸術性にあふれた素晴らしい作品である。 (注)残念ながら館内での写真撮影は禁じられていたので、ここでは訪問記憶に基づいて殆どパンフレットなどの画像から引用して掲載した。) <綴錦の技法> 文化館では、これらの作品群ほか、川島織物の発展の記録や製織に用いられた明治・大正・昭和の製作資料や室内装飾写真なども展示しており、文化的価値をもつに至った製織制作の歴史、技法発展のあとをたどることができる。また、館内では、川島織物が開発した「綴織り」の技法や実際の織り作業をビデオやパネルで紹介するコーナーも設けられていて、作品群の背景となる過程を知ることができる。 織物という衣装を室内装飾の世界に広げ、日本の伝統技法を応用して「織り」を絵画的芸術作品に高めた過程がよく分かる展示である 参考:
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