ノリタケにみる近代製陶業の系譜

     ―伝統の陶器産業から近代技術の製陶・セラミックス産業へー

「ノリタケの森」概観

  高級陶磁器メーカーノリタケは、2001年、創業の地である名古屋に産業文化施設「ノリタケの森」を開設した。全体が広い緑地公園のようになっていて、施設内には、製造過程を見学できる「クラフトセンター」、ノリタケの歴史と事業分野を紹介する「ウェルカム・センター」、オールドノリタケの展示ミュージアムなどが設けられていて人気の高いテーマパークとなっている。また、明治期に作られた赤煉瓦の工場建屋と陶磁器を焼成に使った煙突がそのままの残っており国の近代化産業遺跡にも指定されている。 

ノリタケの歴史展示
陶磁器の制作
高級洋食器の展示

 

 ミュージアムでは、洋食陶磁器の技法、ノリタケの美術陶磁品制作の仕組みや特色、古くからのノリタケ・ブランドの作品が幅広く展示されており、魅力ある見学施設となっている。また、洋食器制作をベースにノリタケが広げてきた近代的製陶産業の形成とセラミックス事業への発展経過も紹介されていて興味深い施設となっている。

・参照:産業文化施設「ノリタケの森」
 所在地:愛知県名古屋市西区則武新町3丁目1−36
HP:https://www.noritake.co.jp/mori/look/

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❖ ノリタケ・ミュージアムにみる近代製陶業の形成

   この記事では、ミュージアムを参照しつつ、どのように伝統的な陶器づくりが近代製陶産業に転化し、先端的なセラミックス産業に発展していったかを検証してみることとする。
 日本の陶磁器は江戸時代以前から欧米へ広く輸出されてきた貴重な美術工芸品であった。しかし、これらは熟練職人による個別生産が中心で、量産を前提をとし均一な品質をもつ陶磁器製作はあまりみられなかった。この近代工業による陶磁器造りの産業が形成されたのは明治時代になってからである。この新産業を推進した先進企業一つがノリタケ(日本陶器)であった。

<ノリタケの起業と展開>

森村市左衛門

  ノリタケ・ミュージアムの歴史展示によれば、ノリタケの源流は明治初期にさかのぼるという。貿易業者だった森村市左衛門が、1876年(明治9年)に「森村組」を設立し、欧米向けに日本の美術骨董品、雑貨を輸出する事業を開始したことがはじまりである。創業者森村は、1889年、パリ万博訪問で洋式装飾食器の素晴らしさと高い商品価値に感動し、日本での洋式磁器の製作を決意したと伝えられている。この決意を受け、古くから森村組に参加していた大倉孫兵衛、大倉和親が、1904年に「日本陶器合名会社」を設立して洋食磁器の製作を開始した。この時からノリタケの歴史がはじまる。ちなみに、後に社名となった「ノリタケ」は創業の地である現在の愛知県則武村に根ざしたものという。

大倉孫兵衛、和親父子
初期の日本陶器工場

  しかし、この洋式磁器の製作は容易ではなかったようだ。まず、日本式陶器は日本の伝統工芸品ではあったが、均一な商品を多数且つ工業的に作ることがきわめて難しかった。また、一般的に洋食器は白い生地に絵付けすることが必要で、生地が純白で平らでなめらかでなければならない。この新しい技術開発には、職人が個別工芸品を制作するのとは違った新たな方式や技術が必要だったのである。日本陶器では、ドイツなどに職人技術者を派遣して、1904年にようやく白生地陶器の製作にこぎつける。そして、1904年に25センチ皿の平盤化に成功、1914年、日本発のディナーセット「セダン」を発表した。これにより洋食器メーカーとしてのノリタケの基礎が築かれることとなった。

ディナーセット「セダン」(1914)
ノリタケの「ボーンチャイナ」(1933)

その後、日本陶器ノリタケは「ボーンチャイナ」の技術にも取り組み、1933年に成功裏に完成させた。これをきっかけに、ノリタケは北米を中心に高級洋食器の販路を広げ、ノリタケの「オールド・チャイナ」の名は世界的にも名を知られるようになる。

ノリタケの陶磁器・セラミック事業の展示(ウエルカムセンター)

  また、母体となった森村組ノリタケ全体を見ると、陶磁器の成功を軸に、新たな事業分野へ発展させていく。その一つが衛生陶器部門で、1917年に設立した東洋陶器(TOTO)である。また、セラミックス技術を活用して1919年に日本碍子(現NGK)も独立創業させている。太平洋戦争後は、ノリタケ・グループは更に拡大、日本レジン工業、伊勢電子工業を設立、伊万里陶業、広島研磨工業、共立マテリアルなども傘下企業となり成長してきている。

❖ TOTOミュージアムと衛生陶器への挑戦

TOTOミュージアム

  前述のようにTOTOは森村組ノリタケ・グループから独立する形で、1917年に衛生陶器の製作をめざして創業した企業である。この起業と発展過程は、九州・小倉にある「TOTO博物館」で詳しく紹介されている。ちなみに、この博物館は、TOTOの概要や歴史だけでなく、日本の社会課題である水まわりを中心とした文化や歴史の全体を広く紹介しており、ノリタケの社会課題へのこだわりと取り組みの強い姿勢を示している。

(参照:TOTOミュージアム:所在地:福岡県北九州市小倉北区中島2丁目1−1
HP: https://jp.toto.com/knowledge/visit/museum/)

<TOTOの衛生陶器への挑戦>

大倉和親
東洋陶器工場のトンネル窯(1920年頃)

  このミュージアム館展示により、TOTOの衛生陶器への挑戦と展開をみてみよう。東洋陶器(TOTO)は、1912年、森村組ノリタケ「日本陶器」の製陶研究所として発足した。 創立者は貿易会社「森村組」の大倉和親である。大倉は欧米留学中にみた便器や浴槽の素晴らしさに感動し、日本でもこの製造を始めようと衛生陶器の開発・研究を開始したのがはじまりである。その後、1919年、大倉は「東洋陶器」と名付けた会社を設立、九州・小倉に工場を設けて洋式便器の製造を始めた。当時、浴槽や便器はすべて木製であったが、明治期後には、日本の都市化と生活スタイルの西欧化に伴って日本でも将来、陶器製の衛生便器は必ず普及すると考え、開発に取り組んだのであった。

国産初の腰掛式水洗便器(1914年)
現在のTOTO製品群(TOTO博物館展示)

 しかし、当初、その開発は困難を極め、衛生陶器の普及はなかなか進まなかった。同社では、あきらめずに食器の販売を伸ばしつつ開発と製造を続けた。転機は大正年間の社会変化である。下水道整備と都市化が進んだこともあって、徐々に衛生陶器の売り上げが伸びはじめた。戦後になると、住宅需要の拡大と生活スタイルの変化に伴って急速に需要が拡大する。特に、住宅団地の建設は「洋式便器」の採用を促し、本格的な衛生陶器の普及につながっていく。こういった社会情勢を追い風にTOTOは水回り装備の取り組みをさらに強化、ユニットバス、温水洗浄便器ウオッシュレット(1970s)、節水洗浄便器(1980s)などヒット商品を次々に生み出して世界的グローバル企業へと成長していく。

「便所」の存在と生活スタイルの変化(TOTO博のポスター展示)

 ちなみに、古来、日本では「便所」は生活の重要部分ではあったが、長く「裏方」「家の外」に位置すべきものとして意識されてきた。しかし、今日、明るく衛生的で快適な空間を形作る「部屋」と意識するようになってきているのがTOTOの成長にも役立っている。TOTO博物館の展示をみても、この社会意識の変化がどのように進んできたのかがよくわかる。現在、TOTOは衛生陶器のほか「水まわり」を中心とした室内インテリアの総合メーカーとして、浴室や台所、洗面台、シャワーや水栓などの開発を行っており、今日の社会ニーズに積極的に応えようとしているのがよくわかる。

❖ 日本碍子の博物館とセラミック先端技術への挑戦>

NGKの碍子博物館

  日本碍子(現NGK)は、1974年、日本ガイシ電力技術研究所に碍子の歴史を紹介する専門の「碍子博物館」を開設した。ここでは、歴史的な通信用ピン碍子をはじめ世界の碍子・工具類、碍子に関する古文書・文献など5000点以上を所蔵・展示してガイシや送電のしくみの詳しい解説紹介を行っている。展示には、現存最古とされる「通信用ピン碍子、ボール・ソケット型懸垂ガイシ(1910年)などが含まれるほか、各国の懸垂ガイシの展示コーナを設けて各種各様の現物を紹介している。
   この博物館展示を踏まえ、ガイシの歴史と日本碍子の創設・発展、現在のNGKによるセラミックス先端技術への挑戦をみてみることにする。伝統的な陶磁器を応用した絶縁体造りからはじまり、日本碍子が、セラミックスによる先端技術製品開発への広く展開している姿をつぶさにみることができるだろう。

・参照:碍子博物館(NGK電力技術研究所)
所在地:愛知県小牧市大字下末字池田32電力技術研究所内
HP: https://www.ngk.co.jp/product/labo/museum.html

<日本碍子の創業と発展>

米国から入手したという碍子破片(出典:NGK株式会社)

  江戸から明治となり時代が進むにつれ殖産興業による工業振興と社会近代化が顕著となり、日本でも電気供給が増大、送電に必要な碍子の需要が高まってくる。しかし、当時、国内には生産能力がないため全て輸入に頼るしかなかった。こういった中で、電機機械メーカー芝浦製作所の技術者が米国で碍子の破片を入手、日本陶器に持ち込んで陶磁器による碍子国産化を打診した。この時期より、日本での碍子生産の挑戦が始まることになる。

懸垂碍子(1928年)

 当初、日本陶器は否定的であったが、創業者の大倉和親は碍子生産の社会性と将来性を見込み開発を決意。そして、当時の東京工業学校(現東京工業大学)の江副孫右衛門を技術主任に据えて陶磁器セラミック技術を応用した碍子の製作に取り組みはじめる。これは決してやさしい道ではなかったが、苦心の末、やがて碍子の品質確保と量産の目途を付け、その生産に本格化に取り組むことができるようになる。一方、明治末から大正年間の1910年代になると、軽工業、重化学工業の発展が顕著になったことから電力需要は日増しに急増して碍子の需要も増大、日本陶器にも注文が殺到するようになった。これを受け、日本陶器は碍子部門を独立させ碍子生産を増強する体制をとった。

点火プラグ
新生「日本碍子」の役員達

こうして、1919年、新生「日本碍子」」が誕生、初代社長は大倉和親であった。 当初、主力商品は特別高圧碍子と碍管類で顧客は主に電力会社だった。日本碍子は、1920年代、アメリカ製のハロップ式トンネル窯と1000kV級高圧試験装置を導入、東京・大阪のほか各地に出張所を開設、欧米にも社員を派遣して海外に販路を開拓するまでになっていく驚異的な進展であった。 1930年代なると、自動車、航空機などの点火プラグ分野にも進出、1936年には別会社「日本特殊陶業」を設立している。その後、太平洋戦争下では軍需会社の指定を受け軍需用通信碍子・耐酸機器メーカーにもなった。戦後は、朝鮮戦争、そして高度成長により電源開発、インフラ投資の増大を受け、碍子需要が急増、日本碍子は工場を新設して増産体制をとり、海外へも輸出を増加させている。

<碍子事業の多角化と周辺分野への進出>

超高圧電気碍子装備などのエネルギー装置

  1960年代になると、日本碍子は、碍子事業の拡大と成功を受け、碍子技術に依拠しつつも周辺分野の進出と事業多角化に舵を切るようになる。セラミックスを利用した散気板製作から始まった上下水処理装置、耐酸機器から広がる化学工業機器、1958年に工業生産に成功していたベリリウム銅などの金属部門、1962年には米レオポルド社から急速濾過用集水装置の技術導入を受け、上下水処理・汚泥処理装置のプラントメーカーへ参入している。1963年には環境装置類の販売も開始した。一方、本業である碍子では、1965年、500kV変電所用碍子一体製管を開発、翌年、500kV大容量送電線用の高強度懸垂碍子をシリーズ化、日本の超々高圧送電時代に対応する基幹製品となっている。この時期、海外進出の進展も顕著で、後に同社の社名となるNGKブランドを欧米アジアに定着させている。 

<自動車向けセラミックス事業の拡大>

ハニセラムなど環境保全装置・製品

 次の事業の核は自動車向けセラミックス事業の拡大であった。自動車向けセラミックス事業の拡大は、1964年以降、非碍子製品の中心的な戦略へと進化していくことになる。
 1970年、米国で大気浄化法(マスキー法)が成立、自動車の排ガス規制が強まる中、日本碍子は「セラミックス製ハニカム」の開発に着手、1976年にフォード社への納入を成功させている。そして、同年から自動車用セラミックス製品の製造販売を正式に事業化し、以後この分野は収益の柱へと発展していく。
 また、1958年に工業生産に成功していたベリリウム銅事業を、1986年に米国にNGK METALSを設立して現地生産を開始した。2002年には世界に先駆けて電力貯蔵用NAS電池(ナトリウム/硫黄電池)を事業化、再生可能エネルギー時代の長時間蓄電用途を狙うようになっている。
 このように、日本碍子は、創業以来、碍子を中心とした陶磁器技術の開発からはじまり、高度セラミック事業へ進化、今や、自動車、蓄電器、半導体、環境事業へとビジネスを伸展して総合セラミックス企業に」成長してきている。これらの動き代表するように、2026年、日本碍子は社名をNGKと改め、自動車のほか、半導体製造装置用セラミックス部材をなど柱とするデジタル社会領域への事業転換を図りつつある。

・参照:日本ガイシ|半導体製造装置用セラミックス部材を柱とするデジタル社会領域への事業構成転換(2021年) | The社史 https://the-shashi.com/tse/5333/decisions/semiconductor-ceramics-pivot-2021/

❖ 最後に

  これまでみてきたように、明治初年の美術商森村組から高級洋食器を製作するノリタケが誕生し、伝統的な職人技の陶器作りから日本でも近代的な製陶業が生まれ、やがて衛生陶器や室内インテリアの東洋陶器(TOTO)、碍子・セラミック事業を進化させ自動車、半導体製作と進んだ日本碍子(NGK)が創成される。また、ノリタケは、その後、日本レジン工業、伊勢電子工業なども次々に分化し発展させていった。こういったノリタケ・グループの展開は、陶磁器造りを軸として伝統産業を近代的なものづくり産業に育て上げ、さらに先端的な総合技術企業に進化させていった企業発展の一つの姿をみせたものといえるだろう。。ここでは触れないが、同じような発展の形を見せた伊奈陶器(INAX)の展開も参考となる事例として挙げられる。
  現在、デジタル、AIが社会現象となり、日本でも産業や企業変革の必要が叫ばれる中、これら発展の歴史を振り返るのも有効かもしれない。 この意味でも、上に挙げた「ノリタケ・ミュージアム」「TOTOミュージアム」、NGKの「碍子博物館」、また、別会社である「INAXミュージアム」などの歴史展示や解説は貴重な参考になると思える。

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・参照:ノリタケの森 HP:https://www.noritake.co.jp/mori/look/
・参照:クラフトセンター・ノリタケミュージアム:
・参照: https://www.noritake.co.jp/mori/look/museum/
・参照:ノリタケ Noritakeの歴史とオールドノリタケ: http://www.noritakeshop.jp/history.html
・参照:ノリタケの歩み:https://www.noritake.co.jp/company/about/history/
・参照: TOTOミュージアム Web site: http://www.toto.co.jp/museum/
・参照:沿革 | 企業情報 | 会社情報 | TOTO株式会社 https://jp.toto.com/list/company/profile/history/
・参照:九州・小倉のTOTOミュージアムを訪ねるhttps://igsforum.com/visit-kokura-toto-m-jj/
・参照:碍子博物館と日本ガイシ100年の歴史https://www.jstage.jst.go.jp/article/ieiej/39/11/39_711/_pdf
・参照:沿革 | 企業情報 | NGK株式会社(旧:日本ガイシ株式会社)https://www.ngk.co.jp/info/history
・参照:日本ガイシの歴史|The社史 https://the-shashi.com/tse/5333/

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(了)

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家電メーカーの創業と盛衰を語る企業博物館Part 2(博物館紹介)

    ―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみる(続編)ー

  本節では、前回の博物紹介に続いて、日立オリジンパーク、OKI「Style Square」、オムロン・コミュニケーションプラザ、立石一真創業記念館(オムロン)、エプソンミュージアム諏訪、TDK歴史みらい館、などを紹介することとする。

♣ 日立オリジンパーク(日立製作所)

所在地:茨城県日立市大みか町6-19-22
HP: https://origin.hitachi.co.jp

日立オリジンパーク全景

 →「日立オリジンパーク」は2021年に創業の地に開設された日立製作所の企業ミュージアム。敷地内は、「小平記念館」「創業小屋」「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」といった4つの施設で構成されている公開テーマパークとなっている。以前には、日立製作所日立工場の敷地内に「小平記念館」「創業小屋」は設けられていたが、今回、新たに移転して日立市内大みか町により広い公園施設として今回オープンしている。

小平記念館入口

  このうち中心施設「小平記念館」は、1から4までゾーン分けがなされており、Zone 1の「プロローグ」は創業者小平浪平、その志の展示、Zone 2は「日立製作所の社会課題解決への挑戦」、Zone 3は「ヒタチヒューチャーゾーンー・これからの社会課題とともに」、Zone 4は「ギャラリー・日立の挑戦への歴史」となっている。また、別棟の「創業小屋」は、日立の創業の基となった「日立鉱山工作課修理工場」の復元展示であり、小平が苦心して5馬力誘導電動機を制作した現場が再現されている。
 そのほか、パークの敷地内には「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」があり、一般に開放・利用ができる形になっており、地域貢献を促す施設としての側面をもっているのが特色。

プロローグ展示
日立の歩みを展示
日立の歴史的製品展示

<創業小屋と小平記念館に示された小平浪平と日立製作所の系譜>

 これら記念館の展示を参照しつつ、技術者小平がたどった技術者・事業家としての生き方、そして、日立製作所の発展の足跡を探ってみた。

小平浪平
復元された創業小屋

  小波浪平は、東京帝国大学の電気工学科を卒業、藤田組小阪鉱山に電気主任として入社、発電所づくりに関わる仕事に関わる。しかし、当時、日本の電機機械がほとんど外国技術に頼っていることに失望、なんとか国産技術による開発を果たしたいとの志を強く持つよになる。 これを後押ししたのが、学生時代の友人渋沢元治(渋沢栄一の甥)であったという。その後、彼は東京電灯の送電課に移ったが、電機機械開発に取り組む夢を持ち、1906年(明治39年)明治の実業家久原房之助の経営する日立鉱山に移る。この日立鉱山では、中里・町屋・石岡の発電所建設、電動機・変圧器、電気機械の修理を行いつつ、久原の後押しも得て国産電動機の開発に取り組む。この丸太仕立ての掘立小屋で完成させたのが、国産初の5馬力モーターであった。この作業場が、「日立製作所」発展の基となった「日立鉱山工作課修理工場」(後に創業小屋として復元)である。

修理工場の復元内部
復元作業場
初の5馬力発電機

<日立製作所事業の進展と独立>

  発足したばかりの小平の製作所は、当初、多くのトラブルに見回れる危機も経験するが、小平は、これらを一つ一つ克服しつつ国産機械の開発と改良を進めていく。そして、1911年、この製作所が「久原鉱業所日立製作所」となり独立を果たす。当時に進められた技術の試行錯誤、旺盛な技術挑戦、実技指向が、今日、「技術の日立」の企業文化に生かされた評価されるにいたっている。この初期の開発成果としてあげられているのが、「製造番号1」の275馬力誘導電動機、250kVA水車発電機の回転子、10000馬力フランシス水車ランナーなどである。これらは、日立の初期の技術的挑戦を裏付ける製品群として設計図と共に、「記念館」に展示されている。

日立製作所創業初期の製作品の展示

  そして、この製作所は、1922年、久原鉱業から独立して「株式会社日立製作所」と発展していく。そこで、小平は、大型電気機関車(1926)、150馬力電車モートル(1928)、水電解槽設備(1931)、エレベーターの製作(1933)、電気冷蔵庫第一号機(1934)などの製作を果たし、先進的な電機総合メーカーとしての地歩を築いていった。記念館では、これらの軌跡を日立製作所の年譜として、パネルで図面、写真、映像、実物などでわかりやすく解説している。

<戦後の日立製作所復活と発展>

  しかし、日立は太平洋戦争の末期、米軍による爆撃で設備人材と共に甚大な被害を受けた。日立市の工場は全壊、数百人の死者も出している。この痛ましい状況は記念館の展示でも、鎮魂の記録として丁寧に記録されている。 また、戦後、日立の経営幹部は公職追放を受け、浪平も社長の座を追われることとなる。 しかし、1948年には、早くも主要工場も復活、戦後の復興の過程で民間需要の高まり、高度成長下のインフラ整備ブームで、持ち前の技術力を発揮して、戦前にもました大きな企業発展を遂げる。 この過程は、日立の発展年譜としてダイナミックに内容を伝えている。

日立の発展を伝える企業年譜と作品展示                          

<グローバル企業として発展する日立製作所>

日立製作所発展の軌跡

  この軌跡を見ると、1954年  国産第1号の大型ストリップミル完成、1959年 トランジスタ電子計算機「HITAC 301」を開発、1964年 東京モノレール羽田線向け車輌を製造、1970年 世界初の列車運行管理システム、1996年 次世代型列車運行管理システムATOSなど、日本の電機産業の一翼を担ってきたことがわかる。 また、企業経営の面でも、日立電線、日立金属、日立化成、日立建機の分社化など、日立グループの形成に向かうと同時に、海外メーカーとの連携を深め海外展開も積極的に進めている。 これら経過を見ると、日立製作所自身の発展だけでなく、厳しい国際競争の下での電子電気産業における日本メーカーの苦闘の姿をかいまみることができるだろう。
 この日立製作所の創業と発展の系譜は、2022年に新たに開設された「日立オリジンパーク」に見事に示されている。

・参照:日立オリジンパーク(日立市シティプロモーションサイト)https://www.city.hitachi.lg.jp/citypromotion/hitachi_donnamachi/1007477/1011149/1010610/1004704/1004705.html
・参照:日立市の「小平記念館」を訪ねる(アジア日本産業技術博物館フォーラム)https://igsforum.com/hitachi-odaira-m-museum-j/
・参照:『日立オリジンパーク』で日立グループの創業の精神や歴史に触れる(茨城キリスト教学園) https://www.icc.ac.jp/edu/news/2022/detail/220627.html
・参照:日立オリジンパークがオープン(KAJIMAダイジェスト・鹿島建設 Jan.2022)・参照:https://www.kajima.co.jp/news/digest/jan_2022/hashtag/index.html

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♣  OKI「Style Square」(沖電気虎ノ門本社ショールーム)

所在地:東京都港区虎ノ門1-7-12 虎ノ門ファーストガーデン2F
HP: https://www.oki.com/jp/showroom/virtual/oss/

  → 沖電気(OKI)は、1881年(明治14年)に創業した日本で最初の通信機器メーカー。電話機の国産化から始まり、日本の近代通信インフラや情報処理、プリンター事業などを支えながら140年以上の歴史を歩んできている。同社には、「沖電気歴史史料館」といった単独の一般公開施設はないが、本庄工場(埼玉県本庄市)のH1棟内にある展示室や虎ノ門本社にあるショールーム「Style Square」が、歴史的史料や技術の歩みを展示している。また、その歴史的製品はNTT技術史料館 などの外部施設にも貴重な遺産として分散して寄託・展示されているという。

 このうち、OKI「Style Square」は、沖電気が最近取り組んでいる先端的な電子通信機器、情報システムの全容をみることができるようになっており、展示会場にはノンリザーブドエリア、コミュニケーション、プリンター、金融・流通の各コーナーを設けてOKIの最新活動を紹介している。ここでは「技術の先端に触れる、課題解決を体験する、モノづくりのノハウを知る」をテーマに、物流支援、半導体システム、オフィスコミュニケーション、ATM、小型ATMなどのキャッシュマネジメント、最新のネットワークプリンターなどの製品やシステム内容を詳しく展示し、コンサルタント活動も行っている。(展示場の画像参照)

 では、この明治初期に誕生した沖電気の創業の姿と通信機器メーカーとして発展して今日に至った経過をみてみよう。

<沖電気の創業と発展の系譜>

沖牙太郎
明工舎のポスター

  沖電気工業は、1881年(明治14年)、創業者沖牙太郎が東京・京橋に「明工舎」を設立したことにはじまる。牙太郎は、実家の農業に飽き足らず、1874年、27歳で職を求めて東京に移り、工部省電信寮(1877年電信局)の技術となって電信事業に関わるようになる。当時、西南戦争の影響もあり電信事業の必要性が増大すると、電信用の電気針や電極器などの製作に参加、電話機の国産製造実験にも参加。1879年には電信局に所属のまま、現在の東京港区虎ノ門の長屋で電信局の下請け工場を始める。そして、この工場ではじめたのが、電話機などの製造、販売を目的として設立したのが「明工舎」であった。そして、1889年に明工舎を沖電機工場と改称して、現在の沖電気工業と基となっていく。  

共電式交換機
沖電機工場(1889年頃)

 この間、1896年、国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社納入、軍用携帯印字機や軍用電池が陸軍省に納品し高い評価を受けている。また、東京~横須賀間の海軍専用の電話線の架設も受注するなど通信事業の基盤を固めている。また、1904年日露戦争では前線の連絡に沖の携帯電話機が多く使われたという。  創業者沖自身は1906年(明治39年)に58歳で亡くなってが、妻のダケが後を継ぎ、浅野総一郎(浅野財閥創始者)が相談役となって事業は、電話事業を中心に継続的に事業発展していく。そして、1910年、本店、営業所を芝区田町に移し、1912年には「沖電気株式会社」となった。 この間、1896年、国産初の直列複式交換機を日本電信電話公社納入、軍用携帯印字機や軍用電池が陸軍省に納品し高い評価を受けている。また、東京~横須賀間の海軍専用の電話線の架設も受注するなど通信事業の基盤を固めている。また、1904年日露戦争では前線の連絡に沖の携帯電話機が多く使われたという。  創業者沖自身は1906年(明治39年)に58歳で亡くなってが、妻のダケが後を継ぎ、浅野総一郎(浅野財閥創始者)が相談役となって事業は、電話事業を中心に継続的に事業発展していく。そして、1910年、本店、営業所を芝区田町に移し、1912年には「沖電気株式会社」となった。

沖電気3号自動式卓上電話機(1933年)

 戦後、1949年、沖電気は企業再建整備法により解散し沖電気工業株式会社を設立、クロスバー交換機を日本電信電話公社(現・NTT)に納入するなど活動を活発化。1958年に群馬県高崎市に情報処理機器の高崎工場、1961年には東京都八王子市に半導体工場開設してトランジスタの生産開始。この頃、トランジスタ式コンピュータOKITAC 5090を発売している。そして、1963年、スペリーランド社と技術提携契約を結んで沖ユニバックを設立、1971年、富士銀行にオンライン現金自動支払機(CD)、電電公社にD10デジタル局用交換機を電電公社に納入している。
  1980年代になると世界初の紙幣環流機能付きATM「AT-100シリーズ」(1982年)を発売。1990年には主力事業の一つとなるページプリンター発売、1999年、東芝より国内民間向け金融自動化機器事業を譲受するなど、オフィス事務、金融関係の情報通信分野での活動を強化して今日に至っている。2007年には社名にOKIを用いて国際的な知名度も高めている。

・参照:OKIのあゆみhttps://www.oki.com/global/ja/profile/history/
・参照:社史「進取の精神—沖電気120年のあゆみ」https://www.oki.com/global/ja/profile/history/120th/
・参照:OKI:概略史-コンピュータ博物館 https://museum.ipsj.or.jp/computer/os/oki/index.html
・参照:創業140年、沖牙太郎が育んだアイディアと情熱が溢れるOKIの歴史(事務機ネット)https://jimukiki.net/column/okikibataro/
・参照:カーボンゼロを目指す本庄工場H1棟https://www.oki.com/global/ja/technologies/otr/2023/n241/r04/
・参照:沖電気工業 – Wikipedia

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♣ オムロン・コミュニケーションプラザ(オムロン)

所在地:京都市下京区塩小路通堀川東入 オムロン京都センタービル Tel. 075-344-6092
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/plaza/

オムロン京都センタービル

 → オムロンは、電子制御機器・ファクトリーオートメーション(FA)社会システム事業、電子部品事業などを広く展開する電子機器サービスメーカー。一般消費者には血圧計などの健康医療機器でも知られるが、このオムロンの事業を紹介するため開設されたのがオムロン・コミュニケーションプラザである。このプラザでは、オムロンの活動を歴史フロアと技術のフロアの二つに分けて展示、同社が歩んできた足跡がビジュアルに紹介されている。
  このうち、歴史フロアは、創業から受け継がれてきた理念と現在に至る社会ニーズ創造の追求や未来に繋がるビジョンを「理念」「歴史」のセクションで詳しく展示。また、技術フロアでは、オムロンの技術、サービスの事業を「カーボンニュートラルの実現」、「デジタル化社会の実現」、「健康寿命の延伸」の3つの社会的課題に沿って詳しく解説がなされている。

歴史のフロア展示
技術フロアの展示
Factory Automation展示

<オムロンの創業と発展の歴史>

立石電機時代の立石氏

  ここで歴史フロアなどの展示を参照しつつ、オムロンの創業と事業展開を記してみよう。
オムロンは、1930年、創業者の立石一真が京都に家庭用品製作販売の「彩光社」を設立したことにはじまる。立石は、1922年、友人の紹介で井上電機製作所に入社した後、1930年に独立して「彩光社」、そして、1933年に「立石電機製作所」を創業、レントゲン撮影用タイマの製造する事業をはじめた。戦後の1948年に式会社に改組し「立石電機株式会社」を設立している。1955年に販売部門・研究部門を分離・独立して「立石電機販売株式会社」「株式会社立石電機研究所」を設立した。1959年には商標を「OMRON」と制定、1960年には世界初の無接点近接スイッチを開発している。1964年に電子式自動感応式信号機、1967年には電子式自動感応式信号機などを開発して、この分野の先進企業として業績を上している。この時期、1968年、英文社名もOMRON TATEISI ELECTRONICS CO.として海外市場もめざしている。

レントゲンスイッチ
無接点近接スイッチ
東京九段の交通管理システム

 1969年 世界最小の卓上電子計算機「CALCULET-1200」を発表、1971年には世界初のオンライン現金自動支払機の開発に成功した。1972年、オムロンの社会課題取り組みの一環として、日本初の福祉工場である「オムロン太陽株式会社」を設立したのも、社会課題解決への姿勢を強化しているのがわかる。そして、1990年に社名を「オムロン株式会社」に変更、同社の下で1991年にはインライン検査機器「画匠」、1995年には車間距離警報装置、1998年にはグローバル紙幣真贋判別装置を開発している。近年では、2004年に携帯電話搭載の顔認証技術を開発している。  かくして、現在のオムロンは、産業用オートメーション機器ではトップ企業となる一方、一般消費者には健康医療で広く知られる存在となっている。ちなみに、家庭用電子血圧計は世界トップシェアを誇っている。

CALCULET-1200
大丸京都店の食券自動販売機
オムロン太陽工場

・参照:オムロンの歴史 | オムロンhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/
・参照:オムロングループの歩み | 会社情報 | オムロンhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/
・参照:オムロンコミュニケーションプラザ リニューアル(トータルメディア開発研究所) https://www.totalmedia.co.jp/task/works2015-omroncommunicationplaza-renewal/
・参照:「オムロンの歴史と技術を学ぶ」(経済広報センタ)ーhttps://www.kkc.or.jp/society/conference.php?mode=show&id=2539

❖ 立石一真創業記念館(オムロン)

所在地:京都府京都市右京区鳴滝春木町5-20 
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/founder/

立石一真
立石一真創業記念館

  → この記念館は上記オムロン社の創業者立石一真の一生をオムロンの発展や企業理念と重ね併せて紹介する施設である。 ここには立石のオムロンでの功績、“創業者精神/ベンチャースピリット”を直に体感できる資料が数多く展示されている。記念館は、敷地の周辺環境、住宅、庭園も展示として組み込み、展示の中を回遊することで創業者立石の人となりと事業への姿勢を追体験できる工夫もなされている。
 展示の中では、「創業者物語(立石一真)創業者物語 ~立石一真、挑戦の90年~」として、 第一話から第六話に分け、次のようなエピソードと共に、オムロンの歴史と、立石との関わりをわかりやすく紹介している。

館内の展示


  第一話「生い立ちから下積み、独立まで」第二話 「創業、オートメーション企業へ」、第三話 「無接点スイッチにおける世界初の挑戦」、第四話 「中央研究所の設立とサイバーネーション革命」、第五話 「健康工学から企業の公器性の実現へ」第六話 「大企業病の克服、第三の創業へ」  また、記念館では展示棟の様子をWebで360°視点のバーチャル空間でみるようにできるようになっているのも特色の一つとなっている。

・参照:第一話 生い立ちから下積み、独立まで | オムロンなどhttps://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/founder/01/
・参照:オムロン 立石一真 創業記念館」プロジェクト | DENTSU LIVEhttps://www.dentsulive.co.jp/work/201501
・参照:フィードバックする文明、応答する企業──オムロン創業者・立石一真の思想|小山龍介 https://note.com/ryu2net/n/n04f89087ef61

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♣ エプソンミュージアム諏訪

所在地:長野県諏訪市大和3-3-5
HP: https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/

   → エプソンミュージアム諏訪は、機械式時計の製造から始まった企業の歴史やプリンターなどの歴代製品を紹介する企業博物館。セイコーエプソン創業80周年を記念して2022年に開設され、「創業記念館」と「ものづくり歴史館」の2つのエリアをもつ。 このうち、創業記念館は、1942年の創業時から1970年代までの社屋を利用して当時の時計部品や工具、貴重な資料を展示。ものづくり歴史館は時計事業からプリンターをはじめとする情報関連機器事業へと発展していった技術や製品の変遷を紹介している。

・「創業記念館」の展示

山崎久夫
創業記念館

  創業記念館は、エプソンの前身である「有限会社大和工業」の事務所として使われていたもの改修して博物館とした建物で、国の登録有形文化財に登録されている歴史的建造物となっている。館内では、「誠実努力」、「創造と挑戦」、「技術は人びとのために」の三つの展示室が設けられており、創業者山崎久夫の思い、機械式時計の技術・技能の進化、世界初のクオーツウオッチ、そして、小型軽量デジタルプリンターの開発に至るまでのエプソンの歩みを製品の展示とともに詳しく紹介されている。

・「ものづくり歴史館」の展示

  歴史館には南館、北館があり、前者では、社会や人々の暮らしに影響を与えた歴史的な製品を分野ごとに展示、後者ではエプソンの技術から生み出された製品やサービスを紹介している。共通する展示コンセプトは、「省・小・精の技術を原点とし、エプソンを成長・発展させた「ものづくり」の技術の伝承、技術が生み出した歴史的な商品、それらが形作ってきた豊かな社会の紹介」としている。
 ・参照:エプソンミュージアム諏訪の開設や展示内容を紹介する動画https://www.youtube.com/watch?v=X_Wdill8_xo&t=25s

<記念館にみるエプソンの創業と発展の系譜>

エプソンの歴代製品群

  周知のように、セイコーエプソンは、長野県諏訪市に本社を置く情報関連機器、精密機器を手掛ける電機メーカー。インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクター、パソコン、スキャナーといった情報関連機器、水晶振動子、半導体などの電子デバイス部品の製造、産業用ロボットや小型射出成形機などの産業用機器の製造を行っていることで知られる。

創業記念の銘板

  このエプソンの創業は、1942年、服部時計店の元従業員の山崎久夫が、諏訪市内に「有限会社大和工業」の設立がはじまりである。そして、服部家からの出資を受け、第二精工舎(現在のセイコーインスツル)の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行うようになる。その後、1943年に第二精工舎が工場を諏訪市に疎開すると大和工業との協力関係が強まり、戦後の1959年、大和工業が第二精工舎の諏訪工場を営業譲受する形で株式会社諏訪精工舎となっている。

創立当時の大和工業

 1961年には信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立、 1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなっている。 当時、諏訪経済圏は精密機器製造業(時計、カメラなどの部品製造・組立)が集積、同地域は「東洋のスイス」と称されるまでになったことが発展の背景にある。 この諏訪精工舎は、最初、時計の製造・開発を行っていたが、それから派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展する基となっている。 1961年には信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立、 1985年に諏訪精工舎と子会社のエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなっている。 当時、諏訪経済圏は精密機器製造業(時計、カメラなどの部品製造・組立)が集積、同地域は「東洋のスイス」と称されるまでになったことが発展の背景にある。 この諏訪精工舎は、最初、時計の製造・開発を行っていたが、それから派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展する基となっている。

デジタルプリンター
プリンター「IP-130K」

  この経過を見ると、1968年、世界初の小型軽量デジタルプリンター開発、これが現在のプリンター事業の基となっている。1969年、世界初のクォーツ腕時計(アストロン35SQ[11])を開発すると共に、1968年翌年には半導体事業を開始、1975 年には非時計分野のカンパニーブランドとして「EPSON」ブランドを制定している。1976年、水晶デバイス事業、1978年、コンピュータ用プリンター事業を開始する。一方、1975年には、アメリカに販売会社Epson America, Inc.設立して海外市場に進出した。そして、1984年、マイクロピエゾ方式のインクジェットプリンター「IP-130K」を発売、この頃、エプソン株式会社を吸収合併、セイコーエプソン株式会社に商号を変更(1985年11月)している。1987年にはPC-9800互換のパーソナルコンピュータのEPSON PCシリーズも発売(1995年に撤退)、1989年には液晶プロジェクター事業を開始した。 

壁掛け対応プロジェクター

 1994年には、カラー印刷画質を向上させた「MJ-700V2C」を発売、1995年、マッハジェットカラープリンタ「カラリオ」発表している。 2000年代に入っては、多種類の産業用、家庭用プリンター、プロジェクターを開発、発売するとともに、エプソン独自の「省・小・精の技術」を活かし、ロボットや高精度センサー、サステナブルなオフィス・産業向けデジタル印刷機器などへ進化を続けているという。 この中には、インクジェットデジタル捺染機「モナリザ160B」(2003年)、高画質大判インクジェットプリンター(2008年)、Tシャツに直接プリント可能なガーメントプリンター「SC-F2000」(2013年)、電子黒板機能内蔵の超短焦点壁掛け対応プロジェクター「EB-595WT」(2014年)、「自律型双腕ロボット」(2013年)、「Nシリーズ」、新小型6軸ロボット「Nシリーズ」(2016年)などがある。

カラーインクジェットプリンター
インクジェットデジタル捺染機
垂直多関節型)ロボット

 ・参照:セイコーエプソンの歴史|The社史 https://the-shashi.com/tse/6724
・参照:セイコーエプソン【6724】のストーリー・沿革 – キタイシホン https://kitaishihon.com/company/6724/story
・参照:セイコーエプソンの歴史|時計・EP-101・半導体・プリンター・ロボット | ゆる歴史散歩会【公式】東京の歴史を巡る散歩サークル https://yuru-rekishi-sanpo.com/seiko-epson-history/
・参照: 40年目を迎えた「EPSON」ブランドの歴史を紐解く ~(大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」】https://pc.watch.impress.co.jp/docs/column/gyokai/722251.html

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♣ TDK歴史みらい館

所在地;秋田県にかほ市平沢字画書面15    Tel. 0184-35-6580
HP: https://www.tdk.com/museum/

TDK歴史みらい館

  → TDKは磁性材料フェライトの工業化を目的として1935年に創立された大手電子部品メーカー(当初の社名は東京電気化学工業)。フェライトやコンデンサを始めとし電子材料・電子部品・磁気ヘッド・二次電池などを製造販売している。このTDKが、ゆかりの地である秋田県にかほ市にTDKのあゆみを紹介するため設立したのが「TDK歴史館」。その後、創立90周年にあたる2026年に全面リニューアルし、現在の「TDK歴史みらい館」となった。ここでは、TDKの製品・技術がどのように社会の進化に役立ってきたのか、これから訪れる未来社会に対してどのように関わりを進化していくのかを、フェライトから始まるTDKの強みである「磁性」を主軸にわかりやすく紹介している。ちなみに、TDKは東京工業大学の加藤与五郎、武井武の両博士が発明したソフトフェライトの工業化を目的として、1935年、齋藤憲三がベンチャー企業として設立した企業で、創業期より秋田県内に多くの生産拠点を構え、現在ではグローバルに事業展開を行い世界30以上の国や地域に250以上の生産拠点、グループ会社を有する国際企業に成長している。

館内展示コーナー
デジタル年表
展示されたTDK製品

  このTDKの「歴史みらい館」では、展示を歴史ゾーン、みらいゾーンの二つの見学コースを設けて、「発見する・創造する・つながる」をテーマに映像や体感デモを通してTDKの魅力がよくわかる構成になっている。
 このうち、「歴史ゾーン」では、磁性の歴史、創業コーナー、4大イノベーション、成長戦略3分野、デジタル年表、昔の家電とTDK製品のあゆみ、記録メディア、モノづくり、社会との関わり、テーマ展示となっており、フェライト磁石の発明から、テレビ、ラジオ、ゲーム、家電製品など、磁石によって進化したさまざまな製品の歴史まで学ぶことができる。

みらいゾーン

 「みらいゾーン」では、電気をつくる、電池のしくみ、多様化する電池、回路の可能性、スポーツとTDK、スピンの可能性、これからのAI、スマートグラスとTDK、フェライトツリー、やり投げスタジアムといった体験型の展示がなされ、これからの社会を支える電気の不思議や最先端の技術を学ぶことができる。また、特別に「つながりゾーン」を設け、TDKと秋田地域、そして世界との関わりをテーマにした展示を行っているのも特色の一つである

ここでは、展示のうち、デジタル年表と創業コーナーを中心に、TDKの誕生と発展の歴史をしょうかいしてみよう。

<TDKの創業と展開><TDKの創業と展開>

齋藤憲三
フェライト磁石
加藤、武井の両博士

 企業としてのTDKの誕生のきっかけは、1930年、東京工業大学の加藤与五郎と武井武が世界初の酸化物磁性体フェライトを発明したことにはじまる。「独創性のある工業こそが工業だ」という加藤の信念に共鳴した実業家齋藤憲三は、1935年に資本金2万円を得て東京市芝区に「東京電気化学工業」を設立したことがはじまりである。そして、1937年に蒲田工場を設立してフェライトコアの製品化に世界で初めて成功、「オキサイドコア」の商品名で売り出したことで基礎を築かれた。

設立当時の蒲田工場
フェライトコアを使用したコイル

  1940年には平沢工場も稼働させ、終戦までに同社はフェライトコアを延べ500万個ほど軍民向けに出荷するまでになる。このフェライトコアは、酸化鉄を主な材料としたセラミック磁性体(フェライト)で、電子信号や電力(低周波電力)の誤動作を防ぐノイズフィルターの役割を果たす電子機器には欠かせない部品であった。戦後は連合国軍総司令部のスーパーヘテロダイン令で、フェライトコアが中間周波トランスの中核部品として不可欠となり、TDKはラジオ部品メーカーとして大きく伸びている。1951年には目黒研究所を開設して基礎研究体制を整え、チタン酸バリウムコンデンサ「アルコン」を商品化し、1952年に東京・清水工場で磁気録音テープ「シンクロテープ」の生産を開始した。1961年に東京証券取引所へ上場、1965年にニューヨークに現地法人TDKエレクトロニクス・コーポレーションを設立して早くも海外展開の礎を築いている。  1968年に世界初の音楽用カセットテープ「SDカセット」を発表、1969年、千曲川工場で磁気テープを量産体制、1977年にVHS用ビデオテープの大増産、1982年には磁気テープで世界シェア31%を獲得している。

TDKの主要な製品群

  さらに、1983年には社名を「TDK」に変更し、1986年にSAE Magneticsを買収、HDD用ヘッド事業に参入しデバイス分野に進出している。そして、1987年に薄膜磁気ヘッドの開発、1994年に高密度記録AMRヘッドを発売、2000年には米国の磁気ヘッドメーカー Headway Technologiesの買収、2005年のリチウムイオン電池Amperex Technology買収、2008年電子デバイスメーカー EPCOS AGの買収など、電子デバイス事業を強力に推し進めている。こうして現在では、TDKはフェライトやコンデンサをはじめ、電子材料・電子部品・磁気ヘッド・二次電池などを主力商品に育て上げた国際企業となっている。

・参照:TDKの歴史 | TDKについて | TDK株式会社https://www.tdk.com/ja/about_tdk/our_history/index.html
・参照:TDKの歴史|The社史 https://the-shashi.com/tse/6762/
・参照:TDK歴史みらい館の3つの注目ポイント | なんも大学 https://nanmoda.jp/2018/09/3816/
・参照:TDK歴史みらい館 | にかほ市観光協会 https://nikaho-kanko.jp/tdkmuseum/
・参照:TDK – Wikipedia

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(了)

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産業遺産と博物館を巡る(講演資料)

 ーものづくり文化の基点を訪ねてー
     (東京産業遺産学会講演資料 2026年7月25日)

(作業中)

・はじめに: 私の産業技術博物館フォーラムの紹介

♣ 博物館にみる産業資本形成とものづくり技術の系譜  

足尾記念館

❖ 産業資本形成を促した銅鉱山開発の歴史を映す博物館ー
      ・日鉱記念館(JX金属、日本産業と日産、日立製作所)
      ・小坂鉱山事務所鉱山資料館(藤田組)
      ・別子銅山記念館(住友企業グループ)
      ・足尾銅山記念館(古河財閥)

ノリタケの森


❖ 近代産業としての陶磁器とセラミックス技術の発展がみえる博物館ー
      ・ノリタケの森 ・ノリタケミュージアム   
      ・TOTOミュージアム
      ・INAXライブミュージアム
      ・碍子博物館(日本ガイシ)


(以下講演資料)

→ 以下の資料をダウンロードしてご覧ください。

ーものづくり文化の基点を訪ねてー 東京産業遺産学会講演資料 (2026年7月25日)
「産業遺産と博物館を巡る」発表目次  
 ♥ はじめに: 私の産業技術博物館フォーラムの紹介   
♣ 博物館にみる産業 […]

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家電メーカーの創業と盛衰を語る企業博物館(博物館紹介)

     ―戦後の経済発展を支えた電子電気産業の形成と展開をみるー

はじめに

  戦後日本の高度経済成長と生活革命を牽引したのはテレビ、洗濯機、冷蔵庫などの家庭電気製品の普及と興隆であった。この家電で大きなシェアを占めたのは、戦前から技術を磨き消費需要に敏感であった有力な電気電子メーカーであった。これら企業を生み出していったのは、旺盛な企業家精神と先駆的な技術を持った一連の起業者群である。かれらは市場の動向をみつつ事業を発展させ企業を成長させていった。ここでは、これら創業者の姿と事業の取り組みに着目して紹介してみることとにする。
 しかし、日本のエレクトロニクス産業は、ビジネスの上では、80年代にピークを迎えた後、途上国の追い上げとグローバル化と情報技術における急速な展開の洗礼を受け、現在、やや困難な状況にあると思われる。ここでは、これら背景や現況についても触れているが、今日、忘れかけている往事の企業家精神を振り返ってみるのも有益かもしれない。
 本サイトで取り上げたのは、パナソニック、旧三洋電機、シャープ、日立、富士通、東芝などの博物館である。なお、ソニーの「ソニー歴史館」は閉館となり、東芝未来館についても閉館となっているが、参考のため開館当時の展示内容も掲示しておいた。

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♣ パナソニック・ミュージアム(「松下幸之助歴史館」)

所在地:大阪府門真市大字門真1006番地
HP: https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/panasonic-museum.html

松下幸之助歴史館外観

 → このミュージアムは、2018年、パナソニック社100周年を記念した博物館。創業者松下幸之助の経営哲学とパナソニックの「ものづくり精神」に触れることができる博物館として誕生した。ミュージアムは、当初、「松下幸之助歴史館」「ものづくりイズム館」「さくら広場」から構成されていた。このうち「ものづくりイズム館」は2025年に建物の老朽化に伴い閉館、2026年からは、「松下幸之助歴史館」のみの単独運営となっている。 歴史館の展示室では、「学びの杜」として松下電気器具製作所から始まったパナソニックの創業者松下幸之助の経営観や人生観を「礎、創業、命知、苦境、飛躍、打開、経世」の7章に分け、また、創業の家」ライブラリーで詳しく紹介している。以前にあったパナソニックの「ものづくりイズム館」は、、創業以来、製作してきた550点余の歴代製品を展示してきたが、現在、残念ながら閉館となっているが、展示されてきた製品についての扱いは。今後検討とのことである。See: https://www.shoai.jp/panasonic-museum-202510/)

<パナソニックの創業と松下幸之助>

松下幸之助
幸之助の記録による創業の家

 創業者松下幸之助は和歌山で1894年(明治27年)に生まれ、少年時代は貧しい中で育った。9歳で大阪の商家に丁稚奉公に出て苦労するが、その時、商売人としての心得を身につけたといわれる。大阪市電を見た幸之助は、電気事業の将来を予感し1913年に商家を飛び出し「大阪電燈」に入って内線係見習工になった。そこで、4年後には技術を認められ工事担当者を経て検査員に昇進、一方、「改良ソケット」を自作して会社に示すが、認められず苦杯を飲む。これをみた幸之助は独立を決心、わずかな手元資金で生活していた借家に工場スペースを作り、ソケットの製作販売をはじめる。

創業の電灯プラグ
創業まもなくの工場

 しかし、何とか完成した改良ソケットだった売れ行きは散々であった。進退きわまった時、1917年12月、扇風機メーカー川北電気が、扇風機碍盤の試作品を幸之助の工場に注文、これが納品に成功、年間1000枚の注文を受けた。これを好機とし、幸之助は、1918年、「松下電気器具製作所」を設立して念願の電気器具製造・販売に本格的に着手する。これが松下電気・ナショナル・パナソニックの基となる創業となった。2階建ての借家の階下3室を改造した作業場に小型のプレス機2台、人手は自分を含めて家族3人という家族零細企業であった。そこで、「アタッチメントプラグ」「二灯用差し込みプラグ」をはじめとして、便利で安い配線器具を次々と生み出し、会社の基礎を築いていく。そして、創業からわずか4年余り、50名の従業員を擁し、十数種類もの製品を全国に販売先を持つ中堅企業に育っていった。
 そして、1923年には自転車「砲弾型ランプ」を生みだし、1927年、「角型ランプ」(ナショナルランプ)を発売して大成功を収める。そして、この時期から新商品のブランド名を「ナショナル」とした。1927年、電熱器分野へ進出し「スーパーアイロン」を発売、続いて、電気コタツの開発に取り組みサーモスタットを使用した電気コタツを開発、1930年にはラジオの1号機を発売している。

砲弾型ランプ
ナショナルランプ
スーパーアイロン
ラジオの1号機
松下電子工業の創立10周年記念式典

 一方、「歩一会々誌」を創刊するなど社内の参加意識の昂揚と相互理解を図をめざす松下幸之助流の社内経営改革も進めている。事業を製品群別に「事業部」に分け、その一つひとつを独立した事業体として経営する方式をはじめたのもこの時期であった。 その後、一時戦時体制に組み込まれた松下電気であったが、終戦を迎えるといち早く民需生産に転換し生産を再開している。また、戦後の特需に後押しされた松下は急速に業績を拡大している。こういった中、幸之助は世界的規模で事業を見直そうと米欧を視察、オランダのフィリップス社を選んで提携を図る。この結果誕生したのが「松下電子工業株式会社」(1952年)で、その後、松下商品の品質を支える電子管や半導体を生み出す母体となっていった。

「三種の神器」  電化製品
タイム誌に載った松下幸之助

 また、神武景気の好況を一つの契機に、爆発的な家庭電化ブームが起こり、新しい電化製品が次々と登場。1956年ごろには白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫は、「三種の神器」と呼ばれて人々のあこがれの的となった。この家庭電化時代の到来をいち早く予測したパナソニックは、ラジオ、蛍光灯に続く本格的な電化製品として、1951年、洗濯機の生産販売を開始。発売当初は価格も高く、台数も出なかったが、量産によって価格を下げ、1955年には月産5000台を越えた。こうして、いち早く”世界” をめざした幸之助の志の高さは高度成長の波に乗って「家電の松下」の世評を揺るぎないものになっていった。こうした中、1961年、会長に退いた幸之助は、活動拠点を京都の別邸「真々庵」に移し、会社運営の日常業務から離れることになる。幾度もの困難を克服し、経営者としてまれに見る成功を収めてきた松下幸之助は、いつしか世間は「経営の神様」とも呼ぶようになっていたという。 

松下電器からパナソニックへ

 その後の松下は、高度成長駆け抜け、石油ショック後の不況を乗り越え、日本の世界的な電気メーカーとして位置づけられるに至っている。その象徴が、2008年に社名を「パナソニック」改め、あわせてブランドを全世界でPanasonicに統一したことにも現れている。また、創業100周年となる3月には、大阪・門真市に「パナソニックミュージアム」をオープンしている。

・参照:松下幸之助物語 – パナソニックグループの歴史 – パナソニック ホールディングス https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/founders-story.html
・参照:松下幸之助「使命があればこそ」――パナソニックの歴史ものがたり Episode 08 | ブランド | 企業・経営 | Panasonic Stories | Panasonic Newsroom Japan : パナソニック ニュースルーム ジャパンhttps://news.panasonic.com/jp/stories/18521
・参照パナソニックミュージアム – パナソニック ホールディングス :https://holdings.panasonic/jp/corporate/about/history/panasonic-museum.html
・参照:パナソニックホールディングス – Wikipedia

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♣ 井植歳男記念室(旧三洋電機・井植記念会)

所在地:兵庫県神戸市垂水区青山台1-21-1 Tel. 078-751-5216
HP:  http://www.iuekinenkai.or.jp/sisetu/kinenkan.html

旧サンヨー電器本社ビル

 → サンヨー電機は、現在、パナソニックの完全子会社となっており、事業やブランドは他社の手に移っているが、かつて松下電器(パナソニック)、東芝、シャープなどと並び白物家電を中心に発展した総合電器メーカーであった。このサンヨーを創業し発展させたのが井植歳男で、氏の功績を記念して設立された井植記念会の展示館が「井植歳男記念室」である。記念室には、創業時から生涯を閉じるまでの業績や数々のエピソードの展示パネル、系譜をはじめ書籍、記念品などが展示されている。サンヨー電機自身も2001から「サンヨーミュージアム」を開設していたが、2014年に閉館になっている。このミュージアムでは、三洋電機の半世紀の歩みを記す資料が展示されていた。なかでも日本初の噴流式洗濯機など懐かしい家電製品の実物が数多くみられた。これら歴代の歴史的商品は、現在、パナソニック関連施設に引き継がれているという。 したがって、井植歳男記念室はサンヨーの創業と系譜を伝える唯一の施設となっている。

井植歳男記念室館内
井植の足跡展示
井植の記念品展示

<井植歳男の足跡とサンヨーの系譜>

井植歳男
草創期の松下電器製作所

  井植歳男は1902年兵庫県に農家の長男として誕生。一時、父の影響で船乗りとなったが、難破の災難で止めることとなり、当時、松下幸之助に嫁いでいた姉の縁で、創業したばかりの松下電器製作所(現・パナソニック)で働くこととなる。1917年であった。その後、歳男は職工として働き、事業拡大へも参画して1933年には役員待遇ともなっている。 戦後となり、1946年、松下電器がGHQからの公職追放令を受け松下電器を退くが、翌1947年、独立して、守口市に個人で三洋電機製作所を創立した。

自転車用発電ランプ第一号
三洋電機の家電商品群

  これがサンヨーの創業となる。創業すると、且つ下KR亜自らも関わった自転車用発電ランプ「ナショナル発電ランプ」の製造権が譲られ、1949年には発電ランプの国内シェア6割達成に成功している。また、同年カラーテレビ第1号機「21-CT5」を開発している。1966年、 鳥取三洋電機を設立して、モジュラーステレオ、システムコンポーネントステレオOTTO(オットー)なども発売している。1970年の日本万国博覧会にはサンヨー館を出展して未来の家庭生活を展示。なかでも人間洗濯機(ウルトラソニックバス)は注目を集めた。1971年- 日本初のワイヤレスリモコン操作方式テレビ発売型を発売。

サンヨー看板を外し、パナソニックに、そして・・

 このように、次々と注目すべき製品を市場に出していたサンヨーであったが、80年代後半から90年代になると相次ぐ事故の影響などを受けて業績が悪化してくる。2001年には白物家電を主に生産していた大日工場を閉鎖。この中にあって、1995年、世界初の3Dテレビの発売、2000年、ニッケル水素電池事業を取得し、子会社三洋エナジー高崎も設立などの業績回復の動きもあった。しかし、復活はならず2009年- パナソニックのTOB救済でパナソニックの子会社となり、2011年、 中国の家電大手「ハイアール」に三洋の冷蔵庫と子会社「三洋アクア」製洗濯機の白物家電事業を売却することになってしまう。そして、2015年4月には 三洋電機社員をパナソニックおよびパナソニックグループ会社へ転籍することで、サンヨーは市場から姿を消すことになる。
  一時期、家電を中心にサンヨーブランドは一世を風靡したがあっけない幕切れであった。 井植記念館は、かつて存在した「サンヨーミュージアム」とともに、サンヨー電機の創業と発展を余に伝える唯一の施設となっている。

・参照:三洋電機 – パナソニック 公式サイト
・参照:SANYO MUSEUM | 展覧会スケジュール・アクセス・料金 | アイエム[インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/museum/11684
・参照:三洋電機の創業経緯|The社史 https://the-shashi.com/tse/6764/founding/
・参照:youyuhyogo.org/sisaku/mini-his/fromthelogo-000.htm

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♣ シャープミュージアム

所在地:奈良県天理市櫟本町2613-1(シャープ総合開発センター内)
HP: https://corporate.jp.sharp/showroom/

シャープミュージアム外観

 → このミュージアムは電子電気メーカーシャープの技術と歴史を示す優れた博物館として知られる。このミュージアムの成り立ちは、1980年、創業者早川徳次の逝去を悼み、功績を後世に伝えるため、1981年10月「シャープ歴史ホール」を開設したのがはじまり。翌年、最先端技術の成果を一部のステークホルダーに向けて紹介する目的で「技術ホール」をオープンした。その後、両ホールを併せて一般公開し、2012年に「シャープミュージアム」となっている。
 施設は歴史館、技術館の2つのユニットから構成されている。歴史館では、社名の由来となったシャープペンシルはじめ、重要科学技術史資料に登録されている日本初のテレビ、トランジスタラジオ、液晶電卓などシャープが開発した画期的な史料が展示。技術館では、太陽電池などのエネルギー、環境保全、AIやIoT技術、光技術、液晶ディスプレイ、ネイチャーテクノロジーなどのシャープが取り組んできた技術開発の内容を詳しく紹介している。

博物館内の展示
シャープ製品の展示
デジタル製品展示


 このうち歴史館展示をみると、事業の基礎となった早川式繰り出し鉛筆「シャープペン」、日本初の真空管ラジオ、国産初のテレビ、国内初の電子レンジ、電子式卓上計算機(電卓)、電子手帳(ザウルス)など時代を切り開いた画期的なシャープ製品が時代別に陳列されている。技術館展示では、液晶ディスプレー開発の歩み、LEDや太陽電池パネル、生物模倣学の家電製品への応用例などシャープのこれまでの技術開発の流れが解説・紹介されているのが特色である。 このように、ミュージアムでは独創性の高い当社の製品、創業者が掲げた誠意と創意から産まれた製品、そして、これから注目される最先端技術一端を見ることのでき、社会性のある技術博物館となっている。
 このミュージアムを開設したシャープ社の創業と技術開発の歴史を歴史館の記述からみてみよう。 

<歴史館に見るシャープの創業と技術挑戦>

早川徳次
早川金属工業研究所の設立
早川式繰出鉛筆

  シャープの歴史は1912年、創業者 早川徳次が金属加工業を開業したことによって始まる。幼い8歳で金属加工業者「錺屋」に奉公にでるが、そこで腕を磨いた徳次は19歳で独立を決意し、1912年にバックル「「徳尾錠」を考案して東京に工場を開設、1915年には、社名の基となる早川式繰出鉛筆「シャープペン」を生みだし「早川兄弟商会金属文具製作所」を開設、これがシャープ社の事実上の創業となった。このペンは、当初、国内では評判が悪かったが、海外から注文が入り売り上げは順調に伸びていく。徳次はこれに満足せず、新しい製品に取り組み、1925年に時代を先取りした国産第1号鉱石ラジオ受信機を製造し、海外への輸出に成功している。1929年には真空管ラジオを発売するなど、早川は早くも電気メーカーとしての地歩を築いていく。1936年には個人企業を法人化し早川金属工業株式会社となっている。戦時中の1942年、早川電機工業に社名変更、軍需工場の一つともなっている。

ラジオに取り組む早川
真空管ラジオ
{シャープダイン」
戦時中の早川電機

  戦後の事業再建はラジオの修理サービスからはじめている。そして、1948年にはシャープ商事を設立、1951年にはテレビの製作に取り組んでいる。米国RCA社とテレビで技術提携、1953年には国産初のテレビ「TV3-14T」を発売している。常に時代を先取りしていくシャープの姿が、ここにも反映している。1956年に営業部門を独立させ、シャープ電機株式会社を設立、電機事業に本格的に取り組んでいく。次の飛躍は、1957年、大阪に第2工場を建設してトランジスタラジオを発売、1959年に太陽電池の研究開発を開始したことであった。高度経済成長期の1964年には、世界初のオールトランジスタ電卓“コンペット「CS-10A」を発売、1966年ターンテーブル式家庭用電子レンジ「R-600」を発売している。こうして、総合エレクトロニクスメーカーの基礎を築いたシャープは、新たな商品開発技術に取り組む。このうちの一つが1970年代シャープによる液晶技術である。1973年、C-MOS LSIの生産開始、COS化した液晶表示ポケッタブル電卓「EL-805」を開発した。

センサーオーブンレンジ(1979)
電卓「液晶コンペット」(1973)
ワープロ「書院」(1987)

  そして、1975年には、オーストラリア・SCAでカラーテレビの生産を開始、1981年にはELディスプレイ量産工場を建設、1985年、3型液晶カラーテレビの試作にも成功。1986年、液晶事業部を発足、1988年には14型TFTカラー液晶、1994年、業界初の反射型TFTカラー液晶ディスプレイなどを開発している。

14型TFTカラー 液晶ディスプレイ

  当時、「国内で販売するテレビを2005年までに液晶に置き換える」と宣言したという。こうして、2000年代はじめには「世界の亀山」ブランドの液晶テレビの生産で知られるようになる。これがシャープの全盛期であった。
 その後は、半導体技術の急速な発展、韓国、台湾の躍進などで競争力を奪われ失速。従来の液晶パネル事業から白物家電やAI・EV(電気自動車)分野への事業転換を急ピッチで進め、現在は、台湾・鴻海精密工業と合併して事業の再活性化を図る道を探っているようだ。 シャープの「技術館」では、現在のシャープ技術的挑戦を紹介しているが、「歴史館」は、残ながら、この時期までの動向は扱っていない。

・参照:シャープミュージアム|シャープ公式|note https://note.com/sharp/m/me5b4ecca4a94
・参照:シャープミュージアムに見る、“Be Original.”の歴史と未来 | SHARP Blog
・参照:商品ヒストリー | シャープの歩み | シャープhttps://corporate.jp.sharp/info/history/product/
・参照:「他社にマネされる商品をつくれ」シャープが数々の“世界初”を生み出した歴史をひもとく|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 https://newswitch.jp/p/21915
・参照:【藤山哲人の実践! 家電ラボ】実物に触れる! 理系やエンジニアが狂喜乱舞するシャープミュージアムを君は知ってるか!? – 家電 Watch https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/column/fujilabo/1168517.html
・参照:「スキ!」をカタチに熱い想いを伝えたくて -シャープ公式noteがコンテンツマーケティング・グランプリを受賞- | SHARP Blog https://blog.jp.sharp/2023/04/27/38729/
・参照:産業技術史資料データベース シャープ 漢字電子手帳 PA-7000
・参照:シャープミュージアム | SHARP Blog カテゴリー: シャープミュージアムhttps://blog.jp.sharp/category/event-2/sharpmuseum/
・参照:シャープ百年史 100年史 | 100周年記念サイト:シャープ
・参照:シャープ百年史(1893-1901) https://corporate.jp.sharp/100th/hayakawa/1893-1901/

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♣ 日立ITミュージアム

所在地1:神奈川県秦野市堀山下1番地(株式会社日立製作所 神奈川事業所
所在地2:神奈川県横浜市戸塚区吉田町292番地(株式会社日立製作所 横浜事業所
所在地3:東京都品川区南大井6-26-1 大森ベルポートA館
HP: https://www.hitachi.co.jp/products/it/portal/museum/index.htm

・参照:Hitachi IT Museum:デジタル:日立

  → 日立ITミュージアムは、日立創業の精神を礎とした情報通信事業の始まりから現代に至る、イノベーティブなプロダクトや取り組みを展示したミュージアム。時代の要請に応えながら、技術の進化とともに、顧客との協創を通じて豊かな社会の実現をめざした社会イノベーションに挑み続けてきた日立の歩み、そして未来に向けた挑戦をご紹介している。現在、 一般公開は行ってはいない。
 「Hitachi IT Museum」は一般公開されている単一の施設ではなく、日立製作所の事業所内に複数設けられている。主な展示拠点は以下の3箇所。

KANAGAWA展示部

(1) Hitachi IT Museum KANAGAWA
 住所:神奈川県秦野市堀山下1番地(株式会社日立製作所 神奈川事業所
  → 世界一のコンピュータをめざし、成長期をけん引したプラットフォーム事業(大型電子計算機やスーパーコンピュータなど)の進化を展示。

YOKOHAMA展示部

(2) Hitachi IT Museum YOKOHAMA
 住所:神奈川県横浜市戸塚区吉田町292番地(株式会社日立製作所 横浜事業所
   → 情報通信事業発祥の地であり、時代の変化を捉えて進化してきたプラットフォーム事業の変遷(初期のラジオ、テレビ、パーソナルコンピュータなど)を展示。
  いずれのミュージアムも事業所内に併設されているため、一般公開は行われていない。

OMORI展示部

(3) Hitachi IT Museum OMORI
 住所:東京都品川区南大井6-26-1 大森ベルポートA館
   →日立の情報通信事業の中枢の地、東京 大森では、情報通信事業の歴史と発展、新たな価値協創の時代に向けた取り組みを総合的に展示。

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♣ 富士通ミュージアム

所在地:神奈川県川崎市中原区上小田中4-1-1 富士通本社
HP: https://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum

富士通本社

   → 富士通は、その黎明期から通信網という社会インフラを支える会社として生まれ発展してきた会社。この富士通の歴史がわかるバーチャル博物館である。富士通の歴史を主要な転換点を中心に事業の発展を紹介。構成は、時代別に、1. はじめに通信ありき(1923~1949)、2. 電話から生まれたコンピュータ(1950~1958)、3. 「通信と電子の富士通」へ(1959~1969)、          4. 国際標準化の波(1970~1979)、5. 個人にもコンピュータを(1980~1991)、          6.ソリューションビジネスへ(1992~2001)、7. 人にやさしい豊かな社会を(2002~)となっている。
  この富士通は、富士電機製造(現・富士電機)の通信機部門を分離・独立して設立された企業で、創業者は古河財閥の古河市兵衛の大甥吉村萬治郎。1931年に古河財閥とシーメンス社の合弁により「富士電機製造」(現在の富士電機ホールディングス)が設立され、後に(1935年)通信機部門を分離して、富士通信機製造株式会社(現在の富士通)となってとなって現在に至っている。

「池田記念室」

  博物館では、この富士通の事業展開を、次のような展示品を「製品展示室」でインターネットにより時代ごとに区切って紹介掲示がなされている。主なものをみると、初期の物では「富士型3号電話機」(1945年)、電子計算機「Facom100」(1954年)、クロスバー電話交換機「C30A」(1958年)、データ通信システム「FacomM323」(1964年)、光伝送装置32M (1974年)、身近なものではワープロの「OASIS100」(1980年)やPCのFMV(1993年)など。最近ではスーパーコンピュータFujtsu Supercomputer PRIMEHPCFx10 (2011年)なども紹介展示されている。
  なお、富士通は、同社のコンピュータ事業の推進を担った池田敏雄氏の功績を伝えるため、富士通沼津工場(現・沼津事業所)内に「池田記念室」1976年に開設している。池田敏雄は、コンピュータの国産化を強力に推し進め、富士通のコンピュータ事業と日本のコンピュータ業界の発展に大きく貢献したことで知られる。また、池田は、富士通の初期の電子計算機FACOMの開発者でもでもある。
 ・参照:池田敏雄ものがたりhttps://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum/ikeda/biography

それでは、これらを開発してきた富士通の沿革をみてみよう。

❖ 富士通の創業と歴史

富士電機の電動機工場(1923年頃)

  → この富士通は、富士電機製造(現・富士電機)の通信機部門を分離・独立して設立された企業。創業者は古河財閥の古河市兵衛の大甥吉村萬治郎。1931年に古河財閥とシーメンス社の合弁により「富士電機製造」(現在の富士電機ホールディングス)が設立され、後に(1935年)通信機部門を分離して、富士通信機製造株式会社(現在の富士通)となっている。このように、1935年の富士通信機製造株式会社であるが、当初、シーメンス製の交換機・通信機器の輸入販売を行っていたが、後にステップバイステップ自動交換機の国産化に成功し、1935年、分離独立して「富士通信機製造株式会社」となった。富士通信は、戦時中、軍に通信機を納入するなど軍需生産工場となったが、戦後、直ぐ戦災で大きな被害に遭った電話網の復旧に貢献、「富士形3号電話機」(1945年)を量産し郵政省に供給して通信事業を大きく伸ばしている。

富士型3号電話機(1945)
自己相関計数計算機(1954)
FACOM100電算機(1956)

  こうした中で、社内開発部門で電話通信技術を活用して「新ビジネスに進出したい」という気運が高まり、当時黎明期を迎えつつあったコンピュータ時代を見据えて、この分野の先駆者池田敏雄を中心として「電算機」の開発がスタートする。池田たちは富士通の電話交換機で長年活用してきた電話回線の切り替えスイッチ「リレー」を使い、1954年に富士通初のコンピュータ「FACOM100」(Fuji Automatic Computer)の開発に成功する。コンピュータの開発は巨額の先行投資を必要とする「冒険」であったが、1959年に社長に就任した岡田完二郎は「コンピュータに社運を賭ける」と明言し、1962年、「通信と電子の富士通(Communications & Electronics)」という新しい経営方針を打ち出して新しい一歩を踏み出した。

同軸ケーブル搬送装置
FACOM230シリーズ(1968)

  一方、通信部門は海底同軸ケーブル方式の開発、デジタル技術を取り入れた伝送方式の研究・実用化などで収益を伸ばしている。電算部門でも、1968年「FACOM230-60」を発表、ICの全面採用、新方式によるOSなど画期的な工夫がなされ、高い評価も受けている。
  しかし、1970年代になると、電算技術の標準化が進んで米国のIBMが世界をリード、独自路線のメーカーは姿を消していった。日本でも同様であったが、富士通はIBM互換のアーキテクチャを共有する方向で日立製作所と提携、共同でIBM互換機の開発を進めた。その結果、IBM参加のアムダール社ブランドの商用1号機「Amdahal 470V/6」を富士通の川崎工場で製造、1975年、NASA(アメリカ国立航空宇宙局)でも採用された。こうして生まれたのが「FACOM Mシリーズ」。

OASYS100 (1980)

  また、コンピューター分野では、パソコン用OS「Windows」の登場とともに、状況は大きく変化。富士通では「コンピュータ」といえば従来通りの汎用機、企業や公共団体向けの大型マシンを指し、「パソコン」という個人向けのコンピュータはホビーユース製品としかとらえられず開発に出遅れたのは否めない。しかし、日本では日本語使用のワープロが普及、富士通もシャープや東芝など共に、オアシス(OASYS)ブランドで売り出し市場を広げている。さらにノートPCではFMVシリーズなども普及させた。
  この時代、富士通は通信部門でも新たな発展を遂げる。1985年、日本でも通信が自由化され企業が自前で通信ネットワーク網を作れるようになったことを受け、富士通は1984年、「COINS」という企業情報通信ネットワークシステムを構築、また、1992年、「PROPOSE」という情報・通信システムの総合サービス体系を発表している。

Supercomputer 富岳 (2021)
FACOM M380 (1981)

  1990年代半ばからは、Windows OSの普及やパソコンの高性能化がさらに進み、2000年代に入ると、加えて、高速インターネット回線の普及により、私たちの生活にICTが急速に浸透していき、もはやICTなしには私たちの社会は成立し得なくなっている。富士通では、大量のデータを高速に処理するデータセンター、それを構成するサーバー、スマートフォンの通信を支えるモバイルネットワークなどを構築して、通信サービスを行う企業に変化していっている。一方、汎用コンピュータ部門では、理化学研究所と富士通が共同開発し、2021年、世界最速のスーパーコンピュータ「富岳」を生み出しているのが特記できる。

・参照:早わかり富士通の歴史 https://global.fujitsu/ja-jp/about/corporate/museum/history
・参照:スーパーコンピュータ「富岳」(富士通) https://global.fujitsu/ja-jp/technology/research/fugaku

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♣ 東芝未来科学館 (2024年閉館)

  ― 日本のエレクトロニクス産業の歴史を語る「未来館」

所在地:神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34
HP: http://toshiba-mirai-kagakukan.jp/

 → 「未来科学館」は、東芝の技術開発の成果と日本の電子電気産業技術の歴史を伝える企業博物館。 設立の基本コンセプトは、エレクトロニクスの最先端技術・科学の展示と情報発信、産業遺産の保存・歴史の伝承である。 館内では、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できるほか、日本の近代産業遺産に連なる展示もあり、数多くの訪問者を集める人気の博物館であった。 しかし、現在は、残念ながら東芝における事業環境変化により閉館となっている。ここでは、この科学館の重要性に鑑み、開館当時の展示内容を、私の訪問記録を基に再現してみた。
  See: 「東芝未来科学館」の機能見直しhttps://www.global.toshiba/jp/news/corporate/2024/05/news-20240523-01.html

❖ 開館当時の東芝未来科学館展示の内容(再録)

  博物館施設の構成は、主題別に「未来ゾーン」「サイアンス・ゾーン」「ヒストリーゾーン」の三つに大きく分かれている。このうち、「未来ゾーン」は、エレクトロニクス技術により、建築物、医療、情報の姿を予測したビジュアル展示、次の「サイアンス・ゾーン」は科学現象を体験できる展示、「ヒストリーゾーン」は、企業としての東芝の発展を伝えるコーナーである。ここでは、以上のうち「ヒストリーゾーン「」を中心に紹介することにする。
 ・See:「東芝未来科学館」を訪ねる https://igsforum.com/visit-toshiba-science-museum-rjj/

  館内の展示は、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できる数々の工夫がこらされていて、最近の科学技術の発展や歴史を生で体験できる。また、日本の近代産業遺産に連なる歴史展示も魅力の一つである。

創業時の開発品展示(ヒストリーゾーン)

この施設は、1961年当初、川崎市郊外にあったが、2014年、JR川崎駅近くに移設・開館、大幅改装して新しい東芝の科学技術博物館として登場している。旧施設にも一度訪ねたことあるが、随分と展示内容が充実したように思えた。この博物館の中で、特に、私の関心を引いたのは、東芝の技術開発の歴史と企業の発展を示す展示であった。なかでも、東芝創業の前駆をなす発明品類展示(田中久重の万年時計や精巧なカラクリ人形など)、明治勃興期の電信機、電灯、発電機などの展示は、日本の電気電信技術の初期の発展の姿を示しており貴重なものと思えた。以下に施設の概要とその博物館の魅力について紹介してみた。

❖ 創業と発展の歴史を伝える「創業者のコーナー」

  「ヒストリーコーナ」のうちで貴重と思われるのは、「創業者のコーナー」及び「東芝の電気製品一号ものがたり」の展示である 前者は、東芝の創業者田中久重、東芝の今日をもたらした藤岡市助の事績を伝える逸話と解説、後者は、東芝の技術開発の先進性を伝える展示コーナーである。 これらを以下に紹介してみる。

<田中久重と東芝>

田中久重
田中久重の「万年時計」

  東芝の創業者として知られる田中は、日本の江戸時代から活躍した発明家で、「カラクリ儀右衛門」ともよばれ、数々の複雑な機構を持った機械人形や灯火製品、時計などを発明、後に、田中製作所、芝浦電気製作所を設立し、東芝(東京芝浦電気)の基礎を築いた人物である。 日本の機械加工技術がいかにその基礎を築いてきたかをみる上で貴重な歴史遺産であることが展示で分かる。19世紀の江戸で、これら精巧な製品が発明されていたことに驚きを覚えるが、これらの技術が、その後の近代機械・電気機械産業を早い時期に発展させる契機となったことが示されている。   例をあげると、日本で最初に作られた蒸気機関車模型、複雑な構造を持つ「和時計」、精巧な「からくり人形」、「懐中燭台」、「無尽灯」などはよく知られている。日本の産業界は、このうち、田中の発明品の粋である「万年時計」に注目し、1970年代、その復元品の製作を行ったが、その技術の高さに驚嘆したという。また、その他の「発明品」も世界的に貴重なものも多く、今日のロボット技術などに反映されているといわれる。
  See: URL: http://www.tofugu.com/2013/07/29/tanaka-hisashige-father-of-toshiba-edison-of-japan/) “Tanaka Hisashige: Father of Toshiba, Edison of Japan” 
  ・参照:万年時計復活プロジェクトhttps://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/project/index_j.htm

<藤岡市助と東芝発展>

<藤岡市助と東芝>

Ichioka Story
藤岡市助とその製作機器

 一方の第二の東芝創業者藤岡は、日本の電気工学の基礎を築いた人で、日本で初めての電灯や発電機、モーターなどの技術を開発、「東京電灯」という電力会社を設立した。これは後に芝浦電気と合併し、現在の東芝になっている。市岡は、明治期に、日本での白熱電灯の開発と普及、路面電車の設計製作、国産エレベーター製作など、日本の電気産業発展の源流をなす技術発展に大きく貢献した。この事跡は、様々な展示、パネル解説などで詳しく紹介され、日本の電子電気産業の勃興期の様子を伝えている。

<「東芝一号ものがたり」の展示> 

東芝一号
ものがたり

  次の「東芝一号ものがたり」コーナーは、東芝創立100周年を記念して収集・展示したのもので、電化製品としては日本で初めて開発に成功した電気製品群が年代別に実物展示されている。日本において、電気製品がどのように普及していたか、日本の技術が電気製品にいかに生かされてきたかを伝えている貴重なコレクションである。このうち多くは日本の産業遺産に指定されている。このうち、貴重なものを順次みていくと次のようなものがみえる。
  明治期のものでは、日本初の白熱電球(1890年)、水車発電機(1894年)、誘導電動機(1895年)など、
  大正期の国産X線管(1915年)、三極真空管(1917年)、二重コイル電球(1921年)、国産電気機関車(1923年)、日本初のラジオ受信機(1924年)、
  昭和に入って、電気洗濯機(1930年)、冷蔵庫(1930年)、蛍光ランプ(1940年)、万能真空管(1943年)、テレビ放送機(1952年)、計数計電子計算機(1954年)、自動式電気釜(1955年)、郵便物自動処理装置(1967年)、日本語ワードプロセッサー(1978年)、MRI装置(1982年)、ラップトップPC(1985年)、NAND型フラッシュメモリー(1991年)などが製作され、明治以降、昭和に至る日本のエレクトロニクス産業の一角が東芝の技術によって大きく牽引されていたことが展示で示されている。

「東芝一号ものがたり」にみられる東芝の歴史的製品

<最後に>

 この博物館をみることで、日本が明治以降の産業近代化の過程で、西洋の技術を積極的に吸収しつつ、日本の持てる技術伝統を活用して、いかに独自の技術体系と築いていったかに深く感動せざるを得ない。これは、戦後の日本の工業技術の展開にも通ずるものがあるように感じる。しかし、日本のエレクトロ産業は、ビジネスの上で80年代にピークを迎えた後、途上国の追い上げとグローバル化と情報技術の洗礼で、現在、やや困難な状況にあると思われる。特に、かって世界をリードした半導体産業の凋落は顕著な一例かもしれない。 

参考文献:

  • 東芝の歴史/TOSHIBA SPIRIT(東芝未来科学館)
  • 東芝百年史(東京芝浦電気) 1977
  • 東芝百二十五年史(東芝) 2002
  • 「東芝一号ものがたり」(東芝未来科学館編)
  • 今津健治「からくり儀右衛門―東芝創立者田中久重とその時代」 (ダイアモンド社)1977
  • 林 洋海 「東芝の祖 からくり儀右衛門―日本の発明王 田中久重伝」
  • :「からくり儀右衛門の発明人生」(東芝未来科学館)
  • 「藤岡市助ー我が国電気事業の先駆者ー」(東芝未来科学館)
  • 万年時計復活プロジェクトhttps://toshiba-mirai-kagakukan.jp/learn/history/toshiba_history/clock/project/index_j.htm

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♣ 旧ソニー歴史資料館(2018年閉館)

   旧所在地: 東京都品川区北品川6丁目6-39
   ・・See: 歴史沿革 | ソニーグループポータル    
         https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/  

ソニー本社1Fロビー展示スペース

   → 東京都品川区にあった「ソニー歴史資料館(ソニー歴史資料館)」は、2018年12月に閉館している。当時展示してあった貴重な製品や資料の数々は、現在はソニーグループの本社ビル(東京都港区港南)の1階ロビーにて、一部の歴史的な製品やアーカイブ資料が展示されている。また、ソニーグループポータルサイト内の「製品のあゆみ・タイムカプセル」で設立趣意書、会社沿革、製品のあゆみ、創業者のストーリーをデジタルアーカイブとして閲覧することができる。

 ・See: タイムカプセル | ソニーグルプポータル
         https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/capsule/
  なお、本サイトでは、筆者が当時の東京品川のソニー歴史史料館を訪問した際、作成した記録を以下に載録しておいたので参考にして欲しい。
 ・・See: https://www.sony.com/ja/SonyInfo/CorporateInfo/History/           

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♣ 東京・品川にあるソニーの「歴史資料館」を訪問(再録)

    所在地 東京都品川区北品川6丁目6-39 (ソニー歴史資料館)
    HP: https://igsforum.com/visit-shinagawa-sony-m-jj/

♣ 歴史資料館にみるソニーのルーツ

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Sony- Exh hall xx

 ソニーは戦後の日本を代表する電気電子産業のパイオニア企業である。終戦直後、すべての産業基盤が失われた中で、二人のエンジニアが小さな町工場「東京通信工業」を立ち上げ、その技術の革新性によって世界的な電気産業企業に育てあげた事跡は広く知られている。この足跡をたどる資料館がソニー揺籃の地、東京・品川に建てられている。名称は「ソニー歴史資料館」である。今年春、この資料館を友人と二人で訪ねてみた。施設はそれほど大きいものではなかったが、ソニーの開発した歴代の記念製品250点が創業時のエピソード共に展示されている。ソニーの技術開発の挑戦と歴史を確認できるだけでなく、戦後日本の電気電子産業の盛衰と発展をみる上でも貴重な施設であることを感じた。以下は、この見学時の印象を記した記録である。(注:館内の写真撮影は禁止されていたので、掲載写真は、同社のWeb画像、パンフレットなどを利用している。

♣ 歴史資料館の概要

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Hagi- Illust 02

 ソニー歴史資料館は、これまで戦後製作してきた代表的な製品群を、その技術開発の歴史とエピソードを交えてわかりやすく展示している貴重な資料館である。それほど広くはないスペースの中ではあるが、ソニーが創業者の理念が息づくモノづくりの技術と精神が展示品の中にあふれているといえよう。この展示コーナーは、ソニーの創業時の映像「源流」、製品の「発想通史」、技術開発の「発想庫」、ライブラリーなどのブロックに分かれていて、訪問者が、それぞれの興味に基づいて見学できるようになっている。

 ♣ 創業の精神と源流

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Sony- First Factory workers

ソニーは、戦後間もない1946年、従業員数20名弱の小さな企業「東京通信工業」として設立された。このときの創業者は技術者井深大、盛田昭夫である。その時の設立趣意書には「真面目ナル技術者ノ技能ヲ最高度ニ発揮セシムベキ。自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設」と唱われていたという。戦後の混乱の中で生活を豊かにするための「技術」をベースにした先進的革新的な製品の開発に意欲を燃やしていた企業であったことがわかる。この「源流」コーナーには、このことをよく伝える映像、資料、ビデオコーナーが準備されている。筆者も、拝見させてもらったが、当時の時代精神とソニーの革新性に改めて感じ入った。

♣ 通史にみられる技術と製品の数々

Sony- historic corner
Sony- Tape R 01

 「発想通史」では、時代経過にしたがって展示の内容をソニーの企業としての発展の様子が系統的に展示されていた。ソニーがはじめて開発に成功した製品は、1950年のテープレコーダーであった。続いて、トランジスターを使った日本発の「TR-55」の製作に成功し、社名もソニーと改め、企業としての基礎を築いている。この製品は、コーナーの最初に展示されている。

Sony- TV trinitoron

また、1959年にはポータブル・トランジスタ・テレビ、61年には世界初のVTR“SV-201”の商品化に成功している。テレビの技術開発は他社に比べてやや遅かったが、高品質をめざしトリニトロン方式のカラーテレビを市場に投入する。また、60年代後半、トランジスターを利用した電卓も普及しはじめたことから、この分野にも参入する。

Sony- Betamax xx

70年代は家庭の電化製品が広く普及した時代で、ソニーもテレビ、ビデオなど技術開発が盛んに進められた。そのうちの一つがVTRカセットで、ソニーは「ベータマックス」を投入したが、ビクターのVTRと激しく争い撤退したということも起こっている(ビデオ戦争)。しかし、業界に先駆けたCCD利用の8ミリビデオも開発している。

Sony- Walkman xx

なんといっても、ソニーの名を世界にとどろかしたのは、カセット利用の携帯用音楽プレーヤー「ウオークマン」の登場である。90年後半までに1億5000万台を売るヒット商品となっている。このプレーヤーの初期から次世代型まで時代を追って展示されていたのは興味深い。これによって音楽文化の楽しみ方にも革命的な変化がもたらされたという評価もなされている。

Sony- Ibo xy

1980年代はデジタル時代となる。音響CDの開発に成功したのもソニーである。84年には携帯型CD、88年にはMO、92年にはMDを立ち上げてソニーの先進性を示した。PC開発に取り組んだのも同時期である。

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また、エンターテイメント事業にも力を入れ、プレステやアイボの
開発を行ったのは90年代のことであった。また、PC市場でも「VAIO」シリーズを市場に投入している。2000年以降は目立った新製品の開発はなされていないが、デジカメ、ゲーム機、液晶テレビ「ブラビア」などで存在感を示している。

Sony- Playstation

 これら、ソニーの投入電気電子製品をみていると日本の電気電子産業技術全体の動向が、どのような方向で進んでいたかがわかる気がする。その意味でも、ソニー資料館の「歴史コーナー」は貴重な史料を提供している。

♣  ソニーの「発想庫」にみられるソニーブランドの方向性

このコーナーでは、ソニーがこれまで生み出してきた商品技術の特色と方向性を示す展示となっている。コンセプトでは、サイズ(小型軽量化)、デザイン(扱いやすさとスマートさ)、オリジナル(商品の独自性)の追求となっている。それぞれ、技術的にはTVやビデオでの軽量化とCCDの活用、デザインや機能ではラジオ、カメラ、オリジナル性ではウオークマンやエンターテイメント・ロボット、ゲーム機などが特色とあげられていて、納得させられる。ソニーの創業期から発展期までの精神がよく示されている展示コーナーといえようか。

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 ♣ 展示にみるソニーの将来像と日本の電子電気産業

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Sony- Illust strategy x01

2000年代以降になると、技術大企業ソニーも後発メーカーの追い上げでかっての輝きにもやや陰りがみられるようになったのは、日本の電子電気産業全体にとっても残念な事態である。しかし、これは産業のグローバル化と情報通信技術の革命的な変化の結果ともいわれ、この難しい中でソニーの創業時のモノづくり精神が今後どのように生かされていくのか興味が湧く課題である。このソニーの技術開発と企業としての発展がどのように進んでいくのか考えさせられた。その意味でも含蓄の深い貴重な歴史資料館であると感じた。日本の人々だけでなく、アジアの技術発展途上にある国の技術者、若者にも是非たずねてほしい産業資料館である。

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(家電メーカーの博物館 了)

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蒔絵と漆工芸の博物館(博物館紹介)

   ― 千年の歴史を持つ日本の伝統工芸品の美と匠をみるー

(現在作業中)

はじめに

  漆工芸は、ウルシの木の樹液を塗料や接着剤として用い、木や竹などの器物に塗り重ねて装飾を施す伝統工芸の一つで、高品質な工芸品は“Japan”とも呼ばれ、代表的な日本の工芸品となっている。漆は古い時代より堅牢性、耐久性や加飾のしやすさにから日常使われる食器や重箱などの漆器から、建物や仏像、芸術品に至るまで広く用いられてきた歴史がある。また、漆器は、素地、塗り、加飾といった工程で作られる長い時間をかけて漆工芸で、特に美しい蒔絵、螺鈿、沈金などは非常に価値の高い美術品として取り扱いされている。漆工芸は地場の伝統産業として各地で発達してきており、北の津軽塗から、漆液産地で作られる浄法寺塗、輪島塗、鎌倉時代に起源を持つ鎌倉彫、華やかな加賀蒔絵が有名な金沢漆器、木目の美しい飛騨春慶塗、伝統的な美術蒔絵が風格ある京漆器、良質な漆の越前漆器などが特に有名である。
 ここでは、これら各地の漆工芸を前提にしつつ、日本の代表的な漆工芸に関する博物館・美術館などを紹介してみようと思う。

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♣ 蒔絵博物館(インターネットミュージアム)

・高尾曜のホームページ
HP: https://makie-museum.com/index.html

蒔絵を使った 博物館HP
漆工会雑誌

 → インターネットで作品を紹介するバーチャル博物館。 漆工芸の研究者高尾曜が開設したミュージアムである。ウェッブ上に蒔絵概説史、蒔絵師の伝記、蒔絵作品の展示、用語集などを載せていて漆工芸・蒔絵の総合解説集となっている。展示では、漆工芸が最も盛んだった江戸時代を中心に、蒔絵の名工達の事歴と作品群が産地を含めて詳しく紹介している。

 このうち蒔絵概略史は、時代別の作者と作品解説がなされており、蒔絵発達の歴史をみるには役立つ資料となっている。これによれば、安土・桃山時代に秀吉など天下人の好みでより派手な蒔絵が好まれ寺社などの建築に豪壮華麗な蒔絵が施されたこと、江戸時代初期には江戸城本丸に「御細工所」も創設され、金沢でも加賀前田家で加賀蒔絵の礎が築かれたこと、江戸中期には尾形光琳や山本春正が活躍したこと、後期には 将軍や家族の道具類、子女の婚礼調度に蒔絵が多く用いられて古満寛哉や 原羊遊斎など名工が生まれたこと、幕末には中山胡民や 柴田是真、 京都では山本利兵衛や 佐野長寛などが活躍したこと、明治になると工芸品は外貨獲得の有効な手段と位置づけられて蒔絵は重要な輸出品目と位置づけられ、また、 蒔絵師も万国博覧会や 内国勧業博覧会向けの作品を作るようになり輸出商社もできてくる。明治23年には「日本漆工会」も設立され展覧会も開催されるようになる。この期には、東京では池田泰真、川之邊一朝、植松抱民、京都では山本光利、富田幸七などが名工として知られるようになったという。また、当インターネット博物館で歴史的な蒔絵作品も数多く「作品展示」で紹介されている。

蒔絵印籠(江戸中期)
野路玉川蒔絵硯箱
(江戸時代中期)
菊蒔絵提重
(江戸時代中期

 これら漆工芸と蒔絵の歴史と作者の紹介がなされているのは、この蒔絵博物館ならではの特色といえるだろう。

See: 蒔絵博物館/蒔絵概略史https://makie-museum.com/history.html
See: 蒔絵博物館/蒔絵師伝記https://makie-museum.com/makieshi.html
See: 蒔絵博物館/作品展示室https://makie-museum.com/sakuhin.html

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♣ 石川県輪島漆芸美術館

所在地:石川県輪島市水守町四十苅11番地 Tel.0768-22-9788HP: https://www.art.city.wajima.ishikawa.jp/about

石川県輪島漆芸美術館概観

 → 輪島漆芸美術館は日本を代表する伝統工芸「輪島塗」漆芸専門の美術館。輪島市と輪島漆器商工業協同組合が運営主体となり1991年に開設された。漆芸品及び漆文化に関する調査研究、資料収集、保管展示を行って総合的な漆文化の発信を目指している。館内の常設展では「輪島塗の技と歴史」をテーマに、近世から現代にいたる歴史的な輪島塗作品が展示しており、輪島塗の技と歴史が製作道具や映像でわかりやすく紹介されている。また、人間国宝など著名な漆芸作家の漆工芸品、日本と世界の各種漆器なども身近にみることができる。

館内展示場
輪島塗展示
輪島塗大型地球儀

 ちなみに、輪島塗は能登半島の輪島地域で生産される伝統工芸漆器を指し、特色としては、木地に生漆と米糊を混ぜた布を貼って補強(布着せ)、焼成珪藻土を混ぜた下地を何層にも施した「丈夫さ」に重きをおいた漆器とされる。起源については、室町時代に根来寺の僧が伝えたという説、戦国時代に豊臣秀吉の兵火より逃れた根来寺の僧が伝えたという説など様々な説がある。しかし、それ以前にも、能登半島の「三引遺跡」(七尾市)から6800年前の漆製品が発見されており、輪島では平安時代の遺構である「屋谷B遺跡」でも漆製品が発掘された記録がある。また、輪島市河井町の重蔵神社旧本殿の朱塗扉(室町時代の1524年作)が現存する最古の輪島塗のものとされている。
 現在のような輪島塗の技術が確立したのは江戸時代前期の寛文年間(1630年頃)と伝えられている。さらに、江戸時代の中期にかけて、現在の工程とほとんど同様の工程となり、広く普及して日常用品として使われるようになった。

輪島塗汁椀

 明治になると、輪島塗は国内勧業博覧会などで地産品として広く紹介され、輸出品としても珍重された。また、国内市場では、堅牢な実用品として椀や箸、装飾箱など用いられていることが多くなる。そして、輪島塗は、1975年に国の伝統工芸品指定を受けると芸術的な意味合いも付加されるようになり、現在では、優美で少し高級志向のある漆工芸品として市場価値を高める傾向にある。しかし、2024年1月に発生した能登半島地震により、工房や店舗が大きな被害を受け、生産の再開が困難となっている。また、輪島朝市周辺の火災により、12の事業所が焼失し材料や道具を失った事業者が多くなっている。当漆芸美術館も大きな被害を受けた。

・参照:石川県輪島漆芸美術館 – Wikipedia
・参照:日本の漆器 – Wikipedia
・参照:輪島塗の特徴 や歴史(KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/wajimanuri/

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♣ 輪島塗会館

所在地:石川県輪島市河井町24-55  Tel. 0768-22-2155
HP: https://wajimanuri.or.jp/

輪島塗会館の概観

  → 輪島塗会館は、輪島漆器商工業協同組合が運営する輪島塗の文化施設。1階には市内約60店舗の漆器店の販売・修理相談コーナー、2階は展示室で、国の有形民俗文化財を含む約3,800点の貴重な漆芸品資料が展示されている。ここでは、輪島塗の製造工程を製作用具と共に紹介しているほか、国指定重要有形文化財に指定された貴重な輪島塗作品を見ることができる。ちなみに、輪島漆器商工業協同組合は、1944年に設立された県輪島市の伝統工芸「輪島塗」の製造・販売を支える中核組織で、輪島塗の技術継承や品質基準の維持、共同施設の運営、産地全体の振興活動を行っている。現在は能登半島地震による甚大な被害を乗り越え、工房や組合施設の復旧・再建を進めながら、職人たちのものづくりの基盤を守る活動を継続している。同組合の運勢する輪島塗会館も、現在地震の影響で閉鎖しているものの2026年夏以降の再開を目指して準備を進めているという。

作品展示室
輪島塗の工程別作品展示
代表的な輪島塗作品

    輪島塗は100以上の工程を経て作られる非常に堅牢で美しい漆器。その歴史は古く、15世紀の室町時代にはすでに塗師が存在していたことが確認されている。木地の補強に布を貼り(布着せ)、珪藻土を焼いた「輪島地の粉」を下地に何度も塗り重ねることで、傷に強く、修理を繰り返しながら長く使い続けられるのが特徴とされる。

・参照:輪島塗の世界を体感できる「輪島塗会館」(Discover Noto)https://discover-noto.com/2953/・参照:輪島塗――見る、さわる、つくる!「漆の首都」で「用の美」の神髄を体感する | 経済産業省 METI Journal ONLINE https://journal.meti.go.jp/fudoki/45442/・参照:輪島漆器商工業協同組合 https://wajimanuri.or.jp/kumiai/file07/rekishi2.html・参照:輪島塗とは。独自の技術と文化を築いた「塗師屋」の存在 | 中川政七商店の読みものhttps://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/116834

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♣ 山中漆器伝統産業会館(山中うるし座)

所在地:石川県加賀市山中温泉塚谷町イ270  Tel. 0761-78-1696
HP: https://www.yamanakashikki.com/article/3321

山中漆器伝統産業会館

  → 山中漆器は、石川県加賀市の山中温泉地区周辺で作られる漆の伝統工芸品(山中塗)を指す。漆器では全国一の生産高を誇り、「木地の山中」と称されるほど高度な木工挽物(ひきもの)技術が特色で、これを活かした木目の美しさと堅牢さが特徴として知られる。産業会館では、この山中漆器の歴史を示す作品から現代の漆伝統工芸品までを広く展示するほか、山中漆器の日用食器、アクセサリー、茶道具などを現地販売している。また、隣接する山中漆器産業技術センターでは木地挽物工房で山中漆器の製作工程を見学や体験ができる。  山中漆器の始まりはおよそ400年前(安土桃山時代)。山々を渡り歩き、挽物の器をつくって生活していた「木地師」の一団が山中温泉上流の真砂に定住して“木地を挽き”はじめた頃から始まったといわれている。木地師は次第にふもとの温泉客を中心に販売するようになり、塗りや蒔絵の技術を会津や京都や金沢から取り入れながら普段使いの器の産地として成長してきた。 漆器は基本的に木地師が木を挽き、塗師が漆を塗ってできるが、山中漆器は挽物木地の木目をいかした拭漆椀を得意としているようだ。

館内展示場
展示工房
山中塗り作品

・参照:山中漆器の歴史 (石川県立山中漆器産業技術センター) https://yamanaka696.org/history/
・参照:山中漆器の特徴 や歴史(KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/yamanakashikki/

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♣ 石川県立山中漆器産業技術センター

所在地:石川県加賀市山中温泉塚谷町イ270  Tel. 0761-78-1696
HP: https://yamanaka696.org/

山中漆器産業技術センター

  → この山中漆器産業技術センターは、加賀市山中温泉にある全国で唯一の「挽物轆轤技術」と「漆芸技術」を専門的に学べる研修施設。山中漆器の伝統的な木地挽き技術の習得と、将来の産業を担う人材育成や後継者育成を目的として1997年に設立された。2018年からは、若手木地師の自立開業を支援する「レンタル工房」を開設し、山中漆器のさらなる発展・振興を図っている。2階はギャラリー・展示エリアとなっており、挽物木地産地山中の特徴である「薄挽き」や、木地に様々な模様をつける山中独自の高度な技「加飾挽き」の伝統技術を駆使したものから、近代的なデザインや機能を備えたものまで並んで展示されている。同センターでは挽物轆轤技術研修所を設けて毎年研修生を募集して儀受つん伝承を図っている。また、例年11月上旬に「JAPAN 漆 YAMANAKA」の木地部門の回顧展を開催し、木地・上絵・蒔絵の3つの部会に分かれた作品の展示販売や、職人たちによる新作展示が行われている。

館内展示
「加飾挽き」作業

・参照:職人のまち加賀 (山中漆器)https://kagaworld.or.jp/kagashikougei-ouen-project/
・参照:石川県立山中漆器産業技術センター|(石川県の観光/旅行サイト「ほっと石川旅ねっと」)https://www.hot-ishikawa.jp/spot/detail_4643.html

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♣ 会津うるし美術博物館

所在地:福島県喜多方市東町4095 Tel. 0241-24-4151
HP: http://www.kuranomachi.com/urushi/

会津うるし美術博物館

  →「会津塗」は、福島県会津地方で作られている漆器で、製造工程によってお椀などの丸物とお盆・文庫などの板物に分類され、松竹梅と破魔矢を組み合わせた模様は会津絵と呼ばれて珍重されている。特徴は、縁起の良い意匠や多彩な加飾の美しさとされ、他産地の漆器より溝を細かく浅く彫ることで柔らかな表情を感じられる漆器となっている。江戸時代では黒・朱・青光(緑)の色が多く使われていたが、近代になると赤茶のうるみやオレンジ色の洗朱(あらいしゅ)も用いられるようになり、限られた色数の中から考案された配色も見所となっている。 「会津うるし美術博物館」は、こういった特色を持つ会津漆器に特化して、その歴史や作品を展示する漆美術館と位置づけられている。また、美術館の建物は、かつて県内随一の大地主であった風間善九郎の総漆塗りの離れ座敷を再生して作られた歴史建造物となっており貴重である。屋敷の蔵の中に漆器の歴史資料、塗道具、漆の精製道具類などが展示され、工程がよくわかる構成となっている。館内には、漆師・田中亨が一生をかけて制作したという「乾漆」の壺や椀、未完の大作といわれる乾漆大花瓶など貴重な会津うるし作品が展示されているのを見ることができる。

座敷内の展示場
漆加工道具などの展示
会津塗りの展示
蒲生氏郷

  ちなみに、会津塗の歴史は、1590年、戦国武将蒲生氏郷が会津に入封したときに始まったといわれている。氏郷は、近江日野町から木地師と塗師を招き、最先端の塗り技術を伝授させたことにより大きく発展。その結果、江戸に近いこともあり、漆の木の栽培から加飾まで、作業を一貫して手がける一大産地となった。江戸時代には歴代藩主によって保護奨励され、技術革新も進み、幕末には外国に輸出されるほどになっている。幕末の戊辰戦争で戦禍に巻き込まれ、壊滅的な打撃を受けたが、その後の復興により、明治時代中期には日本有数の漆器産地として再び活気を取り戻している。

・参照:うるし美術博物館 (ニッポン旅マガジン) https://tabi-mag.jp/hs0030/
・参照:会津塗(あいづぬり)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/aizunuri/

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♣ うるしの里会館(鯖江市越前漆器伝統産業会館)

所在地:福井県鯖江市西袋町37-6-1 Tel. 0778-65-2727
HP: https://www.echizen.or.jp/urushinosatokaikan

うるしの里会館

  → 越前漆器は、古くから福井県鯖江市河和田地区及び周辺地域でつくられてきた工芸漆器で、漆を塗り重ねることで艶やかな塗り肌が増し軽さと丈夫さも兼ね備えていることが特徴とされる。この「うるしの里会館」では、木地から加飾まで漆器の製造工程や歴史的資料等が展示されており、館内にある特設展示場では貴重な越前塗りの漆芸品・漆器を見学できる。また、越前漆器特有のとりくみである業務用漆器の製造や食器洗浄機対応の漆器作りなどの技術についても詳しく知ることができる。越前漆器伝統産業会館は、元々は越前漆器協同組合が1980年に開設した施設であったが、2005年に改築され、新しく“うるしの里会館”となり、事務所、ミュージアムショップ、産業振興ホールなどを併設し越前漆器のPR拠点となった。また、会館に隣接する職人工房では、伝統工芸士による実演が行われており、作業風景を眼前で見学することができる。展示物の中では、漆塗りの「越前塗山車」が特に有名で、これを館内の「山車会館コーナー」で身近に見ることができる。

漆塗りの天井
越前塗りの山車
越前塗り椀

<越前漆器の歴史> 

片山漆器神社 
(祭神 惟喬親王)

  越前漆器の歴史は、約1500年前の古墳時代の末期まで遡るといわれる。伝説によれば、まだ皇子であった継体天皇が越前国河和田に来られた折、片山集落(現在の鯖江市片山町)の塗り師が黒塗りの「三ツ組椀」を皇子に献上したことがはじめとされる。皇子はその出来栄えに感動して片山集落を漆と漆器の産地として奨励したという。それ以降、当地では米を年貢(税)として納めていた時代にも、越前漆は税として納めることが認められその生産が振興された。室町時代に入ると、当時、布教が盛んであった浄土真宗において、「報恩講」の仏事に漆椀が用いられ、越前漆器の普及のきっかけになったとされる。日光東照宮の造営の際に、漆掻き職人として越前国の職人の記載がみえるという。また、江戸時代になると越前は漆掻きの存在と仏事が盛んな風土であったことから、国内漆器一大産地となって成長していく。この地の漆掻き職人は、漆の木に掻き傷をつけながら漆の液を集める技術をもち、最盛期には国内の半数の漆掻きを越前衆が担っていたとの記録がある。また、越前漆には次第に「蒔絵(まきえ)」や「沈金(ちんきん)」の技法が伝わり、堅牢さに華やかな装飾を加わり、明治時代以降には、祝儀用調度、菓子器、弁当や重箱、茶道具などから、日常的に使用する箸、汁椀まで多種多様な器が生産されるようになっている。現在では、国内の外食産業用、業務用の漆器の80%以上が越前漆器で生産されているという。

・参照:越前漆器協同組合 | うるしの里会館 https://www.echizen.or.jp/urushinosatokaikan
・参照:越前塗山車 https://www.echizen.or.jp/echizennuridashi
・参照:越前漆器(えちぜんしっき)の特徴 や歴史( KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenshikki/
・参照:越前漆器(中川政七商店の読みもの)https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/122213

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♣ 紀州漆器伝統産業会館「うるわし館」

所在地:和歌山県海南市船尾222
HP: https://www.kishusikki.com/03_kaikan.html

紀州漆器伝統産業会館

  → 紀州漆器は、和歌山県海南市の北西部にある黒江地区を中心に作られている漆器で「黒江塗り」とも呼ばれ、福島県の「会津塗」、石川県の「山中塗」や「輪島塗」とならび、日本における「三大漆器」のひとつに数えられる。特徴は、シンプルで丈夫、日常生活で気軽に使える実用的なところにあるという。江戸時代から庶民の日用品として親しまれてきている漆工芸品として知られていた。この「うるわし館」は、紀州漆器協同組合館によって運営されており、漆器づくりの道具や資料、作品類数多く展示され、紀州漆器づくりの工程や、歴史を詳しく知ることができる。

「黒江塗り」
紀州漆器作品類

  紀州漆器は、室町時代に紀州の「木地師」によって、渋地椀が作られたのが始まりとされる。1585年、豊臣秀吉による根来寺攻めにより漆器を作っていた僧たちが難を逃れて黒江に来たことから漆器づくりが広まったといわれている。江戸時代になると紀州藩の奨励で日用品としての紀州漆器が大いに発展。これに加えて、僧侶たちが寺で使用する膳・椀・盆・厨子などを自ら作った実用的な「根来塗」も紀州漆器に影響を与えた。その後、1826年(文政9年)に膳などの堅地板物の製作に成功、安政時代には蒔絵による装飾がほどこされるようになる。明治維新による海外貿易の開始は紀州漆器にも活気を与え発展。1879年(明治12年)には沈金の装飾技術を導入、1898年には京都より蒔絵師を招いて蒔絵の改良が図られ更に発展する。昭和時代になると天道塗・シルク塗・錦光塗などの変り塗も考案され、紀州漆器は革新的な漆工芸品として市場で人気が高い漆器である。

・参照:紀州漆器の特徴 や歴史-(KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kishushikki/
・参照:「紀州漆器」とは( 中川政七商店の読みもの) https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/122383

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♣ 鎌倉彫工芸館(伝統鎌倉彫事業協同組合)

所在地:神奈川県鎌倉市由比ガ浜3-4-7 TEL (0467) 23-0154
HP: https://www.kamakurabori-kougeikan.jp/ 

鎌倉彫工芸館
鎌倉彫

 → 鎌倉彫は、鎌倉市及びその周辺地域で作られる漆器を指し、カツラやイチョウなどの原木を用いて木地を成形した後文様を彫り、その上に漆を塗って仕上げた漆工芸品。この鎌倉彫の技法と作品を広く普及するため作られたのが「鎌倉彫工芸館」である。1978年に結成された「伝統鎌倉彫事業協同組合」によって運営されており、現在、鎌倉彫の販売、鎌倉彫のオーダー製作、漆塗り加工の依頼、材料販売や展示会、講習会、体験教室などを行っている。
 館内には15〜20名の作家による多様な作品が展示されており、丸盆や皿、ブローチ、ボールペンなど、日常に溶け込む美しい工芸品がそろっている。彫刻や漆塗りなどの工程は職人による手作業で行われており、機械加工と手仕事が融合した日本独自の匠美を感じさせる。また、鎌倉彫工芸館商品ギャラリー・資材コーナーでは、木地材や彫刻刀、漆などの資材も販売され専門的なニーズにも応えている。鎌倉彫は1979年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されている。

工芸館内展示場
鎌倉彫作業
鎌倉彫の小品類

・参照:鎌倉彫工芸館|800年の漆彫り体験・15〜20名の作家作品展示と販売https://kamakuraguide.com/kamakura-nishiguchi/kamakura-bori-museum/
・参照:小園敏樹「身につけて楽しい鎌倉彫」展 (鎌倉彫職人日記 鎌倉彫工芸館) http://kamakura87.blog110.fc2.com/blog-entry-598.html

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♣ 東京国立博物館 漆工芸展示室

所在地:東京都台東区上野公園13-9 東京国立博物館本館 12室
HP: https://www.tnm.jp/

東京国立博物館概観

  → 東京国立博物館の本館1階には、日本で独自に発展した漆芸の歴史をたどる常設の「漆工コーナー」がある。ここでは、国宝や重要文化財を含む、平安時代から江戸時代にかけての華やかな蒔絵や螺鈿の名品が常時展示され、繊細で美しい技法を間近で鑑賞できる。展示の見どころは、漆で絵を描いて金銀粉を蒔く「蒔絵」、貝殻をはめ込む「螺鈿(らでん)」、彫刻を施す「彫漆(ちょうしつ)」など、多彩な漆芸技法による作品がそろっている点にある。平安時代の王朝文化を伝える優美な調度品から、室町時代の唐物風作品、安土桃山時代の豪華な作例、江戸時代の精緻な作品まで、時代ごとの変遷をたどりながら鑑賞できる。また、漆工芸製作の工程や作法の示す解説パネルも展示されており参考になる。
 展示品の中には、企画展や特別展で、国宝の本阿弥光悦作「舟橋蒔絵硯箱」や尾形光琳作「八橋蒔絵螺鈿硯箱」などの教科書で有名な至宝が随時展示されている。

「八橋蒔絵螺鈿硯箱」
尾形光琳
男山蒔絵硯箱 
室町時代
吉野宮蒔絵書棚 
(江戸時代)

・参照:東京国立博物館 – 展示・催し物 展示 本館(日本ギャラリー) 漆工  作品リストhttps://www.tnm.jp/modules/r_exhibition/index.php?controller=item&id=3179

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♣ 国立工芸館(金沢)

所在地:石川県金沢市出羽町3-2 Tel. 050-5541-8600
HP: https://www.momat.go.jp/craft-museum/

国立工芸館(金沢)

  → 国立工芸館は1977年、東京国立近代美術館工芸館として東京・北の丸公園に開館されたものだが、2020年に石川県金沢市に移転して新装開館されている。金沢の工芸館では、明治期に建てられた国登録有形文化財の旧陸軍施設を利用して、前施設の活動を継承し、近現代工芸・デザイン専門の美術館。陶磁、ガラス、漆工、木工、竹工、染織、人形、金工、工業デザイン、グラフィック・デザインなどの各分野にわたって収集、保存、調査・研究・展示を行っている。
  漆工芸に関係する展示としては、明治以降今日までの有名作家の漆工品約400点が収蔵されており、中でも金沢出身の漆芸家松田権六の作品のほか、同氏の「工房」が再現されており、氏が実際に制作で使った道具や素材類、関連資料を見ることができる。また、六角紫水(彫漆)、高野松山(蒔絵)、大場松魚(蒔絵)、増村益城(髹漆)寺井直次(蒔絵)など、日本工芸会を牽引した作家たちの繊細で高度な技法が用いられた工芸品が定期的に展示されている。

館内展示場
作品展示


  ちなみに、金沢に生まれた松田権六は、近代漆芸に偉大な貢献をなした人間国宝作家として知られる。松田は加賀蒔絵の伝統を踏まえつつ、正木直彦東京美術学校長や大茶人益田孝(鈍翁)との知遇、室町や桃山時代などの古典研究、朝鮮・楽浪漢墓出土の漆器や中尊寺金色堂をはじめとする数々の保存修復をとおして、漆芸の意匠や様式、広範な技法を鋭い洞察と鑑識とで解明し、自らの創作に応用、発展させている。作品としては、「蒔絵螺鈿有職文飾箱」(1960)、「蒔絵竹林文箱」(1965)「蒔絵槇に四十雀模様二段卓」(1972)などがある。

松田権六作業部屋の再現
松田の作品
松田の作品

・参照:松田権六の仕事場 関連資料展示解説 – 国立工芸館 https://www.momat.go.jp/craft-museum/architecture/shigotobacase
・参照:人間国宝 松田権六の世界 – 国立工芸館 https://www.momat.go.jp/craft-museum/exhibitions/436
・参照:石川県ゆかりの作家が彩る ― 国立工芸館「工芸と天気展」(読者レポート) | レポート | アイエム[インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/report/124016
・参照:国立工芸館が金沢に開館。「日本の工芸を世界に発信」|美術手帖https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/22934

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♣ 小西美術工藝社付属「うるしデジタル博物館」

所在地:東京都港区芝4-4-5 三田KMビル3F TEL. 03(5765)1481
HP: https://www.konishi-da.jp/museum/

小西美術工藝社のある三田KMビル

  → 「うるし博物館」は、日光東照宮や輪王寺の漆塗り・極彩色を手がけてきた小西美術工藝社が運営する博物館。伊勢神宮の御神宝の試作品や、中尊寺金色堂の修復関連資料、古くからの貴重な漆芸品を展示している。工藝社に代々伝わってきた漆芸品や海外に散った貴重な品々約1000点を収集・所蔵している。同社は、日本の漆文化を受け継いできた集団の一つとして、世界中どこでも見られるように「デジタル博物館」を立ち上げている。ここでは、物理的には見られない品々の内部や裏側なども見られるよう3D技術を使った展示も行っている。今後も、所蔵品のデジタル展示を増やしていく予定という。

      展示作品例                                

・参照:3D一覧 | 小西美術工藝社 https://www.konishi-da.jp/museum/3d/
・参照:所蔵品一覧 | 小西美術工藝社 https://www.konishi-da.jp/museum/collection/
・参照:小西美術の紹介 | 小西美術工藝社 https://www.konishi-da.jp/history/

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♣ 小田原漆器工房(大川木工所)(まちかど博物館)

所在地:神奈川県小田原市南板橋2-226-2 0465-22-4630
HP: http://okawa-mokkoujo.com/index.html

小田原漆器工房

  → 小田原漆器はケヤキ材などが持つ自然の木目の美しさを充分生かした摺り漆塗りや木地呂塗りが主体の手作り漆器。この起源は室町時代中期に箱根山系の豊富な木材を使用し、木地挽きされた器物に漆を塗ったのが始まりとされている。その後、北条氏康が小田原漆器を発展させるため塗師を城下に招き彩漆塗りの技法も用いるようになり発展した。江戸時代には盆、椀などの日用品の他に武具類にも漆を塗るようになり、江戸時代中期には継続的に実用漆器として江戸へ出荷するなど、箱根関所を要する東海道屈指の城下町、宿場町に漆器つくりの技術が確立された。小田原漆器はケヤキ材などが持つ自然の木目の美しさを充分生かした摺り漆塗りや木地呂塗りが主体の手作り漆器で、堅牢で素朴な手工芸品として愛用されている。小田原漆器は1984年5月、通商産業大臣より「伝統工芸品」に指定されている。

作業場
作業風景
作品

・参照:大川木工所 神奈川県 小田原市 漆器 伝統工芸 引き出物 http://okawa-mokkoujo.com/index.html

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♣ 漆工博物館(安宅漆工店)(墨田・小さな博物館)

所在地:墨田区向島三丁目38番10号
HP: https://atakashikkouten.wixsite.com/home

木地呂漆塗りの館内

  → 京都墨田区で長年、漆塗りを行っている安宅漆工店の資料館。この漆工博物館では、江戸時代から現代までの漆塗りの品々、製作道具、材料、製作工程やこれまで手掛けた修理・修復の写真などを展示している。館内は、壁を木地呂漆塗りで施された落ち着いた空間を醸し出す。塗師である安宅漆工店の安宅信太郎氏は「すみだマイスター」。15歳で父、儀一氏に師事。信州の善光寺や国立能楽堂、参議院議長公邸など、数多くの建造物の、建築漆工を手がけてきている。安宅郎氏は「漆本来の深みのある艶や優雅さを作り出し、これからも古き伝統を新しき時代に生かすとの思いで和・洋の世界に漆塗りの良さを伝えていく」としている。

安宅郎氏
展示品

・参照:伝統工芸・職人工房(墨田区観光協会・本物が生きる街 すみだ観光サイト) https://visit-sumida.jp/ctg_spot/play_spot10/
・参照:安宅漆工店(東京手仕事(TOKYO Teshigoto)  https://tokyoteshigoto.tokyo/studio/atakashikkouten.html

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♣ 蒔絵工房 NAMIKI(パイロット)

所在地:神奈川県平塚市西八幡1-4-3 Tel. 0463-35-7069
HP: https://www.pilot.co.jp/service/koubou_namiki/

蒔絵工房 NAMIKI

  → パイロットは、1926年から、日本が世界に誇る漆芸品のひとつ蒔絵を施した高級万年筆を欧米に展開してきているが、後に人間国宝となる蒔絵師・松田権六氏を中心とした蒔絵師グループ「國光會」を結成し、およそ100年にわたり日本古来の技を研究・発展させ匠の技で蒔絵万年筆を製作してきている。この成果を紹介するため開設した資料館がこの「蒔絵工房」。館内展示室では、大正期からの蒔絵万年筆、蒔絵箱、蒔絵額などの漆芸品、歴代ポスターなど約100点を展示している。かつて海軍火薬廠として使用されていた煉瓦造りの建物を改装した工房では、現在でも蒔絵万年筆を製作しているという。

館内
蒔絵の万年筆

・参照:大人の社会見学、「蒔絵工房 NAMIKI」に行ってきました!( レアリア)https://rarea.events/event/35380
・参照:蒔絵工房NAMIKI | PILOT https://www.pilot.co.jp/service/koubou_namiki/

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(了)

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家庭用清浄用品と化粧品の資料館(博物館紹介)

ー 快適な家庭生活を支える清浄文化と美容技術の歴史をみるー

はじめに

  石鹸や洗剤、美容用品などの家庭用衛生・清浄用品は、最も身近な生活産業として、明治以降、大きく発展してきたもので、この過程で多くの企業が生まれ成長してきた。ここでは、これら企業の運営する博物館を紹介すると共に、その中で示された歴史的な「洗浄文化」や、人々の衛生観念・美容の移り変わり、化学の発展による新しい製品の開発過程をみていくことにした。紹介するのは、洗剤などの花王、ライオン、清掃のダスキン、資生堂、ポーラなどの企業博物館となっている。

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(家庭用清浄用品の博物館)

♣ 花王ミュージアム

所在地:東京都墨田区文花2-1-3 TEL:03-5630-9004
HP: https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/kao-museum/

花王ミュージアム

 → 花王ミュージアムは、洗剤や化粧品など化学品を製造する有力メーカーの花王が提供する企業博物館。創業以来、花王は「清浄」の実現をモットーに製品作りに励んできているが、この目標追求のため、生活の衛生と清潔をテーマとする各種歴史資料を収集してきた。花王ミュージアムこれらの収集結果を一般に公開、展示するため2007年に設立された博物館である。当初、花王のすみだ事業場内に『花王「清潔と生活」小博物館』(1990年)であったが、これをリニューアルする形で開館している。開館の趣旨は「人と暮らしを支える“清浄文化”と花王の“よきモノづくり”の精神をひもとくミュージアム」であった。

館内内観
ミュージアム展示コーナー

 展示では、花王創業者たちによる「清浄文化」の普及を目指したメッセージや今日までの事業活動の歴史、これまでの歴代製品などを幅広く紹介している。ただ、現在、リニューアル工事のため休館となっており、2027年にリニューアルオープンの予定という。
 この花王ミュージアムには3つのゾーンがあり、一つ目は「清浄文化史ゾーン」、二番目は「花王の歴史」、三番目は、花王の今と未来を紹介する「コミュニケーションプラザ」である。 なお、同じ花王のミュージアムとして、花王和歌山事業所内には、製品紹介とエコ・環境をテーマにした「花王エコラボミュージアム」がある。

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ポンペイ遺跡の洗濯情景
展示にある石鹸の記録

   第一の「清浄文化史ゾーン」では、人類の歴史の中で清浄文化がどのように誕生したか、日本史の中で清浄文化がどんな発展をとげたかを紹介するコーナー。例えば、古代メソポタミア文明の記録や収蔵品から、当時の人類がすでに石鹸(せっけん)を有していたこと、ローマでカラカラ浴場など浴場施設が建設され、市民が体を清潔に保ち入浴を楽しむ文化があったこと、日本では江戸時代に銭湯があり庶民の間で利用されていたこと、また、中世以前から洗たくや洗顔に天然の洗浄料「ムクロジ」や「サイカチ」という植物が使われ、台所で出る灰に水を通して自家製の洗濯液が作られていたことなどを展示で紹介している。

カラカラ浴場
江戸時代の銭湯
天然素材や灰を使った洗濯
立体凹凸表面シート
石鹸からビオレヘ

 二番目の「花王の歴史ゾーン」は花王の創業から現在に至るまでの企業歴史を紹介するコーナー。歴史のトピックスを通じて花王の企業理念や商品開発の考え方を伝えている。(これについては次に紹介)第三は、コミュニケーションプラザ・「花王の今と未来」というテーマで、花王の最新の活動、よりよい未来のための活動について紹介するゾーン。これまでの花王が作り上げてきた過去の製品からはじめて、現在、そして未来の社会につなげる花王の研究・商品開発のありよう展示を通じて紹介している。例えば、環境問題への対応として、“廃PET”を有効活用、アスファルト舗装を高耐久化する改質剤「ニュートラック」などの開発を紹介している。これはアスファルトに約1%添加するだけで、従来のアスファルトの何倍も耐久性が上がるという開発であり、わだち(轍)になりやいアスファルトの補修役立ち使用頻度も低減することができるとされる。また、漂白アクチベート技術、サニタリー製品用「立体凹凸表面シート」なども「花王技術図鑑」で紹介されている。

<ミュージアム展示に見る花王の創業と発展>

長瀬富郎
化粧水「二八水)」
花王石鹸

  花王の源流は、1887(明治20)年、長瀬富郎が上京して日本橋馬喰町で、せっけんや歯磨き粉など日用品を扱う「長瀬商店」を創業したことにはじまるとされる。当時の“せっけん”といえば、高価で高品質な舶来品か、安価で粗悪な国産品しかなかったが、長瀬は手の届きやすい価格で良質な国産せっけんを作ることを目指し、1890年に試行錯誤を重ねながら「花王石鹸」を完成して発売に成功する。これが基礎となり、健康・清涼衛生用品メーカー花王の姿をつくっていくことになった。売り出した「花王石鹸」は、説明書きと品質保証書で包み、桐の箱に収めるなど高品質なせっけんだということを印象付けたという。また、長瀬は「花王石鹸」のほかに、より安価な日用品として化粧水「二八水(にはちすい)」、歯みがき粉「寿考散」も発売して成功している。

二代目の長瀬と会社役員
花王の野立て広告(1920s)

  しかし、創業者長瀬富郎は事業半ばの48歳若さで亡くなってしまう。これを引き継いだのが息子の二代目の長瀬富郎。1927年、社長になった富郎は、社会的使命を果たしながら社業を拡大することを目指し、「花王石鹸」ブランドを大きく刷新する変革者となっていく。富郎は、社長就任後すぐに欧米を視察してせっけんの製造方法の近代化を図ると同時に、最新設備を導入するなどして改良を重ね、1931年、新装「花王石鹸」を発売。より高品質で低価格、斬新なデザインを採用することで一般家庭にも一気に広げていくことに成功する。

新設された家事科学研究所

  また、発売前に新聞の1面に広告を掲載するなど広告宣伝手法にも工夫を加えることで、「新装花王石鹸」は大ヒット商品となり、花王の石鹸事業は大きく前進することになる。     
 さらに、花王は、1934年に「家事科学研究所」を設立、家事全般を科学的に見直すべく生活者の視点に立ったモノづくりの姿勢を目指す。 研究所は、一般消費者向けに講習会などを開催、家事に関する情報や知識を提供するとともに、一般家庭を訪問して家事の実態を分析して商品開発に活かしている。

<石けんを超えて>

アタックとクイックルワイパー

 花王は、「花王石鹸」の登場から90年後の1980年には、ペースト状の洗顔料「ビオレ」を発売して新領域を開く。石けんから始まった花王であるが、自ら脱石けんを目指し多様化を進める画期的なものでもあった。1985年には社名も「花王石鹸」から「花王」に変更している。これを契機に、花王は技術革新によって、新しい生活習慣を提案する商品を多数誕生させている。例えば、1970年にはヘアシャンプーの「メリット」、1978年の生理用品「ロリエ」、1982年の化粧品「ソフィーナ」、1983年のおむつ「メリーズ」、1987年には洗剤をコンパクト化した「アタック」、1994年の床掃除の新スタイル「クイックルワイパー 」など、生活にニーズにあった製品を次々に生み出している。  そして更に進んで、現在は、化粧品、スキンケア、ヒューマンヘルスケア、エコ技術を生かした水性インクジェット用インク、特殊増粘剤などの先進的なケミカル製品を製作する企業へと幅を広げている。 これら躍進の系譜は、花王ミュージアムの展示で詳細に確認できる。

・参照:花王 | 会社の歴史https://www.kao.com/jp/corporate/history/company-history/
・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 花王石鹸の歩み 石鹸のきた道https://www.kao.co.jp/white/history/01/
・参照:始まりはたった一個の石けんー花王のよきモノづくりの系譜― https://www.kao.com/jp/kaonokao/openthekao/vol1/2/
・参照:花王株式会社 | 花王 ホワイト | 「クリームみたいな泡」の違いと秘密 https://www.kao.co.jp/white/feature/01/
花王ミュージアムが伝える“清浄”の文化史と“正道”の志(電通報)https://dentsu-ho.com/articles/8784
花王の顔|花王技術図鑑 https://www.kao.com/jp/kaonokao/zukan/

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<参考>

❖ ナプキンミュージアム「ロリエ」

  → 花王ロリエの「ナプキンミュージアム」は常設施設ではなく、2024年9月に開催された1日限りの限定イベント。そのため、現在物理的に訪問できる場所は存在しない。過去の歴史展示は、ロリエ公式サイトの歴史ページで見ることができる。
 See: https://www.kao.co.jp/laurier/history/

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♣ 花王エコラボミュージアム

所在地:和歌山県和歌山市湊1334 花王株式会社 和歌山事業場内 073-426-1285
HP: https://www.kao.com/jp/corporate/outline/tour/eco-museum/

花王エコラボミュージアム概観

 → 花王エコラボミュージアムは、家庭衛生品メーカーが運営する環境問題・エコに注目して設立された企業博物館。花王の和歌山事業所に併設して2011年にオープンしている。ここでは、花王が取り組んできたエコ技術に根ざしたモノづくりの試みと成果を紹介すると共に地球環境課題の展示を行っている。館内の展示コーナーでは、「エコデザイン」「原料のエコ」「製品づくりのエコ」「はこぶときのエコ」「製品をつかうときのエコ」「ゴミ処理のエコ」と製造から消費までのフローに合わせた花王のエコ対応の取り組みが映像、体験プログラムなどによって紹介され、「コンシューマープロダクツ」コーナーで花王の先端エコ製品技術が展示解説されている。 また、地球環境を考えようコーナーも設けられ、「温暖化する地球」「いのちとくらしを支える水」「生物多様性のもとに」の3つのテーマが取り上げられ、地球環境の現在を解説している。
  このように、花王エコラボミュージアムでは、見学を通して我々が気づいていなかった生産者側の思いや工夫を知ることができると共に、使う側としての責任も考える機会になると思われる。

花王の「エコデザイン」
「製品づくりのエコ」
「コンシューマープロダクツ」

・参照:花王エコラボミュージアム(近畿地方ESD活動支援センター)  https://kinki.esdcenter.jp/hot_topics/kaou_1/ &https://kinki.esdcenter.jp/hot_topics/kaou_1/
・参照:クリーンエイジ花王エコラボミュージアム(日本石鹸洗剤工業会 ) https://jsda.org/w/06_clage/4clean_kaiin_02.html
・参照:大人の社会見学・第0回花王和歌山工場編|美崎栄一郎 https://note.com/a16misaki/n/nfb0a727cd36d

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♣ ライオンミュージアム           

所在地:東京都台東区蔵前1-3-28 (ライオン本社)  Tel.03-6739-3711
HP: https://www.lion.co.jp/ja/company/history/museum/

ライオン本社(蔵前)

  → 歯磨きと家庭用洗剤のメーカー・ライオンの歴代製品とその歴史資料をバーチャルで紹介する博物館。ライオン創業期の資料、ライオンの「慈善券」事業、ライオン児童歯科院、学童歯みがき大会資料、プロ野球とライオン、変わった印刷物、口腔衛生映画の制作、洗濯の習慣づくりと資源の有効活用、ライオンと乗り物、人々を驚かせた宣伝・広告、ライオンゆかりの人物、といった構成になっている。これら紹介記事は、そのまま企業としてのライオンの事業展開を記す歴史資料となっている。
  ちなみに、ライオンは、花王などと並んで洗剤、歯磨剤、健康衛生用品などのトップメーカー。展示では、ライオン社が手がけた各種製品開発の歴史を時代に沿って紹介する形をとっている。こ例えば、日本の日常生活において、石鹸、洗剤用品の洗練化と進歩、種類の多様化が洗濯、台所、浴室のあり方を変え、歯磨き用品は口腔衛生改善に大きく貢献し、近代日本の生活様式や衛生習慣を大きく変えてきたのを示している。

ライオンの歯磨き、洗剤など
ライオンの歯磨き、洗剤など

<ライオン社の創業と発展>

❖ ライオンの源流と創業

小林富次郎商店
小林富次郎
高評石鹸広告

  ライオン社の基となる企業「小林商店」は明治初期に誕生している。創業者は若い明治期の起業家小林富次郎である。彼は、16歳まで家業である酒造業従事していたが、一家が経営不振に陥り破産、発意して1877年(明治10年)に上京。そして、墨田にあった石鹸工場「鳴春舎」に職工として働き始める。富次郎はこの工場での精励の結果、工場支配人にまで昇進して活躍する。しかし、後には鳴春舎自身が倒産して富次郎は苦汁を飲むことになる。この間、彼は眼病を煩いキリスト教にも入信している。 そして、10年余の労苦の末、1891年10月30日、東京神田に石鹸およびマッチ(燐寸)の原料取次ぎ「小林富次郎商店」を立ち上げる。この日が、現在、ライオン社創業の日となっている。商店の事業は、明治期の生活スタイル変化に対応して順調に拡大していった。富次郎は、これで満足せず、将来を見込んで石鹸の商取引だけでなく、その製造にも着手する。このとき売り出されたのが化粧石鹸『高評石鹸』である。品質もよく好評であったという。
また、洗濯用石鹸『軟石鹸』も同時期に販売をはじめた。

❖ ライオンの初期の商品開発―石鹸から歯磨きへ

獅子印歯磨
ライオン歯磨き音楽宣伝隊

  小林商店は、これら石鹸製造の成功を受け、新たな商品市場「歯磨剤」にも参入する。当時、口腔衛生の関心が高まる中、歯磨き剤の市場は広がりをみせていたが、品質、価格の点で問題を抱えていた。富次郎は、材料に工夫して品質を高め、1896年に第一号粉ハミガキ『獅子印ライオン歯磨』の発売にこぎ着ける。結果は大成功で、売れ行きは大きく伸びた。この好成績は、富次郎の正直な販売姿勢と品質へのこだわりにあったといわれる。同時に、斬新な宣伝・広告活動への取り組みが功を奏した点も指摘されている。音楽隊にのせての商品宣伝活動、大相撲イベントといった取り組みは、当時としては非常に斬新な取り組みであった。このため「ライオン歯磨」の名は一気に広まった。

歯磨き「慈善券」

 また、富次郎は、事業の成功を受け、社会への還元を志し、慈善事業に熱心に取り組むようになる。彼は、自己の病気や宗教意識も手伝って孤児院への多額の寄付を行ったほか、1905年には「慈善券付きライオン歯磨袋入り」を発売して、ビジネスと慈善活動の合一にも取り組むようになる。
 「慈善券」を慈善団体に持ち込むと、小林商店がその額を団体に寄付するという仕組みであった。また、岡山孤児院「ライオン館」設置、小林夜学校の開設なども行っている。これら取り組みは、小林商店の社会的評価を高め、商品の知名度と事業の発展にも大きく貢献したことは間違いない。

❖ ライオン社の商品開発の多様化>

ライオン社の事業展開
すみだ郷土文化資料館の特別展示(2022年)

  これら石鹸と歯磨き剤事業の発展を受け、小林商店は、新たな商品の開発と製品の多様化を開始する。この展開は、郷土資料館に展示されている数々の製品群によく反映されている。また、国内の市場拡大に次いで海外進出も図っていることも見逃せない。具体的に見ると、1907年に新製品開発のための「小林研究所」設置、1913年には学童向けの「ライオンコドモハミガキ」を発売、1914年には「萬歳歯刷子」。1920年には日本で初めての家庭用の植物性洗濯石鹸「植物性ライオンせんたく石鹸」を発売している。この間、組織的には、1919年石鹸部門を分離し「ライオン石鹸株式会社」を設立している。しかし、これらを主導してきた創業者の小林富次郎は、1910年、惜しまれながら亡くなり後身が事業を引き継ぐ形となった。 そして、歯磨き部門では、1921年「ライオン児童歯科院」を設立、1933年、「家庭洗濯相談所」を開設して、商品知識の普及と社会衛生意識の向上を図っている。

❖ 戦後の事業展開と近年の取り組み

  第二次世界大戦が終わり、戦後の新しい社会変化を受けてライオン社も新しい展開を見せる。まず、ライオン石鹸株式会社をライオン油脂株式会社に改称(1940年)、小林商店をライオン歯磨き株式会社に改称(1949年)、そして、最終的には、1980年に「ライオン株式会社」となって今日に至っている。
   商品面では、新たな生活文化の変容を取り込み、次々と新しい生活家庭用品を市場に投入する。この製品群出現は郷土館の展示によく表されている。 
 1948年には日本で初めてのフッ素入ハミガキ『ライオンFクリーム』を発売、1956年には食器洗い専用の台所用合成洗剤『ライポンF』、1961年、『ホワイトライオン』ハミガキ、ローションタイプの食器・野菜用洗剤『ママレモン』(1966年)、生分解性に優れた洗濯用洗剤『ダッシュ』(1967年)、無リン洗剤『せせらぎ』(1973年)、酵素パワーを生かした洗濯用洗剤『トップ』(1979年)、歯垢を酵素で分解するハミガキ『クリニカライオン』(1981年)、界面活性剤を使用した洗濯用洗剤『スパーク』(1991年)、化粧石鹸『エメロン植物物語』(1992年)、殺菌成分配合の『キレイキレイ薬用ハンドソープ』(1997年)。

戦後のライオン歯磨き商品
戦後のライオン洗剤商品


❖ 現在のライオン

 こうして、ライオンは、現在、花王などと並んで洗剤、歯磨剤、健康衛生用品などのトップメーカーとなっている。 博物館は、これらライオン社が手がけた各種製品開発の歴史を時代に沿って紹介するものであるが、同時に、これら用品が、どのように近代日本の生活様式や衛生習慣を大きく変えてきたのかを実感させてくれる。また、日本の日常生活において、石鹸、洗剤用品の洗練化と進歩、種類の多様化が洗濯、台所、浴室のあり方を変えたし、歯磨き用品は口腔衛生改善に大きく貢献していることがよく分かる。ライオン社はじめ生活衛生品メーカーの社会的貢献は大きいであろう。

・参照:すみだ郷土文化資料館の特集展示「すみだの石鹸 ・ライオン」― この地で130年―ライオン社の創業と商品開発― https://igsforum.com/2022/08/13/visit-lion-history-museum-jj/
・参照:ライオンの歴史(ライオン企業情報) https://www.lion.co.jp/ja/company/history/
・参照:ライオン年表(ライオン企業情報)https://www.lion.co.jp/ja/company/history/list/

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♣ ダスキンミュージアム(ダスキン)        

所在地:大阪府 吹田市 芳野町5-32  Tel.06-6821-5000
HP: https://www.duskin-museum.jp/ 

ダスキンミュージアム入口

  → 清掃業務や外食産業などを展開するダスキン社が運営する企業博物館。創業50周年記念の一環として2015年に開館されたもので、施設はダスキン社の二大事業を「おそうじ館」と「ミスドミュージアム」を軸にして展示を行っている。社名となっているダスキンは、英語の「ダスト」と日本語の「ぞうきん」の合成語といわれる。
 このうち、「おそうじ館」は化学雑巾ダスキンや掃除の歴史を学べるコーナー。ダスキン社の創業期からの沿革、掃除の道具と歴史を紹介すると共に、ゲーム方式によるダスキン体験、掃除法をわかりやすく解説している。例えば、ハウスダストを退治するシアターアトラクション「ダスキンダストバスターズ」では、戦闘機に乗りミクロの世界へワープ。ホコリのすみかになっている部屋を冒険し、迫り来るハウスダストをシューティングで撃退するといった、ワクワク感楽しみながら掃除について学ぶことができると言った工夫もある。また、ミュージアムは社のフランチャイズ事業ミスタードーナツの成り立ちも紹介、「ドーナツの森」を設けてドーナツ作りを体験できるコーナーも用意されている。

「ホコリの見える化」体験
ダスキンの歴代製品と歴史
ダスキンのおそうじ体験

<ミュージアムに見るダスキンの創業理念と事業展開>

鈴木清一
化学雑巾「ホームダスキン」(1964年)

    ダスキンは1961年に鈴木清一を創業者として誕生した新進企業。鈴木清一は、もともとは、ビルメンテナンスや清掃用品の販売を行う会社の経営者だったが、1959年、キリスト教精神に基づく企業の民主化を進めるDIA(Democracy in Action)運動の創始者メルヴィン・J・エヴァンズ博士に出逢うことで新しい理念による新事業の創始をめざしたという。氏との会合の2年後、清一は、1961年、DIA研修に出席のため渡米。そして、博士からセントラル・オヴァオール社の社長ルー・メンデルソン氏への紹介を受け、「ダストコントロールシステム」の技術を取得する。このシステムは、粉じんやホコリなどのダストを水を使わずに清掃用具に特別な吸着剤を含浸させて除去する方法であった。当時、日本の掃除といえば、ハタキ、ホウキ、雑巾が一般的な掃除道具であった。雑巾がけは水を使うので、特に冬場は家事を担う者には大きな負担となっていたものを改善する役割があった。清一は帰国後直ちにダストコントロール事業に着手。1963年に株式会社「サニクリーン」を設立。翌年、1964年に株式会社ダスキンと社名変更して、「ホームダスキン」という名前の化学雑巾を誕生させる。

<フランチャイズ制の導入>

  鈴木清一は、ダスキンに加盟店に商品や運営ノウハウを提供するフランチャイズシステムを導入したことでも知られる。当時は、フランチャイズは日本人にはなじみのない概念であったが、カナダのオヴァオール社が採用していたものを導入する形となった。ダスキンは、この経営システムをいち早く日本に導入したパイオニア的企業と目されている。
 また、契約家庭を訪問してレンタル品を届ける係に女性を積極的に登用。当時はまだ女性が職業を持つこともままならなかった時代、女性の社会進出にも貢献するなど画期的な取り組みとなったといわれる。

 <ドーナツ事業への参入>

日本の「ミスタードーナツ」(1970年)

  ホームダスキンの事業もようやく軌道に乗り始めた1968年、鈴木はフランチャイズシステムをさらに学ぶため渡米。訪問した先が、1955年にアメリカで開業した「ミスタードーナツ・オブ・アメリカ 」であった。当初はフードビジネスを始めるつもりはなかったようだが、店舗でドーナツを味わった鈴木は、そのおいしさに感動し、1970年に日本での事業展開を決断する。その後、ダスキンの二大事業の一つとなる新規ドーナツ事業への参入であった。
  「ダスキンの仕事は喜びのタネまきをすることです。喜びのタネをまくとは、徳を積んで徳者になるということ。そして結果として『利益と共に発展する』がもたらされる」が創業者の鈴木が残した言葉だという。ミュージアムは、冷たい水を使った雑巾掃除から人々を解放し、ドーナツでおいしい想い出 を提供。女性の社会進出を後押しし、環境問題にもいち早く取り組んできたダスキンの社会的役割を発信していく場となっているようだ。

・参照:ダスキン – Wikipedia
・参照:創業者の思い“喜びのタネをまく”ダスキンミュージアム(電通報) https://dentsu-ho.com/articles/8870
・参照:これまでの歩み | 株主・投資家情報 | 株式会社ダスキン https://www.duskin.co.jp/ir/investor/progress/
・参照:オープン10周年を迎えるダスキンミュージアムに新コンテンツ2種が登場! | 株式会社ダスキンのプレスリリースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000001055.000005720.html
・参照:ダスキンミュージアムの魅力を体験!ミスドと掃除の博物館|大阪観光ダスキンミュージアム』来館者60万人達成https://www.duskin.co.jp/news/2025/pdf/251017_01.pdf

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♣ HAMIGAKI MUSEUM | -歯みがきミュージアム

所在地:山口県防府市新田1丁目8-3 Tel. 0835-28-1310
HP: https://hamigaki-museum.jp/

歯みがきミュージアム

  → 医療法人恵生会グループが開設した日本初となる歯みがき博物館。世界の歯ブラシの展示、イベント、動画配信などを通じて、世界の優れた「歯みがき」を紹介している。ミュージアムでは、日本のオーラルケアの現状と問題点、世界的に赤信号レベルの日本人の口腔衛生状態、日本のオーラルケアの現状と問題点をテーマに日本の歯みがき改革を目指す展示を行っている。ここでは、予防先進国ヨーロッパの歯みがき事情、最新の歯みがき用品のデンタルフロス、電動歯ブラシ、ペンタゴン歯ブラシなどが紹介され、子どもの歯みがき習慣などについても解説がなされている。日本人成人の歯周病率8割と先進国中では赤信号レベル、日本は口臭 世界一??、予防先進国スウェーデン(ムシバ1/3、 歯周病1/4)といった興味ある事実も紹介されている。

館内展示
各種歯みがき具の展示

・参照:2000点のグッズが語る「世界の歯みがき事情」 全国でも珍しい歯みがきミュージアムが防府市に・・(山口放送ニュース動画)・https://news.ntv.co.jp/n/kry/category/society/kr2cedcca670ae4b21874d38b17d3927f5
・参照:歯みがきの「動き」に着目した 5角形の歯ブラシ https://newscast.jp/smart/news/0034453
・参照:歯の博物館|公益社団法人神奈川県歯科医師会 https://www.dent-kng.or.jp/museum/ja/

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<参考資料>

❖ 歯の博物館

所在地:神奈川県横浜市中区住吉町6-68 神奈川県歯科医師会館内 Tel. 045-681-2172
HP: https://www.dent-kng.or.jp/museum/ja/

歯の博物館のある会館ビル

  → 横浜にある「歯の博物館」は、江戸時代以前から現代までの歯ブラシや治療器具を紹介する資料館である。日本の近代的歯科医学は、開国後に来日した西洋人歯科医(米国人W.C.イーストレーキなど)が横浜の外国人居留地で歯科を開業したのがはじまりとされているが、これ強く意識した神奈川県歯科医師会の会長加藤益夫会長の発案により、1987年、神奈川県歯科医師会館内に開設したのが現在の歯の博物館。
  主な展示品としては、お歯黒、日本と外国の口腔清掃道具(楊枝、歯ブラシ、歯磨き)、日本の民間療法、歯の塚、日本と外国の入れ歯(木、金属、陶磁、象牙、ゴムなど)、江戸時代の歯科、日本と外国の治療器具、近代西洋医学の伝来、明治・大正・昭和の診療ユニット、歯の衛生週間ポスター、歯磨きの看板、広告、頭蓋骨などがある。中でも一式をそろえたお歯黒道具は博物館自慢の展示であるという。

館内の展示
明治大正期の診察台や器具

参照:木製入れ歯や診察台も 歯の博物館が開館30年 (カナロコ by 神奈川新聞) https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-24992.html
・参照:西洋歯科医学発祥の地・西洋歯科医学勉学の地~横浜~ https://www.yoritomo-japan.com/yokohama/sikaigaku-hassho.html

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❖  歯の博物館〜歯と口の健康ミュージアム〜(愛知県歯科医師会)

所在地:名古屋市中区丸の内3丁目5-18 愛知県歯科医師会館1階
HP: https://aichi8020.net/museum/

歯の博物館のある愛知歯科医師会

 → 愛知県名古屋にある「歯の博物館」は、歯や口の健康に関する歴史的資料や治療器具、口腔衛生用品を展示する専門博物館。江戸時代の入れ歯や昭和初期の診療室、歯の構造模型など、4つのゾーンで歯科医療の歴史や知識を展示している。特色ある展示としては、江戸時代の「お歯黒道具」や木製の入れ歯、昭和初期の治療椅子などがあり、歴史的な資料が豊富にみられる。

昭和初期の治療椅子
歯虫の復元模型

・参照:「歯の博物館」で見るディープな歯科の世界(1回/全4回) |underZero https://note.com/underzero/n/nb15bb13118f4

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❖ 東京医科歯科大学 歯学博物館

所在地:東京都文京区湯島1-5-45 東京科学大学 湯島キャンパス内 Tel. 052-962-8020 
HP: https://www.dent.tmd.ac.jp/museum.html

東京医科歯科大学

 → 東京科学大学(旧 東京医科歯科大学)歯学部では、1983年から各方面のご協力のもとで、歯科に関わる歴史的に貴重な資料の収集を行っていたが、1989年に同大学歯学部に資料室を開設。この開設15周年の2003年に資料室をさらに発展させるべく誰もが勉強できる博物館にすることが計画され、約1年をかけて陳列ケースの増設、収蔵品の整備を行い、2005年にようやく整備が整い歯の博物館となった。2020年には、これが15年ぶりに全面改修され「歯学博物館」としてリニューアル・オープンしている。収蔵品には、世界で唯一現存する江戸時代後期の木製のポストクラウンのほか、江戸時代後期の木製の総義歯、喜多川歌麿、勝川春英などの口に関係した錦絵、お歯黒の人工歯、江戸時代の解剖学の教科書、お茶の水風景の錦絵、旧東京医科歯科大学の創立当時の資料などがある。歴史的にも貴重な物も多く、歯科医学の歴史的な変遷を垣間見ることができる内容となっている。

資料館内の展示コーナー
お歯黒の錦絵
「保歯新論」

・参照:お知らせ – 東京科学大学病院 医科(医系診療部門)https://www.tmd.ac.jp/medhospital/topics/250331/index.html
・参照:東京医科歯科大学歯学部 展示資料室 展示・収蔵品目録https://www.dent.tmd.ac.jp/files/museum_inventiry.pdf

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(化粧品の博物館)

♣ 資生堂企業資料館

所在地:静岡県掛川市下俣751-1
HP: https://corp.shiseido.com/corporate-museum/jp/

資生堂企業資料館

  → 資生堂の化粧品事業の歴史と日本の化粧文化の関わりなどについて展示する企業博物館。創業120周年を迎えた1992年に静岡県掛川市にて開設された。資料館では、資生堂と日本の化粧文化の関わりをテーマに、現在までの資生堂の歩み、商品パッケージ、企業ポスター、新聞・雑誌広告、テレビCMなどの広告関連資料、コスチュームの変遷などを展示するほか、江戸時代の化粧道具、銀座や女性に関する貴重な資料を収蔵・展示している。
  展示品では、1897年(明治30年)資生堂創業者福原有信が日本で初めてつくった化粧品「オイデルミン」、1915年、後継者信三が欧米留学の知識と経験を生かして開発した化粧品「フローリン」、「着色福原粉白粉七種(七色粉白粉)」(1917年)。資生堂初の香水「花椿」(1917年)、「コールドクリーム」(1918年)などが目立つ製品がならんでいる。

館内の商品展示など
デザインパッケージ展示
歴代のポスター展示

❖ 展示に見る資生堂の創業と化粧品

福原有信
銀座「資生堂薬局」

 海軍病院薬局長だった福原有信が矢野義徹と前田清則とともに「三精社」を興し、1982年(明治5年)、日本初の洋風調剤薬局として東京・銀座に「資生堂薬局」創業したのが現在の資生堂のはじまりとされる。当初、育毛剤(1880年)、練歯磨「福原衛生歯磨石鹸」(1880年)を製作販売していたが、1897年に高等化粧水「オイデルミン」発売して化粧品業界へ進出した。1915年には商標「花椿」制定して、1917年に「七色粉白粉」発売、また、日本で最初の本格的香水「花椿」発売して化粧品業の基礎を固め、翌年には「資生堂コールドクリーム」製作販売している。1921年になると経営指針「資生堂五大主義」制定し、1922年、「美容科」「美髪科」「子供服科」開設、1919年には大阪・心斎橋に支店開設、画廊資生堂ギャラリーなども設立するなど業域を広げていった。1921年には天然菊をモデルに調香した、純日本調の香水「菊」も発表している。一方、資生堂本拠である東京銀座の薬品部と化粧品部の建物が倒壊して大きな打撃も受けている。この頃から災害の経験も生かし、各地にチェインストア制度を採用してビジネスの広域化も図る一方、化粧品開発では「モダンカラー粉白粉」(1932年)を発表している。

衛生歯磨石鹸
オイデルミン
「七色粉白粉」
香水「花椿」
資生堂コールドクリーム
戦後、資生堂の広告ポスター
ドルックス

  戦後になると「潤性歯磨」(1947年)、「ドルックス」(1951年)、天然の白バラをイメージした香水「ホワイトローズナチュラル」(1954年)などを発売、1953年には資生堂美容研究所、1959年、「資生堂美容技術専門学校を開設、また、1956年、東京・渋谷に総合美容サロン1号店オープンして戦後発展の基礎を築く。1980年代になると、フランス・パリに合弁会社「シセイドウ フランス」(1980年)を設立、中国でも北京にシャンプー、リンスの生産を開始するなど海外進出も図っている。
  一方、資生堂は、1987年、資生堂薬品株式会社を設立一般用医薬品事業にも参入、1991年には資生堂として初めてのエステティックブランド「Qi」を開発、エステティック事業へも進出している。これらの発展を受け、2001年に東京銀座資生堂ビル完成、2003年本社機能の大部分を同年竣工した汐留タワーに移転させている。
  現在は、業界全体の厳しい現状の中で2030年に向けた「2030 中期経営戦略」を策定、注力ブランドへの選択と集中、グローバルな視点での構造改革を行い、ブランド価値を最大化するため様々な取り組みを図っているという。

資生堂エスパークミュージアム
資生堂銀座本店

・参照:Shiseido Beauty Park | 資生堂  https://shiseidobeautypark.shiseido.com/・参照:The Shiseido Philosophy | 企業情報 | 資生堂 企業情報https://corp.shiseido.com/jp/company/philosophy/
・参照:中長期経営戦略 | 投資家情報 | 資生堂  https://corp.shiseido.com/jp/ir/strategy/
・参照:資生堂企業資料館 – Wikipedia

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♣ ホーユーヘアカラーミュージアム

所在地:名古屋市東区徳川町903 Tel. 052‐559-4931
HP: https://www.museum.hoyu.co.jp/ 

ホーユーヘアカラーミュージアム

 → 頭髪化粧品メーカーのホーユーが創立100周年記念事業として建設したヘアカラーに特化した企業博物館。当初、社員用施設として利用されたが、2023年、一般向けにオープンした。館は1階が企画展示室、2階が常設展示室、3階がホーユー展示室となっており、常設展示室では、ヘアカラーの歴史に関する展示やヘアカラーの魅力を体感できるアトラクションを設置、展示室では、社史や製品開発、安全性への取り組みに関する展示が行われている。この博物館では髪色を通じて多様な文化や価値観が表現されている珍しいミュージアムとして知られている。
    このうち、常設展示室の「日本のヘアカラー史エリア」では、自然な黒の時代、化学の黒の時代、カラーの時代、多様性の時代と分けられており、それぞれの時代の髪の文化や技術を解説している。「ヘアカラーの魅力体感エリア」には、シミュレーターによる”なりたい自分を探す”(フォトウォール)で、普段できない髪色や髪形を疑似体験ができるコーナー、カラーリングの種類によりr染まる仕組みがわかるミクロラボ・コーナー、色の仕組みが分かるなどが用意され、ヘアカラーの魅力を体験することができる。

ヘヤーカラー体験室
ホーユーの令嗣展示
ホーユーの歴代製品


 ホーユー展示室は100年以上の歴史を持つ同社「会社史」「製品開発」「安全性への取り組み」の3つの視点から紹介、研究資料や製品に関する看板などの宣伝広告資料なども展示されている。ちなみに、ホーユーは、ヘアカラー業界の国内最大手として、「Bigen(ビゲン)」、「Cielo(シエロ)」、「Beauteen(ビューティーン)」、「Beautylabo(ビューティラボ)」など、数多くのブランドを展開している。

・参照:hoyuの歴史 | 会社情報 | ホーユー株式会社https://www.hoyu.co.jp/about/history/
・参照:ヘアカラーの歴史や文化を発信 日本初ヘアカラー特化のミュージアムがグランドオープン – SHINBIYO PLUS Web NEWS  https://www.shinbiyo.com/spwnews/?p=13261

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♣ 紅ミュージアム(伊勢半)

所在地:東京都港区南青山6-6-20 K’s南青山ビル1F
HP: https://www.isehan-beni.co.jp/museum/

紅ミュージアム入口

  → 化粧品メーカー伊勢半の運営する伝統的な顔料「紅」(べに)を紹介する博物館。「紅を見て、紅に触れ、紅を知る」をコンセプトに、“紅”の歴史と文化、江戸時代から続く紅作りの技を伝える施設として設立された。博物館では、「紅」の歴史的背景や諸相を紹介する資料室と「紅」の色彩的な魅力を体験できるサロンとによる2つのゾーンから構成されている。 資料室では紅花の歴史、紅屋の製造風景・マーケティング、江戸の化粧文化等を紹介。関連資料として、江戸時代から明治・大正期に使用された化粧道具、紅作りの道具、絵画、文書を展示。サロンでは伝統製法で作られた口紅「小町紅」の体験ができるコーナーも設けられている。

ミュージアムの展示コーナー
「紅」の歴史と製品展示
「紅」の商品見本
紅(べに)
明治期の伊勢半店『東京商工博覧絵』 

   ちなみに、紅(べに・くれない)」とは、キク科の植物である「紅花」から抽出される希少な赤色色素、および鮮やかな赤色のことを指すが、日本では、江戸時代より紅花から作られた伝統的な口紅を「小町紅」と呼び化粧品として広く使われてきている。また、ミュージアムを運営する「伊勢半」は、江戸時代1825年に、澤田半右衛門が同店を創業したのがはじまりで、玉虫色に輝く小町紅を開発して人気を博しかつて「江戸一の紅屋」といわれたという。その後、戦後1945年、澤田半右衛門商店として再建、素材も替えてた物性油脂やラノリンを配合したヒット商品「キスミー特殊口紅」を発売する。そして、1947年に社名が現在の伊勢半になっている。

・参照:伊勢半についてhttps://www.isehan-beni.co.jp/company/
・参照:世界にたった2人の職人がつくる伝統コスメ。伊勢半本店の「紅」https://story.nakagawa-masashichi.jp/10210
・参照:紅とは | 文政8年創業 最後の紅屋 | 伊勢半 紅 https://www.isehan-beni.co.jp/beni/
・参照:明治期の伊勢半店『東京商工博覧絵』 明治18年 https://www.isehan-beni.co.jp/company/

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♣ クラブコスメチックス文化資料室

所在地:大阪市西区西本町2-6-11 タイヨービル1階 Tel. 06-6531-2997
HP: https://clubcosmetics.net/museum/1772

クラブコスメチックス本社

  → クラブコスメチックス社の前身は中山太陽堂であるが同社のポスターや広告物、発売製品など中心に展示している資料館。同社の創業時の明治末から現在までの昭和初期・昭和期・現在と3つのコーナーに分けられ展示されている。製品展示では、1911年の「クラブ白粉(おしろい)」、1935年「薬用 クラブ美身クリーム」などのヒット商品、大正期の「クラブ白粉」などのカラー広告、配達と宣伝を兼ね備えた荷車広告、当時話題となった芸者をモデルにした美人写真ポスター、同社傘下の「プラトン社」出版した雑誌「女性」「苦楽」なども見ることができる。

展示コーナー入口
館内展示
中山太一
「クラブ洗粉」の広告(1906)

  ちなみに中山太陽堂は1903年(明治36年)中山太一が神戸で洋品雑貨・化粧品の卸売業「中山太陽堂」を創業、商標を「クラブ」とし1906年に「クラブ洗粉」を発売したのがはじまりであった。その後、「クラブ白粉」や「クラブ歯磨」などを発売してヒット。1918年には、大阪市南区水崎町に本店と工場を建設。1922年には、自社化粧品宣伝のため広告社・出版社「プラトン社」を併設、女性文芸誌『女性』(1923年)、文芸雑誌『苦楽』などを生みだし、PR誌の域を超えた総合文芸誌となって社会的インパクトを与えている。1924年には創業20周年を記念し「中山文化研究所」を設立、1939年には太陽製薬株式会社を東京に設立している。

クラブ白粉と薬用 クリーム

  戦後になると、1951年にクラブ化粧品などの売り上げが「月で一億円突破」するなど好調であったが、注力していた広告・出版でつまずき業績が悪化、1970年「クラブ商事」を設立して製造・販売の両部門を分離する。また同年11月には「マリークヮント・コスメチックス・ジャパン」を設立、1971年、中山太陽堂から現社名の「クラブコスメチックス」に商号変更している。2000年以降の現在は、洗顔不要のロングセラー「すっぴんパウダー」などのスキンケア・メイクアップ商品の展開や、マリークヮントのコスメラインの展開を主力として事業を行っている。また、2010年には「文化資料室」をリニューアルオープン、「文化に深く関わる」という創業以来の伝統を守り続けている。

・参照:会社概要|株式会社クラブコスメチックスhttps://clubcosmetics.net/company/profile/
・参照:沿革|株式会社クラブコスメチックスhttps://clubcosmetics.net/company/history/
・参照:クラブコスメチックス – Wikipedia

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♣ 化粧文化ギャラリー (ポーラ文化研究所)

所在地:東京都港区南青山2-5-17 ポーラ青山ビルディング1F
HP: https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/gallery/

ポーラ文化研究所のあるポーラ青山ビル

 → 資生堂などに次ぐ有力化粧品メーカー・ポーラにより化粧文化の普及と探求のため設立されたのが「ポーラ文化研究所」。1976年の開設以来、デジタルミュージアム、化粧文化ギャラリーを設け、化粧と生活の調査などの活動も行っている。このうち、デジタルミュージアムではポーラ文化研究所設立以来の展覧会内容をデジタルで再構築して提供。「化粧文化ギャラリー」では、“美容・化粧・よそおい”の観点から蓄積してきたコレクションを「Art」と「Books」の2エリアで紹介。Artコーナーでは、美のあり様を映し出す化粧道具や装身具、化粧シーンを描いた絵画、ファッションプレートなどを展示し、Booksコーナーではテーマから得た知見を書籍紹介の形で掲示している。
 また、上記とは別に日本の化粧文化の歴史を「日本の化粧文化史」をテーマに、インターネットで発信する形で連載している。2024年には「近代化粧の幕開けー明治時代6―『美意識の変革<髪型:日本髪から束髪へ>』(2024.11.28)、2026年には「ポーラ文化研究所 50 周年記念展『モダンビューティー 近代の化粧文化』(2026.03.26)などが掲載されている。

ポーラ・デジタルミュージアム
文化ギャラリーの展示
結髪雛型の展示

・参照:ポーラ文化研究所デジタルミュージアム(https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/digitalmuseum/
・参照:近代化粧の幕開けー明治時代6 美意識の変革( ポーラ文化研究所)https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/culture/cosmehistory/34.html
・参照:ポーラ文化研究所 50 周年記念展「モダンビューティー 近代の化粧文化」https://www.cosmetic-culture.po-holdings.co.jp/focus/information/260326_70.html
・参照:南青山にオープン!「化粧文化ギャラリー」で知る化粧の歴史と面白さ | 港区観光協会 | VISIT MINATO CITY – 東京都港区の観光情報公式サイトhttps://visit-minato-city.tokyo/ja-jp/articles/582

<ポーラ化粧品の創業と文化研究所>

  株式会社ポーラは東京・品川区に本社を置く化粧品の製造販売を行う企業。創業は1929年で、鈴木忍が静岡市で化粧品の訪問販売を主とする個人事業として発足した。妻の手荒れのために作ったハンドクリーム販売がきっかけで始まったとされる。1940年には鈴木によりポーラ化成工業として法人化している。1954年に静岡工場を新設したが、創業者の鈴木忍が急死、長男の鈴木常司が2代目社長に就任し、1996年まで42年にわたって事業を主導している。この間、1964年に横浜研究所設立、1976年袋井工場を新設、1984年、オルビスを設立して化粧品通販に本格参入、1985年実験店舗を開設するなど業績を伸ばしている。1976年には、上記の「ポーラ文化研究所」も設立。1993年には、コンビニエンスストアやスーパーで販売される基礎化粧品・トイレタリー商品部門を扱う子会社「ポーラデイリーコスメ」を設立している。

乳液「銀の流れ」(1946)
初のフォーム状パック(1958)
スキンケア「ポリシマ」(1972)

 現在のポーラは、スキンケアやエステなど「美」を多角的にサポートする事業、販売チャネルの多様化とブランド強化を両立させル一方、創業以来受け継がれる「美と文化」を重視する理念に基づき、美術館の運営や化粧文化の研究など多彩な文化活動を積極的に推進しています。この方向性は箱根のポーラ美術館(2002年)や銀座にポーラ ミュージアム アネックス(2002年)を開設のほか、ポーラ文化研究所の積極的な活動にもよくみてとれる。
・参照:ポーラ (企業) – Wikipedia
・参照:ポーラ文化研究所の活動と今後の展望について(京都芸術大学芸術教養学科WEB卒業研究展)https://g.kyoto-art.ac.jp/reports/11912/

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♣ ファンケル ヒストリーミュージアム

所在地:神奈川県横浜市栄区飯島町109-1 045-890-1598
HP: https://www.fancl.jp/factory/history/index.html

  → 化粧品・健康食品メーカー・ファンケルの創業や社歴、生み出してきた製品など展示・体験できる企業博物館。元々は社員用の研修施設として設立されたが、2023年から一般公開を開始している。ファンケルの無添加化粧品は敏感肌やアトピー性皮膚炎などの皮膚障害に悩む人々に支持されている。この無添加化粧品を開発した創業者の人物伝、美と健康の事業やサービスの変遷と理念、ものづくりの姿勢などを詳しく紹介している。見学では、見るだけでなく体験できる仕掛けも用意され、ミュージアムのナビゲーターがご案内してくれる。
  ちなみに、ファンケルは、1980年、池森賢二が無添加化粧品の製造・販売を個人事業として創業したもので、老舗企業の多い化粧品業界では後発の企業にあたる。1981年8月には法人化し「ジャパンファインケミカル」となり、翌年に「ファンケル」へ商号変更している。ファンケルは、創業以来、無添加にこだわりつづけている化粧品メーカーで、マイルドクレンジングオイル、洗顔パウダー、スキンコンディショニング洗顔などの商品を生み出し、既存の大企業に対抗するべく新商品の研究開発に注力している。また、1990年代には健康食品事業に進出し、1994年にはサプリメント28品目の通信販売を開始している。健康食品がまだ高価だった1990年代、ファンケルは高品質・低価格なサプリメントを販売し、健康食品を一気に身近なものにした功績は大きいとされる。2000年代になると、ダイエット用サプリメント「カロリミット」、「ファンケル青汁」(各2000年)などを幅広く発売している。

館内展示コーナー
ファンクル商品群展示
無添加化粧品見本

・参照:ファンケル – Wikipedia
参照:FANCL ファンケルhttps://www.fancl.jp/

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(化粧品 了)

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家具・インテリアの博物資料館(博物館紹介)

(現在作業中)

  ー家と社会を豊かにする生活文化材インテリアの歴史と技術をさぐるー

❖ はじめに

 家具は家の内外で生活を支える日用財であり使い勝手と見栄え重視され、その製作は日本の伝統的な木材加工産業の一つとして発展してきた。また、インテリアは室内の環境を整える装飾財であり、近年特に注目される産業分野となっている。これら家具やインテリア製作ではデザインや機能が重視され、工芸的な要素と工業的な側面を併せ持つ複合的な産業として発展が図られてきた。 これらを踏まえ、今回は家具とインテリア関連産業の博物館を、産業の歴史、技術、伝統、製作過程などに注目して紹介してみることにした。これらは日本の伝統工芸、地場産業の近代化を見る上でも貴重であるように思える。

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♣ 東リインテリア歴史館

所在地:兵庫県伊丹市東有岡5丁目125番地 Tel. 06-6494-6622
HP: https://www.toli.co.jp/museum/

東リインテリア歴史館

 → 1919年に創業した住宅建材メーカー東リ((TOLI Corporation)旧東洋リノリユーム)の企業歴史館。1920年に本館事務所として建設した木造2階建ての建物を転用して2019年に開館している。この東洋リノリユームは日本で初めてリノリウム床材を製造した会社で、内装材のトップメーカー。ビニール床材やカーペット、カーテン、壁紙などを手掛けている。この歴史館では、創業当時から現在に至るまでの企業発展の歴史、製造商品や建築材の技術展開、インテリア産業の歩みなどを時代背景と共に紹介している。展示品では、国内初のリノリウム現物や創業時の製品、貴重なカタログ、ビニール系床材、カーペット、床材・壁紙の技術や歴史的な資料が見られる。なお、歴史館の建物は大正モダニズム期から現存する貴重な建築として国の登録有形文化財に指定されている。

館内展示コーナー
社歴と製品展示

 歴史館では、館内のサイト東リ百年の歩み(創業百年記念サイト)に同社の創業やその後の発展、開発した商品群などを詳しく紹介している。

<東リの創業と発展>

寺西福吉
創業当時の東リ伊丹工場

 これをみると、創業者は寺西福吉という事業家で、1887年(明治20年)、稲わらを応用して床敷物「平織織物」(由多加織)を完成させたのが起業のはじまりである。そして、1891年に寺西由多加織合名会社を設立、兵庫県伊丹で「由多加織」製造工場を建設して事業の基礎を固めた。その後、床材の需要が増す中、1919年に寺西の企業活動を引継ぎ、寺西福吉を含む山口財閥の関係者が発起人となって日本初の国産リノリウム(床材)を製造販売する新会社「東洋リノリユーム」が設立された。これが東リの創業につながっている。ちなみに、リノリウム (linoleum) は、亜麻仁油(あまにゆ)などの乾性油を加熱酸化させたものに、コルク粉や顔料ほかを混入し麻布に圧着して作る床仕上材で、当時、この製品は外国産に限られていた。
  このリノリユーム事業は市場の拡大を受け、創業から4年半の1923年には黒字に転換し、先進国並みの製品を生産できるようになる。1923年には常務取締役の山口半兵衛が海軍省や海軍工場での売り込みに成功している。

昭和初期のリノリウム施工
リノリウム品質試験
(艦船ドック)
大丸 心斎橋店で採用

 

<東リ事業の躍進>

   昭和期に入ると海軍の買い上げ量は拡大、事業は順調に発展していく。その後は、軍関係だけでなく家庭・住宅用、列車や船舶などの業務用にも幅広く利用されル用になる。戦後、リノリュームがビニルタイルなどに取って代わられるのに伴い、東洋リノリユームは、カーペット、壁紙、カーテンなどの家庭用インテリア製品の製造に転換し、1970年代にはリノリユーム生産から撤退している。そして、1991年には社名を「東リ」に変更している。2006年、三菱レイヨンからカーペット製造事業を譲り受け、タイルカーペット市場のシェア過半数を取得する。2011年には、アメリカのカーペット団体CRIが推進する環境ラベル「グリーンラベルプラス」を日本企業としては初めて取得した。
 これらを受け、2019年には、成長の証として東リインテリア歴史館を本社敷地内に開設している。現在、東リは『創業百年』(2019年)という大きな節目を迎え、長期ビジョン〈TOLI VISION 2030〉“ライフスタイルをデザインする企業へ”を掲げて、「カーペット」「壁紙」「カーテン」の4分野を中心に、様々な機能やデザインを追求するインテリア事業の一大総合メーカーとなっている。

置床式簡易二重床「フレックスタイル」発売(1987年)
大宮ハタボール
「グレースカーペット」1970年

・参照:東リ会社概要 https://www.toli.co.jp/company/company_outline.html
・参照:百年の歩み | 東リ創業百年記念サイト)https://www.toli.co.jp/100th/history/
・参照:東リ会社紹介:https://pdf.irpocket.com/C7971/xivA/JJNj/MaZm.pdf
・参照:東リ – Wikipedia

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♣ INAXライブミュージアム

所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130 Tel. 0569-34-8282
HP: https://livingculture.lixil.com/ilm/

  → 住宅設備機器・建材などの総合メーカーINAXが運営するインテリアの文化施設。同ミュージアムはINAX発祥の地で日本六古窯の一つに数えられる“やきものの街”愛知県常滑市に開設されている。施設内は、「窯のある広場・資料館」「世界のタイル博物館」「トイレの文化館」「建築陶器のはじまり館」「土・どろんこ館」「陶楽工房」「やきもの工房」の7館から成り、土とやきものの歴史や文化、美しさや楽しさを伝える活動を展開している。

窯のある広場・資料館の内部

 このうち、「窯のある広場・資料館」では、大正時代に建造された土管工場の大きな窯と建屋、煙突を保存・公開、大正から昭和40年代にかけて隆盛した常滑の土管産業の様子を今に伝えている。「トイレの文化館」では、日本のトイレ発展を昔の木製や陶磁器製の非水洗便器から水洗化を経て発展して空間としても充実してきた様子を紹介。「世界のタイル博物館」は紀元前から近代までの世界の装飾タイル7000点以上を収蔵、タイルの魅力を伝えるタイルの専門博物館。「建築陶器のはじまり館」は、大正から昭和初期に次々と建てられた近代住宅の外壁を飾った「建築陶器」と呼ばれる芸術性の高いやきもの製のタイルとテラコッタ展示。「土・どろんこ館」では、やきものの原料である土の展示や体験教室を開催、「陶楽工房」では陶を使った豊富なメニューで“ものづくり”を楽しむ体験教室を開催している。これら各々が、土とやきものの歴史や文化、ものづくりと人々の生活をつなぐ展示と体験の場を提供する建築、インテリアの総合情報博物館となっている。

トイレ文化館内部
世界のタイル博展示
テラコッタ展示

・参照:https://dailyblogigs.com/2024/10/04/semento-to-renga-m-jj/
・参照:INAXライブミュージアム: コレクションデータベースhttps://jmapps.ne.jp/ilm/
・参照:知識・研究・学ぶ(INAXライブミュージアム) https://livingculture.lixil.com/ilm/learn/knowledge/#knowledge
・参照:常滑焼ポータルサイトhttps://www.tokoname-kankou.net/tokonameyaki/

<インテリアの総合メーカーINAXの創業と展開>

伊奈初之丞
初期の伊奈製陶所工場

  INAXの前身である伊奈製陶の起源は、1887年(明治20年)、陶工であった伊奈初之丞が陶管の製造を開始したことがはじまりといわれる。そして、1921年に初之丞は大倉陶園創業者である大倉和親の支援を受けて匿名組合「伊奈製陶所」を創業、陶管(土管)やタイル等の建設用陶器を作り始める。1924年には長男である伊奈長三郎が、森村グループ傘下のタイルメーカーとして伊奈製陶株式会社が成立される。この伊奈製陶は、その後、セントルイスで開催された世界大博覧会に「陶管」を出展して銅賞を受賞、帝国ホテル二代目本館(ライト館)の建築陶器を製作するなどの活躍をとげている。

「陶管」
帝国ホテルに納めた建築陶器

  1985年、伊奈製陶は株式会社イナックス(INAX)に商号変更。2001年には、アルミサッシなどを手掛ける建材メーカー大手のトステムとの経営統合により「INAXトステム・ホールディングス」となり、2011年4月、トステム、新日軽、東洋エクステリア(TOEX)、LIXILと合併し、サンウエーブ工業などを統合して、新会社株式会社LIXILが誕生、現在に至っている。

INAX(LIXIL)の現在

  そして、INAXは同社における製品ブランド名の一つとなった。そして、常滑市のINAX本社は「LIXIL常滑本社」となっている。  なお、現在、トイレや洗面器などの衛生陶器では、TOTOと同社で日本国内シェアの9割程度を占める。便器のシェアはTOTOが約60%でINAXが約30%、温水便座のシェアはTOTOが約55%でINAXが約25%であるという。また、タイルについてINAXは世界最大のメーカー商品であり、内装用建材「エコカラット」などの独自品も発売している。

・参照:伊奈製陶・INAX ものづくりのはじまりhttps://livingculture.lixil.com/ilm/learn/knowledge/knowledge_spirit/
・参照:INAX – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/INAX
・参照:「企業は社会の公器」を実践するINAXライブミュージアム (電通報)https://dentsu-ho.com/person/2215
・参照:なんとかせにゃあクロニクル ―伊奈製陶100年の挑戦―|展示|観る|INAXライブミュージアム https://livingculture.lixil.com/ilm/see/exhibit/inaseito/

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♣ ベネッセハウス・ミュージアム

所在地:香川県香川郡直島町琴弾地
HP: https://benesse-artsite.jp/art/benessehouse-museum.html

ベネッセハウス・ミュージアム

  → 直島は、1917年に三菱金属鉱業の銅製錬所が建造され、工業の島として栄えたが、煙害で第二次世界大戦後の時点で直島は森林がほとんど存在しない島となっていた。このため、1950年代以降より段階的な緑化工事が実施され、現在の姿に復元された。その後、この島ではベネッセが主導した「直島プロジェクト」がはじまって、現代美術を取り入れた国際的な観光の島へと変貌を遂げた。ベネッセハウス ミュージアムは、これを背景として、1992年に開館した「自然・建築・アートの共生」をコンセプトにして誕生した美術館とホテルが一体となった施設。瀬戸内海を望む高台に安藤忠雄の設計によって建てられた施設内に、絵画、彫刻、写真、インスタレーションなどアーティストたちが制作したサイトスペシフィック・ワークが展示されている。かつて鉱害で荒れていた直島の自然を取り戻した中で、自然とアートと建築が融合する稀有な場をつくりだす場となった。また、島の点在するサイトに現代建築に触発された作品をアートと建築そして自然が融合する稀有な場をつくりだしている。インテリアに関する展示作品も多い。

博物館内部
かつての直島
現在の直島

・参照:直島 – Wikipedia
・参照:繁栄の代償|新瀬戸内海論 島びと20世紀 | 四国新聞社https://www.shikoku-np.co.jp/feature/shimabito/3/9/
・参照:直島文化村公式ページhttps://www.naoshima-is.co.jp/
・参照:直島アート巡り完全ガイド!地中美術館から直島新美術館まで見どころを紹介 – 日本楽しいパスhttps://travelcontentsapp.com/jp/guide/kagawa/b602/

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♣ 家具の博物館(フランスベッド)

所在地:東京都昭島市中神町1148 フランスベッド東京工場敷地内 Tel. 042-500-0636 
HP: https://www.kaguhaku.or.jp/

家具の博物館入口

 → 家具の博物館はフランスベットの運営による世界と日本の家具を紹介・展示する博物館。フランスベッドの創業者池田実がグループ各社の協力を得て収集した家具類を収蔵するため、1972年に作られた「家具保存協会・家具の歴史館」が基となっている。池田実氏は、急速な住環境の変化によって散逸しがちな家具を収集保存して後世に伝えようとする情熱により誕生したものだった。その後、1979年、「家具の博物館」と改称、家具を収蔵・展示するための博物館となった。現在、博物館は、「家具の伝統-継承-創造」をテーマとして活動を続けている。当初は箪笥や椅子を中心に資料は900点ほどであったが、現在では1800点余りに達している。収蔵資料は、収納具、照明具、暖房具、容飾具、飲食具、座臥具などで、80坪ほどの展示場に180点ほどが常時展示されている。
 展示の中には、西洋クラシック家具、アジア、南米の椅子、例えばインドネシアの「丸彫りの椅子」、日本のものでは床座生活の収納具や化粧装具、江戸時代の薬箪笥、車長持、箱枕などがあり、世界と日本の生活スタイいるに応じて使用された数多く多様な家具が見られる。

椅子のコレクション
歴史的なタンス展示
西欧のクラシック家具

・参照:家具の博物館 | アイエム[インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/museum/2207
・参照:家具の博物館:いろんな椅子や箪笥の玉手箱!(ムッシュカブ)https://note.com/monsieurcub/n/n233dcc3a9c36
・参照:家具の博物館 「日本と世界12カ国のデザイナーズチェア展」開催ー 約30点で近現代の椅子史を俯瞰ー http://www.homeliving.co.jp/20251001/kaguhaku

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♣ 枕博物館(富士ベッド工業株式会社)

所在地:埼玉県加須市新利根2-8-3
HP: https://fujibed.com/pillow-museum/

「枕の博物館」の富士ベッド社

  → 「枕の博物館」は世界と日本の多様な形態のまくらを時代ごとに分けて詳しく展示する枕専門の博物館。埼玉の富士ベッド縫製工場内研究設備に併設されている。博物館の説明では、「人生の三分の一の時間は“寝て暮らしている”中で、快適な睡眠は最も重要な健康の指標とされる。この睡眠にとって枕は最も重要な道具の一つとなっている」とする。このことをよく理解させてくれるのがこの博物館である。世界には、様々な種類の枕があり、季候風土、時代や生活スタイルによって、その使われ方、材質、形が大きく異なっている。例えば、古代では陶器や木枕などが主流で、陶器の枕は中国で使われたとされ、日本では箱形枕が多かったようだ。現在、日本では綿や羽毛、ファイバーなどを使ったソフトで低反発のものが選ばれる。博物館では、このように寝具道具としての枕の効用と歴史をわかりやすく解説してくれる。たかが枕とはいえない深い眠りと生活文化の意味を改めて感じさせる博物館である。

館内枕展示
中世の陶器枕
アフリカの枕

・参照:『江戸まくら』プロジェクト始動開始! 富士ベッド工業株式会社のプレスリリースhttps://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000054.000140619.html
・参照:社長百景|誠実な枕づくりを貫く富士ベッド工業の変遷(前編)  https://integrity-sbp.com/media/contents/fujibed-part1
・参照:社長百景|誠実な枕づくりを貫く富士ベッド工業の変遷(後編)  https://integrity-sbp.com/media/contents/fujibed-part2
・参考:枕の博物館(白崎繊維工業)https://www.sirasaki.co.jp/makura-hakubutukann/makura-hakubutukann01.html
・参考:札幌の「世界のまくら博物館」https://www.hokkaido-np.co.jp/article_photo/list?article_id=1279945&pid=15318892

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♣ 大川ウッドワークミュージアム

所在地:福岡県大川市大字三丸1231-2  Tel. 0944-87-2664
HP: https://woodworkmuseum.jimdofree.com/

大川ウッドワークミュージアム

  → 福岡県大川市は日本有数の家具産地として知られ、家具の生産高日本一を誇る。この大川の匠によるデザイン性に優れた建具、彫物家具、インテリアを数多く展示しているのが「大川ウッドワークミュージアム」。大川市内の私設公園「ARBOR(アーバー)」に開設されている。大川市の家具づくりのルーツは室町時代まで遡るというほど古い。大川は江戸時代には榎津と呼ばれる船大工が多く住む港町で、木工技術が長く受け継がれてきた地域であったという。ここでは明治以降になると、木工産業、特に家具・建材づくり年々盛んになり、やがて家具の生産高が日本一に発展していったという。 こういった伝統と現在の大川家具の伝統を受け継ぎ、地域の魅力を高めようと開設したのがこの博物館である。

館内の展示コーナー

  博物館は、この独特のデザインや品質をもつ大川の伝統工芸作品(組子、彫刻など)を幅広く展示しており、480年の歴史を持つ大川家具の伝統を伝える最適の施設となっている。中でも、大川組子は目玉展示の一つとなっている。
 ちなみに、「組子」は釘を使わずに木と木を組み付けて作る建具の技法のひとつ。細くひき割った木に溝・穴・ホゾ加工を施し、かんなやノコギリ、ノミ等で調節しながら1本1本組付けしていく工芸品。この技法を使って細工を施したのが「大川組子」で1988年に未来に残したい技術として福岡県の特産工芸品にも指定されている。

大川組子の展示
組子障子
組子細工

・参照:大川家具とは?その歴史を解説https://www.kagu-tsuuhan.shop/static/okawakagu/origin
・参照:家具のまちが誇る木工アートがいっぱい!「大川ウッドワークミュージアム」(九州旅行ナビ)https://www.9navi.jp/woodwork.html
・参照:福岡県大川家具の街・ウッドワークミュージアム(組子のご紹介|井上昇商店)https://www.inouenoboru.jp/blog/ooki/fukuokaookawakumikosuitasi.html
・参照:福岡県大川市で組子の体験をしました!(ておりこ) https://teorico.jp/blogs/83/
・参照:大川ウッドワークミュージアム(じゃらんnet)https://www.jalan.net/yad370549/blog/entry0004571280.html

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♣ 大川木工産業資料館

所在地:福岡県大川市大字向島1540 (村上機械株式会社内)Tel. 0944-87-2122
HP: https://murakamimachinery.jp/museum/

大川木工産業資料館

 → この木工資料館は、大川市に拠点を置く村上機械株式会社が運営している家具機械の博物館。大川市榎津長町に1986年まで存在した旧松本タンス店・工房を再現したもので、そこで使用されていた木工機械、資料などを保存、展示して大川の家具づくりの技術・伝統を伝える貴重な資料館となっている。松本タンスは、これまで職人の手作りで行われてきた家具木工工程を改め、1920年代、増大する家具の需要に対応するため家具製造に初めて加工機械を導入した企業である。創業者の松本由太郎は、1919年、京都大学工学部武田教授の指導を受けて木工機械の導入を計画したが、当初は地域職人の反発や不況により一時頓挫したが、将来の大川木工産業の発展と技術変化を促すため機械化に踏み切ったと言われる。
  以来、これが全国に先駆けて洋家具作りが大川で展開され、本格的な地場産業として発展していくもととなった。

木工所内部
木工機械の作業場
木工機械

 展示されている機械設備は、日本の木工産業の近代化、技術発展にとって貴重な産業記念物であり、大川にとってもかけがえのない歴史的遺産となっている。 館内の展示コーナーには、角穴をあけるための角のみ盤、敷居・鴨居・障子などの溝切りをするカッター盤、丸太や板材を割くための丸鋸盤、平面に削るための自動送りカンナ盤。いずれもが木工産業、家具づくりの機械化に大きく貢献した機械類である。 
・参照:大川家具の歴史と榎津指物の起こり7 | 大川の家具の歴史
・参照:雑記帖 大川の木工産業資料館を探る(軽探団ーゲリラトロッコ探索ごっこ軍団ー )http://keitandan.blog76.fc2.com/blog-entry-3021.html

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♣ 府中家具木工資料館

所在地:広島県府中市中須町1650-1 府中家具協同会館内
HP: https://fuchukagu.org (府中家具協同会館)

府中家具協同会館(昭和51年竣工当時)

 → 府中家具木工資料館は、290年余の歴史を持つ伝統的な府中家具(タンス・木工品)の歴史や技術を伝える施設として、1996年に誕生した施設。2018年まで開館されていたが、同年5月閉館して府中家具協同組合会館内へ展示品を移してリニューアルオープンした。江戸時代からの貴重な家具や道具など約500点を展示しており、家具の歴史や木工技術の変遷、産地が辿った足跡などを見ることが出来る。

資料館内部
展示の家具など

・参照:府中家具 – Wikipedia
・参照:府中家具の歴史 ( 府中家具工業協同組合)https://fuchukagu.org/about/history/
・参照:府中家具木工資料館 リニューアルオープン 2008/10/19 | 府中家具工業協同組合

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♣ 佐渡民芸館

所在地:新潟県佐渡市真野新町286 Tel. 0259-55-2174
See: https://www.visitsado.com/spot/detail0006/

佐渡民芸館の 家具展示

  → 佐渡民芸館では、明治期の商家を利用した空間に北前船により運ばれた伊万里焼や六古窯、中国・朝鮮の焼物、佐渡産銘石と共に、佐渡船箪笥、衣装箪笥など和箪笥、和家具などを展示している。

・参照:佐渡民芸館 ( アイエム[インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/2967

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♣ 仙台箪笥歴史工芸館(仙台箪笥協同組合)

所在地:宮城県仙台市青葉区本町2-7-3 Tel. 022-225-8368
HP: https://www.sendai-tansu.com/kougeikan/

仙台箪笥歴史工芸館展示場

  → 仙台箪笥独特の良さを後世に残し、仙台箪笥をもっと知ってもらおうと、2008年、仙台箪笥協同組合が開設した家具博物館。仙台が誇る伝統工芸「仙台箪笥」その歴史や製作プロセスを知ることができる。仙台の金具師、塗師、指物師等の職人と卸や販売業を営む人達が参加して設立した。協同組合では、中小企業庁の「JAPANブランド事業」の伝産品指定をめざして、仙台箪笥の普及や啓蒙を行っている。
  ちなみに、仙台箪笥は、特徴として豪華な飾り鉄による金具の装飾と重厚感あふれる漆塗りで、材料として栗や杉・欅などが使われる。のルーツは、戦国大名である伊達政宗が青葉城を築城する際に、大工の棟梁によって作られた建具の一部だと言われている。

仙台箪笥の展示
箪笥職人の作業情景
典型的な仙台箪笥

・参照:仙台箪笥の特徴 や歴史- (KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/sendaitansu
・参照:日本の工芸と現代の技術を繋ぐ「仙台箪笥×スタジオ スワイン」(東京大学Craft x Techレクチャーシリーズ Vol.2 )  https://craft-x-tech.com/ja/journal/2024tohoku_lecture2/

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♣ いすの博物館(オカムラ)(閉館)

オカムラ本社
(いすの博物館)

所在地:東京都千代田区永田町2-13-2
HP: https://www.okamura.co.jp/corporate/museum/

  → 「オカムラいすの博物館」は、2009年に開設し、さまざまな視点からビジネス用シーティングの歴史やテクノロジーを紹介し、オカムラが開発してきた初期の回転椅子から最新のシーティングまで展示、また、間工学の視点から捉えた椅子の科学、日本のオフィスの変遷などを展示・紹介してきたが、2021年11月、残念ながら閉館している。

・参考:オカムラいすの博物館 – Wikipedia

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♣ 川島織物文化館

所在地:京都府京都市左京区 静市市原町265
HP:   http://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/index.html

川島織物文化館入口

   → この文化館は、日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えようとして設立した織物博物館。日本の歴史的織物をはじめ世界各国から収集した多様な染織品、貴重な装飾インテリア作品が展示してある。特に、川島の絵画を越えるほどの美術織物の展示が目を惹く。川島織物は、創業以来、日本美術の技法と織物という伝統産業を融合し、日本には数少なかった西洋式の室内装飾織物(タパスリーなど)を社会に定着させたことで知られる。文化館では、飛鳥時代からの名物裂、コプト裂、などのほか、各種装束、衣裳などを数多く展示しているが、加えて装飾タペストリー作品も多く展示配置されている。川島織物の歴史をみると、明治初期、フランスのリヨンを視察して文様織りのタパストリーに用いられるゴラン織りに注目し、創業以来、日本の西陣培われた「綴織り」技術を応用した室内装飾用の壁掛け織物の作品を数多く製作してきた。文化館では、これらを背景として、綴織壁掛「末吉船」「阿蘭陀船」などを題材とした古典的な細かい図柄を絵画的に織り上げた装飾壁掛けが展示されている。このほか、比較的新しいモダンなデザインの綴織壁掛け織物など幅広く見られるのも魅力。別棟では、川島ゼルコンが赤坂迎賓館に納品した装飾カーテンなども見られた。これらいずれもが、日本のインテリア装飾を考える上でも貴重な作品群となっている。

文化館内の展示コーナー
綴織壁掛「末吉船」
鶴の綴織り

・参照:「川島織物文化館」を訪ねてhttps://igsforum.com/%20visit-kawashima-textile-museum-j/
・参照:川島織物セルコン|京都 ファブリックメーカー|since1843 https://www.kawashimaselkon.co.jp/
・参照:日本で初めてインテリアファブリックを紹介した企業博物館|KAWASHIMA Stories https://www.kawashimaselkon.co.jp/stories/culture/473/
・参照:川島織物文化館|【京都市公式】京都観光https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=11&tourism_id=311

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(家具とインテリアの博物館 了)

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自動楽器とオルゴールの歴史博物館(博物館紹介)

 ―オルゴールにみるオーディオ楽器の歴史と音楽文化―

はじめに

大型の古典オルゴール
音のメカニズム

  前回は世界の楽器に関する博物館をみたが、今回は自動演奏楽機とオルゴールの博物館について紹介することにする。18世紀にオルゴールが発明される前は奏者が楽器を演奏するのを直接聞くしか音楽を楽しむことが出来なかった。しかし、このオルゴールと蓄音機の普及によってどこでも音楽演奏を聞くことができるようになった。オルゴール機は、元々、寺院の時計台における時報機能を応用する形を進化させたもので、金属片をピンで弾いて演奏音を楽しむ自動音楽機器として発達した。19世紀後半のヨーロッパでは、レストランや酒場で演じるポピュラーなオーディオ機器として重宝され、手軽に音楽を楽しむ文化として広く普及したという。また、オルゴールは、その精緻な構造と共に、美麗な細工や装飾により美術品としても珍重された。しかし、その後、エジソンが発明した蓄音機が実際の演奏を録音するようになると、オルゴールに替わって進歩した自動音楽機器として発展する形となった。一方、オルゴールは、その持つ独自の音色と手軽な小型形状、魅力的な装飾がに直され見直され、人気のあるアイテムとして今でも人々に愛される愛玩品となっている。

近年のオルゴール

さらに、機器としてのオルゴール生産をみると、当初はスイスの時計工業の伝統から始まったものであるが、日本では、諏訪の時計づくりの土壌の中で、その技術を導入する形で高度に発展した。そして、戦後の70年代には世界市場で8割まで占めるまでに成長している。日本における精密工業の受容と発展の系譜がオルゴール製作の中にも生きたといえるだろう。また、日本人のコンパクトな音楽機好みにも促され、各地には、店舗兼ねるものも含めると驚くほどの数のオルゴール・ミュージアムが作られており、観光客などの人気の的になっている。これらオルゴール博物館には、歴史的なオルゴールから現在に至る機能的で美しい音色を放つオルゴールまで数多く収蔵・展示されている。
 今回の博物館紹介では、こういった背景を踏まえ、全国にある有力なオルゴール博物館の収蔵・展示の内容を解説すると共に、音楽演奏機器オルゴールの発展の歴史、日本におけるオルゴール産業の展開と企業活動について概観してみる。

<日本にある主要なオルゴール・自動音楽機の博物館>

♣ ミタカ・オルゴール館

所在地;東京都三鷹市上連雀2-2-5 ポリフォニー三鷹3F  Tel. 0422-26-8121
HP: https://mitakaorgel.jp/

ミタカ・オルゴール館

 → 東京三鷹にあるこのミタカ・オルゴール館は、19世紀の各種オルゴールを所蔵・公開し、その音色を解説つきで楽しめる音楽博物館である。展示されているのは。収蔵・展示されているのは古典的なシリンダーオルゴール、ディスクオルゴール、オートマタ(からくり人形楽器)、手回しオルガン、自動演奏楽器、蓄音機しているなど約50台で、そのほとんどが演奏できる状態になっている。そのオルゴールの実際音色や仕組みを体験できる。古典オルゴールは櫛歯を弾いて音を出すという仕組みで、現代のオルゴールと同じだが、デザインも大きさも大きく異なっているのがよくわかる。その仕組みを目と耳で理解し、19世紀の音色を直に味わうことができるのが魅力の一つという。

館内の古典オルゴール
ピエロのオートマタ

・参照:ミタカ・オルゴール館 (| アイエム[インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/17649
・参照:ミタカ・オルゴール館 | みたか都市観光協会https://kanko.mitaka.ne.jp/docs/2014102200303/
・参照: ミタカ・オルゴール館 (銭湯 & せんべろ 探訪)https://ameblo.jp/legelege1215/entry-12862595956.html

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♣ 民音音楽博物館 自動演奏楽器室(オルゴール楽器室)

所在地:東京都新宿区信濃町8番地
HP: https://museum.min-on.or.jp/

民音音楽博物館

 → 民音音楽博物館は東京・新宿区にある民音文化センターに併設された音楽博物館。この中には貴重な古典ピアノをはじめオルゴール、民族楽器などが展示されていて、実際に演奏も行われており、それぞれ音色を鑑賞できる。この中でも、アンティークなオルゴールの展示と実演もみどころのひとつである。1897年製のディスク型オルゴールのキング・オブ・レジナは大判のディスク(鋼鉄製の円盤)を使った重厚感と迫力の自動演奏が楽しめる。また、コテージ・オーケストリオン(1900年頃)、スストリート・オルゴール「フェアリーテール・オルガン」なども魅力の収蔵品である。

自動演奏楽器室
民音のオルゴール

・参照:生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2026/03/23/ongaku-to-gakki/
・参照:歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2015/wm-8320
・参照:ストリート・オルガンコレクション(民音音楽博物館) https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_D00006.html
・参照:生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2026/03/23/ongaku-to-gakki/

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♣ 堀江オルゴール博物館 

所在地:兵庫県西宮市苦楽園四番町7-1 Tel. 0798-70-0656
HP: http://www.orgel-horie.or.jp/main/

堀江オルゴール博物館入口

 → 堀江オルゴール博物館は、堀江光男氏(又永化工(株)創業者)が世界を周り収集した19世紀から20世紀初頭にかけて製作されたシリンダーオルゴールやディスク型オルゴール、自動演奏楽器を360台余りを収蔵し公開している。展示品のなかには、ロシアのロマノフ王朝の最後の皇帝であったニコライ2世愛用のシリンダーオルゴール、アレクサンドラ皇后のディスクオルゴール、ドイツの城で使用されていたという自動演奏楽器「3台バイオリン」など貴重なものが含まれている。なお、博物館の建物はクラブ化粧品の中山太一氏が建てた太閤閣の跡地を購入し建てられた住宅で、1987年に兵庫住宅100選にも選ばれている貴重な歴史建造物。

館内の貴重オルゴール
ロシア皇帝夫妻のオルゴール


・参照: 蔵出しの逸品 堀江オルゴール博物館 ロシア皇帝夫妻のオルゴール –( YouTube) https://www.youtube.com/watch?v=TkBKm1FkijQ
・参照:堀江オルゴール博物館 – [西宮ペディア]・西宮流) https://nishinomiya-style.jp/glossary/orgel-horie-teien
・参照:堀江オルゴール博物館で(hoyusoのブログ)https://ameblo.jp/hoyuso/entry-12941673048.html

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♣ ニデックオルゴール記念館 「すわのね」

所在地:長野県諏訪郡下諏訪町5805 Tel. 0266-26-7300
HP: https://suwanone.jp/

オルゴール記念館 「すわのね」

 → オルゴールのパイオニア ニデック(サンキョー)が運営するオルゴール博物館。諏訪の精緻なものづくりの伝統を世界に発信するオルゴールミュージアムとして知られる。「すわのね」という名称は、諏訪のまちで奏でられ愛される「音色」というイメージで命名されたとされており、現代のオルゴールとアンティークな音色の両方堪能できる。また、オルゴール組立体験などもできる工房もある。日本におけるオルゴールの歴史やオルゴールづくりを、アンティークのものから現代のオルゴールまで年代順に 分かりやすく紹介している。また、現代のオルゴールの最高峰Nidecオルフェウスも常設展示する。

館内展示
Nidecオルフェウス


・参照:オルゴールミュージアム – ニデックオルゴール記念館 「すわのね」https://suwanone.jp/museum
・参照:https://www.nidec-instruments.com/orgel/lp/ja/
・参照:オルフェウス 72弁 オルゴールのご紹介|テーブルカルチャーえむすび https://note.com/t_emusubi/n/n3694d6a657e5
・参照:ニデックインスツルメンツ https://www.nidec.com/jp/nidec-instruments/

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♣ 京都嵐山オルゴール博物館

所在地:京都市右京区嵯峨天龍寺立石町1-38 Tel. 075-865-1020
HP: https://www.orgel-hall.com/

最古のオルゴール
京都嵐山オルゴール博物館

  → スイスのオルゴールメーカー、リュージュ社の創業家ギド・リュージュが収集した世界有数のオルゴールコレクション(「ギド&ジャクリーヌコレクション」)を引き継いだ博物館。そのコレクションを合わせた総数2,000点の中から150点余りを展示している。時期により展示内容を変更しながら解説・実演をしている。コレクションの中には「世界最古のオルゴール」世界最古のオルゴール「ナポレオンの嗅ぎタバコ入れ」などをはじめとしたオルゴール史上非常に重要な作品も含まれている。そのほか、初期のオルゴールの小型宝飾品、オルゴール内蔵のからくり人形(オートマタ)など各種貴重なオルゴールを楽しめる施設となっている。
 主要な古典作品には、上記のほかレジーナ オートチェンジャー No.35、スネークチャーマー、シンギングバードケージ、エクリヴァンなどがある。

館内展示コーナー
レジーナ(1900年頃)
エクリヴァン(1895)、月に捧げるピエロ(1890)、蛇使いの女(1900、バード(1910)


・参照:京都嵐山オルゴール博物館 | スポット一覧 | 京都府観光連盟公式サイト https://www.kyoto-kankou.or.jp/info_search/3691
・参照:京都嵐山オルゴール博物館|【京都市公式】京都観光Navi https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=11&tourism_id=793
・参照:京都嵐山オルゴール博物館 | スネークチャーマー https://www.orgel-hall.com/raa0016.html
・参照:京都嵐山オルゴール博物館 | レジーナ オートチェンジャー No.35 https://www.orgel-hall.com/amd0012.html
・参照:京都嵐山オルゴール博物館 | シンギングバードケージ https://www.orgel-hall.com/rgb0007.html
・参照:京都嵐山オルゴール博物館 | https://www.orgel-hall.com/amd0012.html

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♣ 萌木の村オルゴール博物館(ホール・オブ・ホールズ)

所在地:山梨県北杜市高根町清里3545 Tel. 0551-48-3522
Hp: https://www.moeginomura.co.jp/establishment/hallofhalls/

萌木の村オルゴール博物館

  → 世界各国から収集した貴重なアンティークオルゴールや自動演奏楽器、オートマタ(自動人形楽器)約250台を収蔵し、約50台を常時展示している博物館。オルゴールや自動演奏楽器によるコンサートも開催している。コレクションには、1,900年のパリ万博のために作られた「リモネール 1900」(フランス/リモネール社製1900年)ドイツのポリフォン社製「カドポリフォン・クロック」(1900s)、インホフ&ムクレ社製「レルオーケストリオン」(1880s)、フッフェルト社製「フォノリストヴィオリー」(1910s)、フランツエアライン製「フルート吹き」(1995)、手回しオルガン「オルガネッタ2型」(日本製、1996)など有名作品が見られる。
・参照:萌木の村・オルゴール博物館ホール・オブ・ホールズ (| NPO法人清里観光振興会)https://kiyosato.gr.jp/hallofhalls/

展示ホール
リモネール
フルート吹き 

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♣ 河口湖 音楽と森の美術館

所在地:山梨県南都留郡富士河口湖町河口3077-20
HP: https://kawaguchikomusicforest.jp/

河口湖 音楽と森の美術館概観

 → 音楽と森の美術館は、歴史的希少価値のある自動演奏楽器やダンスオルガン、貴重なオルゴールなどを収蔵し展示する美術博物館。館内の建物は、ヨーロッパから取り寄せた古い石畳や屋根瓦、石柱や装飾品で造られおり、現地の小さな町の雰囲気を感じることができる。1999年に「UKAI河口湖オルゴールの森」としてオープンし、2011年には「河口湖オルゴールの森美術館」に名称を変更。さらに2020年1月に現在の「河口湖音楽と森の美術館」となっている。
 館内には、精巧なつくりの大型のオルゴールやオートマタ(自動人形)が数十点展示されており、災害を逃れて唯一現存するオルゴールや、1900年の始めころヨーロッパ貴族の間で好まれた古典オルゴールなど、希少価値の高いオルゴールが、当時と同じように動作展示されている。中でも、オルガンホールの「ダンスオルガン」は、壮大な楽器システムになっており、大きさは幅が13メートル、高さが5メートルもあり、部屋全体がオルガン本体と一体になっている圧巻の仕立てである。ここでは壁に飾られた人形43体が音楽に合わせて動くしくみになっていて、フルートやトランペット、ヴァイオリンなどの音色を奏でる約800本のパイプと、大小ドラム、シンバル、ベル、鉄琴など組み込まれている。これらが一緒になって演奏を行う様は、数十名編成の管弦楽団に匹敵する見事なものと自賛している。

ダンスオルガン (1920)
タイタニックモデル(1912)
ヴィオリナ-モデル
(1918)

・参照: 河口湖音楽と森の美術館 | 河口湖.net https://kawaguchiko.net/enjoy/ongakutomorinobijutsukan/
・参照:河口湖音楽と森の美術館(富士の国やまなし観光ネット https://www.yamanashi-kankou.jp/kankou/spot/p2_2837.html

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♣ 那須オルゴール美術館

所在地:栃木県那須郡那須町大字高久丙270 Tel. 0287-78-2733
HP: https://nasuorgel.jp/

ミュージカル・ボックス(1890)
那須オルゴール美術館

  → 那須オルゴール美術館は、オルゴールの収集家佐藤潔氏のコレクションを中心にアンティークな世界各国のオルゴール・自動演奏楽器を常時約200点以上展示する音楽博物館。館内は展示室A、B、Cの三部構成の展示となっており、展示室Aは全200曲演奏可能な世界最大級のシリンダー式オルゴール、展示室Bでは1850年〜1920年代に製作されたシリンダー式やディスク式オルゴール、展示室Cではオートマタやミュージカルバードボックスなどの小型オルゴールを中心に展示している。

花を売る少女

 中でも、スイス製1860年代の「インターチェンジャブルシリンダー・オーケストラボックス」(1台で200曲もの演奏が可能)、ドイツ・シンフォニオン社の「シンフォニオン・エロイカ」(1895年頃)、フランス・C.ルーシュ社のピアノやドラム、シンバル等、複数の楽器を演奏する「ジャズバンド」(1920年代)などは貴重とされる。また、フランス・ジュモー工房製のオートマタ 「花を売る少女」(1880年代)、スイス製「ミュージカルバードボックス」(1890年頃)、中国の「紫檀螺鈿象嵌楼型絡繰り時計」(18世紀・乾龍時代)、日本の十字屋製「紙腔琴」(1890年頃)日本なども珍しい自動演奏オルゴールとして知られる。また館内には、ケースをデコレーションしてオリジナルオルゴールが作れるコーナーやオルゴールショップもある。

館内の展示室
ジャズバンド (1920)
オーケストラボックス

・参照:那須オルゴール美術館 (アイエム・インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/1569
・参照: 那須オルゴール美術館 – Wikipedia

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♣ ザ・ミュージアム MATSUSHIMA

所在地:宮城県宮城郡松島町松島字普賢堂33-3  Tel. 022-355-0656
HP: https://www.matsushima-kanko.com/miru/detail.php?id=243

ザ・ミュージアム MATSUSHIMA

  → 松島にあるオルゴールを中心とした様々な展示物がある観光施設。ベルギー王立博物館より譲り受けた歴史的にも貴重な作品を展示。世界最大規模のコンサートオルガンや王侯貴族特注のダンスオルガンの生演奏も行っている。館内には売り場面積東北最大のオルゴールショップやカフェも併設。元々は「松島オルゴール館」であったが、東日本大震災で被害を受け、オルゴール館の館長やスタッフ達が復旧に努め、6年の歳月を経てザ・ミュージアムMATUSIMAとして生まれ変わっている。

館内の展示室
コンサートオルガン(1920)

・参照:ザ・ミュージアム MATSUSHIMA(アイエム・インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/17904
・参照:ザ・ミュージアム MATSUSHIMA(mytabi.net) https://miyagi.mytabi.net/museum-matsushima.php
・参照:ザ・ミュージアムMATSUSHIMA(松島温泉の宿 パレス松洲) https://www.palace-matsushima.jp/topics/tourism/town/49570/

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♣ 浜名湖オルゴールミュージアム

所在地:静岡県浜松市西区舘山寺町1891 Tel. 053-487-2121
HP: https://www.hamanako-orgel.jp/

浜名湖オルゴールミュージアム

  → 浜名湖オルゴールミュージアムは、浜名湖の北東部の舘山寺ロープウェイの頂上駅の建物内にあり、貴重なアンティーク・オルゴールを多数展示する博物館である。1999年にオープンしたもので、館内のホールには19世紀~20世紀初頭のオルゴールをはじめ、さまざまな種類のオルゴール、自動演奏ピアノ、自動演奏オルガン、9種類の楽器が一度に演奏できるバンジョー、からくり人形、蓄音機などの世界の貴重な自動演奏楽器が70点余り展示されている。また、定期的にそれぞれの解説と実演も行っている。また、浜名湖を展望できる屋上階にはカリヨン(組鐘)があり、季節毎の演奏を楽しませてくれる。この施設は、浜名湖の対岸にある浜名湖パルパルと舘山寺ロープウェイで結ばれ、一体化したレジャー施設となっており眺望が素晴らしい。

館内展示場
バンジョー(1997)
カリヨンの展望台


・参照:浜名湖オルゴールミュージアム(| iN HAMAMATSU.COM) https://www.inhamamatsu.com/japanese/art/hamanako-music-box-museum.php
・参照:浜名湖オルゴールミュージアム&ロープウェイで自然と美しさをhttps://thegatehamamatsu.hamazo.tv/e8905402.html
・参照:浜名湖オルゴールミュージアム – Wikipedia

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♣ ROKKO森の音ミュージアム

所在地:兵庫県神戸市灘区六甲山町北六甲4512-145
HP: https://www.rokkosan.com/museum/

ROKKO森の音ミュージアム

  → ROKKO森の音ミュージアムは、兵庫県神戸市灘区の六甲山上にあるオルゴール博物館。1994年7月に、オルゴールなどの自動演奏楽器をコレクションする博物館として開館している。常設展示として、主に19世紀から20世紀初頭にかけて製作されたヨーロッパやアメリカの様々なシリンダーやディスクのオルゴール、世界最大級のダンスオルガンなど自動演奏楽器(ピアノ、ヴァイオリン、パーカッションなど)、そして、各種からくり人形のオートマタなどを展示・演奏活動を行っている。自動楽器による伴奏付きサイレント映画の上映など多彩な演奏・実演も実施する。また、屋外のナチュラルガーデンでは自然に囲まれた「音の散策路」などがあり、鐘や小さなオルゴール、手回しオルガンを楽しみながら歩くことができる。

自動演奏オルガン “ケンペナー”
サブライム・ハーモニー(1880)

・参照:ROKKO森の音ミュージアム( Feel KOBE 神戸公式観光サイト)https://www.feel-kobe.jp/facilities/0000000066/
・参照: ROKKO森の音ミュージアム(阪神園芸株式会社) https://www.hanshinengei.co.jp/pickup/rokko-museum/
・参照:ROKKO森の音ミュージアム – Wikipedia

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♣ 芦別市のアンティークオルゴール館テラノーヴァ

所在地:北海道芦別市黄金町731 カナディアンワールド内
HP: https://www.canadian-world.com/

  → 北海道のカナディアンワールド内にある小さなオルゴール館。日本で唯一1台しかないという希少なオルゴール3台を含むアンティーク・オルゴール30台を収蔵している。カナディアンワールドは、「赤毛のアン」のモチーフとしたテーマパークで、1990年に北海道芦別市の油谷地区の炭鉱跡地に開園したが、初年度から集客に悩み、バブルの崩壊もあって7年後の1997年に一度閉園。2019年にクラウドファンディングなどにより資金調達を行い、テナントなどで構成する「カナディアンワールド」が創設された。この施設の一部としてアンティークオルゴール館テラノーヴァがある。館内には、1914年製のDe Speeltuin Mortier 81-key No. 866という楽器、ウァーリッツァー社のバンドオルガン、ミルズ社の自動ヴァイオリンなどが陳列されている。
・参照: http://noah.cacao.jp/archives/1399
・参照:https://www.instagram.com/orgelman_1217/p/Ch4ECItLgoY/
・参照:カナディアンワールド – Wikipedia

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♣ オルゴールミュージアム門司港

所在地:福岡県北九州市門司区港町5-1 海峡プラザ Tel. 093-322-3008
・参考:https://www.welcomekyushu.jp/spots/detail/9999900065222/

 → このミュージアムには世界から集められたアンティークオルゴールが37点展示・演奏されている。製作当時のまま音を奏でるこれらのオルゴールを展示。代表的なオルゴールとして「ワリッツアー125型」「ピエルメント」「ウェーバー・マエスト」などがある。1時間に約30分のオルゴール演奏と説明もされている。併設の体験工房では、オリジナルオルゴールを作ることもできる。ショップでは手頃なものから高価なものまで販売している。
・参照:オルゴールミュージアム門司港(門司港レトロ 海峡プラザ) https://www.kaikyo-plaza.com/floor-guide/orgel/

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♣ オルゴール堂 小樽本館(店舗とミュージアム)

所在地:北海道小樽市住吉町4番1号 Tel. 0134-22-1108
HP: https://www.otaru-orgel.co.jp/shop

オルゴール堂 小樽本館

 → オルゴール堂は北海道・小樽市に拠点を置くオルゴール専門店。本館の建物は、元は北海道の米穀商であった旧共成(株)の本社社屋として大正4年(1915)に建てられたもので、「小樽市指定歴史的建造物 第17号」に認定されている。本館2階には1600年代から近代までオルゴールが辿ってきたオルゴールの歴史を表すジオラマ、日本製のオルフェウスやスイス製のREUGEなど等高級ブランド&アンティークフロア、北海道作家による工芸品フロアがあり、見どころの一つとなっている。また、同館3Fの「キャラクターハウス夢の音」にはスタジオジブリ作品のキャラクターをモチーフにしたオルゴールやグッズ、映画を彩る名曲たちのオルゴールなどが勢揃い。また、制作体験館「手作り体験 遊工房」も用意されている。なお、オルゴール堂は函館、富良野、鎌倉、横浜、加賀、京都にも店舗を構えているオルゴールの専門店である。

館内に並ぶ多様なオルゴール
オルゴールの歴史ジオラマ


・参照:https://www.otaru-orgel.co.jp/floorguide

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♣ 由布院オルゴールの森 (店舗)

所在地:大分県由布市湯布院町川上1477-1 2F Tel. 0977-85-5085
HP: https://www.folkart.co.jp/shop_info/20110808032803_11878.html

由布院オルゴールの森

 → 由布院の風景に溶け込むようなログハウス、その2階にオルゴールの森がある。かわいいぬいぐるみのオルゴールから 好きな曲を選んで作れるオルゴールまで多数のオルゴールを置いて販売・展示を行っている。(株式会社フォーカートが経営。本店・福岡市博多区古門戸町)

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♣ 長崎オルゴール館 (店舗)

長崎オルゴール館

所在地:長崎県長崎市南山手町2−33 南山手オルゴール館 電話番号: 095-826-4460
・参考:https://co-trip.jp/spot/63422

→ 長崎オルゴール館は、大浦天主堂に上がっていく坂道の入り口に建つオルゴール店。販売しているオルゴールは自由に見ることができ、手に取って演奏もできる。

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<オルゴールの歴史を概観する>

❖ オルゴールの起源と進化>

中世寺院のカリオン

  オルゴールの起源は、中世ヨーロッパの教会などの時計塔に時刻を知らせるため設置された「カリヨン(組み鐘)」といわれている。時計塔の木の筒(バレル)にピンを打ち込んで回転させ、ハンマーを動かして鐘を叩くという構造。1796年にスイスで時計職人アントワーヌ・ファーブルという人物が、懐中時計の時報機能として金属の櫛歯を鳴らす仕組みを発明した。これがオルゴールの発祥となっている。これが、ベルの代わりに調律した金属片をシリンダーのピンで弾く方式による世界初のシリンダーオルゴールである。このオルゴールは、19世紀前半にスイス・ジュラ地方で産業化され、貴族の贅沢品として普及した。また、19世紀後半になるとドイツがディスク交換式の「ディスク・オルゴール」を開発、これが量産されることで安価になった音楽機器オルゴールは、一般市民にも広く使われるようになる。特に、コインを入れると様々な演奏が楽しめるディスク・オルゴールは、この頃、レストランや酒場でポピュラーなオーディオ機器として重宝され、欧米全体に音楽を楽しむ文化を育んでいる。

❖ オルゴールから蓄音機へ

  一方、20世紀の初頭、エジソンが発明した蓄音機が普及し始めると、音楽再生装置としてのオルゴールは価値が薄れはじめ次第に減退していく。さらに、時代が進むと音楽再生装置は、単純な構造の蓄音機から機能的なレコードプレーヤー、CD、MD、iPodなどと急速な変化を遂げている。こうした中でも、オルゴールの持つ独自の音色や魅力的な形状は独自の価値を持ち続け、現在でも宝石箱、小物入れなど音のアクセサリーや音楽アイテムとしての人気は衰えていない。これは各地にあるオルゴール博物館の盛況に見もみてとれるだろう。

❖ 日本でのオルゴールのはじまり

日本のオルゴール

  日本のオルゴールは、19世紀初頭、長崎の出島を通じてオランダから持ち込また自動演奏楽器「オルゲル」(Orgel)がはじまりである。江戸で見世物「自鳴琴」として人気を博したとも伝えられる。そして、明治になると、近代化と西洋音楽の拡がりの中、オルゴールは新たな音楽演奏機器として登場、しかし、多くは欧米からの高価な輸入品であり、一部富裕層の間のみの高級な娯楽品の一つとして広まったに過ぎなかった。(1901年(明治34年)「東京風俗誌」がシリンダーオルゴールを紹介している)
 しかし、日本ではエジソンの発明した蓄音機が同じ時期に導入されたため、音楽演奏用の大型オルゴールは広く普及するに至らなかった。その代わり、身近な道具や贈り物として装飾箱とセットになったオルゴールが好まれ、音楽機器というよりは愛玩品として広く商品化が進んでいった。

❖ 日本のオルゴール産業の勃興と発展

音の出る枕時計

  一方、日本での国産オルゴールの生産は、1850年代に時計職人小林伝次郎が一種のオルゴールを組み込んだ「枕時計」を作成したとの記録があるものの、これが産業化されたのは比較的新しく、近代の時計製作と共に発展して来ている。この中心となったのが諏訪の時計づくり風土である。

☆ 日本の代表的メーカー、サンキョーと東洋音響

サンキョーの最初のモデル
ニデック本社
最新72弁オルゴール

  オルゴールの世界的メーカーとしては、スイスの「リュージュ」や「トーレンス」が歴史的に広く知られるが、日本では小型のシリンダーオルゴールを中心に、諏訪を拠点とするニデック(三協精機)が先鞭を切り、今でも大きなシェアを占めている。この三協精機(サンキョー)は、1946年、諏訪の精工舎由来の北澤工業のエンジニアが設立したもので、時計の技術を応用して、1948年に国産初のシリンダー式のオルゴールを製作している。そして、1960-70年代には「東洋のスイス」と称された環境下で技術力を高め、世界シェア90%を獲得している。また、オルゴール技術を応用し、小型モータやタイムスイッチなどの産業機器にも進出している。

木材加工のオルゴール

  もう一つのオルゴールメーカーは東洋音響で1987年設立の新しい企業である。オルゴールのムーブメント(機械部品)の製造からその歩みを始め、BOX型やフォトフレーム付きオルゴール、木材カラクリ仕掛けのある製品などを生産し、独自の歩みを続けている。

☆ 現在のオルゴール産業

職人のオルゴールづくり

  現在のオルゴールの生産をみると、かつて世界シェアの90%以上を占めた日本(主に長野県・諏訪)から、中国を中心とした海外への大量生産拠点の移転が進み、国内生産は高級品や高音質な精密ムーブメントに特化しているようだ。そこでは大量生産、自動化が進んでおり、細かい職人技術を要する高品質オルゴール製作には、ぬくもりのあるデザイン、技術の継承や新機軸、文化的な取り組みが将来の課題となっている。

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(オルゴール博物館 了)

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生活を豊かにする音楽と楽器の博物館(博物館紹介)

 ―世界と日本の多様な音楽と楽器の姿と歴史を検証するー

はじめに

 先日東京・信濃町にある民音音楽館を訪ねてきた。ここでは15世紀のチェンバロから現代のピアノまでを展示・演奏してくれるほか世界の多様な民族楽器が展示されており、楽器の豊かさと歴史を感じさせる。今回は、これを機に日本にある音楽と楽器の多様な博物館を紹介してみることにした。日本に非常には沢山の音楽・楽器の博物館があり、音楽文化が深く生活の中に浸透していることがわかる。また、ものづくりの面でも楽器製作は盛んで、浜松を中心とした中部地区にはヤマハやカワイ、ローランドように世界的にも楽器製作と技術が集積している。近年では文化財保存運動の一つとして伝統的な和楽器の制作が職人によって継承され、三味線、尺八、琴制作などが各地で作られるようになっている。
 今回、ここでは日本の代表的な楽器博物館、ヤマハ、カワイなどの楽器資料館、大学などの音楽・楽器施設、民族楽器の展示館、音楽家の記念館などを取り上げてみた。

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♣ 浜松市楽器博物館

所在地:静岡県浜松市中央区中央3-9-1 Tel. 053-451-1128
HP: https://www.gakkihaku.jp/

浜松市楽器博物館

  → 浜松市楽器博物館(楽器博)は、世界中から多様な楽器を収集し体系的に整理して展示している大規模な公立総合楽器博物館。内容的には「世界楽器歴史博物館」ともいえる施設で、ヨーロッパをはじめ、アジア、中東、アフリカ、オセアニアなどに存在する特徴的な楽器類を1500点以上収集・展示し、それぞれの由来、特徴、歴史を詳しく伝えている。視覚的にも華麗なアジアの楽器、歴史のあるヨーロッパの楽器、伝統的な形のアフリカ、オセアニアの楽器などが一堂に集められており、その文化的な多様性を感じさせてくれる。日本の伝統民俗楽器のコレクションも見応えがある。中でも、浜松がピアノ生産で世界一ということもありピアノ展示は豊富で、ヨーロッパの有名な歴史的なピアノ名品のほか、日本で歴代生産されてきた特徴あるピアノが並んでいて、日本のものづくり文化の背景を感じさせてくれる。

様々なアジア楽器が並ぶ展示場
洋楽器のコーナー

 展示コーナーは幾つかの地域ゾーンに分かれており、それぞれの特徴的な楽器をそろえて展示している。まず、アジアではインドネシアのガムランはじめ伝統楽器420点、ヨーロッパでは歴史的なピアノ、フルート、ヴァイオリンなど360点、アフリカ、オセアニアでは伝統的な打楽器や弦楽器190点、アメリカでは南米のマリンバなど150点余が展示されている。また、日本ゾーンでは、古来の篳篥、羯鼓、江戸時代の琴、箏、民衆民俗楽器の尺八、三味線、太鼓など200点が解説付きで見られる。また、国産洋楽器ゾーンでは、明治以降、浜松のメーカーが製作してきたオルガン、ピアノ、そして、2010年からは電子楽器セクションが設けられ、シンセサイザー、電子オルガンなど80点が展示に加えられている。  これだけの世界中の楽器が一カ所に集められ、それぞれ比較して観察できるのは非常に珍しいと思われる。

弦楽器のコーナー
管楽器のコーナー
和楽器のコーナー

❖ 浜松の楽器産業の発展と展示―国産洋楽器ゾーンー

 最後に、浜松にこれだけ大規模な「世界楽器博物館」が設立されてきたかについても触れる必要があるように思える。浜松は、前に触れたように「音楽のまち」を標榜しているが、ヤマハ、カワイ、ローランドといった楽器メーカーが集中し、かれらが市の文化活動と産業を振興しようとしていることによる。「楽器博物館」その一環で設立されたと考えられる。

ヤマハのオルガン工場 (1900)
山葉寅楠

 この楽器製造の源流は、明治初期にさかのぼる。 ヤマハの創業者山葉寅楠がオルガン造りを志し、苦労の末、国産のオルガンを浜松で製作するようになったことがはじまりとされる。山葉は、1890年、第3回内国勧業博覧会(上野)に出品したオルガンで賞をとった後、「山葉楽器製造所」を設立してオルガン製作開始。そして、1897年、日本楽器製造株式会社となり国産のピアノを製造する。これが現在のヤマハの楽器作りの始まりであった。一方、日本楽器製造所で働いていた河合小市は、1926年、同社を退職、独立して河合楽器研究所を設立、ピアノの製造・販売に乗り出した。現在では、このヤマハとカワイはピアノ部門では世界一の生産を誇っている。この歴史の一端示す製品が、楽器博物館の国産洋楽器ゾーンに示されている。
  展示では、足踏み式リードオルガン(日本楽器製造株式会社、明治40年頃製作)、アップライト・ピアノ(日本楽器製造株式会社、明治30年頃製作)、グランド・ピアノ(河合楽器製作、昭和2年頃製作)などが見られる。ここでは足踏み式リードオルガンの製作から始まり、ピアノへ、そして多様な西洋楽器が生産された歴史が確認できる。

・参照:浜松の「楽器博物館」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-the-hamamatsu-museum-of-musical-instruments-jj/
・参照:浜松におけるピアノと楽器産業の発展について(京都造形芸⼤)http://g.kyoto-art.ac.jp/reports/1131/
・参照:⾳の起源:https://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/oto/naiyou/kigen.html
・参照:Japan Highlights Travel: https://japan-highlightstravel.com/jp/spot/322/
・参照:浜松市楽器博物館についてhttp://miki329.ecnet.jp/keitai/gakkihakubutsukan.html

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♣ 民音音楽博物館 

所在地:東京都新宿区信濃町8番地
HP: https://museum.min-on.or.jp/

  → 民音音楽博物館は東京・新宿区にある民音文化センターに併設された音楽博物館。一般財団法人民主音楽協会によって運営されており、貴重な古典ピアノをはじめオルゴール、民族楽器などが展示されている。実際に演奏も行われていて音色を鑑賞できる。この博物館は1974年に設立された「民音音楽資料館」が前身で2003年に民音音楽博物館となった。2022年にはリニューアル、展示室が大幅拡張され現在の姿となった。館内には、古典ピアノ室、自動演奏楽器室、(民族楽器)展示室、音楽ライブラリーがあり、それぞれ特色ある展示を誇っている。ちなみに神戸市にも同じ内容の西日本館がある。

館内1階ロビー
フォルテ ピアノ
古典ピアノの展示と演奏

 このうち、民音音楽博物館の古典ピアノ室常設展示では、16~19世紀につくられたチェンバロ、フォルテ(古典)ピアノ、モダンピアノのコレクションが豊富。このうちウィーンの名工だったアントン・ワルターによる1795年製のフォルテピアノは、日本で見られるのはこの1台のみという。

民族楽器コーナー
古典的なオルゴール展示

 また、民族楽器には多様な世界の民族楽器約900点を収蔵。南米のキハーダというロバの下あごの骨か出来た打楽器など多数の珍しい楽器が並んでいる。壺のようなインドの打楽器のガタムやタイの木琴のラナー・エーなどもあり実際に音を鳴らすことができる。
  アンティークなオルゴールの展示と実演もみどころのひとつ。なかでも、1897年製のディスク型オルゴールのキング・オブ・レジナが出色で、大判のディスク(鋼鉄製の円盤)を使った重厚感と迫力の自動演奏が楽しめる。また、コテージ・オーケストリオン(1900年頃)、スストリート・オルゴール「フェアリーテール・オルガン」なども魅力の展示である。また、博物館にはライブラリー部門・展示部門を合わせて30万点を超える貴重な音楽資料が所蔵されていて見ることができる。

・参照:歴史的価値の高い鍵盤楽器が並ぶ「民音音楽博物館」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2015/wm-8320
・参照:ストリート・オルガンコレクション(民音音楽博物館) https://museum.min-on.or.jp/collection/detail_D00006.html
・参照:民音音楽博物館」の歴史~「民音音楽資料館」の発足から~ スペシャルてい談|History of MIN-ON|おすすめコンテンツ(民主音楽協会) https://www.min-on.or.jp/history/history03-03.html
・参照: 民音音楽博物館紹介ユーチューブ
・See: 民音音楽博物館リニューアルオープンhttps://www.youtube.com/watch?v=JjF6cxJibQg
・See:ピサ・チェンバロ | 1580年~1600年頃 イタリア製 | 民音音楽博物館コレクション Vol.1 https://www.youtube.com/watch?v=TC7N_6bYX2w
・See:民音音楽博物館コレクション Vol.2 ヨハン・フリッツ
ttps://www.youtube.com/watch?v=b7DieG6_bx4
・See:民音音楽博物館コレクション Vol.3 クラシック・オーケストラ

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♣ ヤマハ・イノベーションロード

所在地:静岡県浜松市中央区中沢町10番1号 ヤマハ株式会社本社事業所21号館内
HP: https://www.yamaha.com/ja/about/experience/innovation-road/

イノベーションロード入口

 → ヤマハ イノベーションロードは、ヤマハ130年の歴史を踏まえ、ピアノをはじめ各種の楽器、音響機器など800点以上を展示している企業博物館。2018年にヤマハ本社構内のイノベーションセンター1階に開設された。イノベーションロードとしたのは、ヤマハの先端技術や楽器づくりの歴史、現在・将来の音源ビジネスへの挑戦の姿を「道」ロードとして体感できる施設と位置づけたためだという。展示エリアは、プロローグ、コンセプトステージ(理念)、楽器展示エリア、デジタルライブラリー、イノベーションロードマップ(技術史絵図)、ヒストリーウォーク(社史)、イノベーション・ラボ(製品開発)、音響展⽰エリア、バーチャルステージなどとなっており、ヤマハの音響機器、楽器開発への取り組みの全容を歴代製品など共に詳しく紹介している。

館内展示室
ヤマハの技術史絵図

 このうち、楽器展示エリアでは、主力楽器であるピアノのほかに、ヤマハギターの歴史を刻むヴィンテージギター、マーチングドラムなどのマーチング楽器、創業当時のオルガン、から現在に至るまでの歴代の革新的製品などのアイテムが陳列されており、ヤマハ楽器の歴史がわかる構成になっている。
 また、イノベーションロードマップでは、ヤマハが歩んできた挑戦やイノベーションの歴史を、技術や素材のつながりの視点から、ロードマップとして絵巻物風に紹介、イノベーション・ラボでは、開発現場の想い、技術革新への挑戦を伝える製品開発ストーリー、未来の取り組みを紹介、音響展⽰エリアでは、さまざまな音響機器を展示して音楽を創り出す「音」の魅力と多様性の体験を促すコーナーを設けている。

ピアノの展示
ギターなどの展示
音響展⽰エリア


 館内に設けられたスーパーサラウンドシアターもヤマハの誇る立体音響技術が示されており圧倒的な音の臨場感が体感でき、バーチャルステージではバーチャル映像と連動した楽器の自動演奏が楽しめるようになっている。
 全体として、このヤマハのイノベーションロード施設は、音楽と楽器の融合の姿を「見て・聴いて・触れて」直接触れることの出来る貴重な楽器博物館といえよう。
 なお、360度カメラで撮影したバーチャル・イノベーションロードも公開されており、施設外でも博物館の展示内容を見学できる。 See; https://www.yamaha.com/ja/about/experience/innovation-road/vir/

サラウンドシアター
バーチャル・ロード

❖ 楽器を中心としたヤマハの創業と発展の歴史の姿

   ヤマハのイノベーションロード博では、企業としての創業と発展をヒストリーウォーク(社史)で年表風に詳しく紹介している。これを参照しつつヤマハの創業と発展の歴史を概説してみる。

<ヤマハの創業と源流>

逸話のレリーフ
オルガン/1880年代

  ヤマハの源流は1887年(明治20年)、山葉寅楠が浜松の尋常小学校でオルガンを修理したことがきっかけといわれる。幼い頃より機械製作に才能があった寅楠は、修理中にオルガン内部を自身で模写し試作品を完成させることで事業化を決意する。また、これを苦労して天秤棒でかついで箱根の山を越え、東京の音楽取調掛(現・東京藝術大学)に持ち込んだと伝えられている。(博物館には、この逸話を記したレリーフが残されている。) そして、1888年(明治21年)には浜松で日本最初の本格的オルガンの製造に成功、2番目のオルガン試作品は東京音楽学校で認められ、共益商社書店、大阪開成館(現・三木楽器)両者と販売契約を結び事業化の目途が立った。

日本楽器製造株式会社(1897年)
アップライトピアノ1900
グランドピアノ1902

 また、寅楠は1889年(明治22年)に合資会社「山葉風琴製造所」を設立、1891年(明治24年)には、河合喜三郎と共同で山葉楽器製造所を設立、1897年(明治30年)には「日本楽器製造株式会社」に改組している。また、同時期にピアノ製造に乗りだし、1900年にはアップライトピアノ、1902年にはグランドピアノの製造を開始している。そして、1910年、共益商社楽器店を買収して自社の東京支店(現・ヤマハ銀座店)を設け、楽器販売の拡充を図っている。
  1916年(大正5年)の寅楠の死後は2代目社長に天野千代丸が就任し、ピアノ製造は一族の山葉直吉らがあたる体制をとった。また、同年8月に西川楽器(西川オルガン)を合併する。しかし、事業拡大の一方で、1926年4月には大規模な労働争議が発生するなど経営は決して順調ではなかった。この困難の中、住友電線の川上嘉市が3代目社長に就任、経営の合理化・近代化を図る。経営の好転後、1935年にヤマハ初の電気楽器「マグナオルガン」を製作するなど、新しい分野にも進出する。

<戦中から戦後のヤマハビジネスの展開>

ヤマハのプロペラ製作(戦中)
ピアノ工場(ヤマハ掛川工場現在)

  しかし、時勢は戦時の雰囲気が強まり、1938年に陸軍管理下の軍需工場に組み入れられ、金属プロペラや木製プロペラ(小型練習機用)の生産にシフト、1944年11月に楽器類の生産は完全休止することとなる。また、艦砲射撃で浜松工場が全壊するなどの被害を受けることとなった。

ヤマハの楽器製作

  ヤマハは戦時に大きな被害を受けたものの、戦後は楽器製造開始により復興を図ることを決意する。終戦2か月後の1945年10月にハーモニカ、シロフォンの製造を再開、1947年4月にピアノの製造を再開する。そして、1950年に嘉市の息子である川上源一が第4代社長に就任し、社有の技術の応用と多角化を図ることで従来の楽器事業を充実させることを決意する。戦後の経済復興とともに音楽を振興させ生活に彩りを加えることを目指したのであった。特に、日本の狭い住宅環境で鍵盤楽器を親しむことを目指し、製品・サービスを広げた。1959年に「ヤマハ音楽教室」を開いたのもその一つであった。同じく1959年にはエレクトーンD-1を発売、ピアノ、エレクトーンの販売のために割賦会社のヤマハクレジットを設立している。1960年代からはグランドピアノから管楽器、打楽器、弦楽器まで幅広く製造する総合楽器メーカーとしての基礎を固めている。また、1968年にはピアノ・弦楽器製造の天竜楽器、1970年には日本管楽器を吸収合併、創業90周年の1987年に社名を「日本楽器製造」から「ヤマハ」へ変更している。

川上源一
ヤマハのオートバイ制作開始

 ヤマハは、戦後、楽器以外の分野にも進出して業績拡大を図る。1955年に二輪車部門を独立させ、「ヤマハ発動機」としている。また、その後は、アーチェリー、ラケット、スキー板などスポーツ用品の開発、自転車、高級家具の製造、リゾート施設の建設などにも進んで、現在は、音楽楽器から展開し、総合生活用器具メーカーとしても発展している姿がある。
 イノベーションロードマップでは、これらヤマハが歩んできた挑戦やイノベーションの歴史が詳しく語られている。

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♣ カワイ竜洋工場歴史資料室(工場見学と歴史資料室見学)

所在地:静岡県磐田市飛平松252
HP: https://www.kawai.jp/ryuyofactory/facility/historyroom/ 

カワイ竜洋工場

  → カワイ(河合楽器製作所)はヤマハと並び日本最大のピアノメーカーである。1927年創業の老舗楽器製造会社であり、フルコンサートグランドピアノ「Shigeru Kawai」は国際コンクールでも採用されるなど高い技術力を持つ。また、ピアノ製造のほか、電子ピアノ、音楽教室、ミニピアノ事業も展開している。この主力ピアノ工場がカワイ竜洋工場で、この工場内にカワイの歴史資料室がある。この資料室には、約600年前に欧州で誕生した鍵盤楽器チェンバロや、カワイが手がけた最初のグランドピアノをはじめとする歴代機種など13台が演奏できる状態で展示されている。また、館内には、ピアノの歴史 ピアノ製作の工程などの解説があり、カワイの歴史と共に鍵盤楽器ピアノの音質性能や成り立ちがわかる。なお、竜洋工場には見学コースも設けられていて、職人のピアノ製作の様子を直に見ることができる。

カワイ竜洋工場のピアノ組み立て工程        
古典ピアノの展示
クラヴィコード(復元)
ハープシコード (復元1697)


 また、資料室の主な歴史展示品には、ピアノの基となったクラヴィコード(複製)、ハープシコード(1697年複製)、ハンマーフリューゲル(1795年複製)、カワイグランドピアノ第一号(1928年)などがある。

❖ 楽器メーカー・カワイの創業と発展

河合小市
創業時の河合楽器研究所 (1927)

 日本楽器製造(現・ヤマハ株式会社)に勤務していた河合小市が独立し、1927年に河合楽器研究所を設立したのがはじまりである。当初は、工場とも呼べない小さな倉庫からの出発であったが、ピアノづくりにかける熱い想いがあったという。「昭和型」と名づけたカワイピアノ第一号を発売。1928 年には、グランドピアノ第一号機「平台1 号」を発売している。そして、1935年に合名会社、1951年に株式会社へと改組している。

アップライトピアノ《昭和型》
カワイグランドピアノ第一号
軍需工場となったカワイの工場

戦後復興の中で設立された島田工場

  しかし、第二次世界大戦がこの歩みを止め楽器生産は中断、技術者が戦地へ駆り出され、ピアノ工場は軍需工場となってしまった。戦後になった1948 年にカワイはピアノ・オルガンの製造再開にこぎつけ、残っていた設計図をもとに戦後初のグランドピアノ500 号も製作された。創業者河合小市が死去した1955年、娘婿の河合滋が社長に就任して新たな道を探ることになる。カワイは、戦後のカワイを象徴する島田工場の立ち上げに取り組むと共に、1956年、カワイ音楽教室を創設、音楽教育事業によるユーザ層の拡大に乗り出す。

カワイ竜洋工場
世界的なコンサートで演奏される
フルコンサートピアノEX

 また、高度成長の中、高まる楽器需要に応えながら品質向上を図る画期的なプロジェクトとして、1957年に木材加工専門の新居工場、1961年には舞阪工場を建設している。そして、1980年、熟練の職工による昔ながらの手作り工程「原器工程」を有する「カワイ竜洋工場」を設立、同時にピアノ研究開発を行う「Shigeru Kawaiピアノ研究所」も併設してピアノ事業の充実を図っている。5年後の1985年、地道な研究開発が結実した成果として、「フルコンサートピアノEX」が世界で最も権威あるショパン国際ピアノコンクール公式ピアノに認定されるという栄誉を受けている。「KAWAI」が世界のトップブランドになった瞬間であったとカワイは自負している。その後、1999年、世界一のピアノを作りたいという河合小市の夢を結実した「Shigeru Kawaiグランドピアノ」を発表、世界的な評価を受けている。

・参照: 歴史|ブランド|河合楽器製作所 コーポレートサイトhttps://www.kawai.co.jp/brand/Legacy/
・参照: ピアノの歴史|(株)河合楽器製作所 竜洋工場 https://www.kawai.jp/ryuyofactory/history/
・参照: 河合楽器製作所竜洋工場見学|ピアノとウェルビーイング研究所 https://institute-of-piano-and-well-being.jp/activity/list/record/2023-kawai-visit/
・参照: 魂をこめた仕事を | SONGS – 根本崇史 TAKASHI NEMOTO Official Website
・参照: 株式会社河合楽器製作所竜洋工場/ハローナビしずおか 静岡県観光情報

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♣ 国立音楽大学楽器資料館

所在地:東京都立川市柏町5-5-1 国立音楽大学4号館1階 Tel. 042-535-9574
HP: https://www.gs.kunitachi.ac.jp/ja/

国立音楽大学

  → 国立音楽大学(Kunitachi College of Music)は、東京・立川市本部を置く1926年創立の音楽専門私立大学。前身は1926年創立の「東京高等音楽学院」、1950年に新制大学として現在の国立音楽大学となっている。大学名は1970年代まで国立市にキャンパスがあったことに由来している。楽器資料館は、同学内に設けられていた「音楽研究所」楽器資料館を1988年に独立させたもの。展示室には、19世紀のフォルテピアノや、ハープシコード、クラヴィコードなどの鍵盤楽器や、世界各地の民族楽器を数多く展示している。収蔵楽器は2400点に及び、その内約1100点を見ることができる。本来、学生の研究・学習を目的としたものだが、毎週には水曜日は一般の方も見学できる。また、講座やワークショップ、コンサート等も企画・実施している。

古典的な鍵盤楽器展示
民族楽器の展示

・参照:国立音楽大学楽器学資料館 | 美術館・博物館 | アイエム[インターネットミュージアム]
・参照:国立音楽大学楽器学資料館 | 子供とお出かけ情報「いこーよ」https://iko-yo.net/facilities/11698
・参照:国立音楽大学 – Wikipedia

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♣ 武蔵音楽大学楽器ミュージアム

所在地:東京都練馬区羽沢1丁目13-1 江古田キャンパス Tel. 03-3992-1121
HP: https://www.musashino-music.ac.jp/guide/facilities/museum

武蔵音楽大学外観

  → 同大学楽器ミュージアムは、世界の過去現在の楽器を収集展示している音楽博物館。1960年に江古田キャンパスに開設された「武蔵野音楽大学楽器陳列室」が基となっている。所蔵資料には、西洋楽器の名器や希少な歴史資料、日本の伝統楽器、世界各地の民族楽器のほか、エジソン蝋管機やオルゴールなどがあり、その総数は5,900点を超え、国内最大規模を誇る。館内は、「鍵盤楽器」「管弦打楽器」「日本の楽器」「世界の民族楽器」の4つの独立した展示室に分かれ、それぞれ楽器の歴史や種類、地域的な広がりが系統立ててわかるように異なったデザインで演出展示されている。また、楽器のみならず、指揮棒やマレットのコレクションのほか、オルゴールや演奏人形、楽器演奏写真や絵画など、音楽に関わる資料の多様さは、所蔵数の多さと並ぶもう1つの大きな特徴となっている。

古典的な鍵盤楽器展示
多様な管楽器展示
日本の楽器展示

・参照:武蔵野音楽大学WEB楽器ミュージアム https://www.musashino-music.ac.jp/guide/facilities/museum/web_museum
・参照:「武蔵野音楽大学楽器ミュージアム」を4月より一般公開(Musicman)https://www.musicman.co.jp/business/468286

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♣ 上野学園 楽器展示室

所在地:東京都台東区東上野4丁目24−12 上野学園大学内
HP: https://www.uenogakuen.ac.jp/junior_college/campus/exhibit_room.html

上野学園  楽器展示室

 → 上野学園は1904(明治37)年に、石橋藏五郎により創立され、2014年には創立110年を迎える伝統ある学園、1949年に、当時の校長、石橋益惠が日本で初めて音楽科を設置している。この上野学園短期大学内の楽器研究室では、17世紀から19世紀のヨーロッパで製作された楽器約150点の上野学園古楽器コレクションの保管と研究を行ってきている。この基となったのは、1975年、著名な楽器商E.H.オク・センネルから購入した53点の楽器であるという。収蔵楽器の中には、第2次世界大戦前にドイツの楽器収集家フリッツ・ヴィルトハーゲンが所蔵していた楽器も含まれている。コレクションは、弓奏弦楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ、ヴィオラ・ダモーレ、撥弦楽器のリュート、マンドール、ハープが中心となっていて、その後、歴史に重要な鍵盤楽器・管楽器・打楽器が追加所蔵され現在に至っている。

楽器展示コーナー
ヴィルトハーゲン・コレクションの楽器

・参照:古楽器コレクション(上野学園短期大学) https://www.uenogakuen.ac.jp/junior_college/campus/collection.htm
・参照:日本に一台しかない初期のピアノ、タンゲンテンフリューゲルを所有する「上野学園 楽器展示室」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2016/wm-9957

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♣ 東京藝術大学 小泉文夫記念資料室

所在地:東京都台東区上野公園12-8 東京藝術大学音楽学部内
HP: https://koizumi.geidai.ac.jp/

東京藝術大学

  → 小泉文夫記念資料室は、1985年、東京藝術大学音楽学部に開設された民族楽器資料館。 所蔵資料の中心は故小泉文夫本学元教授が長年にわたって収集した音楽資料のコレクションで、広く音楽研究に役立てるよう遺族から東京藝術大学に寄贈されたもの。所蔵されている楽器はおよそ800点。1950年代から1980年代前半に小泉氏が数十か国から持ち帰った楽器を中心に展示されている。コレクションのなかには今では見られない古いスタイルのものも多く、そのひとつがビルマの竪琴ともいわれるサウンであるという。また、手漕ぎ式のリードオルガンであるハルモニウムや、19本の弦(弓で弾く4本の弦+共鳴弦15本)を持つエスラージなどインドの香りを感じる楽器がそろっている。日本の楽器も数多く収蔵し、南九州地方に伝わる「ごったん」と「てんぷく(天吹)」は、どちらも地域に根ざす珍しい伝統楽器とされる。大規模な楽器コレクションはほかにも見られるが、小泉資料室の場合、民族音楽学者が楽器分類学の観点から体系的に収集した点が大きな特徴となっている。

小泉の民族楽器コレクション
ウード
エスラージ
サウン

 ❖ 小泉文夫の民族楽器研究とその成果 

小泉文夫
民族音楽・楽器と親しむ小泉文夫

  小泉文夫は、東京大学文学部で美学を専攻、在学中に日本伝統音楽の研究を志して、比較音楽学の観点から日本音楽の音階分析論を提示。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながらNHK交響楽団機関誌『フィルハーモニー』の編集委員や、NHKラジオ「婦人の時間」で民族音楽の解説を担当、嘱託を経て平凡社に入社する。一方、邦楽や東南アジアや中近東、アフリカ音楽に興味をもち、日本の伝統音楽の研究や文化放送「世界の民謡」の放送を担当。1956年から、インド政府給費留学生としてマドラス音楽学校などでインド音楽の実技を学びながら現地調査を実施する。1959年から東京芸術大学の教員となり、ナイル河上流の民俗音楽(1964)、カナダとアラスカのエスキモー(1967-1968)、インドネシア(1972)などフィールドワークを実施して、日本をはじめとして世界中の民族音楽の調査や研究に従事する。この成果は「民族音楽研究ノート」として発表された(1980年サントリー学芸賞を受賞)。その傍ら、NHK-FMの「世界の民俗音楽(後の「世界の民族音楽」)」の番組の担当や、NET(現テレビ朝日)の「世界の音楽」などにも出演するなど多彩な活動を行っている。しかし、多忙により癌の発見治療が遅れたこともあり、1983年8月肝不全のため56歳の若さで亡くなってしまう。 そして、小泉の没後、遺族が東京芸術大学に氏の音楽資料を寄贈することで、1985年に小泉文夫記念資料室が開設され、氏の研究成果が長く生かされることになった。

小泉の研究資料
世界のレコード
小泉の収集雑誌

 

・参照:世界の民族楽器を触って鳴らせる「小泉文夫記念資料室」https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2016/wm-8577
・参照:小泉文夫 – Wikipedia

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♣ 旧東京音楽学校奏楽堂

所在地:東京都台東区上野公園8番43号 
HP: https://www.taitogeibun.net/sougakudou/

旧東京音楽学校奏楽堂

  → 「奏楽堂」は東京藝術大学音楽学部の前身、旧東京音楽学校の校舎として、明治23年(1890)に建築されたもので、日本における音楽教育の中心的な役割を担ってきまた記念すべき施設。音楽ホールは、かつて瀧廉太郎がピアノを弾き、山田耕筰が歌曲を歌い、三浦環が日本人による初のオペラ公演でデビューを飾った由緒ある舞台がある。創建から80年近く経過した昭和40年代(1965~)に台東区が東京藝術大学から譲り受け、1987年に校舎が現在の地に移築・復原され、旧東京音楽学校奏楽堂」として公開された。1988には重要文化財の指定を受けている。2013年より保存活用工事のため休館していたが、2018年11月にリニューアルオープンしている。
 館内には、音楽ホールがあり、日本最古級のコンサート用オルガンの一つでアボット・スミス社(Abbott and Smith)製パイプオルガンが備え付けられている。1928年に徳川頼貞からの寄贈により設置されたもので、パイプ総数1,379本、26ストップ、現存日本唯一の空気式アクション機構を持っている。

創建当時の奏楽堂建物
奏楽堂音楽ホール
堂内のパイプオルガン

・参照:旧東京音楽学校奏楽堂 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/188393
https://www.museum.or.jp/museum/2345
・参照:旧東京音楽学校奏楽堂(重要文化財)台東区ホームページhttps://www.city.taito.lg.jp/kusei/shisetsu/bunkashisetsu/kuritsu/sougakudou.html
・参照:台東区立旧東京音楽学校( アイエムインターネットミュージアム) https://www.museum.or.jp/museum/2345
・参照:「パイプオルガンとチェンバロを弾いてみよう」(奏楽堂体験教室 – 言問ふ日々)http://kototouhibi.blog.fc2.com/blog-entry-764.html
・参照:旧東京音楽学校奏楽堂 – Wikipedia

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♣ ギター文化館

所在地:茨城県石岡市柴間431-35 Tel. 0299-46-2457
 HP: https://guitar-bunkakan.com 

タマーヨ
ギター文化館

 → ギター文化館は、スペインの生んだ偉大なフラメンコギタリスト、マヌエル・カーノ・タマーヨが長年かかって収集した貴重なスペインギターの歴史的銘器を納める殿堂として1992年に開館した施設。マヌエル・カーノコレクションに関する展示があるほか、多数の所蔵楽器を展示している。館内のホールでは、国内外一流人気ギタリストによるコンサート、シニアギターコンクールなど数多くのイベントも開催している。

館内音楽ホール
ギターコレクション

・参照:ギター文化館 | 観光いばらき公式ホームページhttps://www.ibarakiguide.jp/spot.php?mode=detail&code=1305
・参照:歴史的ギターの音を生で聴けるコンサートも開催!(ギター文化館)ヤマハミュージックメンバーズ https://member.jp.yamaha.com/topics/myujin/2016/wm-8973

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♣ 菰野ピアノ歴史館

所在地:三重県三重郡菰野8474–181  Tel. 059ー324ー4348
HP: https://piano-museum.com/

菰野ピアノ歴史館

  → 菰野歴史館が40年以上かけて収集し修復してきた18世紀の古典から現代にいたるピアノを収蔵・展示する体感型ミュージアム。「観る・触る・弾く・聴く」をコンセプトに運営している。ピアノを通じて音楽文化の普及とピアノ調律、製作・修復技術の継承が歴史館の目的の一つとなっており、音色を復活させる修復作業の実際を見学することもできる。また、古典ピアノを見て触れるだけではなく、修復されたピアノを実際に試弾できるという。
・参照:行ってきました!菰野ピアノ歴史館( ハウインターナショナル・愛知県名古屋市の旅行会社) https://howinter.com/t-travel/20231020%EF%BC%BF01/
・参考:菰野ピアノ歴史館のピアノ演奏(ユーチューブ)https://www.youtube.com/watch?v=5Tl8LK_F7BA

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♣ 音浴博物館

所在地:長崎県西海市大瀬戸町雪浦河通郷342-80 TEL/0959-37-0222
HP: https://onyoku.org/

音浴博物館

 → 音浴博物館は、長崎県西海市の山中にある廃校(旧雪浦小学校久良木分校)を利用して作られたた体験型博物館。アナログレコードや蓄音機を展示に特色がある。ここでは昭和時代のゼンマイ式の貴重な蓄音機などを見学できるほか、15万枚余のレコードを実際に聴くことができる。昭和の雰囲気の中で「音を浴びる」体験ができる珍しいスポットとの評価で、膨大なレコードコレクションの中から好きなジャンルの音楽も選んで試聴が可能とのこと博物館の建物は廃校になった小学校の分校を修復したもので、木枠の窓、黒板やオルガンなど分校の面影をそのまま残している。所在場所はかつて満州からの引き揚げ開拓地であり戦争に関するレコードも所蔵している。

古い楽器コレクション
レコードコレクション

・参照:音浴博物館とは?16万枚のレコードを聴ける“山奥の音の博物館”  https://marri-marri.jp/gentry/onyoku/
・参照:山奥にひっそりと。レコード聴き放題の音浴の館(蜜柑と蜜蜂 | 中村昌彦)  https://saikai338.com/saikai/detail-mobile/nakamuramasahiko

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♣ 木村和楽器博物館 (伊賀まちかど博物館)

所在地:伊賀市川合1022-5木村和楽器製作所 Tel. 0595-43-0220
紹介HP: https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/Miebunka/detail?cls=mica_col06&pkey=0000000057

木村和楽器博物館

  → 伊賀市の木村和楽器製作所の運営する三味線などの和楽器資料館。同製作所は最近は機械で作られることが多くなった三味線を大半を手作りで製作している。和楽器を展示しているほか、細かい部分に作り手の個性が表れるという職人さんの三味線づくりの工程を気軽に見学できる。館では製作工程の説明、簡単な三味線や琴の奏法の説明指導を受けることも出来る。伊賀市の「まちかど博物館」にもなっている。

琴と三味線
和楽器の修理

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♣ 大正琴の碑と博物館

所在地:長野県駒ヶ根市赤穂14-545   Tel. 0265-81-7500
HP: https://kindenryu.co.jp/taishokoto/museum/
大正琴の碑:愛知県名古屋市中区大須2-21-47(大須観音境内)

大正琴の碑
森田吾郎

→ 大正琴博物館は、名古屋の森田吾郎が、1912年、二弦琴を改良して発明した和製洋楽器「大正琴」の博物館。大正琴は、木製の中空の胴に2〜12本の金属弦を張り、ピアノの様な鍵盤を備え、鍵盤を左手で押さえて右手の義甲(ピック)で弾いて演奏する琴(弦楽器)の一種である。タイプライターの仕組みを応用しており、数字譜(数字でドレミを表す楽譜)を使い初心者でも演奏しやすい楽器で音感教育にも適しているという。

大正琴

・参照:大正琴とは (琴伝流大正琴 弦洲会) https://www.genshu.jp/taisho-koto
・参照:大正琴ミュージアム (YouTube) https://www.youtube.com/channel/UCSDIPxFQUGxsBvm5EoLroow

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♣ 津軽三味線会館 

所在地:青森県五所川原市金木町朝日山189-3 Tel. 0173-54-1616
HP: http://www.kanagi-gc.net/syami/

津軽三味線会館

  → 津軽三味線会館は津軽三味線のルーツや歴史を紹介するほか舞台演奏ができる博物施設。 展示室では、貴重な津軽三味線の現物のほか、三味線の歴史、民謡、郷土芸能等を紹介している。また、多目的ホールでは、津軽三味線のライブステージ、津軽三味線の物語などがビデオシアターで上映されている。ちなみに、津軽三味線は、青森県津軽地方発祥の和弦楽器で、大きく太い棹(太棹)を持つ三味線で、撥(ばち)で皮を激しく叩く「打楽器」のような演奏スタイルが特徴で、即興的なアドリブや速弾きにより、力強くダイナミックな音色を生み出す伝統的な独奏和楽器として知られる。

津軽三味線の演奏
多様な三味線の展示

・参照:津軽三味線( 株式会社教育芸術社)https://www.kyogei.co.jp/shirabe/iroiro/a_tsugarujamjisen.html
・参照:津軽三味線 – Wikipedia

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♣ 雅楽の館(雅楽資料展示分室)

所在地:富山県高岡市福岡町福岡1208 Tel. 0766-64-0390
HP: https://www.city.takaoka.toyama.jp/soshiki/kyoikuiinkai_shogaigakushu_sportska/2/8/1/2316.html

雅楽の館(雅楽資料展示分室)

 → 雅楽の館は、江戸時代末期からの無形文化財「雅楽」楽器や装束を、昭和6年に移築された菅笠問屋内に展示している雅楽楽器の資料館。舞楽の装束、舞装具(冠・甲・面)、管楽器、弦楽器、打楽器などが展示されている。ちなみに、福岡町の雅楽は、文久元年(1816年)に長安寺住職朝順恵らが「暢日蓮」という会を結成したのが始まりといわれる。この「暢日蓮」は、1878年の明治天皇北陸御巡幸のおりに五常楽・越殿楽を奏上するなど活躍している。1919年には「洋遊会」として新たな組織化がなされ、宮内庁雅楽師等を招いて舞楽を導入している。また、昭和45年には町の無形文化財として指定を受けた。現在は、福岡町歴史民俗資料館「雅楽資料展示分室」となっている。

雅楽などの資料展示
雅楽衣装など展示

・参照:菅笠問屋の町並み|日本遺産ポータルサイト https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/332/

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♣ 世界の太鼓資料館 太皷館(宮本卯之助商店) 

所在地:東京都台東区西浅草2-1-1 Tel : 03-3842-5622
HP: https://www.miyamoto-unosuke.co.jp/pages/museum

世界の太鼓資料館 太皷館

  → 太鼓、神輿や祭礼具の老舗である「宮本卯之助商店」が1988年から運営している世界初の太鼓資料館。和太鼓製作の参考にと世界各地から収集した太鼓や参考図書・資料を保存や公開を目的としており、日本の和太鼓を中心に約800点の太鼓の一部を展示。館内は、世界の大陸ごとにエリアが分かれ、日本の和太鼓だけでなく、アフリカやオーストラリア、東南アジアの様々な太鼓を見ることができる。

世界の太鼓展示例


・参照:世界の太皷資料館 太皷館(THE GATE|日本の旅行観光マガジン)https://thegate12.com/jp/spot/2082
・参照:東京別視点ガイド : 世界中の太鼓が900点以上集まる「太鼓館」【浅草】http://www.another-tokyo.com/archives/50473650.html

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♣ 古賀政男音楽博物館

所在地:東京都渋谷区上原三丁目6-12 Tel. 03-3460-9051
HP: https://www.koga.or.jp/index.html

古賀政男
古賀政男音楽博物館

  → 古賀政男音楽博物館は音楽家古賀政男の遺志を引き継ぎ、1997年に開館した大衆音楽の博物館。日本の歌謡史に関する資料を多数展示している。東京渋谷の古賀政男私邸を博物館にしたもので、1階はコンサートができる「けやきホール」、2階は大衆音楽の殿堂、3階は古賀政男の生涯の歩みや代表曲などを紹介する「古賀政男の世界」、地下1階には音楽情報室がある。日本の歌謡史に関する資料も多数収蔵、展示している。

大衆音楽展示ホール
古賀の記念品展示


・参照:古賀政男音楽博物館(アイエム・インターネットミュージアム)https://www.museum.or.jp/museum/2254

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♣ 宮城道雄記念館

所在地:東京都新宿区中町35番地 Tel. 03-3269-0208
HP: https://www.miyagikai.gr.jp/kinenkan

宮城道雄
宮城道雄記念館

 → 箏の演奏家で音楽家の宮城道雄の生前活動を顕彰するとともに、将来の日本音楽発展に寄与するためとして、1978年、故人が晩年まで住んでいた場所に建設された記念館。館には数々の遺品のほか、生前書斎として使われていた離れ「検校の間」(国登録有形文化財)も保存されている。
 宮城の功績として、箏曲の伝統に根を下ろしながら洋楽を組み込み新しい日本の音楽を創造した点が挙あられるとされる。道雄はその生涯で、大構成の合奏曲から童曲にわたる幅広い作品を400曲以上制作した。また、自作曲や古典曲の演奏を行う一方、古典楽器の改良や新楽器の開発を行い、十七絃、八十絃、短琴(家庭用の琴)、大胡弓(だいこきゅう:大型の胡弓)なども発明している。道雄が発表した箏と尺八の二重奏曲「春の海」は特に有名で、来日したフランス人女流ヴァイオリニスト、ルネ・シュメーが尺八部分をヴァイオリンに編曲し道雄との合奏がなされ世界的な評価を得ている。

館内の展示ホール
宮城の愛した箏

・参照:宮城道雄記念館 – SFM https://www.sfm-shinjuku.jp/?author=430
・参照:宮城道雄 – Wikipedia

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 ♣ 金沢蓄音器館

所在地:石川県金沢市尾張町2丁目11番21号 Tel. 076-232-3066
HP: https://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/

金沢蓄音器館

 → 金沢で蓄音器店「山蓄」を開いていた八日市屋浩志氏が収集した蓄音器「山蓄コレクション)が基となって作られた蓄音機博物館。昭和50年代、次第に手回し式の蓄音器が姿を消し無造作に廃棄される蓄音器を惜しみ、「直せばまだ鳴る…」と修理、収集を開始したのがはじまりで、その後、金沢市が受け継いで現在の姿の博物館になった。蓄音器約540台、SPレコード2万枚という膨大なコレクションが演奏可能な状態にメンテナンスされて展示されている。収蔵品の中には、貴重なエジソン スタンダードB型(1901年)、ビクトローラ クレデンザ、HMV手巻蓄音器ルミエールなどといった歴史的価値の高いモデルもそろっている。

蓄音機館展示コーナー
歴代の蓄音器

・参照:金沢蓄音器館で人が生きた証を聴く | クリエイターズステーション https://www.creators-station.jp/report/creators-eye/180180
・参照:音楽をめぐる旅 1「金沢蓄音器館」(テーマで巡る金沢近郊の旅|おすすめコンテンツ|金沢市公式観光サイト 金沢旅物語) https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/feature/juourney-around-kanazawa/06.html

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(音楽と楽器の博物館 了)

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社会のインフラ・水道の博物館(博物館紹介)

  ―近代の社会生活を支える水道建設の意義と歴史を考えるー

はじめに

   2026年の冬期をみると、東北・北海道、北陸は豪雪、西日本、関東の太平洋側は記録的な少雨となり、30年ぶりの渇水で様々な社会的影響も出ているようだ。「水」のありがたさを改めて感じる昨今である。フォーラムでは、これを機に日本の水道の歴史と社会インフラとしての水道の役割を考えてみた。日本の近代水道の建設は約100年前の明治初期に始まったとされるが、時代が進むにつれて全国各地で水道網が次々に敷かれるようになった。それ以前にも、家康の「江戸上水」など様々な都市配水の試みもなされてきた歴史がある。これらを踏まえ、改めて各地の水道関係の博物館を取り上げ水道の意義と歴史を考えてみることにした。
  ひるがえって水道の敷設状況とその記録を確認してみると、各地の自治体・水道事業体で水道の役割と意義を広げるため資料館や記念館を数多く設置してきているのがわかる。また、公益社団法人日本水道協会は「全国の水道記念館:安全でおいしい水道水供給の推進」WEBサイト」を設けてその存在を広報している。ここでは、これらを参照しつつ各地の水道記念館・博物館の様子を紹介してみた。
 See: 全国の水道記念館 http://www.jwwa.or.jp/anzen/kinen.html

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(首都圏の水道博物館・記念館)

♣ 東京都水道歴史館

   ―江戸の上水から明治の近代水道建設までの歴史を伝える博物館―

所在地:東京都文京区本郷二丁目7番地1号
HP: https://www.suidorekishi.jp/
・参考:「東京都⽔道歴史館」を訪問 https://igsforum.com/visit-tokyo-waterworks-historical-museum-j/

東京都水道歴史館

 → 東京都水道歴史館は、江戸・東京の水道400年の歴史を紹介する目的で開設した水道歴史館。この施設は、旧淀橋浄水場の「水道参考館」(1898)、「水道記念館」(1884-)を経て、現在の本郷に移され、「歴史館」となったもの。館内には様々な水道に関する歴史資料が展示されており、17世紀の江戸・神田上水、玉川上水の整備の様子、江戸市中の「上水」供給のシステム、明治以降の「近代水道」への進化などが、実物大の模型や歴史資料、発掘された遺構、年表、映像などを通じて詳しく見ることができる。特に、発掘した江戸期の木樋、石樋、井戸桶の展示、明治期の初期水道栓資料や浄化装置の現物展示が見事である。研究者のための図書館も充実している。

水道博物館内観
東京の水道管網など展示
明治時代の水道栓展示


 以下に「東京都水道歴史館」の展示資料などからみた江戸・東京の水道建設の歴史を紹介してみる。

❖ 江戸期の水道開発の歴史と技術

 世界史の上では紀元前後のローマの水道が有名であるが、日本の本格的な水道の建設は、北条氏康の「小田原早川水道」(1540年代)が初めてといわれる。その後、1590年、江戸に入府した徳川家康は、江戸城下を整えるため、沿岸の埋め立て(日比谷入江)、堀の開削、河川改修に加えて、市中の生活用水を確保するため「上水」開発を積極的に行っている。 当初、小石川に上水路を作り城下に水を供給していたが、これが神田上水に拡張され、江戸初期の浄水供給システムとなった。水の供給は井の頭池を水源とし、これを関口村で堰き止め、水戸藩邸に導入、神田川に架水橋(懸樋)で渡して江戸市中に配水するというものであった。

大名小路辺 玉川上水樋筋絵図
神田川の「懸樋」

 この神田上水は江戸期を通じて使用されることとなる。この様子は江戸期の浮世絵にも描かれ、現在のお茶の水付近にあった「懸樋」が「歴史館」で模型が展示されている。この「上水」は、地形の高低差をサイフォンの原理で通水するシステムなっていて当時の技術力の高さをよく示しているという。 神田川上水建設の後、江戸の人口増大による需要の増加で新たな水路の確保が求められ、この水源として多摩川が選ばれた。そして、1653年、民間町人・玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が工事の請負を願い出て、「玉川上水」が建設の建設が開始される。これは、江戸から遠く離れた羽村に多摩川の取水口を作り、江戸市中の「四谷木戸」まで、長い43キロを高低差の少ない地形条件の中で遙か開削するというものであった。当時は、工事機材が少なく技術的にも非常に困難な開削工事であったとおもわれる。(この工事記録が歴史館の中には「重要文化財」として展示されている」)

埋め込んだ木樋
江戸市中の井戸模型

 この玉川上水は、神田上水と同じように四谷から、地下水道となり市内のあらゆる場所にも配水された。このネットワークは世界にまれに見る精密さを誇っており、主として地下に埋め込んだ木樋が縦横に張り巡らされていた。また、水路には各所に配水や水質管理所ももうけられていて効率的に運用されていた。市中に地下配水された水は各町内の井戸で汲み上げ共同で使用する形をとっていたようで水道料金も細かく定められていたという。 この多摩川用水は、また、江戸近郊で灌漑用水としても使われ幕府の新田開発にも利用されている。

水道古文書

 資料館では、これら江戸時代に実際に使われた「上水」の木樋と配水図、そして、実際の井戸の模型が展示されており、当時の水路建設技術と管理システムの高さを実感できる。こうして生活用水が確保されていたが故に、江戸は百万都市としての機能を維持できていたと考えられる。ロンドンやパリの水道システムはよく知られるが、同時期のヨーロッパにおいても、これだけの水道施設を持っていたのは珍しいといわれている。

 ❖ 江戸の上水から近代水道の移行

  しかし、江戸時代が終わり、江戸が東京に変わるに従って水道施設も新しい対応を迫られる。「江戸上水」は江戸末期になると木樋の腐朽化が進み、さらに幕府の崩壊で水路管理が不十分となったことから、たびたびコレラの大流行などが発生し、衛生上問題が深刻となってきていた。このため、明治政府は、浄化水準の高く大量に水を供給できる近代水道の建設を急いだ。政府は明治7年水道改正委員会を作り、明治10年(1877)「東京府水道改正設計書」を作成して近代水道システムを建設することを決定する。これは、原水を沈殿、ろ過して鉄管で圧送するというもので、東京近代水道の原形がここにようやく示された。また、東京府は、近代水道創設の検討を進める一方、既存の木樋、上水路の補修を行い、水源汚染の取締りを強化するなどして、飲料水の安全確保に腐心した様子がうかがえる。

パーマー
江戸から明治への近代水道導入の年譜図

 この西洋技術を導入した明治期の近代水道建設においては、英国技師のパーマーとハルトンの貢献が大きかったという。設計案は、玉川上水路により多摩川の水を千駄ヶ谷村の浄水工場に導き、沈殿・ろ過した後、麻布及び小石川の給水工場へ送水し、浄水工場に併設された給水工場を含めて3箇所の給水工場からポンプ圧送あるいは自然流下で市内に配水するものであった。 また実施に当たっては、東京市水道改良事務所の技師・中島鋭治によって技術検証がなされ、浄水工場設置場所を淀橋町に、給水工場設置場所を本郷及び芝へとすることで着工された。このような経過から、両外国技師、および中島は、東京の近代水道の最大の貢献者とも称され、資料館には、彼らの肖像とともに、当時の水道地図、使用された鉄製の水道管、水道栓などが、近代水道建設のモニュメント・水道歴史遺産として実物展示してある。施設の給水能力は日量17 万立方メートルでしたが、建設の途中で増強され、完成時には日量24 万立方メートルであったという。

❖ 首都東京の発展と水道網の整備

淀橋浄水所
東京の水源となった村山貯水池

  しかし、首都となった東京は急速な人口増加が続き、自然流水の利用ではすぐに追いつかなくなる。これらの対策として、「村山貯水池」ダムの建設、境浄水場の施設能力を増強、水道路の拡張が企図される(1911)。拡張に当たっては多くの障害と技術的挑戦があったとされ、資料館の展示では、これらが年代ごとの土木技術進展の詳細な説明と使用した機械器具の実物資料とともに展示されている。 近代水道の整備は、長い目で見ると、1920年代の関東大震災による甚大な被害、続く洪水、また、40年代の太平洋戦争による災害などにより、東京の水道路は時に毀滅的な被害を受けた歴史がある。しかし、これら困難を克服する過程で水利土木技術も進展し、小河内ダムの建設、東村山浄水所の建設、金町浄水場、砧下浄水場の増強など水道網整備が逐次はかられていった。また戦後には、利根川からの取水開始、これにともなう朝霞、三郷など浄水場事業開始、金町浄水場の増強などの後継事業が今も続いている。そして、現在では、現在では日量696 万立方メートルで世界有数の水道に発展している。

新宿新都心となった淀橋浄水所
金町浄水所

  この発展の起点となった淀橋浄水場(明治31年(1898)設立)は、1965年に東村山に移転、その跡地は再開発され高層ビルの建ち並ぶ「新宿新都心」に変貌した。東京の都市発展の姿そのものをこの淀橋浄水場跡は象徴している。この記念碑となった淀橋浄水所の建屋の一部が、資料館に現物展示され近代水道建設の歩みを伝えている。

・参照:東京水道の歴史( 東京水道歴史館)  http://www.suidorekishi.jp/images/about/s_history/s_history.pdf
・参照:⽇本国内の⽔道事業の歴史と現状の課題 | ジャパンウォーター https://www.japanwater.co.jp/concession/basic/basic2
・参照:伊藤好一「江戸水道の歴史」吉川弘文堂
・参照:絵で見る江戸の暮らしー江戸の上下水道 http://bn.shinko-web.jp/recall/000871.html
・参照:東京都水道局「水道事業紹介」https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/suidojigyo/gaiyou/rekishi.html
・参照:世界と日本の水道・下水道の起源 http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/818/kinensi06.pdf
・参照:江戸の六上水 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=江戸の六上水&oldid=54550533

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♣ 東京都水の科学館

所在地:東京都江東区有明3-1-8
HP: https://www.mizunokagaku.jp/

東京都水の科学館

  → 「水の科学館」は東京都水道局が運営する水に関する科学館。有明給水所も併設されている。一般の人に水の大切さを知ってもらうために開設されたもの。水道のシステムや役割をわかりやすく学ぶことができる。館では、有明給水所へ案内する「アクア・ツアー」、水の姿を知る「アクア・シアター」、水の秘密を探る「アクア・ラボラトリー」などが用意されている。
・参照:東京都水の科学館 – Wikipedia

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♣ 東京都虹の下水道館

所在地:日本 東京都江東区有明二丁目3番5号 有明水再生センター5階

東京都虹の下水道館

 →「虹の下水道館」は東京都下水道局による下水道をテーマとした体験型の広報施設。1996年、有明下水処理場(現有明水再生センター)の見学説明室として開設。2012年から休館して実物大施設の設置などの改修を行い、2013年4月に再オープンした。下水道管や下水処理場の監視室などを実物大で再現した施設が設置されている。これらの実物大施設を使って、マンホール内の探索や清掃などといった体験もできる。

・参照:東京都虹の下水道館 – Wikipedia
・参照:虹の下水道館(インフラツーリズム ポータルサイト-国土交通省総合政策局)https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/infratourism/infralist/tokyo/index01.html

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♣ 横浜水道記念館(2021年閉館)

旧所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町522
・参考:横浜水道記念館 – Wikipedia

旧横浜水道記念館

 → 横浜水道記念館は、横浜市保土ケ谷区に存在した水道をテーマにした博物館(水道記念館)。近代水道100周年を記念して横浜市水道局西谷浄水場の隣接地に1987年に開館した。施設の老朽化や浄水場の再編に伴い2021年に残念ながら全面閉館した。
 この水道記念館は1887年(明治20年)にイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーの指導の下で日本初の近代水道発祥の地を記念したもので、長く日本の水道事業の発展を後世に伝える役割を果たしていた貴重な施設であった。また、横浜開港直後の深刻な水不足、木製の水道管、獅子頭共用栓など、横浜の近代化を支えた歴史的価値の高い水道技術の歴史資料が展示されていて、市民に水資源の重要性を伝えていただけに惜しまれる。

・参考:映像・写真で見る横浜水道の歴史(横浜市)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/sumai-kurashi/suido-gesui/suido/rekishi/eizou-shashin.html
・参考:水道記念館の歴史 – 神奈川県ホームページhttps://www.pref.kanagawa.jp/docs/r4a/suidoukinenkan/kinenkan_rekisi.html

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♣ 神奈川県水道記念館

所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山4001
HP: https://www.pref.kanagawa.jp/docs/r4a/suidoukinenkan/suidoukinenkan.html

神奈川県水道記念館

  → 神奈川県水道記念館は、日本で初めて県営による広域水道を実現した寒川浄水場の旧送水ポンプ所を活用して開設された水道科学館。1984年に「水」をテーマとした科学館として新たに誕生し、2003年には、創設70周年に伴いリニューアルしている。ちなみに、記念館の置かれた寒川浄水場は保養地として知られる湘南地域への安定的な水道の確保と衛生状態の改善を目的として1936年に完成し設置されている。私設は厚生省が企画した「近代水道百選」にも選定されている。

館内の展示
水と親しむ展示

・参照:神奈川県水道記念館 – Wikipedia
参照:神奈川県水道記念館 |(街時間)https://editor.ja-machijikan.jp/magazine/vol06/8colors/vol4/suidoukinenkan/
・参照:水遊びもOK!寒川『水道記念館』水のテーマパーク(| mamamoana ママモアナ湘南) https://mamamoana.jp/2023/07/28/kanagawa-waterworks/

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(全国の水道記念館―北海道から九州までー)

♣ 札幌市水道記念館

所在地:北海道札幌市中央区伏見4丁目6-17
HP: https://www.swsa.jp/museum/

札幌市水道記念館

  → 札幌市水道記念館は、札幌市内にあった藻岩浄水場施設を改装し、水道創設40周年を記念として1977年に開館した水道博物館。 元となった浄水場は豊平川表流水を水源とし1937年に札幌市の水道創設時に建設された歴史のある浄水場である。1995年5月には2階と3階にも展示室を設けて新装開館している。館内には、水道記念室、アクアタウン、水工場、サイエンスパーク、もいわギャラリー、キッズルーム、水源の森、水の図書館といったコーナーが設けられている。1987年には近代水道百選、2007年には土木学会選奨土木遺産に認定されている。

アクアタウン
「水工場」展示

  ちなみに、北海道の水道は、1889年(明治22年)に函館で創設された元町配水場が日本最古級の近代水道として北海道開拓と共に整備がはじまったといわれる。しかし、札幌水道の歴史は比較的浅く政令指定都市の中でも最も後発の水道となった。札幌市が豊平川に由来する良質で豊富な地下水に恵まれ,当初は水道の必要性があまり認識されていなかったためとされる。その後、都市化や人口増加により地下水の水質汚染が進み,公衆衛生の向上や消防水利の確保など水道の必要性が認められ、横浜に日本初の近代水道が誕生してから50年後の昭和12年(1937年)に札幌水道が創設されている。

・参照札幌市水道記念館 – Wikipedia
・参照: 札幌水道のあゆみ https://www.city.sapporo.jp/suido/riyosya/plan/shihyo/kako-data/documents/08_06.pdf
・参照:札幌市水道記念館(札幌市中央区) – 札幌ぶら歩き探訪https://sapporoburaaruki.info/2023/02/06/sapporo-city-water-suppuly-memorial-museum/
・参照:公益社団法人土木学会北海道支部 | 土木遺産https://www.jsce.or.jp/branch/hokkaido/_contents/heritage/16.htm

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♣ 盛岡市水道記念館

所在地:盛岡市上米内字中居49番地 米内浄水場内
HP: https://www.morioka-water.jp/about/kinenkan.html

盛岡市水道記念館

  → 盛岡市水道記念館は盛岡市の米内浄水場内に設けられた水道博物館。1984年、水道事業創設50周年を記念して整備された。盛岡市が水道事業を開始した1934年に米内浄水場の管理事務所兼管理人住居として使われていた建物を利用している。館内は米内浄水場創建当時の雰囲気や歴史、水道事業のあゆみなどを中心に展示・発信する施設となっている。しかし、2011年3月11日の東日本大震災により水道記念館は大きな被害を受け、一般公開を中止していたが、耐震対策を実施し、2017年に一般公開を再開している。

・参照:盛岡市水道事業90年のあゆみ(盛岡市水道90周年記念誌)https://morioka-water.jp/general/90th_kinenshi/pageindices/index18.html#page=19
・参照:米内浄水場水道記念館 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138491

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♣ 仙台市水道記念館

所在地:仙台市青葉区熊ケ根字大原道地内
HP: https://www.suidou.city.sendai.jp/nx_html/05-kouhou/05-103.html

仙台市水道記念館

  → 水道記念館は、1993年、仙台市の水源のひとつである青下水源地内に開設された水道博物館。水道のしくみや歴史、水と森林・環境の関わりなどを学べる施設となっている。
 館内には、「仙台市の水道のあゆみ」、「水道のしくみ」、「水と環境」の展示ゾーンがあり、それぞれ公営水道の意義、歴史がパネル、映像、模型などを通じて詳しく解説がなされている。中には、江戸時代の仙台藩江戸上屋敷の遺構も展示されていて興味深い。

水道のしくみ展示
仙台藩江戸屋敷の遺構


 ちなみに、仙台市の近代水道は、1923年3月に給水を開始、2023年には100周年を迎えている。その起源は、藩政時代、伊達政宗によって城下にはりめぐらされた『四ツ谷用水』に遡るといわれている。そして、明治以降の近代水道は、広瀬川の支流大倉川に水源を求め、中原浄水場へ水を運び、浄水して荒巻配水所へと送り市内へと給水するという事業であり、1923年に排水がはじまっている。

水道水の循環路
仙台水道の歴史展示

 当時は一般家庭に水道メーターが設置されておらず、いくら水を使っても同じ料金だったため、水道使用量は計画の2倍にも達したという。また、周辺町村との合併により給水区域も拡大、新たな水源が必要となり、広瀬川の支流である青下川を水源とする第一次拡張事業が開始された。その後、青下水源地のほとりに水道記念館が建てられた。現在、記念館は水源かん養林に囲まれながら当時の建築物とともに保全されてその歴史をとどめている。

・参照:仙台水道100周年/日本水道協会全国会議ポータルサイトhttp://www.jwwa.or.jp/zenkoku/venue_sendai_02-02.html:https://www.suidou.city.sendai.jp/nx_html/05-kouhou/05-103.html

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♣ 高崎市水道記念館

所在地:群馬県高崎市若田町309-2若田浄水場内 Tel. 027-321-1286
HP: https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/jougesuidou/3382.html

高崎市水道記念館

  → 高崎市水道記念館は、若田浄水場の敷地内に1991年6月開館した水道博物館。高崎市の水道の歴史や施設、水道の仕組みを紹介した展示を行っている。館内では、江戸時代に使用された木桶、明治時代に簡易水道で使用された水道用陶管、地中にあって目にすることのない配水管などが展示されており、水道に関わる様々な機器や技術の変遷、現在のの水道設備について見ることができる。このほか、飲料水が家庭に届くまでの仕組みを紹介したビデオを上映するミニシアター室もある。  高崎市の水道施設の歴史を見ると、明治20年頃、高崎町の中心部である本町ほか14か町の有志が集まり烏川の流水を引入れた小規模の水道を築造したのがはじまりとされる。そして、1910年に全国で20番目に水道が完成している。

・参照:水道事業の沿革 (高崎市公式ホームページ)https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/jougesuidou/4768.html

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♣ 福井市水道記念館

所在地:福井県福井市足羽一丁目7番35号 足羽揚水ポンプ場
HP: https://www.city.fukui.lg.jp/kurasi/suido/sisetu/p016229.html

福井市水道記念館

  → 福井市水道記念館は、大正時代から使われていた「足羽揚水ポンプ場」を2004年に衣替えして市の水道博物館として改装し開館したもの。館内では、現役時代の大型揚水ポンプを展示するとともに、福井市の水道事業の歴史をパネルで紹介している。福井市の水道は、木田地区の井戸からくみ揚げた地下水をポンプで足羽山にある配水池へ揚げ、市内に水を配ることからはじまっている。この配水池へ水道水を揚げるための施設が「足羽揚水ポンプ場」で、1924年に建設され1991年までの約70年間使用されていた。このポンプ場は大正時代の珍しい洋風建築であることから、市民の要望を受けて保存工事を行い2011年4月に「福井市水道記念館」として生まれ変わった。
 館内には、揚水ポンプの機能と役割、福井市水道事業の歴史・現在・将来、江戸時代から現在までの水道管の展示などが行われており、揚水ポンプ体験コーナーも設けられている。

揚水ポンプ場利用の展示場
足羽の揚水ポンプ機

・参照:福井市水道記念館 | 福井市文化遺産 http://fukuisan.jp/ja/list/p001013.html
・参照:福井市水道記念館(旧足羽揚水ポンプ場) 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146734
・参照: 4K映像 ふくい足もと遺産「水道記念館 」https://www.youtube.com/watch?v=MPjMW0oLp_g

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♣ 大阪市水道記念館

大阪府大阪市東淀川区柴島1丁目3−1
HP: https://suido-kinenkan.jp/

大阪市水道記念館

  → (大阪市)水道記念館は、大阪市の水道通水100周年記念として、柴島浄水場の旧「第1配水ポンプ場」を利用して1995年に開館した水道博物館。大阪市の水道の歴史や水道のしくみ、水道水源環境に関する展示を多角的に行っている。かつては琵琶湖・淀川水系の淡水魚、貝類などを多く飼育した水族館も併設していた。
 館内には、水道ろ過ンロール、水道局の歴史スロープ、送水ポンプの歴史、江戸時代のくらしと水、地下の水の道、水の使用量、水道局の取り組み、SDGsパネル、海洋プラスチック問題パネル、水道のろ過実験コーナーなどの展示コーナーがあり、総合的に「水問題」を学ことのできる場所となっている。
  大阪市の水道は、横浜、函館、長崎に次いで、日本で4番目に創設された歴史があり、日本で近代水道が普及し始めた黎明期を代表する最先端技術が投入された貴重な土木構造物が今もなお現存している。

地下の水の道
送水ポンプの歴史

・参照:大阪市水道局:水道施設の紹介https://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000611598.html
・参照:大阪市水道局:おいしい水のあゆみ~大阪市水道局の歴史~ https://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000182230.html

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♣ 桐生市水道山記念館(旧配水事務所)

所在地:群馬県桐生市堤町1丁目5番7号
HP: https://www.city.kiryu.lg.jp/shisetsu/bunka/1002921.

桐生市の水道山記念館(旧配水事務所)

  → 水道山記念館は、元は桐生市の配水事務所として1932年に水道山(小曾根山)の高区配水池に隣接して建設されたが、1986年に改修工事が行われ「水道山記念館」となり、現在、展示室・会議室として利用されている施設。
  桐生市では、1922年より水道敷設の調査が開始され、1927年に渡良瀬川左岸一帯を水源地とすることに決定。水道山(小曾根山・金毘羅山)に高区・低区配水池が新設され、高区からは山手方面に、低区から平地の市街地に通水することとし、1932年4月には給水開始されている。旧配水事務所は1997年に国の登録有形文化財に指定されている。

・参照:水道山記念館(旧配水事務所)( 文化遺産オンライン) https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/176556
・参照:水道山記念館 – Wikipedia

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♣ 愛知県下水道科学館

所在地:愛知県稲沢市平和町須ケ谷長田295-3
HP: https://eppy.jp/

愛知県下水道科学館

  → 愛知県下水道科学館は愛知県稲沢市にある下水道に関する学習・広報施設。「メタウォーター下水道科学館あいち」の愛称で知られる。2000年に日光川上流浄化センターと平和処理場に隣接して開館した施設で、愛知県が設置し愛知水と緑の公社とアクティオ株式会社の共同体である「A&A下水道科学館」により管理されている。(愛知県の)下水道のことを解り易く紹介するとともに、水環境についても体験しながら学ぶことが出来る施設である。館内には3,000冊以上の蔵書をもつ図書コーナーや水に関する3D映像「水のシアター」があり、館外には遊具や芝生広場のほかにビオトープも設置されている。

・参照:愛知県下水道科学館 – Wikipedia
・参照:メタウォーター下水道科学館なごや ( 名古屋コンシェルジュ)https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/221/

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♣ 琵琶湖疏水記念館

所在地:京都市左京区南禅寺草川町17 Tel. 075-752-2530
HP: https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/

琵琶湖疏水記念館

  → 琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水の竣工100周年を記念して1989年8月に開館した水道博物館。京都の近代化に果たした琵琶湖疏水の役割やその先駆性などを詳しく紹介している。 館の1階は「琵琶湖疎水の計画と建設」をテーマに疎水の計画と建設の経過を紹介。疎水建設計画に用いた図面や工事に使用された動議などを展示している。地階は「琵琶湖疎水が果たした役割、「京都三大事業の実施」(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)に関する展示や岡崎地域一帯のジオラマが展示されている。

第1展示室:測量図など資料
第3展示室:時代と疎水
ペルトン式水車

 屋外には、御所水道45°鉄管、B1階屋外には、琵琶湖疏水を活用した水力発電に使われたペルトン式水車とスタンレー式発電機等を展示。屋外テラスでは、疏水噴水越しに岡崎疏水を望む景色も楽しめるのも特徴となっている。

❖ 琵琶湖疎水の概要と歴史

琵琶湖疎水概念図

  琵琶湖から京都へと水を運ぶ「琵琶湖疏水」は、滋賀県大津市観音寺から京都府京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疏水」、第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmの「第2疏水」、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3kmの「疏水分線」などから成っている。明治期の竣工以来、今なお“現役”で活躍している人工の運河である。この水路の完成により、京都は豊富な水を得ることができるようになった。この水資源を上水道として利用するため、市は日本初の「急速ろ過」方式を採用した蹴上浄水場が完成させ、明治45年(1912)に、蹴上浄水場から水道水の供給が開始された。

旧御所水道ポンプ室
第一疎水第1トンネル
疎水第一トンネル入口に掲げられた伊藤博文の扁額

 

田邉朔郎
蹴上浄水場ろ過場の基礎工事(明治43)

  当時、京都は東京遷都によって人口は約3分の1が減少したばかりか、都市機能が失われつつあったが、京都府知事北垣国道が、明治14(1881)年、琵琶湖から引いた水路開拓取り組み再生を図る。北垣はこの水路により京都への物資の往来を盛んにし新しい産業を興そうと計画したのである。京都府の年間予算の2倍という莫大な工事費を要した前代未聞の大事業であった。また、このため工部大学校を卒業したばかり田邉朔郎を工事責任者に登用、島田道生による精密な測量図を用いて、明治18(1885)年に工事を開始する。工事は延べ400万人の作業員が動員され、日本で初めての竪坑を利用したトンネル掘削工法を採用するなど技術的な工夫も施された。そして、工事中、湧き出る大量の地下水など多くの困難にあったが、約5年の難工事の末、明治23(1890)年に第1疏水を完成させる。この頃の日本は、大規模な土木工事は外国人技師の設計監督に委ねるのが普通であったが、この琵琶湖疏水の建設は、設計から施工まですべてを日本人の手で担ったという点で最初の事例となっている。

琵琶湖疎水建設工事の図(琵琶湖疎水記念館)

   この第1疏水の完成によって、衰退した京都のまちは復興の道を力強く歩み始める。第1疏水から送られる水は、水車動力や舟運、かんがい、防火、庭園用水など、多くの目的に利用されたが、最も人々の暮らしを変えたのは、当時の最先端技術であった水力発電であったという。そして、明治24(1891)年に蹴上で日本最初の一般供給用水力発電所が稼働する。まちに電気が送られ、電灯を灯し機械を動かす動力に利用されるという成果も上げている。

<蹴上浄水場からの安全な水道水の供給>

完成した蹴上浄水場ろ過場内部(明治45年)

  明治20年代後半ともなると、第1疏水の流量では毎年増大する電力の需要が満たせなくなったほか、コレラや腸チフスなどの伝染病が蔓延、地下水に頼っていた飲料水が質・量ともに問題になり始めた。そのため、田邉朔郎の進言を受けた初代京都市長 内貴甚三郎は、第2疏水建設の構想を打ち立てる。これが京都に近代水道を打ち立てることにつながる。
 この構想は、京都市長西郷菊次郎へと引き継がれ、「京都市三大事業」(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)の実現に向う。第2疏水はその事業の中核となり、明治41(1908)年に着工、明治45(1912)年3月に完成を得る。この第2疏水の流量は毎秒15.3㎥、全長約7.4kmで、蹴上で第1疏水に合流することでより豊富な水を得ることができるようになった。また、第2疏水と同時に日本初の「急速ろ過」方式の蹴上浄水場が完成、明治45(1912)年4月には、蹴上浄水場から水道水の供給が開始されている。 水道創設当時、京都市の人口約50万人のうち給水人口は約4万人で、普及率は8%程度であったが。その後、利用者と水の使用量の増大に対応するため、大正の終わりから平成にかけて8期にわたる拡張事業を実施している。

・参照:琵琶湖疏水記念館 | 京都ミュージアム探訪 https://www.kyoto-museums.jp/museum/east/556/
・参照:琵琶湖疏水記念館の 見どころ(日本遺産 琵琶湖疏水)https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/place/detail/34
・参照:琵琶湖疏水とは (日本遺産 琵琶湖疏水)https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
・参照:琵琶湖疏水 – Wikipedia
・参照:琵琶湖疏水記念館(京都観光Navi) https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=11&tourism_id=776
・参照:京都市水道|写真|デジタルアーカイブ|目録・デジタルアーカイブ|琵琶湖疏水記念館 https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/archives/ar/photo/kyoto/

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♣ 神戸市水の科学博物館 (2020年休館・閉館)

所在地:兵庫県神戸市兵庫区楠谷町37番1号

旧神戸市水の科学博物館

  → 神戸市水の科学博物館は、神戸市水道給水開始90周年を記念した「水」をテーマとする科学館。館内には、3D映像と噴水を融合させた劇場「ハイブリッド3Dシアター」や「水のサーカス」、「アクアカッター(高水圧切断機)」、「アクアサロン(図書室)」などがあり、楽しみながら水の科学や水の重要性について理解を深めることができる。科学館となっている白亜の館は「奥平野浄水場・旧急速濾過場上屋」(1917年竣工)の建物であり、その風格ある外観は、戦前の都市政策における水道事業の重要性を示すものとなっている。また、館内にある阪神・淡路大震災の被災水道管は、2018年に「阪神・淡路大震災による被災構造物群」の一部として土木学会選奨土木遺産にも選ばれている。しかし、神戸市は新型コロナウイルスの感染の影響を受けて、2020年9月末日休館(閉館)とした。ただ、科学館の建物は国の登録有形文化財になっており、市は別の用途での活用を検討するとしている。
  ちなみに、この奥平野浄水場は神戸市水道創設時の浄水場で、1900年(明治33年)頃には、付近の布引貯水池(布引ダム)、烏原貯水池などの水源を浄化し市内への給水を行っていたもの。また、神戸市北区の千苅ダム(1919年)から、30km以上の神戸水道送水管の終着点でもあった。

・参考:神戸・水の科学博物館、30年の歴史に幕 新型コロナの感染防止困難(神戸新聞NEXT)https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/0013722737.shtml
・参考:水道歴史遺産を水の科学ミュージアムに(機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター)https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no21/06.html
・参照:神戸市水の科学博物館 – Wikipedia

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♣ 姫路市水道資料館「水の館」

所在地:兵庫県姫路市豊富町豊富1849 姫路市水道局甲山浄水場内
HP: https://www.city.himeji.lg.jp/kurashi/0000001926.html

神戸市水の科学博物館

 → 姫路市の水道資料館「水の館」は、水をテーマに1996年に設立された水道博物館。飲み水の歴史やこれを支える浄水技術のあり方を紹介し、姫路の水道の足跡や将来のあり方を示す展示館となっている。外観は水を入れる容器をイメージした円筒形を二つ繋いだユニークな形をしており、館内は三つの展示室と会議室から構成され、ている。各展示室では、クイズやゲーム、実験装置などで楽しみながら生活と水のかかわりを学習できるようになっている。第一展示室はAqua World(アクアワールド)で水の力や安らぎをテーマにした展示室、第二展示室ではWater Adventure(ウォーターアドベンチャー)と題しで水道の歴史、水道局の仕事や事業を紹介、第三展示室はWater Communication(ウォーターコミュニケーション)~水との対話~となっており、水道の歴史、水道局の仕事や事業を紹介するコーナーとなっている。中でも、吹き抜け天井が全面ガラス張りとなっている第一展示室の雰囲気は上を流れる水により水中にいるような感覚を醸し出しているという。現代の姫路の水道システムと共に、江戸時代など水道がなかった時代の歴史展示も魅力的である。

第3展示室水の秘密
姫路市水道の仕組み
Aqua World展示

・参照:甲山浄水場・水の館(姫路市水道資料館) | 観光スポット | ひめのみちhttps://www.himeji-kanko.jp/spot/116/
・参照:路市施設紹介「水道資料館・水の館」youtube:https://www.youtube.com/watch?v=DGQbnaRjH-w

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♣ 米子市水道記念館

所在地:鳥取県米子市車尾南二丁目8番1号
HP: https://www.city.yonago.lg.jp/8633.htm

米子市水道記念館

 → 米子市制60周年記念事業の一環として1987年に設立・開館した水道記念館。記念館となった建物は1926年に竣工し1965年まで「車尾中央ポンプ場上屋及び監視室」として利用されてきたモノである。その後、施設は米子市水道の創設当時をしのぶ歴史的な建造物として保存されていたが、1987年11月に水道記念館としてリニューアルオープンした。  このロマネスク風のモダンな建築であったポンプ場は、1998年、鳥取県の「県民の建物100選」に選ばれ、2001年には登録有形文化財として登録された貴重な建造物となっている。
  館内には、米子の水道のあゆみがパネルや写真で紹介されており、昭和20年代から30年代に使用されていた水位計や塩素滅菌機などの展示、古くから米子地方に伝わる水にまつわる民話の紹介、水道に関するVTR観賞コーナー、2000年10月に発生した鳥取県西部地震で被災した水道管の展示など、水道の歴史や仕組みが幅広く紹介されている。

取水のパネル展示
使用していた機器展示

・参照:米子市水道記念館 – Wikipedia
・参照:米子市の水道/米子市ホームペー  https://www.city.yonago.lg.jp/16792.htm
・参照:国登録有形文化財 旧米子市水源地旧ポンプ室、記念碑、水神社/米子市ホームページ https://www.city.yonago.lg.jp/36439.htm

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♣ 岡山市水道記念館

所在地:岡山県岡山市北区三野1-2-1 (三野浄水場構内)
HP: https://www.water.okayama.jp/soshiki/kikaku_somu/kinenkan/index.html

岡山市水道記念館

  → 岡山市水道記念館は通水80周年を記念して1985年に開館、2024年にリニューアルオープンした水道博物館。岡山市の水道は、明治38年(1905年)、全国で8番目に整備されたが、この水道記念館施設は、創設当時、動力室・送水ポンプ室だったものを活用して作られ、水の大切さや水道事業について楽しく学べる体験型の施設として利用されている。記念館の建物は2005年には国の登録有形文化財に登録された歴史的建造物となっている。
 館内には、水の旅、歴史年表、浄水場ツアー、水道局紹介、ミライコネクト、魔法の蛇口、ポンプアップ、ダム検索などの展示・体験コーナーなどがあり、体験しながら水道について学べる工夫がなされている。

水の旅展示
水道の歴史年表
くらしを支える水道局

・参照:岡山市水道記念館(岡山市の観光情報サイト OKAYAMA KANKO .net)https://okayama-kanko.net/sightseeing/spot/592/
・参照:岡山市水道記念館 展示内容/岡山市水道局 https://www.water.okayama.jp/soshiki/kikaku_somu/kinenkan/1458.html

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♣ 熊本市水道記念館(旧八景水谷送水場)

所在地:熊本県熊本市八景水谷1-7-3
HP: https://www.kumamoto-waterworks.jp/waterworks_article/1485/

熊本市水道記念館

  → 熊本市水道記念館は、1974年、熊本市の水道創設50周年を機に、旧八景水谷水源地第二送水ポンプ室を場所として開館した水道博物館。1992年、同市内に「水の科学館」がオープンしたため、一時閉館となったが、2004年水道創設80周年の記念事業の1つとして補修を行いリニューアルして再開した。記念館となった同送水ポンプ室は、1924年の上水道創設から1967年までの43年間、八景水谷水源地から立田山配水池へ送水するためポンプ室として使用されていた施設である。外観は、レンガ壁と上部のモルタル壁の取り合わせや寄棟屋根四方に反曲線を配するなどの組み合わせに大正時代の建築様式がうかがえる。1997年には文化庁の登録有形文化財として登録されている。
  館内には、創設当時の歴史資料、送水ポンプ、水道工具、熊本市の水道歴史年表、立田山配水池の説明などの展示がなされている。ただ、水道記念館は、八景水谷送水場内にあるため施設の安全確保の面から常時開放は行われていない。

送水場内部
送水ポンプ

・参照:熊本市水道記念館(旧八景水谷貯水池ポンプ場) 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113257
・参照:熊本市水道記念館 | 九州ヘリテージ フィールドノート
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=953242
・参照:八景水谷送水場・立田山配水池 | 熊本市上下水道局 https://www.kumamoto-waterworks.jp/waterworks_article/3086
・参照:八景水谷送水場水道記念館 Japan – Museums – Yelp

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♣ 熊本市「水の科学館」

所在地:熊本県熊本市北区八景水谷1丁目11−1
HP: https://www.mizunokagakukan.jp/

熊本市水の科学館入口

   → 水の科学館は熊本市水道記念館に並行して1992年に水道をテーマに開館した博物館。熊本・阿蘇地方を中心として豊かな地下水や上下水道の仕組みを展示や映像で紹介している。館内の展示は、くまもと水再発見、地下の国、大地の国、海の国といった主題を設けて、くまもとの水と食、くらしと文化、水の循環の成り立ちをわかりやすく展示・体験する水の科学館となっている。そこでは、加藤清正の治水の歴史、阿蘇山麓の水循環、上下水道局のバーチャル体験など、水に関する詳しい展示が用意されていて楽しめる空間になっている。

水の循環展示
ウオーターライフ

・参照:熊本市水の科学館 | 観光スポット (熊本県観光サイト)https://kumamoto.guide/spots/detail/12273
・参照:熊本市水の科学館 – Wikipedia
・参照:熊本市水の科学館(くまもとのおいしい水のひみつを知ろう)熊本県教育旅行サイト https://kumamoto.guide/shugaku/programs/detail/505

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(水道記念館 了)

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