―近代の社会生活を支える水道建設の意義と歴史を考えるー
はじめに

2026年の冬期をみると、東北・北海道、北陸は豪雪、西日本、関東の太平洋側は記録的な少雨となり、30年ぶりの渇水で様々な社会的影響も出ているようだ。「水」のありがたさを改めて感じる昨今である。フォーラムでは、これを機に日本の水道の歴史と社会インフラとしての水道の役割を考えてみた。日本の近代水道の建設は約100年前の明治初期に始まったとされるが、時代が進むにつれて全国各地で水道網が次々に敷かれるようになった。それ以前にも、家康の「江戸上水」など様々な都市配水の試みもなされてきた歴史がある。これらを踏まえ、改めて各地の水道関係の博物館を取り上げ水道の意義と歴史を考えてみることにした。
ひるがえって水道の敷設状況とその記録を確認してみると、各地の自治体・水道事業体で水道の役割と意義を広げるため資料館や記念館を数多く設置してきているのがわかる。また、公益社団法人日本水道協会は「全国の水道記念館:安全でおいしい水道水供給の推進」WEBサイト」を設けてその存在を広報している。ここでは、これらを参照しつつ各地の水道記念館・博物館の様子を紹介してみた。
See: 全国の水道記念館 http://www.jwwa.or.jp/anzen/kinen.html

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(首都圏の水道博物館・記念館)
♣ 東京都水道歴史館
―江戸の上水から明治の近代水道建設までの歴史を伝える博物館―
所在地:東京都文京区本郷二丁目7番地1号
HP: https://www.suidorekishi.jp/
・参考:「東京都⽔道歴史館」を訪問 https://igsforum.com/visit-tokyo-waterworks-historical-museum-j/


→ 東京都水道歴史館は、江戸・東京の水道400年の歴史を紹介する目的で開設した水道歴史館。この施設は、旧淀橋浄水場の「水道参考館」(1898)、「水道記念館」(1884-)を経て、現在の本郷に移され、「歴史館」となったもの。館内には様々な水道に関する歴史資料が展示されており、17世紀の江戸・神田上水、玉川上水の整備の様子、江戸市中の「上水」供給のシステム、明治以降の「近代水道」への進化などが、実物大の模型や歴史資料、発掘された遺構、年表、映像などを通じて詳しく見ることができる。特に、発掘した江戸期の木樋、石樋、井戸桶の展示、明治期の初期水道栓資料や浄化装置の現物展示が見事である。研究者のための図書館も充実している。



以下に「東京都水道歴史館」の展示資料などからみた江戸・東京の水道建設の歴史を紹介してみる。
❖ 江戸期の水道開発の歴史と技術

世界史の上では紀元前後のローマの水道が有名であるが、日本の本格的な水道の建設は、北条氏康の「小田原早川水道」(1540年代)が初めてといわれる。その後、1590年、江戸に入府した徳川家康は、江戸城下を整えるため、沿岸の埋め立て(日比谷入江)、堀の開削、河川改修に加えて、市中の生活用水を確保するため「上水」開発を積極的に行っている。 当初、小石川に上水路を作り城下に水を供給していたが、これが神田上水に拡張され、江戸初期の浄水供給システムとなった。水の供給は井の頭池を水源とし、これを関口村で堰き止め、水戸藩邸に導入、神田川に架水橋(懸樋)で渡して江戸市中に配水するというものであった。


この神田上水は江戸期を通じて使用されることとなる。この様子は江戸期の浮世絵にも描かれ、現在のお茶の水付近にあった「懸樋」が「歴史館」で模型が展示されている。この「上水」は、地形の高低差をサイフォンの原理で通水するシステムなっていて当時の技術力の高さをよく示しているという。 神田川上水建設の後、江戸の人口増大による需要の増加で新たな水路の確保が求められ、この水源として多摩川が選ばれた。そして、1653年、民間町人・玉川庄右衛門、清右衛門兄弟が工事の請負を願い出て、「玉川上水」が建設の建設が開始される。これは、江戸から遠く離れた羽村に多摩川の取水口を作り、江戸市中の「四谷木戸」まで、長い43キロを高低差の少ない地形条件の中で遙か開削するというものであった。当時は、工事機材が少なく技術的にも非常に困難な開削工事であったとおもわれる。(この工事記録が歴史館の中には「重要文化財」として展示されている」)


この玉川上水は、神田上水と同じように四谷から、地下水道となり市内のあらゆる場所にも配水された。このネットワークは世界にまれに見る精密さを誇っており、主として地下に埋め込んだ木樋が縦横に張り巡らされていた。また、水路には各所に配水や水質管理所ももうけられていて効率的に運用されていた。市中に地下配水された水は各町内の井戸で汲み上げ共同で使用する形をとっていたようで水道料金も細かく定められていたという。 この多摩川用水は、また、江戸近郊で灌漑用水としても使われ幕府の新田開発にも利用されている。

資料館では、これら江戸時代に実際に使われた「上水」の木樋と配水図、そして、実際の井戸の模型が展示されており、当時の水路建設技術と管理システムの高さを実感できる。こうして生活用水が確保されていたが故に、江戸は百万都市としての機能を維持できていたと考えられる。ロンドンやパリの水道システムはよく知られるが、同時期のヨーロッパにおいても、これだけの水道施設を持っていたのは珍しいといわれている。
❖ 江戸の上水から近代水道の移行


しかし、江戸時代が終わり、江戸が東京に変わるに従って水道施設も新しい対応を迫られる。「江戸上水」は江戸末期になると木樋の腐朽化が進み、さらに幕府の崩壊で水路管理が不十分となったことから、たびたびコレラの大流行などが発生し、衛生上問題が深刻となってきていた。このため、明治政府は、浄化水準の高く大量に水を供給できる近代水道の建設を急いだ。政府は明治7年水道改正委員会を作り、明治10年(1877)「東京府水道改正設計書」を作成して近代水道システムを建設することを決定する。これは、原水を沈殿、ろ過して鉄管で圧送するというもので、東京近代水道の原形がここにようやく示された。また、東京府は、近代水道創設の検討を進める一方、既存の木樋、上水路の補修を行い、水源汚染の取締りを強化するなどして、飲料水の安全確保に腐心した様子がうかがえる。


この西洋技術を導入した明治期の近代水道建設においては、英国技師のパーマーとハルトンの貢献が大きかったという。設計案は、玉川上水路により多摩川の水を千駄ヶ谷村の浄水工場に導き、沈殿・ろ過した後、麻布及び小石川の給水工場へ送水し、浄水工場に併設された給水工場を含めて3箇所の給水工場からポンプ圧送あるいは自然流下で市内に配水するものであった。 また実施に当たっては、東京市水道改良事務所の技師・中島鋭治によって技術検証がなされ、浄水工場設置場所を淀橋町に、給水工場設置場所を本郷及び芝へとすることで着工された。このような経過から、両外国技師、および中島は、東京の近代水道の最大の貢献者とも称され、資料館には、彼らの肖像とともに、当時の水道地図、使用された鉄製の水道管、水道栓などが、近代水道建設のモニュメント・水道歴史遺産として実物展示してある。施設の給水能力は日量17 万立方メートルでしたが、建設の途中で増強され、完成時には日量24 万立方メートルであったという。
❖ 首都東京の発展と水道網の整備


しかし、首都となった東京は急速な人口増加が続き、自然流水の利用ではすぐに追いつかなくなる。これらの対策として、「村山貯水池」ダムの建設、境浄水場の施設能力を増強、水道路の拡張が企図される(1911)。拡張に当たっては多くの障害と技術的挑戦があったとされ、資料館の展示では、これらが年代ごとの土木技術進展の詳細な説明と使用した機械器具の実物資料とともに展示されている。 近代水道の整備は、長い目で見ると、1920年代の関東大震災による甚大な被害、続く洪水、また、40年代の太平洋戦争による災害などにより、東京の水道路は時に毀滅的な被害を受けた歴史がある。しかし、これら困難を克服する過程で水利土木技術も進展し、小河内ダムの建設、東村山浄水所の建設、金町浄水場、砧下浄水場の増強など水道網整備が逐次はかられていった。また戦後には、利根川からの取水開始、これにともなう朝霞、三郷など浄水場事業開始、金町浄水場の増強などの後継事業が今も続いている。そして、現在では、現在では日量696 万立方メートルで世界有数の水道に発展している。


この発展の起点となった淀橋浄水場(明治31年(1898)設立)は、1965年に東村山に移転、その跡地は再開発され高層ビルの建ち並ぶ「新宿新都心」に変貌した。東京の都市発展の姿そのものをこの淀橋浄水場跡は象徴している。この記念碑となった淀橋浄水所の建屋の一部が、資料館に現物展示され近代水道建設の歩みを伝えている。
・参照:東京水道の歴史( 東京水道歴史館) http://www.suidorekishi.jp/images/about/s_history/s_history.pdf
・参照:⽇本国内の⽔道事業の歴史と現状の課題 | ジャパンウォーター https://www.japanwater.co.jp/concession/basic/basic2
・参照:伊藤好一「江戸水道の歴史」吉川弘文堂
・参照:絵で見る江戸の暮らしー江戸の上下水道 http://bn.shinko-web.jp/recall/000871.html
・参照:東京都水道局「水道事業紹介」https://www.waterworks.metro.tokyo.jp/suidojigyo/gaiyou/rekishi.html
・参照:世界と日本の水道・下水道の起源 http://www.city.utsunomiya.tochigi.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/013/818/kinensi06.pdf
・参照:江戸の六上水 Wikipedia https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=江戸の六上水&oldid=54550533
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♣ 東京都水の科学館
所在地:東京都江東区有明3-1-8
HP: https://www.mizunokagaku.jp/


→ 「水の科学館」は東京都水道局が運営する水に関する科学館。有明給水所も併設されている。一般の人に水の大切さを知ってもらうために開設されたもの。水道のシステムや役割をわかりやすく学ぶことができる。館では、有明給水所へ案内する「アクア・ツアー」、水の姿を知る「アクア・シアター」、水の秘密を探る「アクア・ラボラトリー」などが用意されている。
・参照:東京都水の科学館 – Wikipedia
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♣ 東京都虹の下水道館
所在地:日本 東京都江東区有明二丁目3番5号 有明水再生センター5階


→「虹の下水道館」は東京都下水道局による下水道をテーマとした体験型の広報施設。1996年、有明下水処理場(現有明水再生センター)の見学説明室として開設。2012年から休館して実物大施設の設置などの改修を行い、2013年4月に再オープンした。下水道管や下水処理場の監視室などを実物大で再現した施設が設置されている。これらの実物大施設を使って、マンホール内の探索や清掃などといった体験もできる。
・参照:東京都虹の下水道館 – Wikipedia
・参照:虹の下水道館(インフラツーリズム ポータルサイト-国土交通省総合政策局)https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/region/infratourism/infralist/tokyo/index01.html
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♣ 横浜水道記念館(2021年閉館)
旧所在地:神奈川県横浜市保土ケ谷区川島町522
・参考:横浜水道記念館 – Wikipedia


→ 横浜水道記念館は、横浜市保土ケ谷区に存在した水道をテーマにした博物館(水道記念館)。近代水道100周年を記念して横浜市水道局西谷浄水場の隣接地に1987年に開館した。施設の老朽化や浄水場の再編に伴い2021年に残念ながら全面閉館した。
この水道記念館は1887年(明治20年)にイギリス人技師ヘンリー・スペンサー・パーマーの指導の下で日本初の近代水道発祥の地を記念したもので、長く日本の水道事業の発展を後世に伝える役割を果たしていた貴重な施設であった。また、横浜開港直後の深刻な水不足、木製の水道管、獅子頭共用栓など、横浜の近代化を支えた歴史的価値の高い水道技術の歴史資料が展示されていて、市民に水資源の重要性を伝えていただけに惜しまれる。
・参考:映像・写真で見る横浜水道の歴史(横浜市)https://www.city.yokohama.lg.jp/kurashi/sumai-kurashi/suido-gesui/suido/rekishi/eizou-shashin.html
・参考:水道記念館の歴史 – 神奈川県ホームページhttps://www.pref.kanagawa.jp/docs/r4a/suidoukinenkan/kinenkan_rekisi.html
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♣ 神奈川県水道記念館
所在地:神奈川県高座郡寒川町宮山4001
HP: https://www.pref.kanagawa.jp/docs/r4a/suidoukinenkan/suidoukinenkan.html


→ 神奈川県水道記念館は、日本で初めて県営による広域水道を実現した寒川浄水場の旧送水ポンプ所を活用して開設された水道科学館。1984年に「水」をテーマとした科学館として新たに誕生し、2003年には、創設70周年に伴いリニューアルしている。ちなみに、記念館の置かれた寒川浄水場は保養地として知られる湘南地域への安定的な水道の確保と衛生状態の改善を目的として1936年に完成し設置されている。私設は厚生省が企画した「近代水道百選」にも選定されている。


・参照:神奈川県水道記念館 – Wikipedia
参照:神奈川県水道記念館 |(街時間)https://editor.ja-machijikan.jp/magazine/vol06/8colors/vol4/suidoukinenkan/
・参照:水遊びもOK!寒川『水道記念館』水のテーマパーク(| mamamoana ママモアナ湘南) https://mamamoana.jp/2023/07/28/kanagawa-waterworks/
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(全国の水道記念館―北海道から九州までー)
♣ 札幌市水道記念館
所在地:北海道札幌市中央区伏見4丁目6-17
HP: https://www.swsa.jp/museum/


→ 札幌市水道記念館は、札幌市内にあった藻岩浄水場施設を改装し、水道創設40周年を記念として1977年に開館した水道博物館。 元となった浄水場は豊平川表流水を水源とし1937年に札幌市の水道創設時に建設された歴史のある浄水場である。1995年5月には2階と3階にも展示室を設けて新装開館している。館内には、水道記念室、アクアタウン、水工場、サイエンスパーク、もいわギャラリー、キッズルーム、水源の森、水の図書館といったコーナーが設けられている。1987年には近代水道百選、2007年には土木学会選奨土木遺産に認定されている。


ちなみに、北海道の水道は、1889年(明治22年)に函館で創設された元町配水場が日本最古級の近代水道として北海道開拓と共に整備がはじまったといわれる。しかし、札幌水道の歴史は比較的浅く政令指定都市の中でも最も後発の水道となった。札幌市が豊平川に由来する良質で豊富な地下水に恵まれ,当初は水道の必要性があまり認識されていなかったためとされる。その後、都市化や人口増加により地下水の水質汚染が進み,公衆衛生の向上や消防水利の確保など水道の必要性が認められ、横浜に日本初の近代水道が誕生してから50年後の昭和12年(1937年)に札幌水道が創設されている。
・参照札幌市水道記念館 – Wikipedia
・参照: 札幌水道のあゆみ https://www.city.sapporo.jp/suido/riyosya/plan/shihyo/kako-data/documents/08_06.pdf
・参照:札幌市水道記念館(札幌市中央区) – 札幌ぶら歩き探訪https://sapporoburaaruki.info/2023/02/06/sapporo-city-water-suppuly-memorial-museum/
・参照:公益社団法人土木学会北海道支部 | 土木遺産https://www.jsce.or.jp/branch/hokkaido/_contents/heritage/16.htm
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♣ 盛岡市水道記念館
所在地:盛岡市上米内字中居49番地 米内浄水場内
HP: https://www.morioka-water.jp/about/kinenkan.html


→ 盛岡市水道記念館は盛岡市の米内浄水場内に設けられた水道博物館。1984年、水道事業創設50周年を記念して整備された。盛岡市が水道事業を開始した1934年に米内浄水場の管理事務所兼管理人住居として使われていた建物を利用している。館内は米内浄水場創建当時の雰囲気や歴史、水道事業のあゆみなどを中心に展示・発信する施設となっている。しかし、2011年3月11日の東日本大震災により水道記念館は大きな被害を受け、一般公開を中止していたが、耐震対策を実施し、2017年に一般公開を再開している。
・参照:盛岡市水道事業90年のあゆみ(盛岡市水道90周年記念誌)https://morioka-water.jp/general/90th_kinenshi/pageindices/index18.html#page=19
・参照:米内浄水場水道記念館 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/138491
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♣ 仙台市水道記念館
所在地:仙台市青葉区熊ケ根字大原道地内
HP: https://www.suidou.city.sendai.jp/nx_html/05-kouhou/05-103.html


→ 水道記念館は、1993年、仙台市の水源のひとつである青下水源地内に開設された水道博物館。水道のしくみや歴史、水と森林・環境の関わりなどを学べる施設となっている。
館内には、「仙台市の水道のあゆみ」、「水道のしくみ」、「水と環境」の展示ゾーンがあり、それぞれ公営水道の意義、歴史がパネル、映像、模型などを通じて詳しく解説がなされている。中には、江戸時代の仙台藩江戸上屋敷の遺構も展示されていて興味深い。


ちなみに、仙台市の近代水道は、1923年3月に給水を開始、2023年には100周年を迎えている。その起源は、藩政時代、伊達政宗によって城下にはりめぐらされた『四ツ谷用水』に遡るといわれている。そして、明治以降の近代水道は、広瀬川の支流大倉川に水源を求め、中原浄水場へ水を運び、浄水して荒巻配水所へと送り市内へと給水するという事業であり、1923年に排水がはじまっている。


当時は一般家庭に水道メーターが設置されておらず、いくら水を使っても同じ料金だったため、水道使用量は計画の2倍にも達したという。また、周辺町村との合併により給水区域も拡大、新たな水源が必要となり、広瀬川の支流である青下川を水源とする第一次拡張事業が開始された。その後、青下水源地のほとりに水道記念館が建てられた。現在、記念館は水源かん養林に囲まれながら当時の建築物とともに保全されてその歴史をとどめている。
・参照:仙台水道100周年/日本水道協会全国会議ポータルサイトhttp://www.jwwa.or.jp/zenkoku/venue_sendai_02-02.html:https://www.suidou.city.sendai.jp/nx_html/05-kouhou/05-103.html
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♣ 高崎市水道記念館
所在地:群馬県高崎市若田町309-2若田浄水場内 Tel. 027-321-1286
HP: https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/jougesuidou/3382.html


→ 高崎市水道記念館は、若田浄水場の敷地内に1991年6月開館した水道博物館。高崎市の水道の歴史や施設、水道の仕組みを紹介した展示を行っている。館内では、江戸時代に使用された木桶、明治時代に簡易水道で使用された水道用陶管、地中にあって目にすることのない配水管などが展示されており、水道に関わる様々な機器や技術の変遷、現在のの水道設備について見ることができる。このほか、飲料水が家庭に届くまでの仕組みを紹介したビデオを上映するミニシアター室もある。 高崎市の水道施設の歴史を見ると、明治20年頃、高崎町の中心部である本町ほか14か町の有志が集まり烏川の流水を引入れた小規模の水道を築造したのがはじまりとされる。そして、1910年に全国で20番目に水道が完成している。
・参照:水道事業の沿革 (高崎市公式ホームページ)https://www.city.takasaki.gunma.jp/site/jougesuidou/4768.html
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♣ 福井市水道記念館
所在地:福井県福井市足羽一丁目7番35号 足羽揚水ポンプ場
HP: https://www.city.fukui.lg.jp/kurasi/suido/sisetu/p016229.html


→ 福井市水道記念館は、大正時代から使われていた「足羽揚水ポンプ場」を2004年に衣替えして市の水道博物館として改装し開館したもの。館内では、現役時代の大型揚水ポンプを展示するとともに、福井市の水道事業の歴史をパネルで紹介している。福井市の水道は、木田地区の井戸からくみ揚げた地下水をポンプで足羽山にある配水池へ揚げ、市内に水を配ることからはじまっている。この配水池へ水道水を揚げるための施設が「足羽揚水ポンプ場」で、1924年に建設され1991年までの約70年間使用されていた。このポンプ場は大正時代の珍しい洋風建築であることから、市民の要望を受けて保存工事を行い2011年4月に「福井市水道記念館」として生まれ変わった。
館内には、揚水ポンプの機能と役割、福井市水道事業の歴史・現在・将来、江戸時代から現在までの水道管の展示などが行われており、揚水ポンプ体験コーナーも設けられている。


・参照:福井市水道記念館 | 福井市文化遺産 http://fukuisan.jp/ja/list/p001013.html
・参照:福井市水道記念館(旧足羽揚水ポンプ場) 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146734
・参照: 4K映像 ふくい足もと遺産「水道記念館 」https://www.youtube.com/watch?v=MPjMW0oLp_g
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♣ 大阪市水道記念館
大阪府大阪市東淀川区柴島1丁目3−1
HP: https://suido-kinenkan.jp/


→ (大阪市)水道記念館は、大阪市の水道通水100周年記念として、柴島浄水場の旧「第1配水ポンプ場」を利用して1995年に開館した水道博物館。大阪市の水道の歴史や水道のしくみ、水道水源環境に関する展示を多角的に行っている。かつては琵琶湖・淀川水系の淡水魚、貝類などを多く飼育した水族館も併設していた。
館内には、水道ろ過ンロール、水道局の歴史スロープ、送水ポンプの歴史、江戸時代のくらしと水、地下の水の道、水の使用量、水道局の取り組み、SDGsパネル、海洋プラスチック問題パネル、水道のろ過実験コーナーなどの展示コーナーがあり、総合的に「水問題」を学ことのできる場所となっている。
大阪市の水道は、横浜、函館、長崎に次いで、日本で4番目に創設された歴史があり、日本で近代水道が普及し始めた黎明期を代表する最先端技術が投入された貴重な土木構造物が今もなお現存している。


・参照:大阪市水道局:水道施設の紹介https://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000611598.html
・参照:大阪市水道局:おいしい水のあゆみ~大阪市水道局の歴史~ https://www.city.osaka.lg.jp/suido/page/0000182230.html
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♣ 桐生市水道山記念館(旧配水事務所)
所在地:群馬県桐生市堤町1丁目5番7号
HP: https://www.city.kiryu.lg.jp/shisetsu/bunka/1002921.


→ 水道山記念館は、元は桐生市の配水事務所として1932年に水道山(小曾根山)の高区配水池に隣接して建設されたが、1986年に改修工事が行われ「水道山記念館」となり、現在、展示室・会議室として利用されている施設。
桐生市では、1922年より水道敷設の調査が開始され、1927年に渡良瀬川左岸一帯を水源地とすることに決定。水道山(小曾根山・金毘羅山)に高区・低区配水池が新設され、高区からは山手方面に、低区から平地の市街地に通水することとし、1932年4月には給水開始されている。旧配水事務所は1997年に国の登録有形文化財に指定されている。
・参照:水道山記念館(旧配水事務所)( 文化遺産オンライン) https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/176556
・参照:水道山記念館 – Wikipedia
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♣ 愛知県下水道科学館
所在地:愛知県稲沢市平和町須ケ谷長田295-3
HP: https://eppy.jp/


→ 愛知県下水道科学館は愛知県稲沢市にある下水道に関する学習・広報施設。「メタウォーター下水道科学館あいち」の愛称で知られる。2000年に日光川上流浄化センターと平和処理場に隣接して開館した施設で、愛知県が設置し愛知水と緑の公社とアクティオ株式会社の共同体である「A&A下水道科学館」により管理されている。(愛知県の)下水道のことを解り易く紹介するとともに、水環境についても体験しながら学ぶことが出来る施設である。館内には3,000冊以上の蔵書をもつ図書コーナーや水に関する3D映像「水のシアター」があり、館外には遊具や芝生広場のほかにビオトープも設置されている。
・参照:愛知県下水道科学館 – Wikipedia
・参照:メタウォーター下水道科学館なごや ( 名古屋コンシェルジュ)https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/221/
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♣ 琵琶湖疏水記念館
所在地:京都市左京区南禅寺草川町17 Tel. 075-752-2530
HP: https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/


→ 琵琶湖疏水記念館は、琵琶湖疏水の竣工100周年を記念して1989年8月に開館した水道博物館。京都の近代化に果たした琵琶湖疏水の役割やその先駆性などを詳しく紹介している。 館の1階は「琵琶湖疎水の計画と建設」をテーマに疎水の計画と建設の経過を紹介。疎水建設計画に用いた図面や工事に使用された動議などを展示している。地階は「琵琶湖疎水が果たした役割、「京都三大事業の実施」(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)に関する展示や岡崎地域一帯のジオラマが展示されている。



屋外には、御所水道45°鉄管、B1階屋外には、琵琶湖疏水を活用した水力発電に使われたペルトン式水車とスタンレー式発電機等を展示。屋外テラスでは、疏水噴水越しに岡崎疏水を望む景色も楽しめるのも特徴となっている。
❖ 琵琶湖疎水の概要と歴史


琵琶湖から京都へと水を運ぶ「琵琶湖疏水」は、滋賀県大津市観音寺から京都府京都市伏見区堀詰町までの全長約20kmの「第1疏水」、第1疏水の北側を全線トンネルで並行する全長約7.4kmの「第2疏水」、京都市左京区の蹴上付近から分岐し北白川に至る全長約3.3kmの「疏水分線」などから成っている。明治期の竣工以来、今なお“現役”で活躍している人工の運河である。この水路の完成により、京都は豊富な水を得ることができるようになった。この水資源を上水道として利用するため、市は日本初の「急速ろ過」方式を採用した蹴上浄水場が完成させ、明治45年(1912)に、蹴上浄水場から水道水の供給が開始された。





当時、京都は東京遷都によって人口は約3分の1が減少したばかりか、都市機能が失われつつあったが、京都府知事北垣国道が、明治14(1881)年、琵琶湖から引いた水路開拓取り組み再生を図る。北垣はこの水路により京都への物資の往来を盛んにし新しい産業を興そうと計画したのである。京都府の年間予算の2倍という莫大な工事費を要した前代未聞の大事業であった。また、このため工部大学校を卒業したばかり田邉朔郎を工事責任者に登用、島田道生による精密な測量図を用いて、明治18(1885)年に工事を開始する。工事は延べ400万人の作業員が動員され、日本で初めての竪坑を利用したトンネル掘削工法を採用するなど技術的な工夫も施された。そして、工事中、湧き出る大量の地下水など多くの困難にあったが、約5年の難工事の末、明治23(1890)年に第1疏水を完成させる。この頃の日本は、大規模な土木工事は外国人技師の設計監督に委ねるのが普通であったが、この琵琶湖疏水の建設は、設計から施工まですべてを日本人の手で担ったという点で最初の事例となっている。

この第1疏水の完成によって、衰退した京都のまちは復興の道を力強く歩み始める。第1疏水から送られる水は、水車動力や舟運、かんがい、防火、庭園用水など、多くの目的に利用されたが、最も人々の暮らしを変えたのは、当時の最先端技術であった水力発電であったという。そして、明治24(1891)年に蹴上で日本最初の一般供給用水力発電所が稼働する。まちに電気が送られ、電灯を灯し機械を動かす動力に利用されるという成果も上げている。
<蹴上浄水場からの安全な水道水の供給>

明治20年代後半ともなると、第1疏水の流量では毎年増大する電力の需要が満たせなくなったほか、コレラや腸チフスなどの伝染病が蔓延、地下水に頼っていた飲料水が質・量ともに問題になり始めた。そのため、田邉朔郎の進言を受けた初代京都市長 内貴甚三郎は、第2疏水建設の構想を打ち立てる。これが京都に近代水道を打ち立てることにつながる。
この構想は、京都市長西郷菊次郎へと引き継がれ、「京都市三大事業」(第2琵琶湖疏水の建設・上水道の布設・道路拡築及び市電の敷設)の実現に向う。第2疏水はその事業の中核となり、明治41(1908)年に着工、明治45(1912)年3月に完成を得る。この第2疏水の流量は毎秒15.3㎥、全長約7.4kmで、蹴上で第1疏水に合流することでより豊富な水を得ることができるようになった。また、第2疏水と同時に日本初の「急速ろ過」方式の蹴上浄水場が完成、明治45(1912)年4月には、蹴上浄水場から水道水の供給が開始されている。 水道創設当時、京都市の人口約50万人のうち給水人口は約4万人で、普及率は8%程度であったが。その後、利用者と水の使用量の増大に対応するため、大正の終わりから平成にかけて8期にわたる拡張事業を実施している。
・参照:琵琶湖疏水記念館 | 京都ミュージアム探訪 https://www.kyoto-museums.jp/museum/east/556/
・参照:琵琶湖疏水記念館の 見どころ(日本遺産 琵琶湖疏水)https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/place/detail/34
・参照:琵琶湖疏水とは (日本遺産 琵琶湖疏水)https://biwakososui.city.kyoto.lg.jp/story/
・参照:琵琶湖疏水 – Wikipedia
・参照:琵琶湖疏水記念館(京都観光Navi) https://ja.kyoto.travel/tourism/single01.php?category_id=11&tourism_id=776
・参照:京都市水道|写真|デジタルアーカイブ|目録・デジタルアーカイブ|琵琶湖疏水記念館 https://biwakososui-museum.city.kyoto.lg.jp/archives/ar/photo/kyoto/
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♣ 神戸市水の科学博物館 (2020年休館・閉館)
所在地:兵庫県神戸市兵庫区楠谷町37番1号


→ 神戸市水の科学博物館は、神戸市水道給水開始90周年を記念した「水」をテーマとする科学館。館内には、3D映像と噴水を融合させた劇場「ハイブリッド3Dシアター」や「水のサーカス」、「アクアカッター(高水圧切断機)」、「アクアサロン(図書室)」などがあり、楽しみながら水の科学や水の重要性について理解を深めることができる。科学館となっている白亜の館は「奥平野浄水場・旧急速濾過場上屋」(1917年竣工)の建物であり、その風格ある外観は、戦前の都市政策における水道事業の重要性を示すものとなっている。また、館内にある阪神・淡路大震災の被災水道管は、2018年に「阪神・淡路大震災による被災構造物群」の一部として土木学会選奨土木遺産にも選ばれている。しかし、神戸市は新型コロナウイルスの感染の影響を受けて、2020年9月末日休館(閉館)とした。ただ、科学館の建物は国の登録有形文化財になっており、市は別の用途での活用を検討するとしている。
ちなみに、この奥平野浄水場は神戸市水道創設時の浄水場で、1900年(明治33年)頃には、付近の布引貯水池(布引ダム)、烏原貯水池などの水源を浄化し市内への給水を行っていたもの。また、神戸市北区の千苅ダム(1919年)から、30km以上の神戸水道送水管の終着点でもあった。
・参考:神戸・水の科学博物館、30年の歴史に幕 新型コロナの感染防止困難(神戸新聞NEXT)https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202009/0013722737.shtml
・参考:水道歴史遺産を水の科学ミュージアムに(機関誌『水の文化』│ミツカン 水の文化センター)https://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no21/06.html
・参照:神戸市水の科学博物館 – Wikipedia
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♣ 姫路市水道資料館「水の館」
所在地:兵庫県姫路市豊富町豊富1849 姫路市水道局甲山浄水場内
HP: https://www.city.himeji.lg.jp/kurashi/0000001926.html


→ 姫路市の水道資料館「水の館」は、水をテーマに1996年に設立された水道博物館。飲み水の歴史やこれを支える浄水技術のあり方を紹介し、姫路の水道の足跡や将来のあり方を示す展示館となっている。外観は水を入れる容器をイメージした円筒形を二つ繋いだユニークな形をしており、館内は三つの展示室と会議室から構成され、ている。各展示室では、クイズやゲーム、実験装置などで楽しみながら生活と水のかかわりを学習できるようになっている。第一展示室はAqua World(アクアワールド)で水の力や安らぎをテーマにした展示室、第二展示室ではWater Adventure(ウォーターアドベンチャー)と題しで水道の歴史、水道局の仕事や事業を紹介、第三展示室はWater Communication(ウォーターコミュニケーション)~水との対話~となっており、水道の歴史、水道局の仕事や事業を紹介するコーナーとなっている。中でも、吹き抜け天井が全面ガラス張りとなっている第一展示室の雰囲気は上を流れる水により水中にいるような感覚を醸し出しているという。現代の姫路の水道システムと共に、江戸時代など水道がなかった時代の歴史展示も魅力的である。



・参照:甲山浄水場・水の館(姫路市水道資料館) | 観光スポット | ひめのみちhttps://www.himeji-kanko.jp/spot/116/
・参照:路市施設紹介「水道資料館・水の館」youtube:https://www.youtube.com/watch?v=DGQbnaRjH-w
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♣ 米子市水道記念館
所在地:鳥取県米子市車尾南二丁目8番1号
HP: https://www.city.yonago.lg.jp/8633.htm


→ 米子市制60周年記念事業の一環として1987年に設立・開館した水道記念館。記念館となった建物は1926年に竣工し1965年まで「車尾中央ポンプ場上屋及び監視室」として利用されてきたモノである。その後、施設は米子市水道の創設当時をしのぶ歴史的な建造物として保存されていたが、1987年11月に水道記念館としてリニューアルオープンした。 このロマネスク風のモダンな建築であったポンプ場は、1998年、鳥取県の「県民の建物100選」に選ばれ、2001年には登録有形文化財として登録された貴重な建造物となっている。
館内には、米子の水道のあゆみがパネルや写真で紹介されており、昭和20年代から30年代に使用されていた水位計や塩素滅菌機などの展示、古くから米子地方に伝わる水にまつわる民話の紹介、水道に関するVTR観賞コーナー、2000年10月に発生した鳥取県西部地震で被災した水道管の展示など、水道の歴史や仕組みが幅広く紹介されている。


・参照:米子市水道記念館 – Wikipedia
・参照:米子市の水道/米子市ホームペー https://www.city.yonago.lg.jp/16792.htm
・参照:国登録有形文化財 旧米子市水源地旧ポンプ室、記念碑、水神社/米子市ホームページ https://www.city.yonago.lg.jp/36439.htm
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♣ 岡山市水道記念館
所在地:岡山県岡山市北区三野1-2-1 (三野浄水場構内)
HP: https://www.water.okayama.jp/soshiki/kikaku_somu/kinenkan/index.html


→ 岡山市水道記念館は通水80周年を記念して1985年に開館、2024年にリニューアルオープンした水道博物館。岡山市の水道は、明治38年(1905年)、全国で8番目に整備されたが、この水道記念館施設は、創設当時、動力室・送水ポンプ室だったものを活用して作られ、水の大切さや水道事業について楽しく学べる体験型の施設として利用されている。記念館の建物は2005年には国の登録有形文化財に登録された歴史的建造物となっている。
館内には、水の旅、歴史年表、浄水場ツアー、水道局紹介、ミライコネクト、魔法の蛇口、ポンプアップ、ダム検索などの展示・体験コーナーなどがあり、体験しながら水道について学べる工夫がなされている。



・参照:岡山市水道記念館(岡山市の観光情報サイト OKAYAMA KANKO .net)https://okayama-kanko.net/sightseeing/spot/592/
・参照:岡山市水道記念館 展示内容/岡山市水道局 https://www.water.okayama.jp/soshiki/kikaku_somu/kinenkan/1458.html
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♣ 熊本市水道記念館(旧八景水谷送水場)
所在地:熊本県熊本市八景水谷1-7-3
HP: https://www.kumamoto-waterworks.jp/waterworks_article/1485/


→ 熊本市水道記念館は、1974年、熊本市の水道創設50周年を機に、旧八景水谷水源地第二送水ポンプ室を場所として開館した水道博物館。1992年、同市内に「水の科学館」がオープンしたため、一時閉館となったが、2004年水道創設80周年の記念事業の1つとして補修を行いリニューアルして再開した。記念館となった同送水ポンプ室は、1924年の上水道創設から1967年までの43年間、八景水谷水源地から立田山配水池へ送水するためポンプ室として使用されていた施設である。外観は、レンガ壁と上部のモルタル壁の取り合わせや寄棟屋根四方に反曲線を配するなどの組み合わせに大正時代の建築様式がうかがえる。1997年には文化庁の登録有形文化財として登録されている。
館内には、創設当時の歴史資料、送水ポンプ、水道工具、熊本市の水道歴史年表、立田山配水池の説明などの展示がなされている。ただ、水道記念館は、八景水谷送水場内にあるため施設の安全確保の面から常時開放は行われていない。


・参照:熊本市水道記念館(旧八景水谷貯水池ポンプ場) 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/113257
・参照:熊本市水道記念館 | 九州ヘリテージ フィールドノート
http://blog.kyushu-heritage.jp/?eid=953242
・参照:八景水谷送水場・立田山配水池 | 熊本市上下水道局 https://www.kumamoto-waterworks.jp/waterworks_article/3086
・参照:八景水谷送水場水道記念館 Japan – Museums – Yelp
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♣ 熊本市「水の科学館」
所在地:熊本県熊本市北区八景水谷1丁目11−1
HP: https://www.mizunokagakukan.jp/


→ 水の科学館は熊本市水道記念館に並行して1992年に水道をテーマに開館した博物館。熊本・阿蘇地方を中心として豊かな地下水や上下水道の仕組みを展示や映像で紹介している。館内の展示は、くまもと水再発見、地下の国、大地の国、海の国といった主題を設けて、くまもとの水と食、くらしと文化、水の循環の成り立ちをわかりやすく展示・体験する水の科学館となっている。そこでは、加藤清正の治水の歴史、阿蘇山麓の水循環、上下水道局のバーチャル体験など、水に関する詳しい展示が用意されていて楽しめる空間になっている。


・参照:熊本市水の科学館 | 観光スポット (熊本県観光サイト)https://kumamoto.guide/spots/detail/12273
・参照:熊本市水の科学館 – Wikipedia
・参照:熊本市水の科学館(くまもとのおいしい水のひみつを知ろう)熊本県教育旅行サイト https://kumamoto.guide/shugaku/programs/detail/505
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(水道記念館 了)