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ガラスの製作技術と工芸品の博物館 (博物館紹介)
ここでは日本のガラス製作の現状と発展の歴史を検証すると共に、各地で特色あるガラス高原品が作られた過程、独自の美術品として展示している博物館を紹介している。 ♣ AGC横浜テクニカルセンター ) 所在地:神奈川県横浜市鶴見区末広町1-1 Tel.045-503-7100 HP:https://www.agc.com/innovation/yokohama/index.html → テクニカルセンターでは、AGC(旭硝子)の素材や技術開発の現状を紹介展示している施設。2021年に横浜市神奈川区のAGC中央研究所と統合し、名実ともにAGC株式会社の技術開発の中心拠点となっている。建材用板ガラス、車載ディスプレイ用カバーガラスの製造も行っており、研究段階から生産・出荷までが揃ったユニークな拠点でもある。 施設内には「AO/AGC OPEN SQUARE」が設けられており、4階のAO Studio では、最先端の素材が集められていて技術や機能に触れることができる。そこではアイデアを発見してプロトタイピングして想いを形にする場であると説明されている。また、ガラスの溶ける熱量を感じられるデモの他、各種3Dプリンターを導入したAMラボ、VR/AR/MRといったデジタル機器でプロトタイピングするXRラボといった最新設備も備えている。あくまで顧客用の施設ではあるが、機会があれば訪問してみたい施設である。参照:AGCの協創空間「AO」に、素材の可能性と出会う場( Communication Design)https://www.hakuten.co.jp/story/agc_private_exhibition ♣ 工部省品川硝子製造所(明治村)(史跡) → 明治政府による板ガラスやガラス瓶の製造工場建屋。西欧の技術導入によるガラス国産化努力が示されている。 ちなみに、明治政府は、明治初期、洋館建設促進などのため日本初の板ガラス製造工場「興業社」を設立。その後、工部省は、輸入に頼っていた板ガラスの国産化を積極的に進める必要から官営の「品川硝子製造所」を創設。これは硝子産業の育成と技術者の養成を目的とした模範工場であった。それまで日本では切子ガラスやジャッパン吹きとよばれるガラス製の吹竿等を使った小振りで華者な和製吹きガラスが主流で、板ガラス、食器などを大量に生産することはできなかった。 この「製造所」を軸に、多くの試行錯誤を経ながら新技術の導入や優れた技術者の育成が図られ、後の日本の近代的硝子産業が育つことになった。この品川ガラス製作所で初の日本人技師となり洋式ガラスの技術を指導し、近代ガラス工芸の基礎を築いた人物として佐賀の藤山種廣が知られる。この記念すべき工業ガラス製作発祥の史跡が明治村に移設された「工部省品川硝子製造所」である。・参照:近代ガラス工業の発祥と品川(品川歴史館解説シート)https://www.city.shinagawa.tokyo.jp/jigyo/06/historyhp/pdf/pub/kaisetsu/cs16l.pd・参照 藤山種廣 – Wikipedia +++++++++ ♣ 道後ぎやまんガラスミュージアム 所在地:愛媛県松山市道後鷺谷町459-1 Tel.089-933-365HP: https://www.dogo-yamanote.com/garden/museum/ → 道後温泉本館から徒歩3分の水と緑あふれる庭園に囲まれた美術館。 館内は赤と黒を基調にしたモダンな造りの美術館である。 道後温泉本館の象徴、振鷺閣の赤い板ガラスをはじめ、希少な江戸時代の「ぎやまん・びいどろ」や 明治・大正時代の和ガラス作品を約300点展示している。ちなみに、「びいどろ」はポルトガル語でガラスを意味する「vidro(ヴィドロ)」、ギヤマンはポルトガル語でダイヤモンドを意味する「diamante(ジアマント)」が語源とされる。種子島に漂着したポルトガル船を皮切りに、16世紀にこれらガラス製造技術が日本にも伝わり、江戸時代、長崎でガラスの製作が始まった。その後、“宙吹き”、“型吹き”、“切子”などの技法導入によりガラス工芸品(和ガラス)製作技術が発達している。明治近代化の明治6年(1873)には本格的な西洋式のガラス工場「興業社」(後の品川硝子製作所)が東京・品川に設立され、工業品としてガラスの日用器がごく普通に作られるようになり現在に至っている。この美術館では江戸の和ガラスを中心に、江戸以来の時代を通じたガラス工芸品製品が見られるという。 ・参考:日本工芸堂;日本のガラス工芸の歴史「びーどろ」と「ぎやまん」の違いhttps://japanesecrafts.com/blogs/news/vidro-giyaman?srsltid=AfmBOoqiUYzXiHhHX-pIfzn1uadNroIXHydU5VujdAKGmzEkhZTvDrPp#1・参考:「ぎやまんの歴史|道後ぎやまんガラスミュージアムhttps://www.dogo-yamanote.com/garden/museum/history.html ♣ ガラスミュージアム (黄金崎クリスタルパーク) 所在地:静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須2204-3 Tel.0558-55-1515HP: https://ikoyo-nishiizu.jp/crystal/museum/ → このガラスミュージアムは現代ガラスをテーマの美術館、自然光を一部取り入れた、天井の高い常設展示室には国内外の優れた現代ガラス作品、約40点を展示している。 ガラスと光が織りなす幻想的な空間が魅力となっている。企画展示室では、現代ガラスに焦点を当てた独自の企画展も開催している。「現代ガラス」とは、主に1960年代以降に広まった自由で独創的なガラス芸術のことを指し、アーティストが小型の熔解炉を使って、みずからの意志で自由にガラス作品をつくる「スタジオ・グラス運動」と呼ばれる活動である。 参考:スタジオグラスとは何? わかりやすく解説 Weblio辞書参考:日本近現代ガラスの源流 – 富山市ガラス美術館 (toyama-glass-art-museum.jp) … Continue reading
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日本の陶芸文化「やきもの」博物館(その2)(博物館紹介)
―地場の有力な伝統工芸陶器の展示資料館と窯元などー 日本のものつくり文化を伝える伝統工芸陶器「焼きもの」の博物館・美術館は非常に数が多いため、ここでは二つにわけ紹介することした。これは、その2である。とする。その1では、全国的にも知られる有力な伝統工芸陶器の博物館・美術館、その2では、地場の「やきもの」資料館をリストと共に掲げることとしている。また、参考資料として、主な「やきもの」の産地、陶磁器の生産地の特色と背景、窯元の地域分布を取り上げている。 +++++++++++++++++++ (各地の地場焼物の展示資料館) ♣ 壺屋焼物博物館 所在地:沖縄県那覇市壺屋1丁目9番32号 Tel. 098-862-3761HP: http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/ →古くから沖縄の陶業の中心地として栄えた壺屋の地に建設されたヤチムン(焼物)の博物館。沖縄・壺屋の焼物に関する資料を収集保管するほか、技術的に関連の深いアジア諸国の焼物なども併せて展示している。焼物の調査研究拠点としての機能も果たしているようだ。壺屋焼の製法や技法を紹介しながら作品を展示しているのが特徴。また、博物館の建設地から発掘され、切り取ったニシヌ窯をほぼ原位置で保存・展示している。 ・参考:展示の概要 – 那覇市立壺屋焼物博物館 (city.naha.okinawa.jp)http://www.edu.city.naha.okinawa.jp/tsuboya/gaiyou2.html ♣ 薩摩伝承館 所在地:鹿児島県指宿市東方12131-4(指宿白水館敷地内)Tel. 0993-23-0211HP: http://www.satsuma-denshokan.com/ → 薩摩伝承館は、薩摩焼をはじめ薩摩由来の工芸品、美術品、薩摩と関係の深かった中国陶磁器などを一堂に展示する民間公開美術館。幕末から明治にかけての鹿児島・薩摩の歴史と文化を広く伝えるべく2008年に開館している。館内は、金襴、維新、薩摩、民窯の四つの展示室からなっており、それぞれ貴重な作品が豪華な室内外装飾と共に展示されている。中心となるのは老舗旅館「白水館」が創業以来60年かけて収集した美術品3000点、現在約400点が展示されているという。 (薩摩焼とは) →薩摩焼は、鹿児島県で生産される陶磁器、白薩摩、黒薩摩、磁器の3種類といわれる。から形成されます。白薩摩は“白もん”と呼ばれ、淡い黄色い焼き物に透明の釉薬を使い表面にひびをあしらったもので、主に装飾品や置物に使われる。黒薩摩は“黒もん”と呼ばれ鉄分の多い陶土を利用して作陶、釉薬も色味のついたものを利用している。主に焼酎を飲むときに使われる陶器となっている。薩摩焼には主原料を陶石とする磁器も存在するが、現在は流派が途絶え作られていないという。薩摩焼の産地は、主に鹿児島市、指宿市、日置市等になり、現在残っている窯場は苗代川系、龍門司系、竪野系の3つの窯場とされる。苗代川系は当初は主に“黒もん”を中心に作成していたが、現在では“白もん”を中心に制作している窯場が多い。龍門司系は“黒もん”中心で酒器を作成している窯場で、竪野系は“白もん”中心で主に贈答用の茶器等を制作しているとされる。 ・参照:KOGEI JAPAN:薩摩焼の特徴 や歴史-https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/satsumayaki/より・参照:日本のやきもの/薩摩焼 https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/satsuma/sanchi_satsuma.html ♣ 鹿児島県歴史・美術センター黎明館(薩摩焼) 所在地:鹿児島県鹿児島市城山町7-2 Tel. 099-286-2111HP: http://tougeizanmai.com/tabitetyou/028/00reimeikan.htm →「黎明館」は、鹿児島の歴史、考古、民俗、美術・工芸を紹介する総合博物館として1983年に設立された博物館。江戸時代の島津家鶴丸城本丸跡地に建設され、西南戦争の銃痕が残る濠、石垣、石橋など由緒あるものが残っており鹿児島県指定史跡になっている歴史的なもの。館内3階の工芸の展示室では、苗代川系、竪野系、龍門司系に分類された薩摩焼が展示されている。中には、竪野系で焼かれた「火計り手」も展示されている。 ・参考:鹿児島県歴史・美術センター黎明館(公式)https://www.instagram.com/official_reimei/p/C0vCxj9JPUE/・参考:鹿児島県/鹿児島県歴史・美術センター黎明館 https://www.pref.kagoshima.jp/reimeikan/・参考:日本の代表的やきもの産地を紹介(薩摩焼/鹿児島県歴史資料センター 黎明館)http://tougeizanmai.com/tabitetyou/028/00reimeikan.htm ♣ 波佐見町陶芸の館 所在地:長崎県波佐見町東彼杵郡井石郷2255-2 Tel. 0956-26-7162HP: https://www.town.hasami.lg.jp/machi/soshiki/shoukou/2/4/707.html → 波佐見町「陶芸の館」では、400年の波佐見焼の歴史と伝統を紹介する陶芸博物館。波佐見焼400年の歴史を解説するほか、伝統工芸士の作品、やきものの制作過程、歴史資料の展示している。特別展示室では、国内有数の「くらわんか茶碗」(*江戸時代の磁器製の普段使いの庶民の食器雑器)のコレクションを展示している(くらわんか藤田コレクション)も展示。・参考:くらわんか碗 – Wikipedia ♣ 波佐見町 歴史文化交流館 … Continue reading
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日本の陶芸「やきもの」博物資料館(その1)(博物館紹介)
ー 「やきもの」の歴史と作品を通じて日本の陶芸文化に触れるー ここでは、日本各地に数多く存在する「やきもの」に関する博物館、資料館を取り上げ、各地の特色ある陶磁器、歴史ある有力産地と作品、伝統窯元などの紹介することとする。そこには作品作りにかけた長い歴史と陶芸家達の技術の集積がみられ、“ものづくり”のこだわりと伝承をみることができるだろう。 日本のものつくり文化を伝える伝統工芸陶器「焼きもの」の博物館・美術館は非常に数が多いため、ここでは二つにわけ紹介することとする。その1では、全国的にも知られる有力な伝統工芸陶器の博物館・美術館、その2では、地場の「やきもの」資料館をリストと共に掲げることとした。また、参考資料として、主な「やきもの」の産地、陶磁器の生産地の特色と背景、窯元の地域分布を取り上げている。 その1:全国的に知られる伝統工芸陶器の展示資料館 (このセクションで取り上げた陶磁資料館)佐賀県立九州陶磁文化館、有田町歴史民俗資料館(有田焼参考館)、有田陶磁美術館伊万里市陶器商家資料館、石川県九谷焼美術館、能美市九谷焼資料館、福井県陶芸館 越前古窯博物館、滋賀県立陶芸の森・陶芸館、信楽焼伝統産業会館、兵庫陶磁美術館、大阪市立東洋陶磁美術館、愛知県陶磁美術館(旧愛知県陶磁資料館)、とこなめ陶の森資料館、多治見市美濃焼ミュージアム、岐阜県現代陶芸美術館、益子陶芸美術館 益子参考館(濱田庄司記念益子参考館) +++++++++++++++++++++++++++ ♣ 佐賀県立九州陶磁文化館 所在地:佐賀県西松浦郡有田町戸杓乙3100-1 Tel.0955-43-3681HP:(https://saga-museum.jp/ceramic/facility/) → 九州各地の陶器文化遺産の保存と陶芸文化発展のための施設。地域の陶磁器を収集・保存・展示すると共に調査研究や教育活動を行っている。常設としては5つの展示室が用意されており、有田焼の歴史 (第1展示室)、柴田夫妻コレクション (第2展示室)、九州の古陶磁 (第3展示室)、一般展示室と茶室 (第5展示室)となっている。 詳しく見ると、第1展示室では、有田焼の名品の展示と共に有田焼の歴史や文化などのテーマごとに有田焼の特色と背景を解説、有田町名誉町民の故蒲原権氏の「蒲原コレクショ」も展示されている。第2展示室の「柴田夫妻コレクション」は、江戸時代に作られた有田磁器(古伊万里)であり、代表的な作品と様式変遷を知ることができる。第3展示室の「九州の古陶磁」は、佐賀県の古唐津をはじめ、初期伊万里・古伊万里・柿右衛門・鍋島などの製品のほか、九州各地の多彩な窯窯元の古いやきものを展示、第4展示室の「現代の九州陶芸」では、地域ごとの伝統的な作品や前衛的な作品を一堂に展示されている。第5展示室には「一般展示室と茶室」があり、個展やグループ展などに使われているようだ。また、屋外にはマイセン磁器でできた鐘が美しい音色を奏でているのも魅力という。 ♣ 有田町歴史民俗資料館(有田焼参考館) 所在地:佐賀県西松浦郡有田町立部乙2202番地 Tel.0955-46-2111HP: (https://www.town.arita.lg.jp/main/169.html) → 有田焼参考館は、窯跡などから出土した陶片を展示する専用施設として1983年に開館。本物の有田焼に触れる機会を提供すること、歴史研究や作陶などをはじめとした有田焼を理解することを目的とした。開館当初は、発掘調査例も少なく有田焼の全体像を示すことはできなかったというが、今日では出土文化財管理センターを中心に膨大な数の陶片を収蔵できるようになっている。現在、常設展ではこの有田町が保管する発掘調査資料の中から、約40遺跡、1000点ほどの陶片を厳選し展示、誕生から近代に至る有田焼の変遷を最新の研究成果の解説パネルとともにみることができる。 ・参照:有田焼参考館<Arita Excavated Ceramic Museum> https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031925/index.html・参考:有田町出土文化財管理センター https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031928/index.html ♣ 有田陶磁美術館 所在地: 佐賀県西松浦郡有田町大樽1-4-2HP: https://www.town.arita.lg.jp/rekishi/kiji0031926/index.html → 有田陶磁美術館は、1954年に開館した焼きもの物専門の美術館。明治7年の焼き物倉庫を利用して設立、建物自体も有田内山重要伝統的建造物群の一つに指定されている。窯元やそれぞれの豪商が手掛けた製品を展示し、有田の明治時代から昭和初期の焼き物を紹介している。入口の佐賀県重要文化財の「染付有田皿山職人尽し絵図大皿」と「陶彫赤絵の狛犬」がよく知られているようだ。 ・参考:日本の「やきもの」解説(産地):有田焼と伊万里焼:https://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/contents/imari/sanchi_imari.html ♣ 伊万里市陶器商家資料館 所在地:佐賀県伊万里市伊万里町甲555番地1 Tel.0955-22-7934 .HP:https://www.city.imari.saga.jp/21160.htm) → 江戸時代の当時そのままの姿で保存されてきた陶器商家(旧犬塚家)を伊万里市が資料館として公開。焼きもの関連では江戸時代後期から明治初期の古伊万里を展示。資料館の建物は重厚な商家としての格式をみせ、当時の町割りに見られる典型的な様式といわれる。 ♣ 石川県九谷焼美術館 所在地:〒922-0861 加賀市大聖寺地方町1-10-13HP: http://www.kutani-mus.jp/ja/ → 九谷焼は石川県の代表的な美術工芸品であり、石川県加賀市は九谷焼の発祥の地となっている。日本で唯一の九谷焼の専門美術館(登録博物館)で、古九谷をはじめ、再興九谷など九谷焼を網羅的、専門的に展示紹介している。特別展の開催、図録や研究紀要の発行などを通して九谷焼研究を推進している。 九谷焼は、江戸時代の前期、少なくとも明暦年間(1655年頃)には存在していた焼物で、現在まで長い歴史を数える。大胆な構図とあざやかな色彩で絵付けされた色絵磁器であり、日本国内のみならず、世界でも高い美術的評価を得ている伝統工芸品である。下図は九谷焼の名品。 参考: 九谷焼とは http://www.kutani-mus.jp/ja/kutani参考: 九谷焼デジタル収蔵庫 http://www.kutani-mus.jp/ja/archives参考: 石川県九谷焼美術館 … Continue reading
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産業陶器とセラミックスの博物館 (B) (博物館紹介)
―近代産業としての陶磁器とセラミックスの発展をみるー この項では、食器、花瓶、インテリア、衛生陶器などの窯業物陶磁器、工業原料となるセラミック製品の製造過程、近代工業製品を展示する博物館、資料館を取り上げている。特に、主要メーカーの創業と発展の記録、 “ものづくり”へのこだわりと技術を紹介。 ♣ ノリタケの森 ・ノリタケミュージアム 所在地:愛知県名古屋市西区則武新町3-1-36 Tel.052-561-7114HP: (https://www.noritake.co.jp/mori/)参考:名古屋の「ノリタケ・ミュージアム」を訪ねて https://igsforum.com/noritake-museum-j/ → ノリタケ創業の地名古屋市西区則武にある「ノリタケの森」は、前身日本陶器の工場跡を利用した広い緑地公園からなり全体がノリタケの企業活動を紹介するテーマパークとなっている。敷地内には、「ノリタケ・ミュージアム」、製造過程を見学できる「クラフトセンター」、ノリタケの歴史と事業分野を示す「ウェルカム・センター」などがあり、ノリタケのこれまでの事業全体として紹介されている。また、工場跡地には明治期に作られた赤煉瓦の工場建屋と陶磁器を焼成に使った煙突がそのままの残っており国の近代化産業遺跡にも指定されている歴史的史跡でもある。 このうち、「ミュージアム」では、創立以降ノリタケで作られた多彩な素材やデザインの食器やディナー皿、「オールドノリタケ」を豪華に展示。「クラフトセンター」では、生地から絵付けまでの製作過程、陶磁器づくりの技を現場で再現、特に、洋食陶磁器、ボーンチャイナとその技法、美術陶磁品制作の仕組みと特色などが詳しく紹介されている。 ノリタケの歴史を振り返る「ウェルカム・センター」では、明治9年の商社「森村組」の創業に始まったノリタケ120年の発展を振り返るコーナー、洋食器制作をベースに近年セラミック事業にも進出ことも紹介されている。世界的高級洋食器メーカーとなったノリタケの沿革、世界の陶磁器産業を見る上でも貴重な博物館であろう。あった。日本の陶磁器事業の歴史と成果を見るには最適の博物施設の一つであろう。 <ノリタケの魅力とものづくりの伝統> 展示の中から、ノリタケの創業からの発展を確認して見ると、明治初年に森村市左衛門が森村組を設立し、米国に日本の美術骨董品、雑貨を輸出する事業を開始したときから始まる。1889年には、パリ万博で洋式装飾食器の素晴らしさと商品価値と高さをみて日本での洋式磁器の製作を決意、1917年には衛生陶器部門を分離し東京陶器(TOTO)を設立、その後、碍子部門を1919年に独立(日本碍子)させ、戦後では、1967年、日本レジン工業、伊勢電子工業、広島研磨工業、共立マテリアルなどを設立して工業セラミック事業に参入している。ここでは食器製造で打ち勝った磁器、研削、研磨、セラミック材料開発などの技術を生かして事業を拡大している姿がみえる。現在では、さらにハイテック分野の電子回路や歯科医療、太陽光発電膜、セラミックコンデンサーなどに進出し存在感を示している。これらを見ると日本の伝統産業陶器を新たな形で展開し工業品と美術工芸を融合させていった事業展開、先進的なセラミック事業にも進出しているノリタケの姿は印象深い。これらは、園内施設ウェルカム・センター(テクノロジー・コーナー)の展示でもよく示されている。 ノリタケの歩み:https://www.noritake.co.jp/company/about/history/ノリタケの森 HP:https://www.noritake.co.jp/mori/look/ノリタケミュージム https://www.noritake.co.jp/mori/look/museum/ ♣ TOTOミュージアム 所在地:北九州市小倉北区中島2-1-1 Tel.093-951-2534HP: (https://jp.toto.com/knowledge/visit/museum/)参考:九州・小倉のTOTOミュージアムを訪ねる/ https://igsforum.com/visit-kokura-toto-m-jj/ → この博物館は、100周年の記念事業として衛生陶器の”TOTO”がその歴史と技術開発の成果を伝えるべく”ミュージアム“として設立したもの。同社の沿革や製品を展示するだけでなく、社会環境や生活スタイルの変化を反映した「水まわり」全体の文化や歴史を豊富な事例と共に伝える貴重な施設となっている。 ミュージアムの展示構成は、創業のルーツと歴史を記す第一展示、日本の水回りの文化と歴史をあらわす第二ゾーン、世界に向けたTOTO各種製品の展示ゾーン、ライブラリーなどとなっている。また、TOTOの水回り陶器がどのように作られるのかを体験できる「工場見学」も行っているようだ。 トイレ機器の歴史や浴室・洗面所などの水回りの施設の機能が現在どのようになっているのか、時代とこれがどのように変化してきたのかを知るのに最適の博物館施設といえるだろう。 展にの中なかで最も印象に残ったのは、生活スタイルの変化を反映した「水まわり」の文化や歴史を紹介するコーナー。壁面には大きな展示パネルがあり、昔からの「トイレ」の形や排泄物処理の社会システムが丁寧に説明されている。 展示では、厠」、「雪隠」などのいわれた昔の「排泄」のリサイクル、「和式」から「洋式」便器への変化、「排貯蔵式」から「水洗」に移っていった経過、そして現在のウオッシュレットに移る過程は興味深いものがある。 また、製品だけでなく、その製作過程も映像などでみられるのもこの博物館の特色。展示ホールの一角には映像コーナーが準備されていて、衛生陶器や浴槽などの焼成、機能部品の取付け、組み立て過程などがビデオで確認できる。 多様なかたちで存在する世界中の珍しい浴槽、トイレの紹介も興味の湧く展示であろう。 参考となる資料:・TOTOミュージアム Web site: http://www.toto.co.jp/museum/・「水と暮らしの物語」http://www.toto.co.jp/museum/history/・衛生陶器の基礎知識 http://kk-daiwa.co.jp/blog/log/eid17.html・「トイレ年表」財団法人 日本レストルーム工業界:http://www.sanitarynet.com/history/ ♣ 碍子博物館(日本ガイシ) 所在地:名古屋市瑞穂区須田町2番56号 Tel.052-872-7181HP: https://www.ngk.co.jp/rd/labo/museum.html) → 日本ガイシは高性能碍子はじめ世界有数のセラミック材料の製造メーカーであるが、この日本ガイシが自社の発展の基礎となったガイシの科学研究にし資するため設立したのが、この「ガイシ博物館」。この博物館では、国産最古のピン・ガイシはじめ世界21ヵ国のガイシを収蔵・展示。材料開発と形状変化の歴史を確認できる資料館となっている。日本ガイシの電力技術研究所に併設されているもので、国産ガイシの現有品では最古の物とされる通信用ピンがいし(1875年製)から、世界21ヵ国、57メーカーのガイシ、保守工具類も含め約5,000点余を収蔵、300点ほどを常時展示している。これらガイシの形状の変化と進化、セラミック材料開発の足跡を見ることができる。また、ガイシに関わる古文書、文献、ガイシの歴史などが総合的に展示されているので参考になると思われる。しかし、残念ながら(研究用の施設のためか)一般には公開されていないのがくやまれる。 (日本ガイシの沿革とセラミック事業) 日本ガイシ(日本碍子株式会社、NGK)、電力用ガイシ・セラミックス製造を主力とする世界最大級のセラミックスメーカーのひとつである。1910年代、日本陶器(現・ノリタケ)からガイシ製造部門を分割し設立された。ガイシ製造と会社設立は、1905年、芝浦製作所(現・東芝)の技師が日本陶器に米国製の「がいし片」(碍子博物館蔵)を見せ、高圧碍子の製造を打診し開発に取り組んだことがきっかけであったといわれている。そして、1936年には スパークプラグ部門を分社化し日本特殊陶業を設立、1986年、社名を日本ガイシに変更して今日に至っている。 この間、1929年には「100万ボルト級の高電圧電気試験設備」が完成、1930年には「NGスパークプラグ」の生産を開始している。また、1940年代には「短波ガイシ」、1950年代には「中実SPガイシ」の生産へと進んでいる。1970年年代には世界最大強度の「懸垂がいし」も開発している。 一方、技術開発を進めていたセラミック材料の取り組みから、1950年代には碍子以外の「ベリリウム」の研究を進め、1958年には「ベリリウム銅母合金」の生産、1976年には自動車排ガス浄化用触媒担体「ハニセラム」の生産を開始している。 さらにエンジニアリング事業にも進出していて、1970年代には「汚泥焼却炉」の完成、「低レベル放射性廃棄物焼却装置」(1978)とセラミックを基盤とした事業の多様化を進めている。近年では、「GaNウエハー」の開発、「サブナノセラミック膜」の生産、「半導体製造装置用セラミックス」の量産など、ナノテクノロジーを活用したセラミックス先端企業として知られる存在となっている。博物館では、碍子から始まったこれら技術発展の跡を訪ねることができるであろう。 ・参考:https://www.ngk.co.jp/ 日本ガイシ株式会社 … Continue reading
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地場の技術と伝統を支える織物工芸博物館 (B2) (博物館紹介)
日本では、古くから地場産業として織物、染め物、工芸品を発展させてきた。これらは様々な形で民衆の間で伝承され、時代ごとの流行や生活様式に生かされてきた。また、技術的にも様々な織り方、生地染料の開発により多様な織物が生まれている。ここでは、これら地方の織物文化のありようを示す博物館、資料館を紹介する。特に、地場産品として現在でも人気のある「紬」、「絣」、「銘仙」、「縮緬」、「藍染め」などの工芸品の姿を紹介する資料館を取り上げる。 ♣ 結城紬ミュージアム “つむぎの館”(茨城県) 所在地:茨城県結城市大字結城12-2 Tel.0296-33-5633HP: https://www.yukitumugi.co.jp/ → 施設内には結城紬の資料館、長年繊維問屋であった「奥順(株)」が、創業100周年を記念して設立である。反物の展示館、結城紬製品のショップや染織体験工房がある。結城紬とは、茨城県結城市を中心として、主に茨城県、栃木県の鬼怒川流域で作られている絹織物。精緻な亀甲模様や複雑な絣柄で構成された柄が美しい。真綿から手で紡ぎ出した「紬糸 (つむぎいと) 」と呼ばれる糸を使って織られる。 参考:結城紬とは(中川政七商店の読みもの)(https://story.nakagawa-masashichi.jp/craft_post/119997)https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/silkmuseum/IYuki/yuki-etc.htm・紬とは:紬 – Wikipedia ♣ 大島紬美術館(鹿児島) 所在地:鹿児島県奄美市笠利町平1260番地 Tel.0977-63-0067HP: https://www.oshima-tsumugi.com/ → 館内には、奄美文化の代名詞となった本場大島紬を展示した紬パビリオンがあり、紡ぎの製作に用いられる締機、加工、手織りなど大島紬の製造工程も実際にみることができる。参考:https://www.museum.or.jp/museum/7668https://www.oshima-tsumugi.com/・紬とは:紬 – Wikipedia ♣ 塩沢つむぎ記念館 所在地:新潟県南魚沼市塩沢1227番地14 Tel. 025-782-4888HP: https://www.tsumugi-kan.jp/ → 塩沢つむぎ記念館は塩沢の織物の伝統技術と文化の魅力を一堂に公開した博物誌資料館。塩沢の織物の布を使用して製作された生地工芸品を展示・販売しており、織物ができるまでの工程を見ることもできる。 ♣ 秩父銘仙館 所在地:埼玉県秩父市熊木町28-1 Tel: 0494-21-2112HP: https://www.meisenkan.com/ → ちちぶ銘仙館は秩父織物、銘仙等に関する民俗学上貴重な資料を収集、保管及び展示している。伝統的技術を継承することを目的として設置された施設となっている。本館やノコギリ屋根の工場棟などは、昭和5年建造の旧埼玉県秩父工業試験場を利用しており、平成13年には昭和初期の特徴的な建物として国の登録有形文化財に登録されている。 ・銘仙とは?―産地ごとの特徴や歴史―(京都きもの市場)https://www.kimonoichiba.com/media/column/440/・秩父銘仙とは:https://www.meisenkan.com/chichibumeisen/・染め織りの郷ちちぶ銘仙館https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/silkmuseum/SCMeisen/meisenkan.htm ♣ 民芸伊予かすり会館 (愛媛県) 所在地:愛媛県松山市大街道3丁目8−1HP: https://e-hime.jp/kasuri/ → 伊予絣は、愛媛県松山市で製造されている木綿の紺絣、松山絣とも呼ばれる。久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つである。約200年余年前温泉郡今出の「鍵谷カナ」が独力で苦心のすえ、“今出かすり”を製織せられたのが始まりといわれる。松島市内にある伊予かすり会館では機織の展示、実演を行っている。・参照:伊予絣とは? 伊予絣 – Wikipedia・参照:絣とは(絣 – Wikipedia) ♣ 久留米絣資料館 (久留米地域地場産業振興センター) 所在地:福岡県久留米市東合川5-8-5 … Continue reading
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日本の技術と伝統を伝える織物工芸博物館 (B1) (博物館紹介)
日本の織物文化の長い歴史をみると、多様な生地、素材を使い独自の染織技法を発達させてきたことがわかる。これらは様々な形で民衆の間で伝承され、時代ごとの流行や生活様式に生かされてきた。また、技術的にも手織りから機械の導入、様々な織り方、生地染料の開発により多様な織物が生まれてきている。日本各地には、これら染織技術の歴史と伝統、現代の織物文化のありようを示す博物館、資料館が数多く存在している。今回、これら施設の歴史、特色、展示などを取り上げてみることとした。特に、この項では各地の有力な織物工芸館、西陣、友禅など歴史ある織物工芸施設を紹介している。 ♣ 川島織物文化館 ―西陣・綴錦の芸術性を今日につなぐ貴重な博物館―― 所在地:京都市左京区静市市原町265 川島織物セルコン内 Tel.075-741-4120HP: https://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/○参照:西陣の伝統を紡ぐ川島織物文化館 (博物館紹介)https://dailyblogigs.com/2024/09/04/kawashima-orimono-m-jj/ → 川島織物(現・川島織物セルコン)は京都の伝統産業、西陣織物門企業の一つ。この川島織物が日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えよう設立したのが「川島織物文化館」である。この文化館には、日本の古代からの歴史的織物作品をはじめ、世界各国から収集した多様な染織品が展示されている。特に、川島の絵画を越えるほどの美術織物の展示が見事である。 また、文化館は、川島の研究開発機関の役割も担っており、伝統技術の手織り工場、教育・研修の場としてカワシマ・マイスター・スクールも併設されており、技術と文化を融合する機関となっている。 中でも、織物文化の歴史を知ることの出来る数万点のコレクションを蒐集し展示しているのが目立つ。日本の古代からの織物、世界の染織品など8万点、日本の織物に関するコレクション2万点、綴織り絵画作品や織下絵など約6万点が収納されている。日本の織物研究の拠点の一つでもある。このうち常時展示しているのは一部であるが、このどれを見ても文化的に見ても貴重で且つ芸術性にあふれた作品群となっている。 ○参考:京都の芸術性のあふれた「川島織物文化館」を訪ねてhttps://igsforum.com/%20visit-kawashima-textile-museum-j/ ♣ 織物技術の伝統を伝える京都の西陣織会館 所在地:京都市上京区堀川通今出川南入ル 西側 Tel. 075-451-9231HP: https://nishijin.or.jp/nishijin_textile_center/ →「西陣織会館」は西陣織工業組合が運営する京都西陣織の資料館。西陣織は、京都の先染め織物をまとめた呼び名で、綴、 錦(金襴)、緞子、朱珍、絣、紬などの多彩な糸を用いた先染めによる高級絹織物、昭和51年には国の伝統的工芸品の登録商標に指定されている。西陣」の織物は、江戸時代、京都を中心に支配者層や富裕な町人の圧倒的な支持を受け普及し最盛期を迎えたが、幕末には戦乱の中でやや衰退する。しかし、明治になって近代織機(特に、ジャカード織機)を導入、新しい西陣織物の量産が可能になり、伝統職人の技術向上も受けて復活、現在では西陣織が日本を代表する高級京都着物として高い評価を受けている。 会館では、常設展を設けて京都市指定文化財である明治期における木製ジャカード機(国産第1号機)をはじめ、西陣近代化の経緯を伝える貴重な展示品を紹介している。また、企画展では、年に3~4回、テーマを設けて織物展示を行っており、帯、きもの、几帳、裂地、貼交屏風、美術的工芸品など、西陣織の伝統美の数々を披露している。2024年春には、江戸時代以降から近代の所蔵品を展示。宮中女性の正装である十二単をはじめ、平安期から身に着けていた男性の狩衣など、古代裂を含めて品格を備えた優美な装束を紹介している。また、会館の資料には西陣織の歴史と技術の成り立ち、現在の姿も紹介しており参考になる。(参照:西陣織とは( 西陣織工業組合) https://nishijin.or.jp/whats-nishijin/) ♣ 手織ミュージアム・織成舘 (https://orinasukan.com/) 所在地: 京都市上京区浄福寺通上立売上る大黒町693 Tel.075-431-0020HP: https://orinasukan.com/ → 「織成舘」は、西陣を中心として日本各地の手織物や時代衣装、を収集・展示している手織技術の博物資料館。西陣の帯地製造業「渡文」の初代当主・渡邉文七氏の自宅兼店舗であったという西陣織屋建の町屋を活かした手織ミュージアムである。手織文化の代表格とも言われる能装束(復元)が展示されており、その他全国の手織物、能装束、時代衣装の鑑賞ができ、工房見学、手織の体験もできる。 建物自体も貴重で、吹き抜けの天井、天窓、大黒柱など、織屋ならではの独特の風情をもっている。また、座敷や奥の坪庭などが当時のまま残されており建物全体が西陣織の伝統を伝える場となっている。○ 参考:【手織ミュージアム 織成舘】https://recotripp.com/spot/25291 ♣ 加賀友禅伝統産業会館 所在地:石川県金沢市小将町8-8 Tel.076-224-5511HP:http://www.kagayuzen.or.jp参考:https://travel.navitime.com/ja/area/jp/spot/02301-14402020/ → 金沢に数ある伝統工芸である加賀友禅の魅力と歴史、制作工程を幅広く展示し、加賀の武家文化のなかで育った加賀友禅の個性と技を体験できる博物施設。館内では、加賀友禅の実物が並んだ展示コーナーを中心に、加賀友禅の質感や色合い、精緻な絵柄を間近で見ることができる。また、正面左側の壁には加賀友禅の歴史や制作工程もわかりやすくパネル解説している。加賀友禅を身近に感じられる彩色を体験できるコーナーもある。 <加賀友禅の特徴と歴史>加賀友禅のルーツは今からおよそ500年前、加賀国独特の染め技法だった無地染めの「梅染」にさかのぼるという。京都で友禅染めの始祖となった扇絵師・宮崎友禅斎が、金沢に招かれ、北陸の気候風土や武家文化の土壌に合った加賀友禅を発展さ勢多と伝えられる。加賀友禅は、臙脂(えんじ)、藍(あい)、黄土、草、古代紫の「加賀五彩」を基調に、花鳥風月を写実的に描く絵柄が特徴といわれる。加賀友禅の代表的な技法は「外ぼかし」などで自然描写を重んじる加賀のものづくりの気風を示すとされる。 参照1:https://travel.navitime.com/ja/area/jp/spot/02301-14402020/参照2:加賀友禅の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kagayuzen/ <参考> なお、加賀友禅の作品展示、彩色体験や着装体験ができる施設として「加賀友禅工房・長町友禅館」などがある。「加賀友禅工房・長町友禅館」 →石川県金沢市長町2-6-16 Tel.076-264-2811 (https://kagayuzen-club.co.jp/) ♣ 博多織会館(博多織ギャラリー) 所在地:福岡県福岡市博多区博多駅南1-14-12 Tel. … Continue reading
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西陣の伝統を紡ぐ川島織物文化館 (博物館紹介)
―西陣綴錦の芸術性を今日につなぐ貴重な博物館―― 所在地:〒601-1123 京都府京都市左京区 静市市原町265 HP: http://www.kawashimaselkon.co.jp/bunkakan/use/index.html IGS-forum 「川島織物文化館を訪ねて」を参照して作成https://igsforum.com/%20visit-kawashima-textile-museum-j/ → 川島織物(現川島織物セルコン)は京都の伝統産業、西陣織物門企業の一つ。この川島織物が日本の伝統的な染織技術と織り技術の粋を伝えようとして設立したのが「川島織物文化館」である。この文化館には、日本の伝統技術を生かした芸術的な歴史的織物を数多く展示しているほか、世界各国から収集した多様な染織品も展示してある。日本で有数の織物芸術館のひとつ。 特に、川島の絵画を越えるほどの美術織物の展示が見事である。この秋、京都に旅行する機会があったので、ここに立ち寄り見学させてもらった。そこでは、伝統的産業技術と芸術の融合が溶け合う日本独自の技・芸の結晶が感じられるコレクションが多数。 ♣ 川島織物社(現・川島ゼルコン)の歴史と伝統 川島織物社は、初代川島甚平衛が京都西陣で呉服悉皆業を開業していた1843年までさかのぼる。その後、二代目の甚平衛が、1887年、「川島織場」を設立、伝統的な羽織地などから染織品を用いた新しい室内装飾、特に、芸術性の高い洋式の壁面装飾の世界に挑戦する。 この中にあって、明治期のドイツ帝室に献上する織物、明治天皇の新宮殿の室内装飾などで成果を上げ、1904年には、セントルイス万博で日本式の室内装飾「若冲の間」制作などで注目された。これらは、室内装飾という西欧概念に日本的感性を投影させた作品群として高い評価を受けている。現在では、和装呉服部門のほか、祭礼幕、舞台の緞帳、装飾カーテン、自動車シートなども制作する総合企業となっている。しかし、なんといっても川島織物の名をなさしめたのは、芸術性の高い美術的織物の世界である。この基礎は明治の西陣織物の進化に見いだせる。 <西陣織りの浮沈と川島の挑戦> 江戸時代から明治にかけての京都の伝統的西陣産業は、幕末の戦禍と京都貴族の没落で失速していた。こういった中、幾人かの織物業者は、新しい近代的織物産業の芽を見いだそうとフランスの織物工業の中心地リヨンを視察。かれらは、ここで学んだジャッガード織機での文様織り技術に注目、その導入を図る。特に、二代目川島甚平衛は、タパストリーに用いられるゴラン織りに注目、日本の西陣培われた「綴織り」技術を応用し、手先の器用な日本人が絹糸を使って織物を作れば本場のゴラン織りに劣らぬ作品が制作可能であると確信したという。 この考え方を基に、1889年、京都三条に「川島織物参考館」を開設、本格的な「綴織り」の研究を開始した。これが後の「川島織物文化館」の基礎となっている。 ここで、川島は日本の織物の技術「割杢」(立体的に織りをぼかしで表現する)などを開発して新境地を開くことになる。この成果として生まれたのが狩野芳崖絵画「悲母観音」の忠実な模写織物である。また、当時開催されたパリ万博では「群犬」などの作品も発表して世界的な評価を受けることになる。 <技術の伝承と次世代への期待> このように川島織物は、明治初期から、日本的美術の世界と織物という伝統産業を融合し、且つ、日本には数少なかった西洋式の室内装飾織物(タパスリーなど)を社会に定着させていったのであるが、これをさらに文化的芸術的価値の高い美術品として世に出していった珍しい織物企業の一つといえるだろう。この意味でも、「川島織物文化館」は、この芸術的成果と制作の歴史的展開を確認できる貴重な施設といえる。 また、この織物文化館は、「中央技術・文化センター」の一角に設けられており、川島織物の中央研究開発機構、伝統技術の手織りの工場、近代的な機械織りの工場、という技術の場に加え、教育・文化の場としての川島テキスタイルスクール、カワシマ・マイスタースクールも併設され、技術と文化。教育を融合させようという珍しい施設とも位置づけられている。 ♣ 川島織物文化館の展示 <展示の概要> 川島織物文化館は、織物の研究のために、創業以来、上代裂、名物裂、中国裂、コプト裂、各種装束、衣裳など、織物文化の歴史を知ることの出来る数万点のコレクションを蒐集してきている。 ここでは、日本の古代からの織物、世界の染織品など8万点、日本の織物に関するコレクション2万点、綴織り絵画作品や織下絵など約6万点が収納しており、日本の織物研究の拠点の一つともなっている。このうち常時展示しているのは一部であるが、これらが、川島が世に出してきた作品と共に、時代と作品のカテゴリー毎に分けられてわかりやすく展示してある。このどれを見ても文化的に見ても貴重で且つ芸術性にあふれた作品群となっている。 展示は逐次変化しているようで全部が見られるわけではないが、川島関係の展示は、今回訪問時には、次のような構成になっていた。(1) 舞のシリーズ作品、(2)川島織物明治期作品、(3)装飾タペストリー作品、(4)和装・帯の作品などであった。 <芸術性にあふれた作品群> (1)の「舞」は、古来から祭祀や饗宴で舞われてきた「舞楽」を題材として作品群で、細かい図柄を絵画的に織り上げたもの。川島の最も得意とする分野であった。非常にあでやかで見た目には織物とは信じられない織りがなされている。 (2)の「明治作品」は、川島が本格的に製織をはじめた明治期に好んで用いたデザイン花鳥画の作品。ロシア・ ニコライ皇太子(ニコライ二世)が注文して作らせた作品も含まれている。 (3)は室内装飾用のためのタペストリー壁掛けの作品展示で、昭和後期の比較的新しいモダンなデザインのもの。綴織壁掛「吹けよ風」(1973)、「宇宙誕生」(1986)といった抽象画の世界が描かれた壁掛け織物である。 (4)の「和装・帯」は、江戸時代からの「丸帯」を対象にした衣装で、紋丸帯・綴丸帯・絽丸帯など織技法を駆使して作られた豪華な作品が並んでいる。 これらのどれをとっても芸術性にあふれた素晴らしい作品である。 (注)残念ながら館内での写真撮影は禁じられていたので、ここでは訪問記憶に基づいて殆どパンフレットなどの画像から引用して掲載した。) <綴錦の技法> 文化館では、これらの作品群ほか、川島織物の発展の記録や製織に用いられた明治・大正・昭和の製作資料や室内装飾写真なども展示しており、文化的価値をもつに至った製織制作の歴史、技法発展のあとをたどることができる。また、館内では、川島織物が開発した「綴織り」の技法や実際の織り作業をビデオやパネルで紹介するコーナーも設けられていて、作品群の背景となる過程を知ることができる。 織物という衣装を室内装飾の世界に広げ、日本の伝統技法を応用して「織り」を絵画的芸術作品に高めた過程がよく分かる展示である 参考:
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紡績と繊維技術の博物館(B)博物館紹介
ー 日本の産業近代化を促した製糸、紡績業の歴史と技術の産業資料館 ここでは、明治初期から振興されたの紡績と繊維産業などの技術と歴史を示す産業資料館を紹介。特に、当初欧米からの紡績機械を導入して明治大正昭和と日本の基幹産業に成長した近代的な紡績・織布事業発展を示す歴史資料館を取り上げる。しかし、時代は変わり、現在、これら紡績・繊維産業は主力産業の地位を譲りつつあるようだ。一方では、これら発展によって育まれた技術を活用し、新しい分野の進出も顕著である。それぞれが、化成品、化粧品、医薬、新素材などへの転換・進出が様子が見える様子がみえる。現代にあった新しい技術の系譜が生まれつつあるといえよう。ここでは主要な紡績メーカーであった企業の歴史と製品取り上げた史料館をみることとする。 ♣ 倉紡記念館(クラボウと紡績産業ミュージアム) 所在地:岡山県倉敷市本町7−1 Tel. 086-422-0011 HP: https://www.kurabo.co.jp/museum/ 所在地:岡山県倉敷市本町7−1 Tel. 086-422-0011 HP: https://www.kurabo.co.jp/museum/ → 倉紡記念館は、岡山県倉敷市にあるのクラボウと紡績産業のミュージアムである。1888年に創業したクラボウ(倉敷紡績)は、紡織業を中心に130年以上の歴史を築いてきた老舗企業。その歴史を現代に伝えようと誕生したのが「倉紡記念館」。創業当時の原綿倉庫をリニューアルして記念館にしたもので、建物自体が当時の姿を今にとどめる歴史資産となっている。記念館ではクラボウの創業から現代までの事業展開の様子を伝える貴重な文書・写真・映像・模型などを豊富展示しており、日本の紡績業発展の一つの形を表すモニュメントとなっている。 記念館展示は、5つの展示室から構成されており、第1室は明治の創業時代の紡績機械や文書、第2室は 大正時代のクラボウの発展期の資料を展示、第3室は昭和時代の不況と戦争期の時代背景とクラボウの変遷、第4室は戦後・平成に至る紡績産業の行方とクラボウの事業の多角化の歩みを、それぞれ時代を追って展示している。最後の第5室は年表コーナーで明治から現在までの総まとめでビデオと写真映像、書籍などを展示するかたちとなっている。 戦後クラボウは、繊維以外への取り組みを図り様々な事業展開する総合化学品エンジニア企業へと転換している。 クラボウの歴史をみると、日本における紡績業の発展の一翼を担ったほか、社会問題へも積極的に関わっており、地域社会への貢献のために様々な取り組み、従業員の労働環境の改善にも尽くしたことでも知られる。特に、創業者のひとりである大原孫三郎は、数多くの社会貢献活動に力を注ぎ、「倉紡中央病院」(現 倉敷中央病院)、「倉敷労働科学研究所」(現 大原記念労働科学研究所)の設立を主導したほか、多彩なコレクションで知られる大原美術館も設立している。 一方、倉敷のクラボウの関連施設として「倉敷アイビースクエア」が知られており、明治時代の倉敷紡績所(現クラボウ)発祥工場の外観や立木を保存し、再利用して生まれた複合観光施設として機能している。中には、ホテル・文化施設、体験施設や倉敷の工芸品や民芸品、銘菓などのショップなどがある。この施設内の旧倉敷紡績所は、2007年、日本の産業の近代化に大きく貢献したとして、創業時における紡績工場建物群が国の「近代化産業遺産」に認定されている。 ☆参考・クラボウヒストリー https://www.kurabo.co.jp/kurabo-history/・大原孫三郎人物伝 https://www.kurabo.co.jp/sogyo/・倉敷アイビースクエア https://www.ivysquare.co.jp/ ♣ 東洋紡岩国事業所史料館 所在地:山口県岩国市灘町1番1号 東洋紡岩国事業所 Tel.0827-32-1700 HP: http://www.toyobo.co.jp参考:東洋紡岩国事業所史料館の概要https://www.totalmedia.co.jp/task/works2018-toyobo-iwakuni/ → 東洋紡(東洋紡績)は、、前身が大阪紡績株式会社(1882年創立)で、かつて日本の紡績業をリードした名門の紡績企業の一つであった。現在は、化成品、機能材、バイオ・メディカルへと事業を拡大する総合化学品メーカーとなっている。この東洋紡の130周年の歴史、その中核となった岩国事業所の歩みを伝えているのが「東洋紡岩国事業所史料館」。史料館では、創業者の思い述べた設立理念を基点に、企業の歴史を示す古写真や実物資料、歴史年表を中心に東洋紡の歩みを体系的に展示している。 <史料館が伝える東洋紡績の創立・発展の系譜> 明治12年(1882年)、日本の紡績事業を基幹産業として発展させようと、山辺丈夫(初代社長)が、財界人渋沢栄一、藤田伝三郎、松本重太郎などの援助を受け、当初、大阪紡績を創業、続いて三重紡績を設立し当初欧米の技術と機械を導入して本格的な紡績業に参入した。1914年には、両者を合併し「東洋紡績株式会社」を成立させる。これが現在の東洋紡である。その後、伊勢紡織、名古屋絹紡などを吸収合併し、1920年代にはレーヨン事業に進出。1930年代、40年代にかけては、和泉紡績、吉見紡織、東洋毛織などとも合併して業域を広げている。 戦後になると、東洋紡績は合繊事業に進出してアクリル繊維の生産を開始、70年代にはポロエステルボンドの生産もはじめている。一方、フィルム、プラスチック事業にも参入、バイオ事業、電子材料など非繊維部門への進出も図っている。技術開発では、創立100年を迎えた1982年には、「バイオテクノロジー研究財団」を設立させている。2000年代になると、業域拡大による無理が祟ってか工場の火災や事故が多発、安全認証の不正などが発覚するなど経営困難に陥いるといった不幸にも見舞われている。このように、大正・昭和の紡績事業の花形企業が、市場の変化と海外との競争、技術革新の波にもまれつつ、新しい事業の構築と他の新分野への転換をどのように実現していくか問われるところである。このように、当史料館は、日本の繊維企業の浮沈と新展開の史をみる上でも参考になると思われる。 ♣ ユニチカ記念館(旧尼崎紡績本社事務所) 所在地:兵庫県尼崎市東本町1-50 Tel.06-6375-5639(問合せ市役所)https://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/apedia/index.php → ユニチカ記念館は、ユニチカの前身にあたる尼崎紡績の本館事務所として使われた「旧尼崎紡績本館事務所」を記念館として転用している。この本館事務所は、関西では珍しい日本の建築家が設計した英国式のレンガ造りの洋風建築で、内部の所蔵品は、阪神工業地帯発展の歩みを物語る歴史遺産品を多く含み、経済産業省による「近代化産業遺産」として認定されている。この事務所は、一時他の用途に転用されたが、1959年日紡記念館、1964年にはニチボー記念館となり、1969年以降は会社合併によりユニチカ記念館となっている。記念館は兵庫県の景観形成重要建造物等にも指定されている。ユニチカは、1889年、日本の紡績史を開いた「尼崎紡績」を前身とするが、1918年以降は三大紡績のひとつ「大日本紡績」として日本の繊維産業を支える企業となった。1969年「日本レイヨン」との合併によって、社名をユニチカと改め現在に至っている。 ♣ グンゼ博物苑とグンゼ記念館 所在地:京都府綾部市青野町(〒623)Tel 0773-43-1050HP: https://www.gunze.co.jp/gunzehakubutu/ → グンゼ博物苑は、グンゼの創立100周年を記念し大正時代に使用していた繭蔵を改造して1996年に開苑した博物津施設。グンゼ発祥の地、京都府綾部市に歴史的な建物を活用し、グンゼで使われた機械、書類資料などを一堂に集めた産業技術史的な資料館となっている。苑の中には、庭園も設けられ、多くの展示館(蔵)や同社の発端となった製糸業に関係する幾もの桑の品種も集められ展示されている(「桑の苑」約500品種、2,000本を栽培) <展示蔵の展示> 博物苑の展示部分は、3つの展示蔵(創業蔵・現代蔵・未来蔵)、「今昔蔵」、グンゼ記念館で構成され、昔と今の繊維メーカー“グンゼ”の成り立ちと現在が詳しく紹介されている。まず、展示蔵のうち「創業蔵」は、蚕糸業をスタートさせた創業者波多野鶴吉の生涯、使用していた械や道具などを展示、「現代蔵」は現在の多様化した事業活動、製品の紹介、「未来蔵」は将来に向けての事業展開、開発製品や技術を紹介・展示するコーナーとなっている。これとは別に「今昔蔵」ではグンゼの地・綾部とグンゼの関係を記した展示がなされている。 <グンゼ記念館展示> 「グンゼ記念館」では、グンゼの創業当時にさかのぼった事業、製品、事務所の様子を記録した様々な歴史史料が保存、展示されている。これらを順に見て歩くことで、日本の製糸・繊維産業の発展の一端を担った有力企業グンゼの全体像に触れることが期待できる。 … Continue reading
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