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お酒の博物館ー洋酒の世界ー「食と農」の博物館(5)
― ビール・ウイスキー、ワインなどの洋酒の世界と歴史を語る博物館をみるー ++++++++++++ (ビールの博物館) ビールは今や日本の中で最も消費も多く、日本酒に次いで多様な形で好まれている洋酒といえるだろう。ここでは、日本に定着して多くの人々を魅了しているブランドビールの形態、由来と歴史、現在の姿をレビューしてみた。特に、注目すべきは大手メーカーの提供するビールのほか、最近では、各地で生まれている「地ビール」「クラフトビール」に注目する必要があると思える。以下に主要なビール関係資料館・博物館を紹介してみる。 ♣ サッポロビール博物館(開拓使麦酒記念館) 所在地:札幌市中央区北2条東4丁目 Tel.011-252-8231HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/ ・参考:北海道の「サッポロビール博物館」を見学 https://igsforum.com/2022/08/05/visit-sapporo-beer-museum-jj/ → サッポロビールの前身となる明治初期に設立された旧開拓使麦酒醸造所を博物館として開放したもの。試飲込みの工場見学コースを設けたワイナリーは多数見られるが、この博物館は、日本におけるビール産業の創始の歴史と発展記録を展示・紹介する貴重な産業博物館である。明治初期の北海道における開拓・産業開発の実例を示す歴史博物館でもある。 博物館では、ビールの醸造の過程を映像、現物で紹介しているほか、日本におけるビール生産の創始をもたらした「開拓使麦酒醸造所」の役割とサッポロビールへの移行につながる歴史、ビール産業発展の経過などを写真、パネル、記念文物などと共に幅広く展示している。また、試飲コーナー、レストランなども併設していて、札幌「ビール園」というテーマパークともなっている。また、博物館の建物は明治の北海道開拓の歴史を示す歴史的建造物であり価値も高い。札幌を訪れたら是非訪ねたい博物館の一つである。 (博物館でみるサッポロビールの展開) ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみた。 江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。 また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。 しかし、その後、明治政府の方針で開拓使が廃止されたことで、傘下の事業は北海道庁に移管される。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かい。これが後のサッポロビール社の母体となった。 一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。 ++++++++++++++++++++ ♣ ヱビスビール記念館(サッポロビール) 所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20-1 恵比寿ガーデンプレイス内 Tel.03-5423-7255HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/ → ヱビスビールが2023年に東京・恵比寿に開設したビールの記念館。130年のヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像で紹介すると共に、エビス自慢のドイツ製の醸造設備を展示し、リアルタイムに醸造されるビールの味を楽しむことができる。館内では、3D画像で館内施設が表示されており、ポイントをクリックすることで、実際にヱビスビール記念館内を歩いて見学しているように館内展示を鑑賞することができる。また、「タップルームエリア」が用意されていて、目の前で造られている新鮮なヱビスビールを試飲することもできる。 ちなみに、記念館で紹介されているヱビスビールの来歴をみると、次のようである。 <ヱビスビールの成り立ちと現在> → ヱビスビールのルーツは、1887年(明治20年)に設立された「日本麦酒醸造会社」。そして、会社設立から2年後に、現在の東京・目黒区三田に、ヱビスビール醸造場が完成、ビール生産を開始させている。このとき、ビールの仕込釜、蒸気機関、製氷機などの醸造設備はすべてドイツ製であったという。技術者もドイツから招聘した。1890年2月に「恵比寿ビール」として発売している。当初は名前を「大黒ビール」としていたが、大黒ブランドが既に商標登録されていたことから、同じ七福神の一神として福徳を授ける「恵比寿」に変更したという経緯もあるという。 発売後、売り上げは好調で、1899年には「恵比寿ビール・ビアホール」を東京・銀座にオープン、1900年には恵比寿ビールが「パリ万国博覧会」で金賞を受賞するなど、ビールの質の高さが世界的にも認められている。 また、日本鉄道がビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、醸造場周辺の人口も増加したことから当時の国鉄「恵比寿駅」となり周辺は賑わいも見せている。 こうして、1994年10月には「恵比寿」(旧南渋谷村)の醸造場跡地を「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発、複合文化・商業施設に生まれ変わらせた。この場所に「ヱビスビール記念館」が開設され、ビールの歴史を刻むと同時に地域の発展のシンボルとなっているのは見逃せない。 ・参照:歴史紹介 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html・参照:「恵比寿ガーデンプレイス」について | https://gardenplace.jp/about/・参照:地名はヱビスビールが由来⁉(TBSテレビ)https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=1105・参照:歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール https://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html +++++++++++++++++ ♣ キリン歴史ミュージアム (インターネット・ミュージアム) HP: https://museum.kirinholdings.com/ … Continue reading
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「食と農」の博物館(4)醤油と味噌の世界(博物館紹介)
醤油と味噌は日本を代表する和風調味料である。このセクションでは、この醤油と味噌がどのようにして誕生して発展したかの歴史、どのような製法を持ちどのような特徴持っているかなどを、代表的な醤油・味噌メーカーが提供する博物館、見学施設を中心に紹介してみることにする。勿論、全国各地にはここには。ここでは触れていない多くの醤油・味噌の蔵元があり、見学の機会を提供しているものがある。是非、各地方の蔵元などをチェックして欲しい (see**). <醤油の世界> ♣ もの知りしょうゆ館(キッコーマン) 所在地:千葉県野田市野田110 キッコーマン食品野田工場内 Tel.04-7123-5136HP: https://www.kikkoman.com/jp/shokuiku/factory/noda/ → キッコーマンのしょうゆ工場の中にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」は、日本の代表的な調味料である“しょうゆ”の製法と特徴を紹介するミュージアムである。ここでは「しょうゆができるまで」を見学することができ、醤油熟成の様子や醤油の色・香りを体験できるコースが用意されている。また、「しょうゆの歴史」や「しょうゆの知識」などのわかりやすい解説もなされており、醤油誕生の歴史、醤油精製・発酵のメカニズム、食生活での醤油の役割などについて詳しく学ぶことができるのが魅力。多様なキッコーマン醤油や関連食品の展示もあり興味深い食品博物館となっている。 なお、施設内には、御用醤油醸造所(通称「御用蔵」が移設されていて、伝統的なしょうゆ醸造技術や1939年の御用蔵建設当時の建物や道具、装置を保存・展示しているのがみられる。御用蔵では、江戸時代から続いている伝統的なキッコーマンのしょうゆ醸造の知識を深めることができる貴重な歴史遺産となっている。 <キッコーマン醤油の歴史> キッコーマンは、1917年に千葉県野田市の醸造家たちが合同で「野田醤油株式会社」を設立したのが始まりである。江戸時代初期から、野田での醤油造りは、良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など原料の確保が容易なこと、大消費地江戸への水運がよかったことから消費が伸び急速に盛んになっていった。こういった中、江戸中期、1781年に高梨家、茂木家など7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成、これが野田の醤油造りをさらに盛んにした。1800年代中頃には、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が「幕府御用醬油」の指定を受けている。明治になった1887年には、これが基礎になって「野田醤油醸造組合」を結成、1917年に茂木一族と髙梨一族など8家合同による「野田醤油株式会社」が設立された。これが後のキッコーマン株式会社となっている。ちなみに、キッコーマンの商標『亀甲萬』は茂木家が使っていたものが使われた。現在では、日本一の醤油生産量を誇り、海外にも積極的にも市場を広げ積極的に輸出を進めている。また、醤油以外の食品販売にも力を入れつつあり、総合食品メーカーともなっている。 ・参考:話題の工場見学へ!キッコーマン「もの知りしょうゆ館」を訪れよう https://tabicoffret.com/article/81821/・参考:キッコーマン野田工場を見学「もの知りしょうゆ館」をレポート! https://factory-fan.com/kikkoman-noda-report/・参考:野田の醤油醸造 – Wikipedia ++++++++++++ ♣ しょうゆ味わい体験館(ヤマサ醤油) 所在地:千葉県銚子市北小川町2570 Tel.0479-22-9809HP: https://www.yamasa.com/enjoy/factory-visit/ → 工場見学と組み合わせて醤油づくりを学ぶことができる体験博物館。見学ツアーは、工場見学センターからスタート。ヤマサ醤油の歴史やしょうゆの造り方などの動画をみた後、ヤマサ醤油の歴史的資料と昔のしょうゆ造りに使った道具の展示を見ることができる。ここの歴史史料では、しょうゆ発祥の地といわれる紀州(和歌山県)湯浅の隣町出身であるヤマサ醤油の創業者初代濱口儀兵衛が、しょうゆ造りの本場に伝わる技と味を、新たな生産地銚子に持ち込んだ歴史や、銚子で栄えた醤油開発の理由、昔のしょうゆ造りのあり方や道具など学ぶことができる。このヤマサ醤油の来歴と銚子での醤油つくりの背景は非常に興味深いので簡単に紹介しておく。 <ヤマサの歴史> 初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡ってヤマサ醤油を創業したのは、江戸幕府誕生から42年後の1645年(正保2年)だという。以来、創業から3世紀半以上、途中若干の起伏盛衰はあったものの12代にわたり醤油を作り続けている。そして、創業から約200年後、幕末の1853年に、7代濱口儀兵衛が幕末から明治にかけて、社会問題にも取り組みながら実業家としての力を発揮しヤマサを大きく発展させた。1864年には幕府より品質に優れた醤油として「最上醤油」の称号も得ている。明治になると、彼を引き継いだ8代目は、これからは洋食の時代が来るとして国産ソース第一号のミカドソースという名の醤油ソース(醤油をベースにしたソース)を作っている(注*)。 また、明治の社会近代化の中で醤油は生活必需品として消費量も増加、手工業的の要素が強かった製法も機械化が進んでいく。こういった中、家業を引き継いだ10代目浜口儀兵衞は、1893年(明治28年)から「醤油王」と呼ばれたように、50年間で醤油の科学的発展に尽くし、醤油の微生物を活性化させる工業的な発想を実践に移す。彼は、まず、醤油研究所を設立、これまでカンと経験に頼っていた醤油醸造を科学的な手法に変革して、ヤマサ独自の菌「こうじ菌」などの改良に力を注いでいる。 戦前にヤマサ醤油が作っていた醤油は、「こいくち醤油」だけだった。しかし、戦後は食文化の復興と生活の向上といった時代のニーズに応えた醤油を開発を進めていく。例えば、うま味の相乗効果を利用した新ジャンルの「新味しょうゆ」、「さしみしょうゆ」などである。1992年には、有機栽培大豆を使った「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を業界に先駆けて製品化している。ヤマサによって、新たな種類の醤油が生まれている様子がうかがえる。 ・参照:*「みかどソース」https://recipe.yamasa.com/blog/27・参照:https://www.yamasa.com/enjoy/history/ ++++++++++++++++++ ♣ 醤油史料館 (ヒゲタ史料館) 所在地:千葉県銚子市八幡町516 Tel.0479-22-5151HP: https://www.higeta.co.jp/enjoys/archives/ → ヒゲタ醤油は、1616年(元和2年)からの房総半島銚子を創業地とする醤油メーカー、関東の醤油づくりでは最も古い歴史を持っている。かつては「銚子醤油」という社名であった。このヒゲタが醤油のルーツと歴史を紹介するため設立したのが「史料館」。史料館では、醤油造りに必要な各種の桶や樽、製作工具、醤油を江戸まで輸送した際の高瀬船の模型、容器の変遷などに関する資料を展示している。珍しいものでは、仕込み桶の板を削る“大かんな”などがある。工場見学もあり、醤油製作技術の歴史をみるには最適。なお、ヒゲタは、1937年(昭和12年)には野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)と資本提携、1966年(昭和41年)には同社と販売委託契約を結んで、キッコーマンとの関係を強化している。 <ヒゲタの歩み> → 田の四隅にヒゲがついたような商標がトレードマークのヒゲタ醤油は、関東の醤油メーカーでは400年以上の歴史を持っている老舗。銚子に初めて醤油が伝わったのは、1616年のことで、摂津国西宮の酒造家・真宜九郎右衛門から醤油製造法を伝授された豪農・田中玄蕃が醤油業を起業したのが起源といわれる。銚子は温暖多湿で、麹菌や酵母など微生物の生育に適している季候と地理条件を利用したヒゲタは、江戸時代に“濃口しょうゆ”製法を確立したといわれる。江戸は全国からの出稼ぎの街であり、いろいろな食文化が混ざり合った結果、「安く、早く、美味い」甘辛い味が好まれる傾向があった。また、江戸湾のプランクトンおかげで「魚」が新鮮で「おいしく」なり「刺身」が大流行した。そのとき、魚の臭みも取りながら、おいしく食べるのに必要だったのが「濃い口醤油」だったという。 こうして、銚子の醤油は銚子港から江戸に船で運ばれて庶民にも親しまれることになる。江戸初期、江戸庶民は、上方からの「うすくち」の醤油が「下りもの」として高級とされたが、次第に、濃い口が好まれるようになる。江戸では、他地域からの職人、単身者も多かったため、塩分のやや濃いしょうゆが好まれたという背景もあったようだ。現在でも東京の蕎麦屋さんの多くはヒゲタの愛用者といわれ、プロに珍重される本格的な「そばつゆ」「めんつゆ」「かえし」などもヒゲタ醤油の大きな柱となっている。 ・参照:https://www.higeta.co.jp/company/history/・参照:ヒゲタ史料館 JAFナビhttps://drive.jafnavi.jp/map/spots/121112050012/・参照:https://traveltoku.com/higeta/・参照:玄蕃蔵物語 | ヒゲタ醤油 https://www.higeta.co.jp/enjoys/tenchijin/genbagura/ +++++++++++++++ … Continue reading
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「食と農」の博物館 (3) お菓子の世界(博物館紹介)
ー 生活の中のお菓子文化の役割と歴史を探るー お菓子は日本の社会生活の中で重要な食事文化を形成している。このセクションでは日本で生まれた各種菓子の形成とルーツを訪ねると共に生活の中でどのような役割を果たしているか、その特徴は何か、歴史的な観点から見てみる。特に、京菓子の魅力と歴史をおってみることにした。 +++++++++++++++++++ ♣ 江崎記念館(江崎グリコ) 所在地:大阪市西淀川区歌島4-6-5 Tel.06-6477-8257HP: (https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/ezakikinenkan/ → グリコの創業の歴史や創業時から現在まで受け継がれている菓子作りの技術や創意工夫をみることができる記念館。館内ではVRを活用しており、栄養菓子「グリコ」を試作やハート形ローラー、真空釜の実像がみられるほか、主力商品、歴代道頓堀グリコネオンのジオラマ、創業者・江崎利一が生前使用した思い出の品々愛用していた机・椅子などの展示もある。創業の歴史をみると、1919 年、カキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめた江崎利一は、グリコーゲンを活用した食品の商品化に着手したと伝えられる。やがて生まれたのが「栄養菓子グリコ」であった。 1922 年には大阪の三越で赤い箱の栄養菓子「グリコ」を販売を開始する。戦時中、工場の焼失などがあったが、ビスケット製造からスタートして、「ビスコ」の製造を再開。次いで「グリコ」も復活。復興後「アーモンドチョコレート」「プリッツ」「ジャイアントコーン」「ポッキー」などの超ロングセラー商品を次々に生み出している。消費背活が豊かになるにしたがって、デザート類へのニーズが高まると、「プッチンプリン」を筆頭に、「カフェオーレ」「パナップ」「セブンティーンアイス」を誕生させている。記念館では、食品、菓子メーカーの成長を確認することができる。 ・参考:江崎グリコ(Glico) 沿革 https://www.glico.com/jp/company/about/history/ ・参考:江崎記念館 | Yahoo!トラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00017026/ ++++++++++++++ ♣ グリコピア神戸(江崎グリコ) () 所在地:兵庫県神戸市西区高塚台7丁目1番 Tel.078-991-3693HP: https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/glicopia/kobe/ → 家族向けの商品紹介と工場見学を組み合わせた観光博物館。普段は見学することができない貴重なビスコ工場内をスマートフォンやパソコンからご見学できる。ポッキーやプリッツの製造工程を近くで見学できるだけではなく、最新鋭の機械で作られた商品がお店に並ぶまでをわかりやすく説明してくれる。グリコの歴史や歴代のおもちゃも展示している。同様の施設は、千葉、埼玉などにもある。 +++++++++++++++++ ♣ 森永エンゼルミュージアム 所在地:神奈川県横浜市鶴見区下末吉2丁目1−1 Tel. 0120-560-162HP: https://www.morinaga.co.jp/factory/tsurumi/ → 家族向けの商品紹介と工場見学を盛り込んだ観光ミュージアム。森永製菓の歴史やお菓子の製造工程の映像、工場見学で体験できる。展示コーナーでは、森永の商品の特徴や、技術、製法、美味のひみつをご紹介する。製造ラインの見学では、小枝、ハイチュウプレミアムなどのお菓子の製造・包装ラインの一部を窓越しに見学できる。 参考:【森永エンゼルミュージアム MORIUM(モリウム)&工場見学】サニー・けあサポートhttps://sanny-care.com/2024/05/17/morinaga-2024/ +++++++++ ♣ 京菓子資料館(京菓子司 俵屋吉富) 所在地:京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町285-1 Tel.075-432-927HP: https://kyogashi.co.jp/shiryoukan/) →「俵屋吉富は」江戸時代から続く京都の老舗京菓子店。この京菓子司展が1978年日本の和菓子文化を後世に伝えようと開設したのが「京菓子資料館」。常設展示として、「和菓子のあゆみ」を公開しており、古代から続く木の実や果物といった「果子」、奈良時代に遣唐使によりもたらされたと言われる「唐菓子」、鎌倉時代に禅とともに伝来した「点心」、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて布教や貿易を目的に渡来したポルトガル人・スペイン人によりもたらされた「南蛮菓子」、そして江戸時代以降に使用される砂糖や寒天といった「原材料の革新」などを受けて繁栄した「京菓子」の系譜を、歴史を追いながら資料や絵図、菓子見本などを用い詳しく紹介している。 ・参照:京菓子資料館|#むすびhttps://www.kyoto.coop/musubi/cat346/post_125/・参照: ことりっぷ(京菓子資料館)https://co-trip.jp/spot/1873?tab=3 ++++++++++++ … Continue reading
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