Monthly Archives: May 2024

東京・日本橋の「くすりミュージアム」を訪ねる

―「くすり」の働きを見える化するデジタル博物館の魅力と江戸日本橋ー   先日、日本橋に行く機会があり、かねてから訪問したかった大手製薬会社第一三共の「くすりのミュージアム」を訪ねてみた。江戸の昔から日本橋本町周辺は「くすりの街」として知られており、現在でも多数の大手製薬会社ビルが軒を並べている。その中の第一三共本社にミュージアムはある。2012年に開設されたもので、くすりと製薬技術の大切さを広く社会に発信しようと設立したという。この博物館では “デジタル技術”を使い、形には見えにくい「くすり」の中身や効用、新薬開発プロセスなどをCGや映像、模型でビジュアルに紹介している。  館の内部は、「くすりとからだ」「くすりの種」「くすりのはたらき」などと分野別に展示がなされており、それぞれをICチップで操作して展示物を閲覧するようになっている。例えば、「くすりとからだ」では、人体がどのように構成され、病気のときに体内で何が起きるのかをバーチャル映像で確認することができるすぐれものである。医療と医薬の現在を知る上で先進的なミュージアムといえよう。 この訪問を機会に「くすり」とは何かをミュージアを通じて考えると共に、「くすり」日本橋本町の今昔、博物館を開設した第一三共製薬の創業と歴史を追ってみた。 ☆    第一三共「くすりのミュージアム」所在地:東京都中央区日本橋本町3-5-1 Tel. 03-6225-1133HP: https://kusuri-museum.com/ ♣ くすりミュージアムの位置づけと館内展示  第一三共は、三共と第一製薬とが2005年に経営統合して誕生した大手製薬会社で、がんを中心とした医療用医薬品から、OTC医薬品、ワクチンの製造販売まで、幅広いくすりを開発・製造・販売している。この第一三共が広く「くすり」の役割や効用、薬の開発プロセスなどを知ってもらおうと開設したのがこの博物館。一般的な「資料館」や「博物館」とは大きく異なり、歴史的な資料や収集物の展示は誇示されず、“デジタル技術”を使い、“参加・体験”を通じて「くすり」の大切さを社会に訴えようするミュージアムとなっている。企業の社会的役割を強調する未来型の博物科学館といえよう。 では、どのような展示がなされているかを見てみよう。 (ミュージアムある展示の様子)  ミュージアムに入るとすぐに受付カウンターがあり、そこでICチップのメダルを受け取って展示室に入るシステムになっている。展示室は2階にあり、最初に眼にするのは「くすりとからだ」コーナーで、壁面に大きな映像の人体モデルのある部屋である。そこはメダルをかざし正面に立つと“人体がどのような臓器で構成”され、病気のときに体内で何が起きるのかがバーチャル映像で表示される展示となっている。人間が健康を害するようになると身体にどのような変化が起き病気になるか、健康バランスを回復するため医薬がどのように手助けするかを言葉と映像で解説してくれる。  次に、展示室の奥に入っていくと三面が壁に囲まれた「くすりの歩み」コーナーがあり、ビジュアルな医学・薬学の大きな発展年表が用意されている。そこでは有史以来の医療から最近医学薬学の歴史が時代ごとの事象で表現されており、医学知識のない時代、医療のあけぼの、薬草医療、細菌の発見と近代医学の進展、伝染業への対応、ワクチンの開発などの歴史が医薬との関連で丁寧に紹介されている。改めて医療とくすりの長い歴史を感じることができる展示である。  次の広い空間スペースのメインの展示室では、各種の医薬に関する機能や役割を様々な機器と装置を配置して展示がなされている。このうち最も目を引くのは、正面にある大きな透明の人体模型。ここは体内に入った「くすり」がどのような経路を辿って目標の部位に達するかをシュミレーションし、視覚的にわかる優れた展示装置となっている。  また、周辺には薬種別に効用を識別できるゲーム感覚のテーブル装置、創薬がどのような試行錯誤で作られていくかの解説コーナーなどが並んでおり、くすりの開発がどのように進みつつあるかを参加者自身が体験的に理解することができる。  たとえば、透明な人体モデルでは、見学者がメダルで経口薬コースを選ぶと、口に入った薬が胃を通り腸で吸収されて血中に入り、心臓を通して全身に運ばれで目標(患部)に届き、その後、働きが終わると腎臓を経て体外に排出される動く過程がビジュアルモデルとして観察できる。また、これを注射・点滴による薬剤投与、座薬による投薬と種類別に異なる経路で薬が運ばれる様子が識別できるといった風である。            さらに、「くすりの長い旅」のコーナーでは、テーマが「くすりの種を探す」「組み立てる」「かたちづくる」「育てる」とあり、自然の動植物あるいは科学物資中から薬効可能性を見いだし、何十万もの「種」を選別ストック、ライブラリー化して、これを病因別に対応するよう組み立て、加工する過程が映像化されている。また、何年もかけ「安全性」と「薬効」を試験して製薬に仕上げる創薬プロセスも再現されている。これらを見学者はゲーム感覚で、「くすり」つくりに実際に参加するような展示となっている。筆者が訪問したときも、何人もの見学者が嬉々として創薬展示プロセスに参加していた。 ♣「くすりと日本橋」にみる日本橋本町の今昔  各種展示の中で興味深いものの一つは歴史展示「くすりと日本橋」である。すでに触れたように日本橋周辺には多くの製薬会社があつまり、薬品・医療メーカーの集積地になっている。この起源は江戸時代にあり、この地に多くの薬問屋が店を開いたことによるという。これの展示を参考にしつつ「くすりの街」日本橋本町周辺の今昔をみてみた。    日本橋にくすり問屋が集まるようになったのは、江戸初期の頃、家康が江戸の町づくりを行う過程で、日本橋周辺を江戸の商業地に割り当てたことによる。このうち日本橋本町3丁目付近を薬種商の地として指定、これ以来、多くの薬問屋が集まるようになった。中でも商人益田友嘉の「五霊膏」という薬は大評判になって日本橋本町の名望を高めたという。元禄期になると、多数の「問屋」や「小売」などが集積されたため薬種問屋組合も結成された。また、幕府は日本橋薬種商の品質管理と保護を計るため「和薬改会所」の設置も行っている。この頃からの薬種問屋としては、伊勢屋(伊勢屋吉兵衛)、いわしや本店(松本市左右衛門)、小西屋利右衛門出店などの名がみえる。当時の薬種問屋街の賑わいは川柳にも「三丁目、匂わぬ店は三、四軒」と謳われ、街にくすりの”かおり”が満ちている様子が伝えられている。こうして、江戸日本橋本庁付近は大阪の道修町と並ぶ全国のくすり問屋の中心地の一つとなってくのである。    明治に入ると、西洋の薬「洋薬」や医薬分業制の導入など薬を取りまく環境は大きく変わっていくが、日本橋本町の薬種問屋は結束して「東京薬種問屋睦商」を組織して対応したほか、新しく参入する製薬会社も加わり更なる発展を遂げていく。  このうちには、田辺製薬の基となった田辺元三郎商店、後の藤沢薬品工業となる藤澤友吉東京支店、武田薬品と合併する小西薬品などの名も見える。 こうして、本町通りの両側の町は、今も小野薬品、武田薬品、第一三共、日本新薬、中外製薬、ゼリア新薬、東京田辺製薬、藤沢薬品(現アステラス製薬)などが並ぶ製薬の町となっている。  第一三共製薬が「ミュージアム」を日本橋本社内に開設したのも、自社の業績をだけでなく、この街の発展を伝えるよう展示を構成しているのもわかるような気がする。 ♣ 第一三共製薬の創業と歴史をたどる  このミュージアムを訪問するに当たって、明治年間に創設され、後に第一製薬と合併し「第一三共製薬」となった「三共製薬」の発展をたどってみることにしたが、この背景に明治の大化学者高峰譲吉があったことは忘れられない・ (三共の創業と高峰譲吉)  三共の起源となったのは、横浜で絹物会社の支配人だった塩原又策が、1899年(明治32年)に、高峰譲吉との間に消化薬「タカジアスターゼ」の独占輸入権を獲得し、「三共」として薬種業に参入したことにはじまる。三共という名は、友人であった西村庄太郎、塩原の義弟である福井源次郎の三人が共同出資したことにちなむという。三共と高峰との出会いは西村が米国出張中のことと伝えられる。高峰は当時自身の発明した「ジアスターゼ」の販売権を既に米国の大手製薬メーカーのパーク・デービス社(現:ファイザー社)に譲渡していたが、日本市場は日本人に担って欲しいとかねてから考えていた。これを知った西村は高峰に塩原又策を紹介し、又策も繊維のほか事業の拡大を考えていたことから話は前向きに進められることになる。  又策は西村から送られたタカジアスターゼの見本で効果を確認した後、これを輸入販売することを決断、1998年(明治31年)、高峰と塩原の間で委託販売契約が結ばれた。 翌年、このタカジアスターゼの売れ行きが極めて好調であったことから、塩原は西村、福井とともに匿名合資会社「三共商店」を設立して本格的な事業展開がはじまる。ここに三共製薬成長の基礎が築かれたことになる。  さらに、又策は、タカジアスターゼに続き結晶化に成功して製品化されたアドレナリンの販売権も高峰に依頼し、3年後の1902年、高峰とデービス社の了解を得て三共商店は日本総代理店ともなっている。米国で科学者として成功した高峰の日本への期待と塩原の誠実さと熱意が結びつき、新しい製薬業の種が広がったことになる。この時代、人と信頼の輪が国を超えて事業が広がったよい事例といえるだろう。 この頃から又策の「三共商店」は単なる新薬の輸入販売だけではなく製薬業にも着手し、さらには事業の多角化に乗り出していく。そして、1913年、三共商店は「三共株式会社」となり、初代の社長には高峰譲吉が推薦され、又策は専務となり日本での事業の中心を担っていく体制となって製薬事業を中心に事業の発展を計っていく。 三共は、大正、昭和と東京に拠点を移しつつ紆余曲折を経て大手の製薬会社として事業を続けていくが、戦後には新たな展開をみせる。  1951年には抗生物質製剤クロロマイセチン®の国産化に成功、1957年には「三共胃腸薬」を発売、ヒットさせる。1965年にはビタミンB1・B6・B12製剤ビタメジン®を発売、1980年代には抗生物質製剤セフメタゾン、世界初のレニン・アンジオテンシン系降圧剤カプトリル、消化性潰瘍治療剤ザンタック、鎮痛・抗炎症剤ロキソニンを発売するなど新規軸を築いている。  次なる転機は、2005年の「第一製薬」との合併による「第一三共製薬」の誕生である。合併先の「第一製薬」は、1915年に衛生試験所技師・慶松勝左衛門が「アーセミン商会」を前身とした企業で、駆梅剤アーセミンを発売して成功している。また、消化性潰瘍剤ノイエル、口抗菌製剤タリビッドなどで業績を伸ばしていた。この両者の合併は、競争の激化する新時代の薬事事業のグローバル化をめざして第一、三共の強みを生かすことであったという。  この結果、2005年9月、三共と持株会社方式で経営統合し、アステラス製薬(山之内製薬と藤沢薬品工業が合併)を抜き、武田薬品工業に次ぐ業界2位となっている。  東京日本橋に本社を置くこの「第一三共」の事業展開は周知のように、グループ企業は30社、12ヶ国に研究拠点、生産拠点は13のグローバル企業となっている。2023年には連結売上収益は1兆6000億円に達したという。 塩原、高峰が明治年間に国境を越え夢を持って創業した「三共」と慶松が大正期に野心的に設立した「第一」が、90年の長い歴史をへて現在のグローバルな製薬企業に成長していく姿は、明治以降の日本の産業発展、企業近代化を示す一つの姿であったと想像できる。 ♥ 訪問の跡で感じたこと   今回は大変勉強になる博物館訪問であった。感想としては、第一に、この博物館が他の企業ミュージアムとは大きく異なり、自社の特色や製品をことさら取り上げて展示することなく、「くすり」という概念全体の効用や製法を解説し展示していることだった。これにより企業の目に見えない努力や独自性が自ずから示される形となっている。第二は「くすり」という把握しにくい製品をデジタルと映像化技術で「見える化」する試みが効果的になされていることだった。国立の日本科学未来館などでも行われているが、企業単独でこれだけの工夫がなされているのは珍しいと思えた。第三点は、日本橋、特に日本橋本町周辺が、江戸時代のから「くすりの街」として発展してきたこと、現在でも大手の薬品会社が集積してグローバルな医療、薬品の中心地となっていることを周辺を歩くことで実感できたことである。また、第一三共創業の歴史を調べる中で、この創設に明治の科学者高峰譲吉が深く関係しているのを知ることができたのも収穫であった。 これまで医療、薬品関係の博物館訪問はなかったが、これを手始めに幾つか訪ねてみようと考えている。 (了) ◎ 参考とした資料など 中

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産業機械の発展を示す博物館 (B) 詳細

♣ 安川電機の歴史館とみらい館(安川電機)  ー 産業ロボット製作のパイオニア安川の歴史と挑戦ー (https://www.yaskawa.co.jp/robot-vil/rekishi/index.html) 歴史館HP(https://www.yaskawa.co.jp/robot-vil/miraikan/index.html)未来館HP(https://www.yaskawa.co.jp/company/robotvillage)ロボット村HP 福岡県北九州市八幡西区黒崎城石2番1  Tel.093-645-7705 → 安川電機は、産業用ロボット分野では世界で4位を占める国内有数の産業工作機械メーカーである。この安川が創立100年(1915年)を迎えて設立したのが「安川電機歴史館」と「安川電機みらい館」。北九州黒崎に「ロボット村」として本社・工場機能を統合して見学・訪問施設としてオープンしている。前者の歴史館では、安川電機の創業と発展の足跡をたどると共に、同社発展の原点となったモータの受注一号機「三相誘導電動機」(1917年)、国内初の全電気式産業用ロボット一号機などが展示されている。  また、後者のみらい館は、現在の安川電機が取り組むロボット先端技術と未来への展望を示す展示館で、最新のロボット技術の紹介、人とロボットの共存を考える空間を提供している。両者とも日本の産業工作機械の歴史と今後の発展を示唆する貴重な展示施設である。  ちなみに安川電機は、九州で炭鉱事業(明治鉱業)を興した安川敬一郎が、電気用品の開発と製造を行うことを目的に設立した会社が基となっており、1928年には「ボールベアリング付き三相誘導電動機」、戦後1953年にはVSモータ1号機を製品化とモータ製作部門で成果を上げ、この技術を応用して産業ロボット部門に進出、1974年にマイクロNC「YASNAC(ヤスナック)」を開発、1977年には国内初の全電気式産業用ロボット「MOTOMAN-L10」を発表している。現在では、半導体・電子部品、植物工場含む農業・食品分野、社会インフラの分野でも存在感を示し、2020年には半導体製造装置などに使うACサーボモーターの累計販売台数が2000万台に到達し世界シェア第1位となっている。 これら安川電機事業の全容と発展を社会的に広く知ってもらおうと開設したのが安川「ロボット村」で、体験型の観光テーマパークとして見学に訪れる人も多いという。 ++++++++++++ ♣ ヤマザキ・マザック工作機械博物館 ー産業ロボットの可能性を探るヤマザキの挑戦を紹介ー   (https://machine-tools-museum.mazak.com/)    岐阜県美濃加茂市前平町3-1-2  Tel.0574-28-2727  → ヤマザキマザックは、自動車部品や医療機器など多様な製品の部品を加工する産業機器・産業ロボットの革新的なメーカーとして広く知られるが、同社の創業100周年記念として2019年開館したのが、この工作機械に特化した博物館。ここには18世紀から現代までの工作機械の展示がされており、一部の機械は稼働状態の展示となっている。施設内には、現代の工作機械で構成された生産ラインもあり、実際に部品の生産が見学できる施設となっている。  この館内の「工作機械ギャラリー」では、工作機械の歴史の、加工部品、最新の工作機械を展示、実物を通して生活に工作機械がどのように関わっているかを詳しく紹介している。工作機械は、自動車や航空機など、私たちの身の回りにあるあらゆる製品の製造に関わることからマザーマシン呼ばれ、「世界のモノづくり」を支える大変重要な役割を担っている。 しかしその存在や用途は、一般的にはあまり知られていない。博物館では、普段見ることのできない歴史的に貴重な工作機械を時代ごとに展示、工作機械の歴史や役割、仕組みなどをわかりやすく学ぶことができると博物館は説明している。                                ーーーーーーーーーーーーー     しかし、その存在や用途は一般的にはあまり知られていない。博物館では、普段見ることのできない歴史的に貴重な工作機械を時代ごとに展示、工作機械の歴史や役割、仕組みなどをわかりやすく学ぶことができると博物館は説明している。  +++++++++++++ ♣ KTCものづくり技術館(京都機械工具)(京都)    (https://ktc.co.jp/museum-west/)    京都府久世郡久御山町佐山新開地128  → 汎用、専用工具など約3000アイテムの工具や収納ケースの展示している資料館である。ミュージアムに入るとすぐ1,000t級の大型熱間鍛造機械の実物が展示されている。また、周囲をぐるりと覆う壁面には同社自慢の機械工具を種別ごとに見やすく陳列してあり、さすがに工具専門メーカーの資料技術館と感じられる内容である。普段はあまり気に留めることもないレンチやソケットの加工部分、細部まで洗練されたデザイン性など、じっくりと確かめることができる。 ++++++++++++ ++++++++++++ ♣ ヤンマー・ミュージアム(滋賀県) ーヤンマーのエンジン、船舶などの製作技術を示す体験型博物館ー (https://www.yanmar.com/jp/museum/)    滋賀県長浜市三和町6-50  Tel. 0749-62-8887              → ヤンマーの100周年記念事業の一環として滋賀研究所の跡地に2013年開館したミュージアム。内部には創業者山岡孫吉の功績を偲ぶ展示やヤンマーの事業内容の紹介があるほか、これまでのヤンマーの製作した各種機械製品、エンジン、ショベルカーや建設機械、トラクター、エンジン、ボート・船舶などが所狭しと陳列展示されている。また、ショベルカーや開発試験用の建設機械の操縦、ボートの操船などをシミュレーターで体験できる体験型の博物施設ともなっている。 +++++++++++++++++ ♣ 長岡歯車資料館 (新潟県) ー機械の性能を支える歯車の秘密を明かす資料館ー  (http://nagaha.net/?page_id=1653) 新潟県長岡市南陽2丁目949-4  Tel. 0258-22-069 → 長岡歯車製作所が1990年に設立した歯車に特化した珍しい機械工作博物館である。ここには歯車を使った機械、時計、茶運び人形、各種歯車モデル、非円形・円錐・球形歯車など、古今東西の歯車に関するいろいろな製品を展示している。主な展示品としては。木製歯車と木製機械、計算機、ミシン、オルゴール、機械式時計、シンギングバード、指南車、記里鼓車、ゼンマイ付玩具、各種歯車のメカニズムのモデル、球形歯車、その他各種歯車加工機械などがある。中でも珍しいのは水車用の木製歯車、同社の開発した非円形歯車、円錐型歯車などである。 (参考)博物館だより・長岡歯車資料館(砥粒加工光学誌 2006 Jan. pp23-24)https://www.jsat.or.jp/sites/default/files/2017-11/2008622162036.pdf … Continue reading

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電気機械の歴史を示す博物館 (B) 詳細

 ♣ 日立オリジンパーク・小平記念館 ー日立製作所のルーツと技術開発の歴史を追うー   (https://origin.hitachi.co.jp/)  茨城県日立市大みか町6-19-22  Tel.0294-87-7575  → 小平記念館は日立製作所の製品開発の歴史を検証すると共に、創業者小平浪平の足跡を紹介。これまで日立工場内にあったが、2021年に同社の企業パーク「日立オリジンパーク」の中にリニューアルオープンした。このパーク内には「小平記念館」「創業小屋」「大みかクラブ」「大みかゴルフクラブ」が設けられ、日立が1910年の創業以来伝承してきた企業理念や創業の精神を伝えるべく開設した。  まず、「小平記念館」では、操業者小平浪平のの人となりを示す資料、年譜、写真などがビジュアルに展示されており、氏の製作した製作機械の実物も数多くみられる。中でも、目を引くのは、1910年代、小平が独力で開発に成功した「電気モーター」(5馬力誘導電動機)の実物展示である。これは電機機械製品を殆ど輸入か外国人技術者に頼らざるを得なかった時代、国産電機技術の確立を目指し完成させたもので、日本が国産の電機産業を構築する基点ともなった製品である。 まず、「小平記念館」では、創業者小平浪平のの人となりを示す資料、年譜、写真などがビジュアルに展示されており、氏の製作した製作機械の実物も数多くみられる。中でも、目を引くのは、1910年代、小平が独力で開発に成功した「電気モーター」(5馬力誘導電動機)の実物展示である。これは電機機械製品を殆ど輸入か外国人技術者に頼らざるを得なかった時代、国産電機技術の確立を目指し完成させたもので、日本が国産の電機産業を構築する基点ともなった製品である。  また、「創業小屋」は、日立の原点である旧日立鉱山工作課修理工場を復元したもの。内部には、当時使用された簡素な製作道具類が展示されており、どんな苦労を重ねて製品を作り上げていったかを彷彿させられる。  ちなみに日立製作所の歴史をたどると、日立の原点は日立鉱山で、小平が「久原鉱業所日立製作所」として独立し創立したもの。当初は、制作中の電動機の故障など、数々のトラブルに見回れ危機を何度も経験している。しかし、日立の技術者は、これらを一つ一つ克服しつつ国産機械の開発を進め、現在の日立の技術的基礎を築いていったと伝えられる。この初期の開発成果としてあげられているのが、275馬力誘導電動機、250kVA水車発電機の回転子、10000馬力フランシス水車ランナーなどである。これらは、日立の初期の技術的挑戦を裏付ける製品群として記念館に展示されている。 (参考)「小平記念館」を訪ねる (igsforum.com) https://igsforum.com/hitachi-odaira-m-museum-j/ 参照 +++++++++++ ♣ 東芝未来科学館 ー東芝のものづくりの歴史と製品を一覧展示ー    (https://toshiba-mirai-kagakukan.jp/)   神奈川県川崎市幸区堀川町72番地34  Tel.044-549-2200   → 「未来科学館」は、東芝の技術開発の成果を伝える目的で設立されたが、日本の電子電気産業技術の歴史を示す貴重な博物館ともなっている。設立の基本コンセプトは、エレクトロニクスを中心とした最先端技術・科学の展示と情報発信、科学技術教育への貢献、産業遺産の保存・歴史の伝承となっている。館内の展示は、現代の科学技術の成果をビジュアルに観察できる数々の工夫がこらされていて、最近の科学技術の発展や歴史を生で体験できる。また、日本の近代産業遺産に連なる製品の歴史展示も魅力の一つである。  展示では、東芝の歴史、東芝製品の一号機や環境・エネルギー、社会インフラ、半導体など近未来の社会・生活シーンを見据えた先端技術を紹介する形となっている。また、日本の電気産業の発展、ものづくりに関連した産業遺産の保存・展示は貴重といえる。   なかでも、東芝の技術開発の歴史と企業発展を示す展示は魅力である。東芝創業の前駆をなす発明品類展示(万年時計や精巧なカラクリ人形など)、明治勃興期の電信機、電灯、発電機などの展示は、日本の電気電信技術の初期の発展の姿を示しており貴重な展示となっている。東芝では、これを「東芝1号ものがたり」として、創業者田中久重、藤岡市助の事績を伝える様々な逸話を紹介し、発明品の実物展示と解説を行っている。 (参考)「東芝未来科学館」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-toshiba-science-museum-rjj/) ++++++++++++++ ♣ 電気の史料館(現在臨時休館) ー日本の電気事業の歴史と技術開発をみる資料館ー  (https://www.tepco.co.jp/shiryokan/) 参照:(https://www.tepco.co.jp/shiryokan/virtualtour/index.html)バーチャルツアー 神奈川県横浜市鶴見区江ケ崎町4−1 Tel. 045-394-5900 → 東京電力の史料館は、電力一般に関わる歴史史料、施設などの展示を行う史料館。ここでは多様な電気用具から、送電線鉄塔、発電タービンなど貴重なものが展示されている。東日本大震災による福島第一原子力発電所事故により一般見学休止中となったが関係者には公開されている。主な展示品としては、エジソン式直流発電機、信濃川発電所立軸フランシス水車発電機、千葉火力発電所1号タービン発電機、鬼怒川線送電鉄塔(バンザイ鉄塔)、皇居正門石橋飾電灯など約700点があり実物展示されている。現在、一般見学はできないが館内の展示物はバーチャルツアーで展示物を見ることができる。 参照:(https://www.tepco.co.jp/shiryokan/virtualtour/index.html) +++++++++++ ♣ 電機事業連合会の電力資料館 電力資料館・PR館情報 (https://www.fepc.or.jp/library/shisetsu/pavilion/index.html) → 電気事業連合会は、日本の電気事業を円滑に運営していくことを目的として、1952年(昭和27年)に全国9つの電力会社によって設立。以来、地域を代表する電力会社間の緊密な対話と交流を諮る一方、新しい時代の電気事業をつくり出していくための創造的な意見交換の場としている。現在。沖縄電力を加えて10電力体制で運営している。連合会参加の電力資料館は以下の通り。 ・エネルギー館 あしたをおもう森 (http://ashitawo-omou-mori.jp/ 青森県青森市安方1-1-40 青森県観光物産館アスパム2F、Tel. 017-773-2515 … Continue reading

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産業機械の歴史を示す史料館(B) 詳細

♣ 旧集成館機械工場(尚古集成館)―史跡・世界遺産) ー幕末に西欧技術の導入を試みた薩摩藩の足跡をみるー (https://www.welcomekyushu.jp/world_heritage/spots/detail/3 鹿児島市吉野町9698-1  Tel.099-247-1511 → 幕末に薩摩藩が西欧の工業技術習得のため作られた施設「集成館」の機械工場を復元したもの、内部には金属加工、船舶の修理・部品加工に使われたオランダの工作機械などを動体展示している。 日本が長く鎖国政策をとっていた江戸時代の末期、鹿児島の薩摩藩は、西日本の諸藩と同様、押し寄せる西欧の軍事・植民地化圧力を強く受けていた。このため薩摩君主島津斉彬は、これら脅威に対抗するため「集成館」という軍事・産業の近代化を図る事業を1850年代に開始する。これは、砲身を作るための製鉄鋳造、西洋様式の大型造船、綿紡績事業などの近代工場を作り上げることであった。 この施設群の遺跡が現在でも鹿児島に残っており、2015年、日本の近代産業開発ルーツの一つとして「世界産業遺跡」に指定された。これら集成館関連遺跡は、鹿児島磯地区の「仙巌園」周辺に点在しており、反射炉跡、溶鉱炉跡、造船所跡、紡績所跡、尚古集成館、紡績所技師館などがこの対象となっている。特に、「尚古集成館」は、江戸末期の薩摩藩の産業近代化を目指した集成館事業の全体像を伝える貴重な資料館となっている。 (参考)⿅児島の世界産業遺産と薩摩藩「尚古集成館」を訪ねる https://igsforum.com/visit-kagoshima-shoko-m-jj/+++++++++++++++++++++ ♣ 博物館明治村「旧鉄道寮新橋工場」(機械館)  ―明治村の機械館では歴史的工作機械の展示がみられるー(https://www.meijimura.com) 愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314  → この明治村内の「機械館」は「旧鉄道寮新橋工場」建屋を復元して設置されたもの。鉄道寮新橋工場は日本ではじめて鉄道が走った明治5年、機関車修復所として作られもので、日本の鉄道の発展を見る上で貴重な建造物として明治村に移設された。鉄道技術が全くなかった日本は、当初、すべての建設材料と工作機器をイギリスから輸入して施設を作ったといわれる。明治村では、この施設を近代建設技術の手本として位置づけると共に、内部に、日本の産業近代化の過程で使われていた動力機械、工作機械、繊維機械など多数の機械類を全国から集めて展示している。  例をあげれば、明治期の鉄道機関車、貨車の重量部品などを加工した「蒸気ハンマー」(1881年導入)、富岡製糸工場で原動機として使われていた「横形単気筒蒸気機関」(1873年輸入設置)、北海道小樽市の日和山燈台で使われた「霧信号用蒸気機関」(逓信省横浜製作所製1897年製)、日本人製作の最古の工作機械「“菊花御紋章付”平削り盤」(1879年製)、流体力学を利用したといわれる最初の国産揚水ポンプ「“ゐのくち式”両吸込渦巻ポンプ」(1912年製造)、初期の日本紡績業を支えた「紡毛ミュール精紡機」(英国製)や「リング精紡機」(米国製)、水車を使って紡績を行う「ガラ紡」紡績機(臥雲辰致の発明、明治初期)、金沢の上辰巳発電所で使われた「フランシス水車」(米国製1913年製)などが展示してある。  当初、産業用金属加工の技術のなかった日本が工作機械や発電機、蒸気機関などを西欧から輸入して各種産業発展の基礎を作ると共に、その製作技術を学んでいく中で、徐々に独自の工夫を加えた機械を日本の国内で作りこれを普及させていった様子が浮かび上がってくる。 (参考)名古屋郊外の「明治村・機械館」を訪ねる | Asia Japan Techno-Museum Forum Blog Info (igsforum.com) https://igsforum.com/meijimura-j/ +++++++++++++++++++++++ ♣ 日本工業大学工業技術博物館―歴史史料― ー日本の機械産業の発展基盤を展示物から確認できる博物館―  (https://museum.nit.ac.jp/about/outline/)     埼玉県南埼玉郡宮代町学園台4-1  Tel.0480- 33-7545     → 明治時代以降現在までの日本の産業技術の発展に貢献した代表的な400点以上の工業機械類を展示。機械を中心とした日本のものづくりの展開がみられる。特に、工作機械の展示は豊富で工具の変遷や加工技術の進歩が確認できる。 博物館には、明治以降、昭和50年代頃までに輸入または国内製造された歴史的工作機が多数年代別種類別に展示されている。工作機械は、大きく分けて旋盤、ボール盤、フライス盤、研削・仕上盤、特殊加工機、そして複合工作機械としてのマシニングセンターなどに分類できる。 展示では、明治中期に使われた「手回し式旋盤」(池貝製作所作成の復元)、昭和初期のプラット&ホイットニー社『普通旋盤131NCHB』、フリードデッケル(ドイツ)の万能フライス盤(大正10年頃使用)、吉田鉄工所の『直立ポール盤』(1950年代)、シップ社(スイス)の『ジグ中くり盤3R形』、多機能工作機械類では、ケルニー社(米)「マシニングセンターEb形」(1970年代)、日立精工株式会社『マシニングセンターMBN-330形』(1970年代)など、歴史的な工作機械が数多く展示されている。  また、館内には、明治年代の機械加工町工場の復元もなされて博物館の呼び物の一つとなっている。工作機械のほかには、明治大正期に使われた各種織機、近年の発電用高性能ガスタービンの実証プラント(1987年、民間の技術研究協会が設計)、ガラス製水銀整流器(1961年日本電池)、そして、明治年間(1891)に使われた実際に動かしてみせる英国製蒸気機関車”Dub 2100型”など、機械産業の過去・現在を振り返ってみられる貴重な展示が並んでいる。日本の産業発展の姿を機械産業の視点から見るには最適の博物館となっている。なお、同博物館の所蔵する270点余は日本機械学会の「機械遺産」(2018)に指定されている。 (参考)日本工業大学の「工業技術博物館」を訪ねる | Asia Japan Techno-Museum Forum Blog Info (igsforum.com)  https://igsforum.com/visit-the-industrial-technology-museum-of-n-i-of-tech-j/ +++++++++++++++ … Continue reading

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