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日本の 鉄道史跡と博物館ー役割と歴史ー(博物館紹介)

   ー鉄道のもつ魅力と技術発展の系譜を伝える資料館を点検するー   日本の鉄道をみると、明治5年に鉄道を開設して以来150余年、日本の物流、人流を支えるインフラ事業として日本の近代化に大きく貢献してきた。また、明治以降、西欧から吸収しつつ進展してきた蒸気機関車、車両製造技術は、日本の機械製作技術の発展に大きく寄与した。この歴史過程を示す鉄道博物館は、SLブームもあって最も人気のある展示施設として全国に広がっている。この節では、日本の主要な鉄道博物館の歴史展示、見学施設を紹介しようとしたものである。(数が多いため省略したものも多くある。別な鉄道博物館資料も参照して欲しい) (鉄道技術の黎明期を記す鉄道歴史施設) ♣ 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(史跡)                                    所在地:東京都港区東新橋1-5-3  Tel.03-3572-1872HP: https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/facilities.html・参考:https://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/(開業150年を迎える日本の鉄道を考える Part 1)・参考:https://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/(同part2)  → 鉄道歴史展示室は、旧新橋停車場駅舎の再現に合わせて開設された史跡博物館。日本の鉄道開業の地である汐留の歴史とともに、明治期に日本の近代化を牽引した鉄道の発展と影響を紹介している。ちなみに、旧新橋停車場跡地は、1965年に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定されたが、発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年に、その上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた。内部は2階が鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」となっている。  展示室には、縮尺100分の1の模型によって再建された旧新橋停車場駅舎、開業当時の駅舎基礎石の遺構、発掘調査で出土した遺物の展示などのほか、鉄道開業の歴史的な経緯や往時の新橋停車場と汐留の状況、東京の町並み変化を伝える映像などが展示されている。また、鉄道の歴史や汐留界隈の郷土史などテーマにした企画展も随時開催される。特に、2023年には、日本の鉄道開通150年を記念して、鉄道開設当時の状況を伝える特別展も開かれている。 <参考>  明治初年に日本初の鉄道が開通してから約150年、この鉄道開設に関わる経過と政策、技術展開については以下の資料に概説しておいたので参照して欲しい。 ・参考① 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part 1)ー鉄道開設の社会的意義と遺跡ーhttps://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/ ・参考② 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part2)ー拡大する鉄道網と技術の国産化ーhttps://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/ +++++++++++++++++++++++++++ ♣ 博物館明治村 鉄道寮新橋工場(機械館)(史跡) 所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314HP: https://www.meijimura.com/sight/  → テーマパーク「博物館明治村」の中に、幾つかの鉄道開設に関係する史跡、歴史的施設がある。この中の一つが、 鉄道寮新橋工場(機械館)である。ここには旧新橋停車場構内に建てられた工場建屋が移築されており、内部には鉄道関係のほか日本の近代産業形成を跡づける旋盤、木工、鍛冶、鋳物などの機械類が設置されている。この鉄道工場施設は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場の機関車修復所として建てられたものである。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入してはじめられており、機関車や線路はすべて英国製であり、鉄道敷設いたる全てを欧米の技術者、特に英国に頼らざるを得なかった。このため急遽技術吸収のため作られたのが工部省鉄道寮の新橋工場であった。この意味でも、日本の鉄道建設黎明期の重要施設であった。  工場の側面の壁に沿ったところに台車が保存展示されているが、明治32(1899)年の「東京車輌製造天野工場製ハ29」の台車とみられる。明治末年には、既に機関車製作の国産化が進み始めていることを物語る。 ・参照:https://plus.chunichi.co.jp/blog/ito/article/264/6910/明治村の鉄道5…2つの新橋工場と保存台車:達人に訊け!:中日新聞Web +++++++++++++++++++」 ♣ 旧鉄道局新橋工場(明治村) 所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314HP: https://www.meijimura.com/sight/  → もう一つの明治村にある鉄道施設は「鉄道局新橋工場」。東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つである。この新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられており、この建物は木工場で鉄道寮新橋工場にならって造られたものであった。大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として、昭和41年(1966)まで使用されたといわれる。内部には、明治天皇が乗車したといわれる御料車が展示されている。  ちなみに、鉄道開設に向けた政府機関の変遷をみると、まず、明治 3年(1870)に 民部大蔵省に鉄道掛を設置して準備態勢を整える。初代は井上勝だった。翌年、これが工部省に鉄道寮となり、開通後の明治10年には鉄道寮廃止して工部省に鉄道局を設置した。明治23年 には鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となっている。上記の鉄道寮新橋工場は明治5年に建設、鉄道局新橋工場は明治22年の開設である。   明治村では、明治の鉄道関連史跡として、明治45年まで使われた「六郷川鉄橋」(明治8年、英人技術者ボイル設計、ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社製作)、動態保存されている国内最古のSL「12号」がみられる。 +++++++++++++++++++++++++++ (JRの運営する鉄道博物館) ♣ 鉄道博物館(JR東日本)  … Continue reading

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お酒の博物館ー日本酒の魅力ー(食と農の博物館)(6)

(日本酒を中心とした博物館の紹介)  日本のお酒づくり文化(「伝統的酒造り」)が、今年、ユネスコ無形文化遺産に指定された。伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術が日本の優れたものづくりだと世界的にも評価されたことを示す。国内の飲料では、ビールなどに比べて消費が伸び悩んでいるとはいえ、根強い人気と味の良さを誇る日本酒は幅広い人気を保っている。最近では、日本食の普及もあって海外でも「SAKE」と知られ好まれるようになった。今回の博物館紹介では、この日本酒の資料館、博物館を紹介してみた。 特に、日本酒近代化の歩み、京阪神、広島、新潟など酒どころの酒造メーカーの施設、その歴史、特色、酒の技術集団「杜氏」などについて、その概要を考察してみた。・参照:「伝統的酒造り」ユネスコ無形文化遺産へhttps://note.com/koji_sakezukuri/n/nd7bb490e54aa +++++++++++++++ ♣ 旧醸造試験所・赤煉瓦酒造工場(史跡) 所在地:東京都北区滝野川2-6-30 Tel. 03-3創設さ910-3853HP: https://www.jozo.or.jp/redbrick/・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」を見学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/  → 大蔵省が1904年(明治37)、日本の酒造りの近代化と酒類産業発展に貢献するため設立した清酒醸造試験工場跡。史跡となった赤煉瓦の建屋は重要文化財となっている。内部は当時の姿をとどめるボイラー室、原料処理室、旧麹室、清酒の近代化製法を普及させるため作られた研修工場で、明治以降の日本の酒づくりを支えた重要施設であった。建物の一階部分は、現在、見学者や研修のために使われている広いボイラー室と原料処理室、旧麹室、発酵室が整然と配置されている。二階部分は、酒の仕込みに使うタンクを置いた醸造室と麹づくりの麹室、地下階には温度調節された貯蔵室がある。また、貯蔵室内には、現在、「酒造100年プロジェクト」という日本酒の熟成に関する実験コーナーも設けられていて目をひく。旧麹室内には、昭和初期まで行われていた「酒造」講習の様子を示す写真パネルも用意されている。建築学的にも貴重な長手煉瓦のアーチとボールド天井、耐火床、外壁のドイツ積みと内部のイギリス積み煉瓦の組合せもみえ歴史を感じさせる。日本では珍しい白色施釉煉瓦の旧麹室は、日本酒の性質をよく考えた施工であるとの評価が高いようだ。ドイツのビール工場をモデルといわれるが、明治の建築家妻木頼黄が工夫をこらして設計したものと伝えられている. ・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/ より ♣ 独立行政法人酒類総合研究所 所在地:広島県東広島市鏡山3-7-1   Tel. 082-420-0800HP: https://www.nrib.go.jp/  → 上記醸造試験所の後を受けて、2001年に酒類に関する研究機関として設立された政府機関。酒類醸造に関する調査研究、講習、受託試験などを行っている。関連機関として、日本醸造協会、酒文化研究所がある。設立の目的は、酒税の適正かつ公平な賦課の実現を図ること、酒類業の健全な発達を図ること、酒類に対する国民の認識を高めること、酒類醸造に関する研究などの活動とされ、今後の酒類業の発展と豊かな国民生活に貢献し、合わせて酒類先端技術の発信基地としてライフサイエンスの発展を図ることとしている。現在、研究活動のほか全国新酒鑑評会を開催なども開催している。・参照:酒類総合研究所 – Wikipedia +++++++++++++ ♣ 日本の酒情報館(日本酒造組合中央会) 所在地:東京都港区西新橋1-6-15 日本酒造虎ノ門ビル1F     Tel. 03-3519-2091HP: https://japansake.or.jp/JSScenter/aboutus/  → 全国酒造業者の中央組織「日本酒造組合中央会」が運営する日本酒の広報・情報提供施設。県別の会員名簿も公開されていて酒造業者の全容がわかる。展示室には。全国各地の清酒・本格焼酎・泡盛の原材料や麹の実物見本、櫂棒や半切り桶と呼ばれる酒造りの道具、全国各地の特色ある酒器などを展示している。館内には2台のTVモニターと2台のプロジェクターが設置されており、お酒に関する様々な映像コンテンツを放映している。また、大吟醸酒・純米吟醸酒・純米酒・古酒・スパークリング清酒・貴醸酒など、全国各地の様々なタイプの日本酒、芋・麦・米・黒糖などの本格焼酎や泡盛、そして酒蔵の造る様々な果実のリキュールを試飲できるという。 ++++++++++++++++++++++++ (近畿京阪神地区のお酒の博物館)― 酒どころ伊丹、伏見、灘などー ♣ 丹波杜氏酒造記念館(兵庫) 所在地:兵庫県丹波篠山市東新町1-5  Tel. 079-552-0003HP: https://tourism.sasayama.jp/association/2013/01/post-58.html  → 酒造りの名匠といわれる“丹波杜氏”の酒造記念館。館内では、酒造技術の近代化によって失われつつある昔ながらの酒造りの工程をはじめ、酒造道具や資料などが展示されている。丹波杜氏の由緒などの資料もあり、過酷な条件の中で腕を磨いてきた杜氏たちの歴史や、昔ながらの手作りでの酒の醸造過程をじっくりと見学することができる。 (丹波杜氏とは?)  丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ、1755年(宝歴5年)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされている。江戸時代には、伊丹や池田に出稼ぎし、「剣菱」や「男山」などの伊丹の酒は、丹波杜氏の造り出す銘酒といわれ、今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作ったとされる。 なお、「杜氏」とは、酒造の責任者を示す役職名で、「日本山海名産図鑑」には、その名の由来を「酒工の長なり。また、おやじとも云う。・・・」とも記され、この中でも、丹波杜氏は長年の勤勉と信頼によって築いてきたームワークのすばらしさを財産としてきたとの評価が高い。 ・参考:蔵元紹介 | 丹波杜氏酒造記念館https://www.toji.sasayama.jp/introduction/ ++++++++++++++++++ ♣ 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム(小西酒造) … Continue reading

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お酒の博物館ー洋酒の世界ー「食と農」の博物館(5)

― ビール・ウイスキー、ワインなどの洋酒の世界と歴史を語る博物館をみるー ++++++++++++  (ビールの博物館)  ビールは今や日本の中で最も消費も多く、日本酒に次いで多様な形で好まれている洋酒といえるだろう。ここでは、日本に定着して多くの人々を魅了しているブランドビールの形態、由来と歴史、現在の姿をレビューしてみた。特に、注目すべきは大手メーカーの提供するビールのほか、最近では、各地で生まれている「地ビール」「クラフトビール」に注目する必要があると思える。以下に主要なビール関係資料館・博物館を紹介してみる。 ♣ サッポロビール博物館(開拓使麦酒記念館) 所在地:札幌市中央区北2条東4丁目  Tel.011-252-8231HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/ ・参考:北海道の「サッポロビール博物館」を見学 https://igsforum.com/2022/08/05/visit-sapporo-beer-museum-jj/   → サッポロビールの前身となる明治初期に設立された旧開拓使麦酒醸造所を博物館として開放したもの。試飲込みの工場見学コースを設けたワイナリーは多数見られるが、この博物館は、日本におけるビール産業の創始の歴史と発展記録を展示・紹介する貴重な産業博物館である。明治初期の北海道における開拓・産業開発の実例を示す歴史博物館でもある。 博物館では、ビールの醸造の過程を映像、現物で紹介しているほか、日本におけるビール生産の創始をもたらした「開拓使麦酒醸造所」の役割とサッポロビールへの移行につながる歴史、ビール産業発展の経過などを写真、パネル、記念文物などと共に幅広く展示している。また、試飲コーナー、レストランなども併設していて、札幌「ビール園」というテーマパークともなっている。また、博物館の建物は明治の北海道開拓の歴史を示す歴史的建造物であり価値も高い。札幌を訪れたら是非訪ねたい博物館の一つである。 (博物館でみるサッポロビールの展開)  ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみた。 江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。  また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。   しかし、その後、明治政府の方針で開拓使が廃止されたことで、傘下の事業は北海道庁に移管される。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かい。これが後のサッポロビール社の母体となった。  一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。 ++++++++++++++++++++ ♣ ヱビスビール記念館(サッポロビール)               所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20-1 恵比寿ガーデンプレイス内  Tel.03-5423-7255HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/   → ヱビスビールが2023年に東京・恵比寿に開設したビールの記念館。130年のヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像で紹介すると共に、エビス自慢のドイツ製の醸造設備を展示し、リアルタイムに醸造されるビールの味を楽しむことができる。館内では、3D画像で館内施設が表示されており、ポイントをクリックすることで、実際にヱビスビール記念館内を歩いて見学しているように館内展示を鑑賞することができる。また、「タップルームエリア」が用意されていて、目の前で造られている新鮮なヱビスビールを試飲することもできる。 ちなみに、記念館で紹介されているヱビスビールの来歴をみると、次のようである。 <ヱビスビールの成り立ちと現在>  → ヱビスビールのルーツは、1887年(明治20年)に設立された「日本麦酒醸造会社」。そして、会社設立から2年後に、現在の東京・目黒区三田に、ヱビスビール醸造場が完成、ビール生産を開始させている。このとき、ビールの仕込釜、蒸気機関、製氷機などの醸造設備はすべてドイツ製であったという。技術者もドイツから招聘した。1890年2月に「恵比寿ビール」として発売している。当初は名前を「大黒ビール」としていたが、大黒ブランドが既に商標登録されていたことから、同じ七福神の一神として福徳を授ける「恵比寿」に変更したという経緯もあるという。 発売後、売り上げは好調で、1899年には「恵比寿ビール・ビアホール」を東京・銀座にオープン、1900年には恵比寿ビールが「パリ万国博覧会」で金賞を受賞するなど、ビールの質の高さが世界的にも認められている。  また、日本鉄道がビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、醸造場周辺の人口も増加したことから当時の国鉄「恵比寿駅」となり周辺は賑わいも見せている。  こうして、1994年10月には「恵比寿」(旧南渋谷村)の醸造場跡地を「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発、複合文化・商業施設に生まれ変わらせた。この場所に「ヱビスビール記念館」が開設され、ビールの歴史を刻むと同時に地域の発展のシンボルとなっているのは見逃せない。 ・参照:歴史紹介 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html・参照:「恵比寿ガーデンプレイス」について | https://gardenplace.jp/about/・参照:地名はヱビスビールが由来⁉(TBSテレビ)https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=1105・参照:歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール https://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html +++++++++++++++++ ♣ キリン歴史ミュージアム (インターネット・ミュージアム) HP: https://museum.kirinholdings.com/Continue reading

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「食と農」の博物館(4)醤油と味噌の世界(博物館紹介)

 醤油と味噌は日本を代表する和風調味料である。このセクションでは、この醤油と味噌がどのようにして誕生して発展したかの歴史、どのような製法を持ちどのような特徴持っているかなどを、代表的な醤油・味噌メーカーが提供する博物館、見学施設を中心に紹介してみることにする。勿論、全国各地にはここには。ここでは触れていない多くの醤油・味噌の蔵元があり、見学の機会を提供しているものがある。是非、各地方の蔵元などをチェックして欲しい (see**). <醤油の世界> ♣ もの知りしょうゆ館(キッコーマン)        所在地:千葉県野田市野田110 キッコーマン食品野田工場内  Tel.04-7123-5136HP: https://www.kikkoman.com/jp/shokuiku/factory/noda/  → キッコーマンのしょうゆ工場の中にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」は、日本の代表的な調味料である“しょうゆ”の製法と特徴を紹介するミュージアムである。ここでは「しょうゆができるまで」を見学することができ、醤油熟成の様子や醤油の色・香りを体験できるコースが用意されている。また、「しょうゆの歴史」や「しょうゆの知識」などのわかりやすい解説もなされており、醤油誕生の歴史、醤油精製・発酵のメカニズム、食生活での醤油の役割などについて詳しく学ぶことができるのが魅力。多様なキッコーマン醤油や関連食品の展示もあり興味深い食品博物館となっている。  なお、施設内には、御用醤油醸造所(通称「御用蔵」が移設されていて、伝統的なしょうゆ醸造技術や1939年の御用蔵建設当時の建物や道具、装置を保存・展示しているのがみられる。御用蔵では、江戸時代から続いている伝統的なキッコーマンのしょうゆ醸造の知識を深めることができる貴重な歴史遺産となっている。 <キッコーマン醤油の歴史>  キッコーマンは、1917年に千葉県野田市の醸造家たちが合同で「野田醤油株式会社」を設立したのが始まりである。江戸時代初期から、野田での醤油造りは、良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など原料の確保が容易なこと、大消費地江戸への水運がよかったことから消費が伸び急速に盛んになっていった。こういった中、江戸中期、1781年に高梨家、茂木家など7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成、これが野田の醤油造りをさらに盛んにした。1800年代中頃には、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が「幕府御用醬油」の指定を受けている。明治になった1887年には、これが基礎になって「野田醤油醸造組合」を結成、1917年に茂木一族と髙梨一族など8家合同による「野田醤油株式会社」が設立された。これが後のキッコーマン株式会社となっている。ちなみに、キッコーマンの商標『亀甲萬』は茂木家が使っていたものが使われた。現在では、日本一の醤油生産量を誇り、海外にも積極的にも市場を広げ積極的に輸出を進めている。また、醤油以外の食品販売にも力を入れつつあり、総合食品メーカーともなっている。 ・参考:話題の工場見学へ!キッコーマン「もの知りしょうゆ館」を訪れよう https://tabicoffret.com/article/81821/・参考:キッコーマン野田工場を見学「もの知りしょうゆ館」をレポート! https://factory-fan.com/kikkoman-noda-report/・参考:野田の醤油醸造 – Wikipedia ++++++++++++ ♣ しょうゆ味わい体験館(ヤマサ醤油)             所在地:千葉県銚子市北小川町2570  Tel.0479-22-9809HP: https://www.yamasa.com/enjoy/factory-visit/  → 工場見学と組み合わせて醤油づくりを学ぶことができる体験博物館。見学ツアーは、工場見学センターからスタート。ヤマサ醤油の歴史やしょうゆの造り方などの動画をみた後、ヤマサ醤油の歴史的資料と昔のしょうゆ造りに使った道具の展示を見ることができる。ここの歴史史料では、しょうゆ発祥の地といわれる紀州(和歌山県)湯浅の隣町出身であるヤマサ醤油の創業者初代濱口儀兵衛が、しょうゆ造りの本場に伝わる技と味を、新たな生産地銚子に持ち込んだ歴史や、銚子で栄えた醤油開発の理由、昔のしょうゆ造りのあり方や道具など学ぶことができる。このヤマサ醤油の来歴と銚子での醤油つくりの背景は非常に興味深いので簡単に紹介しておく。 <ヤマサの歴史>  初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡ってヤマサ醤油を創業したのは、江戸幕府誕生から42年後の1645年(正保2年)だという。以来、創業から3世紀半以上、途中若干の起伏盛衰はあったものの12代にわたり醤油を作り続けている。そして、創業から約200年後、幕末の1853年に、7代濱口儀兵衛が幕末から明治にかけて、社会問題にも取り組みながら実業家としての力を発揮しヤマサを大きく発展させた。1864年には幕府より品質に優れた醤油として「最上醤油」の称号も得ている。明治になると、彼を引き継いだ8代目は、これからは洋食の時代が来るとして国産ソース第一号のミカドソースという名の醤油ソース(醤油をベースにしたソース)を作っている(注*)。  また、明治の社会近代化の中で醤油は生活必需品として消費量も増加、手工業的の要素が強かった製法も機械化が進んでいく。こういった中、家業を引き継いだ10代目浜口儀兵衞は、1893年(明治28年)から「醤油王」と呼ばれたように、50年間で醤油の科学的発展に尽くし、醤油の微生物を活性化させる工業的な発想を実践に移す。彼は、まず、醤油研究所を設立、これまでカンと経験に頼っていた醤油醸造を科学的な手法に変革して、ヤマサ独自の菌「こうじ菌」などの改良に力を注いでいる。  戦前にヤマサ醤油が作っていた醤油は、「こいくち醤油」だけだった。しかし、戦後は食文化の復興と生活の向上といった時代のニーズに応えた醤油を開発を進めていく。例えば、うま味の相乗効果を利用した新ジャンルの「新味しょうゆ」、「さしみしょうゆ」などである。1992年には、有機栽培大豆を使った「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を業界に先駆けて製品化している。ヤマサによって、新たな種類の醤油が生まれている様子がうかがえる。 ・参照:*「みかどソース」https://recipe.yamasa.com/blog/27・参照:https://www.yamasa.com/enjoy/history/ ++++++++++++++++++ ♣ 醤油史料館 (ヒゲタ史料館)       所在地:千葉県銚子市八幡町516  Tel.0479-22-5151HP: https://www.higeta.co.jp/enjoys/archives/   → ヒゲタ醤油は、1616年(元和2年)からの房総半島銚子を創業地とする醤油メーカー、関東の醤油づくりでは最も古い歴史を持っている。かつては「銚子醤油」という社名であった。このヒゲタが醤油のルーツと歴史を紹介するため設立したのが「史料館」。史料館では、醤油造りに必要な各種の桶や樽、製作工具、醤油を江戸まで輸送した際の高瀬船の模型、容器の変遷などに関する資料を展示している。珍しいものでは、仕込み桶の板を削る“大かんな”などがある。工場見学もあり、醤油製作技術の歴史をみるには最適。なお、ヒゲタは、1937年(昭和12年)には野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)と資本提携、1966年(昭和41年)には同社と販売委託契約を結んで、キッコーマンとの関係を強化している。 <ヒゲタの歩み> → 田の四隅にヒゲがついたような商標がトレードマークのヒゲタ醤油は、関東の醤油メーカーでは400年以上の歴史を持っている老舗。銚子に初めて醤油が伝わったのは、1616年のことで、摂津国西宮の酒造家・真宜九郎右衛門から醤油製造法を伝授された豪農・田中玄蕃が醤油業を起業したのが起源といわれる。銚子は温暖多湿で、麹菌や酵母など微生物の生育に適している季候と地理条件を利用したヒゲタは、江戸時代に“濃口しょうゆ”製法を確立したといわれる。江戸は全国からの出稼ぎの街であり、いろいろな食文化が混ざり合った結果、「安く、早く、美味い」甘辛い味が好まれる傾向があった。また、江戸湾のプランクトンおかげで「魚」が新鮮で「おいしく」なり「刺身」が大流行した。そのとき、魚の臭みも取りながら、おいしく食べるのに必要だったのが「濃い口醤油」だったという。  こうして、銚子の醤油は銚子港から江戸に船で運ばれて庶民にも親しまれることになる。江戸初期、江戸庶民は、上方からの「うすくち」の醤油が「下りもの」として高級とされたが、次第に、濃い口が好まれるようになる。江戸では、他地域からの職人、単身者も多かったため、塩分のやや濃いしょうゆが好まれたという背景もあったようだ。現在でも東京の蕎麦屋さんの多くはヒゲタの愛用者といわれ、プロに珍重される本格的な「そばつゆ」「めんつゆ」「かえし」などもヒゲタ醤油の大きな柱となっている。 ・参照:https://www.higeta.co.jp/company/history/・参照:ヒゲタ史料館 JAFナビhttps://drive.jafnavi.jp/map/spots/121112050012/・参照:https://traveltoku.com/higeta/・参照:玄蕃蔵物語 | ヒゲタ醤油 https://www.higeta.co.jp/enjoys/tenchijin/genbagura/  +++++++++++++++ … Continue reading

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「食と農」の博物館 (3) お菓子の世界(博物館紹介)

ー 生活の中のお菓子文化の役割と歴史を探るー  お菓子は日本の社会生活の中で重要な食事文化を形成している。このセクションでは日本で生まれた各種菓子の形成とルーツを訪ねると共に生活の中でどのような役割を果たしているか、その特徴は何か、歴史的な観点から見てみる。特に、京菓子の魅力と歴史をおってみることにした。 +++++++++++++++++++ ♣ 江崎記念館(江崎グリコ)                    所在地:大阪市西淀川区歌島4-6-5  Tel.06-6477-8257HP: (https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/ezakikinenkan/  → グリコの創業の歴史や創業時から現在まで受け継がれている菓子作りの技術や創意工夫をみることができる記念館。館内ではVRを活用しており、栄養菓子「グリコ」を試作やハート形ローラー、真空釜の実像がみられるほか、主力商品、歴代道頓堀グリコネオンのジオラマ、創業者・江崎利一が生前使用した思い出の品々愛用していた机・椅子などの展示もある。創業の歴史をみると、1919 年、カキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめた江崎利一は、グリコーゲンを活用した食品の商品化に着手したと伝えられる。やがて生まれたのが「栄養菓子グリコ」であった。 1922 年には大阪の三越で赤い箱の栄養菓子「グリコ」を販売を開始する。戦時中、工場の焼失などがあったが、ビスケット製造からスタートして、「ビスコ」の製造を再開。次いで「グリコ」も復活。復興後「アーモンドチョコレート」「プリッツ」「ジャイアントコーン」「ポッキー」などの超ロングセラー商品を次々に生み出している。消費背活が豊かになるにしたがって、デザート類へのニーズが高まると、「プッチンプリン」を筆頭に、「カフェオーレ」「パナップ」「セブンティーンアイス」を誕生させている。記念館では、食品、菓子メーカーの成長を確認することができる。 ・参考:江崎グリコ(Glico) 沿革 https://www.glico.com/jp/company/about/history/ ・参考:江崎記念館 | Yahoo!トラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00017026/ ++++++++++++++ ♣ グリコピア神戸(江崎グリコ)  ()                  所在地:兵庫県神戸市西区高塚台7丁目1番  Tel.078-991-3693HP: https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/glicopia/kobe/  → 家族向けの商品紹介と工場見学を組み合わせた観光博物館。普段は見学することができない貴重なビスコ工場内をスマートフォンやパソコンからご見学できる。ポッキーやプリッツの製造工程を近くで見学できるだけではなく、最新鋭の機械で作られた商品がお店に並ぶまでをわかりやすく説明してくれる。グリコの歴史や歴代のおもちゃも展示している。同様の施設は、千葉、埼玉などにもある。 +++++++++++++++++ ♣ 森永エンゼルミュージアム  所在地:神奈川県横浜市鶴見区下末吉2丁目1−1  Tel. 0120-560-162HP: https://www.morinaga.co.jp/factory/tsurumi/  → 家族向けの商品紹介と工場見学を盛り込んだ観光ミュージアム。森永製菓の歴史やお菓子の製造工程の映像、工場見学で体験できる。展示コーナーでは、森永の商品の特徴や、技術、製法、美味のひみつをご紹介する。製造ラインの見学では、小枝、ハイチュウプレミアムなどのお菓子の製造・包装ラインの一部を窓越しに見学できる。 参考:【森永エンゼルミュージアム MORIUM(モリウム)&工場見学】サニー・けあサポートhttps://sanny-care.com/2024/05/17/morinaga-2024/ +++++++++ ♣ 京菓子資料館(京菓子司 俵屋吉富)                  所在地:京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町285-1  Tel.075-432-927HP: https://kyogashi.co.jp/shiryoukan/)  →「俵屋吉富は」江戸時代から続く京都の老舗京菓子店。この京菓子司展が1978年日本の和菓子文化を後世に伝えようと開設したのが「京菓子資料館」。常設展示として、「和菓子のあゆみ」を公開しており、古代から続く木の実や果物といった「果子」、奈良時代に遣唐使によりもたらされたと言われる「唐菓子」、鎌倉時代に禅とともに伝来した「点心」、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて布教や貿易を目的に渡来したポルトガル人・スペイン人によりもたらされた「南蛮菓子」、そして江戸時代以降に使用される砂糖や寒天といった「原材料の革新」などを受けて繁栄した「京菓子」の系譜を、歴史を追いながら資料や絵図、菓子見本などを用い詳しく紹介している。 ・参照:京菓子資料館|#むすびhttps://www.kyoto.coop/musubi/cat346/post_125/・参照: ことりっぷ(京菓子資料館)https://co-trip.jp/spot/1873?tab=3 ++++++++++++ … Continue reading

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「食と農」の博物館 (2) 食文化の歴史とくらし(博物館紹介)

    ―日本の食品産業と食文化の歴史とみるー (作成作業中)   今回のセクションでは、日本の食文化がどのように形成され発展してきたかを、農業技術発展、食品技術の発展、食品開発の観点から展示する博物館を紹介している。また、これら施設は各地に伝わる多様な食品、食材、菓子の特徴、メーカーの活躍を“ものづくり”のこだわりを詳しく示している。今回、これらを農業開発、家庭用一般食品、水産加工、発酵食品、酒造(洋酒、日本酒)などの観点から、どのように生まれ発展してきたかを各地にある資料館・博物館から眺めてみることとした。食品関係の博物施設は多様であり、かつ数も非常に多い。このコーナーではできるだけ沢山の施設を取り上げたが、漏れたものも多々あるのは了解許して欲しい。  第二回は、家庭用食品の博物館を紹介しつつ、日本の食文化の発展と歴史、食品産業の現状をみることとする。 ++++++++++++++++++++ ♣ 食とくらしの小さな博物館(味の素)  所在地:東京都港区高輪3丁目13番地65号  Tel.03-5488-7305HP: (https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/)   ・参考:味の素「食とくらしの小さな博物館」を訪問:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/  → この「食とくらし博物館」は、味の素グループの創業以来100年の足跡をたどりながら、日本の食文化変遷と同社の加工食品、調味料の進化を展示している食文化博物館である。当初、味の素社の研修施設としてつくられたものだったが、その後、一般向けに開放し、公共の博物資料館となった。 館では、小さな施設ながら、創業の歴史、開発した商品紹介のほか、日本人の食生活の変化を伝える展示を広く行っていて貴重である。そこには、創業者が「うまみ」成分を見いだして商品事業化していく様子、味の素が歴史を彩ってきた調味料の数々、開発してきた食品商品群が実物や写真で詳しく紹介されていて興味深い。展示施設は三つの展示コーナーからなっており、最初は味の素の歴史と商品を示す主展示、第二は日本の食事文化の展示、第三は食品ライブラリーである。   最初の主展示室では、味の素創業の歴史を示す写真、映像を展示しながら味の素100年の商品群の紹介を行っている。また、時代毎の人々の暮らしと食卓風景を描写しているのも興味深い。第二の「食文化展示室」では、企画展示として、味の素が所蔵する錦絵や当時の料理レプリカを公開、江戸時代の食文化を代表する季節毎の名物料理を紹介するなどテーマ毎に入れ替えて展示している。 第三の「食の文化ライブラリー」は「食」に関する専門図書館で、蔵書は約40,000冊を数え、江戸~昭和の料理書を中心とした貴重書も2,000冊以上あり、食に関する映像資料も多数所蔵している。味の素社の歴史や日本の食文化の歴史を知るには最適の施設であろう。 <多様な商品展示>  また、商品展示では、事業多様化と商品群紹介が大きなテーマとなっている。味の素は、社名を「味の素株式会社」と改めて、新しい消費市場動向に合わせた新製品の投入、調味料以外の事業多様化も進めていったが、展示ではその過程がよくわかる。例えば、販売政略では、1951年に容器を瓶詰めスタイルから「ふりかけ式」へ変更、1958年には、傘下に「日本コンソメ株式会社」(後のクノール食品)を設立してスープ市場へ進出、1960年には「アジシオ」、1962年には総合調味料「ハイミー」を発売している。さらに1968年に「味の素KKマヨネーズ」、1970年、マーガリン「マリーナ」、和風調味料「ほんだし」など新商品の投入が相次いだ。  特に大きいのは、1972年頃からの冷凍食品市場への参入。1972年以降の「エビシュウマイ」、同時期の「(冷凍)ギョウザ」などが例である。そのほか「ハンバーグ」、「エビグラタン」「麻婆豆腐」といったものも試行錯誤で製作された。 この冷凍食品は、1980年代以降の電子レンジの普及と共に大きな市場として注目されていたものであった。展示された味の素の商品群をよく見ると、そのまま日本の食材・調味料・食品の代表的なものといってよく、日本の食生活と社会変化を感じさせるものとなっている。  ○ → また、博物館で紹介されている、味の素の創業と発展は日本の食品産業展開の一つの姿といってよく、興味あふれる展示内容である。ここでは、鈴木三郎助が、「うま味」成分を発見した科学者池田早苗と組んで、味の素を創業し、食品企業として発展していく姿を参考資料として、以下に簡単に触れておく。 ♥ 参考資料:「食とくらし博物館」でみる味の素の創業と発展 <昆布とヨードから始まった「味の素」の創業>  「味の素」の創業は1909年(明治42年)とされるが、1907年創業者である鈴木三郎助が「鈴木製薬所」を設立し、“ヨード事業”を開始したことが起源とされる。また、科学者池田菊苗が“昆布だし”成分がグルタミン酸という「うま味」であることを発見し、鈴木が同氏と共同で商品化を進めたことが味の素社の発展へとつながっていくのであるが、この経過は博物館の展示コーナーに設けられた映像資料で詳しく紹介されている。 しかし事業には大きな困難が伴ったようだ。まず、生産技術面では、有毒塩素ガスの処理、腐食を防ぐ加工用容器に開発が必要なった。多く試行錯誤を経て最後は容器として地元の「常滑焼」甕が選ばれた。博物館には、当時の苦労を偲ぶため工場の常滑焼の甕(道明寺甕)が現在も展示されている。 <味の素の先進的な役割>   近年、日本の和食が独自の味文化の認識と健康志向よって世界的な認知度が高まっているようだ。この中でいろんな食品メーカーが活躍しているが、味の素は、その豊富な商品群と積極的な市場開発において代表的な存在だったと思える。展示された味の素の商品群は、そのまま日本の食材・調味料・食品開発の代表的なものといってよいだろう。戦後日本の社会生活、生活スタイルが形成される中で、日本の “食品文化”の核「和風のだし」“うまみ“が果たしてきた大きな役割、その技術発展が多くの独自の食品群をうみだしていることがよく認識できる「食とくらしの博物館」である。  ・参照:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/より ・参考:食とくらしの小さな博物館―知る・楽しむー 味の素 株式会社    https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/ ・参考:社史・沿革 | グループ企業情報 「味の素グループの100年史」 https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/aboutus/history/ ++++++++++++ ♣ 味の素グループうま味体験館  所在地:神奈川県川崎市川崎区鈴木町3番4号  Tel.0120-003-476HP:(https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/kengaku/kawasaki/tour_umami.html  → 体験館では、“うま味”調味料「味の素」の歴史展示、“うま味”食材の紹介、「味の素」の原料・製造工程の見学などの事業を行っている。これらを通じて「おいしく食べて健康づくり」という志を広げ、うま味を発見した日本人科学者の紹介、“うま味”食材への知識を広げることを目的としている。 +++++++++++++++ ♣ たばこと塩の博物館           所在地東京都墨田区横川1丁目16−3  Tel.03-3622-8801HP: https://www.tabashio.jp/  → 「たばこ」と「塩」の歴史と文化、製法の変遷を中心としつつ、幅広い社会テーマを取り上げて展示する博物館。日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)により、1978渋谷公園通りに設立。その後、2015年に墨田区横川の現地に移転し、新改装して再開館している。 たばこは、アメリカ大陸の古代文明のなかで、儀式用の植物として人類に利用されたことを文化的な起源とし、16世紀以降、嗜好品として世界中に広まり、各地に特色ある文化が形成している。日本へは、16世紀末に伝来し、江戸時代を通して庶民文化にとけこみ、独自のたばこ文化が生まれた。一方、塩は、生命の糧として、人類と深い関わりをもっているが、日本では岩塩等の内陸の塩資源に恵まれず、縄文時代以来、海水を原料として濃い塩水を作り、それを煮つめるという独自の製塩技術が発達させてきた。  これらを背景として、「たばこと塩の博物館」では、たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を広く紹介している。また、たばこと塩を中心としつつ、幅広いテーマを取り上げて多彩な特別展を開催しているのが特徴。 世界の塩展示コーナーでは、世界の塩資源として、海水の成分、世界の塩資源の分布などを紹介、珍しい岩塩彫刻も展示している。日本の塩コーナーでは、古代の塩焼き、各地の塩の揚浜、流下式塩田、現在の製塩をテーマに展示している。 … Continue reading

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「食と農」の博物館(1) 農業技術の歴史と機構(博物館紹介)

    ―日本の農業発展と食文化の歴史と進化を占うー(1) 技術と農具ー   このセクションでは、日本の食文化がどのように形成され発展してきたかを、農業技術発展、食品技術の発展、食品開発の観点から展示する博物館を紹介している。また、各地に伝わる多様な食品、食材、菓子の特徴、メーカーの活躍などを“ものづくり”のこだわりが示されている。これを農業開発、家庭用一般食品、水産加工、発酵食品、酒造(洋酒、日本酒)などが日本でどのように生まれ発展してきたかを、各地にある資料館・博物館から眺めてみることにした。これら博物史料施設は多様であり、かつ数も非常に多い。この紹介コーナーではできるだけ沢山の施設を取り上げたが、漏れたものも多々あると思う。他のデータなどで補って欲しい。 第一回は「食」を支える農業技術の発展と機構 +++++++++++++++++++++++++++  第一回「食」を支える農業技術の歴史と機構 (農総研、農協の博物館) ♣  農研機構の「食と農の科学館」)        所在地:茨城県つくば市観音台3-1-1   Tel.029-838-8980HP: https://www.naro.go.jp/tarh/・参考:つくばの農研機構「食と農の科学館」を訪問https://igsforum.com/2023/04/29/shokuto-noh-kagakum-jj-pt01/ → 農研機構(NATO)の提供する博物館で、日本の食と農業に関連した新品種の紹介など新しい研究成果や技術を説明した包括的な研究資料館となっている。館内には研究成果を紹介するエリアと農業技術発達資料館の2つのエリアがあり、前者では、高付加価値を持つ農産物や食品の研究、後者では、日本でこれまで実際に使われ工夫されてきた農具、機械類を紹介している。  展示は、日本の農村農業の抱える全般的課題、今後の農業あり方、省力化機械化、生産性向上などの課題を農業技術開発研究の点から検討する構成となっている。日本で蓄積されてきた水田畑作の技術力の活用と新技術の開発、土地生産性、労働生産性の向上のための工夫、高品質作物の生産促進を促す技術開発が主要なテーマである。具体的には、米、多様な穀物、野菜、果実などの高品質で安定的な生産技術、品種改良、病虫害防御、農業生産の省力化などに結びつく研究成果の紹介が中心となっている。 ここでは豊富な実験資料と研究成果の紹介など、日本の農業に関する現状と将来をみていく中で欠かせない情報を提供している。 ****************************** なお、農研機構(NARO:国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)は、農林水産各分野の専門研究センターのほか、北海道、東北、中日本、西日本、九州沖縄の各地域に農業研究センターを設立している。 +++++++++++++++ ♣ 国際農林水産業研究センター(国際農研) 所在地:茨城県つくば市大わし1-1 Tel. 029-838-6313 HP: https://www.jircas.go.jp/ja → 国際農研は、開発途上地域などの農林水産業に関する技術向上、試験研究の推進、国内外の資料の収集・整理と分析結果の提供などを行う研究センター。農林水産省熱帯農業研究センター(TARC)を経て、2001年、国際農林水産業研究センターとして設立している。沖縄県石垣市に熱帯・島嶼研究拠点を設けている。 +++++++++++++++ ♣ 農協記念館(北海道) 所在地:北海道河東郡士幌町字士幌225番地20  TEL/01564-5-3511HP: https://www.ja-shihoro.or.jp/hall/ → 北海道士幌町農協の歴史や事業を紹介すると共に、士幌農業を築いた太田寛一氏の業績を伝える記念館。士幌町農業協同組合創立60周年記念事業の一環として建設、農業研修や加工実習等を通じて、士幌の農業と農協活動を紹介している。 +++++++++ ♣ 秋田県立農業科学館 所在地:秋田県大仙市内小友字中沢171-4HP: http://www.obako.or.jp/sun-agrin/  → 秋田県の農業に関する知識を広めることを目的として1997年に設立、地池で築き上げてきた農業・林業・農山村生活・民俗に理解を深めることができる。第一展示室では、江戸時代から昭和30年代までの秋田県農業の変遷と稲作機械化以前の農山村の姿を展示、いて学ぶことができます。第二展示室: は農業と科学、食や農、県内農業の新しい情報などを提供、熱帯温室もあり、200種類の熱帯・亜熱帯植物が植栽されている。 +++++++++++++++++ ♣ 水原ふるさと農業歴史資料館(阿賀野市) 所在地:新潟県阿賀野市外城町10-5  Tel. 0250-63-1722HP: https://www.city.agano.niigata.jp/soshiki/shokokankoka/kanko/4/2233.html  → この農業歴史資料館では、昔の農具、民具、出土品など農業関連の資料を提示するほか、農家の居間を再現、また併設している水原代官所に関する資料や当時のまちの歴史資料を展示している。 … Continue reading

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印刷文化の魅力を伝える博物館(博物館紹介)

  ―日本の社会文化発展を担ってきた活版印刷の歴史をたずねるー はじめに  明治初期の鉄道開設や電信の整備が社会に与えた変革と同様に、活版印刷の普及が、教育文化、社会の近代化、教育政治思想の形成に与えた影響は非常に大きなものであった。大量に供給される印刷物は庶民の教育普及に役立ったし、活字新聞の普及は政治思想や社会運動の原動力となり、文学や美術に対する関心を大いに深める結果となった。 この項では、印刷技術の長い歴史と共に、「活字」印刷技術がどのように日本にもたらされのか、その技術の背景は何かなどを、関連する博物館の紹介と共に取り上げてみることとした。 ♣ トッパンの「印刷博物館」 ・所在地:東京都文京区水道1-3-3 TOPPAN小石川本社ビル  Tel.03-5840-2300・HP: https://www.printing-museum.org/・参考:トッパンの「印刷博物館」を訪ねて(https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/)  → 東京・文京区小石川にある印刷大手トッパン本社内に設けられた印刷文化資料館。世界と日本の出版文化の歴史と印刷をテーマとして、古今東西の書物や活字、印刷が築いた歴史や文化、技術を体系的に文明史的なスケールで解説展示している。  博物館では、印刷文字や図像などを通じた表現技術の発展、印刷と社会文化とのつながりなどを幅広い視点で展示、たとえば、古代オリエントや中国古代の印刷、日本の木版印刷、グーテンベルグに始まる西洋の活版印刷、日本の近代的印刷技術の発展、現在の多様な印刷技術・文化の変遷がよく示されている。特に、総合展示室に至る回廊の壁面飾られた印刷物のレプリカは圧巻の迫力である。(参照:prologue.pdf (printing-museum.org)  常設展示では、印刷をテーマとしたさまざまな展示、例えば書物や活字、機械を中心とした所蔵資料を広く公開。このうち、“世界の印刷コーナー”では、最初期の印刷から現代の情報技術に至るまでの歩み、“日本の印刷”では、様々な印刷の形成と発展の歴史を所蔵資料で解説し紹介している。また、“印刷×技術”では、「版」の存在を書体と併せて「凸、凹、平、孔」の四つの形式にわけ、それぞれの特色と発展形態を説明展示している。来館者に印刷の魅力を伝える参加型展示スペースも印刷博物館の魅力の一つという。 ○ 珍しい展示物では次のようなものが見られる。 日本最古の印刷物「百万塔陀羅尼」(764-770)、伏見版『貞観政要』(1600)、「グーテンベルク 42行聖書 原葉」(1455)、「和蘭天説」(1796)、「駿河版銅活字」)1606-1616)、「築地活字木活字」(収蔵、1869)など。 ♠ 印刷博物館にみる日本の印刷技術の歴史      ―独自の道をとった日本の印刷技術の歴史―  → 印刷博物館では、活字による印刷技術の発展が大きなテーマとなっているが、日本はやや異なった印刷技術の道をたどったことに触れている。日本では、近世初期に一度活字による印刷も試みられたとされるが、やがて木版による製版印刷が中心となり独自の領域で印刷文化が発展してきている。 <活字技術の導入>  日本においては、仏教の法典または文書のほとんどが写本、木版によって印刷されていた。しかし、中国、朝鮮からの活字技術の受け入れを受け、徳川家康の時代、銅活字による印刷を試みて幾つかの印刷物を残している。このとき作成した金属活字が現在も残っており、重要文化財として印刷博物館に実物が展示されている(“駿河版銅活字”1607-1616)。これが日本における活字印刷の最初の応用例とされている。一方、同時代、ポルトガルのイエスズ会宣教師の手によってキリスト教伝道書が活字印刷され頒布されていたことも知られている「“きりしたん版”印刷物 1590s-)。しかし、前者は、漢字文字数が多数に及び作業も繁雑だったこと、また、後者はキリスト教禁教措置のため中止となったことなどが影響し、やがて忘れ去られることになった。  そして、日本では、以来、独自の木版による印刷が興隆することになる。こうい った中で作られたのが「嵯峨本」といわれる木活字による印刷物。これはひらがな交じりの木活字印刷による彩色を施した印刷本で「伊勢物語」や「徒然草」など優れた国文学書も含まれている。これらの本は後の国文学の興隆にもつながっていると評価され博物館ではこのうち幾つかを展示している。 <木版製版、版画美術文化の隆盛>  一方、活字を使わない木版印刷も江戸時代には隆盛を極める。当時、精緻に作られた浮世絵版画や錦絵などが庶民の人気を集め、専門の出版社も出現して大量に印刷刊行されている。博物館では、展示室内に「錦絵工房」を設けて木版の「彫り」や「摺り」の実演を行っているほか、浮世絵制作における多色刷り木版の実物も展示している。  また、江戸時代には、人情本や世俗本なども多数発刊され庶民の読み物として普及していったほか、話題を呼ぶニュースを伝える「かわら版」といったものも庶民向けメディアとして人気を呼んだ。これらはすべて木版による印刷によって作成されたもので、江戸期の高度な木版印刷技術として定着していった。 <活字印刷への復帰>  しかし、明治期になり急速に近代化する社会変化の中で、従来の木版印刷では、拡大する社会情報需要や教育の普及には追いつかず、新たな活字印刷技術が必要となってきた。そして、この機をもって大量印刷の可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。かれは、江戸時代末期から明治にかけて、数の多い日本漢字を独自の方法で鉛の活字を作り、「活字摺立所」をつくり活版印刷を日本で創始した。これ以降、日本では、従来の木版による印刷方法から大きく転換し、様々な学問書、新聞、教科書、証券類が西洋活版印刷技術をベースに作られるようになる。この間の印刷革命に至る経過は、博物館展示で発刊された本、書類などによって数多く展示されている。 <日本的印刷技術のもう一つの姿>―日本の謄写印刷の普及とその社会性―  印刷博物館は大手活版印刷メーカー・トッパンの博物館であるため、日本で戦後盛んに行われるようになった軽印刷、謄写印刷についてはあまり触れられていない。しかし、この印刷方式は、印刷原紙とインクがあればどこでも印刷が可能な便利なもので、学校の教材やチラシなど少部数の印刷には最も適していた。これはパラフィン、ワセリンなどを塗った蝋紙に鉄筆で文字を書き、透過した部分にインクを乗せて印刷する「ガリ版」(謄写版印刷)とよばれた印刷方式であった。この原型は、エジソンが1890年代開発した「ミメオグラフ」であったが、これを明治年代1894年に発明家堀井新治郎が改良して作ったのが「謄写版印刷機」と呼ばれるものであった。これは原理が簡単で安価な上に、漢字数の多い日本語文書が自由に作成するため急速に普及したものとされている。 (参照:https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/ 日本の印刷技術の変遷)印刷博物館 – 現代に息づく活版印刷の話と貴重な展⽰品の数々: https://news.mynavi.jp/article/ +++++++++++++++ ♣ 大日本印刷(DNP)の博物館「市谷の杜・本と活字館」 所在地:東京都新宿区市谷加賀町1-1-1  Tel.03-6386-0555HP: https://ichigaya-letterpress.jp・参考:大日本印刷の博物館「市谷の杜 本と活字館」を訪ねる(https://igsforum.com/dpns-print-museum-j/)  →「本と活字館」は、活版印刷の老舗大日本印刷(DNP)における印刷事業の歴史資産を公  開展示すると共に、日本で活版印刷がどのような形で発展してきたかを示す歴史博物館である。館内では、文字(秀英体)のデザイン、活字の鋳造から、印刷、製本まで一連のプロセスを展示しており、印刷機が稼働する様子や活版職人が作業する姿も動態展示の形で公開している。また、参加型ワークショップやイベントなどを通じて、印刷・製本・紙加工も体験できる。 … Continue reading

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紙文化の歴史を語る博物館(博物館紹介)

はじめに     ―情報と知識、社会文化の担い手としての紙文化をみる博物館紹介ー   有史以来、紙は情報と知識の伝達手段として、また、便利な生活材料として社会文化の発展に重要な役割を果たしてきた。歴史における紙技術の伝播や発展も興味深い。こういったことを実感させてくれる博物館は日本に数多い。特に、日本の伝統工芸の一つとなっている和紙は、各地の地場産業として歴史的にも多様な形で発展してきている。このセクションでは、明治以降急速に発展した印刷の受け皿となった西洋紙と共に、日本独自の和紙に関する博物資料館を中心に紹介することとする。 +++++++++++++ ♣ 東京・王子の「紙の博物館」               所在地:東京都北区王子 1-1-3  Tel. 03-3916-2320 HP: (https://papermuseum.jp/ja/)  →「紙の博物館」は、日本の洋紙発祥の地、東京・王子に開設された「紙」に関する世界有数の紙専門の博物館である。紙の製造工程、種類や用途、紙の歴史、紙の工芸品、歴史的資料や生活用品などを総合的に展示している。博物館では、世界史的な視点での「紙」の歴史とその社会文化的なインパクト、日本で独自の発展を遂げた「和紙」の歴史や製法、近年の製紙産業の成立と発展の歴史、現代の紙の多様な形態や役割などを詳しく紹介している。当初、明治初期の製紙会社「抄紙会社」(後の王子製紙)の歴史史料を展示する「製紙記念館」であったが、1998年、施設の大幅な拡張整備を行い、現在の「紙の博物館」となったもの。紙の文化的な役割、近代文明発展の担い手となっている紙の存在について、改めて知ることのできる貴重な博物館であろう。 館内は、多様な美術品や記念資料を展示するエントランスホール、現代日本の製紙産業の現状や機械・原料・製品などを紹介する「現代の製紙産業コーナー」、紙の性質や製造過程を紹介する「紙の教室」、内外の紙の歴史、特に、和紙の技術発展について展示する「紙の歴史」コーナーとなっている。また、日本の製紙産業の成立を象徴する歴史記念物を集めた展示コーナーも設けられている。 このうち最も印象的なのは、和紙の歴史を含めた「歴史展示」である。「現代の製紙産業」で見られた産業機械や紙パルプの加工工程、古紙のリサイクル、用紙以外の紙製品の多様さにも驚かされる。また、館内には、研修室や図書館なども併設されていて、紙づくりの実習もできるなど学習の場としても使用されることも多いという。 ・参照:東京・王子の「紙の博物館」訪問 https://igsforum.com/visit-paper-museum-in-oji-tokyo-j/・参考:紙の博物館 – 見どころ、アクセス & 周辺情報 | GOOD LUCK TRIP (gltjp.com)  https://www.gltjp.com/ja/directory/item/14088/ ♣ 小津史料館) 所在地:東京都中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル  Tel.03-3662-1184HP: (https://www.ozuwashi.net/archives.html  → 江戸時代から続く和紙の老舗・小津の様々な和紙製品の展示を行うと共に、日本の紙業に関わる文書類を展示している。和紙は1000年以上の歴史を持つ日本の誇る伝統産業工芸品の一つである。そのしなやかさと美しさ、強靱性、長期保存性から,広く文書、絵画、障子襖などの建具、工芸作品の素材として長く愛用されてきた。現在、紙需要の多くは大規模製紙業による用紙・印刷用紙に移っているが、和紙も様々なスタイルの工芸素材として好まれ、その種類と利用範囲は驚くほど広い。このことを強く印象づけてくれる資料館が小津和紙の「小津史料館」である。  この施設は和紙メーカー「小津商店」のショウルームを兼ねるほか、和紙の魅力、多様さ、地域産業としての重要性、和紙製法の紹介などを幅広い展示活動を行っている。また、江戸時代から続く老舗企業「小津」の成長を跡づける歴史資料も数多く見られ、魅力ある資料館となっている。展示資料の中に示された松坂商人のルーツや紙のエピソードなども魅力の一つである。 参照:東京・日本橋の「小津史料館」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-ozu-washi-history-museum/)・参考:小津330年のあゆみ https://www.ozuwashi.net/330/・参考:小津和紙 – Wikipedia  ♣ 越前和紙の里 (紙の文化博物館) 所在地:福井県越前市新在家町8-44  Tel. 0778-42-1363HP: http://www.echizenwashi.jp/  → 「越前和紙の里」は、『紙の文化博物館』『卯立の工芸館』『パピルス館』を結ぶエリア全体からなる。この三つの施設はそれぞれ和紙をテーマにしており、和紙に関する知識を紹介しているほか越前和紙を作る工程や職人技の見学、紙漉きの体験もできる。「紙の文化博物館」では、越前和紙の歴史や技法、産地ならではの和紙作品を多数展示している。また、特別展では越前和紙の長い歴史を物語る古紙、道具などを展示、常設展で越前和紙の発祥や歴史について学ぶことができる。「パピルス館」では和紙づくり、「卯立の工芸館」では伝統工芸士が昔ながらの道具を使って紙を漉く様子を観察できる。  越前和紙は、福井県越前地方の岡太川流域で作られている和紙で日本三大和紙の一つ。この越前和紙は、種類、量ともに全国一位の和紙産地として知られる。主な原料は、植物の表皮の内皮である靭皮繊維で、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)である。特徴は、生成(きなり)色の優雅な美しさと高い品質といわれる。“越前奉書”と“越前鳥の子紙”は国の重要無形文化財にも指定されている。 ・参照:越前和紙(えちぜんわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPANhttps://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenwashi/・参照:越前和紙 – Wikipedia ♣ 美濃和紙の里会館 … Continue reading

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セメント、煉瓦、石材の史跡と博物館(博物館紹介) 

はじめに   幕末から明治維新を経て、産業と社会の近代化に乗りだした日本は、早急なインフラ整備と近代的な建造物の建設を迫られた。従来の木材を主体とした構造物以外に、耐火性と堅牢性をもった建築材料が大量に必要となったのである。そして、西欧で発達したセメント、煉瓦、石材、タイルなどを政府をあげて追求することになる。インフラの分野では、灯台、鉄道、トンネル、工場建設には大量のセメント、煉瓦が必要としたし、官庁や銀行、倉庫などの建物には耐火性の優れた煉瓦が求められた。当初、これらは輸入に頼らざるを得なかったが、徐々に国産化も進められた。明治初期の官営のセメント工場、煉瓦工場の建設などはこの努力の跡であろう。これらは後に民営化され民間産業として育っていくことにつながる。太平洋セメントや小野田セメント、そして深谷の日本煉瓦製造などの設立と発展は、その経過を示すものといえるだろう。また、日本の陶芸技術も応用した伊奈陶器などタイル製造技術の発展、古くから建築物の基礎や石壁建設として用いられた石材採掘も見逃せない。  このセクションでは、これら企業の発展を跡づける史跡・博物施設を紹介し、日本の産業基盤整備の過程を追ってみることにした。 ♣ セメント資料館(太平洋セメント)          所在地:千葉県佐倉市大作2-4-2 Tel. 043-498-3811HP: https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/index.html) → 太平洋セメント中央研究所が、セメント製品の国産化に向けた努力の歴史をネット上で紹介している資料館。「セメントの基礎知識」、「セメントはじめて物語」、「セメント・コンクリート用語辞典」が掲載されている。 このうち「はじめて物語」では、明治初期、東京深川にあった「官営(セメント)深川工場」から始まったセメント生産からはじめ、発展する過程、そして現太平洋セメントに至る企業の展開が紹介されている。 (セメントとは)  石灰を主成分とする土木建築用の無機質接合剤。石灰石・粘土などを粉砕し、煆焼か焼成して作る粉末をセメントとする。水で練ったあと、疑結・硬化する現象が空気中だけで進む気硬性セメントと、水中でも硬化が進む水硬性セメントとに大別される。普通には後者のポルトランドセメントをさしコンクリートなどの原料にする。日本では、明治8年頃、工部省深川製作寮出張所(のちに深川官営工場)で、はじめて国産セメントの生産に成功している。 ・参照:セメント協会資料https://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jd1.html・参照:https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/story/pdf/story2.pdf・参考:会社沿革|会社情報:太平洋セメント (taiheiyo-cement.co.jp)・参考:セメントが出来るまで 太平洋エンジニアリング (taiheiyo-eng.co.jp)  https://www.taiheiyo-eng.co.jp/cement-process.html・参考:太平洋セメント – Wikipedia ♣ 史跡・セメント生産発祥の碑  所在地:東京都江東区清澄1丁目2番 太平洋セメント㈱内HP: https://www.ko-syouren.jp/furuihp/art/08siseki-bunkazai/4-12.htm → 江東区の清洲橋のたもとに江東区史跡「セメント工業発祥の地」がある。ここは日本で初めてのセメント工場があった場所、明治8年、工部省が本格的なセメント製造に成功したことを顕彰している。隅田川、仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の上、外国品と遜色のない国産のセメントを作りあげたといわれる。明治16年、創業者の一人である浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間初のセメント工場として発展している。   ・参照:本邦セメント工業発祥の地と116年前のコンクリート – ROOF-NET ON LINE MAGAZINE  ・参照:セメントの歴史をたずねる https://www.jcassoc.or.jp/cement/4pdf/meiji150.pdf  ・参照:我が国セメント産業の発祥とその遺産https://www.chemistry.or.jp/know/doc/isan017_article.pdf ♣ 旧秩父セメント資料展示室(秩父太平洋セメント)  所在地:埼玉県秩父市大野原1800   Tel. 0494-22-1300HP: https://www.ct-cement.co.jp/info/2024/02/643/  → 旧秩父セメント資料展示室の一般公開が行われた(2024年2月)。資料展示室には、秩父セメントの歴史、創業を築いた方たちの紹介、今は手に入らないであろう、当時の道具や作業服などの品々が展示され、秩父の産業を支えた「セメント」の歴史を知り勉強になる内容となっている。・参照引用:https://www.instagram.com/satoru_oha/p/C3uanPwRy6l/?img_index=1 ♣ 旧小野田セメント・(セメント焼成)竪窯(史跡) 所在地:山口県山陽小野田市大字小野田6276番地 Tel. 0836-82-1111(市役所)HP: https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40545.html → 明治16年に建造した日本最初のセメント焼成用の竪窯で、近代窯業史上最も重要とされる。これは旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18mである。日本に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要とされた。竪窯は、国重要文化財。(平成16年12月10日指定)   ・参考:旧小野田セメント製造株式会社竪窯 … Continue reading

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