建築関係の博物館(1)ー企業のミュージアムー(博物館紹介)

(建築関係博物館)

 日本は古くから木造による建築物を集団の技術として発達させ技術を集積させてきた。この成果は歴史的な建造物に多く見られる。明治になると、西欧化の影響を受け耐火性のある近代的な官庁、銀行、企業の建築が必要となり、煉瓦や石造りの建造物が盛んに作られる。この時期、新しい建築家や建築会社が育っていった。明治の色合いを残す赤煉瓦の建造物はこれを示している。また、大正時代には生じた関東大震災は、新たな耐震性の建物の需要を生み、現代のような鉄筋コンクリート・ビルも生まれている。 一般住宅については、相変わらず木造建築の時代が続いたが、戦後、高度成長期をへて集合住宅、団地、マンションが盛んに作られるようになり、都市での住環境は大きく変わってくる。また、現在、都心や市街地では、高層の官庁・企業ビルが建ち並ぶようになり市街景観も大きく変わりつつあるようだ。
 このように時代の社会変化を反映して人々の住居、建物の変貌は著しいものがある。この中で、日本の建築技術はどのように継承され変化をとげたか、建築に関わる企業はどのように対応してきたか、人々の生活はどのように変わってきたのか、をみるのは意義深い。ここの掲げた建築関係博物館の展示は、この社会変化と住環境の変容を示しているといえよう。以下にこれを確かめてみよう。

<企業による建築博物館>

♣ 清水建設歴史資料館 

所在地:東京都江東区潮見二丁目8番20号 
HP: https://www.shimzarchives.jp/

温故創新の森 NOVARE

 → 200年以上の長い歴史を誇る清水建設が開設した貴重な歴史資料館。同社の実績と共に日本の建設技術発展の歴史を紹介している。資料館は、2024年に創設された「温故創新の森 NOVARE」内に設置されている。設置の趣旨は、「事業やものづくりに精進した人々、課題を克服していく技術、建設文化ついて学び、思索すること、次世代の学究育英や新たな価値の創造、発見の場になれば幸い」としている。

清水建設歴史資料館

 館内は、夢にあふれた展示となっているが、まず、導入展示として「源流を辿る」、次に「清水文庫」、エポック展示で「挑戦を観る」(清水建設が手掛けた代表的な 作品を緻密な模型で再現)、テーマ展示「未来を想う」、「迫真に臨む」の映像、階廊展示「知を愉しむ」といった構成の展示となっている。このうち、「源流」では清水建設の技術伝統と古代、近世大工棟梁とその精神、「挑戦」で年代別に清水建設と日本建設業の歩み、「未来」では1960年代以降にみられた未来技術の取り組みや社会づくり歩み、「映像体験」は大型プロジェクションによる建築や土木の実物大スケールの迫真映像、階廊展示は施工作品を掲載したデジタル映像と企画展示が最後となっている。「清水文庫」は清水建設の先駆者業績を伝えるドキュメント・ライブラリーである。いずれも清水建設のこれまで培った技術と建設事業への情熱と精神を伝えようとする意欲的な展示である。

導入展示 源流を辿る
清水文庫 
エポック模型展示
テーマ展示 未来を想う
大型スクリーン映像体験
階廊展示 

  なお、「温故創新の森 NOVARE」は清水建設の「2030年ビジョン」にしたがって建設中の大型施設で、この「NOVARE Archives 清水建設歴史資料館」のほか、「NOVARE Hub ノヴァ―レハブ」・「NOVARE Academy ものづくり至誠塾」、「NOVARE Lab 技術研究所潮見ラボ」の3つがあり、2024年には清水建設に縁故のあった渋沢栄一の「旧渋沢邸」移設も行われている。

旧渋沢邸(旧渋沢家住宅)
NOVARE全景と旧渋川邸

<参考:清水建設の創業・発展の歴史と渋沢栄一翁>

初代
二代目 
築地ホテル館

 → 清水建設は竹中工務店と同様、江戸時代に創業した歴史ある老舗の建設会社である。 創業は1804(文化元)年、富山で棟梁をしていた初代清水喜助が、江戸神田鍛治町で大工「清水屋」を設立したことがはじめとなっている。日光東照宮の修理に参加したことが創業の契機とされる。その後、清水屋は江戸城西丸造営、有力寺院の建築にも携わり実績を積んでいる。幕末には外国人のための洋風ホテル「築地ホテル館」も建設している。初代喜助が死去した後、洋風建築を学んだ喜助(旧姓藤沢清七)が二代目を継承、明治5年には「第一国立銀行」(旧三井組ハウス)ビルに着手、竣工させている。

渋沢栄一
第一国立銀行

 渋沢栄一との縁が深まったのはこの国立銀行ビルの建設を通じてであった。この国立銀行設立は明治初期、渋沢栄一が最も力を入れた事業である。この仕事ぶりに満足した渋沢は、これを契機に清水建設との関係を深め自宅渋沢邸の建築をも依頼している(この旧渋沢邸は2024年建設の「温故創新の森 NOVARE」に移設・保存された)。

 それ以降、清水建設は会社運営の師と仰いで渋沢との関係を深め、明治20年には相談役就任を依頼、渋沢もこれに応えて30年にわたり経営を指導することとなった。この間、渋沢は「論語と算盤」を基本とし、民間建築を主軸として建設事業を続けるよう助言、これが清水建設社是の一つとなって今日に至っているという。また、清水屋は、1915年(大正4年)、個人経営から合資会社清水組に組織変更、技術向上と経営合理化に努め発展と技術近代化に努めている。

安田講堂
第一生命保険本館


 この間、皇居正殿(1885)、東京赤坂豊川稲荷、永田町鍋島邸西洋館(1887)、鐘渕紡績工場、丸善本社ビル(1910)、東京大学安田講堂(1921)、第一生命保険本館(1921)、三井本館(1929年)、などを手がけて大手建築会社としての発展をとげている。

 戦後には、土木建築業のほか不動産、エンジニアリング事業にも進出して業域を拡大。建築部門では、国立西洋美術館(1957)、東京オリンピックの国立屋内総合競技場(1964)、大阪国際空港ターミナルビル(1970)、サンシャイン60(1978)、東大寺金堂(大仏殿)昭和大修理(1980)、出雲大社本殿 修理・保存(2013)などの建設に関わったことはよく知られる。

国立屋内総合競技場
サンシャイン
山王タワー
東大寺金堂修理

晩香廬
晩香廬内部

  現在、清水建設は、大林組、鹿島建設、大成建設、竹中工務店と並んで大手ゼネコンの一角を占める成長を遂げるまでになっている。また、歴史的な経緯から、伝統的な神社建築、寺院建築にも豊富な実績を有し、2019年、宮内庁・大嘗宮の建設も受注している。
 そして、2024年には、前述の「温故創新の森 NOVARE」を開設、過去の実績を振り返ると共に、将来に向けた「2030年ビジョン」を構想している。また、渋沢との関係では、栄一の喜寿の祝いとして贈呈した飛鳥山・渋沢記念公園に名建築「晩香廬」(1917年 重要文化財)がある。この茶室は、同じく「青淵文庫」とともに、内外の著名人を招いた国際交流の場となった由緒ある場所である。

・参照:History | Our Heritage・清水建設 https://www.shimz.co.jp/heritage/history/
・参照:清水建設 – Wikipedia
・参照:明治150年、二代清水喜助が手掛けた「三大擬洋風建築」 清水建設https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item15/content01/
・参照: 晩香廬(・青淵文庫【国指定重要文化財】飛鳥山3つの博物館 https://www.asukayama.jp/stroll/st-02.html
・参照:渋沢栄一相談役に就任、経営指導を仰ぐ | History | Our Heritage | 清水建設
https://www.shimz.co.jp/heritage/history/details/1887_1.html

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♣ 清水建設 建設技術歴史展示室

所在地:東京都江東区越中島3丁目4−17
HP: https://www.shimz.co.jp/company/about/sit/showroom/exhibition/

清水建設の技術研究所

 → 清水建設の技術研究所内に設けられた明治以降の建設技術の変遷を展示する技術資料館。日本の「建設技術とものづくりの文化」を伝えようと開設したもの。日本の伝統的な建築技術は木造づくりを中心に長い歴史を持つが、ここでは新しい現代の建設技術が導入されようになった明治以降に焦点を当て、時代と共に変化する技術内容を伝える資料館となっている。特に、明治・大正期は、地震を契機として施工方法や建設材料が大きく進歩した時期でもあり、こうした時代を象徴する技術を貴重な資料や映像で紹介している。
 展示内容は、関東大震災と被害調査、煉瓦・タイル施工技術の変遷、木造建築 耐震技術の変遷、コンクリート構造物の歴史と発展、鉄骨造建物の歴史と変遷などと多彩である。

明治から大正時代に使用された煉瓦
大正時代の鉄筋コンクリートの鉄筋
リベット接合の道具

   関東大震災の地震と火災による被害を記録した貴重な写真、伝統的な木造建築の手法、コンクリートと鉄骨造建物の技術発展が耐震強化につながり、高層ビル建設を可能にしていく姿などについて実例を上げながら実物、パネル解説、映像などで詳しく展示している。

・参照:観光情報 | 江東おでかけ情報局 https://koto-kanko.jp/tourism/detail_spot.php?sid=S00146

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♣ 竹中大工道具館 (竹中工務店)

所在地:神戸市中央区熊内町7-5-1 TEL: 078-242-0216
HP: https://www.dougukan.jp/

 ・## 竹中大工道具館については、前回の紹介「木の文化」博物館において、詳しく紹介しているので参照して欲しい。https://dailyblogigs.com/2025/01/20/wood-bunnka-m01-jj/

竹中大工道具館外観

 → 竹中大工道具館は日本で唯一といわれる建築技法と大工道具の総合的展示博物館。建築史を背景に、日本の建築技術とそれを担う大工道具をわかりやすく紹介展示している。また、館では、唐招提寺金堂組物の実物大模型や大工道具実物、伐木・製材関係の道具、鍛冶工程の道具類、建築にまつわる図面、写真、風俗資料など、約30,500点の資料を収蔵・展示している。

館内の天井仕上げ
館内の粋を極めた内装

 「大工道具館」そのものが、建築技術、特に木造建築の粋を極めたものとなっており、竹中工務店の家造り技術を代表するものとなっている。例えば、京都の聚楽土を混ぜた漆喰で仕上げた建物を覆う壁。桂離宮でも用いられている内側のパラリ仕上げ。雨風を防ぐ屋根は淡路のいぶし瓦。美しいむくり屋根などが見どころといわれている。また、重要文化財になっている大徳寺玉林院にある茶室「蓑庵」の柱や梁から竹組みまでの骨格をむき出しにした復元模型なども注目である。

<竹中工務店の歴史>

 → 竹中工務店は1610年(慶長15年)創業の建築業界では最も古い建築会社の一つである。織田信長の元・家臣であった初代竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋にて創業している。江戸時代は、数多くの神社仏閣の造営に携わり、その実績をあげて工務店としての地位を確立。明治時代になると開港し都市化しつつあった神戸へ進出、1909年(明治42年)には「合名会社竹中工務店」を設立している。この間、三井銀行神戸小野浜倉庫、高島屋京都店建設などを手がけてた。戦後は、竹中技術研究所(1959)などを設立して新技術、新工法の開発に尽力、東京タワー施工(1958)、大阪万博建造物、海外工事ではチャンギ国際空港建設などにも参加している。現在では、スーパーゼネコン5社(大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店)の一つとなり、日本武道館や5大ドーム球場(札幌・東京・ナゴヤ・大阪・福岡)をはじめ、全国の有名美術館や商業施設建設などで役割を発揮している。

水天宮御造替 
Panasonic Stadium Suita
400年年表とものづくり展示(*)

・参照:竹中工務店 – Wikipedia
・参照:竹中技術研究所https://www.takenaka.co.jp/rd/・参照:竹中大工道具館 – Wikipedia
・参照:竹中大工道具館|美術手帖 https://bijutsutecho.com/museums-galleries/1057
(*) 参照:建築と社会の年代記 ― 竹中工務店 400年の歩み ― – 竹中のデザイン|竹中工務店 https://www.takenaka.co.jp/design/event/steps/

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♣ 奥谷組 展示資料館

所在地:京都市南区吉祥院向田東町8番地 Tel. 075-313-653
HP: https://www.okutanigumi.jp/shiryoukan/

・参照:奥谷組 展示資料館については、前回の紹介「木の文化」博物館において、詳しく紹介しているので参照のこと。https://dailyblogigs.com/2025/01/20/wood-bunnka-m01-jj/

 → 奥村組は関西に拠点を置く大手建築会社であるが、社寺建築に多くの実績を持つ。この展示資料室は、ここの奥村建設が1997年に京都府より「京の老舗」として表彰されたことを機に開設した社寺建築の展示資料館。継手・仕口、お堂の断面模型、道具といった木工事に関する資料を中心に檜皮・瓦・銅板といった屋根工事、錺金具、彩色、左官、儀式道具などを展示している。伝統的な木造建築に使われる外観からは窺うことの出来ない様々な伝統技法を見て欲しいと述べている。
・参考:奥村記念館 https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/

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♣ 奥村記念館 

所在地:奈良県奈良市春日野町4番地
HP: https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/

奥村記念館外観

 → 時代とともに歩んできた奥村組の歴史と技術をご紹介する記念館。奥村建設は、1907年、奈良出身の奥村太兵が創業した建設会社。この創業から200年を記念して開設された。記念館は、これまで奥村が歴史の中で培った技術と共に、その免震技術、快適な環境対応などを紹介している。館内には、展望フロア、奥村ヒストリー、技術紹介エリア、免震層見学スペース、各種の免震装置が見られる地震&免震体験エリアなどがある。

展示フロア
地震&免震体験エリア

・参照:奥村組の歩み | 企業情報 | 奥村組 https://www.okumuragumi.co.jp/corporate/history/
・参照:奥村記念館の免震比較模型 | HASEGAWAMOKEI Co.,Ltd. https://www.hasegawa-mokei.co.jp/works/works-2762.html

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♣ 大成建設 技術センター(見学可能施設)

所在地:神奈川県横浜市戸塚区名瀬町344 Tel. 045-814-7221
HP: https://www.taisei-techsolu.jp/solution/cu_laboratory/

大成建設 技術センター

 → 大成建設技術センター研究本館は、2007年、大成建設がこれからの研究施設のあり方を示す次世代型研究施設の実証モデルとして設立した研究施設。技術センターには大成建設が研究・開発した最新技術が投入されているという。2012年7月より5ヶ年計画で新たな施設の建設・増強を進め、更なる高機能・高付加価値を備えた新技術の開発を目指している。大成建設の研究移設には、技術センター研究本館のほか、 TAC.Tの森、風のラボ、材料と環境のラボ、ZEB実証棟などがある。

TAC.Tの森
風のラボ
材料と環境ラボ

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♣ 大林組歴史館

所在地:大阪市中央区北浜東6-9 ルポンドシエル ビル 3F
HP: https://www.obayashi.co.jp/company/rekishi/

かつての大林歴史館

 → 歴史館は、2001年、大林組創業110年を機に、三世紀にまたがる大成建設の歴史を再確認する場を設けることを目指し開設されたもの。しかし、この館は長く内外に大成建設の歴史と技術を伝える役割を担ってきていたが、残念ながら、2022年に諸般の事情により閉館されることとなった。現在は、代わりに大林組130年史スペシャルサイト「OBAYASHI CHRONICLE 130 1892-2021」を公開して情報を提供している。

「130年史概観」のコンテンツ

  ちなみに、大成建設は、明治25年(1892)、創業社主の大林芳五郎によって創業され、その歩みをはじめて建設業界で重きをなしてきた歴史がある。紹介サイトでは、130年史概観、経営史 2011-2021、スペシャルコンテンツ・6つのストーリーとして(BIM、ODICT、東日本大震災、熊本地震、LOOP50、宇宙エレベーター)、などの取り組みを紹介している。

歴史館の前展示
南海ビル(1939)
ABCSビル外観

・参照:OBAYASHI CHRONICLE 130 https://www.obayashi.co.jp/chronicle/130th/
・参照:6つのストーリー | OBAYASHI CHRONICLE 130
・参照:大林芳五郎|展示案内|大林組歴史館https://www.obayashi.co.jp/company/rekishi/yoshigoro.html

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♣ KAJIMA DX LABO  オンラインミュージアム  

所在地:秋田県東成瀬村
HP: https://www.kajima.co.jp/news/press/202111/24c1-j.htm
・See【オンラインミュージアムURL】https://mpembed.com/show/?m=R9chpCEoLtp&mpu=687

成瀬ミュージアムサイト

 → “KAJIMA DX LABO”は土木の未来をオンラインで体感することを求めて鹿島が開設したバーチャル博物館。秋田県の「成瀬ダム堤体打設工事」(秋田県東成瀬村)の右岸側サイトに設けられている。2020年10月のオープン以来、冬季閉鎖期間を除く約9か月間で、2,600名以上の見学者が訪れるなど好評を博しているという。また、ミュージアムの内容は、PC、タブレット、スマートフォンのいずれからもアクセスが可能。画面上でLABO内を移動しながら、展示パネルの情報を見られるほか、ジオラマや展示パネルミュージアムに設定したARを体験できるという。また、シアタールームで上映されている動画の視聴も可能とのこと。新しい形の見学博物資料館といえよう。

KAJIMA DX LABOオンライン
ミュージアムの表示例
鹿島のダム工事

・参考:A4CSEL×進化×深化 | KAJIMAダイジェストMarch 2022 | 鹿島建設株式会社https://www.kajima.co.jp/news/digest/mar_2022/feature/01/index.html

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♣ 長谷工マンションミュージアム(長谷工コーポレーション) 

所在地:東京都多摩市鶴牧3-1-1
HP: https://www.haseko.co.jp/hmm/

長谷工マンションミュージアム

 → マンション建築で定評のある長谷工が、日本の集合住宅、高層住宅の変遷、歴史を紹介する目的で開設した展示博物館。長谷工グループ創業80周年記念事業のひとつとして設立したもの。日本で唯一、マンションに特化したミュージアムといわれ、日本の暮らしの変化の中で、いかに集合住宅、マンションが登場し、数を増やし、生活の中になじんでいったのかを丁寧に解説展示している。
 ミュージアム内の展示は、「エントランスゾーン」「はじまりの物語」「集合住宅の歩み」「暮らしと住居の変遷」「まるごとマンションづくり」「再生と長寿命化」「これからの住まい」「HASEKOライブラリー」「マンション防災」の9つのゾーンとなっており、全体として集合住宅、マンションの成り立ちから変遷、未来のあり方までが一つのストーリーとして感じられる内容になっている。

展示・集合住宅の歩み
展示・くらしと住居の変遷
展示・丸ごとマンションづくり


 この中では、日本の暮らしの変化と住環境、マンションの修繕や改修、旧耐震と新耐震構造の鉄筋構造模型、過去から現代までの設計方法の変遷、完成するまでの施工内容、数字で見るマンションと年表など、数多くの豊富な内容の展示がある。

間取りの歴史が学べるゾーン
会場にある展示間取り(*)

 中でも、間取りの歴史が学べるゾーンは興味ある展示の一つ。会場の壁には、長屋の間取りから長谷工のコンバスシリーズ(注*)が誕生するまでの間取りの変遷が展示されおり、解説によれば「長屋と呼ばれていた1910年代の1Kの間取り、1920年代の同潤会代官山アパートの2K、1950年代の蓮根団地の2DK、1960年代の滝山団地の3LDK、1975年のコンバスマークⅠ、1976年のコンバスニューライフと60年で集合住宅の間取りは大きく変化している」という。もともと、日本の家屋は、居間兼寝室の和室からなっていたが、食事はテーブルでという「食寝分離」をテーマとしたダイニング・キッチン(DK)へと進化し、さらに一家団欒のリビング(LDK)がある間取りへと進化していったといわれる。間取りの変化が、日本人の生活様式を大きく変えていった過程がよくわかる内容の展示となっている。
 このミュージアムは、一般の人も見学することができ、時代背景や技術の進化も踏まえたストーリー仕立てになっているのでマンションの知識が少ない人でも楽しく学ぶことができる施設となっているようだ。

・See:(*) https://www.haseko.co.jp/mansionplus/journal/hayamizumuseum_240411.htmlよりl
・参照:館内マップ・ゾーン紹介(長谷工マンションミュージアム)https://www.haseko.co.jp/hmm/concept/

<長谷工の歴史は・・・?> 

浦安AMC計画(1983)
創業時

 長谷工コーポレーションは東京都港区芝二丁目に本社を置く準大手ゼネコンの一つ。関東地方でのマンション開発を中心とした建設・デベロッパーで、マンション建築では業界トップとなっている。この長谷工の創業は、建築業界では比較的新しい1937年となっている。この年、兵庫県尼崎市に長谷川武彦が個人経営として「長谷川工務店」を創業、1946年に法人改組し「株式会社長谷川工務店」となった。高度成長時代の1968年にマンション開発事業に参入、1973年にはマンション施工戸数日本一達成している。同年、マンション標準生産システム「コンバス」シリーズを開発(注*)、マンション業界をリードする存在となる。80年代には、「浦安AMC計画」(1983)、「パレロワイヤル翠ヶ丘」「エルシティ新浦安四番館」(1987)、「ラ・ビスタ宝塚」など大型建設プロジェクトに乗り出している。また、多様化とマンション高層化の時期を迎えた1990年代から2000年代にかけては、長谷工総合研究所設立を設立させ(1993年)、初の超高層マンション「アクロシティ・タワーズ」、「アクス御殿山」、「白金アエルシティ」、「The Kitahama」などを竣工させた。

ラ・ビスタ宝塚
エルシティ新浦安
アクロシティ・タワーズ

 そして、2014年には、長谷工が建設したマンションは累計で55万個を数え、民間マンション建設では最も有力なデベロッパーとなっている。

ネオコーポ八王子

(注*)コンバス(CONdominiumu BUilding System)」とは、長谷川工務店が昭和48年に編み出したマンションの究極の経済設計工法。間口が6m、奥行きが10mないしは11mの専有面積は60㎡(18坪)から66㎡(20坪)というという3LDKプラン。形状が「田の字」型であるため「田の字型プラン」とも呼ばれた。(例としては写真の「ネオコーポ八王子」1980 などがあるようだ)・See:https://www.rbayakyu.jp/rbay-kodawari/item/3301-2017-06-07-05-46-52

・参照:長谷工コーポレーション – Wikipedia
・参照:長谷工の歩み|長谷工ライブラリー https://www.haseko.co.jp/hc/company/library/history.html
・参照:「長谷工マンションミュージアム」でマンションの歴史と構造を学ぶ 【LIFULL HOME’S PRESS】https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01480/
・参照:速水健朗の長谷工マンションミュージアム探訪記(マンションプラス)https://www.haseko.co.jp/mansionplus/journal/hayamizumuseum_240411.html

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♣ 住友不動産 総合マンションミュージアム

所在地:東京都港区東新橋-1-9-1  東京汐留ビルディング
HP: https://www.sumitomo-rd-mansion.jp/shuto/museum/

キッチンの実大モデル
シティタワー虎ノ門模型

 → 住友不動産総合のマンションの魅力と特色を伝えるミュージアム。2024年に 住友不動産が分譲マンション事業進出60年を迎えるにあたり、マンションづくりの考え方や思想、未来への取り組みなどを紹介する施設として開設している。デジタル技術を駆使した映像でマンションの魅力や暮らすシーンを疑似体験すること、ブランド発信拠点としてマンションづくりの考え方や思想、未来への取り組みなどを紹介することを目指している。

・参照:住友不動産『総合マンションミュージアム』オープンhttps://www.sumitomo-rd.co.jp/uploads/20230424_release_sougo-mansyon-museum_open.pdf

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♣ URまちとくらしのミュージアム(UR都市機構)

所在地:東京都北区赤羽台1丁目4−50 Tel. 03-3905-7550
HP: https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/

URミュージアムの概念図

 → ミュージアムは日本住宅公団を前身とするUR都市機構による「集合住宅とまちづくりの変遷を紹介する展示施設。都内の赤羽台団地の建て替えによって整備された「ヌーヴェル赤羽台」の一角に開設された。「ミュージアム棟」(集合住宅歴史展示棟)では、歴史的に価値の高い集合住宅4団地計6戸の復元住戸を見学施設として公開している。見学コースでは、まず「URシアター」で日本の集合住宅の経過、URのまちづくりの映像紹介があり、順次、実際の住宅施設の訪問に進むようになっている。

 復元住戸として公開されているのは、第一に関東大震災後の住宅復興のために設立された「同潤会代官山アパート」(本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅)、次に、代表的な2DKの「蓮根団地」、高層集合住宅「晴海高層アパート」、「多摩平団地テラスハウス」となっている。また、見学では戦後の住宅不足解消のため多量に供給された日本住宅公団の「団地」の紹介があり、集合住宅の標準化・量産から豊かさを求めた多様化の様子、その時代ごとの変遷を「団地はじめてモノ語り」としてアピールする構成となっている。

URの手掛けたきた事業
「団地初めてモノ語り」

 施設内の「メディアウォール」では、URが手掛けてきた「まちづくり」事業が解説されているのも見どころ。そのほか、「ポイント型」といわれる塔状の住棟「スターハウス」、団地内に多く作られた標準的な「板状階段室型」住棟「ラボ41」などが見られる。

 

 このミュージアムは、1955年以来新たなくらし方を探求してきた公団・UR都市機構の団地、都市再生、震災復興、ニュータウンなど、その時代時代の住環境の変遷を映す歴史資産といえよう。

・参照:UR都市機構の沿革https://www.ur-net.go.jp/aboutus/history/index.html
・参照:URまちとくらしのミュージアム | UR都市機構 https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress75/museum.html

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♥ <参考資料> 同潤会と同潤会代官山アパート

同潤会代官山アパート(1927築)

 「同潤会」は、関東大震災の復興を期して、1924年、東京と横浜に住宅供給を行う目的で設立された財団法人。東京・横浜の下町では木造住宅が密集し震災で大きな被害が生じた。これを受け、同潤会は各地に鉄筋ブロック造の集合住宅「同潤会アパート」の建設を進めることにした。また、当時、同潤会は都市中間層向けの良質な住宅供給(アパートメント)も目指していたとされる。また、付帯してスラム対策の住宅建設も行っている。この一環として建設されたもの一つが「同潤会代官山アパート」であった。同潤会は、代官山のほか、青山、本所、三田、上野、横浜の山下町など16カ所に同型のアパートを建設している。このうち、代官山アパートは1925年、震災で大破した青山女学院の跡地で着工され、1928年までに36棟の建物を竣工させている。

建設時の蓮沼アパート
内部ダイニングキッチン

 アパートは、西洋式のモダニズム建築を意識した2-3階建ての近代的集合住宅で、間取りの中心は2K、震災の教訓から鉄筋コンクリート造を採用、台所(キッチン)、食堂、水洗トイレも装備された。これは、いわゆる「食・寝」一体型から、ワンフロア「食・寝分離」型住環境導入の源となったともいわれている。

代官山再開発プロジェクト
現在の「代官山アドレス」

 しかし、手狭になり老朽化が顕著となったこの同潤会代官山アパートは、1980年代、建替えの話が持ち上がり新たな局面を迎えた。この建て替え計画の下で進んだのが、90年代の代官山再開発プロジェクト。工事は1996年に始まり5年かけて行われ、2000年に完成して新たなスタートとなった。現在は、敷地全体が「代官山アドレス」となり、タワーマンション、商業施設、公共スポーツセンターなどによって構成される近代市街区となっている。

多摩ニュータウン

 このように、関東大震災からはじまった同潤会の救済住宅、耐震の集合住宅団地の建設は、多層階アパート・マンション、公園緑地・商業施設一体型の市街地住宅へと進み、大正期から昭和初期、戦後の高度成長期を経て現在に至る大都市圏の住環境の変遷を感じさせるものとなっている。 ちなみに、「同潤会」は、近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅として、住宅史・文化史上で貴重な存在といわれる。また、同会の事業は、1941年に住宅営団に業務を引き継がれ、戦後は日本住宅公団となり、現在の「UR都市機構」となっている。

・参照:集合住宅歴史展示棟(UR都市機構)https://www.ur-net.go.jp/rd/history/
・参照:代官山アドレス – Wikipedia
・参照:同潤会代官山アパートメントのまとめ(グリーンスナップ)https://greensnap.jp/greenBlog/13371586
・参照:代官山再開発 回想・旧同潤会代官山アパート(特集)https://www.kajima.co.jp/news/digest/jul_1999/tokushu/toku2.htm
・参照:同潤会代官山アパートメントの記憶と代官山地区(代官山ドットライフ)Webマガジンhttps://daikanyama.life/?p=9065
・参照:代官山(同潤会アパート)―1968年年頃の写真 – K-TEN Laboratory https://tacklehouse.co.jp/ktenlab2/2008/04/13/19/00/02/2625/
・参照:デジタリアン Kei Y ブログ 代官山同潤会アパートの写真(1987年頃) https://digicre55.blog.fc2.com/blog-entry-1722.html

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♣ 五洋建設ミュージアム 

所在地:栃木県那須塩原市四区町1534-1 五洋建設技術研究所内
HP: https://www.penta-ocean.co.jp/museum/

五洋建設技術研究所

 → 五洋建設が創業125周年を記念して開設した建築展示ミュージアム。五洋建設のあゆみを紹介すると共に、同社の歴史資料や道具などを紹介している。展示エリアは、「挑戦の歴史」「グローバル」「技術の創造」の3つのゾーンで構成されている。「挑戦の歴史ゾーン」では、明治に広島県呉市で水野組として創業し、海から陸の土木・建築へ、国内から海外へと業容を拡大してきた挑戦の歴史を紹介、グローバルゾーンでは、スエズ運河の改修工事、シンガポールにおける海上陸上のプロジェクトを紹介、技術の創造ゾーンでは、DXトランスフォーメーション、洋上風力、ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)など将来技術への挑戦をアピールしている。中でも、グローバル展示ゾーンで展示されているスエズ運河に挑んだカッターとチップ(実物)はミュージアムの目玉展示一つとなっている。

「グローバル」展示
「挑戦の歴史」展示
「技術の創造」展示

 ちなみに、五洋建設は、海外大型工事、特に海洋土木最大手としても知られる総合建設会社(ゼネコン)。1896年(明治29年)に水野甚次郎が水野組を創立したことにはじまっている。その後、呉港・佐世保港など大日本帝国海軍の軍港の工事に携わり「水の土木の水野組」の定評を得ている。1961年にはスエズ運河改修工事を受注した。1967年に社名を水野組から五洋建設株式会社に改めている。歴史的に、海洋土木事業(特に浚渫)を得意とし、エジプト・カタール・イラン・シンガポール・韓国・香港・マレーシアなど多くの国で受注、工事を実施している。五洋建設ミュージアムのある技術研究所は1967年に同社の技術開発のため設立され、1994年に栃木県那須塩原市に移転して現在に至っている。

・参照:五洋建設ミュージアム(五洋建設株式会社技術研究所)https://penta-ocean-int.com/facility/gallery
・参照:https://www.penta-ocean.co.jp/company/history/index.html
・参照:五洋建設株式会社技術研究所https://penta-ocean-int.com/about/history

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♣ 若築建設 わかちく史料館 

所在地:福岡県北九州市若松区浜町1-4-7 Tel. 093-752-1707
HP: https://www.wakachiku.co.jp/shiryo/index.html

史料館のある若築ビル

 → 史料館は、九州・洞海湾の開発事業、若松地区の歴史や石炭事業と人々の暮らしを紹介する企業博物館。明治23年に創業した若築建設の軌跡をたどりつつ、貴重な資料が多数展示し、写真、映像、模型をはじめとした豊富なコンテンツで、往時の会社の状況や人々の生活を紹介している。図面や測量機など若築の歴史のほか、石炭産業の歴史を紹介する映像や洞海湾のジオラマ、地元の方々から寄せられた史料などにより北九州若松地域の歴史に触れることができる。

洞海湾の歴史展示
若松地区の歴史
若築建設の歴史

 ちなみに、若築建設は明治23年石炭積出港開発のため設立された若松築港会社を前身としている。設立当時、洞海湾近辺には鉄道が敷かれ、民間会社によって港や航路、泊地が造られて石炭景気に沸いていたという。若築は、設立以降、港湾施設や空港施設、都市開発に伴うインフラ事業、風力・太陽光などの再生可能エネルギー関連事業、工場、医療・福祉施設の建設等、海から陸へとフィールドを広げてきている。浚渫や埋立といった港湾工事(海上土木工事)を得意とし、羽田空港D滑走路や那覇空港といった海上空港、東京湾横断道路(アクアライン)、明石海峡大橋、沖縄初の那覇海底トンネル工事などの数々の大規模プロジェクトに参画している。

・参照:若築建設 – Wikipedia
・参照:若松レガシー第一弾・若松建設(北九州市) https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/w4100205.html
・参照:わかちく史料館 – 北九州市観光情報サイトhttps://www.gururich-kitaq.com/spot/wakachiku-museum
・参照:わかちく史料館・ 北九州産業観光 https://sangyokanko.com/history/wakachiku/

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♣ 石橋信夫記念館|(大和ハウス工業)

所在地:奈良県奈良市左京6丁目6-2 大和ハウス工業 総合技術研究所内
HP: https://www.daiwahouse.co.jp/innovation/museum/

石橋信夫記念館外観
館内展示

 → 記念館は、大和ハウス工業の創業者でありプレハブ住宅の先駆者として貢献のあった石橋信夫の81年の軌跡を展示するミュージアム。社会の発展と建築の工業化を旗印に掲げた創業者の志に触れることができる。展示では、「出会い」「偲び」「感謝」「羽曳野の庭」4つセクションをたどりながら、映像や肉声、ゆかりの品々などを通じ石橋信夫の思想と哲学をご紹介している。
 なお、記念館は大和ハウス総合技術研究所内にあり、この技術研究所の見学も可能となっている。
・See:  総合技術研究所施設案内・見学(大和ハウス工業)https://www.daiwahouse.co.jp/lab/facility/

<大和ハウス工業の沿革と事業>

大和ハウス本社ビル

 大和ハウス工業は東京と大阪に本社を置く住宅総合メーカー。住宅(鉄骨・木質)を中心に、マンション・アパート・リゾートホテル・ビジネスホテルなどの事業を展開している。プレハブ住宅(工業化住宅)を日本で最初に世に送り出し、住宅建設に新しい工法をもたらしたことで知られる。当初の会社は、1947年、石橋信夫が自らの過酷な経験(シベリア抑留)を機に「住」の重要性を認識して創業したという。1959年 – 初のプレハブ住宅「ミゼットハウス」を発売(「3時間で建つ11万円のプレハブ勉強部屋」)、1962年、商号を三栄機工から(現)大和ハウス工業株式会社に変更している。その後、付加断熱(充填断熱と外張り断熱の併用断熱工法)などを標準採用した「XEVO」ブランド(2006年)を発表。新たにフレームの強度を強化などした「New XWVO」ブランドを(2007年)に発表するなど、総合住宅メーカーとしての地位を確実にして発展している。

戦後復興から始まった大和ハウス
発展の基礎のミゼットハウス(1959)
耐震性能の最新の「xevoΣ」

・参照:大和ハウス工業オフィシャルサイトhttps://www.daiwahouse.co.jp/
・参照:大和ハウス工業 – Wikipedia
・参照:ダイワハウス(大和ハウス)の歴史 https://polaris-hs.jp/house_make/daiwahouse_rekishi.html

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♣ 戸田建設ミュージアム・TODAtte

所在地:東京都中央区京橋1丁目7−1
HP: https://museum-todatte.toda.co.jp/

戸田建設ミュージアムビル

 → ミュージアムは、2024年、戸田建設の新たな本社ビル「TODA BUILDING」の建設を記念して創設されたもの。日本の建設業の過去・現在・未来の姿を学び、社会インフラに取り組む戸田建設の活動を紹介する場としている。館内は、三つのセクションに分かれていて、創業から現在までの「戸田建設グループ」の歩みを「企業文化と継承」として紹介、「知恵と技術」では戸田の社会課題に応える技術や仕事の進め方、「未来を考える」では、将来の研究開発や体験・実験、他分野の先端企業との協創活動、「戸田建設グループ」の考える2050年の未来像を掲げて、映像、パネルなどで紹介展示している。

企業文化
技術の展示
未来の展示

<戸田建設の沿革と事業>

戸田
利兵衛
東京大正博覧会染織館(1914)

 ちなみに、戸田建設は、明治14年(1881)、東京・赤坂で戸田利兵衛が戸田方として建設請負業を開始したのがはじめとされる。1908年、戸田方を戸田組へと改称、明治48年(1910)には、 初の海外工事として日英博覧会の出品陳列館の建設を担当している。1936年、株式会社へと移行、1956年、土木部門を新設し、1963年には戸田組を戸田建設へと改称している。この間、横浜税関庁舎、愛知県本庁舎、早稲田大学大隈講堂など官公庁や大学関連の建設事業に数多くの実績をあげている。また医療・福祉関連施設に強みを持ち、虎の門病院や埼玉県立がんセンターなど多くの病院建築も手掛けている。
 そして、現在、戸田建設グループは、創業150周年を迎える2031年年を見据えて、未来ビジョン「CX150」を策定し、建設事業を中心に社会のインフラ建設、都市整備などに取り組んでいる。

・参照:戸田建設 沿革 https://www.toda.co.jp/company/history.html

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♣ 建築倉庫ミュージアム 

所在地:東京都品川区東品川2-6-10  寺田倉庫本社ビル1F
HP: https://what.warehouseofart.org/exhibitions/archi-depot/

建築倉庫ミュージアム
保管された建築模型

 → 建築倉庫は2016年に開設された建築模型専門博物館。2020年からは寺田倉庫の“WHAT MUSEUM”の一部となり、建築家や設計事務所から預かった600点以上の建築模型を保管し、その一部を公開している。模型を「展示しながら保存する」をコンセプトに、国内唯一の建築模型専門展示・保存施設として設立された。

・参照;建築倉庫ミュージアム – Wikipedia

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♣ 建設産業図書館

所在地:東京都中央区築地5-5-12
HP: https://www.ejcs.co.jp/library/

建設産業図書館

 → 東日本建設業保証が、2002年、社会貢献事業として開設した建設産業の専門図書館。主な収集分野は、建設産業史、社史・団体史、建設統計、経営管理、法規、災害記録など。

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(民間建築 了)

<国・大学・自治体の建築技術博物館>

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森と木の博物館―森林利用と環境ー(博物館紹介)

 ー 日本人の木造文化の背景と森林資源利用の歴史を訪ねるー

 日本の国土の6割以上が森林であるといわれている。日本人は、この豊かな森林資源によりこれまで歴史的に様々な木造り文化を築いてきている。寺院などの木造建築、住居や建材、道具や調度品などあらゆるものに木材が使われ、日本独自のものづくり技術を発展させた。そして、近年では環境保全の面でも森林の価値が見直されている。 そこで、今回のセクションでは、日本人が、どのようにこの豊かな林産資源を活用し生活文化を創り上げてきたか、どのように木造文化の技術を磨いてきたか、どのようにこの貴重な資源を保全し守ろうとしているかを、各地の「木の博物館」「森の郷土博物館」「林業試験所資料館」などを通して見たみたい。

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(森林文化・林業)

♣ 木の博物館・木の保存館

所在地:福島県東白川郡塙町伊香字松原160-13 Tel. 0247-43-1480
HP: http://xn--u9j446hssnltk9g1c.com/
・参考:https://www.tif.ne.jp/jp/entry/article.html?spot=5068

木の保存館の巨木

 → 日本で木の特性や良さの理解を進めようと設立した木の博物館。樹齢数百年の珍しい広葉樹60種、約300点が展示されている。館では手作り木工芸品の販売をしているほか、家具作り体験も推進。また、漆の木の植林から育林・採取・塗り、文化財や伝統工芸士などに漆の提供も行っている。特に長さ3メートル、幅150センチ以上の欅や楓の木盤などがびっしりと展示されている。

・参照:木の博物館・木の保存館(アイエム[インターネットミュージアム] https://www.museum.or.jp/museum/1201

♣ 木の博物館・木力館

所在地:埼玉県さいたま市岩槻区新方須賀558−2
HP: https://www.wood-power.com/

木の博物館・木力館外観

 → 木力館は、材木業を営む経営者が、桧、杉、もみなど国産の天然木で作った木造建築の博物館。木の総合情報発信館として建物自体が展示施設となっている。木が生み出す、香りと温もりに触れて、木のすばらしさを体感で感じて欲しいと開設したという。螺旋階段のカーブは「曲げた」ものではなく、太い木材からパーツをひとつひとつ熟練の大工の手刻み(のみ・カンナ等の加工)で削り出して作り上げられている。建物全体は伝統の「通し貫(とおしぬき)工法」を用いており、構造躯体(骨組み)には金物等は使っていない。構造躯体(骨組み)はもちろん、壁や床、窓枠等も全て木でできており、断熱材や新建材といった化学製品は使用していない。博物館を建築した館長大槻忠男の「木の良さを知って頂きたい」との思いが伝わってくる展示施設である。

建物展示場
構造体加工展示
貴重木材展示

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♣ 森の科学館(森林総合研究所) 

東京都八王子市廿里町1833-81森林総合研究所多摩森林科学園内
HP: https://www.ffpri.affrc.go.jp/tmk/visit/museum.html

森の科学館外観

 → 森林に関わる研究成果を一般に公開展示するための施設。森林総合研究所多摩森林科学園内に設けられている。館内では、パネルや映像、各種資料を展示し、森林講座も開催している。建物は極力金属を少なくし、多様な種類の加工方法の木材を使った木材の利用法の展示物となっている。材鑑標本(樹木の幹の標本)、樹木から抽出した空気浄化剤の紹介、大きなモミの木の輪切り、タネの引き出し、各種木材の重さ、木質材料(集成材、ボードなど)、木から出る音、葉の形や動物についての解説がある。
 ちなみに、多摩森林科学園は、1921年(に宮内省帝室林野管理局林業試験場として発足し、2021年で100周年となる。

触れる木材標本
樹木タネの引き出し
サクラの文献・標本
材鑑標本

・参照:森の科学館みどころ)YouTube動画集):https://www.ffpri.affrc.go.jp/tmk/kengakuannai/midokoro/youtube.html

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♣ 森林・林業学習館 

所在地:インターネットのため特定なし
HP: https://www.shinrin-ringyou.com/

 → 森林・林業の現状、森林生態系等に関する学びの場としてインターネットで発信している学習博物館。「人文系データベース協議会」が森林・林業分野のデータベースの一つとして開設したもの。一般向けに写真、グラフなどを掲載し、直観的に理解が進むように平易なことばによる説明がなされている。内容は、日本の森林、森林の定義と区分、森林の公益的機能、日本の林業の現状、林業という仕事、間伐、日本は木の国、木材の構造と性質、木材と環境、木材と住環境、木のはなし(針葉樹・広葉樹)、世界の森林、森林生態系」炭素とCo2の循環、森林と環境問題、日本の山、森の鳥、トピックスとして「森の課題」、「日本の木」、「森のことば」、「森のふしぎ」、「森とひと」等となっている。

森林・林業学習館のコンテンツ例

・参考:https://www.jinbun-db.com/database/archives/62953
・参考:一般社団法人日本木材学会― 化石資源から木質資源へhttps://www.jwrs.org/

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♣  さいたま緑の森博物館(通称:みどり森)

所在地:埼玉県入間市宮寺889-1 Tel. 04-2934-4396
HP: https://saitama-midorinomori.jp/ 

さいたま緑の森博物館

→ 狭山丘陵に残る武蔵野の里山環境を展示としたフィールドミュージアム。1960~80年代に開発等から狭山丘陵を保全し、緑や生き物とのふれあいの場を取り残そうという声の高まりを受けて森博物館が開設。他の博物館と大きく異なる点として、大きな建物や展示室はなく屋外の里山の自然そのものが展示物となっている。定期的な自然観察会や稲作体験教室、雑木林体験教室も開催している。環境保護市民運動団体「狭山丘陵の自然と文化財を考える連絡会議」と「狭山丘陵を市民の森にする会が中心になって、狭山地域の自然と環境保全を実現しようと埼玉県に「森の博物館」設立申請して実現した。

さいたま緑の森博物館の散策案内

・参照:さいたま緑の森博物館 – Wikipedia
・参照:どんなところ?―さいたま緑の森博物館 https://saitama-midorinomori.jp/?page_id=24467
・参照:園内情報 | さいたま緑の森博物館 https://saitama-midorinomori.jp/?page_id=24469

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♣ 府中市郷土の森博物館

所在地:東京都府中市南町6-32 Tel. 042-368-7921
HP: https://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/

府中市郷土の森博物館

 → 郷土の森博物館は、府中の中にある建造物を含む森全体を一帯とした野外博物館。多摩川の是政緑地(府中市郷土の森公園)に隣接した自然豊かな環境を活用して設立された。園内は「府中の縮図」を意図してゾーニングしており、府中市の中心部にあるケヤキ並木や甲州街道、府中崖線(ハケ)に見立てた通りや地形を骨格として、甲州街道沿いにあった町屋、茅葺農家、さらに田んぼや畑、雑木林を配置している。また、水田や稲作農家、水車小屋などを配置している。博物館本館には府中の歴史・文化・自然を学べる常設展示室を配置している。

森の中の水車小屋
館内の展示場
館内の展示物

・参照:府中市郷土の森博物館 – Wikipedia
・参照:府中市郷土の森博物館(公益財団法人府中文化振興財団)https://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/
・参照:常設展示室|公益財団法人府中文化振興財団 https://www.fuchu-cpf.or.jp/museum/tenji/1000108/index.html

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♣ 青森市森林博物館 (青森森林組合連合会)

所在地:青森県青森市柳川2-4-37
HP: https://www.aomori-shi.shinrinhakubutsukan.jp/

青森市森林博物館 外観

 → 青森の郷土を軸にした緑や森林と人間の結びつきをテーマとした森の総合博物館。明治41年に建設された旧林野庁青森営林局庁舎の本館を利用し、1982年に博物館として転用して開館したもの。建物は当時の建築技術を知る上で貴重な建物とされ、青森市の指定有形文化財となっている。展示は、一階が木と森について、森林の生態、森林と人間のかかわりなどをテーマにした展示室、二階は、山スキー、青森ヒバについての展示室がある。また、敷地内に、木材加工の体験コーナーと森林鉄道保存館がある。

第1展示:森と仲間たち
第2展示:木と暮らし
第3展示 雪とスキー
第4 青森とヒバ
第5 津軽森林鉄道
第6: 森を育てる
森林鉄道機関車

・参照:青森市森林博物館 – Wikipedia

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♣ 緑の情報館(北海道立総合研究機構 林業試験場)

北海道美唄市光珠内町東山(林業試験場庁舎敷地内)Tel. 0126-63-4164
HP: https://www.hro.or.jp/forest/research/fri/koho/johokan.html

緑の情報館外観

 →「緑の情報館」は、森林や樹木、みどりの環境についてのさまざまな情報や林業試験場の研究成果を展示・紹介する林業試験所の施設。森林の多面的機能、森林の生物多様性の保全、林業の健全な発展、みどり環境の充実や緑化樹関連産業の振興など研究の4つの基本方向に従って研究成果を紹介している。(写真参照)

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♣ 森林資料館・森林記念館(北海道大学苫小牧研究林)

https://tomakexpforest.jimdofree.com/

森林記念館

 → 北海道大学苫小牧研究林は、明治37年に北海道大学農学部の研究林として創設された林業研究施設。この中に、森林資料室と森林記念館がある。森林資料館は1977年に建築されたもので、当研究林や他の北大研究林において採集されたものを収蔵している。所蔵品の多くは貴重な生物標本や林産加工標本で所蔵点数は約4400点になる。また、森林記念館は1935年に標本貯蔵室として建築され、その後1963年に白壁の新館が増築された。鉞や馬橇など林業関係資料や古い道具類を展示している。

苫小牧研究林
丸太・材鑑標本
館内展示

・参照:北海道大学 苫小牧研究林https://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/kankojoho/kankoannai/kenkyurin.html
・参考:森林・木材展示施設  ⑮ https://www.city.tomakomai.hokkaido.jp/kankojoho/kankoannai/kenkyurin.html

<参考>

研究林の全貌

苫小牧研究林は約330年前に噴火した樽前山の火山灰の上に立地。面積2,715haのうち25%が人工林で、残りはミズナラ・ カエデ類などの広葉樹林で構成されており、平坦な地形と林床にササ類が少ないのが特徴。また、ここは都市近郊林と位置づけられ、林業生産・休養緑地・環境保全機能を織り込んだ「都市林施業」を行っている。調査研究への支援体制も整備されつつあり、北大だけでなく国内外の研究者がこの研究林を利用しているという。(see: 北海道大学 森林圏ステーション https://www.hokudaiforest.jp/

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♣ 東京大学北海道演習林 森林資料館

所在地:北海道富良野市山部東町9番61号 Tel. 0167-42-2111
HP: https://www.uf.a.u-tokyo.ac.jp/hokuen/ippan/03_shiryou.html

演習林の全景

 → 北海道の東京大学森林資料館は、1927(昭和2)年に建てられた麓郷作業所の建物を資料館として復元したもの。館内には、演習林産の丸太標本、50年以上にわたり演習林が取り組んだ森林管理手法「林分施業法」の解説など、さまざまな展示を常設している。資料館の裏山には白鳥山散策路が設置されている。

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♣ さわれる林業博物館(奈良県立吉野高等学校林業博物館)

所在地:奈良県吉野町飯貝680 Tel. 0746-32-5151
HP: https://www.facebook.com/TheForestryMuseum?locale=ja_JP
HP: https://www.museum.or.jp/museum/5800

吉野高等学校林業博物館

 → 吉野高等学校は、吉野木材資源の研究・開発に貢献する人材の育成を目指した「吉野林業高等学校」(明治35年)を前身とする県立高校。この一角に歴史を反映した「林業博物館」がある。ここには、高校とは思えないほど貴重な吉野の木材標本・木材加工標本・製材製品標本・伐木運材用具・古文書・民芸品など学術的に極めて価値の高い多くの資料が収蔵されている。例をあげると1000年以上の年輪を刻んだ杉檜の標本、樹木の化石、吉野の林業を記録する歴史写真、法隆寺建造に使われた木材などがある。

1000年の巨木(右の写真は年輪に記された年代別の歴史事象)
年輪に刻まれた歴史
吉野材木筏

法隆寺建築の部材
樹木の化石展示

・参照:奈良県立吉野高等学校 https://www.e-net.nara.jp/hs/yoshino/index.cfm/6,html
・参照:吉野高校林業博物館: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログhttp://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2008/05/post_3c8a.html
・参照:吉野高校へー 小林てるよのブログhttps://ameblo.jp/teruyo-k/entry-12520548263.html
 ・参照:林業博物館にある肖像画と法隆寺の・・: 森林ジャーナリストの「思いつき」ブログhttp://ikoma.cocolog-nifty.com/moritoinaka/2020/03/post-65a65c.html

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♣ 仁別森林博物館 (秋田市)

所在地:秋田県秋田市仁別務沢国有林22林班 Tel. 018-827-2322
HP: https://www.akita-yulala.jp/see/200010149

仁別森林博物館外観

 → 仁別森林博物館では、仁別の自然に関する資料、林業で利用した機械類や森林鉄道で実際に活躍していた機関車を展示している。日本三大美林・天然秋田杉についての説明コーナーが充実しており、周辺には樹齢200年以上の天然秋田杉林もあり散策ができる。

館内の様子
樹木標本など

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♣ 林業機械ミュージアム(林業機械化協会)

所在地:東京都文京区後楽1-7-12 Tel. 03-5840-6217
HP: https://www.rinkikyo.or.jp/machineA.html

集材機
木材伐採

 → 林業機械化協会が運営する林業に関わる機械類各種を紹介する施設。伐倒・集積などの高性能林業機械、集材機やチェンソーなどの従来型林業機械を紹介している。

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♣ 徳島木のおもちゃ美術館 (徳島県)

徳島県板野郡板野町那東字キビガ谷45-22 Tel. 088-672-1122
HP: https://www.tokushima-toymuseum.com/tokushima-forestry

徳島木のおもちゃ美術館

 → 林業の振興をはかり、木材を積極的に利用していくために設立された「”木育”ミュージアム」。(徳島の)豊かな森林は、美しい里山の風景を作り上げ、災害から暮らしを守り、木材などの林産物を生み出すなど、私たちの生活にさまざまな恩恵をもたらしている。こうした木から受ける恩恵や木の知識、木の文化を、遊びを通じて考え、学ぶことができる美術館としている。県産材をふんだんに使用した館内の内装、家具、おもちゃに囲まれた空間での体験を通じて、徳島県の森林・林業・木材産業に触れることを期待しているようだ。

美術館内部
遊戯スペース
各種の木造おもちゃ

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<参考>

♣ 北海道にある森林・林業・木材・木製品の展示施設 

HP: https://rinsan-fukyu.jp/wp-content/uploads/woodyage/2022/202210C.pdf

 → 北海道内には,北海道博物館(札幌市),国立アイヌ民俗博物館(白老町)をはじめとして,歴史,科学,動植物,美術など多様な博物館・展示施設が数多くあり,その数は3221)とされています。ちなみに,全国には5,751あり,都道府県別では長野県が340で最も多く,次いで北海道,東京都(299),愛知(218)の順となっている。

北海道内の木材展示施設

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♣ 全国木材協同組合連合会

所在地:東京都千代田区一番町25番地 全国町村議員会館6階
Hp: https://www.zenmokukyo.jp/

 → 全国木材協同組合連合会(略称全木協連)は、全国の木材業、木材加工業および木材販売業者が組織する協同組合およびその連合会を会員とする全国組織です。当連合会は、会員の相互扶助の精神に基づき、会員およびその組合員のための必要な共同事業を行い、もって会員およびその組合員の自主的経済活動を促進し、かつその経済的地位の向上に努めることを目的としています。     全国木材協同組合連合会-会員名簿あり。

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(了)

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「木の文化」博物館 ー木材の利用と技術(博物館紹介)

ー 日本はいかに「木」を生活に生かし、木の技術と文化を築いてきたか=

建築中の万博「大屋根」

  日本は世界でも珍しいほど森林資源に恵まれた国といわれる。このため古くから樹木を様々な形で利用して社会生活に生かしてきた。住居や食器、農具、工芸品、燃料、城郭、橋など多くのものに木材を利用してきたことは歴史が示している。このため、西欧の「石の文化」に対し日本は「木の文化」の国とされてきた。宮大工の技による歴史的な寺社建築などはその代表であろう。大阪万博の巨大な木造「大屋根リング」建造も日本の培った木の技術と文化を示そうとしたものだろう。
 これらを踏まえ、このコーナーでは、日本がいかに木を利用し活用してきたかを示す博物館を紹介することとした。内容的には、木の加工技術の博物館、環境・森林の博物館、建築関係博物館などである。
See: 日本の木の文化https://www.shinrin-ringyou.com/mokuzai/nippon.php

  • 木材の利用と加工技術、大工の技と道具の世界、大工の世界
  • 森林文化・林業
  • 建設関係博物館

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(木財の利用と加工技術)

 ♣ 木材・合板博物館 

―木材製品の魅力を知り深川木場の歴史と今昔を学ぶ

所在地:東京都江東区新木場1-7-22 新木場タワ―
HP: https://www.woodmuseum.jp/wp/

新木場タワー
木材・合板博物館入口

→ 木材・合板博物館は、日本で使われる木材の種類や特性、材木・合板の製造・加工技術、利用形態、林業と環境保全などをテーマとする木材専門の博物館。新木場の公益財団法人PHOENIXの「新木場タワー」のなかに設置されている。このタワーのエントランスを入ると巨大な人工滝と森を模したオブジェに驚かされる。この3階が博物館の展示室、4階が事務所や研修室、図書館となっている。

回廊の展示
館内の展示場
多様な材木展示

 3階の展示室には、木材パネルと林相風景を表す入場口があり、これを過ぎると「森の姿と樹種のいろいろ」と題した展示。森林の生態、環境に関する役割や機能がパネルで紹介されている。また、次のコーナーは「木のこといろいろ」展示となっていて、木や木材に関する多様な情報が得られるよう工夫されている。例えば、樹木の断面展示で、年輪や中心部の髄、その利用形態や用途、質感が実感できる。また、「木の一生」では樹木植え付け、間伐、伐採までの材木管理の流れと共に、木材の加工を通じて造られる炭、紙、木工品の種類、住宅建築建材などの紹介がなされ、人間生活と木との関わりを知ることができる。日本古来の木材の継ぎ手、仕口加工などの住宅建設に使われる技法の紹介も興味深い展示である。

樹木の断面展示
環境と樹木
生活と木の関わり展示

 次の「合板を知ろう」では、現在使われている合板の製造法と仕組み、合板の種類、使用法などの紹介がなされ、丸太を剥ぐ合板製造器「ベニヤレース」の動作展示もあり、木材利用における合板の役割が実感できる。この日本で初めて合板手法を開発した「浅野吉次郎」の事績もビデオで紹介されている。

各種合板の展示
新しい耐火合板
ベニヤレース

 なお、館内には「木のまちの今と昔」というコーナーも用意されていて、木場の歴史、江戸時代の材木商の様子、木場で木材加工業に従事していた人々の姿、過去から現在に至る木材加工の道具なども陳列され、木場というまちのなかで人々がどう働き、どう生活をしてきたかがよくわかる構成となっている。 次項では、館内展示に基づきつつ江戸から明治にかけての材木業の展開と深川木場の変化を考えてみた。

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♣ (参考)展示からみた木場材木商の業容と歴史

  ― 江戸から明治にかけての材木業と深川・木場の変容をみる ―

 ここでは、木材・合板博物館の展示を参照しつつ江戸から明治、そして現在に至る材木業の変化、その中心地の深川・木場の発展と変容をレビューしてみた。日本における木材利用と技術、社会変化と木材業の歴史的変化をみるのに有益と思える。

<江戸期の材木商と木場>

 徳川家康が江戸城を修築した直後、城下に大規模な土木工事、屋敷建設を開始したことにより膨大な木材需要が発生、このため幕府は日本中から商人に命じて大量の材木を調達させる。この材木の流通を支える“貯木場”として設定されたのが「木場」である。当初、材木商は日本橋付近に居を置き材木河岸(材木町)を形成していたが、1641年の江戸大火により材木商は永代島(のちの元木場)に集められた。これをきっかけに、「木場」を墨田川の対岸にある深川に移転させた。これが「深川木場」の起源となる。

江戸の材木業者達の賑わい
江戸期の深川木場の様子

 その後、江戸は政治・経済の中心として町の規模は拡大することで一大都市として発展するが、材木需要はさらにふくれあがり、江戸の材木商たちは水運も手伝って莫大な商機を得る。このうち、特に有名なのは紀伊国屋文左衛門らであった。この商売の受け皿になった地が「木場深川町」である。深川には、それ以降、材木商人だけでなく、木材を扱う職人、運送業者、商家、遊興業者が蝟集し一大産業・消費地となって繁栄した。

<明治初期から大正にかけての木場>

明治/大正期の木場

 時代は変わり明治となり江戸期ほどの活気はなくなるが、新都市東京の建設が進む中で、新たな木材需要の発生、林業技術の革新、機械製材の普及、製材工場の増設などがあり、深川・木場は新しい町づくりと発展が見られた。材木問屋約200名が明治19年(1886年)に「東京材木問屋組合が発足したことも大きい。
 こういった矢先襲ったのが1923年の関東大震災であった。これにより木場は甚大な被害を受け町の様子は一変する。この影響は長く続いたが、復興事業の推進により徐々に街づくりは再開された。しかし、太平洋戦争中の東京大空襲は、再び地域に大被害をもたらすことになる。これにより木場を含む深川はほとんど焼け野原になり木材業は全滅した。

<戦後の深川木場の様子> 

戦後木場の材木業の発展

 しかし、戦後の日本経済の急速な復興、高度経済成長は、改めて木材需要の拡大を生み木材取引を再び活性化させた。深川木場の町も徐々に再生を果たして行くことになる。この当時の博物館の写真は町の変化をよく伝えている。また、1950年代、地域は「木場移転協議会」を結成。新しい木場の建設と集団移転というプロジェクトがスタートさせる。1980年代には、東京港14号埋立地(現在の新木場1〜3丁目)に、新しい貯木場と木材業団地がつくられ、635余の木材関連企業が移転を果たしている。

<現代の深川木場の様子> 

現在の深川木場街
木場公園でのイベント

 この間、木材業界は、原木の国内調達から外国輸入材への転換、木材加工の機械化、製材加工から合板材への転換、パルプチップ加工という技術変化、住宅建築における建材変化、木材職人や従業員・技術者の技能転換、雇用状況の変化などの社会的条件の変化、環境問題や政策、運輸手段の変革などの外部的な内部的な条件も大きく変わっていることも指摘できる。そして、木場についてみると、移転した材木関連企業跡地は、広大な面積の「木場公園」と変貌している。その公園の一角にはイベント池が設けられて、かつての木材職人「川並」が材木を伝統の技を使い「筏こぎ」、「角乗り」をする様子が再現されている。そこには木場と材木業の歴史が詰まっている。これらの変化を受けて、2000年代に設立されたのが「木材・合板博物館」であった。

・参照:「材木と合板博物館」を訪ね木場の技術文化を探るhttps://igsforum.com/2023/02/28/visit-zaimoku-kiba-m/より

・参考資料:

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♣ 木組み博物館 

東京都新宿区西早稲田2-3-26ホールエイト3階 Tel. 03-3209-0430
HP: https://www.kigumi.tokyo/

木組み博物館外観

 → 木組み博物館は、木組みを中心に左官、漆などの伝統技術や素材、道具などを紹介する体験型の博物館。会場は第一展示場と第二展示場に分かれており、前者では、大小の木組み見本、木組み屋根模型、木材見本、木組みの写真と解説パネル、後者では、寺社建築に実際に使用される工事技法の塗り壁、屋根材と瓦、漆、彫刻、各種大工道具が展示されており、全体として大工などの職人が建築をどのような作業行程で行っているかを見ることができる。このうち、目を引くのは奈良・薬師寺三重塔の「初重斗組」といわれる木組みの実物模型。これは、国宝薬師寺を再建した際、昭和の名棟梁といわれた西岡常一が製作した作品の一部の再現した作品となっている。そのほか、木組み30点余りの木組み見本は、実際に手にとって触れることができ、組み立て構造が実感できる優れた展示となっている。第二展示場では、寺社建築の装飾となる“彩色彫刻作品” 錺金物“、茶室の空間設計や能舞台の音響効果の構造模型などが興味深い展示が多数。

薬師寺三重塔の「初重斗組」模型
多様な木組みの展示
木組みによる茶室模型

<木組みとはーその技法と歴史―>

 ちなみに、「木組み」には200種以上の技法があるといわれる。このうち代表的なものは「継手」、「仕口」で、前者は木材を縦につなぐもの、後者の仕口は原則直角に交差させてつなぐもの。このほか、枘(ほぞ)組み、相次ぎなどがあるという。
 この木組み技術は、古く縄文時代から使われてきたものとされるが、7世紀以降、大陸からの仏教の伝来により社寺建築に応用され、日本独自の姿で発達したものといえる。木組みによる建築は、木の持つ柔軟性と融合性、堅牢さによって地震や衝撃に強く、木材の延長・補填が可能であり、解体・組み立て・増改築が容易であることを特色としている。

多様な木組み見本
木組みを応用した梁
木組み屋根構造

 日本の技術者は、この技法を活用し、数百年に及ぶ長い間建造物を維持、保全してきた。1000年の歴史を誇る法隆寺、先の薬師寺、京都の東寺など、日本を代表する社寺の建築は、みなこの「木組み」工法を応用して建てられ維持されてきた。また、この装飾性、美術性にあふれた社寺の概観は、木組み工法を中心とした日本的建築技法の特色をよくあらわしている。・参照:日本の技を伝える「木組み博物館」を見学https://igsforum.com/2023/07/10/kigumi-museum-jj/
・参照:薬師寺西塔 – 近代の文化遺産の保存と活用(文化庁) https://www.bunka.go.jp/kindai/kenzoubutsu/research/nara/006/index.html

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♣ 竹中大工道具館 (竹中工務店)

神戸市中央区熊内町7-5-1 TEL: 078-242-0216
HP: https://www.dougukan.jp/

竹中大工道具館外観

 → 竹中大工道具館は日本で唯一の建築技法と大工道具を総合的に展示する博物館。手道具としての大工道具を収集・保存し、研究や展示を通じて後世に伝えていくことを目的に建築大手竹中工務店が1984年に設立した。 建築史を背景に、先史時代から近代までの大工道具の歴史を実物・復元資料、迫力ある大型模型、うごく絵巻物、豊富な映像資料とともに、日本の建築技術とそれを担う大工道具をわかりやすく紹介展示している。館では、唐招提寺金堂組物の実物大模型や大工道具実物、伐木・製材関係の道具、鍛冶工程の道具類、建築にまつわる図面、写真、風俗資料など、約30,500点の資料を収蔵・展示している、

館内展示コーナー
大工の技を展示
大工道具の展示

 常設されている展示の構成は、「歴史の旅」、「棟梁に学ぶ」、「道具と手仕事」、「世界を巡る」、「名工の輝き」、「木を生かす」となっており、それぞれがテーマに沿って実物、映像、音声ガイドやパネル記事を通じて丁寧に展示説明がなされる。

歴史建造物・五重の塔
棟梁の仕事展示
道具と手仕事の展示
海外の大工道具  (世界を巡る)
名工の匠を刻む    (名工の輝き)

 このうち「棟梁」では、大工頭としての技と心、組織づくりのエッセンス、「道具と手仕事」では、多様性と独自性を誇る日本の大工道具の種類やしくみ・使い方を紹介、「世界を巡る」では、日本と海外の大工道具との違いや使い方を解説している。また、日本の職人が生み出している世界に誇る伝統美の世界を「和の伝統美」コーナーで表現しているのも注目点。例として、精緻極まる組子細工、雲母摺りかがやく唐紙襖、自然の素材でつくり上げた土壁などをあげている。道具に芸術的な意匠を凝らす職人の道具文化へのこだわり(「名工の輝き」)などもみどころの一つ。

茶室「蓑庵」模型
美しい「蓑庵」の梁、竹組

 次の「木を生かす」展示では、木の個性と性質を最大限引き出そうとする日本の匠たち技を紹介、木のクセを読み、適材適所に使う職人の姿が強調されている。
  重要文化財になっている大徳寺玉林院にある茶室「蓑庵」の柱や梁から竹組みまでの骨格をむき出しにした復元模型なども注目である。

・参照:竹中大工道具館 – Wikipedia
・参照:竹中大工道具館|美術手帖https://bijutsutecho.com/museums-galleries/1057
・参照:日本の大工の知恵が詰まった「竹中大工道具館」(カーサ ブルータス) https://casabrutus.com/categories/architecture/18264
・参照:竹中大工道具館 : Magical Mystery Nara Tour https://naratour.blog.jp/archives/1072260632.html

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♣ 奥谷組 展示資料館

所在地:京都市南区吉祥院向田東町8番地 Tel. 075-313-653
HP: https://www.okutanigumi.jp/shiryoukan/

奥村組の本社ビル

 → 奥村組は関西に拠点を置く大手建築会社であるが、社寺建築に多くの実績を持つ。この展示資料室は、ここの奥村建設が1997年に京都府より「京の老舗」として表彰されたことを機に開設した社寺建築の展示資料館。継手・仕口、お堂の断面模型、道具といった木工事に関する資料を中心に檜皮・瓦・銅板といった屋根工事、錺金具、彩色、左官、儀式道具などを展示している。伝統的な木造建築に使われる外観からは窺うことの出来ない様々な伝統技法が紹介されている。ちなみに、奥村組のホームページでは、奥村組は国宝延暦寺をはじめとする重要文化財の 保存・修復に取り組んでいると述べている。また、展示資料館のほか、奈良市に奥村組の100年の歴史を展示する「奥村記念館」も設立されている。

社寺建設事業
展示資料館の内部
大工道具の展示

・参考:奥村記念館 https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/
・参照:事業内容 – 株式会社奥村組https://okumurag.com/business/?page_menu=社寺建設事業

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♣ 飛騨の匠文化館 (飛騨市)

所在地:岐阜県飛騨市古川町壱之町10-1 Tel. 0577-73-3321
HP: https://www.hida-kankou.jp/spot/282

飛騨の匠文化館

 → 飛騨の木材を使い飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられた匠の文化館建物。釘を1本も使っていないのが特徴。中庭に面する軒下には建築に関わった大工の紋章「雲」が施されている。館内では各種の継ぎ手や木組みの見本展示、パズルのように千鳥格子を組むことのできる体験コーナーも設けられている。

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♣ 乾燥木材工芸資料館(墨田区小さな博物館)

所在地:墨田区錦糸二丁目9番11号乾燥木材工芸ビル内
HP: https://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_jigyosya/sangyo/pr_brand_hyousyo/sumida3m/tiiki/nanbu/kannsoumokuzaikougei.html

 → 釘などを使わずに材木を組み立てたり、指し合わせたりして作る「指物」の工芸館。机、タンス等の指物など、木の根などの乾燥した木材を伝統技術を駆使して作ったさまざまな作品を展示している。「木の暖かみ、手づくりの良さを多くの人に知ってほしい」との説明。

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(宮大工の匠世界)

♣ 宮大工の世界 (松本社寺建設)

所在地:鎌倉市二階堂710 瑞泉寺境内 Tel. 0467-23-1965
HP: http://www.shajimatsu.com/world/

宮大工棟梁を語る松本氏

 → 松本社寺建築の宮大工が造った建築模型を紹介。館内には工匠のかくし技とも言うべき継手・仕口を多数展示。「宮大工に聞く」(棟梁松本高広)のコーナーも設けられている。

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♣ 間瀬大工の資料館-越後・間瀬宮大工資料館 –

所在地:新潟県西蒲区新谷地区
HP: https://blog.goo.ne.jp/jinnsoinn/e/ddb43273f156de215d9a71dfa02f7cd3

間瀬大工の資料館

 → 新潟県西蒲区間瀬の地元宮大工が伝統の技を後世に伝えるため設立した資料館(現在未だ仮建物)。地域の大工が使っていた大工道具、下図や設計図を展示している。間瀬大工の棟梁家として篠原、石塚、田中、赤川などがあり、江戸時代、北信濃の多くの寺社は、これら宮大工によって建設されたといわれる。間瀬大工が関わった寺社としては、野沢温泉の健命寺本堂、佐久市の蕃松院本堂、長野市の寛慶寺本堂などがあげられるという。現在、間瀬宮大工保存会があり、北信濃寺社彫刻と宮彫刻はよく知られる。

石塚甚助の羅漢像
獅子の木鼻と細工跡
間瀬大工の道具展示

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♣ 金剛組資料館施設(宮大工の 関西・関東加工センター展示場)

所在地:大阪市天王寺区四天王寺1丁目14番29号(本社) 電話 06-6779-7731
・関西加工センター:大阪府堺市美原区木材通2-4-19
・関東加工センター:埼玉県鶴ヶ島市脚折町1-41-7
HP: https://www.kongogumi.co.jp/index.html

金剛組大阪本社

 → 金剛組は1400年の歴史を持つ世界最古の建築会社。この会社(組)の長く培ってきた技術や歴史について紹介しているのが関西・関東の加工センター展示場施設。宮大工の匠達が紡ぐ継手模型や金剛組独自の木造耐震技術などを幅広く紹介展示している。展示場のある加工センター内では日々専属宮大工達が腕をふるっており、金剛組の建築で使用される全ての材木をここで仕上げ、現場に運び込まれているという。また、金剛組では日頃見ることの無い宮大工の匠の技を間近で見ることのできる見学会も催している。

関西加工センター作業所
金剛大工の組立作業
宮大工鉋がけ
組み立てられた山門模型

 展示場の展示としては、建築された山門の木組模型の一部、木組みの例示、山門の木組み模型、金剛組の系図が書かれた巻物、19世紀再建の四天王寺金堂の立面計画図、大工道具などがあるという。

御堂の木組み模型
四天王寺金堂の図面(19c)
山門の木組模型の一部

<金剛組とは>

金剛組の沿革記事
産経新聞記事 2018/7/10 
百済から宮大工

 金剛組は長い歴史を持つ日本有数の宮大工集団からなる建築業者。飛鳥時代の578年に創業した世界でも最古の企業といわれる。聖徳太子が日本最初の仏教寺院である四天王寺建立するため、百済より招いた宮大工の一人金剛重光により創業された。以来、江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工組となっている。この四天王寺は16世紀以降七度にわたり戦乱と火災で消失しているが、そのたびに歴代の金剛組が再興に取り組んでいる。大坂城建設にも携わったとされる。また、明治以降では、1934年、室戸台風で四天王寺五重塔が倒壊した際には、金剛組第38代棟梁の手で再建を果たしている。四天王寺を築いてきた金剛組の「組み上げ工法」は、現代にも引き継がれているとされ、神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を多数手がけている。

伝統衣装の金剛宮大工
大正時代の金剛職人
大正の金剛組
再建された四天王寺

 

 金剛組の宮大工は、先人の「匠」に学ぶというのが哲学とされ、何百年も変わらない建造物を作り修復してきた先人の技法に学び、さらなる高度な技術を目指していくのが金剛組の使命として日々活動を続けている。

金剛組の「辰巳会」
放映された金剛組の歴史

なお、金剛組には専属の宮大工によって結成する「匠会」という職人集団を形成している。ここでは、金剛組が、1400年余りの間、弟子から弟子へと伝えてきた技を、さらに次の世代に伝えること、たがいに教えあい、学びあって、ともに若い大工を育成、宮大工としての一体感を高めていくとしている。(図参照)

 なお、この金剛組は、創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、現在は髙松建設の子会社(現在は孫会社)へ移行している。

・参照:金剛組 | 西暦578年創業 世界最古の企業https://kongogumi.co.jp/topics/20200427_01.html
参照:現存する世界最古の会社《金剛組》創業1445年の歩み【前編】(Discover Japan)| https://discoverjapan-web.com/article/112294
・参照:【大工集団「金剛組」百済から来日、四天王寺建設 法隆寺宝物館-9】 | 住宅ジャーナリスト・三木奎吾の 住宅探訪記|住宅雑誌Replanhttp://kochihen.replan.ne.jp/?p=40874
・参照:金剛組 – Wikipedia
・参照:創建1400年超の最古の建築会社「金剛組」の知恵と技術の承継 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00785/
https://we-love-osaka.jp/kongogumi/
・参照:一般社団法人・宮大工養成塾(宮大工の匠の技)https://miyadaiku-yoseijyuku.com/blog/archives/874
・参照:飛鳥時代創業・金剛組(2)「命がけで」四天王寺五重塔再建https://www.sankei.com/article/20180710-FKOCL5PJABO73OEUDSGIIIURHE/
・参照:金剛組 日本の巧み匠 宮大工のカンナがけ(youtube)https://www.youtube.com/watch?v=c28-hNOFLiw&ab_channel=JAPANSTUDY%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A0%94%E7%A9%B6
・参照:飛鳥時代創業・金剛組(2)「命がけで」四天王寺五重塔再建https://www.sankei.com/article/20180710-FKOCL5PJABO73OEUDSGIIIURHE/

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♣ 木彫刻美術館・井波―宮大工の鑿―

所在地:富山県南砺市井波地域
HP: https://www.japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story059/

彫刻作業の宮大工

 → 宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館。「木彫刻美術館・井波」は、彫刻作品や独自の文化の息づく瑞泉寺門前町を中心にした旧井波町地域全体を一つの美術館としたもの。2018年に日本遺産に認定された。タイトルの一部である「宮大工の鑿一丁」は、前川三四郎氏が彫刻技術を教えた井波の宮大工の鑿のことをさす。通りには至るところに七福神や十二支などの木彫刻が飾られ、まちはさながらに木彫刻の美術館となっている。瑞泉寺の“雲水一疋龍”彫刻、町屋の彫刻欄間、井波町物産展示館(旧井波駅舎)など多数。

・参照:宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波|日本遺産ポータルサイト
・参照:宮大工の鑿本編 – YouTubeショートムービー本編
・参照:井波日本遺産https://inamijapan.com/

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♣ 工匠壱番館・弐番館

HP: https://www.jalan.net/kankou/spt_13108cc3290033122/

所在地:東京都江東区森下3-12-17森下文化センター2階 Tel. 03-3647-9819URL      https://www.city.koto.lg.jp/103020/shisetsuannai/kokyo/kinenkan/16764.html

工匠壱番館

 → 木工加工の道具などが展示の中心にして職人の技と歴史を感じることができる。江東区には町工場や職人技は現在のも脈々とうけつがれおり、作品展示だけでなく工匠を紹介するコーナーが設けられている。

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(木の文化博物館紹介 了)

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日本の自動博物館 ークルマの技術と歴史ー(博物館紹介)

ー日本の主力産業 自動車産業の技術発展と歴史のダイナミズムを映す資料館探訪ー 

 このセクションでは、日本で最もポピュラーな自動車・二輪車についての産業博物館を紹介。主要な自動車メーカーの運営する企業博物館と私設・公設を含めて各地方で開設されている自動車博物博物館をレビューしている。いずれも日本の自動車産業の歴史や現状を見るには欠かせない博物資料館となっている。

(自動車メーカーの博物館)

♣   トヨタ博物館

所在地:愛知県長久手市横道 41-100
HP: https://toyota-automobile-museum.jp/

トヨタ博物館外観

 → 世界と日本の自動車とクルマ文化の歴史をご紹介する博物館。トヨタ自動車創立 50 周年記念事業のひとつとして 1989 年に設立された。日本の自動車展示では最大規模を誇っている。「クルマ館」では 19 世紀末のガソリン自動車誕生から現代までの自動車の歴史を日米欧の代表的な車両約 150 台が一望できる。「乗用車」を軸に体系的に展示構成されており、ほとんど全ての車両は走行可能な「動態保存」となっておいる。また、「クルマ文化資料室」では「移動は文化」をテーマに、ポスターや自動車玩具、カーマスコットなど自動車にまつわる文化資料の約 4000 点を展示している。現在の展示車両はトヨタ博物館 車両データベース 展示中で確認できる。

館内の自動車展示
クラシックカー等の展示


 珍しい歴史的な自動車展示では、ベンツ ヴェロ(1894)、パナール エ ルヴァッソール 6HP ワゴネット(1898 年)、キャデラック モデル サーティ(1912)、フォード モデル A (1928)、日本車では、ダットサン 11 型 フェートン(1932)、トヨダ AA型乗用車(1936)、日本ダイハツ・ミゼット MP5 型などが見られる。車好きにとっては見逃せない自動車博物館であろう。

ベンツ ヴェロ(1894)
キャデラック モデル サーティ(1912)
フォード モデル A (1928)
ダットサン 11型 フェートン(1932)
ダイハツ オート三輪 SA-6型(1937)
トヨダ AA型乗用車 (1936)

・参照:世界のトヨタはやっぱり規模が違う! AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)https://www.automesseweb.jp/2020/12/30/557532#/16
・参照:トヨタ博物館 – Wikipedia

♣ 富士モータースポーツミュージアム

所在地:静岡県駿東郡小山町大御神 Tel. 0550-878-2480
HP: https://fuji-motorsports-museum.jp/

ミュージアム外観

 → 富士スピードウェイ隣接地に開館されたモータースポーツミュージアム。国内外自動車メーカー10 社の連携による常設展示場となっている。モータースポーツの始まりは、19 世紀末、フランスで開催された自動車レースで、蒸気、電気、ガソリンエンジンと動力源の異なる車輛が競い合うことで、技術的優位性を証明しようとするものであった。その後、モータースポーツは、クルマの性能や耐久性の極限を求めることで、夢や憧れを時代にもたらしてきたといわれる。また、その自動車技術が量産車開発に反映され、モビリティの進化に貢献したとも評価されている。このミュージアムは「クルマづくり」にモータースポーツが果たした役割という視点でその系譜を開設している、最高峰レースに出場した伝説の車両や日本初公開の車両が含まれる約 40 台が体系的展示されているほか、メーカーの創業者がモータースポーツ車両開発にかけた想いも盛り込んだ 130 年間のレースの歴史をご紹介している。

展示場内部
展示車
展示車

・参照:富士モータースポーツミュージアム – Wikipedia

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♣ トヨタ産業技術記念館 自動車館    

所在地:名古屋市西区則武新町4丁目1番35号
HP: https://www.tcmit.org/
HP:  https://www.tcmit.org/research/car 

 トヨタ産業技術記念館

→ トヨタの自動車づくりをさまざまな角度から紹介しているのが、この自動車館。延べ7,900平方メートルの大きな会場に、自動車工場がまるごと入ったような感じで展示がなされている。「自動車事業創業期」「時代を見据えた車両開発」「開発技術」「生産技術」「豊田喜一郎とは?」と5つのゾーンから構成されている。特に、創業時の逸話とともに、自動車の構造、開発技術の推移、生産技術進化などを、代表的車種の展示、生産設備の動態展示を交えて紹介がなされており、トヨタの歴史と技術体系を知る上で貴重な施設であると同時に、日本の機械産業の技術発展を見る上でも充実した企業博物館となっている。

展示場内部
カットモデル車
ボディの組立

 展示は、国産自動車生産を志した頃の歴史コーナー「創業期の豊田喜一郎と初期トヨタの挑戦」、車体や構成部品開発の進化とその変遷を示す「車両開発」コーナー、これまでの自動車関連技術の「開発に向けた体制の取り組みと進化」を紹介するコーナー、トヨタの「生産技術の進化と変遷」を示す「生産技術」のコーナー、「トヨタ生産システム」の解説などとなっている。また、映像やボタン操作で動く本物の機械とカットモデルも多いので、動きを確認したり、音で実感を深めることができるなど体験コーナーも用意されており充実した内容となっている。また、このトヨタ産業技術館については、詳細なホームページ、VTRも多数言語で提供されているので訪問に先立って閲覧しておくことで、より深い科学館の内容が理解できるだろう。

・See(自動車事業創業期展示)https://www.tcmit.org/research/car/car01
・See(時代を見据えた車両開発の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car02
・See(開発技術の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car03
・See(生産技術の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car05
・See(豊田喜一郎とは?展示)https://www.tcmit.org/research/car/car07

・参照:https://igsforum.com/visit-toyota-industrial-museum-2-automobile-pavilion-j/

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♣ トヨタ鞍ヶ池記念館   

所在地:愛知県豊田市池田町南250番地
HP: https://www.toyota.co.jp/jp/about_toyota/facility/kuragaike/

豊田喜一郎
旧豊田喜一郎邸

 → トヨタ車生産台数累計1000万台の達成を記念して1974年に開館した博物館。主な施設としてトヨタ創業展示室、鞍ヶ池アートサロン、旧豊田喜一郎邸などがある。このうち、「トヨタ創業展示室」では、トヨタ創業期の年表や写真の展示、織機やトヨペットクラウン(RS型)、トヨダ・AA型乗用車などの車両展示、1/5車両模型の展示、創業期の特徴的なシーンを再現したジオラマや挙母工場のジオラマが展示されている。「鞍ヶ池アートサロン」はトヨタ自動車所有の絵画などを企画展示する施設、「旧豊田喜一郎邸」は、1933年(昭和8年)に名古屋市南山に建築されたトヨタ創業者豊田喜一郎の別邸を移築修復したものとなっている。

・参照:トヨタ鞍ヶ池記念館 – Wikipedia

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♣   日産エンジン博物館     

神奈川県横浜市神奈川区宝町 Tel. 045-461-7304

HP: https://drive.nissan.co.jp/SPOT/detail.php?spot_id=31708
HP: https://www.nissan-global.com/JP/PLANT/TOUR/VISIT/YOKOHAMA/ (工場見学) 

横浜工場ミュージアムの建物

 → 日産エンジンミュージアムは、自動車の心臓部にあたるエンジンにスポットをあてて日産の技術開発の足跡を紹介している施設。2003年の日産横浜工場のゲストホールオープン時に開設された。日産およびその発祥の地である横浜工場の歴史や日産の環境技術などの展示をはじめ、クルマの仕組みやエンジンの役割を模型や映像を用いて解説展示。また、量産車用からレースカー用のエンジンまで、日産のエンジン開発の歴史上重要な役割を担った歴代のエンジン実機を厳選して展示している。 
 また、日産横浜工場では見学コースも用意しており、最新型エンジンの組立ラインをみることができる。(See: 日産横浜工場 工場見学ツアー

ミュウジアムの内部
最新のエンジン展示

<参考>

日本の自動車産業の黎明を伝える日産自動車の前史と戦後の隆盛期

橋本増治郎
鮎川義介
快進社の工場

 → 日産自動車自体の創立は1930年代だが、日本の自動車産業の出発点は、1907年に山羽虎夫が東京自動車製作所で「タクリー号」を生産したことといわれる。また、1911年に橋本増治郎が「快進社」を設立してイギリスから車体を輸入して組み立てた「スイフト号」を生産、1914年には「ダット一号」を生産している。これが日産設立の母体一つとなっていく。しかし、当時の日本車の生産・技術能力は乏しく、1930年代からフォード、GMが日本に進出し市場を独占する形であった。

タクリー号(1907)とダット1号車(1914)

こういった中、鮎川義介が、改進社から変わった「ダット自動車製造」を買収して「ダットサン自動車商会」が成立(1932)、そして、同社が石川島自動車製作所と合併、「自動車製造株式会社」となり、後の1934年に「日産自動車株式会社」として正式に創業することとなった。このとき主要車両工場として建設されたのが日産「横浜工場」(1935)である。(中略)

日産の戦後日産自動車生産
ダットサンセダン(110型)

 戦後になると、朝鮮特需の恩恵も受けて自動車業界も急速に復活、設備の更新と近代化を目指していく。そして、1950年代、政府は日本の自動車技術を向上させる目的で欧米との技術導入を推奨、これを受け日産はオースチン社と技術提携(いすゞはヒルマン社、日野はルノー社、トヨタは独自路線)をはかり設備整備と技術革新、規模拡大を目指す。日産は、また、1960年に商用車メーカー「民生ディゼル社」を吸収、1966年には乗用車の主力メーカー「プリンス自動車」と合併して現在の日産自動車となっている。この間、自動車業界全体としてもアメリカ式の品質管理、科学的管理法を導入し大幅な質的向上を果たしたことが伝えられている。日産は、1961年、本格的な乗用車生産工場「日産追浜工場」を設立、名車といわれたブルーバード(1962-)、サニー(1973-)、高級車セドリック(1987-)などの乗用車を次々と生産していく。また、スポーツカー「フェアレディ」なども生み出し技術の確かさを実証している。

博物館に展示された日産の社歴

 ミュージアムの展示では、この発展期における日産の生産体制の強化と技術開発の経過をつぶさに紹介しており、日本における自動車産業の隆盛の一端を伝えている。
 しかし、一方で、1980年代末頃からのバブルの崩壊と販売戦略の失敗などにより経営の危機が到来、1990年代にはルノーとの資本提携を迫られ、ルノーのゴーン社長の手で大幅なリストラ政策が実施されることとなる(「日産サバイバル・プラン」)。これにより従来の自動車生産体制は大幅な縮減となったが、財務そのものは改善して企業再生の芽は残された形となった。 2000年代には、経営の改善を受けEV車技術開発に注力しつつ現在に至っている。

・参照:https://igsforum.com/2019-11-26-visit-nissans-engine-museum-in-yokohama-j/より

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♣   日産ヘリテージコレクション   

神奈川県座間市 日産自動車座間事業所内
HP:  https://www2.nissan.co.jp/HERITAGE/

 「日産ヘリテージコレクション」は、1930年代から2010年代までの日産の名車や旧車、記念車を保管している記念保管施設で見学もできる。これらは日産の歴史を物語る貴重なコレクションであり、日産座間事業所内に置かれている。歴代の日産車をはじめ、各時代のコンセプトカーやレーシングカーなどがほぼ実働状態で保管されているのが特色。自社イベントでの走行・展示に限らず、モーターショーやヒストリックカーミーティングをはじめ、販社の新型車発表・試乗会などに貸し出されているという。展示車両については、展示車両一覧(https://www2.nissan.co.jp/HERITAGE/SEARCH/)で年代別に見ることができる。

展示車両の例 (1930年代)


See: 日産: NISSAN HERITAGE COLLECTION|展示車種一覧

・参照:日産自動車座間工場 – Wikipedia

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♣ ホンダコレクションホール   

所在地:栃木県芳賀郡茂木町桧山 120-1
HP: https://www.mr-motegi.jp/collection-hall/

ホンダコレクションホール   

 → 「ホンダ・コレクションホール」は、“ホンダモビリティランド”が運営する4輪自動車および2輪車(オートバイ等)に関する博物館。「ツインリンクもてぎ」(現・モビリティリゾートもてぎ)の開設に伴って、1997年に鈴鹿サーキットより移転された施設。創業期から現代に至るまで、厳選された製品や活動の歴史をご自身のスマートフォンとイヤホンで追体験できる。展示された実物車両のほとんどが動態保存となっている。このため定期的にサーキットの南コースなどで動作確認を兼ねた走行も行っているほか、レースイベントなどの際にはレースコースを走行することもあるという。展示車両についてはコレクションサーチhttps://apps.mobilityland.co.jp/hch/search)で確認できる。

・参照 2024年3月から「ホンダコレクションホール」がリニューアル、https://mc-web.jp/life/136118/
・参照:ホンダコレクションホール – Wikipedia

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♣ 本田宗一郎ものづくり伝承館   

静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 1112   Tel. 053-477-4664
HP: https://honda-densyokan.com/

本田宗一郎ものづくり伝承館

 → 「本田宗一郎の生き方を伝える伝承館。ここでは、本田宗一郎の生き方やものづくりの歴史がわかる年譜や写真、初期のバイクなどでわかりやすく展示している。例えば、宗一郎の少年時代から自動車製作に関わるまでの歩み、エンジニアとしての生き方、名言やエピソードなどがパネル展示で紹介されている。本田宗一郎に関する展示のほかに図書スペースなども用意されている。「ものづくり」に関連した数多くのエピソードや名言などの展示など示唆に富む内容が多い。

館内の展示スペース
伝承館展示物

・参考:本田宗一郎 – Wikipedia
・参考:本田技研工業 75年史 | ヒストリー | Honda 企業情報サイトhttps://global.honda/jp/guide/history-digest/75years-history/

<参考> 

○ 本田技研工業50年史(ヒストリー チャレンジの軌跡)https://global.honda/jp/guide/history-digest/

本田と藤沢

夢と情熱を胸に果敢な挑戦を重ねていく!従業員34人、資本金100万円。浜松の小さな町工場からのスタートであった。描いた夢に向かって情熱のまま駆け抜けた。また事業は本田と藤沢の努力で、カブ号F型などの発売を機に発展、独自の販売網と優れた二輪製品で急成長。ホンダはスーパーカブC100の日米ヒットやマン島TTレース出場を経て、二輪業界で確固たる地位を手にする。

四輪T360

・四輪市場への進出。二輪車の舞台は世界へ! 好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。四輪メーカーとしてのスタートをきった。一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。

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♣ マツダミュージアム   

広島県安芸郡府中町新地3-1
HP: https://www.mazda.com/ja/experience/museum/

マツダダミュージアムのビル

 → 大手自動車メーカーの一つマツダが自動車製作の思いを伝えようと1994年に設立した自動車技術博物館。博物館の展示物は、1931年、マツダが『東洋工業』の社名で最初に製造したオート三輪、「マツダ号」から歴代の製造車種、コンセプトカーや1991年のル・マン24時間レースで優勝した787Bなど時代沿って多くのマツダ車が勢揃いして陳列されている。また、歴代のロータリーエンジン、組み立て前のパーツ、クレイモデルや自動車の出来る過程が分かる展示物もあり見応えがある。
  展示内容をみると10のゾーンに分かれていて、ゾーン1は創業者松田重次郎とマツダ創業に関わる展示、ゾーン2〜3、4〜7では1960年代から 90年代にかけて時代別に区分した各種マツダ自動車の展示があり、自動車づくりの背景技術の進化が示されている。中でもゾーン4は「企業と技術の威信をかけた世界への挑戦」と題し、ロータリーエンジンやスポーツカーが展示されていて目を引く。ゾーン8は安全と環境がテーマ、ゾーン9はマツダの生産ラインの見学コース、最後のゾーン10では、創立100年を迎えるマツダの将来像が語られるといった展示構成になっている。

マツダ号三輪トラックGA型 (1938) 
各種車種の展示
マツダ787B
ロータリーエンジン展示

・参照:リニューアル1周年 マツダミュージアムってどんなところ?(マツダのある暮らし)https://www.mazda.co.jp/experience/life-with-mazda/11/
・参照:「車の知識ゼロでも楽しめる!広島県にあるマツダミュージアム 」 京都産業大学https://www.kyoto-su.ac.jp/about/koho/sagi/2023/09_03_sagi.html
・参照:マツダミュージアム – Wikipedia
・参考:マツダ – Wikipedia

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♣ 三菱オートギャラリー  (三菱自動車工業)

所在地:愛知県岡崎市橋目町字中新切1      Tel. 0564-32-5203
HP: https://www.mitsubishi-motors.com/jp/sustainability/society/contribution/factory/autogallery.html

 → 三菱オートギャラリーは、1917年に三菱神戸造船所で作られた三菱A型に始まり、現在に至るまで生産された数々の自動車を紹介する自動車博物館。三菱の自動車のはじまりを告げた“三菱A型”のほか、戦後から高度成長期にかけての多様な三菱自動車の車、世界ラリー選手権、パリ・ダカールラリーなどに参戦して大きな成果を上げてきたモータースポーツの歴史を彩った車たちを展示している。展示車両では、乗用車では、A型のほか三菱コルト600、三菱デボネア、三菱ギャラン、三菱パジェロ、三菱レオ、モータースポーツ車では三菱ランサー2000ターボラリーなどが見られる。 → 三菱オートギャラリーは、1917年に三菱神戸造船所で作られた三菱A型に始まり、現在に至るまで生産された数々の自動車を紹介する自動車博物館。三菱の自動車のはじまりを告げた“三菱A型”のほか、戦後から高度成長期にかけての多様な三菱自動車の車、世界ラリー選手権、パリ・ダカールラリーなどに参戦して大きな成果を上げてきたモータースポーツの歴史を彩った車たちを展示している。展示車両では、乗用車では、A型のほか三菱コルト600、三菱デボネア、三菱ギャラン、三菱パジェロ、三菱レオ、モータースポーツ車では三菱ランサー2000ターボラリーなどが見られる。

会場の展示車
三菱500コルト
三菱デボネア
ランサー2000
三菱のジープ (1953)

 ちなみに三菱自動車工業は、三菱造船神戸造船所で乗用車製作を開始したのを契機に、1920年、三菱内燃機株式会社を設立、1948年に元航空機工場であった名古屋工場で、保有するプレス設備を活かし、国内他自動車メーカーの乗用車ボディ請負生産を開始。1953年、 ジープのCKD生産を開始し1959年には 軽3輪トラックの「レオ」を発売している。その後、戦後初の自社開発小型車、三菱500(後の改良でコルト600に改称)を発売、1970年には三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結、三菱自動車工業として独立し現在に至っている。古くからモータースポーツ事業にも力を注ぎ、ラリーの活動が最も目立っているようだ。

・参照:三菱オートギャラリー – Wikipedia
・参照:三菱自動車工業 – Wikipedia

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♣ スバルビジターセンター  

群馬県太田市庄屋町1 0276-48-2701
HP:   https://subaru-factory.resv.jp/ 

スバルビジターセンター

→ 2003年(平成15年)7月15日、富士重工業(現SUBARU)の創立50周年を記念し、 2003年に同矢島工場に開館した自動車博物館。スバル・360、1000、1500をはじめとした自動車、エンジンなどが数多く展示されているほか、オートバイ(スクーター)のラビットスクーターの実車なども展示されている。また、前身の中島飛行機が製造した四式戦闘機「疾風」や九〇式艦上戦闘機三型の模型も展示されていて同社の歴史を感じさせてくれる。工場見学も可能で、専任の案内係がご案内してくれる。

センターの展示車
SUBARU360 (1958)
SUBARU1000

中島 知久平
中島飛行機

 ちなみに、スバルを生み出したのは富士重工(株)であるが、この前身は「中島飛行機」。1917年。若きエンジニア中島知久平が、民間の力で航空機産業を育成したいと大志を抱き『飛行機研究所』を設立したのがはじまり。日本の航空機開発のパイオニアとして時代を拓いた航空機メーカーのDNAが、世紀を越えて戦後の自動車産業の中で今のSUBARUのクルマづくりへと結びついているという。なお、富士重工業初代社長の北謙治が、旧・中島飛行機系企業5社とそれらの合同で成立した富士重工業を昴星(プレアデス星団)の六連星になぞらえて「スバル」と命名したと伝えられる。詳しい歴史については、https://www.subaru.jp/brand/technology/history/参照のこと。

・参照:全国の自動車博物館 | クルマ情報サイトーGAZOO・スバルビジターセンター.https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/museum/13/08/26_4/com
・参照:ヒストリー | SUBARUのクルマづくり | SUBARU https://www.subaru.jp/brand/technology/history/

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♣ スズキ歴史館   

所在地:静岡県浜松市中央区増楽町 1301   Tel. 053-440-2020
HP: https://suzuki-rekishikan.jp/

スズキ歴史館 

 → 日本国内のみならずアジアでも二輪車、軽自動車部門で存在感を増しているスズキ自動車の発展と事業展開を軸に詳細に紹介しているのがこの「スズキ歴史館」である。2009年に誕生したこの歴史館には、スズキが、明治期に織機機械製作として創業して以来、戦後、二輪車部門に転換して発展し、軽自動車部門にも進出して世界的なメーカーに進化していった軌跡が集約されて展示されている。日本の二輪車産業、自動車産業、ひいては機械産業の発展をみる上でも興味深い企業博物館の一つといえるだろう。
 展示コーナーでは、創業時(1909年)の織機、戦後の復興期、織機産業で培った技術をもとに自動車産業へと進出していく様子、高度経済成長期、マイカー時代の訪れとともに多様な需要に応えて生み出された多種多様な二輪・四輪車が豊富に展示されている。

創業の源となった機織機
鈴木道雄像とバイクの展示
自動車開発を伝える展示
創業者 鈴木道雄

 詳しく見ると、織機メーカーとしての創業と発展を示すコーナー(創意)では、創業者鈴木道雄が考案した「足踏み式織機」、「A⽚側4梃杼織機」の展示、“二輪車への事業転換と発展・進化”(開拓・勤勉1946~1963)では、モーターバイク「パワーフリー号」(1951年)、本格的オートバイ製作となった「コレダ号90cc」(1954)などの展示があり、“軽自動車製作メーカーへの道コーナー”(実行・1964~)では、1970年の「スズキジムニ」、1979年の「アルト」、1983年の「カルタス」、1991年の軽スポーツカー「カプチーノ」などがみられる。最近の、“新しい四輪車の開発”として示されるのは、1987年の「フロンテ」、1987年の「カルタス」や三代目アルト(1990)、MRワゴン(2001)、スイフト(2004)などの多様な機種である。このように歴史館の展示は、スズキ成長のみならず、日本の自動車産業の一つの流れを表すものとなっている。

歴史館の展示
パワーフリー号
最近スズキバイク
フロンテ360
スズキ アルト

・参考:https://igsforum.com/visit-suzuki-history-museum-in-hamamatsu-j/(浜松の「スズキ歴史館」を訪ねる)
・参考:スズキ歴史館(クルマ情報サイトーGAZOO.com)https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/10/24_2/

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♣ ヒューモビリティワールド(ダイハツ史料展示館)       

所在地:大阪府池田市ダイハツ町 1 番 1 号             TEL.072-754-3048
HP:  https://www.daihatsu.com/jp/facilities/hw/

ヒューモビリティワールド

 → ダイハツの運営する自動車のミュージアム。ダイハツの100年以上のクルマづくりの歴史を紹介すると共に、昭和初期のダイハツ製産業用エンジンや三輪自動車、各時代に製作されたダイハツの軽自動車などを実物で紹介し、さまざまな展示物を通してクルマの仕組みや原理についてやさしく解説している。展示ではテーマに沿った展示コーナーを用意、ダイハツの原点である発動機の紹介、走る・曲がる・止まるというクルマの基本原理、安全の仕組み、軽自動車に必須のコンパクト化の技術などが体験的に学べる仕組みとなっている。

展示風景①
展示風景②
ダイハツ自動車の展示
6馬力吸入ガス発動機

 ちなみに、ダイハツのルーツをみると、1907年に大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)関係者が中心となり、内燃機関の国産化を目指し「発動機製造株式会社」として創業したのがはじまり。同年に日本で最初の国産エンジンである「6馬力 吸入ガス発動機」を発明している。

ダイハツミゼット
小型三輪自動車「ダイハツ号」

 1930年に自社エンジンによる三輪自動車「HA型ダイハツ号」の製造を開始して輸送用機器事業に進出、エンジンメーカーから自動車メーカーに移行した。1949年に株式を上場、1951年に「ダイハツ工業株式会社」に改称している。現在の社名は、大阪の「大」と発動機の「発」をとって「ダイハツ」と略称したことに由来するという。その後、1967年の業務提携によりトヨタグループの一員となり、軽自動車を中心とするコンパクトカーに特化して事業を拡大した。2017年にはトヨタと「新興国小型車カンパニー」(社内カンパニー)を発足させ、ダイハツ工業が主体となって新興国での商品開発を行う形での両ブランドの小型車戦略が進めている。

・参照:ヒューモビリティワールド – Wikipedia
・参照:ダイハツの歴史|ダイハツ販売会社https://ddgroup.daihatsu.co.jp/brand/history.html
・参照:ダイハツ工業 – Wikipedia
・参照:Humobility World( 観光スポット・体験 ・ OSAKA-INFO )https://osaka-info.jp/spot/humobility-world/

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♣ いすゞプラザ

所在地:神奈川県藤沢市土棚8
HP: https://www.isuzu.co.jp/plaza/index.html

いすゞプラザ外観

 → いすゞプラザは、いすゞが生産してきた新旧のトラックやバスの実車を技術解説と共に展示する自動車博物館。いすゞ自動車の歴史、歴代のエンジン、トラックなど商用車の製作過程も紹介されている。展示では、いすゞの歴史解説からはじまり、いすゞが開発した歴代のディーゼルエンジン、製作してきたバストラックの各種モデル、また、トラックの構造や仕組みの解説、図式された製作過程の例示などを詳しく行っている。また、ミニチュアモデルによるトラック製作の再現がなされているのも特色。これらの中で特徴的なのは、古い歴史的なトラックや各種車両が、現在も稼働可能な状態で保全・陳列していることである。また、トラックやバスが現代社会の中でどのように活躍しているかを再現する大型の動くジオラマも魅力一つであろう。

メイン展示場
いすゞトラック展示
大型の動くジオラマ

<いすゞの創業の歴史と発展の姿>

平野富二
ウーズレーA4型国産第一号車

 いすゞ自動車の創立は1916年(大正5年)となっているが、その源流は、江戸幕府が設立し明治政府の手に移された横須賀造船所の機械製作部門である。明治のはじめ、この造船所を平野富二が買い取り、石川島造船所(現在のIHI)を創立したことが今日のいすゞを生むきっかけになった。その後、同社は、社内に「自動車部」、そして、独立して石川島自動車製造所を設立した1920年代に英国ウーズレー提携して自動車生産を 開始する。ちなみに石川島造船時代に生産された「ウーズレーA4型国産第一号車」がメインロビーに現物展示されている。また、歴史コーナーには1929年生産の「スミダM型バス」の現物複製もみられ、当時の自動車生産の姿をうかがうことがけきる。

スミダM型バス
TX40型トラック
いすゞベレル

 一方、いすゞが独自で国産トラックを生産したのは1938年の「TX40型トラック」、これに先立って、同社はディーゼルエンジンを開発しトラック製造に使用したことが知られている。このようにして、日本でのディーゼルエンジンの先駆者となったいすゞは、1941年には、「ディーゼル自動車工業」と名を変えて各種の自動車生産に乗り出している。戦後になると、同社は「いすゞ自動車(株)」となり、大型ディーゼル車両のトラック、バス生産を積極化するとともに、乗用車生産も手がけるようになる。このとき生産された乗用車が館内に展示されている(「いすゞベレル」、1960年代のディーゼルエンジン乗用車)。しかし、その後、1980年代には乗用車生産は中止、トラック、バスの生産に特化し商用車専業メーカーとして活躍し今日に至っている。これがいすゞプラザに展示されたいすゞ自動車の誕生と発展の系譜で、日本の自動車生産の一局面を記しており誠に興味深い。

・参照:いすゞ自動車の博物館「いすゞプラザ」訪問https://igsforum.com/isuzu-plaza-visit-j/ +++

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♣ 日野オートプラザ(日野自動車 21世紀センター)

所在地:東京都八王子市みなみ野5丁目28番5号 Tel. 042-637-6600
HP: https://www.hino.co.jp/corp/autoplaza/

日野オートプラザ

 → 日野オートプラザは、日野自動車を中心として日本のトラックとバスの歴史を語る実物展示の博物館として設立された。 ここでは日野の100年の歴史を振り返りつつ、歴代の製作エンジン、トラック、バス、近年の商業車への取り組みなど、日野自動車の発展史が詳しく紹介している。館内には、時代ごとの日野のトラック、バス、乗用車の実物、縮尺の模型とジオラマ、自動車開発の歴史や技術を示す写真・映像が順序立てて展示されている。とりわけ館内に設置された回廊式フロアにある壁面パネルの社史展示コーナーは見事である。

プラザ内の展示
トラックTGE-A(1917)
ボンネットバス(1950)

 また、広い展示ホールには、日本初のトラックTGE-A(1917製作)、自社開発の航空機、ボンネット型のバス、乗用車コンテッサ、自働三輪車ハスラー、ダカールラリーの優勝車などが数多く展示されており、日野が多方面で活躍していたことが示されている。また、日野の技術を代表するものとして歴代エンジンの展示も目を引く内容。中には、1930年代の黎明期の航空機エンジンも展示されている。さらに、館内には社史資料室が設置されており、日野が、明治初期にガス灯器具メーカーとして創業し、後に自動車分野に進出して発展した経過も記されていて興味深い。 日本の自動車産業発展の側面史をみる上でも貴重な博物館といえよう。

日野の乗用車コンテッサ
日野の軽量バン
日野の重量トラック
日野の航空機エンジン「天風」(1930)

・参照:https://igsforum.com/visit-truck-and-bus-museum-of-hino-auto-plaza-j/
・参照:日野オートプラザ – Wikipedia

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(二輪車の博物館)

 日本の二輪車(バイク)の有力メーカーとしては、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキがあり、四大メーカーと呼ばれている。これらの4社の販売台数を合わせた世界市場シェアは約5割に上るとされる。これら企業の自動車・二輪関係博物館のうちホンダ、スズキのものは既に上記に掲げてあるので、ここではヤマハ、カワサキの二輪車分野の博物館のみを取り上げ紹介している。

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♣ ヤマハ・コミュニケーションプラザ(ヤマハ発動機)    

所在地:静岡県磐田市新貝 2500
HP: https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/
・コミュニケーションプラザ・バーチャル体験見学https://my.matterport.com/show/?m=kUJtEEuTD8a

ヤマハコミュニケーションプラザ

→ ヤマハ発動機製品を紹介する企業ミュージアム。ヤマハ発動機は、1955年に日本楽器製造から分離されるかたちで、オートバイ製造販売業としてスタートした企業。同企業は、ボートや船外機などのマリン製品、発電機、産業用ロボット製品など広いに部門で活躍しているが、モーターバイク生産も重要な生産分野である。このコミュニケーションプラザでは、まず、創業黎明期の歴史コーナーの展示からはじめ、ヤマハ発動機の歴史を飾る国内外の生産車両および製品を細かく紹介。また、レース活動の歴史や競技専用車輌の実物を展示しているほか、時代別の歴史的な市販車両の展示を行っている。

展示ギャラリー
技術紹介コーナー
歴史紹介コーナー

 バイクの展示内容を見ると、浅間高原レースで優勝したレースマシンYA-1 (1955)、初の本格的スポーツ車「YDS1」(1959)、「オートマチックメイトV50A」(1973年)、V型2気筒エンジンを搭載した“アメリカン”クルーザー(1980s)などの実車が見られる。また、最近モデルのモーターバイク多数のほか、ジョーダン・グランプリ時代のF1マシン、電動アシストのヤマハ自転車モデルも展示されているのは目を引く。

<ヤマハ創業とヤマハ発動機発足の歴史と挑戦の記録>

ヤマハ発動機の技術陣
川上源一

  明治中期、山葉寅楠がオルガンを製造するメーカーとして山葉風琴製造所(1889年創業)そして、1897に「日本楽器製造株式会社」を設立した。これが後のヤマハのはじめとなり、やがてピアノの生産量で世界一となるほどの大企業に発展する。そして、大戦中飛行機のプロペラを製造に関わっていたが、終戦後の経済混乱の中で新たな道を模索することになる。ヤマハはピアノのフレームの技術を生かしてオートバイ生産に乗り出すこととした。ピアノのフレームは、弦の張力を受け止める剛性と、適度に振動させて音質を高める弾性を備える技術が必須。日本楽器(株)は、この剛性と弾性の鋳物技術を蓄えており、これをエンジンに活用できると考えたのであった。このバイク市場参入の決断をなしたのは川上源一だった。川上は、エンジン製造実績はないが技術はあるとしてオートバイのエンジン試作を決意したのである。

浅間火山レース・ライト級の表彰式 (1957)
YAMAHA125 YA-1

 戦後の1950年代、オートバイメーカーの競争は厳しいものだったが、ヤマハは楽器製造の技術を活用した高品質のバイクの製造を目指した。当初は開発に苦難の連続だったようだったが、性能とデザインにこだわった第1号機「YAMAHA125 YA-1」が1955年ついに完成する。開発モデル選定が決まってからわずか8ヶ月であったという。これを受けて、1955年、日本楽器からモーターサイクル製造部門を分離独立させるかたちで「ヤマハ発動機株式会社」が設立された。初代社長は川上であった。

  その後、数々のレースで好成績を収めることで高性能ぶりをアピールして販売台数を増加させる。翌1956年9月には2号機「YC-1」を市場に投入、1957年4月には「YD-1」を、同年11月には「YA-2」を発売した。急ピッチでオートバイの生産を進めるのと並行して、船外機の開発にも着手していている。また、オートバイ「MF-1」とスクーター「SC-1」を発売している。

・参照:ヤマハ・コミュニケーションプラザ – Wikipedia
・参照:ヤマハ発動機 – Wikipedia
・参照:ヤマハブランドの歴史(ヤマハ株式会社)https://www.yamaha.com/ja/about/history/
・参照:バイクメーカーの歴史「ヤマハ発動機の黎明期を振り返る」https://www.autoby.jp/_ct/17638192 ・参照:ストーリー – ヤマハヒストリー  https://global.yamaha-motor.com/jp/stories/history/stories/
・参考;https://igsforum.com/visit-truck-and-bus-museum-of-hino-auto-plaza-j/
・参照:ヤマハ・コミュニケーションプラザ – Wikipedia
・参照:ヤマハ発動機 – Wikipedia

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♣ カワサキワールド(川崎重工業)         

所在地:兵庫県神戸市中央区波止場町 2 番 2 号(神戸海洋博物館内)TEL : 078-327-5401
HP: https://www.khi.co.jp/kawasakiworld/

カワサキワールド全景

 → カワサキワールドは川崎重工業が2006年に神戸海洋博物館内に設置した企業博物館。展示は創業者紹介コーナー、ヒストリーコーナー、シアター、モーターサイクルギャラリー等からなる。創業者紹介コーナーでは、川崎重工の創業者である川崎正蔵と松方幸次郎を紹介、ヒストリーコーナーでは、神戸の町の歴史や川崎重工グループ(神戸川崎財閥)の歴史を含む活動を紹介している。また、カワサキの1世紀以上における企業発展の歴史や国産初の産業用ロボット、ジェットスキーの初期型モデルの実物などを展示し事業の全容を見える形で示している。このうち、「モーターサイクルギャラリー」では、歴代の二輪車マシン、レース車など数多くの実車が展示されているのが目立つ。なお、川崎重工は自動車部門だけでなく鉄道、船舶、航空部門などで幅広く活躍しており、カワサキワールドでは、陸のゾーンで新幹線の先頭車両、海のゾーンで船舶、空のゾーンで川崎バートルKV-107II型ヘリコプターなどの展示も行っている。ここでは、この節であるテーマである二輪車を軸に川崎重工業のモーターサイクル事業と展示おみを紹介する。

 

モーターサイクルギャラリー
各種バイクの展示
各種バイクの展示

<モーターサイクルギャラリーとバイク事業>

 → ギャラリーではカワサキのモーターサイクルづくりにおける哲学「RIDEOLOGY」の体験をコンセプトに車両の展示や体験コーナーを設けている。また、特定のテーマに沿った企画展も随時開催。時代の先駆者となったカワサキの歴代モデルや、レースで活躍したマシンなど、数多くの車両を展示。中には、カワサキのフラッグシップ「Ninja ZX」 や「 Ninja KR」の展示もあり、このストリップモデルやエンジンカットモデルを用意して展示しているのが注目される。

Ninja ZX-RR (2005)とKR500(1982)
ライムグリーンA7RS (1969)

 ちなみに、カワサキ(川崎重工業)のモーターサイクル事業を担っているのは、カワサキモータースで、2000年代には川崎重工業グループの売上高のうち最大の約3割を占めるようになっているという。同社は、兵庫県明石市に本社を置き、オートバイ、サイド・バイ・サイド・ビークル、全地形対応車、水上オートバイ、汎用エンジンなどを製造販売する企業で、川崎重工業の100%子会社。2021年に川崎重工業の社内カンパニーであった「モーターサイクル&エンジンカンパニー」が分離・独立して発足したもの。同社はカワサキレーシングチームとしてレース活動も行っている。

・参照:ヒストリー・株式会社カワサキモータースジャパン https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp/about/history
・参照:カワサキモータース – Wikipedia
・参照:カワサキワールド – Wikipedia

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(各地の自動車関係博物館)

♣ 日本自動車博物館    

所在地:石川県小松市二ツ梨町一貫山40 Tel. 0761-21-8208
HP: https://www.motorcar-museum.jp/

日本自動車博物館外観

 → セメント販売業石黒産業社長(当時)の前田彰三が個人収集した自動車をもとに1978年に開設された私設の自動車博物館。本館は赤レンガ造り風の3階建てになっており、館内はメーカー、種類などに分けてわかりやすき展示されている。1901年(明治34年)から平成初年代までの国内外の車約500台の自動車が常設展示されており、バックヤードにも約200台前後保存されている。そのほとんどがエンジンのかかる状態で保存されているのが特色。この博物館にしか現存が確認されていない貴重な自動車が多数所蔵されているようだ。

博物館の紹介画像
乗用車の展示
商用車の展示

・参照:日本自動車博物館 – Wikipedia
・参考:日本一の自動車博物館!(こまつ観光ナビ – 小松市公式観光情報サイト) https://www.komatsuguide.jp/feature/detail_55.html

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♣ 九州自動車歴史館    

所在地:大分県由布市湯布院町川上
HP: http://ret.car.coocan.jp/

九州自動車歴史館

 → 「九州自動車歴史館」は、湯布院の観光エリアに位置する私設博物館で、戦前を含む昭和時代の2輪、3輪、4輪車合わせて約80台を展示している。展示車の多くが映画やテレビドラマなどに登場したモデルという特色がある。スクリーンやブラウン管を彩ったクルマたちは、自動車の歴史だけではなく、時代時代の文化も感じさせてくれる。

・参照:九州自動車歴史館 – Wikipedia
・参照:「九州自動車歴史館」はユニークな私設博物館 ( クルマ情報サイトーGAZOO.com) https://gazoo.com/column/daily/21/01/28/
・参照:九州自動車歴史館 – Wikipedia

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♣ 桐生自動車博物館    

群馬県桐生市広沢町6-850-5 Tel. 0277-52-7927
HP: http://www.maehara20th.com/

桐生自動車博物館

 → 群馬県桐生市で開設された私設の自動車博物館、国の登録文化財に指定されている旧飯塚織物のノコギリ屋根工場を使用している。ここでは日本の自動車産業の歴史を物語るトヨタの初代クラウン)をはじめ、アメリカ大陸で40年間走り続け久しぶりに日本に帰ってきた2代目クラウン、スプリンターカリブ・ランドクルーザー四輪駆動車などを展示していて珍しいコレクションを誇っている。

・参照:桐生自動車博物館 – Wikipedia
・参照:桐生自動車博物館!(のりもの博物館) https://www.transport-pf.or.jp/norimono/museum/kijh/

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♣ 四国自動車博物館

所在地:高知県香南市野市町大谷 896  Tel. 0887-56-5557
HP: https://lovemota.vistanet.co.jp/museum/

四国自動車博物館

 → 香南市野市町にある四国唯一の自動車博物館。1960 年代から 1980 年代のレースカー、クラシックカーを中心に、国内外のヒストリカルな車両を展示している。この自動車博物館は 1990 年、高知県の自治体大豊町が、“ふるさと創生事業”として建設した(嶺北 21 世紀センター に開設されたもの。1996 年に一時閉館したが、2001 年に現在地に再オープンしている。様々な歴史と物語を紡いできた 2 輪車 30 台、4 輪車 30 台を展示。

・参照:四国自動車博物館 – Wikipedia

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♣ 河口湖自動車博物館・飛行舘

所在地:山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内 Tel. 0555-86-3511
 HP: https://www.car-airmuseum.com/

河口湖自動車博物館・飛行舘

→  実業家で元レーサーでもある原田信雄氏が私費を投じて設立した博物館。毎年8月の1ヶ月間だけ開館する。博物館は自動車館と飛行舘からなり、自動車館では黎明期から2000年代までの自動車、飛行舘では旧日本軍の軍用機・発動機を中心に展示されている。世界で初めて作られたベンツ1号車(1886年)、T型フォード、戦前のダットサン/オオタ等の国産車、第二次世界大戦中に使われた米軍のジープ、フォルクスワーゲン、MG、ベンツ300SLなど自動車の発展に重要な役割を果たした貴重な自動車を展示。

・参照:河口湖自動車博物館・飛行舘 – Wikipedia
・参考:不思議な博物館河口湖博物館(さくらインターネット)https://fum-tan.sakura.ne.jp/LakeKawaguhiMuseum.htm
・参考:世界で唯一公開『彩雲』の胴体復元河口湖飛行舘(UTYテレビ山梨) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/uty/670505?page=2

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♣ プリンス&スカイラインミュウジアム

所在地:長野県岡谷市字内山 4769-14 鳥居平やまびこ公園内  Tel. 0266-22-6578
HP: https://www.prince-skyline.com/

プリンス&スカイラインミュウジアム

 → 日産・スカイラインの愛好家たちが中心となり1997年に設立した珍しい単一車種の自動車博物館。建物は岡谷市が提供、運営は「公益財団法人おかや文化振興事業団」が行っている。プリンス自動車工業時代も含めた歴代のスカイラインはもちろん、輸出仕様やレース仕様、先行開発車なども毎年、入れ替わりを経ながら展示されている。スカイラインの開発者桜井眞一郎氏が名誉館長を務める。

・参照:プリンス&スカイラインミュウジアム – Wikipedia
・参照:桜井眞一郎 – Wikipedia

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♣ ワク井ミュージアム 

埼玉県加須市大桑2-21-1
HP: https://www.wakuimuseum.com/index.html

ワク井ミュージアム

 → 輸入車販売会社ワク井商会が収集したクラシックカーを展示する個人博物館。全国で唯一多数のロールス・ロイスを動態保存し保管する施設となっている。2007年開館、2015年からショールームをリニューアルし、「ミュージアム」、「ヘリテージ」、「ファクトリー」の3拠点に拡張している。希少車の歴史やカルチャー、内外装などを鑑賞できる映像ギャラリーも用意している。

・参照:ワク井ミュージアム – Wikipedia

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♣ 駄知旧車館 

所在地:岐阜県土岐市駄知町 1410 Tel. 0572-59-2161
HP: https://kyushakan.com/

駄知旧車館

 →土岐市駄知町の中根モータースが運営する自動車博物館。社員の鈑金技術や塗装技術の向上のために旧車の復元整備を行っているが、これらの旧車を展示する施設として2012に年開館した。当初は若手スタッフが仕事の合間を見つけ、腕試しをする題材だったが、目覚ましく向上した復元技術の成果を示すとともに、旧車の魅力をお披露目するミニミュージアムにしたいと開設したという。展示車両は約60台。1950年代以降の国産車が中心だが一部輸入車も展示している。

・参照:駄知旧車館 – Wikipedia

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♣ チンクエチェント博物館        

愛知県名古屋市瑞穂区高辻町14−10 Tel. 052-871-6464
HP: https://museo500.com/

チンクエチェント博物館  

 → フィアット社の自動車「500(チンクエチェント)」専門の博物館。主に1957年から1975年まで生産された2代目、通称「NUOVA 500」と呼ばれるモデルを中心に所蔵・公開する博物館。展示は、FIAT 500 A( 1936年)、FIAT NUOVA 500 SPORT ( 1959年)、CHOCOLATE COATED FIAT 500 ( 2005年)など。

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♣ 福山自動車時計博物館           

所在地:広島県福山市北吉津町3丁目1−22          TEL: 084-922-8188
HP: https://www.facm.net/

福山自動車時計博物館   

 → 地元の企業経営者で自動車愛好家の能宗孝が収集した自動車コレクションを展示する自動車博物館。「能宗文化財団」1989年開館し運営。館名のとおり、クラシックカーと時計(掛け時計、置き時計)をメインに展示している。その他、小型飛行機のパイパー・チェロキーや蝋人形など、広範な趣味的展示物を収蔵している。

・参照:福山自動車時計博物館 – Wikipedia

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(自動車の項 了)

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日本の 鉄道史跡と博物館ー役割と歴史ー(博物館紹介)

   ー鉄道のもつ魅力と技術発展の系譜を伝える資料館を点検するー

  日本の鉄道をみると、明治5年に鉄道を開設して以来150余年、日本の物流、人流を支えるインフラ事業として日本の近代化に大きく貢献してきた。また、明治以降、西欧から吸収しつつ進展してきた蒸気機関車、車両製造技術は、日本の機械製作技術の発展に大きく寄与した。この歴史過程を示す鉄道博物館は、SLブームもあって最も人気のある展示施設として全国に広がっている。この節では、日本の主要な鉄道博物館の歴史展示、見学施設を紹介しようとしたものである。(数が多いため省略したものも多くある。別な鉄道博物館資料も参照して欲しい)

(鉄道技術の黎明期を記す鉄道歴史施設)

♣ 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(史跡)                                   

所在地:東京都港区東新橋1-5-3  Tel.03-3572-1872
HP: https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/facilities.html
・参考:https://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/(開業150年を迎える日本の鉄道を考える Part 1)
・参考:https://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/(同part2)

復元された旧新橋停車場駅舎

 → 鉄道歴史展示室は、旧新橋停車場駅舎の再現に合わせて開設された史跡博物館。日本の鉄道開業の地である汐留の歴史とともに、明治期に日本の近代化を牽引した鉄道の発展と影響を紹介している。ちなみに、旧新橋停車場跡地は、1965年に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定されたが、発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年に、その上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた。内部は2階が鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」となっている。

プラットフォーム
復元の出発フォーム
0地点道標

 展示室には、縮尺100分の1の模型によって再建された旧新橋停車場駅舎、開業当時の駅舎基礎石の遺構、発掘調査で出土した遺物の展示などのほか、鉄道開業の歴史的な経緯や往時の新橋停車場と汐留の状況、東京の町並み変化を伝える映像などが展示されている。また、鉄道の歴史や汐留界隈の郷土史などテーマにした企画展も随時開催される。特に、2023年には、日本の鉄道開通150年を記念して、鉄道開設当時の状況を伝える特別展も開かれている。

資料館展示コーナ
駅舎基礎石の遺構
旧停車場駅舎の模型

<参考>

 明治初年に日本初の鉄道が開通してから約150年、この鉄道開設に関わる経過と政策、技術展開については以下の資料に概説しておいたので参照して欲しい。

・参考① 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part 1)ー鉄道開設の社会的意義と遺跡ーhttps://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/

・参考② 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part2)ー拡大する鉄道網と技術の国産化ーhttps://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/

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♣ 博物館明治村 鉄道寮新橋工場(機械館)(史跡)

所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314
HP: https://www.meijimura.com/sight/

鉄道寮新橋工場(機械館)

 → テーマパーク「博物館明治村」の中に、幾つかの鉄道開設に関係する史跡、歴史的施設がある。この中の一つが、 鉄道寮新橋工場(機械館)である。ここには旧新橋停車場構内に建てられた工場建屋が移築されており、内部には鉄道関係のほか日本の近代産業形成を跡づける旋盤、木工、鍛冶、鋳物などの機械類が設置されている。この鉄道工場施設は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場の機関車修復所として建てられたものである。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入してはじめられており、機関車や線路はすべて英国製であり、鉄道敷設いたる全てを欧米の技術者、特に英国に頼らざるを得なかった。このため急遽技術吸収のため作られたのが工部省鉄道寮の新橋工場であった。この意味でも、日本の鉄道建設黎明期の重要施設であった。

機械管内部
保存展示されている車両台車

 工場の側面の壁に沿ったところに台車が保存展示されているが、明治32(1899)年の「東京車輌製造天野工場製ハ29」の台車とみられる。明治末年には、既に機関車製作の国産化が進み始めていることを物語る。

・参照:https://plus.chunichi.co.jp/blog/ito/article/264/6910/明治村の鉄道5…2つの新橋工場と保存台車:達人に訊け!:中日新聞Web

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♣ 旧鉄道局新橋工場(明治村)

所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314
HP: https://www.meijimura.com/sight/

鉄道局新橋工場
壁面銘板

 → もう一つの明治村にある鉄道施設は「鉄道局新橋工場」。東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つである。この新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられており、この建物は木工場で鉄道寮新橋工場にならって造られたものであった。大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として、昭和41年(1966)まで使用されたといわれる。内部には、明治天皇が乗車したといわれる御料車が展示されている。

井上勝

 ちなみに、鉄道開設に向けた政府機関の変遷をみると、まず、明治 3年(1870)に 民部大蔵省に鉄道掛を設置して準備態勢を整える。初代は井上勝だった。翌年、これが工部省に鉄道寮となり、開通後の明治10年には鉄道寮廃止して工部省に鉄道局を設置した。明治23年 には鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となっている。上記の鉄道寮新橋工場は明治5年に建設、鉄道局新橋工場は明治22年の開設である。

国内最古のSL12号
六郷川鉄橋

  明治村では、明治の鉄道関連史跡として、明治45年まで使われた「六郷川鉄橋」(明治8年、英人技術者ボイル設計、ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社製作)、動態保存されている国内最古のSL「12号」がみられる。

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(JRの運営する鉄道博物館)

♣ 鉄道博物館(JR東日本) 

所在地:埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47番  Tel.048-651-0088
HP: https://www.railway-museum.jp/about/
・参考:https://igsforum.com/visit-jr-railway-museum-in-omiya-j/

鉄道博物館

  JR東日本が創立20周年記念で設立した日本最大の鉄道博物館。2006年まで東京・万世橋にあった「交通博物館」を新たな鉄道博物館として現地点に移転し、大幅に施設更新して2007年に開館されている。館内には、鉄道史を裏付ける歴史車両、これまでに開発運用されてきた鉄道システムの概要、新幹線を含む最新の鉄道技術が網羅的に紹介展示されている。見どころは、明治4年年製造の1号機関車(150形蒸気機関車)、明治13製造の弁慶号機関車、初代御料車、新幹線車両など多数に及ぶ。また、日本の鉄道建設に関わる公文書書類も所蔵しており、日本鉄道アーカイブともなっている。

蒸気機関車回転台
車両展示場

博物館は本館、北館、南館の構成となっており、メインの本館は、車両ステーション(旧ヒストリーゾーン)で、鉄道創世期から現在までの各時代の鉄道車両の実物が8つのテーマごとに展示してあり、2階は鉄道車両年表と鉄道ジオラマ、ライブラリー、3階は科学ステーションとなっている。一方、北館は動体保存庫とホール、南館は鉄道の運行を支える仕事を紹介するゾーンで、鉄道設備や保線、踏切などの実装展示が行われている。

1号機関車
弁慶号
食流機関車
新幹線
初代御料車

写真にあるのは主な車両展示、①150号蒸気機関車(1号機関車)、②7101号蒸気機関車「弁慶」、③大正時代のED40直流電気機関車、④21-2号新幹線車両。⑤第1号御料車などである。

・参照:鉄道博物館 (さいたま市) – Wikipedia

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♣ 京都鉄道博物館 (JR西日本)                               

所在地:京都市下京区観喜寺町  Tel.0570-080-462
HP: (https://www.kyotorailwaymuseum.jp/)   

京都鉄道博物館

 → JR西日本の運営する鉄道博物館。「地域と歩む鉄道文化拠点」を目指して2016年に開館した。閉館した交通科学博物館の後継施設として、梅小路蒸気機関車館を拡張リニューアルする形でオープンしている。博物館には、梅小路蒸気機関車館に収蔵・展示していた蒸気機関車も含めた54両の車両を収蔵・展示している。展示車両には0系新幹線電車の第1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大級のC62形蒸気機関車など、歴史的な価値を持つ車両を多数収蔵・展示している。

扇形車庫中央の転車台
500系新幹線電車

また、実物車両の約1/80スケールの鉄道模型を係員が運転する巨大なジオラマ、本館連絡デッキでは、眼下に扇形車庫と蒸気機関車群を望むことができ、SL第2検修庫では、蒸気機関車の検査修繕作業を見学することができる。中でも、扇形車庫中央の転車台の上でダイナミックに方向転換する様子は必見である。

国産初の量産型蒸気機関車
展示の車両
鉄道ジオラマ

・参照:京都鉄道博物館:JR西日本https://www.westjr.co.jp/fan/kyotorailwaymuseum/
・参照:展示車両一覧 展示車両紹介 : 京都鉄道博物館https://www.kyotorailwaymuseum.jp/enjoying/watching/vehicle/list/

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♣ リニア・鉄道館  (JR東海)      

所在地愛知県名古屋市港区金城ふ頭3-2-2  Tel.052-389-6100
HP: (https://museum.jr-central.co.jp/)               

リニア・鉄道館

 → JR東海が伝導リニアをテーマとして2011年に開館した鉄道博物館。JRが計画中の超電導リニアをはじめ歴代の鉄道車両を展示している。そこでは、高速鉄道技術の進歩の紹介、鉄道が社会に与えた影響について模型などを通じて学習する場を提供することを目指している。館内の展示は、歴史的・技術的にも価値のある貴重な車両を一堂に集めた車両エリア、東海道新幹線沿線などの代表的な建物や情景を集めたジオラマ・コーナーのほか、超電導リニア展示室があり、超電導のしくみについて模型やCG映像を利用して、そのしくみや安全性などをわかりやすく解説していている。実物展示では、さまざまな最高速度記録を持つ車両、C62 17号機,955形新幹線試験電車(300X),MLX01形超電導リニアなどが展示されていて魅力にあふれている。

JR東海の歴史展示
新幹線を含む最新車両
超伝導リニアの展示

・参照:リニア・鉄道館 – Wikipedia
・参考:リニア・鉄道館に行ってきた – cloud9science @Wiki – atwikihttps://w.atwiki.jp/cloud9science/pages/204.html
・参照:リニア・鉄道館では・・・達人に訊け!:中日新聞Web https://plus.chunichi.co.jp/blog/ito/article/264/6651/

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♣ 山梨県立リニア見学センター                   

所在地:山梨県都留市小形山2381  Tel.0554-45-8121
HP:  (https://www.linear-museum.pref.yamanashi.jp/)          

リニア見学センターサイト

 → 山梨リニア実験線の走行試験に合わせて開館した見学施設。リニアの走行試験の見学のほか、超電導リニアやリニア新幹線の模型や展示物を見ることができる。高川山山麓に位置し、山梨リニア実験線および実験センターに隣接している。施設では、山梨リニア実験線でのL0系による走行試験およびリニアに関する知識や展示車両の見学ができる。リニアを動かす仕組みである超電導磁石の模型や、リニアの歴史年表の展示コーナーもある。最先端の鉄道技術を知るには最適。

実験中のリニア
リニアの検証室

・参考:リニア見学センターは大月おすすめスポット!(たびらい観光情報)https://www.tabirai.net/localinfo/article/article-14458/

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♣ 九州鉄道記念館    (JR九州)                       

所在地:福岡県北九州市門司区清滝2丁目3番29号  Tel.093-322-1006

HP:(http://www.k-rhm.jp/)    

九州鉄道記念館

 → 門司港レトロ地区にある鉄道の歴史を楽しみながら学べる記念館。明治時代建築の赤煉瓦つくりの本館には九州で運行された歴代機関車のほか、明治時代に九州で製作された車両などが多く展示されている。また、JR九州の運行する811系近郊型電車の運転台でシミュレーター運転操作、実際の路線風景も満喫できる。館内の鉄道大パノラマでは門司港駅・博多駅からの列車の映像を使った解説もされている。屋外には、鉄道ミニ公園のほか、車両展示場がありJR九州歴代の実物車両(8車両)が展示されている。

JR九州の歴史展示
JR九州の鉄道車両
九州鉄道ジオラマ

・参考:九州鉄道記念館-観光スポット/門司港レトロインフォhttps://www.mojiko.info/spot/tetudo.html

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♣ 小樽市総合博物館〔本館〕 

所在地:小樽市手宮1丁目3番6号 Tel. 0134-33-2523
HP: (https://otaru.gr.jp/shop/otarumuseum_mainbuilding)   

小樽博物館の建つ同コーナー

 → 小樽市総合博物館本館には、蒸気機関車「しづか号」をはじめ、北海道を代表する50両もの鉄道車両が保存・展示されている。また、常設展示として北海道鉄道の歴史が紹介されている。鉄道のゾーンは旧小樽交通記念館(2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足している。

・参照:小樽市総合博物館 – Wikipedia  

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♣ 貨物鉄道博物館( 三岐鉄道) 

三岐鉄道・貨物博物館

所在地:三重県四日市市富田3丁目22-83 三岐鉄道株式会社内  Tel. 059-364-2141
HP: (http://frm.kans.jp/

展示車両

 → 貨物鉄道を専門とする博物館。鉄道による貨物輸送が、1873年(明治6)年に始まって以来2003年(平成15)130 周年を迎えるのを記念して誕生した。貨物関係の資料類、各種貨車の部品など珍しいものが展示されている。

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(私鉄等の運営する鉄道博物館など)

♣ 東武博物館(東武鉄道)   

所在地:東京都墨田区東向島四丁目28番16号
HP:  (https://www.tobu.co.jp/museum/)  

東武博物館入口

 → 東武鉄道の創立90周年を記念して1989(平成元)年に誕生した鉄道博物館。ここでは、身近な交通機関である鉄道やバスに親しみをもってもらえるよう、館内を8つのコーナーに分けて構成している。東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介するコーナー、ダイナミックな蒸気機関車をはじめ、実物車両や記念物などの貴重な資料を展示するコーナー、交通のしくみを実際に体感できるようシミュレータや実物機器を設置したコーナーなどがある。また、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できるコーナーも設けられている。2009(平成21)には展示車両の追加や展示物の更新等を行い、リニューアルオープンしている。

目玉展示の動く蒸気機関車
東武の歴史と車両
スカイツリーもある鉄道ジオラマ

・参考:東武博物館 – Wikipedia

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♣ 小田急鉄道資料館(ロマンスカー・ミュジアム)

所在地:神奈川県海老名市めぐみ町1-3
HP: (https://www.odakyu.jp/romancecarmuseum/)    

小田急鉄道資料

 → 閉鎖された旧小田急鉄道資料館の蹟を受けて19年ぶりに設置された小田急の鉄道資料館。特急ロマンスカーの歴代車両を展示するほか、新宿-箱根湯本間の沿線を再現したジオラマなどを展示し、運転シミュレーターも体験できる。これまで線内各所の車両基地に保管されていた各種の保存車両も移設している。

ロマンスカー展示
鉄道ジオラマ

・参照:ロマンスカーミュージアム – Wikipedia

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♣ 京王れーるランド (京王電鉄)     

所在地:東京都日野市程久保3丁目36-39
HP: (https://www.keio-rail-land.jp/

京王れーるランド

 → 多摩動物公園駅に隣接し京王電鉄が運営する鉄道資料館。「京王の電車・バス100周年記念事業」の一環として、2013年にリニューアルオープンした。館内には京王電鉄の電車のNゲージ鉄道模型を運転できるジオラマ、京王電鉄・京王バスの保存車両や資料などが展示されている。施設は家族連れを主な対象とした屋外車両展示場を含む2階建ての施設になっている。

京王の車両展示
車両カットモデル
鉄道ジオラマ

・参照:京王れーるランド – Wikipedia

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♣ 京急ミュージアム(横浜)   

所在地:神奈川県横浜市西区高島1-2-8
HP: (https://www.keikyu.co.jp/museum/)

京急本社一階にある京急ミュージアム

 → 京急ミュージアム(KEIKYU MUSEUM)は2020年に開設された京急の歴史博物館。。京急の創立120周年記念事業の一環として整備された。昭和初期に使われていた保存車両(デハ230形・デハ236号)などを展示するほか、沿線のジオラマ、鉄道シミュレーターなどのコンテンツを配備している。

・参照:京急グループ本社 – Wikipedia

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♣ 電車とバスの博物館 (東急電鉄)     

所在地:神奈川県川崎市宮前区宮崎二丁目 Tel. 044-861-6787
HP: (https://denbus.jp/)  

電車とバスの博物館

 → 電車とバスの博物館は東急電鉄が運営する鉄道保存展示施設。玉電(デハ200形)などの東急線の旧型車両や、電車・バスの運転および飛行機の操縦体験シミュレーターなどの展示をしてる。その他にも、「安全運行システム」を解説した模型運転コーナーやパノラマシアターなど大人からこどもまで楽しみながら鉄道を知ることができる博物館となっている。

東急電車・バス一覧
東急電車
東急バス

・参照:電車とバスの博物館 (アイエム・インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/museum/2775

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♣ 地下鉄博物館 (東京メトロ)                     

所在地:東京都江戸川区東葛西六丁目3番1号  Tel.03-3878-5011
HP: (https://www.chikahaku.jp/)    
・参考:東京メトロの「地下鉄博物館」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-tokyo-metro-subway-museum-jj/

地下鉄博物館 (東京メトロ) 

 → 東京メトロの運営する地下鉄専門の特色ある博物館。地下鉄東西線の葛西駅に隣接して1989年に設立された。博物館では、車両の実物、モデルで多数展示して、日本、特に東京で地下鉄がどのように発展してきたかのかを紹介している。また、地下鉄車両・駆動システムの変遷、地下工事の仕組み、制御システムや運行システムのあり方なども実際の装置やシミュレーションモデルなどで詳しく解説している。特に、多くの展示物は、実際に触れ操作を体験できることにも特色があり、訪問者には人気の施設である。

地下鉄車両の構造がわかる展示
丸ノ内線と銀座線展示
シールド工法の展示
地下掘削マシーンの展示
地下空間の地下鉄網展示

・参照:館内案内|地下鉄博物館(ちかはく)https://www.chikahaku.jp/facilities/
・参考:早川徳次 (東京地下鉄道) – Wikipedia

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(参考資料> 日本国各地方の鉄道関係博物館

→ 日本では鉄道関係の博物館・資料館は紹介しきれないほど非常に数多く存在する。日本ではじめて鉄道開設されてから150年あまりになるが、以下に鉄道が社会インフラとして身近な存在になってきているかを示すものであろう。上記はこのうちほんの僅か名ものに過ぎない。これを踏まえ、国内各地のの鉄道博物館を鉄道博物館の一覧 – Wikipedia を参照しつつ添付資料として掲げてみた。ここでは日本国内の鉄道に関する展示・保存を行う鉄道関連施設・博物館を地域別の形で記したもの。

(北海道)

(東北地方)

(関東地方)

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(中部地方

(近畿地方)

中国地方)

(四国地方)

(九州地方)

(以上)

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お酒の博物館ー日本酒の魅力ー(食と農の博物館)(6)

(日本酒を中心とした博物館の紹介)

 日本のお酒づくり文化(「伝統的酒造り」)が、今年、ユネスコ無形文化遺産に指定された。伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術が日本の優れたものづくりだと世界的にも評価されたことを示す。国内の飲料では、ビールなどに比べて消費が伸び悩んでいるとはいえ、根強い人気と味の良さを誇る日本酒は幅広い人気を保っている。最近では、日本食の普及もあって海外でも「SAKE」と知られ好まれるようになった。今回の博物館紹介では、この日本酒の資料館、博物館を紹介してみた。 特に、日本酒近代化の歩み、京阪神、広島、新潟など酒どころの酒造メーカーの施設、その歴史、特色、酒の技術集団「杜氏」などについて、その概要を考察してみた。
・参照:「伝統的酒造り」ユネスコ無形文化遺産へhttps://note.com/koji_sakezukuri/n/nd7bb490e54aa

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♣ 旧醸造試験所・赤煉瓦酒造工場(史跡)

所在地:東京都北区滝野川2-6-30 Tel. 03-3創設さ910-3853
HP: https://www.jozo.or.jp/redbrick/
・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」を見学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/

赤煉瓦の工場外観

 → 大蔵省が1904年(明治37)、日本の酒造りの近代化と酒類産業発展に貢献するため設立した清酒醸造試験工場跡。史跡となった赤煉瓦の建屋は重要文化財となっている。内部は当時の姿をとどめるボイラー室、原料処理室、旧麹室、清酒の近代化製法を普及させるため作られた研修工場で、明治以降の日本の酒づくりを支えた重要施設であった。建物の一階部分は、現在、見学者や研修のために使われている広いボイラー室と原料処理室、旧麹室、発酵室が整然と配置されている。二階部分は、酒の仕込みに使うタンクを置いた醸造室と麹づくりの麹室、地下階には温度調節された貯蔵室がある。また、貯蔵室内には、現在、「酒造100年プロジェクト」という日本酒の熟成に関する実験コーナーも設けられていて目をひく。旧麹室内には、昭和初期まで行われていた「酒造」講習の様子を示す写真パネルも用意されている。建築学的にも貴重な長手煉瓦のアーチとボールド天井、耐火床、外壁のドイツ積みと内部のイギリス積み煉瓦の組合せもみえ歴史を感じさせる。日本では珍しい白色施釉煉瓦の旧麹室は、日本酒の性質をよく考えた施工であるとの評価が高いようだ。ドイツのビール工場をモデルといわれるが、明治の建築家妻木頼黄が工夫をこらして設計したものと伝えられている.

白色施釉煉瓦の旧麹室
赤煉瓦の回廊
地下の”100年”酒造庫

・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/ より

♣ 独立行政法人酒類総合研究所

所在地:広島県東広島市鏡山3-7-1   Tel. 082-420-0800
HP: https://www.nrib.go.jp/

現在の「酒類総合研究所」

 → 上記醸造試験所の後を受けて、2001年に酒類に関する研究機関として設立された政府機関。酒類醸造に関する調査研究、講習、受託試験などを行っている。関連機関として、日本醸造協会酒文化研究所がある。設立の目的は、酒税の適正かつ公平な賦課の実現を図ること、酒類業の健全な発達を図ること、酒類に対する国民の認識を高めること、酒類醸造に関する研究などの活動とされ、今後の酒類業の発展と豊かな国民生活に貢献し、合わせて酒類先端技術の発信基地としてライフサイエンスの発展を図ることとしている。現在、研究活動のほか全国新酒鑑評会を開催なども開催している。
・参照:酒類総合研究所 – Wikipedia

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♣ 日本の酒情報館(日本酒造組合中央会)

所在地:東京都港区西新橋1-6-15 日本酒造虎ノ門ビル1F     Tel. 03-3519-2091
HP: https://japansake.or.jp/JSScenter/aboutus/

酒情報館の建物

 → 全国酒造業者の中央組織「日本酒造組合中央会」が運営する日本酒の広報・情報提供施設。県別の会員名簿も公開されていて酒造業者の全容がわかる。展示室には。全国各地の清酒・本格焼酎・泡盛の原材料や麹の実物見本、櫂棒や半切り桶と呼ばれる酒造りの道具、全国各地の特色ある酒器などを展示している。館内には2台のTVモニターと2台のプロジェクターが設置されており、お酒に関する様々な映像コンテンツを放映している。また、大吟醸酒・純米吟醸酒・純米酒・古酒・スパークリング清酒・貴醸酒など、全国各地の様々なタイプの日本酒、芋・麦・米・黒糖などの本格焼酎や泡盛、そして酒蔵の造る様々な果実のリキュールを試飲できるという。

映像の解説
各地の酒展示
酒醸の造具などの展示

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(近畿京阪神地区のお酒の博物館)― 酒どころ伊丹、伏見、灘などー

♣ 丹波杜氏酒造記念館(兵庫)

所在地:兵庫県丹波篠山市東新町1-5  Tel. 079-552-0003
HP: https://tourism.sasayama.jp/association/2013/01/post-58.html

丹波杜氏酒造記念館

 → 酒造りの名匠といわれる“丹波杜氏”の酒造記念館。館内では、酒造技術の近代化によって失われつつある昔ながらの酒造りの工程をはじめ、酒造道具や資料などが展示されている。丹波杜氏の由緒などの資料もあり、過酷な条件の中で腕を磨いてきた杜氏たちの歴史や、昔ながらの手作りでの酒の醸造過程をじっくりと見学することができる。

杜氏達の集まり
丹波の酒樽

(丹波杜氏とは?)

丹波杜氏の碑

 丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ、1755年(宝歴5年)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされている。江戸時代には、伊丹や池田に出稼ぎし、「剣菱」や「男山」などの伊丹の酒は、丹波杜氏の造り出す銘酒といわれ、今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作ったとされる。
 なお、「杜氏」とは、酒造の責任者を示す役職名で、「日本山海名産図鑑」には、その名の由来を「酒工の長なり。また、おやじとも云う。・・・」とも記され、この中でも、丹波杜氏は長年の勤勉と信頼によって築いてきたームワークのすばらしさを財産としてきたとの評価が高い。
 ・参考:蔵元紹介 | 丹波杜氏酒造記念館https://www.toji.sasayama.jp/introduction/

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♣ 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム(小西酒造)

兵庫県伊丹市中央3丁目4番15号 Tel. 072-775-3571
HP: https://www.konishi.co.jp/choujugura/
小西酒造HP: https://www.konishi.co.jp/

長寿蔵ミュージアム

 → ブルワリーミュージアムは、1995年に開館した小西酒造の「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」内にある日本酒とビールの博物館。施設は江戸時代建築の酒蔵を再生利用している。「日本の酒」ゾーンでは杜氏や蔵人が使用した古来の酒作りの道具200余点を展示するとともに、日本酒の歴史、清酒発祥の地である伊丹の酒造りの歴史等の紹介、「白雪の時空舞台-マジカル・シーン・ビジョン」ゾーンでは400年以上の歴史を有する「白雪」の伝統的な酒造りの手法を立体映像として鑑賞することができる。
 「ミュージアムライブラリー」ゾーンでは、日本酒や地ビール、ベルギービールのライブラリを閲覧することができる。なお、長寿蔵は清酒発祥の地・伊丹の歴史の中での酒づくりの様子をうかがえうことのできる貴重な蔵元施設である。

小西の酒・白雪
展示品情景
展示の酒樽
酒の貯蔵

(白雪の由来と小西酒造)

 小西酒造は、1550年(天文19年)に創業した老舗の酒造会社。大倉治右衛門により酒屋「笠置屋」として創業している。清酒「白雪」(「雪」のロゴ文字で「ヨ」の真ん中の横線は、右に突き出ている)の醸造元であり、現在では、清酒の製造のみならず、ビールの醸造、輸入酒の販売もおこなっている。江戸時代の文禄 – 元禄期ごろの伊丹地方は上方酒造業の中心で多くの酒造業者が集積しており、小西酒造もそのころを起源としている。初代は薬屋新右衛門。「新右衛門」の名は現代まで続く名跡となっており、2020年には創業470年の節目を機に、当代の社長が15代小西新右衛門を襲名している。元禄期には江戸の日本橋に”下り”問屋を開設、江戸における下り酒の販路を確立、さらに17世紀後半から18世紀にかけて、伝法・安治川で廻船問屋を始めた。このように、生産から流通・販売まで一手に扱うシステムを同族によって確立していたことが小西酒造の特徴であるといわれる。また、酒造業だけでなく、惣宿老として伊丹郷町の政治・経済・文化にも深く関わった記録がある。このため、小西家に伝わる大量の文書や資料は、酒造業や伊丹の歴史を研究する上で貴重な資料(小西新右衛門氏文書)となっている。1995年には、 阪神・淡路大震災により本社と西宮工場が被災したが、「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」をオープンしている。

・参照:小西酒造 – Wikipedia
・参照:小西酒造の歴史と白雪のあゆみ since 1550( https://www.konishi.co.jp/history/)
・参照:酒造史を伝える江戸時代の遺構(小西酒造)http://www13.plala.or.jp/adachiitami/newpage6.html
・参考:「ぶらりあるきお酒の博物館」中村浩(芙蓉書房)

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♣ 月桂冠大倉記念館(伏見)   

所在地:京都市伏見区南浜町247番地  Tel.075-623-2056
HP: https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/

月桂冠大倉記念館入口

 → 大倉記念館は明治に作られた酒蔵を活用し、昔ながらの酒造りの工程を再現したお酒の博物館。日本有数の酒どころとして知られる京都・伏見で活躍してきた月桂冠の1637年創業以来の歴史と酒文化を示す貴重な史料も展示している。館の見学では、長年にわたり積み重ねてきた伝統の技と、伏見の自然により育まれた地下水を用いて醸した日本酒の姿を観察できる。エントランスでは、米の洗い場、米松の梁による小屋組み天井など昔ながらの酒蔵の風情、ホールでは、日本酒の伝統的な製造工程の映像、南展示室では月桂冠創業からの挑戦と創造の歴史、北展示室では木桶、酒樽、櫂など酒造用具類を展示している。これらは京都市有形民俗文化財に指定されている。さらに、現在非公開であるが、月桂冠内蔵酒造場では、1906(明治39)年建造の内蔵酒造場で但馬流の杜氏が昔ながらの手法で酒を醸しているのがみられる。

エントランス
酒造り道具の展示
昔ながらの酒造り (非公開)

(月桂冠の特徴と歴史)

大倉恒吉
南展示室・史料室

 月桂冠の酒造りの歴史は古く1637年に創業している。 創業者大倉治右衛門が酒屋「笠置屋」として創業し、「玉泉(たまのいずみ)」の銘柄で酒を発売したのがはじまりである。江戸時代を通して酒業を続けるが、1867年の鳥羽・伏見の戦いで酒蔵などが被害を受けるが、からくも廃業を免れた。そして、1905年(明治38年)に11代目の大倉恒吉が“月桂冠”を銘柄名として採用し、これが後の企業名になっている。明治時代以降には全国的な清酒メーカーとして全国展開し、灘の白鶴酒造とともに日本最大の酒造メーカーとなっている。戦後は、業界に先駆けて一年を通して醸造可能な「四季醸造蔵」を建設し、大量の酒を供給することも成功した。「酒を科学する」が基本理念の一つで、業界に先駆けて「月桂冠総合研究所」(1909)年)を設立している。近年は本業の日本酒製造のほか、焼酎の製造と販売、ビール、ワイン、食品などの販売、日本酒を利用した化粧品や入浴剤などの販売もしている。一部で杜氏を中心とした伝統的醸造も手掛けており、常勤の杜氏が大量醸造で競争力のある製品も製造し、全国新酒鑑評会やモンドセレクションでたびたび金賞を獲得している。

「月桂冠」酒銘 (1905)
明治期の月桂冠酒蔵
月桂冠北蔵(大正期)

・参照:昔ながらの酒造りー月桂冠大倉記念館 https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/sakebrewery/
・参照:月桂冠 中興の祖・大倉恒吉物語 https://www.gekkeikan.co.jp/company/biography_11th/
・参照:月桂冠 (企業) – Wikipedia

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♣ 黄桜記念館(伏見)             

所在地:京都市伏見区塩屋町228  Tel.075-611-9919
HP: https://kizakura.co.jp/restaurant/country/memorial/index.html

黄桜記念館

→ 黄桜記念館は、伏見の酒造メーカー「黄桜」の歩みを紹介すると共に、昔の酒造りの工程、道具など日本酒製作に関する資料を展示する記念館である。また、黄桜のイメージキャラクターとなっている河童に関する起源や伝承を展示する珍しい博物館(河童資料館)も内部に併設している。社名の由来は、社長であった松本氏が黄桜の花(サトザクラの一種で淡く緑色がかった白い花)を好んだことから命名、また、清水崑が描く河童を長期にわたりマスコットとしていることでも知られる。記念館全体は「キザクラ・カッパカントリー」と呼ばれており、酒造資料館、河童資料館のほか、醸造現場が見学できる「伏水蔵」も設けられている。

河童資料館
伏水蔵

 館内の資料展示スペースでは、酒造りの工程と黄桜酒造の歴史についての展示とビデオ上映があり、次のジオラマ劇場「昔の酒づくり」では洗米、蒸米、放冷、麹づくり、翫づくり、もろみづくり、上槽(搾り)の七つの工程がコンパクトに解説されている。また、道具展示では、鬼棒、棒擢、試桶、にない桶、小判桶、盛枡、水樽、麹蓋といった珍しい酒造り用具が丁寧に置かれている(参照*)。伏見・黄桜の酒造り工程が用具からもうかがえる内容の展示であろう。

酒造りの道具展示
ジオラマ「昔の酒づくり」
ジオラマ酒造り情景
清水崑の黄桜CM
松本社長

 ちなみに、黄桜は伏見の酒造業者としては比較的新しく、1925年に伏見の蔵元・澤屋(現:松本酒造)の分家として創業した酒造メーカーである。1951年には法人化し「松本冶六郎商店」を名乗り、1964年に 黄桜酒造株式会社に社名変更して現在に至っている。現社長の松本真治氏は「業界内での後発メーカーという立場を活かし、「独創的な発想」と「斬新な行動」で、業界では先駆けて行ったテレビCMや、概念にとらわれない商品開発などでお客様の支持を得てきました。」と述べている。

・参照:黄桜 伏水蔵(ふしみぐら)https://kizakura.co.jp/husimigura/index.html
・参照:会社概要|黄桜株式会社https://kizakura.co.jp/company/profile.html
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「黄桜」の節から引用

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♣ 菊正宗酒造記念館(灘六郷) 

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎西町1-9-1  Tel. 078-854-1029
HP: https://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/

菊正宗酒造記念館

 → 現菊正宗酒造記念館は、阪神淡路大震災で倒壊した旧酒造記念館を再建し、1999年に新たな施設として建設した酒造博物館である。旧酒造記念館は、江戸初期の1659年(万治2年)神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられていた酒蔵を酒造記念館としたもの。館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類など多数があり、酒造りの歴史を今日に伝える貴重な資料館であった。しかし、震災のため建物は倒壊して使用不可能となってしまう。ただ不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は残っいた。これらをがれきの下から一点一点丁寧に手作業で拾い出して再建し新しい酒造記念館としてオープンすることになった。現在、年間10万人以上の来館者があるという。

「菊正宗」の看板
釜場展示
槽場展示
麹作業の再現

 展示室入口には大きい注連縄と杉玉、宮水の運搬に用いた大榔、酒を運んだ樽廻船や千石船の模型が置かれている。また、壁面には年表のパネル展示や「菊正宗」の看板が掛けられ、その下には円筒形の白磁製樽形瓶が置かれている(参照*)。酒造展示室の展示は、ほぼ全てが「国指定重要有形民俗文化財」となっている。酒造用具を通じて、蔵人たちの仕事や生活、伝承の生酛造りが体感できる。利き酒コーナーでは、加熱処理を行っていない「生原酒」をはじめ、その季節のお酒などの試飲ができる。(画像refer:https://www.hyogo-tourism.jp/review/221

・参照:菊正宗について|菊正宗~灘から世界へhttps://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/floor.html
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「菊正宗」の節
・参照:灘の酒造りの魅力を紐解く。老舗酒造「菊正宗酒造記念館」へ(兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ | )https://www.hyogo-tourism.jp/review/221

(菊正宗の由来と歴史)

菊正宗の「下り酒」舟

 菊正宗の歴史をたどると、1659年(万治2年)、徳川四代将軍家綱の時代。材木商として活躍していた嘉納治郎太夫宗徳が、当時、先端の製造業であった酒造業に手を広げ、本宅敷地内に酒蔵を建て酒造業を本格的に開始したのがはじまりとなっている。18世紀、江戸送りのいわゆる「下り酒」の人気が高まると、本嘉納家は酒のほとんどを高品質の“下り酒”として江戸に供給、江戸っ子の人気を得ている。
  六甲山系の自然の恵みを丹波杜氏の職人技で醸した辛口酒を遠くは松前(北海道)まではこんだという。こうして、本嘉納家は文化・文政の数十年で石高を約3倍に増やし、幕府の御用商人ともいえる立場を確立していくことになる。

秋香翁

 明治19年(1886年)には「菊正宗」ブランドを商標登録、海外への積極的な輸出や宮内省御用達拝命などを得て発展の基盤をかためた。また、明治22年(1889年)には、本嘉納家8代目秋香翁がドイツから顕微鏡を購入して研究、技術者を招聘するなど酒づくりの近代化を進めている。また、断熱効果を高めたレンガの酒蔵やビン詰め工場など最新鋭の設備投資を行い、業界に先駆けた技術改善を敢行して「近代醸造」への足がかりを築いていく。昭和20年、阪神間をおそった爆撃によって菊正宗も大部分の蔵を焼失するが奇跡の復興を遂げる。1988年には、業界で初めて主力商品の全てを本醸造化するなど、品質本位の姿勢を貫いている。現在、菊正宗酒造で新ブランド「百黙」を発表し、国外へ輸出展開も図りつつあるようだ。

菊正宗のラインアップ
新ブランド百黙
「百黙]のポップアップ

・参照:菊正宗の歴史|菊正宗酒造~灘から世界へ。https://www.kikumasamune.co.jp/profile/history.html
・参照:菊正宗の歴史 https://www.kikumasamune.co.jp/about/

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♣ 沢の鶴資料館(灘)”

所在地:兵庫県神戸市灘区大石南町1-29-1 Tel. 078-882-7788
HP: https://www.sawanotsuru.co.jp/site/company/siryokan/

沢の鶴資料館

 → 江戸時代末期に建造された大石蔵を改造して資料館として公開したのが「昔の酒蔵」沢の鶴資料館。創業300年を誇る沢の鶴の貴重な酒造りの道具や灘酒の伝統文化の姿を展示している。資料館の魅力として強調されているのが、「昔の酒造り工程の追体験」、「酒造りの貴重な遺構(重要文化財)」、「復興再建された“昔の酒蔵」だという。
 展示では、洗米作業をした洗い場や火入れに使った釜、上方から江戸へ酒を運んだ「樽廻船」や「菱垣廻船」の模型、「麹室」、天保10年と記された棟梁、発掘作業により発見された地下構造の「槽場(ふなば)」跡など、重要有形民俗文化財となっているものも多い。

入口の杉玉と酒樽
酒造りの作業場
「下り酒」模型
創業時の銘
昔の杜氏による酒造り絵

 ちなみに、沢の鶴は、江戸時代の享保2年、米屋を営んでいた初代米屋喜兵衛が「※」(米印)のマークを掲げ、灘・西郷で酒を作り始めたのが創業の契機となった。「沢の鶴」と名付けたのは、古事記により、神が「真っ白な鶴が実った稲穂をくわえ鳴いている」の愛で酒を醸させたとの縁起によったとされている。 江戸時代に「丹波杜氏」が酒醸技を発揮、「灘本流の酒造り」を定立して“沢の鶴”の酒を造り出し、江戸に“下り酒」を売り出して現在の酒造業の基礎を築いた。明治になり、1885年に澤之鶴」を商標登録、1964年に沢の鶴株式会社に社名変更している。1991年に創業時から使われてきた※印を変更し、鶴の羽を模った現行のものに変更している。特色としては「純米酒」にこだわった酒造りといわれている。純米大吟醸「鶴の舞」、「瑞兆」、特撰吟醸「瑞兆」、特別純米酒「山田錦」がある。

・参照:沢の鶴 – Wikipediaなど

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♣ 白鹿記念酒造博物館・酒ミュージアム(灘五郷) 

所在地:兵庫県西宮市鞍掛町8-21  Tel.0798-33-0008
HP: https://sake-museum.jp/

白鹿記念酒造博物館

 → 「酒ミュージアム」の愛称で親しまれる白鹿記念酒造博物館は、西宮の酒文化を伝える博物館として1982年に開館。西宮市は、六甲山と瀬戸内海に囲まれた日本一の酒どころ「灘五郷」の東部に位置しており、江戸時代より清酒造りで繁栄していた。この背景を踏まえ、酒のまちの景観を彩る酒蔵をそのまま利用した博物館となっている。ミュージアムは「記念館」と「酒蔵館」の二棟で構成され、古くから酒造業を営んでいた旧辰馬本家酒造本蔵、釜場遺構、古文書史料、灘の酒造用具一式などを保存・展示している。また、西宮市から委託された「酒」と「さくら」の博物館(笹部さくらコレクション)を持つことでも知られる。

酒造りの作業場
酒造りの道具展示
酒造りの作業模型

 「記念館」の中には酒資料室、企画展示室があり、それぞれ古文書や古写真といった歴史資料から、日本画や酒器、酒造家辰馬家が収集した美術品や節句の人形等か展示されている。これとは別棟の「酒蔵館」は、1869年(明治2年)に建てられた旧辰馬本家酒造の本蔵となっており、この歴史的建造物の中で白鹿の伝統的な酒造工程が見学できるほか、酒造りの映像・酒造り唄の視聴や多様な酒造道具にも触れることができる。

(白鹿の由来と歴史)

白鹿の由来
白鹿酒造の酒ラインアップ

 ちなみに、「白鹿」の名前は、長生を祈る中国の神仙思想に由来するという。自然の大いなる生命の気と、日々の楽しみと、長寿の願いが込められていることから、創業家が商標としたと伝えられている。この白鹿の創業は1665年、初代辰屋(辰馬家の当時の屋号)吉左衛門が自家の井戸水があまりに清冽甘美であったことに感服し、これを利用した酒造りを決意したことが起源という。江戸時代中期、灘の「下り酒」、中でも白鹿の酒は“灘の銘酒”として不動の地位を確立、樽廻船による江戸積から連鎖して回漕業や金融業も起こしている。明治以後も全国一の醸造高を記録するまでに発展する。1920年には丹波杜氏・梅田多三郎によって新醸造に成功、高級酒「黒松白鹿」を誕生させている。また、1993年には「六光蔵」を発表し銘酒づくりの道を歩んでいる。

・参照:白鹿の歩みhttps://www.hakushika.co.jp/company/history.php

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♣ 白鶴酒造資料館(灘五郷) 

所在地:兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5  Tel.078-822-8907
HP: https://www.hakutsuru.co.jp/community/shiryo/

白鶴酒造資料館

 → 白鶴酒造資料館は、昭和40年代中頃まで実際に清酒醸造に使われていた本店壱号蔵を改造して開設された酒造博物館。内部は昔ながらの酒造工程をそのまま保存し、作業内容を再現している。内部は、等身大の人形を配置するなど、清酒の生まれるまでを立体的にわかりやすく展示している。展示では、洗米、蒸し米、酛仕込み、醪仕込み・醪出し、上槽、滓引き火入れ、樽詰め、酒の醸造過程に沿って丁寧に解説がなされている。利き酒コーナーもあり、白鶴の味を楽しむことができる。

(白鶴の由来と歴史)

白鶴の酒銘柄

 商標を白鶴としたのは、「鶴」の飛態が瑞兆をイメージ”してのこと、その後、模倣品が現れたことから「白」をつけ「白鶴」としたという。白鶴は、1742年に材木屋治兵衛が酒造業を創立、1747年に銘酒を「白鶴」としたのが起源という。明治後の1897年に嘉納合名会社に改組し、1947年、嘉納合名会社と昭和酒造が合併し、白鶴酒造株式会社」となっている。この間、1869年大阪横堀に嘉納直売店を開業している。戦災と大震災により大きな被害を受けるが、それを乗り越えて躍進し、1964年に四季醸造工場建設、1930年代の「山田錦」のほか2007年 独自開発酒米「白鶴錦」なども開発している。

・参照:白鶴のあゆみ(白鶴酒造株式会社)https://www.hakutsuru.co.jp/community/history/
・参照:兵庫の日本酒(白鶴(はくつる))https://tanoshiiosake.jp/5926

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♣ 櫻正宗記念館「櫻宴」(灘五郷)

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4-3-18 Tel. 078-436-3030
HP: https://www.sakuramasamune.co.jp/sakuraen/sakuraen_index.html

櫻正宗記念館「櫻宴」

 → 櫻正宗記念「櫻宴」は、1998年、創業300年の歴史を記録し、地元魚崎地域活性化に貢献する目的を持って開設したもの。昔からの酒造りの工程を収めた貴重なVTRの上映から、櫻正宗創醸400年の歴史を物語る酒造道具、 昔懐かしい看板や酒瓶やラベルなどを展示している。中でも、大正末期の櫻正宗の木造蔵で酒造りの様子を記録した貴重な映像、精米所、洗米、宮水積み込み、宮水井戸場、麹室とこもみ作業、甑取り、すり、麹室、仕込み(宮水)、仕込みなどが写真、パネルで紹介されている。(参照**)

「櫻宴」の内部
酒造りの道具など展示

(櫻正宗の概要と沿革)

江戸の正宗

 櫻正宗は、灘五郷の一つで、灘・魚崎郷に本拠を構える老舗酒造。1625年(寛永2年)創業者初代山邑太左衛門が、兵庫県荒牧村(現・伊丹市)で酒造りを始め、1717年(享保2年)に魚崎へ移転して酒造専業者となる(「創業」)。創業以来当主は代々山邑太左衛門を襲名している。明治になって、1906年(明治39年)に官立醸造試験所の技師高橋偵造によって櫻正宗酒母から分離された櫻正宗酵母が日本醸造協会より“協会一号酵母”として全国に頒布されたとの記録もある。江戸時代末期に現在の神戸に移転している。築後200年の内蔵は庫県重要有形文化財となっている。阪神・淡路大震災で門以外全ての建物が倒壊し、現在は、新しい櫻喜蔵で製造を行っている。倒壊を免れた内蔵の門は現在記念館の入り口となっている。
 商標菊正宗は、江戸時代「正宗(セイシュウ)」が「清酒(セイシュ)」に語音が通じる事から「正宗」を酒銘としていたが、明治になり、”正宗”が普通名詞として扱われたため、国花である櫻花一輪を冠し「櫻正宗」と名付けられたという。

・参照:櫻正宗 – Wikipedia
・参照:酒蔵の軌跡(櫻正宗)https://www.sakuramasamune.co.jp/history/
・参照**:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節

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♣ 白鷹禄水苑・白鷹集古館(兵庫県西宮市)

所在地:兵庫県西宮市鞍掛町5-1  Tel:0798-39-0235
HP: https://hakutaka.jp/shop.html
HP: https://hakutaka.jp/blog/article.html?page=14 (白鷹集古館)

白鷹禄水苑外観

 → 禄水苑は、白鷹の蔵元・北辰馬家の住居の姿を再現した博物館兼店舗である。施設内には、蔵元・北辰馬家の暮らしぶりを示す「暮らしの展示室」、レストラン、ショップ、酒造りの歴史を記す白鷹集古館、白鷹の工場が配置されている。このうち集古館が白鶴の酒資料館となっており、白鷹における酒造りの歴史が紹介されているほか、昔ながらの酒造り道具や酒器・伊勢神宮酒器、樽回船として酒を江戸などに運んだ帆船の模型などが展示されている。また、白鷹が伊勢神宮の御料酒となったことから来伊勢神宮との関係は深く、伊勢神宮からの感謝状や下賜記念品が数多く展示されている。

白鷹集古館内部
伊勢神宮酒器、帆船の展示など
白鷹の歴史展示

 ちなみに、1862年(文久2年)、初代辰馬悦蔵が西宮に酒造業を興したのが白鷹酒造の始まりとされる。白鷹は、その後、明治後の1877年に東京で開催された第一回内国勧業博覧会に出品し受賞したのをはじめ、パリ万国博覧会や多数の海外の博覧会に出品し受賞を重ねた。1924年には伊勢神宮の御料酒に選ばれている。太平洋戦争で木造蔵は全滅するが、焼け残った北店蔵と辰馬本家酒造の本職を借り受け、1945年中には早くも醗造を再開している。「白鷹」という酒名は、百烏の王である鷹、なかでも白い鷹は千年に一度現れる王者の風格と気品を持つ霊烏といわれるところからきているようだ。

・参照:白鷹禄水苑 – Wikipedia
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「白鷹禄水苑」の節

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♣ 神戸酒心館・福寿蔵(灘の御影郷)

所在地:神戸市東灘区御影塚町1-8-1  Tel. 078-841-1121
HP: https://www.shushinkan.co.jp/

神戸酒心館・福寿蔵

 → 神戸酒心館は、日本酒「福寿」の醸造元であり、醸造蔵を含む4つの蔵からなる複合施設。敷地内には、お酒を造る「福寿蔵」、醸したお酒を提供する蔵元ショップ「東明蔵」、「蔵の料亭 さかばやし(水明蔵)」、お酒とともに落語や音楽コンサートが楽しめる多目的ホール「酒心館ホール(豊明蔵)」がある。福寿蔵は見学施設となっており、映像ルームで福寿のコメづくりの産地などの映像が紹介されているほか、福寿の代表的な製品、窓越しに工場のステンレスタンクの様子が観察できる。

福寿蔵の展示場
福寿のお酒

「福寿」は1751年(宝暦元年)灘の御影郷で酒造りを始め現在に至っている。『福寿」という酒銘は七福神の福禄寿に由来、お酒により財運がもたらされるようにという願いから名付けられたという。生産量よりもおいしさを極めるため、手造りで丁寧な酒造りを行っているという。麹は今でも全並手造り、蒸しコメは甑を用いて、仕込みごとの個性を大切にしコメのうまみを引き出したお酒づくりをめざしているという。『福寿」という酒銘は、七福神の福禄寿に由来しており、この酒を飲む人に財迩がもたらされるようにという願いが込められている。

・参照:福寿の酒蔵について~これまでの歩み~(神戸酒心館https://www.shushinkan.co.jp/news/
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「福寿」の節

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♣ 小山本家酒造灘浜福鶴(酒造り体験工房空間吟醸工房)

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4丁目4番6号 Tel:078-411-8339
HP: https://www.hamafukutsuru.co.jp/

小山本家酒造灘浜福鶴

 →「醸工房」は、1996年、日本酒造りの伝統文化を広く社会に伝えていきたいとの思いから開設。ガラス張りで酒造りの工程を見学できる設備をそなえてオープンしてる。四季を通じて、リアルタイムで酒造りを見られるところが特徴となっている。「浜福鶴」は初代小山屋又兵衛が、灘、伏見で酒造技術を習得したのち、1808年(文化5年)に現在の埼玉県で酒造業を創業したのがはじまりとされる。そして、明治初期(1900年頃)から現地点で酒造りをはじめ、当時は「大世界」という銘柄でその名を馳せたという。その後、昭和の大戦時に国の企業整備があり、終戦後の1950年(昭和25年)に「福鶴」を名乗り酒造業を再開、1989年に「世界鷹小山家グループ」へ加入している。1995年の神戸淡路大震災にて蔵が全壊したが、地域一丸となって事業再開を目指すこととなり、翌年に蔵を再建して現在にいたっている。

見学館入口
社歴と酒造り展示
浜福鶴の大樽

・参照:小山本家酒造 灘浜福鶴蔵(世界鷹小山家グループ)https://www.sekaitaka.co.jp/group/hamafukutsuru.php

・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「浜福鶴」の節

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(広島を中心とした酒造博物館)

♣ 賀茂鶴酒造 賀茂鵲展示室(東広島市)

所在地:広島県東広島市西条本町9番7号 Tel. 082-422-2122
HP: https://www.kamotsuru.jp/tour/

賀茂鶴酒造 賀茂鵲展示室

 → 賀茂鵲展示室は賀茂鶴酒造の一号蔵を改装し、蔵元直営店として、酒造りの道具や資料の展示や酒造り解説を行い、併せて、唎き酒・販売を行う施設して開設したもの。ここでは、杜氏による醸造蔵内の見学ツアーがあり、酒造りの道具や資料の展示、酒造り解説ムービーの上映、トリックアートなどの撮影が行われている。この一号蔵は、2024年、広島西条酒蔵群のひとつとして国史跡に指定されている。展示室の入口ある湧水は「福神泉」と呼ばれる龍王山の伏流水で、賀茂鶴の仕込み水として使用されている。自然の恵みが育む適度なミネラルを含んだ上質な「軟水」で、口当たりの良い柔らかな酒が生まれるとされる。展示では、「米・水・技」「蒸米、甑」、「麹室」、「仕込み」、「搾り」といったテーマで酒造りが解説されている。

天使室内の展示
酒造りの道具展示
工場内の井戸

(賀茂の鶴の社歴と酒どころ広島)

ゴールド賀茂鶴

 賀茂鶴酒造は、1623年(元和9年)、前身となる小島屋木村家が創業したのがはじまり。そして、1873年(明治6年)9月9日、木村和平が酒銘を「賀茂鶴」と命名。「賀茂」は地名であると同時に酒を造るという意味の“醸す”が掛けられ、鶴は信頼を表し富士山は品質が日本一であることを表しているとされる。1918年(大正7年)株式会社に組織変更し「賀茂鶴酒造」となった。賀茂鶴は、1958年、金箔入りの大吟醸「特製ゴールド賀茂鶴」を発売、これにより全国的な知名度を得る。同時に、西条が伏見や灘と並ぶ銘醸地として知られるようになったとされる。

「広島の酒

 現在、西条酒蔵通りには7つの酒造会社が軒を連ねており、その酒造施設群はイコモス(国際記念物遺跡会議)の「日本20世紀遺産20選」に選定されている。今はなまこ壁や赤レンガの煙突が立ち並ぶ風情豊かな観光地と知られるようになっている。
 オリジナルの酒造好適米”白鶴錦”(はくつるにしき)」を開発した「白鶴酒造」、銘柄酒”櫻正宗”の酵母を「協会第一号酵母」として全国に頒布した「櫻正宗」のほか、歴史ある蔵元や大手酒造メーカーが数多く名を連ねている。現在、東広島市には、「賀茂の鶴」のほか、「福美人酒造」、「亀齢酒造」、「西條鶴酒造」、「白牡丹酒造」、「山陽鶴酒造」などの知名度の高い酒造会社が所在している。
・参照:広島が三大酒どころに? 先人の功績 | 徹底解剖!ひろしまラボ – 広島県https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20221118/01/

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(北海道・東北・北陸などの酒造博物館)

♣ 千歳鶴酒ミュージアム(札幌市)

所在地:札幌市中央区南3条東5丁目2番地 Tel. 011-221-7570
HP: https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/museum/

千歳鶴酒ミュージアム

 → 明治5年、石川県能登から来道した創業者・柴田與次右衛門は、創成川のほとりで造り酒屋「柴田酒造店」を開店。“どぶろく”などのにごり酒が開拓使の役人に評判で、売れ行きは好調。数年後には清酒をつくりはじめたと伝えられている。このため柴田は北海道の酒造業の幕を開けた先駆者と称されている。
 「柴田酒造店」は、その後、品質向上に努力を重ね、着実に発展。明治30年には同業者を束ね、日本清酒の前身「札幌酒造合名会社」を設立。このころから札幌の酒づくりが本格的な生産時代を迎る。大正13年9月、柴田は合名会社を株式会社に組織変更し「札幌酒造株式会社」を創立した。昭和3年には業界企業合同の政府要請に応えて8企業を合同し、「日本清酒株式会社」なり統一銘柄をおなじみの「千歳鶴」としている。

酒蔵の展示
千歳鶴の酒

・参照:千歳鶴について | 千歳鶴 https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/about/
・参考:日本清酒株式会社 | 北海道札幌市に拠点を置く老舗  https://nipponseishu.co.jp/

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♣ 男山酒造り資料館(北海道旭川市)

 所在地:北海道旭川市永山2条7丁目1番33号 Tel. 0166-48-1931
HP: https://www.otokoyama.com/museum/

男山酒造り資料

 →「男山」350年の歴史と共に、日本の伝統産業のひとつである酒造り文化を伝える資料舘。江戸時代の貴重な資料・文献・酒器などを展示しており、仕込みの時期には酒造りの様子も一部ご見学できる。 また、酒蔵全体が、「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK)となっており、「蔵人の醸造技術」のほか「大雪山の万年雪から染み出る伏流水」(「延命長寿の水」)も楽しめる。

昔の酒造り道具
男山の酒

ー「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK) https://sake-park.otokoyama.com/

男山酒パーク
伏流水「延命長寿の水」

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♣ 北海道酒造組合

  所在地:北海道亀田郡七飯町大中山1丁目2番3号 Tel. 0138-65-5599
 HP: https://www.hokkaido-sake.or.jp/

 → 組合では、北海道のおもな日本酒酒造会社の名前をHPで掲載している。そのうち多くは見学などの受け入れをおこなっているようだ。
   See: 日本酒メーカー | 北海道酒造組合  https://www.hokkaido-sake.or.jp/sake_maker/

北海道地域の主な酒造会社

○ 例えば:

♣ 高砂酒造明治酒蔵資料館(北海道旭川市)
    所在地:北海道旭川市宮下通17丁目右1号 Tel. 0166)23-2251
    HP: https://takasagoshuzo.com/meiji-sakagura/ 
♣ 田中酒造亀甲蔵(北海道小樽市)
    所在地:北海道小樽市信香町2番2号 Tel. 134-21-2390
    HP: https://otaru.gr.jp/shop/tanakasyuzo-kkikogura

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(東北―岩手県)

♣ 南部杜氏伝承館・酒匠館(岩手県花巻市)

所在地:岩手県花巻市石鳥谷町中寺林7-17-2 道の駅石鳥谷内
HP: https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=163

南部杜氏伝承館・酒匠館

 → 伝承館は南部杜氏による酒造りの伝統文化を保存・伝承する施設。古くから伝わる酒蔵を解体復元した土蔵造りの博物館で歴史的にも文化的にも貴重な施設となっている。
 酒造りにまつわる蔵内行事のミニチェア、南部杜氏と酒造りの歴史などを紹介したパネルなども展示している。大型スクリーンでは「南部杜氏」の映像を上映。ちなみに伝承館のある石鳥谷は清浄な自然とうまいと米に恵まれ、古くから酒造りが盛んに行われてきた。それに伴って酒造りの技術者である杜氏も多く輩出し、日本でも有数の杜氏集団へと成長していったとされる。

酒匠館の展示室
昔ながらの酒造道具

・参考:南部杜氏伝承館 – 道の駅石鳥谷「酒匠館」
・参照:南部杜氏伝承館|花巻市 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html

(南部杜氏とは)

江戸時代の杜氏の活躍風景

 → 南部杜氏は花巻市石鳥谷町を拠点とする日本酒を造る杜氏集団のひとつ。新潟県の越後杜氏、兵庫県の丹波杜氏とならび、日本三大杜氏に数えられている。石鳥谷は古くから酒造りの文化を保持・育成していた関係で、杜氏を多く輩出して日本で有数の杜氏集団へと成長していったようだ。
 きっかけは、南部藩の御用商人村井氏・小野氏が、上方の伊丹で開発された大量仕込み樽の製法を領内にもたらし、南部藩の支援を受けて盛岡城下で藩造酒の生産を本格的に始めたことにあった。延宝9年(1681年)には藩領内の造り酒屋の数は189軒を数え、寛政10年(1798年)には江戸表からの注文200石を受けるまでになっている。中でも稗貫郡石鳥谷(現・花巻市)には藩の御用酒屋があり、藩主に献上する御膳酒を造る杜氏である“酒司”も多数住んでいたらしい。

南部杜氏の碑
杜氏の作業場

   明治になると、酒司であった石鳥谷の稲村徳助が伝統的な南部流を結集し多くの弟子を育成すると同時に、近代南部杜氏の基礎を築いている。明治36年(1903年)には南部杜氏たちの最初に近代的な組織もできる(岩手県酒造組合)。明治44年(1911年)には南部杜氏自らの手によって酒造従業員(蔵人)の「南部醸造研究組合」が創設されている。時を経て、昭和23年(1948年)に南部杜氏組合は「南部杜氏協会」となり、昭和28年(1953年)には社団法人となっている。

 現在、南部杜氏会館もでき、花巻市と連携して、石鳥谷を「南部杜氏の里」にしようという事業も進行中である。花巻市には南部杜氏伝承館、南部杜氏会館、南部杜氏歴史民俗資料館、石鳥谷農業伝承館、酒民俗文化博物館などの観光施設のほか、後継者育成のための南部杜氏研修場が活動している。南部杜氏協会員数は現在約1700人、杜氏総数は約360人、杜氏が就労している蔵数は400場で、九州と沖縄以外のほぼ全国に分布しているという。

・参照:南部杜氏伝承館(花巻市)https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html
・参照:南部杜氏 – Wikipedia
・参考:日本三大杜氏~日本酒を醸す杜氏集団と蔵人の役割と歴史~ ( 日本酒と酒器のサイエンス

<参考> 岩手県の蔵元の例:
・廣田酒造店(岩手県紫波郡紫波町)、・あさ開き酒造(岩手県盛岡市)、
・世嬉の一酒造(岩手県一関市)など

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(酒どころ新潟のお酒資料館)

♣ 吉乃川酒造酒ミュージアム「醸蔵」薪潟県長岡市)

所在地:新潟県長岡市摂田屋4-8-12 Tel. 0258-77-9910
HP: https://yosinogawa.co.jp/johgura/
HP: https://yosinogawa.co.jp/

吉乃川ミュージアム「醸蔵」

 → 酒ミュージアム『醸蔵)は、2019年、吉乃川酒造の敷地内に開設された酒の博物館。建物は大正時代に建設された築約100年となる倉庫「常倉」を改装して施設としたもの。かつては酒の瓶詰作業が行われていた場所で現在国登録有形文化財となっている。「醸蔵」では、吉乃川の定番のお酒やここだけで飲める特別なお酒も味わえる「SAKEバー」や、醸蔵限定販売のお酒も扱う「売店」のほか、映像やデジタル技術も用いて酒造りや歴史について紹介する「展示スペース」などがある。

ミュージアムの展示室
お酒を搾る「槽」

 吉乃川の創業は戦国時代の1548年(天文17年)、天領地であった摂田屋の統治を任された武士川上主水義光が吉乃川の前身である「若松屋」を創業したことにはじまるという。以降蔵元である川上家が酒造りの伝統を守り 吉乃川の酒造りを発展させてきた。その後、昭和年代に第18代当主となった川上真司と妻川上浩子は、大杜氏の鷲頭昇一とともに吟醸酒「極上吉乃川・鷲頭」など数々の銘酒を生み出してきている。吉乃川は、1961年)に「中越式自動製麹機」を独自に開発し、製麹工程の機械化に成功している。また、2019年には吉乃川の敷以前の酒蔵資料館『瓢亭』に代わり、新たに前述の酒ミュージアム『醸蔵(じょうぐら)』を開設している。

・参照:蔵元を家業から企業へ (智慧の燈火オンライン) https://chienotomoshibi.jp/yosinogawa/
・参照:吉乃川について | 吉乃川 | 新潟長岡市にある日本酒の蔵元https://yosinogawa.co.jp/company/about.php

(越後杜氏とは)

 → 越後杜氏とは、新潟県を発祥地とする、日本酒を造る代表的な杜氏集団の一つ。杜氏の流派として捉えたときには越後流と称され、さらに流派内は四つの支流に分かれる。杜氏組合としては、日本第二位の規模を誇る新潟県酒造従業員組合連合会を持つが、その支部のようなかたちで傘下に新潟県内各地域の杜氏組合が多く存在している。

越後杜氏が携わる酒造りを描く
松尾神社酒造図絵馬」(写真提供:長岡市立科学博物館)https://n-story.jp/topic/85/

 江戸時代、農閑期の現金収入を得たい農民とより多くの人手を欲している造り酒屋が一緒になり杜氏集団の形成を促したという。彼らのなかにはその誠実な働きを認められて造り酒屋の当主と養子縁組した者、暖簾分け)をしてもらった者、酒株を購入して自分の小さな造り酒屋を開いた者も多数いた。こうした酒屋を「越後店」といった。 越後杜氏たちを束ねる近代的な組織が正式に結成されたのは1958年頃である。当時の杜氏登録者数は900名を上回っていたという。越後杜氏の主な出身地は寺泊野積、越路、小千谷、柿崎、吉川がとなっている。

高浜春男氏(右)

 
 ・越後流に属する主な杜氏としては、高浜春男(新潟県 八海醸造 『八海山』)、木曽健太郎(新潟県 朝日酒造 『久保田』『朝日山』)、鳥島諠一(愛知県 東春酒造『東龍』)、古川原行雄(新潟県 石本酒造 『越乃寒梅』)などがいるといわれる。

・参照:越後杜氏 – Wikipedia
・参照:越後杜氏と酒造り唄 – 新潟文化物語 https://n-story.jp/topic/85/
・参考:高浜 春男 「杜氏 千年の知恵 」祥伝社
・参照:摂田屋 – Wikipedia
・参照:〈醸家銘々伝〉新潟県 ・長岡市 吉乃川https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/88/1/88_1_63/_pdf/-char/en

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お酒の博物館ー洋酒の世界ー「食と農」の博物館(5)

― ビール・ウイスキー、ワインなどの洋酒の世界と歴史を語る博物館をみるー

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 (ビールの博物館)

 ビールは今や日本の中で最も消費も多く、日本酒に次いで多様な形で好まれている洋酒といえるだろう。ここでは、日本に定着して多くの人々を魅了しているブランドビールの形態、由来と歴史、現在の姿をレビューしてみた。特に、注目すべきは大手メーカーの提供するビールのほか、最近では、各地で生まれている「地ビール」「クラフトビール」に注目する必要があると思える。以下に主要なビール関係資料館・博物館を紹介してみる。

♣ サッポロビール博物館(開拓使麦酒記念館)

所在地:札幌市中央区北2条東4丁目  Tel.011-252-8231
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/

・参考:北海道の「サッポロビール博物館」を見学 https://igsforum.com/2022/08/05/visit-sapporo-beer-museum-jj/

 

サッポロビール博物館外観

→ サッポロビールの前身となる明治初期に設立された旧開拓使麦酒醸造所を博物館として開放したもの。試飲込みの工場見学コースを設けたワイナリーは多数見られるが、この博物館は、日本におけるビール産業の創始の歴史と発展記録を展示・紹介する貴重な産業博物館である。明治初期の北海道における開拓・産業開発の実例を示す歴史博物館でもある。 博物館では、ビールの醸造の過程を映像、現物で紹介しているほか、日本におけるビール生産の創始をもたらした「開拓使麦酒醸造所」の役割とサッポロビールへの移行につながる歴史、ビール産業発展の経過などを写真、パネル、記念文物などと共に幅広く展示している。また、試飲コーナー、レストランなども併設していて、札幌「ビール園」というテーマパークともなっている。また、博物館の建物は明治の北海道開拓の歴史を示す歴史的建造物であり価値も高い。札幌を訪れたら是非訪ねたい博物館の一つである。

開拓使時代の「ビール樽」
ビール博物館の展示
麦汁の煮沸「釜」

(博物館でみるサッポロビールの展開)

開拓使麦酒醸造所開所式(1876)
村橋久成と中川清兵衛

 ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみた。
 江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。

歴史建造物 醸造所工場跡
札幌官園と黒田清隆

 また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。 

民営化された札幌麦酒醸造所(展示)
大倉喜八郎

 しかし、その後、明治政府の方針で開拓使が廃止されたことで、傘下の事業は北海道庁に移管される。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かい。これが後のサッポロビール社の母体となった。

「大日本麦酒株式会社」成立の展示

 一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。

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♣ ヱビスビール記念館(サッポロビール)              

所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20-1 恵比寿ガーデンプレイス内  Tel.03-5423-7255
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/ 

エビス記念館の入口

 → ヱビスビールが2023年に東京・恵比寿に開設したビールの記念館。130年のヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像で紹介すると共に、エビス自慢のドイツ製の醸造設備を展示し、リアルタイムに醸造されるビールの味を楽しむことができる。館内では、3D画像で館内施設が表示されており、ポイントをクリックすることで、実際にヱビスビール記念館内を歩いて見学しているように館内展示を鑑賞することができる。また、「タップルームエリア」が用意されていて、目の前で造られている新鮮なヱビスビールを試飲することもできる。 ちなみに、記念館で紹介されているヱビスビールの来歴をみると、次のようである。

展示のビール醸造設備
3Dによる館内案内
ビールの歴史を記す展示

<ヱビスビールの成り立ちと現在>

創業の経過を示す看板類

 → ヱビスビールのルーツは、1887年(明治20年)に設立された「日本麦酒醸造会社」。そして、会社設立から2年後に、現在の東京・目黒区三田に、ヱビスビール醸造場が完成、ビール生産を開始させている。このとき、ビールの仕込釜、蒸気機関、製氷機などの醸造設備はすべてドイツ製であったという。技術者もドイツから招聘した。1890年2月に「恵比寿ビール」として発売している。当初は名前を「大黒ビール」としていたが、大黒ブランドが既に商標登録されていたことから、同じ七福神の一神として福徳を授ける「恵比寿」に変更したという経緯もあるという。 発売後、売り上げは好調で、1899年には「恵比寿ビール・ビアホール」を東京・銀座にオープン、1900年には恵比寿ビールが「パリ万国博覧会」で金賞を受賞するなど、ビールの質の高さが世界的にも認められている。

エビスを記した商標ラベル
創業当時の工場
エビス最初のビアホール

 また、日本鉄道がビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、醸造場周辺の人口も増加したことから当時の国鉄「恵比寿駅」となり周辺は賑わいも見せている。 
 こうして、1994年10月には「恵比寿」(旧南渋谷村)の醸造場跡地を「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発、複合文化・商業施設に生まれ変わらせた。この場所に「ヱビスビール記念館」が開設され、ビールの歴史を刻むと同時に地域の発展のシンボルとなっているのは見逃せない。

開業当時のエビス貨物駅
現在の恵比寿ガーデンプレイス

・参照:歴史紹介 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html
・参照:「恵比寿ガーデンプレイス」について | https://gardenplace.jp/about/
・参照:地名はヱビスビールが由来⁉(TBSテレビ)https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=1105
・参照:歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール https://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html

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♣ キリン歴史ミュージアム (インターネット・ミュージアム)

HP: https://museum.kirinholdings.com/

キリンビール名古屋工場

 → 日本のビール事業の草分け的企業であり、且つ、出荷量でもトップシェアの一角を占めるキリンのビールを中心にビールの歴史を紹介するミュージアム。この施設では、インターネット配信を通じて、近代日本のビール産業の変遷を中心に、キリングループの商品ブランド、お酒と飲料に関する文化史、人物史を紹介している。また、キリン参加の工場でのツアーも用意しており、ビールが造られる過程を直に見ることもできる。
 ちなみに、工場見学を提供しているのは、キリンビールの北海道千歳工場、仙台工場、取手工場、横浜工場、名古屋工場、滋賀工場、岡山工場、神戸工場、福岡工場など9カ所のようだ。ここでは、ビール造りの技術、キリンのブランドビールの素材ホップ、仕込~麦汁のでき方、麦汁に酵母を加えて行う発酵の仕組みやなどを現場や動画で紹介している。

見学コースがあるキリンピール工場

 

 キリンビールの「商品ブランド」紹介では、歴代の商品ラベルを通じて、キリンが100年以上にわたって生み出してきたビール販売の足跡をたどり、「ヒストリー・クルーズ」では「麒麟」をブランドにした背景やキリンビールの原形となった「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の由来を訪ねている。また、製品の宣伝広告・ポスターの例示によるキリンの歴史、酒と飲料の文化史、日本のビール醸造の開拓者たちなどの課題をテーマ別に紹介しているのが興味深い。
 

(キリンビールの歴史とブランド)

W.Copeland
スプリングバレーブルワリーの工場

 キリンビールの前身は、横浜で起業した「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY)」である。このブルワリーは、1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランド(William Copeland)が、日本で初めての大衆向ビールを販売したことに由来するという。そして、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足した。これが後に現在のキリンビールとなった。商標ブランドが「麒麟」になったのは、三菱の荘田平五郎の提案だったとされる。当時、西洋から輸入されていたビールのラベルに動物の絵柄が描かれていたことから、東洋の想像上の動物である「麒麟」を採用したのではないかといわれる。

麒麟のラベル
麒麟麦酒の宣伝馬車
キリン名物のビールカー

ビール創生期の明治では、社会近代化と食生活の西欧化が顕著になっており、都市市民、文化人の間ではビールの愛好家が増えていった。1890年には上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で、「キリンビール」の販売元「明治屋」がビール貯蔵用の大樽を宣伝展示しているのが特筆される。こういった中で、1907年にジャパン・ブルワリー・カンパニーを受け継いだ「麒麟麦酒」が誕生している。一方、ビール業界は、競争激化を避けるとして、1906年、日本麦酒(エビスの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、大阪麦酒(アサヒビールの前身)が合同して大日本麦酒株式会社が生まれた。キリンビールは徳利を保った。

カフェー・キリンの外観とショウウインド

 大正時代から昭和前期にかけては、都市部への大規模な人口流入とサラリーマン層の増加があり都市文化も勃興しビール消費も伸び、東京や大阪などで「ビアホール」が次々に生まれている。全国のビール生産量は、1919(大正8)年には約64万8,698石(約11万6,766KL)になり、5年間で2.7倍にも増えている。キリン関係では、1932年に銀座で「カフェー・キリン」、1924年には「カフェー・タイガー」がオープンしてビール市場は賑わいをみせている。

1940年代のキリンビール

 しかし、太平洋戦争が始まるとお酒類は配給制になり、ビール消費も落ち混むこととなる。戦後も消費は伸びなかったが、1949年に全国の飲食店営業の再開が許可されると徐々に回復してくる。そして、高度成長期に入ると、各ビール業界でも消費量の拡大期を迎え活況を呈するようになる。アサヒやサッポロも大きく販売を上しているが、キリンも生産量を増やし年間庫出量ではトップシェアを獲得している。近年では、発泡酒が発売されるようになりビール市場は変化しているが、全体としての消費は他のアルコール飲料に比べても伸び続けている。この中にあって、2007年、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」へと商号変更し純粋持株会社となっている。
  1900年代からのキリンビールを含む主要なビールメーカーの動向は、別添のフローチャートの通りとなっている。

日本の主要ビールメーアーの年代別チャート

・参照:酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアムhttps://museum.kirinholdings.com/history/index.html
・参照:日本のビールの歴史―時代別解説https://museum.kirinholdings.com/history/kaisetsu/bk_06.html
・参照:KIRIN’s HISTORY ( パーパス | キリンホールディングス)HP: https://www.kirinholdings.com/jp/purpose/history/

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♣ アサヒビールミュージアム(吹田工場)  

所在地:大阪府吹田市西の庄町1-45  Tel.06-6388-1943
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/suita/

アサヒビールミュージアム

 → アサヒビールミュージアムは、「記憶に残るビールを楽しむ」をコンセプトにして、2022年4月、大阪のアサヒビール吹田工場内に誕生した体験型ミュージアムである。ここではビールの歴史や製造工程の解説を聞き工場の製造ラインを見物できるほか、様々な映像や技術を駆使したアトラクションを楽しむことができる。後述の茨城のスーパードライミュージアムも姉妹施設で同様の体験型ミュージアムである。

アサヒビールの歴史展示
館内の様子

最初のアサヒビールの歴史解説では、アサヒビールは大阪が発祥の地であったこと、これが「大阪麦酒」の最初の工場「吹田村醸造所」(現在の吹田工場)であったこと、その後、札幌麦酒や日本麦酒と合同し「大日本麦酒」となり、戦後、「朝日麦酒」、そして1989年に現在のアサヒビール」になったことが、エントランスの展示やシアターの映像などで示されている。次は「スーパードライ体験エリア」で、プロジェクションマッピングを活用した製造工程の紹介や実際の製造ラインを見学できる。このほか、ミュージアムでは四面の巨大なスクリーンによる「スーパードライ・ ゴーライド」の体験コースも用意されている。ここにはビールを缶に詰める工程をイメージした空間があり、製造の速度や迫力が感じられる映像が投影されるアトラクションがみられる。最後は「カフェエリア」で、試飲ができるほか、「サーブ体験」やビールの泡に文字や画像を描く「泡アート」も体験できるという。

スーパードライの製造
缶詰のプロセス
サーブ体験

 このアサヒビールミュジアムは、バーチャル空間を活用した新しい形の体験ミュージアムで、通常の工場見学とはひと味違った体験型博物館の形を提供しているものといえるだろう。

<参考資料:アサヒビールの歴史とブランドの展開>

大阪麦酒の創立祝賀会
最初のラベル

  → アサヒビールの歴史が幕を開けたのは、今から130年前の明治22年(1889年)だとされる。大阪・堺の酒造家である鳥井駒吉や、実業家の松本重太郎らによって「大阪麦酒会社」として創立された。「アサヒビール」というブランド名を選択したのは、“日出づる国”に生まれたビールとの誇りと、“旭日昇天”のごとき発展を願ってのことだったという。 大阪麦酒は、発足当時から関西を中心に人気を博しビール業界に大きな影響を与えた。その後、並列していたサッポロ、ヱビスが合同、1906年に国内シェア7割を占める日本最大のビール会社「大日本麦酒」となる。しかし、戦後に大日本麦酒は分割され、アサヒはブランド名を受け継いだ「朝日麦酒」となった。そして、1989年には、アサヒビールと社名を変更している。

吹田村醸造所(明治30年)
大阪麦酒の出荷風景
発売当時の「引札」(明治25年)

  この間、日本初のびん入り生ビール「アサヒ生ビール」を発売(1970年)、日本初の缶入り「アサヒビール」(1971年)の発売など、今日の缶ビール文化を先取りしている。この中で、特に重要だったのは、日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」の販売だった。これがビール業界に革命を起こす大ヒット商品となり、現在でもアサヒビールの代名詞的な銘柄となっている。その後も、糖質ゼロの発泡酒「アサヒスタイルフリー」、新ジャンル「クリアアサヒ」など、さまざまなビール系飲料を展開し確かな存在感を維持している。

・参照:シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】第4回 アサヒビール創業の地 吹田-1891年完成- | City Life NEWS https://citylife-new.com/newspost/3585/
・参照:アサヒビール株式会社 公式サイト
・参照:大阪・吹田の「アサヒビール ミュージアム」(日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/50242
・参照:アサヒビールがたどってきた波乱の歴史を紐とく(たのしいお酒.jp) https://tanoshiiosake.jp/6554

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♣ スーパードライミュージアム(アサヒ茨城工場)

所在地:茨城県守谷市緑一丁目1-1 Tel. 0297-45-7335
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

スーパードライミュージアム(茨城工場)

 → スーパードライミュージアムは、アサヒミュージアム(吹田)との兄弟施設。ここでは、アサヒの代表的ブランド「スーパードライ」に特化して、その取り組みとこれまでの歴史を紹介するとともに、品質や鮮度、特性について見学を通して理解を深めてもらうことを期待して設立されている。ミュージアムは、ダイナミックなワイドスクリーンで「スーパードライの世界観」を紹介し、キネテイックライトと映像演出で発酵タンクの中で起こっていることを酵母の目線でダイナミックに表現、充填工程のスピード処理を実感できるプロジェクションなどの工夫が多くとられている。
・参考:スーパードライ ミュージアム|茨城工場(動画)https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

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♣ サントリー天然水のビール工場・武蔵野(見学施設あり)  

所在地:東京都府中市矢崎町3-1 Tel.042-360-9591
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/musashino/

サントリー武蔵野工場

→ サントリーの「天然水のビール工場・武蔵野」は、1963年に開設されたサントリー初のビール工場。ここでは同社の代表ブランド「プレミアム・モルツ」の製造過程を見学できるほか、サントリービールの歴史を知ることができる。サントリーがビール市場に参入したのは比較的新しい1963年のことである。しかし、後急速にシェアを伸ばし、老舗のサッポロ、キリン、アサヒに並んで有力メーカーに成長している。この中心ブランドが天然水を使い、独自のフレーバーを持つプレミアム・モルツであった。
 武蔵野工場見学ツアーでは、まず、ビールの素材選びのこだわりを示す原料、麦芽・ホップ・天然水の紹介し、ビールの仕込み、発酵、貯酒、濾過などの一連の製造過程をプレミアム・モルツの特性に沿って解説している。

ビールの発酵タンク
ビールの製造工場内
昔のサントリーのビール

 サントリーの歴史をみると、1899(明治32)年の創業以来、ウイスキーやワインを中心に製造販売していた。あえてビールという厳しい世界に本格的に参入したのは1963年と比較的新しいが、以前にも製作の試みはあったようだ。まず、サントリーの前身である寿屋において、創業者鳥井信治郎が1929年に「カスケードビール」、30年に「オラガビール」を発売しビールづくりに挑戦している。しかし、業績が思うように伸びず6年後には撤退している。戦後、ビール需要が伸びる中で、サントリーは再び新しいスタイルのビールを求めてビール市場に挑戦する。これが武蔵野工場の「天然水のビール」であった。

歴代のプレミアムモルツ

 そして、1967年には「サントリービール〈純生〉」、1986年には麦100%の「サントリーモルツ」、2003年には「ザ・プレミアム・モルツ」が発売されることになる。2008年になると 新ジャンル「金麦」もヒットし、サッポロを抜き業界3位に浮上するまでになる。サントリー武蔵野工場見学では、これらの歴史を踏まえた上で、工場施設とサントリー独自の製法プロセスをみていく楽しみもあるだろう。

・参照:サントリー武蔵野ビール工場の歴史とその挑戦 ( 日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/9491
・参照:千載一遇のチャンス到来「ビールに挑戦したい(月刊「理念と経営」) https://www.rinen-mg.co.jp/web-rinentokeiei/entry-160.html
・参照:サントリー天然水のビール工場見学ガイドツアーがリニューアル!神泡のプレモルが試飲できるっ – 多摩ポン+https://tamapon.com/2019/03/13/musashino-beer-guidetour/

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♣ オリオンハッピーパーク(オリオンビール名護工場)

所在地:沖縄県名護市東江2-2-1 Tel. 0570-00-410
HP: https://www.orionbeer.co.jp/happypark/ 

オリオンパーク外観

→ 沖縄本島北部の名護市にあるオリオンビール名護工場では、沖縄独自のオリオンビールが出来上がるまでの工程を見学できるコースを提供している。オリオンビールは、まだアメリカ統治下であった1957年に「沖縄ビール株式会社」として設立された比較的新しいビール会社で、1959年に社名も「オリオンビール」に変更されている。当初は日本の大手ビールの勢力が強く苦戦するが、ドイツ風ビールから沖縄の気候を考慮したアメリカ風ビールに切り替えた結果、県内需要を中心に業績を伸ばした。現在「オリオン ザ・プレミアム」「いちばん桜」、「夏いちばん」といった製品を発売しているようだ。

館内の様子
ビールの製造工程

 工場見学では、エントランスに創業当時の仕込み釜のオブジェ、見学通路にはオリオンビールの想いを伝えるイラストや製造工程のパネルなどが展示されている。また、工場設備では、高速で流れる缶詰コンベア見下ろせるスペースがあり、シアターホールではリアルな映像でオリオンビールの生産工程が紹介されている。見学のあとのビールの試飲、好みのビールを注文できる売店も用意されている。

・参照:名護市「オリオンハッピーパーク」の工場見学で至高のビールを堪能しよう! | 沖縄の観光情報はFeel Okinawahttps://feeljapan.net/okinawa/article/2019-07-19-7153/
・参照:オリオンハッピーパーク | J-TRIP Smart Magazine 沖縄https://www.smartmagazine.jp/okinawa/spot/north/143/

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♣よなよなの里(ヤッホーブルーイング佐久醸造所)

所在地:長野県佐久市小田井1119-1
HP: https://yonasato.com/event/brewery/ 

ヤッホーブルーイング佐久醸造所

→ ヤッホーブルーイングは、いわゆるクラフトビール醸造者として比較的新しく誕生したビールメーカー。この会社の長野県にある佐久醸造所では、新しいクラフトビール「よなよなエール」の醸造所見学ツアーを提供している(よなよなの里)。ここでは、ガラス越しなどではない“普段ブルワー”(醸造士)が働いている生の現場を訪れることができる。見学では、ビールのもととなる「麦汁」を仕込む部屋、発酵させる部屋、熟成させる部屋、ビールを缶や樽に充填し、検査・箱詰めする部屋と、スタッフが直に案内し説明してくれるという。見学終了後には、5種類のビールをテイスティング!となる。ビール醸造士の「テイスティングの作法」の紹介もあるという。

ビール製造工場
作業に取り組む作業員

 全ての見学指導は、「クラフトビールの魅力をもっと伝えたい!」という想いからであるとの、主宰者の説明である。クラフトビールの製作者としての自負が垣間見える。

ヤッホーグループの製品マップ

 ちなみに、ヤッホーブルーイングは、1997年に創業されたエールビール専門のクラフトビール製造メーカー(ブルワリー)として知られる。創業者は星野リゾート代表の星野佳路氏。主要なブランドは「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「裏通りのドンダバダ」「正気のサタン」など。それぞれリアルエールとバーレーワイン(長期熟成エールビール)といったバラエティ豊かなクラフトビール(地ビール)である。クラフトビールメーカーとしては業界最大手で、ビール業界全体では大手5社に次ぐ第6位であるという。

・参照:ヤッホーブルーイング NAGANOSAKE.JP https://naganosake.jp/blogs/kuramoto-list/kuramoto_yohobrewing
・参照:ヤッホーブルーイング – Wikipedia
・参照:【イベントレポ】「よなよなエール・大人の醸造所見学ツアー」の様子| https://yonasato.com/column/information/detail/report_otonanojozojokengakutour_2801013/

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<参考資料>

♣ 地ビールとクラフトビールの概要と歴史 

地ビールの醸造所の例(エチゴビール)

→ 当初「地ビール」とは大手メーカーが作るビールに対して、「地域で作られる生産量の少ないビール」のことを指していた。1994年の酒税法改正により、ビールの最低製造量60kLに引き下げられたことをきっかけに、日本中の地域が町おこしのため、小規模のブルワリー(醸造所)を次々と発起させた。これが、日本における“地ビールブーム”の始まりとなる。その地域の名産や特性を生かしたビールなど、土地の個性や各醸造家のオリジナリティを楽しめることが地ビールならではの魅力といえる。

エチゴビール

 こうしたビールは「地ビール」として広まっていき、1995年の地ビール第1号「エチゴビール」の発売の以降、爆発的に増えて2年間で300社以上のメーカーが出現している。 一方、「クラフトビール」とは、規模の小さなビール醸造所で造られた多様で個性あふれるビールを指している。技術や工芸、職人技を表現する「クラフト(Craft)」から命名されたもので、2000年代を中心に急速に普及するようになった。このクラフトビールは、一般的なビールに対して、醸造所の“ブルワー”が枠にとらわれず、柔軟な感性によって造られているのが特徴され、最近では大手のビールメーカーも参入している。しかし、当時はまだ技術・品質が低い地ビールも多かったから、地ビールの勢いは一気に衰え、特定の有力メーカーを除き地ビールブームは一気に衰退することになった。

(最近の地ビールとクラフトビール)

  したがって「地ビール」と「クラフトビール」は重なっている部分が多いが、最近では、「地ビール」も「クラフトビール」とも呼ばれることが増えている。このクラフトビールでは、「個性的なビールをつくりたい」というクラフトマンシップのもと、大手メーカーに負けないような高品質のビールづくりを目指す若手醸造家が急増し、新たなブームを巻き起こしている。この主力メーカーの一つが上記の「ヤッホーブルーイング」である。その他の地ビール・クラフトビールの幾つかの例を挙げると以下がみられる。

流氷ドラフト(網走)
東京ホワイト(東京)
TREE OF LIFE(山梨)

「地ビール」全般については、2003年頃までにはブームも完全に終息し、メーカー数も200社ほどにまで減少したが、その後「クラフトビール」と呼び名を変え、2005年を境に第2次ブームと呼ばれる回復に転じたようだ。日本の地ビールメーカーは、「日本地ビール協会」(兵庫県西宮市)が醸造所を集計したところ、2018年末は384カ所、2019年末は427カ所、2020年末は470カ所へと増えている。

・参照:日本のクラフトビールの歴史 | クラフトビールの総合情報サイト My CRAFT BEERーhttps://mycraftbeers.com/about/history.html
・参照:クラフトビール市場 -シェア、分析、サイズhttps://www.mordorintelligence.com/ja/industry-reports/craft-beer-market
・参照:日本の地ビール – Wikipedia
・参照:クラフトビールブームはいつから始まった? | SHOPCOUNTER MAGAZINE

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<参考>

 なお、以下の参考データなどから、主な見学可能な地ビール、クラフトビールの所在を確かめることができる。

参考①:日本地ビール協会・クラフトビア アソシエーションhttps://www.beertaster.org/
参考②:クラフトビール醸造所29選!(ビール女子)https://beergirl.net/beerfactory-tour-matome_c/
参考③:醸造設備が見られる醸造所(地ビール・クラフトビールの森)https://craftbeer.junkword.net/plant.php
参考④:最新版864ヵ所!日本のクラフトビール醸造所(ブルワリー)一覧https://www.alwayslovebeer.com/craftbeer-microbrewery-brewpub/

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(ウイスキーの博物館)

 ここでは数あるウイスキーの博物館のうちよく知られているものを掲げ、その歴史と由来について記述してみた。

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♣ 山崎ウイスキー館(サントリー山崎蒸溜所)

所在地:大阪府三島郡島本町山崎5-2-1 Tel. 075-962-1423
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/facility/

山崎蒸溜所外観

 → 山崎蒸溜所は、サントリーが1924年に日本初の国産ウイスキーを製作するため作られた蒸留所で、一部が蒸溜所開設当時の建物をそのままに残した山崎ウィスキー館となっている。ここでは、サントリーウィスキーの歴史がわかる展示コーナーのほか、原酒や世界中のウィスキーを試飲できる「ティスティングカウンター」、蒸溜所限定ウィスキーやオリジナル商品を取り揃えた「ファクトリーショップ」、また、工場ではウィスキーの製造過程の案内コースも設けられている。

ウイスキー館建物
蒸溜所操業時の蒸溜釜
製造工程がみられる


 山崎蒸溜所におけるウイスキーづくりの特長は、世界にも類を見ない多彩な原酒のつくり分けにあるといわれている。たとえば、発酵工程における木桶発酵槽とステンレス発酵槽の使い分け、蒸溜工程における大きさや形状の異なる蒸溜釜の使い分け、 貯蔵(熟成)工程における様々な樽の使い分けなど、仕込から発酵、蒸溜、そして貯蔵(熟成)に至るまでの全ての工程で 多彩な原酒のつくり分けが行われている。

山崎でのウイスキー醸造のプロセス


 また、サントリーでは100周年に合わせて敷地内の改修を進めており、フロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うと共に、蒸留所の見学設備もリニューアルし、2023年に再オープンしている。そして、見学内容も刷新して「ものづくりツアー」と「ものづくりツアー プレステージ」という2種類の有料見学ツアーを設置した。通常のものづくりツアーでは蒸留所見学ののちに「シングルモルト山崎」の構成原酒などのテイスティング。プレステージでは通常では立ち入れないエリアを見学できるとしている。国産モルトウイスキーの歴史と製造過程を学ぶことができる貴重な博物館といえよう。

<山崎蒸留所の建設とサントリーウイスキーの歴史>

鳥井信治郎
操業開始時の山崎蒸溜所
山崎蒸溜所最古の樽

  山崎蒸溜所を創設したのは寿屋(のちのサントリー)創業者の鳥井信治郎であった。彼は、日本人の味覚にあった本格的なウイスキーづくりを目指し、京都に近く名水の地として知られた山崎の地を選んで工場を建設した。設計と運用はスコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝を招聘している。

山崎ウイスキーの技術的基礎となった「竹鶴ノート」(1920年)
竹鶴政孝

 鳥井は、小西儀助商店奉公を経た後、1899年に独立して鳥井商店を設立、当初は調合ウイスキーの販売とともに、洋酒の輸入販売を行ない、スペインから輸入したワインを瓶詰にして売り出していた。1906年に社名を「寿屋洋酒店」に変更し、翌年にポルトガルワイン(ポートワイン)をもとに独自開発した「赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)」を販売して成功した。しかし、鳥井は赤玉ポートワインでの成功に満足せず、生涯の業績となるような新しい事業に着手、本格的な国産ウイスキー生産を計画、蒸留所を日本国内に設置することを決めた。この計画には、多くの関係者の反対があったが、鳥居は決意を替えず、山崎の地にウイスキー醸造所を建設してウイスキー生産の開始を決意する。1923年のことであった。この際、鳥井は10年の契約期間を条件として竹鶴政孝を招聘して工場運営に当たらせることにした。当初、竹鶴は蒸留所の位置について北海道を推奨する竹鶴と鳥井の間で激論があったと伝えられるが、最終的に山崎に決定したとの経緯があるようだ。

サントリー白札(1929年)
角瓶 (1937年)
オールド(1950年)

 1924年に山崎蒸溜所が完成、その年の冬から蒸留が開始、国産の大麦、イギリスから取り寄せたピートを使用して、1929年に日本初の国産ウイスキー「白札」(現在のサントリーホワイト)が売り出される。この時の蒸留施設ポットスチルは敷地内にモニュメントとして設置されている。この後、鳥井はさらにウイスキーの改良に取り組み、1937年に改良の成果である「角瓶」(サントリー角瓶)が発売され、消費者から好評を得ている。1940年に「サントリーウイスキー黒丸」(現在のサントリーオールド)が誕生した。 さらに、1946年、寿屋は戦災を逃れた原酒を使用した「トリスウイスキー」を、1950年には戦前に製造した「オールド」を発売するなどで業績を上げている。そして、1973年には白州蒸溜所が建設された。また、山崎蒸溜所稼働から60周年となる1984年3月には「ピュアモルト山崎」が発売されている。100周年の2024年にかけては、敷地内の改修を進めており、前述のようにフロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うなど蒸留所の改良が続けられている。

・参照:山崎蒸溜所 – Wikipedia
・参照:山崎蒸溜所~;サントリーウイスキー蒸溜所便り(SUNTORY 公式ブログ)ジャパニーズウイスキーの始まりの場所~ https://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000196.html
・参照:JWIC-ジャパニーズウイスキーインフォメーションセンター|JW物語 https://jwic.jp/story/history/210909/
・参照:角瓶のこだわり 角瓶 サントリーhttps://www.suntory.co.jp/whisky/kakubin/kodawari/index.html

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♣ サントリー・ウイスキー博物館 (白州)

所在地:山梨県北杜市白州町鳥原2913-1  Tel.0551-35-2211
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/hakushu/facility/

白州蒸溜所内のウイスキー博物館

 → ウイスキーを様々な視点からとらえた世界でも珍しいウイスキー専門の博物館。建物は特長的な屋根の形をしているが、これはかつて山崎蒸溜所に建設された麦芽乾燥塔「キルン」を模したものといわれる。館内に入る目を引くのは大きなポットスチル(蒸溜釜)みえ、日本初の国産ウイスキーを生み出したサントリーの様子がうかがえる。1階では、ジャパニーズウイスキーの歴史、発売初期の製品や新聞広告、ポスターなどの展示物があり、サントリーウイスキー発展の姿が分かりやすく紹介されている。正面奥の壁には、実際に使用していたウイスキーの熟成樽がずらりと並んでいるのが目につく。2階から3階にかけては、ウイスキー醸造や蒸溜の神秘について解説があり、さらにここでは世界のウイスキー文化についての展示が楽しめる。「白州」の歴代ボトルも見ることができるのも楽しみ。また、最上階の展望台からは、八ヶ岳や南アルプスなどの雄峰をはじめ、眼下には白州蒸溜所の広大な森が眺望できるという。

館内の大きなポットスチル(蒸溜釜)
シングルモルトウイスキー「白州」の歴代ボトル
白州蒸溜所の誕生年が刻まれた熟成樽

→参照:サントリーウイスキー蒸溜所便り | SUNTORY 公式ブログhttps://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000145.html
→参考:ウイスキー博物館 (アイエム・インターネットミュージアム) https://www.museum.or.jp/museum/44

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♣ ニッカミュージアム(ニッカ余市蒸溜所)    

所在地:北海道余市郡余市町黒川町7丁目6  Tel.0135-23-3131
HP: (https://www.nikka.com/distilleries/yoichi/guide/museum/ 

ニッカウヰスキー余市蒸溜所正門

→ ニッカミュージアムは、2021年、旧ウイスキー博物館を改修し、展示内容を刷新してオープンしたもの。館内には、ブレンダーに焦点を当てて「味の維持」「原酒仕込み」などウイスキーづくりの役割を紹介するコーナー(ブレンダー・ラボ)、ニッカウヰスキーの4つのブランド「余市」「竹鶴」「ブラックニッカ」「フロム・ザ・バレル」の歴史や誕生のストーリーなどを紹介するコーナーが設けられている。また、ブレンダーによるスペシャルトーク映像などの放映や蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの味覚に触れる試飲コーナーもあり味を楽しむことができる。別に設けられた歴史コーナーでは、ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝の生い立ちやスコットランド留学、ニッカ創業のストーリーを紹介するパネルや動画などの展示も行われていて、ニッカ誕生の由来を知ることができる。

ニッカミュージアム
蒸溜所内の大樽看板
ポットスチルのオブジェ

 ミュジアム館のほか、余市蒸溜所の訪問見学も行われており、ビジターセンター、旧事務所、蒸留棟、発酵棟、旧竹鶴邸などを訪問することができる。センターの前には大麦を乾燥させ麦芽を作るキルン塔(乾燥塔)、麦芽を粉砕・糖化する建物、発酵棟、次に蒸留棟と、ウイスキーの製造過程に沿った施設が広い敷地内に点在しているのを見ることができる。 敷地内にある旧事務所は、ニッカウヰスキーの創始者である竹鶴政孝の執務室として1934年に建設さたもので。余市の工業発展の足跡が残る文化通産として、登録文化財に指定されているようだ。また、旧竹鶴邸は、竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建設されたもので同じく登録文化財になっている。 ここは、竹鶴が様々な困難を克服して。北海道余市に本格的なウイスキーづくりを遂行した思い出の場所であり、同時に結婚したリタ夫人の生い立ちと出会い、その後の軌跡を示すものとなっている。この経過はNHKの大河ドラマ「マッサン」でも紹介されており、よく知られることとなった場所でもある。

余市蒸留所内の施設群(旧事務所、蒸留棟、発酵塔、乾燥塔)
(旧竹鶴邸、リタハウス)

<余市蒸溜所とニッカの歴史>

竹鶴と夫人リタ
余市の工場完成(1934)

 竹鶴政孝は、当初、寿屋(現在のサントリー)でウイスキーづくりに携わっていたが、どうしても北海道の地で本格的なモルトウイスキーをつりたいと考えて、1934年、寿屋を退社。かねてからウイスキーづくりの適地と考えていた北海道での工場建設を決意する。竹鶴が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることであった。

ニッカウヰスキー第一号 (1940)

 そして、1934年、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市を選んで蒸留所を建設する。建設した蒸溜所は「石炭直火蒸溜」を行って「品質第一主義」を貫き、日本国内で初となるザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になった。竹鶴は、ウイスキーが熟成には長い年月を必要として、まずリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考え、「大日本果汁株式会社」を設立する。「ニッカ」の命名は、この会社名に由来する。1935年の冬、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が届き、いよいよ製造を始めた。1940年には、第1号「ニッカウヰスキー」発売する。しかし、最初、ウイスキーなどは贅沢品として製造販売が制限されなどこんなインは続いた。その後、余市蒸溜所が大日本帝国海軍の指定工場となり、ウイスキーは海軍が買い上げることになりなんとか生産を継続することができている。

近年のニッカ余市蒸溜所「竹鶴21年」
ゴールドニッカ (1968)

 戦後になり、1952年「ニッカウヰスキー」に社名変更、本社も東京に移転する。しかし、売り上げは伸びず経営は困難に直面せざるを得なくなった。当時、ニッカの二級ウイスキー(かつての三級ウイスキー)は他社製より高く、あまり売れていなかったという。1954年頃から、ニッカは銀行からの融資に苦しみ、朝日麦酒の資本参加を求めることになる。その後、1964年、日本初のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドした二級ウイスキー(当時)「ハイニッカ」を発売、翌1965年(昭和40年)には2種のウイスキー原酒をブレンドした一級ウイスキー(当時)、新「ブラックニッカ」を発売している。現在、「ニッカウヰスキー」はアサヒビールと営業統合(2001年)し、アサヒビールの傘下のブランド「ニッカ・ウイスキー」として生産・販売を続けている。こうした中、1998年、余市の蒸留所内に「ウイスキー博物館」が開設された。また、2021年には、これがリニューアルされ、現在の「ニッカミュージアム」となっている。

・参照:余市蒸溜所 – Wikipedia
・参照:ニッカウヰスキー – Wikipedia

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♣ 天領日田洋酒博物館

所在地:大分県日田市本庄町3-4  Tel. 0973-28-5266
HP: https://tenryo-hita-whiskymuseum.com/

天領日田洋酒博物館

 → 大分県日田市にある天領日田洋酒博物館(ウィスキー博物館)。オーナーである高嶋甲子郎氏が約40年かけて収集した洋酒やそのノベルティーグッズなどのコレクション3万点以上を展示している。アメリカの禁酒法時代の未開封のボトルや、1970年代にティファニー社とウイスキーメーカー・シーグラム社がコラボレーションしたボトル、ニッカウヰスキー余市蒸留所創業当時のポットスチル(単式蒸留器)など、珍しい洋酒や関連作品が所狭し並んでいる。「洋酒に憧れた少年は、ウイスキーの奥深さに魅せられ、気付けば国内有数の収集家になっていた。」とのオーナーの弁。

ウイスキーを
中心に数多く
の洋酒、グッズ
などを展示

<参考になるウイスキー館>

・TOKYO Whisky Library(東京・青山)HP: https://tokyo-whisky-library.com/  
  → 1300種の世界のウイスキーが並ぶ日本トップクラスの品揃えを誇るバーラウンジ。
・銀座Mウイスキー博物館(東京・銀座)    HP: http://www.m-whisky.com/                   
  → ウイスキーを中心に2千種類以上が揃う「M銀座ウイスキー博物館」。珍しいウイスキーを眺めながら、併設のテイスティングバーで試飲もできるという、
  See: https://note.com/nareura/n/n047a18f82d52

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(ワインの博物館)

 日本全国には、非常に多くのワインの資料館、ワイナリーが存在している。ここでは日本のワイン発祥地の一つである山梨県、特に勝沼地区のワイナリーを中心に紹介している。ここで名前を挙げているワイン資料館、ワイナリーはごく一部に過ぎないので、参考資料に掲げてあるリストなどを参照して欲しい。

♣ シャトー・メルシャンワイン資料館            

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎1425-1  Tel.0553-44-1011
HP: https://densho-sha.co.jp/furubi/shop/winemuseum   

シャトー・メルシャンワイン資料館

 → 1904年に建てられた宮崎第二醸造所を元にした建物を使ったワイン資料館。宮崎第一醸造所が解体されて遺構のみとなってしまった現在、現存する日本最古の木造ワイン醸造所となっている(「経済産業省 近代化産業遺産」にも指定)。資料館内部では日本ワインの誕生・変遷とともにメルシャン株式会社の歴史を紹介しているほか、明治期に実際にこの場所で使われていた醸造器具の展示、今日のメルシャン株式会社の礎となる先人たちの軌跡・功績、ブドウ産地なども紹介している。資料館は現在でも貯蔵庫として使用され続けており、展示物とともに19の樽が置かれ、約7万本分のワインが眠っている。並んで建っている「ワインギャラリー」では、ワインのテイスティングができる。シャトー・メルシャンシリーズを中心に、常時20種類以上のグラスワインが用意されており、ワインを楽しむことができる。

資料館愛撫の展示
熟成蔵の内部
昔の醸造器具展示

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♣宮光園(旧宮崎葡萄酒醸造場施設)

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎174  Tel. 0553-44-0444
HP: https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html

旧宮崎葡萄酒醸造場施設(宮光園) 
南門の扁額
大黒点甲斐産葡萄酒

 → 宮光園は、日本のワイン産業を確立した一人である宮崎光太郎の自宅、ブドウを栽培する葡萄園、ワインを醸造するワイナリーを含む歴史施設(旧宮崎葡萄酒醸造場)である。近代化産業遺産「甲州市のワイン醸造関連遺産」の構成資産ともなっている。宮崎葡萄酒醸造場施設は、1877年、日本初の民間ワイン醸造会社となった「大日主本山梨葡萄酒会社」の後を受けたもので、宮崎光太郎が創業した葡萄生産会社。本格ワインの主力ブランドとして「大黒天印甲斐産葡萄酒」の醸造を始めたことでも知られている。現在は、日本の本格的ワイン醸造のルーツを知ることができる資料館として修復整備されており、ここから発見された貴重な映像資料や写真、当時のワインラベルなどが展示されている。施設内には、主屋、南門(正門)、写真館跡、白蔵、道具蔵・文書蔵、ブランデー蒸留用の煙突、ワイン貯蔵庫、第一醸造所跡(現存せず痕跡だけ)などがる。道を隔てて、メルシャンのワインギャラリー、ワイン資料館、見本ブドウ園などが存在している。これらもかつては宮光園の一部だったとされる。ワイン資料館は、1904年(明治37年)に宮崎第二醸造所として建設されたものである。

宮光園の白蔵
白蔵地下ワイン貯蔵庫
資料館の展示
昔のワイン造りの映像

ワインの検査風景

・参照:宮光園(山梨県甲州市観光協会 ぐるり甲州市) https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html
・参照:旧宮崎葡萄酒醸造場施設(日本ワイン140年史) https://japan-wine-culture.jp/point/detail/60/
・参照:国産ワインのブランド「大黒」葡萄酒を成功させた宮崎光太郎(前編)(歴史人物伝|キリン歴史ミュージアム) https://museum.kirinholdings.com/person/wine/08.html
・参照:宮光園 – Wikipedia

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♣ サントリー登美の丘ワイナリー

山梨県甲斐市大垈2786  Tel. 0551-28-7311
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/tominooka/

登美の丘ワイナリーの外観

 → サントリー登美の丘ワイナリーは、1909年(明治43年)の「登美農園開園」から始まっている。ドイツから醸造技師を招き、近代的ワインづくりに取り組み、1936年に寿屋(サントリーの前身)が経営を継承することで発展する。この登美の丘農園は、「赤玉ポートワイン」の原料用ぶどうを栽培するためにも利用されている。その後、1950年には、ヨーロッパ系のワイン用ぶどう品種の栽培が本格始動。1970年代には、生産の難しい「貴腐ワイン」の醸造もおこなわれている。そして1990年代には、国際コンテストで数々の賞を受賞。歴史に裏打ちされた実力を有するワイナリーへと成長することとなった。この登美の丘ワイナリーはサントリーのブドウ酒づくりの歴史を代表するワイナリーでもある。

試飲ワインショップ
ワインの熟成蔵
登美の丘の葡萄農園

 

(赤玉ポートワインとサントリーのワインづくりの歴史>

鳥井信治郎
初期の「赤玉」

 サントリーの歴史はワインづくりから始まったといわれる。日本に本格的にワインが入ってきたのは幕末から明治にかけてのことといわれる。明治10年頃には 山梨県を中心にワインづくりに挑む先駆者たちが現れたが、栽培や醸造技術が未熟で、人々の嗜好が合わず容易に受け入れられなかった。こういった中、サントリーの前身である「寿屋」の創業者鳥井信治郎は、日本人に合う優良で安価な国産のワインを生みだそうと事業を開始。1907年に、山梨県登美の丘でぶどう園を開拓し「赤玉ポートワイン」を発売した。これがサントリー発展の基礎となっている。
 発売したこのワインはやや高価であったが、評判がよく売れ行きも好調だったようだ。鳥井は、さらにワインの普及と販売向上には宣伝が大切と、当時としては「ハイカラ」な横文字のラベルをつけ新聞広告、また、1922年には日本初の女性が両肩を露わにしたポスターを掲載、“赤玉ポーロワイン”の名を世間に大いに広めたといわれる。以来、“赤玉”はロングセラーとなり、時代とともにラインナップも増やしていった。

評判になったワイン広告ポスター
歴代の赤玉ポートワインラインアップ
現在のワイン
「登美の丘」

  一方、戦後になるとサントリーのワインは、“赤玉”以外の本格的なボルドーワインに取り組み、フラッグシップである「登美1997」など発表し、国際コンクールで金賞を獲得している。また、3010年には、日本ならではの味わいを追求した「登美の丘ワイナリー」シリーズと「ジャパンプレミアム」シリーズを発売しているなど進化を続けている。
 現在、サントリー自身は。ワイン以外のウイスキー、ビール、スピリッツなどが主力商品となっているが、ワインが果たした歴史的な役割は忘れられない。この中で、山梨県「登美の丘」でのぶどう栽培とバイトワイン醸造の挑戦は今も続けられている。

・参照:赤玉の物語 赤玉スイートワイン(サントリー) https://www.suntory.co.jp/wine/original/akadama/history/

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♣ グランポレール勝沼ワイナリー(サッポロビール)

グランポレール勝沼ワイナリー


山梨県甲州市勝沼町綿塚577 TEL:0553-44-2345HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/katsunuma/

→ 日本ワインの発祥の地でサッポロが誇る純国産プレミアムワイン「グランポレール」を醸造するワイナリー。裏手に広がる見本ぶどう園では4つのぶどう産地で栽培されているぶどう品種を現地の栽培方法で再現しているのを見ることができる。醸造家自慢のワインをテイスティングも可能。

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♣ サントネージュ・ワイナリー(サンフーズ)

所在地:山梨県山梨市上神内川107-1  Tel. 0553-22-1511
HP: https://www.sainteneige.co.jp/ 

サントネージュ・ワイナリー

 → サントネージュ・ワイナリーは、2022年よりアサヒビールグループから「サン.フーズグループ」のもとで新たなワイン醸造および営業販売を開始。サントネージュのブランドは、2002年 協和発酵の酒類事業の譲渡を受け、アサヒビール傘下となり、その後、株式会社サン.フーズに譲渡されている。
 サントネージュワインは「よいワインは、よいぶどうから」をワインづくりの基本とし、1953年から欧州品種のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどのぶどうの育成を開始したとしている。近年では、サントネージュは「ジャパン・ワイン・チャレンジ 2020」にて「かみのやま 中島畑メルロー 2018」が金賞を受賞している。ワイナリーでは新作ワインをテイスティングできる。

ワイン熟成蔵
栽培中の葡萄
サントネージュワイン


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♣ マルスワイナリー(本坊酒造)

所在地:山梨県笛吹市石和町山崎126 Tel. 055-262-1441
HP: https://www.hombo.co.jp/visiting/yamanashi/

マルスワイナリー

 → 本坊酒造は1960年に洋酒生産の拠点としてマルス山梨ワイナリーを設立し、以後60年以上にわたり地域に根付き、山梨の土壌・気候など自然条件を活かしたワイン造りに取り組んでいた。ワイナリーでは、マルスワインの歴史とワイン造りを知ることができ、山梨テロワールを活かしたワイン造りへのこだわりが体感できる。

ワイン熟成蔵
無慮試飲コーナー
マルスワイン

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 甲州市勝沼 ぶどうの丘

所在地:山梨県甲州市勝沼町菱山5093
HP: https://budounooka.com/

勝沼 ぶどうの丘施設

 → 勝沼町菱山にある、日本最大級のワインショップを有する観光施設。その名のとおり小高い丘の上に位置する。塩山市・勝沼町・大和村の合併前は勝沼町により運営されていたが、合併後は甲州市が運営している。甲州市の審査に合格した市推奨のワインのみを扱うワインショップをはじめ、レストラン、宿泊施設、イベントホールなど様々な施設を有する。
・参照:ぶどうの丘 – Wikipedia

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♣ 牛久シャトーワイン資料館(茨城)

所在地:茨城県牛久市中央3-20-1 Tel. 029-873-3151
HP: https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/

牛久シャトーワイン資料館

 → 牛久シャトーは、実業家である神谷傳兵衛が、1903(明治36)年に茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場。フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めを一貫して行なっていました。現在は、約6万平方メートルある敷地内に、当時の建物を活かした記念館を展開し、神谷傳兵衛の足跡と当時のワイン造りの資料や、オエノングループの歴史を紹介しており、多くの方が訪れます。2007(平成19)年11月には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定、2008(平成20)年6月には国の重要文化財に指定、そして2020(令和2)年6月に「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されるなど、その歴史的価値の高さが広く認められています。

神谷傳兵衛
神谷傳兵衛記念館内部
館内展示の一部

 現在、明治36年から117年以上、大切にされてきた日本初の本格的ワイン醸造場「牛久シャトー」の復活を果たすべく、クラウドファンディングが行われているようだ。

・参照:神谷傳兵衛記念館 | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/memorial_hall/
・参照:オエノン ミュージアム | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/museum/ 
・参照:オエノンホールディングス – Wikipedia

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♣ 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所(ワイン城)

所在地:北海道中川郡池田町清見83-4
HP: https://www.tokachi-wine.com/

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所

 → ヨーロッパ中世の古城に似ていることから「ワイン城」と名づけられ親しまれている池田町のブドウ酒研究所。1963年に運営を開始した日本初の自治体ワイナリーである。 館内の地下熟成室には多くのオーク樽やオールドビンテージ、樽熟成、ビン熟成、そして既に出荷を終えた年代物のワインの数々が並んでおり、十勝ワイン製造の中核であることを示している。 一階の「廊ミュージアム」では、十勝ワインの製造方法やブドウ栽培のことなどの展示がり、池田町のワイン造りのきっかけとなった歴史を伝えるパネル展示、併設されたライブラリーには珍しいワインに関する図書を見ることができる。また、ブランディーも製作しており、蒸留室では、ブランディーを造るための蒸留器と実際にこれを熟成している樽をガラス越しに見学することができる。2020年6月にはリニューアルオープンし、より一層ワイン巡りを楽しめる施設へとパワーアップも図られている。ワイン城の南側の斜面にはブドウ展示園があり、池田町だけの品種「清舞」「山幸」などのブドウの樹が植えられている野を見ることができる。

十勝ワイン
館内展示
ワイン熟成室
栽培している葡萄

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(参考資料)

○ ワインの国 山梨(山梨県ワイン酒造組合)(甲府)

所在地:山梨県甲府市東光寺3-13-25 地場産業センター2階
 HP: https://www.wine.or.jp/wine/index.html    

→ 山梨県ワイン酒造組合の「ワインの国 山梨」では、県内のワイナリーの概要を紹介している。日本のワイン発祥の地である山梨県には、明治初期創業の老舗から令和に新設された醸造所まで。新旧80余のワイナリーが集まっている。ここでは、インターネット上で山梨県ワイン酒造組合に所属のワイナリーを掲載している。
・参照:https://www.wine.or.jp/winery/index.html

○ 日本のワイナリー紹介(| 日本ワイナリー協会)
HP: https://www.winery.or.jp/winery-map/

→ 日本各地の個性あふれるワイナリーをインターネットで紹介している。探している地方のワイナリーを地図上から選択して検察することができる。

○ 日本のワイナリー紹介 | 日本ワイナリー協会
  See: https://www.winery.or.jp/winery-map/

○ 全国のワイナリー/ブルワリー(Yahoo!トラベル) 
See: HP: https://travel.yahoo.co.jp/kanko/category-winery/

○ 国内のワイナリー数(国税庁)
  See: https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/seizo_oroshiuri/r03/pdf/06.pdf

○ ワインの試飲や工場見学を楽しもう・おすすめワイナリー12選 (Tripa) 
  See: https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/6Lehc
  See: 甲州勝沼の有名ワイナリー7選(たのしいお酒.jp)https://tanoshiiosake.jp/11333

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<参考資料>

  • 中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)
  • 川島智生「近代日本のビール醸造史と産業遺産」(淡交社)
  • 日本ビール文化研究所「日本ビール検定公式テキスト」(実業之日本社)
  • キリンビール株式会社「図説ビール」(ふくろうの本)」
  • 吉田元「近代日本のさけづくり」(岩波書店)
  • 山本博「日本のワイン」(早川書房)
  • 音羽和夫「ワインと博物館」(共立出版)
  • 仲田道弘「日本ワインの夜明け」(創森社)

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(洋酒の項  了)

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「食と農」の博物館(4)醤油と味噌の世界(博物館紹介)

 醤油と味噌は日本を代表する和風調味料である。このセクションでは、この醤油と味噌がどのようにして誕生して発展したかの歴史、どのような製法を持ちどのような特徴持っているかなどを、代表的な醤油・味噌メーカーが提供する博物館、見学施設を中心に紹介してみることにする。勿論、全国各地にはここには。ここでは触れていない多くの醤油・味噌の蔵元があり、見学の機会を提供しているものがある。是非、各地方の蔵元などをチェックして欲しい (see**).

<醤油の世界>

♣ もの知りしょうゆ館(キッコーマン)       

所在地:千葉県野田市野田110 キッコーマン食品野田工場内  Tel.04-7123-5136
HP: https://www.kikkoman.com/jp/shokuiku/factory/noda/

キッコーマンのしょうゆ工場

 → キッコーマンのしょうゆ工場の中にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」は、日本の代表的な調味料である“しょうゆ”の製法と特徴を紹介するミュージアムである。ここでは「しょうゆができるまで」を見学することができ、醤油熟成の様子や醤油の色・香りを体験できるコースが用意されている。また、「しょうゆの歴史」や「しょうゆの知識」などのわかりやすい解説もなされており、醤油誕生の歴史、醤油精製・発酵のメカニズム、食生活での醤油の役割などについて詳しく学ぶことができるのが魅力。多様なキッコーマン醤油や関連食品の展示もあり興味深い食品博物館となっている。

館のの入口回廊
醤油過程の説明
もろみの発酵工程

 なお、施設内には、御用醤油醸造所(通称「御用蔵」が移設されていて、伝統的なしょうゆ醸造技術や1939年の御用蔵建設当時の建物や道具、装置を保存・展示しているのがみられる。御用蔵では、江戸時代から続いている伝統的なキッコーマンのしょうゆ醸造の知識を深めることができる貴重な歴史遺産となっている。

御用蔵の建物
蔵の内部展示

<キッコーマン醤油の歴史>

キッコーマンの歴史を示す展示

 キッコーマンは、1917年に千葉県野田市の醸造家たちが合同で「野田醤油株式会社」を設立したのが始まりである。江戸時代初期から、野田での醤油造りは、良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など原料の確保が容易なこと、大消費地江戸への水運がよかったことから消費が伸び急速に盛んになっていった。こういった中、江戸中期、1781年に高梨家、茂木家など7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成、これが野田の醤油造りをさらに盛んにした。1800年代中頃には、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が「幕府御用醬油」の指定を受けている。明治になった1887年には、これが基礎になって「野田醤油醸造組合」を結成、1917年に茂木一族と髙梨一族など8家合同による「野田醤油株式会社」が設立された。これが後のキッコーマン株式会社となっている。ちなみに、キッコーマンの商標『亀甲萬』は茂木家が使っていたものが使われた。現在では、日本一の醤油生産量を誇り、海外にも積極的にも市場を広げ積極的に輸出を進めている。また、醤油以外の食品販売にも力を入れつつあり、総合食品メーカーともなっている。

・参考:話題の工場見学へ!キッコーマン「もの知りしょうゆ館」を訪れよう https://tabicoffret.com/article/81821/
・参考:キッコーマン野田工場を見学「もの知りしょうゆ館」をレポート! https://factory-fan.com/kikkoman-noda-report/
・参考:野田の醤油醸造 – Wikipedia

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♣ しょうゆ味わい体験館(ヤマサ醤油)            

所在地:千葉県銚子市北小川町2570  Tel.0479-22-9809
HP: https://www.yamasa.com/enjoy/factory-visit/

しょうゆ味わい体験館

 → 工場見学と組み合わせて醤油づくりを学ぶことができる体験博物館。見学ツアーは、工場見学センターからスタート。ヤマサ醤油の歴史やしょうゆの造り方などの動画をみた後、ヤマサ醤油の歴史的資料と昔のしょうゆ造りに使った道具の展示を見ることができる。ここの歴史史料では、しょうゆ発祥の地といわれる紀州(和歌山県)湯浅の隣町出身であるヤマサ醤油の創業者初代濱口儀兵衛が、しょうゆ造りの本場に伝わる技と味を、新たな生産地銚子に持ち込んだ歴史や、銚子で栄えた醤油開発の理由、昔のしょうゆ造りのあり方や道具など学ぶことができる。このヤマサ醤油の来歴と銚子での醤油つくりの背景は非常に興味深いので簡単に紹介しておく。

体験館の展示コーナー
じょうゆ造りの道具類

<ヤマサの歴史>

江戸時代の醤油づくりの図

 初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡ってヤマサ醤油を創業したのは、江戸幕府誕生から42年後の1645年(正保2年)だという。以来、創業から3世紀半以上、途中若干の起伏盛衰はあったものの12代にわたり醤油を作り続けている。そして、創業から約200年後、幕末の1853年に、7代濱口儀兵衛が幕末から明治にかけて、社会問題にも取り組みながら実業家としての力を発揮しヤマサを大きく発展させた。1864年には幕府より品質に優れた醤油として「最上醤油」の称号も得ている。明治になると、彼を引き継いだ8代目は、これからは洋食の時代が来るとして国産ソース第一号のミカドソースという名の醤油ソース(醤油をベースにしたソース)を作っている(注*)。

濱口儀兵衛
明治期の醤油工場

 また、明治の社会近代化の中で醤油は生活必需品として消費量も増加、手工業的の要素が強かった製法も機械化が進んでいく。こういった中、家業を引き継いだ10代目浜口儀兵衞は、1893年(明治28年)から「醤油王」と呼ばれたように、50年間で醤油の科学的発展に尽くし、醤油の微生物を活性化させる工業的な発想を実践に移す。彼は、まず、醤油研究所を設立、これまでカンと経験に頼っていた醤油醸造を科学的な手法に変革して、ヤマサ独自の菌「こうじ菌」などの改良に力を注いでいる。

市場を広げるヤマサ

 戦前にヤマサ醤油が作っていた醤油は、「こいくち醤油」だけだった。しかし、戦後は食文化の復興と生活の向上といった時代のニーズに応えた醤油を開発を進めていく。例えば、うま味の相乗効果を利用した新ジャンルの「新味しょうゆ」、「さしみしょうゆ」などである。1992年には、有機栽培大豆を使った「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を業界に先駆けて製品化している。ヤマサによって、新たな種類の醤油が生まれている様子がうかがえる。

・参照:*「みかどソース」https://recipe.yamasa.com/blog/27
・参照:https://www.yamasa.com/enjoy/history/

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♣ 醤油史料館 (ヒゲタ史料館)      

所在地:千葉県銚子市八幡町516  Tel.0479-22-5151
HP: https://www.higeta.co.jp/enjoys/archives/

ヒゲタ醤油工場

  → ヒゲタ醤油は、1616年(元和2年)からの房総半島銚子を創業地とする醤油メーカー、関東の醤油づくりでは最も古い歴史を持っている。かつては「銚子醤油」という社名であった。このヒゲタが醤油のルーツと歴史を紹介するため設立したのが「史料館」。史料館では、醤油造りに必要な各種の桶や樽、製作工具、醤油を江戸まで輸送した際の高瀬船の模型、容器の変遷などに関する資料を展示している。珍しいものでは、仕込み桶の板を削る“大かんな”などがある。工場見学もあり、醤油製作技術の歴史をみるには最適。なお、ヒゲタは、1937年(昭和12年)には野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)と資本提携、1966年(昭和41年)には同社と販売委託契約を結んで、キッコーマンとの関係を強化している。

館内の展示コーナー
展示された醤油づくり道具

<ヒゲタの歩み>

明治時代のヒゲタの工場

→ 田の四隅にヒゲがついたような商標がトレードマークのヒゲタ醤油は、関東の醤油メーカーでは400年以上の歴史を持っている老舗。銚子に初めて醤油が伝わったのは、1616年のことで、摂津国西宮の酒造家・真宜九郎右衛門から醤油製造法を伝授された豪農・田中玄蕃が醤油業を起業したのが起源といわれる。銚子は温暖多湿で、麹菌や酵母など微生物の生育に適している季候と地理条件を利用したヒゲタは、江戸時代に“濃口しょうゆ”製法を確立したといわれる。江戸は全国からの出稼ぎの街であり、いろいろな食文化が混ざり合った結果、「安く、早く、美味い」甘辛い味が好まれる傾向があった。また、江戸湾のプランクトンおかげで「魚」が新鮮で「おいしく」なり「刺身」が大流行した。そのとき、魚の臭みも取りながら、おいしく食べるのに必要だったのが「濃い口醤油」だったという。

各地に運ばれたヒゲタ醤油

 こうして、銚子の醤油は銚子港から江戸に船で運ばれて庶民にも親しまれることになる。江戸初期、江戸庶民は、上方からの「うすくち」の醤油が「下りもの」として高級とされたが、次第に、濃い口が好まれるようになる。江戸では、他地域からの職人、単身者も多かったため、塩分のやや濃いしょうゆが好まれたという背景もあったようだ。現在でも東京の蕎麦屋さんの多くはヒゲタの愛用者といわれ、プロに珍重される本格的な「そばつゆ」「めんつゆ」「かえし」などもヒゲタ醤油の大きな柱となっている。

・参照:https://www.higeta.co.jp/company/history/
・参照:ヒゲタ史料館 JAFナビhttps://drive.jafnavi.jp/map/spots/121112050012/
・参照:https://traveltoku.com/higeta/
・参照:玄蕃蔵物語 | ヒゲタ醤油 https://www.higeta.co.jp/enjoys/tenchijin/genbagura/ 

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♣ 正田醤油正田記念館

所在地:群馬県館林市栄町3-1  Tel. 0276-74-8100
HP: https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

正田記念館

 → 正田記念館は、嘉永6年(1853年)に居宅・店舗として2代正田文右衛が創建した建物を記念館としたもの。明治6年(1873年)、江戸時代から続く米穀商「米文」を3代正田文右衛門が引継ぎ、将来性あるとみた醤油醸造業へと転身、正田醤油として発展させた。以来、建物は(1986年まで本社屋として使用され、現在は登録有形文化財に指定されている。「正田記念館」では、正田家300年の家系図に始まり、創業当時の醸造道具や昭和初期のポスターなど、江戸時代から明治、大正、昭和にかけての記念品を数多く陳列、正田300年の歴史を詳しく記録している。

正田文右衛門(三代)
記念館の展示室
歴代の醤油道具

 この記念館は、同時に、現日清製粉の創業者である日清製粉の創業者正田貞一郎氏の生まれた正田家のルーツを示すものとなっている。ちなみに、正田貞一郎氏は上皇后となった美智子様の祖父に当たる。

・参照:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231030/se1/00m/020/003000d
・参照:里沼(SATO-NUMA)|日本遺産ポータルサイトhttps://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story070/
・参照::会社概要・沿革 正田醤油株式会社https://www.shoda.co.jp/corpo/profile
・参考:正田醤油正田記念館 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139578
・参考:正田醤油株式会社| 施設案内 |正田記念館見学 https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

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♣ うすくち龍野醤油資料館        

所在地:兵庫県たつの市龍野町大手54-1  Tel.0791-63-4573
HP: https://www.higashimaru.co.jp/enjoy/museum/museum01.html

醤油資料館のある建物

  → 旧播磨の龍野地区は、和歌山の湯浅、小豆島、野田、銚子などと共に、古くからの醤油の生産地であった。この「資料館」は、16世紀以降、京都、大阪などの市場で発展した龍野の薄口醤油の歴史や食物文化の伝統を伝えようと、1979年、全国初となる醤油資料館として誕生したもの。館内では、龍野の風土と淡口醤油造りと匠の技を紹介しているほか、龍野醤油協同組合各社の保管になる資料を中心に、江戸時代からの醤油醸造用具や資料など約2400点を展示している。資料館の建物は、片岡家創業になる菊一醤油造合資会社の本社として建てられもので、国登録有形文化財に登録されている。

醤油工場
醤油醸造用具
醤油醸造用具

<龍野醤油のはじまりと現在> 

醤油の里龍野の地形

 → 龍野醤油の醸造の始まりは1587年頃 (天正15年)と伝えられている。背景には、1.揖保川の水質、2.主原料の播州平野の大豆、小麦、米と赤穂の塩、3.水運を利用した京都、大阪、神戸の大消費地への輸送ルート、4.龍野藩の産業奨励政策にあったといわれる。江戸時代の初期、醸造商家の円尾家、横山家、片岡家などが試みで、醤油“もろみ”に糖化した甘酒を添加して搾ったところ、色がうすく香りの良い「淡口(うすくち)醤油」ができ、これを商品化したことが起源とされる。この独自の風味が京、大阪の上方の嗜好に合い人気を得たのである。その後も関西を中心に龍野の醤油は市場を広げて、生産は伸び年産7,200kl(4万石)を出荷していたという。

龍野醤油の看板(大正時代)
昔の醤油仕込み樽

 明治になると業界の組織化も行われ、淡口(うすくち)醤油の生産は年間33,000kl(18万石)に達している。当時の有力メーカーとして登場した中には、菊一醤油(1893年)、浅井醤油(1869年)、ヒガシマル醤油などの名がある。その後、戦争により一時低迷したものの、昭和28年頃から再びその生産は活発化する。1971年、中小企業近代化促進法により組合員の殆どが参加した共同出資による龍野協同醤油(株)を設立させている。また、近年の消費者の嗜好変化等に合わせるため、「つゆ・だし」等の醤油関係製品の開発や健康志向に応えて醤油に含まれる機能成分を生かした製品開発も行なわれている。現在では、兵庫の龍野は、千葉県、香川県とともに全国三大産地の一つに数えられる。

・参照:なぜ龍野の「うすくち醤油」- HISTRIP(ヒストリップ)https://www.histrip.jp/171109hyogo-tatsuno-2/
・参照:兵庫県/醤油よりhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/jibasan/05.html
・参考:ヒガシマル醤油(沿革)https://www.higashimaru.co.jp/about/history.html
・参考:林、天野「日本の味醤油の歴史」吉川弘文堂刊

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♣ 湯浅しょうゆ「角長」資料館と職人蔵          

所在地:和歌山県有田郡湯浅町湯浅7  Tel.0737-62-2035
HP: https://www.kadocho.co.jp/museum.html 

「角長」資料館

 → この資料館と職人蔵は、1841年(天保12年)に創業した湯浅醤油の老舗「角長」の運営する醤油博物館。紀州(和歌山県)は、醤油発祥の地として知られるが、「角長」は鎌倉時代より、750有余年にわたって受け継がれてきた伝統の醸造法を現在に伝える湯浅で唯一の手づくり醤油の醸造蔵といわれる。醤油資料館ではジオラマやパネル等で醤油づくりをわかりやすく紹介、また、職人蔵では角長が使っていた貴重な醸造道具を展示している。このうち幕末から明治にかけて建てられた醤油蔵など11棟の建物が国の重要文化財に指定されている。

館内の作業場展示
仕込み場
足踏みの小麦挽き割機
明治初期湯浅豪商図

 角長職人蔵は、慶応2年に建った80平方米の仕込蔵で、展示してある道具類は全て実際に使われた器具類で、その一つ一つに古人の汗と苦労を見ることができる。

 一方、醤油の起源は、遥か中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌に始まるとされる。この味噌の桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であるという。湯浅の角長資料館は、日本で「しょうゆ」が生産され、日本の味覚として定着していく過程を確認できる貴重な施設といえるだろう。

・参照:湯浅町観光公式ホームページ「角長」https://www.yuasa-kankokyokai.com/spot/338/
・参照:日本の食文化にふれる旅|大丸松坂屋友の会 https://www.dmtomonokai.co.jp/magazine/2022summer/05/

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♣ マルキン醤油記念館  

所在地:香川県小豆郡小豆島町苗羽甲1850  Tel.0879-82-0047
HP: https://marukin.moritakk.com/kinenkan/

マルキン醤油記念館

 → 小豆島の丸金(マルキン)醤油が創業80周年を記念し、1987年、工場のひとつを記念館として開館した醤油記念館である。歴史的な建物を利用した記念館の内部では、明治時代に実際に使用していた道具やパネルなどが展示されており、当地のしょうゆ造りの歴史や製造方法について分かりやすく解説紹介している。工場では、大きな機械を使ってしょうゆを搾っている様子をガラス越しに見学することもできる。

記念館内部
仕込みの作業場

  ちなみに、小豆島は、瀬戸内海で2番目に大きな島で、美しい海と明るい太陽に恵まれ、オリーブの島として知られているが、同時に「しょうゆの街」とも呼ばれているという。小豆島は良質な塩と小麦に恵まれていたこと、本州と四国、九州を結ぶ海上交通の要衝であったことから古くから醤油づくりが盛ん行われていた。特に、文禄年間(1592~1595年)、大坂城築城のために小豆島へ採石に訪れた大名たちが、調味料として紀州・湯浅で造られた醤(ひしお)を持参したことから、湯浅の製法を学んでしょうゆ造りが始まったと伝えられている。その後も、小豆島醤油造りは、瀬戸内の海運を利用して江戸時代を通して市場を拡大し発展をとげる。そして、明治初期には小豆島のしょうゆ造りは最盛期を迎え、島内には約400もの“しょうゆ蔵”を誇ったといわれる。

丸金醤油の樽

 こういった中で、1907年に、木下忠次郎ら有力醸造家によって丸金醤油株式会社が設立された。その後、製品の評価も高まり、1910年には日英博覧会で「金賞」(金牌キンパイ)受賞している。現在では、キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタに次ぐ有力醤油メーカーとなっている。このようにマルキン醤油記念館の展示を見ることで、関西の醤油、特に香川県小豆島の醤油づくりの伝統と技術の中身を知ることができる。

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♣ 醤遊王国 (弓削多醤油)                      

所在地:埼玉県日高市田波目804-1  Tel.042-985-8011
HP: https://yugeta.com/kingdom/

弓削多「醤遊王国」

 → 弓削多醤油は、1923年に埼玉県坂戸市で創業した地場醤油の蔵元。それ以前は農業を営んでいたが、初代当主弓削多佐重が醸造業興味を持ち、入間市にあった醤油蔵から蔵の設備や杜氏(とうじ)を丸ごと迎え入れ醤油生産を始めたという。この弓削多が作った見学施設が「醤油王国」。自前で作った木桶で醤油仕込む様子を工場で見学したり、醤油の醸造過程の解説を受けたりすることができる。また、ユーチューブでも醤油づくりを発信している。これらからは、伝統的な手法での醤油づくりに励み、古くからの日本の味を頑固に守り続けている様子がうかがえる。

・参照:https://yugeta.com/company/2371/ (YouTub) バーチャル見学 | 弓削多醤油
・参照:醤油工場見学 | 弓削多醤油https://yugeta.com/kingdom/1497/

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  • 参考資料:醤油産業の現状と醤油のなりたち

その1:醤油産業の現況と醸造業者の動向

 → 醤油製造業は食品製造業に分類される業種で、全国的な業界団体としては「日本醤油協会」、「全国醤油工業協同組合連合会」、「全国醤油醸造協議会」がある。現時点(2021年)で日本国内に1000社の醤油メーカーがあり。このうち、大手メーカーが 5 社で国内醤油の約 60 % 、準大手メーカー 9 社の17%を合わせた 15 社で 80 %近く を生産している。

醤油の6大メーカー

  したがって圧倒的多数は零細な中小醸造業者ということになる。それぞれは地方独自の特色ある醤油づくりを行って地元市場で活躍している。日本醤油情報センターによれば、しょうゆのJAS(日本農林規格)が整った昭和48年以降、毎年、ローカルな醤油業者を中心に「全国醤油品評会」が開催されており、2024年には288点の醤油が出展されたという。これらのうち、幾つかの蔵元は工場見学を積極的に行っており、醤油の生産現場を体験できる。

全国醤油品評会の参加企業図

・参照:日本の醤油メーカー – Wikipedia
・参照:全国醤油品評会 https://www.soysauce.or.jp/fair
・参照:全国しょうゆ工場見学リスト https://www.soysauce.or.jp/project/factory/list?area=kanto

その2: 醤油の成り立ちと歴史> 

「醤」
大餐図
(醤の名みられる)

 → 古代中国の「醤(ジャン)」が日本に伝わり醤油のルーツとなったといわれる。これがいつ頃かはわかっていないが、律令年間に宮内省が「醤院(ひしおつかさ)」を設けており、この頃には日本でも醤油の原形となる大豆の “醤(ひしお)”が造られていたとみられる。奈良時代から平安時代の宮中宴会で、今の醤油と味噌に近いものが調味料として使われた形跡もある。

禅僧覚心の像)
和漢三才図会略
造醸類 「未曽」の文字と図(国立公文書館)

 鎌倉時代に入ると、信州の禅僧覚心(法燈国師)が中国から径山寺味噌の製法を持ち帰った。この製造の過程で桶の底にたまった液体が、今の溜醤油に近いものであったと言われている。醤油はこの頃から日本に根付いたと考えられる。15世紀の「多門院日記」には、「醤」「味噌」「唐味噌」など醤油に関連する用語が多数みとめられる。

 

  この頃、近畿地方では醸造業者が次々に生まれ、京、大坂の料理に盛んに使われるようになっている。後に、関東の醤油に大きな影響を与えた紀州の「湯浅」醤油などは、この好例といわれる。また、播州の龍野では、京都の精進料理に合う「淡口醤油」がこの頃多数生産された。

(江戸の醤油消費と醸造業者)

江戸の賑わいと醤油
醤油番付

 そして、政治の中心となった江戸が日本一の大都市に発展していくと、さまざまな生活文化が育ち、江戸の人々の嗜好に合わせた「濃口醤油」が広まっていく。当初は、「下りもの」として京・大坂の醤油が珍重されたが、銚子、野田などの醸造業者が質の高い醤油を生産されはじめると、関東の「濃口醤油」が市場の中心を占めるようになる。このとき生まれたのが、ヤマサやキッコーマンの前身となる醤油醸造業者達である。そば、天ぷら、蒲焼きなどの江戸料理が完成したのは文化・文政時代と言われるが、そのどれもが醤油なしには生まれなかった味わいとなった。

各地に近代的な醤油工場が作られる

 明治時代になると西洋風の調味料が伝わり醤油も変革が迫られる。しかし、日本人の好む醤油の地位は揺らぐことなく、製法の近代化、工業的生産の拡がりで需要は伸び続けた。有力な醤油メーカーは、この時代に販路を広げ全国に醤油産業を振興させた。この頃から日本の生活水準、食生活の向上で醤油の普及も進んでいる。

日本醤油が海外へ

 昭和10年代、太平洋戦争下で醤油は一時統制物資となるが、戦後は配給公団が廃止され、価格統制も撤廃され、醤油業者が再び品質向上を目指せる自由競争の時代がやってくる。それから半世紀以上が過ぎた今、均質で優れた醤油が大量に生産され、日本国内はもとより、世界数十カ国に向けて輸出されまで発展する。日本の風土と文化に育まれた醤油は、日本食が世界的拡がりをみせる中、貴重な調味料として受け入れられるようになっている。日本発の醤油が世界の“醤油ソース”となって拡がりをみせているのである。

・参照:日本しょうゆ情報センターhttps://www.soysauce.or.jp/knowledge/history

(醤油の博物館 了)

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<味噌の世界>

♣ 八丁味噌の郷史料館(カクキュー)

所在地:愛知県岡崎市八丁町69番地 Tel.0564-21-1355
HP: https://www.kakukyu.jp/facilities_archives.asp

八丁味噌の郷史料館

 → 「カクキュー」が運営する「八丁味噌の郷」は、味噌蔵をはじめ、史料館、食事処を集めた味噌のテーマパークである。 この中、味噌蔵は石垣の上に建つ大きな蔵であったことから「大蔵」とも名付けられ登録有形文化財となっている。この1階は味噌の熟成に使われ、2階では八丁味噌の原料となる「豆こうじ」を作る作業が行われていた。一方、史料館では、昔ながらの味噌づくりの様子が等身大の人形で再現されているほか、宮内省御用達の資料やレトロなパッケージ、味噌の製造工程を示す道具、古い六尺桶など貴重な史料が展示されている。ちなみに、八丁味噌は江戸時代初期より変わらない伝統製法で造りつづけており、大豆と塩のみを原料に木桶に仕込み、自然の温度の中で二夏二冬(2年以上)熟成させて造られるといわれる。

八丁味噌の仕込み展示
仕込み蔵の木桶
味噌造り
玄佺館

 また、近くにある「玄佺館」は、2018年、カクキュー19代早川久右衛門の母方の実家、森家の蔵を移築して開館した資料館である。森家は元亀年間から約400年にわたる漢方医で、当主は代々「森玄佺」という名であった。「玄佺館」の名は「森玄佺」にちなんで名づけられという。館内では、味噌を始めとした醸造文化をパネルで紹介している。

<味噌の老舗カクキューと八丁味噌のいわれ>

御用達の許可(明治34年

 → カクキューは、戦国時代の末期、正保2(1645)年に誕生し、名前の「久」の字を四角で囲んだマーク「角久(カクキュー)」の屋号で創業した。500年の歴史を誇る味噌造りの老舗であり、当主は代々「早川久右衛門」を襲名している。この由来をみると、永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、家臣であった早川新六郎勝久が岡崎の寺へと逃れたが、その時、名を久右衛門に改め寺で味噌造りを学んだことから始まったという。 

八丁味噌

 そして、数代の後、徳川家康生誕の岡崎城から西へ八丁の距離にある八丁村(現在の愛知県岡崎市八丁町)へと移り、正保2年に味噌造りを始めたとのいわれがある。そして、久右衛門の造る味噌は、地名に由来して、いつしか「八丁味噌」と呼ばれるようになった。八丁味噌は、大豆と塩のみを原料に大きな木桶に仕込み、天然の川石を職人の手で山のように積み上げて重石とし、この八丁町(旧・八丁村)の気候風土のなかで二夏二冬(2年以上)を天然醸造で熟成させて出来上がる。味は大豆のうま味を凝縮した濃厚なコクと少々の酸味、渋味のある独特な風味が特徴といわれる。
  このカクキューの八丁味噌は、1911年、ドイツ帝国ドレスデン市で万国衛生博覧会で、三等賞の記念牌を受けたほか、日本の南極観測隊、マナスル登山隊の携行食品としても用いられた。

歴史を飾る玄佺館展示
カクキューの歴史展示
万国博記念牌(1911年)

・参照:愛知の発酵食ポータルサイト「あいち発酵食めぐり」https://hakko-aichi.jp/culture/detail/1/
・参考:Aichi Now https://www.aichi-now.jp/spots/detail/1818/
・参考:味噌蔵株式会社 カクキュー八丁味噌https://www.kakukyu.jp/facilities_kura.asp

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♣ 味噌資料館(マルダイ)

所在地:新潟県佐渡市羽茂大橋1553−1
HP: http://www.e-sadonet.tv/vivamaru/museum/museum.html

味噌資料館(マルダイ)

 → マルダイ社が味噌の歴史と特質の理解を促す目的で、1990年に開設した味噌資料館。 佐渡の味噌造りの風雪と星霜を経て形成された「海の味噌」文化の伝統を伝えているといわれる。館内のミニュチュア・ドール展示は、佐渡味噌にみられる古来の製法と現代の製法を比較して見学できるようになっている。また、館内杉桶天然仕込蔵「マルダイ天然10号庫」には、22本ある桶の底部分に嘉永8年の墨書きがあり、150年の星霜を刻むマルダイ味噌の伝統が示されている。

味噌職人
昔の味噌造り
最近の味噌製造器

 

(佐渡味噌の歴史> 

今も残る佐渡の醤油蔵

 味噌の商業的な生産が始まったのは、佐渡金山が発見され人口が急増した江戸時代以降となっている。元禄年間には相川で味噌屋町という町名が存在しており、ここで味噌作りが行われていたことがわかる。江戸時代末期から佐渡島から数万人単位で北海道に移住がはじまり、移住者たちは佐渡から味噌を取り寄せて食べるようになり市場は北海道に広がった。明治末期には製造業者が50社を超えたという。1909年には佐渡味噌協同組合を結成され、北海道で販売促進や品質向上の講習会を開催するなどの活動が始まっている。販路も樺太や千島列島、沿海州などに広がり、関東大震災後ごは関東にも出荷が増えている。1971年には2万トン以上が生産され、越後味噌と合わせた新潟県の味噌生産量は4万トンを超え、長野県に次ぐ2位となっている。1987年には新潟県内で製造される味噌およそ35,000トンのうち、約50%が佐渡で生産されたという。しかし、その後は生産量、出荷量共に減少傾向にある。マルダイも、佐渡のメーカーとして首都圏と北海道を中心に市場を広げていたが、現在やや販売不調といわれる。

佐渡で展開された味噌の歴史を示す写真

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♣ ハナマルキ「みそ作り体験館」

所在地:長野県伊那市西箕輪2701 Tel. 0265-95-1260
HP: https://misotaiken.jp/

みそ作り体験館

 → ハナマルキが、創業100周年記念として、伊那工場内に開設したのが「みそ作り体験館」。工場見学可能なみそ作りの見学・体験施設として来訪者も多い。特に、未来的なデザインの建物は、国内外数々の権威ある建築賞を受賞していることでも知られる。館内のシアタールームでは、味噌の基礎知識やみそ作りの工程の解説があり、伊那工場の見学に移ると、味噌が生産、出荷されている様子を映像で見ることができる、また、実際に味噌作りを体験するコースも用意されていて貴重。
 ハナマルキは、マルコメと共に日本を代表する味噌製造業の一社で、基幹商品は『風味一番』『おかあさん』など。1918年に長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)において、マルキ印の商標名で味噌・醤油製造を開始している。近年では「塩こうじ」の販売に力を入れているようだ。2012年には、ペースト状の塩こうじ、液体タイプの「液体塩こうじ」を発売している。

館内体験展示
ハナマルキ味噌展示
風味一番
おかあさん

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♣ 信州の味噌蔵(石井味噌)

所在地:長野県松本市埋橋 1-8-1
HP: https://ishiimiso.com/kengaku 

信州の味噌蔵
林立する大木桶

→ 創業より守り続けている杉桶の林立する味噌蔵。高さ2メートル以上ある杉の木桶の前で、天然醸造によるこだわりのお味噌の作り方を見学できる。ブランド商品は「信州三年味噌」で、昔ながらの天然醸造という造り方により三年前に仕込んだ味噌を限定品で販売している。石井味噌は、1868年(慶応4年) に初代、石井伴左衛門元忠が松本城下伊勢町で味噌醸造業を創業している老舗。

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♣ 角屋民具館 & 味噌溜り蔵 資料館

所在地:愛知県伊勢市神久6丁目8-25 Tel. 0596-23-3040
HP: https://www.kankomie.or.jp/spot/8007

味噌溜り蔵 資料館
資料館内部

 → 角屋民具館と味噌溜り蔵資料館は共に伊勢市のまちかど資料館として設立・公開。「角屋民具館」は、創業が天正3年(1575年)の「二軒茶屋餅」の砂糖蔵を利用した味噌博物館。「味噌溜り蔵」は100年前から味噌溜りの醸造をしている味噌醸造会社である。昔ながらの伝統的な味噌造りの技術を体験できる。

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♣ 豆みそ・たまり醸造「伝承館」

たまり醸造「伝承館」
醸造用具の展示

所在地:愛知県知多郡武豊町小迎51        
Tel. 0569-72-0030
HP: https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/128/

 → 伝承館では、“豆みそ”と“たまり醤油”の古い時代の醸造用具が展示されており、明治時代から今に続く醸造方法の見ることができる。たまりを搾る槽の操作実演や操作体験、樽や桶の修理実演も行っている。

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♣ 蔵元・桝塚味噌

所在地:愛知県豊田市桝塚西町南山6番地 Tel. 0565-21-0028
HP: http://www.masuzuka.co.jp/

桝塚味噌の蔵元
桧の木桶

  → 桝塚味噌の味噌蔵は、第二次大戦中、海軍の岡崎飛行場の格納庫であった建物や小学校の校舎を改装した味噌工場で今も現役である。その中には昔ながらの杉、桧の木桶が約400本あり、それぞれの木桶の中で味噌は育て上げられている姿を見ることができる。

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♣ 味噌醤油蔵 (博物館・網走監獄)(史跡)

所在地:北海道網走市字呼人1-1  Tel. 0152-45-2411
HP: https://www.kangoku.jp/exhibition_facility_misoshouyukura.html

博物館網走監獄
味噌の造り方指示書き

→ 博物館網走監獄は野外歴史博物館史跡となっている重要文化財。この中の味噌醤油蔵は、明治25年に過酷な条件の中で収容されていた収容者の自給自足を目ざし味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造していた。そこには、味噌づくりの道具や樽とともに、「味噌の出来るまで」と書かれたイラスト入りの看板が掲げられている。味噌の仕込みは熟練が要求されたので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたったといわれている。この蔵に展示してある樽は、五十石という大きな樽で約9,000リットル(1升ビン約5,000本)もの醤油が入る巨大なものである。

網走監獄内部
展示の味噌樽

・参照:網走刑務所の脱獄に“味噌”が一役(お母さん大学)https://www.okaasan.net/mjreport/25873/

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♣♥(みその原点と歴史)

 ここでは味噌の原点と歴史、食生活の中の味噌、地域の独自の味と多様性について簡単にレビューしてみた。

(みその原点と歴史)

中国から日本へ

→ みそは醤油と同様に、古代中国から日本に伝えられた調味料である。且つ、味噌の歴史は醤油より古く、醤油誕生のもとにもなった発酵食品といわれる。共に、古代中国の“醤”を根源とし、日本で工夫を重ねて編み出した独自の製法によって造られ、和食の一部として定着したというのが定説である。 歴史書によると「みそ」が文字として表れるのは平安時代の「三代実録」(901)といわれ、奈良の唐招提寺の開祖、鑑真和上が来日した時、「みそ」の“もと”が伝えられたとの説が有力である。

(武士の兵糧となった味噌)

戦国時代と味噌
味噌玉
味噌造り

  この「みそ」が、広く使われるようになったのは鎌倉時代頃で、この後、独自の和風調味料として発達する。時に鎌倉武士の食事は「一汁一菜」、1日5合の玄米ご飯に、みそ汁と魚の干物という献立が標準とされた。室町時代には、これが、後に一般庶民の食事にも組み込まれるようになる。一方、応仁の乱(1467)からの百年は戦乱の時期で、いくさ(戦)に行く兵士にとって、カロリー源の米と栄養源の「みそ」は必需品となっていく時代が到来する。味噌を固めた「みそ玉」は、戦いの携行品として必需であったし、縄に味噌を塗り込んで栄養源としたとの話もある。武田信玄が「信州みそ」の基盤を作り、伊達政宗の奨励した「仙台みそ」は、このとき生まれたともいわれる。

(江戸時代の食材味噌) 

江戸時代の味噌造り

 江戸時代になると、幕府、藩政府も食材、食料源としての味噌の生産を奨励し、各地で消費拡大が進むと同時、特産品として大都市を中心にも市場を広げていく。特に、人口100万近くを数えた大都市江戸はとりわけ大きな消費地となった。江戸の近郷の下総や埼玉の生産量ではまかないきれずに、家康の出身地の三河岡崎の「三州みそ」、「仙台みそ」などが海路で江戸に送られ、江戸の“みそ屋”は大変な商売繁盛をきたしたという。今も残っている落語「味噌蔵」や「味噌豆」をはじめ「東海道中膝栗毛」には各地のみそ料理が紹介されているほどであった。また、料亭をはじめとした飲食店が発展し、みそを使った料理が発達して品質も向上していく。味噌老舗のカクキューやマルコメ、マルダイ、石井味噌などは、この時代に生産者として登場している。

(近代化する食生活の中で味噌の発展と地域性) 

多様な拡がりをみせる各地の味噌

 そして、明治、大正時代に至ると消費生活の近代化の中で、調味料としての味噌の需要が拡大、全国規模での市場の拡がりをみせる。全国規模の味噌メーカーが誕生するのはこういった背景の中であった。一方、各地方で独自の製法を持つ味噌の醸造蔵も増え、バラエティーに富んだ味噌の提供と特徴ある味付の調味料「みそ」が食卓を賑わす存在となっていく。
 こうして、味噌は日本全国に広がる多様な味を持つようになり、地域ごとに独自の風味が発達した。北海道や東北では、豆の風味が豊かで濃い味わいの味噌が特徴、関東地方では、麦味噌や米味噌が一般的で、まろやかな味わい、中部地方や関西地方では、甘口の味噌や赤みそが主流となり独特のコクがあるといわれている、などである。

・参照:みその歴史 | みそ健康づくり委員会/ 味噌の公式サイトhttps://miso.or.jp/museum/knowledge/history/
・参照:みその歴史 | みそ健康づくり委員会https://miso.or.jp/museum/knowledge/history/
・参照:味噌の歴史、時代ごとの変化も解説( 肉のかとう)https://kato29.com/contents_post/nippon-miso-rekishi/

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(味噌の項 了)

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**参考:
・高橋万太郎「にっぽん醤油蔵めぐり」東海教育研究所刊
・岩本みさき「にっぽん味噌蔵めぐり」東海教育研究所刊
・吉田元「醤油」(ものと人間の文化史180)法政大学出版局刊
・渡辺敦光監修「醤油大全」東京堂刊
・林玲玲子・天野雅敏「日本の味 醤油の歴史」吉川弘文堂刊
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「食と農」の博物館 (3) お菓子の世界(博物館紹介)

ー 生活の中のお菓子文化の役割と歴史を探るー 

お菓子は日本の社会生活の中で重要な食事文化を形成している。このセクションでは日本で生まれた各種菓子の形成とルーツを訪ねると共に生活の中でどのような役割を果たしているか、その特徴は何か、歴史的な観点から見てみる。特に、京菓子の魅力と歴史をおってみることにした。

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♣ 江崎記念館(江崎グリコ)                   

所在地:大阪市西淀川区歌島4-6-5  Tel.06-6477-8257
HP: (https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/ezakikinenkan/

江崎記念館の建物

 → グリコの創業の歴史や創業時から現在まで受け継がれている菓子作りの技術や創意工夫をみることができる記念館。館内ではVRを活用しており、栄養菓子「グリコ」を試作やハート形ローラー、真空釜の実像がみられるほか、主力商品、歴代道頓堀グリコネオンのジオラマ、創業者・江崎利一が生前使用した思い出の品々愛用していた机・椅子などの展示もある。創業の歴史をみると、1919 年、カキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめた江崎利一は、グリコーゲンを活用した食品の商品化に着手したと伝えられる。やがて生まれたのが「栄養菓子グリコ」であった。

江崎利一
1920年代のグリコの広告
1940年代の大阪工場

1922 年には大阪の三越で赤い箱の栄養菓子「グリコ」を販売を開始する。戦時中、工場の焼失などがあったが、ビスケット製造からスタートして、「ビスコ」の製造を再開。次いで「グリコ」も復活。復興後「アーモンドチョコレート」「プリッツ」「ジャイアントコーン」「ポッキー」などの超ロングセラー商品を次々に生み出している。消費背活が豊かになるにしたがって、デザート類へのニーズが高まると、「プッチンプリン」を筆頭に、「カフェオーレ」「パナップ」「セブンティーンアイス」を誕生させている。記念館では、食品、菓子メーカーの成長を確認することができる。
 ・参考:江崎グリコ(Glico) 沿革 https://www.glico.com/jp/company/about/history/
 ・参考:江崎記念館 | Yahoo!トラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00017026/

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♣ グリコピア神戸(江崎グリコ)  ()                 

所在地:兵庫県神戸市西区高塚台7丁目1番  Tel.078-991-3693
HP: https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/glicopia/kobe/

グリコピア神戸

 → 家族向けの商品紹介と工場見学を組み合わせた観光博物館。普段は見学することができない貴重なビスコ工場内をスマートフォンやパソコンからご見学できる。ポッキーやプリッツの製造工程を近くで見学できるだけではなく、最新鋭の機械で作られた商品がお店に並ぶまでをわかりやすく説明してくれる。グリコの歴史や歴代のおもちゃも展示している。同様の施設は、千葉、埼玉などにもある。

館内の展示
主な商品の展示

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♣ 森永エンゼルミュージアム 

所在地:神奈川県横浜市鶴見区下末吉2丁目1−1  Tel. 0120-560-162
HP: https://www.morinaga.co.jp/factory/tsurumi/

森永エンゼルミュージアム

 → 家族向けの商品紹介と工場見学を盛り込んだ観光ミュージアム。森永製菓の歴史やお菓子の製造工程の映像、工場見学で体験できる。展示コーナーでは、森永の商品の特徴や、技術、製法、美味のひみつをご紹介する。製造ラインの見学では、小枝、ハイチュウプレミアムなどのお菓子の製造・包装ラインの一部を窓越しに見学できる。
 参考:【森永エンゼルミュージアム MORIUM(モリウム)&工場見学】サニー・けあサポートhttps://sanny-care.com/2024/05/17/morinaga-2024/

館内の展示スペース
企業の年譜と商品展示

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♣ 京菓子資料館(京菓子司 俵屋吉富)                 

所在地:京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町285-1  Tel.075-432-927
HP: https://kyogashi.co.jp/shiryoukan/)

京菓子資料館

 →「俵屋吉富は」江戸時代から続く京都の老舗京菓子店。この京菓子司展が1978年日本の和菓子文化を後世に伝えようと開設したのが「京菓子資料館」。常設展示として、「和菓子のあゆみ」を公開しており、古代から続く木の実や果物といった「果子」、奈良時代に遣唐使によりもたらされたと言われる「唐菓子」、鎌倉時代に禅とともに伝来した「点心」、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて布教や貿易を目的に渡来したポルトガル人・スペイン人によりもたらされた「南蛮菓子」、そして江戸時代以降に使用される砂糖や寒天といった「原材料の革新」などを受けて繁栄した「京菓子」の系譜を、歴史を追いながら資料や絵図、菓子見本などを用い詳しく紹介している。

資料館展示コーナー
江戸時代の菓子の図案帳と再現菓子
京菓子の最高峰といわれる「糖芸菓子」

・参照:京菓子資料館|#むすびhttps://www.kyoto.coop/musubi/cat346/post_125/
・参照: ことりっぷ(京菓子資料館)https://co-trip.jp/spot/1873?tab=3

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♣ 菓子資料室・ 虎屋文庫 

所在地:東京都港区元赤坂1-5-8 虎屋第2ビル3階・4階     03-3408-4125
HP: https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko)

→ 虎屋文庫は和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的として設立された和菓子の資料室。宮中の御用を勤めてきた虎屋グループの菓子見本帳や古文書、古器物などを虎屋文庫でとして保存・整理している。一般公開はされていないが機関誌などとして発信。
 ちなみに、「とらや」(虎屋)は、室町時代後期に京都で創業し、後陽成天皇在位中から御所の御用を勤めて以降、皇室御用達の製菓業となった。これまで約480年の歴史を持つが、明治時代になって東京に本店を移した。特に羊羹の製造販売で知られ、「とらやの羊羹」として広くその名を知られている。

虎屋文庫開設
「虎屋文庫」の数々

<参考資料としてー虎屋の歴史ー>

黒川光正
空襲で焼失した工場 (1945)
新築した赤坂「表町店」(1932)

 → 虎屋文庫第一回記事「とらや、東京へ」で虎屋の発展を概略次のように紹介している。 室町時代に創業して以来、京都で御所御用を勤めを続けてきたが、12代店主・黒川光正は、明治2年(1869)の東京遷都に伴い新天地・東京へ進出する決意を固める。京都店はそのままにして、庶兄・光保が出張所を設けて新しく御所御用を開始。そして、明治12年、光正は本格的な上京を決め、京橋区元数奇屋町(現在の中央区銀座)に「虎屋東京店」を開店する。同年9月には、赤坂区赤坂表(現在の港区元赤坂)に移転、ここに初めて赤坂の地で商いを始めることになった。その後、戦時の空襲、戦後の混乱などの不幸を経験したが、御用を続けながら広く一般に羊羹はじめ、数々の菓子類を一般に提供し現在に至っている。
・参照:虎屋赤坂店のあゆみhttps://www.toraya-group.co.jp/corporate/history-of-akasaka-shop


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♣ 成田羊羹資料館

所在地:千葉県成田市上町500  Tel.0476-22-2266
HP:  (https://nagomi-yoneya.co.jp/youkanshiryoukan/)

成田羊羹資料館

 → 成田羊羹資料館)は、成田市上町にある「米屋株式会社」の企業博物館。米屋の歴史と羊羹にまつわる展示を行っている。常設展示は、羊羹全体の歴史と米屋(よねや)の発展、創業者の物語り、米屋で過去に使っていた道具や広告の展示も行っている。ちなみに、米屋は、成田山新勝寺の精進料理「栗羹」にヒントを得て、日本ではじめて芝栗を練り込んだ栗羊羹を考案して商売をはじめた会社である。その後、米屋本舗として和洋菓子、カップ入り製品(水ようかん、ゼリー)などに手を広げて製造・販売を行っている。

作業部屋の様子
羊羹の歴史展示
昔の羊羹作り用具

・参考:米屋創業者 諸岡長蔵https://nagomi-yoneya.co.jp/history/sougyousha/

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♣ 村岡総本舗 羊葵資料館            

所在地:佐賀県小城市小城町861  Tel.0952-72-2131
HP: http://www.m-youkansiryoukan.jp/

村岡総本舗羊葵資料館

 → この羊葵資料館は、小城羊羹の老舗で知られる村岡総本舗によって昭和59年に開設された羊羹専門の博物館。昭和16年に建てられた煉瓦造りの砂糖蔵を改装して作られている。資料館の内部は一階が休憩室、二階が展示室となっています。羊羹の製法や歴史をビデオ・パネル・写真などで紹介するとともに、時代とともに変わってきた道具、砂糖、豆、寒天などの原材料や包装・レッテルなどの展示品が並び、羊羹の歴史と文化が集められている。

羊羹資料館の内部展示
昔の羊羹作りの作業場

・参考:小城羊羹初祖 村岡総本舗https://muraoka-sohonpo.co.jp/company
・参考:羊羹資料館|小城羊羹の歴史| http://www.m-youkansiryoukan.jp/history.htm
・参考:羊羹資料館|シュガーロード|http://www.m-youkansiryoukan.jp/sugerroad.htm

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♣ 氷砂糖資料館(中日本氷糖)               

所在地:岐阜県海津市南濃町津屋2812-100  Tel. 052-661-0113
HP: (https://nakahyo.co.jp/csr/museum/

氷砂糖資料館

 → 中日本氷糖が創業100周年を記念して、佐藤と氷砂糖に関する知識を広めることを目指して開設した資料館。館内では、砂糖の歴史、砂糖の消費と健康、氷砂糖との出会い、世界の氷砂糖、氷砂糖ができるまで、暮らしの中の氷砂糖といったテーマで展示がなされている。

製糖工場
世界の氷砂糖展示


・参考:砂糖のことなんでも学べる博物館「氷砂糖資料館」https://bqspot.com/tokai/gifu/295

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♣ コンペイトウミュージアム(大阪糖菓) 

コンペイトウミュージアム

所在地:大阪府八尾市若林町2-88  Tel.072-948-1339
HP: https://konpeitou.jp/

金平糖作り体験

→ ポルトガルからやってきた南蛮渡来のお菓子「コンペイトウ」。ここでは、この大阪糖の菓菓子の歴史や文化を学ぶことができ、オリジナルの金平糖作りが体験できる。日本の伝統菓子として世界中で人気のアニメなどに登場し、コンペイトウの魅力外国人からも人気を集めているという。

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(お菓子の博物館 了)

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「食と農」の博物館 (2) 食文化の歴史とくらし(博物館紹介)

    ―日本の食品産業と食文化の歴史とみるー

(作成作業中)

  今回のセクションでは、日本の食文化がどのように形成され発展してきたかを、農業技術発展、食品技術の発展、食品開発の観点から展示する博物館を紹介している。また、これら施設は各地に伝わる多様な食品、食材、菓子の特徴、メーカーの活躍を“ものづくり”のこだわりを詳しく示している。今回、これらを農業開発、家庭用一般食品、水産加工、発酵食品、酒造(洋酒、日本酒)などの観点から、どのように生まれ発展してきたかを各地にある資料館・博物館から眺めてみることとした。食品関係の博物施設は多様であり、かつ数も非常に多い。このコーナーではできるだけ沢山の施設を取り上げたが、漏れたものも多々あるのは了解許して欲しい。 
 第二回は、家庭用食品の博物館を紹介しつつ、日本の食文化の発展と歴史、食品産業の現状をみることとする。

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♣ 食とくらしの小さな博物館(味の素) 

所在地:東京都港区高輪3丁目13番地65号  Tel.03-5488-7305
HP: (https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/)  
・参考:味の素「食とくらしの小さな博物館」を訪問:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/

博物館の入口

 → この「食とくらし博物館」は、味の素グループの創業以来100年の足跡をたどりながら、日本の食文化変遷と同社の加工食品、調味料の進化を展示している食文化博物館である。当初、味の素社の研修施設としてつくられたものだったが、その後、一般向けに開放し、公共の博物資料館となった。 館では、小さな施設ながら、創業の歴史、開発した商品紹介のほか、日本人の食生活の変化を伝える展示を広く行っていて貴重である。そこには、創業者が「うまみ」成分を見いだして商品事業化していく様子、味の素が歴史を彩ってきた調味料の数々、開発してきた食品商品群が実物や写真で詳しく紹介されていて興味深い。展示施設は三つの展示コーナーからなっており、最初は味の素の歴史と商品を示す主展示、第二は日本の食事文化の展示、第三は食品ライブラリーである。

館内の展示場スペース
事業の展開を示す展示

  最初の主展示室では、味の素創業の歴史を示す写真、映像を展示しながら味の素100年の商品群の紹介を行っている。また、時代毎の人々の暮らしと食卓風景を描写しているのも興味深い。第二の「食文化展示室」では、企画展示として、味の素が所蔵する錦絵や当時の料理レプリカを公開、江戸時代の食文化を代表する季節毎の名物料理を紹介するなどテーマ毎に入れ替えて展示している。 第三の「食の文化ライブラリー」は「食」に関する専門図書館で、蔵書は約40,000冊を数え、江戸~昭和の料理書を中心とした貴重書も2,000冊以上あり、食に関する映像資料も多数所蔵している。味の素社の歴史や日本の食文化の歴史を知るには最適の施設であろう。

<多様な商品展示>

 また、商品展示では、事業多様化と商品群紹介が大きなテーマとなっている。味の素は、社名を「味の素株式会社」と改めて、新しい消費市場動向に合わせた新製品の投入、調味料以外の事業多様化も進めていったが、展示ではその過程がよくわかる。例えば、販売政略では、1951年に容器を瓶詰めスタイルから「ふりかけ式」へ変更、1958年には、傘下に「日本コンソメ株式会社」(後のクノール食品)を設立してスープ市場へ進出、1960年には「アジシオ」、1962年には総合調味料「ハイミー」を発売している。さらに1968年に「味の素KKマヨネーズ」、1970年、マーガリン「マリーナ」、和風調味料「ほんだし」など新商品の投入が相次いだ。

味の素の食品展示
歴代商品の展示

 特に大きいのは、1972年頃からの冷凍食品市場への参入。1972年以降の「エビシュウマイ」、同時期の「(冷凍)ギョウザ」などが例である。そのほか「ハンバーグ」、「エビグラタン」「麻婆豆腐」といったものも試行錯誤で製作された。

味の素の冷凍食品
新しい冷凍食品見本

この冷凍食品は、1980年代以降の電子レンジの普及と共に大きな市場として注目されていたものであった。展示された味の素の商品群をよく見ると、そのまま日本の食材・調味料・食品の代表的なものといってよく、日本の食生活と社会変化を感じさせるものとなっている。

 ○ → また、博物館で紹介されている、味の素の創業と発展は日本の食品産業展開の一つの姿といってよく、興味あふれる展示内容である。ここでは、鈴木三郎助が、「うま味」成分を発見した科学者池田早苗と組んで、味の素を創業し、食品企業として発展していく姿を参考資料として、以下に簡単に触れておく。

♥ 参考資料:「食とくらし博物館」でみる味の素の創業と発展

<昆布とヨードから始まった「味の素」の創業>

初期の味の素工場(当時鈴木製薬所)
鈴木三郎助と池田菊苗

 「味の素」の創業は1909年(明治42年)とされるが、1907年創業者である鈴木三郎助が「鈴木製薬所」を設立し、“ヨード事業”を開始したことが起源とされる。また、科学者池田菊苗が“昆布だし”成分がグルタミン酸という「うま味」であることを発見し、鈴木が同氏と共同で商品化を進めたことが味の素社の発展へとつながっていくのであるが、この経過は博物館の展示コーナーに設けられた映像資料で詳しく紹介されている。
 しかし事業には大きな困難が伴ったようだ。まず、生産技術面では、有毒塩素ガスの処理、腐食を防ぐ加工用容器に開発が必要なった。多く試行錯誤を経て最後は容器として地元の「常滑焼」甕が選ばれた。博物館には、当時の苦労を偲ぶため工場の常滑焼の甕(道明寺甕)が現在も展示されている。

<味の素の先進的な役割> 

グルタミン酸の特許証
味の素の新聞広告

 近年、日本の和食が独自の味文化の認識と健康志向よって世界的な認知度が高まっているようだ。この中でいろんな食品メーカーが活躍しているが、味の素は、その豊富な商品群と積極的な市場開発において代表的な存在だったと思える。展示された味の素の商品群は、そのまま日本の食材・調味料・食品開発の代表的なものといってよいだろう。戦後日本の社会生活、生活スタイルが形成される中で、日本の “食品文化”の核「和風のだし」“うまみ“が果たしてきた大きな役割、その技術発展が多くの独自の食品群をうみだしていることがよく認識できる「食とくらしの博物館」である。

 ・参照:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/より
 ・参考:食とくらしの小さな博物館―知る・楽しむー 味の素 株式会社    https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/
 ・参考:社史・沿革 | グループ企業情報 「味の素グループの100年史」 https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/aboutus/history/

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♣ 味の素グループうま味体験館 

所在地:神奈川県川崎市川崎区鈴木町3番4号  Tel.0120-003-476
HP:(https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/kengaku/kawasaki/tour_umami.html 

味の素うま味体験館

→ 体験館では、“うま味”調味料「味の素」の歴史展示、“うま味”食材の紹介、「味の素」の原料・製造工程の見学などの事業を行っている。これらを通じて「おいしく食べて健康づくり」という志を広げ、うま味を発見した日本人科学者の紹介、“うま味”食材への知識を広げることを目的としている。

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♣ たばこと塩の博物館          

所在地東京都墨田区横川1丁目16−3  Tel.03-3622-8801
HP: https://www.tabashio.jp/

たばこと塩の博物館

 → 「たばこ」と「塩」の歴史と文化、製法の変遷を中心としつつ、幅広い社会テーマを取り上げて展示する博物館。日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)により、1978渋谷公園通りに設立。その後、2015年に墨田区横川の現地に移転し、新改装して再開館している。
 たばこは、アメリカ大陸の古代文明のなかで、儀式用の植物として人類に利用されたことを文化的な起源とし、16世紀以降、嗜好品として世界中に広まり、各地に特色ある文化が形成している。日本へは、16世紀末に伝来し、江戸時代を通して庶民文化にとけこみ、独自のたばこ文化が生まれた。一方、塩は、生命の糧として、人類と深い関わりをもっているが、日本では岩塩等の内陸の塩資源に恵まれず、縄文時代以来、海水を原料として濃い塩水を作り、それを煮つめるという独自の製塩技術が発達させてきた。

日本のたばこの歴代ポスター展示
中東のパイプたばこ器

 これらを背景として、「たばこと塩の博物館」では、たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を広く紹介している。また、たばこと塩を中心としつつ、幅広いテーマを取り上げて多彩な特別展を開催しているのが特徴。
 世界の塩展示コーナーでは、世界の塩資源として、海水の成分、世界の塩資源の分布などを紹介、珍しい岩塩彫刻も展示している。日本の塩コーナーでは、古代の塩焼き、各地の塩の揚浜、流下式塩田、現在の製塩をテーマに展示している。

岩塩彫刻(聖キンガ像の祭壇)
日本の塩田を表わした模型
塩田塩の煮詰め精製道具

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♣ 赤穂市立歴史博物館〔塩づくり〕 

所在地:兵庫県赤穂市上仮屋916番地の1  Tel.0791-43-4600
HP: http://www.ako-rekishi.jp/salt/

赤穂市立歴史博物館

 → 赤穂地方は古くから塩の産地として栄えてきた。なかでも江戸時代には入浜塩田による製塩法が完成され、その技術は瀬戸内地方を中心に広く伝わった。ここでは、赤穂流の入浜塩田の特色や技術、また赤穂塩の流通などについて、製塩用具(国指定重要有形民俗文化財)、入浜塩田模型、塩廻船模型などで説明している。特に、製塩用具は、今日では見られない塩づくりの技術や作業の過酷さを教えてくれる。

製塩作業をする人
製塩の道具類

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♣ 坂出市塩業資料館(塩づくり) 

所在地:香川県坂出市大屋冨町1777-12  Tel.0877-44-5036
HP: https://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/bunkashinkou/engyou-musium.html

坂出市塩業資料館
塩作りをする人

 → 人間にとって必須である「塩づくり」の過程を紹介する資料館。坂出市は,塩作りにより発展してきている。その塩作りの歴史・文献などを保存,展示している資料館。塩田製塩時代の坂出の塩づくりのれきしをみることができる。

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♣ カップヌードルミュージアム横浜(安藤百福発明記念館) 

所在地:神奈川県横浜市中区新港2-3-4  Tel.045-345-0918
HP: https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/yokohama/       

カップヌードルミュージアム横浜

→ 世界初のインスタントラーメンを発明し、世界の食文化を革新した日清食品創業者・安藤百福の生涯を紹介すると共に、同社の多彩なカップヌードルを一堂に展示・紹介している。館内では、自分でデザインした「カップヌードル」「チキンラーメン」を作る「マイカップ ヌードル ファクトリー」、アジアのナイトマーケットをイメージした世界中8か国の麺料理を味わうことができる「ヌードル・バザール」などのアトラクションが用意されている。また、展示ではインスタントラーメン ヒストリーキューブ、日清食品の創業者安藤百福の半生を描いた百福シアター、百福の研究小屋も必見である。

世界のカップヌードル展示
ヌードルハウス
百福の研究小屋

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♣ カップヌードルミュージアム大阪(安藤百福発明記念館) 

所在地:大阪府池田市満寿美町8-25  Tel.072-752-3484
HP: (https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/osaka_ikeda/

安藤百福記念館
安藤百福

 → この記念館は、新しい食文化となったインスタントラーメンの歴史を通じて発明・発見の大切さを伝えるミュージアムとなっている。展示では、チキンラーメンが誕生した研究小屋を忠実に再現。生活感あふれる昭和レトロな小屋にラーメンが天日干ししてある様子や台所用具など発明の苦労とワクワク感を伝える内容となっている。

百福の研究小屋
開発に使った用具類

この経過を見ると、大阪・池田市の自宅裏庭に建てた小屋で、“お湯があれば、家庭ですぐ食べられるラーメン”の開発を1950年代に始めた安藤百福、1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間休みもなく、たった1人で研究を続ける様子が描かれている。また、世界に広めるためのカギは食習慣の壁を越えることにあると気づき、知恵と革新的な発想を結集した「カップヌードル」を発明する。これにより日本で生まれたインスタントラーメンは世界食となっていく過程も必見である。2000年代に開発が始まった無重力状態でも食べるための宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の成功も興味深い。

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♣ 酪農と乳の歴史館(雪印メグミルク)                

所在地:北海道札幌市東区苗穂町6丁目1番1 号9 Tel.011-704-232
HP: https://www.meg-snow.com/fun/factory/sapporo/   

酪農と乳の歴史館

 → 北海道を代表する乳業メーカー「雪印メグミルク」の企業ミュージアムで、雪印乳業の創業50周年記念事業として1977年に開館。館内では、乳製品の製造機器や工場の1/30模型、バターチャーン、創業時使用した製造機など約850点の展示品が並んでいる。創業以来の歴史を物語る重要な文献や貴重な資料、実際に使用されていた乳製品の製造機械を展示している。隣接する札幌工場で牛乳が作られている過程も見られる。

雪印の歴史を展示
主力商品の展示

・参考:https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10077.html
・参考:北海道デジタルミュージアムhttps://hokkaido-digital-museum.jp/facility/megmilk-snow-brand-museum/

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♣ カゴメ記念館〔トマト加工品〕 

所在地:愛知県東海市荒尾町東屋敷108番地  Tel.052-603-1161
HP: https://www.kagome.co.jp/company/
・参考:カゴメの歴史https://www.kagome.co.jp/company/about/history/
・参考:(http://japannavi.co.jp/chita/sightseeing/all/00153.html?mode=sp)

 → カゴメ社を創業した蟹江一太郎の創業時の想いやカゴメの商品や歴史を示す記念館。明治41年に日本で初めてトマトケチャップとウスターソースを売り出したカゴメのj事業発展を時系列で展示、貴重な資料や当時使っていた道具などがみられる。

 カゴメの歴史は、1899年(明治32年)に一太郎が西洋野菜の栽培に着手した頃から始まる。1906年には、東海市荒尾町西屋敷に工場を建設してトマトソースの本格的生産に入った。西洋料理の普及に伴って需要は拡大、1917年、カゴメ印の商品登録、1933にはトマトジュースを発売して成功している。戦後は、各地に工場を建設して消費ブームにのって売り上げを伸ばし、野菜ジュース、ケチャップなどの生産で全国ブランドを確立している。近年では、全国8ケ所に直営農園を所有しており、そこで作られたトマトは、スーパーでも販売されるという農産企業の面も持つ[5]。このうち農園と工場がある長野県諏訪郡富士見町には、隣接地にテーマパーク「カゴメ野菜生活ファーム富士見」も開設している。「現在、自然を、おいしく、楽しく」をブランド・ステートメントとする会社として、各種の食品を市場に投入している。

蟹江一太郎像
・参考:カゴメの歴史https://www.kagome.co.jp/company/about/history/


 近年では、全国8ケ所に直営農園を所有しており、そこで作られたトマトは、スーパーでも販売されるという農産企業の面も持つ[5]。このうち農園と工場がある長野県諏訪郡富士見町には、隣接地にテーマパーク「カゴメ野菜生活ファーム富士見」も開設している。「現在、自然を、おいしく、楽しく」をブランド・ステートメントとする会社として、各種の食品を市場に投入している。・参照:カゴメ – Wikipedia


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♣ スパイス展示館(S&B)

所在地:東京都板橋区宮本町 38-8 Tel. 03-3558-5531 (一般には非公開)
HP: https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/tenjikan

スパイス展示館の建物

 → エスビー食品グループ従業員を対象に設立した研修施設兼展示館。スパイスやハーブの未来を考えエスビー食品の歴史と伝統・創業者の想いを伝承するため設けられたという。創業から100年間の企業・商品の変遷や商品開発エピソードの展示、スパイス&ハーブ基礎情報や香り体験コンテンツなどの施設を備えている。残念ながら一般非公開。
・参考:非公開の社員向け施設「スパイス展示館」に潜入|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/1542242/

館内モニュメント
S&Bの社歴展示
歴代の商品展示

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♣ 製粉ミュージアム(日清製粉)            

所在地:群馬県館林市 栄町6-1  Tel.0276-71-2000
HP: https://www.nisshin.com/museum/main.html

製粉ミュージアムの本館建物

 → 日清製粉グループの世界的にも珍しい製粉をテーマにしたミュージアム。本館と新館があり、新館では、最新の製粉技術をわかりやすく解説、小麦や小麦粉に関する様々な知識を学ぶことができる。本館では、時代を追って日清製粉の創業の歩みを紹介、建物は創業期より事務所として使われていたもので、近代産業遺産にも指定されている。ここでは明治の機械製粉黎明期の様子から最新の製粉テクノロジーまで、製粉にまつわる幅広い知識を集約紹介している。

新館展示スペース

  新館展示の中身をみると、企業歴史ギャラリー、正田貞一郎ギャラリー、創業期ロール機、アーカイブがあり、新館では、新旧ロール機展示、製粉工場パノラマシアター、製粉技術のいま、小麦研究所、大型プロジェクター映像が備えられている。
 ちなみに、日清製粉は群馬県館林市で日本初の機械製粉を行った「館林製粉株式会社」を前身とする企業。製粉分野では日本国内最大であり、ニップン、昭和産業、日東富士製粉とともに製粉大手4社を構成している。ミュージアムでは、この日清製粉の創業から事業発展の過程を展示で詳しく紹介している。この経過も興味深い。また、

<日清製粉の創業と展開>

正田貞一郎
館林製粉開業式(1901年)

 → 日清製粉の創業者は正田貞一郎氏で、生家正田家は群馬県館林の米穀商と醤油醸造を経営する裕福な家柄であった。明治になり、正田家の事業を引き継いだ貞一郎は、これまでとは別の事業を起こすことを決意、地元で産出される小麦の将来性に着目して製粉業を興すことにした。それまでの製粉業界では「水車」を用いた製粉が主流であったが、貞一郎は「動力機械」を活用する近代的な製粉事業を開始する。こうして、1900年(明治33年)に「館林製粉株式会社」が誕生する。機械式製粉業には莫大な資金を必要としたが、正田家の財力を背景に対外援助も得てなんとか事業を開始できたという。翌年、小麦粉の原料は、佐野・石岡・土浦・水戸などの周辺産地から買い付けを実施、完成した小麦粉は「製麺用」として供給している。当時の麺需要の増大、要東武鉄道の開通もあり市場を事業は順調に滑り出したとされる。

創業期に使われたロール機
創業に使われた事務室
初期の工場

 一方、市場を全国に広げることを目指して、当時営業不調となっていた製粉会社「旧日清製粉」を合併、1908年には、企業合併を図り社名を館林製粉から「日清製粉」と改めている。また、当初から建設を進めていた横浜工場が完成、1909年には需要拡大も受け生産能力は900万バーレルに引き上げられている。また、1918年には、横浜工場内に化学研究所を開設、 化学研究の一環でグルテン検出する方法を開発したほか、原料小麦の調査も進めるなどして品質向上を図っている。そして、1919年には横浜工場内で食パンの量産を開始、「東京製パン株式会社」も設立している。これにより事業の基礎が出来上がったことになる。ミュージアムの歴史ゾーンでは、これら創業から事業の基礎を築くまでの過程を、数々の書類、装備機械、年譜などで詳しく展示解説している。
  また、製粉ミュージアムのある館林には、日清製粉事業の基盤となった正田醤油と正田家成立の記念館「正田醤油記念館が」があり、これについてもここで触れておく。

・参考:特別企画展「正田貞一郎展」https://www.nisshin.com/museum/teiichiro_shoda/
・参考:館林が発祥!日清製粉「製粉ミュージアム」タイムズクラブhttps://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/gunma/tatebayashi/001.html
・参考:製粉ミュージアム- ふじ・ふじブログhttps://fujisannoblog.com/post-10933/
・参考:日清製粉 – Wikipedia

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♣ 正田醤油正田記念館

所在地:群馬県館林市栄町3-1  Tel. 0276-74-8100
HP: https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

・参考:正田醤油正田記念館 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139578
・参考:正田醤油株式会社| 施設案内 |正田記念館見学 https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

正田記念館

 → 正田記念館は、嘉永6年(1853年)に居宅・店舗として2代正田文右衛門が創建した建物を記念館としたもの。明治6年(1873年)、江戸時代から続く米穀商「米文」を3代正田文右衛門が引継ぎ、将来性あるとみた醤油醸造業へと転身、正田醤油として発展させた。以来、建物は(1986年まで本社屋として使用され、現在は登録有形文化財に指定されている。「正田記念館」では、正田家300年の家系図に始まり、創業当時の醸造道具や昭和初期のポスターなど、江戸時代から明治、大正、昭和にかけての記念品を数多く陳列、正田300年の歴史を詳しく記録している。

正田文右衛門(三代)
記念館の展示室
歴代の醤油道具

 この記念館は、同時に、現日清製粉の創業者である日清製粉の創業者正田貞一郎氏の生まれた正田家のルーツを示すものとなっている。ちなみに、正田貞一郎氏は上皇后となった美智子様の祖父に当たる。

・参照:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231030/se1/00m/020/003000d
・参照:里沼(SATO-NUMA)|日本遺産ポータルサイトhttps://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story070/
・参照::会社概要・沿革 正田醤油株式会社https://www.shoda.co.jp/corpo/profile

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♣ 世界食文化博物館(日本食研)    

所在地:愛媛県今治市富田新港1丁目3番地  Tel.0898-47-2281
HP: https://www.nihonshokken.co.jp/factory-tour.htm

→ 日本食研ホールディングス(株)の愛媛本社敷地内にある食をテーマにした博物館。KO宮殿工場、世界食文化博物館、日本食研歴史館、日本食研商品展示館の4か所からなり、工場見学とセットになった見学施設となっている。宮殿食文化博物館(「KO宮殿工場」)は、オーストリアの首都ウィーンにあるベルベデーレ宮殿をモチーフにして作られた豪華なもの。日本食研の調味料の製造工程も見学できる。主な展示品としては、中世ヨーロッパを代表するパプスブルグ家の宮延晩餐会料理の再現模型、三大香辛料原木の模型、世界24カ国王室御用達品、世界61カ国602種類の調味料、世界99カ国196種類の料理模型、世界の食事道具250点などがある。  ちなみに、日本食研は、1971年に大沢一彦現会長ら6名で畜産加工研究所として創業した会社。業務用のたれの出荷量では国内シェア約50%でトップの売上を誇っている。

宮殿食文化博物館
世界食文化博物館
日本食研歴史館


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♣ UCCコーヒー博物館 

 所在地: 神戸市中央区港島中町6丁目6-2  Tel.078-302-8880
HP: https://www.ucc.co.jp/museum/

イスラム寺院を模したUCC博物館

 → 日本で唯一のコーヒーのみをテーマにした博物館。UCC上島珈琲が神戸ポートアイランド博覧会に出展した施設を基に「UCCコーヒー博物館」として1981年に開設した。その後、コーヒー文化発祥のイスラム教のモスクを模した外観に変更、コーヒー学の確立とコーヒー文化の普及を目的に掲げて1987年にリニューアルオープンした。コーヒーを起源、栽培、流通、加工、文化、情報の6つのテーマに分け、わかりやすく展示している。 特別展示室では「 UCCヒストリー」コーナーもあり、上島珈琲の沿革も記されている。また博物館に併設されている喫茶室「コーヒーロード」ではターキッシュ・コーヒーなど、日本ではここでしか味わえない珍しいコーヒーも提供している。
 ちなみに、博物館を運営するUCC上島珈琲(呼称のUCCは”Ueshima Coffee Co.,Ltd.”の頭文字に由来)は神戸市に本社を置くコーヒーを中心とした飲料・食品メーカー。この背景は次のようである。

コーヒーの栽培展示
コーヒーの鑑定作業展示
コーヒーの焙煎展示

<UCC上島珈琲の沿革>

上島忠雄
上島珈琲株式会社設立(1951)

   UCC上島珈琲は、上島忠雄が、1933年にコーヒーを中心とした食品飲料を扱う上島商店を創業したのがはじまり。1951年に「上島珈琲株式会社」を創立、1958年にはUCCコーヒーショップ」を1号店博多に開店している。発足以来、レギュラーコーヒーのみを扱ってきたが、1969年に世界初のミルク入り缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」を発売したことで、その名を知られるようになった。1970年には、日本で初めて真空包装レギュラーコーヒーの製造を開始している。現在、自社のコーヒー農園を各地に展開しており、1981年にジャマイカでブルーマウンテンの農園を開設。1989年にはハワイ島でコナコーヒーの農園を開設させた。他にも1995年にはインドネシアスマトラ島でマンデリンの農園を開設するなど、世界的規模でコーヒーを扱っている。

缶コーヒー
真空包装コーヒー
ジャマイカのコーヒーの農園
UCC大阪綜合工場

・参照UCC上島珈琲株式会社 | 沿革https://www.ucc.co.jp/company/history/
・参照:UCCコーヒー博物館 – Wikipedia
・参照:UCCコーヒー博物館とは?| Coffeemecca https://coffeemecca.jp/business/13644

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♣ あずきミュージアム    

所在地:兵庫県姫路市阿保甲611番地の1  Tel.079-282-2380
HP: (https://www.gozasoro.co.jp/azukimuseum)

あずきミュージアム外観

 → 地元で「回転焼の老舗」として知られる和菓子メーカー御座候が、アメの主原料であるアズキの文化の伝承と創造活動の拠点とすべく2009年に開設した企業博物館。「あずき文化」を伝えるため、アズキの原産地である照葉樹林帯をイメージした里山庭園と一体で設計されていて興味深い。外壁をアズキ色に施された博物館の内部は、各階に跨って展示室が配置され、吹き抜けの展示室に置かれた実物10倍大の模型「10倍アズキ」を中心に、同心円状の回遊動線が設けられている。 この博物館は、2013年、日本展示学会賞作品賞を受賞している。

あずきの王様「エリモショウズ」の模型
様々なあずき
あずきの加工工場

・参照:あずきミュージアム – Wikipedia
・参考:世界初の「あずきミュージアム」へ出かけようhttps://article.yahoo.co.jp/detail/e84038fb631691f5e1a9d24e850e742669a35390

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♣ ふじのくに茶の都ミュージアム(旧:お茶の郷博物館)     

所在地:静岡県島田市金谷富士見町3053番地  Tel. 0547-46-5588
HP:https://tea-museum.jp

 → 世界と日本のお茶の世界を紹介する珍しい「お茶」の博物館。多彩で豊かなお茶の世界を再現している。常設展では、お茶の起源と世界へのお茶の広がりや日本及び静岡のお茶について展示、お茶の産業、文化、歴史、民俗などを実物資料だけでなく映像や実演によって分かりやすく紹介している。世界のお茶、日本のお茶の幕開け、茶の都しずおかのあゆみ、茶の都しずおかの誇り、お茶の新時代といったテーマでの展示である。このほか企画展の展示もあり2024年では「絵画資料からみるお茶」が催された。

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♣ 茨城県きのこ博士館(那珂市)  )          

所在地:茨城県那珂市戸4603  Tel.029-297-0198
HP: (https://www.ibaraki.biz/kinoko.html

きのこ博士館外観

 → 「きのこ」や「植物」たちがつくる「不思議なふしぎな森の世界」を再現する珍しい植物博物館園。きのこや山菜、うるし、竹などの種類や形態はもちろん、人との係わりから森林の役割まで、楽しみながら学べる施設として平成10年に開館した。幻想的な雰囲気の楽しめる館内には、8つの展示室があり、映像や模型などで「きのこ」についてわかりやすく展示してある。

多彩なキノコが見える展示
キノコ模型

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♣ 壱番屋記念館(カレーチェーン)

第1号店と「壱番屋記念館」

所在地:愛知県清須市西枇杷島町末広31  Tel. 0586-76-7545

→ 国内に1200店、海外に200店を数えるカレー専門チェーン店で知られる「CoCo一番館」の創設と発展の歴史を伝える記念館。歴代のユニフォーム、主要店舗の写真などを展示。写真はリニューアルされた後の第1号店の西枇杷島店、右隣に「壱番屋記念館」
・参照:(https://www.ichibanya.co.jp/comp/fresh/assets/include/break-commemoration.html) 

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♣ 宇治・上林記念館(お茶)

宇治茶師の長屋門

所在地:宇治市宇治妙楽38番地  Tel.0774-22-2509
HP: (https://www.shunsho.co.jp/facilities/

 → 宇治茶の知られる老舗「上林春松家」に伝わる歴史資料を公開するお茶の記念館。禁裡・幕府や大名家に茶を運んだ呂宋壺や豊臣秀吉の書状などを展示している。四百五十年の歴史を誇る上林春松家は「御物御茶師」として幕府御用のお茶を作るための茶園管理、製造・精製、そして御物茶壺に葉茶(碾茶)を詰める茶詰めという仕事に従事。この歴史を刻む数々の品を所蔵している。

幕府拝領の茶壺
宇治・上林記念館の内部

・参照:上林春松本店https://www.shunsho.co.jp/chashi/
・参照:上林春松本店https://www.shunsho.co.jp/facilities/

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♣ 胡麻の郷  (ごま製品)         

所在地:岐阜県不破郡関ヶ原町玉1668-10  Tel.0584-43-0073
HP: https://www.shinsei-ip.ne.jp/goma/museum.html
・参考:岐阜の旅ガイドhttps://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_6132.html 

胡麻の郷資料館
館内展示

→ 胡麻の郷は、胡麻製品の製造工場に併設したテーマパークで、家族連れの見学、観光博物館。胡麻の歴史や起源、製法、世界の“ごま文化”など胡麻に関する情報を提供している。ゴマを使った食品やお菓子などを豊富にそろえた展示もある。

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♣ 男爵資料館(食品・ジャガイモ)     

所在地:北海道北斗市当別4丁目3-1  Tel.0138-75-2894
HP: https://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/846.html)

男爵資料館

 →「男爵いも」の生みの親「川田龍吉男爵」の農場跡地を利用した資料館。1900年代アメリカ農場風景が感じられる西洋式木製のサイロや牛舎などの建物を利用している。
 館内には新しもの好きなハイカラ男爵川田が明治~大正時代に欧米より取り寄せた珍しい品々を約5,000点展示している。1910年代の米国製トラクター、グレンドリル、中でも日本最古の車「ロコモビル蒸気自動車」(日本で当館だけが所有)は非常に貴重なものといわれる。

資料館内部
河田の蒐集資料展示
ロコモビル

<男爵いもの誕生> 

川田龍吉
男爵薯発祥の地 碑

 日本銀行総裁川田小一郎(男爵)の長男だった川田龍吉は、明治39年、函館ドック会社専務取締役として北海道へ渡った後、ドックの仕事のかたわら、七飯村(現七飯町)に10数町歩の農地を買い農場を開設した。ここで様々な品種の馬鈴薯を試作したが、米国「バーバンク種苗会社」より輸入した「アイリッシュ・コブラー」が早熟かつ病害虫に強い品種であることを確認、その普及を図った。これが後に「男爵」と名づけられ、北海道はもとより日本全国で責重な品種となり「男爵薯」の誕生となった。
 ・参照:川田 龍吉〜函館ゆかりの人物伝 https://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/02_ka/02-kawada.html
・参照:ジャガイモ博物館、記念碑,川田男爵 https://potato-museum.jrt.gr.jp/album.html

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♣ 揖保乃糸・そうめんの里         

所在地:兵庫県たつの市神岡町奥村56番地  Tel..0791-65-9000
HP: https://www.ibonoito.or.jp

揖保乃糸・そうめんの里

→ 播磨を代表する伝統産業手延べそうめん「揖保乃糸」のの歴史を学びながら、そうめんの味わいや製造工程を体験できる。明治期のそうめん造りの様子を描いたエントランスの模型やシアターで製造工程を見学できる。

そうめん作業の展示
館内の展示場

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(水産物、水産加工品などの資料館)

♣ 水産振興資料館(豊海おさかなミュージアム) ) 

所在地:東京都中央区豊海町5番1号 豊海センタービル7階  Tel.03-3533-8111
HP: (https://lib.suisan-shinkou.or.jp/shiryokan/

おさかなミュージアム入口

→ 東京水産振興会が60年以上の事業のなかで蓄積してきた膨大な水産関連資料の一部を閲覧できる。魚や漁業、海に関する映像や情報を紹介する常設展と、月に1回程度入れ替えを行って旬の魚などを紹介する特別展示、食育セミナーやイベントを通じて水産の情報や魅力を発信している。Web版解説ノートも提供されており魚に関する情報提供を広くおこなっている。

館内展示風景
おさかな探検展示
魚食の振興展示

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♣ ニッスイ・パイオニア館 

所在地:北九州市戸畑区銀座2-6-7 ニッスイ戸畑ビル1F  Tel.093-541-4151
HP: (https://www.gururich-kitaq.com/spot/nissui-pioneer-museum)       

ニッスイ・パイオニア館

 → トロール漁船から始まったニッスイと戸畑港の歴史を記す博物資料館で、1911年の創業から100年を機に開設された。水産に関連する装舵輪、無線設備、航海灯、漁網など多数展示している。「ニッスイ」と言えば、冷凍食品で有名だが、水産資源の有効活用をめざし様々な事業に取り組んでおり、その歴史的資料や企業理念などを詳しく紹介している。「歴史展示室」にある世界の有用魚種350種を網羅した「日本水産漁譜」は、海洋生物を微細にわたり正確に描き着色したもので必見。「船の展示室」には、船員の訓練用操船シュミレーターが設置され、船の操縦も体験できる。

館内の展示場
漁船などの館内展示

          

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♣ サーモンミュージアム(マルハニチロ)

所在地:函館市五稜郭町37番8号  Tel.0138-23-5480
HP:   (https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/)      

マルハニチ本社

 → マルハニチロは、1880年に創業した遠洋漁業・捕鯨・水産加工大手のマルハ(旧・大洋漁業)と1906年に創業の北洋漁業・水産加工大手のニチロ(旧・日魯漁業)を起源とし、2014年に両者が合併して誕生した水産加工会社。このマルハニチロが開設した「鮭の漁業」、「鮭と食」、「鮭と文化」、「鮭と環境」など鮭漁業に関するバーチャル博物館。サケマス図鑑、サケと食、サケと文化、サケの漁業、サケと環境などの資料を提供している。サケと食では、サケの加工、食材、栄養、ごちそうレシピなどの有用情報が盛られている。サケの漁業(サケ漁の歴史)では、古代からの鮭漁業の変遷が解説されていて興味深い。

Web上のサケマス図鑑
流し網漁業の船団
さけ定置網漁の様子

 

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♣ 鈴廣かまぼこ博物館  (小田原)

所在地:神奈川県小田原市風祭245 Tel. 0120-07-4547
HP: https://www.kamaboko.com/museum/)       

かまぼこ博物館

 → 鈴廣かまぼこ博物館は、かまぼこの歴史や特色、素材や栄養のことなど学べる博物館。「かまぼこ手づくり体験教室」をはじめ、ガラス越しにかまぼこ職人たちの熟練の技を見られる「見る工場」、かまぼこの歴史・栄養について学べる「かまぼこ百科」、「かまぼこの科学」などの展示のほか、「かまぼこ板絵美術館」でかまぼこ板をキャンバスにしたユニークなアート作品も展示している。

かまぼこ工場
かまぼこ製作

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(家庭食品の博物館 了)

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