日本の 鉄道史跡と博物館ー役割と歴史ー(博物館紹介)

   ー鉄道のもつ魅力と技術発展の系譜を伝える資料館を点検するー

  日本の鉄道をみると、明治5年に鉄道を開設して以来150余年、日本の物流、人流を支えるインフラ事業として日本の近代化に大きく貢献してきた。また、明治以降、西欧から吸収しつつ進展してきた蒸気機関車、車両製造技術は、日本の機械製作技術の発展に大きく寄与した。この歴史過程を示す鉄道博物館は、SLブームもあって最も人気のある展示施設として全国に広がっている。この節では、日本の主要な鉄道博物館の歴史展示、見学施設を紹介しようとしたものである。(数が多いため省略したものも多くある。別な鉄道博物館資料も参照して欲しい)

(鉄道技術の黎明期を記す鉄道歴史施設)

♣ 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室(史跡)                                   

所在地:東京都港区東新橋1-5-3  Tel.03-3572-1872
HP: https://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/facilities.html
・参考:https://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/(開業150年を迎える日本の鉄道を考える Part 1)
・参考:https://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/(同part2)

復元された旧新橋停車場駅舎

 → 鉄道歴史展示室は、旧新橋停車場駅舎の再現に合わせて開設された史跡博物館。日本の鉄道開業の地である汐留の歴史とともに、明治期に日本の近代化を牽引した鉄道の発展と影響を紹介している。ちなみに、旧新橋停車場跡地は、1965年に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の史跡に指定されたが、発掘調査の後、風化を防ぐために埋め戻され、2003年に、その上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた。内部は2階が鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」となっている。

プラットフォーム
復元の出発フォーム
0地点道標

 展示室には、縮尺100分の1の模型によって再建された旧新橋停車場駅舎、開業当時の駅舎基礎石の遺構、発掘調査で出土した遺物の展示などのほか、鉄道開業の歴史的な経緯や往時の新橋停車場と汐留の状況、東京の町並み変化を伝える映像などが展示されている。また、鉄道の歴史や汐留界隈の郷土史などテーマにした企画展も随時開催される。特に、2023年には、日本の鉄道開通150年を記念して、鉄道開設当時の状況を伝える特別展も開かれている。

資料館展示コーナ
駅舎基礎石の遺構
旧停車場駅舎の模型

<参考>

 明治初年に日本初の鉄道が開通してから約150年、この鉄道開設に関わる経過と政策、技術展開については以下の資料に概説しておいたので参照して欲しい。

・参考① 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part 1)ー鉄道開設の社会的意義と遺跡ーhttps://igsforum.com/2022/11/02/nippon-railway-open-part1-jj/

・参考② 開業150年を迎える日本の鉄道を考える(Part2)ー拡大する鉄道網と技術の国産化ーhttps://igsforum.com/2022/11/10/nippon-railway-open-part2-jj/

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♣ 博物館明治村 鉄道寮新橋工場(機械館)(史跡)

所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314
HP: https://www.meijimura.com/sight/

鉄道寮新橋工場(機械館)

 → テーマパーク「博物館明治村」の中に、幾つかの鉄道開設に関係する史跡、歴史的施設がある。この中の一つが、 鉄道寮新橋工場(機械館)である。ここには旧新橋停車場構内に建てられた工場建屋が移築されており、内部には鉄道関係のほか日本の近代産業形成を跡づける旋盤、木工、鍛冶、鋳物などの機械類が設置されている。この鉄道工場施設は日本で初めて鉄道が走った新橋-横浜間の起点、新橋停車場の機関車修復所として建てられたものである。日本の鉄道はあらゆる技術をイギリスから導入してはじめられており、機関車や線路はすべて英国製であり、鉄道敷設いたる全てを欧米の技術者、特に英国に頼らざるを得なかった。このため急遽技術吸収のため作られたのが工部省鉄道寮の新橋工場であった。この意味でも、日本の鉄道建設黎明期の重要施設であった。

機械管内部
保存展示されている車両台車

 工場の側面の壁に沿ったところに台車が保存展示されているが、明治32(1899)年の「東京車輌製造天野工場製ハ29」の台車とみられる。明治末年には、既に機関車製作の国産化が進み始めていることを物語る。

・参照:https://plus.chunichi.co.jp/blog/ito/article/264/6910/明治村の鉄道5…2つの新橋工場と保存台車:達人に訊け!:中日新聞Web

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♣ 旧鉄道局新橋工場(明治村)

所在地:愛知県犬山市字内山1番地  Tel.0568-67-0314
HP: https://www.meijimura.com/sight/

鉄道局新橋工場
壁面銘板

 → もう一つの明治村にある鉄道施設は「鉄道局新橋工場」。東京・汐留の新橋停車場構内に東京鉄道局が建てた工場施設の一つである。この新橋工場には、旋盤、木工、鍛冶、鋳物など9工場が設けられており、この建物は木工場で鉄道寮新橋工場にならって造られたものであった。大正8年(1919)に大井工場に移築され第二旋盤職場として、昭和41年(1966)まで使用されたといわれる。内部には、明治天皇が乗車したといわれる御料車が展示されている。

井上勝

 ちなみに、鉄道開設に向けた政府機関の変遷をみると、まず、明治 3年(1870)に 民部大蔵省に鉄道掛を設置して準備態勢を整える。初代は井上勝だった。翌年、これが工部省に鉄道寮となり、開通後の明治10年には鉄道寮廃止して工部省に鉄道局を設置した。明治23年 には鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となっている。上記の鉄道寮新橋工場は明治5年に建設、鉄道局新橋工場は明治22年の開設である。

国内最古のSL12号
六郷川鉄橋

  明治村では、明治の鉄道関連史跡として、明治45年まで使われた「六郷川鉄橋」(明治8年、英人技術者ボイル設計、ハミルトンズ・ウインザー・アイアンワークス社製作)、動態保存されている国内最古のSL「12号」がみられる。

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(JRの運営する鉄道博物館)

♣ 鉄道博物館(JR東日本) 

所在地:埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47番  Tel.048-651-0088
HP: https://www.railway-museum.jp/about/
・参考:https://igsforum.com/visit-jr-railway-museum-in-omiya-j/

鉄道博物館

  JR東日本が創立20周年記念で設立した日本最大の鉄道博物館。2006年まで東京・万世橋にあった「交通博物館」を新たな鉄道博物館として現地点に移転し、大幅に施設更新して2007年に開館されている。館内には、鉄道史を裏付ける歴史車両、これまでに開発運用されてきた鉄道システムの概要、新幹線を含む最新の鉄道技術が網羅的に紹介展示されている。見どころは、明治4年年製造の1号機関車(150形蒸気機関車)、明治13製造の弁慶号機関車、初代御料車、新幹線車両など多数に及ぶ。また、日本の鉄道建設に関わる公文書書類も所蔵しており、日本鉄道アーカイブともなっている。

蒸気機関車回転台
車両展示場

博物館は本館、北館、南館の構成となっており、メインの本館は、車両ステーション(旧ヒストリーゾーン)で、鉄道創世期から現在までの各時代の鉄道車両の実物が8つのテーマごとに展示してあり、2階は鉄道車両年表と鉄道ジオラマ、ライブラリー、3階は科学ステーションとなっている。一方、北館は動体保存庫とホール、南館は鉄道の運行を支える仕事を紹介するゾーンで、鉄道設備や保線、踏切などの実装展示が行われている。

1号機関車
弁慶号
食流機関車
新幹線
初代御料車

写真にあるのは主な車両展示、①150号蒸気機関車(1号機関車)、②7101号蒸気機関車「弁慶」、③大正時代のED40直流電気機関車、④21-2号新幹線車両。⑤第1号御料車などである。

・参照:鉄道博物館 (さいたま市) – Wikipedia

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♣ 京都鉄道博物館 (JR西日本)                               

所在地:京都市下京区観喜寺町  Tel.0570-080-462
HP: (https://www.kyotorailwaymuseum.jp/)   

京都鉄道博物館

 → JR西日本の運営する鉄道博物館。「地域と歩む鉄道文化拠点」を目指して2016年に開館した。閉館した交通科学博物館の後継施設として、梅小路蒸気機関車館を拡張リニューアルする形でオープンしている。博物館には、梅小路蒸気機関車館に収蔵・展示していた蒸気機関車も含めた54両の車両を収蔵・展示している。展示車両には0系新幹線電車の第1号車や、時速300kmでの営業運転を実現しギネスブックにも掲載された500系新幹線電車、戦後の特急列車を牽引した国鉄最大級のC62形蒸気機関車など、歴史的な価値を持つ車両を多数収蔵・展示している。

扇形車庫中央の転車台
500系新幹線電車

また、実物車両の約1/80スケールの鉄道模型を係員が運転する巨大なジオラマ、本館連絡デッキでは、眼下に扇形車庫と蒸気機関車群を望むことができ、SL第2検修庫では、蒸気機関車の検査修繕作業を見学することができる。中でも、扇形車庫中央の転車台の上でダイナミックに方向転換する様子は必見である。

国産初の量産型蒸気機関車
展示の車両
鉄道ジオラマ

・参照:京都鉄道博物館:JR西日本https://www.westjr.co.jp/fan/kyotorailwaymuseum/
・参照:展示車両一覧 展示車両紹介 : 京都鉄道博物館https://www.kyotorailwaymuseum.jp/enjoying/watching/vehicle/list/

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♣ リニア・鉄道館  (JR東海)      

所在地愛知県名古屋市港区金城ふ頭3-2-2  Tel.052-389-6100
HP: (https://museum.jr-central.co.jp/)               

リニア・鉄道館

 → JR東海が伝導リニアをテーマとして2011年に開館した鉄道博物館。JRが計画中の超電導リニアをはじめ歴代の鉄道車両を展示している。そこでは、高速鉄道技術の進歩の紹介、鉄道が社会に与えた影響について模型などを通じて学習する場を提供することを目指している。館内の展示は、歴史的・技術的にも価値のある貴重な車両を一堂に集めた車両エリア、東海道新幹線沿線などの代表的な建物や情景を集めたジオラマ・コーナーのほか、超電導リニア展示室があり、超電導のしくみについて模型やCG映像を利用して、そのしくみや安全性などをわかりやすく解説していている。実物展示では、さまざまな最高速度記録を持つ車両、C62 17号機,955形新幹線試験電車(300X),MLX01形超電導リニアなどが展示されていて魅力にあふれている。

JR東海の歴史展示
新幹線を含む最新車両
超伝導リニアの展示

・参照:リニア・鉄道館 – Wikipedia
・参考:リニア・鉄道館に行ってきた – cloud9science @Wiki – atwikihttps://w.atwiki.jp/cloud9science/pages/204.html
・参照:リニア・鉄道館では・・・達人に訊け!:中日新聞Web https://plus.chunichi.co.jp/blog/ito/article/264/6651/

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♣ 山梨県立リニア見学センター                   

所在地:山梨県都留市小形山2381  Tel.0554-45-8121
HP:  (https://www.linear-museum.pref.yamanashi.jp/)          

リニア見学センターサイト

 → 山梨リニア実験線の走行試験に合わせて開館した見学施設。リニアの走行試験の見学のほか、超電導リニアやリニア新幹線の模型や展示物を見ることができる。高川山山麓に位置し、山梨リニア実験線および実験センターに隣接している。施設では、山梨リニア実験線でのL0系による走行試験およびリニアに関する知識や展示車両の見学ができる。リニアを動かす仕組みである超電導磁石の模型や、リニアの歴史年表の展示コーナーもある。最先端の鉄道技術を知るには最適。

実験中のリニア
リニアの検証室

・参考:リニア見学センターは大月おすすめスポット!(たびらい観光情報)https://www.tabirai.net/localinfo/article/article-14458/

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♣ 九州鉄道記念館    (JR九州)                       

所在地:福岡県北九州市門司区清滝2丁目3番29号  Tel.093-322-1006

HP:(http://www.k-rhm.jp/)    

九州鉄道記念館

 → 門司港レトロ地区にある鉄道の歴史を楽しみながら学べる記念館。明治時代建築の赤煉瓦つくりの本館には九州で運行された歴代機関車のほか、明治時代に九州で製作された車両などが多く展示されている。また、JR九州の運行する811系近郊型電車の運転台でシミュレーター運転操作、実際の路線風景も満喫できる。館内の鉄道大パノラマでは門司港駅・博多駅からの列車の映像を使った解説もされている。屋外には、鉄道ミニ公園のほか、車両展示場がありJR九州歴代の実物車両(8車両)が展示されている。

JR九州の歴史展示
JR九州の鉄道車両
九州鉄道ジオラマ

・参考:九州鉄道記念館-観光スポット/門司港レトロインフォhttps://www.mojiko.info/spot/tetudo.html

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♣ 小樽市総合博物館〔本館〕 

所在地:小樽市手宮1丁目3番6号 Tel. 0134-33-2523
HP: (https://otaru.gr.jp/shop/otarumuseum_mainbuilding)   

小樽博物館の建つ同コーナー

 → 小樽市総合博物館本館には、蒸気機関車「しづか号」をはじめ、北海道を代表する50両もの鉄道車両が保存・展示されている。また、常設展示として北海道鉄道の歴史が紹介されている。鉄道のゾーンは旧小樽交通記念館(2006年3月閉館)の施設を活用する形で発足している。

・参照:小樽市総合博物館 – Wikipedia  

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♣ 貨物鉄道博物館( 三岐鉄道) 

三岐鉄道・貨物博物館

所在地:三重県四日市市富田3丁目22-83 三岐鉄道株式会社内  Tel. 059-364-2141
HP: (http://frm.kans.jp/

展示車両

 → 貨物鉄道を専門とする博物館。鉄道による貨物輸送が、1873年(明治6)年に始まって以来2003年(平成15)130 周年を迎えるのを記念して誕生した。貨物関係の資料類、各種貨車の部品など珍しいものが展示されている。

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(私鉄等の運営する鉄道博物館など)

♣ 東武博物館(東武鉄道)   

所在地:東京都墨田区東向島四丁目28番16号
HP:  (https://www.tobu.co.jp/museum/)  

東武博物館入口

 → 東武鉄道の創立90周年を記念して1989(平成元)年に誕生した鉄道博物館。ここでは、身近な交通機関である鉄道やバスに親しみをもってもらえるよう、館内を8つのコーナーに分けて構成している。東武鉄道の歴史や文化・役割を紹介するコーナー、ダイナミックな蒸気機関車をはじめ、実物車両や記念物などの貴重な資料を展示するコーナー、交通のしくみを実際に体感できるようシミュレータや実物機器を設置したコーナーなどがある。また、博物館の真上を走行する車両を至近距離から観察できるコーナーも設けられている。2009(平成21)には展示車両の追加や展示物の更新等を行い、リニューアルオープンしている。

目玉展示の動く蒸気機関車
東武の歴史と車両
スカイツリーもある鉄道ジオラマ

・参考:東武博物館 – Wikipedia

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♣ 小田急鉄道資料館(ロマンスカー・ミュジアム)

所在地:神奈川県海老名市めぐみ町1-3
HP: (https://www.odakyu.jp/romancecarmuseum/)    

小田急鉄道資料

 → 閉鎖された旧小田急鉄道資料館の蹟を受けて19年ぶりに設置された小田急の鉄道資料館。特急ロマンスカーの歴代車両を展示するほか、新宿-箱根湯本間の沿線を再現したジオラマなどを展示し、運転シミュレーターも体験できる。これまで線内各所の車両基地に保管されていた各種の保存車両も移設している。

ロマンスカー展示
鉄道ジオラマ

・参照:ロマンスカーミュージアム – Wikipedia

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♣ 京王れーるランド (京王電鉄)     

所在地:東京都日野市程久保3丁目36-39
HP: (https://www.keio-rail-land.jp/

京王れーるランド

 → 多摩動物公園駅に隣接し京王電鉄が運営する鉄道資料館。「京王の電車・バス100周年記念事業」の一環として、2013年にリニューアルオープンした。館内には京王電鉄の電車のNゲージ鉄道模型を運転できるジオラマ、京王電鉄・京王バスの保存車両や資料などが展示されている。施設は家族連れを主な対象とした屋外車両展示場を含む2階建ての施設になっている。

京王の車両展示
車両カットモデル
鉄道ジオラマ

・参照:京王れーるランド – Wikipedia

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♣ 京急ミュージアム(横浜)   

所在地:神奈川県横浜市西区高島1-2-8
HP: (https://www.keikyu.co.jp/museum/)

京急本社一階にある京急ミュージアム

 → 京急ミュージアム(KEIKYU MUSEUM)は2020年に開設された京急の歴史博物館。。京急の創立120周年記念事業の一環として整備された。昭和初期に使われていた保存車両(デハ230形・デハ236号)などを展示するほか、沿線のジオラマ、鉄道シミュレーターなどのコンテンツを配備している。

・参照:京急グループ本社 – Wikipedia

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♣ 電車とバスの博物館 (東急電鉄)     

所在地:神奈川県川崎市宮前区宮崎二丁目 Tel. 044-861-6787
HP: (https://denbus.jp/)  

電車とバスの博物館

 → 電車とバスの博物館は東急電鉄が運営する鉄道保存展示施設。玉電(デハ200形)などの東急線の旧型車両や、電車・バスの運転および飛行機の操縦体験シミュレーターなどの展示をしてる。その他にも、「安全運行システム」を解説した模型運転コーナーやパノラマシアターなど大人からこどもまで楽しみながら鉄道を知ることができる博物館となっている。

東急電車・バス一覧
東急電車
東急バス

・参照:電車とバスの博物館 (アイエム・インターネットミュージアム]https://www.museum.or.jp/museum/2775

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♣ 地下鉄博物館 (東京メトロ)                     

所在地:東京都江戸川区東葛西六丁目3番1号  Tel.03-3878-5011
HP: (https://www.chikahaku.jp/)    
・参考:東京メトロの「地下鉄博物館」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-tokyo-metro-subway-museum-jj/

地下鉄博物館 (東京メトロ) 

 → 東京メトロの運営する地下鉄専門の特色ある博物館。地下鉄東西線の葛西駅に隣接して1989年に設立された。博物館では、車両の実物、モデルで多数展示して、日本、特に東京で地下鉄がどのように発展してきたかのかを紹介している。また、地下鉄車両・駆動システムの変遷、地下工事の仕組み、制御システムや運行システムのあり方なども実際の装置やシミュレーションモデルなどで詳しく解説している。特に、多くの展示物は、実際に触れ操作を体験できることにも特色があり、訪問者には人気の施設である。

地下鉄車両の構造がわかる展示
丸ノ内線と銀座線展示
シールド工法の展示
地下掘削マシーンの展示
地下空間の地下鉄網展示

・参照:館内案内|地下鉄博物館(ちかはく)https://www.chikahaku.jp/facilities/
・参考:早川徳次 (東京地下鉄道) – Wikipedia

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(参考資料> 日本国各地方の鉄道関係博物館

→ 日本では鉄道関係の博物館・資料館は紹介しきれないほど非常に数多く存在する。日本ではじめて鉄道開設されてから150年あまりになるが、以下に鉄道が社会インフラとして身近な存在になってきているかを示すものであろう。上記はこのうちほんの僅か名ものに過ぎない。これを踏まえ、国内各地のの鉄道博物館を鉄道博物館の一覧 – Wikipedia を参照しつつ添付資料として掲げてみた。ここでは日本国内の鉄道に関する展示・保存を行う鉄道関連施設・博物館を地域別の形で記したもの。

(北海道)

(東北地方)

(関東地方)

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(中部地方

(近畿地方)

中国地方)

(四国地方)

(九州地方)

(以上)

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お酒の博物館ー日本酒の魅力ー(食と農の博物館)(6)

(日本酒を中心とした博物館の紹介)

 日本のお酒づくり文化(「伝統的酒造り」)が、今年、ユネスコ無形文化遺産に指定された。伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術が日本の優れたものづくりだと世界的にも評価されたことを示す。国内の飲料では、ビールなどに比べて消費が伸び悩んでいるとはいえ、根強い人気と味の良さを誇る日本酒は幅広い人気を保っている。最近では、日本食の普及もあって海外でも「SAKE」と知られ好まれるようになった。今回の博物館紹介では、この日本酒の資料館、博物館を紹介してみた。 特に、日本酒近代化の歩み、京阪神、広島、新潟など酒どころの酒造メーカーの施設、その歴史、特色、酒の技術集団「杜氏」などについて、その概要を考察してみた。
・参照:「伝統的酒造り」ユネスコ無形文化遺産へhttps://note.com/koji_sakezukuri/n/nd7bb490e54aa

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♣ 旧醸造試験所・赤煉瓦酒造工場(史跡)

所在地:東京都北区滝野川2-6-30 Tel. 03-3創設さ910-3853
HP: https://www.jozo.or.jp/redbrick/
・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」を見学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/

赤煉瓦の工場外観

 → 大蔵省が1904年(明治37)、日本の酒造りの近代化と酒類産業発展に貢献するため設立した清酒醸造試験工場跡。史跡となった赤煉瓦の建屋は重要文化財となっている。内部は当時の姿をとどめるボイラー室、原料処理室、旧麹室、清酒の近代化製法を普及させるため作られた研修工場で、明治以降の日本の酒づくりを支えた重要施設であった。建物の一階部分は、現在、見学者や研修のために使われている広いボイラー室と原料処理室、旧麹室、発酵室が整然と配置されている。二階部分は、酒の仕込みに使うタンクを置いた醸造室と麹づくりの麹室、地下階には温度調節された貯蔵室がある。また、貯蔵室内には、現在、「酒造100年プロジェクト」という日本酒の熟成に関する実験コーナーも設けられていて目をひく。旧麹室内には、昭和初期まで行われていた「酒造」講習の様子を示す写真パネルも用意されている。建築学的にも貴重な長手煉瓦のアーチとボールド天井、耐火床、外壁のドイツ積みと内部のイギリス積み煉瓦の組合せもみえ歴史を感じさせる。日本では珍しい白色施釉煉瓦の旧麹室は、日本酒の性質をよく考えた施工であるとの評価が高いようだ。ドイツのビール工場をモデルといわれるが、明治の建築家妻木頼黄が工夫をこらして設計したものと伝えられている.

白色施釉煉瓦の旧麹室
赤煉瓦の回廊
地下の”100年”酒造庫

・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/ より

♣ 独立行政法人酒類総合研究所

所在地:広島県東広島市鏡山3-7-1   Tel. 082-420-0800
HP: https://www.nrib.go.jp/

現在の「酒類総合研究所」

 → 上記醸造試験所の後を受けて、2001年に酒類に関する研究機関として設立された政府機関。酒類醸造に関する調査研究、講習、受託試験などを行っている。関連機関として、日本醸造協会酒文化研究所がある。設立の目的は、酒税の適正かつ公平な賦課の実現を図ること、酒類業の健全な発達を図ること、酒類に対する国民の認識を高めること、酒類醸造に関する研究などの活動とされ、今後の酒類業の発展と豊かな国民生活に貢献し、合わせて酒類先端技術の発信基地としてライフサイエンスの発展を図ることとしている。現在、研究活動のほか全国新酒鑑評会を開催なども開催している。
・参照:酒類総合研究所 – Wikipedia

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♣ 日本の酒情報館(日本酒造組合中央会)

所在地:東京都港区西新橋1-6-15 日本酒造虎ノ門ビル1F     Tel. 03-3519-2091
HP: https://japansake.or.jp/JSScenter/aboutus/

酒情報館の建物

 → 全国酒造業者の中央組織「日本酒造組合中央会」が運営する日本酒の広報・情報提供施設。県別の会員名簿も公開されていて酒造業者の全容がわかる。展示室には。全国各地の清酒・本格焼酎・泡盛の原材料や麹の実物見本、櫂棒や半切り桶と呼ばれる酒造りの道具、全国各地の特色ある酒器などを展示している。館内には2台のTVモニターと2台のプロジェクターが設置されており、お酒に関する様々な映像コンテンツを放映している。また、大吟醸酒・純米吟醸酒・純米酒・古酒・スパークリング清酒・貴醸酒など、全国各地の様々なタイプの日本酒、芋・麦・米・黒糖などの本格焼酎や泡盛、そして酒蔵の造る様々な果実のリキュールを試飲できるという。

映像の解説
各地の酒展示
酒醸の造具などの展示

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(近畿京阪神地区のお酒の博物館)― 酒どころ伊丹、伏見、灘などー

♣ 丹波杜氏酒造記念館(兵庫)

所在地:兵庫県丹波篠山市東新町1-5  Tel. 079-552-0003
HP: https://tourism.sasayama.jp/association/2013/01/post-58.html

丹波杜氏酒造記念館

 → 酒造りの名匠といわれる“丹波杜氏”の酒造記念館。館内では、酒造技術の近代化によって失われつつある昔ながらの酒造りの工程をはじめ、酒造道具や資料などが展示されている。丹波杜氏の由緒などの資料もあり、過酷な条件の中で腕を磨いてきた杜氏たちの歴史や、昔ながらの手作りでの酒の醸造過程をじっくりと見学することができる。

杜氏達の集まり
丹波の酒樽

(丹波杜氏とは?)

丹波杜氏の碑

 丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ、1755年(宝歴5年)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされている。江戸時代には、伊丹や池田に出稼ぎし、「剣菱」や「男山」などの伊丹の酒は、丹波杜氏の造り出す銘酒といわれ、今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作ったとされる。
 なお、「杜氏」とは、酒造の責任者を示す役職名で、「日本山海名産図鑑」には、その名の由来を「酒工の長なり。また、おやじとも云う。・・・」とも記され、この中でも、丹波杜氏は長年の勤勉と信頼によって築いてきたームワークのすばらしさを財産としてきたとの評価が高い。
 ・参考:蔵元紹介 | 丹波杜氏酒造記念館https://www.toji.sasayama.jp/introduction/

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♣ 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム(小西酒造)

兵庫県伊丹市中央3丁目4番15号 Tel. 072-775-3571
HP: https://www.konishi.co.jp/choujugura/
小西酒造HP: https://www.konishi.co.jp/

長寿蔵ミュージアム

 → ブルワリーミュージアムは、1995年に開館した小西酒造の「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」内にある日本酒とビールの博物館。施設は江戸時代建築の酒蔵を再生利用している。「日本の酒」ゾーンでは杜氏や蔵人が使用した古来の酒作りの道具200余点を展示するとともに、日本酒の歴史、清酒発祥の地である伊丹の酒造りの歴史等の紹介、「白雪の時空舞台-マジカル・シーン・ビジョン」ゾーンでは400年以上の歴史を有する「白雪」の伝統的な酒造りの手法を立体映像として鑑賞することができる。
 「ミュージアムライブラリー」ゾーンでは、日本酒や地ビール、ベルギービールのライブラリを閲覧することができる。なお、長寿蔵は清酒発祥の地・伊丹の歴史の中での酒づくりの様子をうかがえうことのできる貴重な蔵元施設である。

小西の酒・白雪
展示品情景
展示の酒樽
酒の貯蔵

(白雪の由来と小西酒造)

 小西酒造は、1550年(天文19年)に創業した老舗の酒造会社。大倉治右衛門により酒屋「笠置屋」として創業している。清酒「白雪」(「雪」のロゴ文字で「ヨ」の真ん中の横線は、右に突き出ている)の醸造元であり、現在では、清酒の製造のみならず、ビールの醸造、輸入酒の販売もおこなっている。江戸時代の文禄 – 元禄期ごろの伊丹地方は上方酒造業の中心で多くの酒造業者が集積しており、小西酒造もそのころを起源としている。初代は薬屋新右衛門。「新右衛門」の名は現代まで続く名跡となっており、2020年には創業470年の節目を機に、当代の社長が15代小西新右衛門を襲名している。元禄期には江戸の日本橋に”下り”問屋を開設、江戸における下り酒の販路を確立、さらに17世紀後半から18世紀にかけて、伝法・安治川で廻船問屋を始めた。このように、生産から流通・販売まで一手に扱うシステムを同族によって確立していたことが小西酒造の特徴であるといわれる。また、酒造業だけでなく、惣宿老として伊丹郷町の政治・経済・文化にも深く関わった記録がある。このため、小西家に伝わる大量の文書や資料は、酒造業や伊丹の歴史を研究する上で貴重な資料(小西新右衛門氏文書)となっている。1995年には、 阪神・淡路大震災により本社と西宮工場が被災したが、「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」をオープンしている。

・参照:小西酒造 – Wikipedia
・参照:小西酒造の歴史と白雪のあゆみ since 1550( https://www.konishi.co.jp/history/)
・参照:酒造史を伝える江戸時代の遺構(小西酒造)http://www13.plala.or.jp/adachiitami/newpage6.html
・参考:「ぶらりあるきお酒の博物館」中村浩(芙蓉書房)

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♣ 月桂冠大倉記念館(伏見)   

所在地:京都市伏見区南浜町247番地  Tel.075-623-2056
HP: https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/

月桂冠大倉記念館入口

 → 大倉記念館は明治に作られた酒蔵を活用し、昔ながらの酒造りの工程を再現したお酒の博物館。日本有数の酒どころとして知られる京都・伏見で活躍してきた月桂冠の1637年創業以来の歴史と酒文化を示す貴重な史料も展示している。館の見学では、長年にわたり積み重ねてきた伝統の技と、伏見の自然により育まれた地下水を用いて醸した日本酒の姿を観察できる。エントランスでは、米の洗い場、米松の梁による小屋組み天井など昔ながらの酒蔵の風情、ホールでは、日本酒の伝統的な製造工程の映像、南展示室では月桂冠創業からの挑戦と創造の歴史、北展示室では木桶、酒樽、櫂など酒造用具類を展示している。これらは京都市有形民俗文化財に指定されている。さらに、現在非公開であるが、月桂冠内蔵酒造場では、1906(明治39)年建造の内蔵酒造場で但馬流の杜氏が昔ながらの手法で酒を醸しているのがみられる。

エントランス
酒造り道具の展示
昔ながらの酒造り (非公開)

(月桂冠の特徴と歴史)

大倉恒吉
南展示室・史料室

 月桂冠の酒造りの歴史は古く1637年に創業している。 創業者大倉治右衛門が酒屋「笠置屋」として創業し、「玉泉(たまのいずみ)」の銘柄で酒を発売したのがはじまりである。江戸時代を通して酒業を続けるが、1867年の鳥羽・伏見の戦いで酒蔵などが被害を受けるが、からくも廃業を免れた。そして、1905年(明治38年)に11代目の大倉恒吉が“月桂冠”を銘柄名として採用し、これが後の企業名になっている。明治時代以降には全国的な清酒メーカーとして全国展開し、灘の白鶴酒造とともに日本最大の酒造メーカーとなっている。戦後は、業界に先駆けて一年を通して醸造可能な「四季醸造蔵」を建設し、大量の酒を供給することも成功した。「酒を科学する」が基本理念の一つで、業界に先駆けて「月桂冠総合研究所」(1909)年)を設立している。近年は本業の日本酒製造のほか、焼酎の製造と販売、ビール、ワイン、食品などの販売、日本酒を利用した化粧品や入浴剤などの販売もしている。一部で杜氏を中心とした伝統的醸造も手掛けており、常勤の杜氏が大量醸造で競争力のある製品も製造し、全国新酒鑑評会やモンドセレクションでたびたび金賞を獲得している。

「月桂冠」酒銘 (1905)
明治期の月桂冠酒蔵
月桂冠北蔵(大正期)

・参照:昔ながらの酒造りー月桂冠大倉記念館 https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/sakebrewery/
・参照:月桂冠 中興の祖・大倉恒吉物語 https://www.gekkeikan.co.jp/company/biography_11th/
・参照:月桂冠 (企業) – Wikipedia

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♣ 黄桜記念館(伏見)             

所在地:京都市伏見区塩屋町228  Tel.075-611-9919
HP: https://kizakura.co.jp/restaurant/country/memorial/index.html

黄桜記念館

→ 黄桜記念館は、伏見の酒造メーカー「黄桜」の歩みを紹介すると共に、昔の酒造りの工程、道具など日本酒製作に関する資料を展示する記念館である。また、黄桜のイメージキャラクターとなっている河童に関する起源や伝承を展示する珍しい博物館(河童資料館)も内部に併設している。社名の由来は、社長であった松本氏が黄桜の花(サトザクラの一種で淡く緑色がかった白い花)を好んだことから命名、また、清水崑が描く河童を長期にわたりマスコットとしていることでも知られる。記念館全体は「キザクラ・カッパカントリー」と呼ばれており、酒造資料館、河童資料館のほか、醸造現場が見学できる「伏水蔵」も設けられている。

河童資料館
伏水蔵

 館内の資料展示スペースでは、酒造りの工程と黄桜酒造の歴史についての展示とビデオ上映があり、次のジオラマ劇場「昔の酒づくり」では洗米、蒸米、放冷、麹づくり、翫づくり、もろみづくり、上槽(搾り)の七つの工程がコンパクトに解説されている。また、道具展示では、鬼棒、棒擢、試桶、にない桶、小判桶、盛枡、水樽、麹蓋といった珍しい酒造り用具が丁寧に置かれている(参照*)。伏見・黄桜の酒造り工程が用具からもうかがえる内容の展示であろう。

酒造りの道具展示
ジオラマ「昔の酒づくり」
ジオラマ酒造り情景
清水崑の黄桜CM
松本社長

 ちなみに、黄桜は伏見の酒造業者としては比較的新しく、1925年に伏見の蔵元・澤屋(現:松本酒造)の分家として創業した酒造メーカーである。1951年には法人化し「松本冶六郎商店」を名乗り、1964年に 黄桜酒造株式会社に社名変更して現在に至っている。現社長の松本真治氏は「業界内での後発メーカーという立場を活かし、「独創的な発想」と「斬新な行動」で、業界では先駆けて行ったテレビCMや、概念にとらわれない商品開発などでお客様の支持を得てきました。」と述べている。

・参照:黄桜 伏水蔵(ふしみぐら)https://kizakura.co.jp/husimigura/index.html
・参照:会社概要|黄桜株式会社https://kizakura.co.jp/company/profile.html
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「黄桜」の節から引用

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♣ 菊正宗酒造記念館(灘六郷) 

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎西町1-9-1  Tel. 078-854-1029
HP: https://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/

菊正宗酒造記念館

 → 現菊正宗酒造記念館は、阪神淡路大震災で倒壊した旧酒造記念館を再建し、1999年に新たな施設として建設した酒造博物館である。旧酒造記念館は、江戸初期の1659年(万治2年)神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられていた酒蔵を酒造記念館としたもの。館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類など多数があり、酒造りの歴史を今日に伝える貴重な資料館であった。しかし、震災のため建物は倒壊して使用不可能となってしまう。ただ不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は残っいた。これらをがれきの下から一点一点丁寧に手作業で拾い出して再建し新しい酒造記念館としてオープンすることになった。現在、年間10万人以上の来館者があるという。

「菊正宗」の看板
釜場展示
槽場展示
麹作業の再現

 展示室入口には大きい注連縄と杉玉、宮水の運搬に用いた大榔、酒を運んだ樽廻船や千石船の模型が置かれている。また、壁面には年表のパネル展示や「菊正宗」の看板が掛けられ、その下には円筒形の白磁製樽形瓶が置かれている(参照*)。酒造展示室の展示は、ほぼ全てが「国指定重要有形民俗文化財」となっている。酒造用具を通じて、蔵人たちの仕事や生活、伝承の生酛造りが体感できる。利き酒コーナーでは、加熱処理を行っていない「生原酒」をはじめ、その季節のお酒などの試飲ができる。(画像refer:https://www.hyogo-tourism.jp/review/221

・参照:菊正宗について|菊正宗~灘から世界へhttps://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/floor.html
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「菊正宗」の節
・参照:灘の酒造りの魅力を紐解く。老舗酒造「菊正宗酒造記念館」へ(兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ | )https://www.hyogo-tourism.jp/review/221

(菊正宗の由来と歴史)

菊正宗の「下り酒」舟

 菊正宗の歴史をたどると、1659年(万治2年)、徳川四代将軍家綱の時代。材木商として活躍していた嘉納治郎太夫宗徳が、当時、先端の製造業であった酒造業に手を広げ、本宅敷地内に酒蔵を建て酒造業を本格的に開始したのがはじまりとなっている。18世紀、江戸送りのいわゆる「下り酒」の人気が高まると、本嘉納家は酒のほとんどを高品質の“下り酒”として江戸に供給、江戸っ子の人気を得ている。
  六甲山系の自然の恵みを丹波杜氏の職人技で醸した辛口酒を遠くは松前(北海道)まではこんだという。こうして、本嘉納家は文化・文政の数十年で石高を約3倍に増やし、幕府の御用商人ともいえる立場を確立していくことになる。

秋香翁

 明治19年(1886年)には「菊正宗」ブランドを商標登録、海外への積極的な輸出や宮内省御用達拝命などを得て発展の基盤をかためた。また、明治22年(1889年)には、本嘉納家8代目秋香翁がドイツから顕微鏡を購入して研究、技術者を招聘するなど酒づくりの近代化を進めている。また、断熱効果を高めたレンガの酒蔵やビン詰め工場など最新鋭の設備投資を行い、業界に先駆けた技術改善を敢行して「近代醸造」への足がかりを築いていく。昭和20年、阪神間をおそった爆撃によって菊正宗も大部分の蔵を焼失するが奇跡の復興を遂げる。1988年には、業界で初めて主力商品の全てを本醸造化するなど、品質本位の姿勢を貫いている。現在、菊正宗酒造で新ブランド「百黙」を発表し、国外へ輸出展開も図りつつあるようだ。

菊正宗のラインアップ
新ブランド百黙
「百黙]のポップアップ

・参照:菊正宗の歴史|菊正宗酒造~灘から世界へ。https://www.kikumasamune.co.jp/profile/history.html
・参照:菊正宗の歴史 https://www.kikumasamune.co.jp/about/

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♣ 沢の鶴資料館(灘)”

所在地:兵庫県神戸市灘区大石南町1-29-1 Tel. 078-882-7788
HP: https://www.sawanotsuru.co.jp/site/company/siryokan/

沢の鶴資料館

 → 江戸時代末期に建造された大石蔵を改造して資料館として公開したのが「昔の酒蔵」沢の鶴資料館。創業300年を誇る沢の鶴の貴重な酒造りの道具や灘酒の伝統文化の姿を展示している。資料館の魅力として強調されているのが、「昔の酒造り工程の追体験」、「酒造りの貴重な遺構(重要文化財)」、「復興再建された“昔の酒蔵」だという。
 展示では、洗米作業をした洗い場や火入れに使った釜、上方から江戸へ酒を運んだ「樽廻船」や「菱垣廻船」の模型、「麹室」、天保10年と記された棟梁、発掘作業により発見された地下構造の「槽場(ふなば)」跡など、重要有形民俗文化財となっているものも多い。

入口の杉玉と酒樽
酒造りの作業場
「下り酒」模型
創業時の銘
昔の杜氏による酒造り絵

 ちなみに、沢の鶴は、江戸時代の享保2年、米屋を営んでいた初代米屋喜兵衛が「※」(米印)のマークを掲げ、灘・西郷で酒を作り始めたのが創業の契機となった。「沢の鶴」と名付けたのは、古事記により、神が「真っ白な鶴が実った稲穂をくわえ鳴いている」の愛で酒を醸させたとの縁起によったとされている。 江戸時代に「丹波杜氏」が酒醸技を発揮、「灘本流の酒造り」を定立して“沢の鶴”の酒を造り出し、江戸に“下り酒」を売り出して現在の酒造業の基礎を築いた。明治になり、1885年に澤之鶴」を商標登録、1964年に沢の鶴株式会社に社名変更している。1991年に創業時から使われてきた※印を変更し、鶴の羽を模った現行のものに変更している。特色としては「純米酒」にこだわった酒造りといわれている。純米大吟醸「鶴の舞」、「瑞兆」、特撰吟醸「瑞兆」、特別純米酒「山田錦」がある。

・参照:沢の鶴 – Wikipediaなど

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♣ 白鹿記念酒造博物館・酒ミュージアム(灘五郷) 

所在地:兵庫県西宮市鞍掛町8-21  Tel.0798-33-0008
HP: https://sake-museum.jp/

白鹿記念酒造博物館

 → 「酒ミュージアム」の愛称で親しまれる白鹿記念酒造博物館は、西宮の酒文化を伝える博物館として1982年に開館。西宮市は、六甲山と瀬戸内海に囲まれた日本一の酒どころ「灘五郷」の東部に位置しており、江戸時代より清酒造りで繁栄していた。この背景を踏まえ、酒のまちの景観を彩る酒蔵をそのまま利用した博物館となっている。ミュージアムは「記念館」と「酒蔵館」の二棟で構成され、古くから酒造業を営んでいた旧辰馬本家酒造本蔵、釜場遺構、古文書史料、灘の酒造用具一式などを保存・展示している。また、西宮市から委託された「酒」と「さくら」の博物館(笹部さくらコレクション)を持つことでも知られる。

酒造りの作業場
酒造りの道具展示
酒造りの作業模型

 「記念館」の中には酒資料室、企画展示室があり、それぞれ古文書や古写真といった歴史資料から、日本画や酒器、酒造家辰馬家が収集した美術品や節句の人形等か展示されている。これとは別棟の「酒蔵館」は、1869年(明治2年)に建てられた旧辰馬本家酒造の本蔵となっており、この歴史的建造物の中で白鹿の伝統的な酒造工程が見学できるほか、酒造りの映像・酒造り唄の視聴や多様な酒造道具にも触れることができる。

(白鹿の由来と歴史)

白鹿の由来
白鹿酒造の酒ラインアップ

 ちなみに、「白鹿」の名前は、長生を祈る中国の神仙思想に由来するという。自然の大いなる生命の気と、日々の楽しみと、長寿の願いが込められていることから、創業家が商標としたと伝えられている。この白鹿の創業は1665年、初代辰屋(辰馬家の当時の屋号)吉左衛門が自家の井戸水があまりに清冽甘美であったことに感服し、これを利用した酒造りを決意したことが起源という。江戸時代中期、灘の「下り酒」、中でも白鹿の酒は“灘の銘酒”として不動の地位を確立、樽廻船による江戸積から連鎖して回漕業や金融業も起こしている。明治以後も全国一の醸造高を記録するまでに発展する。1920年には丹波杜氏・梅田多三郎によって新醸造に成功、高級酒「黒松白鹿」を誕生させている。また、1993年には「六光蔵」を発表し銘酒づくりの道を歩んでいる。

・参照:白鹿の歩みhttps://www.hakushika.co.jp/company/history.php

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♣ 白鶴酒造資料館(灘五郷) 

所在地:兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5  Tel.078-822-8907
HP: https://www.hakutsuru.co.jp/community/shiryo/

白鶴酒造資料館

 → 白鶴酒造資料館は、昭和40年代中頃まで実際に清酒醸造に使われていた本店壱号蔵を改造して開設された酒造博物館。内部は昔ながらの酒造工程をそのまま保存し、作業内容を再現している。内部は、等身大の人形を配置するなど、清酒の生まれるまでを立体的にわかりやすく展示している。展示では、洗米、蒸し米、酛仕込み、醪仕込み・醪出し、上槽、滓引き火入れ、樽詰め、酒の醸造過程に沿って丁寧に解説がなされている。利き酒コーナーもあり、白鶴の味を楽しむことができる。

(白鶴の由来と歴史)

白鶴の酒銘柄

 商標を白鶴としたのは、「鶴」の飛態が瑞兆をイメージ”してのこと、その後、模倣品が現れたことから「白」をつけ「白鶴」としたという。白鶴は、1742年に材木屋治兵衛が酒造業を創立、1747年に銘酒を「白鶴」としたのが起源という。明治後の1897年に嘉納合名会社に改組し、1947年、嘉納合名会社と昭和酒造が合併し、白鶴酒造株式会社」となっている。この間、1869年大阪横堀に嘉納直売店を開業している。戦災と大震災により大きな被害を受けるが、それを乗り越えて躍進し、1964年に四季醸造工場建設、1930年代の「山田錦」のほか2007年 独自開発酒米「白鶴錦」なども開発している。

・参照:白鶴のあゆみ(白鶴酒造株式会社)https://www.hakutsuru.co.jp/community/history/
・参照:兵庫の日本酒(白鶴(はくつる))https://tanoshiiosake.jp/5926

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♣ 櫻正宗記念館「櫻宴」(灘五郷)

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4-3-18 Tel. 078-436-3030
HP: https://www.sakuramasamune.co.jp/sakuraen/sakuraen_index.html

櫻正宗記念館「櫻宴」

 → 櫻正宗記念「櫻宴」は、1998年、創業300年の歴史を記録し、地元魚崎地域活性化に貢献する目的を持って開設したもの。昔からの酒造りの工程を収めた貴重なVTRの上映から、櫻正宗創醸400年の歴史を物語る酒造道具、 昔懐かしい看板や酒瓶やラベルなどを展示している。中でも、大正末期の櫻正宗の木造蔵で酒造りの様子を記録した貴重な映像、精米所、洗米、宮水積み込み、宮水井戸場、麹室とこもみ作業、甑取り、すり、麹室、仕込み(宮水)、仕込みなどが写真、パネルで紹介されている。(参照**)

「櫻宴」の内部
酒造りの道具など展示

(櫻正宗の概要と沿革)

江戸の正宗

 櫻正宗は、灘五郷の一つで、灘・魚崎郷に本拠を構える老舗酒造。1625年(寛永2年)創業者初代山邑太左衛門が、兵庫県荒牧村(現・伊丹市)で酒造りを始め、1717年(享保2年)に魚崎へ移転して酒造専業者となる(「創業」)。創業以来当主は代々山邑太左衛門を襲名している。明治になって、1906年(明治39年)に官立醸造試験所の技師高橋偵造によって櫻正宗酒母から分離された櫻正宗酵母が日本醸造協会より“協会一号酵母”として全国に頒布されたとの記録もある。江戸時代末期に現在の神戸に移転している。築後200年の内蔵は庫県重要有形文化財となっている。阪神・淡路大震災で門以外全ての建物が倒壊し、現在は、新しい櫻喜蔵で製造を行っている。倒壊を免れた内蔵の門は現在記念館の入り口となっている。
 商標菊正宗は、江戸時代「正宗(セイシュウ)」が「清酒(セイシュ)」に語音が通じる事から「正宗」を酒銘としていたが、明治になり、”正宗”が普通名詞として扱われたため、国花である櫻花一輪を冠し「櫻正宗」と名付けられたという。

・参照:櫻正宗 – Wikipedia
・参照:酒蔵の軌跡(櫻正宗)https://www.sakuramasamune.co.jp/history/
・参照**:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節

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♣ 白鷹禄水苑・白鷹集古館(兵庫県西宮市)

所在地:兵庫県西宮市鞍掛町5-1  Tel:0798-39-0235
HP: https://hakutaka.jp/shop.html
HP: https://hakutaka.jp/blog/article.html?page=14 (白鷹集古館)

白鷹禄水苑外観

 → 禄水苑は、白鷹の蔵元・北辰馬家の住居の姿を再現した博物館兼店舗である。施設内には、蔵元・北辰馬家の暮らしぶりを示す「暮らしの展示室」、レストラン、ショップ、酒造りの歴史を記す白鷹集古館、白鷹の工場が配置されている。このうち集古館が白鶴の酒資料館となっており、白鷹における酒造りの歴史が紹介されているほか、昔ながらの酒造り道具や酒器・伊勢神宮酒器、樽回船として酒を江戸などに運んだ帆船の模型などが展示されている。また、白鷹が伊勢神宮の御料酒となったことから来伊勢神宮との関係は深く、伊勢神宮からの感謝状や下賜記念品が数多く展示されている。

白鷹集古館内部
伊勢神宮酒器、帆船の展示など
白鷹の歴史展示

 ちなみに、1862年(文久2年)、初代辰馬悦蔵が西宮に酒造業を興したのが白鷹酒造の始まりとされる。白鷹は、その後、明治後の1877年に東京で開催された第一回内国勧業博覧会に出品し受賞したのをはじめ、パリ万国博覧会や多数の海外の博覧会に出品し受賞を重ねた。1924年には伊勢神宮の御料酒に選ばれている。太平洋戦争で木造蔵は全滅するが、焼け残った北店蔵と辰馬本家酒造の本職を借り受け、1945年中には早くも醗造を再開している。「白鷹」という酒名は、百烏の王である鷹、なかでも白い鷹は千年に一度現れる王者の風格と気品を持つ霊烏といわれるところからきているようだ。

・参照:白鷹禄水苑 – Wikipedia
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「白鷹禄水苑」の節

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♣ 神戸酒心館・福寿蔵(灘の御影郷)

所在地:神戸市東灘区御影塚町1-8-1  Tel. 078-841-1121
HP: https://www.shushinkan.co.jp/

神戸酒心館・福寿蔵

 → 神戸酒心館は、日本酒「福寿」の醸造元であり、醸造蔵を含む4つの蔵からなる複合施設。敷地内には、お酒を造る「福寿蔵」、醸したお酒を提供する蔵元ショップ「東明蔵」、「蔵の料亭 さかばやし(水明蔵)」、お酒とともに落語や音楽コンサートが楽しめる多目的ホール「酒心館ホール(豊明蔵)」がある。福寿蔵は見学施設となっており、映像ルームで福寿のコメづくりの産地などの映像が紹介されているほか、福寿の代表的な製品、窓越しに工場のステンレスタンクの様子が観察できる。

福寿蔵の展示場
福寿のお酒

「福寿」は1751年(宝暦元年)灘の御影郷で酒造りを始め現在に至っている。『福寿」という酒銘は七福神の福禄寿に由来、お酒により財運がもたらされるようにという願いから名付けられたという。生産量よりもおいしさを極めるため、手造りで丁寧な酒造りを行っているという。麹は今でも全並手造り、蒸しコメは甑を用いて、仕込みごとの個性を大切にしコメのうまみを引き出したお酒づくりをめざしているという。『福寿」という酒銘は、七福神の福禄寿に由来しており、この酒を飲む人に財迩がもたらされるようにという願いが込められている。

・参照:福寿の酒蔵について~これまでの歩み~(神戸酒心館https://www.shushinkan.co.jp/news/
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「福寿」の節

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♣ 小山本家酒造灘浜福鶴(酒造り体験工房空間吟醸工房)

所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4丁目4番6号 Tel:078-411-8339
HP: https://www.hamafukutsuru.co.jp/

小山本家酒造灘浜福鶴

 →「醸工房」は、1996年、日本酒造りの伝統文化を広く社会に伝えていきたいとの思いから開設。ガラス張りで酒造りの工程を見学できる設備をそなえてオープンしてる。四季を通じて、リアルタイムで酒造りを見られるところが特徴となっている。「浜福鶴」は初代小山屋又兵衛が、灘、伏見で酒造技術を習得したのち、1808年(文化5年)に現在の埼玉県で酒造業を創業したのがはじまりとされる。そして、明治初期(1900年頃)から現地点で酒造りをはじめ、当時は「大世界」という銘柄でその名を馳せたという。その後、昭和の大戦時に国の企業整備があり、終戦後の1950年(昭和25年)に「福鶴」を名乗り酒造業を再開、1989年に「世界鷹小山家グループ」へ加入している。1995年の神戸淡路大震災にて蔵が全壊したが、地域一丸となって事業再開を目指すこととなり、翌年に蔵を再建して現在にいたっている。

見学館入口
社歴と酒造り展示
浜福鶴の大樽

・参照:小山本家酒造 灘浜福鶴蔵(世界鷹小山家グループ)https://www.sekaitaka.co.jp/group/hamafukutsuru.php

・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「浜福鶴」の節

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(広島を中心とした酒造博物館)

♣ 賀茂鶴酒造 賀茂鵲展示室(東広島市)

所在地:広島県東広島市西条本町9番7号 Tel. 082-422-2122
HP: https://www.kamotsuru.jp/tour/

賀茂鶴酒造 賀茂鵲展示室

 → 賀茂鵲展示室は賀茂鶴酒造の一号蔵を改装し、蔵元直営店として、酒造りの道具や資料の展示や酒造り解説を行い、併せて、唎き酒・販売を行う施設して開設したもの。ここでは、杜氏による醸造蔵内の見学ツアーがあり、酒造りの道具や資料の展示、酒造り解説ムービーの上映、トリックアートなどの撮影が行われている。この一号蔵は、2024年、広島西条酒蔵群のひとつとして国史跡に指定されている。展示室の入口ある湧水は「福神泉」と呼ばれる龍王山の伏流水で、賀茂鶴の仕込み水として使用されている。自然の恵みが育む適度なミネラルを含んだ上質な「軟水」で、口当たりの良い柔らかな酒が生まれるとされる。展示では、「米・水・技」「蒸米、甑」、「麹室」、「仕込み」、「搾り」といったテーマで酒造りが解説されている。

天使室内の展示
酒造りの道具展示
工場内の井戸

(賀茂の鶴の社歴と酒どころ広島)

ゴールド賀茂鶴

 賀茂鶴酒造は、1623年(元和9年)、前身となる小島屋木村家が創業したのがはじまり。そして、1873年(明治6年)9月9日、木村和平が酒銘を「賀茂鶴」と命名。「賀茂」は地名であると同時に酒を造るという意味の“醸す”が掛けられ、鶴は信頼を表し富士山は品質が日本一であることを表しているとされる。1918年(大正7年)株式会社に組織変更し「賀茂鶴酒造」となった。賀茂鶴は、1958年、金箔入りの大吟醸「特製ゴールド賀茂鶴」を発売、これにより全国的な知名度を得る。同時に、西条が伏見や灘と並ぶ銘醸地として知られるようになったとされる。

「広島の酒

 現在、西条酒蔵通りには7つの酒造会社が軒を連ねており、その酒造施設群はイコモス(国際記念物遺跡会議)の「日本20世紀遺産20選」に選定されている。今はなまこ壁や赤レンガの煙突が立ち並ぶ風情豊かな観光地と知られるようになっている。
 オリジナルの酒造好適米”白鶴錦”(はくつるにしき)」を開発した「白鶴酒造」、銘柄酒”櫻正宗”の酵母を「協会第一号酵母」として全国に頒布した「櫻正宗」のほか、歴史ある蔵元や大手酒造メーカーが数多く名を連ねている。現在、東広島市には、「賀茂の鶴」のほか、「福美人酒造」、「亀齢酒造」、「西條鶴酒造」、「白牡丹酒造」、「山陽鶴酒造」などの知名度の高い酒造会社が所在している。
・参照:広島が三大酒どころに? 先人の功績 | 徹底解剖!ひろしまラボ – 広島県https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20221118/01/

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(北海道・東北・北陸などの酒造博物館)

♣ 千歳鶴酒ミュージアム(札幌市)

所在地:札幌市中央区南3条東5丁目2番地 Tel. 011-221-7570
HP: https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/museum/

千歳鶴酒ミュージアム

 → 明治5年、石川県能登から来道した創業者・柴田與次右衛門は、創成川のほとりで造り酒屋「柴田酒造店」を開店。“どぶろく”などのにごり酒が開拓使の役人に評判で、売れ行きは好調。数年後には清酒をつくりはじめたと伝えられている。このため柴田は北海道の酒造業の幕を開けた先駆者と称されている。
 「柴田酒造店」は、その後、品質向上に努力を重ね、着実に発展。明治30年には同業者を束ね、日本清酒の前身「札幌酒造合名会社」を設立。このころから札幌の酒づくりが本格的な生産時代を迎る。大正13年9月、柴田は合名会社を株式会社に組織変更し「札幌酒造株式会社」を創立した。昭和3年には業界企業合同の政府要請に応えて8企業を合同し、「日本清酒株式会社」なり統一銘柄をおなじみの「千歳鶴」としている。

酒蔵の展示
千歳鶴の酒

・参照:千歳鶴について | 千歳鶴 https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/about/
・参考:日本清酒株式会社 | 北海道札幌市に拠点を置く老舗  https://nipponseishu.co.jp/

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♣ 男山酒造り資料館(北海道旭川市)

 所在地:北海道旭川市永山2条7丁目1番33号 Tel. 0166-48-1931
HP: https://www.otokoyama.com/museum/

男山酒造り資料

 →「男山」350年の歴史と共に、日本の伝統産業のひとつである酒造り文化を伝える資料舘。江戸時代の貴重な資料・文献・酒器などを展示しており、仕込みの時期には酒造りの様子も一部ご見学できる。 また、酒蔵全体が、「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK)となっており、「蔵人の醸造技術」のほか「大雪山の万年雪から染み出る伏流水」(「延命長寿の水」)も楽しめる。

昔の酒造り道具
男山の酒

ー「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK) https://sake-park.otokoyama.com/

男山酒パーク
伏流水「延命長寿の水」

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♣ 北海道酒造組合

  所在地:北海道亀田郡七飯町大中山1丁目2番3号 Tel. 0138-65-5599
 HP: https://www.hokkaido-sake.or.jp/

 → 組合では、北海道のおもな日本酒酒造会社の名前をHPで掲載している。そのうち多くは見学などの受け入れをおこなっているようだ。
   See: 日本酒メーカー | 北海道酒造組合  https://www.hokkaido-sake.or.jp/sake_maker/

北海道地域の主な酒造会社

○ 例えば:

♣ 高砂酒造明治酒蔵資料館(北海道旭川市)
    所在地:北海道旭川市宮下通17丁目右1号 Tel. 0166)23-2251
    HP: https://takasagoshuzo.com/meiji-sakagura/ 
♣ 田中酒造亀甲蔵(北海道小樽市)
    所在地:北海道小樽市信香町2番2号 Tel. 134-21-2390
    HP: https://otaru.gr.jp/shop/tanakasyuzo-kkikogura

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(東北―岩手県)

♣ 南部杜氏伝承館・酒匠館(岩手県花巻市)

所在地:岩手県花巻市石鳥谷町中寺林7-17-2 道の駅石鳥谷内
HP: https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=163

南部杜氏伝承館・酒匠館

 → 伝承館は南部杜氏による酒造りの伝統文化を保存・伝承する施設。古くから伝わる酒蔵を解体復元した土蔵造りの博物館で歴史的にも文化的にも貴重な施設となっている。
 酒造りにまつわる蔵内行事のミニチェア、南部杜氏と酒造りの歴史などを紹介したパネルなども展示している。大型スクリーンでは「南部杜氏」の映像を上映。ちなみに伝承館のある石鳥谷は清浄な自然とうまいと米に恵まれ、古くから酒造りが盛んに行われてきた。それに伴って酒造りの技術者である杜氏も多く輩出し、日本でも有数の杜氏集団へと成長していったとされる。

酒匠館の展示室
昔ながらの酒造道具

・参考:南部杜氏伝承館 – 道の駅石鳥谷「酒匠館」
・参照:南部杜氏伝承館|花巻市 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html

(南部杜氏とは)

江戸時代の杜氏の活躍風景

 → 南部杜氏は花巻市石鳥谷町を拠点とする日本酒を造る杜氏集団のひとつ。新潟県の越後杜氏、兵庫県の丹波杜氏とならび、日本三大杜氏に数えられている。石鳥谷は古くから酒造りの文化を保持・育成していた関係で、杜氏を多く輩出して日本で有数の杜氏集団へと成長していったようだ。
 きっかけは、南部藩の御用商人村井氏・小野氏が、上方の伊丹で開発された大量仕込み樽の製法を領内にもたらし、南部藩の支援を受けて盛岡城下で藩造酒の生産を本格的に始めたことにあった。延宝9年(1681年)には藩領内の造り酒屋の数は189軒を数え、寛政10年(1798年)には江戸表からの注文200石を受けるまでになっている。中でも稗貫郡石鳥谷(現・花巻市)には藩の御用酒屋があり、藩主に献上する御膳酒を造る杜氏である“酒司”も多数住んでいたらしい。

南部杜氏の碑
杜氏の作業場

   明治になると、酒司であった石鳥谷の稲村徳助が伝統的な南部流を結集し多くの弟子を育成すると同時に、近代南部杜氏の基礎を築いている。明治36年(1903年)には南部杜氏たちの最初に近代的な組織もできる(岩手県酒造組合)。明治44年(1911年)には南部杜氏自らの手によって酒造従業員(蔵人)の「南部醸造研究組合」が創設されている。時を経て、昭和23年(1948年)に南部杜氏組合は「南部杜氏協会」となり、昭和28年(1953年)には社団法人となっている。

 現在、南部杜氏会館もでき、花巻市と連携して、石鳥谷を「南部杜氏の里」にしようという事業も進行中である。花巻市には南部杜氏伝承館、南部杜氏会館、南部杜氏歴史民俗資料館、石鳥谷農業伝承館、酒民俗文化博物館などの観光施設のほか、後継者育成のための南部杜氏研修場が活動している。南部杜氏協会員数は現在約1700人、杜氏総数は約360人、杜氏が就労している蔵数は400場で、九州と沖縄以外のほぼ全国に分布しているという。

・参照:南部杜氏伝承館(花巻市)https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html
・参照:南部杜氏 – Wikipedia
・参考:日本三大杜氏~日本酒を醸す杜氏集団と蔵人の役割と歴史~ ( 日本酒と酒器のサイエンス

<参考> 岩手県の蔵元の例:
・廣田酒造店(岩手県紫波郡紫波町)、・あさ開き酒造(岩手県盛岡市)、
・世嬉の一酒造(岩手県一関市)など

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(酒どころ新潟のお酒資料館)

♣ 吉乃川酒造酒ミュージアム「醸蔵」薪潟県長岡市)

所在地:新潟県長岡市摂田屋4-8-12 Tel. 0258-77-9910
HP: https://yosinogawa.co.jp/johgura/
HP: https://yosinogawa.co.jp/

吉乃川ミュージアム「醸蔵」

 → 酒ミュージアム『醸蔵)は、2019年、吉乃川酒造の敷地内に開設された酒の博物館。建物は大正時代に建設された築約100年となる倉庫「常倉」を改装して施設としたもの。かつては酒の瓶詰作業が行われていた場所で現在国登録有形文化財となっている。「醸蔵」では、吉乃川の定番のお酒やここだけで飲める特別なお酒も味わえる「SAKEバー」や、醸蔵限定販売のお酒も扱う「売店」のほか、映像やデジタル技術も用いて酒造りや歴史について紹介する「展示スペース」などがある。

ミュージアムの展示室
お酒を搾る「槽」

 吉乃川の創業は戦国時代の1548年(天文17年)、天領地であった摂田屋の統治を任された武士川上主水義光が吉乃川の前身である「若松屋」を創業したことにはじまるという。以降蔵元である川上家が酒造りの伝統を守り 吉乃川の酒造りを発展させてきた。その後、昭和年代に第18代当主となった川上真司と妻川上浩子は、大杜氏の鷲頭昇一とともに吟醸酒「極上吉乃川・鷲頭」など数々の銘酒を生み出してきている。吉乃川は、1961年)に「中越式自動製麹機」を独自に開発し、製麹工程の機械化に成功している。また、2019年には吉乃川の敷以前の酒蔵資料館『瓢亭』に代わり、新たに前述の酒ミュージアム『醸蔵(じょうぐら)』を開設している。

・参照:蔵元を家業から企業へ (智慧の燈火オンライン) https://chienotomoshibi.jp/yosinogawa/
・参照:吉乃川について | 吉乃川 | 新潟長岡市にある日本酒の蔵元https://yosinogawa.co.jp/company/about.php

(越後杜氏とは)

 → 越後杜氏とは、新潟県を発祥地とする、日本酒を造る代表的な杜氏集団の一つ。杜氏の流派として捉えたときには越後流と称され、さらに流派内は四つの支流に分かれる。杜氏組合としては、日本第二位の規模を誇る新潟県酒造従業員組合連合会を持つが、その支部のようなかたちで傘下に新潟県内各地域の杜氏組合が多く存在している。

越後杜氏が携わる酒造りを描く
松尾神社酒造図絵馬」(写真提供:長岡市立科学博物館)https://n-story.jp/topic/85/

 江戸時代、農閑期の現金収入を得たい農民とより多くの人手を欲している造り酒屋が一緒になり杜氏集団の形成を促したという。彼らのなかにはその誠実な働きを認められて造り酒屋の当主と養子縁組した者、暖簾分け)をしてもらった者、酒株を購入して自分の小さな造り酒屋を開いた者も多数いた。こうした酒屋を「越後店」といった。 越後杜氏たちを束ねる近代的な組織が正式に結成されたのは1958年頃である。当時の杜氏登録者数は900名を上回っていたという。越後杜氏の主な出身地は寺泊野積、越路、小千谷、柿崎、吉川がとなっている。

高浜春男氏(右)

 
 ・越後流に属する主な杜氏としては、高浜春男(新潟県 八海醸造 『八海山』)、木曽健太郎(新潟県 朝日酒造 『久保田』『朝日山』)、鳥島諠一(愛知県 東春酒造『東龍』)、古川原行雄(新潟県 石本酒造 『越乃寒梅』)などがいるといわれる。

・参照:越後杜氏 – Wikipedia
・参照:越後杜氏と酒造り唄 – 新潟文化物語 https://n-story.jp/topic/85/
・参考:高浜 春男 「杜氏 千年の知恵 」祥伝社
・参照:摂田屋 – Wikipedia
・参照:〈醸家銘々伝〉新潟県 ・長岡市 吉乃川https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/88/1/88_1_63/_pdf/-char/en

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お酒の博物館ー洋酒の世界ー「食と農」の博物館(5)

― ビール・ウイスキー、ワインなどの洋酒の世界と歴史を語る博物館をみるー

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 (ビールの博物館)

 ビールは今や日本の中で最も消費も多く、日本酒に次いで多様な形で好まれている洋酒といえるだろう。ここでは、日本に定着して多くの人々を魅了しているブランドビールの形態、由来と歴史、現在の姿をレビューしてみた。特に、注目すべきは大手メーカーの提供するビールのほか、最近では、各地で生まれている「地ビール」「クラフトビール」に注目する必要があると思える。以下に主要なビール関係資料館・博物館を紹介してみる。

♣ サッポロビール博物館(開拓使麦酒記念館)

所在地:札幌市中央区北2条東4丁目  Tel.011-252-8231
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/

・参考:北海道の「サッポロビール博物館」を見学 https://igsforum.com/2022/08/05/visit-sapporo-beer-museum-jj/

 

サッポロビール博物館外観

→ サッポロビールの前身となる明治初期に設立された旧開拓使麦酒醸造所を博物館として開放したもの。試飲込みの工場見学コースを設けたワイナリーは多数見られるが、この博物館は、日本におけるビール産業の創始の歴史と発展記録を展示・紹介する貴重な産業博物館である。明治初期の北海道における開拓・産業開発の実例を示す歴史博物館でもある。 博物館では、ビールの醸造の過程を映像、現物で紹介しているほか、日本におけるビール生産の創始をもたらした「開拓使麦酒醸造所」の役割とサッポロビールへの移行につながる歴史、ビール産業発展の経過などを写真、パネル、記念文物などと共に幅広く展示している。また、試飲コーナー、レストランなども併設していて、札幌「ビール園」というテーマパークともなっている。また、博物館の建物は明治の北海道開拓の歴史を示す歴史的建造物であり価値も高い。札幌を訪れたら是非訪ねたい博物館の一つである。

開拓使時代の「ビール樽」
ビール博物館の展示
麦汁の煮沸「釜」

(博物館でみるサッポロビールの展開)

開拓使麦酒醸造所開所式(1876)
村橋久成と中川清兵衛

 ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみた。
 江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。

歴史建造物 醸造所工場跡
札幌官園と黒田清隆

 また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。 

民営化された札幌麦酒醸造所(展示)
大倉喜八郎

 しかし、その後、明治政府の方針で開拓使が廃止されたことで、傘下の事業は北海道庁に移管される。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かい。これが後のサッポロビール社の母体となった。

「大日本麦酒株式会社」成立の展示

 一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。

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♣ ヱビスビール記念館(サッポロビール)              

所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20-1 恵比寿ガーデンプレイス内  Tel.03-5423-7255
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/ 

エビス記念館の入口

 → ヱビスビールが2023年に東京・恵比寿に開設したビールの記念館。130年のヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像で紹介すると共に、エビス自慢のドイツ製の醸造設備を展示し、リアルタイムに醸造されるビールの味を楽しむことができる。館内では、3D画像で館内施設が表示されており、ポイントをクリックすることで、実際にヱビスビール記念館内を歩いて見学しているように館内展示を鑑賞することができる。また、「タップルームエリア」が用意されていて、目の前で造られている新鮮なヱビスビールを試飲することもできる。 ちなみに、記念館で紹介されているヱビスビールの来歴をみると、次のようである。

展示のビール醸造設備
3Dによる館内案内
ビールの歴史を記す展示

<ヱビスビールの成り立ちと現在>

創業の経過を示す看板類

 → ヱビスビールのルーツは、1887年(明治20年)に設立された「日本麦酒醸造会社」。そして、会社設立から2年後に、現在の東京・目黒区三田に、ヱビスビール醸造場が完成、ビール生産を開始させている。このとき、ビールの仕込釜、蒸気機関、製氷機などの醸造設備はすべてドイツ製であったという。技術者もドイツから招聘した。1890年2月に「恵比寿ビール」として発売している。当初は名前を「大黒ビール」としていたが、大黒ブランドが既に商標登録されていたことから、同じ七福神の一神として福徳を授ける「恵比寿」に変更したという経緯もあるという。 発売後、売り上げは好調で、1899年には「恵比寿ビール・ビアホール」を東京・銀座にオープン、1900年には恵比寿ビールが「パリ万国博覧会」で金賞を受賞するなど、ビールの質の高さが世界的にも認められている。

エビスを記した商標ラベル
創業当時の工場
エビス最初のビアホール

 また、日本鉄道がビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、醸造場周辺の人口も増加したことから当時の国鉄「恵比寿駅」となり周辺は賑わいも見せている。 
 こうして、1994年10月には「恵比寿」(旧南渋谷村)の醸造場跡地を「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発、複合文化・商業施設に生まれ変わらせた。この場所に「ヱビスビール記念館」が開設され、ビールの歴史を刻むと同時に地域の発展のシンボルとなっているのは見逃せない。

開業当時のエビス貨物駅
現在の恵比寿ガーデンプレイス

・参照:歴史紹介 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html
・参照:「恵比寿ガーデンプレイス」について | https://gardenplace.jp/about/
・参照:地名はヱビスビールが由来⁉(TBSテレビ)https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=1105
・参照:歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール https://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html

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♣ キリン歴史ミュージアム (インターネット・ミュージアム)

HP: https://museum.kirinholdings.com/

キリンビール名古屋工場

 → 日本のビール事業の草分け的企業であり、且つ、出荷量でもトップシェアの一角を占めるキリンのビールを中心にビールの歴史を紹介するミュージアム。この施設では、インターネット配信を通じて、近代日本のビール産業の変遷を中心に、キリングループの商品ブランド、お酒と飲料に関する文化史、人物史を紹介している。また、キリン参加の工場でのツアーも用意しており、ビールが造られる過程を直に見ることもできる。
 ちなみに、工場見学を提供しているのは、キリンビールの北海道千歳工場、仙台工場、取手工場、横浜工場、名古屋工場、滋賀工場、岡山工場、神戸工場、福岡工場など9カ所のようだ。ここでは、ビール造りの技術、キリンのブランドビールの素材ホップ、仕込~麦汁のでき方、麦汁に酵母を加えて行う発酵の仕組みやなどを現場や動画で紹介している。

見学コースがあるキリンピール工場

 

 キリンビールの「商品ブランド」紹介では、歴代の商品ラベルを通じて、キリンが100年以上にわたって生み出してきたビール販売の足跡をたどり、「ヒストリー・クルーズ」では「麒麟」をブランドにした背景やキリンビールの原形となった「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の由来を訪ねている。また、製品の宣伝広告・ポスターの例示によるキリンの歴史、酒と飲料の文化史、日本のビール醸造の開拓者たちなどの課題をテーマ別に紹介しているのが興味深い。
 

(キリンビールの歴史とブランド)

W.Copeland
スプリングバレーブルワリーの工場

 キリンビールの前身は、横浜で起業した「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY)」である。このブルワリーは、1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランド(William Copeland)が、日本で初めての大衆向ビールを販売したことに由来するという。そして、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足した。これが後に現在のキリンビールとなった。商標ブランドが「麒麟」になったのは、三菱の荘田平五郎の提案だったとされる。当時、西洋から輸入されていたビールのラベルに動物の絵柄が描かれていたことから、東洋の想像上の動物である「麒麟」を採用したのではないかといわれる。

麒麟のラベル
麒麟麦酒の宣伝馬車
キリン名物のビールカー

ビール創生期の明治では、社会近代化と食生活の西欧化が顕著になっており、都市市民、文化人の間ではビールの愛好家が増えていった。1890年には上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で、「キリンビール」の販売元「明治屋」がビール貯蔵用の大樽を宣伝展示しているのが特筆される。こういった中で、1907年にジャパン・ブルワリー・カンパニーを受け継いだ「麒麟麦酒」が誕生している。一方、ビール業界は、競争激化を避けるとして、1906年、日本麦酒(エビスの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、大阪麦酒(アサヒビールの前身)が合同して大日本麦酒株式会社が生まれた。キリンビールは徳利を保った。

カフェー・キリンの外観とショウウインド

 大正時代から昭和前期にかけては、都市部への大規模な人口流入とサラリーマン層の増加があり都市文化も勃興しビール消費も伸び、東京や大阪などで「ビアホール」が次々に生まれている。全国のビール生産量は、1919(大正8)年には約64万8,698石(約11万6,766KL)になり、5年間で2.7倍にも増えている。キリン関係では、1932年に銀座で「カフェー・キリン」、1924年には「カフェー・タイガー」がオープンしてビール市場は賑わいをみせている。

1940年代のキリンビール

 しかし、太平洋戦争が始まるとお酒類は配給制になり、ビール消費も落ち混むこととなる。戦後も消費は伸びなかったが、1949年に全国の飲食店営業の再開が許可されると徐々に回復してくる。そして、高度成長期に入ると、各ビール業界でも消費量の拡大期を迎え活況を呈するようになる。アサヒやサッポロも大きく販売を上しているが、キリンも生産量を増やし年間庫出量ではトップシェアを獲得している。近年では、発泡酒が発売されるようになりビール市場は変化しているが、全体としての消費は他のアルコール飲料に比べても伸び続けている。この中にあって、2007年、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」へと商号変更し純粋持株会社となっている。
  1900年代からのキリンビールを含む主要なビールメーカーの動向は、別添のフローチャートの通りとなっている。

日本の主要ビールメーアーの年代別チャート

・参照:酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアムhttps://museum.kirinholdings.com/history/index.html
・参照:日本のビールの歴史―時代別解説https://museum.kirinholdings.com/history/kaisetsu/bk_06.html
・参照:KIRIN’s HISTORY ( パーパス | キリンホールディングス)HP: https://www.kirinholdings.com/jp/purpose/history/

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♣ アサヒビールミュージアム(吹田工場)  

所在地:大阪府吹田市西の庄町1-45  Tel.06-6388-1943
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/suita/

アサヒビールミュージアム

 → アサヒビールミュージアムは、「記憶に残るビールを楽しむ」をコンセプトにして、2022年4月、大阪のアサヒビール吹田工場内に誕生した体験型ミュージアムである。ここではビールの歴史や製造工程の解説を聞き工場の製造ラインを見物できるほか、様々な映像や技術を駆使したアトラクションを楽しむことができる。後述の茨城のスーパードライミュージアムも姉妹施設で同様の体験型ミュージアムである。

アサヒビールの歴史展示
館内の様子

最初のアサヒビールの歴史解説では、アサヒビールは大阪が発祥の地であったこと、これが「大阪麦酒」の最初の工場「吹田村醸造所」(現在の吹田工場)であったこと、その後、札幌麦酒や日本麦酒と合同し「大日本麦酒」となり、戦後、「朝日麦酒」、そして1989年に現在のアサヒビール」になったことが、エントランスの展示やシアターの映像などで示されている。次は「スーパードライ体験エリア」で、プロジェクションマッピングを活用した製造工程の紹介や実際の製造ラインを見学できる。このほか、ミュージアムでは四面の巨大なスクリーンによる「スーパードライ・ ゴーライド」の体験コースも用意されている。ここにはビールを缶に詰める工程をイメージした空間があり、製造の速度や迫力が感じられる映像が投影されるアトラクションがみられる。最後は「カフェエリア」で、試飲ができるほか、「サーブ体験」やビールの泡に文字や画像を描く「泡アート」も体験できるという。

スーパードライの製造
缶詰のプロセス
サーブ体験

 このアサヒビールミュジアムは、バーチャル空間を活用した新しい形の体験ミュージアムで、通常の工場見学とはひと味違った体験型博物館の形を提供しているものといえるだろう。

<参考資料:アサヒビールの歴史とブランドの展開>

大阪麦酒の創立祝賀会
最初のラベル

  → アサヒビールの歴史が幕を開けたのは、今から130年前の明治22年(1889年)だとされる。大阪・堺の酒造家である鳥井駒吉や、実業家の松本重太郎らによって「大阪麦酒会社」として創立された。「アサヒビール」というブランド名を選択したのは、“日出づる国”に生まれたビールとの誇りと、“旭日昇天”のごとき発展を願ってのことだったという。 大阪麦酒は、発足当時から関西を中心に人気を博しビール業界に大きな影響を与えた。その後、並列していたサッポロ、ヱビスが合同、1906年に国内シェア7割を占める日本最大のビール会社「大日本麦酒」となる。しかし、戦後に大日本麦酒は分割され、アサヒはブランド名を受け継いだ「朝日麦酒」となった。そして、1989年には、アサヒビールと社名を変更している。

吹田村醸造所(明治30年)
大阪麦酒の出荷風景
発売当時の「引札」(明治25年)

  この間、日本初のびん入り生ビール「アサヒ生ビール」を発売(1970年)、日本初の缶入り「アサヒビール」(1971年)の発売など、今日の缶ビール文化を先取りしている。この中で、特に重要だったのは、日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」の販売だった。これがビール業界に革命を起こす大ヒット商品となり、現在でもアサヒビールの代名詞的な銘柄となっている。その後も、糖質ゼロの発泡酒「アサヒスタイルフリー」、新ジャンル「クリアアサヒ」など、さまざまなビール系飲料を展開し確かな存在感を維持している。

・参照:シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】第4回 アサヒビール創業の地 吹田-1891年完成- | City Life NEWS https://citylife-new.com/newspost/3585/
・参照:アサヒビール株式会社 公式サイト
・参照:大阪・吹田の「アサヒビール ミュージアム」(日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/50242
・参照:アサヒビールがたどってきた波乱の歴史を紐とく(たのしいお酒.jp) https://tanoshiiosake.jp/6554

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♣ スーパードライミュージアム(アサヒ茨城工場)

所在地:茨城県守谷市緑一丁目1-1 Tel. 0297-45-7335
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

スーパードライミュージアム(茨城工場)

 → スーパードライミュージアムは、アサヒミュージアム(吹田)との兄弟施設。ここでは、アサヒの代表的ブランド「スーパードライ」に特化して、その取り組みとこれまでの歴史を紹介するとともに、品質や鮮度、特性について見学を通して理解を深めてもらうことを期待して設立されている。ミュージアムは、ダイナミックなワイドスクリーンで「スーパードライの世界観」を紹介し、キネテイックライトと映像演出で発酵タンクの中で起こっていることを酵母の目線でダイナミックに表現、充填工程のスピード処理を実感できるプロジェクションなどの工夫が多くとられている。
・参考:スーパードライ ミュージアム|茨城工場(動画)https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

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♣ サントリー天然水のビール工場・武蔵野(見学施設あり)  

所在地:東京都府中市矢崎町3-1 Tel.042-360-9591
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/musashino/

サントリー武蔵野工場

→ サントリーの「天然水のビール工場・武蔵野」は、1963年に開設されたサントリー初のビール工場。ここでは同社の代表ブランド「プレミアム・モルツ」の製造過程を見学できるほか、サントリービールの歴史を知ることができる。サントリーがビール市場に参入したのは比較的新しい1963年のことである。しかし、後急速にシェアを伸ばし、老舗のサッポロ、キリン、アサヒに並んで有力メーカーに成長している。この中心ブランドが天然水を使い、独自のフレーバーを持つプレミアム・モルツであった。
 武蔵野工場見学ツアーでは、まず、ビールの素材選びのこだわりを示す原料、麦芽・ホップ・天然水の紹介し、ビールの仕込み、発酵、貯酒、濾過などの一連の製造過程をプレミアム・モルツの特性に沿って解説している。

ビールの発酵タンク
ビールの製造工場内
昔のサントリーのビール

 サントリーの歴史をみると、1899(明治32)年の創業以来、ウイスキーやワインを中心に製造販売していた。あえてビールという厳しい世界に本格的に参入したのは1963年と比較的新しいが、以前にも製作の試みはあったようだ。まず、サントリーの前身である寿屋において、創業者鳥井信治郎が1929年に「カスケードビール」、30年に「オラガビール」を発売しビールづくりに挑戦している。しかし、業績が思うように伸びず6年後には撤退している。戦後、ビール需要が伸びる中で、サントリーは再び新しいスタイルのビールを求めてビール市場に挑戦する。これが武蔵野工場の「天然水のビール」であった。

歴代のプレミアムモルツ

 そして、1967年には「サントリービール〈純生〉」、1986年には麦100%の「サントリーモルツ」、2003年には「ザ・プレミアム・モルツ」が発売されることになる。2008年になると 新ジャンル「金麦」もヒットし、サッポロを抜き業界3位に浮上するまでになる。サントリー武蔵野工場見学では、これらの歴史を踏まえた上で、工場施設とサントリー独自の製法プロセスをみていく楽しみもあるだろう。

・参照:サントリー武蔵野ビール工場の歴史とその挑戦 ( 日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/9491
・参照:千載一遇のチャンス到来「ビールに挑戦したい(月刊「理念と経営」) https://www.rinen-mg.co.jp/web-rinentokeiei/entry-160.html
・参照:サントリー天然水のビール工場見学ガイドツアーがリニューアル!神泡のプレモルが試飲できるっ – 多摩ポン+https://tamapon.com/2019/03/13/musashino-beer-guidetour/

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♣ オリオンハッピーパーク(オリオンビール名護工場)

所在地:沖縄県名護市東江2-2-1 Tel. 0570-00-410
HP: https://www.orionbeer.co.jp/happypark/ 

オリオンパーク外観

→ 沖縄本島北部の名護市にあるオリオンビール名護工場では、沖縄独自のオリオンビールが出来上がるまでの工程を見学できるコースを提供している。オリオンビールは、まだアメリカ統治下であった1957年に「沖縄ビール株式会社」として設立された比較的新しいビール会社で、1959年に社名も「オリオンビール」に変更されている。当初は日本の大手ビールの勢力が強く苦戦するが、ドイツ風ビールから沖縄の気候を考慮したアメリカ風ビールに切り替えた結果、県内需要を中心に業績を伸ばした。現在「オリオン ザ・プレミアム」「いちばん桜」、「夏いちばん」といった製品を発売しているようだ。

館内の様子
ビールの製造工程

 工場見学では、エントランスに創業当時の仕込み釜のオブジェ、見学通路にはオリオンビールの想いを伝えるイラストや製造工程のパネルなどが展示されている。また、工場設備では、高速で流れる缶詰コンベア見下ろせるスペースがあり、シアターホールではリアルな映像でオリオンビールの生産工程が紹介されている。見学のあとのビールの試飲、好みのビールを注文できる売店も用意されている。

・参照:名護市「オリオンハッピーパーク」の工場見学で至高のビールを堪能しよう! | 沖縄の観光情報はFeel Okinawahttps://feeljapan.net/okinawa/article/2019-07-19-7153/
・参照:オリオンハッピーパーク | J-TRIP Smart Magazine 沖縄https://www.smartmagazine.jp/okinawa/spot/north/143/

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♣よなよなの里(ヤッホーブルーイング佐久醸造所)

所在地:長野県佐久市小田井1119-1
HP: https://yonasato.com/event/brewery/ 

ヤッホーブルーイング佐久醸造所

→ ヤッホーブルーイングは、いわゆるクラフトビール醸造者として比較的新しく誕生したビールメーカー。この会社の長野県にある佐久醸造所では、新しいクラフトビール「よなよなエール」の醸造所見学ツアーを提供している(よなよなの里)。ここでは、ガラス越しなどではない“普段ブルワー”(醸造士)が働いている生の現場を訪れることができる。見学では、ビールのもととなる「麦汁」を仕込む部屋、発酵させる部屋、熟成させる部屋、ビールを缶や樽に充填し、検査・箱詰めする部屋と、スタッフが直に案内し説明してくれるという。見学終了後には、5種類のビールをテイスティング!となる。ビール醸造士の「テイスティングの作法」の紹介もあるという。

ビール製造工場
作業に取り組む作業員

 全ての見学指導は、「クラフトビールの魅力をもっと伝えたい!」という想いからであるとの、主宰者の説明である。クラフトビールの製作者としての自負が垣間見える。

ヤッホーグループの製品マップ

 ちなみに、ヤッホーブルーイングは、1997年に創業されたエールビール専門のクラフトビール製造メーカー(ブルワリー)として知られる。創業者は星野リゾート代表の星野佳路氏。主要なブランドは「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「裏通りのドンダバダ」「正気のサタン」など。それぞれリアルエールとバーレーワイン(長期熟成エールビール)といったバラエティ豊かなクラフトビール(地ビール)である。クラフトビールメーカーとしては業界最大手で、ビール業界全体では大手5社に次ぐ第6位であるという。

・参照:ヤッホーブルーイング NAGANOSAKE.JP https://naganosake.jp/blogs/kuramoto-list/kuramoto_yohobrewing
・参照:ヤッホーブルーイング – Wikipedia
・参照:【イベントレポ】「よなよなエール・大人の醸造所見学ツアー」の様子| https://yonasato.com/column/information/detail/report_otonanojozojokengakutour_2801013/

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<参考資料>

♣ 地ビールとクラフトビールの概要と歴史 

地ビールの醸造所の例(エチゴビール)

→ 当初「地ビール」とは大手メーカーが作るビールに対して、「地域で作られる生産量の少ないビール」のことを指していた。1994年の酒税法改正により、ビールの最低製造量60kLに引き下げられたことをきっかけに、日本中の地域が町おこしのため、小規模のブルワリー(醸造所)を次々と発起させた。これが、日本における“地ビールブーム”の始まりとなる。その地域の名産や特性を生かしたビールなど、土地の個性や各醸造家のオリジナリティを楽しめることが地ビールならではの魅力といえる。

エチゴビール

 こうしたビールは「地ビール」として広まっていき、1995年の地ビール第1号「エチゴビール」の発売の以降、爆発的に増えて2年間で300社以上のメーカーが出現している。 一方、「クラフトビール」とは、規模の小さなビール醸造所で造られた多様で個性あふれるビールを指している。技術や工芸、職人技を表現する「クラフト(Craft)」から命名されたもので、2000年代を中心に急速に普及するようになった。このクラフトビールは、一般的なビールに対して、醸造所の“ブルワー”が枠にとらわれず、柔軟な感性によって造られているのが特徴され、最近では大手のビールメーカーも参入している。しかし、当時はまだ技術・品質が低い地ビールも多かったから、地ビールの勢いは一気に衰え、特定の有力メーカーを除き地ビールブームは一気に衰退することになった。

(最近の地ビールとクラフトビール)

  したがって「地ビール」と「クラフトビール」は重なっている部分が多いが、最近では、「地ビール」も「クラフトビール」とも呼ばれることが増えている。このクラフトビールでは、「個性的なビールをつくりたい」というクラフトマンシップのもと、大手メーカーに負けないような高品質のビールづくりを目指す若手醸造家が急増し、新たなブームを巻き起こしている。この主力メーカーの一つが上記の「ヤッホーブルーイング」である。その他の地ビール・クラフトビールの幾つかの例を挙げると以下がみられる。

流氷ドラフト(網走)
東京ホワイト(東京)
TREE OF LIFE(山梨)

「地ビール」全般については、2003年頃までにはブームも完全に終息し、メーカー数も200社ほどにまで減少したが、その後「クラフトビール」と呼び名を変え、2005年を境に第2次ブームと呼ばれる回復に転じたようだ。日本の地ビールメーカーは、「日本地ビール協会」(兵庫県西宮市)が醸造所を集計したところ、2018年末は384カ所、2019年末は427カ所、2020年末は470カ所へと増えている。

・参照:日本のクラフトビールの歴史 | クラフトビールの総合情報サイト My CRAFT BEERーhttps://mycraftbeers.com/about/history.html
・参照:クラフトビール市場 -シェア、分析、サイズhttps://www.mordorintelligence.com/ja/industry-reports/craft-beer-market
・参照:日本の地ビール – Wikipedia
・参照:クラフトビールブームはいつから始まった? | SHOPCOUNTER MAGAZINE

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<参考>

 なお、以下の参考データなどから、主な見学可能な地ビール、クラフトビールの所在を確かめることができる。

参考①:日本地ビール協会・クラフトビア アソシエーションhttps://www.beertaster.org/
参考②:クラフトビール醸造所29選!(ビール女子)https://beergirl.net/beerfactory-tour-matome_c/
参考③:醸造設備が見られる醸造所(地ビール・クラフトビールの森)https://craftbeer.junkword.net/plant.php
参考④:最新版864ヵ所!日本のクラフトビール醸造所(ブルワリー)一覧https://www.alwayslovebeer.com/craftbeer-microbrewery-brewpub/

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(ウイスキーの博物館)

 ここでは数あるウイスキーの博物館のうちよく知られているものを掲げ、その歴史と由来について記述してみた。

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♣ 山崎ウイスキー館(サントリー山崎蒸溜所)

所在地:大阪府三島郡島本町山崎5-2-1 Tel. 075-962-1423
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/facility/

山崎蒸溜所外観

 → 山崎蒸溜所は、サントリーが1924年に日本初の国産ウイスキーを製作するため作られた蒸留所で、一部が蒸溜所開設当時の建物をそのままに残した山崎ウィスキー館となっている。ここでは、サントリーウィスキーの歴史がわかる展示コーナーのほか、原酒や世界中のウィスキーを試飲できる「ティスティングカウンター」、蒸溜所限定ウィスキーやオリジナル商品を取り揃えた「ファクトリーショップ」、また、工場ではウィスキーの製造過程の案内コースも設けられている。

ウイスキー館建物
蒸溜所操業時の蒸溜釜
製造工程がみられる


 山崎蒸溜所におけるウイスキーづくりの特長は、世界にも類を見ない多彩な原酒のつくり分けにあるといわれている。たとえば、発酵工程における木桶発酵槽とステンレス発酵槽の使い分け、蒸溜工程における大きさや形状の異なる蒸溜釜の使い分け、 貯蔵(熟成)工程における様々な樽の使い分けなど、仕込から発酵、蒸溜、そして貯蔵(熟成)に至るまでの全ての工程で 多彩な原酒のつくり分けが行われている。

山崎でのウイスキー醸造のプロセス


 また、サントリーでは100周年に合わせて敷地内の改修を進めており、フロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うと共に、蒸留所の見学設備もリニューアルし、2023年に再オープンしている。そして、見学内容も刷新して「ものづくりツアー」と「ものづくりツアー プレステージ」という2種類の有料見学ツアーを設置した。通常のものづくりツアーでは蒸留所見学ののちに「シングルモルト山崎」の構成原酒などのテイスティング。プレステージでは通常では立ち入れないエリアを見学できるとしている。国産モルトウイスキーの歴史と製造過程を学ぶことができる貴重な博物館といえよう。

<山崎蒸留所の建設とサントリーウイスキーの歴史>

鳥井信治郎
操業開始時の山崎蒸溜所
山崎蒸溜所最古の樽

  山崎蒸溜所を創設したのは寿屋(のちのサントリー)創業者の鳥井信治郎であった。彼は、日本人の味覚にあった本格的なウイスキーづくりを目指し、京都に近く名水の地として知られた山崎の地を選んで工場を建設した。設計と運用はスコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝を招聘している。

山崎ウイスキーの技術的基礎となった「竹鶴ノート」(1920年)
竹鶴政孝

 鳥井は、小西儀助商店奉公を経た後、1899年に独立して鳥井商店を設立、当初は調合ウイスキーの販売とともに、洋酒の輸入販売を行ない、スペインから輸入したワインを瓶詰にして売り出していた。1906年に社名を「寿屋洋酒店」に変更し、翌年にポルトガルワイン(ポートワイン)をもとに独自開発した「赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)」を販売して成功した。しかし、鳥井は赤玉ポートワインでの成功に満足せず、生涯の業績となるような新しい事業に着手、本格的な国産ウイスキー生産を計画、蒸留所を日本国内に設置することを決めた。この計画には、多くの関係者の反対があったが、鳥居は決意を替えず、山崎の地にウイスキー醸造所を建設してウイスキー生産の開始を決意する。1923年のことであった。この際、鳥井は10年の契約期間を条件として竹鶴政孝を招聘して工場運営に当たらせることにした。当初、竹鶴は蒸留所の位置について北海道を推奨する竹鶴と鳥井の間で激論があったと伝えられるが、最終的に山崎に決定したとの経緯があるようだ。

サントリー白札(1929年)
角瓶 (1937年)
オールド(1950年)

 1924年に山崎蒸溜所が完成、その年の冬から蒸留が開始、国産の大麦、イギリスから取り寄せたピートを使用して、1929年に日本初の国産ウイスキー「白札」(現在のサントリーホワイト)が売り出される。この時の蒸留施設ポットスチルは敷地内にモニュメントとして設置されている。この後、鳥井はさらにウイスキーの改良に取り組み、1937年に改良の成果である「角瓶」(サントリー角瓶)が発売され、消費者から好評を得ている。1940年に「サントリーウイスキー黒丸」(現在のサントリーオールド)が誕生した。 さらに、1946年、寿屋は戦災を逃れた原酒を使用した「トリスウイスキー」を、1950年には戦前に製造した「オールド」を発売するなどで業績を上げている。そして、1973年には白州蒸溜所が建設された。また、山崎蒸溜所稼働から60周年となる1984年3月には「ピュアモルト山崎」が発売されている。100周年の2024年にかけては、敷地内の改修を進めており、前述のようにフロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うなど蒸留所の改良が続けられている。

・参照:山崎蒸溜所 – Wikipedia
・参照:山崎蒸溜所~;サントリーウイスキー蒸溜所便り(SUNTORY 公式ブログ)ジャパニーズウイスキーの始まりの場所~ https://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000196.html
・参照:JWIC-ジャパニーズウイスキーインフォメーションセンター|JW物語 https://jwic.jp/story/history/210909/
・参照:角瓶のこだわり 角瓶 サントリーhttps://www.suntory.co.jp/whisky/kakubin/kodawari/index.html

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♣ サントリー・ウイスキー博物館 (白州)

所在地:山梨県北杜市白州町鳥原2913-1  Tel.0551-35-2211
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/hakushu/facility/

白州蒸溜所内のウイスキー博物館

 → ウイスキーを様々な視点からとらえた世界でも珍しいウイスキー専門の博物館。建物は特長的な屋根の形をしているが、これはかつて山崎蒸溜所に建設された麦芽乾燥塔「キルン」を模したものといわれる。館内に入る目を引くのは大きなポットスチル(蒸溜釜)みえ、日本初の国産ウイスキーを生み出したサントリーの様子がうかがえる。1階では、ジャパニーズウイスキーの歴史、発売初期の製品や新聞広告、ポスターなどの展示物があり、サントリーウイスキー発展の姿が分かりやすく紹介されている。正面奥の壁には、実際に使用していたウイスキーの熟成樽がずらりと並んでいるのが目につく。2階から3階にかけては、ウイスキー醸造や蒸溜の神秘について解説があり、さらにここでは世界のウイスキー文化についての展示が楽しめる。「白州」の歴代ボトルも見ることができるのも楽しみ。また、最上階の展望台からは、八ヶ岳や南アルプスなどの雄峰をはじめ、眼下には白州蒸溜所の広大な森が眺望できるという。

館内の大きなポットスチル(蒸溜釜)
シングルモルトウイスキー「白州」の歴代ボトル
白州蒸溜所の誕生年が刻まれた熟成樽

→参照:サントリーウイスキー蒸溜所便り | SUNTORY 公式ブログhttps://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000145.html
→参考:ウイスキー博物館 (アイエム・インターネットミュージアム) https://www.museum.or.jp/museum/44

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♣ ニッカミュージアム(ニッカ余市蒸溜所)    

所在地:北海道余市郡余市町黒川町7丁目6  Tel.0135-23-3131
HP: (https://www.nikka.com/distilleries/yoichi/guide/museum/ 

ニッカウヰスキー余市蒸溜所正門

→ ニッカミュージアムは、2021年、旧ウイスキー博物館を改修し、展示内容を刷新してオープンしたもの。館内には、ブレンダーに焦点を当てて「味の維持」「原酒仕込み」などウイスキーづくりの役割を紹介するコーナー(ブレンダー・ラボ)、ニッカウヰスキーの4つのブランド「余市」「竹鶴」「ブラックニッカ」「フロム・ザ・バレル」の歴史や誕生のストーリーなどを紹介するコーナーが設けられている。また、ブレンダーによるスペシャルトーク映像などの放映や蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの味覚に触れる試飲コーナーもあり味を楽しむことができる。別に設けられた歴史コーナーでは、ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝の生い立ちやスコットランド留学、ニッカ創業のストーリーを紹介するパネルや動画などの展示も行われていて、ニッカ誕生の由来を知ることができる。

ニッカミュージアム
蒸溜所内の大樽看板
ポットスチルのオブジェ

 ミュジアム館のほか、余市蒸溜所の訪問見学も行われており、ビジターセンター、旧事務所、蒸留棟、発酵棟、旧竹鶴邸などを訪問することができる。センターの前には大麦を乾燥させ麦芽を作るキルン塔(乾燥塔)、麦芽を粉砕・糖化する建物、発酵棟、次に蒸留棟と、ウイスキーの製造過程に沿った施設が広い敷地内に点在しているのを見ることができる。 敷地内にある旧事務所は、ニッカウヰスキーの創始者である竹鶴政孝の執務室として1934年に建設さたもので。余市の工業発展の足跡が残る文化通産として、登録文化財に指定されているようだ。また、旧竹鶴邸は、竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建設されたもので同じく登録文化財になっている。 ここは、竹鶴が様々な困難を克服して。北海道余市に本格的なウイスキーづくりを遂行した思い出の場所であり、同時に結婚したリタ夫人の生い立ちと出会い、その後の軌跡を示すものとなっている。この経過はNHKの大河ドラマ「マッサン」でも紹介されており、よく知られることとなった場所でもある。

余市蒸留所内の施設群(旧事務所、蒸留棟、発酵塔、乾燥塔)
(旧竹鶴邸、リタハウス)

<余市蒸溜所とニッカの歴史>

竹鶴と夫人リタ
余市の工場完成(1934)

 竹鶴政孝は、当初、寿屋(現在のサントリー)でウイスキーづくりに携わっていたが、どうしても北海道の地で本格的なモルトウイスキーをつりたいと考えて、1934年、寿屋を退社。かねてからウイスキーづくりの適地と考えていた北海道での工場建設を決意する。竹鶴が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることであった。

ニッカウヰスキー第一号 (1940)

 そして、1934年、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市を選んで蒸留所を建設する。建設した蒸溜所は「石炭直火蒸溜」を行って「品質第一主義」を貫き、日本国内で初となるザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になった。竹鶴は、ウイスキーが熟成には長い年月を必要として、まずリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考え、「大日本果汁株式会社」を設立する。「ニッカ」の命名は、この会社名に由来する。1935年の冬、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が届き、いよいよ製造を始めた。1940年には、第1号「ニッカウヰスキー」発売する。しかし、最初、ウイスキーなどは贅沢品として製造販売が制限されなどこんなインは続いた。その後、余市蒸溜所が大日本帝国海軍の指定工場となり、ウイスキーは海軍が買い上げることになりなんとか生産を継続することができている。

近年のニッカ余市蒸溜所「竹鶴21年」
ゴールドニッカ (1968)

 戦後になり、1952年「ニッカウヰスキー」に社名変更、本社も東京に移転する。しかし、売り上げは伸びず経営は困難に直面せざるを得なくなった。当時、ニッカの二級ウイスキー(かつての三級ウイスキー)は他社製より高く、あまり売れていなかったという。1954年頃から、ニッカは銀行からの融資に苦しみ、朝日麦酒の資本参加を求めることになる。その後、1964年、日本初のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドした二級ウイスキー(当時)「ハイニッカ」を発売、翌1965年(昭和40年)には2種のウイスキー原酒をブレンドした一級ウイスキー(当時)、新「ブラックニッカ」を発売している。現在、「ニッカウヰスキー」はアサヒビールと営業統合(2001年)し、アサヒビールの傘下のブランド「ニッカ・ウイスキー」として生産・販売を続けている。こうした中、1998年、余市の蒸留所内に「ウイスキー博物館」が開設された。また、2021年には、これがリニューアルされ、現在の「ニッカミュージアム」となっている。

・参照:余市蒸溜所 – Wikipedia
・参照:ニッカウヰスキー – Wikipedia

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♣ 天領日田洋酒博物館

所在地:大分県日田市本庄町3-4  Tel. 0973-28-5266
HP: https://tenryo-hita-whiskymuseum.com/

天領日田洋酒博物館

 → 大分県日田市にある天領日田洋酒博物館(ウィスキー博物館)。オーナーである高嶋甲子郎氏が約40年かけて収集した洋酒やそのノベルティーグッズなどのコレクション3万点以上を展示している。アメリカの禁酒法時代の未開封のボトルや、1970年代にティファニー社とウイスキーメーカー・シーグラム社がコラボレーションしたボトル、ニッカウヰスキー余市蒸留所創業当時のポットスチル(単式蒸留器)など、珍しい洋酒や関連作品が所狭し並んでいる。「洋酒に憧れた少年は、ウイスキーの奥深さに魅せられ、気付けば国内有数の収集家になっていた。」とのオーナーの弁。

ウイスキーを
中心に数多く
の洋酒、グッズ
などを展示

<参考になるウイスキー館>

・TOKYO Whisky Library(東京・青山)HP: https://tokyo-whisky-library.com/  
  → 1300種の世界のウイスキーが並ぶ日本トップクラスの品揃えを誇るバーラウンジ。
・銀座Mウイスキー博物館(東京・銀座)    HP: http://www.m-whisky.com/                   
  → ウイスキーを中心に2千種類以上が揃う「M銀座ウイスキー博物館」。珍しいウイスキーを眺めながら、併設のテイスティングバーで試飲もできるという、
  See: https://note.com/nareura/n/n047a18f82d52

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(ワインの博物館)

 日本全国には、非常に多くのワインの資料館、ワイナリーが存在している。ここでは日本のワイン発祥地の一つである山梨県、特に勝沼地区のワイナリーを中心に紹介している。ここで名前を挙げているワイン資料館、ワイナリーはごく一部に過ぎないので、参考資料に掲げてあるリストなどを参照して欲しい。

♣ シャトー・メルシャンワイン資料館            

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎1425-1  Tel.0553-44-1011
HP: https://densho-sha.co.jp/furubi/shop/winemuseum   

シャトー・メルシャンワイン資料館

 → 1904年に建てられた宮崎第二醸造所を元にした建物を使ったワイン資料館。宮崎第一醸造所が解体されて遺構のみとなってしまった現在、現存する日本最古の木造ワイン醸造所となっている(「経済産業省 近代化産業遺産」にも指定)。資料館内部では日本ワインの誕生・変遷とともにメルシャン株式会社の歴史を紹介しているほか、明治期に実際にこの場所で使われていた醸造器具の展示、今日のメルシャン株式会社の礎となる先人たちの軌跡・功績、ブドウ産地なども紹介している。資料館は現在でも貯蔵庫として使用され続けており、展示物とともに19の樽が置かれ、約7万本分のワインが眠っている。並んで建っている「ワインギャラリー」では、ワインのテイスティングができる。シャトー・メルシャンシリーズを中心に、常時20種類以上のグラスワインが用意されており、ワインを楽しむことができる。

資料館愛撫の展示
熟成蔵の内部
昔の醸造器具展示

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♣宮光園(旧宮崎葡萄酒醸造場施設)

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎174  Tel. 0553-44-0444
HP: https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html

旧宮崎葡萄酒醸造場施設(宮光園) 
南門の扁額
大黒点甲斐産葡萄酒

 → 宮光園は、日本のワイン産業を確立した一人である宮崎光太郎の自宅、ブドウを栽培する葡萄園、ワインを醸造するワイナリーを含む歴史施設(旧宮崎葡萄酒醸造場)である。近代化産業遺産「甲州市のワイン醸造関連遺産」の構成資産ともなっている。宮崎葡萄酒醸造場施設は、1877年、日本初の民間ワイン醸造会社となった「大日主本山梨葡萄酒会社」の後を受けたもので、宮崎光太郎が創業した葡萄生産会社。本格ワインの主力ブランドとして「大黒天印甲斐産葡萄酒」の醸造を始めたことでも知られている。現在は、日本の本格的ワイン醸造のルーツを知ることができる資料館として修復整備されており、ここから発見された貴重な映像資料や写真、当時のワインラベルなどが展示されている。施設内には、主屋、南門(正門)、写真館跡、白蔵、道具蔵・文書蔵、ブランデー蒸留用の煙突、ワイン貯蔵庫、第一醸造所跡(現存せず痕跡だけ)などがる。道を隔てて、メルシャンのワインギャラリー、ワイン資料館、見本ブドウ園などが存在している。これらもかつては宮光園の一部だったとされる。ワイン資料館は、1904年(明治37年)に宮崎第二醸造所として建設されたものである。

宮光園の白蔵
白蔵地下ワイン貯蔵庫
資料館の展示
昔のワイン造りの映像

ワインの検査風景

・参照:宮光園(山梨県甲州市観光協会 ぐるり甲州市) https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html
・参照:旧宮崎葡萄酒醸造場施設(日本ワイン140年史) https://japan-wine-culture.jp/point/detail/60/
・参照:国産ワインのブランド「大黒」葡萄酒を成功させた宮崎光太郎(前編)(歴史人物伝|キリン歴史ミュージアム) https://museum.kirinholdings.com/person/wine/08.html
・参照:宮光園 – Wikipedia

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♣ サントリー登美の丘ワイナリー

山梨県甲斐市大垈2786  Tel. 0551-28-7311
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/tominooka/

登美の丘ワイナリーの外観

 → サントリー登美の丘ワイナリーは、1909年(明治43年)の「登美農園開園」から始まっている。ドイツから醸造技師を招き、近代的ワインづくりに取り組み、1936年に寿屋(サントリーの前身)が経営を継承することで発展する。この登美の丘農園は、「赤玉ポートワイン」の原料用ぶどうを栽培するためにも利用されている。その後、1950年には、ヨーロッパ系のワイン用ぶどう品種の栽培が本格始動。1970年代には、生産の難しい「貴腐ワイン」の醸造もおこなわれている。そして1990年代には、国際コンテストで数々の賞を受賞。歴史に裏打ちされた実力を有するワイナリーへと成長することとなった。この登美の丘ワイナリーはサントリーのブドウ酒づくりの歴史を代表するワイナリーでもある。

試飲ワインショップ
ワインの熟成蔵
登美の丘の葡萄農園

 

(赤玉ポートワインとサントリーのワインづくりの歴史>

鳥井信治郎
初期の「赤玉」

 サントリーの歴史はワインづくりから始まったといわれる。日本に本格的にワインが入ってきたのは幕末から明治にかけてのことといわれる。明治10年頃には 山梨県を中心にワインづくりに挑む先駆者たちが現れたが、栽培や醸造技術が未熟で、人々の嗜好が合わず容易に受け入れられなかった。こういった中、サントリーの前身である「寿屋」の創業者鳥井信治郎は、日本人に合う優良で安価な国産のワインを生みだそうと事業を開始。1907年に、山梨県登美の丘でぶどう園を開拓し「赤玉ポートワイン」を発売した。これがサントリー発展の基礎となっている。
 発売したこのワインはやや高価であったが、評判がよく売れ行きも好調だったようだ。鳥井は、さらにワインの普及と販売向上には宣伝が大切と、当時としては「ハイカラ」な横文字のラベルをつけ新聞広告、また、1922年には日本初の女性が両肩を露わにしたポスターを掲載、“赤玉ポーロワイン”の名を世間に大いに広めたといわれる。以来、“赤玉”はロングセラーとなり、時代とともにラインナップも増やしていった。

評判になったワイン広告ポスター
歴代の赤玉ポートワインラインアップ
現在のワイン
「登美の丘」

  一方、戦後になるとサントリーのワインは、“赤玉”以外の本格的なボルドーワインに取り組み、フラッグシップである「登美1997」など発表し、国際コンクールで金賞を獲得している。また、3010年には、日本ならではの味わいを追求した「登美の丘ワイナリー」シリーズと「ジャパンプレミアム」シリーズを発売しているなど進化を続けている。
 現在、サントリー自身は。ワイン以外のウイスキー、ビール、スピリッツなどが主力商品となっているが、ワインが果たした歴史的な役割は忘れられない。この中で、山梨県「登美の丘」でのぶどう栽培とバイトワイン醸造の挑戦は今も続けられている。

・参照:赤玉の物語 赤玉スイートワイン(サントリー) https://www.suntory.co.jp/wine/original/akadama/history/

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♣ グランポレール勝沼ワイナリー(サッポロビール)

グランポレール勝沼ワイナリー


山梨県甲州市勝沼町綿塚577 TEL:0553-44-2345HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/katsunuma/

→ 日本ワインの発祥の地でサッポロが誇る純国産プレミアムワイン「グランポレール」を醸造するワイナリー。裏手に広がる見本ぶどう園では4つのぶどう産地で栽培されているぶどう品種を現地の栽培方法で再現しているのを見ることができる。醸造家自慢のワインをテイスティングも可能。

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♣ サントネージュ・ワイナリー(サンフーズ)

所在地:山梨県山梨市上神内川107-1  Tel. 0553-22-1511
HP: https://www.sainteneige.co.jp/ 

サントネージュ・ワイナリー

 → サントネージュ・ワイナリーは、2022年よりアサヒビールグループから「サン.フーズグループ」のもとで新たなワイン醸造および営業販売を開始。サントネージュのブランドは、2002年 協和発酵の酒類事業の譲渡を受け、アサヒビール傘下となり、その後、株式会社サン.フーズに譲渡されている。
 サントネージュワインは「よいワインは、よいぶどうから」をワインづくりの基本とし、1953年から欧州品種のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどのぶどうの育成を開始したとしている。近年では、サントネージュは「ジャパン・ワイン・チャレンジ 2020」にて「かみのやま 中島畑メルロー 2018」が金賞を受賞している。ワイナリーでは新作ワインをテイスティングできる。

ワイン熟成蔵
栽培中の葡萄
サントネージュワイン


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♣ マルスワイナリー(本坊酒造)

所在地:山梨県笛吹市石和町山崎126 Tel. 055-262-1441
HP: https://www.hombo.co.jp/visiting/yamanashi/

マルスワイナリー

 → 本坊酒造は1960年に洋酒生産の拠点としてマルス山梨ワイナリーを設立し、以後60年以上にわたり地域に根付き、山梨の土壌・気候など自然条件を活かしたワイン造りに取り組んでいた。ワイナリーでは、マルスワインの歴史とワイン造りを知ることができ、山梨テロワールを活かしたワイン造りへのこだわりが体感できる。

ワイン熟成蔵
無慮試飲コーナー
マルスワイン

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 甲州市勝沼 ぶどうの丘

所在地:山梨県甲州市勝沼町菱山5093
HP: https://budounooka.com/

勝沼 ぶどうの丘施設

 → 勝沼町菱山にある、日本最大級のワインショップを有する観光施設。その名のとおり小高い丘の上に位置する。塩山市・勝沼町・大和村の合併前は勝沼町により運営されていたが、合併後は甲州市が運営している。甲州市の審査に合格した市推奨のワインのみを扱うワインショップをはじめ、レストラン、宿泊施設、イベントホールなど様々な施設を有する。
・参照:ぶどうの丘 – Wikipedia

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♣ 牛久シャトーワイン資料館(茨城)

所在地:茨城県牛久市中央3-20-1 Tel. 029-873-3151
HP: https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/

牛久シャトーワイン資料館

 → 牛久シャトーは、実業家である神谷傳兵衛が、1903(明治36)年に茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場。フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めを一貫して行なっていました。現在は、約6万平方メートルある敷地内に、当時の建物を活かした記念館を展開し、神谷傳兵衛の足跡と当時のワイン造りの資料や、オエノングループの歴史を紹介しており、多くの方が訪れます。2007(平成19)年11月には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定、2008(平成20)年6月には国の重要文化財に指定、そして2020(令和2)年6月に「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されるなど、その歴史的価値の高さが広く認められています。

神谷傳兵衛
神谷傳兵衛記念館内部
館内展示の一部

 現在、明治36年から117年以上、大切にされてきた日本初の本格的ワイン醸造場「牛久シャトー」の復活を果たすべく、クラウドファンディングが行われているようだ。

・参照:神谷傳兵衛記念館 | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/memorial_hall/
・参照:オエノン ミュージアム | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/museum/ 
・参照:オエノンホールディングス – Wikipedia

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♣ 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所(ワイン城)

所在地:北海道中川郡池田町清見83-4
HP: https://www.tokachi-wine.com/

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所

 → ヨーロッパ中世の古城に似ていることから「ワイン城」と名づけられ親しまれている池田町のブドウ酒研究所。1963年に運営を開始した日本初の自治体ワイナリーである。 館内の地下熟成室には多くのオーク樽やオールドビンテージ、樽熟成、ビン熟成、そして既に出荷を終えた年代物のワインの数々が並んでおり、十勝ワイン製造の中核であることを示している。 一階の「廊ミュージアム」では、十勝ワインの製造方法やブドウ栽培のことなどの展示がり、池田町のワイン造りのきっかけとなった歴史を伝えるパネル展示、併設されたライブラリーには珍しいワインに関する図書を見ることができる。また、ブランディーも製作しており、蒸留室では、ブランディーを造るための蒸留器と実際にこれを熟成している樽をガラス越しに見学することができる。2020年6月にはリニューアルオープンし、より一層ワイン巡りを楽しめる施設へとパワーアップも図られている。ワイン城の南側の斜面にはブドウ展示園があり、池田町だけの品種「清舞」「山幸」などのブドウの樹が植えられている野を見ることができる。

十勝ワイン
館内展示
ワイン熟成室
栽培している葡萄

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(参考資料)

○ ワインの国 山梨(山梨県ワイン酒造組合)(甲府)

所在地:山梨県甲府市東光寺3-13-25 地場産業センター2階
 HP: https://www.wine.or.jp/wine/index.html    

→ 山梨県ワイン酒造組合の「ワインの国 山梨」では、県内のワイナリーの概要を紹介している。日本のワイン発祥の地である山梨県には、明治初期創業の老舗から令和に新設された醸造所まで。新旧80余のワイナリーが集まっている。ここでは、インターネット上で山梨県ワイン酒造組合に所属のワイナリーを掲載している。
・参照:https://www.wine.or.jp/winery/index.html

○ 日本のワイナリー紹介(| 日本ワイナリー協会)
HP: https://www.winery.or.jp/winery-map/

→ 日本各地の個性あふれるワイナリーをインターネットで紹介している。探している地方のワイナリーを地図上から選択して検察することができる。

○ 日本のワイナリー紹介 | 日本ワイナリー協会
  See: https://www.winery.or.jp/winery-map/

○ 全国のワイナリー/ブルワリー(Yahoo!トラベル) 
See: HP: https://travel.yahoo.co.jp/kanko/category-winery/

○ 国内のワイナリー数(国税庁)
  See: https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/seizo_oroshiuri/r03/pdf/06.pdf

○ ワインの試飲や工場見学を楽しもう・おすすめワイナリー12選 (Tripa) 
  See: https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/6Lehc
  See: 甲州勝沼の有名ワイナリー7選(たのしいお酒.jp)https://tanoshiiosake.jp/11333

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<参考資料>

  • 中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)
  • 川島智生「近代日本のビール醸造史と産業遺産」(淡交社)
  • 日本ビール文化研究所「日本ビール検定公式テキスト」(実業之日本社)
  • キリンビール株式会社「図説ビール」(ふくろうの本)」
  • 吉田元「近代日本のさけづくり」(岩波書店)
  • 山本博「日本のワイン」(早川書房)
  • 音羽和夫「ワインと博物館」(共立出版)
  • 仲田道弘「日本ワインの夜明け」(創森社)

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(洋酒の項  了)

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「食と農」の博物館(4)醤油と味噌の世界(博物館紹介)

 醤油と味噌は日本を代表する和風調味料である。このセクションでは、この醤油と味噌がどのようにして誕生して発展したかの歴史、どのような製法を持ちどのような特徴持っているかなどを、代表的な醤油・味噌メーカーが提供する博物館、見学施設を中心に紹介してみることにする。勿論、全国各地にはここには。ここでは触れていない多くの醤油・味噌の蔵元があり、見学の機会を提供しているものがある。是非、各地方の蔵元などをチェックして欲しい (see**).

<醤油の世界>

♣ もの知りしょうゆ館(キッコーマン)       

所在地:千葉県野田市野田110 キッコーマン食品野田工場内  Tel.04-7123-5136
HP: https://www.kikkoman.com/jp/shokuiku/factory/noda/

キッコーマンのしょうゆ工場

 → キッコーマンのしょうゆ工場の中にある「キッコーマンもの知りしょうゆ館」は、日本の代表的な調味料である“しょうゆ”の製法と特徴を紹介するミュージアムである。ここでは「しょうゆができるまで」を見学することができ、醤油熟成の様子や醤油の色・香りを体験できるコースが用意されている。また、「しょうゆの歴史」や「しょうゆの知識」などのわかりやすい解説もなされており、醤油誕生の歴史、醤油精製・発酵のメカニズム、食生活での醤油の役割などについて詳しく学ぶことができるのが魅力。多様なキッコーマン醤油や関連食品の展示もあり興味深い食品博物館となっている。

館のの入口回廊
醤油過程の説明
もろみの発酵工程

 なお、施設内には、御用醤油醸造所(通称「御用蔵」が移設されていて、伝統的なしょうゆ醸造技術や1939年の御用蔵建設当時の建物や道具、装置を保存・展示しているのがみられる。御用蔵では、江戸時代から続いている伝統的なキッコーマンのしょうゆ醸造の知識を深めることができる貴重な歴史遺産となっている。

御用蔵の建物
蔵の内部展示

<キッコーマン醤油の歴史>

キッコーマンの歴史を示す展示

 キッコーマンは、1917年に千葉県野田市の醸造家たちが合同で「野田醤油株式会社」を設立したのが始まりである。江戸時代初期から、野田での醤油造りは、良質な大豆と小麦、江戸湾の塩など原料の確保が容易なこと、大消費地江戸への水運がよかったことから消費が伸び急速に盛んになっていった。こういった中、江戸中期、1781年に高梨家、茂木家など7家が後の野田醤油の基礎になる「野田醤油仲間」を結成、これが野田の醤油造りをさらに盛んにした。1800年代中頃には、髙梨兵左衛門家と茂木佐平治家の醤油が「幕府御用醬油」の指定を受けている。明治になった1887年には、これが基礎になって「野田醤油醸造組合」を結成、1917年に茂木一族と髙梨一族など8家合同による「野田醤油株式会社」が設立された。これが後のキッコーマン株式会社となっている。ちなみに、キッコーマンの商標『亀甲萬』は茂木家が使っていたものが使われた。現在では、日本一の醤油生産量を誇り、海外にも積極的にも市場を広げ積極的に輸出を進めている。また、醤油以外の食品販売にも力を入れつつあり、総合食品メーカーともなっている。

・参考:話題の工場見学へ!キッコーマン「もの知りしょうゆ館」を訪れよう https://tabicoffret.com/article/81821/
・参考:キッコーマン野田工場を見学「もの知りしょうゆ館」をレポート! https://factory-fan.com/kikkoman-noda-report/
・参考:野田の醤油醸造 – Wikipedia

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♣ しょうゆ味わい体験館(ヤマサ醤油)            

所在地:千葉県銚子市北小川町2570  Tel.0479-22-9809
HP: https://www.yamasa.com/enjoy/factory-visit/

しょうゆ味わい体験館

 → 工場見学と組み合わせて醤油づくりを学ぶことができる体験博物館。見学ツアーは、工場見学センターからスタート。ヤマサ醤油の歴史やしょうゆの造り方などの動画をみた後、ヤマサ醤油の歴史的資料と昔のしょうゆ造りに使った道具の展示を見ることができる。ここの歴史史料では、しょうゆ発祥の地といわれる紀州(和歌山県)湯浅の隣町出身であるヤマサ醤油の創業者初代濱口儀兵衛が、しょうゆ造りの本場に伝わる技と味を、新たな生産地銚子に持ち込んだ歴史や、銚子で栄えた醤油開発の理由、昔のしょうゆ造りのあり方や道具など学ぶことができる。このヤマサ醤油の来歴と銚子での醤油つくりの背景は非常に興味深いので簡単に紹介しておく。

体験館の展示コーナー
じょうゆ造りの道具類

<ヤマサの歴史>

江戸時代の醤油づくりの図

 初代濱口儀兵衛が紀州から銚子に渡ってヤマサ醤油を創業したのは、江戸幕府誕生から42年後の1645年(正保2年)だという。以来、創業から3世紀半以上、途中若干の起伏盛衰はあったものの12代にわたり醤油を作り続けている。そして、創業から約200年後、幕末の1853年に、7代濱口儀兵衛が幕末から明治にかけて、社会問題にも取り組みながら実業家としての力を発揮しヤマサを大きく発展させた。1864年には幕府より品質に優れた醤油として「最上醤油」の称号も得ている。明治になると、彼を引き継いだ8代目は、これからは洋食の時代が来るとして国産ソース第一号のミカドソースという名の醤油ソース(醤油をベースにしたソース)を作っている(注*)。

濱口儀兵衛
明治期の醤油工場

 また、明治の社会近代化の中で醤油は生活必需品として消費量も増加、手工業的の要素が強かった製法も機械化が進んでいく。こういった中、家業を引き継いだ10代目浜口儀兵衞は、1893年(明治28年)から「醤油王」と呼ばれたように、50年間で醤油の科学的発展に尽くし、醤油の微生物を活性化させる工業的な発想を実践に移す。彼は、まず、醤油研究所を設立、これまでカンと経験に頼っていた醤油醸造を科学的な手法に変革して、ヤマサ独自の菌「こうじ菌」などの改良に力を注いでいる。

市場を広げるヤマサ

 戦前にヤマサ醤油が作っていた醤油は、「こいくち醤油」だけだった。しかし、戦後は食文化の復興と生活の向上といった時代のニーズに応えた醤油を開発を進めていく。例えば、うま味の相乗効果を利用した新ジャンルの「新味しょうゆ」、「さしみしょうゆ」などである。1992年には、有機栽培大豆を使った「有機丸大豆の吟選しょうゆ」を業界に先駆けて製品化している。ヤマサによって、新たな種類の醤油が生まれている様子がうかがえる。

・参照:*「みかどソース」https://recipe.yamasa.com/blog/27
・参照:https://www.yamasa.com/enjoy/history/

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♣ 醤油史料館 (ヒゲタ史料館)      

所在地:千葉県銚子市八幡町516  Tel.0479-22-5151
HP: https://www.higeta.co.jp/enjoys/archives/

ヒゲタ醤油工場

  → ヒゲタ醤油は、1616年(元和2年)からの房総半島銚子を創業地とする醤油メーカー、関東の醤油づくりでは最も古い歴史を持っている。かつては「銚子醤油」という社名であった。このヒゲタが醤油のルーツと歴史を紹介するため設立したのが「史料館」。史料館では、醤油造りに必要な各種の桶や樽、製作工具、醤油を江戸まで輸送した際の高瀬船の模型、容器の変遷などに関する資料を展示している。珍しいものでは、仕込み桶の板を削る“大かんな”などがある。工場見学もあり、醤油製作技術の歴史をみるには最適。なお、ヒゲタは、1937年(昭和12年)には野田醤油株式会社(現キッコーマン株式会社)と資本提携、1966年(昭和41年)には同社と販売委託契約を結んで、キッコーマンとの関係を強化している。

館内の展示コーナー
展示された醤油づくり道具

<ヒゲタの歩み>

明治時代のヒゲタの工場

→ 田の四隅にヒゲがついたような商標がトレードマークのヒゲタ醤油は、関東の醤油メーカーでは400年以上の歴史を持っている老舗。銚子に初めて醤油が伝わったのは、1616年のことで、摂津国西宮の酒造家・真宜九郎右衛門から醤油製造法を伝授された豪農・田中玄蕃が醤油業を起業したのが起源といわれる。銚子は温暖多湿で、麹菌や酵母など微生物の生育に適している季候と地理条件を利用したヒゲタは、江戸時代に“濃口しょうゆ”製法を確立したといわれる。江戸は全国からの出稼ぎの街であり、いろいろな食文化が混ざり合った結果、「安く、早く、美味い」甘辛い味が好まれる傾向があった。また、江戸湾のプランクトンおかげで「魚」が新鮮で「おいしく」なり「刺身」が大流行した。そのとき、魚の臭みも取りながら、おいしく食べるのに必要だったのが「濃い口醤油」だったという。

各地に運ばれたヒゲタ醤油

 こうして、銚子の醤油は銚子港から江戸に船で運ばれて庶民にも親しまれることになる。江戸初期、江戸庶民は、上方からの「うすくち」の醤油が「下りもの」として高級とされたが、次第に、濃い口が好まれるようになる。江戸では、他地域からの職人、単身者も多かったため、塩分のやや濃いしょうゆが好まれたという背景もあったようだ。現在でも東京の蕎麦屋さんの多くはヒゲタの愛用者といわれ、プロに珍重される本格的な「そばつゆ」「めんつゆ」「かえし」などもヒゲタ醤油の大きな柱となっている。

・参照:https://www.higeta.co.jp/company/history/
・参照:ヒゲタ史料館 JAFナビhttps://drive.jafnavi.jp/map/spots/121112050012/
・参照:https://traveltoku.com/higeta/
・参照:玄蕃蔵物語 | ヒゲタ醤油 https://www.higeta.co.jp/enjoys/tenchijin/genbagura/ 

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♣ 正田醤油正田記念館

所在地:群馬県館林市栄町3-1  Tel. 0276-74-8100
HP: https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

正田記念館

 → 正田記念館は、嘉永6年(1853年)に居宅・店舗として2代正田文右衛が創建した建物を記念館としたもの。明治6年(1873年)、江戸時代から続く米穀商「米文」を3代正田文右衛門が引継ぎ、将来性あるとみた醤油醸造業へと転身、正田醤油として発展させた。以来、建物は(1986年まで本社屋として使用され、現在は登録有形文化財に指定されている。「正田記念館」では、正田家300年の家系図に始まり、創業当時の醸造道具や昭和初期のポスターなど、江戸時代から明治、大正、昭和にかけての記念品を数多く陳列、正田300年の歴史を詳しく記録している。

正田文右衛門(三代)
記念館の展示室
歴代の醤油道具

 この記念館は、同時に、現日清製粉の創業者である日清製粉の創業者正田貞一郎氏の生まれた正田家のルーツを示すものとなっている。ちなみに、正田貞一郎氏は上皇后となった美智子様の祖父に当たる。

・参照:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231030/se1/00m/020/003000d
・参照:里沼(SATO-NUMA)|日本遺産ポータルサイトhttps://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story070/
・参照::会社概要・沿革 正田醤油株式会社https://www.shoda.co.jp/corpo/profile
・参考:正田醤油正田記念館 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139578
・参考:正田醤油株式会社| 施設案内 |正田記念館見学 https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

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♣ うすくち龍野醤油資料館        

所在地:兵庫県たつの市龍野町大手54-1  Tel.0791-63-4573
HP: https://www.higashimaru.co.jp/enjoy/museum/museum01.html

醤油資料館のある建物

  → 旧播磨の龍野地区は、和歌山の湯浅、小豆島、野田、銚子などと共に、古くからの醤油の生産地であった。この「資料館」は、16世紀以降、京都、大阪などの市場で発展した龍野の薄口醤油の歴史や食物文化の伝統を伝えようと、1979年、全国初となる醤油資料館として誕生したもの。館内では、龍野の風土と淡口醤油造りと匠の技を紹介しているほか、龍野醤油協同組合各社の保管になる資料を中心に、江戸時代からの醤油醸造用具や資料など約2400点を展示している。資料館の建物は、片岡家創業になる菊一醤油造合資会社の本社として建てられもので、国登録有形文化財に登録されている。

醤油工場
醤油醸造用具
醤油醸造用具

<龍野醤油のはじまりと現在> 

醤油の里龍野の地形

 → 龍野醤油の醸造の始まりは1587年頃 (天正15年)と伝えられている。背景には、1.揖保川の水質、2.主原料の播州平野の大豆、小麦、米と赤穂の塩、3.水運を利用した京都、大阪、神戸の大消費地への輸送ルート、4.龍野藩の産業奨励政策にあったといわれる。江戸時代の初期、醸造商家の円尾家、横山家、片岡家などが試みで、醤油“もろみ”に糖化した甘酒を添加して搾ったところ、色がうすく香りの良い「淡口(うすくち)醤油」ができ、これを商品化したことが起源とされる。この独自の風味が京、大阪の上方の嗜好に合い人気を得たのである。その後も関西を中心に龍野の醤油は市場を広げて、生産は伸び年産7,200kl(4万石)を出荷していたという。

龍野醤油の看板(大正時代)
昔の醤油仕込み樽

 明治になると業界の組織化も行われ、淡口(うすくち)醤油の生産は年間33,000kl(18万石)に達している。当時の有力メーカーとして登場した中には、菊一醤油(1893年)、浅井醤油(1869年)、ヒガシマル醤油などの名がある。その後、戦争により一時低迷したものの、昭和28年頃から再びその生産は活発化する。1971年、中小企業近代化促進法により組合員の殆どが参加した共同出資による龍野協同醤油(株)を設立させている。また、近年の消費者の嗜好変化等に合わせるため、「つゆ・だし」等の醤油関係製品の開発や健康志向に応えて醤油に含まれる機能成分を生かした製品開発も行なわれている。現在では、兵庫の龍野は、千葉県、香川県とともに全国三大産地の一つに数えられる。

・参照:なぜ龍野の「うすくち醤油」- HISTRIP(ヒストリップ)https://www.histrip.jp/171109hyogo-tatsuno-2/
・参照:兵庫県/醤油よりhttps://web.pref.hyogo.lg.jp/sr09/jibasan/05.html
・参考:ヒガシマル醤油(沿革)https://www.higashimaru.co.jp/about/history.html
・参考:林、天野「日本の味醤油の歴史」吉川弘文堂刊

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♣ 湯浅しょうゆ「角長」資料館と職人蔵          

所在地:和歌山県有田郡湯浅町湯浅7  Tel.0737-62-2035
HP: https://www.kadocho.co.jp/museum.html 

「角長」資料館

 → この資料館と職人蔵は、1841年(天保12年)に創業した湯浅醤油の老舗「角長」の運営する醤油博物館。紀州(和歌山県)は、醤油発祥の地として知られるが、「角長」は鎌倉時代より、750有余年にわたって受け継がれてきた伝統の醸造法を現在に伝える湯浅で唯一の手づくり醤油の醸造蔵といわれる。醤油資料館ではジオラマやパネル等で醤油づくりをわかりやすく紹介、また、職人蔵では角長が使っていた貴重な醸造道具を展示している。このうち幕末から明治にかけて建てられた醤油蔵など11棟の建物が国の重要文化財に指定されている。

館内の作業場展示
仕込み場
足踏みの小麦挽き割機
明治初期湯浅豪商図

 角長職人蔵は、慶応2年に建った80平方米の仕込蔵で、展示してある道具類は全て実際に使われた器具類で、その一つ一つに古人の汗と苦労を見ることができる。

 一方、醤油の起源は、遥か中世の時代、中国に渡り修行を積んだ禅僧が伝えた特別な味噌に始まるとされる。この味噌の桶に溜まった汁に紀州湯浅の人々が工夫を重ね、生まれたのが現在の醤油であるという。湯浅の角長資料館は、日本で「しょうゆ」が生産され、日本の味覚として定着していく過程を確認できる貴重な施設といえるだろう。

・参照:湯浅町観光公式ホームページ「角長」https://www.yuasa-kankokyokai.com/spot/338/
・参照:日本の食文化にふれる旅|大丸松坂屋友の会 https://www.dmtomonokai.co.jp/magazine/2022summer/05/

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♣ マルキン醤油記念館  

所在地:香川県小豆郡小豆島町苗羽甲1850  Tel.0879-82-0047
HP: https://marukin.moritakk.com/kinenkan/

マルキン醤油記念館

 → 小豆島の丸金(マルキン)醤油が創業80周年を記念し、1987年、工場のひとつを記念館として開館した醤油記念館である。歴史的な建物を利用した記念館の内部では、明治時代に実際に使用していた道具やパネルなどが展示されており、当地のしょうゆ造りの歴史や製造方法について分かりやすく解説紹介している。工場では、大きな機械を使ってしょうゆを搾っている様子をガラス越しに見学することもできる。

記念館内部
仕込みの作業場

  ちなみに、小豆島は、瀬戸内海で2番目に大きな島で、美しい海と明るい太陽に恵まれ、オリーブの島として知られているが、同時に「しょうゆの街」とも呼ばれているという。小豆島は良質な塩と小麦に恵まれていたこと、本州と四国、九州を結ぶ海上交通の要衝であったことから古くから醤油づくりが盛ん行われていた。特に、文禄年間(1592~1595年)、大坂城築城のために小豆島へ採石に訪れた大名たちが、調味料として紀州・湯浅で造られた醤(ひしお)を持参したことから、湯浅の製法を学んでしょうゆ造りが始まったと伝えられている。その後も、小豆島醤油造りは、瀬戸内の海運を利用して江戸時代を通して市場を拡大し発展をとげる。そして、明治初期には小豆島のしょうゆ造りは最盛期を迎え、島内には約400もの“しょうゆ蔵”を誇ったといわれる。

丸金醤油の樽

 こういった中で、1907年に、木下忠次郎ら有力醸造家によって丸金醤油株式会社が設立された。その後、製品の評価も高まり、1910年には日英博覧会で「金賞」(金牌キンパイ)受賞している。現在では、キッコーマン、ヤマサ、ヒゲタに次ぐ有力醤油メーカーとなっている。このようにマルキン醤油記念館の展示を見ることで、関西の醤油、特に香川県小豆島の醤油づくりの伝統と技術の中身を知ることができる。

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♣ 醤遊王国 (弓削多醤油)                      

所在地:埼玉県日高市田波目804-1  Tel.042-985-8011
HP: https://yugeta.com/kingdom/

弓削多「醤遊王国」

 → 弓削多醤油は、1923年に埼玉県坂戸市で創業した地場醤油の蔵元。それ以前は農業を営んでいたが、初代当主弓削多佐重が醸造業興味を持ち、入間市にあった醤油蔵から蔵の設備や杜氏(とうじ)を丸ごと迎え入れ醤油生産を始めたという。この弓削多が作った見学施設が「醤油王国」。自前で作った木桶で醤油仕込む様子を工場で見学したり、醤油の醸造過程の解説を受けたりすることができる。また、ユーチューブでも醤油づくりを発信している。これらからは、伝統的な手法での醤油づくりに励み、古くからの日本の味を頑固に守り続けている様子がうかがえる。

・参照:https://yugeta.com/company/2371/ (YouTub) バーチャル見学 | 弓削多醤油
・参照:醤油工場見学 | 弓削多醤油https://yugeta.com/kingdom/1497/

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  • 参考資料:醤油産業の現状と醤油のなりたち

その1:醤油産業の現況と醸造業者の動向

 → 醤油製造業は食品製造業に分類される業種で、全国的な業界団体としては「日本醤油協会」、「全国醤油工業協同組合連合会」、「全国醤油醸造協議会」がある。現時点(2021年)で日本国内に1000社の醤油メーカーがあり。このうち、大手メーカーが 5 社で国内醤油の約 60 % 、準大手メーカー 9 社の17%を合わせた 15 社で 80 %近く を生産している。

醤油の6大メーカー

  したがって圧倒的多数は零細な中小醸造業者ということになる。それぞれは地方独自の特色ある醤油づくりを行って地元市場で活躍している。日本醤油情報センターによれば、しょうゆのJAS(日本農林規格)が整った昭和48年以降、毎年、ローカルな醤油業者を中心に「全国醤油品評会」が開催されており、2024年には288点の醤油が出展されたという。これらのうち、幾つかの蔵元は工場見学を積極的に行っており、醤油の生産現場を体験できる。

全国醤油品評会の参加企業図

・参照:日本の醤油メーカー – Wikipedia
・参照:全国醤油品評会 https://www.soysauce.or.jp/fair
・参照:全国しょうゆ工場見学リスト https://www.soysauce.or.jp/project/factory/list?area=kanto

その2: 醤油の成り立ちと歴史> 

「醤」
大餐図
(醤の名みられる)

 → 古代中国の「醤(ジャン)」が日本に伝わり醤油のルーツとなったといわれる。これがいつ頃かはわかっていないが、律令年間に宮内省が「醤院(ひしおつかさ)」を設けており、この頃には日本でも醤油の原形となる大豆の “醤(ひしお)”が造られていたとみられる。奈良時代から平安時代の宮中宴会で、今の醤油と味噌に近いものが調味料として使われた形跡もある。

禅僧覚心の像)
和漢三才図会略
造醸類 「未曽」の文字と図(国立公文書館)

 鎌倉時代に入ると、信州の禅僧覚心(法燈国師)が中国から径山寺味噌の製法を持ち帰った。この製造の過程で桶の底にたまった液体が、今の溜醤油に近いものであったと言われている。醤油はこの頃から日本に根付いたと考えられる。15世紀の「多門院日記」には、「醤」「味噌」「唐味噌」など醤油に関連する用語が多数みとめられる。

 

  この頃、近畿地方では醸造業者が次々に生まれ、京、大坂の料理に盛んに使われるようになっている。後に、関東の醤油に大きな影響を与えた紀州の「湯浅」醤油などは、この好例といわれる。また、播州の龍野では、京都の精進料理に合う「淡口醤油」がこの頃多数生産された。

(江戸の醤油消費と醸造業者)

江戸の賑わいと醤油
醤油番付

 そして、政治の中心となった江戸が日本一の大都市に発展していくと、さまざまな生活文化が育ち、江戸の人々の嗜好に合わせた「濃口醤油」が広まっていく。当初は、「下りもの」として京・大坂の醤油が珍重されたが、銚子、野田などの醸造業者が質の高い醤油を生産されはじめると、関東の「濃口醤油」が市場の中心を占めるようになる。このとき生まれたのが、ヤマサやキッコーマンの前身となる醤油醸造業者達である。そば、天ぷら、蒲焼きなどの江戸料理が完成したのは文化・文政時代と言われるが、そのどれもが醤油なしには生まれなかった味わいとなった。

各地に近代的な醤油工場が作られる

 明治時代になると西洋風の調味料が伝わり醤油も変革が迫られる。しかし、日本人の好む醤油の地位は揺らぐことなく、製法の近代化、工業的生産の拡がりで需要は伸び続けた。有力な醤油メーカーは、この時代に販路を広げ全国に醤油産業を振興させた。この頃から日本の生活水準、食生活の向上で醤油の普及も進んでいる。

日本醤油が海外へ

 昭和10年代、太平洋戦争下で醤油は一時統制物資となるが、戦後は配給公団が廃止され、価格統制も撤廃され、醤油業者が再び品質向上を目指せる自由競争の時代がやってくる。それから半世紀以上が過ぎた今、均質で優れた醤油が大量に生産され、日本国内はもとより、世界数十カ国に向けて輸出されまで発展する。日本の風土と文化に育まれた醤油は、日本食が世界的拡がりをみせる中、貴重な調味料として受け入れられるようになっている。日本発の醤油が世界の“醤油ソース”となって拡がりをみせているのである。

・参照:日本しょうゆ情報センターhttps://www.soysauce.or.jp/knowledge/history

(醤油の博物館 了)

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<味噌の世界>

♣ 八丁味噌の郷史料館(カクキュー)

所在地:愛知県岡崎市八丁町69番地 Tel.0564-21-1355
HP: https://www.kakukyu.jp/facilities_archives.asp

八丁味噌の郷史料館

 → 「カクキュー」が運営する「八丁味噌の郷」は、味噌蔵をはじめ、史料館、食事処を集めた味噌のテーマパークである。 この中、味噌蔵は石垣の上に建つ大きな蔵であったことから「大蔵」とも名付けられ登録有形文化財となっている。この1階は味噌の熟成に使われ、2階では八丁味噌の原料となる「豆こうじ」を作る作業が行われていた。一方、史料館では、昔ながらの味噌づくりの様子が等身大の人形で再現されているほか、宮内省御用達の資料やレトロなパッケージ、味噌の製造工程を示す道具、古い六尺桶など貴重な史料が展示されている。ちなみに、八丁味噌は江戸時代初期より変わらない伝統製法で造りつづけており、大豆と塩のみを原料に木桶に仕込み、自然の温度の中で二夏二冬(2年以上)熟成させて造られるといわれる。

八丁味噌の仕込み展示
仕込み蔵の木桶
味噌造り
玄佺館

 また、近くにある「玄佺館」は、2018年、カクキュー19代早川久右衛門の母方の実家、森家の蔵を移築して開館した資料館である。森家は元亀年間から約400年にわたる漢方医で、当主は代々「森玄佺」という名であった。「玄佺館」の名は「森玄佺」にちなんで名づけられという。館内では、味噌を始めとした醸造文化をパネルで紹介している。

<味噌の老舗カクキューと八丁味噌のいわれ>

御用達の許可(明治34年

 → カクキューは、戦国時代の末期、正保2(1645)年に誕生し、名前の「久」の字を四角で囲んだマーク「角久(カクキュー)」の屋号で創業した。500年の歴史を誇る味噌造りの老舗であり、当主は代々「早川久右衛門」を襲名している。この由来をみると、永禄3(1560)年、桶狭間の戦いで今川が敗れた後、家臣であった早川新六郎勝久が岡崎の寺へと逃れたが、その時、名を久右衛門に改め寺で味噌造りを学んだことから始まったという。 

八丁味噌

 そして、数代の後、徳川家康生誕の岡崎城から西へ八丁の距離にある八丁村(現在の愛知県岡崎市八丁町)へと移り、正保2年に味噌造りを始めたとのいわれがある。そして、久右衛門の造る味噌は、地名に由来して、いつしか「八丁味噌」と呼ばれるようになった。八丁味噌は、大豆と塩のみを原料に大きな木桶に仕込み、天然の川石を職人の手で山のように積み上げて重石とし、この八丁町(旧・八丁村)の気候風土のなかで二夏二冬(2年以上)を天然醸造で熟成させて出来上がる。味は大豆のうま味を凝縮した濃厚なコクと少々の酸味、渋味のある独特な風味が特徴といわれる。
  このカクキューの八丁味噌は、1911年、ドイツ帝国ドレスデン市で万国衛生博覧会で、三等賞の記念牌を受けたほか、日本の南極観測隊、マナスル登山隊の携行食品としても用いられた。

歴史を飾る玄佺館展示
カクキューの歴史展示
万国博記念牌(1911年)

・参照:愛知の発酵食ポータルサイト「あいち発酵食めぐり」https://hakko-aichi.jp/culture/detail/1/
・参考:Aichi Now https://www.aichi-now.jp/spots/detail/1818/
・参考:味噌蔵株式会社 カクキュー八丁味噌https://www.kakukyu.jp/facilities_kura.asp

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♣ 味噌資料館(マルダイ)

所在地:新潟県佐渡市羽茂大橋1553−1
HP: http://www.e-sadonet.tv/vivamaru/museum/museum.html

味噌資料館(マルダイ)

 → マルダイ社が味噌の歴史と特質の理解を促す目的で、1990年に開設した味噌資料館。 佐渡の味噌造りの風雪と星霜を経て形成された「海の味噌」文化の伝統を伝えているといわれる。館内のミニュチュア・ドール展示は、佐渡味噌にみられる古来の製法と現代の製法を比較して見学できるようになっている。また、館内杉桶天然仕込蔵「マルダイ天然10号庫」には、22本ある桶の底部分に嘉永8年の墨書きがあり、150年の星霜を刻むマルダイ味噌の伝統が示されている。

味噌職人
昔の味噌造り
最近の味噌製造器

 

(佐渡味噌の歴史> 

今も残る佐渡の醤油蔵

 味噌の商業的な生産が始まったのは、佐渡金山が発見され人口が急増した江戸時代以降となっている。元禄年間には相川で味噌屋町という町名が存在しており、ここで味噌作りが行われていたことがわかる。江戸時代末期から佐渡島から数万人単位で北海道に移住がはじまり、移住者たちは佐渡から味噌を取り寄せて食べるようになり市場は北海道に広がった。明治末期には製造業者が50社を超えたという。1909年には佐渡味噌協同組合を結成され、北海道で販売促進や品質向上の講習会を開催するなどの活動が始まっている。販路も樺太や千島列島、沿海州などに広がり、関東大震災後ごは関東にも出荷が増えている。1971年には2万トン以上が生産され、越後味噌と合わせた新潟県の味噌生産量は4万トンを超え、長野県に次ぐ2位となっている。1987年には新潟県内で製造される味噌およそ35,000トンのうち、約50%が佐渡で生産されたという。しかし、その後は生産量、出荷量共に減少傾向にある。マルダイも、佐渡のメーカーとして首都圏と北海道を中心に市場を広げていたが、現在やや販売不調といわれる。

佐渡で展開された味噌の歴史を示す写真

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♣ ハナマルキ「みそ作り体験館」

所在地:長野県伊那市西箕輪2701 Tel. 0265-95-1260
HP: https://misotaiken.jp/

みそ作り体験館

 → ハナマルキが、創業100周年記念として、伊那工場内に開設したのが「みそ作り体験館」。工場見学可能なみそ作りの見学・体験施設として来訪者も多い。特に、未来的なデザインの建物は、国内外数々の権威ある建築賞を受賞していることでも知られる。館内のシアタールームでは、味噌の基礎知識やみそ作りの工程の解説があり、伊那工場の見学に移ると、味噌が生産、出荷されている様子を映像で見ることができる、また、実際に味噌作りを体験するコースも用意されていて貴重。
 ハナマルキは、マルコメと共に日本を代表する味噌製造業の一社で、基幹商品は『風味一番』『おかあさん』など。1918年に長野県上伊那郡朝日村(現辰野町)において、マルキ印の商標名で味噌・醤油製造を開始している。近年では「塩こうじ」の販売に力を入れているようだ。2012年には、ペースト状の塩こうじ、液体タイプの「液体塩こうじ」を発売している。

館内体験展示
ハナマルキ味噌展示
風味一番
おかあさん

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♣ 信州の味噌蔵(石井味噌)

所在地:長野県松本市埋橋 1-8-1
HP: https://ishiimiso.com/kengaku 

信州の味噌蔵
林立する大木桶

→ 創業より守り続けている杉桶の林立する味噌蔵。高さ2メートル以上ある杉の木桶の前で、天然醸造によるこだわりのお味噌の作り方を見学できる。ブランド商品は「信州三年味噌」で、昔ながらの天然醸造という造り方により三年前に仕込んだ味噌を限定品で販売している。石井味噌は、1868年(慶応4年) に初代、石井伴左衛門元忠が松本城下伊勢町で味噌醸造業を創業している老舗。

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♣ 角屋民具館 & 味噌溜り蔵 資料館

所在地:愛知県伊勢市神久6丁目8-25 Tel. 0596-23-3040
HP: https://www.kankomie.or.jp/spot/8007

味噌溜り蔵 資料館
資料館内部

 → 角屋民具館と味噌溜り蔵資料館は共に伊勢市のまちかど資料館として設立・公開。「角屋民具館」は、創業が天正3年(1575年)の「二軒茶屋餅」の砂糖蔵を利用した味噌博物館。「味噌溜り蔵」は100年前から味噌溜りの醸造をしている味噌醸造会社である。昔ながらの伝統的な味噌造りの技術を体験できる。

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♣ 豆みそ・たまり醸造「伝承館」

たまり醸造「伝承館」
醸造用具の展示

所在地:愛知県知多郡武豊町小迎51        
Tel. 0569-72-0030
HP: https://www.nagoya-info.jp/spot/detail/128/

 → 伝承館では、“豆みそ”と“たまり醤油”の古い時代の醸造用具が展示されており、明治時代から今に続く醸造方法の見ることができる。たまりを搾る槽の操作実演や操作体験、樽や桶の修理実演も行っている。

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♣ 蔵元・桝塚味噌

所在地:愛知県豊田市桝塚西町南山6番地 Tel. 0565-21-0028
HP: http://www.masuzuka.co.jp/

桝塚味噌の蔵元
桧の木桶

  → 桝塚味噌の味噌蔵は、第二次大戦中、海軍の岡崎飛行場の格納庫であった建物や小学校の校舎を改装した味噌工場で今も現役である。その中には昔ながらの杉、桧の木桶が約400本あり、それぞれの木桶の中で味噌は育て上げられている姿を見ることができる。

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♣ 味噌醤油蔵 (博物館・網走監獄)(史跡)

所在地:北海道網走市字呼人1-1  Tel. 0152-45-2411
HP: https://www.kangoku.jp/exhibition_facility_misoshouyukura.html

博物館網走監獄
味噌の造り方指示書き

→ 博物館網走監獄は野外歴史博物館史跡となっている重要文化財。この中の味噌醤油蔵は、明治25年に過酷な条件の中で収容されていた収容者の自給自足を目ざし味噌醤油工場を建てて味噌や醤油等の調味料を製造していた。そこには、味噌づくりの道具や樽とともに、「味噌の出来るまで」と書かれたイラスト入りの看板が掲げられている。味噌の仕込みは熟練が要求されたので、製造は経験の長い受刑者が専属にあたったといわれている。この蔵に展示してある樽は、五十石という大きな樽で約9,000リットル(1升ビン約5,000本)もの醤油が入る巨大なものである。

網走監獄内部
展示の味噌樽

・参照:網走刑務所の脱獄に“味噌”が一役(お母さん大学)https://www.okaasan.net/mjreport/25873/

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♣♥(みその原点と歴史)

 ここでは味噌の原点と歴史、食生活の中の味噌、地域の独自の味と多様性について簡単にレビューしてみた。

(みその原点と歴史)

中国から日本へ

→ みそは醤油と同様に、古代中国から日本に伝えられた調味料である。且つ、味噌の歴史は醤油より古く、醤油誕生のもとにもなった発酵食品といわれる。共に、古代中国の“醤”を根源とし、日本で工夫を重ねて編み出した独自の製法によって造られ、和食の一部として定着したというのが定説である。 歴史書によると「みそ」が文字として表れるのは平安時代の「三代実録」(901)といわれ、奈良の唐招提寺の開祖、鑑真和上が来日した時、「みそ」の“もと”が伝えられたとの説が有力である。

(武士の兵糧となった味噌)

戦国時代と味噌
味噌玉
味噌造り

  この「みそ」が、広く使われるようになったのは鎌倉時代頃で、この後、独自の和風調味料として発達する。時に鎌倉武士の食事は「一汁一菜」、1日5合の玄米ご飯に、みそ汁と魚の干物という献立が標準とされた。室町時代には、これが、後に一般庶民の食事にも組み込まれるようになる。一方、応仁の乱(1467)からの百年は戦乱の時期で、いくさ(戦)に行く兵士にとって、カロリー源の米と栄養源の「みそ」は必需品となっていく時代が到来する。味噌を固めた「みそ玉」は、戦いの携行品として必需であったし、縄に味噌を塗り込んで栄養源としたとの話もある。武田信玄が「信州みそ」の基盤を作り、伊達政宗の奨励した「仙台みそ」は、このとき生まれたともいわれる。

(江戸時代の食材味噌) 

江戸時代の味噌造り

 江戸時代になると、幕府、藩政府も食材、食料源としての味噌の生産を奨励し、各地で消費拡大が進むと同時、特産品として大都市を中心にも市場を広げていく。特に、人口100万近くを数えた大都市江戸はとりわけ大きな消費地となった。江戸の近郷の下総や埼玉の生産量ではまかないきれずに、家康の出身地の三河岡崎の「三州みそ」、「仙台みそ」などが海路で江戸に送られ、江戸の“みそ屋”は大変な商売繁盛をきたしたという。今も残っている落語「味噌蔵」や「味噌豆」をはじめ「東海道中膝栗毛」には各地のみそ料理が紹介されているほどであった。また、料亭をはじめとした飲食店が発展し、みそを使った料理が発達して品質も向上していく。味噌老舗のカクキューやマルコメ、マルダイ、石井味噌などは、この時代に生産者として登場している。

(近代化する食生活の中で味噌の発展と地域性) 

多様な拡がりをみせる各地の味噌

 そして、明治、大正時代に至ると消費生活の近代化の中で、調味料としての味噌の需要が拡大、全国規模での市場の拡がりをみせる。全国規模の味噌メーカーが誕生するのはこういった背景の中であった。一方、各地方で独自の製法を持つ味噌の醸造蔵も増え、バラエティーに富んだ味噌の提供と特徴ある味付の調味料「みそ」が食卓を賑わす存在となっていく。
 こうして、味噌は日本全国に広がる多様な味を持つようになり、地域ごとに独自の風味が発達した。北海道や東北では、豆の風味が豊かで濃い味わいの味噌が特徴、関東地方では、麦味噌や米味噌が一般的で、まろやかな味わい、中部地方や関西地方では、甘口の味噌や赤みそが主流となり独特のコクがあるといわれている、などである。

・参照:みその歴史 | みそ健康づくり委員会/ 味噌の公式サイトhttps://miso.or.jp/museum/knowledge/history/
・参照:みその歴史 | みそ健康づくり委員会https://miso.or.jp/museum/knowledge/history/
・参照:味噌の歴史、時代ごとの変化も解説( 肉のかとう)https://kato29.com/contents_post/nippon-miso-rekishi/

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(味噌の項 了)

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**参考:
・高橋万太郎「にっぽん醤油蔵めぐり」東海教育研究所刊
・岩本みさき「にっぽん味噌蔵めぐり」東海教育研究所刊
・吉田元「醤油」(ものと人間の文化史180)法政大学出版局刊
・渡辺敦光監修「醤油大全」東京堂刊
・林玲玲子・天野雅敏「日本の味 醤油の歴史」吉川弘文堂刊
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「食と農」の博物館 (3) お菓子の世界(博物館紹介)

ー 生活の中のお菓子文化の役割と歴史を探るー 

お菓子は日本の社会生活の中で重要な食事文化を形成している。このセクションでは日本で生まれた各種菓子の形成とルーツを訪ねると共に生活の中でどのような役割を果たしているか、その特徴は何か、歴史的な観点から見てみる。特に、京菓子の魅力と歴史をおってみることにした。

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♣ 江崎記念館(江崎グリコ)                   

所在地:大阪市西淀川区歌島4-6-5  Tel.06-6477-8257
HP: (https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/ezakikinenkan/

江崎記念館の建物

 → グリコの創業の歴史や創業時から現在まで受け継がれている菓子作りの技術や創意工夫をみることができる記念館。館内ではVRを活用しており、栄養菓子「グリコ」を試作やハート形ローラー、真空釜の実像がみられるほか、主力商品、歴代道頓堀グリコネオンのジオラマ、創業者・江崎利一が生前使用した思い出の品々愛用していた机・椅子などの展示もある。創業の歴史をみると、1919 年、カキの煮汁に多量のグリコーゲンが含まれることを確かめた江崎利一は、グリコーゲンを活用した食品の商品化に着手したと伝えられる。やがて生まれたのが「栄養菓子グリコ」であった。

江崎利一
1920年代のグリコの広告
1940年代の大阪工場

1922 年には大阪の三越で赤い箱の栄養菓子「グリコ」を販売を開始する。戦時中、工場の焼失などがあったが、ビスケット製造からスタートして、「ビスコ」の製造を再開。次いで「グリコ」も復活。復興後「アーモンドチョコレート」「プリッツ」「ジャイアントコーン」「ポッキー」などの超ロングセラー商品を次々に生み出している。消費背活が豊かになるにしたがって、デザート類へのニーズが高まると、「プッチンプリン」を筆頭に、「カフェオーレ」「パナップ」「セブンティーンアイス」を誕生させている。記念館では、食品、菓子メーカーの成長を確認することができる。
 ・参考:江崎グリコ(Glico) 沿革 https://www.glico.com/jp/company/about/history/
 ・参考:江崎記念館 | Yahoo!トラベルhttps://travel.yahoo.co.jp/kanko/spot-00017026/

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♣ グリコピア神戸(江崎グリコ)  ()                 

所在地:兵庫県神戸市西区高塚台7丁目1番  Tel.078-991-3693
HP: https://www.glico.com/jp/enjoy/experience/glicopia/kobe/

グリコピア神戸

 → 家族向けの商品紹介と工場見学を組み合わせた観光博物館。普段は見学することができない貴重なビスコ工場内をスマートフォンやパソコンからご見学できる。ポッキーやプリッツの製造工程を近くで見学できるだけではなく、最新鋭の機械で作られた商品がお店に並ぶまでをわかりやすく説明してくれる。グリコの歴史や歴代のおもちゃも展示している。同様の施設は、千葉、埼玉などにもある。

館内の展示
主な商品の展示

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♣ 森永エンゼルミュージアム 

所在地:神奈川県横浜市鶴見区下末吉2丁目1−1  Tel. 0120-560-162
HP: https://www.morinaga.co.jp/factory/tsurumi/

森永エンゼルミュージアム

 → 家族向けの商品紹介と工場見学を盛り込んだ観光ミュージアム。森永製菓の歴史やお菓子の製造工程の映像、工場見学で体験できる。展示コーナーでは、森永の商品の特徴や、技術、製法、美味のひみつをご紹介する。製造ラインの見学では、小枝、ハイチュウプレミアムなどのお菓子の製造・包装ラインの一部を窓越しに見学できる。
 参考:【森永エンゼルミュージアム MORIUM(モリウム)&工場見学】サニー・けあサポートhttps://sanny-care.com/2024/05/17/morinaga-2024/

館内の展示スペース
企業の年譜と商品展示

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♣ 京菓子資料館(京菓子司 俵屋吉富)                 

所在地:京都市上京区室町通上立売上ル室町頭町285-1  Tel.075-432-927
HP: https://kyogashi.co.jp/shiryoukan/)

京菓子資料館

 →「俵屋吉富は」江戸時代から続く京都の老舗京菓子店。この京菓子司展が1978年日本の和菓子文化を後世に伝えようと開設したのが「京菓子資料館」。常設展示として、「和菓子のあゆみ」を公開しており、古代から続く木の実や果物といった「果子」、奈良時代に遣唐使によりもたらされたと言われる「唐菓子」、鎌倉時代に禅とともに伝来した「点心」、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて布教や貿易を目的に渡来したポルトガル人・スペイン人によりもたらされた「南蛮菓子」、そして江戸時代以降に使用される砂糖や寒天といった「原材料の革新」などを受けて繁栄した「京菓子」の系譜を、歴史を追いながら資料や絵図、菓子見本などを用い詳しく紹介している。

資料館展示コーナー
江戸時代の菓子の図案帳と再現菓子
京菓子の最高峰といわれる「糖芸菓子」

・参照:京菓子資料館|#むすびhttps://www.kyoto.coop/musubi/cat346/post_125/
・参照: ことりっぷ(京菓子資料館)https://co-trip.jp/spot/1873?tab=3

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♣ 菓子資料室・ 虎屋文庫 

所在地:東京都港区元赤坂1-5-8 虎屋第2ビル3階・4階     03-3408-4125
HP: https://www.toraya-group.co.jp/corporate/bunko)

→ 虎屋文庫は和菓子文化の伝承と創造の一翼を担うことを目的として設立された和菓子の資料室。宮中の御用を勤めてきた虎屋グループの菓子見本帳や古文書、古器物などを虎屋文庫でとして保存・整理している。一般公開はされていないが機関誌などとして発信。
 ちなみに、「とらや」(虎屋)は、室町時代後期に京都で創業し、後陽成天皇在位中から御所の御用を勤めて以降、皇室御用達の製菓業となった。これまで約480年の歴史を持つが、明治時代になって東京に本店を移した。特に羊羹の製造販売で知られ、「とらやの羊羹」として広くその名を知られている。

虎屋文庫開設
「虎屋文庫」の数々

<参考資料としてー虎屋の歴史ー>

黒川光正
空襲で焼失した工場 (1945)
新築した赤坂「表町店」(1932)

 → 虎屋文庫第一回記事「とらや、東京へ」で虎屋の発展を概略次のように紹介している。 室町時代に創業して以来、京都で御所御用を勤めを続けてきたが、12代店主・黒川光正は、明治2年(1869)の東京遷都に伴い新天地・東京へ進出する決意を固める。京都店はそのままにして、庶兄・光保が出張所を設けて新しく御所御用を開始。そして、明治12年、光正は本格的な上京を決め、京橋区元数奇屋町(現在の中央区銀座)に「虎屋東京店」を開店する。同年9月には、赤坂区赤坂表(現在の港区元赤坂)に移転、ここに初めて赤坂の地で商いを始めることになった。その後、戦時の空襲、戦後の混乱などの不幸を経験したが、御用を続けながら広く一般に羊羹はじめ、数々の菓子類を一般に提供し現在に至っている。
・参照:虎屋赤坂店のあゆみhttps://www.toraya-group.co.jp/corporate/history-of-akasaka-shop


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♣ 成田羊羹資料館

所在地:千葉県成田市上町500  Tel.0476-22-2266
HP:  (https://nagomi-yoneya.co.jp/youkanshiryoukan/)

成田羊羹資料館

 → 成田羊羹資料館)は、成田市上町にある「米屋株式会社」の企業博物館。米屋の歴史と羊羹にまつわる展示を行っている。常設展示は、羊羹全体の歴史と米屋(よねや)の発展、創業者の物語り、米屋で過去に使っていた道具や広告の展示も行っている。ちなみに、米屋は、成田山新勝寺の精進料理「栗羹」にヒントを得て、日本ではじめて芝栗を練り込んだ栗羊羹を考案して商売をはじめた会社である。その後、米屋本舗として和洋菓子、カップ入り製品(水ようかん、ゼリー)などに手を広げて製造・販売を行っている。

作業部屋の様子
羊羹の歴史展示
昔の羊羹作り用具

・参考:米屋創業者 諸岡長蔵https://nagomi-yoneya.co.jp/history/sougyousha/

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♣ 村岡総本舗 羊葵資料館            

所在地:佐賀県小城市小城町861  Tel.0952-72-2131
HP: http://www.m-youkansiryoukan.jp/

村岡総本舗羊葵資料館

 → この羊葵資料館は、小城羊羹の老舗で知られる村岡総本舗によって昭和59年に開設された羊羹専門の博物館。昭和16年に建てられた煉瓦造りの砂糖蔵を改装して作られている。資料館の内部は一階が休憩室、二階が展示室となっています。羊羹の製法や歴史をビデオ・パネル・写真などで紹介するとともに、時代とともに変わってきた道具、砂糖、豆、寒天などの原材料や包装・レッテルなどの展示品が並び、羊羹の歴史と文化が集められている。

羊羹資料館の内部展示
昔の羊羹作りの作業場

・参考:小城羊羹初祖 村岡総本舗https://muraoka-sohonpo.co.jp/company
・参考:羊羹資料館|小城羊羹の歴史| http://www.m-youkansiryoukan.jp/history.htm
・参考:羊羹資料館|シュガーロード|http://www.m-youkansiryoukan.jp/sugerroad.htm

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♣ 氷砂糖資料館(中日本氷糖)               

所在地:岐阜県海津市南濃町津屋2812-100  Tel. 052-661-0113
HP: (https://nakahyo.co.jp/csr/museum/

氷砂糖資料館

 → 中日本氷糖が創業100周年を記念して、佐藤と氷砂糖に関する知識を広めることを目指して開設した資料館。館内では、砂糖の歴史、砂糖の消費と健康、氷砂糖との出会い、世界の氷砂糖、氷砂糖ができるまで、暮らしの中の氷砂糖といったテーマで展示がなされている。

製糖工場
世界の氷砂糖展示


・参考:砂糖のことなんでも学べる博物館「氷砂糖資料館」https://bqspot.com/tokai/gifu/295

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♣ コンペイトウミュージアム(大阪糖菓) 

コンペイトウミュージアム

所在地:大阪府八尾市若林町2-88  Tel.072-948-1339
HP: https://konpeitou.jp/

金平糖作り体験

→ ポルトガルからやってきた南蛮渡来のお菓子「コンペイトウ」。ここでは、この大阪糖の菓菓子の歴史や文化を学ぶことができ、オリジナルの金平糖作りが体験できる。日本の伝統菓子として世界中で人気のアニメなどに登場し、コンペイトウの魅力外国人からも人気を集めているという。

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(お菓子の博物館 了)

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「食と農」の博物館 (2) 食文化の歴史とくらし(博物館紹介)

    ―日本の食品産業と食文化の歴史とみるー

(作成作業中)

  今回のセクションでは、日本の食文化がどのように形成され発展してきたかを、農業技術発展、食品技術の発展、食品開発の観点から展示する博物館を紹介している。また、これら施設は各地に伝わる多様な食品、食材、菓子の特徴、メーカーの活躍を“ものづくり”のこだわりを詳しく示している。今回、これらを農業開発、家庭用一般食品、水産加工、発酵食品、酒造(洋酒、日本酒)などの観点から、どのように生まれ発展してきたかを各地にある資料館・博物館から眺めてみることとした。食品関係の博物施設は多様であり、かつ数も非常に多い。このコーナーではできるだけ沢山の施設を取り上げたが、漏れたものも多々あるのは了解許して欲しい。 
 第二回は、家庭用食品の博物館を紹介しつつ、日本の食文化の発展と歴史、食品産業の現状をみることとする。

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♣ 食とくらしの小さな博物館(味の素) 

所在地:東京都港区高輪3丁目13番地65号  Tel.03-5488-7305
HP: (https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/)  
・参考:味の素「食とくらしの小さな博物館」を訪問:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/

博物館の入口

 → この「食とくらし博物館」は、味の素グループの創業以来100年の足跡をたどりながら、日本の食文化変遷と同社の加工食品、調味料の進化を展示している食文化博物館である。当初、味の素社の研修施設としてつくられたものだったが、その後、一般向けに開放し、公共の博物資料館となった。 館では、小さな施設ながら、創業の歴史、開発した商品紹介のほか、日本人の食生活の変化を伝える展示を広く行っていて貴重である。そこには、創業者が「うまみ」成分を見いだして商品事業化していく様子、味の素が歴史を彩ってきた調味料の数々、開発してきた食品商品群が実物や写真で詳しく紹介されていて興味深い。展示施設は三つの展示コーナーからなっており、最初は味の素の歴史と商品を示す主展示、第二は日本の食事文化の展示、第三は食品ライブラリーである。

館内の展示場スペース
事業の展開を示す展示

  最初の主展示室では、味の素創業の歴史を示す写真、映像を展示しながら味の素100年の商品群の紹介を行っている。また、時代毎の人々の暮らしと食卓風景を描写しているのも興味深い。第二の「食文化展示室」では、企画展示として、味の素が所蔵する錦絵や当時の料理レプリカを公開、江戸時代の食文化を代表する季節毎の名物料理を紹介するなどテーマ毎に入れ替えて展示している。 第三の「食の文化ライブラリー」は「食」に関する専門図書館で、蔵書は約40,000冊を数え、江戸~昭和の料理書を中心とした貴重書も2,000冊以上あり、食に関する映像資料も多数所蔵している。味の素社の歴史や日本の食文化の歴史を知るには最適の施設であろう。

<多様な商品展示>

 また、商品展示では、事業多様化と商品群紹介が大きなテーマとなっている。味の素は、社名を「味の素株式会社」と改めて、新しい消費市場動向に合わせた新製品の投入、調味料以外の事業多様化も進めていったが、展示ではその過程がよくわかる。例えば、販売政略では、1951年に容器を瓶詰めスタイルから「ふりかけ式」へ変更、1958年には、傘下に「日本コンソメ株式会社」(後のクノール食品)を設立してスープ市場へ進出、1960年には「アジシオ」、1962年には総合調味料「ハイミー」を発売している。さらに1968年に「味の素KKマヨネーズ」、1970年、マーガリン「マリーナ」、和風調味料「ほんだし」など新商品の投入が相次いだ。

味の素の食品展示
歴代商品の展示

 特に大きいのは、1972年頃からの冷凍食品市場への参入。1972年以降の「エビシュウマイ」、同時期の「(冷凍)ギョウザ」などが例である。そのほか「ハンバーグ」、「エビグラタン」「麻婆豆腐」といったものも試行錯誤で製作された。

味の素の冷凍食品
新しい冷凍食品見本

この冷凍食品は、1980年代以降の電子レンジの普及と共に大きな市場として注目されていたものであった。展示された味の素の商品群をよく見ると、そのまま日本の食材・調味料・食品の代表的なものといってよく、日本の食生活と社会変化を感じさせるものとなっている。

 ○ → また、博物館で紹介されている、味の素の創業と発展は日本の食品産業展開の一つの姿といってよく、興味あふれる展示内容である。ここでは、鈴木三郎助が、「うま味」成分を発見した科学者池田早苗と組んで、味の素を創業し、食品企業として発展していく姿を参考資料として、以下に簡単に触れておく。

♥ 参考資料:「食とくらし博物館」でみる味の素の創業と発展

<昆布とヨードから始まった「味の素」の創業>

初期の味の素工場(当時鈴木製薬所)
鈴木三郎助と池田菊苗

 「味の素」の創業は1909年(明治42年)とされるが、1907年創業者である鈴木三郎助が「鈴木製薬所」を設立し、“ヨード事業”を開始したことが起源とされる。また、科学者池田菊苗が“昆布だし”成分がグルタミン酸という「うま味」であることを発見し、鈴木が同氏と共同で商品化を進めたことが味の素社の発展へとつながっていくのであるが、この経過は博物館の展示コーナーに設けられた映像資料で詳しく紹介されている。
 しかし事業には大きな困難が伴ったようだ。まず、生産技術面では、有毒塩素ガスの処理、腐食を防ぐ加工用容器に開発が必要なった。多く試行錯誤を経て最後は容器として地元の「常滑焼」甕が選ばれた。博物館には、当時の苦労を偲ぶため工場の常滑焼の甕(道明寺甕)が現在も展示されている。

<味の素の先進的な役割> 

グルタミン酸の特許証
味の素の新聞広告

 近年、日本の和食が独自の味文化の認識と健康志向よって世界的な認知度が高まっているようだ。この中でいろんな食品メーカーが活躍しているが、味の素は、その豊富な商品群と積極的な市場開発において代表的な存在だったと思える。展示された味の素の商品群は、そのまま日本の食材・調味料・食品開発の代表的なものといってよいだろう。戦後日本の社会生活、生活スタイルが形成される中で、日本の “食品文化”の核「和風のだし」“うまみ“が果たしてきた大きな役割、その技術発展が多くの独自の食品群をうみだしていることがよく認識できる「食とくらしの博物館」である。

 ・参照:https://igsforum.com/2023/03/26/ajinomoto-museum/より
 ・参考:食とくらしの小さな博物館―知る・楽しむー 味の素 株式会社    https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/museum/
 ・参考:社史・沿革 | グループ企業情報 「味の素グループの100年史」 https://www.ajinomoto.co.jp/company/jp/aboutus/history/

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♣ 味の素グループうま味体験館 

所在地:神奈川県川崎市川崎区鈴木町3番4号  Tel.0120-003-476
HP:(https://www.ajinomoto.co.jp/kfb/kengaku/kawasaki/tour_umami.html 

味の素うま味体験館

→ 体験館では、“うま味”調味料「味の素」の歴史展示、“うま味”食材の紹介、「味の素」の原料・製造工程の見学などの事業を行っている。これらを通じて「おいしく食べて健康づくり」という志を広げ、うま味を発見した日本人科学者の紹介、“うま味”食材への知識を広げることを目的としている。

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♣ たばこと塩の博物館          

所在地東京都墨田区横川1丁目16−3  Tel.03-3622-8801
HP: https://www.tabashio.jp/

たばこと塩の博物館

 → 「たばこ」と「塩」の歴史と文化、製法の変遷を中心としつつ、幅広い社会テーマを取り上げて展示する博物館。日本専売公社(現・日本たばこ産業株式会社)により、1978渋谷公園通りに設立。その後、2015年に墨田区横川の現地に移転し、新改装して再開館している。
 たばこは、アメリカ大陸の古代文明のなかで、儀式用の植物として人類に利用されたことを文化的な起源とし、16世紀以降、嗜好品として世界中に広まり、各地に特色ある文化が形成している。日本へは、16世紀末に伝来し、江戸時代を通して庶民文化にとけこみ、独自のたばこ文化が生まれた。一方、塩は、生命の糧として、人類と深い関わりをもっているが、日本では岩塩等の内陸の塩資源に恵まれず、縄文時代以来、海水を原料として濃い塩水を作り、それを煮つめるという独自の製塩技術が発達させてきた。

日本のたばこの歴代ポスター展示
中東のパイプたばこ器

 これらを背景として、「たばこと塩の博物館」では、たばこと塩に関する資料の収集、調査・研究を行い、その歴史と文化を広く紹介している。また、たばこと塩を中心としつつ、幅広いテーマを取り上げて多彩な特別展を開催しているのが特徴。
 世界の塩展示コーナーでは、世界の塩資源として、海水の成分、世界の塩資源の分布などを紹介、珍しい岩塩彫刻も展示している。日本の塩コーナーでは、古代の塩焼き、各地の塩の揚浜、流下式塩田、現在の製塩をテーマに展示している。

岩塩彫刻(聖キンガ像の祭壇)
日本の塩田を表わした模型
塩田塩の煮詰め精製道具

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♣ 赤穂市立歴史博物館〔塩づくり〕 

所在地:兵庫県赤穂市上仮屋916番地の1  Tel.0791-43-4600
HP: http://www.ako-rekishi.jp/salt/

赤穂市立歴史博物館

 → 赤穂地方は古くから塩の産地として栄えてきた。なかでも江戸時代には入浜塩田による製塩法が完成され、その技術は瀬戸内地方を中心に広く伝わった。ここでは、赤穂流の入浜塩田の特色や技術、また赤穂塩の流通などについて、製塩用具(国指定重要有形民俗文化財)、入浜塩田模型、塩廻船模型などで説明している。特に、製塩用具は、今日では見られない塩づくりの技術や作業の過酷さを教えてくれる。

製塩作業をする人
製塩の道具類

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♣ 坂出市塩業資料館(塩づくり) 

所在地:香川県坂出市大屋冨町1777-12  Tel.0877-44-5036
HP: https://www.city.sakaide.lg.jp/soshiki/bunkashinkou/engyou-musium.html

坂出市塩業資料館
塩作りをする人

 → 人間にとって必須である「塩づくり」の過程を紹介する資料館。坂出市は,塩作りにより発展してきている。その塩作りの歴史・文献などを保存,展示している資料館。塩田製塩時代の坂出の塩づくりのれきしをみることができる。

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♣ カップヌードルミュージアム横浜(安藤百福発明記念館) 

所在地:神奈川県横浜市中区新港2-3-4  Tel.045-345-0918
HP: https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/yokohama/       

カップヌードルミュージアム横浜

→ 世界初のインスタントラーメンを発明し、世界の食文化を革新した日清食品創業者・安藤百福の生涯を紹介すると共に、同社の多彩なカップヌードルを一堂に展示・紹介している。館内では、自分でデザインした「カップヌードル」「チキンラーメン」を作る「マイカップ ヌードル ファクトリー」、アジアのナイトマーケットをイメージした世界中8か国の麺料理を味わうことができる「ヌードル・バザール」などのアトラクションが用意されている。また、展示ではインスタントラーメン ヒストリーキューブ、日清食品の創業者安藤百福の半生を描いた百福シアター、百福の研究小屋も必見である。

世界のカップヌードル展示
ヌードルハウス
百福の研究小屋

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♣ カップヌードルミュージアム大阪(安藤百福発明記念館) 

所在地:大阪府池田市満寿美町8-25  Tel.072-752-3484
HP: (https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/osaka_ikeda/

安藤百福記念館
安藤百福

 → この記念館は、新しい食文化となったインスタントラーメンの歴史を通じて発明・発見の大切さを伝えるミュージアムとなっている。展示では、チキンラーメンが誕生した研究小屋を忠実に再現。生活感あふれる昭和レトロな小屋にラーメンが天日干ししてある様子や台所用具など発明の苦労とワクワク感を伝える内容となっている。

百福の研究小屋
開発に使った用具類

この経過を見ると、大阪・池田市の自宅裏庭に建てた小屋で、“お湯があれば、家庭ですぐ食べられるラーメン”の開発を1950年代に始めた安藤百福、1日平均4時間という短い睡眠時間で丸1年間休みもなく、たった1人で研究を続ける様子が描かれている。また、世界に広めるためのカギは食習慣の壁を越えることにあると気づき、知恵と革新的な発想を結集した「カップヌードル」を発明する。これにより日本で生まれたインスタントラーメンは世界食となっていく過程も必見である。2000年代に開発が始まった無重力状態でも食べるための宇宙食ラーメン「スペース・ラム」の成功も興味深い。

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♣ 酪農と乳の歴史館(雪印メグミルク)                

所在地:北海道札幌市東区苗穂町6丁目1番1 号9 Tel.011-704-232
HP: https://www.meg-snow.com/fun/factory/sapporo/   

酪農と乳の歴史館

 → 北海道を代表する乳業メーカー「雪印メグミルク」の企業ミュージアムで、雪印乳業の創業50周年記念事業として1977年に開館。館内では、乳製品の製造機器や工場の1/30模型、バターチャーン、創業時使用した製造機など約850点の展示品が並んでいる。創業以来の歴史を物語る重要な文献や貴重な資料、実際に使用されていた乳製品の製造機械を展示している。隣接する札幌工場で牛乳が作られている過程も見られる。

雪印の歴史を展示
主力商品の展示

・参考:https://www.visit-hokkaido.jp/spot/detail_10077.html
・参考:北海道デジタルミュージアムhttps://hokkaido-digital-museum.jp/facility/megmilk-snow-brand-museum/

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♣ カゴメ記念館〔トマト加工品〕 

所在地:愛知県東海市荒尾町東屋敷108番地  Tel.052-603-1161
HP: https://www.kagome.co.jp/company/
・参考:カゴメの歴史https://www.kagome.co.jp/company/about/history/
・参考:(http://japannavi.co.jp/chita/sightseeing/all/00153.html?mode=sp)

 → カゴメ社を創業した蟹江一太郎の創業時の想いやカゴメの商品や歴史を示す記念館。明治41年に日本で初めてトマトケチャップとウスターソースを売り出したカゴメのj事業発展を時系列で展示、貴重な資料や当時使っていた道具などがみられる。

 カゴメの歴史は、1899年(明治32年)に一太郎が西洋野菜の栽培に着手した頃から始まる。1906年には、東海市荒尾町西屋敷に工場を建設してトマトソースの本格的生産に入った。西洋料理の普及に伴って需要は拡大、1917年、カゴメ印の商品登録、1933にはトマトジュースを発売して成功している。戦後は、各地に工場を建設して消費ブームにのって売り上げを伸ばし、野菜ジュース、ケチャップなどの生産で全国ブランドを確立している。近年では、全国8ケ所に直営農園を所有しており、そこで作られたトマトは、スーパーでも販売されるという農産企業の面も持つ[5]。このうち農園と工場がある長野県諏訪郡富士見町には、隣接地にテーマパーク「カゴメ野菜生活ファーム富士見」も開設している。「現在、自然を、おいしく、楽しく」をブランド・ステートメントとする会社として、各種の食品を市場に投入している。

蟹江一太郎像
・参考:カゴメの歴史https://www.kagome.co.jp/company/about/history/


 近年では、全国8ケ所に直営農園を所有しており、そこで作られたトマトは、スーパーでも販売されるという農産企業の面も持つ[5]。このうち農園と工場がある長野県諏訪郡富士見町には、隣接地にテーマパーク「カゴメ野菜生活ファーム富士見」も開設している。「現在、自然を、おいしく、楽しく」をブランド・ステートメントとする会社として、各種の食品を市場に投入している。・参照:カゴメ – Wikipedia


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♣ スパイス展示館(S&B)

所在地:東京都板橋区宮本町 38-8 Tel. 03-3558-5531 (一般には非公開)
HP: https://www.sbfoods.co.jp/sbsoken/tenjikan

スパイス展示館の建物

 → エスビー食品グループ従業員を対象に設立した研修施設兼展示館。スパイスやハーブの未来を考えエスビー食品の歴史と伝統・創業者の想いを伝承するため設けられたという。創業から100年間の企業・商品の変遷や商品開発エピソードの展示、スパイス&ハーブ基礎情報や香り体験コンテンツなどの施設を備えている。残念ながら一般非公開。
・参考:非公開の社員向け施設「スパイス展示館」に潜入|@DIME アットダイムhttps://dime.jp/genre/1542242/

館内モニュメント
S&Bの社歴展示
歴代の商品展示

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♣ 製粉ミュージアム(日清製粉)            

所在地:群馬県館林市 栄町6-1  Tel.0276-71-2000
HP: https://www.nisshin.com/museum/main.html

製粉ミュージアムの本館建物

 → 日清製粉グループの世界的にも珍しい製粉をテーマにしたミュージアム。本館と新館があり、新館では、最新の製粉技術をわかりやすく解説、小麦や小麦粉に関する様々な知識を学ぶことができる。本館では、時代を追って日清製粉の創業の歩みを紹介、建物は創業期より事務所として使われていたもので、近代産業遺産にも指定されている。ここでは明治の機械製粉黎明期の様子から最新の製粉テクノロジーまで、製粉にまつわる幅広い知識を集約紹介している。

新館展示スペース

  新館展示の中身をみると、企業歴史ギャラリー、正田貞一郎ギャラリー、創業期ロール機、アーカイブがあり、新館では、新旧ロール機展示、製粉工場パノラマシアター、製粉技術のいま、小麦研究所、大型プロジェクター映像が備えられている。
 ちなみに、日清製粉は群馬県館林市で日本初の機械製粉を行った「館林製粉株式会社」を前身とする企業。製粉分野では日本国内最大であり、ニップン、昭和産業、日東富士製粉とともに製粉大手4社を構成している。ミュージアムでは、この日清製粉の創業から事業発展の過程を展示で詳しく紹介している。この経過も興味深い。また、

<日清製粉の創業と展開>

正田貞一郎
館林製粉開業式(1901年)

 → 日清製粉の創業者は正田貞一郎氏で、生家正田家は群馬県館林の米穀商と醤油醸造を経営する裕福な家柄であった。明治になり、正田家の事業を引き継いだ貞一郎は、これまでとは別の事業を起こすことを決意、地元で産出される小麦の将来性に着目して製粉業を興すことにした。それまでの製粉業界では「水車」を用いた製粉が主流であったが、貞一郎は「動力機械」を活用する近代的な製粉事業を開始する。こうして、1900年(明治33年)に「館林製粉株式会社」が誕生する。機械式製粉業には莫大な資金を必要としたが、正田家の財力を背景に対外援助も得てなんとか事業を開始できたという。翌年、小麦粉の原料は、佐野・石岡・土浦・水戸などの周辺産地から買い付けを実施、完成した小麦粉は「製麺用」として供給している。当時の麺需要の増大、要東武鉄道の開通もあり市場を事業は順調に滑り出したとされる。

創業期に使われたロール機
創業に使われた事務室
初期の工場

 一方、市場を全国に広げることを目指して、当時営業不調となっていた製粉会社「旧日清製粉」を合併、1908年には、企業合併を図り社名を館林製粉から「日清製粉」と改めている。また、当初から建設を進めていた横浜工場が完成、1909年には需要拡大も受け生産能力は900万バーレルに引き上げられている。また、1918年には、横浜工場内に化学研究所を開設、 化学研究の一環でグルテン検出する方法を開発したほか、原料小麦の調査も進めるなどして品質向上を図っている。そして、1919年には横浜工場内で食パンの量産を開始、「東京製パン株式会社」も設立している。これにより事業の基礎が出来上がったことになる。ミュージアムの歴史ゾーンでは、これら創業から事業の基礎を築くまでの過程を、数々の書類、装備機械、年譜などで詳しく展示解説している。
  また、製粉ミュージアムのある館林には、日清製粉事業の基盤となった正田醤油と正田家成立の記念館「正田醤油記念館が」があり、これについてもここで触れておく。

・参考:特別企画展「正田貞一郎展」https://www.nisshin.com/museum/teiichiro_shoda/
・参考:館林が発祥!日清製粉「製粉ミュージアム」タイムズクラブhttps://www.timesclub.jp/sp/tanomachi_ex/gunma/tatebayashi/001.html
・参考:製粉ミュージアム- ふじ・ふじブログhttps://fujisannoblog.com/post-10933/
・参考:日清製粉 – Wikipedia

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♣ 正田醤油正田記念館

所在地:群馬県館林市栄町3-1  Tel. 0276-74-8100
HP: https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

・参考:正田醤油正田記念館 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/139578
・参考:正田醤油株式会社| 施設案内 |正田記念館見学 https://www.shoda.co.jp/facility/kinenkan

正田記念館

 → 正田記念館は、嘉永6年(1853年)に居宅・店舗として2代正田文右衛門が創建した建物を記念館としたもの。明治6年(1873年)、江戸時代から続く米穀商「米文」を3代正田文右衛門が引継ぎ、将来性あるとみた醤油醸造業へと転身、正田醤油として発展させた。以来、建物は(1986年まで本社屋として使用され、現在は登録有形文化財に指定されている。「正田記念館」では、正田家300年の家系図に始まり、創業当時の醸造道具や昭和初期のポスターなど、江戸時代から明治、大正、昭和にかけての記念品を数多く陳列、正田300年の歴史を詳しく記録している。

正田文右衛門(三代)
記念館の展示室
歴代の醤油道具

 この記念館は、同時に、現日清製粉の創業者である日清製粉の創業者正田貞一郎氏の生まれた正田家のルーツを示すものとなっている。ちなみに、正田貞一郎氏は上皇后となった美智子様の祖父に当たる。

・参照:https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20231030/se1/00m/020/003000d
・参照:里沼(SATO-NUMA)|日本遺産ポータルサイトhttps://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story070/
・参照::会社概要・沿革 正田醤油株式会社https://www.shoda.co.jp/corpo/profile

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♣ 世界食文化博物館(日本食研)    

所在地:愛媛県今治市富田新港1丁目3番地  Tel.0898-47-2281
HP: https://www.nihonshokken.co.jp/factory-tour.htm

→ 日本食研ホールディングス(株)の愛媛本社敷地内にある食をテーマにした博物館。KO宮殿工場、世界食文化博物館、日本食研歴史館、日本食研商品展示館の4か所からなり、工場見学とセットになった見学施設となっている。宮殿食文化博物館(「KO宮殿工場」)は、オーストリアの首都ウィーンにあるベルベデーレ宮殿をモチーフにして作られた豪華なもの。日本食研の調味料の製造工程も見学できる。主な展示品としては、中世ヨーロッパを代表するパプスブルグ家の宮延晩餐会料理の再現模型、三大香辛料原木の模型、世界24カ国王室御用達品、世界61カ国602種類の調味料、世界99カ国196種類の料理模型、世界の食事道具250点などがある。  ちなみに、日本食研は、1971年に大沢一彦現会長ら6名で畜産加工研究所として創業した会社。業務用のたれの出荷量では国内シェア約50%でトップの売上を誇っている。

宮殿食文化博物館
世界食文化博物館
日本食研歴史館


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♣ UCCコーヒー博物館 

 所在地: 神戸市中央区港島中町6丁目6-2  Tel.078-302-8880
HP: https://www.ucc.co.jp/museum/

イスラム寺院を模したUCC博物館

 → 日本で唯一のコーヒーのみをテーマにした博物館。UCC上島珈琲が神戸ポートアイランド博覧会に出展した施設を基に「UCCコーヒー博物館」として1981年に開設した。その後、コーヒー文化発祥のイスラム教のモスクを模した外観に変更、コーヒー学の確立とコーヒー文化の普及を目的に掲げて1987年にリニューアルオープンした。コーヒーを起源、栽培、流通、加工、文化、情報の6つのテーマに分け、わかりやすく展示している。 特別展示室では「 UCCヒストリー」コーナーもあり、上島珈琲の沿革も記されている。また博物館に併設されている喫茶室「コーヒーロード」ではターキッシュ・コーヒーなど、日本ではここでしか味わえない珍しいコーヒーも提供している。
 ちなみに、博物館を運営するUCC上島珈琲(呼称のUCCは”Ueshima Coffee Co.,Ltd.”の頭文字に由来)は神戸市に本社を置くコーヒーを中心とした飲料・食品メーカー。この背景は次のようである。

コーヒーの栽培展示
コーヒーの鑑定作業展示
コーヒーの焙煎展示

<UCC上島珈琲の沿革>

上島忠雄
上島珈琲株式会社設立(1951)

   UCC上島珈琲は、上島忠雄が、1933年にコーヒーを中心とした食品飲料を扱う上島商店を創業したのがはじまり。1951年に「上島珈琲株式会社」を創立、1958年にはUCCコーヒーショップ」を1号店博多に開店している。発足以来、レギュラーコーヒーのみを扱ってきたが、1969年に世界初のミルク入り缶コーヒー「UCCコーヒーミルク入り」を発売したことで、その名を知られるようになった。1970年には、日本で初めて真空包装レギュラーコーヒーの製造を開始している。現在、自社のコーヒー農園を各地に展開しており、1981年にジャマイカでブルーマウンテンの農園を開設。1989年にはハワイ島でコナコーヒーの農園を開設させた。他にも1995年にはインドネシアスマトラ島でマンデリンの農園を開設するなど、世界的規模でコーヒーを扱っている。

缶コーヒー
真空包装コーヒー
ジャマイカのコーヒーの農園
UCC大阪綜合工場

・参照UCC上島珈琲株式会社 | 沿革https://www.ucc.co.jp/company/history/
・参照:UCCコーヒー博物館 – Wikipedia
・参照:UCCコーヒー博物館とは?| Coffeemecca https://coffeemecca.jp/business/13644

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♣ あずきミュージアム    

所在地:兵庫県姫路市阿保甲611番地の1  Tel.079-282-2380
HP: (https://www.gozasoro.co.jp/azukimuseum)

あずきミュージアム外観

 → 地元で「回転焼の老舗」として知られる和菓子メーカー御座候が、アメの主原料であるアズキの文化の伝承と創造活動の拠点とすべく2009年に開設した企業博物館。「あずき文化」を伝えるため、アズキの原産地である照葉樹林帯をイメージした里山庭園と一体で設計されていて興味深い。外壁をアズキ色に施された博物館の内部は、各階に跨って展示室が配置され、吹き抜けの展示室に置かれた実物10倍大の模型「10倍アズキ」を中心に、同心円状の回遊動線が設けられている。 この博物館は、2013年、日本展示学会賞作品賞を受賞している。

あずきの王様「エリモショウズ」の模型
様々なあずき
あずきの加工工場

・参照:あずきミュージアム – Wikipedia
・参考:世界初の「あずきミュージアム」へ出かけようhttps://article.yahoo.co.jp/detail/e84038fb631691f5e1a9d24e850e742669a35390

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♣ ふじのくに茶の都ミュージアム(旧:お茶の郷博物館)     

所在地:静岡県島田市金谷富士見町3053番地  Tel. 0547-46-5588
HP:https://tea-museum.jp

 → 世界と日本のお茶の世界を紹介する珍しい「お茶」の博物館。多彩で豊かなお茶の世界を再現している。常設展では、お茶の起源と世界へのお茶の広がりや日本及び静岡のお茶について展示、お茶の産業、文化、歴史、民俗などを実物資料だけでなく映像や実演によって分かりやすく紹介している。世界のお茶、日本のお茶の幕開け、茶の都しずおかのあゆみ、茶の都しずおかの誇り、お茶の新時代といったテーマでの展示である。このほか企画展の展示もあり2024年では「絵画資料からみるお茶」が催された。

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♣ 茨城県きのこ博士館(那珂市)  )          

所在地:茨城県那珂市戸4603  Tel.029-297-0198
HP: (https://www.ibaraki.biz/kinoko.html

きのこ博士館外観

 → 「きのこ」や「植物」たちがつくる「不思議なふしぎな森の世界」を再現する珍しい植物博物館園。きのこや山菜、うるし、竹などの種類や形態はもちろん、人との係わりから森林の役割まで、楽しみながら学べる施設として平成10年に開館した。幻想的な雰囲気の楽しめる館内には、8つの展示室があり、映像や模型などで「きのこ」についてわかりやすく展示してある。

多彩なキノコが見える展示
キノコ模型

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♣ 壱番屋記念館(カレーチェーン)

第1号店と「壱番屋記念館」

所在地:愛知県清須市西枇杷島町末広31  Tel. 0586-76-7545

→ 国内に1200店、海外に200店を数えるカレー専門チェーン店で知られる「CoCo一番館」の創設と発展の歴史を伝える記念館。歴代のユニフォーム、主要店舗の写真などを展示。写真はリニューアルされた後の第1号店の西枇杷島店、右隣に「壱番屋記念館」
・参照:(https://www.ichibanya.co.jp/comp/fresh/assets/include/break-commemoration.html) 

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♣ 宇治・上林記念館(お茶)

宇治茶師の長屋門

所在地:宇治市宇治妙楽38番地  Tel.0774-22-2509
HP: (https://www.shunsho.co.jp/facilities/

 → 宇治茶の知られる老舗「上林春松家」に伝わる歴史資料を公開するお茶の記念館。禁裡・幕府や大名家に茶を運んだ呂宋壺や豊臣秀吉の書状などを展示している。四百五十年の歴史を誇る上林春松家は「御物御茶師」として幕府御用のお茶を作るための茶園管理、製造・精製、そして御物茶壺に葉茶(碾茶)を詰める茶詰めという仕事に従事。この歴史を刻む数々の品を所蔵している。

幕府拝領の茶壺
宇治・上林記念館の内部

・参照:上林春松本店https://www.shunsho.co.jp/chashi/
・参照:上林春松本店https://www.shunsho.co.jp/facilities/

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♣ 胡麻の郷  (ごま製品)         

所在地:岐阜県不破郡関ヶ原町玉1668-10  Tel.0584-43-0073
HP: https://www.shinsei-ip.ne.jp/goma/museum.html
・参考:岐阜の旅ガイドhttps://www.kankou-gifu.jp/spot/detail_6132.html 

胡麻の郷資料館
館内展示

→ 胡麻の郷は、胡麻製品の製造工場に併設したテーマパークで、家族連れの見学、観光博物館。胡麻の歴史や起源、製法、世界の“ごま文化”など胡麻に関する情報を提供している。ゴマを使った食品やお菓子などを豊富にそろえた展示もある。

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♣ 男爵資料館(食品・ジャガイモ)     

所在地:北海道北斗市当別4丁目3-1  Tel.0138-75-2894
HP: https://www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/846.html)

男爵資料館

 →「男爵いも」の生みの親「川田龍吉男爵」の農場跡地を利用した資料館。1900年代アメリカ農場風景が感じられる西洋式木製のサイロや牛舎などの建物を利用している。
 館内には新しもの好きなハイカラ男爵川田が明治~大正時代に欧米より取り寄せた珍しい品々を約5,000点展示している。1910年代の米国製トラクター、グレンドリル、中でも日本最古の車「ロコモビル蒸気自動車」(日本で当館だけが所有)は非常に貴重なものといわれる。

資料館内部
河田の蒐集資料展示
ロコモビル

<男爵いもの誕生> 

川田龍吉
男爵薯発祥の地 碑

 日本銀行総裁川田小一郎(男爵)の長男だった川田龍吉は、明治39年、函館ドック会社専務取締役として北海道へ渡った後、ドックの仕事のかたわら、七飯村(現七飯町)に10数町歩の農地を買い農場を開設した。ここで様々な品種の馬鈴薯を試作したが、米国「バーバンク種苗会社」より輸入した「アイリッシュ・コブラー」が早熟かつ病害虫に強い品種であることを確認、その普及を図った。これが後に「男爵」と名づけられ、北海道はもとより日本全国で責重な品種となり「男爵薯」の誕生となった。
 ・参照:川田 龍吉〜函館ゆかりの人物伝 https://www.zaidan-hakodate.com/jimbutsu/02_ka/02-kawada.html
・参照:ジャガイモ博物館、記念碑,川田男爵 https://potato-museum.jrt.gr.jp/album.html

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♣ 揖保乃糸・そうめんの里         

所在地:兵庫県たつの市神岡町奥村56番地  Tel..0791-65-9000
HP: https://www.ibonoito.or.jp

揖保乃糸・そうめんの里

→ 播磨を代表する伝統産業手延べそうめん「揖保乃糸」のの歴史を学びながら、そうめんの味わいや製造工程を体験できる。明治期のそうめん造りの様子を描いたエントランスの模型やシアターで製造工程を見学できる。

そうめん作業の展示
館内の展示場

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(水産物、水産加工品などの資料館)

♣ 水産振興資料館(豊海おさかなミュージアム) ) 

所在地:東京都中央区豊海町5番1号 豊海センタービル7階  Tel.03-3533-8111
HP: (https://lib.suisan-shinkou.or.jp/shiryokan/

おさかなミュージアム入口

→ 東京水産振興会が60年以上の事業のなかで蓄積してきた膨大な水産関連資料の一部を閲覧できる。魚や漁業、海に関する映像や情報を紹介する常設展と、月に1回程度入れ替えを行って旬の魚などを紹介する特別展示、食育セミナーやイベントを通じて水産の情報や魅力を発信している。Web版解説ノートも提供されており魚に関する情報提供を広くおこなっている。

館内展示風景
おさかな探検展示
魚食の振興展示

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♣ ニッスイ・パイオニア館 

所在地:北九州市戸畑区銀座2-6-7 ニッスイ戸畑ビル1F  Tel.093-541-4151
HP: (https://www.gururich-kitaq.com/spot/nissui-pioneer-museum)       

ニッスイ・パイオニア館

 → トロール漁船から始まったニッスイと戸畑港の歴史を記す博物資料館で、1911年の創業から100年を機に開設された。水産に関連する装舵輪、無線設備、航海灯、漁網など多数展示している。「ニッスイ」と言えば、冷凍食品で有名だが、水産資源の有効活用をめざし様々な事業に取り組んでおり、その歴史的資料や企業理念などを詳しく紹介している。「歴史展示室」にある世界の有用魚種350種を網羅した「日本水産漁譜」は、海洋生物を微細にわたり正確に描き着色したもので必見。「船の展示室」には、船員の訓練用操船シュミレーターが設置され、船の操縦も体験できる。

館内の展示場
漁船などの館内展示

          

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♣ サーモンミュージアム(マルハニチロ)

所在地:函館市五稜郭町37番8号  Tel.0138-23-5480
HP:   (https://www.maruha-nichiro.co.jp/salmon/)      

マルハニチ本社

 → マルハニチロは、1880年に創業した遠洋漁業・捕鯨・水産加工大手のマルハ(旧・大洋漁業)と1906年に創業の北洋漁業・水産加工大手のニチロ(旧・日魯漁業)を起源とし、2014年に両者が合併して誕生した水産加工会社。このマルハニチロが開設した「鮭の漁業」、「鮭と食」、「鮭と文化」、「鮭と環境」など鮭漁業に関するバーチャル博物館。サケマス図鑑、サケと食、サケと文化、サケの漁業、サケと環境などの資料を提供している。サケと食では、サケの加工、食材、栄養、ごちそうレシピなどの有用情報が盛られている。サケの漁業(サケ漁の歴史)では、古代からの鮭漁業の変遷が解説されていて興味深い。

Web上のサケマス図鑑
流し網漁業の船団
さけ定置網漁の様子

 

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♣ 鈴廣かまぼこ博物館  (小田原)

所在地:神奈川県小田原市風祭245 Tel. 0120-07-4547
HP: https://www.kamaboko.com/museum/)       

かまぼこ博物館

 → 鈴廣かまぼこ博物館は、かまぼこの歴史や特色、素材や栄養のことなど学べる博物館。「かまぼこ手づくり体験教室」をはじめ、ガラス越しにかまぼこ職人たちの熟練の技を見られる「見る工場」、かまぼこの歴史・栄養について学べる「かまぼこ百科」、「かまぼこの科学」などの展示のほか、「かまぼこ板絵美術館」でかまぼこ板をキャンバスにしたユニークなアート作品も展示している。

かまぼこ工場
かまぼこ製作

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(家庭食品の博物館 了)

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「食と農」の博物館(1) 農業技術の歴史と機構(博物館紹介)

    ―日本の農業発展と食文化の歴史と進化を占うー(1) 技術と農具ー 

 このセクションでは、日本の食文化がどのように形成され発展してきたかを、農業技術発展、食品技術の発展、食品開発の観点から展示する博物館を紹介している。また、各地に伝わる多様な食品、食材、菓子の特徴、メーカーの活躍などを“ものづくり”のこだわりが示されている。これを農業開発、家庭用一般食品、水産加工、発酵食品、酒造(洋酒、日本酒)などが日本でどのように生まれ発展してきたかを、各地にある資料館・博物館から眺めてみることにした。これら博物史料施設は多様であり、かつ数も非常に多い。この紹介コーナーではできるだけ沢山の施設を取り上げたが、漏れたものも多々あると思う。他のデータなどで補って欲しい。 第一回は「食」を支える農業技術の発展と機構

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 第一回「食」を支える農業技術の歴史と機構

(農総研、農協の博物館)

♣  農研機構の「食と農の科学館」)       

所在地:茨城県つくば市観音台3-1-1   Tel.029-838-8980
HP: https://www.naro.go.jp/tarh/
・参考:つくばの農研機構「食と農の科学館」を訪問https://igsforum.com/2023/04/29/shokuto-noh-kagakum-jj-pt01/

食と農の科学館入り口

→ 農研機構(NATO)の提供する博物館で、日本の食と農業に関連した新品種の紹介など新しい研究成果や技術を説明した包括的な研究資料館となっている。館内には研究成果を紹介するエリアと農業技術発達資料館の2つのエリアがあり、前者では、高付加価値を持つ農産物や食品の研究、後者では、日本でこれまで実際に使われ工夫されてきた農具、機械類を紹介している。

館内展示スペース

 展示は、日本の農村農業の抱える全般的課題、今後の農業あり方、省力化機械化、生産性向上などの課題を農業技術開発研究の点から検討する構成となっている。日本で蓄積されてきた水田畑作の技術力の活用と新技術の開発、土地生産性、労働生産性の向上のための工夫、高品質作物の生産促進を促す技術開発が主要なテーマである。具体的には、米、多様な穀物、野菜、果実などの高品質で安定的な生産技術、品種改良、病虫害防御、農業生産の省力化などに結びつく研究成果の紹介が中心となっている。 ここでは豊富な実験資料と研究成果の紹介など、日本の農業に関する現状と将来をみていく中で欠かせない情報を提供している。

食パン用米「ゆめちから」
トマトの「食物工場」
農場使用のドローン
各地の土壌分析
海外向けの新種果物

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なお、農研機構(NARO:国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構)は、農林水産各分野の専門研究センターのほか、北海道、東北、中日本、西日本、九州沖縄の各地域に農業研究センターを設立している。

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♣ 国際農林水産業研究センター(国際農研)

所在地:茨城県つくば市大わし1-1 Tel. 029-838-6313

国際農研の活動

HP: https://www.jircas.go.jp/ja

→ 国際農研は、開発途上地域などの農林水産業に関する技術向上、試験研究の推進、国内外の資料の収集・整理と分析結果の提供などを行う研究センター。農林水産省熱帯農業研究センター(TARC)を経て、2001年、国際農林水産業研究センターとして設立している。沖縄県石垣市に熱帯・島嶼研究拠点を設けている。

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♣ 農協記念館(北海道)

農協記念館外(士幌町)

所在地:北海道河東郡士幌町字士幌225番地20 
TEL/01564-5-3511
HP: https://www.ja-shihoro.or.jp/hall/

→ 北海道士幌町農協の歴史や事業を紹介すると共に、士幌農業を築いた太田寛一氏の業績を伝える記念館。士幌町農業協同組合創立60周年記念事業の一環として建設、農業研修や加工実習等を通じて、士幌の農業と農協活動を紹介している。

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♣ 秋田県立農業科学館

所在地:秋田県大仙市内小友字中沢171-4
HP: http://www.obako.or.jp/sun-agrin/

農業科学館全景

 → 秋田県の農業に関する知識を広めることを目的として1997年に設立、地池で築き上げてきた農業・林業・農山村生活・民俗に理解を深めることができる。第一展示室では、江戸時代から昭和30年代までの秋田県農業の変遷と稲作機械化以前の農山村の姿を展示、いて学ぶことができます。第二展示室: は農業と科学、食や農、県内農業の新しい情報などを提供、熱帯温室もあり、200種類の熱帯・亜熱帯植物が植栽されている。

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♣ 水原ふるさと農業歴史資料館(阿賀野市)

所在地:新潟県阿賀野市外城町10-5  Tel. 0250-63-1722
HP: https://www.city.agano.niigata.jp/soshiki/shokokankoka/kanko/4/2233.html

農業歴史資料館

 → この農業歴史資料館では、昔の農具、民具、出土品など農業関連の資料を提示するほか、農家の居間を再現、また併設している水原代官所に関する資料や当時のまちの歴史資料を展示している。

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♣ 庄内米歴史資料館 (JA全農山形)

所在地:山形県山形市七日町三丁目1番16号
HP; https://www.zennoh-yamagata.or.jp/topics/p-0362

庄内米歴史資料
資料館内展示

→ この資料館は、明治26年頃、米の保存と集積を目的に酒田米穀取引所の倉庫(山居倉庫)の1棟を改装し、米、特に庄内米にの資料や農具などが保存展示したもの。国指定史跡となった米どころ庄内のシンボルともなっている。

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(大学の農業博物館)

♣ 東京農業大学・食と農の博物館

所在地: 東京都世田谷区上用賀2-4-28  TEL:03-5477-4033
HP: https://www.nodai.ac.jp/campus/facilities/syokutonou/

東京農大世田谷キャンパス

 → 東京・世田谷の東京農業大学のキャンパスに設けられた「食と農」を題材とした博物館。東京農大は、前身を含めると130年の長い歴史を誇る農業関係の総合大学。それだけに、博物館は豊富な内容の農学標本と展示品を所蔵している。常設展示では、鶏の剥製標本、稲の標本、農具、酒造具や酒器、材木標本、日本の古民家再現展示などのほか、珍しいものでは、農大卒業生OBの酒造器紹介、各地の農産食品展示、二母性マウスなどの展示が見られる。また、日本における農学発展の歴史を刻む東京農大の歴史展示も興味深い展示である。隣接地には「バイオリウム」と名付けられた熱帯動植物園も設けられている。農業の歴史と農産品に関心のある人には訪ねる価値のある博物館の一つであろう。

復元された農家
米作り作業の模型
古い農具展示

<展示にみる江戸と明治の農学発展>

宮崎安貞
「農業全書」

 → 農業科学の歴史をみると、江戸時代から「本草学」という形の植物・薬学、農法知識は相当幅広く広がっていた。ちなみに、貝原益軒は『大和本草』を著して日本の動植物、農産物の分類・解説を行い、宮崎安貞は著書「農業全書」によって、穀物、野菜などの栽培方法、家畜飼育方法などの農業技術の普及に努めている。しかし、科学的な知識に基づく「農学」が日本に根付いたのは明治以降のことであった。北海道に招致されたクラーク博士の「札幌農学校」はこの嚆矢。

横井時敬
榎本武揚

   これと前後して、1878年(明治11年)、明治政府は東京に駒場農学校(後の東京大学農学部)を設置して、農学に関する総合教育・研究を開始している。 民間では、1891年、北海道開拓に関わった榎本武揚が「徳川育英会育英黌」農業科を設置、現在の東京農業大学農学教育の基礎を築いている。この初期の学長が横井時敬で実践教育を主導した農学教育の先駆者と見なされている。このように明治初期の明治政府にとって、生糸、茶などの輸出振興と食糧増産は、最も重要な政策課題の一つで、西洋技術を応用した農業振興(勘農政策)、農業教育が非常に重視された。こういった中で、明治に起源をもつ東京農業大学が農学教育の大きな役割を担い、現在でものその伝統は生きているようだ。

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♣ 東京大学 生態調和農学機構 農場博物館

所在地:東京都西東京市緑町1丁目1
HP:  https://www.isas.a.u-tokyo.ac.jp/museum/index.html

 → 農場博物館では、常設展示として農場が駒場にあった時代(1878~1935年)、農場で実際に使われた農機具や標本などとして収集された農機具・実験機器を展示している(駒場農学校コレクション)。いずれも、文化財的価値のある図解や書籍を中心に、「農業」・「食」の原点をテーマとした展示がなされている。ちなみに、農場本場は、1935年、駒場の地から現在の西東京市へと移り、2010年の組織改編によって附属生態調和農学機構の耕地および緑地フィールドへと名称変更している。博物館の母体となる農学校は、駒場農学校、東京農林学校、帝国大学農科大学附属、東京帝国大学農科大学附属、東京帝国大学農学部附属、東京大学農学部附属、東京大学大学院農学生命科学研究科附属へと変遷してきている。これらを通じ、大学機構は常に日本の農業科学の研究、実践において先進的な役割を担ってきたと見ることができる。(東大農場の歴史年表参照(https://www.isas.a.u-tokyo.ac.jp/museum/collections/komaba.html

コレクション(1)駒場農学校
コレクション(2)Bolensトラクタ –

コレクション(3) -獨逸農事圖解

・展示物:コレクション -駒場農学校 -農場博物館コレクション -Bolensトラクタ -農場博物館コレクション -獨逸農事圖解 -農場博物館コレクション -教草 -農場博物館展示 -トロッコ -農場博物館

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♣ 宮崎大学農学部 附属農業博物館

所在地:宮崎市学園木花台西1-1 宮崎大学木花キャンパス内 Tel. 0985-58-2898
HP: https://www.miyazaki-u.ac.jp/museum/

宮崎大学農学部
宮崎の農業 展示

 → 博物館は、本館のものと分館のもの分かれており、本館では、農・林・畜・水産業に関した資料、最新の研究とその成果を紹介、分館では、視聴覚機材を備えた講義室、実験室がある。常設展示として、宮崎の土壌、森のめぐみ、稲作の起源、宮崎の農業全般の展示があり、宮崎大学農学部の前身である宮崎高等農林学校から今日の農学部にいたるまでの歴史資料が紹介されている。

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♣ 農業教育資料館(岩手大学)

所在地:盛岡市上田3丁目18-8  Tel. 019-621-667
HP: https://www.iwate-u.ac.jp/academics/facility/hmae.html

農業教育資料館の建物

→ 明治35年に創立された盛岡高等農林学校本館に設けられた教育資料館(国の重要文化財)。創立当時の教育研究に使われた実験器具、教材用標本、幻灯機用スライドや図譜類、その他の歴史的資料が展示紹介されている。特に、寒冷地東北での農業、凶冷対策などの研究成果は注目されている。また、岩手大学農学部は宮沢賢治との縁も深く、宮沢の記念品も展示する「宮沢賢治センター」も設けられている。

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♣ 北海道大学植物園(北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園)

所在地:北海道札幌市中央区北3条西8丁目  Tel. 011-221-0066
HP: https://www.hokudai.ac.jp/fsc/bg/

クラーク
農学校時代の植物園の姿

 → 植物園では、高山植物など北海道の自生植物を中心に約4000種類の植物が育成されている。そのほか博物館や北方民族資料室では、北海道の開拓や先住民族の生活・文化に関する貴重な資料を見ることができる。この植物園の歴史は、1877(明治10)年に、札幌農学校教頭W.S.クラークが植物学教育には植物園が必要であると進言したことに始まる。その後、植物園用地(現在地)が札幌農学校に移管され、初代園長となる宮部金吾が設計し、1886(明治19)年に開園した日本で2番目に古い植物園である。冷温帯種を主とした植物の分類・記載、標本・遺伝子資源の研究には欠かせない植物園となっている。

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(農業機械器具の歴史博物館)

♣ 農研機構「農業技術発達資料館」
    ―農業機械黎明期の機械と史料の博物館―

所在地:茨城県つくば市観音台3-1-1 (食と農の科学館内)
HP: https://www.naro.go.jp/tarh/floor/museum.html

・参考:「農業技術発展資料館」の見学https://igsforum.com/2023/05/06/nohgyotech-nogu-m-jj/
・参考:機械遺産:https://www.jsme.or.jp/kikaiisan/heritage_063_jp.html

農業技術発達資料館」

→ 資料館は、「食と農の科学館」の付設資料館として設立されたもの。先史以来、「米」は、日本人にとってなくてはならない主要食糧で社会的「富」の象徴であった。また、稲作をどのように進めるかは、常に経済・社会の基本テーマでもあった。この「資料館」見学は、このことを自覚させてくれる。水田耕作を中心とする米つくりは、田作り耕作、播種、施肥、刈取り、脱穀といった複数の工程から成り立っている。また、必要な用具(農機具)も多種多様で、この善し悪しが米の収穫、品質、生産力と作業効率に大きく影響する。このため、農具については古来より様々な智惠と工夫、発明がなされてきた。農業技術発達資料館は、この農具の発展を中心に、日本の稲作の発展、農業技術進歩の歴史を紹介している。

古代の農具
江戸時代の水車など
明治初期の農家
明治の農具
昭和のトラクターなど

 

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   古代の稲作と農具の改良、中世の土地制度と農業形態、江戸期の農業経営と農機具の革新、明治以降の新しい農業技術の導入と農機具の役割、昭和期の農機具の機械化、戦後期の農業経営と農機具の変化と時代をおって解説展示が行われている。また、資料館では、農業機具の実物展示のほか、明治以降の近代的農業の形成に大きな役割を果たした「農業試験所」の歴史にも触れていて興味深い。

<「農業試験所」の歴史と「農研機構」> 

旧農事試験場本館(創立当時)
澤野淳

 → 農業技術資料館の一部には、明治期に創設された「農業試験所」の歴史に関するパネル展示も用意されていて、日本の近代農業構築に関わる多くの事例と足跡を知ることができる。
 展示解説によれば、農業に関する試験研究が日本で組織的に行われるようになったのは明治時代以降であるとされる。明治政府は近代国家を目指した重要政策の一環として、海外から農業の専門家を招聘するとともに、多数の種子・農具の導入・試作・試験するための“農事試験研究施設”を設置した。このうち最も初期に設けられたもののひとつが、北海道開拓使によって1871年に札幌市に設立された「札幌官園」と「札幌農学校」。その後、相次いで「内藤新宿農事試験場」(東京新宿、1874)、「三田育種場」(東京三田、1877)、「駒場農学校」(東京・駒場、1878)、「播州葡萄園」(兵庫県、1880)が設立され、農業技術開発や試験、近代的な農学教育などが開始される。また、農商務省の「農事試験場」(東京西ヶ原、1893、初代所長澤野淳)の創立もほぼ同時期である。

農業技術研究所の碑(東京・滝野川)
東京大学農学部

 その後、北海道の「札幌農学校」は北海道大学、東京の「駒場農学校」は東京大学農学部に発展し、1893年創立の「東京農学校」(東京飯田橋)は東京農業大学へと発展、農業技術の研究、教育の中心となっていく。 また、国立の農業研究機関である「農事試験場」は、農業総合研究機構の基となる「農業技術研究所」となり、農業の実際面への応用のための農事試験と農事指導の中枢機関として発達していく。特に、品種改良,農具の開発、冷害対策などの理論面、実行面での試験研究の分野で大きく貢献している。研究の特色としては、個々の直接的な指導奨励よりももっぱら農業技術に関する基礎的な研究に重点をおいている。

農研機構
福島県農業研究センター

 そして、1948年、農業改良助長法の制定に伴い、都道府県における試験研究と普及事業の役割分担は明確化され、国の試験研究体制についても改革が進められた。その結果、国立の農業試験場については農業技術研究所、地域農業試験場の2種が設けられ、農林水産省の試験研究機関の時代を経て、2001年に国立研究開発法人、2016年に、現在の独立行政法人「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構」(農研機構)となっている。
 現在は、前身の農業技術研究所の業務を引き継ぎつつ、都道府県、大学、企業等との連携による共同研究や技術移転活動、農業生産者や消費者への普及活動を進めているという。
 ・参照:農業技術発展資料館の見学(近代農業技術導入の嚆矢「農業試験所」の歴史と「農研機構」)https://igsforum.com/2023/05/06/nohgyotech-nogu-m-jj/

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♣ 小岩井農場「まきば園」と小岩井農場資料館

所在地:岩手県岩手郡雫石町丸谷地36-1.Tel. 019-692-5575
HP: https://www.koiwai.co.jp/makiba/dayori/2015/07/post-419.html

 → 小岩井農場は、岩手県岩手郡雫石町と滝沢市にまたがって所在する日本最大の民間総合農場。総面積は約3,000ha、そのうち約2,000haが山林、約630haが耕地で、中央部の40haを「まきば園」として一般開放している。小岩井農場資料館は小岩井農場酪農発祥の地「上丸牛舎」構内にある。資料館では小岩井農場130余年のあゆみや現在の事業、農場内の文化財や宮沢賢治とのかかわりなどが展示している。小岩井農場は「日本の20世紀遺産20選」に選定されており、農場内には重要文化財に指定された歴史的建造物も多く存在し、重要文化財の保有・保存・修復・管理と研究・公開等の業務は公益財団法人小岩井農場財団が担っている

<小岩井農場の歴史遺産>

農場開設者達

 → 明治22年に日本鉄道東北本線敷設工事視察で鉄道庁長官の井上勝は岩手を来訪した際、森林自然を鉄道敷設で失わせた償いとして、荒野となっていた網張街道周辺の地に農場を開設することを決め、三菱社社長の岩崎彌之助から出資を受け、4,000haの未利用地を購入し1891年(明治24年)に農場を創設する。農場名は、日本鉄道副社長の小野、三菱社社長の岩崎、鉄道庁長官の井上の三名の頭文字をとって「小岩井農場」と名付けられた。井上が農場主、岩崎が出資者、小野が保証人にあたることになる。 

(輸入された種牡牛「S・ロメオ・フェーン号」(1924)
乳業事業開始(1901年頃)
昔の児湯賄農場の姿

その後、1899年(明治32年)に三菱のオーナー一族・岩崎家の所有となり、戦前は競走馬の育馬事業も行われた。第二次世界大戦後、GHQによる財閥解体で1947年に第一次農地解放、1950年に第二次農地解放が行われ、約1,000haが満蒙開拓引揚者等に払い下げられた。現在は、東京に本社を置く小岩井農牧株式会社の経営となり、小岩井農場の事業は、酪農事業、山林事業、環境緑化事業、観光事業、食品事業、品質保証・環境対応・技術支援分野で広く展開されている。

 小岩井農場資料館 
宮沢賢治詩碑

 この小岩井農場施設のうち建造物21棟は、2017年、重要文化財に指定されている。ついでながら、岩手県生まれの詩人・童話作家宮沢賢治は、花巻で農業指導者として活躍しながら、「風の又三郎」、「銀河鉄道の夜」などの創作活動を続け、地元岩手をモチーフとした理想郷”イーハトーブ” を舞台とした童話などのなかで、数多く小岩井農場にも触れている。小岩井牧場の上丸牛舎の近くに宮沢賢治詩碑も建てられている。

・参照:小岩井農場の歴史|小岩井農牧株式会社https://www.koiwai.co.jp/history
・参照: 小岩井農牧株式会社https://www.koiwai.co.jp/

<文化財としての小岩井農場>

重要文化財ギャラリー

 小岩井農場には、明治時代から昭和初期にかけて建設された牧畜関連の建築物がまとまって残っている。牛舎やサイロのほかに、事務所、倉庫、宿泊や職員の集会用の施設である「倶楽部」、煉瓦の躯体に土をかぶせた天然の冷蔵庫など、農場に関わる各種の建物が残っている。牛舎には大空間を確保するためにトラス架構が取り入れるなど、建築史のうえでも注目され、これらの建築群は日本の近代建築史、近代農業史を知るうえで価値が高い。これらの建物を使用しつつ保存するということが所有者である小岩井農牧の方針であり、文化庁もこうした所有者側の意向に理解を示している。牛舎では現在も牛が飼われており、現役の農場施設として使用しつつ保存するということで、文化財保存の新たな方向性を示している。

一号牛舎
旧育牛部倉庫
一号、二号サイロ

・参照:小岩井農場重要文化財ギャラリー https://koiwaizaidan.or.jp/gallery/index.html
・参照:小岩井農場 – Wikipedia

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♣ 大橋松雄農業機械歴史館(福岡九州クボタ)

所在地:福岡県久留米市田主丸町以真恵日渡1481 Tel. 0943-73-3751
HP: http://www.fukuokakyushu-kubota.co.jp/museum/

農業機械歴史館外観

 → この機械歴史館では、近代日本の農業発展を支えた農具・農機農業の歴史に関する数多くの展示を行っている。これらは、大橋松雄(元株式会社福岡クボタ会長)が、長年かけて収集してきた農具・農機具・農業機械を展示するもので、展示機械の大半が可動状態に復元整備を施されている。

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♣ 博物館「土の館」(スガノ農機)

所在地:北海道空知郡上富良野町西2線北25号 Tel. 0167-45-3055
HP: http://www.tsuchinoyakata.jp/page/page000009.html

「土の館」 本館

 →北海道の開墾に立ち向かった人々の農機具や、国内外から採取した土壌モノリス(標本)を展示している「土の館」。北海道の土壌の特色・土地改良・土づくりの苦労などを学ぶことができる。また、併設のトラクタ館は、黎明期からのトラクタを多数展示している。これらは、北海道遺産、日本機械学会の機械遺産にも認定されている。

トラクター館展示
上下反転自由プラウ 1952)
プラスチックプラウ(GY16×4 1947)

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♣ とかち農機具歴史館(帯広市)

所在地:北海道帯広市川西町基線61番地
HP: https://www.city.obihiro.hokkaido.jp/sangyo/nougyou/shisetsu/1005846.html

とかち農機具歴史館

 → 帯広・十勝地域で明治時代以降に使用された農機具を約150点展示し、農業機械の発展について理解を深める施設として、2009年に開館した歴史館。地域では、豆・ビート・いもなどの畑作物、米や亜麻などが栽培されてきたが、栽培に使用した農機具を「人力〜畜力〜機械化」といった時代の変遷が分かるように展示している。

畜力式プラウ
(明治~昭和初期)
畜力式ディスクハロー (昭和20年代~)
M. ハリス ペーサー (昭和30年代)

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♣ 井関邦三郎記念館

所在地:愛媛県宇和島市三間町務田180-1 Tel. 0895-58-1133
HP: https://www.iyokannet.jp/spot/3527

井関邦三郎記念館

 → 農機具メーカー井関農機の創設者井関邦三郎の記念館。同社が開発した農業機械のほかに、井関氏の歩みを紹介するパネルや、生家、かつての井関農具製作所復元の模型などを展示。大正15年頃の全自動籾すり機(複製)、昭和40年代のトラクター・コンバインなども展示されている。版画家畦地梅太郎の記念美術館が併設されているのも特色。

館内の展示
農機などの展示物

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♥ (参考資料):近代農業黎明期の史跡と資料館

 ここでは、近代農業形成期の史跡や資料館、農業の歴史を伝える記念館、史料館などを掲載している。

♣ 神宮農業館(伊勢神宮)

 所在地:三重県伊勢市神田久志本町1754-1 Tel. 0596-22-1700
HP: https://www.iseshima-kanko.jp/spot/1185

神宮農業館

 → 神宮農業館は1891年(明治24年)に創設された農業博物館。人間と自然の産物との関わりをテーマとした日本最初の産業博物館として知られる。「自然の産物がいかに役立つか」がテーマで、神宮御料地関係の資料や明治の農林水産業の貴重な資料などが展示されている。伊勢神宮の神宮徴古館・農業館ともに国の登録有形文化財である。

館内展示室
神宮関係農業展示物

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♣ 北海道開拓村 旧農商務省滝川種羊場機械庫

所在地:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1 Tel. 011-898-2692
HP: https://itproject.xyz/2019/11/03/kyuunousyoumusyoutakikawa/

滝川種羊場機械庫の建物

 → 滝川種羊場機械庫は北欧の建築様式を取り入れて設計された農業機械庫。 機械庫には、緬羊の飼料となる牧草の栽培に使用する大型農機具類、トラクター、耕作機械などが展示されており、そこには北海道農業開発の深い歴史が刻まれている。

機械庫の解説版
農具の展示
開拓初期の農具

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♣ 史跡・旧札幌農学校校舎(札幌市北区)

所在地:札幌市北区北9条西8丁目北海道大学構内
HP: https://www.city.sapporo.jp/kitaku/syoukai/rekishi/88sen/01_13.html

旧昆虫学教室(北海道大学内)

→ 北海道大学農学部前には、旧札幌農学校校舎である明治34(1901)年に建てられた旧昆虫学教室や、明治35(1902)年に建てられた旧図書館読書室など、農学校時代の建物が今も残っており、当時をしのぶことができる。また、現札幌時計台の建物も札幌農学校の「演舞場」であったところで史跡となっている。(国登録有形文化財)
・参照:札幌の今昔記:(https://sapporo-jouhoukan.jp/sapporo-siryoukan/lekishibunko/konjaku/hokudai/hokudai.html

開拓使仮学校跡の碑(東京・芝公園内)
札幌農学校の演武場と 北講堂
初期の札幌農学校の全景(1879年(明治12年))


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♣ 史跡・「新宿農事試験場」の跡

所在地:東京都新宿区内藤町11番地 TEL 03-3341-1461
・参考:https://fng.or.jp/shinjuku/2024/05/05/20240505-01/
・参考:新宿御苑から始まる農工大150周年(https://web.tuat.ac.jp/~museum/dm150/reference.html

明治8年に建てられた旧温室

 → 新宿御苑の「農事試験場」の跡。明治時代に入り、政府は江戸時代から続く内藤家の邸宅地と周辺地を購入、1872年(明治5年)に近代農業振興のための「内藤新宿試験場」を設立. その後、内務省の勧業寮に引き継がれる。場内には、牧畜掛、樹芸掛、農事修学所、製茶掛、農具掛、農学掛などが発足し、勧業寮新宿支庁が置かれた。目的は「内外の植物を集めて効用や栽培の良否、害虫駆除の方法などを研究し、良種子を輸入し、各府県に試験させ、民間にも提供する」ことで、国家規模での農業技術行政の取り組みの一環であった。そして、紆余曲折の後、1949年、国民公園として一般公開されることになる。苑内には、明治8年に建てられた旧温室などがある。

『内藤新宿勧農局試験場内麁絵図』
新宿農事試験場の営業案内
(明治43年)

・参照:【新宿御苑の歴史探訪】新宿御苑の歴史を辿るー近代農業技術の始まりと発展―https://fng.or.jp/shinjuku/2024/05/05/20240505-01/
・参照:施設及び歴史的背景|新宿御苑|国民公園|環境省宿試験場

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♣ 史跡:「農業技術研究発祥之地」の碑

所在地:東京都北区西ヶ原2丁目 滝野川公園内 Tel. 03-3908-9275
参照:https://note.com/kuroda0805/n/n557eb47d49c3
参照:https://840.gnpp.jp/nogyogijutsukenkyu/

農業技術研究発祥之地の石碑
澤野淳

 → 東京北区の 滝野川公園の一角に「農業技術研究発祥之地」の石碑がひっそりと建っている。そして、碑文には次のように記されている。
 「農業技術研究発祥之地明治26年4月 農商務省農事試験場が この地 東京府北豊島郡瀧ノ川村西ヶ原に創設され 我が国の農業技術研究は発祥した。爾来87年 その間 昭和25年4月 農業技術研究所 と改称される等 組織機構の 変遷はあったが「西ヶ原」は常に近代農業関係試験研究機関の母体として 多くの輝かしい業績により 農業の発展に寄与してきた。 昭和55年1月 国立試験研究期間の筑波研究学園都市への移転に伴い この地での研究を終わる。「西ヶ原」の栄光の不滅を祈念し ここに記念碑を刻む」
・参考:明治期の王子・滝野川 ~ 王子・滝野川~(このまちアーカイブス)https://smtrc.jp/town-archives/index.html

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♣ (参考資料)農業に特化した主な博物館の図

・参照:日本農業新聞ー[知りたい聞きたい伝えたい]#夏にお薦め、農の博物館は? ーhttps://www.agrinews.co.jp/society/index/250147 より

(農業技術と機構の項 了)

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印刷文化の魅力を伝える博物館(博物館紹介)

  ―日本の社会文化発展を担ってきた活版印刷の歴史をたずねるー

はじめに

 明治初期の鉄道開設や電信の整備が社会に与えた変革と同様に、活版印刷の普及が、教育文化、社会の近代化、教育政治思想の形成に与えた影響は非常に大きなものであった。大量に供給される印刷物は庶民の教育普及に役立ったし、活字新聞の普及は政治思想や社会運動の原動力となり、文学や美術に対する関心を大いに深める結果となった。 この項では、印刷技術の長い歴史と共に、「活字」印刷技術がどのように日本にもたらされのか、その技術の背景は何かなどを、関連する博物館の紹介と共に取り上げてみることとした。

♣ トッパンの「印刷博物館」

・所在地:東京都文京区水道1-3-3 TOPPAN小石川本社ビル  Tel.03-5840-2300
・HP: https://www.printing-museum.org/
・参考:トッパンの「印刷博物館」を訪ねてhttps://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/

印刷博物館入り口

 → 東京・文京区小石川にある印刷大手トッパン本社内に設けられた印刷文化資料館。世界と日本の出版文化の歴史と印刷をテーマとして、古今東西の書物や活字、印刷が築いた歴史や文化、技術を体系的に文明史的なスケールで解説展示している。

館内展示

 博物館では、印刷文字や図像などを通じた表現技術の発展、印刷と社会文化とのつながりなどを幅広い視点で展示、たとえば、古代オリエントや中国古代の印刷、日本の木版印刷、グーテンベルグに始まる西洋の活版印刷、日本の近代的印刷技術の発展、現在の多様な印刷技術・文化の変遷がよく示されている。特に、総合展示室に至る回廊の壁面飾られた印刷物のレプリカは圧巻の迫力である。
(参照:prologue.pdf (printing-museum.org)

プロローグの壁画
博物館壁画の年表表示

 常設展示では、印刷をテーマとしたさまざまな展示、例えば書物や活字、機械を中心とした所蔵資料を広く公開。このうち、“世界の印刷コーナー”では、最初期の印刷から現代の情報技術に至るまでの歩み、“日本の印刷”では、様々な印刷の形成と発展の歴史を所蔵資料で解説し紹介している。また、“印刷×技術”では、「版」の存在を書体と併せて「凸、凹、平、孔」の四つの形式にわけ、それぞれの特色と発展形態を説明展示している。来館者に印刷の魅力を伝える参加型展示スペースも印刷博物館の魅力の一つという。

○ 珍しい展示物では次のようなものが見られる。
 日本最古の印刷物「百万塔陀羅尼」(764-770)、伏見版『貞観政要』(1600)、「グーテンベルク 42行聖書 原葉」(1455)、「和蘭天説」(1796)、「駿河版銅活字」)1606-1616)、「築地活字木活字」(収蔵、1869)など。

16世紀の印刷機
展示された貴重印刷物

♠ 印刷博物館にみる日本の印刷技術の歴史 

    ―独自の道をとった日本の印刷技術の歴史―

 → 印刷博物館では、活字による印刷技術の発展が大きなテーマとなっているが、日本はやや異なった印刷技術の道をたどったことに触れている。日本では、近世初期に一度活字による印刷も試みられたとされるが、やがて木版による製版印刷が中心となり独自の領域で印刷文化が発展してきている。

<活字技術の導入>

駿河版銅活字

 日本においては、仏教の法典または文書のほとんどが写本、木版によって印刷されていた。しかし、中国、朝鮮からの活字技術の受け入れを受け、徳川家康の時代、銅活字による印刷を試みて幾つかの印刷物を残している。このとき作成した金属活字が現在も残っており、重要文化財として印刷博物館に実物が展示されている(“駿河版銅活字”1607-1616)。これが日本における活字印刷の最初の応用例とされている。一方、同時代、ポルトガルのイエスズ会宣教師の手によってキリスト教伝道書が活字印刷され頒布されていたことも知られている「“きりしたん版”印刷物 1590s-)。しかし、前者は、漢字文字数が多数に及び作業も繁雑だったこと、また、後者はキリスト教禁教措置のため中止となったことなどが影響し、やがて忘れ去られることになった。

嵯枕本の「徒然草」など

 そして、日本では、以来、独自の木版による印刷が興隆することになる。こうい った中で作られたのが「嵯峨本」といわれる木活字による印刷物。これはひらがな交じりの木活字印刷による彩色を施した印刷本で「伊勢物語」や「徒然草」など優れた国文学書も含まれている。これらの本は後の国文学の興隆にもつながっていると評価され博物館ではこのうち幾つかを展示している。

<木版製版、版画美術文化の隆盛>

木版で摺られた浮世絵

 一方、活字を使わない木版印刷も江戸時代には隆盛を極める。当時、精緻に作られた浮世絵版画や錦絵などが庶民の人気を集め、専門の出版社も出現して大量に印刷刊行されている。博物館では、展示室内に「錦絵工房」を設けて木版の「彫り」や「摺り」の実演を行っているほか、浮世絵制作における多色刷り木版の実物も展示している。

草草紙本

 また、江戸時代には、人情本や世俗本なども多数発刊され庶民の読み物として普及していったほか、話題を呼ぶニュースを伝える「かわら版」といったものも庶民向けメディアとして人気を呼んだ。これらはすべて木版による印刷によって作成されたもので、江戸期の高度な木版印刷技術として定着していった。

<活字印刷への復帰>

活版の小学教科書

 しかし、明治期になり急速に近代化する社会変化の中で、従来の木版印刷では、拡大する社会情報需要や教育の普及には追いつかず、新たな活字印刷技術が必要となってきた。そして、この機をもって大量印刷の可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。かれは、江戸時代末期から明治にかけて、数の多い日本漢字を独自の方法で鉛の活字を作り、「活字摺立所」をつくり活版印刷を日本で創始した。これ以降、日本では、従来の木版による印刷方法から大きく転換し、様々な学問書、新聞、教科書、証券類が西洋活版印刷技術をベースに作られるようになる。この間の印刷革命に至る経過は、博物館展示で発刊された本、書類などによって数多く展示されている。

<日本的印刷技術のもう一つの姿>―日本の謄写印刷の普及とその社会性―

堀井
謄写版印刷用具

 印刷博物館は大手活版印刷メーカー・トッパンの博物館であるため、日本で戦後盛んに行われるようになった軽印刷、謄写印刷についてはあまり触れられていない。しかし、この印刷方式は、印刷原紙とインクがあればどこでも印刷が可能な便利なもので、学校の教材やチラシなど少部数の印刷には最も適していた。これはパラフィン、ワセリンなどを塗った蝋紙に鉄筆で文字を書き、透過した部分にインクを乗せて印刷する「ガリ版」(謄写版印刷)とよばれた印刷方式であった。この原型は、エジソンが1890年代開発した「ミメオグラフ」であったが、これを明治年代1894年に発明家堀井新治郎が改良して作ったのが「謄写版印刷機」と呼ばれるものであった。これは原理が簡単で安価な上に、漢字数の多い日本語文書が自由に作成するため急速に普及したものとされている。

(参照:https://igsforum.com/visit-printing-museum-in-tokyo-j/ 日本の印刷技術の変遷)
印刷博物館 – 現代に息づく活版印刷の話と貴重な展⽰品の数々: https://news.mynavi.jp/article/

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♣ 大日本印刷(DNP)の博物館「市谷の杜・本と活字館」

所在地:東京都新宿区市谷加賀町1-1-1  Tel.03-6386-0555
HP: https://ichigaya-letterpress.jp
・参考:大日本印刷の博物館「市谷の杜 本と活字館」を訪ねる(https://igsforum.com/dpns-print-museum-j/

「本と活字館」の建物

 →「本と活字館」は、活版印刷の老舗大日本印刷(DNP)における印刷事業の歴史資産を公  開展示すると共に、日本で活版印刷がどのような形で発展してきたかを示す歴史博物館である。館内では、文字(秀英体)のデザイン、活字の鋳造から、印刷、製本まで一連のプロセスを展示しており、印刷機が稼働する様子や活版職人が作業する姿も動態展示の形で公開している。また、参加型ワークショップやイベントなどを通じて、印刷・製本・紙加工も体験できる。

<印刷工場風景の再現>

印刷作業をする展示館の内部

 一階の展示スペースでは、かつての印刷工場の風景を再現した「印刷所」があり、文字の原図を描くところ から、活字の「母型」を彫り活字を鋳造、版を組んで印刷・製本するまでの一連の作業を実際に見ることができる。 また、ずらりと並んだ活字棚(ウマ)から、職人が多くの活字を手早く拾って「版」に納める光景がバーチャルで再現されていて、どのように活字が組まれるかがわかる。通路奥のテーブルには、印刷・製本に使う多様な用具類が、使用法の解説と共に展示されていて、印刷作業の内容も確認できる。

<活版印刷作業のプロセス展示>

印刷・製本に使う道具類を解説する装置
モニターで活版印刷を再現させることができる

 一般に活版印刷では、作字、鋳造、文選、植字、印刷、製本といった過程を経て出版物ができあがっていく。作図では文字のデザイン造り、鋳造では文字母型の鋳造製作、「文選」(活字選び)、「植字」ではできあがった活字を文章毎に綺麗に並べて版を作る作業、次はインクをつけて印刷する作業、そして本作りの「製本」といった作業が連続して行われて印刷出版物が完成する。展示では、これらが、どのような作業手順と精度、技能・技術によって成り立っているかが詳しく分かる構成となっている。

<かつての活版印刷機械の展示>

かつての食事作業

 また、一階の広い展示フロアには、かつて使われた各種印刷機械が陳列されていて、歴史的に印刷機械がどのような進化を遂げてきたかがわかる。地階は大日本印刷の歴史を紹介するフロア「記録室」、二階の体験展示があり、活版印刷による実演、そして見学者による体験印刷もできるイベントも実施されている。

・参照:https://igsforum.com/dpns-print-museum-j/

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♣ 印刷歴史館(NISSHA財団) 

所在地:京都市中京区壬生花井町3  Tel.075-823-5318
HP: (https://www.nissha-foundation.org/history_museum/)

印刷歴史館(NISSHA財団) 

 → 京都の地で印刷文化・技術の振興を目的とするNISSHA財団が設立した印刷に関する歴史館。4000年前の「楔形文字粘土板」や「百万塔無垢浄光陀羅尼経」(770年頃)、「解体新書初版本」(1774年頃)、「42行聖書」(ファクシミリ版,15c)、「木活字」(中国、11c)、「グーテンベルク印刷機」(復刻、15c)、「ゼネフェルダー石版印刷機」(19c)、「ハイデル活版印刷機」(1927年頃)などの実物など、印刷の起源から近代に至るまでの大変貴重な資料を展示している。建物自体も貴重で、1906(明治39)年に建てられた明治を代表するレンガ造り、2011年には国の登録有形文化財に登録されている。

ゼネフェルダー石版印刷機 
展示された貴重な印刷物

・参考:設立趣意 (https://www.nissha-foundation.org/about/prospectus/
・参考:The KANSAI Guide – NISSHA印刷歴史館 (https://www.the-kansai-guide.com/ja/directory/item/20767/

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♣ ミズノプリンティング・ミユージアム                 

・所在地:東京都中央区入船2丁目9番2号  Tel.03-3551-7595
・HP: https://www.mizunopritech.co.jp/mpm/
・参考:東京”ミズノ・プリンテック”の「印刷ミュージアム」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-mizuno-printing-museum-j/

ミュージアムの展示場の様子

 → このミュージアムは、中堅印刷会社ミズノプリンティングが運営する印刷博物館、館内はやや狭いもの重要文化財となる印刷関係資料が多数収蔵されており、類例をみない貴重な私設博物館となっている。これら展示品はミズノ会長の水野雅生氏が生涯かけて収集したものである。そのうち歴史的な印刷物、印刷機械が館内に展示されている。これら所蔵資料で見ると、紀元前メソポタミア時代の「円筒印章」、律令時代の経典「「百万塔陀羅尼」、古活字を使った「日本書紀」(16世紀)、伏見版「貞観政要」(17世紀)など数多い。 中でも、日本の近代印刷の先駆をなした福澤諭吉の関係本を多く所蔵し、「学問のすゝめ」の初版本は特に貴重である。

初期の活版印刷機
福沢の「学問の済め」コレクション
週数の貴重本展示

 また、歴代初期の活版印刷機のコレクションが大きな柱の一つとなっており、コロンビアン・プレス(手引き活版印刷機 1850年製造)、古典的なアルビオンプレス(手引き活版印刷機など歴史的な手引き印刷機などが展示されている。特に貴重なのは、明治初期、平野富二が作ったといわれる国産第一号の「手引き活版印刷機」である。これは平野富二が東京の「築地活版製造所」で製作した活版印刷機で、「日本機械遺産」にも認定されている。

・参考:ミズノプリンティングミュージアムの施設紹介(https://iko-yo.net/facilities/174091
・参考:中央区まちかど展示館(https://www.chuoku-machikadotenjikan.jp/feature/special03_tenjikan02.html

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♣ アジア活版資料館(亜細亜印刷)(長野県)              

所在地:長野県長野市大字三輪荒屋1154番地 Tel. 026-243-4859
HP: https://www.asia-p.co.jp/museum

亜細亜印刷社屋
活字模型

 → デジタル化が進む印刷の中にあって、長野市にある亜細亜印刷が活版印刷の歴史的な技術遺産を残すため開設したのが「アジア活版資料館」。活版時代の手造りの工程を展示保存することによって、貴重な活版文化の遺産を後世に伝えることを目的としている。展示では、自社の機器のほか、同業者から譲り受けた、凸版印刷機や母型、紙型、鋳造機、活字箱、鉛版や版木などを展示し、活版印刷が主流だった昭和30年、40年代の書籍印刷の作業工程を追えるように再現している。

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♣ 活版ミニ博物館(中西印刷)(京都)

所在地:京都市上京区下立売小川東入る西大路町146  Tel. 075-441-3155
HP:  https://the.nacos.com/nakanishi/museum.php

植字台
タイプキーボード

 → 活版ミニ博物館は中西印刷の活版印刷をささえた機材が収集・展示されている。中西印刷は、現在、電子組版平版印刷へと移行しているが、1992年に活版印刷を廃止するとき、活字をはじめとした多くの機材を整理して展示し、印刷の技術を未来に残すこととしミニ博物館を設立している。展示では、西夏文字字母などのほか、木版時代の版木や、モノタイプなど近代活版自動化の足跡を伝えている。

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♣ 活字資料館(モトヤ・印刷機材)(大阪)           

所在地:大阪府大阪市北区紅梅町2-8 Tel. 06-6358-913
1HP: https://www.motoya.co.jp/business/katsuji.html

活字資料館入り口
活字鋳造機
ベントン彫刻機

 → → 総合印刷機材商社モトヤは大阪に「活字資料館」を開設し、創業取り組んできた鉛活字の製造や組版作業の様子をはじめ、現在も引継がれているフォントデザインの過程を展示している。19世紀のベントン彫刻機、活字鋳造機、活字母型、活字に代わる新しい組版機器など、かつての活版印刷の黄金時代を築いた印刷機械など活版印刷の歴史を記すものが多数展示されている。

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♣ 謄写技術資料館(大東化工) 

所在地:岐阜県岐阜市折立364-1(大東化工(株)本社内)  Tel.058-239-1333
HP: https://www.daito-chemical.com/museum.html 

大東化工のビル

 → 1940年代に創業して以来、謄写印刷を中心に印刷事業を展開してきた「大東加工」が設立した「謄写技術資料館」。展示では、謄写印刷技術の進化 謄写印刷機の誕生から終焉までの歴史をわかりやすく解説し、時代時代に活躍した内外の機械を紹介。また、作品コーナーでは、TVや映画の台本や機関誌など実用的なものから、芸術価値に富む謄写印刷作品まで、謄写印刷で作られた資料などを多数展示している。
 また、昭和の教室コーナーでは、謄写印刷が花形だった昭和の教室を再現して展示している。

和文タイプライタ
謄写技術史料館の展示場

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♣ ガリ版伝承館 (滋賀県)    

所在地:滋賀県東近江市蒲生岡本町663番地  Tel.050-5802-2530
HP: https://www.city.higashiomi.shiga.jp/0000000117.html

ガリ版伝承館のある建物
堀井耕造

 → 明治時代に日本で発明され普及した印刷方式「ガリ版印刷」(鉄筆と鉄板やすり、ろう原紙を使って行う簡易印刷)の歴史を紹介する資料館。ガリ版印刷の器材や作品、またビデオ鑑賞などにより、“ガリ版”印刷の背景、社会的影響、簡易印刷文化の内容を紹介している。中には、各種記念品のほか堀井耕造(二代目新治郎)の肖像がある。

・参考:山添村ガリ版物語⑤山添村は第三の‟ガリ版聖地”を名乗れhttps://yamazoe-love.com/yamazoe-as-the-hometown-of-the-hometown-for-gariban-5/

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♣ 参考資料:史跡「活版発祥の碑」と黎明期活版印刷技術の創成

 ―「新町活版所跡石碑」(長崎)、「活字発祥の碑」(東京・築地)、「京都印刷発祥之地の記念碑」(京都)―

  → 活版印刷の普及は、明治日本における社会の近代化の推進、産業振興、教育普及、政治思想形成に計り知れない影響を及ぼしてきた。この歴史的意義を強調するため、上記活版印刷発祥の記念碑が長崎、東京、名古屋の地にが建てられている。

新町活版所跡石碑
活字発祥の碑
京都印刷発祥之地の記念碑

 このうち長崎の「新町活版所跡石碑」は、明治2年、長崎通詞だった本木昌造が“活版伝習所”を設立、日本で最初に活字鋳造に成功したことにより、近代活版印刷発祥之地となっている。築地の「活字発祥の碑」は、平野富二が、明治6年に“築地活版製造所”を設立し、国産では第一号となる活版印刷機を造ったことを記念したもの。長崎の「京都印刷発祥之地の記念碑」は、明治4年、大木の援助の下で京都初の近代印刷技術による印刷所」を設立したことを顕彰するものであった。
 これらの記念碑を訪ねることにより、明治期における活版による近代印刷が如何にはじめられ発展していったかを知ることができるだろう。この経過を辿ってみよう。

<明治における活版印刷の形成と普及

本木昌造
長崎で新鋳造の「和様平仮名活字」

 幕末を経て明治期になり急速に社会の近代化が進む中で、従来の木版印刷では急増する社会情報や教育の普及には追いつくことができず、新たな活字印刷技術の普及が必要となってきた。そして、大量印刷が可能な金属活字による近代的印刷の導入が迫られることとなる。このときの黎明期を支えたのがオランダから活版印刷技術を学んだ本木昌造であった。長崎で通詞を勤めていた大木は、オランダから活版印刷技術を学び、数の多い日本漢字を独自の方法( “蝋型電胎法”という活字母型製造法)で作った鉛活字を発明する。また、これを普及させるため、1869年には「活版伝習所」の開設も行っている。ちなみに、長崎には上記の「活版印刷発祥の地の碑」があり、大木の作った活字母型のレプリカも展示されている。
・参照:本木昌造 活字復元プロジェクトの成果品 (robundo.com) http://robundo.com/salama-press-club/column/column008.html

 <平野富二と築地活版製造所> 

東京築地活版製造所
平野富二

 以降、日本は従来の木版による印刷方法から大きく転換、様々な学問書、新聞、教科書、証券類がすべて西洋活版印刷技術をベースに作られるようになった。こうした旺盛な印刷物需要に応えるべく、各地に多くの民間活版印刷所が設立される動静となる。

平野が作った活版印刷機

 まず、大木の弟子であった平野富二が東京に「東京築地活版製造所」を設立、活字類の鋳造、印刷機械類の製作を開始している(平野は石川島重工、現IHIの創業者でもあった)。また、谷口黙次が大阪で「谷口印刷所」(大阪活版所)を設立するなど、本木昌造を起点にした日本の近代活版印刷は大きく裾野を拡げる。京都では、近代印刷技術による印刷所「京都點林堂」が設立された。なお、築地活版製造所が長崎の活版製造所から引き継いで製作改良を重ねた書体は「築地体」と呼ばれ、日本で現在使われている印刷文字の源流となっている。

最近のオフセット印刷

 これ以降、大手のトッパンや大日本印刷などの印刷業界を牽引すると共に、日本各地には多くの活版印刷所がうまれ、明治に生まれた活字体を活用しつつ、明治、大正、昭和と書籍、雑誌、新聞、ポスターなど各種印刷物が情報の社会基盤を築いていくことになる。 
 しかし、今や印刷も技術革新進む中にあり、かつての活版印刷は姿を消しつつあるようだ。そして、印刷形態もオフセット、写真印刷、多色デジタル印刷など多様な形に進化している。この変化の中にあっても、活版印刷で築かれた技術的基礎は今に引き継がれていることは否めない。このことは、博物館の展示に中にもよく示されているといってよいだろう。

・参照:産業遺産からみた印刷技術の進化と社会https://igsforum.com/2022/12/02/print-tech-history-jj/

(了)

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○参考資料:

・「印刷博物館ガイドブック」(印刷博物館刊)
・印刷博物館HP:https://・www.printing-museum.org/
・「印刷博物館・プロローグ展示ゾーンのご案内」(印刷博物館パンフ)
・Stroll Tips印刷博物館: https://www.stroll-tips.com/printing-museum/
・ぷりんとぴあ | 印刷の歴史 | ⽇本印刷産業連合会: https://www.jfpi.or.jp/printpia/category_detail/id=3482
・“明治150年”記念展示 「日本の印刷の歴史」: https://www.jfpi.or.jp/printpia/topics_detail21/id=4030
・印刷の発明と歴史 【⽊版印刷・活版印刷の古代中国での発明から】http://chugokugo-script.net/rekishi/insatsu.html

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紙文化の歴史を語る博物館(博物館紹介)

はじめに

    ―情報と知識、社会文化の担い手としての紙文化をみる博物館紹介ー 

 有史以来、紙は情報と知識の伝達手段として、また、便利な生活材料として社会文化の発展に重要な役割を果たしてきた。歴史における紙技術の伝播や発展も興味深い。こういったことを実感させてくれる博物館は日本に数多い。特に、日本の伝統工芸の一つとなっている和紙は、各地の地場産業として歴史的にも多様な形で発展してきている。このセクションでは、明治以降急速に発展した印刷の受け皿となった西洋紙と共に、日本独自の和紙に関する博物資料館を中心に紹介することとする。

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♣ 東京・王子の「紙の博物館」              

所在地:東京都北区王子 1-1-3  Tel. 03-3916-2320 
HP: (https://papermuseum.jp/ja/)

紙の博物館外観

 →「紙の博物館」は、日本の洋紙発祥の地、東京・王子に開設された「紙」に関する世界有数の紙専門の博物館である。紙の製造工程、種類や用途、紙の歴史、紙の工芸品、歴史的資料や生活用品などを総合的に展示している。博物館では、世界史的な視点での「紙」の歴史とその社会文化的なインパクト、日本で独自の発展を遂げた「和紙」の歴史や製法、近年の製紙産業の成立と発展の歴史、現代の紙の多様な形態や役割などを詳しく紹介している。当初、明治初期の製紙会社「抄紙会社」(後の王子製紙)の歴史史料を展示する「製紙記念館」であったが、1998年、施設の大幅な拡張整備を行い、現在の「紙の博物館」となったもの。紙の文化的な役割、近代文明発展の担い手となっている紙の存在について、改めて知ることのできる貴重な博物館であろう。

展示コーナー
各種の紙を展示
紙の種類を開設

館内は、多様な美術品や記念資料を展示するエントランスホール、現代日本の製紙産業の現状や機械・原料・製品などを紹介する「現代の製紙産業コーナー」、紙の性質や製造過程を紹介する「紙の教室」、内外の紙の歴史、特に、和紙の技術発展について展示する「紙の歴史」コーナーとなっている。また、日本の製紙産業の成立を象徴する歴史記念物を集めた展示コーナーも設けられている。

世界初の抄紙機模型
展示室「紙の教室」

このうち最も印象的なのは、和紙の歴史を含めた「歴史展示」である。「現代の製紙産業」で見られた産業機械や紙パルプの加工工程、古紙のリサイクル、用紙以外の紙製品の多様さにも驚かされる。また、館内には、研修室や図書館なども併設されていて、紙づくりの実習もできるなど学習の場としても使用されることも多いという。

・参照:東京・王子の「紙の博物館」訪問 https://igsforum.com/visit-paper-museum-in-oji-tokyo-j/
・参考:紙の博物館 – 見どころ、アクセス & 周辺情報 | GOOD LUCK TRIP (gltjp.com)  https://www.gltjp.com/ja/directory/item/14088/

 小津史料館)

所在地:東京都中央区日本橋本町3-6-2 小津本館ビル  Tel.03-3662-1184
HP: (https://www.ozuwashi.net/archives.html

小津史料館)外観

 → 江戸時代から続く和紙の老舗・小津の様々な和紙製品の展示を行うと共に、日本の紙業に関わる文書類を展示している。和紙は1000年以上の歴史を持つ日本の誇る伝統産業工芸品の一つである。そのしなやかさと美しさ、強靱性、長期保存性から,広く文書、絵画、障子襖などの建具、工芸作品の素材として長く愛用されてきた。現在、紙需要の多くは大規模製紙業による用紙・印刷用紙に移っているが、和紙も様々なスタイルの工芸素材として好まれ、その種類と利用範囲は驚くほど広い。このことを強く印象づけてくれる資料館が小津和紙の「小津史料館」である。

展示室の内観
各種展示品

 この施設は和紙メーカー「小津商店」のショウルームを兼ねるほか、和紙の魅力、多様さ、地域産業としての重要性、和紙製法の紹介などを幅広い展示活動を行っている。また、江戸時代から続く老舗企業「小津」の成長を跡づける歴史資料も数多く見られ、魅力ある資料館となっている。展示資料の中に示された松坂商人のルーツや紙のエピソードなども魅力の一つである。

参照:東京・日本橋の「小津史料館」を訪ねる(https://igsforum.com/visit-ozu-washi-history-museum/
・参考:小津330年のあゆみ https://www.ozuwashi.net/330/
・参考:小津和紙 – Wikipedia 

♣ 越前和紙の里 (紙の文化博物館)

所在地:福井県越前市新在家町8-44  Tel. 0778-42-1363
HP: http://www.echizenwashi.jp/

紙の文化博物館外観

 → 「越前和紙の里」は、『紙の文化博物館』『卯立の工芸館』『パピルス館』を結ぶエリア全体からなる。この三つの施設はそれぞれ和紙をテーマにしており、和紙に関する知識を紹介しているほか越前和紙を作る工程や職人技の見学、紙漉きの体験もできる。「紙の文化博物館」では、越前和紙の歴史や技法、産地ならではの和紙作品を多数展示している。また、特別展では越前和紙の長い歴史を物語る古紙、道具などを展示、常設展で越前和紙の発祥や歴史について学ぶことができる。「パピルス館」では和紙づくり、「卯立の工芸館」では伝統工芸士が昔ながらの道具を使って紙を漉く様子を観察できる。

内部の展示コーナー
作品の展示
手漉き作業

 越前和紙は、福井県越前地方の岡太川流域で作られている和紙で日本三大和紙の一つ。この越前和紙は、種類、量ともに全国一位の和紙産地として知られる。主な原料は、植物の表皮の内皮である靭皮繊維で、楮(こうぞ)・三椏(みつまた)・雁皮(がんぴ)である。特徴は、生成(きなり)色の優雅な美しさと高い品質といわれる。“越前奉書”と“越前鳥の子紙”は国の重要無形文化財にも指定されている。

館内展示
越前が見の見本

・参照:越前和紙(えちぜんわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPANhttps://kogeijapan.com/locale/ja_JP/echizenwashi/
・参照:越前和紙 – Wikipedia

♣ 美濃和紙の里会館 (岐阜県)

所在地:岐阜県美濃市蕨生1851-3 Tel. 0575-34-8111
HP: https://www.city.mino.gifu.jp/minogami/

美濃和紙の里会館外観

 → 美濃和紙は1300年以上の歴史と伝統を誇る。繊細できめ細やかな風合いを持ち、美しく丈夫な和紙作品が特徴といわれる。丹念に漉かれる一枚一枚は優れた自然環境と卓越した職人の技をみせている。歴史をたどれば、美濃和紙が全国的に広がったのは、室町時代に美濃国守護の土岐氏が地元産業を活性化させ製糸業を保護したことが大きい。また、土岐氏と交流のある公家や僧侶が好んで美濃和紙を使用し全国に知られるようになった。江戸時代には、美濃が専売制度によって障子紙として確固たる地位を築き、高級和紙として地位づけられた。しかし、一方で西洋紙の普及で和紙全体の需要は減少したが、美濃和紙は日用品として今も広く使われている。そして、1985年には経済産業省により伝統的工芸品に指定され、現代でも手漉き和紙は美濃和紙の古くからの伝統が受け継がれている。博物館は、これを強く印象づける内容となっている。

展示スペース
美濃紙の発展と作品展示
美濃紙のインテリア

・参照:・美濃和紙(みのわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/minowashi/

♣ 石州和紙会館 (島根県)

所在地:島根県浜田市三隅町古市場589 Tel. 0855- 32-4170
HP: https://www.sekishu-washikaikan.com/

石州和紙会館

 → 石州和紙(石州半紙)は島根県の西部(石見地方)の地域で漉かれている和紙、この技術伝承と普及、市場開発のため平成20年に設立されたのが石州和紙会館である。石州和紙(石州半紙)は原料に楮・三椏・雁皮の食物の靭皮繊維を使用し、補助材料としてネリに「トロロアオイ」の根の粘液を使い、竹簀や萱簀を桁にはさんで「流し漉き」により、つくられるのが特徴。かつて大阪商人は石州半紙を帳簿に用い、火災のときいち早く井戸に投げ込んで保存を図ったとも伝えられた貴重品であった。ユネスコ無形文化遺産の「人類の無形文化遺産の代表的な一覧表の中に「『本美濃紙』『細川紙』とともに、日本の手漉和紙技術として『石州半紙』も記載されている。しかし、明治時代に6,000軒を超す事業所が存在していたと伝えられるが、年々減少傾向で、現在ではごく少数となっている。こうした背景を受け、この会館も開館されるなど石州和紙の普及を図っている。和紙会館の工房内では、石州和紙製造の全工程の作業ができるほか、紙漉き体験もでき、展示室では、様々な商品を一堂に展示するなど地域と密着した施設となっている。

館内の展示コーナー
石州和紙の展示
石州和紙の作品

・参照:石州和紙(せきしゅうわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN(コウゲイジャパン)https://www.pref.shimane.lg.jp/industry/syoko/sangyo/sanhin_ikusei/bussankan/
・参考:島根県物産観光館:島根県松江市殿町191島根ふるさと館内  Tel. 0852-22-5758 (https://www.pref.shimane.lg.jp/industry/syoko/sangyo/sanhin_ikusei/bussankan/
・参考:石州和紙協同組合(伝統的工芸品指定の石州和紙の製造)https://sekishu.jp/

♣ いの町紙の博物館 (土佐和紙伝統産業会館)

所在地:高知県吾川郡いの町幸町110-1  Tel. 088-893-0886
HP: https://kamihaku.com/

いの町紙の博物館

→ 伝統的工芸品「土佐和紙」の振興を図るため1985年に開館した和紙博物館。常設展示室では、和紙の歴史と文化、原料・用具などを展示、手すき実演・体験コーナー、販売コーナーも備えている。別の展示室は、文化活動の発表の場や国際的な展覧会、企画展・特別展なども開催している。
 土佐和紙は、高知県土佐市や、いの町周辺で作られている和紙で、過去には、財布や薬入れ、提灯などに使われていたが、現在ではふすまやちぎり絵、お菓子の包装など幅広い用途で使用されている。さらには、日本の書籍や世界の絵画の修正に使用されるなど国内だけでなく、海外でも評価の高い和紙となっている。土佐和紙の特徴は、種類が豊富であるということと、他の和紙と比べて薄くて丈夫であるといわれている。

館内の展示場
歴史と作品の展示

参照:土佐和紙(とさわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/tosawashi/

♣ 埼玉伝統工芸会館 (細川紙) (saitama.lg.jp)

埼玉県比企郡小川町大字小川1220  Tel. 0493-72-1220
HP: https://www.pref.saitama.lg.jp/shisetsu/hakubutsukan/012.htm

  参考 ♣ 小川町和紙体験学習センター( 和紙のふるさと小川町)
  埼玉県比企郡小川町大字小川226  Tel. 0493-72-7262
  HP: https://www.town.ogawa.saitama.jp/0000003753.html

埼玉伝統工芸会館

  → 「伝統工芸会館」は、伝統的手工芸品20産地・30品目を展示する資料館。館内には伝統的手工芸品の一つ「小川和紙」の体験ができる和紙工房があり、様々な種類の紙漉きができるほかユネスコ無形文化遺産登録の「細川紙」の実演も行っている。
和紙体験学習センター」は、1936年に和紙の研究施設として埼玉県が建設し、平成11年に埼玉県から小川町に移管されたた施設で。 現在では手漉き体験ができるほか、和紙で作成された展示物なども見学することができる。ユネスコ重要無形文化遺産に登録された 「細川紙の技術」を大切に継承するセンターでもある。

工芸館の館内
手漉き体験

 ちなみに、「細川紙」は、埼玉県のほぼ中央部、秩父郡東秩父村及び比企郡小川町で伝承されている楮(こうぞ)を原料とした伝統的な手漉き和紙で、その製作技術は、1978年、国の重要無形文化財に指定されている。歴史をたずねると、宝亀5年(744年)の正倉院文書に“武蔵紙”の記録が見られることから、1300年以上の歴史があるものと考えられている。その後、中世における状況は明らかでないが、江戸時代になると、「大河原紙」あるいは「小川紙」と呼ばれた和紙の生産が始められ、「細川紙」の名称での製作もなされている。しかし、「細川」という地名は地元にはなく、当時、紀州・高野山麓の細川村(現在の和歌山県髙野町)で漉かれていた和紙の技法があり、これを導入し“細川”という名で大消費地・江戸向けに生産がはじめられたのではないかと信じられている。

工芸館の作品展示
細川紙

・参照:細川紙 | 和紙のふるさと小川町https://www.town.ogawa.saitama.jp/0000000261.htm
・参照:細川紙 | 東秩父村観光サイト (higashichichibu.jp)   http://www.higashichichibu.jp/hosokawashi

♣ 鳥取市あおや和紙工房

所在地:鳥取県気高郡青谷町山根313   Tel. 0857-86-6060
HP: https://www.tbz.or.jp/aoya-washi/

鳥取市あおや和紙工房

  → 「あおや和紙工房」は1200年を越える歴史があるといわれる因州和紙の鳥取市の工房である。現在、書道用紙、工芸紙、染色紙などに力を注ぎ、多くの和紙愛好家や書道家に愛用されている。敷地内にはこれらの和紙を紹介する展示ギャラリー、ショップ、手漉き和紙づくりができる体験工房がある。常設展示室は、古来の和紙の製法・道具、そして和紙の現在・未来などを展示、企画展示室と体験工房では、年間を通じて様々な企画展示を行うほか個展、学園祭などの作品展示も行っている。

工房の内部展示場
因州和紙の作品

 「因州和紙」は旧因幡の国に当たる鳥取県の東部で作られている手すき和紙。特に書道や書画・水墨画に適した風合いのよい画仙用紙が有名で、全国でトップクラスの生産量を誇る。因州和紙の特徴は、天然の繊維が活かされた温かみのあるしなやかさといわれ、酸化しにくく自然な強さを持つことから実用性にも優れている。その高い品質から、「因州筆きれず」とも言われるほどである。現在は伝統的な技術を利用して立休形状のインテリア製品やパソコン用印刷紙など、時代の変化に対応した新製品を多く開発している。
 ・参照:因州和紙(いんしゅうわし)の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/inshuwashi/

♣ 紙のさと資料館(茨城県・西ノ内紙) 

所在地:茨城県常陸大宮市舟生90 Tel. 0295-57-2252
HP: http://www.kaminosato.com

紙のさと資料館
館内展示

 → 「紙のさと資料館」は、1970年に以来、常陸大宮市舟生に店舗を構えて手漉き西ノ内紙専門店として営業している店舗であるが、同時に資料館としても活躍している。西ノ内紙は、上質な「那須楮」と、奥久慈の清らかな水により漉き出される和紙である。コウゾのみを原料として漉かれ、ミツマタやガンピなどが用いられないことに特徴がある。江戸時代には水戸藩第一の特産物となり、各方面で幅広く使われた。強靱で保存性に優れたその性質から、江戸では商人の大福帳として用いられたという。ここでは、350年の歴史をもつ西ノ内紙ができるまでのプロセスをわかりやすく紹介している。
 ・参照:西ノ内紙 – Wikipedia

♣ 烏山和紙会館・和紙の里(栃木県・福田製紙所)

所在地:栃木県那須烏山市中央2-6-8 Tel. 0287-82-2100
HP: https://www.fukudawashi.co.jp/pages/42/

烏山和紙会館

 → 烏山和紙は、国の選択無形文化財である“程村紙(ほどむらし)“で知られる手漉き和紙。和紙会館ではその和紙の展示即売を行うほか、和紙に関する資料を見ることができる。宮内庁御用として宮中における歌会始の懐紙に選ばれているほか、450年の歴史を誇る「山あげ祭り」祭り≫にも烏山和紙が使われている。
・参照:烏山和紙会館|│福田製紙所│烏山和紙会館│和紙の里│和紙│手漉き│手作り│体験│教室│販売│栃木│那須烏山│ (fukudawashi.co.jp)
・参照:烏山和紙会館 「 とちぎの農村めぐり特集 | 栃木県農政部農村振興課
参照:https://www.agrinet.pref.tochigi.lg.jp/tochigi-nouson-meguri/archives/spot_winter/karasuyama_washi

♣ 安部栄四郎記念館 (島根県)

所在地:松江市八雲町東岩坂1754  Tel. 0852-54-1745
HP: https://izumomingeishi.com/abeeishirou/

安部栄四郎
安部栄四郎記念館外観
館内展示

 → 栄四郎は生涯をかけて収集した貴重な和紙の資料や民芸品の数々を保存し公開するために、1983年、八雲村に、「安部栄四郎記念館」を設立した。また、和紙技術者の育成のためその付属施設として「手漉き和紙伝承所」も開設している。「和紙を千年先へ残す・・・」思いを育みつつ“出雲民芸紙”に触れる場所となるよう期待することが創設の趣旨であった。(記念館案内文より)
  ここでは、人間国宝・安部榮四郎が築き上げた出雲民藝紙の紹介はもちろん、民藝運動を通して出会った仲間達の作品が展示されている。柳宗悦やバーナードリーチなど多くの民藝作家の作品をはじめ、交友の深かった棟方志功の作品なども展示させている。

♣ 西宮市立伝統工芸品館(名塩和紙学習館)

所在地:兵庫県西宮市名塩2丁目10-8  :Tel. 0797-61-0880
HP: https://anian-club.jp/spot/481/

雁皮紙を作るための雁皮精選
現在も雁皮紙を作る谷徳製紙所

 → 名塩雁皮紙は、兵庫県西宮市の塩瀬町名塩地区で製造される和紙(雁皮紙)とされる。原料はガンピ(雁皮)で、これに地元で産出する泥土を混ぜて漉くのが特徴である。名塩和紙学習館は、名塩の伝統産業「紙すき」を実習・体験できる施設。展示室は、名塩紙の歴史や紙すきの工程を説明するパネル、名塩紙が使われた京都二条城のふすま絵の写真のほか、簀桁すけたや帛きぬ、簀すなど、紙すきの道具類も展示している。
 ○参考:谷徳製紙所(兵庫県西宮市名塩2-2-23​ HP: https://www.najiowashi.com/
→現在も名塩雁皮紙を製作する製紙所。最盛期には「名塩千軒」と言われるほど紙漉きが盛んだった兵庫県西宮市の北部にある紙漉きの里、名塩(なじお)。 400年の歴史を持つ名塩紙を継承するのは、今は二軒で、そのうちの一軒が谷徳製紙所。
・参照:名塩紙 | 和紙 | 兵庫県 | 日本伝統文化振興機構(JTCO)
・参照:名塩雁皮紙 – Wikipedia
・参考:人間国宝の紙・名塩雁皮紙(間似合紙)のお話 https://www.tamakirakuzando.com/sub41.html

♣ 阿波和紙伝統産業会館

住所 徳島県吉野川市山川町字川東141 Tel. 0883-42-6120
HP: http://washi.awagami.or.jp/hall/event/eventlist.php

 阿波和紙伝統産業会館

 → 阿波和紙は、徳島県吉野川市、那賀郡那賀町、三好市池田町で作られている和紙で、「流し漉き」や「溜め漉き」という技法で作られている和紙である。特徴は、手漉きならではの肌触りと、生成(きなり)の風合い、薄くても水に強くて破れにくい丈夫な紙質といわれる。また、徳島の伝統産業である藍染などの草木染を施したものや、麻や木材を混ぜて漉いたものなども多いという。幅広い用途に使われているようで、インクジェット用の和紙、針金を通したインテリア用の和紙、耐水性のある和紙などの新しい試みを取り入れた和紙の開発も盛んに行われている。この阿波和紙会館では、和紙の各種イベントや作品展、体験教室を開いて地元阿波和紙の普及に努めている。
・参照:阿波和紙の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/awawashi/

♣ 大洲和紙会館 (天神産紙工場)

所在地:喜多郡内子町平岡甲1240-1 Tel. 0893-44-2002
HP: https://www.iyokannet.jp/spot/617

天神産紙工場

 → 「大洲和紙」は、古くは平安時代から作られてきたといわれる和紙で、書道半紙、障子紙、凧紙、色和紙などとして広く利用され、国の伝統工芸品にも指定されている。特に有名なのは書道半紙で、薄くて漉きムラが少ないため、高級で使いやすい書道半紙として現在でも重宝されている。この大洲和紙会館は天神産紙工場の施設で、阿波和紙に触れることができるほか、工場では和紙の製造工程の見学や紙漉き体験などができる。
・参照:大洲和紙の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/ozuwashi/

♣ 五箇山和紙の里 道の駅「たいら」(五箇山)

住所 富山県東砺波郡平村東中江218  Tel. 0763-66-2403
HP: http://gokayama-washinosato.com/

五箇山和紙の里

 → 古くから五箇山の産業を支えてきた和紙づくりの伝統技法の継承と保存、復興を目的とした研究館。館内では、五箇山和紙の歴史資料をはじめ、和紙製品の販売、製造工程などの紹介や全国各地の有名和紙、パピルスをはじめとする世界の紙などを展示している。

♣ 内山手すき和紙体験の家

内山紙

所在地:長野県下高井郡木島平村穂高1143-3   Tel. 0269-82-4151
HP: https://kamisukiya.com/
  → 内山紙は長野県の奥信濃地方で作られている和紙で、手漉きの内山紙は楮(こうぞ)100%を原料とし、通気性や通光性が優れ、強靭で保温力もあることで知られる。奥信濃地方は一晩で1メートル以上の雪が積もるほどの豪雪地帯のため、冬場には「雪さらし」という技法で繊維を漂白するために、日焼けしにくく長持ちする特徴がある。かつて戸籍台帳用紙としても長く使用され、太陽光をよく通す障子紙としても高い評価を得ている和紙である。 「内山手すき和紙体験の家」のある木島平村地域は、江戸時代より「内山紙」の発祥の地であった。ここでは、冬の間の農家の副業として盛んに漉かれていたが、現在では製作する農家が少なくなってしまった。しかし、この伝統技術を伝えていこうと昭和62年に設立したのがこの施設。現在、和紙づくりの体験施設として、木島平村の有志の手によって運営されている。
 ・参照:内山紙の特徴 や歴史- KOGEI JAPAN)https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/uchiyamagami/

♣ 小国和紙生産組合

所在地:新潟県長岡市小国町小栗山145  Tel. 0258-41-9770
HP: https://www.oguniwashi.com/
 → 雪国の新潟県長岡市小国町で300年以上の歴史をもつ手漉き和紙を製作。和紙の原料である楮(コウゾ)から自家栽培を行い、冬季間の原料加工作業では、雪国ならではの雪を活用した伝統製法で真っ白な和紙を生産している。工房見学や紙漉きなどの体験も行なっている。
 ・参考:長岡市小国で和紙作りを体験 – 新潟文化物語  https://n-story.jp/exp-report/12/
 ・参考:和紙産地をたずねて(新潟県小国町)https://www.hm2.aitai.ne.jp/~row/kikou/nigata/oguni.html

♣ 和紙工芸館(豊田市小原和紙のふるさと展示館)

所在地:愛知県豊田市永太郎町216-1
HP: https://www.aichi-now.jp/spots/detail/212/
 →「和紙工芸館」では和紙づくりを気軽に体験できます。豊田小原和紙工芸の魅力を存分に楽しむことができる美術館で、全国の和紙標本や個性豊かな和紙工芸作品、小原地区特有の美術工芸作品、そして豊田小原和紙工芸の創始者で、近代工芸の先駆者でもある藤井達吉翁の作品等を展示している。
 ・参考:小原和紙とは | 小原和紙工芸作家・加藤英治 https://horaikan-washi.art/eijikato/obarawashi
 ・参考:愛知県・小原和紙 http://www.tesukiwashi.jp/p/obara1.htm
 ・参考:和紙産地をたずねて(愛知県小原村) https://www.hm2.aitai.ne.jp/~row/kikou/obara/obara.html

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<参考資料>

*藤井達吉氏(近代工芸家)の「和紙の博物館」ブログを参照させていただいて掲載
和紙の博物館 (aitai.ne.jp) Ref: https://www.hm2.aitai.ne.jp/~row/index.html

・参考:和紙の年表
Ref. https://www.hm2.aitai.ne.jp/~row/history.html より


・参考:地図で見る全国の和紙の分布図
Ref. https://www.hm2.aitai.ne.jp/~row/washimap.html より

(和紙の項・了)

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セメント、煉瓦、石材の史跡と博物館(博物館紹介) 

はじめに

  幕末から明治維新を経て、産業と社会の近代化に乗りだした日本は、早急なインフラ整備と近代的な建造物の建設を迫られた。従来の木材を主体とした構造物以外に、耐火性と堅牢性をもった建築材料が大量に必要となったのである。そして、西欧で発達したセメント、煉瓦、石材、タイルなどを政府をあげて追求することになる。インフラの分野では、灯台、鉄道、トンネル、工場建設には大量のセメント、煉瓦が必要としたし、官庁や銀行、倉庫などの建物には耐火性の優れた煉瓦が求められた。当初、これらは輸入に頼らざるを得なかったが、徐々に国産化も進められた。明治初期の官営のセメント工場、煉瓦工場の建設などはこの努力の跡であろう。これらは後に民営化され民間産業として育っていくことにつながる。太平洋セメントや小野田セメント、そして深谷の日本煉瓦製造などの設立と発展は、その経過を示すものといえるだろう。また、日本の陶芸技術も応用した伊奈陶器などタイル製造技術の発展、古くから建築物の基礎や石壁建設として用いられた石材採掘も見逃せない。
  このセクションでは、これら企業の発展を跡づける史跡・博物施設を紹介し、日本の産業基盤整備の過程を追ってみることにした。

♣ セメント資料館(太平洋セメント)         

所在地:千葉県佐倉市大作2-4-2 Tel. 043-498-3811
HP: https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/index.html)

太平洋セメント中央研究所

→ 太平洋セメント中央研究所が、セメント製品の国産化に向けた努力の歴史をネット上で紹介している資料館。「セメントの基礎知識」、「セメントはじめて物語」、「セメント・コンクリート用語辞典」が掲載されている。
 このうち「はじめて物語」では、明治初期、東京深川にあった「官営(セメント)深川工場」から始まったセメント生産からはじめ、発展する過程、そして現太平洋セメントに至る企業の展開が紹介されている。

北海道北斗市の上磯工場
深川時代の工場

(セメントとは)

 石灰を主成分とする土木建築用の無機質接合剤。石灰石・粘土などを粉砕し、煆焼か焼成して作る粉末をセメントとする。水で練ったあと、疑結・硬化する現象が空気中だけで進む気硬性セメントと、水中でも硬化が進む水硬性セメントとに大別される。普通には後者のポルトランドセメントをさしコンクリートなどの原料にする。日本では、明治8年頃、工部省深川製作寮出張所(のちに深川官営工場)で、はじめて国産セメントの生産に成功している。

・参照:セメント協会資料https://www.jcassoc.or.jp/cement/1jpn/jd1.html
・参照:https://www.taiheiyo-cement.co.jp/rd/archives/story/pdf/story2.pdf
・参考:会社沿革|会社情報:太平洋セメント (taiheiyo-cement.co.jp)
・参考:セメントが出来るまで 太平洋エンジニアリング (taiheiyo-eng.co.jp)  https://www.taiheiyo-eng.co.jp/cement-process.html
・参考:太平洋セメント – Wikipedia

♣ 史跡・セメント生産発祥の碑 

所在地:東京都江東区清澄1丁目2番 太平洋セメント㈱内
HP: https://www.ko-syouren.jp/furuihp/art/08siseki-bunkazai/4-12.htm

官営深川工場の図

→ 江東区の清洲橋のたもとに江東区史跡「セメント工業発祥の地」がある。ここは日本で初めてのセメント工場があった場所、明治8年、工部省が本格的なセメント製造に成功したことを顕彰している。隅田川、仙台堀などの泥土を原料の一部として使い、試行錯誤の上、外国品と遜色のない国産のセメントを作りあげたといわれる。明治16年、創業者の一人である浅野総一郎が払い下げを受け、その後民間初のセメント工場として発展している。

  ・参照:本邦セメント工業発祥の地と116年前のコンクリート – ROOF-NET ON LINE MAGAZINE
  ・参照:セメントの歴史をたずねる https://www.jcassoc.or.jp/cement/4pdf/meiji150.pdf
  ・参照:我が国セメント産業の発祥とその遺産https://www.chemistry.or.jp/know/doc/isan017_article.pdf

♣ 旧秩父セメント資料展示室(秩父太平洋セメント) 

所在地:埼玉県秩父市大野原1800   Tel. 0494-22-1300
HP: https://www.ct-cement.co.jp/info/2024/02/643/

秩父セメント資料展示室

 → 旧秩父セメント資料展示室の一般公開が行われた(2024年2月)。資料展示室には、秩父セメントの歴史、創業を築いた方たちの紹介、今は手に入らないであろう、当時の道具や作業服などの品々が展示され、秩父の産業を支えた「セメント」の歴史を知り勉強になる内容となっている。
・参照引用:https://www.instagram.com/satoru_oha/p/C3uanPwRy6l/?img_index=1

資料室内の展示(1)
資料室内の展示(2)

♣ 旧小野田セメント・(セメント焼成)竪窯(史跡)

所在地:山口県山陽小野田市大字小野田6276番地 Tel. 0836-82-1111(市役所)
HP: https://www.city.sanyo-onoda.lg.jp/site/bunkazai/40545.html

小野田セメント徳利窯
堂広竪窯 

→ 明治16年に建造した日本最初のセメント焼成用の竪窯で、近代窯業史上最も重要とされる。これは旧小野田セメント株式会社が明治16年(1883年)に建造した最初のセメント焼成用の竪窯のひとつで、明治30年頃に焼成容量増加を目的として一部改造された。焼成部分と煙突部分からなる煉瓦構造物で、高さは、焚口底部より約18mである。日本に完存する唯一のセメント焼成用竪窯として、近代窯業史上高い価値があり、西日本における建設事業の近代化を支えた旧小野田セメント製造株式会社の中心的施設として重要とされた。竪窯は、国重要文化財。(平成16年12月10日指定)

  ・参考:旧小野田セメント製造株式会社竪窯 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/124907
  ・参考:民間企業創業に関する記念碑 (https://www.chiba-muse.or.jp/SEKIYADO/digi-muse/kinenhi/DM-kinenhi-3enterprise.html)

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(煉瓦の博物館)

♣ 日本煉瓦史料館(日本煉瓦製造(株) 旧煉瓦製造施設)(史跡)

所在地:埼玉県深谷市上敷面字中島28番地2、同上敷面字西本郷290番地先
HP: https://www.city.fukaya.saitama.jp/shibusawa_eiichi/bunkaisan/1425344387985.html

日本煉瓦史料館

  → 明治の初め、日本は都市整備促進のため耐火性のある丈夫な建材として煉瓦が大量に必要とされた。実業家渋沢栄一らによって、この煉瓦の製造を目的として設立されたのが日本煉瓦製造会社である。この旧煉瓦製造施設を史料館として開館されたのが当日本煉瓦史料館。旧工場の敷地内には、煉瓦焼成のための大規模な煉瓦構造物であるホフマン輪窯、旧事務所、旧変電室が残っている。また、隣接して工場と深谷駅を結んでいた専用鉄道(日本で最初の専用鉄道)の軌道敷に備前渠鉄橋と煉瓦構造物も残され史跡となっている。この工場で作られた煉瓦は東京駅を初めとする東京の主要な建築に用いられたことがわかっており、日本の近代化の礎をなした施設として貴重とされる。
  ・参照:文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/147718
  ・参照:日本煉瓦史料館とホフマン輪窯http://ogino.c.ooco.jp/gijutu/hofman3.htm

史料館の内部
製造煉瓦の展示
煉瓦の刻印具

(史跡・ホフマン輪窯6号窯)

埼玉県深谷市上敷免28-11 Tel. 048-577-4501
HP: http://www.fukaya-ta.com/midokoro/hohuman/

ホフマン輪窯6号窯建屋

 →ドイツ人技師ホフマン考案の煉瓦焼成窯で、明治40年(1907)に建設され、昭和43年(1968)の操業停止まで多くの煉瓦を焼いてきた。操業中には月産65万個の製造能力を持ち、東京駅や迎賓館(旧赤坂離宮)の赤レンガもここで造られた。ホフマン輪窯は、深谷市の輪窯6号窯の他には、栃木県下都賀郡野木町、京都府舞鶴市、滋賀県近江八幡市にそれぞれ1基が現存するのみで、全国では4基しか残されていない貴重なもの。
・参考:https://ameblo.jp/chapesujp/entry-12664472913.html

ホフマン輪窯6号窯内部

史跡・専用鉄道と備前渠鉄橋)

変電所史跡

  →旧変電室は1906(明治39)年に高崎水力電気(株)から電燈を曳いた時に建設されたものでで重要文化財となっている。また、工場と深谷駅を結んでいた専用鉄道(日本で最初の専用鉄道)の備前渠鉄橋。煉瓦工場は利根川の支流小山川に面しており製造された煉瓦は、当初、舟運により小山川から利根川そして江戸川に入り東京に至るというルートをとっていたが、輸送力向上を目的として1895年(明治28年)に日本鉄道の深谷駅から工場までの約4.2kmにわたって日本初の専用鉄道が敷かれた。

避溢鉄橋
唐沢川橋梁


・参照:備前渠鉄橋 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/196680
・参照:日本煉瓦製造 – Wikipedia

(日本煉瓦製造の煉瓦を使って建設された主な建築物)

赤煉瓦の東京駅舎

→ 東京駅(東京都千代田区)、中央本線万世橋高架橋(東京都千代田区)などの鉄道高架橋、司法省(現在の法務省旧本館、東京都千代田区)、日本銀行旧館(東京都中央区)、赤坂離宮(現在の迎賓館赤坂離宮、東京都港区)、東京大学(東京都文京区)、旧金谷レース工業鋸屋根工場(群馬県桐生市)、信越線碓氷峠の鉄道施設(群馬県安中市松井田町)、旧警視庁、旧三菱第2号館 など多数
・参照:日本煉瓦製造 – Wikipedia

♣ 旧下野煉化製造会社煉瓦窯(史跡)

栃木県下都賀郡野木町大字野木字大手箱3324番地1・3・5及び1376番地4・5
HP: https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/199329 (文化遺産オンライン)

旧下野煉化製造会社煉瓦窯

  → 旧下野煉化製造会社煉瓦窯は、栃木県下都賀郡野木町野木にある近代化遺産で、赤煉瓦の製造に用いられた設備、野木町煉瓦窯とも称する。国の重要文化財に指定されている。明治21年(1888年、赤煉瓦(レンガ)製造のために「下野煉化製造会社」が設立された。当初、赤煉瓦焼成窯は登り窯1基だけであったが、明治23年(1890年)に、時最新鋭の煉瓦窯「ホフマン式輪窯」(東窯)が完成し、続いて、明治25年には同じホフマン式の西窯が完成して赤煉瓦製造が本格的に開始された。このうち、ホフマン式の東窯が現存している。西窯は1923年の関東大震災で倒壊した。
 窯は環状トンネル型で、隔壁はないが十六区画に分かれ、順次循環・移動しながら煉瓦を焼くシステム。煉瓦造の建造物として優れており、また、建築材料である煉瓦を製造した産業遺跡の一つとしてもきわめて価値が高い。(重要文化財)

♣ 史跡・煉瓦の洞遺跡(最古の耐火煉瓦工場跡)

所在地:静岡県賀茂郡河津町梨本地区
HP: https://kankou.town.kawazu.shizuoka.jp/attraction/177/

史跡・煉瓦の洞

 → 幕末、韮山(伊豆の国市)に反射炉(鉄の溶鉱炉)を建設するにあたり、耐火煉瓦の原料に遺跡近くで採取した白土を使い煉瓦を製造。その後、明治の始めに明治政府が耐火煉瓦をここで製造している。反射炉を築くにあたって欠かせないのが銑鉄を溶かすための千数百度の高温に耐えられる耐火煉瓦。韮山反射炉に使われた耐火煉瓦は梨本村(現河津町梨本)の窯で焼いたものといわれる。
・参照:https://hurusato.i-ra.jp/e876822.html

♣ 泉南市の煉瓦遺構(1)赤煉瓦の紡績工場跡

HP:https://welcome-sennan.com/tourist-spots/brick-rui-etc

紡績工場の跡「赤煉瓦Rui」

 → 泉南市は明治時代以降煉瓦製造が盛んになり、「西園寺公望の別宅の煉瓦も焼いた」という樽井煉瓦製造所を始めとして、岡田、樽井、中小路、男里などで少なくとも4軒の煉瓦工場が操業していたといわれる。多くの煉瓦工場は取り壊されまたが、いまも煉瓦遺構がそこかしこに残り当時の繁栄ぶりを彷彿とさせる。これら煉瓦工場が作った煉瓦工場は多数あり、その一つ、大正時代に西野紋羽として創業した紡績会社の工場だった建物が、今は形を変え「赤煉瓦Rui」となってコンサートやアート展などのイベントにも活用されている。

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(煉瓦による歴史的建築物など・参考資料)

横浜赤煉瓦倉庫

・参考:横浜赤レンガ倉庫の歴史|横浜赤レンガ倉庫 (yokohama-akarenga.jp)
・参考:醸造場のレンガ遺構 | 稲美町ホームページ
      1996年に発見された醸造場のレンガ遺構
・参考:福岡市赤煉瓦文化館 ( 福岡市中央区天神/史跡  https://map.yahoo.co.jp/v2/place/UUGR0VypSd6

福岡赤煉瓦文化館

 → 明治42年(1909)、日本生命保険株式会社九州支店の社屋として建てられた赤レンガの建物。東京駅を設計した辰野金吾らの設計で、国の重要文化財に指定されている。1階はエンジニアカフェおよび喫茶室、2階は有料の会議室。大理石の玄関や照明器具、カーテンは建築当時の仕様に復元。
福岡県福岡市中央区天神1-15-30

・参考:銀座エリアの煉瓦銀座之碑 | 銀座 日本橋 築地 月島 人形町  (chuo-kanko.or.jp) 

銀座煉瓦の碑

 → 明治期に誕生した銀座煉瓦街の記念碑。明治5年(1872)、和田倉門から出火した火事が銀座一帯を焼きつくし、築地ホテル館にまで及ぶ大火になった。これを機に、時の東京府知事由利公正は不燃性の都市を建設することを主張し、銀座煉瓦街の誕生となった。明治初期に日本の文明開化のシンボルであったレンガ建築が立ち並んだことを記念して碑が立てられた。記念碑の奥にはガス灯も復元されている

・参考:材料からみた近代日本建築史 その4 日本における煉瓦建築の盛衰|建設情報クリップ|けんせつPlaza (kensetsu-plaza.com)
・参考:あらかわの史跡・文化財 煉瓦工場と荒川遊園 – Monumento(    https://ja.monumen.to/spots/4354
  →明治・大正期、荒川(現隅田川)沿いにはいくつもの煉瓦工場があった。土が煉瓦 の製造に適していたことと、船運が期待されてのことである。旭電化跡地(東尾久七丁目)付近にあった戸田・山本煉瓦工場、華蔵院(東尾久八丁目)付近にあった鈴木煉瓦工場などである。なかでも古いのが、明治五年に石神仲衛門氏が設立した煉瓦工場だという。後の広岡煉瓦工場である。

・参考:京都と大津を繋ぐ希望の水路 琵琶湖疏水|日本遺産ポータルサイト (bunka.go.jp)
・参考:煉瓦工場跡 | 見どころ | 日本遺産 琵琶湖疏水(びわこそすい) (kyoto.lg.jp)

琵琶湖疎水煉瓦工場の碑
琵琶湖疎水トンネル
(上部伊藤博文と山県有朋の扁額)

 → 第1疏水の建設に必要なレンガを製造していた工場跡地。琵琶湖疏水で使用されたレンガのほとんどは、ここで生産された。現在は、記念碑と解説板が設置されており、地下鉄御陵(みささぎ)駅で見ることができる。
 ちなみに、第1疏水によって,明治維新後。京都のまちは復興の道を力強く歩み始めた。今でも,疏水沿いを歩くと,各所の煉瓦で建造されたトンネルに当時の有力政治家たちの揮ごうによる扁額を目にできる。扁額の石に彫り込まれた文字は,琵琶湖疏水が日本における一大プロジェクトであったことを示す。

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(タイルの博物館)

♣ 世界のタイル博物館(INAXライブミュージアム施設)

所在地:愛知県常滑市奥栄町1-130  Tel. 0569-34-828
HP: https://livingculture.lixil.com/ilm/facility/tile/

世界のタイル博物館

 → タイルは建物の壁や床を覆う陶磁器製の建築材料であり、特に、装飾タイルは美術的にも工芸的にも非常に貴重なものである。INAXでは「ライブミュージアム」施設(前述)に、この「世界タイル博物館」を設けて一般に公開してきた。展示では、5500年前のメソポタミアから現代に至る各時代の代表的なタイル装飾空間を再現、常設展示室では、紀元前の古代から19世紀近代までのタイルコレクション約7000点のうち選りすぐったものを地域別(オリエント、イスラム、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本)にコーナーを設けて展示している。博物館展示では、タイル研究家・山本正之の寄贈した「山本コレクション」中心に「観て、学んで、発見」し、かつ「人類を魅了したタイルの美しさと装飾の心を体感して欲しい」と解説している。

館内のタイル展示
壁面に並ぶ多様なタイル
イスラム圏の装飾タイル

 展示構成は、メソポタミア・装飾壁の原点、エジプト・世界最古のタイル、イスラム・装飾の宇宙、オランダ・住まいに登場したタイル、イギリス・膨張する装飾となっている。展示では、特に、古代オリエントの作品、イスラムのタイル装飾が素晴らしい。

(参考:タイルとはー歴史と特徴―)

 → タイル(英: tile)は、一般には石や粘土からなる生地を高温で焼成し、釉薬によってデザイン性や機能性を付加した外装材、舗装材、化粧材のことを指す。現存する世界最古のタイルはエジプト第3王朝、ジェゼル王が紀元前2700年に建てたサッカラの階段ピラミッドの通路に貼られた青釉のタイルと推測されている。日本には6世紀に百済から伝来し、瓦の技術を応用して、仏教寺院の敷瓦や腰瓦に用いられたとされる。鎌倉時代から桃山時代にかけて釉薬で彩色を施した陶板が出現したものが現在のタイルに近い。名称については化粧煉瓦[3]、敷瓦、陶板、貼付け化粧瓦など様々な呼称があったが、1922年に全国タイル業者大会が東京で開催され、「タイル」へ名称統一がなされているようだ。(タイル – Wikipedia

・参照:旅モザイク(世界のタイル博物館) https://tabimosaic.com/japan-aichi-
naxtilemuseum
・参照:LIXIL文化活動(世界のタイル博物館 | )https://dev-livingculture.lixil.com/ilm/museum/
・参照:いこーよとりっぷ(常滑市の「世界のタイル博物館」へ タイルが面白くなる見どころを紹介)https://trip.iko-yo.net/specials/1904
・参考:日本のタイル100年 ー 美と用のあゆみ 日本のタイル100年 ー 美と用のあゆみ (tatemonoen.jp)  https://www.tatemonoen.jp/special/2023/20230311.php

♣ 多治見市モザイクタイルミュージアム

所在地:岐阜県多治見市笠原町2082-5 Tel.0572-43-5101
HP: https://www.mosaictile-museum.jp/

ユニークな形のミュージアム外観

→ 施釉磁器モザイクタイル発祥の地である多治見市笠原町に誕生した珍しいモザイクタイルミュージアム。博物館の外観は、タイルの原料を掘り出す「粘土山」を思わせるユニークなものになっている。ここではタイルの魅力を伝えるコレクションを基盤に、多治見で培われてきたタイルの情報や知識、技術を発信することを目指している。館内には3つの展示室があり、4階壁面には各地から集められた昭和期の銭湯の絵タイル、洗面や風呂などのモザイクタイル画、3階展示室は、多治見のモザイクタイルの製造工程や歴史がたどれるコレクションの展示が見られる。併設のギャラリーでは、タイル産業や歴史、アートなど独自のテーマを設けた企画展示も行われている。

館内展示の様子
壁面に飾られたタイル

(参考:日本のタイル製作と応用の歴史)

 多治見市のタイルミュージアムでは、2022年に企画展「日本のタイル100年 ー 美と用のあゆみー」を企画し、日本におけるタイルの導入と発展を展示作品を通して詳細に伝えている。これによれば: 

 → 幕末、開港した長崎、横浜などの外国人居留地で西洋館に装飾に“ビクトリアン・タイル”が使用されたのが日本で装飾タイルが使われた最初とされる。元来、日本は木造建築により障子や襖による仕切りが多かったためタイルが普及する背景がなかった。しかし、明治初期にドイツ人ワグネルが来日して近代窯業技術が導入され、且つ西洋風の建物が普及しはじめた明治後半頃には国産乾式硬質陶器タイル(「旭焼きタイル」)が製造されている。また、銭湯や温泉の浴槽、流し場などでのタイルの利用が一般的になったのが、大正末から昭和にかけてとされる。
  一方、この時期、官庁やホテルでは壁面に装飾タイルが飾られるようになり流行になっている。帝国ホテル旧本館、青山会館、甲子園ホテル(図5)などが好例である。昭和初期には建築陶器としてテラコッタも流行している。

展示タイル (1)
展示タイル(2)
展示タイル(3)
企画展示の内容

戦後のタイル市場は高度経済成長に伴う建築需要の増加に伴って大阪万博までの20年間、加速度的な躍進を続けている。特に内装タイルは戦後急激に流入したアメリカ文化による住宅の洋風化が進み一般家庭の浴室や台所やトイレに普及し、これら箇所の暗いイメージを明るく一変させたといわれる。  総合的に見たタイルの魅力は、それが単なる便利な建材としてだけでなく、ミュージアム展示に見られるようにタイルの美しさや存在感などが挙げられるとされる。
・参照:日本のタイル100年 ー 美と用のあゆみ  see https://www.tatemonoen.jp/special/2023/20230311.php

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(産業史跡としての採石場)

♣ 大谷石の大谷資料館― 大谷石の歴史と巨大地下空間―

所在地:栃木県宇都宮市大谷町909
HP: http://www.oya909.co.jp/

採石
大谷資料館の入口

→ 宇都宮市大谷町にある大谷石採石場跡に関する博物館。大谷資料館の地下採掘場跡は、1919年から約70年かけて 大谷石を掘り出して出来た巨大な地下空間。その広さは、2万平方メートルにもおよぶ。昔から大谷石は加工しやすさから石塀や石蔵などに多く使われてきたことが知られる。旧帝国ホテルや松が峰教会などの建材としても使われた。戦争中は地下の秘密工場として、戦後は政府米の貯蔵庫としても利用されたという。現在では、コンサートや美術展、演劇場、写真や映画のスタジオとしても注目を集めているようだ。資料館内では、大谷の地質、大谷石の採掘方法と採掘形態、大谷石地下採掘場跡(巨大地下空間)、石搬出、輸送の移り変わりなどの展示物説明などがなされている。

大谷石の採掘域
巨大空間の内部

♣ 史跡・石切山脈―前山採石場―

所在地:茨城県笠間市稲田4260-1 電話番号0296-74-2537
HP: https://www.ishikiri-sanmyaku.com/

前山採石場

  → 「石切山脈」と呼ばれる山地一帯は、東西約10km、南北約 5km、地下1.5kmに及ぶ岩石帯で、 明治32年から100年以上続いている「稲田石」の日本最大級の採掘現場である。この史跡の採石場跡を訪ねることでかつての採石の追体験をすることができる。
・参照:【公式】石切山脈観光サイト – 日本最大級の採石場を体感プレミアツアー – (ishikiri-sanmyaku.com)
・参照:「稲田石」の大峡谷?(日本経済新聞)https://www.nikkei.com/article/DGXZQODG1203X0S0A211C2000000/

♣ 鋸山天然ミュージアムーラピュタの壁

所在地:千葉県富津市金谷
HP: https://nokogiriyama.jp/

鋸山採石場跡

  → 金谷から見た鋸山はギザギザとした断崖が東西に連なり、迫力のある景観をみせている。この中の横穴は石材を求めて地層に沿い奥へと切り進みできた跡、垂直に切り取られた跡は巨大な彫刻のようにみえる。最大垂直面96m の絶壁である石切り場跡は、その壮大な景観から天空の城ラピュタを連想させる形状。この鋸山採掘場遺跡では「金谷ストーンコミュニティ」も設立され、鋸山・房州石の歴史の調査研究、鋸山保全維持のための整備・清掃活動も行われている。
 遺跡としては、索道跡、車力道跡、石のストックヤード跡、猫丁場、吹き抜け洞窟、切通し跡、観音洞窟、岩舞台、樋道跡、ラピタの壁、地獄のぞき、などがある。

石切職人(昭和40年代)
手彫トンネル
ラピュタの壁

・参照:鋸山マップ https://nokogiriyama.jp/nokogiriyama-map/
・参照:鋸山資料館 https://nokogiriyama.jp/museum/
・参照:見どころ・手彫りトンネル https://nokogiriyama.jp/viewpoint/tunnel/
・参照:石切場職人 鋸山 https://nokogiriyama.jp/viewpoint/shokunin-2/
・参照:ラピタの壁 https://nokogiriyama.jp/viewpoint/wall-of-laputa/
・参照:日本遺産候補地域「鋸山」ストーリーと主な構成文化財 | 富津市 (futtsu.lg.jp)

♣ 関東の石切場跡5選

HP: https://tripnote.jp/kanto/osusume-quarry-trace-in-kanto
 → 大谷資料館、ラピュタの壁(鋸山)、鷹取山、藪塚石切場跡が紹介されている。
参照:まるで古代遺跡!壮大な景色が楽しめる関東の石切場跡5選 (tripnote.jp)

♣ 藪塚石切り場跡―森のなかの神殿、 神秘の空間

所在地:群馬県太田市藪塚町3426−5
HP: http://altota.com/cat03/2469
・参照:森のなかの神殿!? 神秘の空間『藪塚石切り場』を探検!
・参照:藪塚石切場跡 – Wikipedia

♣ 宮谷石切場跡

所在地:福井県あわら市宮谷
参照:宮谷石切場跡へ神秘ピクニック – あわら市観光協会 (awara.info)

♣ 馬門石石切場跡

所在地:熊本県宇土市浦田町51
HP: https://www.city.uto.lg.jp/museum/article/view/39/319.html
・参照:馬門石石切場跡|宇土市公式ウェブサイト (uto.lg.jp) 

(石材 了)

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