医療機器の歴史博物館(1)ー企業ー(博物館紹介)

ー日本の企業は医療・健康にどのように取り組んできたかー

はじめに

日本の医療機器開発は、明治以降、西洋技術の吸収から始まっているが、その後、日本独自の工夫が加えられることによって先端技術に発展させてきた。今では、米国に次ぐ精密医療機器の供給国となっている。この項では、歴史的な経過を含めて、日本の企業がどのように医療分野の機器を発展させてきたかを中心に、主要な医療・ヘルスケア機器メーカーの開発製品、資料館や技術開発センターの活動などを取り上げてみた。
  対象としたのは、オリンパス(内視鏡)、テルモ(体温計、人工心肺)、オムロン(電子血圧計)、ニプロ(透析)、シスミックス(血液検査)、日本光電(AED)、リオン(補聴器)、HOYA(コンタクトレンズ)、タニタ(体重計)などの専門医療機器メーカー。また、島津製作所、富士フィルム、キャノンなど大手機械メーカーにおける先端医療器具開発も取り上げた。

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♣ オリンパス技術歴史館「瑞古洞」(オリンパス株式会社)

所在地:東京都八王子市石川町2951 オリンパス株式会社技術開発センター石川内
HP: https://www.olympus.co.jp/jp/info/2013b/if130925zuikodoj.html
HP: https://www.polyplastics.com/en/pavilion/olympus/index.html

オリンパス技術歴史館外観

 → この資料館は、オリンパス社の技術開発の歴史を紹介する産業博物館。特に顕微鏡、カメラ、内視鏡の技術発展を跡づける豊富な展示を行っている。当初は、社内技術者のための展示施設だったそうであるが、2013年に一般公開された施設である。資料館には、カメラだけでなく、歴史的な顕微鏡、工業用や生物・医療用の高性能顕微鏡の展示があって、オリンパス独自の光学機器の技術進歩をみることができる。オリンパスの内視鏡技術の進化をも知ることができる。 

顕微鏡展示コーナー
顕微鏡「旭号」
顕微鏡「精華号」
生物顕微鏡DF

 ちなみに、オリンパスの顕微鏡は、現在、世界でも大きなシェアを占めるが、その歴史をみると、1920年代から始まる。この最初の成果が顕微鏡「旭号」(1920年)である。資料館の展示では、この「旭号」、昭和天皇も使用した”精華号”(1928)、写真も撮れる「万能顕微鏡スーパーフォト」(1938)、大型双眼生物顕微鏡「瑞穂号LCE」(1935)を見ることができる。戦後では、「昭和号GK」(1946)、本格的な生物観察を行う倍率の高い「生物顕微鏡DF」(1957)、など年々進化する顕微鏡の姿を展示で確かめることができる。

レーザー走査型顕微鏡
高級実体顕微鏡SZH

 ちなみに、オリンパスの顕微鏡は、現在、世界でも大きなシェアを占めるが、その歴史をみると、1920年代から始まる。この最初の成果が顕微鏡「旭号」(1920年)である。資料館の展示では、この「旭号」、昭和天皇も使用した”精華号”(1928)、写真も撮れる「万能顕微鏡スーパーフォト」(1938)、大型双眼生物顕微鏡「瑞穂号LCE」(1935)を見ることができる。戦後では、「昭和号GK」(1946)、本格的な生物観察を行う倍率の高い「生物顕微鏡DF」(1957)、など年々進化する顕微鏡の姿を展示で確かめることができる。

<内視鏡の歴史展示>

胃カメラ GT-IJ

 しかし、なんといってもオリンパスの独壇場は内視鏡技術の優位性である。内視鏡の歴史展示コーナーでそのことがよく示されている。オリンパスが最初に内視鏡に取り組んだのは1949年といわれ、東大病院の医師と連携しつつ世界で最初に実用的な内視鏡施策に成功。これが1952年「胃カメラGT-IJ」。それまでの内視鏡は金属製の湾曲が難しいものであったが、この胃カメラは巻き取り可能な管を使った点で画期的なものだった。 その後、1960年代には、新素材グラスファイバーを使うことで内臓の様子がリアルタイムで観察出来るグラスファイバー付胃カメラ」(1964)、1970、1980年代には、進化したカメラとビデオ技術により内視鏡内にビデオカメラを組み込んだ「ビデオスコープ」の誕生、記録・観察だけでなく医療行為にも活用するシステムがオリンパスによって開発されることになる。また、2000年代には、世界で初めて「ハイビジョン内視鏡システム」も生まれる。現在では、直径11ミリのカプセル内視鏡も開発されていているという。オリンパス資料館では、これら内視鏡を使った手術や医療処置が年々進歩していく姿が確認できる。

金属製直行胃カメラ
現在の各種胃カメラ
内視鏡手術

<オリンパス社の創業と発展>

山下長
1920年代の高千穂製作所
“瑞光”レンズ

 資料館の「歴史展示コーナー」では、オリンパスの創業と技術の発展経緯を取り上げ展示が行われている。これによれば、同社は、1919年、技術者であった山下長が、理化学機器の製造販売を手がけたことに始まるという。社名は「高千穂製作所」であった。後に社名はオリンパスと改めるが、これは「高千穂」という名称が、“神々の集う場所“(日本神話)→ “高千穂峰“(九州)であったことから、ギリシャ神話になぞらえて”オリンポス“→”オリンパス”としたものだという。 同社の技術開発は、当初、体温計と顕微鏡を中心に進められた。体温計については、後に「テルモ」社に譲渡されたが、顕微鏡開発では日本の第一人者として活躍することとなる。1934年には.顕微鏡で培った光学技術を応用して写真レンズの製作も開始、1936年には、著 “瑞光”レンズを開発、このレンズを使用した小型カメラ第一号が「セミオリンパスI型」を発売であった。これがオリンパスのカメラ事業参入のベースとなっている。

初代セミオリンパス
オリンパスの内視鏡

1940年代の戦時期には、軍の要請で光学兵器の製造に関わったが、戦後は民生に転じ、カメラ、顕微鏡の技術開発を進めると共に、1950年代には、当時新事業であった内視鏡ガスト開発に取り組み、60年代には、ファイバースコープを採用した画期的なガストロカメラ(胃カメラ)の製作に成功、この分野でオリンパスの名が世界に認知されるまでになっている。現在では、医療系の内視鏡ビジネスは、同社の中心事業となり売り上げでみても7割を越えるという。

・参照:オリンパスの歩み http://www.olympus.co.jp/jp/corc/history/
・参照:オリンパス技術歴史館―瑞光洞―」 案内パンフレット
・参照:内視鏡の歴史(オリンパスメディカルシステム)http://www.gakuto.co.jp/web/download/rika197_7.pdf
・参照:オリンパス技術歴史館「瑞光洞」を訪ねるhttps://igsforum.com/visit-orinpasu-m-jj/

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♣ テルモの「Terumo Medical Pranex」

東京都渋谷区幡ヶ谷二丁目44番1号(テルモ本社)
HP: https://www.terumo.co.jp/about/who-we-are
HP: https://www.terumo.co.jp/about/pranex/floor 

テルモ MEセンター

 → テルモは、体温計から初めて、注射器、カテーテル、人工心肺、腹膜透析システム・血糖測定ステムなどを扱う医療機器メーカーである。このテルモの事業を紹介するため開設されたのが「Terumo Medical Pranex」である。現在は、一般には開放されておらず、医療関係者のみが見学を許されている施設となっている。
 館内は、草創期展⽰として、1921年の創業から当時の医療課題に挑んだ軌跡を紹介。製品を実際に触れながら体感できる展示スペース、テルモの磨き上げたコア技術を紹介するコーナー「Terumo Engine」があり、実戦用のX 線造影室、オペ室、Medical Design Room、人間工学ラボ(模擬居宅)なども設けられている。施設の理念としては、未来の医療を提案し、体験と対話により現場の課題に向き合うこと、在宅医療研修や業務課題解決を検証する空間とすることを目指しているという。

テルモ展示室
Terumo Engine
Total Quality Lab

<テルモ社の概要と沿革>

北里柴三郎
テルモ最初の体温計

 テルモは、先に述べたように、体温計、注射器、人工心肺、腹膜透析システム・血糖測定ステムなどの高度な医療機器と医療サービスを行っている医療機器メーカーであるが、その創業は1921年、良質な体温計の国産化を目指して「赤線検温器株式会社」を設立したことから始まる。この創設には北里柴三郎氏の大きな役割を果たしている。

バッグ入り輸液
使い切り“注射筒”

 この会社は1936年に「仁丹体温計株式会社」に商号を変更、戦後の1936年、使い切り“注射筒”、1969年に血液バッグを発売して業域を広げ日本の血液事業を支える企業となっている。1970年以降は、ソフトバッグ入り輸液剤開発、人工腎臓(ダイアライザー)を発売して、人工臓器分野に進出している。また、カテーテルシステム(1985)、腹膜透析システム(1988)を開発するなど高度医療への道を歩むことになる。その後も、糖尿病対応の血糖測定システム、首から行うカテーテル治療、高カロリー輸液剤の開発などを行っており、在宅医療分野でも存在感を増すようになっている。

テルモの体温計
皮下留置型カテーテル
人工心肺装置

 テルモは、一般には体温計が有名であるが、現在、体温計が占める割合は1%未満で、カテーテル治療、心臓外科手術、薬剤投与、糖尿病管理、腹膜透析、輸血や細胞治療などに関する幅広い製品・サービスを提供する総合メーカーとなっている。グローバルな医療機器市場でも海外メーカーに伍する日本メーカーとして、オリンパスともに双璧をなしているという。

・参照:施設紹介 「Terumo Medical Pranex」https://www.terumo.co.jp/about/pranex/floor
・参照:テルモの沿革 (企業情報)https://www.terumo.co.jp/about/history
・参照:テルモ – Wikipedia
・参照:TERUMO 100th HISTORY | テルモ100周年記念サイト https://www.terumo.co.jp/about/history/100th/history

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♣ 「オムロン・コミュニケーションプラザ」

所在地:京都市下京区塩小路通堀川東入オムロン京都センタービル啓真館内 
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/plaza/

オムロンビル

 → オムロンは、家庭用電子血圧計などで知られる健康医療機器メーカーの一つであるが、自動改札機、ATMのほか、産業用オートメーション機器の製造でも大きなシェアをもっている企業。このオムロンの製品と事業展開、技術開発を紹介するのが「コミュニケーションプラザ」である。

コミュニケーションプラザ
オムロン製品展示
SFビジョンシアター

 プラザには、歴史のフロア、技術のフロアに分かれて展示が行われており、「歴史」では、オムロンの創業から現在までの事業の展開、理念、将来のビジョンを紹介、「技術」では、オムロンのコア技術、環境技術、健康寿命への取り組みなどが、SFビジョンシアターと共にそれぞれ紹介されている。ちなみに、オムロンは、世界初の無接点近接スイッチを開発するなど産業用オートメーション機器に強みを持つが、一般消費者には家庭用電子血圧計は世界トップシェアを誇るなど健康医療機器で知られる。

このオムロンは、創業者立石一真が立石電機を設立したのがはじまり。その後、センシング&コントロール技術を核とした産業向け制御機器やシステム、電子部品のほか、ヘルスケア製品等を展開する「オムロングループ」に成長している。2022年より長期ビジョン「SF2030」を発表しており、創業時から受け継がれる理念とオムロンの育てたコア技術を活用して「カーボンニュートラルの実現」、「デジタル化社会の実現」、「健康寿命の延伸」の社会的課題解決、社会の豊かさと自分らしさを追求する「自律社会」の実現を目指すとしている。この経過は、コミュニケーションプラザの「SFビジョンシアター:オムロンが目指す未来へのアプローチ」で詳しく映像紹介されている。また、オムロンのコア技術の象徴「フォルフェウス」では、センシング&コントロール+Think技術を結集させたデモ機を展示している。

<オムロンの歴史と発展>

オムロン創業
レントゲン撮影用タイマ左(1933)と国産マイクロスイッチ右(1943)

 先に触れたように、オムロンの創業は、1933年、立石一真が大阪市都島区東野田に「立石電機製作所」が開設したのがはじまりで、瞬時に正確に撮影できるレントゲン写真用のタイマ製作に取り組み「誘導型保護継電器」を開発して起業に成功。その後、継電器を改良して一般向け配電盤用の継電器を発売、また、1943年には、日本初の国産マイクロスイッチに挑戦して完成させている。この研究開発成果が、戦後のオートメーション機器パイオニアとしてオムロン発展の礎となったという。終戦後、家庭用家電にも進出するが、1950年代にマイクロスイッチの改良に着手、オートメーション市場の拡大に伴いスイッチの需要が高まる中、1960年、高性能・長寿命の「無接点近接スイッチ」開発に成功した。

食券自動販売機
無人駅システム(北千里駅)
自動改札機

 この時期、オムロンは中央研究所の建設、1959年に商標を「OMRON」に制定している。 1960年代以降は自動化システム、自動販売機を開発に着手、1964年に「定期乗車券自動改札装置」、続いて1967年には世界初の「無人駅システム」、1971年、「オンライン現金自動支払機」を完成させるなどこの分野の独自技術を発展させている。 90年代以降は、センシング技術の高度化、2000年以降は環境関連事業への本格参入している。この過程で、工場の製造工程の「インラインでの自動検査」装置、電力監視機器、電力センサ、直流リレーなど既存の省エネルギー関連機器の提供を行うようになっている。

血圧計
オムロン太陽の福祉工場

 一方、医療機器分野では、1978年には電子血圧計、1983年には電子体温計「けんおんくん」を発売、した。2010年には、ITを活用した健康管理サービス「ウェルネスリンク」事業を開始、2003年にヘルスケアビジネスカンパニーを分社化し、「オムロンヘルスケア株式会社」を設立している。また、同社は福祉事業にも熱心で、1972年、日本初の福祉工場である「オムロン太陽株式会社」を設立したことでも知られる、

 なお、オムロン社の創業者立石一真にまつわる逸話、創業、発展の経過については「立石創業記念館」の資料や展示に多くが紹介されているので参考になる。

・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/innovation.html
・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/
・参照:https://www.omron.com/jp/ja/about/corporate/history/ayumi/

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♣ 立石一真 創業記念館

京都府右京区鳴滝春木町.
HP: https://www.omron.com/jp/ja/about/promo/showroom/founder/

立石一真
立石一真 創業記念館

  → この記念館は、オムロンの創業者 立石一真の90年の“人生とひととなり”、今日のオムロン企業理念の根幹をなす“創業者精神、ベンチャースピリット”を体感する施設として2017年に誕生。立石氏の住居棟と庭園、創業者の足跡をたどる展示棟から構成されるテーマパークとなっている。ここでは「なぜ創業したのか、なぜ成功したのか、なぜ社憲が生まれたのか」を中心に、オムロンの発展と立石の貢献、創業の理念、オムロンの技術開発の特性がエピソードを交えて語られている。施設は、デジタルを避け、自邸や庭園、地域の空気を感じながら、五感を刺激する体験演出が特色であるという。

記念館内部
外の庭も見渡せる

 ちなみに、立石一真は本市新町に伊万里焼盃を製造販売する「盃屋」に生まれ、旧制熊本中学校を経て、1921年、熊本高等工業学校電気科一部(現・熊本大学工学部)卒業。兵庫県庁での勤務を経て、1930年に「彩光社」を京都市にて設立。1933年にオムロンの前身である「立石電機製作所」を設立している。戦後、オートメーションの必要性からマイクロスイッチなどを自社開発し、当時の同社の資本金の4倍もの資金をかけて中央研究所を設立する。ここで計算能力をもつ体温計、自動販売機、自動改札機などの製品を次々と発明し、オムロングループを一代で大企業に育て上げた。著書に『永遠なれベンチャー精神』(1985年 ダイヤモンド社)などがある。

・参照:立石一真 – Wikipedia

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♣ ニプロ:

所在地:大阪府摂津市千里丘新町3番26号
HP: https://www.nipro.co.jp/

ニプロ本社ビル

 → ニプロは、医療機器、医薬品、ガラス製品の製造販売を行っている企業。透析関連機器をはじめとする人工臓器関連製品など、治療プロセスの各段階で必要となる医療機器の製造・販売事業を展開している。例えば、多用途透析装置、ダイアライザ(人工腎臓)、透析用血液回路セット、人工腎臓用透析液粉末製剤などで医療関係者に広く知られる。また、血糖自己測定器(SMBG)、乾式臨床化学分析装置(POCT)などの健康管理機器、人工心臓ポンプ、補助人工心臓駆動装置、冠動脈ステント、血管造影用カテーテルなど循環器系の治療機器を製造し高度専門医療機器の提供を行っている。また、ニプロでは、医療職者向けの専門的研修施設「ニプロiMEP」も開設している。

ニプロの各種医療器具
乾式臨床化学分析装置(POCT)
多用途透析装置

<ニプロの沿革と技術> 

佐野 實
ニプロの初期医療器具

 ニプロの創業は1947年、佐野 實が大津市で電球再生事業を起こしたのがはじまりである。  その後、1954年に日本硝子商事を設立、アンプル用硝子管などの製造販売に着手。小型電球用バルブや魔法瓶用硝子などを取り扱う一方、1965年、製薬会社向けに輸液セットの販売を開始し、医療機器事業進出の端緒を開いた。1960年代には注射針の生産を開始、1972年には、日本プラスチック・スペシャリティース(同年㈱ニプロに商号変更)を買収し、医療機器の国内販売を開始している。

ダイアライザ
透析用血液回路セット
血糖自己測定器

 1975年、血液回路、輸液セット、中空糸型ダイアライザの製造、真空採血管、カテーテルの製造を開始して循環器系機器のメーカーに成長。1980年代以降になると、医療現場で増大する「医薬と機器のキット化」ニーズに対応し、医薬分野にも進出、今日につながる「医療機器」「医薬」「硝子」という事業の三本柱を確立した。1990年から2000年代かけては、事業の海外進出を図ると共に、人工肺事業、糖尿病関連事業を拡大して現在に至っている。現在、製品事業としては、先の透析装置、血糖自己測定器、臨床化学分析装置などの循環器先端医療製品開発を行っているのが目立つようだ。

・参照:・あゆみ(事業の変遷)(ニプロ株式会社) https://www.nipro.co.jp/corporate/biography/
・参照:施設のご紹介|iMEP紹介(ニプロ株式会社)https://www.nipro.co.jp/corporate/imep/floor.html
・参照:ニプロ – Wikipedia

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♣ シスメックス「テクノパーク」

神戸市西区高塚台 4 丁目 Tel 078-991-1911
HP: https://www.sysmex.co.jp/corporate/info/map/offices1_2.html

シスメックス「テクノパーク」

 → シスメックス(Sysmex Corporation)は、神戸市に本社を置く医療機器メーカー。世界190か国以上で事業を展開。ヘマトロジー(血球計数分野)、血液凝固分野、尿沈渣検査分野において世界で大きなシェアを占める。このシスメックスが、2008年の創立40周年を機に、従来の研究開発拠点「テクノセンター」を拡充、「“知”の創造と継承」をコンセプトに設立したのが新「テクノパーク」。広大の敷地内にはセントラルオフィス、ウエストコア、R&Dタワー、イーストラボ、日本庭園や茶室があり、それぞれ、歴史や技術を紹介する展示室、粒子計測分野の商品開発、測定データの精度管理、遺伝子検査などの価値の高い検査・診断技術の創出に取り組める研究環境が整備されている。一般向けの見学できるテクノパアークではないが、世界中から集う多様な分野の研究者や技術者たちが、互いの知識を充分に発揮できる場として設計されている。シスメックの事業を知るには最適な場所であろう。

テクノパーク全景
検体検査のシーン

<シスメックスの事業と技術、そして沿革>

シスミックスの事業分野

 → シスメックスは創⽴以来、⾎液や尿などを採取して調べる検体検査(ダイアグノスティクス)を事業の核としている。検体検査は、予防のための健康診断や、病気の診断、 治療⽅針の決定、治療中の投薬効果測定や重症化予測、治療後のモニタリングなどになくてはならないもので、さまざまな場⾯で⾏われている。患者の状態を正確かつ迅速に把握し、最適な治療⽅針を定めるためには、正確な検体検査が必要不可⽋で、シスメックスは、この検体検査事業領域の事業に中心を置いて、医療機関や検査センター、動物病院、研究機関などに質の高いサービスや信頼の置ける製品を提供して今日に至っている医療機器メーカーである。

⾎液凝固検査装置
自動血球分析装置

 沿革をみると、1961年に、「東亜特殊電機株式会社」(現TOA株式会社)が発足した研究室が大元であるという。その後、1968年に前身となる「東亞医用電子株式会社」(東亜特殊電機株式会社の販売会社)を発足、1978年にはSysmexブランドを確立している。この時代、主に血液分析装置の開発を行っている。1998年にそれまでのブランド名を使用し、「シスメックス」と社名を変更。現在は尿検査装置、免疫検査用試薬などを手がけ、特に、ヘマトロジー、血液凝固検査、尿沈渣検査では既にグローバルトップシェアを有している。遺伝子分野を次の成長源に据える展望も見せている。2023年には大学発のスタートアップ企業「メガカリオン」(iPS細胞由来の血小板製剤を開発する京都のバイオベンチャー企業)を子会社化している。

・参照:シスメックスの今がここにある シスメックス アイランド https://www.sysmex-island.com/lp/
・参照:シスメックス・テクノパーク見学(Maverick In Enterprise:)https://blog-hidedesign.blogspot.com/2011/09/blog-post.html
・参照:こどもトラストセミナー〈大人申込専用〉―シスメックスの最新技術を体験しよう!https://mf.commons30.jp/contents.php?c=info&id=i01jj92y2vcbphtrfa3xatf4f4v
・参照:テクノパーク(イーストサイト) | 企業情報 | Sysmex https://www.sysmex.co.jp/corporate/info/map/offices1_9.html
・参照:シスメックス – Wikipedia
・参照:株式会社メガカリオン https://www.megakaryon.com/

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♣ 日本光電工業

所在地:東京都新宿区西落合1丁目31番4号
HP: https://www.nihonkohden.co.jp/index.html

日本光電総合技術開発センタ

 → 日本光電工業は医療機器を幅広く製作・販売するメーカーの一つ。脳波計の開発・販売からスタートし、筋電図検査装置、ポリグラフ、除細動器などの有意を持っている。また、集中治療室、手術室、一般病棟等で利用されている生体情報モニタでも国内トップのシェアをもつ。心電図モニターや心臓蘇生用機器など救急医療現場で活躍する製品も開発している。特に、自動体外式除細動器(AED)は主力製品の一つとなっている。現在の医療で欠かすことのできないパルスオキシメーター(動脈血酸素飽和度測定器)は、同社の青柳卓雄、岸道男が1974年に原理発明し、アメリカの企業が開発に成功したもの。

パルスオキシメータ
心電計 ECG-3350
自動体外式除細動器 AED-3100

<日本光電工業の事業と沿革>

日本光電の臨床システム

 日本光電工業は、1951年、健康器具の製造を行う企業として創業、世界初の8ch全交流直記式脳波装置ME-1Dの特許を取得し、脳波計でのビジネスを広げた。その後、1957年は携帯型心電計MC-2H、1960年に多用途監視記録装置(ポリグラフ)を開発、1974年、青柳卓雄らがパルスオキシメーターの原理を開発、生体情報モニタ系の医療具製作に重点を移している。1980年代には世界初の不整脈解析機能内蔵の心電図モニタ、1990年、日本初のデジタル心電図テレメータを製作している。2000年には挿管器具スタイレットスコープを開発、2007年、国内初となる先のAEDの開発にも成功するなど救急医療分野でも存在を発揮するようになっている。

・参照:AEDライフ – 日本光電のAED情報サイト https://www.aed-life.com/
・参照:日本光電工業 – Wikipedia

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♣ 島津製作所サイエンスプラザ

所在地:京都市中京区西ノ京桑原町1(本社)
HP: https://www.shimadzu.co.jp/

本社(三条工場・E1号館)

 → 島津製作所は、京都府京都市中京区に本社を置く、精密機器、計測器、医療機器、航空機器を製作する企業であるが、医療機器としては、デジタルX線システム、PETシステム、CTスキャナシステム、超音波診断システムなどの医用画像診断機器を幅広く提供している。この島津の事業を事業分野別に紹介するショールームがサイエンスプラザで開設した。分析計測機器のほか、航空機器、産業機器、油圧機器、光学デバイス関連の事業や製品も展示しており、研修センター1階の医用機器「メディカルセンター」と合わせて、同社の事業概要を知ることができるという。医療関係では、タンパク質や微量成分の分析装置、脳血流測定装置など、さまざまな分野で利用されている最新の計測機器に触れることができ、メディカルセンターでは、展示されている最新の医用画像診断機器を見ることができる。また、島津製作所は、インターネット上でも事業紹介(バーチャルショールーム)を行っており参考になる。ただし、多くは医療関係者向けの専門情報である。

サイエンスプラザ展示スペース
クロマトグラフ質量分析計
血管撮影システム Trinias
受賞の質量分析装置
田中耕一

 ちなみに、島津製作所は明治8年に創業、2025年には150周年を迎える老舗企業、京都を代表する先端技術の企業となっている。特に、質量分析装置やX線診断装置などの分野では世界的に高い評価を得ている。2002年には、同社の技術者田中耕一がノーベル化学賞を受賞したことはよく知られる。島津製作所の創業と発展については「島津製作所創業記念館に詳しい。

・参照:島津製作所、本社工場内に新ショールーム(テックプラス) https://news.mynavi.jp/techplus/article/20141209-a380/
・参照:バーチャル施設見学 MESSE SHIMADZU(島津製作所)https://www.shimadzu.co.jp/messe/facility/
・参照:医用画像診断機器(島津製作所)https://www.med.shimadzu.co.jp/
・参照:島津製作所 – Wikipedia
・参照:島津製作所を訪問(京都医療科学大学) https://www.kyoto-msc.jp/entrance-career/20240913/
・参考:田中耕一さんに聞くー学際融合がもたらすブレイクスルー (まなびの杜)https://web.tohoku.ac.jp/manabi/featured/sf09/

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♣ 島津製作所 創業記念資料館

所在地:京都市中京区西生洲町478-1(木屋町二条南)
HP: https://www.shimadzu.co.jp/memorial-museum/

初代島津源蔵
創業記念資料館
源蔵の標本事業

 → この記念資料館は、島津製作所が創立100周年を記念し、1975年、創業時代の建屋を利用して開設されたもの。記念館では、創業から現在に至る同社の製品開発、企業の発展を創業時のエピソードを交えて詳しく紹介している。なかでも創業二代にわたる源蔵氏の関わった製品開発の歴史が現物で展示されており興味深い。 島津製作所は、明治8年、仏具職人の家に生まれた初代島津源蔵によって設立されたもの。源蔵は、若いとき、明治初年設立の舎密局(工業試験場)で理化学を学ぶ機会があり、これをベースに科学教育機材発の標本事業をはじめて、1985年、「島津製作所」を設立。これが今日の島津製作所の原点となった。しかし、初代の源蔵は事業の途上若くして亡くなってしまう。

二代島津源蔵
蓄電器 GS “ブランド

この後、事業の継続を担ったのが二代目源蔵であった。二代目は、それまでの事業を発展させると共に、電気事業に強い興味を持ち、独自の特許を持つ「易反応性鉛粉製造法」による蓄電池を開発する。そして、1897年にハースト式鉛蓄電池を完成(日本における蓄電池の工業的生産の始まり)させ、島津源蔵の名を付した「GS “Genzo Shimazu” ブランド」を立ち上げ、1917、日本電池を分社させる。(これが現在のGSユアサ社につながる)。

医療用X線装置

 二代目源蔵が取り組んだもう一つの主力事業が、X線装置の開発であった。レントゲンがX線を発見した2年後の1897年に、早くも教育用X線装置を完成させている。また、1909年には、国産第1号となる医療用X線装置「ニューオーロラ号」を世に送り出した。これは全国の医療機関にも幅広く採用されたようだ。また、本格的X線医療装置「ダイアナ号」も開発。創業記念館には、この当時のX線装置がそのままの形で飾られており、当時の装備の姿が再現されている。 

創業記念館内の製品展示コーナー

二代目源蔵の後、島津製作所の事業はさらに近代化した装置機器の開発に向かい、事業範囲を広げていく。1934年には分光写真装置、戦後の1947年には日本初の電子顕微鏡、56年には「ガストロマトグラフ」完成、95年には生体磁気計測装置を開発。こうして医療用検査機器、産業用機械などの分野で一流企業としての地位を確立していった。こうした一連の事業展開は、創立記念館の年次別事業展開のパネル展示に詳しく示されている。 展示されている、歴史的なものをみると、映画のしくみがわかる「ストロボスコープ」、「3-D実体鏡」、「球体衝突試験機」、「マグデブルグ半球」、初代源蔵が舎密社のワグナー博士から譲り受けたという「木製旋盤機」、さらに、「ウイムシャースト感応起電機」、教育用エッキス線発生装置」、初期のGS蓄電池、医療用X線装置などである。なお、X線装置「ディアナ号」は、実際に使われた装備現場がそのまま再現する形で展示されている。

参考資料として、島津製作所創業記念館パンフレット、島津製作所創業記念館訪問者用説明資料、「二人の島津源蔵」(島津製作所刊)などがある。

・参照:島津製作所「創立記念資料館」を訪問https://igsforum.com/visit-kyoto-shimazu-m-jj/
・参照:島津製作所創業記念館パンフレット
・参照:「二人の島津源蔵」(島津製作所刊)
・参照:島津創業記念資料館 – Wikipedia

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♣ タニタ博物館

所在地:東京都板橋区前野町1-14-2 Tel. 03-3967-9655
HP: https://www.tanita.co.jp/activities/museum/

タニタ博物館外観

→ タニタは、体重計や体組成計やヘルスメーターなどの健康計測機器の製造・販売を行っている企業。世界で初めて乗るだけで計測できる体脂肪計を開発し、様々な健康計測機器を開発してきている。また、最近では、「健康づくり」をテーマとして「タニタ食堂」の運営や健康プログラムの提供なども行っている。このタニタが、自社の歴史と健康器具開発を紹介するため作られたのが「タニタ博物館」である。 主な展示品としては、タニタ製造の家庭用・業務用計量器(体組成計、ヘルスメーター、クッキングスケール、活動量計などがあり、同社の発展の基となった初期の製品、シガレットケース、宝飾品、金属製のキセル、ライターも展示されている。小さな博物施設ではあるが、計測器を軸として発展してきたタニタ社が、戦後、金属加工のメーカーから出発し、体重計の製造、多様な体脂肪計の開発、最近では健康食品の提供などで大きく成長していく姿がみてとれる。

展示コーナー
各種体重計
最近の体組成計

 

<健康器具メーカー・タニタの沿革>

二代谷田 
創業のキセル

  タニタの創業は100年前の1923年、谷田賀良倶が貴金属宝飾品などの製造販売の個人商店を開業したのが始まり。その後、1944年に二代目の谷田五八士が谷田無線電機製作所を設立、通信機部品のほか、シガレットケースやキセル、はかり、調理器具など生産を手がけ、第二の創業を果たしている。この製作品の中に家庭用の体重計(ヘルスメーター)があり、これが発展の基礎となった。
また、このとき企業名も「タニタ製作所」に変更している。 それまで体重計は業務用や銭湯向けの大型に限られ家庭にはみられなかった。しかし、昭和40年代以降、住宅団地などで家庭用風呂が普及する中で、手軽な家庭用体重計への需要が高まり、これに着目したタニタは急成長のきっかけをつかむ。この家庭用体重計は1980年代末までに1000万台を数えるヒット商品となっている。以降、タニタは、ヘルスメーター事業を更に発展させ、「体」(の中身をみる体脂肪計」の開発を試みる。これが「乗るだけで計測できる体脂肪計」、世界初となる「家庭用体脂肪計付ヘルスメーター」であった。

初の家庭体重計
各種体重計
家庭用体脂肪計付ヘルスメーター

 2000年代に入った現在、タニタは新たな展開として、「健康に貢献する」企業としてのイメージを広げようとしている。これが「タニタ食堂」事業である。主軸はあくまで健康計測機器の生産・販売であるが、「健康」をテーマにした新たな事業展開として注目できるだろう。

・参照:体脂肪計で知られるタニタの博物館を訪問 https://igsforum.com/2024/01/20/tanita-musium-jj/
・参照:タニタ – Wikipedia

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♣ リオン

所在地:東京都国分寺市東元町三丁目20番41号
HP: https://www.rion.co.jp/ 

リオン本社外観

  → リオン株式会社は補聴器や医用検査機器、産業用計測器などを製造する電機メーカーである。設立当初はマイクロホンやレコードピックアップに用いられる圧電素子「ロッシェル塩」の生産を行っていたが、1948年に日本初の量産型補聴器を発売。その後、医療用や産業用の計測器を中心に事業を拡大、現在は医療機器と環境機器、微粒子計測器の3つの事業を展開している。社名の「リオン」は、「理学」の「理」と「音響学」の「音」を合わせたもので、理学に基づいた音響技術の開拓を意味するという。

オージオメータ
補聴器
最新リオネット(耳穴補聴器)

 医療機器事業では、主力製品である補聴器のほか、聴力検査に用いられるオージオメータ(聴力検査器)や聴力検査室など、耳鼻咽喉科領域を中心に各種医療機器を生産している。

<リオンの沿革>

小林理研製作所工場

 リオンは、物理、音響学を研究する「小林理学研究所」が母体。1944年に株式会社小林理研製作所となり、日本最初の音響機器用クリスタルエレメントやの応用製品の製造を開始する。1948年、圧電振動子を使用したマイクロホン、ピックアップを発売。また、難聴者の福祉をはかるために日本初の量産型補聴器を発売、リオネットの名で親しまれることになる。また、1952年にオージオメータ(聴力検査器)、騒音計(1959年)を発売、1960年 にリオン株式会社に商号を変更している。その後は、声紋分析器、眼振計、脳波加算計、エンジン内圧測定器なども開発して補聴器以外の分野にも事業を広げている。補聴器自体についても、今日に至るまで人工中耳、デジタル補聴器、耳穴型補聴器など高度な機能を持つ製品を開発して市場を広げている。

レコードピックアップ
声紋分析器(1960)

・参照:リオン株式会社の変遷 開発ヒストリー.pdf
・参照:リオン「リオネット補聴器」| こだわり物語 https://kodawari-story.com/movie/rion.html
・参照:リオン株式会社の製品情報:医用検査機器 https://www.rion.co.jp/product/medical/index.html
・参照:リオン株式会社―沿革と歴史― https://www.rion.co.jp/corporate/history.html
・参照:国産初の量産型補聴器を開発リオネット補聴器 https://www.rionet.jp/feature/reason/first/
・参照:リオン – Wikipedia

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♣ 健康博物館 “SOily”【本館】【新館】

東京都江戸川区南小岩6丁目18番8号
HP: http://www.soily.co.jp/15274014592937

“SOily”(ソイリイ)は、医療・健康・介護に関係するコラムと取り組み、関係アイテムの紹介をインターネット上で紹介する会社で、本館と新館で「健康わくわくサイト」を運営。サイトのテーマは、栄養・食生活の改善、運動と健康、休養、飲酒、喫煙、歯と口腔の健康についての商品、サービス情報を提供である。TOKYOスポーツ推進企業の一員としても活動し、医療・健康機器の開発・普及事業にも取り組んでいる。博物館サイトの商品販売サービスでは、Web上の商品画像からネットショップにアクセスする仕組みになっている。

“SOily”の健康・医療サービス

・参照:「健康わくわくサイト」http://www.soily.co.jp/access

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♣ HOYA「ライフケア」

所在地:東京都新宿区西新宿6丁目10番1号 (日土地西新宿ビル 20F)
HP: https://www.hoya.com/
HP: https://www.hoya.com/business/lifecare 

HOYA本社ビル
HOYAのメガネレンズ

 → 光学メーカーHOYAは、レンズ技術を軸に「ライフケア」とガラス基板による「情報・通信」事業を推進している企業。「ライフケア」事業では、眼科医療を中心にコンタクトレンズ、医療用内視鏡、白内障用眼内レンズなどを開発。また、骨補填材や金属製インプラント、腹腔鏡手術器具も生産している。ガラス基板事業では半導体製造用のマスクブランクス、HDD基板を製作している。

コンタクトレンズ
骨補填材
内視鏡

<HOYAの事業と沿革>

東洋光学保谷工場

 ちなみに、HOYAは第二次世界大戦中に創業した企業で、社名の由来となった東京・保谷町(現在の西東京市)の東洋光学硝子製造所工場で光学ガラスの製造を開始。当初、軍需向けレンズなどの光学ガラス生産行っていた。しかし、戦後は民需に転換、江戸切子職人など人材を集めて高級硝子食器の生産へ参入。海外向けを含むクリスタルガラス食器・シャンデリア生産へ拡大してガラス事業の基礎を確立した。一方、1962年にはメガネレンズの製造、1972年にはコンタクトレンズの製造をはじめ眼に関する事業を強化。その後、世界的な高齢化で需要が高まる白内障用眼内レンズ、医療用内視鏡や整形インプラントといった医療製品を提供するヘルスケア企業となっている。また、半導体フォトマスクなどの生産へも進出、有力な精密機器に関する先端企業の一つともなっている。

クリスタルガラス食器の製造
メガネレンズの製造

・参照:https://www.hoya.com/company/history/
・参照:事業紹介 – HOYA株式会社https://www.hoya.com/business/
・参照:HOYA – Wikipedia

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♣ 富士フイルムメディカル

所在地:東京都港区西麻布2-26-30 富士フイルム西麻布ビル
HP: https://www.fujifilm.com/fms/ja

富士フイルムメディカル

 → 富士フイルムメディカルは、富士フイルムグループのヘルスケア事業の中核を担う医療用デジタル画像分野の会社。021年に日立製作所の画像診断部門を買収して新しく設立された・事業内容としては、X線画像診断装置(一般撮影装置、外科用Cアーム、マンモグラフィなど)、PACS(シナプス)、医療用画像ワークステーション(シナプス ヴィンセント)、CT、MRI、超音波診断装置、内視鏡システム、ヘルスケアIT関連製品、医療AI関連製品、生化学検査装置など開発、製作を行っている。いずれも機器の説明は医療関係者向けの専門的内容になっている。

超音波画像診断装置SonoSite
回診用X線撮影装置
マンモグラフィ機器

・参照:事業・製品情報 (富士フイルムメディカル)https://www.fujifilm.com/fms/ja/what-we-do
・参照:富士フイルムグループの歴史 https://holdings.fujifilm.com/ja/about/history

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♣ キヤノンメディカルシステムズ

所在地:栃木県大田原市下石上1385番地
HP: https://jp.medical.canon/about/corporate/index
HP: https://jp.medical.canon/ 

キヤノンメディカルシステムズ

 → キヤノングループの医療機器メーカー。旧社名は東芝メディカルシステムズであったがキャノンとなった。医療機器関係では、X線CTなどの医用機器の世界的メーカーとなっており数多くの医療機器を製作している。また、X線撮影診断装置、X線TV装置、CT( Computed Tomography;コンピュータ断層撮影)、MRI(Magnetic Resonance Imaging;磁気共鳴画像、超音波画像診断装置(いわゆるエコー)、RI(核医学)などを手掛ける。内視鏡の販売はフジノンとの合弁で設立している(フジノン東芝ESシステム)。その他の医療輸送値では、レセプトコンピュータ、電子カルテ、PACS、検診システム、アンギオ装置、検体検査システムなどを扱っている。これら機器の詳細については専門的内容の解説が付されており、医学関係者への対応となっていて一般的ではないようだ。

キャノンの医療装置
血管撮影装置
キヤノンのCT装置
キャノンのMRI装置
工場でのMRI製造過程

 社歴をみると、2018年、社名を東芝メディカルシステムズ株式会社から「キヤノンメディカルシステムズ株式会社」へと商号を変更。商号変更後は、キヤノンの画像処理技術を組み合わせたソフトを発売したほか、製造工程においてキヤノンの技術を導入して生産効率を高めている。医療機器の製造販売では日本1位、世界4位といわれ、日本のCTシェア60%、エコーシェア35%ともに1位である。同業の日本光電工業とも業務提携している。

・参照:キヤノンメディカルシステムズの沿革 https://jp.medical.canon/about/corporate/history
・参照:キヤノンメディカルシステムズ/| トピックス | 月刊新医療https://www.newmed.co.jp/gakkai/8145

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<参考>

♣ 一般財団法人 日本医科器械資料保存協会
  所在地:東京都文京区本郷3-39-15(日本医療機器学会内)Tel: 03-3813-1062
  HP: https://ikakikai-hozon.org/preservation/

♣ 独立行政法人 医薬品医療機器総合機構
  所在地:東京都千代田区霞が関3-3-2 新霞が関ビル
  HP: https://www.pmda.go.jp/

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(了)

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