事務機器の博物館―複写機・タイプライターなどー(博物館紹介)

ー 複写機やタイプライターなど事務機器の発展が社会に与えたインパクトを検証するー

<複写機器、プリンターなど>

 今日、ビジネスでの事務処理、文書処理では、複写機やタイプライター、そして、現在ではワープロ、PCによる文書処理が必須のツールとなっている。また、個人の場でもコピー機、印刷機はごく日常の用具である。これら機器、用具はどのようにして生まれ発展してきたのかを考えるのは楽しい。そこで、今回のテーマは文書処理機器を扱った事務機器の博物館である。ここでは、ビジネスに欠かせない複写機、タイプライター、ワープロなどの技術発展を今日の産業、社会文化の観点から見てみた。また、参考資料として、和文タイプライーの開発、ワープロ専用機、パソコンへの文書処理技術の発展についても考えてみた。

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♣ エプソンミュージアム諏訪

所在地:長野県諏訪市大和3丁目3−5 Tel. 0266523131
HP: https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/

エプソン社本館

 → セイコーエプソンが創業80年を記念して設立した博物館。創業以来の技術開発の歴史を紹介するほか、世界初のクオーツ式腕時計、近年の先端技術の事務機器など貴重な品々を展示している。施設は、1945年から使っていた本社事務棟を改装した「創業記念館」と、以前からある「ものづくり歴史館」の2か所で構成されている。

エプソン創業記念館

 このうち、「創業記念館」には三つの展示室が設けられており、第1展示室は、諏訪に時計産業を根付かせた創業者山崎久夫の足跡、同社初の腕時計「婦人用5型」、世界水準の精度を追求した「初代グランドセイコー」などを紹介。第2展示室は、水晶時計を小型化した同社の挑戦と創造がテーマ、第3展示室には、東京五輪で採用されたデジタル時計と計測結果を記録するプリンターなど、同社の革新的な製品や技術開発が読み取れる内容の展示を行っている。

創業記念館内部
創業時に製造の時計など
最初の小型軽量degital printer「EP-101」(1968)

 また、「ものづくり歴史館」では、「省・小・精の技術」を原点とし、エプソンを成長・発展させた「ものづくり」の技術の伝承がテーマ。前身である大和工業時代からセイコーエプソンが世に送り出してきた製品・技術が一堂に会して紹介されている。技術が生み出した歴史的な商品と、それらが形作ってきた豊かな社会が展示内容となっている。事務機器分野では、インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクター、パソコン、スキャナーといった情報関連機器、水晶振動子(クォーツ)、半導体などの電子デバイス部品などの産業用機器の開発技術が紹介されている。

左側は放送局用水晶時計
高速インクジェット複合機「LX-10000F」
再生紙を作る「ペーパーラボ」

<セイコーエプソンの歴史と概要>

山崎久夫
大和工業第一工場 「セイコーエプソン物語り」より

 ここでは、参考のため、展示などからみるセイコーエプソンの歴史と現況を紹介してみる。セイコーエプソンの創業は1942年。諏訪市で時計の小売・修理業を営んでいた服部時計店の元従業員の山崎久夫が、有限会社大和工業を創業したのがはじまりとされる。その後、服部家からの出資を受け、第二精工舎の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行うようになる。戦争の影響で、第二精工舎は1943年に工場を諏訪市に疎開、諏訪工場を開設するが、終戦後も第二精工舎の疎開工場は諏訪の地にとどまることとなり、大和工業との協力関係を強めていく。そして、1959年には、大和工業が第二精工舎の諏訪工場を受け継ぎ「諏訪精工舎」となった。

最初の腕時計マーベル

 この頃、諏訪では時計産業が盛んとなり「東洋のスイス」と言われるまでになる中、諏訪精工舎は、1961年に子会社として信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立。 1985年には、諏訪精工舎とエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなって現在に至っている。 その後、セイコーエプソンでは、世界初のクォーツ腕時計(アストロン、初代)、自動巻き発電クォーツ腕時計(オートクオーツ)、スプリングドライブ、世界初のGPSソーラー腕時計(アストロン、2代目)等を開発、時計の高精度化・低価格化を進めている。また、時計の製造・開発から派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展している。現在の主力事業・主力製品はインクジェットプリンターや液晶プロジェクターなどの情報関連機器となっている。創業事業である時計事業についてもセイコーブランド向けの製品の開発・生産を続けていることはいうまでもない。

ドキュメントスキャナー
小型射出成形機
R&D用インクジェット装置

 特にプリンターでは、1984年- ピエゾ素子を用いてインクを押し出す(マイクロピエゾ方式)のインクジェットプリンター「IP-130K」を発売している。
 また、1987年には、NEC PC-9800互換のパーソナルコンピュータのEPSON PCシリーズの発売を開始している。1996年)- 写真画質を前面に押し出した「フォト・マッハジェット(PM)」シリーズ「PM-700C」を発売。国内インクジェットプリンター・トップシェアの座を得た。以後、「写真画質=エプソン」の地位を確立している。

・参照:セイコーインスツル株式会社https://www.sii.co.jp/jp/
・参照:セイコーインスツル株式会社会社・沿革 https://www.sii.co.jp/jp/corp/history/
・参照:エプソンミュージアム諏訪に行ってきた「ものづくり」80年の歩みhttps://www.rasin.co.jp/blog/special/suwa_museum/?srsltid=AfmBOorOKH4dhLMp65DEThvcdoupanIQCVme6JRChGIH7UWX6drxBrP_
・参照:エプソンミュージアム諏訪、本社敷地内に開館 : 読売新聞電子版 https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220519-OYT1T50198/
・参照:エプソンミュージアム諏訪 https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/
・参照:セイコーエプソン創業80周年 これまでの歩みを紹介するニュースリリース https://www.epson.jp/osirase/2022/220518.htm

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♣ ブラザーミュージアム(ブラザー工業)

所在地:愛知県名古屋市瑞穂区塩入町5番15号
HP: https://global.brother/ja/museum

 

ブラザーミュージアム

→ ブラザー工業が提供するミシンと事務機の博物館。ブラザーのモノ創りの歴史を、世界中から収集した貴重なミシンのコレクションと共に、編機、家電、タイプライターなど代表的な事務機器製品を展示・紹介している。館内は、ミシンゾーン、ヒストリーゾーン、プロダクトゾーンに分かれており、前者では、ミシンの国産化に始まり、事務機、タイプライターなど多角化の時代を迎えて進化するブラザーのモノ創りを紹介。後者では、オフィス・家庭用向けのプリンター、複合機をはじめファクシミリ、電子文具など幅広いラインアップを持つ製品を展示している。

創業からの社歴展示
ミシンの展示コーナー
事務機の展示コーナ

 

製品開発の年表と製品

 具体的な展示を見ると・・・・。 まず、ミシンゾーンでは、世界で最初に考案されたミシンをはじめ海外のアンティークミシン、ブラザーの代表的機種など75台以上が並ぶ展示がある。世界で最初に考案されたミシン、日本に最初に伝わったミシンなどのほか、工業用特殊ミシンなども展示されている。ヒストリーゾーンでは、ブラザーの製品開発の歴史を記す年表のほか、国産ミシンの実現につながった「麦わら帽子製造用水圧機」をはじめ、家電、タイプライターなど、これまでの代表的な製品を展示。モノ創りの歩みを記す展示がみえる。

帽子製造機
壁一面のミシン展示
ラベル印刷
Brother typewriter

 プロダクトゾーンでは、ブラザーの全事業、新製品を幅広く紹介。豊富なラインナップのプリンターや複合機、産業用領域の多様な製品などの展示が並んでいる。このコーナーでは、シール作成、ラベルライターの体験もできるという。

<ブラザー工業とは、、、>

安井 兼吉
初めての昭三式ミシン

 ブラザーは日本では縫製ミシンで広く知られるが、現在では、大手電機メーカーとして、主にプリンター(複合機)、ファクシミリなどの生産を主力事業として転換している。売上の9割近くが日本国外で、日本国内よりも北米やヨーロッパでブランド力が高い企業。安井兼吉が創業した「安井ミシン商会」が起源。社名は、これを安井正義ら息子兄弟が継承した際に商号を変更し「安井ミシン兄弟商会」としたこと由来し、兄弟の英語であるBrotherを社名に採用した。 日本でブランドイメージの強いミシンには、家庭用・工業用ともに世界トップクラスのシェアを占める。ブラザーは、1971年に、セントロニクス社と高速ドットプリンターを開発して事務機械分野に進出。現在、国内の現金自動預け払い機(ATM)では、3割のシェアを持っている。また、ブラザーはラベルプリンターの創始者でもあり大きな世界シェアを持つ企業。タイプライターでも世界的に知られ、この関連で1977年からのキーボード開発では高い評価を受けている。1993年のキーボード「コアラ」は世界で初めてノートパソコンに採用され、パンタグラフ式は現在、世界でノートPCの標準仕様となっているという。

ジグザグミシン ZZ3-B820
ファックス機FAX-100
電子タイプライター EM-1

 1987年には、とファックスを共同開発。日本以外で「ブラザーファクス」として展開している。独自の技術でレーザープリンター、インクジェットプリンターを製造するが、各社とOEM契約を結んで生産している現状。2003年にインクジェット式の複合機マイミーオを発売、ファックス付複合機では2010年現在日本シェア第1位となっている。

・参照:ブラザーミュージアム展示紹介https://global.brother/ja/museum/exhibits#workstyle
・参照:ブラザーミュージアム – Wikipedia

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♣ 富士フイルム「Green Park FLOOP」 (旧 Fuji Xerox)

所在地:神奈川県横浜市西区みなとみらい6-1 横浜みなとみらい事業所3階
HP: https://www.fujifilm.com/fb/company/floop

富士フィルム本社ビル

 → 「Green Park FLOOP」は、富士フイルムが提供するショールームを兼ねた体験型博物館。設立の趣旨としては、訪問者に環境問題などについて学びや自由な発想を促進し、富士の関連技術を体験しながらサステナブルな未来の探究を促す場の提供を掲げている。館内の展示は、「Studio」「Technology」「Think」「Action」となっており、「Studio」はサステナブルな地球の未来を探究するための空間と未来の街を体験するコーナー、「Technology」は、プリント技術の原理や複合機の内部構造、色の作り方などを学んで富士の商品原理・技術の体験すること、「Think」は地球環境の課題・未来を考えること、そして「Action」は環境課題への取り組みを伝え、行動を促すコーナーとなっている。また、顧客向けのショールーム「Solution Zone」があり、環境負荷低減につながるオフィスソリューションを提供するコーナーも準備している。

四つに分かれた展示ゾーン               

 ビジネス複合機の製造・販売を行っている富士フィルム社は、前身の富士ゼロックス時代から複合機生産に関わる資源リサイクルの方針を維持しており、資源の再活用の推進を掲げて部品のリユース、新規資源の、抑制、資源循環促進などの活動を行ってきている。これらの経験を活かし、環境問題に取り組む富士の複合機関連技術を示すこと、サステナブル社会の未来について体験的に考えることを施設開設の基本コンセプトとしたと述べている。

複写機部品と素材
リサイクル率の解説
内部を複写機の内部


 館内の展示では、再生部品を活用した複写機、コピー機の部品や素材やサイクルの様子、複合機に使われている素材とリサイクル率、印刷の流れや塗料(トナー)が紙にのる仕組み、コピー機の内部構造を見られる展示などがあり勉強になる。 

 ちなみに、富士フイルム株式会社は、カメラ、デジタルカメラ、エックス線写真、写真用フィルムなどに至る写真システムのメーカーであるが、「富士フイルムビジネスイノベーション(富士フイルムBI)を設立し、複写機などのOA機器など事務機器分野でもビジネスを展開し大きなシェアを占めてきている。また、近年は医療用機器の製造受託に注力しており、医薬品、医療機器、化粧品、健康食品や高機能化学品も製造・販売している。・参照:富士フイルムビジネスイノベーション – Wikipedia

カラー複合機
ビジネスプンタ
Fujiの医療MRI装置

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♣ リコー「 ViCreA 名古屋 ショールーム」

所在地:愛知県名古屋市西区牛島町6-1 名古屋ルーセントタワー リコージャパン名古屋
HP: https://www.ricoh.co.jp/sales/showroom/nagoya

リコー「 ViCreA 名古屋」

 → このショールームViCreAは、リコーの事務機器、複合機やプリンターなど多くの製品を展示紹介すると共に、来訪者と業務課題を共有しビジネスのアドバイスを行っている施設で見学もできる。館内は4つのゾーンに分かれており、ゾーン1は各種複写機、 複合機、プリンター、セキュリティー機器、ゾーン2はオンデマンドプリンティング、ゾーン3は業務効率化関連、ゾーン4はガーメントプリンティングとなっている。

リコーの複写機など展示
ガーメントプリント案内
ガーメントプリンティング機

 ちなみに、リコーは、カメラなど光学機器でも知られる企業であるが、複写機、ファクシミリ、レーザープリンターやそれらの複合機を主力製品とする日本の有力事務機器メーカー。特に、複合機では企業オフィス向けに多彩なオプションと各種後処理が可能な最新機種を市場に出し業界で高いシェアを占めている。過去にジアゾ式や電子写真式複写機において国内で圧倒的なシェアを持っていたため、商標「リコピー」は複写機の事実上の代名詞ともなっていた。複写機のデジタル化では先陣を切り、カラーコピーが主流となった今、国内でのシェアはカラー、モノクロで総合首位ともなった。

業務効率化等コンサルティング
複合機展示

 リコーはスモールオフィス向けの小型複合機やファクスでも高いシェアをもつ。(リコー – Wikipedia) また、リコーは、単に機器を生産するだけでなく、文書活用・業務効率化など事後サービスも強化しており、情報、セキュリティー分野でも内容を充実させている。これらの実践事業としてショールームを位置づけていると思われる。一般向けの見学施設ではないが、現代のオフィス業務運営の進化や最近の事務機器技術を知る上では貴重な施設であろう。

<リコーの沿革と現在>

市村清
「リコピー」1号機
リコピー工場

 1936年、理化学研究所で開発された複写機用感光紙「理研陽画感光紙」の製造販売の目的で理化学興業から独立し、「理研感光紙株式会社」として東京・銀座に設立されたのが、リコーの起源である。創業者は市村清で、「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の「三愛精神」を創業の精神として掲げ、従業員33人で操業を始めたという。1938年には「理研光学工業株式会社」に社名変更、王子工場は感光紙製造の主力工場であった。戦後の財閥解体による理研コンツェルンの解体を経て、事業の多角化に伴い1963年に現社名リコーとなった。複写機用感光紙製造事業から出発し、戦前からカメラを製造していたが、1955年に「リコピー」1号機「リコピー101」を発売して事務機器分野へ進出する。以降、カメラなど光学機器分野と複写機など事務機器分野の2本柱を中心に事業を展開している。

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♣ キヤノン・ビジネスショールーム「CANON INNOVATION LAB “WITH”」

所在地:東京都港区港南2-16-6 キヤノンSタワー 2F/3F/4F
・参照:https://corporate.jp.canon/newsrelease/2021/pr-showroom

キヤノンSタワー

 → リアルとオンラインが一体となった新たな価値の創出と共創活動の促進をテーマに登場したキャノンの新しい形のショールーム。ここでは、人手不足やデジタル化、セキュリティ対策などの課題を解決するソリューション、映像や画像技術を活用したDXソリューションなどのビジネスモデルをリアルとオンラインで体感できる場所として活用すること、高品質な映像や音声、動画コンテンツを配信できる情報発信拠点となること、社会課題の解決と新たな価値創造を目指しているという。このため、館内の2階はオンラインスタジオ/共創スペース、3階はソリューションデモスタジオとし、キャノンの事務機器を設置して来訪者とのコンサルタントに応じている。

CANON INNOVATION LAB “WITH”内のスタジオ構成

 このうち、3階の法人向けショールームでは、キヤノンが提供する最新のオフィス機器を見学することができる。紹介・展示されている事務機器は、オフィス向け複合機、レーザービームプリンター、インクジェットプリンター、カード&ラベルプリンター、ドキュメントスキャナー、プロジェクターなどである。オフィス向け複合機では、最新のiR-ADV C5700シリーズ、レーザービームプリンター/インクジェットプリンターでは、LBP813Ci、LBP664Cや、インクジェットプリンターPIXUS XK90/XK70、PIXUS TS8430などの展示がある。ドキュメントスキャナーでは、業務用に使用するものと、個人用に使用するものの両方があり、高速処理とサイズの多様性が示されている。

オフィス向け複合機
iR-ADV C5700シリーズ
大判インクジェットプリンター
ドキュメントスキャナー

 これらショールームは一般見学者向けではないが、キャノンのビジネス機器の最新の姿を見学紹介から伺うことができる。

キヤノンエコテクノパーク

 また、2018年に、キャノンは一般向けの見学施設として、「キヤノンエコテクノパーク」を茨城県坂東市にオープンしており、複合機やトナーカートリッジ、インクカートリッジなど、キヤノンの使用済み製品を回収しリユースやリサイクルを行う最新鋭の工場を開放して、同社の環境への取り組む姿を社会にアピールしている。

複合機のリマニュファクチャリング作業
同左工場内部

参照:CANON INNOVATION LAB “WITH”オープンhttps://corporate.jp.canon/profile/communications/showroom/with

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♣ 沖電気工業 「OKI Style Square 」

所在地:東京都港区虎ノ門1-7-12 虎ノ門ファーストガーデン2F  03-3501-3111
HP: https://www.oki.com/jp/showroom/virtual/oss/

沖電気虎ノ門

 → OKI Style Squareは沖電気の提案する技術やソリューションを提案する参加型のショールーム。東京・港区虎ノ門、埼玉・蕨市と本庄市に開設されている。このうち虎ノ門の施設「OKI Style Square TORANOMON」は、OKIの最新技術やソリューションの体感、新たな価値創出のための施設の一つ。主な活動内容は、高度遠隔運用REMOWAY、社会インフラ、通信・プリンター、金融・流通となっており、これらの関連機器を分野別に配置している。このうち、通信・プリンター・ゾーンは、「“印刷物”が繋げるDX化」を実現するプリンターや、デジタルシフトを加速するコンタクトセンターシステムがテーマという。ちなみに沖電気のプリンター部門は「沖データ」が主管しており、1994年に独立分社化、インパクトプリンターに強みを持つ。一方、独自のLEDヘッドを使用したLED方式の電子写真プリンター(LEDプリンターMICROLINE VINCI)でも高い評価を得ているという。また、ATM装置も開発し、展示している。

館内展示コーナーー
プリンターMICROLINE VINCI

・参照:OKI独自のLEDプリンター技術・・新ショールームで探る!(事務機器ねっと) https://jimukiki.net/oki_showroom_2/
参照:OKI、課題解決へつながる「提案型プリンターショールーム」をオープン (沖電気工業株式会社のプレスリリース)https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000298.000017036.html

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<タイプライター、ワードプロセッサー>

♣ 菊武学園タイプライター博物館     

所在地:愛知県尾張旭市新居町山の田3255-5  Tel.0561-55-3020
HP: https://www.kikutake.jp/06typewriter/

菊武ビジネス専門学校
Typewriterを学んでいた当時の学生の姿

 → 学校法人菊武学園のタイプライター専門の博物館。この菊武学園は、1948年、菊武タイピスト養成所として創立された学校法人。その後、学園は菊武タイピスト専門学校に改組、1984年には菊武女子経済専門学校となり、現在は名古屋産業大学も運営する学校法人となっている。開学がタイピストを養成する職業実践校であったため、見学の精神を受け継ぐため日本では珍しい「タイプライター博物館」を設立したと考えられる。

タイプライター博物館の展示棚

 この博物館では、19世紀から1990年ごろまで世界で使われていた貴重なタイプライターを数多く所蔵・展示している。英文タイプが100台余、和文タイプが約10台、機械式計算機数台を展示。いずれも知的産物の発明品で、歴史を変えた文書が作られ、人々に感動を呼んだ文芸作品にかかわった重要な道具として位置づけられている。現在、英文タイプのアルファベットの配列は、現代のパソコンと同じである。コレクションの中には、世界に数台しかない「CRANDALL TYPEWRITER」(1893年 米国製)など貴重なものの含まれている。また、レミントンNo.2(1878)、ハモンド(1884)、珍しい形のステングラフィックライター(1907)、軽量小型のインペリアルポーダブル(1930)、アデラーモデル200(1963)、そして、和文タイプライターでは、日本タイプライター製の平面文字盤タイプライターなどがみられる。

タイプライター博物館に展示されている歴史的タイプライター                 
Remington 2
Caligraph 2

 ちなみに、展示にも一部含まれる19世紀の古典的な初期のタイプライターとしては、商業的に成功した最初のタイプライタ「Remington No.1」(1874)、同No.2(1878)、シフトキーを採用した「Remington No.2」(1878)、フルキーの「Caligraph No.2」(1884)、Front Strike・Visible方式の「Daugherty Visible」(1893)、プラテンの上下移動によるシフトキーの採用「Underwood No.1」(1895)があるという。

・参照:学校法人 菊武学園https://www.kikutake.jp/
・参照:菊武学園の歴史https://www.kikutake.jp/02history/index.html
・参照:タイプライター博物館訪問記「菊武学園タイプライター博物館」第1回~第21回( 三省堂 ことばのコラム)https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kikutake01からhttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/kikutake21
・参照:タイプライタの歴史―コンピュータ出現以前の歴史(木暮仁)https://www.kogures.com/hitoshi/history/typewriter/index.html

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♣ タイプライター資料館(伊藤事務機)

所在地:大阪府大阪市福島区福島3-14-32 伊藤ビル3F Tel. 06-6451-4985
HP: https://www.itojimuki.com/type/

タイプライター資料館の展示

 → 昭和28年にタイプライター販売店として開業した伊藤事務機の運営するタイプライター博物館。営業のかたわら収集した英文タイプライター、計算機、チェックライターなど100台あまりを常設展示している。コレクションの中には、イギリス製のタイプライター「ROYAL BARLOCK」、アメリカ製の「THE PROTECTO GRAPH」などがあり展示されている。

・参照:伊藤事務機株式会社https://www.itojimuki.com/・参照:タイプライター博物館訪問記「伊藤事務機タイプライター資料館」第1回~第10回( 三省堂 ことばのコラム)https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/ito01からhttps://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/ito10
・参照:欧文タイプライター 文化遺産オンラインhttps://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/206378

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♣ ダイトー謄写技術資料館 ―和文タイプライターコレクション

所在地:岐阜県岐阜市折立364-1(大東化工本社内)Tel. 058-239-1333
HP: https://www.daito-chemical.com/museum.html

大東化工本社

 → 謄写印刷に多く使われた日本語仕様の「和文タイプライター」などを展示している資料館。大東化工の歩みと次世代に向けた取組みと共に、日本独自の謄写版に広く使われた和文タイプライターを紹介している。大東化工は美濃和紙の産地岐阜で創業、コピー機のない時代に盛んに全国で使われた謄写版の版となる原紙を製造していた。謄写版を使った謄写印刷は、版に穴をあけて上からインクを通すことで紙に転写する印刷方法。日本では俗にガリ版と呼ばれ身近な存在であった。こういった背景から、大東化工は資料館を作り、技術変化と共に進歩し活躍した謄写印刷関係の道具や機械を展示することになったという。この中で重要な印刷用具となったのが「和文タイプライター」。昭和年代に盛んに使われた各種の和文タイプライター、電動和文タイプライターを謄写印刷機とともに公開し、実作業の体験コースも設けて紹介している。

謄写技術資料館展示
和文タイプライター
謄写版(ガリ版)

・参照:和文タイプライター 文化遺産オンライン https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/261609
・参照:大東化工株式会社 https://www.daito-chemical.com/

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♣ UEC コミュニケーション ミュージアム(電気通信大学)

所在地:東京都調布市調布ケ丘一丁目5番地1
HP: https://www.museum.uec.ac.jp/room2/subcategory3/

電気通信大学(UEC)

 → このコミュニケーション ミュージアムでは、7つの展示室を設けて電気通信関係の機器を紹介展示し、学生向けの教材にすると共に一般にも開放している。この第二展示室は「卓上計算器およびタイプライター」のコーナーで英文・和文タイプライターを数多く展示している。ここでは、古典的なレミントンのPortable Typewriter Remington(1920年代) 、アンダーウッドのStandard Portable Typewriter(1929)、電動タイプライター Smith-Corona 250 Smith-Corona(1944) 、クラインシュミット 鍵盤鑽孔機 用賀精工(1954)、和文タイプライターでは1日本タイプライター製の「パンライター」(1976)などを見ることができる。

UECの事務機展示
Portable Typewriter Remington
Smith-Corona 250

・参考:卓上計算器およびタイプライター (UEC コミュニケーション ミュージアム) https://www.museum.uec.ac.jp/room2/subcategory3/

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<参考資料>

♣ 和文タイプライターから日本語ワープロ、そして、PCへ向けた文書作成の進化と発展

<手書きから和文タイプライターへ> 

杉本の和文タイプライター第1号
杉本京太

 欧米では19世紀の終わり頃、機械工業の発達と共にタイプライターが急速に普及した。しかし、日本は機械工業の遅れに加えて、日本語では漢字が三千文字もあり対応が非常に困難だった。このため、明治以降も手書きによるビジネスや行政文書の作成は手書き時代が長く続いた。
 こぅいった中で、印刷関係の技士であった杉本京太が、1915年(大正三年)、平面の活字箱に沢山の活字を並べて、目的の文字を機械でつまみ上げて印字する日本語のタイプライターを発明する。ただ、これ欧文タイプに比べて機構が複雑で操作には熟練が必要で価格も高価なものだった。このため一般家庭にまで普及することはなく、会社、役所、等での使用に限られるものだった。しかし、時代が進むにつれ文章と文字の統一性が求められた企業・官庁では和文タイプライターの使用が徐々に必須となり、昭和初期に入ると和文タイプライターを扱うタイピストという専門職による文書作成が一般的になっていく。 他方、印刷分野においても、当初、鉄筆による手書きの「ガリ版」が謄写印刷が主流であったが、コロイド原紙にタイプ印字することでロール印刷が可能となり、和文タイプライターを利用した謄写印刷が広く普及するようになった。

専門職和文タイピスト
昭和の和文タイプライター
謄写印刷輪転機

・参考:職業婦人タイピストの誕生―和文タイプライター https://csih.sakura.ne.jp/panerutenn/panerutenn_2024_p2_09_2024-02-19.pdf

<日本語ワープロの誕生と日本語変換>

初の日本語ワードプロセッサ JW-10(東芝)

 こういった中で、1970年代終わりに欧文ワードプロセッサの機能に「かな漢字変換」機能を加えた「日本語ワードプロセッサ(ワープロ)」が登場する。これは、コンピュータで文字入力を支援するソフトウェア「Input Method Editor」により、“ひらがな”か“ローマ字”で文章の“読み”を入力、変換キーを押すことで漢字仮名交じり文に変換されるというものであった。この最初の製品が東芝の最初のワープロ「JW-10」である。しかし、登場当初の日本語ワープロは大変高価(当初630万円)だったため、当初は官公庁や大手企業しか使えないような高級品であった。

富士通OASYS
NEC 文豪

 1980年代の初頭に、この流れを変える出来事が起きる。富士通の「OASYS」シリーズが先行し、それをNECが「文豪」シリーズで追随し、ワープロが一般に広く普及するようになる。また、エレクトロニクス技術の進展によりメモリや文章を表示できる液晶画面を備えた実用レベルの低価格製品が大量に供給されるようになったのである。この日本語ワープロの登場と普及は、日本語文書において革命的な出来事だったといえる。文書作成のスピードが上がった上、文の差替え、事後修正が可能となり、データの再活用や他への転用もできるようになった。特に、時間を急ぐ新聞記者などには必須の道具となったことは想像に難くない。

富士通のワープロ       NECのワープロ        東芝のワープロ   
シャープのワープロ        日立のワープロ         沖電気のワープロ    

 この時代に登場した主なワープロを列挙してみると、1980年の富士通「OASYS 100」。1981年のNEC「文豪」20Nシリーズの発売があり、1981年にはシャープが「書院 WD-3000」を発表、東芝の「ルポ」、キャノンの「キャノワード」、日立の「ワードドパル」、沖電気の「レーターメイト」などと次々に新しい機種が生まれた。ワープロの全盛時代である。また、この時期になると、もはや旧来の和文タイプライターはもはや使われなくなり、市場からは姿を消すことになる。

<PC文書作成の普及とワープロの退場>

PC9801

 ところが、1980年代後半になるとパソコン用のワープロソフトが出現し、ワープロとパソコンの間での攻防戦が始まる。当時、ビジネス場面でのパーソナル・コンピュータ(PC)は、専用ソフトの活用(表計算など)による個別利用と汎用のオフィスコンピュータ端末としての利用の両側面があった。そのため、二重投資を避けるため文書作成などを単独ワープロからPC置き換える動きが強まってきた。一方、ワープロは文書専用機であることの利点を生かして、高度な辞書を活用した高度変換機能を装備、罫線、特殊フォント、図表など体裁の優れた文書など、パソコンソフトとの差別化を図って対抗したが分が悪かったようだ。

パナソニックのLets Note
東芝のダイナブック
日本語変換ソフト

 そして、1990年代になるとコンピュータのダウンサイジングの進行、中頃からはインターネットの急速な普及とWindowsのOSの機能強化、PCの軽量化低価格化により、一般では汎用コンピュータからビジネスコンピュータ分野でのPCへの移行が加速、次第に主流になってくる。こういった動きにより、ワープロ専用機は次第に強みを失い、最後にはパソコンとの競争に敗北して出荷台数は次第に減少を余儀なくされる。2000年にはワープロの普及率はパソコンに抜かれ、各社もワープロの生産を停止することとなる。特に、ノートパソコンの普及はこれに拍車をかけた。これにより、ワープロからPCへの文書機能の完全なる置き換えが生じたといえるだろう。この背景にはOSマクロソフトの日本語変換ソフトIME、ATOKといった優れた言語変換ソフトの多機能化、高度化が大きな役割を演じたことも間違いない。

  この以降の動きは、別項におけるコンピュータ博物館紹介において触れることとする。このように文書作業が手書きから、タイプライターへ、そして電子化されたワープロへ、そしてPC、インターネットと、文書技術発展が、如何に大きくビジネス環境の変化と事務処理のあり方に影響を与えてきたことがわかる。

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(複写機、タイプライターの項 了)

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