-
Archives
- December 2025
- November 2025
- October 2025
- August 2025
- June 2025
- May 2025
- April 2025
- March 2025
- February 2025
- January 2025
- December 2024
- November 2024
- October 2024
- September 2024
- August 2024
- June 2024
- May 2024
- April 2024
- March 2024
- March 2021
- February 2021
- December 2020
- November 2020
- April 2020
- May 2017
-
Meta
Monthly Archives: April 2025
事務機器の博物館―複写機・タイプライターなどー(博物館紹介)
ー 複写機やタイプライターなど事務機器の発展が社会に与えたインパクトを検証するー <複写機器、プリンターなど> 今日、ビジネスでの事務処理、文書処理では、複写機やタイプライター、そして、現在ではワープロ、PCによる文書処理が必須のツールとなっている。また、個人の場でもコピー機、印刷機はごく日常の用具である。これら機器、用具はどのようにして生まれ発展してきたのかを考えるのは楽しい。そこで、今回のテーマは文書処理機器を扱った事務機器の博物館である。ここでは、ビジネスに欠かせない複写機、タイプライター、ワープロなどの技術発展を今日の産業、社会文化の観点から見てみた。また、参考資料として、和文タイプライーの開発、ワープロ専用機、パソコンへの文書処理技術の発展についても考えてみた。 +++*** ♣ エプソンミュージアム諏訪 所在地:長野県諏訪市大和3丁目3−5 Tel. 0266523131HP: https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/ → セイコーエプソンが創業80年を記念して設立した博物館。創業以来の技術開発の歴史を紹介するほか、世界初のクオーツ式腕時計、近年の先端技術の事務機器など貴重な品々を展示している。施設は、1945年から使っていた本社事務棟を改装した「創業記念館」と、以前からある「ものづくり歴史館」の2か所で構成されている。 このうち、「創業記念館」には三つの展示室が設けられており、第1展示室は、諏訪に時計産業を根付かせた創業者山崎久夫の足跡、同社初の腕時計「婦人用5型」、世界水準の精度を追求した「初代グランドセイコー」などを紹介。第2展示室は、水晶時計を小型化した同社の挑戦と創造がテーマ、第3展示室には、東京五輪で採用されたデジタル時計と計測結果を記録するプリンターなど、同社の革新的な製品や技術開発が読み取れる内容の展示を行っている。 また、「ものづくり歴史館」では、「省・小・精の技術」を原点とし、エプソンを成長・発展させた「ものづくり」の技術の伝承がテーマ。前身である大和工業時代からセイコーエプソンが世に送り出してきた製品・技術が一堂に会して紹介されている。技術が生み出した歴史的な商品と、それらが形作ってきた豊かな社会が展示内容となっている。事務機器分野では、インクジェットプリンターを始めとするプリンターや、プロジェクター、パソコン、スキャナーといった情報関連機器、水晶振動子(クォーツ)、半導体などの電子デバイス部品などの産業用機器の開発技術が紹介されている。 <セイコーエプソンの歴史と概要> ここでは、参考のため、展示などからみるセイコーエプソンの歴史と現況を紹介してみる。セイコーエプソンの創業は1942年。諏訪市で時計の小売・修理業を営んでいた服部時計店の元従業員の山崎久夫が、有限会社大和工業を創業したのがはじまりとされる。その後、服部家からの出資を受け、第二精工舎の協力会社として腕時計の部品製造や組み立てを行うようになる。戦争の影響で、第二精工舎は1943年に工場を諏訪市に疎開、諏訪工場を開設するが、終戦後も第二精工舎の疎開工場は諏訪の地にとどまることとなり、大和工業との協力関係を強めていく。そして、1959年には、大和工業が第二精工舎の諏訪工場を受け継ぎ「諏訪精工舎」となった。 この頃、諏訪では時計産業が盛んとなり「東洋のスイス」と言われるまでになる中、諏訪精工舎は、1961年に子会社として信州精器株式会社(後のエプソン株式会社)を設立。 1985年には、諏訪精工舎とエプソン株式会社が合併して、現在のセイコーエプソンとなって現在に至っている。 その後、セイコーエプソンでは、世界初のクォーツ腕時計(アストロン、初代)、自動巻き発電クォーツ腕時計(オートクオーツ)、スプリングドライブ、世界初のGPSソーラー腕時計(アストロン、2代目)等を開発、時計の高精度化・低価格化を進めている。また、時計の製造・開発から派生するかたちでプリンターや水晶振動子(クォーツ)、半導体、MEMSデバイス、液晶ディスプレイ、高密度実装技術・産業用ロボットなどの開発を行い、それらが現在の当社の主要事業に結実・発展している。現在の主力事業・主力製品はインクジェットプリンターや液晶プロジェクターなどの情報関連機器となっている。創業事業である時計事業についてもセイコーブランド向けの製品の開発・生産を続けていることはいうまでもない。 特にプリンターでは、1984年- ピエゾ素子を用いてインクを押し出す(マイクロピエゾ方式)のインクジェットプリンター「IP-130K」を発売している。 また、1987年には、NEC PC-9800互換のパーソナルコンピュータのEPSON PCシリーズの発売を開始している。1996年)- 写真画質を前面に押し出した「フォト・マッハジェット(PM)」シリーズ「PM-700C」を発売。国内インクジェットプリンター・トップシェアの座を得た。以後、「写真画質=エプソン」の地位を確立している。 ・参照:セイコーインスツル株式会社https://www.sii.co.jp/jp/・参照:セイコーインスツル株式会社会社・沿革 https://www.sii.co.jp/jp/corp/history/・参照:エプソンミュージアム諏訪に行ってきた「ものづくり」80年の歩みhttps://www.rasin.co.jp/blog/special/suwa_museum/?srsltid=AfmBOorOKH4dhLMp65DEThvcdoupanIQCVme6JRChGIH7UWX6drxBrP_・参照:エプソンミュージアム諏訪、本社敷地内に開館 : 読売新聞電子版 https://www.yomiuri.co.jp/economy/20220519-OYT1T50198/・参照:エプソンミュージアム諏訪 https://corporate.epson/ja/about/experience-facilities/epson-museum/・参照:セイコーエプソン創業80周年 これまでの歩みを紹介するニュースリリース https://www.epson.jp/osirase/2022/220518.htm ++++++++++++++++++++++++ ♣ ブラザーミュージアム(ブラザー工業) 所在地:愛知県名古屋市瑞穂区塩入町5番15号HP: https://global.brother/ja/museum → ブラザー工業が提供するミシンと事務機の博物館。ブラザーのモノ創りの歴史を、世界中から収集した貴重なミシンのコレクションと共に、編機、家電、タイプライターなど代表的な事務機器製品を展示・紹介している。館内は、ミシンゾーン、ヒストリーゾーン、プロダクトゾーンに分かれており、前者では、ミシンの国産化に始まり、事務機、タイプライターなど多角化の時代を迎えて進化するブラザーのモノ創りを紹介。後者では、オフィス・家庭用向けのプリンター、複合機をはじめファクシミリ、電子文具など幅広いラインアップを持つ製品を展示している。 具体的な展示を見ると・・・・。 まず、ミシンゾーンでは、世界で最初に考案されたミシンをはじめ海外のアンティークミシン、ブラザーの代表的機種など75台以上が並ぶ展示がある。世界で最初に考案されたミシン、日本に最初に伝わったミシンなどのほか、工業用特殊ミシンなども展示されている。ヒストリーゾーンでは、ブラザーの製品開発の歴史を記す年表のほか、国産ミシンの実現につながった「麦わら帽子製造用水圧機」をはじめ、家電、タイプライターなど、これまでの代表的な製品を展示。モノ創りの歩みを記す展示がみえる。 プロダクトゾーンでは、ブラザーの全事業、新製品を幅広く紹介。豊富なラインナップのプリンターや複合機、産業用領域の多様な製品などの展示が並んでいる。このコーナーでは、シール作成、ラベルライターの体験もできるという。 <ブラザー工業とは、、、> ブラザーは日本では縫製ミシンで広く知られるが、現在では、大手電機メーカーとして、主にプリンター(複合機)、ファクシミリなどの生産を主力事業として転換している。売上の9割近くが日本国外で、日本国内よりも北米やヨーロッパでブランド力が高い企業。安井兼吉が創業した「安井ミシン商会」が起源。社名は、これを安井正義ら息子兄弟が継承した際に商号を変更し「安井ミシン兄弟商会」としたこと由来し、兄弟の英語であるBrotherを社名に採用した。 日本でブランドイメージの強いミシンには、家庭用・工業用ともに世界トップクラスのシェアを占める。ブラザーは、1971年に、セントロニクス社と高速ドットプリンターを開発して事務機械分野に進出。現在、国内の現金自動預け払い機(ATM)では、3割のシェアを持っている。また、ブラザーはラベルプリンターの創始者でもあり大きな世界シェアを持つ企業。タイプライターでも世界的に知られ、この関連で1977年からのキーボード開発では高い評価を受けている。1993年のキーボード「コアラ」は世界で初めてノートパソコンに採用され、パンタグラフ式は現在、世界でノートPCの標準仕様となっているという。 1987年には、とファックスを共同開発。日本以外で「ブラザーファクス」として展開している。独自の技術でレーザープリンター、インクジェットプリンターを製造するが、各社とOEM契約を結んで生産している現状。2003年にインクジェット式の複合機マイミーオを発売、ファックス付複合機では2010年現在日本シェア第1位となっている。 ・参照:ブラザーミュージアム展示紹介https://global.brother/ja/museum/exhibits#workstyle・参照:ブラザーミュージアム – … Continue reading
Posted in Uncategorized
Leave a comment
電信電話の博物館ー日本の情報通信の歴史と技術(博物館紹介)
――日本の電信電話のルーツと技術開発の歴史を知るー 幕末に初めて日本に電気通信機器が紹介されてから150年、この間の通信事業・技術の展開は目を見張るものがある。簡便な電信から電話サービスの導入、交換機の改良と自動化、通信装置の電子化、マイクロ波の開発、衛星通信、マルティメヂアの普及など数限りない。また、個人の電話は、固定電話から携帯電話、現在ではスマートフォンとなって、あらゆる情報が個人で扱えるようになった。 これら通信技術の歴史と現在を扱った博物館は多数に上る。今回は、先回の「郵便」に続いて無線を中心とした各種情報通信の博物館を紹介することにする。 取り上げたのは、 NTT技術史料館、NTTドコモ歴史展示スクエア、KDDIミュージアム、門司電気通信レトロ館、UECミュージアムなどである。 ♣ NTT技術史料館 所在地:東京都武蔵野市緑町3-9-11 NTT武蔵野研究開発センタ内HP: http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/・参考:「NTT技術史料館」を見学するhttps://igsforum.com/2020-03-02-visit-ntt-history-center-of-technology-tokyo-jj/ → NTTが設立した総合的な情報通信技術の史料館。館内は「歴史をたどる」と「技術をさぐる」の二部構成になっており、NTT自身の開発した情報通信技術のほか、日本全体の通信、電話、情報機器の発達を示す多数の資料を収蔵・展示している。幕末に初めて日本に電気通信機器が紹介されてから150年、この間の通信事業・技術の展開は目を見張るものがある。簡便な電信から電話サービスの導入、交換機の改良と自動化、通信装置の電子化、マイクロ波の開発、マルティメヂアの普及など数限りないが、この点を踏まえた展示には見応えがある。特に、初期の電信・電話の導入期の逸話、電気通信の原理や発展の歴史を扱った展示コーナーは珍しく貴重である。館内展示は多岐にわたっており、施設も巨大で一日では回りきれないほどの膨大な展示内容を誇っている。 <展示構成と内容の概略> 「歴史」コースでは、初期の電信・電話の導入・普及期の逸話からはじまり、戦後の本格的な実用化、1970年代からの技術革新と電気通信の多様化、80年代からのディジタル技術の導入、今日のマルティメヂア、モバイル、国際化といったテーマで展示がなされている。日本の社会生活と経済ビジネスの世界でどのように電気通信が活用されてきたかがわかる。「技術」では、交換機、トランスミッション技術、電子計算機との融合、通信インフラ技術、光通信、モバイル、画像転送技術といったのが展示内容である。 展示では、時代を画した製品や機器が豊富に並んでおり、時代の推移と技術の発展を実感できる。また、階下には、幕末・明治にかけての電信、電話の導入期の人々の様子も壁画に描かれていて興味深い。初心者には電気通信の原理や技術の基礎がわかるように初期通信機械の機能モデルが設けられており、実際に操作し実験できるのもうれしい。 <電信電話のことはじめの展示> まずは、初期の逸話と機器の登場展示では、壁面に描かれた日本社会への電信機器の受容を描いた大きなイラストが目につく。第一に描かれているのは、1854年、ペリーが幕府に「通信機」を持ち込んで紹介しているシーン。日本人が初めて実際の電気通信装置を見た驚きを再現したものだといわれる。また、通信の重要性を実感した明治政府が、明治2年(1868)に早くも電信の導入を図るため東京・横浜間に仮設工事を行った様子、1980年には電信サービスを始めた年譜などもみられる。展示品では、ペリーの持ち込んだモールス電信機の写真、日本で最初に使われたに「ブレゲー指字式電信機」などがある。 一方、電話普及の展示では、明治23年(1890)に東京横浜間で初めての電話サービスが開始されたことが記されている。当時、電話交換局の交換手によって一つ一つ手動で交換通話する煩雑なもので非常に高価な通話料であったという。史料館では、ベルの電話機を模倣して製作された「国産一号電話機」、{磁石式手動交換機」の実物が展示されている。また、当時の電話の普及を描いた壁面もあり興味深い展示である。 <電気通信の自主技術開発の時代の展示> 明治後期までに電信電話の一般への普及は急速に進んでいたが、その技術の大半は海外に依存せざるを得ない状況が長く続いた。そのなかでも、先端技術の積極的な摂取と消化、それに基づく自主技術の開発も多くなされたことにも触れられている。中でも、TYK無線電話開発、無装荷搬送方式の開発、装荷ケーブルと装荷コイルの開発、写真電送装置、T形自動交換機、軍事用レーダー開発などがあげられるが、展示でもこれが示されている。電話機の展示では、種々の形状、機能をもった実物が例示され、公衆電話も普及したことも指摘されている。史料館の展示では、装荷ケーブル、フレミングの2極真空管、デ・フォレストの3極真空管などが見られるほか、時代時代の電話機の見本が数多く展示されている。 <戦後復興から成長の時代の電気通信> 軍事用通信から民生部門の電気通信の進展が大きく歩み出したのは、第二次世界大戦後の1950年代からである。電気通信を主導したのはNTTの前身「電電公社」であった。公社が取り組んだのは「電話」網の拡大とサービスの向上。この過程で開発されたのが国産の「四号電話機」である。これまでのカワーベルから三号電話機でも、すべて外国製品の模倣であったが、初めて高品質品の自主開発となった。また、電報サービスと中継交換の整備、海底ケーブルの拡大、国際通信の復興とテレックス通信の開始、マイクロ波によるテレビ放送開始、装置面では自動交換機「クロスバー交換機」の登場、同軸ケーブルの開発などが大きく進んだ。 史料館では、時代疑似空間を使いながらこの間の社会変化と機器の進歩の様子を描写していて興味深い。例えば、当時の公衆電話機(赤電話)、各種の電話機、初期のクロスバー交換機、同軸ケーブル、職場に普及したテレックス、構内交換機(PBX)などが時代を追って進歩している姿が展示されている。 <本格的な通信分野の技術革新と多様化> 戦後の高度成長時期を終えるころになると、日本でも社会生活の変化に応じた電気通信技術の新しい段階に入ってくる。電話機の広汎な普及と交換機の電子交換機への進化、コンピュータネットワークによるデータ通信サービスの開始、移動通信サービスの自動車・携帯電話の登場、各種通信技術の開発が進展した時期である。 史料館では、当時の社会生活に必須となった公衆電話の普及、画像伝送・ファクシミリ、移動通信の開始、電子式電話交換機の開発などの様子を、多くの写真、現物展示を展示している。例えば、D10形自動交換機、各種形状と機能の電話機、データ通信に対応するプッシュホン、開発初期の自動車電話、ファクシミリ装置、などである。電気通信網が当時の社会やビジネスの世界に広く浸透していることがうかがえる。また、この間の技術進歩が世界でも日本でも急速に進みつつあったこともわかる。 <ディジタル技術とマルチメディアの時代> 1980年代半ば以降の電気通信事業の歩みをみると、技術、サービス提供の面でさらに進歩が加速し社会に深く根付いていることが展示からもうかがえる。通信手段は、アナログからディジタルの時代へと大きな移行し、多量な音、映像、文書データがネットワークを通じて同時に扱えるようになった。また、移動通信の急速な発展やインターネットの普及が進み、通信の新しい時代が始まることになる。1985年には、民営化したNTTが伝送容量の飛躍的な増大をはかるため「光伝送」も導入している。そして、自動車電話から始まった移動体通信は急速に発展、固定電話網に匹敵する巨大ネットワークへと成長、また、移動デバイスの小型化、電波利用効率の向上が進む一方、インターネットの普及も進んでいく。衛星通信が活発化するのもこの時期である。 史料館では、各種光エレクトニクスの機器・装置、多機能化する固定電話と携帯電話、ISDNに対応するディジタル端末、テレビ電話機、イントラネット、マルチメディア環境をサポートするユーザ機器、さらには技術試験衛星ETS-VIの実験モデルなども展示されている。ビジネス環境の展示では、テレックスからコンピュータ通信へ、日本語OCRや音声合成技術画像通信と画像情報提供システムなども紹介されている。 <今日のインターネット環境と通信世界> 日本でも、現在、インターネットのひろがりとともに新たな通信システムの構築が進行中に見えるが、この点での史料館の実物展示はあまり多くない。「史料」館という性格や「移動通信については“NTTドコモ”が主役になっていることが影響しているようだ。それでも、NTT自体が取り組んでいる幾つかの方向性が確認できる。 例えば、OCNの導入・発展、インターネットを利用した音声通信や映像配信、かつて一時代を画した「iモード機器」、IPv6インターネット国際実験ネットワークの構築・運用などの活動内容が紹介されている。通信ソフト面でも、制御プログラムを核に多様な展開、階層アーキテクチャ、大規模データベース、ソフトウエア生産技術、媒体の変化なども展示で示されている。電気通信サービスは有線固定電話網から無線通信サービスへ大きくシフトへ、モバイル通信も3Gから4Gへ、そして5G世代への移行が叫ばれる中、有線通信サービスに基盤を置いてきたNTTが蓄積してきた膨大な技術資産を生かして、今後どのように通信事業を展開していくか興味のあるところである。 <参考資料> +++++++++++++++ ♣ NTTドコモ歴史展示スクエア 所在地:東京都墨田区横網1丁目9−2 ドコモ墨田ビル Tel. 03-6658-3535HP: http://history-s.nttdocomo.co.jp/ → ドコモ歴史展示スクエアは、日本のNTTドコモを中心とした携帯電話の歴史を紹介する博物館。2004年に誕生している。館内には、歴史展示コーナー、特殊電話コーナー、体験コーナーが設けられており、日本の移動体通信の歴史をテーマにした自動車電話、船舶電話、ポケットベル、携帯情報端末(PDA)、各種携帯電話機種など300点以上の実機が紹介・展示されている。ここでは、初の携帯電話であるショルダーフォンや携帯電話が普及する前の連絡手段として重宝したポケベル、他ではあまりお目にかかれないMova、FOMA時代の携帯電話などの貴重な機種を見ることができる。 現在、携帯電話はスマートフォンに移っており、ここで展示されているのは一時代古いものが中心であるが、かつて、世界に先駆けて一時代を築いたとされる日本における移動体通信技術の発展をみる上では貴重な存在である。 <日本における携帯電話の歴史> 携帯電話の前身と呼べるものは、1940年代、アメリカ軍が使用したモトローラのトランシーバー「Walkie Talkie」であるとされる。しかし、一般向けの携帯電話の歴史は、1973年にモトローラが初めて無線通話に成功したことを受けて、1983年に世界初の市販機を発売したことに始まる。日本では、1970年に開催された大阪万博の電気通信館で、携帯型の無線電話機「ワイヤレステレホン」が出展され、デモ通話を行ったのが最初とされる。そして、1985年に当時の日本電信電話公社が、携帯電話機(ショルダ型自動車電話)100型を日本で初めて登場させ、レンタルサービスを開始している。車外でも使用できる自動車電話という位置づけであり、電話機の重量も約3kgと重かったため、携帯時はショルダーバッグのように肩にかけて持ち出す必要があった。1989年には携帯電話TZ-803B(製造 日本電気・松下通信工業)が発表され、重量640gと小型・軽量化が進展している。 1986年には電波法が改正され、自動車以外でも自動車電話が使用できるようになり、特急列車や高速バスにも自動車電話が設置されている。1993年、NTTドコモがPDCデジタル方式(第二世代携帯電話(2G))の携帯・自動車電話サービスを開始、世界初のデジタル携帯電話を使ったデータ通信サービスを開始、1994年には、日本移動通信(IDO KDDIの前身の一つ)もPDCデジタル方式の携帯・自動車電話サービスを開始している。 こういった中、1993年に第二世代デジタルコードレス電話として開発されたPHSが、1995年、簡易型携帯電話サービスとして開始され、端末や通話料の安さもあり若年層を中心に電話の新しいスタイルとして普及する。PHSは、ショートメール(SMS)、セルラー文字サービス(DDIセルラー)、Pメール(旧DDIポケット)も可能であった。1997年には携帯電話ドコモ・ムーバ“mova”でもSMSも始まっている。この経過は、展示されている歴史館に携帯電話の実物と共に紹介されている。 <インターネットとE-mail、カメラ内蔵携帯電話の普及> … Continue reading
Posted in Uncategorized
Leave a comment