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Monthly Archives: March 2025
郵便の博物館ー郵政事業の歴史と現在をみる(博物館紹介)
ー郵便制度はどのようにはじまり現在につながっているかー 明治4年、日本に近代的な郵便制度が導入されてから約160年になる。この間、手紙やハガキ、小型配送、貯金・保険など、郵便は多様な形態の発展を遂げ、今や各地域社会の郵便局は日常生活に欠かせない存在となっている。現在の情報通信手段は、電話、インターネットなど多彩な展開をみせているが、郵便制度の重要性は昔も今も変わりないであろう。今回は、郵便関係の博物館の紹介を通じて、歴史的な文書伝達手段やその変遷、情報と通信のあり方、情報文化の多様性など、現代社会を支える通信システムについて考えてみたい。 取り上げるのは、JPの郵政博物館、切手の博物館、手紙の博物館などである。 ♣ 郵政博物館(日本郵政) 所在地:東京都墨田区押上1-1-2 東京スカイツリータウン Tel:03-6240-4311HP: https://www.postalmuseum.jp/about/・参考:東京・墨田の「郵政博物館」の訪問 https://igsforum.com/visit-postal-museum-j/ → この郵政博物館は、1902年、当時の逓信省が開館した「郵便博物館」を前身として、2014年に誕生した博物館。日本の郵便および通信に関する収蔵品を展示・紹介している。郵便による手紙や小包などは、今日、日常生活ではごく当たり前の通信システムとなっている。しかし、それがどのような歴史的な背景のなかで生まれ、発展してきているのか、社会的意味は何なのかを意識することは少ない。その意味で日本郵政の「郵政博物館」は大変貴重な博物館となっている。館内は、郵便の歴史や話題を紹介する常設展示室、企画展示室、多目的スペースなどで構成されている。内部には約33万種の切手展示のほか、国内外の郵政に関する資料約400点を展示されている。このうち、常設展示場は、郵便の歴史のほか手紙、切手、郵便貯金、簡易保険に分かれて多様な収蔵品の展示がある。企画展示で、重要文化財の「エンボッシングモールス電信機」、「平賀源内伝 エレキテル」、「ブレゲ指字電信機」なども随時(不定期)されているのも見逃せない。 以下に博物館での展示内容を紹介してみる。 <郵便の起源と歴史を語る展示> 郵便制度が生まれた経過は「郵政博物館」正面の歴史コーナーで詳しく解説展示されている。これによれば、日本の近代郵便制度は、西欧の郵便制度に学びつつ、明治3年(1870)に前島密が「郵便局」制度を建議したことに始まるとされる。前島は、その後「日本郵便の父」と呼ばれるようになるが、その胸像も正面入り口に設置され氏の功績がたたえられている。ちなみに「郵便」という名前も前島がなつけたものであるという。 郵便制度については、その後、1871年に東京、京都、大阪に「郵便役所」が創設され日本の郵便事業が公式に開始された。これに合わせて全国に1000カ所を越える「郵便局」が設置され、郵便のネットワークが日本全国に広がったと伝えられる。会場には明治初期の郵便ポストも展示されていて、ポストに「投函」することで手紙が相手先に届く簡便さが、郵便利用の増進と大量配送を促しコストの低下とシステムの拡大を可能にしたことがわかる。手紙などの郵便物処理と配達の仕組みや手段の変遷もおもしろい展示である。郵便配達夫の乗り物、配送区分用具や計量器、消印スタンプなどの展示が当時の郵便の姿を再現させている。 <郵便の象徴・切手の総合展示> 博物館のハイライトの一つは、日本の例題切符のほか、世界各地から集めた33万点にも上る「切手」のコレクションである。広い展示コーナーに縦型の引き出し式の展示棚が設置されており、北米、ヨーロッパ、中南米のほかアフリカ、大洋州などの貴重な切手類がぎっしり収納してある。棚を開けると、各国の歴史的人物や風景、珍しい動植物の切手が一覧できる。世界の多様が郵便という手段で世界が結びついていることを感じさせる展示である。 <郵便貯金と郵便保険の展示> そのほか、郵便局を利用した小口の貯金制度、保険などが歴史経過を踏まえてどのように構築されてきたのかの展示もあり、今日の「郵便局」や「特定郵便局」の業務との関連を見る上でも参考になる。 <参考> 郵便の起源と日本の文書交換の歴史 → ここでは博物館展示に依拠しつつ、日本と世界の郵便の起源と歴史をみてみる。 情報伝達の起源をみると、最も古い日本の遠距離通信手段は律令時代からはじまったと伝えられる。このとき設けられた「駅制」と「伝馬」が主要街区間の伝達制度の基礎であった。鎌倉時代にになると人馬による「飛脚」による文書相互伝達がはじまり、政治的な文書交換が行われた。江戸時代には「飛脚」業者があらわれ、武士だけでなく町人も盛んに手紙を交換して連絡しあうようになっている。江戸を中心として街道の整備や宿場施設などの交通基盤が整備されたことも大きかったようだ。明治になり、郵便制度が導入されると新たな文書通信手段が生まれ、民間に広く普及するようになる。この様子は、郵政博物館の展示の中によく示されている。 一方、ヨーロッパ社会では、教会・修道院を統率するために12世紀はじめに起こった「僧院飛脚・マナスティック・ポスト」が郵便の起源であるとされる。また、近代郵便の起源は、16世紀ヨーロッパのオーストリア・パプスブルグ家が主導した商業目的も含む定期文書郵便がはじまりとされる。その後、1840年、ヨーロッパでは、英国人ローランド・ヒルの考案による均一料金郵便制度が英国で施行されたことにより、本格的な近代郵便の基礎が確立された(「ペニー郵便制度」)。 <参考資料> +++++++++++++++++++ ♣ 郵政博物館資料センター 所在地:〒272-0141 千葉県市川市香取 2-1-16HP: https://www.postalmuseum.jp/guide/postalmuseum.html → 郵政博物館資料センターは、郵政博物館の収蔵する資料を保存、管理、調査・研究する活動を行う施設である。センターでは収蔵資料に関する照会のほか、資料の閲覧・撮影等の申請に対応している。 ・参考:資料利用の申し込み https://www.postalmuseum.jp/request/data.html +++++++ ♣ 沖縄郵政資料センター 所在地:沖縄県那覇市壺川3‐3‐8 那覇中央郵便局2階HP: https://www.japanpost.jp/corporate/facility/museum/index06.html → 沖縄郵政120周年を記念して1994年に開館されたのが「沖縄逓信博物館」。2007年に沖縄郵政資料センターと名称を変更している。ここでは琉球王府時代から琉球藩時代を経て、戦中・戦後に至る沖縄の郵便や通信の歴史を分かりやすく展示している。琉球政府時代(1948年から1972年)の24年間に発行された琉球切手をはじめ、沖縄における郵便に関する資料などが数多くみられる。 ++++++++++++ ♣ 前島記念館 (日本郵政) 所在地:〒943-0119 新潟県上越市下池部1317-1HP: https://www.postalmuseum.jp/guide/maeshima.html → 郵便の父と言われる前島密の生家跡に建てられた記念館。明治の文化・政治に幅広く力をふるった前島密の実像を、多くの資料と遺品で紹介している。前島の功績を長く記録する目的で、1931年、生誕の地(新潟県上越市、上野家屋敷跡)に建設された。館内には、氏の業績を分かりやすく紹介するパネル展示をはじめ、当時の手紙幅や遺品、遺墨(絵や絵画)など約200点の展示物が幅広く陳列されている。この中には、前島密の生涯と業績を絵画・直筆のノート・駅通権正辞令類、大久保利道や伊藤博文らとの交流の様子を示す手紙、前島の趣味の品々(書画・漢詩など)がある。また、別館では、ジオラマによる前近代の通信の様子、郵便制度を象徴するポストの変遷や通信機器(電話)の変遷をテーマとした実物展示もある。また、前島密の生涯を描いたエピソード「前島密一代記」などもあり参考になる。 … Continue reading
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時計の博物館―精密機械のミュージアムー(博物館紹介)
―暦と時からみる生活文化の系譜と日本のものづくり技術の展開― (作業中) 時計という精密機械の歴史的な発展の姿から、これまで科学と技術がどのように変化してきたのか、時計技術者の“ものづくり”の姿勢や社会変化がどのように社会文化や技術発展に関わってきたのかを考えるのは重要なテーマであろう。ここでは時計の博物館の紹介を通じて技術の継承と時代によって変化する社会洋式のありようなどを考察してみたい。取り上げるのは、国立科学博物館、セイコーミュジアム、シチズンミュージアム、松本市時計博物館、時計工房儀象堂、大名時計博物館、近江神宮 時計館宝物館などである。 ♣ 国立科学博物館 地球館科学技術史・時計セクション 所在地:東京都台東区上野公園7−20HP: https://www.kahaku.go.jp/research/department/sci_engineer/collection/watch.html → 国立科学博物館には、近代科学の進歩を踏まえ、日本がどのように「暦」と「時計」を発展させきたかを示す歴史コーナーがあり非常に参考になる。古代の時計、江戸期における各種時計の古くからの歴史がみられるほか、明治以降に製作された西洋式の柱時計、置時計、懐中時計など多数を展示し、時計産業の近代化過程を紹介している。特に、博物館では、日本における「和時計」の発達を近代機械技術の基礎として重視して展示しており、詳しい解説と実物展示を行っている。 <生活時計である不定時法の和時計展示> 四季の変化が著しい日本では、歴史上、生産活動、社会生活において「時」は重要な役割を果たしており、昼夜の長さの時刻計測は重要な生活指標であった。江戸時代前の日本では、夜明けと日暮れで1日を昼と夜に分け、それぞれを六分割して表示するのが基本だった。これは、時間単位が昼と夜で異なるだけでなく、季節、場所によっても変化する「不定時法」といわれるものであった。この「時」を知る装置として、西洋の機械時計に工夫を加え改良したのが「和時計」という。ちなみに、西洋の機械時計が日本に伝えられたのは室町時代の半ばといわれる。しかし、「定時法」を表示する西洋の機械は、不定時法を用いていた日本では使うのが困難であった。時計師たちは、この時計機構に改良を重ね、不定時法を表示する機械時計「和時計」を開発製作した。江戸期における重要な発明といえるだろう。和時計の中に仕組まれた「てんぷ機構」や「割駒式文字盤」は不定時法に対応するように日本独自で工夫された機構であり、これが和時計の重要な特徴となっている。 展示を見ると、和時計では、江戸時代以前からあった香時計(常香盤)、太鼓時計などの展示だけでなく、一挺天府櫓時計、二挺天府掛け時計、枕時計、割駒式尺時計、釣鐘時計、重力時計、印籠時計、懐中時計など貴重な和時計が多数陳列されており、訪問者は時計の歴史的な位置づけや特徴を詳しく見ることができる。 <明治以降の定時法の定着と時計産業発展を示す展示> 明治初年に暦が太陽暦と替わり「定時法」が採用されと、従来使われてきた不定時法の和時計は使えなくなり、1889年(明治22)製作の掛時計を最後に和時計の歴史は終わる。そして、1890年代には掛時計と置時計の国産化、少し遅れて懐中時計の国産化が進み近代時計製作の時代がはじまる。これらを主導したのはセイコーなど時計産業の新興メーカーであった。まず、1895年に生まれた懐中時計(タイムキーパー)があげられる。1899年には目覚置時計、1902年には懐中時計「エキセレント」、1913年には、国産初の腕時計「ローレル」などが生み出されている。 その後、日本の時計産業は大きく発展し、戦後の1964年には、スイス天文台のコンクールで日本の機械時計が好成績を収め、時計技術が世界水準に達したことが証明される。また、1969年のクオーツ式腕時計を開発は、それ以降、腕時計生産では世界をリードするまでに進化している。そのた、各種電子時計の開発でも躍進は著しいものがある。 博物館の収蔵・展示品では、これら明治以降、現代につながる時計産業の発展の姿や成果を強調しているのがみられる。日本のものづくりの進化を伝えるものといえるだろう。 <江戸時代の匠技を伝える田中久重の万年時計の展示> 展示されている万年時計は、幕末から明治にかけて活躍した技術者田中久重により、1851年(嘉永4)に製作されたゼンマイ駆動の美術和時計で、江戸時代の機械製作の粋を示すものとして高く評価されている。頭部には不定時法時刻を示す割駒式文字、二十四節気、七曜と時打ち、旧暦日付・月満ち欠け表示などを示す文字盤、月と太陽の出没を示す天象儀などが一体になって表示できる大型置時計で、美術的にも最高の制作となっている。博物館では、この万年時計は精密工作技術の高さと自然科学知識の深さを示す傑作として、日本近代科学技術史「科学技術への誘い」のシンボルとして特別展示している。田中久重は、明治期に東芝の基礎を築くなど、江戸期から明治期へ科学技術の橋渡し役を果たした人物であり、この万年時計はこの田中の活躍を示す歴史的記念物である。明治期に日本が西洋の科学技術の導入ができたのは、田中のような先駆的な技術者の活躍と知識の集積があったこと大きな要因であることは疑いない。この意味でも、万年時計の展示は意味深い。 ・参照:科学技術館のアンティーク時計の収蔵資料一覧 ―和時計の世界― https://shinkan.kahaku.go.jp/kiosk/50/nihon_con/S1/KA3-1/japanese/TAB1/index.html・参照:科学技術館のアンティーク時計の収蔵資料一覧 ―現代の時計産業― https://shinkan.kahaku.go.jp/kiosk/100/nihon_con/S1/KA3-1/japanese/TAB2/index.html +++++++++++++++++++++++ ♣ セイコーミュージアム銀座 所在地:東京都中央区銀座4丁目3-13セイコー並木通りビル Tel. 03-5159-1881HP: https://museum.seiko.co.jp/・参考:時計の博物館「セイコーミュージアム銀座」を訪ねるhttps://igsforum.com/2025/03/16/visit-seiko-ginza-m-jj/ → セイコーミュージアムは、もともとは1981年、セイコー創業100周年の記念事業として設立されたものだが、2020年に、創業者・服部金太郎の創業した銀座の地へ移転し、改めて「セイコーミュージアム銀座」として開設した時計博物館である。ここでは、セイコーの製品の紹介やセイコー社の歴史だけでなく、古来の日時計から和時計なども含めて広く時計の成り立ちや世界の時計について解説する総合展示ミュージアムとなっている。 展示は、テーマ別に、セイコーの創業と発展を伝える「はじまりの時間」と「時代の一歩先を行く」、時計技術の歴史を示す「自然が伝える時間から人がつくる時間」、セイコーの歴代時計製品を展示する「精巧な時間」と「いろいろな時間」、そしてスポーツ時計の「極限の時間となっている。また、セイコーのブランド製品「グランドセイコー」のコーナーが新たに設けられた。主な展示品としては、テーマにしたがって、自然の力を利用した古代の時計、新旧の世界の機械式時計、歴史的な記念時計、不定時法の和時計、時計に関する錦絵などが丁寧に陳列されている。また、セイコー自身が歴代製作してきた多彩なクロックとウオッチの作品展示は社歴と共に紹介されていて多彩である。また、服部金太郎の経営や精工舎創業に関わるエピソードも興味深い内容となっている。このうち幾つかを紹介してみる。 <世界の時計―古代から近世までーの展示> 展示室に入ると紀元前から使われていた「日時計」がみえる。紀元前3000年前後のものの複製であるが、当時の姿をよくとどめている。また、各地で古くから使われた砂時計、水時計などの模型、日本の「線香時計」というものもある。いずれにしても、機械式時計が生まれる前、日光や砂、水といった自然物をつかった道具が人々に用いられていたことが分かる展示である。機械時計が生まれたのは13世紀頃以降であるようだが、ミュージアムには1500年頃作られた「鉄枠塔時計」の模型が展示されている。これが最古の機械式時計と同じ構造であるという。また、この展示コーナーには、1700年頃の「ランタンクロック」、1800年代の振り子時計「ビッグベン時計塔時計」のプロトタイプ、フランスで作られた工芸的な懐中時計「からくり押打ち鍵巻懐中時計」(1800s) など、時計の歴史を見る上で貴重な展示品が数多く並べられている。 <日本の時計「和時計」の世界> この博物館展示のうち圧巻なのは「和時計」展示である。江戸時代を中心に、当時の工・芸技術の粋を集めた日本仕様の歴史的な機械時計が数多く展示されている。ちなみに、日本に初めて機械式の時計がもたらされたのは、17世紀ポルトガルであったといわれる。その後、日本独自の工夫と技術が加えられ日の出から日没までの時間を分割して時を告げる“不定時制”による「和時計」の製作となった。これは美術品としても珍重され、改良も加えられ様々な形の時計が作られている。それらは現在の眼で見ても感心させられる精巧な機械装置を持っており、芸術性の高い時計でもある。明治以降は、太陽暦となって「和時計」自体は制作されなくなったが、そこで培われた機械加工の技能は次代にひきつがれた。ミュージアムでは、各種和時計の展示と共に“不定時制”にいて詳しく説明を加えている。 <展示からみる<セイコーの創業と発展> ミュージアムの2階はセイコー創業者服部金太郎の生涯とセイコーの発展を描く展示コーナーとなっている。これによれば、金太郎は1860年(万延元年)京橋に生まれ、13歳の時、上野の坂田時計店で時計の修理や販売を学び時計づくりを目指したという。そして、明治4年(1886)、夢を実現すべく京橋采女町に「服部時計店」を創業。店は持ち前の才覚で事業を拡大、明治20年には銀座の表通りへの進出を果たし、明治28年には銀座四丁目の角地(現在の和光)を購入するまでになる。元から時計の国産化という目標を抱いていた金太郎は、1892(明治25)年、技術者吉川鶴彦と共に時計の販売資金を元手にして国産の時計製造に乗り出す。このとき生まれたのが「ボンボン時計」と呼ばれた掛時計であった。明治22年に会社名も「精工舎」と改めている。創業20年後の明治44年には国産時計の約60%を精工舎の時計が占めるまでになっている。 <展示からみえるセイコーの発展と歴代の時計製品> このセイコー社の時計開発の歩みについては、展示テーマ「精巧な時間」と「いろいろな時間」のコーナーで実物見本と共に解説で詳しく紹介されている。 代表的なものをみると、まず、1895(明治28)年に国産時計の地歩を築いた懐中時計(タイムキーパー)があげられる。 7年後の1899(明治32)年には目覚し時計を開発、1902(明治35)年には懐中時計「エキセレント」、1909(明治42)年には大衆向け懐中時計「エンパイヤ」、そして1913(大正2)年には、国産初の腕時計「ローレル」と矢継ぎ早に商品化を進めていることがわかる。しかし、1923年の関東大震災がセイコーにも大きな打撃を与えた。展示コーナーには、このとき焼け落ちた時計の残骸が並べられおり被害の大きさがわかる。この震災被害にもかかわらずセイコーは、翌年に時計製作を再開、ブランド“SEIKO”を誕生、1929年(昭和5年)には鉄道時計「セイコーシャ」を生み出すなど復元力の確かさを示している。 また、戦時中事業は中断するも、戦後におけるセイコーの躍進はめざましく、世界初の水晶腕時計「クオーツアストロン」を発売した。展示には、この経過と共に実物が現示されている。 そのほか、展示されたセイコーの歴代の時計製品では、「クレドール」などデザイン製のあふれた腕時計、新技術の「スプリングドライブ」(1999)、セイコーのブランド「グランドセイコー」など多様な製品が年代毎に豊富に展示されている。また、掛時計などでは、時打振子式電池掛時計(1961)、あそび心の「メリーゴーランドクロック」(1990)や「ファンタジア」(1998)、衛星電波クロック(2013)、中国北宋時代の「水運儀象台」を模した美術時計など多様である。 ++++++++++++++++++++++++ ♣ シチズン・インターネット・ミュージアム 所在地:東京都西東京市田無町6丁目1-12HP: https://citizen.jp/event2022/newproduct/2nd/museum/ (シチズンウオッチ サイト) … Continue reading
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