ー建築文化と技術発展を映す国・大学のミュージアム活動を紹介

日本の建物洋式は時代の要請にしたがって大きく変化してきている。とりわ公共施設、官庁の建物は、明治以降、西洋建築の様式を取り入れ、煉瓦造、コンクリート建造物の多層階のものが多くなっている。これまでの宮大工による木造社寺建設からの大きな変化である。そこでは新しい建築設計の思想と技術が求められ、近代的な建築家が育つこととなった。彼らは西洋に学びつつ日本の建築文化を取り入れた優れた建造物を多く生み出している。ここでは、この新しい建築家達による近代建築の成果と過程を紹介する国・大学・公共機関のミュージアムを取り上げることとした。伝統的な洋式とは異なった新しい日本的な建築物の紹介である。
<国・大学・自治体の建築技術博物館>
♣ 国立近現代建築資料館 (文化庁)
所在地:東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内 Tel. 03-3812-3401
HP: https://nama.bunka.go.jp/


→ 日本の建築文化、特に近現代建築に関する資料(図面や模型等)の歴史的、芸術的価値を次世代に継承する目的で設立された資料館。これまで、その検証や保護が不十分だった近現代建築資料の反省を踏まえ、全国的な所在調査、収集や所蔵を行った結果、2013年に資料館の開設にこぎつけたもの。建物は旧岩崎邸庭園に隣接した旧財務省関東財務局に設けられている。収集品目は、当面、明治時代から図面のデジタル化が進んだ1990年代頃までに作成されたものを中心に、文化勲章・文化功労者、国際的な建築賞を受けた多くの作品が展示されており、建築史上貴重なものが網羅されている。この10年でコレクション(所蔵資料群)は30万点に及び、手描き図面を中心とした建築資料の収蔵は20万点を超えている。作品は、図面をはじめ、スケッチ、関連資料、写真アルバム等、多岐にわたっている。所蔵資料は 収蔵資料検索DB – 文化庁 国立近現代建築資料館https://nama.bunka.go.jp/collection/kensaku_dbで検索できる。



2023年には、開設から10年を迎え、特別展「文化庁国立近現代建築資料館 [NAMA] 10周年記念アーカイブズ特別展―日本の近現代建築家たちー」も開催された。
・参照:国立近現代建築資料館 – Wikipedia
・参照:明治150年 国立近現代建築資料館 開館5周年記念企画 明治期における官立高等教育施設の群像 https://nama.bunka.go.jp/exhibitions/1809
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♣ 建設技術展示館 (国土交通省)
所在地:千葉県松戸市五香西6-12-1 Tel. 047-394-6471
HP: https://www.kense-te.go.jp/


→ 建設技術展示館は、国土交通省の取り組みや最新の建設技術を紹介する体験型施設。実物、DX体験などを通じて、一般、学生、技術者など幅広い層に建築技術や構造物の仕組みを「見て!触れて!知る!」ことを目指して開設された。
現在、展示館では、防災・減災・国土強靱化、インフラ長寿命化技術」、「インフラ分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)技術」、「インフラ分野の脱炭素化・GX(グリーントランスフォーメーション)技術」などが消化されている。



また、屋外には車道舗装プロムナード、歩道舗装プロムナード、環境舗装フィールド実験施設、被災した中条橋の橋脚サンプル、半世紀前のコンクリート橋(RCT桁)の断面、泥水式シールド及び水陸両用ブルトーザーなどが現物展示されており見学も可能である。



・参照:展示物案内 建設技術展示館|(国土交通省 関東地方整備局 関東技術事務所)https://www.kense-te.go.jp/exhibition/
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♣ 科学技術館・建設館
所在地:東京都千代田区北の丸公園2-1 科学技術館4F
HP: https://www.jsf.or.jp/exhibit/floor/4th/f/


→ 科学技術館は、現代から近未来の科学技術や産業技術に関する知識を広く普及・啓発する目的で1964年に設立された公的施設。産業技術の幅広い分野にわたり関連の深い業界団体や企業等が展示の制作や運営について協力している。家電、電気、鉄鋼、自動車、石炭などのほか4階部分に「建設」館が設けられている。ここでは、橋やトンネルなどさまざまな建造物について解説し、その技術内容と災害からまもる工夫が紹介されている。



・参考:一般社団法人 日本建設業連合会https://www.nikkenren.com/
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♣ 江戸東京たてもの園(東京都)
所在地:東京都小金井市桜町3-7-1 都立小金井公園内都立小金井公園内
HP: https://www.tatemonoen.jp/



→ 江戸東京たてもの園は、「江戸東京博物館」の分館として江戸・東京の歴史的な建物を移築、保存、展示する野外博物館。高い文化的価値がありながら現地保存が困難となった江戸時代から昭和初期までの30棟の建造物を移築復元し展示している。園内は3つのゾーンに分けられ、西ゾーンでは武蔵野の農家と山の手の住宅、センターゾーンは格式ある歴史的建造物、東ゾーンでは下町の町並みが再現されている。建築年代や建物の利用用途に合わせた室内展示も行われており、その当時の生活文化の様子をみてとれる構成となっている。


まず、センターゾーンでビジターセンターになっているのは「旧光華殿」。昭和15年の紀元節式典の仮設式殿として造営したものを移設である。また、近くには徳川家光の側室自証院の霊廟「旧自証院霊屋」が配置されている。また、二・二六事件で倒れた政治家「高橋是清邸」、実業家の「西川家別邸」、山岸宗住(会水)が建てた茶室などが並ぶ。伊達侯爵家屋敷の「伊達家の門」も歴史的なものである。



西ゾーンは山の手の住宅と農家コーナーで、「三井八郎右衞門邸」(財閥三井本家の和風邸宅)建築家「前川國男邸」、黎明期の和洋風混在住宅「小出邸」、江戸後期の農家「吉野家」、江戸を守った「八王子千人同心組頭の家」などが見られる。



東ゾーンは下町の町屋、商家が並ぶコーナーで、小寺醤油店、鍵屋(居酒屋)、銭湯の子宝湯、仕立屋、武居三省堂(文具店)、丸二商店(荒物屋)、大和屋本店(乾物屋)、万徳旅館などと、対象・昭和時代のといった街並みの再現がある。



ゾーン外の「屋外展示物」も魅力ある展示で、都電車両(1978年廃車)、ボンネットバス いすゞTSD43、上野消防署(旧・下谷消防署)望楼なども珍しい。
「たてもの園」全体が、住居・建築を通した日本社会の生活、文化、歴史変化を映すタイムカプセルのようなテーマパークとなっているのは何よりの魅力である。
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♣ 今治市伊東豊雄建築ミュージアム
愛媛県今治市大三島町浦戸2418
HP: https://www.tima-imabari.jp/



→ 世界的にも知られる建築家伊東豊雄の建築作品が展示する今治市建築美術館。ミュージアムは美しい瀬戸内の島々に囲まれた風光明媚な「東三島」に開設され観光名所ともなっている。施設は、伊東豊雄の作品を展示しているスティールハットと旧邸宅を再現したシルバーハットの2棟の建物で構成されている。前者には伊東豊雄が設計した図面や建築物が展示されているほか、建築物の模型などを展示。後者にはワークショップスペースがある。両施設とも伊東豊雄が設計しており、施設自体が展示物となっている。 スティールハットの設計当初、景色を邪魔しないことを念頭に曲線的な外形を考えていたが、最終的には彫刻的な今のプロポーションに落ち着いた。鉄板の外観は、造船王国・今治らしさを表しているとされる。






伊東さんは大三島に通ううち、都会にはない豊かさに魅せられていった高齢化や人口減少といった問題を抱える島を、建築で活性化したいと思うようになり、「大三島を日本でいちばん住みたい島にする」という目標を掲げ、「伊東建築塾」のメンバーや地元の人たちと活動を開始する。廃校になった小学校を改築してホテルにし、耕作放棄地をぶどう畑としてよみがえらせて島初のワイナリーをつくり……。そうした取り組みの成果は、若い移住者の増加といった形で少しずつ表れている。」と評価された。新しい建築家の社会的役割を示すものだろう。これは他地域にも広げられ、例えば、伊東豊雄+大西麻貴氏設計の「みんなの家」は、宮城県東松島市最大の仮設住宅地に、2013年に完成。集会所に隣接した3つの小さな空間は、仮設住宅に暮らす子どもたちの交流の場となっているといわれる。そして、今回、新しく今治市伊東豊雄建築ミュージアムに「みんなの家」の模型が追加された。
・参照:今治市伊東豊雄建築ミュージアムに「みんなの家」の模型が追加されました! | 伊東建築塾 https://itojuku.or.jp/blog/1261
・参照:大三島にできた、ふたつのミュージアムを訪れる – 今治市伊東豊雄建築ミュージアム||今治建築WEB https://www.oideya.gr.jp/kenchiku/chapter/omishima/02_2.html)
・参照:「神の島」にたたずむ現代建築、今治市伊東豊雄建築ミュージアムとは? | MEN’S EX ONLINE | https://www.mens-ex.jp/archives/1282595?utm_source=antenna
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♣ 建築道具・木組資料館(墨田住宅センター)
所在地:東京都墨田区菊川1-5-3
HP: https://visit-sumida.jp/spot/6070/


→ 明治時代のノコギリをはじめカンナや墨壷など各種建築道具のほか、木造建物に使われるさまざまな柱の組み方(木組)を実物で展示。丸太をつなぐ「掛鼻車知継ぎ手」や数寄屋造りに使用する「十字蟻組」、神社で使用される「金輪継ぎ」など、木組みの複雑な技術に長い歴史が感じられる。そのほか、日光山の五重の塔の設計図や旧三井家で使われていた今では珍しい鬼がわらなど貴重な資料も公開されている。


・参照:すみだスポット – 建築道具・木組資料館(墨田住宅センター) 墨田区観光協会 https://visit-sumida.jp/spot/6070/
・参照:技術のわくわく探検記~建築道具・木組資料館https://gijyutu.com/ohki/kenngaku98-99/kigumi/kigumi.htm
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<大学、学会、団体の博物館>
♣ 建築ミュージアム/東京大学総合研究博物館小石川分館
所在地:東京都文京区白山3-7-1
HP: https://www.um.u-tokyo.ac.jp/architectonica/overview_jp.html



→ 東京大学が運営する常設の建築ミュージアム。国指定重要文化財「旧東京医学校」の建築を活用した総合研究博物館小石川分館の中に設けられている。展示は、各種の歴史的な建造物の建築模型、東京大学建築に関わる建築物、自然と空間の標本、建築紀行、身体空間の六つのコーナーに分かれており、建築模型を中心とする建築学系資料、民族学系資料など貴重な展示物が多く公開されている。


まず、ミュージアムとなっている小石川分館は最古の学校教育用建物であり、明治初期の木造擬洋風建築の建物自身が貴重な歴史遺産となっている。館内の展示物では、昭和初世界の有名建築の縮体模型が見られる。



第一群は近現代ミュージアム建築の模型「ホワイト・キューブ」、第二群は古代から現代に至るミュージアム以外の建物模型で内外の著名な近現代建築が選ばれている。明治・大正期の本郷キャンパスの歴史的な校舎建築の模型も貴重な展示。

やや内容をつかみにくいが、民族学標本を展示する二つの身体空間展示。可動性の民族建築の実物パーツを組み合わせ展示している。内モンゴルで収集されたゲル(天幕)はその例である。“自然形態”では自然のアーキテクチャを、造形と見立て実物と模型で提示。
規模が大きく内部空間に特徴があるものは空間模型で精巧なファサードで表現している。例として「サン・タンドレア教会」、大仏の構造を伝える浄土寺浄土堂(俊乗坊重源)があげられている。また、館内各所には東京帝国大学営繕課旧蔵のガラス乾板3282写真が展示され貴重な史料となっている。


このミュージアムは、通常の博物館とはやや異なり抽象的学術的なアプローチとなっており、「博物誌アートテクチャ」と命名されているが、日本と世界の建築史を見るうえで欠かせないコレクション群とされる。
・参照:建築ミュージアム/東京大学総合研究博物館小石川分館https://www.chikenkyo.or.jp/publics/index/224/detail=1/b_id=1127/r_id=54/
・参照:建築博物誌/アーキテクトニカ(建築ミュージアム)ARCHITECTONICA https://www.um.u-tokyo.ac.jp/architectonica/index_jp.html
・参照:模型/標本: 建築博物誌/アーキテクトニカ 東京大学総合研究博物館小石川分館(建築ミュージアム) https://www.um.u-tokyo.ac.jp/architectonica/models_jp.html
・参照:(私のイチオシコレクション)建築模型 東京大学総合研究博物館小石川分館 松本文夫:朝日新聞https://www.asahi.com/articles/DA3S14490471.html
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♣ 建築博物館(日本建築学会)
所在地:東京都港区芝5-26-20 一般社団法人日本建築学会
HP: http://news-sv.aij.or.jp/da2/gallery_top.htm


→ 日本建築学会が提供するデジタルアーカイブ。日本の近現代建築は世界的にも評価が高く貴重な文化遺産」であるが、近年、図面・文書・写真などの基本資料が散逸する恐れがあるとして、学会が中心になり収集しデジタル化を進めている。まだ、収集は十分とはいえないとしているが、その一部を現在の建築家や研究者に提供することで社会的役割を果たそうとしている。蒐集資料について定期的に展示会も開催しているほか、アーカイブスに掲載された画像,PDFファイル等は自由にダウンロードできる。
・参照:https://www.aij.or.jp/museum.html
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♣ 辰野金吾記念館(旧唐津銀行)
所在地:佐賀県唐津市本町1513-15 Tel. 0955-70-1717
HP: https://karatsu-bank.jp/


→ 日本の建築史に大きな足跡を残した明治の建築家辰野金吾の生涯と功績を記念するため開設された記念博物館。辰野が佐賀県唐津出身で旧唐津銀行とのゆかりがあったことから、同銀行の中に設けられている。この1912年に建てられた旧唐津銀行ビルも辰野が設計に関わったもので、建物のデザインは、英国風クイーン・アン様式を日本化したもので(「辰野式」)、赤煉瓦に白い御影石を混ぜ、屋根の上に小塔やドームを載せて、王冠のごとく強調する辰野流の工夫が加味されている見事なもので重要文化財に指定されている。



旧唐津銀行本店は、1997年まで佐賀銀行の建物として使用されたのち、唐津市へ寄贈され、2011年(平成23年)より一般公開されている。この時、外装をはじめ照明器具・カーテン・絨毯などにもこだわり、創建当時の姿に近づける努力がなされたという。現在は辰野金吾の業績を示す展示のほか、旧唐津銀行および唐津市の歴史や文化を紹介する常設展示が行われている。 辰野関係の展示では、辰野金吾が手がけた日本の近代建築史上最も有名な建築物、東京駅舎、日本銀行本店などの紹介もある。
・参照: 旧唐津銀行 ー辰野金吾記念館ー佐賀県観光サイト https://www.asobo-saga.jp/spots/detail/db6da431-092f-45a3-9fa7-43c28d37023c
・参照: 旧唐津銀行本店 – Wikipedia
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♣ 今津ヴォーリズ資料館
所在地:高島市今津町今津175番地 Tel. 0740-22-098
HP: https://www.city.takashima.lg.jp/soshiki/shokokankobu/kankoshinkoka/6/2/642.html


→ 資料館は、1923年、百三十三銀行(現在の滋賀銀行)今津支店として、ヴォーリズ建築事務所の設計によって建てられたもの。百三十三銀行が八幡銀行と合併して滋賀銀行となったが、この銀行も1978年に銀行が移転したため、高島市が買い取り、2001年まで町立図書館として使用されていたものを資料館とした。建築様式は、西洋古典様式を継承した意匠で、正面中央玄関の2本の柱は略式のトスカナ式柱頭を付けている珍しいものといわれる。 ちなみに、ヴォーリズ建築事務所は宣教師として来日した米国人ヴォーリズが、明治41年の京都YMCA会館新築工事の監督を依頼されたのを機会に建築事務所を開設。多くの大学公共施設を建設、神戸女学院、神戸女学院なども建設している、現在は、株式会社一粒社ヴォーリズ建築事務所と名を変えている。
・参照: 一粒社ヴォーリズ建築事務所のあゆみhttp://www.vories.co.jp/company/history.html
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♣ ヴォーリズ記念館
所在地:滋賀県近江八幡市慈恩寺町元11番地
HP: http://vories.com/zaidan/


→ 英語教師として来日し建築家となったW. M. ヴォーリズ(日本名一柳米来留1880-1964)の功績を記すため、氏の居宅をそのまま記念資料館としたもの。近江八幡市の名誉市民第一号となったのを機会に、83年間にわたる生涯の記録と遺品を展示している。ヴォーリズは、来日後帰化し、伝導活動をとおして学校や病院を建てるなど近江八幡市の教育や医療に大きく貢献している。“メンソレータム”(現在はメンターム)で有名な「近江兄弟社」を創立・経営」するかたわら建築技師としてもおおいに腕を振るい、近江八幡に多くの洋館建築を建てている。


・参照:https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/956/
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♣ 旧小西家住宅史料館
所在地:大阪市中央区道修町1-6-9
HP: https://www.bond.co.jp/konishishiryoukan/


→ 現在「(株)コニシ」となっている旧小西儀助商店の古い店舗兼住宅をそのまま史料館として開設したもの。現在、重要文化財となっている。内部は、往時の姿をそのまま保存した住宅見学ゾーンに加え、店舗として使われていたスペースを改装して新たに展示ゾーンを開設、衣裳蔵に収蔵されていた貴重な品々が公開されている。かつての「商家のくらしと商い」を再現する貴重な住宅博物館である。館内は、玄関、書院、台所、内庭からなりそれぞれ明治・大正時代の商家の生活洋式を示すものとなっている。また、展示として「堺筋いまむかし」「小西家住宅模型」があり、小西家所蔵の展示コーナーへと続き、映像コーナーでは、小西商店の創業からコニシに至る企業発展が映像・写真で紹介されている。





ちなみに、コニシは大阪の道修町で1870年に薬種問屋として創業したのが始まりで2020年に創業150年を迎えている。初代小西儀助が、大阪伏見町の薬種商に奉公後、道修町にある薬種商を買い取り商売をはじめた。その後、輸入アルコール、工業薬品、洋酒や食料品を扱う大阪でも指折りの大店へと成長している。戦後、1952年、合成接着剤「ボンド」の発売を開始。 日本を代表する接着剤のトップクラスのブランドとして成長する。 現在では、接着剤技術を応用し、土木建築業にも進出している。
・参照:旧小西家住宅史料館 – Wikipedia
・参照:コニシ150年のあゆみ|150周年記念サイト|コニシ株式会社 https://www.bond.co.jp/150th/history.html
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♣ 谷口吉郎・吉生記念金沢建築館
所在地:石川県金沢市寺町5-1-18 076-247-3031
HP: https://www.kanazawa-museum.jp/architecture/


→ 金沢建築館は、金沢から世界へと建築・都市を考える建築文化の発信拠点を目指して設立されたミュージアム。金沢の名誉市民第一号の建築家 谷口吉郎氏の住まい跡地に、吉郎氏の長男谷口吉生氏の設計により建設された。コンセプトは、「建築とまちづくり」「洗練された建築意匠」「建築資料の保存・活用」「世界に開かれた交流施設」。そして「谷口吉郎氏・吉生氏の顕彰」となっている。



「まちづくり」では近世以来の多くの金沢の歴史的建造物を紹介、「建築意匠」では吉郎氏が設計した迎賓館赤坂離宮 和風別館「游心亭」の広間と茶室を忠実に再現、「建築資料の保存と活用」では建築アーカイブズの構築、「交流施設」ではニューヨーク近代美術館、東京や京都の国立博物館などの博物館との交流・連携を目指している。 最後の「谷口吉郎氏・吉生氏の顕彰」では、谷口父子の、東宮御所の設計やその他建築界での数々の功績、金沢の景観まちづくりへの尽力を紹介し顕彰する展示コーナーを設け、「金沢が育み、金沢を育てた」建築家親子の建築思想を伝えている。



・参照:谷口吉郎・吉生記念金沢建築館|観光・体験(金沢の観光・旅行情報サイト|金沢旅物語)https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_50378.html
・参照:谷口吉郎・吉生記念金沢建築館 | BCS賞 | 日本建設業連合会
ttps://www.nikkenren.com/kenchiku/bcs/detail.html?ci=1004
・参照:谷口吉生 – Wikipedia
・参照:谷口吉郎 – Wikipedia
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☆ 明治期日本の近代建築創生期の建築家群を紹介 ☆
明治近代化に沿って多くの西洋建築が建設されるようになるが、ここでは、西欧建築技術を日本に導入し、日本毒刃近代建築技術を発展させた創生期の建築家群とその仕事を紹介してみた。

→ ジョサイア・コンドル(Josiah Conder) はイギリスの建築家。明治10年に、工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学(建築学)教師として来日、西洋建築学を教えた。明治期の洋館の建築家としても活躍。上野博物館や鹿鳴館、有栖川宮邸などを設計、辰野金吾はじめ創成期の日本人建築家を多く育成して明治以後の日本建築界の基礎を築いた。明治23年に退官した後も民間で建築設計事務所を開設し、ニコライ堂や三菱1号館など数多くの建築物を設計している。
・参照:ジョサイア・コンドル – Wikipedia

→ 辰野金吾は工部大学校(現・東京大学工学部)の第一期生として、建築家ジョサイア・コンドルから建築を学び、首席で卒業(同期生に曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎)。ヨーロッパでさらに深く研鑽を積み、帰国後、日本で最初の建築家として活躍したことで知られる。「日本近代建築の父」ともいわれる。コンドルの後、帝国大学で後進の指導にも励み多くの建築家も育てた。退官後は建築事務所を開設して多くの歴史的建造物を設計。代表作としては日本銀行本店、東京駅(中央停車場)の設計がある。国会議事堂の建設に意欲を燃やしたが生前には果たせなかった。
・参照:辰野金吾 – Wikipedia ・参照:https://ontrip.jal.co.jp/tokyo/17312852(近代建築の父・辰野金吾)

→ 片山東熊は辰野と同じ工部大学校の建築学科第1期生。宮内省内匠寮に在籍、赤坂離宮など宮廷建築に多く関わる。職務として県庁や博物館、宮内省の諸施設など36件の設計に関わったほか、貴族の私邸を中心に14件の設計を行っている。代表作としては旧東宮御所(現・迎賓館)があり、2009年に明治期以降の建築としては初めて国宝に指定されている。
・参照:片山東熊 – Wikipedia

→ 曽禰達蔵は同郷の辰野とともにコンドルに学んだ日本人建築家の第1期生。「一丁ロンドン」と呼ばれた丸の内の三菱系貸事務所建築群の設計に関わる。中條精一郎とともに設計事務所を開設し、慶應義塾図書館、鹿児島県庁舎本館、明治屋京橋ビルなどを設計した。日本造家学会(現日本建築学会)創立委員・会長も勤める。
・参照:曽禰達蔵 – Wikipedia

→ 久留 正道は工部大学校第3期生、ジョサイア・コンドルに学ぶ。工部省に奉職し明治20年文部省技師となる。明治期の文部省建築技師として、山口半六と共に多くの文部省施設や明治中期の高等中学校や音楽学校諸施設など官立学校の建築を担当した。東京工業学校および東京美術学校専修科で嘱託となった後、明治25年に文部省に復帰、会計課建築掛長をつとめる。以降は初等・中等教育施設の行政指導や国直轄学校の創立工事などにかかわった。
・参照:久留正道 – Wikipedia

→ 山口 半六は、明治時代を代表する建築家のひとり。都市計画家。文部省営繕組織在籍時に多くの学校建築を手がけた。代表作に兵庫県庁舎(現・兵庫県公館。半六の死去後に竣工)などがある。実務の傍ら、工手学校(現工学院大学)造家学科教員も務め、後進の育成にも当たった。
・参照:山口半六 – Wikipedia

→ 佐立七次郎は、工部大学校造家学科第一期卒業で明治時代に活躍した建築家。工部省技手となり、営繕局勤務上野博物館建築掛、鉱山局、逓信省などに勤めた後、建築設計事務所を開設。日本水準原点標庫、旧日本郵船小樽支店などの設計に従事している。
・参照:佐立七次郎 – Wikipedia

→ 妻木 頼黄は、日本を代表する建築家の一人で、明治建築界の三大巨匠(片山東熊、辰野金吾、妻木頼黄)の一人といわれる。大蔵省営繕の総元締めとして絶大なる権力を持っていた営繕官僚であった。工部大学校造家学科に入学したが、卒業1年前に退学してコーネル大学建築学科に留学している。卒業後、大蔵省などで数多くの官庁建築を手がけ、明治時代の官庁営繕組織を確立したとされる。東京府庁、旧丸三麦酒 醸造工場、旧横浜正金銀行本店、旧醸造試験場第一工場などの設計・制作に関わっている。辰野金吾と争って共に国会議事堂の建設に意欲を持ったが、存命中には果たせなかった。
・参照:妻木頼黄 – Wikipedia

→ 岡田信一郎は、大正・昭和初期に活躍した建築家。東京帝国大学建築学科を卒業した後、東京美術学校(現・東京芸術大学)と早稲田大学で教壇に立ち後進を育成した。大阪市中央公会堂や東京府美術館、鉄筋コンクリートで和風意匠を表現した歌舞伎座、明治生命館などの設計作品で知られる。海外の建築雑誌等を通して近代建築の動向を把握し、優れた建築評論を執筆している。
・参照:岡田信一郎 – Wikipedia

→ 伊東忠太は明治から昭和期の建築家、建築史家。帝国大学工科大学を卒業して同大学大学院に進み、のちに工学博士・東京帝国大学名誉教授となる。西洋建築学を基礎にしながら、日本建築を本格的に見直した第一人者。法隆寺が日本最古の寺院建築であることを学問的に示し、日本建築史論を創始した。 また、それまでの「造家」という言葉を「建築」に改めたことでも知られる。「建築進化論」を唱え、それを実践するように独特の様式を持った築地本願寺などの作品を残している。
・参照:伊東忠太 – Wikipedia

→ 遠藤 於莵は、創生期の日本の建築家。日本における鉄筋コンクリート技術の先駆者である。帝国大学工科大学校造家学科で建築学を学び、卒業後、神奈川県技師に就任、横浜税関倉庫、生糸検査所などの建設に関わった。その後、横浜正金銀行技師になり、妻木頼黄設計の本店建設に従事。以降、鉄筋コンクリートの本格的研究を開始している。。横浜に設計事務所を開設、以降は在野で設計活動を行っている。
・参照:遠藤於菟 – Wikipedia

→ 葛西萬司は明治から昭和初期に活躍した設計建築家。辰野金吾と建築設計事務所を共同経営したことなどで知られる。帝国大学工科大学造家学科を卒業、日本銀行技師となる。辰野葛西設計事務所の名で、旧盛岡銀行本店本館、旧国技館、旧第一銀行京都支店などの設計に関わる。
・参照:葛西萬司 – Wikipedia

→ 野口孫市は、明治、大正期に活躍した建築家、創設間もない住友営繕の基礎を築いたことで知られる。東京帝国大学工科大学造家学科を卒業、大学院で耐震家屋について研究を行っている。その間内匠寮が担当した奈良帝国博物館(奈良国立博物館)の工事に参加。口の設計作品には、大阪府立図書館、住友家須磨別邸、田辺貞吉邸、住友銀行各地支店、大阪明治生命保険会社、大阪倶楽部(初代)などがある。
・参照:野口孫市 – Wikipedia

→ トーマス・ジェームズ・ウォートルス(Thomas James Waters)は英国の土木技術者。明治維新の変動期に活躍したお雇い外国人。貨幣司に雇用され、大阪の造幣寮応接所(現泉布観)、銀座大火後の銀座煉瓦街の建設を指導したのが有名。煉瓦工場(ホフマン窯)も自ら築き、煉瓦による構造建築で日本人を指導した。日本の近代建築の発展は、一説によれば、ウォートルスからはじまりコンドル、辰野金吾へと流れたといわれる。
・参照:トーマス・ウォートルス – Wikipedia

→ フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)はアメリカの建築家であるが、1913年に東京の帝国ホテル新館建設のために訪日し、設計を担当した。ライトは事情があり完成前に離日したが、建設は弟子の遠藤新の指揮のもとで続けられ、1923年に竣工している。首都の迎賓施設にふさわい華やかさと幾何学模様の設計思想が高い評価を受けている。帝国ホテルの一部は、現在歴史的文化遺産として「明治村」に移設された。この帝国ホテル建設は日本の建築界にも大きな影響をもたらしたといわれる。
・参照:フランク・ロイド・ライト – Wikipedia

→ 米国に生まれの建築家ヴォーリズ(William Merrell Vories)は、英語教師として来日後、キリスト教青年会(YMCA)活動を通して伝道を始め、建築事務所ヴォーリズ合名会社を興して関西を中心に数多くの西洋建築を手懸けた。近江八幡市に「ヴォーリズ記念館」がある。彼の作った神戸女学院大学の建物群は重要文化財に指定されている。
ウィリアム・メレ ル・ヴォーリズ – Wikipedia

→ ル・コルビュジエ(Le Corbusier)は、主にフランスで活躍した建築家であるが、日本の建築家前川國男、坂倉準三、吉阪隆正などに大きな影響を与えた。ユネスコ文化遺産になった国立西洋美術館の設計で知られる。
・参照:ル・コルビュジエ – Wikipedia
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<参考資料>
♥ 「本の万華鏡」 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に~|国立国会図書館https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/16/
- 第1章 「建築家」誕生~工部大学校で学んだ人々|本の万華鏡 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に~|国立国会図書館
- 第2章 建築家たちの競演~建築設計競技|本の万華鏡 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に~|国立国会図書館
- 第3章 建築見物~名所案内の世界から|本の万華鏡 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に~|国立国会図書館
- 戦前の建築設計競技図案・参考文献|本の万華鏡 第16回 日本近代建築の夜明け~建築設計競技を中心に~|国立国会図書館
♥「帝国ホテル・ライト館」を設計した、近代建築の三大巨匠 フランク・ロイド・ライトが日本に残した4つの建築。|メイジノオト
♥【大成建設】『明治建築をつくった人びと』コンドル先生と四人の弟子
♥明治時代の建築と代表作品とは?擬洋風建築も画像で解説【明治〜大正時代のインテリア・前編】|インテリアのナンたるか
♥日本近代建築史 – Wikipedia
♥日本の建築家一覧 – Wikipedia
♥建築に注目したい全国のミュージアム15選。日本を代表する建築家たちの傑作を巡る旅へ|Tokyo Art Beat https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/museum_architecture_2022_07
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