建築関係の博物館(1)ー企業のミュージアムー(博物館紹介)

(建築関係博物館)

 日本は古くから木造による建築物を集団の技術として発達させ技術を集積させてきた。この成果は歴史的な建造物に多く見られる。明治になると、西欧化の影響を受け耐火性のある近代的な官庁、銀行、企業の建築が必要となり、煉瓦や石造りの建造物が盛んに作られる。この時期、新しい建築家や建築会社が育っていった。明治の色合いを残す赤煉瓦の建造物はこれを示している。また、大正時代には生じた関東大震災は、新たな耐震性の建物の需要を生み、現代のような鉄筋コンクリート・ビルも生まれている。 一般住宅については、相変わらず木造建築の時代が続いたが、戦後、高度成長期をへて集合住宅、団地、マンションが盛んに作られるようになり、都市での住環境は大きく変わってくる。また、現在、都心や市街地では、高層の官庁・企業ビルが建ち並ぶようになり市街景観も大きく変わりつつあるようだ。
 このように時代の社会変化を反映して人々の住居、建物の変貌は著しいものがある。この中で、日本の建築技術はどのように継承され変化をとげたか、建築に関わる企業はどのように対応してきたか、人々の生活はどのように変わってきたのか、をみるのは意義深い。ここの掲げた建築関係博物館の展示は、この社会変化と住環境の変容を示しているといえよう。以下にこれを確かめてみよう。

<企業による建築博物館>

♣ 清水建設歴史資料館 

所在地:東京都江東区潮見二丁目8番20号 
HP: https://www.shimzarchives.jp/

温故創新の森 NOVARE

 → 200年以上の長い歴史を誇る清水建設が開設した貴重な歴史資料館。同社の実績と共に日本の建設技術発展の歴史を紹介している。資料館は、2024年に創設された「温故創新の森 NOVARE」内に設置されている。設置の趣旨は、「事業やものづくりに精進した人々、課題を克服していく技術、建設文化ついて学び、思索すること、次世代の学究育英や新たな価値の創造、発見の場になれば幸い」としている。

清水建設歴史資料館

 館内は、夢にあふれた展示となっているが、まず、導入展示として「源流を辿る」、次に「清水文庫」、エポック展示で「挑戦を観る」(清水建設が手掛けた代表的な 作品を緻密な模型で再現)、テーマ展示「未来を想う」、「迫真に臨む」の映像、階廊展示「知を愉しむ」といった構成の展示となっている。このうち、「源流」では清水建設の技術伝統と古代、近世大工棟梁とその精神、「挑戦」で年代別に清水建設と日本建設業の歩み、「未来」では1960年代以降にみられた未来技術の取り組みや社会づくり歩み、「映像体験」は大型プロジェクションによる建築や土木の実物大スケールの迫真映像、階廊展示は施工作品を掲載したデジタル映像と企画展示が最後となっている。「清水文庫」は清水建設の先駆者業績を伝えるドキュメント・ライブラリーである。いずれも清水建設のこれまで培った技術と建設事業への情熱と精神を伝えようとする意欲的な展示である。

導入展示 源流を辿る
清水文庫 
エポック模型展示
テーマ展示 未来を想う
大型スクリーン映像体験
階廊展示 

  なお、「温故創新の森 NOVARE」は清水建設の「2030年ビジョン」にしたがって建設中の大型施設で、この「NOVARE Archives 清水建設歴史資料館」のほか、「NOVARE Hub ノヴァ―レハブ」・「NOVARE Academy ものづくり至誠塾」、「NOVARE Lab 技術研究所潮見ラボ」の3つがあり、2024年には清水建設に縁故のあった渋沢栄一の「旧渋沢邸」移設も行われている。

旧渋沢邸(旧渋沢家住宅)
NOVARE全景と旧渋川邸

<参考:清水建設の創業・発展の歴史と渋沢栄一翁>

初代
二代目 
築地ホテル館

 → 清水建設は竹中工務店と同様、江戸時代に創業した歴史ある老舗の建設会社である。 創業は1804(文化元)年、富山で棟梁をしていた初代清水喜助が、江戸神田鍛治町で大工「清水屋」を設立したことがはじめとなっている。日光東照宮の修理に参加したことが創業の契機とされる。その後、清水屋は江戸城西丸造営、有力寺院の建築にも携わり実績を積んでいる。幕末には外国人のための洋風ホテル「築地ホテル館」も建設している。初代喜助が死去した後、洋風建築を学んだ喜助(旧姓藤沢清七)が二代目を継承、明治5年には「第一国立銀行」(旧三井組ハウス)ビルに着手、竣工させている。

渋沢栄一
第一国立銀行

 渋沢栄一との縁が深まったのはこの国立銀行ビルの建設を通じてであった。この国立銀行設立は明治初期、渋沢栄一が最も力を入れた事業である。この仕事ぶりに満足した渋沢は、これを契機に清水建設との関係を深め自宅渋沢邸の建築をも依頼している(この旧渋沢邸は2024年建設の「温故創新の森 NOVARE」に移設・保存された)。

 それ以降、清水建設は会社運営の師と仰いで渋沢との関係を深め、明治20年には相談役就任を依頼、渋沢もこれに応えて30年にわたり経営を指導することとなった。この間、渋沢は「論語と算盤」を基本とし、民間建築を主軸として建設事業を続けるよう助言、これが清水建設社是の一つとなって今日に至っているという。また、清水屋は、1915年(大正4年)、個人経営から合資会社清水組に組織変更、技術向上と経営合理化に努め発展と技術近代化に努めている。

安田講堂
第一生命保険本館


 この間、皇居正殿(1885)、東京赤坂豊川稲荷、永田町鍋島邸西洋館(1887)、鐘渕紡績工場、丸善本社ビル(1910)、東京大学安田講堂(1921)、第一生命保険本館(1921)、三井本館(1929年)、などを手がけて大手建築会社としての発展をとげている。

 戦後には、土木建築業のほか不動産、エンジニアリング事業にも進出して業域を拡大。建築部門では、国立西洋美術館(1957)、東京オリンピックの国立屋内総合競技場(1964)、大阪国際空港ターミナルビル(1970)、サンシャイン60(1978)、東大寺金堂(大仏殿)昭和大修理(1980)、出雲大社本殿 修理・保存(2013)などの建設に関わったことはよく知られる。

国立屋内総合競技場
サンシャイン
山王タワー
東大寺金堂修理

晩香廬
晩香廬内部

  現在、清水建設は、大林組、鹿島建設、大成建設、竹中工務店と並んで大手ゼネコンの一角を占める成長を遂げるまでになっている。また、歴史的な経緯から、伝統的な神社建築、寺院建築にも豊富な実績を有し、2019年、宮内庁・大嘗宮の建設も受注している。
 そして、2024年には、前述の「温故創新の森 NOVARE」を開設、過去の実績を振り返ると共に、将来に向けた「2030年ビジョン」を構想している。また、渋沢との関係では、栄一の喜寿の祝いとして贈呈した飛鳥山・渋沢記念公園に名建築「晩香廬」(1917年 重要文化財)がある。この茶室は、同じく「青淵文庫」とともに、内外の著名人を招いた国際交流の場となった由緒ある場所である。

・参照:History | Our Heritage・清水建設 https://www.shimz.co.jp/heritage/history/
・参照:清水建設 – Wikipedia
・参照:明治150年、二代清水喜助が手掛けた「三大擬洋風建築」 清水建設https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item15/content01/
・参照: 晩香廬(・青淵文庫【国指定重要文化財】飛鳥山3つの博物館 https://www.asukayama.jp/stroll/st-02.html
・参照:渋沢栄一相談役に就任、経営指導を仰ぐ | History | Our Heritage | 清水建設
https://www.shimz.co.jp/heritage/history/details/1887_1.html

++++++++++++++++++

♣ 清水建設 建設技術歴史展示室

所在地:東京都江東区越中島3丁目4−17
HP: https://www.shimz.co.jp/company/about/sit/showroom/exhibition/

清水建設の技術研究所

 → 清水建設の技術研究所内に設けられた明治以降の建設技術の変遷を展示する技術資料館。日本の「建設技術とものづくりの文化」を伝えようと開設したもの。日本の伝統的な建築技術は木造づくりを中心に長い歴史を持つが、ここでは新しい現代の建設技術が導入されようになった明治以降に焦点を当て、時代と共に変化する技術内容を伝える資料館となっている。特に、明治・大正期は、地震を契機として施工方法や建設材料が大きく進歩した時期でもあり、こうした時代を象徴する技術を貴重な資料や映像で紹介している。
 展示内容は、関東大震災と被害調査、煉瓦・タイル施工技術の変遷、木造建築 耐震技術の変遷、コンクリート構造物の歴史と発展、鉄骨造建物の歴史と変遷などと多彩である。

明治から大正時代に使用された煉瓦
大正時代の鉄筋コンクリートの鉄筋
リベット接合の道具

   関東大震災の地震と火災による被害を記録した貴重な写真、伝統的な木造建築の手法、コンクリートと鉄骨造建物の技術発展が耐震強化につながり、高層ビル建設を可能にしていく姿などについて実例を上げながら実物、パネル解説、映像などで詳しく展示している。

・参照:観光情報 | 江東おでかけ情報局 https://koto-kanko.jp/tourism/detail_spot.php?sid=S00146

++++++++++++++++++++++++++

♣ 竹中大工道具館 (竹中工務店)

所在地:神戸市中央区熊内町7-5-1 TEL: 078-242-0216
HP: https://www.dougukan.jp/

 ・## 竹中大工道具館については、前回の紹介「木の文化」博物館において、詳しく紹介しているので参照して欲しい。https://dailyblogigs.com/2025/01/20/wood-bunnka-m01-jj/

竹中大工道具館外観

 → 竹中大工道具館は日本で唯一といわれる建築技法と大工道具の総合的展示博物館。建築史を背景に、日本の建築技術とそれを担う大工道具をわかりやすく紹介展示している。また、館では、唐招提寺金堂組物の実物大模型や大工道具実物、伐木・製材関係の道具、鍛冶工程の道具類、建築にまつわる図面、写真、風俗資料など、約30,500点の資料を収蔵・展示している。

館内の天井仕上げ
館内の粋を極めた内装

 「大工道具館」そのものが、建築技術、特に木造建築の粋を極めたものとなっており、竹中工務店の家造り技術を代表するものとなっている。例えば、京都の聚楽土を混ぜた漆喰で仕上げた建物を覆う壁。桂離宮でも用いられている内側のパラリ仕上げ。雨風を防ぐ屋根は淡路のいぶし瓦。美しいむくり屋根などが見どころといわれている。また、重要文化財になっている大徳寺玉林院にある茶室「蓑庵」の柱や梁から竹組みまでの骨格をむき出しにした復元模型なども注目である。

<竹中工務店の歴史>

 → 竹中工務店は1610年(慶長15年)創業の建築業界では最も古い建築会社の一つである。織田信長の元・家臣であった初代竹中藤兵衛正高が尾張国名古屋にて創業している。江戸時代は、数多くの神社仏閣の造営に携わり、その実績をあげて工務店としての地位を確立。明治時代になると開港し都市化しつつあった神戸へ進出、1909年(明治42年)には「合名会社竹中工務店」を設立している。この間、三井銀行神戸小野浜倉庫、高島屋京都店建設などを手がけてた。戦後は、竹中技術研究所(1959)などを設立して新技術、新工法の開発に尽力、東京タワー施工(1958)、大阪万博建造物、海外工事ではチャンギ国際空港建設などにも参加している。現在では、スーパーゼネコン5社(大林組、鹿島建設、清水建設、大成建設、竹中工務店)の一つとなり、日本武道館や5大ドーム球場(札幌・東京・ナゴヤ・大阪・福岡)をはじめ、全国の有名美術館や商業施設建設などで役割を発揮している。

水天宮御造替 
Panasonic Stadium Suita
400年年表とものづくり展示(*)

・参照:竹中工務店 – Wikipedia
・参照:竹中技術研究所https://www.takenaka.co.jp/rd/・参照:竹中大工道具館 – Wikipedia
・参照:竹中大工道具館|美術手帖 https://bijutsutecho.com/museums-galleries/1057
(*) 参照:建築と社会の年代記 ― 竹中工務店 400年の歩み ― – 竹中のデザイン|竹中工務店 https://www.takenaka.co.jp/design/event/steps/

+++++++++++

♣ 奥谷組 展示資料館

所在地:京都市南区吉祥院向田東町8番地 Tel. 075-313-653
HP: https://www.okutanigumi.jp/shiryoukan/

・参照:奥谷組 展示資料館については、前回の紹介「木の文化」博物館において、詳しく紹介しているので参照のこと。https://dailyblogigs.com/2025/01/20/wood-bunnka-m01-jj/

 → 奥村組は関西に拠点を置く大手建築会社であるが、社寺建築に多くの実績を持つ。この展示資料室は、ここの奥村建設が1997年に京都府より「京の老舗」として表彰されたことを機に開設した社寺建築の展示資料館。継手・仕口、お堂の断面模型、道具といった木工事に関する資料を中心に檜皮・瓦・銅板といった屋根工事、錺金具、彩色、左官、儀式道具などを展示している。伝統的な木造建築に使われる外観からは窺うことの出来ない様々な伝統技法を見て欲しいと述べている。
・参考:奥村記念館 https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/

++++++++++++++++

♣ 奥村記念館 

所在地:奈良県奈良市春日野町4番地
HP: https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/

奥村記念館外観

 → 時代とともに歩んできた奥村組の歴史と技術をご紹介する記念館。奥村建設は、1907年、奈良出身の奥村太兵が創業した建設会社。この創業から200年を記念して開設された。記念館は、これまで奥村が歴史の中で培った技術と共に、その免震技術、快適な環境対応などを紹介している。館内には、展望フロア、奥村ヒストリー、技術紹介エリア、免震層見学スペース、各種の免震装置が見られる地震&免震体験エリアなどがある。

展示フロア
地震&免震体験エリア

・参照:奥村組の歩み | 企業情報 | 奥村組 https://www.okumuragumi.co.jp/corporate/history/
・参照:奥村記念館の免震比較模型 | HASEGAWAMOKEI Co.,Ltd. https://www.hasegawa-mokei.co.jp/works/works-2762.html

+++++++++++++++

♣ 大成建設 技術センター(見学可能施設)

所在地:神奈川県横浜市戸塚区名瀬町344 Tel. 045-814-7221
HP: https://www.taisei-techsolu.jp/solution/cu_laboratory/

大成建設 技術センター

 → 大成建設技術センター研究本館は、2007年、大成建設がこれからの研究施設のあり方を示す次世代型研究施設の実証モデルとして設立した研究施設。技術センターには大成建設が研究・開発した最新技術が投入されているという。2012年7月より5ヶ年計画で新たな施設の建設・増強を進め、更なる高機能・高付加価値を備えた新技術の開発を目指している。大成建設の研究移設には、技術センター研究本館のほか、 TAC.Tの森、風のラボ、材料と環境のラボ、ZEB実証棟などがある。

TAC.Tの森
風のラボ
材料と環境ラボ

++++++++++++++

♣ 大林組歴史館

所在地:大阪市中央区北浜東6-9 ルポンドシエル ビル 3F
HP: https://www.obayashi.co.jp/company/rekishi/

かつての大林歴史館

 → 歴史館は、2001年、大林組創業110年を機に、三世紀にまたがる大成建設の歴史を再確認する場を設けることを目指し開設されたもの。しかし、この館は長く内外に大成建設の歴史と技術を伝える役割を担ってきていたが、残念ながら、2022年に諸般の事情により閉館されることとなった。現在は、代わりに大林組130年史スペシャルサイト「OBAYASHI CHRONICLE 130 1892-2021」を公開して情報を提供している。

「130年史概観」のコンテンツ

  ちなみに、大成建設は、明治25年(1892)、創業社主の大林芳五郎によって創業され、その歩みをはじめて建設業界で重きをなしてきた歴史がある。紹介サイトでは、130年史概観、経営史 2011-2021、スペシャルコンテンツ・6つのストーリーとして(BIM、ODICT、東日本大震災、熊本地震、LOOP50、宇宙エレベーター)、などの取り組みを紹介している。

歴史館の前展示
南海ビル(1939)
ABCSビル外観

・参照:OBAYASHI CHRONICLE 130 https://www.obayashi.co.jp/chronicle/130th/
・参照:6つのストーリー | OBAYASHI CHRONICLE 130
・参照:大林芳五郎|展示案内|大林組歴史館https://www.obayashi.co.jp/company/rekishi/yoshigoro.html

++++++++++++++++

♣ KAJIMA DX LABO  オンラインミュージアム  

所在地:秋田県東成瀬村
HP: https://www.kajima.co.jp/news/press/202111/24c1-j.htm
・See【オンラインミュージアムURL】https://mpembed.com/show/?m=R9chpCEoLtp&mpu=687

成瀬ミュージアムサイト

 → “KAJIMA DX LABO”は土木の未来をオンラインで体感することを求めて鹿島が開設したバーチャル博物館。秋田県の「成瀬ダム堤体打設工事」(秋田県東成瀬村)の右岸側サイトに設けられている。2020年10月のオープン以来、冬季閉鎖期間を除く約9か月間で、2,600名以上の見学者が訪れるなど好評を博しているという。また、ミュージアムの内容は、PC、タブレット、スマートフォンのいずれからもアクセスが可能。画面上でLABO内を移動しながら、展示パネルの情報を見られるほか、ジオラマや展示パネルミュージアムに設定したARを体験できるという。また、シアタールームで上映されている動画の視聴も可能とのこと。新しい形の見学博物資料館といえよう。

KAJIMA DX LABOオンライン
ミュージアムの表示例
鹿島のダム工事

・参考:A4CSEL×進化×深化 | KAJIMAダイジェストMarch 2022 | 鹿島建設株式会社https://www.kajima.co.jp/news/digest/mar_2022/feature/01/index.html

++++++++++++

♣ 長谷工マンションミュージアム(長谷工コーポレーション) 

所在地:東京都多摩市鶴牧3-1-1
HP: https://www.haseko.co.jp/hmm/

長谷工マンションミュージアム

 → マンション建築で定評のある長谷工が、日本の集合住宅、高層住宅の変遷、歴史を紹介する目的で開設した展示博物館。長谷工グループ創業80周年記念事業のひとつとして設立したもの。日本で唯一、マンションに特化したミュージアムといわれ、日本の暮らしの変化の中で、いかに集合住宅、マンションが登場し、数を増やし、生活の中になじんでいったのかを丁寧に解説展示している。
 ミュージアム内の展示は、「エントランスゾーン」「はじまりの物語」「集合住宅の歩み」「暮らしと住居の変遷」「まるごとマンションづくり」「再生と長寿命化」「これからの住まい」「HASEKOライブラリー」「マンション防災」の9つのゾーンとなっており、全体として集合住宅、マンションの成り立ちから変遷、未来のあり方までが一つのストーリーとして感じられる内容になっている。

展示・集合住宅の歩み
展示・くらしと住居の変遷
展示・丸ごとマンションづくり


 この中では、日本の暮らしの変化と住環境、マンションの修繕や改修、旧耐震と新耐震構造の鉄筋構造模型、過去から現代までの設計方法の変遷、完成するまでの施工内容、数字で見るマンションと年表など、数多くの豊富な内容の展示がある。

間取りの歴史が学べるゾーン
会場にある展示間取り(*)

 中でも、間取りの歴史が学べるゾーンは興味ある展示の一つ。会場の壁には、長屋の間取りから長谷工のコンバスシリーズ(注*)が誕生するまでの間取りの変遷が展示されおり、解説によれば「長屋と呼ばれていた1910年代の1Kの間取り、1920年代の同潤会代官山アパートの2K、1950年代の蓮根団地の2DK、1960年代の滝山団地の3LDK、1975年のコンバスマークⅠ、1976年のコンバスニューライフと60年で集合住宅の間取りは大きく変化している」という。もともと、日本の家屋は、居間兼寝室の和室からなっていたが、食事はテーブルでという「食寝分離」をテーマとしたダイニング・キッチン(DK)へと進化し、さらに一家団欒のリビング(LDK)がある間取りへと進化していったといわれる。間取りの変化が、日本人の生活様式を大きく変えていった過程がよくわかる内容の展示となっている。
 このミュージアムは、一般の人も見学することができ、時代背景や技術の進化も踏まえたストーリー仕立てになっているのでマンションの知識が少ない人でも楽しく学ぶことができる施設となっているようだ。

・See:(*) https://www.haseko.co.jp/mansionplus/journal/hayamizumuseum_240411.htmlよりl
・参照:館内マップ・ゾーン紹介(長谷工マンションミュージアム)https://www.haseko.co.jp/hmm/concept/

<長谷工の歴史は・・・?> 

浦安AMC計画(1983)
創業時

 長谷工コーポレーションは東京都港区芝二丁目に本社を置く準大手ゼネコンの一つ。関東地方でのマンション開発を中心とした建設・デベロッパーで、マンション建築では業界トップとなっている。この長谷工の創業は、建築業界では比較的新しい1937年となっている。この年、兵庫県尼崎市に長谷川武彦が個人経営として「長谷川工務店」を創業、1946年に法人改組し「株式会社長谷川工務店」となった。高度成長時代の1968年にマンション開発事業に参入、1973年にはマンション施工戸数日本一達成している。同年、マンション標準生産システム「コンバス」シリーズを開発(注*)、マンション業界をリードする存在となる。80年代には、「浦安AMC計画」(1983)、「パレロワイヤル翠ヶ丘」「エルシティ新浦安四番館」(1987)、「ラ・ビスタ宝塚」など大型建設プロジェクトに乗り出している。また、多様化とマンション高層化の時期を迎えた1990年代から2000年代にかけては、長谷工総合研究所設立を設立させ(1993年)、初の超高層マンション「アクロシティ・タワーズ」、「アクス御殿山」、「白金アエルシティ」、「The Kitahama」などを竣工させた。

ラ・ビスタ宝塚
エルシティ新浦安
アクロシティ・タワーズ

 そして、2014年には、長谷工が建設したマンションは累計で55万個を数え、民間マンション建設では最も有力なデベロッパーとなっている。

ネオコーポ八王子

(注*)コンバス(CONdominiumu BUilding System)」とは、長谷川工務店が昭和48年に編み出したマンションの究極の経済設計工法。間口が6m、奥行きが10mないしは11mの専有面積は60㎡(18坪)から66㎡(20坪)というという3LDKプラン。形状が「田の字」型であるため「田の字型プラン」とも呼ばれた。(例としては写真の「ネオコーポ八王子」1980 などがあるようだ)・See:https://www.rbayakyu.jp/rbay-kodawari/item/3301-2017-06-07-05-46-52

・参照:長谷工コーポレーション – Wikipedia
・参照:長谷工の歩み|長谷工ライブラリー https://www.haseko.co.jp/hc/company/library/history.html
・参照:「長谷工マンションミュージアム」でマンションの歴史と構造を学ぶ 【LIFULL HOME’S PRESS】https://www.homes.co.jp/cont/press/buy/buy_01480/
・参照:速水健朗の長谷工マンションミュージアム探訪記(マンションプラス)https://www.haseko.co.jp/mansionplus/journal/hayamizumuseum_240411.html

++++++++++++++++++++++++++

♣ 住友不動産 総合マンションミュージアム

所在地:東京都港区東新橋-1-9-1  東京汐留ビルディング
HP: https://www.sumitomo-rd-mansion.jp/shuto/museum/

キッチンの実大モデル
シティタワー虎ノ門模型

 → 住友不動産総合のマンションの魅力と特色を伝えるミュージアム。2024年に 住友不動産が分譲マンション事業進出60年を迎えるにあたり、マンションづくりの考え方や思想、未来への取り組みなどを紹介する施設として開設している。デジタル技術を駆使した映像でマンションの魅力や暮らすシーンを疑似体験すること、ブランド発信拠点としてマンションづくりの考え方や思想、未来への取り組みなどを紹介することを目指している。

・参照:住友不動産『総合マンションミュージアム』オープンhttps://www.sumitomo-rd.co.jp/uploads/20230424_release_sougo-mansyon-museum_open.pdf

+++++++++++++++

♣ URまちとくらしのミュージアム(UR都市機構)

所在地:東京都北区赤羽台1丁目4−50 Tel. 03-3905-7550
HP: https://akabanemuseum.ur-net.go.jp/

URミュージアムの概念図

 → ミュージアムは日本住宅公団を前身とするUR都市機構による「集合住宅とまちづくりの変遷を紹介する展示施設。都内の赤羽台団地の建て替えによって整備された「ヌーヴェル赤羽台」の一角に開設された。「ミュージアム棟」(集合住宅歴史展示棟)では、歴史的に価値の高い集合住宅4団地計6戸の復元住戸を見学施設として公開している。見学コースでは、まず「URシアター」で日本の集合住宅の経過、URのまちづくりの映像紹介があり、順次、実際の住宅施設の訪問に進むようになっている。

 復元住戸として公開されているのは、第一に関東大震災後の住宅復興のために設立された「同潤会代官山アパート」(本格的な鉄筋コンクリート造の集合住宅)、次に、代表的な2DKの「蓮根団地」、高層集合住宅「晴海高層アパート」、「多摩平団地テラスハウス」となっている。また、見学では戦後の住宅不足解消のため多量に供給された日本住宅公団の「団地」の紹介があり、集合住宅の標準化・量産から豊かさを求めた多様化の様子、その時代ごとの変遷を「団地はじめてモノ語り」としてアピールする構成となっている。

URの手掛けたきた事業
「団地初めてモノ語り」

 施設内の「メディアウォール」では、URが手掛けてきた「まちづくり」事業が解説されているのも見どころ。そのほか、「ポイント型」といわれる塔状の住棟「スターハウス」、団地内に多く作られた標準的な「板状階段室型」住棟「ラボ41」などが見られる。

 

 このミュージアムは、1955年以来新たなくらし方を探求してきた公団・UR都市機構の団地、都市再生、震災復興、ニュータウンなど、その時代時代の住環境の変遷を映す歴史資産といえよう。

・参照:UR都市機構の沿革https://www.ur-net.go.jp/aboutus/history/index.html
・参照:URまちとくらしのミュージアム | UR都市機構 https://www.ur-net.go.jp/aboutus/publication/web-urpress75/museum.html

+++++

♥ <参考資料> 同潤会と同潤会代官山アパート

同潤会代官山アパート(1927築)

 「同潤会」は、関東大震災の復興を期して、1924年、東京と横浜に住宅供給を行う目的で設立された財団法人。東京・横浜の下町では木造住宅が密集し震災で大きな被害が生じた。これを受け、同潤会は各地に鉄筋ブロック造の集合住宅「同潤会アパート」の建設を進めることにした。また、当時、同潤会は都市中間層向けの良質な住宅供給(アパートメント)も目指していたとされる。また、付帯してスラム対策の住宅建設も行っている。この一環として建設されたもの一つが「同潤会代官山アパート」であった。同潤会は、代官山のほか、青山、本所、三田、上野、横浜の山下町など16カ所に同型のアパートを建設している。このうち、代官山アパートは1925年、震災で大破した青山女学院の跡地で着工され、1928年までに36棟の建物を竣工させている。

建設時の蓮沼アパート
内部ダイニングキッチン

 アパートは、西洋式のモダニズム建築を意識した2-3階建ての近代的集合住宅で、間取りの中心は2K、震災の教訓から鉄筋コンクリート造を採用、台所(キッチン)、食堂、水洗トイレも装備された。これは、いわゆる「食・寝」一体型から、ワンフロア「食・寝分離」型住環境導入の源となったともいわれている。

代官山再開発プロジェクト
現在の「代官山アドレス」

 しかし、手狭になり老朽化が顕著となったこの同潤会代官山アパートは、1980年代、建替えの話が持ち上がり新たな局面を迎えた。この建て替え計画の下で進んだのが、90年代の代官山再開発プロジェクト。工事は1996年に始まり5年かけて行われ、2000年に完成して新たなスタートとなった。現在は、敷地全体が「代官山アドレス」となり、タワーマンション、商業施設、公共スポーツセンターなどによって構成される近代市街区となっている。

多摩ニュータウン

 このように、関東大震災からはじまった同潤会の救済住宅、耐震の集合住宅団地の建設は、多層階アパート・マンション、公園緑地・商業施設一体型の市街地住宅へと進み、大正期から昭和初期、戦後の高度成長期を経て現在に至る大都市圏の住環境の変遷を感じさせるものとなっている。 ちなみに、「同潤会」は、近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅として、住宅史・文化史上で貴重な存在といわれる。また、同会の事業は、1941年に住宅営団に業務を引き継がれ、戦後は日本住宅公団となり、現在の「UR都市機構」となっている。

・参照:集合住宅歴史展示棟(UR都市機構)https://www.ur-net.go.jp/rd/history/
・参照:代官山アドレス – Wikipedia
・参照:同潤会代官山アパートメントのまとめ(グリーンスナップ)https://greensnap.jp/greenBlog/13371586
・参照:代官山再開発 回想・旧同潤会代官山アパート(特集)https://www.kajima.co.jp/news/digest/jul_1999/tokushu/toku2.htm
・参照:同潤会代官山アパートメントの記憶と代官山地区(代官山ドットライフ)Webマガジンhttps://daikanyama.life/?p=9065
・参照:代官山(同潤会アパート)―1968年年頃の写真 – K-TEN Laboratory https://tacklehouse.co.jp/ktenlab2/2008/04/13/19/00/02/2625/
・参照:デジタリアン Kei Y ブログ 代官山同潤会アパートの写真(1987年頃) https://digicre55.blog.fc2.com/blog-entry-1722.html

+++++++++++++++++

♣ 五洋建設ミュージアム 

所在地:栃木県那須塩原市四区町1534-1 五洋建設技術研究所内
HP: https://www.penta-ocean.co.jp/museum/

五洋建設技術研究所

 → 五洋建設が創業125周年を記念して開設した建築展示ミュージアム。五洋建設のあゆみを紹介すると共に、同社の歴史資料や道具などを紹介している。展示エリアは、「挑戦の歴史」「グローバル」「技術の創造」の3つのゾーンで構成されている。「挑戦の歴史ゾーン」では、明治に広島県呉市で水野組として創業し、海から陸の土木・建築へ、国内から海外へと業容を拡大してきた挑戦の歴史を紹介、グローバルゾーンでは、スエズ運河の改修工事、シンガポールにおける海上陸上のプロジェクトを紹介、技術の創造ゾーンでは、DXトランスフォーメーション、洋上風力、ZEB(ネット・ゼロ・エネルギー・ビル)など将来技術への挑戦をアピールしている。中でも、グローバル展示ゾーンで展示されているスエズ運河に挑んだカッターとチップ(実物)はミュージアムの目玉展示一つとなっている。

「グローバル」展示
「挑戦の歴史」展示
「技術の創造」展示

 ちなみに、五洋建設は、海外大型工事、特に海洋土木最大手としても知られる総合建設会社(ゼネコン)。1896年(明治29年)に水野甚次郎が水野組を創立したことにはじまっている。その後、呉港・佐世保港など大日本帝国海軍の軍港の工事に携わり「水の土木の水野組」の定評を得ている。1961年にはスエズ運河改修工事を受注した。1967年に社名を水野組から五洋建設株式会社に改めている。歴史的に、海洋土木事業(特に浚渫)を得意とし、エジプト・カタール・イラン・シンガポール・韓国・香港・マレーシアなど多くの国で受注、工事を実施している。五洋建設ミュージアムのある技術研究所は1967年に同社の技術開発のため設立され、1994年に栃木県那須塩原市に移転して現在に至っている。

・参照:五洋建設ミュージアム(五洋建設株式会社技術研究所)https://penta-ocean-int.com/facility/gallery
・参照:https://www.penta-ocean.co.jp/company/history/index.html
・参照:五洋建設株式会社技術研究所https://penta-ocean-int.com/about/history

+++++++++++++++++++

♣ 若築建設 わかちく史料館 

所在地:福岡県北九州市若松区浜町1-4-7 Tel. 093-752-1707
HP: https://www.wakachiku.co.jp/shiryo/index.html

史料館のある若築ビル

 → 史料館は、九州・洞海湾の開発事業、若松地区の歴史や石炭事業と人々の暮らしを紹介する企業博物館。明治23年に創業した若築建設の軌跡をたどりつつ、貴重な資料が多数展示し、写真、映像、模型をはじめとした豊富なコンテンツで、往時の会社の状況や人々の生活を紹介している。図面や測量機など若築の歴史のほか、石炭産業の歴史を紹介する映像や洞海湾のジオラマ、地元の方々から寄せられた史料などにより北九州若松地域の歴史に触れることができる。

洞海湾の歴史展示
若松地区の歴史
若築建設の歴史

 ちなみに、若築建設は明治23年石炭積出港開発のため設立された若松築港会社を前身としている。設立当時、洞海湾近辺には鉄道が敷かれ、民間会社によって港や航路、泊地が造られて石炭景気に沸いていたという。若築は、設立以降、港湾施設や空港施設、都市開発に伴うインフラ事業、風力・太陽光などの再生可能エネルギー関連事業、工場、医療・福祉施設の建設等、海から陸へとフィールドを広げてきている。浚渫や埋立といった港湾工事(海上土木工事)を得意とし、羽田空港D滑走路や那覇空港といった海上空港、東京湾横断道路(アクアライン)、明石海峡大橋、沖縄初の那覇海底トンネル工事などの数々の大規模プロジェクトに参画している。

・参照:若築建設 – Wikipedia
・参照:若松レガシー第一弾・若松建設(北九州市) https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/w4100205.html
・参照:わかちく史料館 – 北九州市観光情報サイトhttps://www.gururich-kitaq.com/spot/wakachiku-museum
・参照:わかちく史料館・ 北九州産業観光 https://sangyokanko.com/history/wakachiku/

+++++++++++++++

♣ 石橋信夫記念館|(大和ハウス工業)

所在地:奈良県奈良市左京6丁目6-2 大和ハウス工業 総合技術研究所内
HP: https://www.daiwahouse.co.jp/innovation/museum/

石橋信夫記念館外観
館内展示

 → 記念館は、大和ハウス工業の創業者でありプレハブ住宅の先駆者として貢献のあった石橋信夫の81年の軌跡を展示するミュージアム。社会の発展と建築の工業化を旗印に掲げた創業者の志に触れることができる。展示では、「出会い」「偲び」「感謝」「羽曳野の庭」4つセクションをたどりながら、映像や肉声、ゆかりの品々などを通じ石橋信夫の思想と哲学をご紹介している。
 なお、記念館は大和ハウス総合技術研究所内にあり、この技術研究所の見学も可能となっている。
・See:  総合技術研究所施設案内・見学(大和ハウス工業)https://www.daiwahouse.co.jp/lab/facility/

<大和ハウス工業の沿革と事業>

大和ハウス本社ビル

 大和ハウス工業は東京と大阪に本社を置く住宅総合メーカー。住宅(鉄骨・木質)を中心に、マンション・アパート・リゾートホテル・ビジネスホテルなどの事業を展開している。プレハブ住宅(工業化住宅)を日本で最初に世に送り出し、住宅建設に新しい工法をもたらしたことで知られる。当初の会社は、1947年、石橋信夫が自らの過酷な経験(シベリア抑留)を機に「住」の重要性を認識して創業したという。1959年 – 初のプレハブ住宅「ミゼットハウス」を発売(「3時間で建つ11万円のプレハブ勉強部屋」)、1962年、商号を三栄機工から(現)大和ハウス工業株式会社に変更している。その後、付加断熱(充填断熱と外張り断熱の併用断熱工法)などを標準採用した「XEVO」ブランド(2006年)を発表。新たにフレームの強度を強化などした「New XWVO」ブランドを(2007年)に発表するなど、総合住宅メーカーとしての地位を確実にして発展している。

戦後復興から始まった大和ハウス
発展の基礎のミゼットハウス(1959)
耐震性能の最新の「xevoΣ」

・参照:大和ハウス工業オフィシャルサイトhttps://www.daiwahouse.co.jp/
・参照:大和ハウス工業 – Wikipedia
・参照:ダイワハウス(大和ハウス)の歴史 https://polaris-hs.jp/house_make/daiwahouse_rekishi.html

+++++++++++++++++

♣ 戸田建設ミュージアム・TODAtte

所在地:東京都中央区京橋1丁目7−1
HP: https://museum-todatte.toda.co.jp/

戸田建設ミュージアムビル

 → ミュージアムは、2024年、戸田建設の新たな本社ビル「TODA BUILDING」の建設を記念して創設されたもの。日本の建設業の過去・現在・未来の姿を学び、社会インフラに取り組む戸田建設の活動を紹介する場としている。館内は、三つのセクションに分かれていて、創業から現在までの「戸田建設グループ」の歩みを「企業文化と継承」として紹介、「知恵と技術」では戸田の社会課題に応える技術や仕事の進め方、「未来を考える」では、将来の研究開発や体験・実験、他分野の先端企業との協創活動、「戸田建設グループ」の考える2050年の未来像を掲げて、映像、パネルなどで紹介展示している。

企業文化
技術の展示
未来の展示

<戸田建設の沿革と事業>

戸田
利兵衛
東京大正博覧会染織館(1914)

 ちなみに、戸田建設は、明治14年(1881)、東京・赤坂で戸田利兵衛が戸田方として建設請負業を開始したのがはじめとされる。1908年、戸田方を戸田組へと改称、明治48年(1910)には、 初の海外工事として日英博覧会の出品陳列館の建設を担当している。1936年、株式会社へと移行、1956年、土木部門を新設し、1963年には戸田組を戸田建設へと改称している。この間、横浜税関庁舎、愛知県本庁舎、早稲田大学大隈講堂など官公庁や大学関連の建設事業に数多くの実績をあげている。また医療・福祉関連施設に強みを持ち、虎の門病院や埼玉県立がんセンターなど多くの病院建築も手掛けている。
 そして、現在、戸田建設グループは、創業150周年を迎える2031年年を見据えて、未来ビジョン「CX150」を策定し、建設事業を中心に社会のインフラ建設、都市整備などに取り組んでいる。

・参照:戸田建設 沿革 https://www.toda.co.jp/company/history.html

++++++++++++++++++

♣ 建築倉庫ミュージアム 

所在地:東京都品川区東品川2-6-10  寺田倉庫本社ビル1F
HP: https://what.warehouseofart.org/exhibitions/archi-depot/

建築倉庫ミュージアム
保管された建築模型

 → 建築倉庫は2016年に開設された建築模型専門博物館。2020年からは寺田倉庫の“WHAT MUSEUM”の一部となり、建築家や設計事務所から預かった600点以上の建築模型を保管し、その一部を公開している。模型を「展示しながら保存する」をコンセプトに、国内唯一の建築模型専門展示・保存施設として設立された。

・参照;建築倉庫ミュージアム – Wikipedia

++++++++++++++++

♣ 建設産業図書館

所在地:東京都中央区築地5-5-12
HP: https://www.ejcs.co.jp/library/

建設産業図書館

 → 東日本建設業保証が、2002年、社会貢献事業として開設した建設産業の専門図書館。主な収集分野は、建設産業史、社史・団体史、建設統計、経営管理、法規、災害記録など。

++++++++++++++++++

(民間建築 了)

<国・大学・自治体の建築技術博物館>

This entry was posted in Uncategorized. Bookmark the permalink.

Leave a comment