Monthly Archives: February 2025

精密機械のものづくり博物館ー光学・カメラー(博物館紹介)

 日本の“ものづくり”の粋を集めた精密機械の製作技術に関する博物館、資料館を紹介。カメラ、光学機器、時計、医療機器、計測機器の生産技術の発展を示す資料を展示、紹介する企業博物館を紹介する。 (精密機械―光学、カメラの博物館)    日本のカメラ製品は光学精密機器として高い技術力を誇り、現在、世界ので最も高い評価とシェアを維持しています。キャノン、ニコン、コニカ、オリンパス、リコーなど日本の光学メーカーは、これらの技術開発と製品化で中心的な役割を果たしてきた。この先進的な日本の開発技術の歴史とカメラ業界の動向を博物館で確かめてみる。また、近年はスマホカメラの普及によって新しい対応を迫られているカメラ業界の動向にも触れてみたい。 +++++++++++++++++ ♣ 日本カメラ博物館(JCII)                所在地:東京都千代田区一番町25番地JCII一番町ビル  Tel.03-3263-7110HP:  https://www.jcii-cameramuseum.jp/・参考:https://igsforum.com/jicc-kamera-m-jj/   →「日本カメラ博物館」は、日本カメラ財団により1989年に開館した光学博物館。日本のカメラの発展史を物語る各種カメラや内外の珍しいカメラ、最新のカメラ製品展示のほか、カメラ技術の発展を展示するコーナーがあり見どころ満載である。館内には国内外の貴重なカメラ一万台以上を所蔵し、順次展示している。 このうち「歴史的カメラ」「最近機種のカメラ」など約300点をフロアーに常設展示している。 そのほか、特別企画展示として、日本の初期のカメラ、秘蔵のクラシックカメラ、時代と共に生きるカメラ、デジタル・カメラ現在に至る軌跡、時代の証人報道写真機材展、などを随時開催していて、これらの図録も手に入る。ライブラリーも併設されており、写真のことを知りたい訪問者には便利な博物館である。 ・魅力的なカメラの歴史解説コーナー   館内の歴史コーナーには、カメラの語源となった “Camera-obscura” の解説、世界で初めて写真が撮られたときの記録のほか、日本でとられた最も古い写真映像などが展示されている。このうち、最も目を引くのは、1839年に写真機として、フランスで最初に発売された“ジルCamera – 1839ー・タゲレオ・カメラ”の展示である。世界のカメラ史をみる上で貴重な製品で世界に数台しかないものの一つといわれる。 ・日本のカメラメーカーの歴史展開の展示   日本の歴史的なカメラ製品としては、写真機の先駆メーカーであった小西本店(現在のコニカ・ミノルタ)が作った1903年の「チェリー手提暗函」、戦後、フラッシュを内蔵した「ピッカリコニカ」、世界初のオートフォーカス機構を採用した「ジャスピンコニカ」などが展示されている。また、旭光学工業による日本初の一眼レフカメラ「アサヒフレックスI」やロングセラー機となった“ペンタックス”が展示の中ではよく知られるカメラである。ニコンやキャノン、富士フィルムの多様なクラシックカメラも見ものである。オリンパスのPenシリーズやリコーのカメラ展示も忘れられない。これらは各カメラメーカーの博物館でも紹介されているので参照して欲しい。 ・参照:日本カメラ博物館特別展「日本の歴史的カメラ120年 技術発展がもたらしたもの」Part1 1903年~1970年代 JAPANESE HISTORICAL CAMERAS, 120years  +++++++++  ♣ オリンパス・ミュージアム 所在地:東京都八王子市石川町2951 オリンパス株式会社グローバル本社内  Tel.042-642-3086HP: https://www.olympus.co.jp/technology/olympusmuseum/?page=technology_zuikodoh・参考:https://igsforum.com/visit-orinpasu-m-jj/    → 顕微鏡で培った光学技術を活かした写真レンズを開発し、医療機器メーカーへと変貌を遂げたオリンパスの製品や技術を体系的に紹介する技術博物館。初期の顕微鏡、カメラ、内視鏡、最新の工業用内視鏡など多くの珍しい製品がみられる。展示は、医療、科学(ライフサイエンス)、映像のセクションに分かれて展示されている。オリンパス独自のカメラ技術展示だけでなく、歴代の顕微鏡類、現在使われている工業用や生物・医療用の高性能、そして世界でも大きなシェアを占める内視鏡技術の進化を知ることができ、光学先端技術が社会で幅広く利用されていることがよく認識できる。 <内視鏡を中心とした“医療”展示>  まず「医療」では、歴史を築いた「顕微鏡」の展示とともに、同社の独自技術の取り組みを示す医療用内視鏡の開発過程が紹介されている。館内には、内視鏡の歴史展示コーナーがあり、オリンパスが最初に内視鏡に取り組んだのは1949年であることがわかる。東大病院の医師と連携しつつ世界で最初に実用的な内視鏡施策に成功したのが1952年の「胃カメラGT-IJ」。これまでの内視鏡は金属製の湾曲が難しい内視鏡であったが、開発された胃カメラは巻き取り可能な管を使った点で画期的なものだった。その後、1960年代には、光を屈曲させる新素材グラスファイバーを使うことで内臓の様子がリアルタイムで観察出来るようになった。この成果がオリンパスの「グラスファイバー付胃カメラ」(1964)である。1980年代には、内視鏡内にCCD(電荷結合素子)を使った「ビデオスコープ」が誕生、2000年代には、世界で初めての「ハイビジョン内視鏡システム」も誕生している。現在では、オリンパスの内視鏡世界シェアは70%を占めているという。また、内視鏡を含めた医療・ライフサイエンス分野の事業はオリンパス全体の8割を占める主力事業となっている。 <顕微鏡開発の歴史を語る“科学・ライフサイエンス”展示>  「科学」ライフサイエンス」で紹介されているのは、オリンパスの創業と光学技術の基礎を築いた「顕微鏡」の開発過程とその成果である。オリンパスの第一号の顕微鏡制作は1920年の「旭号」。その後、1925年には、改良型の「瑞穂号」、27年には「昭和号」が発表されている。また、28年には、「精華号」を製作して「優良国産大賞」を受けている。生物学に詳しかった昭和天皇も愛用されたという。さらに、大型双眼生物顕微鏡「瑞穂号LCE」(1935年)、戦後まもなく発表された「昭和号GK」(1946)、本格的な生物観察を行う倍率の高い「生物顕微鏡DF」(1957)など日本の光学技術を跡づける貴重な成果が紹介されている。現在は、生物観察や医療現場だけでなく、工業・産業用にも顕微鏡は広く使われており、新しい先端技術を使った「実体顕微鏡」も数多く展示されている。「実体顕微鏡SZ」(1961)、高級実体顕微鏡SZH(1984)、工業用の「レーザー走査型顕微鏡LEXT」シリーズ、GXシリーズ(2001)シリーズもなどがこれに当たる。さらに、生物・医療分野では、現代医療に必要な高感度顕微鏡の開発も近年飛躍的な進歩をとげていて、「倒立型生物顕微鏡」(1958)を初めとして、細胞内物質を観察する「マルチ測光顕微鏡MMSP」(1971)、生物学系向けの走査型顕微鏡「正立型LSM-GB」、「共焦点レーザー走査型生物顕微鏡 FV1000」など豊富である。 <カメラとレンズ技術でみる“映像”展示>  博物館内には、歴代カメラ・コーナーがありオリンパスが製作し歴代カメラが時代順に展示されている。オリンパスは1930年代に、ズイコーレンズを開発してカメラ製作に着手しているが、この最初の製品が「セミオリンパスI型」(1936)である。そして1940年には「オリンパスシックス」(1940)、50年代には「オリンパスクロームシックスIIIA」(1951)と小型スプリングカメラを発売している。オリンパス・カメラの評価を高めたのは「オリンパスペン」シリーズで、初代機は1959年の誕生である。これはハーフサイズの小型・低価格・高品質カメラで、1700万台を越えるヒット商品となったという。  また、1973年には一眼レフカメラの製作を発表、軽量で高画質のOMシリーズ第一号「オリンパスOM-1」を登場させた。これは当時世界最小軽量であった。いずれも同社が開発したズイコーレンズを使ったカメラである。デジタルカメラとしては、CAMEDIAシリーズがあり、初代機はで1996年の発売。デジタル一眼レフも2000年代に登場して他社と開発を競っている。オリンパス初のレンズ交換式デジタルカメラは年の”E-1”と名付けられ、2006年にはカメラ・ライブビュー機能を加えたE-330を発表している。 … Continue reading

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建築関係の博物館(2)ー政府・大学のミュージアム

 ー建築文化と技術発展を映す国・大学のミュージアム活動を紹介  日本の建物洋式は時代の要請にしたがって大きく変化してきている。とりわ公共施設、官庁の建物は、明治以降、西洋建築の様式を取り入れ、煉瓦造、コンクリート建造物の多層階のものが多くなっている。これまでの宮大工による木造社寺建設からの大きな変化である。そこでは新しい建築設計の思想と技術が求められ、近代的な建築家が育つこととなった。彼らは西洋に学びつつ日本の建築文化を取り入れた優れた建造物を多く生み出している。ここでは、この新しい建築家達による近代建築の成果と過程を紹介する国・大学・公共機関のミュージアムを取り上げることとした。伝統的な洋式とは異なった新しい日本的な建築物の紹介である。 <国・大学・自治体の建築技術博物館> ♣ 国立近現代建築資料館 (文化庁) 所在地:東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内  Tel. 03-3812-3401HP: https://nama.bunka.go.jp/  → 日本の建築文化、特に近現代建築に関する資料(図面や模型等)の歴史的、芸術的価値を次世代に継承する目的で設立された資料館。これまで、その検証や保護が不十分だった近現代建築資料の反省を踏まえ、全国的な所在調査、収集や所蔵を行った結果、2013年に資料館の開設にこぎつけたもの。建物は旧岩崎邸庭園に隣接した旧財務省関東財務局に設けられている。収集品目は、当面、明治時代から図面のデジタル化が進んだ1990年代頃までに作成されたものを中心に、文化勲章・文化功労者、国際的な建築賞を受けた多くの作品が展示されており、建築史上貴重なものが網羅されている。この10年でコレクション(所蔵資料群)は30万点に及び、手描き図面を中心とした建築資料の収蔵は20万点を超えている。作品は、図面をはじめ、スケッチ、関連資料、写真アルバム等、多岐にわたっている。所蔵資料は 収蔵資料検索DB – 文化庁 国立近現代建築資料館https://nama.bunka.go.jp/collection/kensaku_dbで検索できる。  2023年には、開設から10年を迎え、特別展「文化庁国立近現代建築資料館 [NAMA] 10周年記念アーカイブズ特別展―日本の近現代建築家たちー」も開催された。 ・参照:国立近現代建築資料館 – Wikipedia・参照:明治150年 国立近現代建築資料館 開館5周年記念企画 明治期における官立高等教育施設の群像 https://nama.bunka.go.jp/exhibitions/1809 ++++++++++++++++ ♣ 建設技術展示館 (国土交通省)   所在地:千葉県松戸市五香西6-12-1  Tel. 047-394-6471HP: https://www.kense-te.go.jp/  → 建設技術展示館は、国土交通省の取り組みや最新の建設技術を紹介する体験型施設。実物、DX体験などを通じて、一般、学生、技術者など幅広い層に建築技術や構造物の仕組みを「見て!触れて!知る!」ことを目指して開設された。 現在、展示館では、防災・減災・国土強靱化、インフラ長寿命化技術」、「インフラ分野のDX(デジタルトランスフォーメーション)技術」、「インフラ分野の脱炭素化・GX(グリーントランスフォーメーション)技術」などが消化されている。  また、屋外には車道舗装プロムナード、歩道舗装プロムナード、環境舗装フィールド実験施設、被災した中条橋の橋脚サンプル、半世紀前のコンクリート橋(RCT桁)の断面、泥水式シールド及び水陸両用ブルトーザーなどが現物展示されており見学も可能である。 ・参照:展示物案内 建設技術展示館|(国土交通省 関東地方整備局 関東技術事務所)https://www.kense-te.go.jp/exhibition/ ++++++++++++++ ♣ 科学技術館・建設館  所在地:東京都千代田区北の丸公園2-1 科学技術館4FHP: https://www.jsf.or.jp/exhibit/floor/4th/f/  → 科学技術館は、現代から近未来の科学技術や産業技術に関する知識を広く普及・啓発する目的で1964年に設立された公的施設。産業技術の幅広い分野にわたり関連の深い業界団体や企業等が展示の制作や運営について協力している。家電、電気、鉄鋼、自動車、石炭などのほか4階部分に「建設」館が設けられている。ここでは、橋やトンネルなどさまざまな建造物について解説し、その技術内容と災害からまもる工夫が紹介されている。 ・参考:一般社団法人 日本建設業連合会https://www.nikkenren.com/ … Continue reading

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建築関係の博物館(1)ー企業のミュージアムー(博物館紹介)

(建築関係博物館)  日本は古くから木造による建築物を集団の技術として発達させ技術を集積させてきた。この成果は歴史的な建造物に多く見られる。明治になると、西欧化の影響を受け耐火性のある近代的な官庁、銀行、企業の建築が必要となり、煉瓦や石造りの建造物が盛んに作られる。この時期、新しい建築家や建築会社が育っていった。明治の色合いを残す赤煉瓦の建造物はこれを示している。また、大正時代には生じた関東大震災は、新たな耐震性の建物の需要を生み、現代のような鉄筋コンクリート・ビルも生まれている。 一般住宅については、相変わらず木造建築の時代が続いたが、戦後、高度成長期をへて集合住宅、団地、マンションが盛んに作られるようになり、都市での住環境は大きく変わってくる。また、現在、都心や市街地では、高層の官庁・企業ビルが建ち並ぶようになり市街景観も大きく変わりつつあるようだ。 このように時代の社会変化を反映して人々の住居、建物の変貌は著しいものがある。この中で、日本の建築技術はどのように継承され変化をとげたか、建築に関わる企業はどのように対応してきたか、人々の生活はどのように変わってきたのか、をみるのは意義深い。ここの掲げた建築関係博物館の展示は、この社会変化と住環境の変容を示しているといえよう。以下にこれを確かめてみよう。 <企業による建築博物館> ♣ 清水建設歴史資料館  所在地:東京都江東区潮見二丁目8番20号 HP: https://www.shimzarchives.jp/  → 200年以上の長い歴史を誇る清水建設が開設した貴重な歴史資料館。同社の実績と共に日本の建設技術発展の歴史を紹介している。資料館は、2024年に創設された「温故創新の森 NOVARE」内に設置されている。設置の趣旨は、「事業やものづくりに精進した人々、課題を克服していく技術、建設文化ついて学び、思索すること、次世代の学究育英や新たな価値の創造、発見の場になれば幸い」としている。  館内は、夢にあふれた展示となっているが、まず、導入展示として「源流を辿る」、次に「清水文庫」、エポック展示で「挑戦を観る」(清水建設が手掛けた代表的な 作品を緻密な模型で再現)、テーマ展示「未来を想う」、「迫真に臨む」の映像、階廊展示「知を愉しむ」といった構成の展示となっている。このうち、「源流」では清水建設の技術伝統と古代、近世大工棟梁とその精神、「挑戦」で年代別に清水建設と日本建設業の歩み、「未来」では1960年代以降にみられた未来技術の取り組みや社会づくり歩み、「映像体験」は大型プロジェクションによる建築や土木の実物大スケールの迫真映像、階廊展示は施工作品を掲載したデジタル映像と企画展示が最後となっている。「清水文庫」は清水建設の先駆者業績を伝えるドキュメント・ライブラリーである。いずれも清水建設のこれまで培った技術と建設事業への情熱と精神を伝えようとする意欲的な展示である。   なお、「温故創新の森 NOVARE」は清水建設の「2030年ビジョン」にしたがって建設中の大型施設で、この「NOVARE Archives 清水建設歴史資料館」のほか、「NOVARE Hub ノヴァ―レハブ」・「NOVARE Academy ものづくり至誠塾」、「NOVARE Lab 技術研究所潮見ラボ」の3つがあり、2024年には清水建設に縁故のあった渋沢栄一の「旧渋沢邸」移設も行われている。 <参考:清水建設の創業・発展の歴史と渋沢栄一翁>  → 清水建設は竹中工務店と同様、江戸時代に創業した歴史ある老舗の建設会社である。 創業は1804(文化元)年、富山で棟梁をしていた初代清水喜助が、江戸神田鍛治町で大工「清水屋」を設立したことがはじめとなっている。日光東照宮の修理に参加したことが創業の契機とされる。その後、清水屋は江戸城西丸造営、有力寺院の建築にも携わり実績を積んでいる。幕末には外国人のための洋風ホテル「築地ホテル館」も建設している。初代喜助が死去した後、洋風建築を学んだ喜助(旧姓藤沢清七)が二代目を継承、明治5年には「第一国立銀行」(旧三井組ハウス)ビルに着手、竣工させている。  渋沢栄一との縁が深まったのはこの国立銀行ビルの建設を通じてであった。この国立銀行設立は明治初期、渋沢栄一が最も力を入れた事業である。この仕事ぶりに満足した渋沢は、これを契機に清水建設との関係を深め自宅渋沢邸の建築をも依頼している(この旧渋沢邸は2024年建設の「温故創新の森 NOVARE」に移設・保存された)。  それ以降、清水建設は会社運営の師と仰いで渋沢との関係を深め、明治20年には相談役就任を依頼、渋沢もこれに応えて30年にわたり経営を指導することとなった。この間、渋沢は「論語と算盤」を基本とし、民間建築を主軸として建設事業を続けるよう助言、これが清水建設社是の一つとなって今日に至っているという。また、清水屋は、1915年(大正4年)、個人経営から合資会社清水組に組織変更、技術向上と経営合理化に努め発展と技術近代化に努めている。  この間、皇居正殿(1885)、東京赤坂豊川稲荷、永田町鍋島邸西洋館(1887)、鐘渕紡績工場、丸善本社ビル(1910)、東京大学安田講堂(1921)、第一生命保険本館(1921)、三井本館(1929年)、などを手がけて大手建築会社としての発展をとげている。  戦後には、土木建築業のほか不動産、エンジニアリング事業にも進出して業域を拡大。建築部門では、国立西洋美術館(1957)、東京オリンピックの国立屋内総合競技場(1964)、大阪国際空港ターミナルビル(1970)、サンシャイン60(1978)、東大寺金堂(大仏殿)昭和大修理(1980)、出雲大社本殿 修理・保存(2013)などの建設に関わったことはよく知られる。   現在、清水建設は、大林組、鹿島建設、大成建設、竹中工務店と並んで大手ゼネコンの一角を占める成長を遂げるまでになっている。また、歴史的な経緯から、伝統的な神社建築、寺院建築にも豊富な実績を有し、2019年、宮内庁・大嘗宮の建設も受注している。 そして、2024年には、前述の「温故創新の森 NOVARE」を開設、過去の実績を振り返ると共に、将来に向けた「2030年ビジョン」を構想している。また、渋沢との関係では、栄一の喜寿の祝いとして贈呈した飛鳥山・渋沢記念公園に名建築「晩香廬」(1917年 重要文化財)がある。この茶室は、同じく「青淵文庫」とともに、内外の著名人を招いた国際交流の場となった由緒ある場所である。 ・参照:History | Our Heritage・清水建設 https://www.shimz.co.jp/heritage/history/・参照:清水建設 – Wikipedia・参照:明治150年、二代清水喜助が手掛けた「三大擬洋風建築」 清水建設https://www.shimz.co.jp/topics/construction/item15/content01/・参照: 晩香廬(・青淵文庫【国指定重要文化財】飛鳥山3つの博物館 https://www.asukayama.jp/stroll/st-02.html・参照:渋沢栄一相談役に就任、経営指導を仰ぐ | … Continue reading

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