ー 日本はいかに「木」を生活に生かし、木の技術と文化を築いてきたか=

日本は世界でも珍しいほど森林資源に恵まれた国といわれる。このため古くから樹木を様々な形で利用して社会生活に生かしてきた。住居や食器、農具、工芸品、燃料、城郭、橋など多くのものに木材を利用してきたことは歴史が示している。このため、西欧の「石の文化」に対し日本は「木の文化」の国とされてきた。宮大工の技による歴史的な寺社建築などはその代表であろう。大阪万博の巨大な木造「大屋根リング」建造も日本の培った木の技術と文化を示そうとしたものだろう。
これらを踏まえ、このコーナーでは、日本がいかに木を利用し活用してきたかを示す博物館を紹介することとした。内容的には、木の加工技術の博物館、環境・森林の博物館、建築関係博物館などである。
See: 日本の木の文化https://www.shinrin-ringyou.com/mokuzai/nippon.php
- 木材の利用と加工技術、大工の技と道具の世界、大工の世界
- 森林文化・林業
- 建設関係博物館
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(木財の利用と加工技術)
♣ 木材・合板博物館
―木材製品の魅力を知り深川木場の歴史と今昔を学ぶ
所在地:東京都江東区新木場1-7-22 新木場タワ―
HP: https://www.woodmuseum.jp/wp/



→ 木材・合板博物館は、日本で使われる木材の種類や特性、材木・合板の製造・加工技術、利用形態、林業と環境保全などをテーマとする木材専門の博物館。新木場の公益財団法人PHOENIXの「新木場タワー」のなかに設置されている。このタワーのエントランスを入ると巨大な人工滝と森を模したオブジェに驚かされる。この3階が博物館の展示室、4階が事務所や研修室、図書館となっている。



3階の展示室には、木材パネルと林相風景を表す入場口があり、これを過ぎると「森の姿と樹種のいろいろ」と題した展示。森林の生態、環境に関する役割や機能がパネルで紹介されている。また、次のコーナーは「木のこといろいろ」展示となっていて、木や木材に関する多様な情報が得られるよう工夫されている。例えば、樹木の断面展示で、年輪や中心部の髄、その利用形態や用途、質感が実感できる。また、「木の一生」では樹木植え付け、間伐、伐採までの材木管理の流れと共に、木材の加工を通じて造られる炭、紙、木工品の種類、住宅建築建材などの紹介がなされ、人間生活と木との関わりを知ることができる。日本古来の木材の継ぎ手、仕口加工などの住宅建設に使われる技法の紹介も興味深い展示である。



次の「合板を知ろう」では、現在使われている合板の製造法と仕組み、合板の種類、使用法などの紹介がなされ、丸太を剥ぐ合板製造器「ベニヤレース」の動作展示もあり、木材利用における合板の役割が実感できる。この日本で初めて合板手法を開発した「浅野吉次郎」の事績もビデオで紹介されている。



なお、館内には「木のまちの今と昔」というコーナーも用意されていて、木場の歴史、江戸時代の材木商の様子、木場で木材加工業に従事していた人々の姿、過去から現在に至る木材加工の道具なども陳列され、木場というまちのなかで人々がどう働き、どう生活をしてきたかがよくわかる構成となっている。 次項では、館内展示に基づきつつ江戸から明治にかけての材木業の展開と深川木場の変化を考えてみた。
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♣ (参考)展示からみた木場材木商の業容と歴史
― 江戸から明治にかけての材木業と深川・木場の変容をみる ―

ここでは、木材・合板博物館の展示を参照しつつ江戸から明治、そして現在に至る材木業の変化、その中心地の深川・木場の発展と変容をレビューしてみた。日本における木材利用と技術、社会変化と木材業の歴史的変化をみるのに有益と思える。
<江戸期の材木商と木場>

徳川家康が江戸城を修築した直後、城下に大規模な土木工事、屋敷建設を開始したことにより膨大な木材需要が発生、このため幕府は日本中から商人に命じて大量の材木を調達させる。この材木の流通を支える“貯木場”として設定されたのが「木場」である。当初、材木商は日本橋付近に居を置き材木河岸(材木町)を形成していたが、1641年の江戸大火により材木商は永代島(のちの元木場)に集められた。これをきっかけに、「木場」を墨田川の対岸にある深川に移転させた。これが「深川木場」の起源となる。


その後、江戸は政治・経済の中心として町の規模は拡大することで一大都市として発展するが、材木需要はさらにふくれあがり、江戸の材木商たちは水運も手伝って莫大な商機を得る。このうち、特に有名なのは紀伊国屋文左衛門らであった。この商売の受け皿になった地が「木場深川町」である。深川には、それ以降、材木商人だけでなく、木材を扱う職人、運送業者、商家、遊興業者が蝟集し一大産業・消費地となって繁栄した。
<明治初期から大正にかけての木場>


時代は変わり明治となり江戸期ほどの活気はなくなるが、新都市東京の建設が進む中で、新たな木材需要の発生、林業技術の革新、機械製材の普及、製材工場の増設などがあり、深川・木場は新しい町づくりと発展が見られた。材木問屋約200名が明治19年(1886年)に「東京材木問屋組合が発足したことも大きい。
こういった矢先襲ったのが1923年の関東大震災であった。これにより木場は甚大な被害を受け町の様子は一変する。この影響は長く続いたが、復興事業の推進により徐々に街づくりは再開された。しかし、太平洋戦争中の東京大空襲は、再び地域に大被害をもたらすことになる。これにより木場を含む深川はほとんど焼け野原になり木材業は全滅した。
<戦後の深川木場の様子>


しかし、戦後の日本経済の急速な復興、高度経済成長は、改めて木材需要の拡大を生み木材取引を再び活性化させた。深川木場の町も徐々に再生を果たして行くことになる。この当時の博物館の写真は町の変化をよく伝えている。また、1950年代、地域は「木場移転協議会」を結成。新しい木場の建設と集団移転というプロジェクトがスタートさせる。1980年代には、東京港14号埋立地(現在の新木場1〜3丁目)に、新しい貯木場と木材業団地がつくられ、635余の木材関連企業が移転を果たしている。
<現代の深川木場の様子>



この間、木材業界は、原木の国内調達から外国輸入材への転換、木材加工の機械化、製材加工から合板材への転換、パルプチップ加工という技術変化、住宅建築における建材変化、木材職人や従業員・技術者の技能転換、雇用状況の変化などの社会的条件の変化、環境問題や政策、運輸手段の変革などの外部的な内部的な条件も大きく変わっていることも指摘できる。そして、木場についてみると、移転した材木関連企業跡地は、広大な面積の「木場公園」と変貌している。その公園の一角にはイベント池が設けられて、かつての木材職人「川並」が材木を伝統の技を使い「筏こぎ」、「角乗り」をする様子が再現されている。そこには木場と材木業の歴史が詰まっている。これらの変化を受けて、2000年代に設立されたのが「木材・合板博物館」であった。
・参照:「材木と合板博物館」を訪ね木場の技術文化を探るhttps://igsforum.com/2023/02/28/visit-zaimoku-kiba-m/より
・参考資料:
- 木場と問屋組合の歴史|東京木材問屋協同組合 (mokuzai-tonya.jp)
- 木材Q&A|東京木材問屋協同組合 (mokuzai-tonya.jp)
- 木場の歴史 | 一枚板比較 (solidwood.jp)
- 文化・歴史施設等|江東区 (koto.lg.jp)
- 水の都・深川 ~ 深川・城東 | このまちアーカイブス
- 木場の問屋商人(深川木場の歴史と文化③ 深川江戸資料館)7945_資料館ノート53.pdf (kcf.or.jp)
- 木場の変遷①② 7945資料館ノート51.pdf (kcf.or.jp) 7946_資料館ノート52.pdf (kcf.or.jp)
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♣ 木組み博物館
東京都新宿区西早稲田2-3-26ホールエイト3階 Tel. 03-3209-0430
HP: https://www.kigumi.tokyo/


→ 木組み博物館は、木組みを中心に左官、漆などの伝統技術や素材、道具などを紹介する体験型の博物館。会場は第一展示場と第二展示場に分かれており、前者では、大小の木組み見本、木組み屋根模型、木材見本、木組みの写真と解説パネル、後者では、寺社建築に実際に使用される工事技法の塗り壁、屋根材と瓦、漆、彫刻、各種大工道具が展示されており、全体として大工などの職人が建築をどのような作業行程で行っているかを見ることができる。このうち、目を引くのは奈良・薬師寺三重塔の「初重斗組」といわれる木組みの実物模型。これは、国宝薬師寺を再建した際、昭和の名棟梁といわれた西岡常一が製作した作品の一部の再現した作品となっている。そのほか、木組み30点余りの木組み見本は、実際に手にとって触れることができ、組み立て構造が実感できる優れた展示となっている。第二展示場では、寺社建築の装飾となる“彩色彫刻作品” 錺金物“、茶室の空間設計や能舞台の音響効果の構造模型などが興味深い展示が多数。



<木組みとはーその技法と歴史―>

ちなみに、「木組み」には200種以上の技法があるといわれる。このうち代表的なものは「継手」、「仕口」で、前者は木材を縦につなぐもの、後者の仕口は原則直角に交差させてつなぐもの。このほか、枘(ほぞ)組み、相次ぎなどがあるという。
この木組み技術は、古く縄文時代から使われてきたものとされるが、7世紀以降、大陸からの仏教の伝来により社寺建築に応用され、日本独自の姿で発達したものといえる。木組みによる建築は、木の持つ柔軟性と融合性、堅牢さによって地震や衝撃に強く、木材の延長・補填が可能であり、解体・組み立て・増改築が容易であることを特色としている。



日本の技術者は、この技法を活用し、数百年に及ぶ長い間建造物を維持、保全してきた。1000年の歴史を誇る法隆寺、先の薬師寺、京都の東寺など、日本を代表する社寺の建築は、みなこの「木組み」工法を応用して建てられ維持されてきた。また、この装飾性、美術性にあふれた社寺の概観は、木組み工法を中心とした日本的建築技法の特色をよくあらわしている。・参照:日本の技を伝える「木組み博物館」を見学https://igsforum.com/2023/07/10/kigumi-museum-jj/
・参照:薬師寺西塔 – 近代の文化遺産の保存と活用(文化庁) https://www.bunka.go.jp/kindai/kenzoubutsu/research/nara/006/index.html
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♣ 竹中大工道具館 (竹中工務店)
神戸市中央区熊内町7-5-1 TEL: 078-242-0216
HP: https://www.dougukan.jp/


→ 竹中大工道具館は日本で唯一の建築技法と大工道具を総合的に展示する博物館。手道具としての大工道具を収集・保存し、研究や展示を通じて後世に伝えていくことを目的に建築大手竹中工務店が1984年に設立した。 建築史を背景に、先史時代から近代までの大工道具の歴史を実物・復元資料、迫力ある大型模型、うごく絵巻物、豊富な映像資料とともに、日本の建築技術とそれを担う大工道具をわかりやすく紹介展示している。館では、唐招提寺金堂組物の実物大模型や大工道具実物、伐木・製材関係の道具、鍛冶工程の道具類、建築にまつわる図面、写真、風俗資料など、約30,500点の資料を収蔵・展示している、



常設されている展示の構成は、「歴史の旅」、「棟梁に学ぶ」、「道具と手仕事」、「世界を巡る」、「名工の輝き」、「木を生かす」となっており、それぞれがテーマに沿って実物、映像、音声ガイドやパネル記事を通じて丁寧に展示説明がなされる。





このうち「棟梁」では、大工頭としての技と心、組織づくりのエッセンス、「道具と手仕事」では、多様性と独自性を誇る日本の大工道具の種類やしくみ・使い方を紹介、「世界を巡る」では、日本と海外の大工道具との違いや使い方を解説している。また、日本の職人が生み出している世界に誇る伝統美の世界を「和の伝統美」コーナーで表現しているのも注目点。例として、精緻極まる組子細工、雲母摺りかがやく唐紙襖、自然の素材でつくり上げた土壁などをあげている。道具に芸術的な意匠を凝らす職人の道具文化へのこだわり(「名工の輝き」)などもみどころの一つ。


次の「木を生かす」展示では、木の個性と性質を最大限引き出そうとする日本の匠たち技を紹介、木のクセを読み、適材適所に使う職人の姿が強調されている。
重要文化財になっている大徳寺玉林院にある茶室「蓑庵」の柱や梁から竹組みまでの骨格をむき出しにした復元模型なども注目である。
・参照:竹中大工道具館 – Wikipedia
・参照:竹中大工道具館|美術手帖https://bijutsutecho.com/museums-galleries/1057
・参照:日本の大工の知恵が詰まった「竹中大工道具館」(カーサ ブルータス) https://casabrutus.com/categories/architecture/18264
・参照:竹中大工道具館 : Magical Mystery Nara Tour https://naratour.blog.jp/archives/1072260632.html
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♣ 奥谷組 展示資料館
所在地:京都市南区吉祥院向田東町8番地 Tel. 075-313-653
HP: https://www.okutanigumi.jp/shiryoukan/


→ 奥村組は関西に拠点を置く大手建築会社であるが、社寺建築に多くの実績を持つ。この展示資料室は、ここの奥村建設が1997年に京都府より「京の老舗」として表彰されたことを機に開設した社寺建築の展示資料館。継手・仕口、お堂の断面模型、道具といった木工事に関する資料を中心に檜皮・瓦・銅板といった屋根工事、錺金具、彩色、左官、儀式道具などを展示している。伝統的な木造建築に使われる外観からは窺うことの出来ない様々な伝統技法が紹介されている。ちなみに、奥村組のホームページでは、奥村組は国宝延暦寺をはじめとする重要文化財の 保存・修復に取り組んでいると述べている。また、展示資料館のほか、奈良市に奥村組の100年の歴史を展示する「奥村記念館」も設立されている。



・参考:奥村記念館 https://www.okumuragumi.co.jp/kinenkan/
・参照:事業内容 – 株式会社奥村組https://okumurag.com/business/?page_menu=社寺建設事業
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♣ 飛騨の匠文化館 (飛騨市)
所在地:岐阜県飛騨市古川町壱之町10-1 Tel. 0577-73-3321
HP: https://www.hida-kankou.jp/spot/282


→ 飛騨の木材を使い飛騨の匠の技を受け継ぐ地元の大工たちによって建てられた匠の文化館建物。釘を1本も使っていないのが特徴。中庭に面する軒下には建築に関わった大工の紋章「雲」が施されている。館内では各種の継ぎ手や木組みの見本展示、パズルのように千鳥格子を組むことのできる体験コーナーも設けられている。
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♣ 乾燥木材工芸資料館(墨田区小さな博物館)
所在地:墨田区錦糸二丁目9番11号乾燥木材工芸ビル内
HP: https://www.city.sumida.lg.jp/sangyo_jigyosya/sangyo/pr_brand_hyousyo/sumida3m/tiiki/nanbu/kannsoumokuzaikougei.html


→ 釘などを使わずに材木を組み立てたり、指し合わせたりして作る「指物」の工芸館。机、タンス等の指物など、木の根などの乾燥した木材を伝統技術を駆使して作ったさまざまな作品を展示している。「木の暖かみ、手づくりの良さを多くの人に知ってほしい」との説明。
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(宮大工の匠世界)
♣ 宮大工の世界 (松本社寺建設)
所在地:鎌倉市二階堂710 瑞泉寺境内 Tel. 0467-23-1965
HP: http://www.shajimatsu.com/world/



→ 松本社寺建築の宮大工が造った建築模型を紹介。館内には工匠のかくし技とも言うべき継手・仕口を多数展示。「宮大工に聞く」(棟梁松本高広)のコーナーも設けられている。
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♣ 間瀬大工の資料館-越後・間瀬宮大工資料館 –
所在地:新潟県西蒲区新谷地区
HP: https://blog.goo.ne.jp/jinnsoinn/e/ddb43273f156de215d9a71dfa02f7cd3


→ 新潟県西蒲区間瀬の地元宮大工が伝統の技を後世に伝えるため設立した資料館(現在未だ仮建物)。地域の大工が使っていた大工道具、下図や設計図を展示している。間瀬大工の棟梁家として篠原、石塚、田中、赤川などがあり、江戸時代、北信濃の多くの寺社は、これら宮大工によって建設されたといわれる。間瀬大工が関わった寺社としては、野沢温泉の健命寺本堂、佐久市の蕃松院本堂、長野市の寛慶寺本堂などがあげられるという。現在、間瀬宮大工保存会があり、北信濃寺社彫刻と宮彫刻はよく知られる。



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♣ 金剛組資料館施設(宮大工の 関西・関東加工センター展示場)
所在地:大阪市天王寺区四天王寺1丁目14番29号(本社) 電話 06-6779-7731
・関西加工センター:大阪府堺市美原区木材通2-4-19
・関東加工センター:埼玉県鶴ヶ島市脚折町1-41-7
HP: https://www.kongogumi.co.jp/index.html


→ 金剛組は1400年の歴史を持つ世界最古の建築会社。この会社(組)の長く培ってきた技術や歴史について紹介しているのが関西・関東の加工センター展示場施設。宮大工の匠達が紡ぐ継手模型や金剛組独自の木造耐震技術などを幅広く紹介展示している。展示場のある加工センター内では日々専属宮大工達が腕をふるっており、金剛組の建築で使用される全ての材木をここで仕上げ、現場に運び込まれているという。また、金剛組では日頃見ることの無い宮大工の匠の技を間近で見ることのできる見学会も催している。




展示場の展示としては、建築された山門の木組模型の一部、木組みの例示、山門の木組み模型、金剛組の系図が書かれた巻物、19世紀再建の四天王寺金堂の立面計画図、大工道具などがあるという。



<金剛組とは>


産経新聞記事 2018/7/10

金剛組は長い歴史を持つ日本有数の宮大工集団からなる建築業者。飛鳥時代の578年に創業した世界でも最古の企業といわれる。聖徳太子が日本最初の仏教寺院である四天王寺建立するため、百済より招いた宮大工の一人金剛重光により創業された。以来、江戸時代に至るまで四天王寺お抱えの宮大工組となっている。この四天王寺は16世紀以降七度にわたり戦乱と火災で消失しているが、そのたびに歴代の金剛組が再興に取り組んでいる。大坂城建設にも携わったとされる。また、明治以降では、1934年、室戸台風で四天王寺五重塔が倒壊した際には、金剛組第38代棟梁の手で再建を果たしている。四天王寺を築いてきた金剛組の「組み上げ工法」は、現代にも引き継がれているとされ、神社仏閣建築の設計・施工、城郭や文化財建造物の復元や修理等を多数手がけている。




金剛組の宮大工は、先人の「匠」に学ぶというのが哲学とされ、何百年も変わらない建造物を作り修復してきた先人の技法に学び、さらなる高度な技術を目指していくのが金剛組の使命として日々活動を続けている。


なお、金剛組には専属の宮大工によって結成する「匠会」という職人集団を形成している。ここでは、金剛組が、1400年余りの間、弟子から弟子へと伝えてきた技を、さらに次の世代に伝えること、たがいに教えあい、学びあって、ともに若い大工を育成、宮大工としての一体感を高めていくとしている。(図参照)
なお、この金剛組は、創業から1955年の法人化を挟んで2005年まで金剛一族が経営してきたが、現在は髙松建設の子会社(現在は孫会社)へ移行している。
・参照:金剛組 | 西暦578年創業 世界最古の企業https://kongogumi.co.jp/topics/20200427_01.html
・参照:現存する世界最古の会社《金剛組》創業1445年の歩み【前編】(Discover Japan)| https://discoverjapan-web.com/article/112294
・参照:【大工集団「金剛組」百済から来日、四天王寺建設 法隆寺宝物館-9】 | 住宅ジャーナリスト・三木奎吾の 住宅探訪記|住宅雑誌Replanhttp://kochihen.replan.ne.jp/?p=40874
・参照:金剛組 – Wikipedia
・参照:創建1400年超の最古の建築会社「金剛組」の知恵と技術の承継 | 住まいの本当と今を伝える情報サイト【LIFULL HOME’S PRESS】https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_00785/
https://we-love-osaka.jp/kongogumi/
・参照:一般社団法人・宮大工養成塾(宮大工の匠の技)https://miyadaiku-yoseijyuku.com/blog/archives/874
・参照:飛鳥時代創業・金剛組(2)「命がけで」四天王寺五重塔再建https://www.sankei.com/article/20180710-FKOCL5PJABO73OEUDSGIIIURHE/
・参照:金剛組 日本の巧み匠 宮大工のカンナがけ(youtube)https://www.youtube.com/watch?v=c28-hNOFLiw&ab_channel=JAPANSTUDY%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%A0%94%E7%A9%B6
・参照:飛鳥時代創業・金剛組(2)「命がけで」四天王寺五重塔再建https://www.sankei.com/article/20180710-FKOCL5PJABO73OEUDSGIIIURHE/
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♣ 木彫刻美術館・井波―宮大工の鑿―
所在地:富山県南砺市井波地域
HP: https://www.japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story059/


→ 宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館。「木彫刻美術館・井波」は、彫刻作品や独自の文化の息づく瑞泉寺門前町を中心にした旧井波町地域全体を一つの美術館としたもの。2018年に日本遺産に認定された。タイトルの一部である「宮大工の鑿一丁」は、前川三四郎氏が彫刻技術を教えた井波の宮大工の鑿のことをさす。通りには至るところに七福神や十二支などの木彫刻が飾られ、まちはさながらに木彫刻の美術館となっている。瑞泉寺の“雲水一疋龍”彫刻、町屋の彫刻欄間、井波町物産展示館(旧井波駅舎)など多数。
・参照:宮大工の鑿一丁から生まれた木彫刻美術館・井波|日本遺産ポータルサイト
・参照:宮大工の鑿本編 – YouTubeショートムービー本編
・参照:井波日本遺産https://inamijapan.com/
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♣ 工匠壱番館・弐番館
HP: https://www.jalan.net/kankou/spt_13108cc3290033122/
所在地:東京都江東区森下3-12-17森下文化センター2階 Tel. 03-3647-9819URL https://www.city.koto.lg.jp/103020/shisetsuannai/kokyo/kinenkan/16764.html


→ 木工加工の道具などが展示の中心にして職人の技と歴史を感じることができる。江東区には町工場や職人技は現在のも脈々とうけつがれおり、作品展示だけでなく工匠を紹介するコーナーが設けられている。
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(木の文化博物館紹介 了)