日本の自動博物館 ークルマの技術と歴史ー(博物館紹介)

ー日本の主力産業 自動車産業の技術発展と歴史のダイナミズムを映す資料館探訪ー 

 このセクションでは、日本で最もポピュラーな自動車・二輪車についての産業博物館を紹介。主要な自動車メーカーの運営する企業博物館と私設・公設を含めて各地方で開設されている自動車博物博物館をレビューしている。いずれも日本の自動車産業の歴史や現状を見るには欠かせない博物資料館となっている。

(自動車メーカーの博物館)

♣   トヨタ博物館

所在地:愛知県長久手市横道 41-100
HP: https://toyota-automobile-museum.jp/

トヨタ博物館外観

 → 世界と日本の自動車とクルマ文化の歴史をご紹介する博物館。トヨタ自動車創立 50 周年記念事業のひとつとして 1989 年に設立された。日本の自動車展示では最大規模を誇っている。「クルマ館」では 19 世紀末のガソリン自動車誕生から現代までの自動車の歴史を日米欧の代表的な車両約 150 台が一望できる。「乗用車」を軸に体系的に展示構成されており、ほとんど全ての車両は走行可能な「動態保存」となっておいる。また、「クルマ文化資料室」では「移動は文化」をテーマに、ポスターや自動車玩具、カーマスコットなど自動車にまつわる文化資料の約 4000 点を展示している。現在の展示車両はトヨタ博物館 車両データベース 展示中で確認できる。

館内の自動車展示
クラシックカー等の展示


 珍しい歴史的な自動車展示では、ベンツ ヴェロ(1894)、パナール エ ルヴァッソール 6HP ワゴネット(1898 年)、キャデラック モデル サーティ(1912)、フォード モデル A (1928)、日本車では、ダットサン 11 型 フェートン(1932)、トヨダ AA型乗用車(1936)、日本ダイハツ・ミゼット MP5 型などが見られる。車好きにとっては見逃せない自動車博物館であろう。

ベンツ ヴェロ(1894)
キャデラック モデル サーティ(1912)
フォード モデル A (1928)
ダットサン 11型 フェートン(1932)
ダイハツ オート三輪 SA-6型(1937)
トヨダ AA型乗用車 (1936)

・参照:世界のトヨタはやっぱり規模が違う! AUTO MESSE WEB(オートメッセウェブ)https://www.automesseweb.jp/2020/12/30/557532#/16
・参照:トヨタ博物館 – Wikipedia

♣ 富士モータースポーツミュージアム

所在地:静岡県駿東郡小山町大御神 Tel. 0550-878-2480
HP: https://fuji-motorsports-museum.jp/

ミュージアム外観

 → 富士スピードウェイ隣接地に開館されたモータースポーツミュージアム。国内外自動車メーカー10 社の連携による常設展示場となっている。モータースポーツの始まりは、19 世紀末、フランスで開催された自動車レースで、蒸気、電気、ガソリンエンジンと動力源の異なる車輛が競い合うことで、技術的優位性を証明しようとするものであった。その後、モータースポーツは、クルマの性能や耐久性の極限を求めることで、夢や憧れを時代にもたらしてきたといわれる。また、その自動車技術が量産車開発に反映され、モビリティの進化に貢献したとも評価されている。このミュージアムは「クルマづくり」にモータースポーツが果たした役割という視点でその系譜を開設している、最高峰レースに出場した伝説の車両や日本初公開の車両が含まれる約 40 台が体系的展示されているほか、メーカーの創業者がモータースポーツ車両開発にかけた想いも盛り込んだ 130 年間のレースの歴史をご紹介している。

展示場内部
展示車
展示車

・参照:富士モータースポーツミュージアム – Wikipedia

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♣ トヨタ産業技術記念館 自動車館    

所在地:名古屋市西区則武新町4丁目1番35号
HP: https://www.tcmit.org/
HP:  https://www.tcmit.org/research/car 

 トヨタ産業技術記念館

→ トヨタの自動車づくりをさまざまな角度から紹介しているのが、この自動車館。延べ7,900平方メートルの大きな会場に、自動車工場がまるごと入ったような感じで展示がなされている。「自動車事業創業期」「時代を見据えた車両開発」「開発技術」「生産技術」「豊田喜一郎とは?」と5つのゾーンから構成されている。特に、創業時の逸話とともに、自動車の構造、開発技術の推移、生産技術進化などを、代表的車種の展示、生産設備の動態展示を交えて紹介がなされており、トヨタの歴史と技術体系を知る上で貴重な施設であると同時に、日本の機械産業の技術発展を見る上でも充実した企業博物館となっている。

展示場内部
カットモデル車
ボディの組立

 展示は、国産自動車生産を志した頃の歴史コーナー「創業期の豊田喜一郎と初期トヨタの挑戦」、車体や構成部品開発の進化とその変遷を示す「車両開発」コーナー、これまでの自動車関連技術の「開発に向けた体制の取り組みと進化」を紹介するコーナー、トヨタの「生産技術の進化と変遷」を示す「生産技術」のコーナー、「トヨタ生産システム」の解説などとなっている。また、映像やボタン操作で動く本物の機械とカットモデルも多いので、動きを確認したり、音で実感を深めることができるなど体験コーナーも用意されており充実した内容となっている。また、このトヨタ産業技術館については、詳細なホームページ、VTRも多数言語で提供されているので訪問に先立って閲覧しておくことで、より深い科学館の内容が理解できるだろう。

・See(自動車事業創業期展示)https://www.tcmit.org/research/car/car01
・See(時代を見据えた車両開発の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car02
・See(開発技術の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car03
・See(生産技術の展示)https://www.tcmit.org/research/car/car05
・See(豊田喜一郎とは?展示)https://www.tcmit.org/research/car/car07

・参照:https://igsforum.com/visit-toyota-industrial-museum-2-automobile-pavilion-j/

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♣ トヨタ鞍ヶ池記念館   

所在地:愛知県豊田市池田町南250番地
HP: https://www.toyota.co.jp/jp/about_toyota/facility/kuragaike/

豊田喜一郎
旧豊田喜一郎邸

 → トヨタ車生産台数累計1000万台の達成を記念して1974年に開館した博物館。主な施設としてトヨタ創業展示室、鞍ヶ池アートサロン、旧豊田喜一郎邸などがある。このうち、「トヨタ創業展示室」では、トヨタ創業期の年表や写真の展示、織機やトヨペットクラウン(RS型)、トヨダ・AA型乗用車などの車両展示、1/5車両模型の展示、創業期の特徴的なシーンを再現したジオラマや挙母工場のジオラマが展示されている。「鞍ヶ池アートサロン」はトヨタ自動車所有の絵画などを企画展示する施設、「旧豊田喜一郎邸」は、1933年(昭和8年)に名古屋市南山に建築されたトヨタ創業者豊田喜一郎の別邸を移築修復したものとなっている。

・参照:トヨタ鞍ヶ池記念館 – Wikipedia

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♣   日産エンジン博物館     

神奈川県横浜市神奈川区宝町 Tel. 045-461-7304

HP: https://drive.nissan.co.jp/SPOT/detail.php?spot_id=31708
HP: https://www.nissan-global.com/JP/PLANT/TOUR/VISIT/YOKOHAMA/ (工場見学) 

横浜工場ミュージアムの建物

 → 日産エンジンミュージアムは、自動車の心臓部にあたるエンジンにスポットをあてて日産の技術開発の足跡を紹介している施設。2003年の日産横浜工場のゲストホールオープン時に開設された。日産およびその発祥の地である横浜工場の歴史や日産の環境技術などの展示をはじめ、クルマの仕組みやエンジンの役割を模型や映像を用いて解説展示。また、量産車用からレースカー用のエンジンまで、日産のエンジン開発の歴史上重要な役割を担った歴代のエンジン実機を厳選して展示している。 
 また、日産横浜工場では見学コースも用意しており、最新型エンジンの組立ラインをみることができる。(See: 日産横浜工場 工場見学ツアー

ミュウジアムの内部
最新のエンジン展示

<参考>

日本の自動車産業の黎明を伝える日産自動車の前史と戦後の隆盛期

橋本増治郎
鮎川義介
快進社の工場

 → 日産自動車自体の創立は1930年代だが、日本の自動車産業の出発点は、1907年に山羽虎夫が東京自動車製作所で「タクリー号」を生産したことといわれる。また、1911年に橋本増治郎が「快進社」を設立してイギリスから車体を輸入して組み立てた「スイフト号」を生産、1914年には「ダット一号」を生産している。これが日産設立の母体一つとなっていく。しかし、当時の日本車の生産・技術能力は乏しく、1930年代からフォード、GMが日本に進出し市場を独占する形であった。

タクリー号(1907)とダット1号車(1914)

こういった中、鮎川義介が、改進社から変わった「ダット自動車製造」を買収して「ダットサン自動車商会」が成立(1932)、そして、同社が石川島自動車製作所と合併、「自動車製造株式会社」となり、後の1934年に「日産自動車株式会社」として正式に創業することとなった。このとき主要車両工場として建設されたのが日産「横浜工場」(1935)である。(中略)

日産の戦後日産自動車生産
ダットサンセダン(110型)

 戦後になると、朝鮮特需の恩恵も受けて自動車業界も急速に復活、設備の更新と近代化を目指していく。そして、1950年代、政府は日本の自動車技術を向上させる目的で欧米との技術導入を推奨、これを受け日産はオースチン社と技術提携(いすゞはヒルマン社、日野はルノー社、トヨタは独自路線)をはかり設備整備と技術革新、規模拡大を目指す。日産は、また、1960年に商用車メーカー「民生ディゼル社」を吸収、1966年には乗用車の主力メーカー「プリンス自動車」と合併して現在の日産自動車となっている。この間、自動車業界全体としてもアメリカ式の品質管理、科学的管理法を導入し大幅な質的向上を果たしたことが伝えられている。日産は、1961年、本格的な乗用車生産工場「日産追浜工場」を設立、名車といわれたブルーバード(1962-)、サニー(1973-)、高級車セドリック(1987-)などの乗用車を次々と生産していく。また、スポーツカー「フェアレディ」なども生み出し技術の確かさを実証している。

博物館に展示された日産の社歴

 ミュージアムの展示では、この発展期における日産の生産体制の強化と技術開発の経過をつぶさに紹介しており、日本における自動車産業の隆盛の一端を伝えている。
 しかし、一方で、1980年代末頃からのバブルの崩壊と販売戦略の失敗などにより経営の危機が到来、1990年代にはルノーとの資本提携を迫られ、ルノーのゴーン社長の手で大幅なリストラ政策が実施されることとなる(「日産サバイバル・プラン」)。これにより従来の自動車生産体制は大幅な縮減となったが、財務そのものは改善して企業再生の芽は残された形となった。 2000年代には、経営の改善を受けEV車技術開発に注力しつつ現在に至っている。

・参照:https://igsforum.com/2019-11-26-visit-nissans-engine-museum-in-yokohama-j/より

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♣   日産ヘリテージコレクション   

神奈川県座間市 日産自動車座間事業所内
HP:  https://www2.nissan.co.jp/HERITAGE/

 「日産ヘリテージコレクション」は、1930年代から2010年代までの日産の名車や旧車、記念車を保管している記念保管施設で見学もできる。これらは日産の歴史を物語る貴重なコレクションであり、日産座間事業所内に置かれている。歴代の日産車をはじめ、各時代のコンセプトカーやレーシングカーなどがほぼ実働状態で保管されているのが特色。自社イベントでの走行・展示に限らず、モーターショーやヒストリックカーミーティングをはじめ、販社の新型車発表・試乗会などに貸し出されているという。展示車両については、展示車両一覧(https://www2.nissan.co.jp/HERITAGE/SEARCH/)で年代別に見ることができる。

展示車両の例 (1930年代)


See: 日産: NISSAN HERITAGE COLLECTION|展示車種一覧

・参照:日産自動車座間工場 – Wikipedia

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♣ ホンダコレクションホール   

所在地:栃木県芳賀郡茂木町桧山 120-1
HP: https://www.mr-motegi.jp/collection-hall/

ホンダコレクションホール   

 → 「ホンダ・コレクションホール」は、“ホンダモビリティランド”が運営する4輪自動車および2輪車(オートバイ等)に関する博物館。「ツインリンクもてぎ」(現・モビリティリゾートもてぎ)の開設に伴って、1997年に鈴鹿サーキットより移転された施設。創業期から現代に至るまで、厳選された製品や活動の歴史をご自身のスマートフォンとイヤホンで追体験できる。展示された実物車両のほとんどが動態保存となっている。このため定期的にサーキットの南コースなどで動作確認を兼ねた走行も行っているほか、レースイベントなどの際にはレースコースを走行することもあるという。展示車両についてはコレクションサーチhttps://apps.mobilityland.co.jp/hch/search)で確認できる。

・参照 2024年3月から「ホンダコレクションホール」がリニューアル、https://mc-web.jp/life/136118/
・参照:ホンダコレクションホール – Wikipedia

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♣ 本田宗一郎ものづくり伝承館   

静岡県浜松市天竜区二俣町二俣 1112   Tel. 053-477-4664
HP: https://honda-densyokan.com/

本田宗一郎ものづくり伝承館

 → 「本田宗一郎の生き方を伝える伝承館。ここでは、本田宗一郎の生き方やものづくりの歴史がわかる年譜や写真、初期のバイクなどでわかりやすく展示している。例えば、宗一郎の少年時代から自動車製作に関わるまでの歩み、エンジニアとしての生き方、名言やエピソードなどがパネル展示で紹介されている。本田宗一郎に関する展示のほかに図書スペースなども用意されている。「ものづくり」に関連した数多くのエピソードや名言などの展示など示唆に富む内容が多い。

館内の展示スペース
伝承館展示物

・参考:本田宗一郎 – Wikipedia
・参考:本田技研工業 75年史 | ヒストリー | Honda 企業情報サイトhttps://global.honda/jp/guide/history-digest/75years-history/

<参考> 

○ 本田技研工業50年史(ヒストリー チャレンジの軌跡)https://global.honda/jp/guide/history-digest/

本田と藤沢

夢と情熱を胸に果敢な挑戦を重ねていく!従業員34人、資本金100万円。浜松の小さな町工場からのスタートであった。描いた夢に向かって情熱のまま駆け抜けた。また事業は本田と藤沢の努力で、カブ号F型などの発売を機に発展、独自の販売網と優れた二輪製品で急成長。ホンダはスーパーカブC100の日米ヒットやマン島TTレース出場を経て、二輪業界で確固たる地位を手にする。

四輪T360

・四輪市場への進出。二輪車の舞台は世界へ! 好調な景気を背景に、モータリゼーションへの関心と期待が高まる日本。四輪市場への進出に向けて体制づくりを進めていたホンダは、1963年ついに初の軽四輪トラックT360を発表。四輪メーカーとしてのスタートをきった。一方で二輪車は、より大きな市場での可能性を求め世界に向けた挑戦を始めていく。

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♣ マツダミュージアム   

広島県安芸郡府中町新地3-1
HP: https://www.mazda.com/ja/experience/museum/

マツダダミュージアムのビル

 → 大手自動車メーカーの一つマツダが自動車製作の思いを伝えようと1994年に設立した自動車技術博物館。博物館の展示物は、1931年、マツダが『東洋工業』の社名で最初に製造したオート三輪、「マツダ号」から歴代の製造車種、コンセプトカーや1991年のル・マン24時間レースで優勝した787Bなど時代沿って多くのマツダ車が勢揃いして陳列されている。また、歴代のロータリーエンジン、組み立て前のパーツ、クレイモデルや自動車の出来る過程が分かる展示物もあり見応えがある。
  展示内容をみると10のゾーンに分かれていて、ゾーン1は創業者松田重次郎とマツダ創業に関わる展示、ゾーン2〜3、4〜7では1960年代から 90年代にかけて時代別に区分した各種マツダ自動車の展示があり、自動車づくりの背景技術の進化が示されている。中でもゾーン4は「企業と技術の威信をかけた世界への挑戦」と題し、ロータリーエンジンやスポーツカーが展示されていて目を引く。ゾーン8は安全と環境がテーマ、ゾーン9はマツダの生産ラインの見学コース、最後のゾーン10では、創立100年を迎えるマツダの将来像が語られるといった展示構成になっている。

マツダ号三輪トラックGA型 (1938) 
各種車種の展示
マツダ787B
ロータリーエンジン展示

・参照:リニューアル1周年 マツダミュージアムってどんなところ?(マツダのある暮らし)https://www.mazda.co.jp/experience/life-with-mazda/11/
・参照:「車の知識ゼロでも楽しめる!広島県にあるマツダミュージアム 」 京都産業大学https://www.kyoto-su.ac.jp/about/koho/sagi/2023/09_03_sagi.html
・参照:マツダミュージアム – Wikipedia
・参考:マツダ – Wikipedia

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♣ 三菱オートギャラリー  (三菱自動車工業)

所在地:愛知県岡崎市橋目町字中新切1      Tel. 0564-32-5203
HP: https://www.mitsubishi-motors.com/jp/sustainability/society/contribution/factory/autogallery.html

 → 三菱オートギャラリーは、1917年に三菱神戸造船所で作られた三菱A型に始まり、現在に至るまで生産された数々の自動車を紹介する自動車博物館。三菱の自動車のはじまりを告げた“三菱A型”のほか、戦後から高度成長期にかけての多様な三菱自動車の車、世界ラリー選手権、パリ・ダカールラリーなどに参戦して大きな成果を上げてきたモータースポーツの歴史を彩った車たちを展示している。展示車両では、乗用車では、A型のほか三菱コルト600、三菱デボネア、三菱ギャラン、三菱パジェロ、三菱レオ、モータースポーツ車では三菱ランサー2000ターボラリーなどが見られる。 → 三菱オートギャラリーは、1917年に三菱神戸造船所で作られた三菱A型に始まり、現在に至るまで生産された数々の自動車を紹介する自動車博物館。三菱の自動車のはじまりを告げた“三菱A型”のほか、戦後から高度成長期にかけての多様な三菱自動車の車、世界ラリー選手権、パリ・ダカールラリーなどに参戦して大きな成果を上げてきたモータースポーツの歴史を彩った車たちを展示している。展示車両では、乗用車では、A型のほか三菱コルト600、三菱デボネア、三菱ギャラン、三菱パジェロ、三菱レオ、モータースポーツ車では三菱ランサー2000ターボラリーなどが見られる。

会場の展示車
三菱500コルト
三菱デボネア
ランサー2000
三菱のジープ (1953)

 ちなみに三菱自動車工業は、三菱造船神戸造船所で乗用車製作を開始したのを契機に、1920年、三菱内燃機株式会社を設立、1948年に元航空機工場であった名古屋工場で、保有するプレス設備を活かし、国内他自動車メーカーの乗用車ボディ請負生産を開始。1953年、 ジープのCKD生産を開始し1959年には 軽3輪トラックの「レオ」を発売している。その後、戦後初の自社開発小型車、三菱500(後の改良でコルト600に改称)を発売、1970年には三菱重工業とクライスラーが合弁事業に関する契約締結、三菱自動車工業として独立し現在に至っている。古くからモータースポーツ事業にも力を注ぎ、ラリーの活動が最も目立っているようだ。

・参照:三菱オートギャラリー – Wikipedia
・参照:三菱自動車工業 – Wikipedia

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♣ スバルビジターセンター  

群馬県太田市庄屋町1 0276-48-2701
HP:   https://subaru-factory.resv.jp/ 

スバルビジターセンター

→ 2003年(平成15年)7月15日、富士重工業(現SUBARU)の創立50周年を記念し、 2003年に同矢島工場に開館した自動車博物館。スバル・360、1000、1500をはじめとした自動車、エンジンなどが数多く展示されているほか、オートバイ(スクーター)のラビットスクーターの実車なども展示されている。また、前身の中島飛行機が製造した四式戦闘機「疾風」や九〇式艦上戦闘機三型の模型も展示されていて同社の歴史を感じさせてくれる。工場見学も可能で、専任の案内係がご案内してくれる。

センターの展示車
SUBARU360 (1958)
SUBARU1000

中島 知久平
中島飛行機

 ちなみに、スバルを生み出したのは富士重工(株)であるが、この前身は「中島飛行機」。1917年。若きエンジニア中島知久平が、民間の力で航空機産業を育成したいと大志を抱き『飛行機研究所』を設立したのがはじまり。日本の航空機開発のパイオニアとして時代を拓いた航空機メーカーのDNAが、世紀を越えて戦後の自動車産業の中で今のSUBARUのクルマづくりへと結びついているという。なお、富士重工業初代社長の北謙治が、旧・中島飛行機系企業5社とそれらの合同で成立した富士重工業を昴星(プレアデス星団)の六連星になぞらえて「スバル」と命名したと伝えられる。詳しい歴史については、https://www.subaru.jp/brand/technology/history/参照のこと。

・参照:全国の自動車博物館 | クルマ情報サイトーGAZOO・スバルビジターセンター.https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/museum/13/08/26_4/com
・参照:ヒストリー | SUBARUのクルマづくり | SUBARU https://www.subaru.jp/brand/technology/history/

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♣ スズキ歴史館   

所在地:静岡県浜松市中央区増楽町 1301   Tel. 053-440-2020
HP: https://suzuki-rekishikan.jp/

スズキ歴史館 

 → 日本国内のみならずアジアでも二輪車、軽自動車部門で存在感を増しているスズキ自動車の発展と事業展開を軸に詳細に紹介しているのがこの「スズキ歴史館」である。2009年に誕生したこの歴史館には、スズキが、明治期に織機機械製作として創業して以来、戦後、二輪車部門に転換して発展し、軽自動車部門にも進出して世界的なメーカーに進化していった軌跡が集約されて展示されている。日本の二輪車産業、自動車産業、ひいては機械産業の発展をみる上でも興味深い企業博物館の一つといえるだろう。
 展示コーナーでは、創業時(1909年)の織機、戦後の復興期、織機産業で培った技術をもとに自動車産業へと進出していく様子、高度経済成長期、マイカー時代の訪れとともに多様な需要に応えて生み出された多種多様な二輪・四輪車が豊富に展示されている。

創業の源となった機織機
鈴木道雄像とバイクの展示
自動車開発を伝える展示
創業者 鈴木道雄

 詳しく見ると、織機メーカーとしての創業と発展を示すコーナー(創意)では、創業者鈴木道雄が考案した「足踏み式織機」、「A⽚側4梃杼織機」の展示、“二輪車への事業転換と発展・進化”(開拓・勤勉1946~1963)では、モーターバイク「パワーフリー号」(1951年)、本格的オートバイ製作となった「コレダ号90cc」(1954)などの展示があり、“軽自動車製作メーカーへの道コーナー”(実行・1964~)では、1970年の「スズキジムニ」、1979年の「アルト」、1983年の「カルタス」、1991年の軽スポーツカー「カプチーノ」などがみられる。最近の、“新しい四輪車の開発”として示されるのは、1987年の「フロンテ」、1987年の「カルタス」や三代目アルト(1990)、MRワゴン(2001)、スイフト(2004)などの多様な機種である。このように歴史館の展示は、スズキ成長のみならず、日本の自動車産業の一つの流れを表すものとなっている。

歴史館の展示
パワーフリー号
最近スズキバイク
フロンテ360
スズキ アルト

・参考:https://igsforum.com/visit-suzuki-history-museum-in-hamamatsu-j/(浜松の「スズキ歴史館」を訪ねる)
・参考:スズキ歴史館(クルマ情報サイトーGAZOO.com)https://gazoo.com/feature/gazoo-museum/car-history/14/10/24_2/

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♣ ヒューモビリティワールド(ダイハツ史料展示館)       

所在地:大阪府池田市ダイハツ町 1 番 1 号             TEL.072-754-3048
HP:  https://www.daihatsu.com/jp/facilities/hw/

ヒューモビリティワールド

 → ダイハツの運営する自動車のミュージアム。ダイハツの100年以上のクルマづくりの歴史を紹介すると共に、昭和初期のダイハツ製産業用エンジンや三輪自動車、各時代に製作されたダイハツの軽自動車などを実物で紹介し、さまざまな展示物を通してクルマの仕組みや原理についてやさしく解説している。展示ではテーマに沿った展示コーナーを用意、ダイハツの原点である発動機の紹介、走る・曲がる・止まるというクルマの基本原理、安全の仕組み、軽自動車に必須のコンパクト化の技術などが体験的に学べる仕組みとなっている。

展示風景①
展示風景②
ダイハツ自動車の展示
6馬力吸入ガス発動機

 ちなみに、ダイハツのルーツをみると、1907年に大阪高等工業学校(現・大阪大学工学部)関係者が中心となり、内燃機関の国産化を目指し「発動機製造株式会社」として創業したのがはじまり。同年に日本で最初の国産エンジンである「6馬力 吸入ガス発動機」を発明している。

ダイハツミゼット
小型三輪自動車「ダイハツ号」

 1930年に自社エンジンによる三輪自動車「HA型ダイハツ号」の製造を開始して輸送用機器事業に進出、エンジンメーカーから自動車メーカーに移行した。1949年に株式を上場、1951年に「ダイハツ工業株式会社」に改称している。現在の社名は、大阪の「大」と発動機の「発」をとって「ダイハツ」と略称したことに由来するという。その後、1967年の業務提携によりトヨタグループの一員となり、軽自動車を中心とするコンパクトカーに特化して事業を拡大した。2017年にはトヨタと「新興国小型車カンパニー」(社内カンパニー)を発足させ、ダイハツ工業が主体となって新興国での商品開発を行う形での両ブランドの小型車戦略が進めている。

・参照:ヒューモビリティワールド – Wikipedia
・参照:ダイハツの歴史|ダイハツ販売会社https://ddgroup.daihatsu.co.jp/brand/history.html
・参照:ダイハツ工業 – Wikipedia
・参照:Humobility World( 観光スポット・体験 ・ OSAKA-INFO )https://osaka-info.jp/spot/humobility-world/

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♣ いすゞプラザ

所在地:神奈川県藤沢市土棚8
HP: https://www.isuzu.co.jp/plaza/index.html

いすゞプラザ外観

 → いすゞプラザは、いすゞが生産してきた新旧のトラックやバスの実車を技術解説と共に展示する自動車博物館。いすゞ自動車の歴史、歴代のエンジン、トラックなど商用車の製作過程も紹介されている。展示では、いすゞの歴史解説からはじまり、いすゞが開発した歴代のディーゼルエンジン、製作してきたバストラックの各種モデル、また、トラックの構造や仕組みの解説、図式された製作過程の例示などを詳しく行っている。また、ミニチュアモデルによるトラック製作の再現がなされているのも特色。これらの中で特徴的なのは、古い歴史的なトラックや各種車両が、現在も稼働可能な状態で保全・陳列していることである。また、トラックやバスが現代社会の中でどのように活躍しているかを再現する大型の動くジオラマも魅力一つであろう。

メイン展示場
いすゞトラック展示
大型の動くジオラマ

<いすゞの創業の歴史と発展の姿>

平野富二
ウーズレーA4型国産第一号車

 いすゞ自動車の創立は1916年(大正5年)となっているが、その源流は、江戸幕府が設立し明治政府の手に移された横須賀造船所の機械製作部門である。明治のはじめ、この造船所を平野富二が買い取り、石川島造船所(現在のIHI)を創立したことが今日のいすゞを生むきっかけになった。その後、同社は、社内に「自動車部」、そして、独立して石川島自動車製造所を設立した1920年代に英国ウーズレー提携して自動車生産を 開始する。ちなみに石川島造船時代に生産された「ウーズレーA4型国産第一号車」がメインロビーに現物展示されている。また、歴史コーナーには1929年生産の「スミダM型バス」の現物複製もみられ、当時の自動車生産の姿をうかがうことがけきる。

スミダM型バス
TX40型トラック
いすゞベレル

 一方、いすゞが独自で国産トラックを生産したのは1938年の「TX40型トラック」、これに先立って、同社はディーゼルエンジンを開発しトラック製造に使用したことが知られている。このようにして、日本でのディーゼルエンジンの先駆者となったいすゞは、1941年には、「ディーゼル自動車工業」と名を変えて各種の自動車生産に乗り出している。戦後になると、同社は「いすゞ自動車(株)」となり、大型ディーゼル車両のトラック、バス生産を積極化するとともに、乗用車生産も手がけるようになる。このとき生産された乗用車が館内に展示されている(「いすゞベレル」、1960年代のディーゼルエンジン乗用車)。しかし、その後、1980年代には乗用車生産は中止、トラック、バスの生産に特化し商用車専業メーカーとして活躍し今日に至っている。これがいすゞプラザに展示されたいすゞ自動車の誕生と発展の系譜で、日本の自動車生産の一局面を記しており誠に興味深い。

・参照:いすゞ自動車の博物館「いすゞプラザ」訪問https://igsforum.com/isuzu-plaza-visit-j/ +++

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♣ 日野オートプラザ(日野自動車 21世紀センター)

所在地:東京都八王子市みなみ野5丁目28番5号 Tel. 042-637-6600
HP: https://www.hino.co.jp/corp/autoplaza/

日野オートプラザ

 → 日野オートプラザは、日野自動車を中心として日本のトラックとバスの歴史を語る実物展示の博物館として設立された。 ここでは日野の100年の歴史を振り返りつつ、歴代の製作エンジン、トラック、バス、近年の商業車への取り組みなど、日野自動車の発展史が詳しく紹介している。館内には、時代ごとの日野のトラック、バス、乗用車の実物、縮尺の模型とジオラマ、自動車開発の歴史や技術を示す写真・映像が順序立てて展示されている。とりわけ館内に設置された回廊式フロアにある壁面パネルの社史展示コーナーは見事である。

プラザ内の展示
トラックTGE-A(1917)
ボンネットバス(1950)

 また、広い展示ホールには、日本初のトラックTGE-A(1917製作)、自社開発の航空機、ボンネット型のバス、乗用車コンテッサ、自働三輪車ハスラー、ダカールラリーの優勝車などが数多く展示されており、日野が多方面で活躍していたことが示されている。また、日野の技術を代表するものとして歴代エンジンの展示も目を引く内容。中には、1930年代の黎明期の航空機エンジンも展示されている。さらに、館内には社史資料室が設置されており、日野が、明治初期にガス灯器具メーカーとして創業し、後に自動車分野に進出して発展した経過も記されていて興味深い。 日本の自動車産業発展の側面史をみる上でも貴重な博物館といえよう。

日野の乗用車コンテッサ
日野の軽量バン
日野の重量トラック
日野の航空機エンジン「天風」(1930)

・参照:https://igsforum.com/visit-truck-and-bus-museum-of-hino-auto-plaza-j/
・参照:日野オートプラザ – Wikipedia

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(二輪車の博物館)

 日本の二輪車(バイク)の有力メーカーとしては、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキがあり、四大メーカーと呼ばれている。これらの4社の販売台数を合わせた世界市場シェアは約5割に上るとされる。これら企業の自動車・二輪関係博物館のうちホンダ、スズキのものは既に上記に掲げてあるので、ここではヤマハ、カワサキの二輪車分野の博物館のみを取り上げ紹介している。

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♣ ヤマハ・コミュニケーションプラザ(ヤマハ発動機)    

所在地:静岡県磐田市新貝 2500
HP: https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/
・コミュニケーションプラザ・バーチャル体験見学https://my.matterport.com/show/?m=kUJtEEuTD8a

ヤマハコミュニケーションプラザ

→ ヤマハ発動機製品を紹介する企業ミュージアム。ヤマハ発動機は、1955年に日本楽器製造から分離されるかたちで、オートバイ製造販売業としてスタートした企業。同企業は、ボートや船外機などのマリン製品、発電機、産業用ロボット製品など広いに部門で活躍しているが、モーターバイク生産も重要な生産分野である。このコミュニケーションプラザでは、まず、創業黎明期の歴史コーナーの展示からはじめ、ヤマハ発動機の歴史を飾る国内外の生産車両および製品を細かく紹介。また、レース活動の歴史や競技専用車輌の実物を展示しているほか、時代別の歴史的な市販車両の展示を行っている。

展示ギャラリー
技術紹介コーナー
歴史紹介コーナー

 バイクの展示内容を見ると、浅間高原レースで優勝したレースマシンYA-1 (1955)、初の本格的スポーツ車「YDS1」(1959)、「オートマチックメイトV50A」(1973年)、V型2気筒エンジンを搭載した“アメリカン”クルーザー(1980s)などの実車が見られる。また、最近モデルのモーターバイク多数のほか、ジョーダン・グランプリ時代のF1マシン、電動アシストのヤマハ自転車モデルも展示されているのは目を引く。

<ヤマハ創業とヤマハ発動機発足の歴史と挑戦の記録>

ヤマハ発動機の技術陣
川上源一

  明治中期、山葉寅楠がオルガンを製造するメーカーとして山葉風琴製造所(1889年創業)そして、1897に「日本楽器製造株式会社」を設立した。これが後のヤマハのはじめとなり、やがてピアノの生産量で世界一となるほどの大企業に発展する。そして、大戦中飛行機のプロペラを製造に関わっていたが、終戦後の経済混乱の中で新たな道を模索することになる。ヤマハはピアノのフレームの技術を生かしてオートバイ生産に乗り出すこととした。ピアノのフレームは、弦の張力を受け止める剛性と、適度に振動させて音質を高める弾性を備える技術が必須。日本楽器(株)は、この剛性と弾性の鋳物技術を蓄えており、これをエンジンに活用できると考えたのであった。このバイク市場参入の決断をなしたのは川上源一だった。川上は、エンジン製造実績はないが技術はあるとしてオートバイのエンジン試作を決意したのである。

浅間火山レース・ライト級の表彰式 (1957)
YAMAHA125 YA-1

 戦後の1950年代、オートバイメーカーの競争は厳しいものだったが、ヤマハは楽器製造の技術を活用した高品質のバイクの製造を目指した。当初は開発に苦難の連続だったようだったが、性能とデザインにこだわった第1号機「YAMAHA125 YA-1」が1955年ついに完成する。開発モデル選定が決まってからわずか8ヶ月であったという。これを受けて、1955年、日本楽器からモーターサイクル製造部門を分離独立させるかたちで「ヤマハ発動機株式会社」が設立された。初代社長は川上であった。

  その後、数々のレースで好成績を収めることで高性能ぶりをアピールして販売台数を増加させる。翌1956年9月には2号機「YC-1」を市場に投入、1957年4月には「YD-1」を、同年11月には「YA-2」を発売した。急ピッチでオートバイの生産を進めるのと並行して、船外機の開発にも着手していている。また、オートバイ「MF-1」とスクーター「SC-1」を発売している。

・参照:ヤマハ・コミュニケーションプラザ – Wikipedia
・参照:ヤマハ発動機 – Wikipedia
・参照:ヤマハブランドの歴史(ヤマハ株式会社)https://www.yamaha.com/ja/about/history/
・参照:バイクメーカーの歴史「ヤマハ発動機の黎明期を振り返る」https://www.autoby.jp/_ct/17638192 ・参照:ストーリー – ヤマハヒストリー  https://global.yamaha-motor.com/jp/stories/history/stories/
・参考;https://igsforum.com/visit-truck-and-bus-museum-of-hino-auto-plaza-j/
・参照:ヤマハ・コミュニケーションプラザ – Wikipedia
・参照:ヤマハ発動機 – Wikipedia

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♣ カワサキワールド(川崎重工業)         

所在地:兵庫県神戸市中央区波止場町 2 番 2 号(神戸海洋博物館内)TEL : 078-327-5401
HP: https://www.khi.co.jp/kawasakiworld/

カワサキワールド全景

 → カワサキワールドは川崎重工業が2006年に神戸海洋博物館内に設置した企業博物館。展示は創業者紹介コーナー、ヒストリーコーナー、シアター、モーターサイクルギャラリー等からなる。創業者紹介コーナーでは、川崎重工の創業者である川崎正蔵と松方幸次郎を紹介、ヒストリーコーナーでは、神戸の町の歴史や川崎重工グループ(神戸川崎財閥)の歴史を含む活動を紹介している。また、カワサキの1世紀以上における企業発展の歴史や国産初の産業用ロボット、ジェットスキーの初期型モデルの実物などを展示し事業の全容を見える形で示している。このうち、「モーターサイクルギャラリー」では、歴代の二輪車マシン、レース車など数多くの実車が展示されているのが目立つ。なお、川崎重工は自動車部門だけでなく鉄道、船舶、航空部門などで幅広く活躍しており、カワサキワールドでは、陸のゾーンで新幹線の先頭車両、海のゾーンで船舶、空のゾーンで川崎バートルKV-107II型ヘリコプターなどの展示も行っている。ここでは、この節であるテーマである二輪車を軸に川崎重工業のモーターサイクル事業と展示おみを紹介する。

 

モーターサイクルギャラリー
各種バイクの展示
各種バイクの展示

<モーターサイクルギャラリーとバイク事業>

 → ギャラリーではカワサキのモーターサイクルづくりにおける哲学「RIDEOLOGY」の体験をコンセプトに車両の展示や体験コーナーを設けている。また、特定のテーマに沿った企画展も随時開催。時代の先駆者となったカワサキの歴代モデルや、レースで活躍したマシンなど、数多くの車両を展示。中には、カワサキのフラッグシップ「Ninja ZX」 や「 Ninja KR」の展示もあり、このストリップモデルやエンジンカットモデルを用意して展示しているのが注目される。

Ninja ZX-RR (2005)とKR500(1982)
ライムグリーンA7RS (1969)

 ちなみに、カワサキ(川崎重工業)のモーターサイクル事業を担っているのは、カワサキモータースで、2000年代には川崎重工業グループの売上高のうち最大の約3割を占めるようになっているという。同社は、兵庫県明石市に本社を置き、オートバイ、サイド・バイ・サイド・ビークル、全地形対応車、水上オートバイ、汎用エンジンなどを製造販売する企業で、川崎重工業の100%子会社。2021年に川崎重工業の社内カンパニーであった「モーターサイクル&エンジンカンパニー」が分離・独立して発足したもの。同社はカワサキレーシングチームとしてレース活動も行っている。

・参照:ヒストリー・株式会社カワサキモータースジャパン https://www.kawasaki-motors.com/ja-jp/about/history
・参照:カワサキモータース – Wikipedia
・参照:カワサキワールド – Wikipedia

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(各地の自動車関係博物館)

♣ 日本自動車博物館    

所在地:石川県小松市二ツ梨町一貫山40 Tel. 0761-21-8208
HP: https://www.motorcar-museum.jp/

日本自動車博物館外観

 → セメント販売業石黒産業社長(当時)の前田彰三が個人収集した自動車をもとに1978年に開設された私設の自動車博物館。本館は赤レンガ造り風の3階建てになっており、館内はメーカー、種類などに分けてわかりやすき展示されている。1901年(明治34年)から平成初年代までの国内外の車約500台の自動車が常設展示されており、バックヤードにも約200台前後保存されている。そのほとんどがエンジンのかかる状態で保存されているのが特色。この博物館にしか現存が確認されていない貴重な自動車が多数所蔵されているようだ。

博物館の紹介画像
乗用車の展示
商用車の展示

・参照:日本自動車博物館 – Wikipedia
・参考:日本一の自動車博物館!(こまつ観光ナビ – 小松市公式観光情報サイト) https://www.komatsuguide.jp/feature/detail_55.html

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♣ 九州自動車歴史館    

所在地:大分県由布市湯布院町川上
HP: http://ret.car.coocan.jp/

九州自動車歴史館

 → 「九州自動車歴史館」は、湯布院の観光エリアに位置する私設博物館で、戦前を含む昭和時代の2輪、3輪、4輪車合わせて約80台を展示している。展示車の多くが映画やテレビドラマなどに登場したモデルという特色がある。スクリーンやブラウン管を彩ったクルマたちは、自動車の歴史だけではなく、時代時代の文化も感じさせてくれる。

・参照:九州自動車歴史館 – Wikipedia
・参照:「九州自動車歴史館」はユニークな私設博物館 ( クルマ情報サイトーGAZOO.com) https://gazoo.com/column/daily/21/01/28/
・参照:九州自動車歴史館 – Wikipedia

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♣ 桐生自動車博物館    

群馬県桐生市広沢町6-850-5 Tel. 0277-52-7927
HP: http://www.maehara20th.com/

桐生自動車博物館

 → 群馬県桐生市で開設された私設の自動車博物館、国の登録文化財に指定されている旧飯塚織物のノコギリ屋根工場を使用している。ここでは日本の自動車産業の歴史を物語るトヨタの初代クラウン)をはじめ、アメリカ大陸で40年間走り続け久しぶりに日本に帰ってきた2代目クラウン、スプリンターカリブ・ランドクルーザー四輪駆動車などを展示していて珍しいコレクションを誇っている。

・参照:桐生自動車博物館 – Wikipedia
・参照:桐生自動車博物館!(のりもの博物館) https://www.transport-pf.or.jp/norimono/museum/kijh/

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♣ 四国自動車博物館

所在地:高知県香南市野市町大谷 896  Tel. 0887-56-5557
HP: https://lovemota.vistanet.co.jp/museum/

四国自動車博物館

 → 香南市野市町にある四国唯一の自動車博物館。1960 年代から 1980 年代のレースカー、クラシックカーを中心に、国内外のヒストリカルな車両を展示している。この自動車博物館は 1990 年、高知県の自治体大豊町が、“ふるさと創生事業”として建設した(嶺北 21 世紀センター に開設されたもの。1996 年に一時閉館したが、2001 年に現在地に再オープンしている。様々な歴史と物語を紡いできた 2 輪車 30 台、4 輪車 30 台を展示。

・参照:四国自動車博物館 – Wikipedia

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♣ 河口湖自動車博物館・飛行舘

所在地:山梨県南都留郡鳴沢村富士桜高原内 Tel. 0555-86-3511
 HP: https://www.car-airmuseum.com/

河口湖自動車博物館・飛行舘

→  実業家で元レーサーでもある原田信雄氏が私費を投じて設立した博物館。毎年8月の1ヶ月間だけ開館する。博物館は自動車館と飛行舘からなり、自動車館では黎明期から2000年代までの自動車、飛行舘では旧日本軍の軍用機・発動機を中心に展示されている。世界で初めて作られたベンツ1号車(1886年)、T型フォード、戦前のダットサン/オオタ等の国産車、第二次世界大戦中に使われた米軍のジープ、フォルクスワーゲン、MG、ベンツ300SLなど自動車の発展に重要な役割を果たした貴重な自動車を展示。

・参照:河口湖自動車博物館・飛行舘 – Wikipedia
・参考:不思議な博物館河口湖博物館(さくらインターネット)https://fum-tan.sakura.ne.jp/LakeKawaguhiMuseum.htm
・参考:世界で唯一公開『彩雲』の胴体復元河口湖飛行舘(UTYテレビ山梨) https://newsdig.tbs.co.jp/articles/uty/670505?page=2

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♣ プリンス&スカイラインミュウジアム

所在地:長野県岡谷市字内山 4769-14 鳥居平やまびこ公園内  Tel. 0266-22-6578
HP: https://www.prince-skyline.com/

プリンス&スカイラインミュウジアム

 → 日産・スカイラインの愛好家たちが中心となり1997年に設立した珍しい単一車種の自動車博物館。建物は岡谷市が提供、運営は「公益財団法人おかや文化振興事業団」が行っている。プリンス自動車工業時代も含めた歴代のスカイラインはもちろん、輸出仕様やレース仕様、先行開発車なども毎年、入れ替わりを経ながら展示されている。スカイラインの開発者桜井眞一郎氏が名誉館長を務める。

・参照:プリンス&スカイラインミュウジアム – Wikipedia
・参照:桜井眞一郎 – Wikipedia

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♣ ワク井ミュージアム 

埼玉県加須市大桑2-21-1
HP: https://www.wakuimuseum.com/index.html

ワク井ミュージアム

 → 輸入車販売会社ワク井商会が収集したクラシックカーを展示する個人博物館。全国で唯一多数のロールス・ロイスを動態保存し保管する施設となっている。2007年開館、2015年からショールームをリニューアルし、「ミュージアム」、「ヘリテージ」、「ファクトリー」の3拠点に拡張している。希少車の歴史やカルチャー、内外装などを鑑賞できる映像ギャラリーも用意している。

・参照:ワク井ミュージアム – Wikipedia

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♣ 駄知旧車館 

所在地:岐阜県土岐市駄知町 1410 Tel. 0572-59-2161
HP: https://kyushakan.com/

駄知旧車館

 →土岐市駄知町の中根モータースが運営する自動車博物館。社員の鈑金技術や塗装技術の向上のために旧車の復元整備を行っているが、これらの旧車を展示する施設として2012に年開館した。当初は若手スタッフが仕事の合間を見つけ、腕試しをする題材だったが、目覚ましく向上した復元技術の成果を示すとともに、旧車の魅力をお披露目するミニミュージアムにしたいと開設したという。展示車両は約60台。1950年代以降の国産車が中心だが一部輸入車も展示している。

・参照:駄知旧車館 – Wikipedia

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♣ チンクエチェント博物館        

愛知県名古屋市瑞穂区高辻町14−10 Tel. 052-871-6464
HP: https://museo500.com/

チンクエチェント博物館  

 → フィアット社の自動車「500(チンクエチェント)」専門の博物館。主に1957年から1975年まで生産された2代目、通称「NUOVA 500」と呼ばれるモデルを中心に所蔵・公開する博物館。展示は、FIAT 500 A( 1936年)、FIAT NUOVA 500 SPORT ( 1959年)、CHOCOLATE COATED FIAT 500 ( 2005年)など。

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♣ 福山自動車時計博物館           

所在地:広島県福山市北吉津町3丁目1−22          TEL: 084-922-8188
HP: https://www.facm.net/

福山自動車時計博物館   

 → 地元の企業経営者で自動車愛好家の能宗孝が収集した自動車コレクションを展示する自動車博物館。「能宗文化財団」1989年開館し運営。館名のとおり、クラシックカーと時計(掛け時計、置き時計)をメインに展示している。その他、小型飛行機のパイパー・チェロキーや蝋人形など、広範な趣味的展示物を収蔵している。

・参照:福山自動車時計博物館 – Wikipedia

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(自動車の項 了)

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