(日本酒を中心とした博物館の紹介)

日本のお酒づくり文化(「伝統的酒造り」)が、今年、ユネスコ無形文化遺産に指定された。伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術が日本の優れたものづくりだと世界的にも評価されたことを示す。国内の飲料では、ビールなどに比べて消費が伸び悩んでいるとはいえ、根強い人気と味の良さを誇る日本酒は幅広い人気を保っている。最近では、日本食の普及もあって海外でも「SAKE」と知られ好まれるようになった。今回の博物館紹介では、この日本酒の資料館、博物館を紹介してみた。 特に、日本酒近代化の歩み、京阪神、広島、新潟など酒どころの酒造メーカーの施設、その歴史、特色、酒の技術集団「杜氏」などについて、その概要を考察してみた。
・参照:「伝統的酒造り」ユネスコ無形文化遺産へhttps://note.com/koji_sakezukuri/n/nd7bb490e54aa
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♣ 旧醸造試験所・赤煉瓦酒造工場(史跡)
所在地:東京都北区滝野川2-6-30 Tel. 03-3創設さ910-3853
HP: https://www.jozo.or.jp/redbrick/
・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」を見学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/


→ 大蔵省が1904年(明治37)、日本の酒造りの近代化と酒類産業発展に貢献するため設立した清酒醸造試験工場跡。史跡となった赤煉瓦の建屋は重要文化財となっている。内部は当時の姿をとどめるボイラー室、原料処理室、旧麹室、清酒の近代化製法を普及させるため作られた研修工場で、明治以降の日本の酒づくりを支えた重要施設であった。建物の一階部分は、現在、見学者や研修のために使われている広いボイラー室と原料処理室、旧麹室、発酵室が整然と配置されている。二階部分は、酒の仕込みに使うタンクを置いた醸造室と麹づくりの麹室、地下階には温度調節された貯蔵室がある。また、貯蔵室内には、現在、「酒造100年プロジェクト」という日本酒の熟成に関する実験コーナーも設けられていて目をひく。旧麹室内には、昭和初期まで行われていた「酒造」講習の様子を示す写真パネルも用意されている。建築学的にも貴重な長手煉瓦のアーチとボールド天井、耐火床、外壁のドイツ積みと内部のイギリス積み煉瓦の組合せもみえ歴史を感じさせる。日本では珍しい白色施釉煉瓦の旧麹室は、日本酒の性質をよく考えた施工であるとの評価が高いようだ。ドイツのビール工場をモデルといわれるが、明治の建築家妻木頼黄が工夫をこらして設計したものと伝えられている.



・参考:滝野川「旧醸造試験所第一工場」学https://igsforum.com/2023/11/11/sake-jouzou-shiken-jo/ より
♣ 独立行政法人酒類総合研究所
所在地:広島県東広島市鏡山3-7-1 Tel. 082-420-0800
HP: https://www.nrib.go.jp/


→ 上記醸造試験所の後を受けて、2001年に酒類に関する研究機関として設立された政府機関。酒類醸造に関する調査研究、講習、受託試験などを行っている。関連機関として、日本醸造協会、酒文化研究所がある。設立の目的は、酒税の適正かつ公平な賦課の実現を図ること、酒類業の健全な発達を図ること、酒類に対する国民の認識を高めること、酒類醸造に関する研究などの活動とされ、今後の酒類業の発展と豊かな国民生活に貢献し、合わせて酒類先端技術の発信基地としてライフサイエンスの発展を図ることとしている。現在、研究活動のほか全国新酒鑑評会を開催なども開催している。
・参照:酒類総合研究所 – Wikipedia
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♣ 日本の酒情報館(日本酒造組合中央会)
所在地:東京都港区西新橋1-6-15 日本酒造虎ノ門ビル1F Tel. 03-3519-2091
HP: https://japansake.or.jp/JSScenter/aboutus/


→ 全国酒造業者の中央組織「日本酒造組合中央会」が運営する日本酒の広報・情報提供施設。県別の会員名簿も公開されていて酒造業者の全容がわかる。展示室には。全国各地の清酒・本格焼酎・泡盛の原材料や麹の実物見本、櫂棒や半切り桶と呼ばれる酒造りの道具、全国各地の特色ある酒器などを展示している。館内には2台のTVモニターと2台のプロジェクターが設置されており、お酒に関する様々な映像コンテンツを放映している。また、大吟醸酒・純米吟醸酒・純米酒・古酒・スパークリング清酒・貴醸酒など、全国各地の様々なタイプの日本酒、芋・麦・米・黒糖などの本格焼酎や泡盛、そして酒蔵の造る様々な果実のリキュールを試飲できるという。



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(近畿京阪神地区のお酒の博物館)― 酒どころ伊丹、伏見、灘などー
♣ 丹波杜氏酒造記念館(兵庫)
所在地:兵庫県丹波篠山市東新町1-5 Tel. 079-552-0003
HP: https://tourism.sasayama.jp/association/2013/01/post-58.html


→ 酒造りの名匠といわれる“丹波杜氏”の酒造記念館。館内では、酒造技術の近代化によって失われつつある昔ながらの酒造りの工程をはじめ、酒造道具や資料などが展示されている。丹波杜氏の由緒などの資料もあり、過酷な条件の中で腕を磨いてきた杜氏たちの歴史や、昔ながらの手作りでの酒の醸造過程をじっくりと見学することができる。


(丹波杜氏とは?)


丹波杜氏は、南部杜氏(岩手県)、越後杜氏(新潟県)と共に日本三大杜氏の一つに数えられ、1755年(宝歴5年)、篠山曽我部(現在の篠山市日置)の庄部右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となったのが、その起源とされている。江戸時代には、伊丹や池田に出稼ぎし、「剣菱」や「男山」などの伊丹の酒は、丹波杜氏の造り出す銘酒といわれ、今あるほとんどの灘の銘酒を作り上げただけでなく、全国に指導に出かけ、地方の酒の原形を作ったとされる。
なお、「杜氏」とは、酒造の責任者を示す役職名で、「日本山海名産図鑑」には、その名の由来を「酒工の長なり。また、おやじとも云う。・・・」とも記され、この中でも、丹波杜氏は長年の勤勉と信頼によって築いてきたームワークのすばらしさを財産としてきたとの評価が高い。
・参考:蔵元紹介 | 丹波杜氏酒造記念館https://www.toji.sasayama.jp/introduction/
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♣ 白雪ブルワリービレッジ長寿蔵ミュージアム(小西酒造)
兵庫県伊丹市中央3丁目4番15号 Tel. 072-775-3571
HP: https://www.konishi.co.jp/choujugura/
小西酒造HP: https://www.konishi.co.jp/


→ ブルワリーミュージアムは、1995年に開館した小西酒造の「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」内にある日本酒とビールの博物館。施設は江戸時代建築の酒蔵を再生利用している。「日本の酒」ゾーンでは杜氏や蔵人が使用した古来の酒作りの道具200余点を展示するとともに、日本酒の歴史、清酒発祥の地である伊丹の酒造りの歴史等の紹介、「白雪の時空舞台-マジカル・シーン・ビジョン」ゾーンでは400年以上の歴史を有する「白雪」の伝統的な酒造りの手法を立体映像として鑑賞することができる。
「ミュージアムライブラリー」ゾーンでは、日本酒や地ビール、ベルギービールのライブラリを閲覧することができる。なお、長寿蔵は清酒発祥の地・伊丹の歴史の中での酒づくりの様子をうかがえうことのできる貴重な蔵元施設である。




(白雪の由来と小西酒造)

小西酒造は、1550年(天文19年)に創業した老舗の酒造会社。大倉治右衛門により酒屋「笠置屋」として創業している。清酒「白雪」(「雪」のロゴ文字で「ヨ」の真ん中の横線は、右に突き出ている)の醸造元であり、現在では、清酒の製造のみならず、ビールの醸造、輸入酒の販売もおこなっている。江戸時代の文禄 – 元禄期ごろの伊丹地方は上方酒造業の中心で多くの酒造業者が集積しており、小西酒造もそのころを起源としている。初代は薬屋新右衛門。「新右衛門」の名は現代まで続く名跡となっており、2020年には創業470年の節目を機に、当代の社長が15代小西新右衛門を襲名している。元禄期には江戸の日本橋に”下り”問屋を開設、江戸における下り酒の販路を確立、さらに17世紀後半から18世紀にかけて、伝法・安治川で廻船問屋を始めた。このように、生産から流通・販売まで一手に扱うシステムを同族によって確立していたことが小西酒造の特徴であるといわれる。また、酒造業だけでなく、惣宿老として伊丹郷町の政治・経済・文化にも深く関わった記録がある。このため、小西家に伝わる大量の文書や資料は、酒造業や伊丹の歴史を研究する上で貴重な資料(小西新右衛門氏文書)となっている。1995年には、 阪神・淡路大震災により本社と西宮工場が被災したが、「白雪ブルワリービレッジ長寿蔵」をオープンしている。
・参照:小西酒造 – Wikipedia
・参照:小西酒造の歴史と白雪のあゆみ since 1550( https://www.konishi.co.jp/history/)
・参照:酒造史を伝える江戸時代の遺構(小西酒造)http://www13.plala.or.jp/adachiitami/newpage6.html
・参考:「ぶらりあるきお酒の博物館」中村浩(芙蓉書房)
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♣ 月桂冠大倉記念館(伏見)
所在地:京都市伏見区南浜町247番地 Tel.075-623-2056
HP: https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/


→ 大倉記念館は明治に作られた酒蔵を活用し、昔ながらの酒造りの工程を再現したお酒の博物館。日本有数の酒どころとして知られる京都・伏見で活躍してきた月桂冠の1637年創業以来の歴史と酒文化を示す貴重な史料も展示している。館の見学では、長年にわたり積み重ねてきた伝統の技と、伏見の自然により育まれた地下水を用いて醸した日本酒の姿を観察できる。エントランスでは、米の洗い場、米松の梁による小屋組み天井など昔ながらの酒蔵の風情、ホールでは、日本酒の伝統的な製造工程の映像、南展示室では月桂冠創業からの挑戦と創造の歴史、北展示室では木桶、酒樽、櫂など酒造用具類を展示している。これらは京都市有形民俗文化財に指定されている。さらに、現在非公開であるが、月桂冠内蔵酒造場では、1906(明治39)年建造の内蔵酒造場で但馬流の杜氏が昔ながらの手法で酒を醸しているのがみられる。



(月桂冠の特徴と歴史)


月桂冠の酒造りの歴史は古く1637年に創業している。 創業者大倉治右衛門が酒屋「笠置屋」として創業し、「玉泉(たまのいずみ)」の銘柄で酒を発売したのがはじまりである。江戸時代を通して酒業を続けるが、1867年の鳥羽・伏見の戦いで酒蔵などが被害を受けるが、からくも廃業を免れた。そして、1905年(明治38年)に11代目の大倉恒吉が“月桂冠”を銘柄名として採用し、これが後の企業名になっている。明治時代以降には全国的な清酒メーカーとして全国展開し、灘の白鶴酒造とともに日本最大の酒造メーカーとなっている。戦後は、業界に先駆けて一年を通して醸造可能な「四季醸造蔵」を建設し、大量の酒を供給することも成功した。「酒を科学する」が基本理念の一つで、業界に先駆けて「月桂冠総合研究所」(1909)年)を設立している。近年は本業の日本酒製造のほか、焼酎の製造と販売、ビール、ワイン、食品などの販売、日本酒を利用した化粧品や入浴剤などの販売もしている。一部で杜氏を中心とした伝統的醸造も手掛けており、常勤の杜氏が大量醸造で競争力のある製品も製造し、全国新酒鑑評会やモンドセレクションでたびたび金賞を獲得している。



・参照:昔ながらの酒造りー月桂冠大倉記念館 https://www.gekkeikan.co.jp/enjoy/museum/sakebrewery/
・参照:月桂冠 中興の祖・大倉恒吉物語 https://www.gekkeikan.co.jp/company/biography_11th/
・参照:月桂冠 (企業) – Wikipedia
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♣ 黄桜記念館(伏見)
所在地:京都市伏見区塩屋町228 Tel.075-611-9919
HP: https://kizakura.co.jp/restaurant/country/memorial/index.html



→ 黄桜記念館は、伏見の酒造メーカー「黄桜」の歩みを紹介すると共に、昔の酒造りの工程、道具など日本酒製作に関する資料を展示する記念館である。また、黄桜のイメージキャラクターとなっている河童に関する起源や伝承を展示する珍しい博物館(河童資料館)も内部に併設している。社名の由来は、社長であった松本氏が黄桜の花(サトザクラの一種で淡く緑色がかった白い花)を好んだことから命名、また、清水崑が描く河童を長期にわたりマスコットとしていることでも知られる。記念館全体は「キザクラ・カッパカントリー」と呼ばれており、酒造資料館、河童資料館のほか、醸造現場が見学できる「伏水蔵」も設けられている。


館内の資料展示スペースでは、酒造りの工程と黄桜酒造の歴史についての展示とビデオ上映があり、次のジオラマ劇場「昔の酒づくり」では洗米、蒸米、放冷、麹づくり、翫づくり、もろみづくり、上槽(搾り)の七つの工程がコンパクトに解説されている。また、道具展示では、鬼棒、棒擢、試桶、にない桶、小判桶、盛枡、水樽、麹蓋といった珍しい酒造り用具が丁寧に置かれている(参照*)。伏見・黄桜の酒造り工程が用具からもうかがえる内容の展示であろう。





ちなみに、黄桜は伏見の酒造業者としては比較的新しく、1925年に伏見の蔵元・澤屋(現:松本酒造)の分家として創業した酒造メーカーである。1951年には法人化し「松本冶六郎商店」を名乗り、1964年に 黄桜酒造株式会社に社名変更して現在に至っている。現社長の松本真治氏は「業界内での後発メーカーという立場を活かし、「独創的な発想」と「斬新な行動」で、業界では先駆けて行ったテレビCMや、概念にとらわれない商品開発などでお客様の支持を得てきました。」と述べている。
・参照:黄桜 伏水蔵(ふしみぐら)https://kizakura.co.jp/husimigura/index.html
・参照:会社概要|黄桜株式会社https://kizakura.co.jp/company/profile.html)
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「黄桜」の節から引用
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♣ 菊正宗酒造記念館(灘六郷)
所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎西町1-9-1 Tel. 078-854-1029
HP: https://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/


→ 現菊正宗酒造記念館は、阪神淡路大震災で倒壊した旧酒造記念館を再建し、1999年に新たな施設として建設した酒造博物館である。旧酒造記念館は、江戸初期の1659年(万治2年)神戸・御影の本嘉納家本宅屋敷内に建てられていた酒蔵を酒造記念館としたもの。館内には、国指定・重要有形民俗文化財「灘の酒造用具」や所蔵する小道具類など多数があり、酒造りの歴史を今日に伝える貴重な資料館であった。しかし、震災のため建物は倒壊して使用不可能となってしまう。ただ不幸中の幸いとして、収蔵の酒造用具や小道具類は残っいた。これらをがれきの下から一点一点丁寧に手作業で拾い出して再建し新しい酒造記念館としてオープンすることになった。現在、年間10万人以上の来館者があるという。




展示室入口には大きい注連縄と杉玉、宮水の運搬に用いた大榔、酒を運んだ樽廻船や千石船の模型が置かれている。また、壁面には年表のパネル展示や「菊正宗」の看板が掛けられ、その下には円筒形の白磁製樽形瓶が置かれている(参照*)。酒造展示室の展示は、ほぼ全てが「国指定重要有形民俗文化財」となっている。酒造用具を通じて、蔵人たちの仕事や生活、伝承の生酛造りが体感できる。利き酒コーナーでは、加熱処理を行っていない「生原酒」をはじめ、その季節のお酒などの試飲ができる。(画像refer:https://www.hyogo-tourism.jp/review/221)
・参照:菊正宗について|菊正宗~灘から世界へhttps://www.kikumasamune.co.jp/kinenkan/floor.html
・参照*:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「菊正宗」の節
・参照:灘の酒造りの魅力を紐解く。老舗酒造「菊正宗酒造記念館」へ(兵庫県観光サイト HYOGO!ナビ | )https://www.hyogo-tourism.jp/review/221
(菊正宗の由来と歴史)


菊正宗の歴史をたどると、1659年(万治2年)、徳川四代将軍家綱の時代。材木商として活躍していた嘉納治郎太夫宗徳が、当時、先端の製造業であった酒造業に手を広げ、本宅敷地内に酒蔵を建て酒造業を本格的に開始したのがはじまりとなっている。18世紀、江戸送りのいわゆる「下り酒」の人気が高まると、本嘉納家は酒のほとんどを高品質の“下り酒”として江戸に供給、江戸っ子の人気を得ている。
六甲山系の自然の恵みを丹波杜氏の職人技で醸した辛口酒を遠くは松前(北海道)まではこんだという。こうして、本嘉納家は文化・文政の数十年で石高を約3倍に増やし、幕府の御用商人ともいえる立場を確立していくことになる。

明治19年(1886年)には「菊正宗」ブランドを商標登録、海外への積極的な輸出や宮内省御用達拝命などを得て発展の基盤をかためた。また、明治22年(1889年)には、本嘉納家8代目秋香翁がドイツから顕微鏡を購入して研究、技術者を招聘するなど酒づくりの近代化を進めている。また、断熱効果を高めたレンガの酒蔵やビン詰め工場など最新鋭の設備投資を行い、業界に先駆けた技術改善を敢行して「近代醸造」への足がかりを築いていく。昭和20年、阪神間をおそった爆撃によって菊正宗も大部分の蔵を焼失するが奇跡の復興を遂げる。1988年には、業界で初めて主力商品の全てを本醸造化するなど、品質本位の姿勢を貫いている。現在、菊正宗酒造で新ブランド「百黙」を発表し、国外へ輸出展開も図りつつあるようだ。



・参照:菊正宗の歴史|菊正宗酒造~灘から世界へ。https://www.kikumasamune.co.jp/profile/history.html
・参照:菊正宗の歴史 https://www.kikumasamune.co.jp/about/
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♣ 沢の鶴資料館(灘)”
所在地:兵庫県神戸市灘区大石南町1-29-1 Tel. 078-882-7788
HP: https://www.sawanotsuru.co.jp/site/company/siryokan/


→ 江戸時代末期に建造された大石蔵を改造して資料館として公開したのが「昔の酒蔵」沢の鶴資料館。創業300年を誇る沢の鶴の貴重な酒造りの道具や灘酒の伝統文化の姿を展示している。資料館の魅力として強調されているのが、「昔の酒造り工程の追体験」、「酒造りの貴重な遺構(重要文化財)」、「復興再建された“昔の酒蔵」だという。
展示では、洗米作業をした洗い場や火入れに使った釜、上方から江戸へ酒を運んだ「樽廻船」や「菱垣廻船」の模型、「麹室」、天保10年と記された棟梁、発掘作業により発見された地下構造の「槽場(ふなば)」跡など、重要有形民俗文化財となっているものも多い。





ちなみに、沢の鶴は、江戸時代の享保2年、米屋を営んでいた初代米屋喜兵衛が「※」(米印)のマークを掲げ、灘・西郷で酒を作り始めたのが創業の契機となった。「沢の鶴」と名付けたのは、古事記により、神が「真っ白な鶴が実った稲穂をくわえ鳴いている」の愛で酒を醸させたとの縁起によったとされている。 江戸時代に「丹波杜氏」が酒醸技を発揮、「灘本流の酒造り」を定立して“沢の鶴”の酒を造り出し、江戸に“下り酒」を売り出して現在の酒造業の基礎を築いた。明治になり、1885年に澤之鶴」を商標登録、1964年に沢の鶴株式会社に社名変更している。1991年に創業時から使われてきた※印を変更し、鶴の羽を模った現行のものに変更している。特色としては「純米酒」にこだわった酒造りといわれている。純米大吟醸「鶴の舞」、「瑞兆」、特撰吟醸「瑞兆」、特別純米酒「山田錦」がある。
・参照:沢の鶴 – Wikipediaなど
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♣ 白鹿記念酒造博物館・酒ミュージアム(灘五郷)
所在地:兵庫県西宮市鞍掛町8-21 Tel.0798-33-0008
HP: https://sake-museum.jp/


→ 「酒ミュージアム」の愛称で親しまれる白鹿記念酒造博物館は、西宮の酒文化を伝える博物館として1982年に開館。西宮市は、六甲山と瀬戸内海に囲まれた日本一の酒どころ「灘五郷」の東部に位置しており、江戸時代より清酒造りで繁栄していた。この背景を踏まえ、酒のまちの景観を彩る酒蔵をそのまま利用した博物館となっている。ミュージアムは「記念館」と「酒蔵館」の二棟で構成され、古くから酒造業を営んでいた旧辰馬本家酒造本蔵、釜場遺構、古文書史料、灘の酒造用具一式などを保存・展示している。また、西宮市から委託された「酒」と「さくら」の博物館(笹部さくらコレクション)を持つことでも知られる。



「記念館」の中には酒資料室、企画展示室があり、それぞれ古文書や古写真といった歴史資料から、日本画や酒器、酒造家辰馬家が収集した美術品や節句の人形等か展示されている。これとは別棟の「酒蔵館」は、1869年(明治2年)に建てられた旧辰馬本家酒造の本蔵となっており、この歴史的建造物の中で白鹿の伝統的な酒造工程が見学できるほか、酒造りの映像・酒造り唄の視聴や多様な酒造道具にも触れることができる。
(白鹿の由来と歴史)


ちなみに、「白鹿」の名前は、長生を祈る中国の神仙思想に由来するという。自然の大いなる生命の気と、日々の楽しみと、長寿の願いが込められていることから、創業家が商標としたと伝えられている。この白鹿の創業は1665年、初代辰屋(辰馬家の当時の屋号)吉左衛門が自家の井戸水があまりに清冽甘美であったことに感服し、これを利用した酒造りを決意したことが起源という。江戸時代中期、灘の「下り酒」、中でも白鹿の酒は“灘の銘酒”として不動の地位を確立、樽廻船による江戸積から連鎖して回漕業や金融業も起こしている。明治以後も全国一の醸造高を記録するまでに発展する。1920年には丹波杜氏・梅田多三郎によって新醸造に成功、高級酒「黒松白鹿」を誕生させている。また、1993年には「六光蔵」を発表し銘酒づくりの道を歩んでいる。
・参照:白鹿の歩みhttps://www.hakushika.co.jp/company/history.php
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♣ 白鶴酒造資料館(灘五郷)
所在地:兵庫県神戸市東灘区住吉南町4丁目5-5 Tel.078-822-8907
HP: https://www.hakutsuru.co.jp/community/shiryo/


→ 白鶴酒造資料館は、昭和40年代中頃まで実際に清酒醸造に使われていた本店壱号蔵を改造して開設された酒造博物館。内部は昔ながらの酒造工程をそのまま保存し、作業内容を再現している。内部は、等身大の人形を配置するなど、清酒の生まれるまでを立体的にわかりやすく展示している。展示では、洗米、蒸し米、酛仕込み、醪仕込み・醪出し、上槽、滓引き火入れ、樽詰め、酒の醸造過程に沿って丁寧に解説がなされている。利き酒コーナーもあり、白鶴の味を楽しむことができる。

(白鶴の由来と歴史)


商標を白鶴としたのは、「鶴」の飛態が瑞兆をイメージ”してのこと、その後、模倣品が現れたことから「白」をつけ「白鶴」としたという。白鶴は、1742年に材木屋治兵衛が酒造業を創立、1747年に銘酒を「白鶴」としたのが起源という。明治後の1897年に嘉納合名会社に改組し、1947年、嘉納合名会社と昭和酒造が合併し、白鶴酒造株式会社」となっている。この間、1869年大阪横堀に嘉納直売店を開業している。戦災と大震災により大きな被害を受けるが、それを乗り越えて躍進し、1964年に四季醸造工場建設、1930年代の「山田錦」のほか2007年 独自開発酒米「白鶴錦」なども開発している。
・参照:白鶴のあゆみ(白鶴酒造株式会社)https://www.hakutsuru.co.jp/community/history/
・参照:兵庫の日本酒(白鶴(はくつる))https://tanoshiiosake.jp/5926
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♣ 櫻正宗記念館「櫻宴」(灘五郷)
所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4-3-18 Tel. 078-436-3030
HP: https://www.sakuramasamune.co.jp/sakuraen/sakuraen_index.html


→ 櫻正宗記念「櫻宴」は、1998年、創業300年の歴史を記録し、地元魚崎地域活性化に貢献する目的を持って開設したもの。昔からの酒造りの工程を収めた貴重なVTRの上映から、櫻正宗創醸400年の歴史を物語る酒造道具、 昔懐かしい看板や酒瓶やラベルなどを展示している。中でも、大正末期の櫻正宗の木造蔵で酒造りの様子を記録した貴重な映像、精米所、洗米、宮水積み込み、宮水井戸場、麹室とこもみ作業、甑取り、すり、麹室、仕込み(宮水)、仕込みなどが写真、パネルで紹介されている。(参照**)


(櫻正宗の概要と沿革)


櫻正宗は、灘五郷の一つで、灘・魚崎郷に本拠を構える老舗酒造。1625年(寛永2年)創業者初代山邑太左衛門が、兵庫県荒牧村(現・伊丹市)で酒造りを始め、1717年(享保2年)に魚崎へ移転して酒造専業者となる(「創業」)。創業以来当主は代々山邑太左衛門を襲名している。明治になって、1906年(明治39年)に官立醸造試験所の技師高橋偵造によって櫻正宗酒母から分離された櫻正宗酵母が日本醸造協会より“協会一号酵母”として全国に頒布されたとの記録もある。江戸時代末期に現在の神戸に移転している。築後200年の内蔵は庫県重要有形文化財となっている。阪神・淡路大震災で門以外全ての建物が倒壊し、現在は、新しい櫻喜蔵で製造を行っている。倒壊を免れた内蔵の門は現在記念館の入り口となっている。
商標菊正宗は、江戸時代「正宗(セイシュウ)」が「清酒(セイシュ)」に語音が通じる事から「正宗」を酒銘としていたが、明治になり、”正宗”が普通名詞として扱われたため、国花である櫻花一輪を冠し「櫻正宗」と名付けられたという。
・参照:櫻正宗 – Wikipedia
・参照:酒蔵の軌跡(櫻正宗)https://www.sakuramasamune.co.jp/history/
・参照**:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「櫻正宗」の節
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♣ 白鷹禄水苑・白鷹集古館(兵庫県西宮市)
所在地:兵庫県西宮市鞍掛町5-1 Tel:0798-39-0235
HP: https://hakutaka.jp/shop.html
HP: https://hakutaka.jp/blog/article.html?page=14 (白鷹集古館)


→ 禄水苑は、白鷹の蔵元・北辰馬家の住居の姿を再現した博物館兼店舗である。施設内には、蔵元・北辰馬家の暮らしぶりを示す「暮らしの展示室」、レストラン、ショップ、酒造りの歴史を記す白鷹集古館、白鷹の工場が配置されている。このうち集古館が白鶴の酒資料館となっており、白鷹における酒造りの歴史が紹介されているほか、昔ながらの酒造り道具や酒器・伊勢神宮酒器、樽回船として酒を江戸などに運んだ帆船の模型などが展示されている。また、白鷹が伊勢神宮の御料酒となったことから来伊勢神宮との関係は深く、伊勢神宮からの感謝状や下賜記念品が数多く展示されている。



ちなみに、1862年(文久2年)、初代辰馬悦蔵が西宮に酒造業を興したのが白鷹酒造の始まりとされる。白鷹は、その後、明治後の1877年に東京で開催された第一回内国勧業博覧会に出品し受賞したのをはじめ、パリ万国博覧会や多数の海外の博覧会に出品し受賞を重ねた。1924年には伊勢神宮の御料酒に選ばれている。太平洋戦争で木造蔵は全滅するが、焼け残った北店蔵と辰馬本家酒造の本職を借り受け、1945年中には早くも醗造を再開している。「白鷹」という酒名は、百烏の王である鷹、なかでも白い鷹は千年に一度現れる王者の風格と気品を持つ霊烏といわれるところからきているようだ。
・参照:白鷹禄水苑 – Wikipedia
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「白鷹禄水苑」の節
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♣ 神戸酒心館・福寿蔵(灘の御影郷)
所在地:神戸市東灘区御影塚町1-8-1 Tel. 078-841-1121
HP: https://www.shushinkan.co.jp/


→ 神戸酒心館は、日本酒「福寿」の醸造元であり、醸造蔵を含む4つの蔵からなる複合施設。敷地内には、お酒を造る「福寿蔵」、醸したお酒を提供する蔵元ショップ「東明蔵」、「蔵の料亭 さかばやし(水明蔵)」、お酒とともに落語や音楽コンサートが楽しめる多目的ホール「酒心館ホール(豊明蔵)」がある。福寿蔵は見学施設となっており、映像ルームで福寿のコメづくりの産地などの映像が紹介されているほか、福寿の代表的な製品、窓越しに工場のステンレスタンクの様子が観察できる。


「福寿」は1751年(宝暦元年)灘の御影郷で酒造りを始め現在に至っている。『福寿」という酒銘は七福神の福禄寿に由来、お酒により財運がもたらされるようにという願いから名付けられたという。生産量よりもおいしさを極めるため、手造りで丁寧な酒造りを行っているという。麹は今でも全並手造り、蒸しコメは甑を用いて、仕込みごとの個性を大切にしコメのうまみを引き出したお酒づくりをめざしているという。『福寿」という酒銘は、七福神の福禄寿に由来しており、この酒を飲む人に財迩がもたらされるようにという願いが込められている。
・参照:福寿の酒蔵について~これまでの歩み~(神戸酒心館)https://www.shushinkan.co.jp/news/
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「福寿」の節
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♣ 小山本家酒造灘浜福鶴(酒造り体験工房空間吟醸工房)
所在地:兵庫県神戸市東灘区魚崎南町4丁目4番6号 Tel:078-411-8339
HP: https://www.hamafukutsuru.co.jp/


→「醸工房」は、1996年、日本酒造りの伝統文化を広く社会に伝えていきたいとの思いから開設。ガラス張りで酒造りの工程を見学できる設備をそなえてオープンしてる。四季を通じて、リアルタイムで酒造りを見られるところが特徴となっている。「浜福鶴」は初代小山屋又兵衛が、灘、伏見で酒造技術を習得したのち、1808年(文化5年)に現在の埼玉県で酒造業を創業したのがはじまりとされる。そして、明治初期(1900年頃)から現地点で酒造りをはじめ、当時は「大世界」という銘柄でその名を馳せたという。その後、昭和の大戦時に国の企業整備があり、終戦後の1950年(昭和25年)に「福鶴」を名乗り酒造業を再開、1989年に「世界鷹小山家グループ」へ加入している。1995年の神戸淡路大震災にて蔵が全壊したが、地域一丸となって事業再開を目指すこととなり、翌年に蔵を再建して現在にいたっている。



・参照:小山本家酒造 灘浜福鶴蔵(世界鷹小山家グループ)https://www.sekaitaka.co.jp/group/hamafukutsuru.php
・参照:中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)「浜福鶴」の節
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(広島を中心とした酒造博物館)
♣ 賀茂鶴酒造 賀茂鵲展示室(東広島市)
所在地:広島県東広島市西条本町9番7号 Tel. 082-422-2122
HP: https://www.kamotsuru.jp/tour/


→ 賀茂鵲展示室は賀茂鶴酒造の一号蔵を改装し、蔵元直営店として、酒造りの道具や資料の展示や酒造り解説を行い、併せて、唎き酒・販売を行う施設して開設したもの。ここでは、杜氏による醸造蔵内の見学ツアーがあり、酒造りの道具や資料の展示、酒造り解説ムービーの上映、トリックアートなどの撮影が行われている。この一号蔵は、2024年、広島西条酒蔵群のひとつとして国史跡に指定されている。展示室の入口ある湧水は「福神泉」と呼ばれる龍王山の伏流水で、賀茂鶴の仕込み水として使用されている。自然の恵みが育む適度なミネラルを含んだ上質な「軟水」で、口当たりの良い柔らかな酒が生まれるとされる。展示では、「米・水・技」「蒸米、甑」、「麹室」、「仕込み」、「搾り」といったテーマで酒造りが解説されている。



(賀茂の鶴の社歴と酒どころ広島)

賀茂鶴酒造は、1623年(元和9年)、前身となる小島屋木村家が創業したのがはじまり。そして、1873年(明治6年)9月9日、木村和平が酒銘を「賀茂鶴」と命名。「賀茂」は地名であると同時に酒を造るという意味の“醸す”が掛けられ、鶴は信頼を表し富士山は品質が日本一であることを表しているとされる。1918年(大正7年)株式会社に組織変更し「賀茂鶴酒造」となった。賀茂鶴は、1958年、金箔入りの大吟醸「特製ゴールド賀茂鶴」を発売、これにより全国的な知名度を得る。同時に、西条が伏見や灘と並ぶ銘醸地として知られるようになったとされる。

現在、西条酒蔵通りには7つの酒造会社が軒を連ねており、その酒造施設群はイコモス(国際記念物遺跡会議)の「日本20世紀遺産20選」に選定されている。今はなまこ壁や赤レンガの煙突が立ち並ぶ風情豊かな観光地と知られるようになっている。
オリジナルの酒造好適米”白鶴錦”(はくつるにしき)」を開発した「白鶴酒造」、銘柄酒”櫻正宗”の酵母を「協会第一号酵母」として全国に頒布した「櫻正宗」のほか、歴史ある蔵元や大手酒造メーカーが数多く名を連ねている。現在、東広島市には、「賀茂の鶴」のほか、「福美人酒造」、「亀齢酒造」、「西條鶴酒造」、「白牡丹酒造」、「山陽鶴酒造」などの知名度の高い酒造会社が所在している。
・参照:広島が三大酒どころに? 先人の功績 | 徹底解剖!ひろしまラボ – 広島県https://www.pref.hiroshima.lg.jp/lab/topics/20221118/01/
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(北海道・東北・北陸などの酒造博物館)
♣ 千歳鶴酒ミュージアム(札幌市)
所在地:札幌市中央区南3条東5丁目2番地 Tel. 011-221-7570
HP: https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/museum/


→ 明治5年、石川県能登から来道した創業者・柴田與次右衛門は、創成川のほとりで造り酒屋「柴田酒造店」を開店。“どぶろく”などのにごり酒が開拓使の役人に評判で、売れ行きは好調。数年後には清酒をつくりはじめたと伝えられている。このため柴田は北海道の酒造業の幕を開けた先駆者と称されている。
「柴田酒造店」は、その後、品質向上に努力を重ね、着実に発展。明治30年には同業者を束ね、日本清酒の前身「札幌酒造合名会社」を設立。このころから札幌の酒づくりが本格的な生産時代を迎る。大正13年9月、柴田は合名会社を株式会社に組織変更し「札幌酒造株式会社」を創立した。昭和3年には業界企業合同の政府要請に応えて8企業を合同し、「日本清酒株式会社」なり統一銘柄をおなじみの「千歳鶴」としている。


・参照:千歳鶴について | 千歳鶴 https://nipponseishu.co.jp/chitosetsuru/about/
・参考:日本清酒株式会社 | 北海道札幌市に拠点を置く老舗 https://nipponseishu.co.jp/
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♣ 男山酒造り資料館(北海道旭川市)
所在地:北海道旭川市永山2条7丁目1番33号 Tel. 0166-48-1931
HP: https://www.otokoyama.com/museum/


→「男山」350年の歴史と共に、日本の伝統産業のひとつである酒造り文化を伝える資料舘。江戸時代の貴重な資料・文献・酒器などを展示しており、仕込みの時期には酒造りの様子も一部ご見学できる。 また、酒蔵全体が、「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK)となっており、「蔵人の醸造技術」のほか「大雪山の万年雪から染み出る伏流水」(「延命長寿の水」)も楽しめる。


ー「男山酒パーク」(OTOKOYAMA SAKE PARK) https://sake-park.otokoyama.com/ー


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♣ 北海道酒造組合
所在地:北海道亀田郡七飯町大中山1丁目2番3号 Tel. 0138-65-5599
HP: https://www.hokkaido-sake.or.jp/
→ 組合では、北海道のおもな日本酒酒造会社の名前をHPで掲載している。そのうち多くは見学などの受け入れをおこなっているようだ。
See: 日本酒メーカー | 北海道酒造組合 https://www.hokkaido-sake.or.jp/sake_maker/

○ 例えば:
♣ 高砂酒造明治酒蔵資料館(北海道旭川市)
所在地:北海道旭川市宮下通17丁目右1号 Tel. 0166)23-2251
HP: https://takasagoshuzo.com/meiji-sakagura/
♣ 田中酒造亀甲蔵(北海道小樽市)
所在地:北海道小樽市信香町2番2号 Tel. 134-21-2390
HP: https://otaru.gr.jp/shop/tanakasyuzo-kkikogura
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(東北―岩手県)
♣ 南部杜氏伝承館・酒匠館(岩手県花巻市)
所在地:岩手県花巻市石鳥谷町中寺林7-17-2 道の駅石鳥谷内
HP: https://www.kanko-hanamaki.ne.jp/spot/article.php?p=163


→ 伝承館は南部杜氏による酒造りの伝統文化を保存・伝承する施設。古くから伝わる酒蔵を解体復元した土蔵造りの博物館で歴史的にも文化的にも貴重な施設となっている。
酒造りにまつわる蔵内行事のミニチェア、南部杜氏と酒造りの歴史などを紹介したパネルなども展示している。大型スクリーンでは「南部杜氏」の映像を上映。ちなみに伝承館のある石鳥谷は清浄な自然とうまいと米に恵まれ、古くから酒造りが盛んに行われてきた。それに伴って酒造りの技術者である杜氏も多く輩出し、日本でも有数の杜氏集団へと成長していったとされる。


・参考:南部杜氏伝承館 – 道の駅石鳥谷「酒匠館」
・参照:南部杜氏伝承館|花巻市 https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html
(南部杜氏とは)


→ 南部杜氏は花巻市石鳥谷町を拠点とする日本酒を造る杜氏集団のひとつ。新潟県の越後杜氏、兵庫県の丹波杜氏とならび、日本三大杜氏に数えられている。石鳥谷は古くから酒造りの文化を保持・育成していた関係で、杜氏を多く輩出して日本で有数の杜氏集団へと成長していったようだ。
きっかけは、南部藩の御用商人村井氏・小野氏が、上方の伊丹で開発された大量仕込み樽の製法を領内にもたらし、南部藩の支援を受けて盛岡城下で藩造酒の生産を本格的に始めたことにあった。延宝9年(1681年)には藩領内の造り酒屋の数は189軒を数え、寛政10年(1798年)には江戸表からの注文200石を受けるまでになっている。中でも稗貫郡石鳥谷(現・花巻市)には藩の御用酒屋があり、藩主に献上する御膳酒を造る杜氏である“酒司”も多数住んでいたらしい。


明治になると、酒司であった石鳥谷の稲村徳助が伝統的な南部流を結集し多くの弟子を育成すると同時に、近代南部杜氏の基礎を築いている。明治36年(1903年)には南部杜氏たちの最初に近代的な組織もできる(岩手県酒造組合)。明治44年(1911年)には南部杜氏自らの手によって酒造従業員(蔵人)の「南部醸造研究組合」が創設されている。時を経て、昭和23年(1948年)に南部杜氏組合は「南部杜氏協会」となり、昭和28年(1953年)には社団法人となっている。

現在、南部杜氏会館もでき、花巻市と連携して、石鳥谷を「南部杜氏の里」にしようという事業も進行中である。花巻市には南部杜氏伝承館、南部杜氏会館、南部杜氏歴史民俗資料館、石鳥谷農業伝承館、酒民俗文化博物館などの観光施設のほか、後継者育成のための南部杜氏研修場が活動している。南部杜氏協会員数は現在約1700人、杜氏総数は約360人、杜氏が就労している蔵数は400場で、九州と沖縄以外のほぼ全国に分布しているという。
・参照:南部杜氏伝承館(花巻市)https://www.city.hanamaki.iwate.jp/bunkasports/bunka/1019887/sonotashisetsu/1002031.html
・参照:南部杜氏 – Wikipedia
・参考:日本三大杜氏~日本酒を醸す杜氏集団と蔵人の役割と歴史~ ( 日本酒と酒器のサイエンス)
<参考> 岩手県の蔵元の例:
・廣田酒造店(岩手県紫波郡紫波町)、・あさ開き酒造(岩手県盛岡市)、
・世嬉の一酒造(岩手県一関市)など
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(酒どころ新潟のお酒資料館)
♣ 吉乃川酒造酒ミュージアム「醸蔵」薪潟県長岡市)
所在地:新潟県長岡市摂田屋4-8-12 Tel. 0258-77-9910
HP: https://yosinogawa.co.jp/johgura/
HP: https://yosinogawa.co.jp/


→ 酒ミュージアム『醸蔵)は、2019年、吉乃川酒造の敷地内に開設された酒の博物館。建物は大正時代に建設された築約100年となる倉庫「常倉」を改装して施設としたもの。かつては酒の瓶詰作業が行われていた場所で現在国登録有形文化財となっている。「醸蔵」では、吉乃川の定番のお酒やここだけで飲める特別なお酒も味わえる「SAKEバー」や、醸蔵限定販売のお酒も扱う「売店」のほか、映像やデジタル技術も用いて酒造りや歴史について紹介する「展示スペース」などがある。


吉乃川の創業は戦国時代の1548年(天文17年)、天領地であった摂田屋の統治を任された武士川上主水義光が吉乃川の前身である「若松屋」を創業したことにはじまるという。以降蔵元である川上家が酒造りの伝統を守り 吉乃川の酒造りを発展させてきた。その後、昭和年代に第18代当主となった川上真司と妻川上浩子は、大杜氏の鷲頭昇一とともに吟醸酒「極上吉乃川・鷲頭」など数々の銘酒を生み出してきている。吉乃川は、1961年)に「中越式自動製麹機」を独自に開発し、製麹工程の機械化に成功している。また、2019年には吉乃川の敷以前の酒蔵資料館『瓢亭』に代わり、新たに前述の酒ミュージアム『醸蔵(じょうぐら)』を開設している。
・参照:蔵元を家業から企業へ (智慧の燈火オンライン) https://chienotomoshibi.jp/yosinogawa/
・参照:吉乃川について | 吉乃川 | 新潟長岡市にある日本酒の蔵元https://yosinogawa.co.jp/company/about.php
(越後杜氏とは)

→ 越後杜氏とは、新潟県を発祥地とする、日本酒を造る代表的な杜氏集団の一つ。杜氏の流派として捉えたときには越後流と称され、さらに流派内は四つの支流に分かれる。杜氏組合としては、日本第二位の規模を誇る新潟県酒造従業員組合連合会を持つが、その支部のようなかたちで傘下に新潟県内各地域の杜氏組合が多く存在している。

松尾神社酒造図絵馬」(写真提供:長岡市立科学博物館)https://n-story.jp/topic/85/
江戸時代、農閑期の現金収入を得たい農民とより多くの人手を欲している造り酒屋が一緒になり杜氏集団の形成を促したという。彼らのなかにはその誠実な働きを認められて造り酒屋の当主と養子縁組した者、暖簾分け)をしてもらった者、酒株を購入して自分の小さな造り酒屋を開いた者も多数いた。こうした酒屋を「越後店」といった。 越後杜氏たちを束ねる近代的な組織が正式に結成されたのは1958年頃である。当時の杜氏登録者数は900名を上回っていたという。越後杜氏の主な出身地は寺泊野積、越路、小千谷、柿崎、吉川がとなっている。

・越後流に属する主な杜氏としては、高浜春男(新潟県 八海醸造 『八海山』)、木曽健太郎(新潟県 朝日酒造 『久保田』『朝日山』)、鳥島諠一(愛知県 東春酒造『東龍』)、古川原行雄(新潟県 石本酒造 『越乃寒梅』)などがいるといわれる。
・参照:越後杜氏 – Wikipedia
・参照:越後杜氏と酒造り唄 – 新潟文化物語 https://n-story.jp/topic/85/
・参考:高浜 春男 「杜氏 千年の知恵 」祥伝社
・参照:摂田屋 – Wikipedia
・参照:〈醸家銘々伝〉新潟県 ・長岡市 吉乃川https://www.jstage.jst.go.jp/article/jbrewsocjapan1988/88/1/88_1_63/_pdf/-char/en
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