お酒の博物館ー洋酒の世界ー「食と農」の博物館(5)

― ビール・ウイスキー、ワインなどの洋酒の世界と歴史を語る博物館をみるー

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 (ビールの博物館)

 ビールは今や日本の中で最も消費も多く、日本酒に次いで多様な形で好まれている洋酒といえるだろう。ここでは、日本に定着して多くの人々を魅了しているブランドビールの形態、由来と歴史、現在の姿をレビューしてみた。特に、注目すべきは大手メーカーの提供するビールのほか、最近では、各地で生まれている「地ビール」「クラフトビール」に注目する必要があると思える。以下に主要なビール関係資料館・博物館を紹介してみる。

♣ サッポロビール博物館(開拓使麦酒記念館)

所在地:札幌市中央区北2条東4丁目  Tel.011-252-8231
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/sapporokaitakushi/

・参考:北海道の「サッポロビール博物館」を見学 https://igsforum.com/2022/08/05/visit-sapporo-beer-museum-jj/

 

サッポロビール博物館外観

→ サッポロビールの前身となる明治初期に設立された旧開拓使麦酒醸造所を博物館として開放したもの。試飲込みの工場見学コースを設けたワイナリーは多数見られるが、この博物館は、日本におけるビール産業の創始の歴史と発展記録を展示・紹介する貴重な産業博物館である。明治初期の北海道における開拓・産業開発の実例を示す歴史博物館でもある。 博物館では、ビールの醸造の過程を映像、現物で紹介しているほか、日本におけるビール生産の創始をもたらした「開拓使麦酒醸造所」の役割とサッポロビールへの移行につながる歴史、ビール産業発展の経過などを写真、パネル、記念文物などと共に幅広く展示している。また、試飲コーナー、レストランなども併設していて、札幌「ビール園」というテーマパークともなっている。また、博物館の建物は明治の北海道開拓の歴史を示す歴史的建造物であり価値も高い。札幌を訪れたら是非訪ねたい博物館の一つである。

開拓使時代の「ビール樽」
ビール博物館の展示
麦汁の煮沸「釜」

(博物館でみるサッポロビールの展開)

開拓使麦酒醸造所開所式(1876)
村橋久成と中川清兵衛

 ここでは、ビール博物館に展示された資料を中心に、サッポロビール誕生の背景とその後のビール産業全体の発展を考えてみた。
 江戸から明治に移り、北海道開発が明治政府の喫緊の課題となる中、政府は「開拓使」を設けて北海道開拓政策を進めた。当時、北海道に開拓に適した30以上の事業が開拓使の手で推進されたが、そのうちの一つがビール生産工場であった。明治政府は、開拓使官吏の村橋久成に準備を指示、ドイツでビール醸造を学んだ中川清兵衛を招聘して、1876年(明治9年)、「開拓使麦酒醸造所」の建設に取り組み、同年9月に完成をみる。醸造所工場跡は、現在は、歴史的建造物として当時の外観を保ちつつ、札幌市内にある総合商業施設「サッポロファクトリー」として生かされているのは忘れられない。

歴史建造物 醸造所工場跡
札幌官園と黒田清隆

 また、開拓使長官の黒田清隆は、招聘外国人専門家のアドバイスにより麦酒の原料となる大麦とホップ栽培の育成を指令、札幌官園(実験農場)での試験栽培も始めている。結果、1881年には醸造所でのホップはすべて北海道産のものとなった。そして、1877年には、醸造所で生産されたビールが「冷製札幌ビール」として東京ではじめて発売され好評を得ている。 

民営化された札幌麦酒醸造所(展示)
大倉喜八郎

 しかし、その後、明治政府の方針で開拓使が廃止されたことで、傘下の事業は北海道庁に移管される。そして、1882年3月、「開拓使麦酒醸造所」は農商務省工務局の所管となり「札幌麦酒醸造所」と改称。1886年、北海道庁の初代長官岩村通俊は工場の民間払い下げが決定。この払下げを受けたのが大倉喜八郎である。この官営ビール事業は、1886年、完全に民営化され「大倉組札幌麦酒醸造場」として新たなスタートを切ることになる。さらに、大倉は、渋沢栄一、浅野総一郎らに事業を譲渡する形で、1887年、新会社「札幌麦酒会社」を設立する。この経過は、博物館のパネル展示で詳しく解説されていて興味深かい。これが後のサッポロビール社の母体となった。

「大日本麦酒株式会社」成立の展示

 一方、時代が進み、都市部でのビール需要が高まる中、1890年代後半以降、多くの大手のビール会社が誕生するようになる。こういった中、「札幌麦酒」は、工場が札幌にあることから立地上の不利は免れなかった。このため、1899年、東京工場の建設を決定、隅田川沿いに東京工場が完成させ、「札幌ビール」の出荷を開始。同工場の効果は大きく、1905年、札幌麦酒はビールの製造量で業界トップ躍り出た。当時、ビール業界は札幌麦酒株式会社(札幌ビール)、日本麦酒株式会社(恵比寿ビール)、ジャパン・ブルワリー・カンパニー(麒麟ビール)、大阪麦酒株式会社(朝日ビール)の大手4社が激しい販売競争の過程にあり、過当競争に陥っていたという。こういった中で、明治の財界人渋沢栄一などの働きかけもあって、内閣の勧告により、1906年、四社合同の「大日本麦酒株式会社」が成立する。社長は日本麦酒の馬淵恭平であった。この大日本麦酒は日本の市場8割以上を占め、アジアではもっとも大きなビール会社として、飲料業界を牽引することとなる。そして、この体制は1940年代の戦時体制下まで継続される。

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♣ ヱビスビール記念館(サッポロビール)              

所在地:東京都渋谷区恵比寿4-20-1 恵比寿ガーデンプレイス内  Tel.03-5423-7255
HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/y_museum/ 

エビス記念館の入口

 → ヱビスビールが2023年に東京・恵比寿に開設したビールの記念館。130年のヱビスビールの歴史を貴重な資料や映像で紹介すると共に、エビス自慢のドイツ製の醸造設備を展示し、リアルタイムに醸造されるビールの味を楽しむことができる。館内では、3D画像で館内施設が表示されており、ポイントをクリックすることで、実際にヱビスビール記念館内を歩いて見学しているように館内展示を鑑賞することができる。また、「タップルームエリア」が用意されていて、目の前で造られている新鮮なヱビスビールを試飲することもできる。 ちなみに、記念館で紹介されているヱビスビールの来歴をみると、次のようである。

展示のビール醸造設備
3Dによる館内案内
ビールの歴史を記す展示

<ヱビスビールの成り立ちと現在>

創業の経過を示す看板類

 → ヱビスビールのルーツは、1887年(明治20年)に設立された「日本麦酒醸造会社」。そして、会社設立から2年後に、現在の東京・目黒区三田に、ヱビスビール醸造場が完成、ビール生産を開始させている。このとき、ビールの仕込釜、蒸気機関、製氷機などの醸造設備はすべてドイツ製であったという。技術者もドイツから招聘した。1890年2月に「恵比寿ビール」として発売している。当初は名前を「大黒ビール」としていたが、大黒ブランドが既に商標登録されていたことから、同じ七福神の一神として福徳を授ける「恵比寿」に変更したという経緯もあるという。 発売後、売り上げは好調で、1899年には「恵比寿ビール・ビアホール」を東京・銀座にオープン、1900年には恵比寿ビールが「パリ万国博覧会」で金賞を受賞するなど、ビールの質の高さが世界的にも認められている。

エビスを記した商標ラベル
創業当時の工場
エビス最初のビアホール

 また、日本鉄道がビール専用の貨物駅「恵比寿停車場」が開設され、醸造場周辺の人口も増加したことから当時の国鉄「恵比寿駅」となり周辺は賑わいも見せている。 
 こうして、1994年10月には「恵比寿」(旧南渋谷村)の醸造場跡地を「恵比寿ガーデンプレイス」として再開発、複合文化・商業施設に生まれ変わらせた。この場所に「ヱビスビール記念館」が開設され、ビールの歴史を刻むと同時に地域の発展のシンボルとなっているのは見逃せない。

開業当時のエビス貨物駅
現在の恵比寿ガーデンプレイス

・参照:歴史紹介 | サッポロビールhttps://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html
・参照:「恵比寿ガーデンプレイス」について | https://gardenplace.jp/about/
・参照:地名はヱビスビールが由来⁉(TBSテレビ)https://topics.tbs.co.jp/article/detail/?id=1105
・参照:歴史紹介 | 歴史・沿革 | サッポロビール https://www.sapporobeer.jp/company/history/roots.html

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♣ キリン歴史ミュージアム (インターネット・ミュージアム)

HP: https://museum.kirinholdings.com/

キリンビール名古屋工場

 → 日本のビール事業の草分け的企業であり、且つ、出荷量でもトップシェアの一角を占めるキリンのビールを中心にビールの歴史を紹介するミュージアム。この施設では、インターネット配信を通じて、近代日本のビール産業の変遷を中心に、キリングループの商品ブランド、お酒と飲料に関する文化史、人物史を紹介している。また、キリン参加の工場でのツアーも用意しており、ビールが造られる過程を直に見ることもできる。
 ちなみに、工場見学を提供しているのは、キリンビールの北海道千歳工場、仙台工場、取手工場、横浜工場、名古屋工場、滋賀工場、岡山工場、神戸工場、福岡工場など9カ所のようだ。ここでは、ビール造りの技術、キリンのブランドビールの素材ホップ、仕込~麦汁のでき方、麦汁に酵母を加えて行う発酵の仕組みやなどを現場や動画で紹介している。

見学コースがあるキリンピール工場

 

 キリンビールの「商品ブランド」紹介では、歴代の商品ラベルを通じて、キリンが100年以上にわたって生み出してきたビール販売の足跡をたどり、「ヒストリー・クルーズ」では「麒麟」をブランドにした背景やキリンビールの原形となった「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」の由来を訪ねている。また、製品の宣伝広告・ポスターの例示によるキリンの歴史、酒と飲料の文化史、日本のビール醸造の開拓者たちなどの課題をテーマ別に紹介しているのが興味深い。
 

(キリンビールの歴史とブランド)

W.Copeland
スプリングバレーブルワリーの工場

 キリンビールの前身は、横浜で起業した「スプリング・バレー・ブルワリー(SPRING VALLEY BREWERY)」である。このブルワリーは、1870年(明治3年)にノルウェー系アメリカ人ウィリアム・コープランド(William Copeland)が、日本で初めての大衆向ビールを販売したことに由来するという。そして、1907年(明治40年)に三菱財閥傘下の日本国籍会社「麒麟麦酒」として新発足した。これが後に現在のキリンビールとなった。商標ブランドが「麒麟」になったのは、三菱の荘田平五郎の提案だったとされる。当時、西洋から輸入されていたビールのラベルに動物の絵柄が描かれていたことから、東洋の想像上の動物である「麒麟」を採用したのではないかといわれる。

麒麟のラベル
麒麟麦酒の宣伝馬車
キリン名物のビールカー

ビール創生期の明治では、社会近代化と食生活の西欧化が顕著になっており、都市市民、文化人の間ではビールの愛好家が増えていった。1890年には上野公園で開かれた第3回内国勧業博覧会で、「キリンビール」の販売元「明治屋」がビール貯蔵用の大樽を宣伝展示しているのが特筆される。こういった中で、1907年にジャパン・ブルワリー・カンパニーを受け継いだ「麒麟麦酒」が誕生している。一方、ビール業界は、競争激化を避けるとして、1906年、日本麦酒(エビスの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)、大阪麦酒(アサヒビールの前身)が合同して大日本麦酒株式会社が生まれた。キリンビールは徳利を保った。

カフェー・キリンの外観とショウウインド

 大正時代から昭和前期にかけては、都市部への大規模な人口流入とサラリーマン層の増加があり都市文化も勃興しビール消費も伸び、東京や大阪などで「ビアホール」が次々に生まれている。全国のビール生産量は、1919(大正8)年には約64万8,698石(約11万6,766KL)になり、5年間で2.7倍にも増えている。キリン関係では、1932年に銀座で「カフェー・キリン」、1924年には「カフェー・タイガー」がオープンしてビール市場は賑わいをみせている。

1940年代のキリンビール

 しかし、太平洋戦争が始まるとお酒類は配給制になり、ビール消費も落ち混むこととなる。戦後も消費は伸びなかったが、1949年に全国の飲食店営業の再開が許可されると徐々に回復してくる。そして、高度成長期に入ると、各ビール業界でも消費量の拡大期を迎え活況を呈するようになる。アサヒやサッポロも大きく販売を上しているが、キリンも生産量を増やし年間庫出量ではトップシェアを獲得している。近年では、発泡酒が発売されるようになりビール市場は変化しているが、全体としての消費は他のアルコール飲料に比べても伸び続けている。この中にあって、2007年、従来の事業持株会社の「麒麟麦酒(旧)」は「キリンホールディングス」へと商号変更し純粋持株会社となっている。
  1900年代からのキリンビールを含む主要なビールメーカーの動向は、別添のフローチャートの通りとなっている。

日本の主要ビールメーアーの年代別チャート

・参照:酒・飲料の歴史|キリン歴史ミュージアムhttps://museum.kirinholdings.com/history/index.html
・参照:日本のビールの歴史―時代別解説https://museum.kirinholdings.com/history/kaisetsu/bk_06.html
・参照:KIRIN’s HISTORY ( パーパス | キリンホールディングス)HP: https://www.kirinholdings.com/jp/purpose/history/

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♣ アサヒビールミュージアム(吹田工場)  

所在地:大阪府吹田市西の庄町1-45  Tel.06-6388-1943
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/suita/

アサヒビールミュージアム

 → アサヒビールミュージアムは、「記憶に残るビールを楽しむ」をコンセプトにして、2022年4月、大阪のアサヒビール吹田工場内に誕生した体験型ミュージアムである。ここではビールの歴史や製造工程の解説を聞き工場の製造ラインを見物できるほか、様々な映像や技術を駆使したアトラクションを楽しむことができる。後述の茨城のスーパードライミュージアムも姉妹施設で同様の体験型ミュージアムである。

アサヒビールの歴史展示
館内の様子

最初のアサヒビールの歴史解説では、アサヒビールは大阪が発祥の地であったこと、これが「大阪麦酒」の最初の工場「吹田村醸造所」(現在の吹田工場)であったこと、その後、札幌麦酒や日本麦酒と合同し「大日本麦酒」となり、戦後、「朝日麦酒」、そして1989年に現在のアサヒビール」になったことが、エントランスの展示やシアターの映像などで示されている。次は「スーパードライ体験エリア」で、プロジェクションマッピングを活用した製造工程の紹介や実際の製造ラインを見学できる。このほか、ミュージアムでは四面の巨大なスクリーンによる「スーパードライ・ ゴーライド」の体験コースも用意されている。ここにはビールを缶に詰める工程をイメージした空間があり、製造の速度や迫力が感じられる映像が投影されるアトラクションがみられる。最後は「カフェエリア」で、試飲ができるほか、「サーブ体験」やビールの泡に文字や画像を描く「泡アート」も体験できるという。

スーパードライの製造
缶詰のプロセス
サーブ体験

 このアサヒビールミュジアムは、バーチャル空間を活用した新しい形の体験ミュージアムで、通常の工場見学とはひと味違った体験型博物館の形を提供しているものといえるだろう。

<参考資料:アサヒビールの歴史とブランドの展開>

大阪麦酒の創立祝賀会
最初のラベル

  → アサヒビールの歴史が幕を開けたのは、今から130年前の明治22年(1889年)だとされる。大阪・堺の酒造家である鳥井駒吉や、実業家の松本重太郎らによって「大阪麦酒会社」として創立された。「アサヒビール」というブランド名を選択したのは、“日出づる国”に生まれたビールとの誇りと、“旭日昇天”のごとき発展を願ってのことだったという。 大阪麦酒は、発足当時から関西を中心に人気を博しビール業界に大きな影響を与えた。その後、並列していたサッポロ、ヱビスが合同、1906年に国内シェア7割を占める日本最大のビール会社「大日本麦酒」となる。しかし、戦後に大日本麦酒は分割され、アサヒはブランド名を受け継いだ「朝日麦酒」となった。そして、1989年には、アサヒビールと社名を変更している。

吹田村醸造所(明治30年)
大阪麦酒の出荷風景
発売当時の「引札」(明治25年)

  この間、日本初のびん入り生ビール「アサヒ生ビール」を発売(1970年)、日本初の缶入り「アサヒビール」(1971年)の発売など、今日の缶ビール文化を先取りしている。この中で、特に重要だったのは、日本初の辛口生ビール「アサヒスーパードライ」の販売だった。これがビール業界に革命を起こす大ヒット商品となり、現在でもアサヒビールの代名詞的な銘柄となっている。その後も、糖質ゼロの発泡酒「アサヒスタイルフリー」、新ジャンル「クリアアサヒ」など、さまざまなビール系飲料を展開し確かな存在感を維持している。

・参照:シティライフアーカイブズ【北摂の歴史記録】第4回 アサヒビール創業の地 吹田-1891年完成- | City Life NEWS https://citylife-new.com/newspost/3585/
・参照:アサヒビール株式会社 公式サイト
・参照:大阪・吹田の「アサヒビール ミュージアム」(日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/50242
・参照:アサヒビールがたどってきた波乱の歴史を紐とく(たのしいお酒.jp) https://tanoshiiosake.jp/6554

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♣ スーパードライミュージアム(アサヒ茨城工場)

所在地:茨城県守谷市緑一丁目1-1 Tel. 0297-45-7335
HP: https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

スーパードライミュージアム(茨城工場)

 → スーパードライミュージアムは、アサヒミュージアム(吹田)との兄弟施設。ここでは、アサヒの代表的ブランド「スーパードライ」に特化して、その取り組みとこれまでの歴史を紹介するとともに、品質や鮮度、特性について見学を通して理解を深めてもらうことを期待して設立されている。ミュージアムは、ダイナミックなワイドスクリーンで「スーパードライの世界観」を紹介し、キネテイックライトと映像演出で発酵タンクの中で起こっていることを酵母の目線でダイナミックに表現、充填工程のスピード処理を実感できるプロジェクションなどの工夫が多くとられている。
・参考:スーパードライ ミュージアム|茨城工場(動画)https://www.asahibeer.co.jp/brewery/ibaraki/

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♣ サントリー天然水のビール工場・武蔵野(見学施設あり)  

所在地:東京都府中市矢崎町3-1 Tel.042-360-9591
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/musashino/

サントリー武蔵野工場

→ サントリーの「天然水のビール工場・武蔵野」は、1963年に開設されたサントリー初のビール工場。ここでは同社の代表ブランド「プレミアム・モルツ」の製造過程を見学できるほか、サントリービールの歴史を知ることができる。サントリーがビール市場に参入したのは比較的新しい1963年のことである。しかし、後急速にシェアを伸ばし、老舗のサッポロ、キリン、アサヒに並んで有力メーカーに成長している。この中心ブランドが天然水を使い、独自のフレーバーを持つプレミアム・モルツであった。
 武蔵野工場見学ツアーでは、まず、ビールの素材選びのこだわりを示す原料、麦芽・ホップ・天然水の紹介し、ビールの仕込み、発酵、貯酒、濾過などの一連の製造過程をプレミアム・モルツの特性に沿って解説している。

ビールの発酵タンク
ビールの製造工場内
昔のサントリーのビール

 サントリーの歴史をみると、1899(明治32)年の創業以来、ウイスキーやワインを中心に製造販売していた。あえてビールという厳しい世界に本格的に参入したのは1963年と比較的新しいが、以前にも製作の試みはあったようだ。まず、サントリーの前身である寿屋において、創業者鳥井信治郎が1929年に「カスケードビール」、30年に「オラガビール」を発売しビールづくりに挑戦している。しかし、業績が思うように伸びず6年後には撤退している。戦後、ビール需要が伸びる中で、サントリーは再び新しいスタイルのビールを求めてビール市場に挑戦する。これが武蔵野工場の「天然水のビール」であった。

歴代のプレミアムモルツ

 そして、1967年には「サントリービール〈純生〉」、1986年には麦100%の「サントリーモルツ」、2003年には「ザ・プレミアム・モルツ」が発売されることになる。2008年になると 新ジャンル「金麦」もヒットし、サッポロを抜き業界3位に浮上するまでになる。サントリー武蔵野工場見学では、これらの歴史を踏まえた上で、工場施設とサントリー独自の製法プロセスをみていく楽しみもあるだろう。

・参照:サントリー武蔵野ビール工場の歴史とその挑戦 ( 日本ビアジャーナリスト協会)https://www.jbja.jp/archives/9491
・参照:千載一遇のチャンス到来「ビールに挑戦したい(月刊「理念と経営」) https://www.rinen-mg.co.jp/web-rinentokeiei/entry-160.html
・参照:サントリー天然水のビール工場見学ガイドツアーがリニューアル!神泡のプレモルが試飲できるっ – 多摩ポン+https://tamapon.com/2019/03/13/musashino-beer-guidetour/

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♣ オリオンハッピーパーク(オリオンビール名護工場)

所在地:沖縄県名護市東江2-2-1 Tel. 0570-00-410
HP: https://www.orionbeer.co.jp/happypark/ 

オリオンパーク外観

→ 沖縄本島北部の名護市にあるオリオンビール名護工場では、沖縄独自のオリオンビールが出来上がるまでの工程を見学できるコースを提供している。オリオンビールは、まだアメリカ統治下であった1957年に「沖縄ビール株式会社」として設立された比較的新しいビール会社で、1959年に社名も「オリオンビール」に変更されている。当初は日本の大手ビールの勢力が強く苦戦するが、ドイツ風ビールから沖縄の気候を考慮したアメリカ風ビールに切り替えた結果、県内需要を中心に業績を伸ばした。現在「オリオン ザ・プレミアム」「いちばん桜」、「夏いちばん」といった製品を発売しているようだ。

館内の様子
ビールの製造工程

 工場見学では、エントランスに創業当時の仕込み釜のオブジェ、見学通路にはオリオンビールの想いを伝えるイラストや製造工程のパネルなどが展示されている。また、工場設備では、高速で流れる缶詰コンベア見下ろせるスペースがあり、シアターホールではリアルな映像でオリオンビールの生産工程が紹介されている。見学のあとのビールの試飲、好みのビールを注文できる売店も用意されている。

・参照:名護市「オリオンハッピーパーク」の工場見学で至高のビールを堪能しよう! | 沖縄の観光情報はFeel Okinawahttps://feeljapan.net/okinawa/article/2019-07-19-7153/
・参照:オリオンハッピーパーク | J-TRIP Smart Magazine 沖縄https://www.smartmagazine.jp/okinawa/spot/north/143/

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♣よなよなの里(ヤッホーブルーイング佐久醸造所)

所在地:長野県佐久市小田井1119-1
HP: https://yonasato.com/event/brewery/ 

ヤッホーブルーイング佐久醸造所

→ ヤッホーブルーイングは、いわゆるクラフトビール醸造者として比較的新しく誕生したビールメーカー。この会社の長野県にある佐久醸造所では、新しいクラフトビール「よなよなエール」の醸造所見学ツアーを提供している(よなよなの里)。ここでは、ガラス越しなどではない“普段ブルワー”(醸造士)が働いている生の現場を訪れることができる。見学では、ビールのもととなる「麦汁」を仕込む部屋、発酵させる部屋、熟成させる部屋、ビールを缶や樽に充填し、検査・箱詰めする部屋と、スタッフが直に案内し説明してくれるという。見学終了後には、5種類のビールをテイスティング!となる。ビール醸造士の「テイスティングの作法」の紹介もあるという。

ビール製造工場
作業に取り組む作業員

 全ての見学指導は、「クラフトビールの魅力をもっと伝えたい!」という想いからであるとの、主宰者の説明である。クラフトビールの製作者としての自負が垣間見える。

ヤッホーグループの製品マップ

 ちなみに、ヤッホーブルーイングは、1997年に創業されたエールビール専門のクラフトビール製造メーカー(ブルワリー)として知られる。創業者は星野リゾート代表の星野佳路氏。主要なブランドは「よなよなエール」「インドの青鬼」「水曜日のネコ」「裏通りのドンダバダ」「正気のサタン」など。それぞれリアルエールとバーレーワイン(長期熟成エールビール)といったバラエティ豊かなクラフトビール(地ビール)である。クラフトビールメーカーとしては業界最大手で、ビール業界全体では大手5社に次ぐ第6位であるという。

・参照:ヤッホーブルーイング NAGANOSAKE.JP https://naganosake.jp/blogs/kuramoto-list/kuramoto_yohobrewing
・参照:ヤッホーブルーイング – Wikipedia
・参照:【イベントレポ】「よなよなエール・大人の醸造所見学ツアー」の様子| https://yonasato.com/column/information/detail/report_otonanojozojokengakutour_2801013/

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<参考資料>

♣ 地ビールとクラフトビールの概要と歴史 

地ビールの醸造所の例(エチゴビール)

→ 当初「地ビール」とは大手メーカーが作るビールに対して、「地域で作られる生産量の少ないビール」のことを指していた。1994年の酒税法改正により、ビールの最低製造量60kLに引き下げられたことをきっかけに、日本中の地域が町おこしのため、小規模のブルワリー(醸造所)を次々と発起させた。これが、日本における“地ビールブーム”の始まりとなる。その地域の名産や特性を生かしたビールなど、土地の個性や各醸造家のオリジナリティを楽しめることが地ビールならではの魅力といえる。

エチゴビール

 こうしたビールは「地ビール」として広まっていき、1995年の地ビール第1号「エチゴビール」の発売の以降、爆発的に増えて2年間で300社以上のメーカーが出現している。 一方、「クラフトビール」とは、規模の小さなビール醸造所で造られた多様で個性あふれるビールを指している。技術や工芸、職人技を表現する「クラフト(Craft)」から命名されたもので、2000年代を中心に急速に普及するようになった。このクラフトビールは、一般的なビールに対して、醸造所の“ブルワー”が枠にとらわれず、柔軟な感性によって造られているのが特徴され、最近では大手のビールメーカーも参入している。しかし、当時はまだ技術・品質が低い地ビールも多かったから、地ビールの勢いは一気に衰え、特定の有力メーカーを除き地ビールブームは一気に衰退することになった。

(最近の地ビールとクラフトビール)

  したがって「地ビール」と「クラフトビール」は重なっている部分が多いが、最近では、「地ビール」も「クラフトビール」とも呼ばれることが増えている。このクラフトビールでは、「個性的なビールをつくりたい」というクラフトマンシップのもと、大手メーカーに負けないような高品質のビールづくりを目指す若手醸造家が急増し、新たなブームを巻き起こしている。この主力メーカーの一つが上記の「ヤッホーブルーイング」である。その他の地ビール・クラフトビールの幾つかの例を挙げると以下がみられる。

流氷ドラフト(網走)
東京ホワイト(東京)
TREE OF LIFE(山梨)

「地ビール」全般については、2003年頃までにはブームも完全に終息し、メーカー数も200社ほどにまで減少したが、その後「クラフトビール」と呼び名を変え、2005年を境に第2次ブームと呼ばれる回復に転じたようだ。日本の地ビールメーカーは、「日本地ビール協会」(兵庫県西宮市)が醸造所を集計したところ、2018年末は384カ所、2019年末は427カ所、2020年末は470カ所へと増えている。

・参照:日本のクラフトビールの歴史 | クラフトビールの総合情報サイト My CRAFT BEERーhttps://mycraftbeers.com/about/history.html
・参照:クラフトビール市場 -シェア、分析、サイズhttps://www.mordorintelligence.com/ja/industry-reports/craft-beer-market
・参照:日本の地ビール – Wikipedia
・参照:クラフトビールブームはいつから始まった? | SHOPCOUNTER MAGAZINE

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<参考>

 なお、以下の参考データなどから、主な見学可能な地ビール、クラフトビールの所在を確かめることができる。

参考①:日本地ビール協会・クラフトビア アソシエーションhttps://www.beertaster.org/
参考②:クラフトビール醸造所29選!(ビール女子)https://beergirl.net/beerfactory-tour-matome_c/
参考③:醸造設備が見られる醸造所(地ビール・クラフトビールの森)https://craftbeer.junkword.net/plant.php
参考④:最新版864ヵ所!日本のクラフトビール醸造所(ブルワリー)一覧https://www.alwayslovebeer.com/craftbeer-microbrewery-brewpub/

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(ウイスキーの博物館)

 ここでは数あるウイスキーの博物館のうちよく知られているものを掲げ、その歴史と由来について記述してみた。

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♣ 山崎ウイスキー館(サントリー山崎蒸溜所)

所在地:大阪府三島郡島本町山崎5-2-1 Tel. 075-962-1423
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/facility/

山崎蒸溜所外観

 → 山崎蒸溜所は、サントリーが1924年に日本初の国産ウイスキーを製作するため作られた蒸留所で、一部が蒸溜所開設当時の建物をそのままに残した山崎ウィスキー館となっている。ここでは、サントリーウィスキーの歴史がわかる展示コーナーのほか、原酒や世界中のウィスキーを試飲できる「ティスティングカウンター」、蒸溜所限定ウィスキーやオリジナル商品を取り揃えた「ファクトリーショップ」、また、工場ではウィスキーの製造過程の案内コースも設けられている。

ウイスキー館建物
蒸溜所操業時の蒸溜釜
製造工程がみられる


 山崎蒸溜所におけるウイスキーづくりの特長は、世界にも類を見ない多彩な原酒のつくり分けにあるといわれている。たとえば、発酵工程における木桶発酵槽とステンレス発酵槽の使い分け、蒸溜工程における大きさや形状の異なる蒸溜釜の使い分け、 貯蔵(熟成)工程における様々な樽の使い分けなど、仕込から発酵、蒸溜、そして貯蔵(熟成)に至るまでの全ての工程で 多彩な原酒のつくり分けが行われている。

山崎でのウイスキー醸造のプロセス


 また、サントリーでは100周年に合わせて敷地内の改修を進めており、フロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うと共に、蒸留所の見学設備もリニューアルし、2023年に再オープンしている。そして、見学内容も刷新して「ものづくりツアー」と「ものづくりツアー プレステージ」という2種類の有料見学ツアーを設置した。通常のものづくりツアーでは蒸留所見学ののちに「シングルモルト山崎」の構成原酒などのテイスティング。プレステージでは通常では立ち入れないエリアを見学できるとしている。国産モルトウイスキーの歴史と製造過程を学ぶことができる貴重な博物館といえよう。

<山崎蒸留所の建設とサントリーウイスキーの歴史>

鳥井信治郎
操業開始時の山崎蒸溜所
山崎蒸溜所最古の樽

  山崎蒸溜所を創設したのは寿屋(のちのサントリー)創業者の鳥井信治郎であった。彼は、日本人の味覚にあった本格的なウイスキーづくりを目指し、京都に近く名水の地として知られた山崎の地を選んで工場を建設した。設計と運用はスコットランドでウイスキー製造を学んだ竹鶴政孝を招聘している。

山崎ウイスキーの技術的基礎となった「竹鶴ノート」(1920年)
竹鶴政孝

 鳥井は、小西儀助商店奉公を経た後、1899年に独立して鳥井商店を設立、当初は調合ウイスキーの販売とともに、洋酒の輸入販売を行ない、スペインから輸入したワインを瓶詰にして売り出していた。1906年に社名を「寿屋洋酒店」に変更し、翌年にポルトガルワイン(ポートワイン)をもとに独自開発した「赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)」を販売して成功した。しかし、鳥井は赤玉ポートワインでの成功に満足せず、生涯の業績となるような新しい事業に着手、本格的な国産ウイスキー生産を計画、蒸留所を日本国内に設置することを決めた。この計画には、多くの関係者の反対があったが、鳥居は決意を替えず、山崎の地にウイスキー醸造所を建設してウイスキー生産の開始を決意する。1923年のことであった。この際、鳥井は10年の契約期間を条件として竹鶴政孝を招聘して工場運営に当たらせることにした。当初、竹鶴は蒸留所の位置について北海道を推奨する竹鶴と鳥井の間で激論があったと伝えられるが、最終的に山崎に決定したとの経緯があるようだ。

サントリー白札(1929年)
角瓶 (1937年)
オールド(1950年)

 1924年に山崎蒸溜所が完成、その年の冬から蒸留が開始、国産の大麦、イギリスから取り寄せたピートを使用して、1929年に日本初の国産ウイスキー「白札」(現在のサントリーホワイト)が売り出される。この時の蒸留施設ポットスチルは敷地内にモニュメントとして設置されている。この後、鳥井はさらにウイスキーの改良に取り組み、1937年に改良の成果である「角瓶」(サントリー角瓶)が発売され、消費者から好評を得ている。1940年に「サントリーウイスキー黒丸」(現在のサントリーオールド)が誕生した。 さらに、1946年、寿屋は戦災を逃れた原酒を使用した「トリスウイスキー」を、1950年には戦前に製造した「オールド」を発売するなどで業績を上げている。そして、1973年には白州蒸溜所が建設された。また、山崎蒸溜所稼働から60周年となる1984年3月には「ピュアモルト山崎」が発売されている。100周年の2024年にかけては、敷地内の改修を進めており、前述のようにフロアモルティングや電気式蒸留器の導入を行うなど蒸留所の改良が続けられている。

・参照:山崎蒸溜所 – Wikipedia
・参照:山崎蒸溜所~;サントリーウイスキー蒸溜所便り(SUNTORY 公式ブログ)ジャパニーズウイスキーの始まりの場所~ https://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000196.html
・参照:JWIC-ジャパニーズウイスキーインフォメーションセンター|JW物語 https://jwic.jp/story/history/210909/
・参照:角瓶のこだわり 角瓶 サントリーhttps://www.suntory.co.jp/whisky/kakubin/kodawari/index.html

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♣ サントリー・ウイスキー博物館 (白州)

所在地:山梨県北杜市白州町鳥原2913-1  Tel.0551-35-2211
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/hakushu/facility/

白州蒸溜所内のウイスキー博物館

 → ウイスキーを様々な視点からとらえた世界でも珍しいウイスキー専門の博物館。建物は特長的な屋根の形をしているが、これはかつて山崎蒸溜所に建設された麦芽乾燥塔「キルン」を模したものといわれる。館内に入る目を引くのは大きなポットスチル(蒸溜釜)みえ、日本初の国産ウイスキーを生み出したサントリーの様子がうかがえる。1階では、ジャパニーズウイスキーの歴史、発売初期の製品や新聞広告、ポスターなどの展示物があり、サントリーウイスキー発展の姿が分かりやすく紹介されている。正面奥の壁には、実際に使用していたウイスキーの熟成樽がずらりと並んでいるのが目につく。2階から3階にかけては、ウイスキー醸造や蒸溜の神秘について解説があり、さらにここでは世界のウイスキー文化についての展示が楽しめる。「白州」の歴代ボトルも見ることができるのも楽しみ。また、最上階の展望台からは、八ヶ岳や南アルプスなどの雄峰をはじめ、眼下には白州蒸溜所の広大な森が眺望できるという。

館内の大きなポットスチル(蒸溜釜)
シングルモルトウイスキー「白州」の歴代ボトル
白州蒸溜所の誕生年が刻まれた熟成樽

→参照:サントリーウイスキー蒸溜所便り | SUNTORY 公式ブログhttps://www.suntory.co.jp/factory/blog-d/000145.html
→参考:ウイスキー博物館 (アイエム・インターネットミュージアム) https://www.museum.or.jp/museum/44

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♣ ニッカミュージアム(ニッカ余市蒸溜所)    

所在地:北海道余市郡余市町黒川町7丁目6  Tel.0135-23-3131
HP: (https://www.nikka.com/distilleries/yoichi/guide/museum/ 

ニッカウヰスキー余市蒸溜所正門

→ ニッカミュージアムは、2021年、旧ウイスキー博物館を改修し、展示内容を刷新してオープンしたもの。館内には、ブレンダーに焦点を当てて「味の維持」「原酒仕込み」などウイスキーづくりの役割を紹介するコーナー(ブレンダー・ラボ)、ニッカウヰスキーの4つのブランド「余市」「竹鶴」「ブラックニッカ」「フロム・ザ・バレル」の歴史や誕生のストーリーなどを紹介するコーナーが設けられている。また、ブレンダーによるスペシャルトーク映像などの放映や蒸溜所限定商品を含むニッカウヰスキーの味覚に触れる試飲コーナーもあり味を楽しむことができる。別に設けられた歴史コーナーでは、ニッカウヰスキー創業者竹鶴政孝の生い立ちやスコットランド留学、ニッカ創業のストーリーを紹介するパネルや動画などの展示も行われていて、ニッカ誕生の由来を知ることができる。

ニッカミュージアム
蒸溜所内の大樽看板
ポットスチルのオブジェ

 ミュジアム館のほか、余市蒸溜所の訪問見学も行われており、ビジターセンター、旧事務所、蒸留棟、発酵棟、旧竹鶴邸などを訪問することができる。センターの前には大麦を乾燥させ麦芽を作るキルン塔(乾燥塔)、麦芽を粉砕・糖化する建物、発酵棟、次に蒸留棟と、ウイスキーの製造過程に沿った施設が広い敷地内に点在しているのを見ることができる。 敷地内にある旧事務所は、ニッカウヰスキーの創始者である竹鶴政孝の執務室として1934年に建設さたもので。余市の工業発展の足跡が残る文化通産として、登録文化財に指定されているようだ。また、旧竹鶴邸は、竹鶴政孝・リタ夫妻の住居として工場内に建設されたもので同じく登録文化財になっている。 ここは、竹鶴が様々な困難を克服して。北海道余市に本格的なウイスキーづくりを遂行した思い出の場所であり、同時に結婚したリタ夫人の生い立ちと出会い、その後の軌跡を示すものとなっている。この経過はNHKの大河ドラマ「マッサン」でも紹介されており、よく知られることとなった場所でもある。

余市蒸留所内の施設群(旧事務所、蒸留棟、発酵塔、乾燥塔)
(旧竹鶴邸、リタハウス)

<余市蒸溜所とニッカの歴史>

竹鶴と夫人リタ
余市の工場完成(1934)

 竹鶴政孝は、当初、寿屋(現在のサントリー)でウイスキーづくりに携わっていたが、どうしても北海道の地で本格的なモルトウイスキーをつりたいと考えて、1934年、寿屋を退社。かねてからウイスキーづくりの適地と考えていた北海道での工場建設を決意する。竹鶴が目指したのはスコッチ・ウイスキーであり、ハイランドの蒸溜所と同じように力強くしっかりとした味わいのモルト(麦芽)原酒をつくることであった。

ニッカウヰスキー第一号 (1940)

 そして、1934年、スコットランドに似た気候風土を備えていた余市を選んで蒸留所を建設する。建設した蒸溜所は「石炭直火蒸溜」を行って「品質第一主義」を貫き、日本国内で初となるザ・スコッチ・モルト・ウイスキー・ソサエティ(SMWS)認定のモルトウイスキー蒸溜所になった。竹鶴は、ウイスキーが熟成には長い年月を必要として、まずリンゴジュースをつくってウイスキーづくりを支えようと考え、「大日本果汁株式会社」を設立する。「ニッカ」の命名は、この会社名に由来する。1935年の冬、ウイスキーを蒸溜するためのポットスチル(単式蒸溜器)が届き、いよいよ製造を始めた。1940年には、第1号「ニッカウヰスキー」発売する。しかし、最初、ウイスキーなどは贅沢品として製造販売が制限されなどこんなインは続いた。その後、余市蒸溜所が大日本帝国海軍の指定工場となり、ウイスキーは海軍が買い上げることになりなんとか生産を継続することができている。

近年のニッカ余市蒸溜所「竹鶴21年」
ゴールドニッカ (1968)

 戦後になり、1952年「ニッカウヰスキー」に社名変更、本社も東京に移転する。しかし、売り上げは伸びず経営は困難に直面せざるを得なくなった。当時、ニッカの二級ウイスキー(かつての三級ウイスキー)は他社製より高く、あまり売れていなかったという。1954年頃から、ニッカは銀行からの融資に苦しみ、朝日麦酒の資本参加を求めることになる。その後、1964年、日本初のモルトウイスキーとグレーンウイスキーをブレンドした二級ウイスキー(当時)「ハイニッカ」を発売、翌1965年(昭和40年)には2種のウイスキー原酒をブレンドした一級ウイスキー(当時)、新「ブラックニッカ」を発売している。現在、「ニッカウヰスキー」はアサヒビールと営業統合(2001年)し、アサヒビールの傘下のブランド「ニッカ・ウイスキー」として生産・販売を続けている。こうした中、1998年、余市の蒸留所内に「ウイスキー博物館」が開設された。また、2021年には、これがリニューアルされ、現在の「ニッカミュージアム」となっている。

・参照:余市蒸溜所 – Wikipedia
・参照:ニッカウヰスキー – Wikipedia

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♣ 天領日田洋酒博物館

所在地:大分県日田市本庄町3-4  Tel. 0973-28-5266
HP: https://tenryo-hita-whiskymuseum.com/

天領日田洋酒博物館

 → 大分県日田市にある天領日田洋酒博物館(ウィスキー博物館)。オーナーである高嶋甲子郎氏が約40年かけて収集した洋酒やそのノベルティーグッズなどのコレクション3万点以上を展示している。アメリカの禁酒法時代の未開封のボトルや、1970年代にティファニー社とウイスキーメーカー・シーグラム社がコラボレーションしたボトル、ニッカウヰスキー余市蒸留所創業当時のポットスチル(単式蒸留器)など、珍しい洋酒や関連作品が所狭し並んでいる。「洋酒に憧れた少年は、ウイスキーの奥深さに魅せられ、気付けば国内有数の収集家になっていた。」とのオーナーの弁。

ウイスキーを
中心に数多く
の洋酒、グッズ
などを展示

<参考になるウイスキー館>

・TOKYO Whisky Library(東京・青山)HP: https://tokyo-whisky-library.com/  
  → 1300種の世界のウイスキーが並ぶ日本トップクラスの品揃えを誇るバーラウンジ。
・銀座Mウイスキー博物館(東京・銀座)    HP: http://www.m-whisky.com/                   
  → ウイスキーを中心に2千種類以上が揃う「M銀座ウイスキー博物館」。珍しいウイスキーを眺めながら、併設のテイスティングバーで試飲もできるという、
  See: https://note.com/nareura/n/n047a18f82d52

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(ワインの博物館)

 日本全国には、非常に多くのワインの資料館、ワイナリーが存在している。ここでは日本のワイン発祥地の一つである山梨県、特に勝沼地区のワイナリーを中心に紹介している。ここで名前を挙げているワイン資料館、ワイナリーはごく一部に過ぎないので、参考資料に掲げてあるリストなどを参照して欲しい。

♣ シャトー・メルシャンワイン資料館            

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎1425-1  Tel.0553-44-1011
HP: https://densho-sha.co.jp/furubi/shop/winemuseum   

シャトー・メルシャンワイン資料館

 → 1904年に建てられた宮崎第二醸造所を元にした建物を使ったワイン資料館。宮崎第一醸造所が解体されて遺構のみとなってしまった現在、現存する日本最古の木造ワイン醸造所となっている(「経済産業省 近代化産業遺産」にも指定)。資料館内部では日本ワインの誕生・変遷とともにメルシャン株式会社の歴史を紹介しているほか、明治期に実際にこの場所で使われていた醸造器具の展示、今日のメルシャン株式会社の礎となる先人たちの軌跡・功績、ブドウ産地なども紹介している。資料館は現在でも貯蔵庫として使用され続けており、展示物とともに19の樽が置かれ、約7万本分のワインが眠っている。並んで建っている「ワインギャラリー」では、ワインのテイスティングができる。シャトー・メルシャンシリーズを中心に、常時20種類以上のグラスワインが用意されており、ワインを楽しむことができる。

資料館愛撫の展示
熟成蔵の内部
昔の醸造器具展示

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♣宮光園(旧宮崎葡萄酒醸造場施設)

所在地:山梨県甲州市勝沼町下岩崎174  Tel. 0553-44-0444
HP: https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html

旧宮崎葡萄酒醸造場施設(宮光園) 
南門の扁額
大黒点甲斐産葡萄酒

 → 宮光園は、日本のワイン産業を確立した一人である宮崎光太郎の自宅、ブドウを栽培する葡萄園、ワインを醸造するワイナリーを含む歴史施設(旧宮崎葡萄酒醸造場)である。近代化産業遺産「甲州市のワイン醸造関連遺産」の構成資産ともなっている。宮崎葡萄酒醸造場施設は、1877年、日本初の民間ワイン醸造会社となった「大日主本山梨葡萄酒会社」の後を受けたもので、宮崎光太郎が創業した葡萄生産会社。本格ワインの主力ブランドとして「大黒天印甲斐産葡萄酒」の醸造を始めたことでも知られている。現在は、日本の本格的ワイン醸造のルーツを知ることができる資料館として修復整備されており、ここから発見された貴重な映像資料や写真、当時のワインラベルなどが展示されている。施設内には、主屋、南門(正門)、写真館跡、白蔵、道具蔵・文書蔵、ブランデー蒸留用の煙突、ワイン貯蔵庫、第一醸造所跡(現存せず痕跡だけ)などがる。道を隔てて、メルシャンのワインギャラリー、ワイン資料館、見本ブドウ園などが存在している。これらもかつては宮光園の一部だったとされる。ワイン資料館は、1904年(明治37年)に宮崎第二醸造所として建設されたものである。

宮光園の白蔵
白蔵地下ワイン貯蔵庫
資料館の展示
昔のワイン造りの映像

ワインの検査風景

・参照:宮光園(山梨県甲州市観光協会 ぐるり甲州市) https://www.koshu-kankou.jp/map/m5101.html
・参照:旧宮崎葡萄酒醸造場施設(日本ワイン140年史) https://japan-wine-culture.jp/point/detail/60/
・参照:国産ワインのブランド「大黒」葡萄酒を成功させた宮崎光太郎(前編)(歴史人物伝|キリン歴史ミュージアム) https://museum.kirinholdings.com/person/wine/08.html
・参照:宮光園 – Wikipedia

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♣ サントリー登美の丘ワイナリー

山梨県甲斐市大垈2786  Tel. 0551-28-7311
HP: https://www.suntory.co.jp/factory/tominooka/

登美の丘ワイナリーの外観

 → サントリー登美の丘ワイナリーは、1909年(明治43年)の「登美農園開園」から始まっている。ドイツから醸造技師を招き、近代的ワインづくりに取り組み、1936年に寿屋(サントリーの前身)が経営を継承することで発展する。この登美の丘農園は、「赤玉ポートワイン」の原料用ぶどうを栽培するためにも利用されている。その後、1950年には、ヨーロッパ系のワイン用ぶどう品種の栽培が本格始動。1970年代には、生産の難しい「貴腐ワイン」の醸造もおこなわれている。そして1990年代には、国際コンテストで数々の賞を受賞。歴史に裏打ちされた実力を有するワイナリーへと成長することとなった。この登美の丘ワイナリーはサントリーのブドウ酒づくりの歴史を代表するワイナリーでもある。

試飲ワインショップ
ワインの熟成蔵
登美の丘の葡萄農園

 

(赤玉ポートワインとサントリーのワインづくりの歴史>

鳥井信治郎
初期の「赤玉」

 サントリーの歴史はワインづくりから始まったといわれる。日本に本格的にワインが入ってきたのは幕末から明治にかけてのことといわれる。明治10年頃には 山梨県を中心にワインづくりに挑む先駆者たちが現れたが、栽培や醸造技術が未熟で、人々の嗜好が合わず容易に受け入れられなかった。こういった中、サントリーの前身である「寿屋」の創業者鳥井信治郎は、日本人に合う優良で安価な国産のワインを生みだそうと事業を開始。1907年に、山梨県登美の丘でぶどう園を開拓し「赤玉ポートワイン」を発売した。これがサントリー発展の基礎となっている。
 発売したこのワインはやや高価であったが、評判がよく売れ行きも好調だったようだ。鳥井は、さらにワインの普及と販売向上には宣伝が大切と、当時としては「ハイカラ」な横文字のラベルをつけ新聞広告、また、1922年には日本初の女性が両肩を露わにしたポスターを掲載、“赤玉ポーロワイン”の名を世間に大いに広めたといわれる。以来、“赤玉”はロングセラーとなり、時代とともにラインナップも増やしていった。

評判になったワイン広告ポスター
歴代の赤玉ポートワインラインアップ
現在のワイン
「登美の丘」

  一方、戦後になるとサントリーのワインは、“赤玉”以外の本格的なボルドーワインに取り組み、フラッグシップである「登美1997」など発表し、国際コンクールで金賞を獲得している。また、3010年には、日本ならではの味わいを追求した「登美の丘ワイナリー」シリーズと「ジャパンプレミアム」シリーズを発売しているなど進化を続けている。
 現在、サントリー自身は。ワイン以外のウイスキー、ビール、スピリッツなどが主力商品となっているが、ワインが果たした歴史的な役割は忘れられない。この中で、山梨県「登美の丘」でのぶどう栽培とバイトワイン醸造の挑戦は今も続けられている。

・参照:赤玉の物語 赤玉スイートワイン(サントリー) https://www.suntory.co.jp/wine/original/akadama/history/

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♣ グランポレール勝沼ワイナリー(サッポロビール)

グランポレール勝沼ワイナリー


山梨県甲州市勝沼町綿塚577 TEL:0553-44-2345HP: https://www.sapporobeer.jp/brewery/katsunuma/

→ 日本ワインの発祥の地でサッポロが誇る純国産プレミアムワイン「グランポレール」を醸造するワイナリー。裏手に広がる見本ぶどう園では4つのぶどう産地で栽培されているぶどう品種を現地の栽培方法で再現しているのを見ることができる。醸造家自慢のワインをテイスティングも可能。

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♣ サントネージュ・ワイナリー(サンフーズ)

所在地:山梨県山梨市上神内川107-1  Tel. 0553-22-1511
HP: https://www.sainteneige.co.jp/ 

サントネージュ・ワイナリー

 → サントネージュ・ワイナリーは、2022年よりアサヒビールグループから「サン.フーズグループ」のもとで新たなワイン醸造および営業販売を開始。サントネージュのブランドは、2002年 協和発酵の酒類事業の譲渡を受け、アサヒビール傘下となり、その後、株式会社サン.フーズに譲渡されている。
 サントネージュワインは「よいワインは、よいぶどうから」をワインづくりの基本とし、1953年から欧州品種のカベルネ・ソーヴィニヨン、メルローなどのぶどうの育成を開始したとしている。近年では、サントネージュは「ジャパン・ワイン・チャレンジ 2020」にて「かみのやま 中島畑メルロー 2018」が金賞を受賞している。ワイナリーでは新作ワインをテイスティングできる。

ワイン熟成蔵
栽培中の葡萄
サントネージュワイン


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♣ マルスワイナリー(本坊酒造)

所在地:山梨県笛吹市石和町山崎126 Tel. 055-262-1441
HP: https://www.hombo.co.jp/visiting/yamanashi/

マルスワイナリー

 → 本坊酒造は1960年に洋酒生産の拠点としてマルス山梨ワイナリーを設立し、以後60年以上にわたり地域に根付き、山梨の土壌・気候など自然条件を活かしたワイン造りに取り組んでいた。ワイナリーでは、マルスワインの歴史とワイン造りを知ることができ、山梨テロワールを活かしたワイン造りへのこだわりが体感できる。

ワイン熟成蔵
無慮試飲コーナー
マルスワイン

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 甲州市勝沼 ぶどうの丘

所在地:山梨県甲州市勝沼町菱山5093
HP: https://budounooka.com/

勝沼 ぶどうの丘施設

 → 勝沼町菱山にある、日本最大級のワインショップを有する観光施設。その名のとおり小高い丘の上に位置する。塩山市・勝沼町・大和村の合併前は勝沼町により運営されていたが、合併後は甲州市が運営している。甲州市の審査に合格した市推奨のワインのみを扱うワインショップをはじめ、レストラン、宿泊施設、イベントホールなど様々な施設を有する。
・参照:ぶどうの丘 – Wikipedia

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♣ 牛久シャトーワイン資料館(茨城)

所在地:茨城県牛久市中央3-20-1 Tel. 029-873-3151
HP: https://www.oenon.jp/ushiku-chateau/

牛久シャトーワイン資料館

 → 牛久シャトーは、実業家である神谷傳兵衛が、1903(明治36)年に茨城県牛久市に開設した日本初の本格的ワイン醸造場。フランスに現存した醸造場をモデルに、ボルドー地方の技術を用いて、葡萄の栽培からワインの醸造・瓶詰めを一貫して行なっていました。現在は、約6万平方メートルある敷地内に、当時の建物を活かした記念館を展開し、神谷傳兵衛の足跡と当時のワイン造りの資料や、オエノングループの歴史を紹介しており、多くの方が訪れます。2007(平成19)年11月には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定、2008(平成20)年6月には国の重要文化財に指定、そして2020(令和2)年6月に「日本遺産(Japan Heritage)」に認定されるなど、その歴史的価値の高さが広く認められています。

神谷傳兵衛
神谷傳兵衛記念館内部
館内展示の一部

 現在、明治36年から117年以上、大切にされてきた日本初の本格的ワイン醸造場「牛久シャトー」の復活を果たすべく、クラウドファンディングが行われているようだ。

・参照:神谷傳兵衛記念館 | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/memorial_hall/
・参照:オエノン ミュージアム | 園内を楽しむ | 牛久シャトー公式サイトhttps://www.oenon.jp/ushiku-chateau/shop/museum/ 
・参照:オエノンホールディングス – Wikipedia

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♣ 池田町ブドウ・ブドウ酒研究所(ワイン城)

所在地:北海道中川郡池田町清見83-4
HP: https://www.tokachi-wine.com/

池田町ブドウ・ブドウ酒研究所

 → ヨーロッパ中世の古城に似ていることから「ワイン城」と名づけられ親しまれている池田町のブドウ酒研究所。1963年に運営を開始した日本初の自治体ワイナリーである。 館内の地下熟成室には多くのオーク樽やオールドビンテージ、樽熟成、ビン熟成、そして既に出荷を終えた年代物のワインの数々が並んでおり、十勝ワイン製造の中核であることを示している。 一階の「廊ミュージアム」では、十勝ワインの製造方法やブドウ栽培のことなどの展示がり、池田町のワイン造りのきっかけとなった歴史を伝えるパネル展示、併設されたライブラリーには珍しいワインに関する図書を見ることができる。また、ブランディーも製作しており、蒸留室では、ブランディーを造るための蒸留器と実際にこれを熟成している樽をガラス越しに見学することができる。2020年6月にはリニューアルオープンし、より一層ワイン巡りを楽しめる施設へとパワーアップも図られている。ワイン城の南側の斜面にはブドウ展示園があり、池田町だけの品種「清舞」「山幸」などのブドウの樹が植えられている野を見ることができる。

十勝ワイン
館内展示
ワイン熟成室
栽培している葡萄

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(参考資料)

○ ワインの国 山梨(山梨県ワイン酒造組合)(甲府)

所在地:山梨県甲府市東光寺3-13-25 地場産業センター2階
 HP: https://www.wine.or.jp/wine/index.html    

→ 山梨県ワイン酒造組合の「ワインの国 山梨」では、県内のワイナリーの概要を紹介している。日本のワイン発祥の地である山梨県には、明治初期創業の老舗から令和に新設された醸造所まで。新旧80余のワイナリーが集まっている。ここでは、インターネット上で山梨県ワイン酒造組合に所属のワイナリーを掲載している。
・参照:https://www.wine.or.jp/winery/index.html

○ 日本のワイナリー紹介(| 日本ワイナリー協会)
HP: https://www.winery.or.jp/winery-map/

→ 日本各地の個性あふれるワイナリーをインターネットで紹介している。探している地方のワイナリーを地図上から選択して検察することができる。

○ 日本のワイナリー紹介 | 日本ワイナリー協会
  See: https://www.winery.or.jp/winery-map/

○ 全国のワイナリー/ブルワリー(Yahoo!トラベル) 
See: HP: https://travel.yahoo.co.jp/kanko/category-winery/

○ 国内のワイナリー数(国税庁)
  See: https://www.nta.go.jp/taxes/sake/shiori-gaikyo/seizo_oroshiuri/r03/pdf/06.pdf

○ ワインの試飲や工場見学を楽しもう・おすすめワイナリー12選 (Tripa) 
  See: https://www.nta.co.jp/media/tripa/articles/6Lehc
  See: 甲州勝沼の有名ワイナリー7選(たのしいお酒.jp)https://tanoshiiosake.jp/11333

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<参考資料>

  • 中村浩「ぶらりあるきお酒の博物館」(芙蓉書房)
  • 川島智生「近代日本のビール醸造史と産業遺産」(淡交社)
  • 日本ビール文化研究所「日本ビール検定公式テキスト」(実業之日本社)
  • キリンビール株式会社「図説ビール」(ふくろうの本)」
  • 吉田元「近代日本のさけづくり」(岩波書店)
  • 山本博「日本のワイン」(早川書房)
  • 音羽和夫「ワインと博物館」(共立出版)
  • 仲田道弘「日本ワインの夜明け」(創森社)

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(洋酒の項  了)

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