国立公文書館ボランティアガイドの説明資料

 2020年4月から、東京にある「国立公文書館」のボランティアガイドに従事することになった。現在研修中であるが、このなかで研修プログラムの一つとして、館内の展示案内を行うことになった。 テーマは「大日本帝国憲法と日本国憲法に関する展示案内」。以下の資料は、このガイドのため作成した筆者の「説明資料」である。 ガイド説明のポイントは、以下の5点とした。関心のある方の参考になればよいと思う。

  • 重要な国の重要文化財としての憲法の原文書
  • 公文書に示されている明治・帝国憲法文書の制定に向けての動き
  • 明治・帝国憲法文書に見える特徴
  • 帝国憲法策定に関わる逸話
  • 現行・日本国憲法の成立経過と文書に見える特色
  • 憲法文書からみえるもの

(重要文化財としての憲法原文書)

 国立公文書館に所蔵されている憲法の原文書は、明治以降、日本の政治経済の方向性を決めた最も重要な文書として国の重要文化財に指定されているものである。そして、文書に示された文言と内容、書類の形式、スタイルは制定当時の時勢を色濃く反映している。この意味で、憲法原文を観察することで様々な時代背景を垣間見ることが出来るだろう。

まず、明治年間に制定された「大日本帝国憲法」の背景と内容・形式を見てみよう。

♣ 文書には制定にいたる様々な動きが反映

 公文書には、封建時代の徳川領国支配から、明治維新に移ると、当初は古い王政思想に持つ付く太政官制度をとっていたが、政治の近代化を目指す立憲政治への改編を迫られ、明治中期には内閣制度へ移行、同時に明治・帝国憲法文書の制定に向けての動き出している。この動きは、帝国憲法制定を目指した政治文書、憲法草案文書などによく示されている。

貴重文書保管庫

 まず天皇の御名御璽が付された原本を見ると、文書は「御署名原本」と呼ばれ、国立公文書館が取り扱う史料の中でも特に重要とされ、館内の特別な場所に厳重に保管されている。 添付写真は、「大日本帝国憲法」及び「日本国憲法」が保管されていたものといわれている貴重文書の保存箱。 昭和46年(1971)11月、これら署名原本は皇居内にあった内閣総理大臣官房総務課の貴重書庫からを国立公文書館に移管された。明治19年から昭和45年分まで計93箱であったことが記録されている。http://www.archives.go.jp/exhibition/digital/koubunshonosekai/contents/39.html

♣ 明治・帝国憲法文書の制定に向けての動きを記録する公文書

―徳川領国支配から太政官制度、内閣制度への移行文書―

 公文書館で所蔵されている公文書には、内閣制度の変遷、「大日本帝国憲法」にいたる様々な政治的動きが記録されている。まず、慶応4(1868)年閏4月明治新政府の「政体書」に基づく官制改革が進められ太政官制と呼ばれる政府機構が成立。この太政官制は明治4(1871)年7月の太政官職制など数度の改革を経つつ、明治18(1885)年12月の内閣制度樹立まで続いた。この変遷をたどる文書のいくつかを示すと以下の通り。

♥ 徳川政治から明治維新体制の基本を示した「五箇条の御誓文」と「政体書」
     → 時代の変化を反映ー(徳川領国支配から太政官制度、内閣制度へ

♥ 立憲政体の樹立を促した「立憲政体樹立の詔」

 この詔によって元老院、大審院、地方官会議が設置され、元老院により立憲政体を目指す国憲の編纂作業が開始されることになる。この詔によって元老院、大審院、地方官会議が設置され、元老院により立憲政体を目指す国憲の編纂作業が開始されることになる。

「立憲政体樹立の詔」明治8年(1875)
公文附属の図・勅語類・(一)元老院、大審院、地方官会議ヲ設置シ漸時立憲政体樹立ノ詔勅   http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m08_1875_02.html


  

♥ 明治憲政改革の促進を促した「民選議院設立建白書」

 板垣退助等8名が、明治6(1873)年、政府に提出した国会開設を求めた建白書。 「天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已」と記されている。 明治6年末、征韓論に破れて下野した元参議板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣等8名は、翌7年1月に政府の左院宛に民撰議院設立建白書を提出。有司専制を廃し、「民撰議院」を設立し速やかに天下の公議を張るべきと主張している。この建白書は新聞に掲載され、議院設立の時期などをめぐり論争が展開され、後の自由民権運動に大きな影響を与えた。

民選議員設立建白書 明治6(1873)年、板垣退助等8名が政府に提出した国会開設の建白書 
「天下ノ公議ヲ張ルハ民撰議院ヲ立ルニ在ル而已)」→ 帝国議会、帝国憲法設立に向けた政府内の動きに大きな影響

♥ 太政官制から内閣制に転換し、憲法制定へと舵を切った「勅諭」と「内閣職権」文書

国会開設之勅諭」公文附属の図・勅語類・(一五)明治14年(1881)10月12日
http://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m14_1881_01.html
・ 明治23年を期して国会を開設することを謳い。
・ 憲法は、政府の官僚が起草する原案を天皇自ら裁定し公布するとの姿勢が明確にされている。

「内閣職権」(明治18年) 太政官制から内閣制に転換、憲法制定への準備手続き文書  https://www.ndl.go.jp/modern/cha2/description06.html
(内閣職権)
第一条 内閣は天皇の直轄に属し大権の施行に関し国務大臣輔弼の任を致す所とす
第二条 内閣総理大臣は内閣の首班とし機務を奏宣し旨を承て大政の方向を指示

♥ 憲法制定へ向けた草案の準備と勅語の発布へ

 明治7年(1874年)の民撰議院設立建白を提出された後、自由民権運動の機運が盛り上りる中で、元老院に対して、国の憲法を早急に検討すべきであるとの勅書が発出された。これを基に元老院の中に「国憲取調委員」を置き、憲法の案文の検討が行われるようになる。

国憲起草の詔(明治9年)国立公文書館
 明治9年(1876年)9月、元老院に対し葉っぱ得された発布された「国憲起草の詔」
 → 明治政府の憲法制定に関する正式な意思を示すhttps://www.digital.archives.go.jp/DAS/pickup/view/detail/detailArchives/0101000000/0000000004/00

日本国憲按 (明治9年10月)第1次草案 
国会図書館デジタルアーカイブ
Ø元老院は、国憲取調委員を置き、「日本国憲案」(第一次草案)を作成(明治9年)、明治13年(1880年)には「日本国憲按」(第三次草案)と題する憲法草案を奏上したが成案には至らず。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3860371

♥ 準備された憲法草案

憲法中綱領之議 明治14年6月]伊藤博文関係文書 書類の部 229 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3860373

→憲法について岩倉具視が上奏した意見書を箇条書きで記したもの。明治14(1881)年7月にこれを基にした「大綱領」が天皇に上奏

♥ 憲法草案のための調査勅書と草案の完成

立憲政体調査のため欧洲派遣の勅書
明治15年3月3日 伊藤博文関係文書 書類の部 209 国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3860374
→ 立憲制度の調査のため、伊藤博文にヨーロッパ派遣を命じた勅書発信。各国の憲法や皇室、議会(上下院)、内閣、司法、地方制度など、31か条にのぼる具体的な調査項目が示された。伊藤は明治15(1882)年3月14日に横浜を出発、1年半の調査が行われた。
この結果、伊藤博文を中心とした草案検討メンバーが、神奈川憲にある青島で草案完成。これが「大日本帝国憲法」の正式案となって上奏された

♣ 明治憲法発布に至る経過と逸話 

明治9年(1876年)9月「国憲起草の詔」以降の動きを整理すると以下の通りとなる。
この動きは公文書中によく記録されている。

(憲法制定までの経過)
     ・元老院に国憲取調委員を置き「日本国憲案」(第一次草案)を作成(明治9年)
     ・明治13年(1880年)には「日本国憲按」(第三次草案)と題する憲法草案を奏上
     ・明治14年)勅書により参議伊藤博文が憲法調査のためヨーロッパ出張
     ・明治17年、宮中に制度取調局を設置、伊藤博文長官就任、憲法および皇室典範の起草に着手
     ・明治18年、内閣制度成立。伊藤博文、内閣総理大臣に就任
     ・明治21年、伊藤博文、憲法草案の脱稿を報告、枢密院を開院し草案諮詢
     ・明治22年、枢密院、憲法案につき審議、議了
大日本帝国憲法発布ノ御告文及勅語(明治22年)
 明治22年(1889211日、大日本帝国憲法が発布。資料は、大日本帝国憲法発布に際して発せられた勅語(官報号外に掲載されたもの)

♣ 憲法草案をめぐる逸話